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1959-12-21 第33回国会 参議院 外務委員会 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年十二月二十一日(月曜 日)    午前十一時一分開会   —————————————   委員異動 本日委員堀木鎌三君及び千葉信君辞任 につき、その補欠として後藤義隆君及 び大和与一君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     草葉 隆圓君    理事            井上 清一君            剱木 亨弘君            苫米地英俊君            吉田 法晴君    委員            青柳 秀夫君            梶原 茂嘉君            後藤 義隆君            笹森 順造君            杉原 荒太君            永野  護君            野村吉三郎君            加藤シヅエ君            木村禧八郎君            小林 孝平君            森 元治郎君            大和 与一君            曾祢  益君            佐藤 尚武君   国務大臣    内閣総理大臣  岸  信介君    外 務 大 臣 藤山愛一郎君    大 蔵 大 臣 佐藤 榮作君   政府委員    法制局長官   林  修三君    法制局次長   高辻 正巳君    外務省アジア局    長       伊関佑二郎君    外務省アジア局    賠償部長    小田部謙一君    外務省条約局長 高橋 通敏君    大蔵省理財局長 西原 直廉君   事務局側    常任委員会専門    員       渡辺 信雄君   説明員    外務省アジア局   南東アジア課長  影井 梅夫君    運輸省船舶局長 水品 政雄君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○日本国ヴィエトナム共和国との間  の賠償協定締結について承認を求  めるの件(内閣提出衆議院送付) ○日本国ヴィェトナム共和国との間  の借款に関する協定締結について  承認を求めるの件(内閣提出、衆議  院送付)   —————————————
  2. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。  本日、堀木鎌三君及び千葉信君が委員を辞任され、その補欠として後藤義隆君及び大和与一君が選任されました。
  3. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 日本国ヴィエトナム共和国との間の賠償協定締結について承認を求めるの件、  日本国ヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定締結について承認を求めるの件、  以上衆議院送付の両件を一括して議題といたします。  前回に引き続き質疑を続行いたします。
  4. 曾禰益

    曾祢益君 まず、これは木村委員からまだ質問継続中の形になっておりますが、特別円の問題についてちょっとお伺いしたいのですが、この特別円支払い賠償との関係でございます。仏印に対する債務として、いわゆる特別円、あるいはいろいろな勘定がございますから、特別円以外にも金塊あるいはドル支払いもあるわけでありますが、これ全体が必ずしも、何と申しますか賠償と同じ性質のものだとは私も主張するものではございませんが、しかしこの特別円支払い賠償支払いとダブっておるところがあるような感じがするのであります。政府のお考えでは、この特別円支払い賠償との関係が全然ないものかどうか。この点について、一般的な抽象論でありますが、まず伺いたいのであります。
  5. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 仏印特別円及び一般、まあいわゆる昭和十六年の日仏協定に基づきます清算関係と、それから賠償とは関係はございません。
  6. 曾禰益

    曾祢益君 賠償債務というものは、少なくともいつに開戦の日をとるか、これはいろいろ双方の主張が違っておりまして、結局政府主張によれば、四十四年の八月二十五日、これが日仏間の開戦の日、従ってフランスあるいはフランスから分離したベトナムに対する日本賠償義務は、戦争開始以後から起算するという建前をもっておられると思うのでありまするが、その通りに解釈してよろしゅうございますか。
  7. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) その通りでざいます。
  8. 曾禰益

    曾祢益君 そういたしますると、特別円の方は、政府主張によると、八月二十五日以前の日仏間の支払い等に関する協定に基づくフランスに対する債務。しこうして八月二十五日以後の日本軍事行動、すなわち日本フランス及びフランスから分離する国との間に起こった戦争に基づく一切の日本債務━━賠償その他の向こう請求権を含めて一切の債務は、全部賠償で支払う、こういうふうに考えてよろしゅうございますか。
  9. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) その点政府委員から御答弁いたさせます。
  10. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ただいま御指摘の点でございますが、一九四四年の八月二十五日を起点といたしまして法律的には考える次第でございます。従いまして、法律的には、その八月二十五日以前は戦前債務でございますし、二十五日以後は一切の債務放棄したと、御指摘通りになるわけでございます。ただし、特別円に関しましては、これは日本フランスとの間の債務でございます。すなわち、日本フランスとの間で御承知の通り国家間のいろいろな約定がございまして、その約定に従いましてピアストル日本政府に提供させ、そのピアストルによって現地物資その他を調達、その他貿易に充てたという関係になるわけでございます。従いまして、そのピアストル見合いとしての円、この円の関係は、日本フランスとの間の債権債務として残るわけでございます。従いまして、法律的立場によりますと、八月二十五日以前はフランスとの間の金銭債務であり、八月二十五日以後はフランスとの関係におけるその債務の、法律的に言いますれば請求権放棄と、こういうふうになるわけでございます。しかし、あくまで、それはフランスとの債権債務の法律的な解釈でございまして、それはフランス放棄したというだけでございまして、それとそれ以後の現地賠償とはこれは別問題である、このように考える次第でございます。
  11. 曾禰益

    曾祢益君 どうも非常に御説明が、大へん失礼ですけれども、たどたどしくてよくわからないのですが、八月二十五日以前の特別円支払いが、これが賠償性質でない、戦争に基づくあれでなくて、まあ一種のいわゆる平和進駐ですか、軍事占領という実態をとってはおりましたけれども、とにかく日本フランス国との協定によって生じた、これは別個の戦争による債務、すなわち賠償性質を持たざるものだということは私も承認します。ですから、これは賠償の対象でない。しかし、一たん日本フランス国との間に八月二十五日以後は戦争状態があった。しからば、フランスに払うか、フランスから分離したベトナム国に払うかはこれは別問題である、問題の本質じゃなくて、賠償債務というものは、八月二十五日以後の事態について全部賠償債務になるべきであって、八月二十五日以後についても特別円支払いが残るということは、これはどうも筋道が立たないのである。しかも、それならば、特別にその債務があるとするならば、なぜ八月二十五日以後の一般債務フランスから分離したところのベトナム国に払い、特別円勘定だけはなぜフランスに払うのか、その理由が明確にされなければならない。
  12. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ただいま御指摘の点がございますが、私説明が不十分かと思いますが、御指摘通り戦前債務の点は、もう御指摘通りでございます。ところが、特別円に関しましては、これはフランスから特別円を、フランスからピアストルを提供させまして、そうして現地においてそのピアストル流通過程に入りまして、そうして現地物資を調達したわけでございます。
  13. 曾禰益

    曾祢益君 それはわかっております。
  14. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その関係におきましては、現地においてはそのピアストルがそのまま流通しておったと、こういうわけでございます。ただフランスのいわば一つ発券銀行と申しますか、国庫という立場において、フランスから、仏印銀行を通じまして、フランスがわれわれに提供した。ピアストル見合いとしての円というのを、われわれはフランスに対する債務として考えて、その債務の面を、これをどう処理するかという問題でございます。従いまして、この債務の面だけを考えますれば、しかも法律的に考えますれば戦前債務であり、戦後は放棄である。すなわちフランスとしましては、日本政府に対して、戦後の分は放棄したという日本側立場に立ちますれば、そのような法律論も成り立つわけでございます。しかし、それと現実に流通した。ピアストルの問題、しかもそれに関連するところの損害、すなわち賠償という問題は私は別問題である、このように考える次第でございます。
  15. 曾禰益

    曾祢益君 どうもわからないのですがね、八月二十五日以後の特別円勘定では、起こった日本債務は、ピアストルを使ったために起こった特別円等債務はこれはあるわけですね、それは戦争債務とは、賠償とは全然別の問題である、開戦後も。こういう考えですか。
  16. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) そのように考えます。
  17. 曾禰益

    曾祢益君 それでは特別円勘定はいつまが日本債務として残るのですか、締め切りはいつなんですか。
  18. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その点は先ほどたびたびと申しますか申し上げておりますように、一九四四年の八月二十五日でございます。これが法律的に八月二十五日が開戦でございますから、わが方の立場といたしましては、戦前と戦後とを分けますと、この八月二十五日というところが基点になるわけでございます。
  19. 曾禰益

    曾祢益君 起点じゃなくて終点というのですか、どっちなんですか。戦前のものは、八月二十五日以前のものはこれは戦争に基づく債権債務の問題ではない、これはあなたも僕も一致しておるわけです。八月二十五日以後のピアストルを使ったことによる日本債務は、これはどっちの性質なのか、戦争による債務なのか、それとも全然別の債務か、戦前と同じように認めるのかということを聞いておるわけです。
  20. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 戦前と同じような債務でございます。しかし法律的に申し上げますれば、平和条約第十四条の適用でございまして、わが方から見れば、請求権フランスに対して放棄させる、こういう理由が成り立つわけでございます。
  21. 曾禰益

    曾祢益君 おかしいな。しかしフランスに対して債務が発生したのはこの特別円関係だけではない。何となれば、ベトナム国というのはまだできていないのですよ。従ってそれ以外の一般賠償開戦の当時、すなわち四十四年八月二十五日においては日本フランス国に対して負った債務なんですよ。そうじゃないですか。その債務フランス国家から分離したベトナム国継承しているということになるんでしょう。何も変わりはないじゃないか。
  22. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その点につきましては、このような債務フランス政府日本政府間の債務でございまして、国際法上の一般原則といたしましては引き継がないのだという、こういう原則に立つものでございます。すなわちある国から一つの国が独立いたします場合でございますが、これは私申すまでもなく、一般的にいいましてその地方に結びついた債務と申しますか、鉄道であるとか、鉱山とか、そういうような債務、これは一般的問題として引き継ぐわけでございますが、このような債務は、これはフランス政府日本フランス日本債務でございますので引き継ぐというような問題は発生しない、むしろこれはフランスにこのような支払いをなしたあとで、フランス現地とがどのような関係でこれを済ますか、こういう問題になるかと考える次第でございます。
  23. 曾禰益

    曾祢益君 私が申し上げたのは、この債務も、開戦時以後の特別円債務も、開戦時以後の一般戦争債務も、まず第一にはフランスに対する債務であったはずなんです。それがその後フランスからベトナム国が分離したために、大部分債務は、日本債務ベトナム国フランスから継承されている、こういう形になるわけです。ところが特別円開戦後の特別円勘定だけはなぜフランスに残るのか、これをあなたは国際法一般原則だと言われますけれども、一体その分離国と元の母国との間の権利継承権利義務継承がしかく明確に、こういう権利は必ず分離国継承し、こういう権利だけは母国に残るなんかということについて明確に国際法原則がありますか。
  24. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 御指摘通りその点は非常に複雑かつ困難な問題でございます。これは御指摘通りでございます。ただ、この特別円に関しましては、私はこれは政府間の債務でありまして、この政府間の債務を、今度は独立したあとで、または独立前に、フランスと、独立前でございますればフランス本国とその植民地でございますベトナム国、すなわちベトナムにおける仏印銀行とどのように処理をするか、また独立した場合には、今度はそのフランス独立国とがどのような処理をしたかというのは、これはフランス対その地域の問題でございますので、われわれといたしましては、あくまでフランス日本との債務といたしましてこれを解決した次第でございます。
  25. 曾禰益

    曾祢益君 それならば、開戦後の特別円支払いフランスに対してやったことについて、ベトナム側はどういう見解をとっていましたか。
  26. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ベトナム側としましては、フランスは、実はフランス側といたしましては、一九四七年でございますが、この金額十五億でございます、たしか十五億と思いますがとにかく一九四七年にフランス本国とその現地における発券銀行であるフランスインドシナ銀行債務と申しますか関係を、十五億を支払うことによって補てんいたしております。従いましてこの関係は、これによって、もう独立前に解決いたしておる次第でございます。
  27. 曾禰益

    曾祢益君 独立がいつ始まったかということは、非常にいろいろ議論があるだろうと思いまするが、私の伺いたいのは、ベトナム国の方から、少なくとも開戦後の特別円支払いフランスにやることについて、いわゆる文句を言ってきたとか、抗議したとか、異議を申し立てたということはないのであるかということであります。
  28. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) わかりました。その点は交渉過程においてそのようなことを申してきたことはあります。しかし、われわれといたしましては、これはとにかくフランスとの関係であるからということにおいて、この点は拒絶いたしておる次第でございます。
  29. 曾禰益

    曾祢益君 拒絶はしているかもしれないけれども向こうが一体納得したのかどうか。向こう特別円支払いも、開戦後に関する限りは、やはりフランスと分離した国であって、ベトナムの方に継承権があるという建前だから文句を一言ったのじゃないですか。その点はどうなんですか。
  30. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) おそらくそういう点も理由一つであったと考えます。しかし、この関係は、われわれとしてはフランスとの関係であると、従いましてそのフランスとの関係を完済したのちに、今度はフランスベトナムがどういうふうにするかということは、これはフランスベトナムとの関係じゃなかろうか、こういう立場に立ちますものですから、これに対してはわれわれは応じられないということを向こうに申した次第でございます。
  31. 曾禰益

    曾祢益君 それはそういう形式諭じゃ済まないのであって、どう考えても金額はそう今度の賠償協定に比べれば大きくないけれども、少なくともベトナムとの関係において考えた場合に、特別円フランスに支払ったり、あるいは金塊フランスに支払ったことについては、決してこれを彼らは正しいとしておらない。賠償の方で、その金額ぐらいは当然に日本から二重にでも払ってもらうというつもりでベトナム交渉してきたことは、これは間違いないと思う。もちろん三千九百万、ドル賠償の中にこれが幾ら入ったかということは、賠償の最後のきめ方は、これは非常に政治的な数字できまったわけでございまするけれども、少なくとも日本の国民から見るならば、せっかくフランスに敗戦後の特別円まで支払った、十五億支払った。しかも、ベトナムの方から見れば、それは不当な支払いで、おれの方によこすべきである。フランスから取るということよりも、日本請求権を持っておるという建前賠償交渉が行なわれたということは事実だと思うのです。ですから、観念的に言えば、この三千九百万という中に十五億も含めた要求を向こうがしておったということは否定できない。言いかえれば、少なくともこの十五億というものは、今度のベトナム賠償とダブっているということになるのではないですか。
  32. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ベトナム側は、今曾祢委員のお話のような理由は、今度の賠償交渉においては特に申し出ておりません。従って、われわれは、そういうようなベトナム側気持をそんたくしての御発言だと思いますけれども、私どもはそういうふう気持があったとは思っておりません
  33. 曾禰益

    曾祢益君 それはおかしいのじゃないですか。先ほど条約局長答弁の中にもあったように、今度の賠償交渉の中にどう入ってきたかは別として、少なくとも先ほど条約局長が認めておるように、特別円支払い金塊引き渡し等ベトナム側にやるべきだということを主張した。しかし日本政府はこれに従わなかった。こういう外交歴史があるのじゃないか。これまで否定されるわけじゃないでしょう。
  34. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) そういう外交歴史は一応ありましても、日本側が拒絶しまして、向こうもそれを納得したものと考えられます。従って、今回の賠償交渉にあたって、向こう側気持の上で、そういうものを含めたということは、私どもないと考えております。
  35. 曾禰益

    曾祢益君 それは勝手な断定だと思うのです。ですから、これは私は、確かにこの部分は二重の支払いになる、これはもう明確だと思います。十五億円の問題と言えば、事は小さいようですけれども、三千九百万ドルと比べれば小さいようですが、少なくとも理屈から言って、これは確かに私は二重払いにこの点はなっておることは間違いないと思います。  次に、この賠償算定根拠についてお伺いいたしますが、どうも、せんだって当委員会でも非常に問題になりました「ヴィエトナム賠償協定に関する外務大臣説明、三十四年十一月二十七日参議院外務委」、これを拝見いたしますと、政府の方は、賠償算定根拠が決して薄弱でないということを言わんとする立場からでございましょうが、被害南ベトナム側の方が多かった、むしろ多かったのだということを非常に力説しておられるようでございます。そこで、政府にお伺いしたいのですが、一体その賠償支払いは、南が多いから南に払うとか、北が多いから、南にしか実権がない、今のベトナム国に払っちゃいかぬとかいう、そういう基準で物をお考えになっておるのかどうか。この点をまず伺いたいのであります。
  36. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 今回の賠償は、ベトナム共和国ベトナムを代表する政府としてわれわれが支払いをいたすわけでありますから、従って、南に多かったからとか、北に多かったからとか、そういうような理由でこれを扱ってはおりません。ただ、南の方は鶏三羽くらいだというような御議論もございますので、そうでもないのだということを、外務省としては御説明申し上げておる次第だと思います。
  37. 曾禰益

    曾祢益君 そうすると、鶏三羽でないということを言わんとするの余りに、南の方にこれだけ被害があったのだということを、まるで南ベトナム国にかわったような立場で非常に力説しておられるのは、いわゆる北だけしかほとんど被害がなかったということを反駁したいがあまりに、つい、賠償は国に対してやるのであって、地方に対してやるのではないという原則を忘れたがごとき見方をした、こういうわけですか。
  38. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 忘れたという意味ではございませんけれども、しかし、南にも北にも相当な被害があったということを申し上げておる次第でございます。
  39. 曾禰益

    曾祢益君 外相の御説明によりますと、これまた南に非常に被害が多かったということを非常に力説されんがための資料の一部として出されたのだと思います。一九四五年、米、ゴム生産が非常に惨落したということになっております。たとえば、ゴムにとってみると、四一年、四三年、四三年平均生産量七万五千トンが四五年には一万二千トンに減っておる。それから米の場合は、四三年の百万トンから四五年の四万五千トンに減った。こういうふうになっておる。この数字は、大体そうだろうかと思うのでありますが、しかし、一体この四五年のこれら米、ゴム等の非常な生産量の惨落というものは、これは一体どういう原因なのか、原因はどこにあるのか。
  40. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 政府委員より答弁をいたせます。
  41. 影井梅夫

    説明員影井梅夫君) これは、ほかに多少の原因もあるかと考えておりますが、ベトナム側主張しております通りに、戦争という事態があったために、これが最も大きな原因であるというふうにわれわれ了解しております。
  42. 曾禰益

    曾祢益君 この四五年の生産量というのは、四五年全体を通じての生産量ですか。つまり暦年の一年の生産量ですか。
  43. 影井梅夫

    説明員影井梅夫君) 四五年暦年生産高でございます。  なお、念のために、米につきましては、これは生産量ではございませんで、輸出額という観点からとっております。ゴムの方は生産量でございます。
  44. 曾禰益

    曾祢益君 輸出額ですね。そこで伺いたいのですが、四五年が、特にその前の年に比べて減っておるのはどういう原因ですか。戦争は、実際上法律的には四四年の八月二十五日ということになっておるのですが、戦争行為は前からあったわけですね。四五年でどうして生産量なり輸出量が非常に減ったのか。これはどういうわけですか。
  45. 影井梅夫

    説明員影井梅夫君) これは、一番大きな原因といたしましては、四四年末、それから四五年に入りましてから、現地におきます戦闘行為というものが非常に激しくなったということが最も大きな原因である、このように考えております。
  46. 曾禰益

    曾祢益君 私は、四五年、いわゆる終戦に近くなるに従って、特にアメリカ爆撃がひどかった。従って生産なり、特に輸出等でこれが非常に減った。これは、私は当然だと思う。しかし、その戦争の直接の結果だけでなくて、この生産減退等は、戦後のいろいろな混乱事態、こういうことも非常に生産なり輸出が減った、おそらくアメリカ爆撃そのものの結果よりも大きいのではないかと思うのですが、その点は、この数字にどう影響しておるか、御説明願いたい。
  47. 影井梅夫

    説明員影井梅夫君) たとえば、四五年の月別生産高がわかるといいのでございますが、これは、私どもの方にもわかっておりません。厳密に、一九四五年八月二十五日以後の事態については全く責任がないということも一つ立場かと存じますけれども、しかしながら、ここにあげております数字が、いわゆる戦争損害そのものという意味ではございませんで、その戦争損害の結果の面がどういうふうに現われておるか。すなわち、戦争損害がどんなものであったかを測定する一つ資料と申しますか、まあここであげておりますのは、いわゆる戦争損害の結果の面という意味をあげまして、この結果の面からして、戦争損害そのものが大体どのくらいであったか、御推定願いたいという意味であげておる数字でございます。
  48. 曾禰益

    曾祢益君 今の御答弁の中にもそこに触れられたようですから、これは外務大臣にお伺いするのですが、賠償義務の発生は、まあ戦争状態開始の日からというふうに考えられるわけで、これをどの時点にとるかはいろいろ問題があるにしても、一応四十四年八月二十五日ということをとっておられる。ところが、賠償義務は、戦争混乱時代についてまでわれわれが負わなければならないか、この点を明確にされたい。
  49. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 戦後の混乱に対してまで負う必要はないと思っております。ただ、農作物のごときは、曾祢委員にも御了承いただけますように、植付等ができませんければ、収穫はその後になる。植付が困難であるということが戦争状態の中で起こりますれば、当然その年の収穫に影響することでありまして、ベトナム方面の状況から、熱帯地ではありましても、状況から見まして、米が八月二十五日、十五日でありますか、そういうようなときまでに植付されなければ、その後の十一月、十二月のクロップに影響するわけであります。そういう意味でわれわれは考えております。
  50. 曾禰益

    曾祢益君 農作物については、御承知のように、おてんとう様の関係がありますから、八月十五日以後に戦争中の影響が及ぶことは、これは当然でありましょうし、それは必ずしも農作物と限らないかと思います。工業生産でも、ある程度戦争災害の結果があとに尾を引くことは認めますけれども、趣旨としては、やはり戦争の終了日までの、戦争中に与えた災害なり仏印に対する支払いということが賠償の本質だと思います。そうすれば、この政府の出された公の文書の書き方は、これはずいぶん、いかにもベトナム側にわざわざ有利な、しこうして日本としてはそこまで認むるべきでない戦後の混乱の結果も含めたような数字まで出して、南ベトナムにこれだけ損害を与えた、先ほども言ったように、シカを追う者山を見ずかどうか知りませんが、南ベトナム、南の方に大いに損害を与えたということを言いたいあまりに、むしろ日本主張を弱めるような相手国に対するこういう資料を出されておるのじゃないですか。
  51. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 大体曾祢委員とそう違っておらぬつもりでありますが、われわれ、南ベトナムを見ておるわけではございませんが、戦時中植付が不能だったという事態は、やはり戦争損害だと思うのであります。そういう意味においていろいろ資料を出したわけでございますが、むろんこれは、われわれこのままの資料を認めて、賠償の折衝をいたしたわけではございませんので、説明の必要上そういうふうに説明をいたしたわけでございます。
  52. 曾禰益

    曾祢益君 資料のことを追及しても始まりませんが、どうもこの資料の出し方が、いかにも衆議院における野党の議論に対抗せんがために、よけいな議論を展開しておられるような感じがいたします。  次にお伺いしたいんですが、私は、今度の賠償問題に関連して、南の政権がかいらい政権である、あるいはそういう議論もあるようですが、南がかいらいであるのか、北がかいらいであるのか、両方ともかいらいであるのか、そういう議論はさておきまして、とにかくベトナム国日本との間にサンフランシスコ平和条約締結されて、少なくともその時点においては、ベトナム国フランスから分離した国として、平和条約十四条の求償権を持った国あるいはそれを代表する政府の資格はあったと考える。しかし、だからといって、かりにそのときのベトナム政権がいわゆるベトナム全体を代表する正統性があったとしても、その後の事態が、いわゆる北ベトナムフランスの交戦が激しくなり、しこうしてその結果、フランスの方が実際上敗れて、北の政権がジュネーブ協定によって十七度線、大体ベトナムを二つに分けた北の政権としてその地位を実際上確立したという、この事実はまた否定できないのではないかと思うんです。従って、その後ベトナム国がさらに実際上の一種の、クーデーターでないにしても、やや革命的な政変がありまして、今のベトナム共和国になり、バオダイからゴ・ディン・ジェム政権ができて、その後確かにある意味ではサンフランシスコ平和条約の調印国のベトナム国権利をゴ・ディン・ジェム政権が継承していることは、これは否定できない。否定できないけれども、現実にそのゴ・ディン・ジェム政権の実態はどうかといえば、これは事実においてジュネーブ協定は、言うまでもなく、これは軍事的な、一時的な境界線であって、国家を分離したものじゃございません。いわば一つベトナムというレーション・ステート、民族国家の事実上正統性を争う二つの政府があるということは否定できない。しかも、ベトナム共和国が、そういう意味で、事実上南のみの現実に支配権を持っているにすぎないステータスに、そういう地位になり下がったという、言葉はどうか知りませんが、変わってきた。この事実も、われわれとしてこれは否定できないのではないかと思うんです。その事態を無視して、ただ単にサンフランシスコ平和条約の調印のときに、大体においてフランスの方から認められた、受益権を認められた一つの統一国家の代表政府であるという、ただその理由だけでこの賠償支払いをその国にやるというところに、今度の賠償問題の無理があるんではないかと思うんです。外務大臣の御説明によりますと、ジュネーブ休戦協定の精神は、常にこれを尊重しつつと、こう言っておられるんですが、一体このジュネーブ停戦協定あるいはジュネーブに関する国際会議の一切の文書に対して、日本政府はどういう立場をとっておられるのか、この際お伺いしたいのであります。
  53. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ジュネーブの協定は、御承知のように、休戦協定をいたしまして、そうして将来のベトナム統一を選挙を通じて行なうという宣言を伴ったものでありまして、われわれとしては、その趣旨を尊重いたして参りたいということは、申すまでもございません。ただ、分裂国家の問題は、単にベトナムばかりではございません。非常にむずかしい問題でありますが、しかし、これを一日も早く分裂状態が解消されることをわれわれは希望するという線をとって考えておるわけであります。
  54. 曾禰益

