運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1959-12-15 第33回国会 参議院 外務委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年十二月十五日(火曜日)    午前十時四十六分開会   —————————————   委員異動 十二月十四日委員坂本昭辞任につ き、その補欠として小林孝平君を議長 において指名した。 本日委員大和与一辞任につき、その 補欠として鈴木強君を議長において指 名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     草葉 隆圓君    理事            井上 清一君            剱木 亨弘君            苫米地英俊君            吉田 法晴君    委員            青柳 秀夫君            梶原 茂嘉君            笹森 順造君            杉原 荒太君            永野  護君            野村吉三郎君            堀木 鎌三君            加藤シヅエ君            小林 孝平君            佐多 忠隆君            鈴木  強君            森 元治郎君            佐藤 尚武君   国務大臣    外 務 大 臣 藤山愛一郎君    郵 政 大 臣 植竹 春彦君   政府委員    外務政務次官  小林 絹治君    外務大臣官房長 内田 藤雄君    外務省アジア局    長       伊関佑二郎君    外務省アジア局    賠償部長    小田部謙一君    外務省条約局長 高橋 通敏君    大蔵政務次官  前田佳都男君    大蔵省為替局長 酒井 俊彦君    通商産業政務次    官       内田 常雄君   事務局側    常任委員会専門    員       渡辺 信雄君   説明員    外務事務官    (アジア局南東    アジア課勤務) 小林 智彦君    外務省移住局長 高木 広一君    日本電信電話公    社総裁     大橋 八郎君    日本電信電話公    社保全局長   黒川 広二君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○日本国ヴィエトナム共和国との間  の賠償協定締結について承認を求  めるの件(内閣提出衆議院送付) ○日本国ヴィエトナム共和国との間  の借款に関する協定締結について  承認を求めるの件(内閣提出、衆議  院送付)   —————————————
  2. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。  昨日坂本昭君が委員辞任され、その補欠として小林孝平君が選任されました。なお、大和与一君が委員辞任され、その補欠として鈴木強君が選任されました。   —————————————
  3. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 日本国ベトナム共和国との間の賠償協定締結について承認を求めるの件、  日本国ベトナム共和国との間の借款に関する協定締結について承認を求めるの件、  以上衆議院送付の両件を一括して議題といたします。  前回に引き続き質疑を続行いたします。
  4. 吉田法晴

    吉田法晴君 ベトナム賠償関連をいたしまして、参議院は、今、国民要望にこたえて審議をいたしておるのでありますが、参議院においても衆議院におけるがごとく、この審議促進と、いろいろな疑問がございまするにかかわらず、これを強引に押し切ろうとする動きがやや見えて参った感がいたすのであります。藤山外務大臣冒頭お尋ねを申し上げなければなりませんのは、衆議院のようにいろいろな疑問が出、あるいは戦争損害はきわめて軽微ではないか、あるいはそれは北に限られておるのではないか、あるいは鶏三羽に対して二百億という賠償が妥当ではないのではないか、あるいは南に払った賠償が北に及ばないのではないか、こうした疑問が提出されておるにかかわらず、衆議院においてはこれは藤山系と目せられる人々を中心にして、強引に質疑が打ち切られ、そうして社会党が欠席のままで採決を強行されるというような事態が起こりました。参議院においても藤山外務大臣は同じような態度をとられるのかどうか、まず冒頭承っておきたいと思います。
  5. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私ども政府といたしましては、提案しております議案につきましては、参議院におきましても、衆議院におきましてもむろん慎重御審議を願うことが必要だと考えております。ただ、委員会運営自体は、私どもの関与するところではございません。
  6. 吉田法晴

    吉田法晴君 委員会審議委員会にまかせる、委員会に慎重な審議を望むというまあ公式的な態度でありますけれども、実際に自民党なり、あるいは藤山さんの影響のある議員諸君において、衆議院のような多くの疑問と、それから妥当性に対する批判があり、国民の疑問と反対とがあるにかかわらず、強引に質疑打ち切りを繰り返すことはしないという御言明が、これは私はいただけるのじゃないかと思うのであります。まあ慎重審議を望むという態度だけはよしとしておきます。私どもは、国民の間に残っております疑問、それから妥当性を欠くという意見、あるいはこの賠償問題について本院にもベトナム民主共和国常任委員会委員長から参議院議長あて要望書等も参っております。私がそれを引くまでもございませんけれども、この問題に関して日本が行なった南ベトナムとの一方的な交渉は、ジュネーブ協定の精神及び国際法に反し、かつベトナム現実事態に一致しないがゆえに無効である。そうして、ベトナム国国民の全階層の間に激しい反響とたぎり立つ憤激を巻き起こしておる、全文は読みませんが、日本及びベトナム人民双方の利益を害し、両人民間の心からなる友情を傷つけるものであるという点が指摘されておる点にかんがみ、日本国民を代表してやるべき条約賠償あるいは友好関係の樹立の点については、これは大きな支障になるという点が指摘され、そうしてまた、これを裏づける幾つかの事実がある限りにおいて、本賠償問題について慎重な取り扱いをなされなければならぬ。あるいは参議院国民の輿望にこたえて、十分この疑問を解明しなければならぬ、こう考えておるのであります。従って、以下本問題について、なお質疑を続けて参りたいと思うのであります。  まず藤山外相外交方針関連をして、実は冒頭質問をしたいと思う。藤山さんが民間人から外務大臣に就任をせられた際に、これは党の立場を離れて国民の間に相当期待があったことは事実であります。いわば秘密外交あるいは利権外交、そういうものはこれは藤山さんによって変更されることができるのではなかろうか、あるいはバンドン会議にも出席をせられております。アジアの中の一員として、アジアの諸国との善隣外交を進められるのではなかろうか、特に藤山さんの明るい性格が、暗い外交あるいは暗い政治というものを、これはあるいは転換できるのではなかろうかと考えたのでありますが、その後の実態は、必ずしもその期待を十分に満足させてはくれていないようであります。しかし、最近あるいは朝鮮帰国問題に示されました藤山外相態度の中には、人道問題という見解もございましょうけれどもアジア対立を激化するのをやめて、そうしてそれぞれの国に対して友好的な態度を回復していきたい、こういう意思もあったように思うのであります。あるいは今後の対中国問題についても、ある程度の抱負はお持ちかと思うのでありますが、その藤山さんの善意、あるいは新しい藤山外相方針というものは、あるいは中国問題について、あるいはベトナム問題について、これは現われ得ぬものでありましょうか。基本的な方針について藤山外務大臣の所見を承りたい。
  7. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 外交をやります上におきまして、御指摘のような利権の上に乗った外交でありますとかというようなことはとるべきでないことむろんでありまして、これは私でなくても、だれも同じ考えだと思います。また、秘密外交というような問題についても、むろん外交の問題でありますから、相手国もあることであります。ある程度交渉にあたりましては、秘密を守っていくということは必要だと思います。しかし、できるだけ国民理解の上に立ちまして、そして仕事を進めて参ることも、これまた当然でありまして、この二つの問題については、私でなくても、だれが外務大臣をやられましても同じ方針だと思っております。  アジアに関して善隣友好態度をとっていくということは、これは自由民主党としても党の方針でありまして、われわれといたしましても、その方針にのっとって外交をやって参ること当然でございます。今回のベトナム賠償に対しましても、われわれはやはり戦後の始末を一日も早くつけていくということ自体が、東南アジアのいろいろな国に対していい影響を与えていくのだという立場にいるわけでありまして、われわれは、戦争中与えた損害なり苦痛に対して、それぞれの国に対して賠償を支払い、それによって戦争の思い出というもの、あるいは戦争による日本に対する感情というものを一掃していって、新しい出発点に立たなければならぬ、こういう立場にいるわけであります。でありますから、われわれとしては、この跡始末の問題をできるだけ早急に片づけますことが、対東南アジアとの協力関係においても必要だと思うのであります。御承知のように、ベトナムにおきましては、われわれとしてベトナム共和国承認いたしておりますし、その上に立って賠償を進めていかなければならぬのでありまして、ベトナムの実際の事態が、必ずしも他の国々と全部同様だとはわれわれも考えておりません。しかし、この賠償そのものは、全ベトナムに及ぶような方法によって、またベトナム人の福利に合うような方法によってできるだけ解決をして参りますことは、その事情のいかんにかかわらず、やはり必要適切なことだと思うのでありまして、そういう立場に立ちまして懸案解決して参ったというのが私ども態度でございます。でありますから、そのこと自体、私は正しく理解をしてもらいますれば、東南アジアに対する日本外交というものが、曲げられた形において認められるとは思っておらないのでございます。
  8. 吉田法晴

