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専門員(
小田橋貞寿君)
請願によりますと、
柳井市に
競馬場があったのだそうでありますが、その
競馬場を
小型自動車競走場として、二十五年八月に認可を受けて、
小型自動車の
競走場とし、二十六年十一月にスタートしたそうであります。そしてもちろん、これは
柳井市及びほかにも
施行者があったかと存じますが、
地方財政の救済というようなことが
目的であったと思います。しかし、その後非常に
成績が悪くて、
昭和二十七年四月、第二回の
開催をもって一時中止するようになり、その後
山陽振興株式会社というのが中心になって
復活運動をして、二十八年五月に再開をしたのだそうであります。しかしそれでも
成績が思わしくなく、しかし
開催を全然中止しては困るので、ときどき
開催をして、三十二年まで続けて参りましたが、三十二年九月を
最後にして、赤字を続けたために、
開催不能になっているのだそうであります。過去七年間にこの
競走場から
連合会に納付すべき
賦課金が、この
競走揚では七十五万円だそうであります。これを埼玉県川口にあります同じような
競走場が四千万円納付しているのと比較しまして、
経営上、
入場者の数が非常に少なくて、
経営が不振になっている、こういう
状態なんだそうであります。
ですからこれを新らしく
山陽町に移したところで、おそらく
成績があがる
見込みはないだろう。大体
関西方面のこのオートレースの
競技は非常に不振なんだそうでありまして、それで
昭和二十六年に一斉にこういう
競技を開始した
大阪、
兵庫、
山口の三
競走場は、
大阪は二十七年、
兵庫は二十九年、
山口は三十二年に、ついに
競技を中止するのやむなきに至っている
状態なんだそうであります。そういう
状態だから、もうこれはやらない方がいいだろう、こういう
意見がこの
請願の
趣旨には盛ってあるのであります。