    曾祢益君 日本の条約的、法律的な立場から見て、政府はジュネーブ協定あるいはジュネーブ会議の文章に拘束されるのですか、されないのですか。
  55. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ジュネーブ会議の出席国でもございませんし、従って法律的には拘束されるとは考えておりませんけれども、しかし、精神的には分裂国家の問題として、われわれはできるだけ統一されることを願っております。その精神は保持して参るつもりでおります。
  56. 曾禰益

    曾祢益君 そういたしますと、この「ジュネーブ休戦協定の精神は常にこれを尊重しつつ」というのは、どういう点を言われているのですか。分裂状態からすみやかに統一すべきであるという、この方向を支持すると、こういう意味ですか。
  57. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) この点は、当然分裂国家の問題としては統一を希望することは、いずれの国も、世界で同じことだと思います。単にジュネーブ協定の調印国ばかりではないと思います。ただ、統一の具体的な問題としては、あるいは南を承認している国からいえば、なるべく南を主体にして公正な選挙を通じて統一されることを希望しておりましょうし、あるいは北を承認しておる国はそういう気持もございましょう。しかし、何らかの形でそういうことが実現いたしまして、二つの政府がまとまることを希望しておることには変わりはないと、こう存じます。
  58. 曾禰益

    曾祢益君 私のお聞きしているのは、あなたの文章の中に、平和外交を基本とするわが政府としましては、「今後もジュネーブ休戦協定の精神は常にこれを尊重しつつ、同国に対する」云云、こういうことを書いてあるから、その意味はどういう意味かと、ただ単に「尊重しつつ」ということが、ベトナム国に対する賠償、経済協力等をやっていることだけに、ジュネーブ協定の精神尊重ということがかかるとすれば、これはちょっと異なものであって、そこがよくわからないから伺っておる。たとえば戦争を再びしないとお互いに約束した、軍事強化あるいは外国軍隊を入れたり、そういうことをさせないとか、あわせてなるべく早く自由な選挙のもとに統一が望ましいと、そういうようなことを言っておられるのかどうかということを伺っておるのです。
  59. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) むろん、私どもは、ジュネーブ精神をできるだけ尊重して参るつもりでおりますから、政府としても繰り返しても申し上げておりますように、賠償が特に軍事的に利用されるような点については、深く関心を持って参らなければなりませんし、公正な選挙を通じて何らかその道が開かれるように将来とも考えていかなければならぬと思っております。
  60. 曾禰益

    曾祢益君 ベトナム共和国の国連加盟問題に関する経緯を概略御説明願いたい。
  61. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ベトナム共和国は、一九五六年日本はこれに対して賛成の意見を申したのでございます。五六年日本が賛成の意を表してコ・スポンサーになったと思っております。その以後引き続きそういう態度をとっております。
  62. 曾禰益

    曾祢益君 ジュネーブ協定を尊重するという趣旨からいっても、ややその点に問題がありはせんかと思うのは、少なくともジュネーブ協定からいけば、自由選挙による平和的統一、それまではいずれの政府が、実際上唯一無二の正統性があるかないかということは、いわばおあずけだというような、これは軍事情勢がしからしめたといえばそうかもしれない、むしろもっと大きく言うならば、世界における冷戦の結果が作ったのではないかと思うのです。しかしまあ、ジュネーブ協定の精神尊重論よりも、もっと私がその点で問題ではないかと思うのは、これはバンドン会議の決定であります。これは藤山外務大臣も私もオブザーバーで行ったわけでありますが、御承知のように、バンドン会議における決定というものは、これは日本の正式代表もこれは参加しておるが、その決定によれば、これは南北の統一後、統一ベトナムの国連参加を支持する、こういうことが明瞭に出ておったのでありまして、しかも、それはなぜかといえば、北と南の争いがあるので、そういったような冷戦事態を強化しないことが、バンドン精神なんですから、自然とそういう決定になったわけですね。このバンドン宣言その他のバンドン会議の結果については、政府は尊重するどころでなくて、これはやはり拘束されるものとお認めになるかどうか、この点を伺いたい。
  63. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) むろんバンドン宣言、バンドン会議の精神というものは、われわれできるだけ尊重して参ることは当然だと思います。ただ、ベトナムが一日も早く、国連のメンバーになるということは好ましいことでありますし、また、国連の中において統一を達成するということも好ましいことだと思うのでありまして、そういう意味からいきまして、一九五六年に日本がそういう態度をとったことと私は存じております。
  64. 曾禰益

    曾祢益君 それはどうもちょっと私にはわかりかねるのですが、一方においてはバンドン会議の決定というものは、これは尊重どころではない、私は拘束されるものだと思います。それからいくならば、国連におけるこれらの国々の、ことに分離国の国連加盟の問題は、これは政争の道具に使われるから、そういうことは好ましくないからバンドン会議で、統一後の国連加盟を支持する、こういうことを出してきた。言いかえるならば、このバンドン宣言に賛成した国としては、これは道義的のみならず法律的にも、南ベトナムなり北ベトナムの国連参加を促進すべきでないということが当然なんじゃないか、外務大臣は五六年にその一つの。パターンがあるからといって、藤山外務大臣になって以後も、依然としてその前の誤まれる方針を、そのまま踏襲されておって、バンドン精神の点から見て、実は内心じくじたるものがあると思うのですが、どうですか。
  65. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) われわれは、むろんバンドン精神を尊重していきたい気持を持っております。しかしながら、日本として、そういう解釈のもとにそういう立場をとって参りました以上、私といたしましてもそれを継承していくことが、適当だと考えるわけでございます。
  66. 曾禰益

    曾祢益君 どうも、そういう信念のないバンドン精神尊重じゃ、尊重にならないですね。これは非常に私残念なことだと思うのです。また、日本政府の態度は明瞭に誤まっている。これはバンドン精神の方が正しいのです。こういう分離国の問題をめぐって日本が不用に、日本の直接の利害関係もないこういう問題に、不用に冷戦の片棒をかつぐという態度は、これははなはだ私は日本外交としてとるべからざる方法だと思うのです。そういう精神でやっているから、ベトナム賠償問題等がまたその尾を引いて、もう一つの既成事実としてこの世界の情勢とか、その後の事態の変化というものを無視して、今度の賠償の方向にきたのだろうと思う。そういう積み上げは、私は間違っていると思います。  次に伺いますが、政府のいま一つベトナム賠償をしなければならないという論点の重要な点は、これはサンフランシスコ平和条約義務だからということが理由にされていると思うのです。しかし、このサンフランシスコ平和条約義務は、求償国との問に先方から要求があったならば、これはすみやかに交渉に入る、これを義務づけておるのであって、だからといって交渉に入りさえすれば、あといつまでも引き延ばしていい、払うつもりでなくて引っぱっていいというつもりではこれはもちろんありません。しかし、ただ義務だというだけでは、それは求償国が放棄する場合、あるいは求償国との話し合いによって放棄させることもあるのです。なぜこのベトナム国との関係においては義務だ、義務だ、いかにもベトナム賠償に少なくとも警戒的あるいは批判的な意見は、まるで平和条約無視論であり、日本の憲法が言っているような、日本の条約尊重の精神や規定に反するがごときおっかぶせの議論をしているけれども、これは私はおかしいと思う。何ゆえにベトナム国の場合に日本賠償を、しかもこの形、この内容で払わなければならない義務があるかどうか。この点が明確にされなければ、何でもかんでも平和条約義務だ、義務だから払うのだ、それでは国民に対しても何ら説得力がないと思う。この点はもっと明確に御説明を願いたいと思います。
  67. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 御指摘のように平和条約義務を背負いました日本としては、これがベトナム共和国側の要求に対して応じなければならない義務を持っておりますので、交渉を今日までむろんいたしてきたわけであります。その際今のお話のように、われわれとして相手方に放棄をさせる、あるいは若干の猶予を持つというような話し合いをいたすことも、これも必要な事態だと思います。が、しかしながら、御承知の通り、この交渉というものは七年間継続されてきたものでありまして、その間ベトナムの状態がいろいろ変化をいたしておりますことも事実でございましょうけれども、しかし、今日までサンフランシスコ平和条約の調印国として全ベトナムを代表する支払いをわれわれとしてはいたすわけでありまして、そのこと自体が必ずしも統一の障害になるというよりも、日本としての義務を果しますことによって、ベトナム人の戦争損害あるいは与えた苦痛というものを解消して、新しい立場に立ちまして今後のベトナム全国民との親善関係、そういうものをはかって参りますことの力がよりよいことであるという立場に立って、日本としてはこの妥結をはかったわけでございます。
  68. 曾禰益

    曾祢益君 なぜラオスとカンボジアが日本に対する賠償請求権があるのにこれを放棄し、なぜベトナム国日本に対する、あるいはベトナム国代表である南ベトナム賠償を固執し、また日本政府がこれ以上賠償をやめることについての努力を放棄したか、そこが一つも明らかにされていないと思う。それはどういうことてすか。
  69. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 大体この旧仏領植民地あるいはフランス関係の諸国の戦争損害というものを、まあ一〇〇とすれば、大体べトナムが八〇ぐらい、あとラオスとカンボジアが残りの二〇ぐらいだというようなことが、一応常識的に推定されております。従って、ラオスなりあるいはカンボジアなりに与えました苦痛と損害というものは非常に少ないものではなかったかと存じております。でありますから、そういう意味におきまして、ラオス、カンボジア両国も賠償放棄して、そうしてきたのではないか、こういうふうにわれわれは考えております。
  70. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 ちょっと議事進行。本会議が始まったようですが、本会議中をどうするかということは、私は相談があってしかるべきだと思うのですが、委員長あるいは与党の理事から一方的に連絡があったのかどうか知りませんが、今とにかく事務局に聞くと並行審議をしたいという申し出を委員長からされておるんですが、そういうとにかく一方的な申し出は、これは委員会の信義を裏切るものだと思うのですが、いかがですか。
  71. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  72. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記を初めて。
  73. 曾禰益

    曾祢益君 今のお答えは、結局、実際上の損害が非常にベトナム国が多かった、それも北が多い、南はそんなに少なくはないとかいろいろ議論はあるでしょうけれども、国別で見ればラオス、カンボジアとは違って、ベトナム国としては損害が多かったからだ、こういう御議論だろうと思う。そこで私の先ほどの議論に入るわけですが、政府ベトナム共和国政府が、いわゆる正統政府である。であるから、今回賠償協定ができて賠償を支払えば、これで日本国賠償義務は、サンフランシスコ条約に基づく義務は、これで完全に履行される、こういう建前をとっておられるわけなんですが、しかし、その議論は先ほど申し上げましたように、事実上外務大臣も私に対する御答弁の中で、分離国家ということを言っておられた。正式に言えば、国家は分離していないわけですけれども、いわゆる分離国ですね。こういうふうに一つの国に二つの政権がその正統性を争っている。しかし国家としては、実際は分離を認めていないんですから、そういう異常事態な場合に、戦争の跡始末を、最大の国対国の権利義務をきめる賠償のような協定を、いわゆる分離国家の片一方とやった例があるのか、これはそういう例があったら一つ教えていただきたい。
  74. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ちょっとただいま思いつかないのでございますか……。
  75. 曾禰益

    曾祢益君 思いつかないどころじゃなくて、あまり例がないんじゃないですか。どうなんですか。
  76. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) おそらくあまり例がないかと考えます。
  77. 曾禰益

    曾祢益君 これは一つ私も知ませんから、調べてはっきりした御返事を願いたいんですが、私の言わんとするのは、何もただ単に意地の悪いことを言っているつもりじゃないんです。ただ、政府があまりに一つの自分の立場を強く強調せんがあまりに、こういう何でもかんでも国際法の確立だ、原則だというような態度で、頭ごなしにやってきておられるけれども、そこには必ずしもこういう特殊なケースをカバーするような先例はないのではないか、こういう意味で、一般分離国家が、母国からの権利義務原則として継承するというような議論だけで、このベトナム賠償の問題を切り抜けようとするところに、どだい無理があるんじゃないか、こういう意味政府側の有利な根拠があるなら、ここにお示しを願いたい。
  78. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ちょっと先ほどの私の発言を訂正さしていただきますが、たしか西独とイスラエルとの協定があったと思います。
  79. 曾禰益

    曾祢益君 その例をもう少し詳しく調べて、あとで御報告を願いたいと思います。  外務大臣もさっき、どれほど本気で希望を述べられたか知りませんけれども、やはりジュネーブ協定の精神といいますか、あるいは平和愛好、冷戦緩和、緊張緩和の念願から、南北ベトナムの統一が望ましいことを言われたわけです。実際問題として、私も率直にいってこの祈り、願いが、そう簡単に実現するとは思いませんが、一体、統一政府ができた場合、ただいま現実には南しか支配権のない政府に、この国の資格を認めてやってしまった賠償が、これが完全に確認される、あるいは逆な言葉でいうならば、日本としては、統一が起ころうが何しようが、この債務が、一回限りで、これで完全に弁済してしまって、絶対に文句が起らないのだ、こういう御主張のようでありまするが、一体その事自身が、今のイスラエルと西独の例があるというお話でしたが、少なくともそういうことが、確立した国際法原則だと言えるのですか。
  80. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) おそらくこういう問題については、むろんいろいろな国際法上の原則と申しますか、確定した原則があるかないかということは別といたしまして、その問題については、条約局長から御説明いたさせますけれども、サンフランシスコ条約の十四条によりまして、われわれが賠償支払います責任は、その調印国に対してすべきであって、そしてそれは全ベトナムを代表する政府としてやっおりますで、当然、統一政府ができましたときには、それが継承されていく、継承れることがまた全ベトナムのために適当なことだと思いますから、事実問題としてそういくべきでではないかと考えております。
  81. 曾禰益

    曾祢益君 法律論があるなら法律論を述べて下さい。
  82. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) この点につきましては、サンフランシスコ条約の第十四条によります権利義務関係におけるわれわれの義務の履行でございます。従いまして、賠償協定が成立しますことによりまして、ベトナム政府に対する賠償、すなわちベトナム政府を通じまして、全ベトナム国に対する権利義務関係が、ここに賠償協定を通じて発生するということになるわけでございます。従いまして、この政府の変更、統一ということが行なわれましても、国はベトナム国として同一性を保つわけでございます。国の権利義務としては、この賠償協定に基づくところの権利義務としては、これは依然として存在するわけでございます。新しい政府といたしましても、これは原則として国際法上は引き継がるべきものである。このように考えます。
  83. 曾禰益

    曾祢益君 そこが、私の質問の最後の点がぼけているのですね。つまり普通の国家が分離した場合の権利義務継承とか、あるいは政変で政府が変わったような場合の国家の一貫性、つまり前政府と、かりにそれが普通のクーデターみたいなものでできた政府でも、原則としては継承すべきだという議論国際法上確立した原則だとまで言えるかどうか、この点は議論があるかと思いますが、一般にそういう説が通説であることは認めますけれども、そういう場合と、現在のコールド・ウォーの所産である分離国家の場合と、これを同一視するのは無理なんじゃないですか。ですから、政府はそういう主張である普通の型の場合には、政府が変わっても国家の一貫性があるのだから、次の政府が、かりに革命政府であっても、これを継承すべきだ。こういう従来の主張を言っているにすぎないのであって、しかも、コールド・ウォーで、この二つの政権は全然異質のものであって、片一方の政権のやったことは大体原則として否認する場合が多い。現に、この場合には、北ベトナム政府としては、はっきりとむしろ非友好的な措置であるとすら言っているのです。賠償請求権についてはどうするかは別としまして。だから私が言っているように、サンフランシスコ平和条約は、現在のベトナム共和国政府の前身であったバオダイ政府との問に、バオダイ政府を全ベトナムの代表と認めてやってしまった。それをかりにいいとしても、合理化されても、その後の事態で、コールド・ウォーの結果、二つの政府ができておる。片一方の政府は、はっきり南ベトナム共和国に対する賠償支払いは非友好的態度であると言っている以上、これは国際法的に確立した原則でもあれば別ですよ、たとえば、イスラエルと西ドイツの例を引かれました、この場合に、かりにドイツが統一した場合に、どういう統一の内容になるかしりませんけれども、かりに白と赤が一緒になって桃色政権ができたと仮定して、一体、イスラエルに対して統一ドイツ政府文句を言わないということが国際法上確立した原則とまで言えますか。ベトナムの場合でも同様ではないか。だから、一つの通例に基づいた主張をしておるにすぎないのであって、国際法上それが確立した原則だなどということは、これは言い過ぎじゃないですか。
  84. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) むろんこうした例が、条約局長も御説明申し上げましたように、たびたびあったわけでございませんから、確立した国際法原則というものがあり得るわけではないと考えなければならぬと思います。でありますから、実際問題として考えていかなければならぬことで、おそらく統一を見る場合にも、北が武力で南を統一する、あるいは南が北を武力で統一するということではなくて、選挙を通じて平穏裏に統一が完成するとするならば、私どもは、事実問題として、当然承継されるべきものだと考えるのが至当だと、こう考えております。
  85. 曾禰益

    曾祢益君 あげ足とりでありませんけれども、重要な問題であるから、私は、今の外務大臣の実際論という御説明と、あなたの報告とは全然趣旨が違うということを指摘せざるを得ない。一々引用するのは煩にたえませんけれども、「わが国が相手国の正統政府との条約によって相手国に対し賠償を支払う以上、平和条約に基づく賠償支払い義務は完全に履行されるものであること、疑いの余地はありません。将来統一政府が成立した場合、その政府ベトナムという国の条約上の権利義務関係に拘束され、これを継承することは、国際法上の当然の原則であります。従って、考えられないことではありますが、」━━「考えられない」と言っておるのですね。「かりに万一この新政府が新たに賠償要求をしてくることがあったとしましても、先方には実はかかる要求を行なう権利がないわけであり、従って、わが国がこれに応ずる義務のないことは明らかであります。」━━明確にこれは法理論か国際法論で断定しているじゃないですか。しかも、事実上の問題としても、これはもちろん統一がどういう形で、どういう時代に起こるかわからないことだから、架空の議論になりますけれども、今、外務大臣の言っておられることは、これはもう一つの可能性だけを言っておるのであって、それは私自身はあまり好みませんけれども、まっかな政府に統一される場合もあるでしょう。桃色の場合もあるでしょう。まっ白な政府になる場合もあるでしょう。実際問題だけから言えば、どういう統一政府がどういう態度に出るかということは、それこそわからないじゃないか。必ず平穏にいくでしょうということは、現状においては、まあ南北の力が同一と見ていくのが正しいとすれば、北の方で絶対に反対と言っている事態を考慮に入れないわけにいかない。実際問題からいって。だから、実際問題からいくならば、これは危険があるということになるわけですよ。少なくとも日本政府立場一つ主張であって、それが当然の国際法原則でもなければ、従って、統一政府請求権絶対なしということは言えない。実際問題からすると、請求権主張しない場合もあるかもしれないけれども、する場合もある。これが実際問題じゃないですか。
  86. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 国際法原則の精神から言いまして、従来の例から見ましても、何か特別な意図を持たない限り、承継した国が、その精神、原則に反して国際条約を破るということはあり得ないと考えるのが私ども普通のことだと思います。むろん、御指摘のような非常な赤色国家ができて、従来の国際通念、あるいは国際法の精神を破るということはなきにしもあらずかもしれませんけれども、そのこと自体は特殊なことでありまして、国際法原則の精神に違反しておるのではないかと思います。でありますから、普通にわれわれは国際法原則を守るということを見て参りますことが一番正しい見方であろうかと思います。また、実際問題といたしましても、今日のような紛糾しております国際関係において、しかも平和的に話し合いをだんだんしていこうという時代において、これらの問題が特に話し合いの上において、あるいは国際関係の平和を確立する趣旨に違反して統一が行なわれようとも思わないのであります。むろん、世の中には特殊の不信な状態もある。不信の国もあり得ないとは申し上げませんけれども、そういう悪意な解釈をかりに北に対してもすべきじゃないというようにわれわれは考えております。われわれとしては、今まで申し上げたような上に立って判断して参ることが、一番公正な判断ではないか、こう存じております。
  87. 曾禰益

    曾祢益君 そうすると、先ほどは実際論からおっしゃいましたけれども、実際論でなくて、やはり法律的に、統一政府は、絶対に前政府の、つまり半分の政府権利義務継承しなければならぬ、言いかえれば、日本賠償義務は、国際法に照らして、今の南ベトナム、すなわちベトナム共和国に払えばそれで完済するのだ、こういう御主張なんですか。もう一ぺん明確にしていただきたい。
  88. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) サンフランシスコ条約による賠償義務というものは、これで果たされると思います。
  89. 曾禰益

    曾祢益君 それは、法律論としては確立した原則だとは認められないということは私も申し上げ、外務大臣も、そこまで確立しているのじゃない、ただ、これがいわゆる慣行であるというか、一般的にそういう方向であるということにすぎないということを認められたのだと思うのですが、現実に共産政権ができた場合に、これはもう前政権の権利義務継承しない、一応否認するというのが共産政権の建前じゃないですか。それがいい悪いじゃなくて、現実はそうじゃないですか。
  90. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 過去においてそういう事態もございましたけれども、われわれとしては、やはり今後共産革命が起こりましても、共産国といえども、やはり国際法原則に従って一応継承すべきものを継承し、そしてその後の話し合いで、いろいろ南北はございましょうけれども継承すべきものだと考えております。
  91. 曾禰益

    曾祢益君 ただ単に共産政権の性質からみて、前政権の権利義務外交に関しては継承しないという抽象論だけでなく、本件に関しては具体的に共産主義であるないにかかわらず、北ベトナムの方は、南ベトナムに対する支払いであって、それはベトナム国については自分の方が主人なんだから自分はこれを否認するという態度をはっきり出しているじゃないですか、これは明瞭なことです。
  92. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ベトナム民主共和国がいろいろな意見を言っておりまして、かつては賠償放棄するやに聞こえるような声明を出したこともございますが、そのいずれがほんとうのことでありますか、われわれとしても了解しにくいところでありますけれども、しかし、少なくも統一されました後にこれが継承される、しかもわれわれとしては南のベトナム共和国を全ベトナムを代表するものとして、全ベトナム国民に払っております。その賠償というものは明らかに全ベトナムに及ぶことなんでありますから、そのこと自体を私どもは否認するとは考えておりません。
  93. 曾禰益

    曾祢益君 これは明瞭に否認しているわけです。従って問題として残るのは、日本政府は一回限りでベトナム共和国に払ったので、これで終わりだと、ところが統一政府が、いやそうじゃない、あれは南の政府に対する支援であって、あれはいわばむだ払いか━━全部でなくても別に請求権を持つという立場をとることがあり得ることはお認めになるでしょう。その場合に、そうすると統一政府日本との間に国交上厄介な問題が起こる、これはお認めになると思うのです。しかしその場合に、政府は一回限りだから払わないという立場をとる、向うは払え、こっちは払わない、そういう場合には外交上どういうふうにけりをつけるのですか。
  94. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 日本ベトナムに対しました、賠償に当たりました真意を説明して、十分な理解を得ることがまず必要だと思います。
  95. 曾禰益

    曾祢益君 それでも言うことを聞かなかった場合にはどうしますか。
  96. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) やはりこの問題は並行でいくよりほか方法はないのじゃないかと思います。
  97. 曾禰益

    曾祢益君 そういう場合に国際司法裁判所に訴えて、その判定を待つというようなことはお考えになるのかならないのか、伺いたいと思います。
  98. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 将来の問題になりますと、そのときの事情によっていろいろ考えて参らなければなりませんので、今国際司法裁判所に提訴するかどうかということについては申し上げかねます
  99. 曾禰益

    曾祢益君 だんだん吉田外相のまねしてきた。統一の場合だけでなくて、これは一つの可能性としては、不幸にして南北が事実上あるいはさらには法律上それこそ分離国家なり、別の国家になるということもあり得るものと思うのです。そういう場合にも一体北ベトナムは━━統一政府の場合じゃありませんよ。これは確かに日本に対する安全な別な請求権主張してくることは、これは当然だと思うわけですね。その場合は、一体日本政府の態度はどうなのですか。
  100. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) サンフランシスコ条約に調印しております国が戦争損害に対する請求権を持つわけでありまして、われわれとしては、その義務を履行したわけでありますから、サンフランシスコ条約による義務というものは履行されたものと考えるわけであります。そうした今のようなお話の場合は別個の問題だと思います。
  101. 曾禰益