    吉田法晴君 現在の外務大臣として、一応岸総理大臣方針というものに同調をするといいますか、あるいは弁護しなければならぬのはわかるのですが、実際問題として、ベトナム賠償について、ベトナム賠償最後の段階になりますまでの経緯については、私は、あまり今までの質疑を通じて、御存じなかったのではなかろうか、戦争の開始について、あるいは戦争推進について責任のあった岸さんが、戦後の処理、あるいは賠償について、その過去の暗い影を払拭することなしに臨まれている、あるいは実際には植村さん等も起用せられておりますけれども、あるいは松下氏であるとかゴ・ディン・ジェムであるとか、彼我において戦争関係をした人の間で話がきめられて、最後の調印だけはあなたにさせられた、あるいはその批准については全責任が負わされているように思うのですけれども、私は、岸さんの身辺にあります暗い影というものは、藤山外相が継承せらるべきではないと思うし、また、この暗い影でなしに、明るい性格でもって新しい外交方針を立てられていくのが、私は藤山さんの任務だと思うし、少なくともかけられた期待の大きな点だと思う、その暗い影を払拭をして明るい善隣外交を打ち立てるつもりはないのか、こういうことをお尋ねをしたわけであります。いかがでしょうか、その点は。
  9. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 日本外交推進して参る上におきまして、私はやはり第二次世界大戦後の跡始末というものをまずやはり考えて参りませんければならぬと考えております。過去におきましてフィリピン賠償なり、あるいはインドネシア賠償なりをやりまして、フィリピン賠償等を通じて見ましても、やはり日本賠償を片づけたということ自体が、フィリピン感情を一変させる方向に向かって非常に大きな力となっております。また、日本賠償の義務を逐次それぞれの国に払ってきたということ自体が、やはり東南アジア全体に、日本に対する新しい立場をとることになってきたと思うのであります。でありますから、私どもといたしましては、いわゆる戦後の処理というものをまず早く片づけることが必要だと思うのでありまして、そういう意味におきましては、やはり特別の事情のない限り、国交のない国に対しても国交を開いていくということも考えて参らなければならぬと思うのであります。そういう意味におきまして、解決できますような国との国交回復というものは、今日まででもいたしてきたわけでありまして、最近、御承知通り、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア等国交を回復する道をとりましたのも、その意味だと思っております。これらの戦後処理が片づきまして、そして新しい観点に立ちまして、日本は毎日の外交と申しますか、将来の日本立場国際社会打開していくように持って参らなければならぬと思うのであります。私は、そういう意味において、やはり一日も早くできるだけこういう問題も片づけて参らなければならぬと思うのであります。そういう意味におきまして努力をしてきたと思っておりますし、また、懸案になっているものを逐次片づけていきたい、また、きたというふうに考えておる次第でございます。
  10. 吉田法晴

    吉田法晴君 岸首相の暗い影を、あるいは国内、国際的な方針から分離し、あるいは切りかえられなければ、藤山外相の将来というものはありますまいということを申し上げたのですが、これは少し今の御答弁では無理かなという気がするのであります。その点は、日本の将来のために、あるいは藤山さんの将来のために大へん大事なものだということを指摘をして、具体的に次の問題をお尋ねしたいと思います。  先般、岸首相英国訪問をし、それからその他の国を訪問されましたが、あの岸首相英国訪問の際には、対中国政策について打診をすると言ってはあれですが、中国政策について転換をはかりたいという気持も若干あったかのように聞いたのであります。完全に失敗であったということを私どもあとから参りまして発見をいたしました。それは藤山さんのお気持の中にも、対中国問題は今後の大きな問題——中国打開の問題は大きな問題だと、こういう工合に考えられておるということを知った上で申し上げるわけでありますが、岸英国訪問失敗であったというのは、直後参りました際に、これはイギリス大使館筋からでありますけれども英国首相なりあるいは首脳の真意を、岸首相は、はかりそこねたということがはっきりいたしてをります。それをこういう言葉で言っております。国を代表して、対中国関係なり、こういう政策をとりたいというお話だから、これに対しては批判を差し控えました。しかし、アメリカの対中国政策がいつまでも不変であると考えるのは、これは危険であろうと、こういうことを言っております。このことは、保守党政府でありますけれども国際緊張緩和のために、あるいはアイクフルシチョフ相互訪問交歓もわれわれが努力したのである、あるいは四国会議を初め巨頭会談推進もわれわれがやっているのだ、緊張緩和のために最善努力をしているのだという立場をとっておるイギリス政府としては、対中国関係について日本努力するのは当然だ、その日本が、アメリカ中国政策が変わらぬからとして、そのアメリカ中国政策の変わらないという想像の上に政策を進められていくことは間違いであろう、あるいは危険であろうということを、はっきり申しているわけであります。そうして、これはイギリスだけでなく、ヨーロッパ各国で特別の用もなく外国旅行をしているのは、それは三等国の首相なり首脳である、こういうことを言っておるところを聞いても、何のために各国を歴訪されるのか、あるいは緊張緩和のために各国首脳が一生懸命に努力をしておる際に、日本首相は用もないのに各国を回る、そうして対中国関係の点について多少打開なりあるいは打診なりに回ったけれども、それは完全に失敗をしておる、あるいは見込み違いをしておるという、これは私は庶民の批判を含めての見解だと思うのでありますが、そういう事実から考えて、藤山外務大臣の今のアジアにおいてさえ緊張を作ろうとする態度、激化しようとする態度が、はたして妥当なものであるとお考えになりますかどうか。日本は、首相にしても、あなたにしても、これは各国首脳と同じように、世界緊張緩和にとってもそうですけれどもアジア緊張緩和のために最善努力をするのが、これは当然ではないでしょうか、いかがでしょうか。
  11. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 岸総理にしても、その外交方針世界緊張緩和にあり、また同時に日本に近いアジアにおける緊張緩和にあることは、申すまでもないことでありまして、だれも緊張を育成するような政策をとろうとは考えておらぬと思います。また、そうあるべきでないことは総理自身もよく知って、総理自身外交方針にもそれを打ち出しておられると私ども考えております。今日の時代におきまして、やはり世界が非常に狭くなったと申しますか、いろいろな交通機関なり通信機関関係もあります。また、経済的な問題の錯綜して影響し合う関係もございます。そういうようなことから、極東の問題が単に極東だけの国の問題でないということも、また一方では考えられるわけであります。そういう意味において、各国首相がそれぞれ相互訪問して、そうして意思交換をする、意見交換をするということは、これは好ましいことであり、また常時最近ではやられておることだと思います。でありますから、総理の今回の旅行においても、何か問題を解決するためにその問題をひっさげて行くということでなしに、現在のいろいろな、当面起こっておりません——当面何か激しい争いと申しますか、そういうものを解決する以外に、そういう将来の外交推進する上において、各国とそれぞれ話し合って参りますことは、私はこれは非常に必要なことだと思うのであります。特に今日におきましては、外交面外務大臣が専心これをやりますことはむろんでございますけれども総理自身が、やはり国の大きな方針と申しますかそういうものに影響してくる問題でございますので、総理みずからが各国とも相互訪問し合って意見交換をするということは、これは各国に行なわれておる慣例でもあり、むしろ手軽に各国に行って、そうしていろいろな意見交換をしてくるということが、やがて将来にわたって大きな外交打開上の、あるいは外交を進めていく上の一つの道となるわけだと思うのであります。そういう意味におきまして、総理が今回ヨーロッパを回られ、あるいは南米を回られたということは、私は意味があり、また適当な機会をとらえて行かれたことであったと思うのであります。むろん、そういうことでありますから、特定の意見を持って、その賛否をたたかわすというよりも、むしろ相互に率直な気持なり意見なりの交換に努められたのが今回の総理旅行だと思うのでありまして、その意味において、まあいわば総理見聞を広められたことにもなろうと思います。いろいろな国のそれぞれの立場から見た極東に対する意見も聞かれたことと思うのであります。そういう意味においては、やはり今後の外交の上に大きなプラスになる方法であったのだというふうに存じておるわけであります。
  12. 吉田法晴

    吉田法晴君 意見を聞いた、あるいは隔意なく懇談をした、見聞を広めたという以上に何にもないじゃありませんか。緊張緩和のために努力をしたいと考えておると言われるけれども緊張緩和のためにそれではどれだけのとにかく努力をされましたか。ベルリン問題をめぐって緊張が激化した、そこでベルリン問題からする緊張を緩和するためにあらゆる努力が払われた。あるいはイギリスからソ連に行った首相もあります。あるいは野党でさえまあ行っておる。あるいはニクソンの訪ソという問題もありました。そしてフルシチョフの訪米、あるいはこの巨頭会談、あるいはアイクソ連訪問という問題もございます。その中に、アイクフルシチョフ会談の中には、ベルリン問題も出たでしょう。しかしベルリン問題だけでなしに、あるいはドイツ問題だけでなしに、ヨーロッパのあらゆる緊張の問題が討議をされ、そして中国の問題さえ出てきているではありませんか。この両陣営の首脳の間にさえアジアの問題さえも入ってきておるときに、アジアの中にある国日本が、日本の周辺にある緊張の原因であるいろいろな問題について何らの努力をどこにしておりますか。これはアジアの問題について、日本中国の問題が一番大きな問題であることは、これは私が指摘するまでもありません。それについてとにかくどういう緊張緩和努力がされましたか、私はその点を申し上げている。緊張緩和のために具体的に何ら努力がなされておらんじゃありませんか。あるいはベトナムの問題についても、これは朝鮮とは事情が違いますけれども、しかし国が二つに分かれ、民族が二つに分かれて対立している。あるいはベトナムについても、ジュネーブ協定によって統一すべき任務を負わされているにかかわらず、二つに分かれている。その統一を努力するのでなしに、南ベトナムを通じて戦争援助をする、あるいは戦争体制の強化のために寄与をする、そういうことが緊張緩和努力ですか。具体的にどういう努力がなされているか、一つ承りたい。
  13. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 総理外国を回られまして、そうしていろいろな点で意見交換をされるということは、やはりこれは将来の緊張緩和に対する総理一つの私は努力だと、こう考えているわけでありまして、むろん努力をしておりながらも、必ずしもすぐに具体的な問題の解決に当るというわけに参らぬ場合がたくさんあることは申すまでもないのであります。その現実の諸般の問題を解決する基礎をなすという意味努力総理はなされていると思うのでありまして、今回の外遊にあたっても、そういう意味での努力はしてこられたと思います。われわれとしても、東南アジア方面に対して、先ほど来申しておりますように、むろん緊張緩和なり、あるいは友好親善の道を開いていくということについての努力をして参らなければならぬこと当然でございまして、従っていろいろな事態について、われわれもそれらの事態をどういうふうにしたらいいかというふうな問題については、考慮をしなければなりませんけれども、御承知のように、現在残されたいろいろな問題というのは、相当困難であるからこそ解決が長引いているということなんでありまして、そういう面を考えてみますと、やはりそれらの努力に対しては、相当基本的な基礎的ないろいろな意見交換なりあるいはそれらに対する方法論なりについて、やはり基本的に意見交換をするし、また方法を発見する努力をして参らなければならぬのであります。その努力そのものはすぐ表に現われた形にはなって参らないと思いますけれども、やはりそういう基本的なことがおのずから将来問題解決一つ方向に向かうということであろうと考えております。
  14. 吉田法晴

    吉田法晴君 努力をしなければならぬということは言われますけれども、実際に具体的にされているのは、対立の激化だけではないかということを申し上げているわけであります。これはなくなられた鳩山さんのことですけれども、党は違いますけれども鳩山さんが国交回復国との国交回復ということで、ソ連との国交回復を実現されました。これはああいう病躯をおしてまで行かれたのですが、そのときに私どもは、国交回復国との国交回復ということがその当時の約束であった以上、ソ連との次にはこれは中国との国交回復というものが残っているのじゃないかということを申し上げたところが、鳩山首相は、外務委員会の席上であったと思うのですけれども二つ中国がなくなるためにわれわれも努力をしたい、あるいは中国との国交回復への努力をしたいということで、当時は重光外務大臣でありましたけれども、台湾に人を派して、その派した人は妥当ではなかったと思うのでありますけれども二つ中国をなくするために、これは国共合作というような言葉では言われませんでしたけれども努力をされました。藤山外務大臣バンドン会議出席をして、ベトナムの統一とその国連への加盟を支持された。その藤山外務大臣が、そういうアジアにおける緊張緩和のためではなくて、あるいは南北ベトナムの統一のために努力するのではなくて、統一したベトナムが国連に加盟するのでなしに、この賠償協定を通じて南に支援をしている、あるいはベトナムの独立運動を押えよう、あるいは南からとにかく北に対するいわば制圧あるいは戦闘行為の行なわれるような行為について支援をなされておるじゃありませんか。それが問題解決努力ですか。緊張緩和努力ですか。バンドン会議の決定あるいはそこで言われた植民地主義に対する共通の反対、新しい形の植民地主義に対する反対と、あるいはそれぞれの恒常発展のためにする協力の決議をここで引き合いに出すまでもございませんけれども、今の御答弁なり、あるいは、かつてあなたが賛成されたバンドン会議の精神と今なされようとするものはこれは根本的に違うじゃありませんか、いかがですか。
  15. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) われわれも、ベトナムが統一されることを望んでおりますし、ベトナム自身が安定した国家に成長することを望むのはこれは当然のことだと思います。またわれわれといたしましても、そういう方向をやはり考えておらなければならぬと思います。ただ御承知通りベトナムがジュネーブ宣言によりまして選挙を通じて統一をするという時期が非常に短期間に達成されない以上、われわれとしても全ベトナムを代表する国として調印しておりますその義務をまず果しますことは、これは何もベトナム人民を敵とするわけでもございませんし、われわれとして果すべき義務を果すということは、それは適当な機会にはこれを遂行して参らなければ、かえってわれわれベトナム国民に対して相すまぬ立場に立つと思います。でありますから、むろん今回の賠償はそういう立場でやっておりますので、特に私どもは正しくこれを理解してもらえば、全ベトナム国民というものが日本賠償支払い義務からくるこのあれを、何か敵対行為的に考えられることはあり得ないのではないかと思うのであります。また賠償を通じて総理も言明しておられますように、またわれわれも実施に当たってそれを当然心がけて参るのでありますけれども、何か非常に対立を激化するような方法によって賠償を遂行していこうとは考えておりません。でありますから、そういう意味において、私としては現在の賠償交渉自体が必ずしも非常に大きな統一の妨害になるというふうには考えておらぬのでございます。
  16. 吉田法晴