    曾祢益君 サンフランシスコ平和条約に調印したのは、ベトナム国を代表する政府なんですよ。もちろん日本義務は国に対してやるのですから、それを代表した政府が今の南ベトナム国の前身であったということです。従って政府が事実上一つの国に二つ起っておる事実を全然無視して、そうしてあなたの議論だけでいけば、必ず将来に統一の場合、あるいは南北が完全に分離した場合に問題が起こる、起こることは認めざるを得ないでしょう。そういう場合に、しかし日本の理屈で払わない、そのために外交上トラブルが起こっても、先のことだから司法裁判の問題もまだそのときになって考える、一体そういう態度で賠償みたいな日本国民の税金に関する問題を片づけていいのですか。
  102. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 将来の仮定の問題でありますから、これ以上御答弁できにくいと思うのでありますが、われわれとしては、先ほど来申し上げておりますように、そういうことのないという日本立場を変更するつもりは将来ともないと考えております。
  103. 曾禰益

    曾祢益君 私はこの事実上分離したような、正確に言えば、一つの国家にサンフランシスコ平和条約の調印以後の事態が変化して、ベトナム国に二つの政府ができてしまっておるのが現実であるし、それがジュネーブ協定によって━━ジュネーブ協定はそれをきわめて短期間と思ったので、ああいうふうに十七度線で停戦協定を作ったわけですが、それが今固定化しておるというのが今の実際上の冷戦下におけるベトナム事態、そういう事態考えると、ベトナム国に対する十四条の日本義務である賠償は支払うべきである。あるが、支払うべきであるけれども、今支払えば、まあ将来に問題を残こすことはこれは明瞭なんです。従って、私は統一するまで支払うなとは申しません。統一しなくても南北の間にほんとうに話し合いがつくなら、それは支払ってもいいじゃないか。内容だとか、これは別ですよ。建前として南北話し合いがつくんなら、まあ受取人としては、日本が従来からおつき合いしていたところの日本が認めた、ベトナム国政府の代表と認めたベトナム共和国に対して一応これは支払いの窓を作るということでやるなら、これは私はやるべきだと思う。何も実際上いつ統一できるかわからぬときに、いつまでも統一するまで支払うなということは、これは私は必ずしも平和条約を尊重する精神じゃない。しかしそれを確めずに、確かめずどころじゃない、むしろ逆に、その点からいえば南北は、もうだからそれが普通の場合と違うということを言っておるのです。これは冷戦の所産なんですから、もう完全にその点において対立しているという事実があるんで、今ベトナム共和国に払うことは、北に対しては非友好的だという態度を北がとるということは明瞭なんです。従ってゴ・ディン・ジェムを通じて南北との話し合いによるところの賠償日本が支払うことができない。そういう事実を考えるならば、私はなぜ経済援助というような形で問題を処理し完全な処理にならないという議論があるかもしれない、しかし実質的に南なり北なりに満足を与えて、そうしてあなたが言われるように、平和的友好関係なり、通商なり、経済協力ということを進める方法をもっと真剣に探究しなかったのか。南あるいは北いずれにせよ、ベトナム国としては日本賠償を請求する権利を、あるいは立場をわれわれは認めます。認めますが、今やればこれは南北の争いの渦中に加わることは明瞭なんです。さりとて統一するまでは払わないということは条約の精神からみて適当でない。しからば、経済協力という方法なり、借款という方法なり、少なくともそれで戦争債務が全部済んだということは向こうは認めないかもしれないが、まずそういうことによる当面の処理ということをもっと真剣に考えるべきではないか。この点においてフィリピンの問題、ビルマの問題、インドネシアの問題と本質的に違うのです、ベトナム賠償は。一体そういう考えでこのベトナム賠償問題に対抗するようなお考えは歴代の政府を通じて全然なかったのですか、いまだかつて。経済協力によってこの問題に対する少なくとも当面の処理に一歩前進をはかるという外交があっしてかるべきではないか、そういうことは今まで全然なかったか、今までのベトナム賠償に対する歴代内閣の態度は。経済協力によって賠償にかわるとまで言わなくとも、賠償問題をある意味でなしくずしていくような方針をとり、それに基づいてベトナム国と真剣に、まじめな意味日本側からもそういうことを進めるような外交はされなかったでしょうか。
  104. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 過去の内閣においてもいろいろこの問題については考えたことだと思います。それがどういうふうに考えられたかは正確に私は承知いたしておりません。しかし、少なくもただいま御指摘のような直接の賠償という形において解決しない限り、やはり経済協力その他で解決いたしますことは、何らかの形で将来問題を残すゆえんだと思います。そういうことを考えて参りますと、やはり賠償という形でこれは解決すべきことがこれが一番適当な解決方法ではないかというように考えて、今日処理をしてきたことはこれまた事実でございます。
  105. 曾禰益

    曾祢益君 もう少し詳しく率直に語ってほしいですよ。前の内閣はどうやったか知らぬ、それは外務大臣の言葉とも思えないことであって、こまかいことは知らなくとも、それこそ外交一つの一貫性があるわけです。
  106. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私は今申し上げましたのは、こまかい点で前の内閣がどういうふうに考えたか知らないけれども、大きな線から言いますと、私が今御答弁申し上げましたように、経済協力その他によって問題を一応片をつけていきますことは将来に問題が残る。従ってやはり賠償という形において解決することが将来に問題がその面から言えば残らないという方針のもとに片づけてきたということでございます。
  107. 曾禰益

    曾祢益君 そうしますと、経済協力によって片づけることにおいて少なくとも当面処理するという、そういうことはいまだかつて考えられ、あるいは考えられたかもしれないが、試みられたことは一ぺんもなかったのですか、歴代の内閣では。
  108. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 直接そういう意味交渉したことはないと思っております。
  109. 曾禰益

    曾祢益君 まことに無為無策というか、非常に残念です。もちろん藤山外相も認められると思いますけれども、確かに賠償問題は残るかもしれない、経済協力や借款では足りないのだ、だから一回限り払ってしまえばあとくされはない、これはもう一般の場合としてはまことにおっしゃる通りです。何も賠償の問題が残るかもしれないのに、経済協力、借款をやって、賠償は別でございますといって、あとでツケを出されるようなばかなことを私は言っているのじゃない。だからこの場合には、実際上の政府が二つあるという事態、それが冷戦という関係で事実上固定化しつつある現状から考えて、そこのジレンマから抜けるには、やはり経済協力なり借款という方法で当面を打開していくということを考えても、これは一つもおかしくないし、のみならず、その方がむしろ建設的であり、冷戦緩和のもっと大きな見地に立った外交ではないだろうか。それを全然お考えないというのですから、これはどうも最後は国民の批判に待つほかないのですが、非常に私は残念だ。現にゴ・ディン・ジェムあたりにそういうことをアドバイスするぐらいの外交が行なわれてしかるべきだったと思うのです。それはジェムあたりと非常に仲のよかった人で、戦争中に向こうにおったある民間の人も非常にその点残念がっておる。ジェムあたりにそういうことをアドバイスして、そうして日本が冷戦に対して一役買わない形で、しかもジェム政権にいい方に協力して強化していく方法があったじゃないか。外務省がそういう点に一つも手を打っていないのは遺憾であるということを言っている人がある。私はこれが良識だと思うのです。  私は最後に、同僚委員から、特に森委員から御質問があった点ですが、このベトナム賠償の影響について、これは私もうこれだけで、これ以上質問しても見解の相違であるし、かつ、不愉快になるだけですから、いたしませんけれども、影響についてのみ伺います。  政府考えは、まず北との関係において、北ベトナムとの貿易、これはいろいろな見方もあると思いますけれども、北ベトナムの方が天然資源の賦存の程度において将来性も多い。ただ単に日本輸出というだけでなくて、日本の輸入という面から見てもこれは非常に大きな市場であることは何人も否定できない。南の方では今後の輸入問題として、原料として起こり得るのは珪砂ぐらいのものでは当面ないかと思うのです。北の方は資源の賦存の関係からいっても輸出入共に非常に有望なマーケットだと思うのです。そこで今のところでは確かに北ベトナムの民間協定を延長しない形でしばらくやっている。しかしその北ベトナムとの貿易が断たれるということはこれはあり得ることなんです。われわれは北ベトナムに対して、南ベトナムとの賠償ができたから、北との貿易を断絶することがいいなんということをけしかけるつもりは毛頭ありません。毛頭ありませんし、そうでないことを望むけれども、そうこうことについて、やはり国民経済に影響を与えるマイナスの問題について、政府は今のところ北ベトナムと断絶までしていないからそれでいいという、そんないいかげんな態度では私はいけないと思う。北ベトナムとの貿易が断絶した場合には一体これに対してどういう方針をもって臨むか。この善後措置はどうするか。この点についてのお考えを伺いたいのであります。
  110. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ただいま御指摘のありましたように、ホンゲイ炭その他日本が輸入しておりまする量は、われわれ将来もできるだけ供給を受けますことが望ましいことであることは申すまでもございません。従ってわれわれとして、今回のベトナム賠償というものについて全ベトナムの国民の幸福に対して寄与するのであって、その意味を十分理解してもらえば、積極的に北ベトナム側においてこれを停止するというようなふうには考えておりませんし、またそうならぬことを希望もいたしております。でありますから、そういう意味において、むろんベトナム全国民を対象にして、われわれとしては今後ともやはり日本に対する理解と、そうして日本との貿易等についての増進をはかるように努力はして参るつもりでおります。
  111. 曾禰益

    曾祢益君 それじゃお答えにならないので、断絶した場合のことを伺ったのですけれども、お答えがないようですから次に移ります。  これは森委員からも御質問がありましたビルマに対する影響です。これはなるほど、条約局長でしたかアジア局長の答弁の中にありましたように、金額その他の一般的待遇からいえば、やはりビルマとして、インドネシア、フィリピンとの均衡ということを、ベトナム賠償が済んで、いわゆる賠償の最後のときに再交渉の大きな課題にするとは思います。しかし、だからといってベトナム賠償については無関心であろうとは思いません。従って、いわば過去にさかのぼって、インドネシア、フィリピン賠償が甘かったと、あるいはビルマとのバランスがどう、いろいろ議論はあろうと思いますけれども、今や最終段階において、ビルマに少なくとも賠償全体の━━またその中にはこのベトナムに対する必ずしも適当でないこの賠償が含まれて━━再交渉の問題が起こっておる。それに対して政府は、一体どういう基本的な態度で臨もうとするか。私をして言わしむるならば、これは日本国民の利益を守る国会議員の立場からいって、一つでもよけいな負担をかけたくない、かけさしたくない、従ってこのベトナム賠償が、南にやってはいけないという政治的の立場は別として、私はそういう立場ではないけれども、少なくとも累を将来に残すこと、明瞭なる二重払いは、日本が別に外交上押しつけられて二重払いすることにならないにしても、少なくとも統一した場合のベトナム政府、あるいは北ベトナム政府との関係で、非常にまずい外交状態が起こるということはマイナス、しかも北ベトナムとの貿易もあぶなくなる、こういうマイナス面も含みながら、この賠償を無理にやってしまう、こういうふうにして、そうしてビルマにはね返って、一等初めに、比較的日本に好意を持った当時のビルマ政府が、しかもいわゆる社会党政府であって、ウ・チョウ・ニェン氏がいわば政治的生命をかけて、大きな意味から日本との経済協力なり親善ということを考えて、比較的まあまずい条件、あとから考えてみればまずい条件で賠償の個別的な協定成立に非常に大きな力をしてくれたビルマの立場考えると、どうも正直者がばかを見たという感じをビルマが持つというのは、これは無理からぬ。私はそういう意味で、どの国に対して徳に親善とかいうことではありませんけれども、ビルマがこの賠償全体を見て、しかもこのベトナム賠慣も含めて、日本政府のやり力から見て、おれの方だけ損をしたじゃないか、一等先にやって一等先に損したという、正直者がばかを見たという感じで再交渉してくることは、これは私は一つ十分考慮しなければならぬ、こう思うのです。それをもう今の政府みたいに、正直ものがばかを見るのがあたりまえだという態度で内政、外交をやるということはいけない、しかし、だからといって、われわれは直ちに、それならばその積み上げでベトナムが強行され、従って、そのことも、あおりを受けて、ビルマにそれじゃどんどんと支払いをたくさんやれということもこれも言えないわけです。一体、その問題について、政府は、どういうふうな誠意ある態度で、いかなるステーツマンシップを発揮するつもりなんですか。この点を伺いたい。
  112. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ビルマと日本との賠償協定に再検討条項がございますので、それによって、賠償の最終段階に、ビルマ側が再検討を要求してきたわけでございます。そしてその理由は、申し上げました通り、インドネシア及びフィリピンとのつり合い上、自分の方は再検討してもらいたい、こういう申し出があったわけであります。むろんフィリピン、インドネシア等の賠償をやります場合に、われわれは、賠償原則を申し上げております通り、他国とのつり合いということも、やはり念頭に置いて過去の賠償交渉をやっておりますので、つり合いが不当に違っているとは思っておりません。従って、ビルマ側に対しては、その点を十分説明して、理解と納得を得たいと思っおります。ただ、今、曾祢委員からお話がありましたように、ビルマが一番賠償の最初の国でありまして、従って最初の国でありますだけに、またそれを踏み切るためには、将来の賠償にあたって再検討をしてもらいたいという希望を持ち、また当時の岡崎外務大臣が再検討条項を入れられた心持もそうであったかと思います。でありますから、賠償がスムーズに片づいてきたことは、ビルマの好意的な立場にあるということは、われわれもやはり十分理解をして参らなければならぬと思います。と申して、すぐにそれでは賠償金額をふやすというところまで考えるべきであるのか考えるべきでないのか、またそれらのビルマ側の賠償締結にあたっての態度を、われわれがアプリシエートする場合におきましても、何か他の適当な方法が、かりにあり得るのかないのかということも、われわれとしても十分検討して参らなければならぬと思います。従って、われわれとしては正面者がばかを見たというようなことではないと思っておりますけれども、ビルマ側の好意ある態度に対しては、やはり十分それを含むことが必要ではないかというふうに考えております。
  113. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 先ほどの曾祢委員の質問に対する政府側の答弁を聞いておりますと、将来国際司法裁判所云々というような言葉がありましたが、この問題に対する政府の確たる立場は、これは事柄が将来の問題というようなことで、それは事実上将来のことだから、どうするかわからぬというような状態だからと言うことは、私は適当ではないと思う。たとい統一政府の場合であろうと、あるいは別個の独立政府がかりに確立した場合があろうとも、法律上の点は問題ですが、実際の外交措置として、わが国が今度の賠償を払う以上、問題が残っておって、あとからさらにまた払わなければならぬようになるかならないか、それに対する政府としての立場は堅持する、その立場をはっきりしておかなければならぬ。それには、ただ法律上の問題じゃなく、政府には、事実上の、外交上の手段方法もなくちゃならない。さきに国際司法裁判所云々の問題がありましたが、それに入るもう一つ前に、統一政府とか、あるいは独立政府とかいうものがかりにできたとしたならば、国際司法裁判所云々の問題のもう一つ前に、承認の問題が当然あるわけです。それだから、承認の条件としてでも、これを認めないようなら承認をしないのだというような、たとえばですよ、そこまでの決意をはっきりさせておかれることが、国民に対する関係からも、さらに対外関係外交上からも、かえってその方がいいと思う。そこをはっきりさせておいてもらいたいと思うのです。
  114. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) われわれとしては、国際司法裁判所に持ち出されましても、今回の場合、必ず十分な日本立場が認められると、そう承知しておりますし、外交上むろん将来起こってきます場合には、今、杉原委員の言われますように、いろいろな手と申しますか、問題解決の方法があろうと思います。従って、そういう点について、われわれのとるべき態度というものは、そのときに応じまして一番適当な方法によって日本立場をはっきりさせておくということはむろんでございます。ただ、どういうふうに将来出てくるかということはわかりませんから、先ほどそういうような将来の問題として申し上げたわけでございまして、今申し上げたようなはっきりした立場で、外交上の施策の上から見ましても、あるいは国際法上の司法裁判所の関係におきましても、自信を持っておるつもりでございます。
  115. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) これにて休憩し、午後二時より再開いたします。    午後零時五十二分休憩    —————・—————    午後二時四十七分開会
  116. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 休憩前に引き続き、委員会を開会いたします。  ベトナム賠償協定案件両件の質疑を続行いたします。
  117. 大和与一

    大和与一君 私は、沈船引揚協定に関連して、御質問いたしたいと思います。  まず第一に、この仮調印をされたというのですが、一体この仮調印というのはどういうときにされるものでしょうか。
  118. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 政府委員から御答弁をいたさせます。
  119. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 仮調印と申します場合に、われわれの翻訳と申しますか、言葉では、調印という言葉を使っておりますが、これは本来イニシアルという言葉ではないかと考えております。従いまして、これは正式の調印に対する仮調印というような意味よりも、むしろ交渉過程において、または交渉がある一段階に達した場合に、とにかく交渉当事者の間でまとまった案文を、この場合はこれで確定しようというような意味合いも含めまして、おのおの交渉当事者または随員その他のイニシアルと申しますか、頭文字をお互いの紙の上に書いておく、こういうふうな意味合いが本来の意味合いではないかと、こういうふうに考えております。
  120. 大和与一

    大和与一君 そうすると、先般調印をされたこの仮調印は、やはりこの本調印の前段的なことである、むしろこのように考えるのが常識だと思うのですが、いかがでございますか。
  121. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) この場合におきましても、いろいろ……。仮調印の場合は、その場その場で、具体的場合にいろいろ考える問題かと思うのでございますが、この場合の問題も大体におきましては、いわゆるイニシアルという方に、すなわち正式の調印に間近になりましてと申しますか、または正式の調印にかうるに仮調印をしたというような意味合いのものではないかというふうに考えております。
  122. 大和与一

    大和与一君 外務省日本語があまり上手でなくて、私は英語があまり上手でないので、イニシアル、イニシアルといっても、その一言の言葉しかないと思うのですが、それで一体、この仮調印というのは日本政府としてはどこできめたか、その点をお尋ねいたします。
  123. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 当時の交渉からいいまして、交渉の当事者がいわゆる仮調印といいますか、今までの話し合いを確定する意味において参与をいたしております。
  124. 大和与一

    大和与一君 そうすると、閣議できめたということではありませんか。
  125. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ございません。
  126. 大和与一

    大和与一君 それでは、閣議が了承したということはありませんか。
  127. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 了承してまだおらない前段の方だと思っております。
  128. 大和与一

    大和与一君 それでは、仮調印したということにはならないのじゃないですか。
  129. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 仮調印という書架がいわゆる━━英語を使ってはなはだ失礼でございますけれども、イニシアルという言葉を仮調印と訳し得る場合と訳し得ない場合とあると思いますが、そういう意味において仮調印という言葉そのものが、ほかに適当な言葉があればそういう言葉を使うだろうと思いますが、この場合ごく通俗的に仮調印といったものと思います。
  130. 大和与一

    大和与一君 そうすると、日本語と英語の場合に若干ニュアンスとして違いがあっても、国際的にいってイニシアルという言葉を使ったのは一つしか意味がないのですよ。そうすると、それはいやおうなしにきまったということになるのですから、それが日本語になると、今大臣のおっしゃられるように、出先の人たちが勝手に自分の意思できめる、そういうこともそれは純理論的にあるとしても、今回仮調印をされたということですね、先般。この事実はやはり政府がそれを了承、理解をしている、こういう態度でなければ、これはさまったということにならないと思うのですが、いかがですか。
  131. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 交渉当事者が、これでもって大体話し合いがついたというところでもって、いわゆるイニシアルをいたしまして、その結果を閣議なり何なりに持っていって確認することによって、初めて日本政府の態度がはっきりきまるということになろうと思います。むろん、しかし、交渉当事者が話し合いをいたしまして、これでいいという大体確定したということ自体は、やはり日本政府もこれでいいんだろうという一応の結論を立てたということであります。ただ、閣議段階まで上がっていない、こういうことでございます。
  132. 大和与一

    大和与一君 そうすると、その当時の調印の相手者であるベトナム代表ですか、その人たちも、今おっしゃる意味で完全にこんなものは吹けば飛ぶようなもので、ちっともきまっていない、こういう了解のもとに調印したのですか。
  133. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 吹けば飛ぶようなものというような意味ではございませんけれども交渉当事者がお互いに話し合いをして、その結論が一番交渉当事者としては妥当じゃないかという意味において話し合いがついたものを、イニシアルするわけであります。それを、むろん、両国政府として態度を決定する場合には、閣議なりそれらの方法によって最終的には決定するものになろうと思います。
  134. 大和与一

    大和与一君 先般のこの秘密交換公文にしても、それを発表になるまでは黙っておって、発表になったら、こんなものはあってもなくてもいいと言い出したりして、いろいろ言い方があるのですけれども、一体、この調印をしたということは事実なんですから、これに対してそれでは、閣議決定はなくても、政府としてはその報告を受け、しかもそれを了承しておる、ここまで言えなければ私はまとまったことにならぬと思うのですが、その辺は一体どこまで政府側としてははっきりと、了解というか、了解点を与えておるかというところは、どこまでですか。
  135. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 一般的に申しまして、交渉当事者が、最終的に政府の意思を決定するために、一応これで話はまとまったということで、閣議決定の手続をするわけでありますが、その閣議決定の手続をするというような間にまた話が変わったのでは、閣議決定になりませんから、一応こういうことに話し合いがきまったといって交渉当事者でそれぞれきめて、あとはもう変更しなくても大体報告できるというような意味において、イニシアルをいたしておるわけであります。
  136. 大和与一

    大和与一君 そうすると、今回批准したいという賠償協定に、その仮調印というのは影響は一体どの程度に持っているか。
  137. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) この沈船引き揚げの仮協定には、御承知の通り向こう側が仮協定いたしましただけで、向こう政府としてはこれは応諾できないということでありますので、現在この仮調印というものは無効と申しますか、あるいは失効と申しますか、失効されているわけでございます。
  138. 大和与一

    大和与一君 調印そのものが失効されている形が、かりにあるとしても、その話し合った内容というものは、やはり本調印にこれをある一つの基礎あるいは水準とするというか、そういうことは当然これは考えられなければいかぬと思いますが、そうすると、英語でいうとナッシングですか。
  139. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 要するにこれは、今申し上げましたように、破棄と申しますか、失効━━自分たちの考え方と違うものだということでこれは無効になって参りましたので、従って、今度の賠償協定に直接何らの関係はございません。
  140. 大和与一

    大和与一君 この沈船引き揚げを賠償一つの手段にしたい、こう考えられて、フィリピンその他に調査団が行きましたが、あのときの事情を、どういう目的でいつ行ったか、そうしてそれは外国の政府といいますか、相手方も一応連絡をしたか、国内のそれぞれの業者などにも連絡というか、相談したか、そういう点をお尋ねします。
  141. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 政府委員より詳細の答弁をいたさせます。
  142. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) まずフィリピンとインドネシアについて申し上りますと、フィリピンに関しましては、御承知の通り、一九五三年の三月一二日に、中間賠償として沈船引き揚げに関するものができました。そうして、これはその後一九五五年の八月から一九五七年の三月にかけまして、マニラ湾及びセブ湾におきまして、日本のサルベージ業者が、七社が五十七隻の船舶を引き揚げた。このときの費用約六百五十六万ドルかかっております。そうしてフィリピンに関しましては、賠償協定のできましたときに、ある一項に、一つの項目におきまして、その沈船引揚協定をそのまま引き継ぐということになっております。ただ、ほかのフィリピンの賠償協定はいわゆる直接方式でございますが、これだけがいわゆる間接方式ということでございまして、日本政府が業者を募集して、そうしてやるという形になっておりました。その後、フィリピンとの賠償協定が発効いたしましてから、さらに第二次の作業というものが、一九五七年に調査をいたしまして、その後一九五九年の八月から現在のところ竣工しております。これが約五億八千万円でやっております。それから、インドネシアの……。
  143. 大和与一

    大和与一君 答えが違う。私はそういうことを聞いているのでなくて、一番初めフィリピンに調査団が行きましたね、そのときの経緯を聞いているのです。始まった話を聞いているのじゃないのです。そのときに、たとえばフィリピンに対して沈船引き揚げを賠償の対象にしたい、こういう政府の一応意図があれば、その連絡をしていつごろ行ったか。それはフィリピン、インドネシア、あるいはベトナムに対してどういう連絡をしたかと、こう言っておるのです。
  144. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 一番最初フィリピンの方は、一九五一年二月に倭島局長が行ったときに、日比賠償について交渉を行なったが不調になったので、その後向こうの外相から、日本との当初の賠償交渉が不調に終わったけれども、何らか日本側が好意を示してくれないかというようなことがありまして、それで、フィリピン近海の沈船を引き揚げる約束をしてくれないかというのが最初でございます。それに基きまして、沈船引き揚げの交渉が始まったのでございます。それから、沈船引揚協定ができましてから、日本から調査団なり付なりが行って、そして実際の実施にかかった、こういうふうなことでございます。
  145. 大和与一