    吉田法晴君 統一は早急に望めない、だからサンフランシスコ条約の規定に基づいて賠償を急がなければならぬ、こういう従来の主張を繰り返されましたけれども、しかし先ほどあげましたように、南北ベトナムの統一、そしてその統一したベトナムの国連への加入ということをこれは支持されたことは、間違いない過去の事実でしょう。私はそれに関連をして、ベトナムの人民の大部分の支持を得ております民主共和国、そこからこういう一方的な交渉と、そして権限のない代表が調印をした無効なサンフランシスコ条約に基づいて賠償を強行することは、それは日本及びベトナム人民双方の利益を害し、両国人民の心からなる友情を傷つけるものである。こういう文書、公文が国会に来ておるところからいっても、あるいは国民の中における疑惑と反対、先般無所属の石田君も、賠償の効果が北に及ばないという点、あるいはジュネーブ協定に基づいて統一が約束をされておるならば、統一まで待つべきではないか、こういう議論をなされましたが、これはおそらく国民の大部分が持っている率直な感情だろうと思うのですが、緊張の緩和のために努力をし、あるいは不幸な事態が起こっておる国家、民族については、その統一とそして自主的な発展、それに対する協力を望むというならば、緊張緩和のためにも、あるいはその民族に対するほんとうに贖罪と、そして友好関係を打ち立てていくためには、その統一のために努力をし、自主性を尊重し、民族独立運動に同情を持ち、そしてその自主的な統一の上に協力をしていく、バンドン会議で認められました五原則、十原則の上に立って、内政不干渉という平和共存という原則の上に立って外交を進めていくというのが、これは藤山外務大臣として当然の態度ではないか、こういうことをお尋ねをしておるわけでありますが、どうも昔の賛成された決議についてはもうお忘れになっているようでございますから、その点についての答弁は求めません。  先般来、当委員会審議をして参りますために、各方面の意見を聞いたりあるいは事実を聞きました。戦争損害についても、鶏三羽に二百億という言葉は、これは社会党が作ったスローガンでも何でもなくて、実は鶏三羽という表現は外務省から出ているということも発見をいたしました。それから軍人やあるいは外交官、あるいは商社筋の人たちにも相当多数、これは反対をし賛成をしておるにかかわりなく、相当多数の人たちの意見を聞いたのでありますが、今申し上げましたような対立の緩和ではなくて、対立の激化のために賠償が行なわれようとしているのじゃないかという点と関連して、損害がきわめて軽微であり、特に南においてはほとんど言うべき戦争損害というものはない、こういう点は一致をしておるのです。ある旧軍人のごときは、ああいう少ない損害に対して二百億もの賠償南ベトナムに支払うなら、ビルマ等も再検討の申し出等があるようだが、他の国がおそらく承知をすまい、あるいは税金を負担すべき国民としては黙っておれないということを、私どものところに積極的に申し出られた方もございます。こうした国民感情に対して、あるいは国民の怒りに対して、藤山外相はなお依然としてこの賠償は妥当であると考えられるかどうか、重ねてお伺いをいたしたいと思います。
  17. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 鶏三羽というような、非常に何と申しますか、センセーショナルな言葉が使われておるわけでありますけれども、むろん今回大戦で与えました損害と苦痛というものは、われわれは鶏三羽という字句で表現されているようには考えておらぬのでありまして、全ベトナムに対しまして、やはり相当な損害と苦痛を与えておる。むろん他の賠償請求国と同じようだというのは、それぞれの国の立場によって違っておりますから、そうは申しませんけれどもベトナムに対して与えた損害と苦痛も相当のものであったということは、われわれ認めざるを得ないと思います。同時に、また南と北との関係におきましても、人的損害等は多かったようでありますけれども、あるいは経済的な意味における影響損害と苦痛というようなものは南にも相当多かったのでありまして、それらのものを考えてみますれば、私どもはいわゆる鶏三羽というような損害ではなかったというふうに存じておるわけであります。でありますから、今回賠償で妥結されましたような金額というものは、それらの与えた苦痛と損害というものに対しては、非常に多い金額であろうというふうには考えておらぬのであります。内輪な数字でこれの話し合いの決着がついたというふうにわれわれは考えておる次第でございます。
  18. 吉田法晴

    吉田法晴君 私がお尋ねをしているのは、その当時仏印にあった旧軍人あるいは外交官あるいは商社関係の人たち、そういう人たちに具体的に会って聞いたのでありますが、そういう認識と事実に対して、それを否定されるだけのあれをお持ちなんですか。たとえば賠償部長は、人的な損害について向こうで百万あるいは二百万という数字が出ておる、で、委員会等では二、三十万という答弁をされて参りました。これはまあ賠償部長だけでなくて、外務大臣以下全政府委員はそう説明をしておりますが、それに対して政府は二十万、三十万という答弁をしたが実際にはどうであったろう、土橋さんの名前もあげて五万と言われたということを賠償部長等は言っておるようでありますけれども、そういう具体的な数字をあげたということはない、こういうことをはっきりこれは私確認をいたしました。実際にはどのぐらいとにかく被害があったかわからぬ、これは向こうにも、当時のとにかく政府筋にも、あるいは日本の軍関係についても資料はない、資料はないけれども二百万、百万という数字はそれは事実には沿わぬのではなかろうか、そういう意味で二十万、三十万という数字をあげたのだということでありますけれども、その根拠になった五万という数字をあげたという人もだれもない、今まであげて来られました数字なり資料というものは何も根拠がないということを、私はその当時おった人たちに聞いて確認をしたのであります。それをとにかく反駁すべき何か積極的な根拠がございますか。そしてそういう実態から鶏三羽という認識が外務省にもかつてはあった、外務省の諸君も損害がきわめて軽微である、こういう意味において鶏三羽という言葉が外務省の中から出たと私は確認をしたのですが、しかもそれは、その事実は今外務省の担当官だけでなくて、あるいは当時向こうにおった人たちだけでなくて、国民全体のこれは判断になっておると思うのですが、その国民の判断を、これは直感もあるかもしれません。あるいは部分的に聞いたところかもしれません。しかし国民の判断は、これは私は正しいものを把握すると思うのでありますが、これを数の暴力で解消するわけには私は参らぬと思います。藤山外務大臣いかがですか。
  19. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) むろんたとえば人的損害等につきましても、われわれとしては先般政府委員が御答弁申し上げましたように、いろいろな人に会っていろいろな話を聞いて、そうして推定いたすよりほか方法はないわけであります。で、向こう側が申しますような百万、二百万という、そういう数字はとうてい信頼されませんけれども、しかし、それでは全然人的な損害を与えてないか、飢餓等のことはないかと申しますれば、やはり見聞者の中には、やはり相当多数そういう人が出ていたというような意見を述べる人も相当数あるわけであります。まあわれわれとしてはそれらのものを大局から観察して、そうして判断の資料にいたすよりほか正確な数字をつかみますことは、これは不可能なこと申すまでもないのでありまして、そういう意味におきまして先般の政府委員も御答弁を申し上げておる次第でございます。従ってわれわれとしては大局に立ちまして、そういう見地から問題の処理に当たってきておるわけでございます。
  20. 吉田法晴

    吉田法晴君 これは外務省に資料を要求いたしましたところが電報が一つ提出されているだけで、人について調べられたところのものは全然出ておりませんが、それはどうなったか承りたい。それからもう一つ賠償部長来ておられますから伺いますが、衆議院で述べられた土橋さん等も五万云々、ということを言っておられる云々というお話でありましたが、そういうことはこれは国会を欺くものだという事実を私発見したのでありますが、その点について賠償部長の答弁を求めたいと思います。
  21. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 実は、これは参議院の予算委員会で辻先生から質問がありましたときに、私はふと土橋中将の話も聞いたということも引用したのでありますが、しかし、そのあとで聞きましたところによりますと、土橋中将と外務省の者が会ったということは事実でございますが、そのとき出た話というものは、自分の名前を引用してくれるなというお話があったのでございます、そこでその次の衆議院の予算委員会におきましては、土橋中将云々ということを私が申し上げましたことは、そこで取り消さしていただいた次第でございます。
  22. 吉田法晴

    吉田法晴君 話の内容も取り消したんですか。
  23. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 私は土橋中将のお名前を引用していろいろすることは、土橋中将の本旨にもとるということがわかりましたので、土橋中将云々と名前を引用したことを取り消さしていただいたわけでございます。
  24. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) その人的損害を判断いたしました資料としていろいろの方にいろいろのお話を伺っておるわけでございますが、皆さんいずれも確信はないわけでありまして、自分はこう思うんだと、こういう話もあるが、自分はこう思うという程度でありまして、だから自分が幾らと言ったことは公表してもらいたくないというのが皆さんの御意見でございまして、だれにいつ伺ってどういう数字が出たということは申し上げかねる次第であります。
  25. 吉田法晴

    吉田法晴君 いろいろな人に聞いた、そのいろいろな人に聞いた内容は報告するという話だったから資料を要求したわけです、出ておらんじゃありませんか。それから賠償部長は名前だけ取り消したというお話ですが、名前だけでなくて、これは内容も事実に相違をしています。私はここで戦争損害の問題について詳しく質疑をしようと考えておるわけではございませんから、鶏三羽という認識が外務省から出たということ、それから関係者がほとんど全部政府が言っておるような戦争損害があったとは考えない、これは異口同音に言っておるという事実だけを指摘をして、この戦争損害についての資料を出す点はまだ出ておりませんから、これは保留をして別の機会に明らかにいたしたいと思います。  藤山外務大臣は、岸首相方針と心中をするつもりのようですが、それでは藤山外務大臣の将来というものは、これはありませんぞ、ということを警告をして、政府の方で唯一あげておられるサンフランシスコ条約に基づいて云々という点だけでございますから、そのサンフランシスコ条約の根拠がないということについてお尋ねいたして参りたいと思います。  サンフランシスコ条約に調印をいたしましたトラン・バン・フーあるいはチャン・バン・フーがフランス国籍を持っておったという点は、これは承認をされたようでありますが、トラン・バン・フーがフランス人であり、あるいはかいらい政権であったということは、外務省は、過去においてはお認めになっておったわけでありますが、そのかいらい政権を代表してワシントンに参りましたトラン・バン・フーがフランス人であったこと、あるいは現にフランスに住んでおるわけでありますが、その前後の首相がほとんどフランス人であったということは、これはお認めになりましょうね。
  26. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 当時の前後の首相の大多数がフランス国籍を持っておったということは、われわれも存じております。
  27. 吉田法晴

    吉田法晴君 初め、フランス国籍を持っておるという点は答弁できなかったが、照会をされて認められた。しかし、二重国籍であって、フランス国籍のほかにベトナム国籍も持っておったということを言ってこられたのですが、ベトナム国籍を持っておったという根拠はどこにあるのですか。
  28. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) その点は、一九四八年にベトナムが独立をいたしました。従いまして、独立と同時に、ベトナム国籍も、これは当然保有するに至る、こういうことでございます。
  29. 吉田法晴

    吉田法晴君 ベトナムに国籍法ができた、このあとは、これはとにかくでありますけれども、フランス国籍を持っておったということは明らかだけれどもベトナム国籍を持っておったという法的な根拠は、どこにもないのじゃありませんか。生理的にベトナム人であるということは、これはわかります。しかし、独立をしたと言われるけれども、その独立をしたベトナムの状態は、外務省も認められるように、全くかいらい政権的な、非常に制限をされておるものであるということは、これは否定するわけには参らぬのじゃないのですか。
  30. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) 一九四八年に独立をいたして、そこで、ベトナムとフランスは、厳粛にフランスはベトナムの独立を承認する。それから、その後直ちに、一九四九年に、御承知通りエリゼ協定ができまして、フランス連合のワク内における協力方式が備わったわけでございます。従いまして、そのような独立を遂げましたので、フランス国籍をたとえ持っておりましても、そこでベトナム国籍を当然にこれは保有するということになります。
  31. 吉田法晴

    吉田法晴君 トラン・バン・フーがワシントンに参ります際に、フランスの信任状を持って行ったということは、これは明らかになっている。あるいは外交権についてフランスの合意を必要とする、あるいはベトナムの特殊利益に関する協定交渉、調印する際には、ベトナムが、その案を最高理事会の審議にかけるために共和国政府に提出をして、その承認を求めなきゃならぬということ、あるいは共和国の外交代表との連携の中に行なわれなきゃならぬということ、あるいは締結された協定が決定的となるためには、最高理事会の同意が必要である。こういうように、方針についてもフランスの同意を必要とするし、それから、一々とにかくフランスの代表の指示を仰がなきゃならぬ、こういうことが、外交権についても制限をされておる。これは御否定になるわけには参りませんでしょう。そういう、フランスの承認とフランスの代表権の中にありながらやらなきゃならぬという人間が、これがほんとうの独立をしたと言えますか。そういう意味においては、これは外交問題あるいは代表問題についても、独立をしておると言うわけに参らぬじゃないですか。
  32. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの点は、たびたび御指摘になり、私もたびたび御答弁申し上げたかと思いますが、フランス本国とベトナムとが共にフランス連合、ユニオン・フランス政府を組織している次第であります。そこでの、フランス連合内部の手続として、そのような手続がとられるということでございまして、それがベトナム外交権には影響があるものとは私は考えておりません。
  33. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは外交権に制限があるということ、一々相談をしなければ何もできなかったと、こういう点はお認めになりますね。事実は。
  34. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) その点は、一九四九年のエリゼ協定にそのような、フランス連合の内部においてどのような手続をするかという規定があるわけでございます。その点につきましては、たとえば、英連邦の国々の内部においても、いろいろそういう問題があるわけでございますが、従いまして、英連邦を組織している国々で外交権が存在しないとか、独立でないということは、だれも申していない次第でございます。
  35. 吉田法晴

    吉田法晴君 英連邦内部にそういう制限があるということを私は知らぬのですが、もう一つ、外務省からもらった資料の中で、四九年の三月八日前後、あるいは外交問題について、軍事問題について、あるいは国内主権の問題について、それぞれ協定があるようですが、司法問題等について、裁判を受ける場合に、フランス人であることが、フランス法を適用されるという意味において、ベトナム人であるよりもはるかに優位な立場にある、いわば治外法権的な取り扱いをされておる点から考えて、フランス国籍を持っておる者がフランス国籍を主張したであろうということはそれははっきり言い得ると思う。それから、たとえば管轄権の問題についても、司法関係協定の中に、四十一条、関係者の国籍を参酌し、これが管轄権を確かめることは担当判事の任務とする。判事についてもフランス人が優先をする。あるいは公務員についてもフランス人が優先をする。こういう事態の中で、金を出してフランス国籍を取得した者が、裁判の場合には、フランス人として裁判を受けたであろうということは、私はベトナム人でもありますと、自然的なベトナム人でありますということを言わなかっただろうということははっきりするのでありますが、それでもなおあなたは、フランス国籍も持っておった、あるいはベトナム国籍も持っておった、こういう工合に言われますか。この裁判に関するいろいろな規定から考えますというと、自分はフランス人だということで、フランス国籍を主張しただろうということは、これは想像にかたくありません。いかがですか。
  36. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) それは、ただいま申し上げました一九四九年のエリゼ協定及びその施行規則の問題でございまして、フランス人であるとともに、二重国籍を持って、独立するとともにベトナム人になるわけでございます。従いまして、現在、その後の関係で、どういう権益、どういう問題についてはどういうふうな法律が適用になる、あるいは司法権の問題についても、フランスとベトナムとがこのような協定をいたしているということは事実であろうと考えております。ただ、それはおのおの、個人の裁判権、民事的な、または刑事的な問題、個人のそのような問題について、どのような法律、どのような裁判を受けるという問題でございまして、公法的な、このサンフランシスコ条約における署名とか、全権委任状とかそういうふうな問題は、これは何ら関係がない問題だろうと思います。
  37. 吉田法晴