    大和与一君 そうすると、インドネシアも、ベトナムも同じですか。
  146. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) インドネシアの場合も同様でございます。  それから、ベトナムの場合に関しましては、沈船引揚協定ができます前に、いわゆる北川というサルベージの会社が当初行っておりまして、最初は商業契約というのをやっていたわけです。そこで、その商業契約というものが、北川の方の都合もあったかもしれませんし、ベトナム側の都合もあったかもしれませんが、なかなか実施されないうちに、先方から、この沈船引き揚げを賠償の形でやってくれないかという話になりまして、それで賠償協定の話が一九五三年に始まったわけであります。北川の、まず商業契約のできましたのは、一九五二年十一月の終わりごろでございます。
  147. 大和与一

    大和与一君 そこで、ちょっと運輸省にお伺いいたしますが、その北川産業というところの船がベトナムに沈船引き揚げで行くことになったのですが、その行くについては、船の使用目的といいますか、そういうことについて一体運輸省当局は何か相談を受けたのか、指示を与えたのか、内容は知っておったか、そういう点を少し詳しく御説明を願いたいと思います。
  148. 水品政雄

    説明員(水品政雄君) この作業につきましては、法律上、許認可または報告等の義務がございませんので、北川からは正式の報告等のことはございませんでしたが、出帆の前に、そういう作業で参りました船が北寿丸というのでございますが、北寿丸を現地に差し向けるという話を、口頭連絡を受けております。それから、出発したあとで、こういう目的で北寿丸が出帆したという報告を受けております。
  149. 大和与一

    大和与一君 その船がベトナムに行って、それでずっと長いこと、百五十日もおったのですが、その経過と、それからその船が引き揚げたときですね、それまでの、なぜそんなにおそく帰ったのか、なぜそんなに、船から人も上げられぬで海にずっとおったそうですが、そういうことについてはどういう報告を受けておりますか。
  150. 水品政雄

    説明員(水品政雄君) この回答は外務省にお願いする方が妥当かと思います。外地のことでございますので、私どもの方では……。
  151. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 当初、前に申し上げました通り、一九五二年の十一月十七日に、北川とベトナム側と調印ができたわけでございます。ところが、この調印を見ますと、契約の当事者が、ベトナム側が土木大臣の代理の土木局長になっているわけで、日本側は北川が表面に立っておりませんで、フランス人のE・M・ローランというのが立っていたわけでございます。ところが、この契約の条項にも一つでございますが、これはベトナム国の総理の署名をもって有効になるということが、契約の条項に書いてあるわけです。それにもかかわらず、E・M・ローランという方から北川に、ベトナム国では早く引き揚げをしたいからという連絡がありましたので、これは北川の方も話しておりますが、契約書においては必ずしも正式に整ったものではございませんでしたけれども、とりあえず船を出しまして、一九五三年の二月の二十二日サイゴンの港に着けたわけでございます。ところが、そのときに、旅券のビザにおきましては必ずしも正式のビザをとっておりませんでしたために、ビザを取り上げられたまま、そこに、今おっしゃいましたように、何百日かの間、船から上陸できなかった。それから、その間におきまして、ベトナム側から最初、北川の商業契約によりますれば、この契約の条項にも書いておりますが、これはベトナム日本政府に対して賠償の要求をする場合といえども賠償関係には全然関係ないということが、契約の条項に書いてありましたにもかかわらず、その後先方からこれを賠償と何とか関係を待たしたいというような、いろいろ申し込みが外務省にもあったわけです。外務省としましては、これは全くの商業契約である、北川個人のものだ、北川とベトナム国との商業関係である。賠償問題というのは残るかもしれませんが、これはこれと引き放して、交渉はするかもしれないけれども、今何らの関連はつけられないという答えをしていたわけです。それで、そういう外務省の答えに関連あるかどうか存じませんが、とにかく上陸できないで長くいたということは事実なんでございまして、そこで五月の何日かになりまして、初めて上陸ができるようになった。五月の十九日というときに初めて契約ができたということです。  それで、実際問題としましては、第一番の契約と第二番目の契約とは、少し内容が違っておるわけでございます。つまり、第一回の契約はむしろそのままたな上げになりまして、そこで五月十九日第二回目の契約ができた。そして、それに向こうベトナム国の総理が調印した、こういうわけでございます。
  152. 大和与一

    大和与一君 そのフィリピンの賠償、総額に対する沈船の中間賠償のパーセンテージですね、それとインドネシアの総額に対する沈船中間賠償のパーセンテージ、それをちょっと……。それと、ベトナムで二百二十五万ドルに一応仮調印をしたわけですが、それと今回とのパーセンテージ、それをちょっと……。
  153. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) パーセンテージは計算しないとわかりませんが、フィリピンの賠償総額は五億五千万ドルでございますが、沈船協定自体は幾らという字が入っておりません。額そのものが入っておりません。現実には、最初の第一次中間賠償のときやりましたのは約六百五十六万ドルございます。それから、第二次につきまして、今現在やっておりますのが五億八千万円でございますが、その協定自体には何ドルというのは入っておりません。インドネシアの場合は六百五十万ドルです。御承知の通り、インドネシアの賠償総額は二億二千三百何十万ですか、何かその程度のものです。ところが、このインドネシアの沈船協定というものは、先方がこれを承認しなかったのです。
  154. 大和与一

    大和与一君 そうすると、この沈船引揚協定の、先ほど大臣があまりはっきり返事しませんでしたけれども、仮調印は吹けば飛ぶようなものじゃない、しかし、閣議決定はしていないけれども政府は一応これを認めておったのだ。━━これは間違いないと思います。そうなると、やはりこの話をしている場合には、総合的に全体あるいは将来の見通しも考えて、当然お話は誠意をもってされたと思います。そうすると、そのときにまとまった合意議事録、第十二次会談の、これによると、日本代表は、日本ベトナムに振り向けることができる賠償額は非常に少額、ベリー・スモールということなんですが、これは一体どういうことなんですか。
  155. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 日本側は、この経緯がございまして、向こうベトナム側からジェムという土木局長が参りまして、交渉を始めております、九月の二十五日から。その交渉の途中におきまして、日本側は、あなたの方は賠償総額をどのくらいに考えておるかということを聞いております。それに対しまして、彼は一度国に帰りまして、一月のたしか半ばでありますが、その七月の二十何日になると思います。一ぺん本国に帰りまして打ち合わせてきました上で、ベトナム側は二億五千万ドル賠償総額を、要求をするのだということを申しておりますので、その数字二億五千万ドルというのが出ましたので、それに対して日本側は、そんな大きなものじゃない、小さなものだということを言っておるわけです。
  156. 大和与一

    大和与一君 それはずっと話が飛躍し過ぎておって、一体それじゃベトナムとの交渉はいつから始まったのですか。
  157. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) この沈船の交渉は五三年の六月二十五日から始まっております。そうしまして、最初に、大体君の方はどれくらいの賠償を要求するつもりかということをこちらで聞きまして、向こうは返事ができないで、本国に帰りまして、七月二十四日かの会合で二億五千万ドルということを、言っております。
  158. 大和与一

    大和与一君 七月八日に日本を出発して帰ったのですが、一ぺん交渉を中断した。そして再び向こうが来たときに、いきなりそういう要求じゃなくて、非常に歩み寄りがあったんではありませんか。
  159. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 帰って参りましたのが、ちょっとはっきりいたしません。十六日か十五日に帰って参りまして、そのときにはすぐ申しませんで、七月三十七日の会合におきまして二億五千万ドルということを申しております。ですから、詳しく申し上げますと、本国政府に対して相談したがそのときに直ちに総額を持ってこずに、おくれて彼がこちらに着きまして、しばらくたちまして、本国政府からその数字が来たと、かように考えます。
  160. 大和与一

    大和与一君 そうすると、二百二十五万ドルで一応よいと言ったのは、それはいつなんですか。
  161. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) それは、九月の十六日に仮調印が終わっておりますが、大体初めは二百万ドル以内ということを話をしておりまして、それに対しまして向こうが、九月になってからだと思いますが、二百二十五万ドルにしてくれと申しておりました。それは九月ごろだと思います。
  162. 大和与一

    大和与一君 その二百二十五万ドルでよいと言ったときに、これはベトナムとしてはそれを声明というか、言葉は適当でないと思いますが、向こうとしては、はっきりそれでいいのだということを言ったのは間違いないでしょう。
  163. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 沈船協定に関します限りは、二百二十五万ドルを限度とするということに話がついております。
  164. 大和与一

    大和与一君 そのときに、日本側としては、それだけでなく、できればそれでもう全部終わってしまえばなおいいのだが、そういう意味の含みはまるっきりなかったのですか。
  165. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) そういうことが合意議事録に現われて出ておりまして、先方が二億五千万ドルということを申しますし、最初は二百二十五万ドルということはあまりはっきり出ておりませんので、百万ドルか二百万ドルの沈船中間賠償協定をやりたい、しかもそれは自分の方の請求額の一%か二%程度のものをやってもらいたいというふうなことを申しておりまして、しかも二億五千万ドルというふうなことを申しますので、その点に対しまして、こちらはベリー・スモールということを申しました。それから、向こうの二億五千万ドルという総額と、それからそれの占める比率が一%か二%であるという発言を向こうが撤回するということに合意議事録でなっております。
  166. 大和与一

    大和与一君 この仮調印の相手は、署名者の名前は書いていないのですが、これはだれですか。
  167. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) それは、日本側は大野参事官、それから課長が二人加わりました。先方はこのジェム土木局長、それからル・ジェニセルというフランスの臨時代理大使、それにトーサンという一等書記官、この両方三名でございます。これが署名をやっております。
  168. 大和与一

    大和与一君 そうすると、フランスが入っているのはどういうわけですか。
  169. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) その点につきましては、最初はあまりフランスの参事官は、これはどういう人だとかいうことがはっきりいたしませんので、日本もこれを聞いております。そうしますと、やはり交渉の首席代表はベトナムのジェム土木局長であり、フランスの参事官はこれを補佐する意味で参加したということを申しております。
  170. 大和与一

    大和与一君 そうすると、会談の初めからずっとそのフランスの人もついて、一緒に話をしておったのですか。
  171. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) その通りでございます。
  172. 大和与一

    大和与一君 それはおかしいじゃないですか。ベトナムと話をするというのに、フランスの人がついておらなければ話ができないのですか。ほんとうは相手はベトナムなんだから、何もフランスがそれについて脇役をやらないでも、けっこう話を進める場合には差しつかえないのじゃないですか。
  173. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) この点は、やはりフランス外交官は、もちろんあくまでベトナムが本体で、代表ですが、それを補佐するという関係、援助するという関係で出席をしたのだと考えております。その関係は、基本的にはフランス連合内のベトナムフランス連合の関係の方から来ているわけでございます。
  174. 大和与一

    大和与一君 そうすると、ちょっと。先ほど曾祢委員も触れたかもしれませんけれどもフランスは、特別円日本が払えばベトナム、ラオス、カンボジアにも同等に払う、こういうような話があったのじゃないかと思うのですが、それはその通りですか。
  175. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) そのようなはっきりしたこれは、交渉過程におきましては、そのようなはっきりしたことは申していないと思います。これは当然フランスと三国との関係でございますから、当然そのようにわれわれは解釈している次第でございます。
  176. 大和与一

    大和与一君 その場合に、やはりベトナムとしても、ベトナムフランスとの特別円関係ははっきり私はわからないのですけれども、そういうふうなもやもやというか、これははっきりベドナム側としては反対の気持が強いと思いますが、そういう完全に気持が一致していなくて、そうして沈船協定についても、二百二十五万ドルについてきちんと話ができたといってそういうことになるのは、おかしいと思うのですがね。それは、フランスベトナムは、脇役というか、オブザーバーというか、そういう格好で出ておったとしても、それは完全に二者は意見がすでに一致をし、日本側と円満に話ができたことになりますか。
  177. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) これは交渉過程においても、向こうに、ジェム代表でございますか、それを十分補佐し、もちろん意見の完全な一致があったものとわれわれは考えております。その間、これは代表の内部で、どういうことがあったかということは、私は全然聞いていないのです。ただ、やはりベトナムフランス本国との関係は、結局におきましては、フランス連合の関係としまして出席したのじゃないかというふうに考えております。
  178. 大和与一

    大和与一君 私は、やはりフランスがこれに一緒にタッチしたということは、条約局長得意の法理論からいって、どうも法律的には根拠が明白でないのです。だから、ベトナムと沈船引揚協定の話し合いをしているのだから、そんな他人は入らぬ方が話がうまくいくにきまっているので、それを入れたということはどうも納得がいかないのですが、もう少し理論的な説明をいただきたいと思います。
  179. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) これはフランスベトナムとの関係でございますけれども、たびたび引用いたします一九四九年のベトナムフランスとの、すなわちフランス連合における関係を規定した条約でございますが、この条約━━エリゼ協定でございますが、エリゼ協定の第二項の外交上の諸問題という項目におきまして、ベトナム外交代表を持っていないところ、外交代表または外交使節をベトナムが派遣していないところでは、フランスが、このフランス本国と申しますか、それが代行してやるんだというような規定がございます。従いましてこの場合にも代表が参りました場合にも、ここにはフランスの大公使館がございますから、そこから出ましてこれを援助する、その限りにおきましてはベトナムの指揮下に入ると申しますか、そういう関係においてこれを援助していくことであろうと考えております。
  180. 大和与一

    大和与一君 まあほんとうの調印のときにはそういうことが一応理屈としてわかるんですけれども、逆に言うと、フランスはオブザーバーで手伝ったんでなくて、お目付役ということも言えるるわけですよ。そうすると、ベトナム側のほんとうの自由意思によって日本と仮調印を結んだんじゃないんじゃないか、要らぬことおせっかいして、横についておって、あれこれ圧迫するとか、そういうことだと考えられるんですが、どうもこれは、しかし、ベトナムとほんとにやるんだったら、特に仮調印なんてとんでもなく、大へんなことじゃないんだと、一生懸命あなた方は力説しておられるんですが、そうするとそういう連中を入れたこともどうも納得ができない。日本ベトナムの完全な話し合いによる合意というものは一体どういうことになるということになるんですが、もう一度御説明を願いたいと思います。
  181. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) これはもちりん最終的には、これは仮調印でございますので、おのおの双方の代表及びその随員というのがそれぞれ仮調印をいたしておるわけでございますが、もちろん正式の調印になりますれば、正当な全権委任状を持ち、双方にこれを呈示しまして、お互いにその点を確認し合って、これは調印いたすことになるだろうと思います。
  182. 大和与一

    大和与一君 それでは一体その二百二十五万ドルで仮調印をしたベトナムが六月十日ですか、新しく二億五千万ドルということを突然言い出した、しかも常識で考えてこれはとんでもない数字なんですけれども、その経緯をこれは明快に一つ説明いただきたいと思います。
  183. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) その経緯を申し上げますと、沈船協定が進みまして、沈船協定が仮調印されまして、わが方といたしましてはこれが正式の調印をするのを非常に待っておったのでございますが、この間五十三年、五十四年、五十五年でございますが、その間先方がいろいろわが方に申しましたのは、たとえば一つ申し上げますれば、日比協定というものには中間賠償という字が書いてございます。ところが本件につきましては、たとえば中間賠償という字が書いてないとか、それからこの沈船協定というのを見てみますと、平和条約義務を履行するためというような字が書いてあって、そしてベトナムとの賠償はほとんど全部が履行されたような感じを与えるとか、まあそういうような点に非常に不満を持っております。それからまた、これは一九五五年にエカフェの会議に参りました向こうの計画復興大臣でございますが、それがわが方に語ったところによりますと、沈船に関連して、賠償総額はベリー・スモールだというような字が書いてあって、一応合意議事録ではこうなっているけれども、あれは日本側の一方的宣伝であるから承認できないというような、そういうような沈船協定自体に関しますいろいろな不満がございまして、そして結局のところ、これは全然これを触れないで、破棄して正式の賠償交渉をしたいと、こういうことで賠償協定になったということでございます。
  184. 大和与一

    大和与一君 今御説明があった通り、われわれもそう考えているんですよ。もうこれで全部終わりだと、まさにベトナム側でそう理解をしておったと同じように考えているわけなんです。だから、向こう借款の話を出すまでに少し経緯はあったとしても、そういう気持向こうは、もうこれですべてが終わりなんだと、そういう気持でちゃんと話をしたことになるのじゃないですか。
  185. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) まあそういうふうなもし感じが幾分でも合意議事録に出ていましたならば、その点が非常にベトナムとしては満足してないところで、御承知の通りベトナム賠償、沈船引き揚げに関連して向こうは二億五千万ドルというのを主張した経緯もありまして、もともと相当の額を持っていた。一応かりにイニシアルしてみたもののあとにかえってみますし、その沈船協定自体が非常に不満足というような声が起こりまして、むしろこれを全部、そういう誤解を与えるなら全部これを破棄して新しい賠償交渉をしたい、こういう結論になったのだと想像しております。
  186. 大和与一

    大和与一君 しかし、この賠償協定によると、そんなことを言ってあなたは説明するけれども、ちゃんとそれは文字通りの解釈でしょう、その通りに解釈して調印をしたんだから。もしも今あなたがおっしゃったような、向こう側のことをえらいそんたくして言っているけれども、それじゃあこの文章の約束の以外に何かあれですか、議事録なり何なりありますか、今あなたがおっしゃったようなことは……。
  187. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) お手元に差し上げました合意議事録を見ましても、日本側の二億五千万ドルということに対しましてベリー・スモールということを主張しております。向こうは二億五千万ドルという数字はこれを撤回して、またその二百二十五万ドルが一%か、二%にしか当らぬと、これもその比率も撤回しておりますが、しかし、賠償総額についての議論はこの際は行なわない、将来に延ばそうということを向こうでは言っているわけでありますから、ここでは賠償総額については何らきまっておらないというのが実情でございます。
  188. 大和与一

    大和与一君 一応そのときの話がうまくいかなかった、こわれたことはわかりましたけれども、それが、しかし、突然一億五千万ドルにはね上がってきたということは今の説明ではわかりません。もっと具体的に言ってもらわぬと、向こう側の新たに要求してきた内容について、それは一体どういう経緯できめられたのであるか、こまかいことはわからぬにしても、大まかにやはり向こうとしては、こういうのにやはり一つの基礎を持ってきたんだろうし、それをこういう理由だからわが方では足りぬから、もう少したくさんくれ、こう言っているのでしょうから、そういう点をもう少し具体的にお話願いたい。
  189. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) これは沈船協定が始まりました際に、日本側といたしましてはこの沈船の協定をやるが、しかし、あなたの方は賠償総額というものはどのくらいに考えているか、どのくらのことを請求しようと思っているのかということを日本側は聞いておるわけであります。それに対しまして向こう側は、本国政府と打ち合わせました上で、七月二十七日に二億五千万ドルという数字を出したわけであります。それに対しまして日本側としましては、その根拠がどうであるかというふうなことは言っておりませんで、二億五千万ドルとはとんでもない数字だというふうな議論をやっております。そこで、最後の九月四日の合意議事録で、日本側は二億五千万ドルと申しました、それに対しましてベリー・スモールということが出たので、二億五千万ドルというのはそのときに出てきた数字であります。
  190. 大和与一

    大和与一君 ちょっともう一つ賠償協定の中で第二条の二の方に「ヴィェトナム政府は、引揚作業に従事する日本国民の生命及び財産を保護するため適切な措置を執るものとする。但し、」云々、こうありますね。これはやはり、これも現在一応生きていないのですか。
  191. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 沈船引揚協定の場合に特に日本国民の生命安全を言うのは、たとえば沈船引き揚げをする場合に非常に危険性を伴うことがある、そこに火薬、水雷があるとか何とか、むしろ航路を開くのでございますから、そこに非常なる危険性がある、別の、ほかの賠償実施とは違いました特別の危険性があり得る、潜在するわけです。そこで、そういうふうなことはさせないようにする、そういうふうな趣旨が入っているが、これが交渉の経緯によってよくわかるのであります。
  192. 大和与一

    大和与一君 今、言われた具体的な内容はわかりますよ、それだけで終わりですか。ここに書いてある文面から言えば、それはやはり引揚作業に呼ばれて、日本の船なり、会社が行って、そうしてそれをやる場合に万事円満にその仕事ができるようにと、そのことも含めてなければ、それが途中で消えてしまったり、いいかげんに一方的に破棄されたり、ちゃらんぽらんにやられて、それで日本政府としてそういうことは含んでないというのですか。
  193. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) もちろん沈船協定というものが実施されましてそれをやる場合におきましては、これは向こうとしても日本人の生命の安全のみならず、これにいろんな、妨害をしない、むしろ容易ならしむる措置をとると、たとえて申しますれば、日本から船が行きましても、それから人が行きましても、薪炭を供給するとか、現地で調達し得るものは調達するとか、そういうような便宜は、この沈船協定というものが正式に成立すれば、これは当然向うの義務としてやらなければならないものなんであります。
  194. 大和与一

    大和与一君 それは時間的には短かったかもしれぬけれども、一応調印したのですよね。したら、日本政府の依頼を受けてというか、北川さんが行ってちゃんとお膳立てをしたわけなんだ。そこできまっちゃって、しかもあとからこれがまただめになったとしても、実際にこれはきまった瞬間から日本政府のちゃんと負託を受けてやるわけなんです。それが途中でだめになったからおれはもう知らぬと、そんな無責任なことはできますか。政府として跡始末はどうしてある。
  195. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) これは、北川の契約自体というものは商業契約で、そのころも存在するわけなんでございます。ことに、沈船協定ができましたころにおきましては、向こうベトナムの総理の署名を得まして施行しておるわけであります。しかし、これはあくまでも商業契約なんでございまして、この沈船協定というものが成立いたしますれば、そのときの話し合いによりまして、一部分は普通のビッドで業者を選択してやらせる、あと部分ベトナム側の希望が強いものでございますから、北川にもやらせよう、それが二つ組み合わせてあったのでございます。ところが、それが協定が全然発効いたしませんものでございますから、北川の商業契約だけというものは残っておりまして、そこで北川がこの五三年から一、二年の間というものは曲がりなりにも一応作業を続けていったわけなんであります。
  196. 大和与一

    大和与一君 仮調印はしたのでしょう、ちゃんと。一応ちゃんとまとまった。
  197. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) これは、仮調印はいたしましても、北川の商業契約と全然本質を異にいたしますのは、北川の商業契約の方では、これは北川が、ごく簡単に申し上げますれば、スクラップを一トン引き揚げるにつき、たとえば六ドルなり七ドルなりの権利金を納めまして、そうして北川が全部の引き揚げ費用を自分で負担いたしまして、スクラップというものはそのかわり北川の所有に帰するわけなんでございます。でございますから、北川から考えてみますと、一トンの引き揚げ費用プラス権利金を支払っても、スクラップの値段が高ければそれで利潤を得るという計算のもとに立っていたわけでございましょう。これが、沈船引揚協定ということになりますれば、北川が、その他いろんな業者も入ることでございましょうが、それに対して二百二十五万ドルのうちから金を支払いまして、そのかわりスクラップの所有権はベトナム政府のものになる、こういうようなわけでございますから、その商業契約といわゆる沈船協定における沈船の引き揚げの実施とは非常に本質を異にするものでございますから、この沈船協定がイニシアル後、もし正式に調印されて、あるいは議会の御承認を得まして批准されるという時期にならなければ、切りかわるということは不可能なことだと考えております。
  198. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 関連して。先ほど来同僚大和君の質問に答えて仮調印々々々と言っておられますが、仮調印でなかったことは、これ明瞭じゃないですか。ジェム土木局長なりフランス代表が交渉とそれから署名に参加したのは、当時の政令なりあるいはベトナム外交権に加えられた制限からすれば当然です。政令なりあるいはフランス憲法に基づいた正式の代表として折衝をしそうして調印に至ったということ、合意に至ったということは明瞭です。ただ、同時に交渉をされておった日仏間の特別円協定に基づく特別円支払いフランス側に支払われたためにベトナムあとで沈船引揚協定を御破算にしたという経緯は、その後の申し入れを見てもこれは明らかだ。仮調印仮調印と言われますけれども、正規の代表によって折衝をし合意に到達をしたことはこれは明らかじゃないですか。事実を曲げて答弁をされるというようなことは、これはそういうごまかしは許されませんよ。どうですか。
  199. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) あくまで仮調印と申しますかイニシアルでありまして、それから特別円の問題は、これは五七年でございますから、これは五三年の交渉でございますし、関係はないと存じます。事実を曲げているというふうな点は全然ないと存じますから……。
  200. 大和与一

    大和与一君 仮調印々々々と言われますが、仮だという性格が合意の上にどこに出ている。調印をしたときの文面に、あるいは合意に達しそうして署名をしたときに、仮というのは全然ないじゃないですか。
  201. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) それは、その後に正式に調印をしていないということから、これが仮になるわけでございまして、正式の調印の前の段階でございます。正式調印がないわけでございます。ですから、これはあくまでもイニシアルであり、仮調印でございます。(「仮調印でもない」と呼ぶ者あり)
  202. 大和与一