    吉田法晴君 あなたが、二重国籍を持っておったと言われるけれどもベトナム国籍を持っておったという証拠はどこにもない。自然人として、とにかくベトナム人であったということはわかる。しかし、フランス国籍を持っておったということははっきりしておる。ベトナム国籍を持っておったということがはっきりせぬ以上、これは逆に、裁判関係等については、法律関係等についてはフランス国籍を主張する立場にあった。あるいは事情にあった。こういうことで、フランス国籍を主張し、ベトナム国籍を持っておったということは、おそらく、その当時において、トラン・バン・フーその他フランス国籍を持っておった人たちは主張しないんじゃないか。こういうことを申し上げておるわけです。違いますか。
  38. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの件は、フランス国籍を持っておりましても、独立と同時にベトナムの国籍になるわけでございます。
  39. 吉田法晴

    吉田法晴君 どうして。
  40. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) これは、その国が独立すれば、ベトナム人は当然その国の国籍を所有することになる。これは当然国際法上の原則であろうと考えます。従いまして、それがベトナムにおきましては、ベトナム国籍人として扱われるというのは、これまた原則だろうと考えます。
  41. 吉田法晴

    吉田法晴君 独立をしたら当然取得するだろうと、これは想像と建前だけを言っておるわけです。しかし、実際に真実の独立をしなかったということは、これは外務省自身が認めておられるじゃないですか。外務省からお借りしたいろんな資料の中にたくさんございますけれども、インドシナ三国の政情その他はかいらい政権であり、ほんとうの独立でなかったという点は、これは至るところに書いてある。そういう認識を御否定になりますか。あるいは、そういう事実を御否定になるのですか。
  42. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) たびたび同じことを申し上げて恐縮でございますが、一九四八年、ここにおきまして、厳粛に独立を承認したわけでございます。これは、共同宣言においてはっきりと承認になっているわけでございます。それから一九四九年、それに引き続いて、またフランスとの関係に関する協定を結ぶ。この関係に関する協定と申しますのは、フランス本国とベトナムとが、ほかのラオス、カンボジアとともに、フランス連合を組織するわけでございますから、そのフランス連合における組織の関係、それをここできめたわけでございまして、私は、これはその点、独立であることには決して間違いはないというふうに考えております。
  43. 吉田法晴

    吉田法晴君 あとで独立をした、ほんとに独立をした場合には、これは問題ありません。しかし、四八年の独立というのは、ほんとうの独立でなかったということは、外務省自身認めておられるじゃないですか。個所を一々指摘をいたしませんけれども、それじゃ、権限が制限をされておる、フランス人であるとか公務員である場合にも優先をする、あるいは公証人のごときはフランス人でなければならぬ、こういう状態の中で、ベトナム国籍を持っておったであろう、こういう想像が通りますか。私がお尋ねしておるのは、その当時の実態について外務省で出されたバオダイ政権に対するかいらい性の認識、その当時の書類によって明らかですが、その外務省の当時の認識というものは、これは間違っておった、こういうことですか。今の話じゃないですよ。外務大臣、いかがですか。
  44. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 先ほど条約局長が申し上げましたように、フランス連合のワク内におきましてでも独立をしました以上は、それが、自然人としてベトナムに育ちました人はベトナムの国籍を取得することは、私ども当然だと考えております。従って、国籍法が多分一九五五年——五四年ですでにできましたときには、そのフランス国籍とベトナム国籍をどういうふうに選択するかということさえ規定しておるのでありまして、当然私は、独立と同時にベトナム人であったという資格は起こっておるものと考えております。
  45. 吉田法晴

    吉田法晴君 五四年以降は別問題です。その前のサンフランシスコ調印当時、その当時、かいらい政権であった、あるいは国籍について、これは昭和二十九年ですから一九五四年、トラン・バン・フー氏外歴代の首相あるいは閣僚、有力者がフランス、これは市民権という表現ですけれども、市民権所有者で、国籍の上ではフランス人である、こう断定してある事実が、これが間違いか。少なくともその当時、今サンフランシスコ条約の有効性を争っておる、今じゃなくて、一九五四年当時、あるいはサンフランシスコ調印の当時において、かいらい政権でもあったが、なおフランス人である、こういう認識が間違いであったかどうか。それは当然、あとからベトナムの国籍を取得したから、その前にさかのぼって持っておっただろうという想像。現に二重国籍を持っておるかといえば、そうじゃないじゃないですか。五〇年に放逐されて、バオダイ以下トラン・バン・フー氏等についても、フランスにいるようですが、これは明らかにフランス国籍を持ち、あるいはフランス人としてフランスにいるわけであります。その当時の認識は間違いですか。今からじゃないですよ、その当時の……。
  46. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) 先ほど申し上げました通り、当時におきましてもフランスの市民権を持っておった、これは事実でございます。しかしながら、独立とともにベトナムの国籍も保有した、これは国際法上の原則、ある国が独立すれば、そこの住民はその国の国籍を当然国際法上の原則として保有するわけでございます。従いまして、独立と同時に、この人に限りましては二重国籍という事態が発生したということでございます。一九五五年にそのような国籍法ができるとびうことは、まさしくそのような問題を解決するために、そのような国籍法ができたのでございます。
  47. 吉田法晴

    吉田法晴君 建前と想像、あるいは今日からさかのぼっての擬制だけはされるけれども、実際にそのときにあったかなかったかといえば、外務省自身がなかったと言っておるのですから、ないのはあたりまえじゃないか。このベトナム賠償の問題について、右翼団体で出しておる「民族と政治」の中に船田中氏が書いておられるが、船田中氏のように、国籍が何であるからといって効力に妨げない、フランス人であろうと、これが委任を受けて出れば、それでいいのじゃないか、こういう議論になれば別問題です。そういう議論をされるなら別問題ですが、そうではなくて、二重国籍を持っておったという主張をされるなら、その根拠をお示し願いたい。国際法上の建前について、国際法上、国籍の抵触に関する条約があります。これは、国籍は二つないのが原則というのが、これは国際法上の建前であります。しかも、その当時日本の外務省は、これは現地からの報道、現地からの報告というか、記述を基礎にしてであろうと思うんですけれども、国籍の上でフランス人であるということははっきりしておるけれどもベトナム人であるということは、はっきりしておらぬ。それは建前だけを言われるならいい。事実については、二重国籍を持ったことはないじゃないですか。
  48. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) たびたび申し上げます通り、独立によりまして、当然ベトナム国籍も保有するに至るわけでございます。それから、ただいま御指摘の点は、その国籍いかんの問題でございますので、そのように申し上げたわけでございますが、このサンフランシスコ条約調印云々の問題になりますと、国籍のいかんを問わず、全権委任状を持って、それが良好妥当と認められ、調印した以上は、これはもう正式の調印であり、拘束をいたすわけでございます。
  49. 吉田法晴

    吉田法晴君 まあ、西方を主張されるわけですが、今までは、その国籍が何であろうということは言われないで、フランス人じゃないかという指摘があったものだから、それはベトナムの国籍を持っておったはずだと、二重国籍であったはずだという議論で対抗しておられますけれども、フランスからは、二重国籍であったろうというまあ報告があったということですが、ベトナムからは、なんの報告もないじゃないですか。これは事実は、その当時記述をした外務省の報告の通りだと思うんです。これはその事実を今にさかのぼって否定するわけには参らぬので、答弁は要りません。フランス人であった者、そして外交権についても非常な制限を受け、一本立ちでとにかく国が代表もできなかったような人間が、独立の国を代表し、あるいは民族を代表して調印をする資格は、これはございません。全ベトナム人を代表し得なかったことは、外務省自身が認めておる。都会の一部において影響力を持っておるだけであって、全ベトナムについてはこの実効的な支配権を持たなかったところは、外務省自身が認めておられるところ。そういうフランス人であり、そして外交権がきわめて制限をされた人間が、この全ベトナム、全ベトナム人を代表し得ない人間が、サンフランシスコ条約に調印をしたって、それが法的な効力を十分持つとはこれは考えられません。それからまた、現に賠償を実施しても、その効果が北には及ばないという点は、皆さんも認めておられる。政府も認めておられるところ。はっきり、これは、トラン・バン・フー氏の代表権について大きな疑問があるということを示している。特に、そのバオダイ政権が北をも代表し得ないということは、一九四九年三月八日のフランス・ベトナム協定に関する云々というこのバオダイ帝あてフランス連合、共和国大統領の説明書簡、それから、同じくバオダイ帝あての、これは三国の地位に関連をする書簡でありますが、関係住民もしくは代表者の審議にかけて後云々と、南を代表するものだということがはっきりしておると思うのでありますが、そういう意味においては、かりに百歩を譲って、代表をすると主張をされても、南を代表する以外にないじゃないかと思うんですが、その点はいかがですか。
  50. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの御指摘の点でございますが、一九四九年の三月八日の協定交換公文でございますが、そこには、北ベトナム、中部ベトナム、それから南部ベトナムも含めまして、トンキン、すなわち北ベトナム、それからアンナン、中部ベトナム、それからコーチシナ、南ベトナムの領域の結合によって構成されるベトナム、このようにはっきりとそこでは全ベトナムを含むように規定されている次第でございます。
  51. 吉田法晴