    大和与一君 仮調印といったのは、二百二十五万ドルと言ったときにベトナム側で声明を出したと思うんですがね。これはありませんか、どこかに。
  203. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) われわれの方は、ベトナム側の声明を出したということは、報告はわれわれの方にはございません。
  204. 大和与一

    大和与一君 そうすると、この資料ですね。これは一体全部ありますか。どこで保管していますか。この沈船協定の経緯なりそれに関係した書類ですね、これは全部ありますか。どこで保管していますか。
  205. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私の方で持っておるわけでございます。
  206. 大和与一

    大和与一君 二億五千万ドルと言ってきたとき、これはあれですか、一九五六年の六月十日ですかね。
  207. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 一九五三年の七月の二十七日に初めてその数字を申し出ております。
  208. 大和与一

    大和与一君 そのころ、植村特使ですね。この人は一体その前後に動きだしたのですか。いつですかね。
  209. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 植村さんの動かれたのは一九五六年の三月でありまして、その後約三年たっているわけでございます。このころには植村さんは全然関係はございません。
  210. 大和与一

    大和与一君 そうすると、先ほど、本調印をしない前だから仮調印だと、まあこういうふうにおっしゃるのですけれども、それでは一体この仮調印をしたものがもうこれでやめたという証拠はどこにあるのですか。
  211. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 仮調印はいたしましたが、正式な調印をしておりませんから、結局仮調印のまま残っておるわけでありますし、それが、五三年の五月十六日でございますが、五五年の十二月になりまして正式にたな上げを向こうが申し出ておりまして、そこで、それまではわれわれとしては正式調印をしたいということで待っておったわけでございます。五五年の末にこれをたな上げにしたい、そうして五六年から賠償総額に関する交渉を始めたいということを申し出てきておるわけであります。
  212. 大和与一

    大和与一君 一九五五年の末のたな上げの書類はございますか。
  213. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) それは、現地の大使から電報で言ってきております。電報の往復があるわけでございます。
  214. 大和与一

    大和与一君 その一たん調印したものが、仮調印というのは、あなたが本調印の前は仮調印だと言うから、そういう言い方はあるけれども、一度調印したものが、現地の大使から電報がきて、それをたな上げして、もういいんだ、そんな簡単なものですか。
  215. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) たとえば、インドネシアの場合は、これは一九五三年の十一月でございましたか、沈船の協定ができまして、これは正式調印までいたしております。しかも、それを五四年、あくる年の七月にはたな上げになっております。そういうケースすらございます。これの方はまだ正式調印はしておらぬということでございます。
  216. 大和与一

    大和与一君 そうすると、イニシアルというものは権威がないのですか。
  217. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 権威と申しますか、要するにイニシアルを出すといいますときには、まだ全権委任状を示すとか、そういうふうなことをいたしておりません。実質的に話が進む、これが正式の、手続を経ますと、正式の合意になる、ですから正式の手続を経ておらぬが、実質的な話し合いがついているものとまあ考えます。
  218. 大和与一

    大和与一君 だから、イニシアルといっても、閣議の決定がなくても、やはりその場で話をまとめた人は、これはやはり日本政府にかわるべき気持で十分その責任を感じてやっているわけでしょう。そうすると、そのイニシアルというものは、ちゃんと調印した以上は、これはやはり私は非常に公のものであるし、権威があるものだと思うのです。その点はどうですか。
  219. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) こういう例はたくさんございますが、要するにイニシアルということは、そのときにおいては、実質的な合意ができている、当事者の間に実質的合意ができておったのだ、それがその後都合によって正式に調印されないというわけでありまして、まあ権威があると申しますか、法律上は完全に死んでいるわけでございますが、その当時としては交渉当事者の間に意見が合ったということは事実でございます。こういう例はたくさんほかにございます。
  220. 大和与一

    大和与一君 とにかくこの一たん調印したものが、ただ一片の電報くらいで、この大事な交渉内容すべてがたな上げになる、そんな私はべらぼうな話はないと思うのです。その辺が明確でなければ、これはちっとも変わったことにならぬじゃないか。完全なやはり変更をする場合には、あれでしょう、手続があるわけなんだから、変更あるいは排除をするという措置がなされない限りは、効力があるわけじゃないですか、法律的に……。
  221. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 法律的には全然効力はございません。  それからまあ沈船協定というものは、賠償の総額についての交渉は相当時間がかかるので、全然何もせずにほっとくのも悪いというので、これは各国ともやっているわけでございます。フィリピンともやりました、ベトナムともやり、インドネシアともやった。ところが、インドネシアはすぐあとになってこれをたな上げにいたしております、正式調印したものをたな上げにしている。と申しますのは、五四年の十一月にはすでにビルマとの話が賠償総額についてついております。それからまたフィリピンとの間には、大野・ガルシア協定と申しまして、五四年のたしか七月でありますか、そういう協定が、これもだめになりましたができております。それから五六年になりますと、今度はフィリピンとの正式協定ができております。五五年の暮れころになりますと、そういうふうに、ビルマはすでに賠償総額の協定ができている。フィリピンともかなり話が進んでいるというふうな状況になっておりまして、先方としましては、ほんとうの賠償総額の交渉をしたいということを申し出たのであります。それをわれわれは認めたわけであります。
  222. 大和与一

    大和与一君 私はこの問題は非常に重大だと思うんですよ。実際電報だけで、それでもう今まで全部まとまった二百二十五万ドル全部終わりになった、たな上げになった、そんな簡単なものじゃない。だから私は、あとからその電報を資料として出してもらいたいと思うのですが、そういういいかげんなあれですね、交渉というか、これは絶対に聞き捨てならぬけれども、こればかり言っておったのでは時間がかかりますから、一応この程度にいたします。
  223. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 関連。一審最初の資料要求のときに、沈船協定を御破算にした向こうの申入書というか、意思表示の文書を資料で出してもらいたいということで要求しておったのだが、今日に至るまでも出しておらぬ、どうしたのです。
  224. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私はそういう御要求があった記憶はございません。
  225. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 文書に書いて出してある。
  226. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) あるいは何か事務的な間違いがあったかも存じませんが、われわれの方はだれもそういう御要求は受けておらぬと申しております。
  227. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 出したと思う。
  228. 大和与一

    大和与一君 先日久保田参考人が証言されたのですけれども、そのときに、ダニム・ダムにしても日本工営にやらせぬかもしれぬ、こういう話があるということをちょっとつけ加えて言われたのですね。そうしてベトナム沈船協定にしたって、これをやめて今度は馬を乗りかえるというか、そういう態度を向こうがとったのじゃないか、こんなふうに感ぜられますが、その点は外務大臣、どう考えられますか。
  229. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ベトナム側がこれを破棄しましたのは、要するにただいまアジア局長の答弁をいたしましたような理由から破棄したのがほんとうの理由だと思います。その間ベトナム側がいろいろな考え方を持っていたかどうか、今御指摘のような考え方を持っていたかどうかということについては、私はっきり存じておりません。
  230. 大和与一

    大和与一君 そうすると、ベトナムが一ぺん二百二十五万ドルできめたものを二億五千万ドルと言ってきたことは、向こうはあれですか、非常に憤慨をして、こんなばかなことはないということで、向こうから積極的に一つの基準を出して日本側に請求をしてきたと、こういうことになるのですか。
  231. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 二億五千万ドルは、先ほども申し上げましたように、二百二十五万ドルがきまらぬうちに向こうはすでに言っておるわけです。それで、そのときに、こちらは、それはとても大きな数字だ、こっちはもっとずっと小さい数字しか考えてないというようなことを申したわけです。それが合意議事録に残っているわけです。それから次に二億五千万ドルが出ましたのは、五六年の七月、この賠償総額についての交渉を始めましたときに、二億五千万という数字をもう一ぺん出した。
  232. 大和与一

    大和与一君 そうすると、二億五千万という話が出て、それを含めて二百二十五万ドルに一応同意をした、こういうことになるのですね。
  233. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) そういうことではございませんで、この沈船のこれをやります際に、向こうが大体賠償総額の一%なり二%のものをやってもらいたいというふうなことを申しますので、それじゃ賠償総額はどう考えているんだということを聞きましたら、二億五千万ドルということを申しておるのであります。これはインドネシアの例をとりますと、二億二千三百万ドルに対しまして六百五十万ドルというふうなのが沈船協定に出ました数字でございまして、まあ沈船協定の場合はごく小さな数字でやっているのが、ほかの場合でも同様でございます。
  234. 大和与一

    大和与一君 次に北川産業についてもう一度聞きますが、一体政府は北川産業に対して、この沈船の賠償の話し合いが進んでいると、それはいよいよお前の方に頼むぞと、こういう話はいつされたのですか。
  235. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) そういう話は全然いたしておりません。この協定が正式に調印されて発効いたしまして、そのときに北川のやっております事業が円滑にいけばよし、いかない場合はこの協定の一部として北川を助けてやるということができたわけでございますが、この協定が発効いたしておりませんから、北川に対してはこの協定との関連においては何も申しておりません。
  236. 大和与一

    大和与一君 それで、さっき賠償協定の第二条をちょっとお尋ねしたのですけれどもね。しかし、一たん調印をしたのだから、ちょっとこまかい北川産業と政府との約束ということがなかったにしても、当然もう先に行っておって、民間契約としては話し合いが進められて、政府でこの賠償協定が、中間賠償でもまとまれば、当然やらしたわけですね。それがうまくいかないという場合に、それじゃ一体調印をしたのに、あなたの方じゃ全然やらす気もなくて、それはお前の方の損害その他は全部自分で勝手に損をしたんだからそれは知らぬ、こういう言い方になるのですか。
  237. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 調印いたしましても━━これは仮調印はいたしましたが、効力は発生しておりませんから、これに基づいて措置をとることはできないわけでございますが、しかし、仮調印をいたしましたというふうなことが情勢を好転させまして、北川の方は五三年の末から五四年の半ばにかけまして三隻ほどの引き揚げを実施しております。  それからまた日本政府とこの沈船協定とは無関係で、全然、ですから、これは効力を発生しておりませんから、これに基づいて措置をとるということは考えられぬことでございますが、北川のためには別途大使館を通じまして、先方とは常時この北川が困らないようにという話はいたしておるわけでございます。
  238. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 木村君。
  239. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 ちょっと待って下さい。  木村さんの発言する前に、議事進行に関連をしてちょっと発言をしたいと思います。いいですか。
  240. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) はあ、どうぞ。
  241. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 土曜日、木村委員から総理、大蔵大臣の出席を求めて特別円の問題について質疑を続けたい、こう強く主張をいたしましたが、総理、大蔵大臣とも差しつかえがあって御出席ができないということで、非常に不満でしたけれどもどもまあ委員会を進めました。ところが、その後になって新聞記事を見てみますというと、総理は本委員会の真剣な論議をよそに、首相は朝から相模原のゴルフ場に出かけて、委員会参議院外務委員会だけだったが、ベトナム賠償論争も最終段階に入っているにかかわらず、こういうとにかく体たらくである、こういう新聞記事がはっきり出ている。きわめてふまじめであり、あるいは委員会軽視もはなはだしいと思うのでありますが、質問を始める前に、委員長なり、あるいは総理の釈明を求めたい。
  242. 井上清一

    ○井上清一君 土曜日の委員会の理事会におきまして総理の出席の要求のお話が出たのでありますが、当時は金曜日━━金曜日、総理の出席要求の話が出たのであります。当時いろいろ連絡いたしましたところが、じかにお尋ねしたわけではございませんが、土曜日には(「土曜日には要求してないんだよ、質問者が違って土曜日には要求してないんだよ」「何を言っているかよく聞こえないよ」と呼ぶ者あり)正式な質問者が変わった関係、で、話は出ましたけれども要求がなかったのであります。
  243. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 要求がなかったなんて、そういうとにかく盗人たけだけしいことがよく言えますね。  初めっから特別円問題についての木村委員の質問には、総理大臣大臣が必要だ、こういうことをはっきり言うてあるし、それからあなたたちもとにかく了承をして、折衝をしてきたところではないのですか。それじゃ初めっから総理の出席は求めてなかったのですか。まさかゴルフに行かれたわけではないでしょうねと、こう言ったら、そういうことはないでしょう、どうしても所用のために出られぬ、あるいは大蔵大臣は予算省議のために出られぬ。で、金曜日でしたか、こちらに出席を求めたにもかかわらず出られぬと言っておって、そうして大蔵大臣は決算委員会に出ておられるじゃないですか、あるいは総理も出ておられるじゃないですか。こういうことを言うたことはよもやお忘れにはなっておられますまい。総理、どうですか、全然連絡がなかったのですか。
  244. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 金曜日に、私は土曜日に委員会なりその他国会関係があるならば国会に出るが、国会の関係でもって要求がなければ自分は休暇をとりたいということを言ったのでありますが、全然私に対する土曜日に出てこいという委員会の方からの要求はございませんでした。私は国会関係がないとして当日休暇をとったわけであります。
  245. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 私は土曜日に質問する前に委員長に御要望しておきました。憲法六十三条によれば、総理大臣及び国務大臣は国会の質問に対して出席しなければならないことになっていることは御承知の通りです。従って委員長にこのことを御要望申し上げたわけです。それで委員長は、そういうことのないように取り計らうというお話でした。それで大蔵大臣に対しましては、予算編成中で、私もその御苦労はわかります。ですから、そういう無理なことをわれわれ言うわけじゃないのです。しかし、ゴルフに行くゴルフに行かれて開会に出席されないということは、ことにベトナムのこの賠償の問題は最終段階に入っていますし、重要なる段階へきているわけなんでありますから、そういう際にゴルフに行かれて御出席できないということは、これは不謹慎きわまるものじゃないかと思う。いかがでございますか、総理大臣。(「その通り」と呼ぶ者あり)
  246. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 今申し上げました通り、私はそういうなにがあるならば国会へ出るという意味におきまして、国会の関係の方面と連絡をさせまして、私に対する出席の要求がない、国会関係がないということを確かめた上で、私は先ほど申し上げました通り休暇をとったのであります。(「自民党の理事はどうしていた」と呼ぶ者あり)
  247. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 委員長も今の木村君の質問にあったように、憲法六十三条まで引き合いに出して総理、大蔵大臣が出られるかということを論議したんですから覚えておられると思う。それを全然、とにかく与党なりあるいは委員部の方から連絡をしなかった、そんな暴言がありますか。
  248. 井上清一

    ○井上清一君 総理に対する出席要求は大体、委員会前日に要求をすることに相なっておりますので、あの土曜日の日は木村委員の要望がございましたけれども、これは間に合わぬ次第でございます。遺憾ながら連絡が不十分であったわけであります。
  249. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 あの木村さんのとにかく質問の際には、特別円の決済協定については当時の岸外務大臣が調印をされている。それから大蔵大臣も、これは関係のある責任のあることだから出席をしてもらいたいということを初めから言うてある。そうしてこれは木曜日ですか、最初のときには要求をしたけれども、決算委員会へ出なければならぬといって断わり、しかもその決算委員会には総理も大蔵大臣も出ておられぬ、その次に土曜日のときには、これは当然要求はしてあったから、そこで土曜日だけれども、ゴルフに行っていないでしょうねと言ってあなたに要求したし、委員長にも要求した、そのときに、あなた何と言われた、要求をしたけれども、差しつかえがあってこられぬ、ゴルフに行ってとにかく出席できないというようなことを言わなかった、要求はしたと言われたじゃないですか、要求をしないという話はどこにもなかった、そのとき土曜日の直前になって要求したから取次ができなかった、そういう事態じゃなかったじゃないですか、初めから要求はしたんです。そのことはあなた了承をしているからこそ、そのときに、今ほかの理屈を言って弁明をした。六十三条まで引っぱり出したときにあなた何と言ったか、はっきりしているでしょう、事態は。
  250. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 何かこういうこの問題で討論みたいになりますけれども、(「大事なことだ」と呼ぶ者あり)最初に理事会でお話がございましたのは、木村さんの質問は木曜日であったかと思います。この際に総理及び大蔵大臣の出席の要求はあったことは事実でございます。しかし、その際われわれ理事として申し上げましたのは、この外務委員会に総理の出席をしばしば要求を受けまして、相当衆議院よりも数度にわたって多く出席されました。年末でございますし、(「そんなことは言いわけになりません」「総理の出席は要求したでしょう」と呼ぶ者あり)まあ聞いて下さい。総理については、外務委員会にもう一回必ず出ていただくように話しますが、社会党の質疑をされる方におきましても、総理が出られた場合にこれを取りまとめていただきたいということを要求しておりました。木曜日におきます木村さんの場合におきましても、私どもとしては了承を得て、もし総理及び大蔵大臣が来られなくて質疑ができない場合は、その質疑については取りまとめて、出席をされた場合に聞かれるようにいたしますということを申し上げました。そうして木村さんは実はこれは十分━━その質疑の続行が木村さん御自身のおかげんの関係で中止になりまして、そのあとの続行が実は土曜日の午後行なわれたわけでございます。その際、たとえば今申されましたように、吉田君は非常に何かこう強く要望されたようでございますけれども、ただ冗談にそういう問題出ましたけれども、(「冗談じゃないですよ」と呼ぶ者あり)われわれといたしましては、最後に総理に、必ず取りまとめてお願いをいたしますから、そのときに一つ木村さんの残った質問は聞いていただきたいということで、総理にお話しいたしまして、そして総理を本日お願いしたわけでございます。そういうわけでございますので、土曜日には強く総理に御出席方をわれわれ要求いたしておりません。これはその点につきましては、もし手落ちがあるとしますれば、われわれ理事の方の手落ちでございまして、総理の責任ではないのでございますから、われわれが土曜日の午後に木村さんの質疑が、ずっと話をして総理なしに順調に質疑が行なわれたのでございまして、それだけでも、皆さん方の方で強く総理を要求していなかったと思われるのであります。この点につきましては、総理の責任ではございませんので、もし手落ちがあるとしますればわれわれの責任でございます。
  251. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) いろいろわれわれ手落ちがあったかもしれませんが、今のお話のようでございますから、さらに進めていただきます。
  252. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 私は、この前わざわざ委員長に対して憲法六十三条を持ち出したわけです。それで大蔵大臣のようにほんとうに予算編成でお忙しい、そういうところを無理をしてまでも出て来い、そんなむちゃなことを言っているわけじゃありません。しかし、ゴルフに行かれる余裕があるのでしたら、それは国会に出られるのが当然でありましょう。それは御連絡がなかったと言えば総理の責任ではないかもしれません。しかし、もし連絡がないとしたならば、国会議員みずから国会を軽視するわけでしょう。政府の都合によって国会審議をするのでありますか。憲法四十一条で、国会は、国権の最高機関でありませんか。みずから、国会議員がみずからの権限を弱める、これは国民に対して相済まないことじゃないですか。そういう意味で、私は筋を通す意味において申し上げているのであります。ゴルフそのものを決して何も私は否定しておりません。総理もお忙しいのですから、やはりそういう運動をされて体力をリザーブすることは必要です。私もそれほど了解がいかない人間じゃないのです。ただ、私もからだを悪くして、土曜日無理にやったから、それで委員長に申し上げたわけなんです。ところが新聞を見ましたら、総理は土曜日ゴルフに行かれている。そういうので、私はこれは筋が通らぬ。連絡がなかったとすれば、総理にその責任がなければ、自民党の方の理事あるいは委員長などの御責任だと思います。これはただそのままあいまいにしてはいけない問題だと思う。やはり筋は筋として通さなければならないと思う。折り目は正しくなければだめだと思う。
  253. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は、土曜日の木村委員の御要求に対しまして、次回は必ず内閣総理大臣並びに大蔵大臣の出席を求めますと御回答申し上げましたので、本日御出席を願った次第であります。どうぞ……。
  254. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 土曜日は要求しなかったのか。そんな話はないよ。
  255. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 委員長はこういう事態に対して何ら御反省がないのですか。こういう事態はいいと思っておられますか。今後こういうことはやるべきじゃないと思う。前に吉田総理のときにもこういう問題がありましたが、こういうことは不謹慎ですよ。ただ連絡がなかったからというだけじゃない。こういう重要な問題を審議されるときに、しかも迫ってきているわけでしょう。これは大蔵大臣の場合のときと違いますよ、このケースは。ですからここでやはり自粛をするとか、何かそういう形をとりませんと、このままで、それじゃ、こういう事態が許されるというようなことになってはいけないと思う。そういう意味でここで一つ何かの形ではっきりけじめをつけて、それから質問に入りたいと思います。
  256. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は、申し上げたように、木村委員の御要求が土曜日の御質問のときにありましたから、さよう取りはからいました、委員長に対しては……。
  257. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 さよう取りはからいましたと言って、この次に来ればよろしいのだということは言われなかったでしょう。
  258. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 次回にお取り次ぎを申し上げますと申し上げた。
  259. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 そうじゃないですよ。出席の要求に対して連絡はしたけれども、所用があって出られぬ云々というお話でしたが、それでは総理に何の連絡もしていないのですか。
  260. 井上清一

    ○井上清一君 総理の出席の問題につきましては、先ほど劔木理事からもお話を申し上げた通りであります。土曜日になるほど木村委員から御要望がございましたけれども、これは前日に要求することに相なっております。木村委員の御要求につきましては、月曜日に取りまとめて一つ御質問を願いたい、総理大臣及び大蔵大臣の御出席を要求するということをそのときに申し上げました次第であります。
  261. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 そんな話はないよ。
  262. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 議事進行につきまして。委員長どうですか、自民党の理事の方がやはり連絡が不十分であったこと、それからこういう事態がいいとはお認めになっていないと思います。そこでやはり今後はそういうようなことがないようにとか何とかそういうあれをされませんと、ただ弁明をされるということたけでは私は済まないと思う、お互いに自粛しなければいかぬと思う。
  263. 井上清一

    ○井上清一君 ただいまお話がございましたが、今後は一つ十分連絡をとります。しかし、何分総理はいろいろ他の用件がございますので、そういつも皆さまの御期待に応ずるわけにはいかないかもしれませんが、できるだけの努力をいたします。
  264. 小林孝平

    ○小林孝平君 なんで期待に沿えないのか、それがおかしいのだ。今の井上理事の言われたようなことが、今回のような問題が起こる原因なんです。理事会においてしばしばわれわれが総理の出席を要求した際に、総理はそんなにたびたび委員会に出すわけにはいかない、こういうことを言っている。  そこで私は、総理大臣にお尋ねしたいのでありますが、あなたは委員会もしくは本会議で出席の要求があっても、総理大臣はそうたびたび出席するものでないとお考えなのかどうか。自民党の理事はそういうことを理由にしてあなたに連絡をしないと思うのです。あなたの御所見をお尋ねいたします。
  265. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 国会から正式に私に出席しろというお話がありました場合においては、私は他の用務もなるべく、やむを得ざるどうしてもこれを、すでに外交用務その他において変えることのできない場合のほかは、私は今日までも努めて出ております、また今後も出る考えでございます。
  266. 小林孝平

    ○小林孝平君 私は総理はそういう態度でなければならないと考えますから、理事会においてしばしばこれを申し上げたのです。総理に連絡すれば必ず出て来る。それで仕事はないのだから、この外務委員会以外はないのだから総理は出るはずだから連絡しなさいと言うのに総理はそんなにたびたび委員会に出すわけにはいかない、こういうことを言って拒否されるのです。それでそういう考え方は改めない限り、今後こういうことはしばしば起こるわけです。私は井上理事が、あるいは剱木理事が言われておる、そういうことが国会の審議の根本的の問題にかかわる問題だと思うのです。そういう態度なら、われわれは今後両理事と話をするわけにいかないから、さっそく理事をやめたらどうです。ほんとうに冗談じゃありませんよ。総理も出ると言っているじゃありませんか。それなら明日も出たらどうです。
  267. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 理事が悪いと言いますけれども、きょうは要求によりまして総理も大蔵大臣も来られておりますから、どうか一つ議事をお進めいただきまして……。(「過去の問題について謝罪しなさい」と呼ぶ者あり)過去の問題について、この委員会において謝罪とかそういうことは理事会において十分お話し合いの上で適当なる処置をしたいと思います。どうぞ一つ
  268. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 土曜日とにかく木村委員が出席を求めて、他の理由でもって断わられた。それがうそだったということなんだが、六十三条まで持ち出されたときにあなた方何と言った。委員会で要求をしてそして断わられた理由と違っておるということがはっきりしたのですから、これは理事として正式に委員会にとにかく謝罪を求める。これは委員長なりあるいは委員長から言うと与党の理事だけでなくて、委員部を通じても正式に言っておる。それで言っておらぬということならば、これは与党を代表して委員長や理事から謝罪がなければ先に進めませんよ。
  269. 井上清一

    ○井上清一君 総理出席の問題につきまして、われわれ理事の間で手違いがありましたことはまことに遺憾に存じます。
  270. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それではベトナム賠償特別円の決済との問題につきまして、総理大臣、大蔵大臣、外務大臣に御質問申し上げたいと思います。これまで外務大臣中心に御質問して参りました。また、大蔵省関係では事務当局の方からこまかい事務的なことについて御質問して参りました。従いまして、そういうこれまでの質問を通じて、まあ非常にはっきりして参りました点につきまして、総理、大蔵大臣、外務大臣につきまして責任のある御答弁を承りたいわけであります。質問の中心は、三十二年三月二十七日にフランスとの間に特別円の決済を行ないました。当時、現在の岸総理は外務大臣としまして調印をされておられます。  この日仏特別円決済の問題は、これまで衆参両院を通じて質疑されてきました内容をずっと検討してきますと、第一に、フランスに対して不当に支払った疑いがあるということがわれわれの立場から明らかになってきた。  それから第二には、日本の銀行に対しまして、正金銀行あるいは東京銀行に対しまして、これは政府に貸し上げ金をやっておりましたから、ピアストルとの預け合い勘定との関係で、現在銀行に対して不当な支払いを行なっておるという疑い。  第三は、この特別円決済とベトナム賠償との二重払いの疑いであります。  この点につきまして、これまで衆参両院で行ないました質疑をずっと調べてみたのでありますが、大へん食い違いもあり、不明確な点もあり、また、憲法あるいは財政法違反の疑いもあり、国民に対して非常な疑惑を抱かせておるわけです。このままでこのベトナム賠償の問題をわれわれとしては承認することができないわけです。ですから承認するしないは別としましても、事の真相をやはり明らかにしていただきたい。そういう意味で特に総理大臣、大蔵大臣御出席を求めて御質問申し上げるわけです。  まず第一に、総理大臣にお伺いいたしたいのですが、これは昭和三十三年二月八日です。二月八日の衆議院の予算委員会におきまして、社会党の成田委員の質問に対しまして、特別円決済に対して愛知官房長官が答弁されておるのであります。当事岸総理も御記憶と思いますが、成田委員のこの質問に対しまして、答弁が非常に不十分であって、不明確であるというので、わざわざ政府のこの統一見解を調整しなければならぬというので、閣議を開かれたか、あるいは閣議という形をおとりにならなかったかもしれませんが、政府が統一見解をまとめまして、愛知官房長官を通じて、三十二年二月八日、衆議院予算委員会においてこの日仏特別円の決済についての答弁があったわけです。  その答弁の内容を要約いたしますと、要するに、愛知官房長官の御答弁は、フランス日本政府との間に生じました戦争以前の債務及び戦争中の債務を含めて、終戦当時の残高、残高ですね、これが約十三億であります。それを基礎にしまして、それは円勘定でございますが、十三億、それから四十八万ドルというこれはドル勘定の残高がありましたが、これを合計しまして、そうして十六億七千万円支持ったのである。で円勘定では十五億円、ドル断定では四十八万ドルを円換算しまして一億七千万円、合計十六億七千万払った、こういう御答弁。それでこういう愛知官房長官が政府の見解を統一されまして、御答弁されたわけでして、岸総理もこれはお立ち会いになったと思いますが、こういう立場日仏間の円決済を行なわれたかどうか。愛知答弁に対する総理の御見解を承りたいと思います。
  271. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 日仏間の特別円のこの決済の昭和三十三年三月、日仏間において締結しました議定書によって決済をいたしましたことは、今木村委員が御質問になりましたように、この戦時、戦争前及び引き続いて戦争中、この債務関係が存続しておって、そうして結末としては今おあげになりましたような十三億円の円勘定が残り、ドル勘定で四十八万ドルの金が残りました。これは十三億円を十五億円として、また、ドル勘定ドル勘定の四十八万ドルというものを一含めて決済をして、一切これによって日仏間に戦前及び戦時中、あらゆる面を通じて債務が残らない、一切を決済するという意味においてこの協定を結んで始末したわけであります。
  272. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そうしますと、いわゆる愛知官房長官の報告はその通り再確認されたわけですね。当時の政府の統一見解、それは依然として現在でも変わりはないということでございますね。
  273. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 愛知官房長官が国会において答弁した通りに私ども考えております。
  274. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 ところが、藤山外務大臣は実は土曜日の委員会におきまして、愛知官房長官のその御答弁を修正されたのであります。それで藤山外務大臣は、これはことしの十一月五日及びことしの十一月二十五日の衆議院外務委員会におきまして、床次委員の御質問に対しまして、この日仏間の特別円決済の基礎としまして、昭和十九年八月二十五日以前、いわゆる戦前債務を整理したのである、それで八月二十五日現在の円の残高は五億七千万円である。その五億七千万円に対して金約款の問題がある。で、フランス側から金約款を持ち出しているので、そこで、金約款を考慮すると、一〇・〇三倍を掛けると五十数億円になる。そこで、こんなにたくさん払ったら大へんだというので、フランス側と折衝した結果、十五億円に落ちついたのだ、これは円勘定だけの問題。そうしますと、藤山外務大は、戦争前の債務を払ったのであって、戦争中の債務は考慮されてないという御答弁です。戦前、八月二十五日現在の残高をもとにして、金約款を考慮して十五億にした、それから条約局長からもお話がございまして、これは総理もよく御承知と思いますが、戦争中の債務につきましては、平和条約の第七条、あるいは十四条(b)項、あるいは十八条等を考慮しますと、これは無効になるべきである。戦前債務のみについての支払いであるということになるわけです、法律上、条約上見ますとですね。そこで、愛知官房長官の御答弁と食い違ってくるわけです。愛知官房長官は終戦時の残額約十三億、これに考慮して十五億円とした。ですから、終戦時までの債務を払ったということになるのです。また土曜日に政府委員の御答弁を聞きましたが、結局、終戦時の債務をもとにして十五億というものを計算されておるのであります。そうしますと、ここにこういう問題が生じてくるわけです。愛知官房長官の御答弁を岸総理は今再確認されたわけですが、そうしますと、戦争中の債務を払うということは、これは平和条約七条、十四(b)項、十八条からいっても、不当なものを払ったということになるわけです。それでよろしいかどうか、その点をお伺いしたい。
  275. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) われわれはフランス交渉するに当たりまして、日本立場としては日仏間の戦争状態は八月二十五日に始まった、しかして、それ以後は戦争状態であるから、今、木村委員のお話のように、これは一切無効になるという考え方をわれわれは法律的立場としてとってきた、交渉に当たってきたわけであります。ところが、フランスの方としては、戦争開始昭和十六年十二月八日であって、そしてこれは平和条約の規定が適用ないので、これに対する支払いを求めるという法律的立場をとっておったわけであります。そうしてその法律的立場につきましては、両方の見解がついに最後まで一致しなかった。そこで、とにかくこの問題を全体としてすべて解決して、あとにおいても、一切の特別円勘定においてはフランス側も一切請求しない。すべての問題を両国間においてこれできめるという最後の決定として十五億円と四十八万ドル、こういう結論を出したわけでありまして、その根拠として法律的に今お話のように、戦時中のものをどうするとか、戦前のものはどうするとかいうように、最後に決定をするときには全体の包括として、全体としてこれを一切を解決する方法として、こういうものでもって両国が合意してきめた、こういういきさつになっております。
  276. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それは一応フランスとの間についても問題ございますが、この問題は国内の決済の問題とも関連があるのでありまして、そう軽々にこのいずれでもいいというふうにはなかなかいかないのであります。そこで、今、総理の御答弁ですと、愛知官房長官の答弁を認められたわけですから、フランスの方の主張に譲歩したと、結論としてはそういうことになるわけなんです、終戦時の十三億幾らというのは……。そうして実際計算してみますると、土曜日に大蔵事務当局から伺いましたが、結局十五億というものを出して、今度逆算しまして十五億と十三億との差額を利子として計算しているのです。差額をそういう結論づけをしているのです。ですから、やはりあくまでも十三億という終戦時の残高が基礎になって払われていることは明白なんです。そうすると、日本側主張は全然そこへ通ってないのです。それでもう平和条約からいきましても明らかでございましょう。七条からいっても、十四条(b)項からいっても、十八条からいっても、戦争中の債務はこれは払う必要はないわけですよ。なぜこの主張ができなかったのですか。条約上も払わなくていいものを、外務大臣の説によると、十九年八月二十五日以前の債務というものは五億七千万円、それでよかったのです。その点、総理大臣、どういうふうにお考えになりますか。
  277. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 開戦日におけるところの残高が五億数千万円である、これに対しては当然換算率の一〇幾らを掛けてみますと五十数億になるわけであります。しかしながらそれだけ払うことはわれわれとしては適当でないということで、十三億を基礎にして云々というお話でありますが、もちろん一つの参考にはなったであろうと思います。十五億ということのなには。しかし、これを基礎としてしたわけではないのでありまして、特別円勘定の問題を一切解決するに十五億円、そしてわれわれとしては当然われわれの法律的立場から申しましても五億数千万円、やはりそれに対して一〇・幾らの換算率を掛けるならば、五十数億円になるわけでありますから、それを十五億円と四十八万ドルとで解決するということは、日本にとっても有利だという見解のもとに妥結したわけでございます。
  278. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そうじゃないのです。それは金約款の問題についてはまたあとで……。金約款は否定すべきもので、これは適用すべきものじゃないということは、土曜日の質問からも明らかになってきておるわけです。条約上は。そこで、外務大臣に伺いたい。外務大臣は土曜日の私の質問に対しまして、愛知官房長官の御答弁、すなわち、ただいま総理大臣が再確認された御答弁を修正されているのです。そこで食い違いがやはりあるわけです。外務大臣はあくまでも八月二十五日、つまり戦前債務を払ったのだと、そういうことをはっきり言われまして、必要があれば愛知答弁を修正して差しつかえないという御答弁があったわけです。その点、外務大臣、食い違っているわけですが、どういうわけですか。
  279. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 土曜日に私が御答弁申し上げたのは、日仏開戦日の四四年八月二十五日を基準にして戦前債務を完遂したのは、日本側考え方であって、それは変わっておらない。ただ昨年の二月に愛知官房長官から答弁されたのは、問題は、要するに日仏基本協定に基礎を置きますフランス側のいろいろな債務関係がこういうふうに続いてきた、そうして終わりはこういう金額になっている、それらのものについて一括してこういう解決をしたのだ、こういう意味答弁をされておるのでありまして、特に食い違っておるとは私思っておりません。しかし、何かそこに誤解があれば、それは若干修正してもいいということを申し上げたわけでございまして、特に違っているとは思っておりません。
  280. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 議事進行。関連ですか、土曜日の日に念を押して、印刷物までごらんに入れて藤山さんにも、関係者に全部見せて、そして愛知答弁━━政府の統一的見解としての愛知答弁はこうです。それに藤山外務大臣は違った答弁をしておられますが、間違いはございませんかと言うたところが、間違いがないと言われた。あと、これは非公式の発言ですけれども、大蔵省は、大蔵省の理財局長等は、愛知答弁が正しいのです、こう言われた。言われておったけれども、そのとき念を押したところが、政府としては外務大臣から藤山答弁で訂正をいたします、はっきり念を押された。そうして、きょうになって岸総理が愛知答弁が正しいのだ、こういうことを言われると、これは政府の正式見解が、土曜日ときょうとはっきり違うということになる。こんなに根本的に食い違っては、これは審議を進めて参るわけに参りません。これはすみやかに政府において統一見解をもう一ぺん再調整し、あるいは統一して出てもらう以外にございません。はっきりこれは食い違っておる。土曜日に何べんも念を押したのです。これは速記録あるいは書類等を見て、藤山外務大臣、聞かれたらわかりますけれども、はっきり土曜日の発言と、今の首相の答弁と違います。これは休憩をして統一してもらう以外にございません。
  281. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 統一した見解を伺いませんと、あとの国内の処理の問題について、重大な相違が出て参りますから、今、吉田委員の言われますように、はっきり統一した御見解を一つ取りまとめてお願いいたします。
  282. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私は、今、総理が言われたのも、私のと同じような意味で愛知答弁について申されたと思うのであります。昭和十六年に締結されました日仏間の基本的な諸種の協定、それがこういうふうに解決したのだという趣旨を言われたので、日仏間の協定というのは、戦後こういう計算になっていたという意味で愛知長官答弁された。今回われわれがとりました見解というものは、当時からあった見解でありまして、むろん、われわれとしてこの態度をもって、日仏間の協定を解決いたしますときのその態度でもって終始してきたわけでありまして、日本の見解としては変わっておらぬのであります。でありますから、特にただいまの総理の答弁が、私の申し上げたことと違っておるという、愛知答弁と私とが違っておるという意味において言われたとは私考えておりません。
  283. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 これは少ししつこいくらいに念を押して、そうして愛知答弁をここで修正をいたします、はっきり土曜日に藤山外務大臣は言われた。そのときに私は、これは戦前債務といいますか、戦時中の特別円も含んで考慮に入っておるけれども、しかし、結論は十五億くらいになったのだとこういうことを言われるならば別問題だけれども、八月二十五日以降の分を含んでおりませんと、はっきり答弁をした。念を押した質問に対して答えておられるのだから、今の岸総理の答弁とははっきり違います。これはみんながよくお認めいただけるだろうと思う。速記録もできているだろうと思うのですが、これは確められればはっきりすることです。明らかに愛知答弁を支持された岸総理の発言と、それから愛知答弁を修正された藤山外務大臣の今までの答弁外務省の今までの態度というものは、はっきり食い違っている。これはどういう工合に調整せられるか知らぬけれども、閣議を開いてなり、あるいは関係大臣と相談して統一せられる以外に審議できません。休憩して下さい。
  284. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 先ほど来お答え申し上げておりますように、愛知官房長官が答弁をいたしましたのは、当時、先ほど木村委員からも御指摘ありましたように、この問題に関しての関係閣僚と話をし、そうして政府の統一見解として発表したものでありまして、私は、これは違っておらないと、外務大臣答弁を申し上げたときの、土曜には、私、まだおりませんで、なお速記録も読んでおりませんが、今、外務大臣答弁を聞いておりますというと、問題の扱い方が、角度が違っておるだけであって、内容そのものの意見においては私は食い違ってない。それは先ほど来私が申し上げたように、日仏間の交渉をしていく立場法律的立場としては、戦前債務はちょうど一九四四年八月二十五日までの債務を認めて、それ以後のなには一切無効だという法律的立場をとって話をしてきたと思うのです。しかし、それはフランス側考え方の立場が違っておるので、フランス側昭和十六年十二月八日に開戦があり、そうして戦時中のものについては、平和条約のこれは適用がないので全部有効なんである、効力があるという立場をとってこの問題の折衝に当たったわけであります。そうしてこの問題全体を解決するために、一九五七年三月に、日仏間の協定によって一切のものをこれで解決する、その最後の数字が十五億円と四十八万ドルであり、そうして将来この問題について、フランス側は一切の請求をしない、全部をこれで解決するということでありまして、フランス側のこの法律的立場と、日本の法律的考え方の立場というものは最後まで実は一致しておらない。しかしながら、本件を、このなにを、これだけの金額をもって解決するということについては、一切の問題をこれで解決するという結論においては両者が一致して、そうしてこの問題を処理した、これが実情であり、従って、それを角度の違うところから議論をしておるだけであって、その結論においてそのことは少しも私は、愛知答弁と藤山外務大臣との間に食い違いがあるとは実は考えておりません。
  285. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それは総理大臣、角度の違いではないのであります。それはこの特別円は、御承知でございましょうが、日仏間の債務関係であってインドシナ銀行と、正金銀行との間の預け合い勘定になっているのであります。従って、この預け合い勘定を整理する場合に、その債務昭和十九年八月二十五日現在の残高で整理した場合と、終戦時をもって整理した場合と整理の仕方が違うのであります。政府立場外務大臣は、八月二十五日というふうに愛知答弁を修正されましたが、しかし、実際には愛知氏が答弁したような支払いの仕方になっているのです。終戦時を基礎にして計算されておるのです、十五億ドルというものは。それは事務当局から土曜日に詳細聞いたのであります。終戦時の十三億幾らと十五億の差を金利として見込んでおるのであります。つまり、十三億という、終戦時が基礎になって十五億というものが出てきた、これは詳細にちゃんと数字がぴったりしておる。そうしますと、預け合い勘定を整理するときに、終戦時の残高をもってフランスとの決済をしたか、八月二十五日の残高をもとにして決済をしたかによって、正金銀行とインドシナ銀行との預け合いの決済が違ってくるわけです。重大な相違が出るわけです。そこでこの時期を、残高時期をいつにするかということが重大な問題です。ただ角度の違いではございません。
  286. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 議事進行。
  287. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ちょっと理財局長の答弁……。
  288. 西原直廉

    政府委員(西原直廉君) ちょっと今の、私たちと少し違ったような解釈のようでございますから申し上げておきたいと思います……。
  289. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 議事進行を先に、土曜日には、今、木村さんが言われるような、終戦時の帳簿に基づいて、その数字を基礎にしてやられたのではないか、こういう質問等もあったけれども政府としては、八月二十五日以降は戦時中債務で、それは法律的立場を貫いている、こういう話がはっきりあった。問題は、税金あるいは国民が負担しなければならぬ問題だから、そこではっきりして下さいと言ったら、この戦時中の債務というものをわれわれは認めなかった、法律的な立場を貫いた、こういうことでわれわれに説明しておられる、愛知官房長官の統一的見解を修正されますかと言ったら、はっきり修正いたします。そういう話についてどういうそれでは閣議の申し合わせがございましたかという話もしたところが、閣議は開いておりませんけれども政府関係大臣のとにかく話し合いで了承を得て、そういう修正をいたしました。こういうことがはっきり外務大臣から言われておる。あとは速記録を取り寄せて論議をする以外にございませんが、念に念を押して、愛知官房長官声明を、談話を修正すると言われたのだから、さっきの岸総理の答弁は、明らかに土曜日に政府を代表した、あなたはゴルフに行っておられて留守でしたけれども、藤山外務大臣政府の正式態度として説明されだのですから、はっきり食い違っておる。速記録を取り寄せてそこを確かめるよりございません。これは幾らあなた上手にそつのなさを発揮されようといったって、そうは参りません。速記録を取り寄せて審議を再開する以外にありません。速記録を取り寄せるために一つ休憩をして下さい。
  290. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 問題は、十五億円、四十八万ドルという数字でもって一切の特別円勘定の問題を日仏の間に解決する、この場合において、法律的立場については、日仏の間に食い違いがあったのであります。そうして、あくまでもこれはわれわれ交渉になにいたしまして、法律的立場として、日本法律的立場を堅持しながら、これを日本としてはあくまでもとった。そうしてこの十五億円、四十八万ドルというものは、日本にとってわれわれは決して不利な額ではない、こういう見地に立ってこの問題の一切を解決する、一切を解決したので、決して八月二十五日以降のものについては、支払いがまだ残っておるとかなんとかいうことの一切ないように、この問題に関してはフランス側も一切今後要求しないということを明らかにして解決した。従って、内部の法律的立場、われわれのあくまでも基礎としての考え方はどうかということについての質問をされますと、外務大臣がお答えしたようなお答えになると思う。そうしてこの問題を、全体をすべてこの金額でもって解決する、そうして一切残らないのだという説明に重点を置いて説明すれば、愛知官房長官の答弁のように私はなると思う。決してその間に矛盾がないというのが政府の見解であります。
  291. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 速記録を見る以外にありませんけれども、それは法律的立場フランスに対しても、あるいは国民に対する説明としても、それは政府ははっきり貫きまして、そういう限りにおいて、愛知官房長官の統一的見解を修正をいたします、修正をいたしますということをはっきり言われた。今のように、法律的立場フランス側あるいは日本側双方違いがあろうとも、とにかく十五億、四十八万ドルで片づいたというわけではないのですよ。そういう答弁はされなかった。それだけに、明らかに、とにかく先ほどの愛知官房長官の説明を踏襲された岸内閣総理大臣答弁と、土曜日のとにかく速記録に残っております政府の、これは政府部内で打ち合わせた修正答弁というものははっきり食い違っている。速記録を取り寄せて審議する以外にない。休憩をして速記録を取り寄せて下さい。
  292. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 議事進行。私はどうしても今、吉田委員の言われるように、速記録を見て明らかにしていただきませんと、最初私は愛知答弁をもとにして審議を進めようと思ったのです。愛知答弁をもとにして審議を進めると、国内との、いわゆる正金とインドシナ銀行との決済の問題が理解できるのです。理解できますが、問題もありますけれども、一応理解できるのであります。ところが、修正された外務大臣の八月二十五日現在の残高五億七千万円を基礎にして決済したということになりますと、今度は預け合い勘定の決済の上において重大な問題が起こってくるわけであります。ですから、はっきりいずれか、いずれであるかをはっきり、これは速記録を調べまして、修正されたならまた再修正されるなり、あくまでも官房長官の答弁が正しいのかどうか。ですから、私はもう二重の手数をわずらわされているわけです。最初官房長官の答弁で行けるように思ったところが、修正されましたから、そうして外務大臣の御答弁を基礎にしてずっと質問を展開しておったところが、岸総理が愛知官房長官の答弁を再確認せられたわけです。そこで、非常な食い違いが出てくるのでありまして、これはあとで速記録を見てはっきりさしていただけば、正金とインドシナ銀行との決済の問題について非常な相違が出てくるのでありますから、単なる角度の違いではございません。どっちにするかによって、預け合い勘定の決済が違ってくるのです。
  293. 森元治郎