    吉田法晴君 それは「全部を代表するかどうかはその後の決定に待つ」と書いてあるじゃありませんか。それから一九五九年の便覧の中には、「北ベトナムに主権が及ばず南ベトナムすら完全に把握していなかった。」これはちゃんと書いてある。この書簡の、交換公文といいますか、書簡の内部にも、南を代表し、それから全部を代表するかどうかはその後の決定に待つと書いてあるところから見ても、南だけしか代表していない。しかも実効力はなかったという点は、はっきりしているじゃありませんか。
  52. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの御指摘の点は、南の方のことだと思いますが、南の方は、その後の決定、すなわち国民投票、自由に表明せられた国民意思によいて決定される。それがその後決定されまして、この全ベトナムが、このような南のコーチシナがそのような決定がありまして、そしてそれが中部、北の方に結合し、ここに全ベトナムというのができ上がった次第でございます。
  53. 吉田法晴

    吉田法晴君 結合をしたという事実がどこにありますか。
  54. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) エリゼ協定には、そのような結合したところのベトナム、こういうふうなベトナムに対して主権を譲って独立を認めていることを表明しているわけでございます。
  55. 吉田法晴

    吉田法晴君 今その個所を引っぱり出して争わなければならぬのですが、この交換書簡の中には、明らかにこの南云々ということが書いてある。それから全部にわたるかどうかということは、その後の決定によるということですが、その全ベトナムについて選挙がいつありました。バオダイ帝については選挙も何もありわせん。これはゴ・ディン・ジェムについても南だけの選挙、それから北ベトナムは、北ベトナムと言われている民主共和国については、選挙を全部についてやりました。だから全部を代表するものは、それは民主共和国かもしれませんけれども、バオダイ政権は選挙も何もやっちゃおらぬ。それからゴ・ディン・ジェムは、南だけについて選挙をやっている。だから南のこれは政権云々ということは言えるかもしれない。しかし、それはジュネーブ協定によって五七年に選挙をやるべきだ、こういうことが規定されていることも、これは間違いのない事実だ。しかも、バオダイ政権が北べトナムにもちろん及ばず、南ベトナムすら完全に把握していなかったということは、事実として外務省が認めているところではないですか。それをお認めになりませんか。
  56. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) 先ほど申し上げました通り、このベトナム地域と申しますか、ベトナムが独立する場合に、このエリゼ協定によって、ベトナムとは、ユニテ・デユ・ベトナムという項目におきまして、ベトナムということは全ベトナムのことであるということをここで明らかにしているということでございます。
  57. 吉田法晴

    吉田法晴君 文書は、「インドシナ三国の地位」の二十七ページに、一九四九年三月八日バオダイ帝あてフランス連合、共和国大統領の説明書簡の中に、一として、「南部ヴィエトナムの帝領復帰は左記手続に従いなされるものとする。フランス憲法第七七条により定められ、当該地域の地位変更に関する意見提出の責に任ずる南部ヴィエトナム地域代表会議創設法案のフランス議会による票決。前記規制変更と南部ヴィエトナムの帝領合一に対する南部ヴィエトナム地域代表会議の票決。」とはっきりこれは南部の帝領復帰についてそのステータスを決定する地域代表会議創設法案のフランス議会による票決が必要であると書いてあるし、それからベトナムの統一という点については、「コーチンシナ以外のヴィエトナムの他部分(トンキン、アンナン)との結合は関係住民もしくは、彼らの代表者たちの自由なる審議の後でなくては合法的に達成せられたとはみなされ得ない。」この結合を決定をする国民意思を問う、人民の意思によって決定をするということがいつなされたか、なされておらぬじゃないですか。これはバオダイのときにはなされておらぬし、それからゴ・ディン・ジェムの場合においても南だけしか選挙なされていない。あるいはその当時の実態については、政府外務省で書いた便覧の中にも北ベトナムに及ばないのはもちろんのこと、南ベトナムすら完全に把握していなかったと、はっきり書いてある事実によって証明できるじゃないか、こういうことを私は申し上げているわけでありますが、答弁は要りません。はっきりしている。  それではその次の質問に移りますが……。
  58. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 吉田君、長かったら休憩をしてもいいです。
  59. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは次の問題に移る前に休憩を……。
  60. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) これにて午後二時まで休憩をいたします。    午後零時十三分休憩    —————・—————    午後二時十七分開会
  61. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 休憩前に引き続き委員会を再開いたします。  ヴィエトナム賠償協定に関する両件の質疑を続行いたします。
  62. 吉田法晴

    吉田法晴君 先般、戦争損害の資料として、外務省でいろんな人に聞かれた資料を提出するということですが、その後いただきましたものは、電報一つしかございません。約束に従って資料をお出し願うことを要求をいたしておきます。  それから詳細は別の機会にいたすことにして、外務大臣お尋ねをしておきたいと思うのですが、政府南ベトナム、このバオダイ政権との間に、これが全ベトナムを代表するものとして講和条約を結び、それから賠償協定はゴ・ディン・ジェム政権との間に結んで、それが北にも及ぶのだと、こういう説明をしておられますが、実際に北に及ばないという点は、これは外務省の資料にも出ている。はっきり外務省の見解として出ておりますが、具体的に昭和三十四年の二月には、日本の隆和丸という船と、それからベトナム民主共和国の石炭船との間に衝突事件が起こって、賠償と申しますか、請求の問題があるようであります。これは南を相手にしておやりになるのですか。北とも交渉をしなければ実際にならぬだろう、あるいは北との貿易が実際に行なわれている、そのライセンス等は北に対してもやはりこれは出すということにならざるを得ないだろうと思いますが、相手にしないという公式論だけ、建前だけを言っても、なかなか事実通らぬと思う。外務大臣の御所見を承っておきたいと思う。
  63. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 賠償の問題は、サンフランシスコ条約に署名いたしました責任を果たすわけでありまして、署名国との間にこれをとり行なうのが当然のことでございますので、われわれとしては、そういう意味にとり行なうわけでありまして、同時に、われわれとしては、四十九カ国が承認しておりますベトナム共和国が全ベトナムを代表する国として考えておりますので、これを対象としてやるということでございます。ただいま御指摘のありました問題については、政府委員より答弁いたさせます。
  64. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) ただいまの隆和丸事件というのは、私ちょっと存じませんが、いずれ調査いたしてみますが、御質問は、こういうものはどこに請求をするかという——ただいまの三十四年二月の事件というのは私ちょっと存じませんけれども、御質問の要旨は、そういう衝突があった場合は、どちらに要求するかという御質問だと思いますが、それが北ベトナムに属する船と日本の船との衝突というわけ、まあ北ベトナムの方の現実の政権に要求いたしまして、そして問題が解決いたしますれば、それが一番現実的な方法じゃないかと存じますが、しかし、それで解決しなければ、問題は将来に残るというふうに私は考えております。そこにおります現実の政権というものとの間に話がつけば、それが一番けっこうである、私はこう考えます。
  65. 吉田法晴