    ○森元治郎君 私は割に穏やかな方なんです。その穏やかな私が、これはもうほんとうに幾ら読んでもわからない、答弁が難解で。やっとわかりかけたら、きのうからそういう愛知さんと藤山さんの話が違うので、質問の立て方を変えなくちゃならぬと思って、ゆうべ向こうはち巻でやって、新たな質問を立ててきたのです、きょうやろうと思って。これはそういうふうに了解していたという証拠であります。私はあまりベテランではないのですけれども、私でさえそう感じたのだから。
  294. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 議事進行。ただいまいろいろ質疑が続行中でございますが、社会党の方からも休憩動議が出ておりますが、ただいま衆議院の本会議に議長不信任案が上程されて、総理及び外務大臣も議場に行かれる必要があると思います。しばらくの間、社会党さんの御希望もあるようでございますから、休憩していただきたいと思います。
  295. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  296. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記を起こして。  それでは暫時休憩いたします。    午後四時五十一分休憩    —————・—————    午後七時五十七分開会
  297. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 休憩前に引き続き委員会を再開いたします。  岸内閣総理大臣から、木村委員及び吉田委員の質疑に関し、政府の統一的見解について発議を求められておりますので、これを許可いたします。
  298. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 委員長、その前にちょっと議事進行について。内閣総理大臣と、それから藤山外相との答弁は明らかに食い違いがある。速記録を取り寄せて、そして審議を続けたい。こういう申し入れをいたしましたところが、休憩中に委員長なりあるいは与党の理事諸君は、自分たちだけ速記録を見て、そうして委員会を開く、それからきょうになっても、土曜日の総理の出席を求めたにかかわらず、それは総理のところまでいっていなかった、こういうことで陳謝をされたにかかわらず、委員会を一方的に運営して、多くの質疑が残っているにかかわらず、きのう来の新聞を見てみますと、質疑をもうきょうで打ち切るような、こういう動きがあるように、これは私どもはっきり感知をするわけであります。総理は、会期を延ばしておいて、十分とにかく審議を尽くしてもらいたいということなのかどうか、それとも、疑問は残り、あるいは見解の相違はあっても、閣内における意見の不統一はあっても、あくまでとにかく与党の数を頼んで質疑を打ち切ろう、こういう態度で臨まれるのか、これは委員長についても、一方的に委員会は運営をしていかぬ、こういう話があったにもかかわらず、きょうの態度は何です。休憩中の運営についてもそうですが、あるいは引き続いてのきょうのこの委員会の運営についても、私は非常な、とにかく一方的な運営の方法を感ずるのですが、委員長の明確な答弁を求めます。
  299. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は努めて慎重な御審議を希望いたしております。
  300. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 仏印特別円の問題につきましては……、(吉田法晴君「いやいや答弁、統一見解の前にあなたの所信を聞いている」と述ぶ)委員会の運営につきましては、委員長並びにそれぞれの委員会における運営に私は信頼をいたしております。政府としてこれを、どうするという考えは持っておりません。
  301. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 それでは、委員長は一方的に議事を運営していく、あるいは多くの問題が残っておる、あるいは質疑が残っているのに、一方的に自分たちの計画に従って議事打ち切りその他をやっていくというつもりはないと、こういうことですか。
  302. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 仏印特別円の問題につきましては、先ほどお答えを申しました通り、(吉田法晴君「答弁答弁、はっきりしなさい」と述ぶ)終戦時において残っておりました四十八万ドル及び十三億円の特別円を一切処理するという方針で日仏間で協議したのであります。ところでこの仏印特別円に対して、日仏間のこの開戦が及ぼす影響につきましては、日本側の見解とフランス側の見解は必ずしも一致しておったわけではなかったのであります。終局的に四十八万ドル及び十五億円とを支払う、日本フランスに支払うということによって、この債権債務関係について一切これで処理をつけろということに両国の間に合意を見たのであります。昨年の愛知官房長官の発言は、この趣旨を述べたものでありますし、一昨日の藤山外相の発言は、この交渉にあたっての日本側の法律的見解を述べたものでありまして、両者は発言の角度が異なるだけ、で、その趣旨においては食い違いはないものと信じております。これまでの政府の見解は、この私の発言によって御了承をいただきたいと思います。
  303. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 先ほど議事進行で総理の所信は聞いた。まあ委員会の運営にまかせるということですが、委員長は、先ほど来この休憩前の委員会で、委員会の運営について、あるいは大臣の出席等について手落ちがあったと言うてまあ陳謝された。その直後この委員会で十分審議が尽くされないうちに打ち切り云々という話がありますが、その点についてはどうですかと、一方的なとにかく進行は進めませんと、こういう従来の態度、あるいは委員長が、会期延長について外務委員会は大幅な会期延長を必要とする、こういう委員長の言明からするならば、昨日来の動きというものは、これは委員長の言明とは違う。そこで、はっきりとにかく委員長からこの委員会で質疑が尽きないのに打ち切り云々ということをしないかどうか、こういう点をはっきり聞いておるわけです。
  304. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は、先ほど申し上げた通り、審議は十分慎重に御審議を願うことを希望しております。
  305. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 運営について具体的に聞いているんです。(「具体的に言わなければだめだ」と呼ぶ者あり)委員長、はっきりして下さい。(「委員長、聞いているんですよ、具体的に」と呼ぶ者あり)
  306. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 今申し上げた通りです。(吉田法晴君「一方的にやるんですか、やらないんですか」と述ぶ)
  307. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 私は、委員長委員の意見によって動くので、委員長自身の意思で動いておるとは従来も思っておりませんですし、将来もそういうことはないと思っております。
  308. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 さっきとにかく断わりを言い、謝罪をした、すぐ直後、そういう一方的な動きがあるんです。具体的に新聞等にも出ていることなんだから、はっきりして下さい。はっきりしなければ……。
  309. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は先ほど申し上げた通りであります。
  310. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 具体的に言わなきゃ……。具体的に質問しているんだから、具体的にはっきりしてもらわなければ質疑に入れません。(「そんな答弁簡単じゃないか、やったらいいじゃないか」と呼ぶ者あり)
  311. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は慎重に御審議を御希望申し上げます。
  312. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 一方的にはやらぬと言うのですか。決して一方的にはいたしません、その審議を尽くさないで、とにかく一方的に質疑打ち切りとか何とかいうことはいたしませんと、こういうふうに言うのですか。
  313. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) それは委員長の権限ではございません。
  314. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 きのうからの新聞記事なり、あるいは自民党の動きからいって、質疑が十分残っておるのに一方的な運営と、一方的な打ち切りをするのですか、しないのですかということを言っているのです。
  315. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 委員長は一方的に運営はいたしません。(「了解」と呼ぶ者あり)
  316. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 ただいま総理大臣から、愛知官房長官が昭和三十三年二月八日に政府の統一見解として、日仏円決済の根拠につきまして答弁されたことと、藤山外務大臣が三十四年十一月五日及び十一月二十五日、衆議院の外務委員会におきまして御発言されたこととの食い違いがあるというわれわれの指摘に対しまして、食い違いがないという今の御答弁がございました。しかし速記録をよくごらんになるとはっきりして参ると思うのですが、この日仏間の特別円の残高ですな、この残高を終戦時でとるか、あるいは十九年八月二十五日でとるかによって、これは大へんな国内の預け合い勘定をやっている銀行との相違が出てくるわけです。そこで日本側の態度としては一応十五億円として、米ドル四十八万ドルとして了解ができた、解決した。これも、日本側の態度としては、あくまでも八月二十五日五億七千万円という残高、これを基礎にして、そうしていわゆる金約款というものを勘案して、そうして十五億ドルというものを出したということに藤山外務大臣答弁しているのです。あくまで戦時中の債務はこれは無効である━━きょうの午前中の曾祢委員の質問に対しまして、高橋条約局長ははっきり、やはり平和条約七条、十四条(b)項あるいは十八条によりましてはっきりもう無効であると言われている。ところがそうなりますと五億七千万円というものが日本側主張の基礎になった。ところがフランス側主張があったわけですね。そこで歩み寄って十五億円となった。としますとその十五億円というものは、愛知官房長官が答弁しました十三億円、終戦時の債務に金利を加えたものなんです、実際には。実際にはそういうことになっているのです。フランス側立場は、一応終戦時の債務ということを主張しておる。まあ一応主張が通っている。日本側としては、あくまでもそれは八月二十五日現在の五億七千万ドル債務の決済だという立場で了解している。そういうことになる。そうしますと、ここにこういう問題が生じてくるのです。この特別円決済というのは、日本政府フランス政府の預け合いになる。正金銀行とインドシナ銀行との預け合い勘定なんですね、御承知の通り。これは仏印だけではない。みんな南方では連銀でもやりましたし、儲備銀行でもみんなやったわけです、預け合い勘定というものを……。そうなりますと、日本側立場は、八月二十五日現在の五億七千万円を基礎にして、そうして金約款を考慮して払ったものである、八月二十五日以後のものは無効であるということになると、それに見合いになっているところの正金の政府に対する貸し上げは切り捨てられなければならぬはずでございましょう。八月二十五日以後のものにつきましては、日本側はそれは無効であるといっているのですからね。それであるのに、この見合いになっているその勘定を正金の方には、すでに日仏特別円の決済がつかない以前に━━そのついたのは三十二年三月二十七日です。昭和二十四年ないし五年に払ってしまっているのですよ、全部正金に……。そうなりますと、無効の部分までも払っているということになる。それを一体どういたしますか、この点政府立場はあくまでも、フランス側と意見が違っても、結局政府立場は八月二十五日現在ということで終始したとしたならば、貸し上げ金の処理の方はどうするのです。これは大蔵大臣にも伺いますが、まず総理大臣に……。
  317. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) その点は、日本フランスとの特別円勘定として、対外的の関係ではなしに、国内的の関係においての問題であると思います。従ってこれは大蔵当局からお答えすることが適当だと思いますが、私自身は今申しましたように、国際的の関係と国内的の関係だから、おのずから別の取り扱いが行なわれても差しつかえない、かように思います。
  318. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 今総理からお話ししておりますように、この日仏間の問題の処理は、先ほど来総理のお答えした通りであります。正金銀行と政府との関係、これは国内問題である、この点は御了承いただくだろうと思いますが、正金の関係はいわゆる臨軍会計、この臨軍会計に対する貸し上げ金といいますか、その問題の処理でございます。これはその経緯をやや詳しく御説明いたしてみたいと思いますが、仏印に対する軍費の支払いは、昭和十八年以降は正金銀行が特別円の対価としてピアストルを取得し、これを軍の使用に供することによって行なわれており、これに対する臨軍会計から正金銀行への支払い、これは昭和十九年三月以前はその決済を現金で行なっていたのでありますが、昭和十九年四月以降は臨軍会計に対する政府貸し上げ金とされることになっておりますので、終戦時において約十一億六千二百万円、この残がございましたので、この残を支払った、こういうことであります。その間に、正金が東京銀行に変わったということがございますが、支払った金額はこの金になるわけでございます。これはどこまでもフランス関係のものとは違って、臨軍会計の特別処理といいますか、そういう関係になるわけでございます。
  319. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それは普通の債務と違うのであります。政府が戦費を国内で公債を発行して調達するような問題と違うのです。ですから、これまで非常に時間をかけてこの特別円の性格について質問してきたわけであります。それで、その経過をはっきり聞きましたところ、正金銀行のサイゴン支店とインドシナ銀行との間に預け合い勘定をやりまして、そうしてそれが政府の貸し上げ金の形につながっているのです、実際には切っても切れないのです、政府債務の形というものは。それだからこそ、政府が払ったのでしょう。これは別のものであるということは言えません。普通の戦費を国債で発行した場合と違う。この点につきましては預け合い勘定であって、切っても切れない関係にあるのです。ですから、なぜ日仏間の特別円の決済が済まないうちに、この預け合い勘定になっている政府のこの正金からの貸し上げを払ってしまったか。これを、その日仏特別円の決済が済むまでなぜたな上げできなかったか。戦時債務の補償の打ち切りまでやっているのでございますよ。政府債務であれば何でも払わなければならぬというものでないのです。日仏間の特別円の決済のつかないうちに、先にすでに支払ってしまっている。こんな不合理な点ございますか。単に国内関係といわれますが、国内関係だけではない。この経過をずっと見ていくと。
  320. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) これはただいま申し上げますように、政府に対する貸し上げ金、こういう性格のものでございますから、この貸し上げ金が生じたその当初においていろいろ条件がきめてございます。その条件で政府はこれを支払っておる、こういうことでございます。先ほど来議論になっておりますところのものは、フランスに対する特別円といいますか、あるいはいわゆる賠償といいますか、そういうものとはその意味において性質が違っておる。臨軍会計は一つだけではないわけでございます。そういう意味で、これは別個のものとして国内的に処理しているということでございます。
  321. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それは詭弁です。それはもうみんなつながっているのです。政府が東京銀行に払い、東京銀行は正金銀行に払って、正金銀行は、ですから最後に政府に払ったでしょう。みなつながっているのですよ。特別円を決済した結果を、正金銀行は政府に払い込んでいるのでしょう。これは別のものと言えません。
  322. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いろいろ御議論がございましたが、正金銀行が扱っておりますものの中には、軍費もちろんございます。軍費は、先ほど来いろいろ議論になるような問題もあります。しかし、その他、輸入であるとか送金とか川船料とかございます。こういうものになりますと、軍費とは関係がない。
  323. 森元治郎

    ○森元治郎君 私も及ばずながら速記録などを読み、大臣の御答弁その他勉強して参りました。この問題を、衆議院では四十数時間、本委員会では五十時間になるそうでございます。九十時間、やっとわかったことは、きょうの先ほどの休憩前の総理の答弁であります。きわめて重大であります。すなわち問題は、ただ八月二十五日のときに残高が五億七千万円であったとか、あるいは十二月八日に発効したなどという問題じゃない。これは日仏間の交渉において、フランス側の態度は、われわれのことを一切無視をして、とにかく条約関係において、戦中も戦前もないんだと、こういう態度できたということは、さっき総理大臣から御答弁があったん、ですが、もう一ぺんあの点をみんなの前に御披露願いたいと思います。
  324. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) その日仏間の交渉をいたします際に、先ほど私統一見解でも申し上げましたように、開戦の日がいつかということ、また開戦がこの債務にどういう影響を持つかということについては、両方の意見が一致しておらなかったのでありますが、われわれは、開戦は一九四四年の八月二十五日であって、それ以前のものがいわゆる戦前債務として残る。それから八月二十五日以降の問題は、戦時中の問題であって、これは平和条約による対象にならない。いわゆる無効——効力のないものであるという立場をとっておったのであります。これに対してフランス側主張が、戦争開始は十六年の十二月八日であり、そうして戦争がそれで開始したけれども、その後いろいろな基本条約に基づいて、この特別円に関する運営が行なわれてきたのであって、その結果、最後の終戦時には十三億というものが残った関係からいっても、この債権は、いわゆる平和条約に無効とされるところの戦時中の債権と見るべきものでないというのがフランス側の見解で、私どもは、その見解は違っておると、あくまでも戦前の——戦争開始は八月二十五日であって、その前のものが戦前債務であり、その後のものは戦時中の債務として、これは無効である、こういう立場をとって、両方の意見が一致しておらなかったのであります。しかしながら、この出題を最後に十五億円と、そうして四十八万ドルでもって一切解決して、これに関するところの本件に関する一切の請求は、フランスにおいても将来しないということについては、両方の意見が合致して、その額をもってこの特別円関係の一切の問題を処理したというのでございます。
  325. 森元治郎

    ○森元治郎君 請求権は存在しないというのは、当然であるのは、フランス側の自分の言い分が百パーセント通ったからであります。そして国会で、何かこう愛知答弁がどうだこうだといってわれわれ勉強しましたが、結局政府側が、フランス側の態度を全然隠して今日の段階まではっきり言わなかったところに、この無用な混乱があったのです。それを早く言ってくれればわかるわけなんですよ。野党のわれわれが、岸総理大臣、外務大臣にも食いついているのは、ちょうどあなた方がフランスとの交渉においておやりになった通りだろうと思う。その点は一点だけ伺います。われわれが言うようなつもりでフランス側とおやりになったのでしょう。どっか違いますか。フランス側交渉するときの言い分は、八月二十五日がどうだとか、十三億がどうだとか、金約款がどうだとか、大いに抵抗した、その点はわれわれの質問と同じでしょう。あなた苦しいのでしょう。自分がフランス側とやったのを、同じ日本人のわれわれから言われて苦しくてたまらないが、それは政府だから、お気の毒だ、総理大臣はそれくらいがまんしなければ総理大臣になれないけれども、そうでしょう、と言うのです。どうです。
  326. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 先ほど来私がお答えを申しております通り、この戦争開始日と、この開戦がこの債権に及ぼす影響きについての両者の見解は一致しなかったということは、これは事実であります。従って、それについていろいろ司法裁判所に提訴するとかどうとかいうような交渉中にも何があったわけでありますが、法律的見解を異にしておりますけれども、しかしながら、本件をこういう額でもって解決しようということについては、これは一致しており、また、私どもは私どもの法律的見解に立っておっても、しかし、その後ピアストルの換算率をかけるならば五十数億になる、それが十五億でもって解決するというならば、これは日本にとって有利であるという見解で、これでもって一切を解決するという立場になったわけであります。
  327. 森元治郎

    ○森元治郎君 それは一〇・〇三倍になった、それは御苦労であったのです。一生懸命十五億でとめた。御苦労であったが、こちらが言った法律的立場も全部無視されて、わずかに金約款の問題あたりで苦労して、数十億を二億そこそこで安く上げたという御助力は買って上げます。上げますが、何らあなたががんばった、法律上の立場も何も無視されて、要するにこれはばくち打ちが話をきめたようなものです。この日仏間の交渉は、条約の解釈、金約款の問題、戦争開始日、それと当時の世界の外交情勢、すなわちこの交渉が始まったころ、あとで聞きますが、始まったころはやはり進駐軍の勢力がなお強くて、いろいろな圧迫があったでしょう。三十三トンだって、これはSCAPの方から早くやれというようにフランスが手を回している。これはこっちも認めている。これはあなた方が全敗したということなんです。ところが、われわれは、そんなことをあなた方言わないものだから、長い時間かけて、藤山とあれが違うとか何とか、その二億はどこから出したというような議論はばかばかしいと思うくらいです。それでこの前総理がお出になった委員会で私は負けたのでしょうと言ったら、負けないと言ったが、これは完敗であります。完敗だ。戦争開始日がどっちだろうと、これは日仏特別円関係ない。金約款もそうだ。ただ、つかみ金で要するに向うがくれと言うものを、全部払うことによって一致したのであります。どうですか。
  328. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) それは非常に違っているのでありまして、向こうが要求した額は非常に大きいものであります。それをわれわれは十五億でこれを解決したことは、これは決して森委員のおっしゃるように完敗というような何ではありませんで、この場合において、戦争中のこの特別円に関する、また両国の意見が相当に隔たっており、違っているところのこの問題をこの額でもって解決して、そうして将来に一切のトラブルを残さないということにしたことは、私は当時の事情から見て適当であったという確信を持っております。決して完敗したといったような形じゃございません。
  329. 森元治郎

    ○森元治郎君 われわれが、戦前債務であるか、戦時中の債務であるか、議論しただけあほらしいくらいのものです。これを早くお出しになればもっと議論がすっきりする。そこで、この問題はいつから始まりましたか。グローといいましたか、フランスの若くて優秀なのが日本に来て、日本政府外務省交渉を始めたが、いつから始まったか。
  330. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 一九五六年の二月二十一日ごろからでございます。
  331. 森元治郎

    ○森元治郎君 とうとう、これと渡り合った高橋政府委員外務省条約局長も、われわれの質問を受けるときに胸が痛いようであります。ということは、われわれと同じ主張で同こうとぶつかった。これはほんとうに気の毒ぐらいですよ。それをはっきり出せばいい。そこでこの若ぞうでなかなかしっかりしたのにとうとう押しまくられてしまった、この事実はお認めになるかどうか。それを一つと、当時国際司法裁判所へこれを提訴したらどうだというような議論もあったと思うが、一萬田さんが去年の二月八日の衆議院予算委員会においてこの問題を、岡田君だったと思うが、質問に答えたときに、勝つ自信がなかったというようなことを言っているが、この二点を伺います。
  332. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ただいまの御指摘の点でございますが、交渉過程におきましてそのような、国際司法裁判所に提訴したらどうであるか、そういうような話し合いがあったわけでございます。しかしながら、われわれといたしましては、そのようなところで争うよりも、なおかつ外交交渉を続けまして、これによって解決した方が適当であり、有利であると考えたので、その交渉を進め、この十五億に解決した次第でございます。
  333. 森元治郎

    ○森元治郎君 そうすると、国際司法裁判所へ出した場合、金約款は勝てると思ったですか、どうですか。
  334. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その点は、やはり交渉過程の問題になりますが、その点につきましても、いろいろ問題があるということは、もう確かでございます。  従いまして、この問題も、われわれが主張いたしますように、簡単に解決する問題ではない、このように考えております。
  335. 森元治郎

    ○森元治郎君 これは当局もつらいらしい。われわれ言う通りいけなかったらしいのです。それは認めてあげます。  そこで、この問題を政府とわれわれと、幾らやっても片がつかないのです。これは日本フランスとの交渉経過をここで披露すれば、もうよく頭へ入るのです。森君の言う通り僕もやった、向こうもやって、とうとういけなかった、こういう経過を、この際、ここに明らかにすることが大事だと思うのです。
  336. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  337. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記を始めて。
  338. 森元治郎

    ○森元治郎君 そこで、この日仏交渉の内容を、どういう主張をし、向こうは何とやったか、機微な点までは要求いたしませんが、一つ、国会もあと一週間しかございませんので、この際、ぜひ大筋を御明示願えれば、本問題を、われわれは理解するに助かると思います。
  339. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) これは外交交渉の内容自体に立ち入ることになりますので、私から一々申し上げることは、差し控えさしていただきたいと思います。しかしながら、われわれといたしましても、できる限りの交渉及び主張をいたして今日まで参った次第でございます。
  340. 森元治郎

    ○森元治郎君 それは、私は外交交渉のこまかい取引を言うのではなくて、総理大臣として、私は政府委員に聞きたくない━━総理大臣として苦衷のあるところを、この際、御披露願えれば辛いであります。
  341. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 先ほどもお答えを申し上げましたように、日本としては、法律的の立場としては、あくまでも一九四四年八月二十五日が開戦日である。そして戦前債務というものは、その日までの債務戦前債務、それ以外は、いわゆる戦時中の債務として、効力のない、無効であるという考え方をとって向こう側交渉をしたわけであります。ところが、向こう側は、先ほど言っておるような、これとは違った法律的な立場をとって、これに主張してきておる。従って法律的の見解を、どちらの見解をとるというようなことであるならば、意見が一致しないけれども、すべの問題を十五億円と四十八万ドルでもって解決して、将来に禍根を残さない、一切の請求権を残さないという結論においては、両方が一致したわけでございまして、決してわれわれはわれわれの法律的見解を主張しましたけれども向こう承認をしない、同時に、向こうの法律的の主張も、われわれ聞きましたけれども、これもまた、われわれが承認をしたわけではなくして、一切の問題を十五億円と四十八万ドルで解決するということにおいて、両国が合意したわけであります。
  342. 森元治郎

    ○森元治郎君 大へん日本ががんばったようなことをおっしゃいますが、要するに、法律論やなんかは別にして、お金だけの量で話をしようということなんです、庶民的な言葉で言いますこ。八月二十五日をがんばったからという問題ではない。十二月八日も八月二十五日も……、一体、金をくれと、これだけを、取られちゃったというだけの話なんです。  そこでベトナム賠償というのは、こういう日仏間の話を、先にきめちゃっといてやったところに問題があるのです。日仏間の問題という、この既定の事実、おかしな交渉にして、外交交渉で言えないという、裏の方でがんばったけれども、お気の毒だが、踏んづけられてしまった。それが既定事実となって、こちらと話をしなければならぬところに、べトナム賠償の本質があると思うのですが、どうですか。
  343. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 私どもは、ベトナム賠償問題と、この特別円の問題とは、これは関係ないのでありまして……。
  344. 森元治郎

    ○森元治郎君 それは違う、特別円賠償は。
  345. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 特別円というものは、フランスとの間の、いろいろな条約その他によってできたところの債権債務処理の問題である。戦争でもって損害を与えた、それを支払うとか支払わないとかという問題とは、本質上違っておる問題であると考えます。
  346. 森元治郎

    ○森元治郎君 関連ないとおっしゃいますが、この委員会答弁において、ベトナムが、何かいろいろ問題があるならば、どうかフランスベトナムでお話し下さいという答弁がありましたよ。つながっているじゃないですか、裏は。おれはそういうことをやりたくなかったのだ、取られちゃった、あと一つ向こうへ相談してくれということを、この委員会で言っているじゃないですか。ちゃんと関係がつながっているじゃないですか。
  347. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 政治的に、フランスベトナムとが関係があったことは、御指摘通りであります。
  348. 森元治郎

    ○森元治郎君 政治的じゃない。
  349. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) しかし、問題はですよ、問題は、特別円の問題と、ベトナム賠償の問題というものは、これは、私は本質上違うものである。別個の問題であって、従って、この問題を出したから、賠償がどうなる、こういう問題ではないのであります。日仏間の条約に基づいて生じておるところの権債債務処理の問題、一方は、戦争によってベトナムに与えたところの損害を、これを賠償するという問題でありますから、全然本質の違う問題である。
  350. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 ちょっと関連。総理は、この特別円の問題と、それから賠償の問題とが、全然別の問題だと言われますけれども、そこにも、外務大臣あるいは条約局長外務省が、今まで答弁してこられたものとは違います。これは、この戦費の調達をやった。そういう点を認められ、あるいは軍票と同じものだという点も認められた。そうして、この八月二十五日以降は、これは政府として、戦争状態と認めておるから、その戦争状態に入った時間について、この特別円について支払いをするならば、それは、賠償と二重支払いになるということで、八月二十五日説を強力に主張された、愛知官房長官の答弁と違うじゃないか。こういうことを言ったけれども、この終始八月二十五日は貫いた。それは条約局長答弁の中には、フランス側は違う主張があった、あるいは法律的な立場は、八月二十五日以降は、これは戦中債務、こういうことで主張をしましたが、しかし、今お話のようにとにかく十五億ということで片づいたと、こういう問題じゃなくて、藤山外務大臣の、この土曜日の答弁はですね、政府の確定的な解釈は、私が申し上げましたように、八月二十五日以降は、これは戦中債務であって、そうしてこれは、この特別円決済の中には入りません、こういうことを明瞭に言われる。その後、条約局長なり、あるいは大蔵省の主計局長その他との間に、こまかい先ほど来のような答弁がございました。しかし、最後に藤山外務大臣に念を押したところが、「日本側としては、私が申し上げた通り立場を終始とってきているのでありまして、いろいろ違ったというのは、フランス側の意見が、いろいろあったということでございます。終局に妥結いたしましたのも、日本側として今まで申し上げた通り立場で、これを妥結したということでございます。」それに、私は念を押して、日本側の見解を貫いたということか、こういう念を押したところが、「日本側としては貫いているわけでございます。」と、はっきり答弁をしておられる。先ほど藤山答弁と、それから愛知官房長官の答弁、あるいは大蔵省の今持っておられます見解と折衷をしたようなどっちも生かすような、とにかく統一見解を言われましたけれども、それは、先ほど来藤山外務大臣が、それは政府答弁、愛知答弁を修正をして、そして政府の統一的な見解としてこの委員会に臨んでおる、こういう修正の統一答弁とは明らかに違っている先ほどの答弁ですけれども、はっきりこの岸答弁と藤山答弁とは違っているということははっきりしておる。
  351. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 先ほど私は責任を持って政府の統一見解というものを申し上げました。それで御了承願いたいと思います。
  352. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 それじゃ、政府を代表して藤山外務大臣は愛知答弁を修正する、日本立場は貫かれた、こういう答弁をされたのですが、それじゃ藤山答弁を否定して、また愛知答弁に返られるというのですか。とにかく政府の統一見解というものは、そうぐらぐら変わるのですか。そんなとにかく、政府の統一見解というものがぐらぐら変わるなら、あるいは過去においては愛知官房長官、あるいは藤山外務大臣はこれはやめられなければならない、何べんも念を押して政府答弁を尋ねて、間違いはない、日本立場は貫いた、こう言われるのに、あなたそこで否定される、おそらく関係閣僚寄ってとにかく相談はあったと思いませんけれども、はっきり藤山外務大臣答弁を否定せられるならば、これは藤山外務大臣責任をとってもらわなければなりません。
  353. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 先ほど私お答えを申し上げましたように、愛知答弁と藤山外務大臣答弁とは私は趣旨において違っておらない、われわれ政府はそう考えております。ただ論点の角度が違っておるというのであります。今お話しになりましたその日本主張をあくまでも貫いたかどうかという問題に関しましては、先ほど森委員に私がお答えをした、はっきりお答えをしております。日本はあくまでも日本主張というものを捨てたわけではない、フランスもまたその立場についての主張を曲げてはおらない、従って両者はその点においては意見が一致しなかった。しかしながら金額において十五億円、四十八万ドルでこの問題を一切解決するということについては両国の意見が一致し、将来この問題についてのものは問題は起こさないという、この議定書においてきめて、この問題を処理したのでございます。
  354. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 理屈はとにかく十五億とそれからこの四十八万ドルで片づいた、こういうのならわかる、そうじゃありませんよ。五億を基礎にして計算をしたのか、十三億を基礎にして話をきめたのか、こういう話について八月二十五日を基準にして五億でとにかく片づいた、法律的な見解については双方の意見の違いがあったけれども日本立場を貫いた、それがこの政府の統一的な見解だとはっきり言われたのですから、これは答弁が明らかに違います。いくら言いくるめようとしても、おとといの速記録に残っていることはこれは動かすことはできぬ。いやいや口でごまかそうったってだめです。
  355. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 決して口でごまかしているわけではありません。冷静にお聞きになれば私の申し上げておることが明らかだし、わかると思います。
  356. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 冷静です。四十八万ドル、十五億で片づいた、そういう問題じゃない。
  357. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 吉田君発言中です。
  358. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 私がお答えするのを最後までお聞きになって、もし御意見があるならさらに御質問願います。  日本はあくまでも八月二十五日、一九四四年八月二十五日が開戦の日であって、それ以前のものが戦前債務である、これを対象として支払うべきものだという主張を終始一貫持っておったのであります。しこうして、その場合において、八月二十五日におけるところの残高は五億数千万円であった。それに対して十ポイント幾らの換算率をかけるならば五十数億になるのであります。これを十五億円で解決するならば、それならばこの問題を解決する方法として有利である、こう考えたわけ、であります。しかしながら、日本がこの八月二十五日開戦説、そしてその後の戦時中の債権は無効であるという日本主張フランス側はこれを承認はしなかった。フランス側は別に(吉田法晴君「そうは答弁されておりませんよ。」と述ぶ)十六年十二月八日を開戦の日であり、そしてその後に起こったところの債権債務については、これはサンフランシスコ条約で無効とされるところのものとは性格が違っておって、有効である、という見地をとって、金額としては相当大きな金額日本に要求したのであります。これを両方が交渉して十五億円で解決するということに意見が一致したというのが事実でございまして、そうしてその間において、われわれは日本の法律的主張を捨てて、フランス主張を入れたわけでもなければ、フランス日本主張を入れたわけでもなかった(「入れたからまとまった」と呼ぶ者あり)のが事実でございまして、金額でもってこの問題を解決する、その問題についての両者の意見の相違は、最後まで両方は両方の主張を持ち続けておる、こういうのが事実でございます。
  359. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 それは、法律的な立場はとにかく、これは論議に出たのです。そして先ほど来答弁のある八月二十五日以降の日仏協定、あるいはそれを基礎にして横浜正金銀行とそれからベトナム銀行との間の協定も無効であるかとどうかという議論も出て、そしてフランス側主張を認めるのか、あるいは日本主張を貫いたのか、こういう話について、日本主張を貫いた。あなたの言われるように向こう主張を認めたと言うならそれでもいい。しかし、日本主張を貫いたと、こう言われるから、そこで八月二十五日の五億というものを基礎にして一〇・〇三倍を掛けた、こういうことを主張されてきたから、それが日本政府の統一的な見解です。愛知官房長官の答弁をここで修正されるのですか、こう言うと、それは修正はいたしますとはっきり言われているのだから、明らかに答弁の食い違いがありますよ。これは言いのがれようったって、愛知官房長官の方針と、藤山答弁とは明らかに違っている。それをとにかく、(「それが統一見解じゃないか」と呼ぶ者あり)それなら、藤山外相の見解を否定されるのでしょうか。否定されるならば否定して、否定されれば藤山外務大臣の責任が出るわけです。それはとにかく口でごまかそうたってそうはいきません。はっきり食い違いがあります。だめ、そういう言いのがれをしようたってそれはだめです。はっきり答弁が食い違っておる。これは休憩をしてもっと藤山外務大臣を追及……
  360. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 両方の意見の点につきましては、先ほどこの会議の劈頭におきまして、政府の統一した見解というものを私自身政府を代表して責任をもって申し上げております、これで御了承願いたいということを申し上げておる。しかしその藤山外相の発言と愛知官房長官のなににつきましては、見解として述べたことにつきましては、私どもはその趣旨において違っておらない。ただ問題の論ずる角度が違っておるだけであって、本質の趣旨においては違っておらない。こう考えておるのが私どもの見解であります。
  361. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それでは、角度が違うとおっしゃいますから、藤山外務大大臣が昭和三十四年十一月五日、衆議院外務委員会で述べたことをここでもう一度私が速記録から申し上げます。こういうように述べております。「一九四四年の八月二十五日には金で渡したものが三十三トンあったわけであります。……いわゆるイヤマークしておる金でございます。」、「そのほかに八月二十五日の残高というものがあるわけでありまして、それが帳簿の残高が五億七千三百万円、それからドルで払わなければならぬものが四十七万九千六百五十一ドルということでございます。」、「これを当時の約款」━━これは金約款と思いますが━━「からいたしまして、一〇・〇三倍というようなことにいたしますと、五十七億というような巨額な数字になるわけであります。……というような当時の換算に対しまして、交渉の結果十五億円に圧縮して支払ったということであります。」というのでしょう。はっきり八月二十五日の残高五億七千三百万円を基礎にして、これに金約款を勘案して十五億円に圧縮して払ったのだとはっきり言っておるではありませんか。愛知答弁においては、その終戦時の残高十三億というものが言われておる。ですからここにもう藤山外務大臣答弁ははっきりしているのですよ。八月二十五日現在五億七千三百万円を基礎にしたのだと、フランス側主張がどうだ、こうだじゃないのです。もうこれで政府立場ははっきりしておるのです。五億七千三百万円を基礎にして払ったのだと言っておるのでしょう。
  362. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) それはその通りなんです。日本側主張なり日本側立場というものは、外務大臣答弁した通りであります。ちっとも変わっておりません。
  363. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そこで問題が起こるのです。そこでさっき金約款の、さっき正金とのあれが問題があるのですけれども、いまさっきの議論が金約款の問題と賠償との二重払いの問題に触れましたから、私はついでにその点を質問いたします。金約款は高橋条約局長もこれは否定されておるのですよ。否定されておるのに、どうしてこれが金約款を勘案して十五億にしたのですか。
  364. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 私が金約款を否定をしたという意味は、これは金約款という正式の何と申しますか、これは金約款の定義の問題になります。が、これは必ずしも三谷・ラバル交換公文によって前の金約款のあれを否定したものではない、疑いがある、がある、この点は申し上げたつもりでございます。  第二点といたしまして、その金約款の点はひとまずおきましたとしましても、三谷・ラバル交換公文を考えてみますと、ここに交換率の保証、交換率ということはやはりどうしても考慮にも入れなければならないのではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。
  365. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それから発展しているわけです。三谷・ラバル会談に了解事項がある。それで必要がある場合には、金または金にかわる外貨にかえることができる、という了解事項があることまでを私どもは了承しておるのですよ。しかし、昭和十九年四月以降に預け合い勘定ができた以後においては金約款というものはありません。あるはずがないんです。政府昭和十九年四月から預け合い勘定を始めている。これはもう岸総理もよく御存じでしょう。連銀だって儲備券だって、皆大陸で日本の軍費を調達する手段として預け合い勘定をやったんでありますから、金約款はないですよ。現に国内の方の見合いだって金約款はありはしませんよ。金約款があるなら金をイヤマークするはずでありますよ、どうですか。
  366. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その点につきましても、たびたび御指摘になりました点でございますが、これはやはりそういう意味における金約款は存在しないかもしれませんが、交換率の保証ということはやはり考慮に依然入れなければならない問題である、こういうふうに考えます。(「それを否定したじゃないか」と呼ぶ者あり)
  367. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 交換率の否定といいましても、この三谷・ラバルの第四条をごらんになれば、あれはこの前の、前の交換率を固定さしたものでありまして、ただ話し合いするということが、あとで必要ある場合には、変更する場合には、これは金約款じゃありません。金約款じゃないですよ。
  368. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) その点は正規の意味の金約款ではございません。御指摘通りでございます。ただ、この換算率の変更については、当該関係国の合意においてこれを決定すべし、すなわち換算率の変更という可能性は常にここで考えられている次第であります。
  369. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 その後合意によって変更したのですか。
  370. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) もちろん合意があって変更したわけではございませんが、この合意によって変更されるという可能性は常にここで認められているわけでございます。これはやはりわれわれは無視することはできない次第でございます。
  371. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それじゃ金約款の問題は、これは政府がこの間出されたこの資料において否定しているんですよ。そんなことを言われましても政府が出した資料で否定しておるのですよ。否定しておりながら国会の答弁においては、金約款を勘案して五億七千三百方円を十五億にしたという答弁をしているじゃありませんか。なぜこんな間違ったことをわれわれに答弁するのですか。ここにもはっきりございますよ。
  372. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 ちょっとそこのところを補足する意味で……。条約局長は、金約款は三谷・ラバル交換協定で否定をしたけれども、交換率は残っておると、こういう意見を言われましたけれども、それをとにかく戦中の協定は否定したのですか、否定せぬのですかと、こう言ったら、これを藤山外務大臣は、最後に日本側主張はこれは貫きましたと、こういう意味で否定をしたということを、藤山外務大臣ははっきり言っておられるじゃありませんか。あなたは言っておるような言っておらぬようなことを言われたけれども、藤山外務大臣は否定された。それは八月二十五日以降の、とにかくこの特別円債務が残っておるということになれば、その部分については賠償と二重払いになるということで、はっきり日本側主張は貫きました、こう答弁しておられる。それはあとでとにかく復活の協定もできない以上、否定をされておる、あるいは国会に対する答弁としては、あるいはフランス側に対しては否定して、とにかく貫いたと、こう言って答弁しておられるのだから、その交換率だけ生きておりますと、こういう答弁をされたってこれは通りませんよ。
  373. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ただいまの点は、八月二十五日をとりますと、それ以後の請求権の問題は、これはわれわれの法律的立場として放棄さるべきものであると、こういうふうな法律的な、論理的な結論になるわけでございます。しかしながら八月二十五日現在におきましても、三谷・ラバル交換公文、それからその基礎となります日仏協定は有効でございます。八月二十五日という開戦の時期、そのときをとれば有効であり、そのときの協定に従って五億を、交換率を入れて換算しなければならない、こういうふうに考える次第でございます。(「違う違う」と呼ぶ者あり)
  374. 森元治郎

    ○森元治郎君 政府側の態度は実にうまい表現があるのですよ、速記録を見ていますと。彼此勘案というのがある。今どきそういうことを知っている若い人は少ないですが、かれこれ勘案、彼此勘案いたしましてさよう決定いたしたのでございます。彼此勘案だから理屈はない、こういうことですよ。理屈はない、開戦の時期も条約の解釈も、金約款も全部彼此勘案、かれこれ勘案して五十億円取られるところを十五億円にしたのだから、そう文句を言うなという態度ですよ、あなたの言う態度は。  そこで伺いますが、そんならば何のために八月二十五日ときめて、それより前は戦前である、それよりあとは戦中であると、あなた方がせっかくかきねをしたのだが、フランスはかきねなんか乗りこえちゃったな、かきねなんかありませんよ、フランスは。こういうのは一体何のために八月二十五日、せっかくドゴールさんが。パリにお入りになった日、よけいなことを、いつ入ったということを想像して作ったのは何のためか、それが一つ。  それから条約上でいくと実にけしからんのは、平和条約の七条、十四条、十八条というものはフランスは認めておらん。これは一体日本政府としてどうとるのですか、この賠償関係においてそのとき債務の問題についての七条、十四条、十八条をフランスはどうとるつもりか。日本政府フランスにこれを無視された。これはどういう関係になるのかを伺います。
  375. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) ただいまの点は法律的な解釈の点でございますから私から申し上げますが、フランスはそのような法律的見解をとったわけでございます。すなわち戦争開始昭和十六年の十二月八日でございます。従いましてそれは平和条約第十四条(b)項を適用すれば、それは請求権はなくなるはずでございますが、しかしフランス側といたしましては、十三億という帳じりが出たことは、すなわちこの両者の協定がありまして、その協定が運用されたからでございます。運用されたということは、それによって両者のこれが運用していこうという意思の合致があったからという、こういうことでございます。従いましてこれはフランス法律的立場のことを申し上げているのでございます。  さらにそれを十四条を勘案いたしますと、ここに戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた、こういう規定がございます。すなわち日本国によってとられた有効から生じた請求権は、これは放棄しなければならない、こういう規定があるわけでございます。すなわち、日本の一方的行動によってとられたところの行動から生じた請求権放棄する、こういう条文があるわけであります。
  376. 森元治郎

    ○森元治郎君 十八条、十八条……。
  377. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 従いましてこの十八条の戦前であるとか戦時中であるとかという問題は、フランス側主張につきましては起こらないわけでございます。すなわちこれは戦争の影響を受けない、この問題に関する限りは有効であるという立場でございますから、それは十八条の問題ではない、こういうふうに思います。
  378. 森元治郎

    ○森元治郎君 それじゃフランス側立場日本承認をしたのですか、承認はしないが、ただ意見の相違のまま空中に浮いておるのかどうか、それが一点と、その前の私の質問に対して御答弁がないのだけれども、八月二十五日という日をきめたが、これは何の御利益があるのかということです。
  379. 高橋通敏

    政府委員高橋通敏君) 私から申し上げますが、この八月二十五日というのは、これは交渉におけるわれわれの法律的立場でございます。やはり交渉におきまして、わが方がどういう立場であるかということは、これはやはり必要なことでございます。従いまして、わが方としましては、どういう立場であるかというと、一九四四年八月二十五日という立場をとるということがこれがわれわれの立場であるというわけであります。
  380. 森元治郎

    ○森元治郎君 だからそれはわかったよ。何べんも耳にタコができるほど聞いているから。そうじゃなくて八月二十五日をきめたが、かきねの中は通行自由なんですよね。これ、そんならば三月九日、昭和二十年の三月九日、松本俊一さんが最後通牒をドクーにつけた日だって一向差しつかえないじゃないか、こういうことをわれわれは立場として主張する。その八月二十五日、かきねをしたのが一向に問題にされないのを一体政府は何と見るのか、三月九日だっていいじゃないか、こういうことに対して御答弁がない。
  381. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 先ほど来御答弁申し上げておりますように、われわれとしては八月二十五日を法律的な開戦立場として堅持してきておるのでありまして、フランス側の意見に同調したわけではございません。従って日本側としてはそれを貫き通しておるということを申し上げて差しつかえないことだと思います。開戦日を決定しますことは、賠償交渉に当たりましても、当然われわれがいたさなければならぬ問題でありまして、それによって戦争中の与えた損害なり苦痛というものを算定して参る、あるいはそれを基準にして考えていくという上において、法律的なわれわれの見解を明らかにいたさなければならぬのであります。当然われわれとしては一定の時をとってそういう解釈をつけて参るわけであります。従いましてわれわれとしては、いろいろな時日がございますけれども八月二十五日、ドゴールが。パリに入りました日が一番実際的でもあり、また法律的にも適当だという見地においてこれを決定いたしたわけでございます。
  382. 森元治郎

    ○森元治郎君 私の方の主張に対して、落ちていると思う感じを受けるのは何かというと、明敏な頭の法制局長官が裏の方から紙を出すんですが、これを黙っているところを見れば、これはやっぱり押されているんだと思う。  そうすると、よけいなことはその辺にしますが、このフランスに払った金は間違いであるから取り返すというおつもりはありませんか。取り返せますか、政府がかわればこれを取り返す交渉をやれると思いますが、どうですか、この二点。
  383. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 私はこれは間違いではないと確信をいたしております。正当に両国の間に協定が結ばれて、そうして債務支払いが行われておるわけであります。内閣がかわりましても、これを取り返すというような交渉はすべきものではない、かように確信いたします。
  384. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 あの八月二十五日というものを政府が固執されてきたことは、総理といえども御承知のところ、開戦日の問題については、あなたもおられる所で、森委員から質問があって、八月二十五日というものを総理も認められた。八月二十五日以降はこの戦争の期間、それは賠償の対象になり、戦争損害の期間としてこれは問題になる。ところが、戦争の期間中に、特別円の問題について、五億じゃなくて、八月二十五日以降十三億になっておる。その十三億というものがこの交渉の基礎になれば、十三億から五億引いた八億というものが、それを認めたのが幾らであろうとも、討議の対象になれば、賠償の対象だ。それから特別円という軍費の調達のために現地で使ったこのピアストル、その見合いにおいてこちらで預かり勘定をした債務、それをとにかく支払うということになれば、これは二重払いになるじゃないですか。いいですか。皆さんが八月二十五日を主張される、あるいは三谷・ラバル交換公文を否定をされるのは、藤山外務大臣なり何なりが否定をされるのは、それは戦争中の協定だから、八月二十五日には生きておったけれども戦争中はこれは生きておらぬ、こういう日本立場を貫いておる、こう言われるのは、それは否定をされておる。否定をされた、いわゆる債権はない。ただ証文だけ残っておる。その証文に従って、その証文の内容は切れておるのに、証文に従って支払いをする、こういう二重払いになるじゃないですか。従って、八月二十五日あるいはその後の戦時債務、あるいは三谷・ラバル交換公文に基づく特別円協定も、これは効力がなかったのだと、否定をして交渉をされるか、あるいはわれわれに説明をされるにしても、同じことだと思うのです。否定をされるか、それとも認められるか、これは大蔵大臣もおられますけれども、二つをどっちも生きておるなんという答弁はありません。そういう意味で、藤山外務大臣は八月二十五日説を固執をし、そしてその後の債務、これは賠償以外の一切の請求権がないと、こういう立場を貫いたということ、それも、十三億なら十三億を認めて、そして一〇・〇三倍の五十七億をまけてもらったという話と、明らかにこれは食い違いです。その証拠には、その後特別円問題についてベトナム側からは文句が出て、あるいは自民党の政調でも、とにかくその特別円問題についてのベトナム側の請求を、強い抗議を納得させるために、賠償をふくらませるという交渉があっている。相談があったんじゃないですか。そういう点からいっても、明らかに二重払いになるのじゃないですか。それは重大な問題です。それについて、藤山外務大臣答弁と愛知官房長官の答弁と明らかに食い違っておる。それを両方とも生かそうというこの岸総理大臣の答弁は、決してこれは藤山外務大臣答弁を生かすゆえんではない。また、愛知官房長官の答弁を生かすゆえんでもありません。明らかに食い違っておる。従来は、そのどっちをおとりになるのか、こう尋ねたところが、政府としては、愛知官房長官を否定をして、八月二十五日以降の特別円のこの債務についてのそれは否定をして、それを貫きました。こういうことを言われておるのですから、明らかに答弁の食い違いです。はっきりして下さい。藤山外務大臣答弁を否定するならば、藤山外務大臣をとにかくやめさせなさい。
  385. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 藤山外務大臣と愛知官房長官の答弁につきましての政府考えは、先ほど申し上げた通りでありまして、私どもは、これを矛盾しているとか、あるいは食い違いがあるとは考えておりません。また、われわれがこの特別円交渉をする場合におきまして、先ほど来しばしば申し上げておる通り日本はあくまでも、一九四四年八月二十五日が開戦の日であって、それ以前のものがいわゆる戦前債務である、それ以後は戦時中の債務として、これは支払う義務がないという、この法律的立場を貰いて交渉に当たっておるわけであります。しこうしてその点に関しては、フランス側は、遺憾ながらそのわれわれの主張をそのまま認めてはおりません。また、フランス側の法律の立場はこれと全然違っておりまして、それをわれわれは途中において認めたということは絶対にないのであります。両者のなには、法律的立場、見解はこの点において食い違っておるのであります、最後まで。しかしこの問題は解決するのについて十五億と四十八万ドルで解決するということについては両者が合意し、一切のことはこれについて、もう問題にしないということについてもはっきりと議定書に明らかにしてある通りであります。しこうして藤山君がお答えしておるのが日本法律的立場でありまして、その立場から言いまして、それでは戦時中にこの協定に基づいて生じたところの債務というものをいわゆる賠償義務に加算するかという問題に関しましては、これは性質上われわれが賠償の対象となるところのものとは私ども考えておりません。従って二重払いになるということは絶対ございません。(「議事進行」と呼ぶ者あり)
  386. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 最初の委員会再開劈頭の総理の答弁は、藤山外務大臣答弁を、政府の統一的な見解だというものを否定されるのごとくでしたが、今またとにかく肯定されるような答弁、岸総理の答弁自身が最初の答弁と━━統一見解と今の答弁とは違います。これは明らかに違います。明らかに違う。そういうとにかく言を左右有するような答弁ではわれわれとして審議するわけにいかぬ。これは愛知官房長官の答弁を生かされるか、あるいは藤山外務大臣答弁を生かされるか、どっちです。今、とにかく愛知官房長官の答弁を否定されて、藤山外相の答弁を生かされるような答弁をされた。そういうことではこれは審議が続けられるわけには参りません。どちらかにとにかく一つはっきりして下さい。これはまあここで質疑を続けてもしようがない。ここでとにかく休憩をして、統一をしていただく以外にございません。速記録を見てはっきり言って下さい。そんな口先でごまかそうと言ってもだめです。内容が違う。
  387. 岸信介

    国務大臣(岸信介君) 内容は違っておりません。先ほど私が申し上げたことは、この両者の見解は角度が違っておるだけで、その趣旨においては違ってれらないということを申し上げておるのであります。あくまでも私は藤山外務大臣が、今のこの交渉に当たるところの法律的立場を最後まで堅持しておるということを申しておるのであって、この法律的立場についてはフランス側と違っておるということもしばしば申し上げた通りであります。しこうして最後に、この特別円関係の問題を全部ひっくるめて、十五億円と四十八万ドルで一切を解決して、将来に一切の請求権を残さないということにおいては両者の……両国の間の意見が一致して、それですべての問題を解決したのだということを申し上げたことでありまして、決して私どもはこの愛知答弁と藤山答弁との間に食い違いがあるとは考えておらない、こういうことは最初にはっきり申し上げております。今も同じことでありまして、決して私の食い違いはございません。
  388. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 とにかく十五億と四十八万ドルで片づいたというお話であって、その内容の問題を言うても、内容の、問題について、藤山外務大臣は両方の意見があったけれども日本立場を貫いた、法律的な見解を貫いたと言われる。だからそれははっきり違いますよ。そういう違っておることを違わないと言うて言いくるめようといったって、それは承知ができぬ。言いくるめようったってだめです。そういうことじゃだめです。はっきりとにかく調整をしなきゃ、そんなことじゃ審議を進められません。
  389. 大和与一

    大和与一君 私は議事進行について休憩の動議を提案いたします。第一は、これは総理にちょっと注文なんだけれども、ゴルフか外務委員会じゃなくて外務委員会かゴルフか、こういう気持で今後もやってもらいたい。  第二は、会期は一週間まだあるのだから、何もばたばたしなくたって幾らでも日があるのですから、十分に委員長も審議をやる、こういうことを一方的にやらぬということを言っておるのですから、これはもう、ある程度やったらまた休憩していいと思います。  第三には、先ほど総理が出席の問題について与党の理事の諸君は重大な失態をしてあやまったわけです。これは一本取ったわけですから、その点猛省をしていると思うから、一つわれわれの言い分も聞いてもらいたい。  第四には、今まで総理と吉田委員とその他の応酬を聞いておりますけれども、これは総理大臣がえらく力を込めて、馬力をかけて言うけれども、これはもう少し速記録を見てよく御検討を願いたいと思うのですよ。明らかに違いますよ。これは初めはそうでないような言い方を、話しておりました。こっちからどんどん違うじゃないかと言ってやったら、いや、角度が違う。角度が問題じゃないですか。何の角度で同じことを言うのですか。もっと速記録をすなおに読んでいただいたら明らかに違うことがわかってくるから、さらに政府が統一見解を出すために暫時休憩を求めます。
  390. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ただいま大和君から休憩の動議が提出されました。賛成の方は挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  391. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 挙手少数。否決されました。
  392. 後藤義隆

    後藤義隆君 議事進行について発言を求めます。ただいま審査中の……、(「委員長委員長」「一方的にやっているじゃないか」と呼ぶ者ありその他発言する者多し)質疑を打ち切り、討論、採決に入ることの動議を提出いたします。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  393. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ただいまの後藤君の動議を議題といたします。  本動議に賛成の諸君の起立を願います。    〔賛成者起立〕
  394. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 起立多数。よって、本動議は可決されました。質疑は打ち切られました。  本日はこれにて暫時休憩をいたします。    午後九時十七分休憩    〔休憩後開会に至らなかった〕