    吉田法晴君 事実を御存じないということですし、別の機会にしてもいいのですが、現実に北にある政権との間に交渉をしてまとまればいいし、まとまらなければ機会を待つ以外にないと、こういうことですが、要するに、北を相手にして、ベトナム民主共和国を相手として交渉しなければならぬという点はお認めになったようです。それは今までの答弁とは違うと思うのです。南を相手にして北の問題も、とにかく賠償問題については、賠償問題だけでなくても、ほかの問題についても、南を相手にして交渉せざるを得ない建前であります。——明らかに違いますね、今の説明は。北を相手にして折衝をする、こういう点をお認めになったのですか。今までの答弁と違うことだけは事実でございます。
  66. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) これは条約局長が答弁するのがいいのかと思いますが、私の申し上げたのは、国と国との問の問題ということではございませんで、そういうような小さな一つの問題で、現実に北との関係で起こったもので、現実的に処理できるものであれば、その方が現実に即しておるのではないかというふうに申し上げたのでありまして、これが法律的に国と国との関係にどう影響するのか、そういうようなことに全然関係なくて、現にそこにおる、権力を持っている、そことの間に現実的な解決をはかる、法律的な意味で申し上げたわけではございません。
  67. 吉田法晴

    吉田法晴君 詳しい論議は別の機会にいたしますが、法律論議じゃないとおっしゃいますけれども、船と船とが衝突をして、そしていずれに責任があるかということで、賠償請求権という問題について、権力と言われましたが、あるいは政府と言われても同じことですが、それを相手にしないわけにはいかぬのじゃないか、それを認められたわけでありますが、そうすると、民主共和国を相手にしない、南に相談をすれば、南を相手にすれば、それで話は片づくのだ、北の船との間の衝突事件についても、話が解決するのだ、こういう従来の答弁、あるいは建前とは違っているじゃありませんか。こういうことを申し上げ、それを確認をして論議は別の機会にいたしたいと思います。  仏印と日本との関係は、これは法律的な解決政府がとっておられる態度は、従来いろいろ、たびたび言ってこられましたから、私どもはまあここでそれをあらためて聞こうとは思いませんが、日本が仏印に、いわゆる平和進駐と称して兵を進め占領をした、あるいは三月八日のクーデター等もございますが、日本が仏印に、いわゆる南方作戦と申しますか、最高指導会議の決定に従って進駐あるいは占領をいたしましたときに、向こうの政権はバオダイ政権であったと思うのでありますが、そのバオダイ政権と日本との関係はどういうものであったか承りたいと思います。
  68. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまバオダイ政権云々の話がございましたが。いつのことでございましょうか、バオダイ云々のことは。これはあくまで当時、フランスの植民地と申しますか、フランスの支配のもとにあった仏印でございます。その仏印に対するわれわれは進駐云々と心得ている次第でございます。
  69. 吉田法晴

    吉田法晴君 最初、いわゆる平和進駐と称して参りました当時は、フランスの植民地であり、あるいはアンナン帝国等のあれもございますが、三月八日、松本俊一大使が最後通牒を突きつけて云々ということでございましたから、フランス政府の出先機関、大使を相手にして折衝をしたことは私も知っておるのです。ところが、その後、バオダイ擁立と申しますか、これは日本軍で、あるいはコンデ侯を引っぱり出そうとしたり、いろいろしたようでありますけれども日本に協力をする政権を打ち立てようとしたことは間違いがないのじゃないでしょうか。あるいは旧軍人のいうところに従うと、日本で独立をさした、フランスからの独立を日本軍がやってやったのだ、こういう説明がなされておりますが、フランスからのベトナムのいわゆる独立、これはほんとうの独立じゃないと思うのですけれども、独立を策されたことは、これはまあ間違いがないようだ。そのときに出てきたのはバオダイじゃなかったのですか。
  70. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの御指摘の点は、一九四五年の三月九日かと思いますが、そのような事実があったということが伝えられております。当時、これに対しましては、日本政府としてこれにどのような態度をとったかと、日本政府が公式にこれに関与したということは全然ございません。これは現地が、日本軍によりまして仏印の管理が行なわれまして、そのときに、そのような事実があったということを伝え聞いているだけでございます。これはやはり、あくまでフランスの領土でございますし、フランスとの話し合いによって正式には独立すべきであります。占領地域がそのまま独立するということは、これは考えられないことだと考えます。
  71. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは、現地の軍がやったことであって、日本政府は知らぬと、こういうわけですか。
  72. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 当時の日本戦争最高指導会議と申しますか、これにおきましても、この仏印処理のあとでバオダイを現地に、現地民による独立政権を作りたいという方針はきめております。それに基づきまして、その方針にも従いまして、バオダイは三月十一日に独立宣言をいたし、そしてフランスとの条約の破棄等を宣言いたしておりますが、その後に至りましても、日本国といたしましては、これの独立を承認するといったような事実はございません。
  73. 吉田法晴

    吉田法晴君 この独立を承認したかどうかという点は、あとからの行為はわかりませんけれども、昭和二十年の二月一日の最高戦争指導会議の中には、前の方で、日本のいうことを聞かせるのだと、あるいは仏印軍なり、武装警察隊を帝国軍の統一指揮のもとに入らしめ、全面的にその指示のもとに行動せしむることというような点もございますが、そして仏印総督側に対して、共同防衛の誠意なきものを認むる場合には、実力行動をとるのだ云々という点もございますが、その中に「安南国等ニ対スル措置ハ左ニ拠ル」として、「現地軍ニ於テ適宜安南国等ノ独立的地位ヲ向上支援シ積極的ニ我ニ協力セシムル如ク施策ス」と、こういうふうにアンナン国に対してはその独立の地位を向上支援し云々と、方針として、その当時のこれは最高戦争指導会議——政府も参加をいたしておりますが——独立をさせ、あるいは独立の地位を向上支援して積極的にわれに協力せしむるという方針がございますが、これらのものはこれはうそですか。その中のあるいは松本大使が最後通牒を突きつけたり、あるいは武装解除をしたり、そういうことはその当時に行なわれておるし、それからアンナン国に対する措置は、これはその後事実になって現われておるようですが、いかがですか。
  74. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 先ほど私から条約局長の御説明を補足いたしました通り、これは事実でございます。ただ、その後に至って、日本政府としてはこれを承認しておらぬということを申し上げた次第であります。
  75. 吉田法晴

    吉田法晴君 当時どういう態度がなされたか御存じでしょう。これは当時の新聞記事ですけれども、これは朝日新聞、昭和二十年三月十三日、現地からの報道班員からの報告ですが、前文にはこういうことを書いております。「六十年に亘りフランスの圧政に喘いで来た二千三百万の安南民衆の自由の日は来た、安南帝国保大帝は十日閣議を開き敢然独立の方途につき種々審議あらせられたが仏安条約を破棄し、十一日正午勤政殿において各大臣侍立のうえ厳かに左の如く安南帝国の独立を宣言すると同時にこれを世界に闡明した」、その中に宣言文が載っております。「安南帝国政府は本日を以って仏安保護条約を廃棄し安南帝国は完全にその独立を回復せることを宣言す、安南帝国は爾今独立国家として益々その発展を図るとともに大東亜共同宣言の趣旨に則り、大東亜の一員として共存共栄の実を挙げんことを期す、安南帝国は右目的達成のため日本帝国の誠意に信憑し、総力を挙げて日本帝国に協力せんとするものなることをここに闡明す」、こういうことが報ぜられております。そして、その後、新聞記者諸君にしても、会見をしたりしておりますが、その際にも、「共栄圏建設のために安南帝国の持つ役割は極めて大きい、安南帝国は生れながらにして大東亜共栄圏の一環である、共栄圏全体の繁栄のためには安南は出来る限り貢献せねばならぬ」、こういうあれが報ぜられておりました。これは、大東亜宣言に基づいて、その趣旨にのっとって独立をした。あるいは軍からいいますならば、独立をさせた。それから、最高指導会議方針に従うというと、これは政府も含んでおりますが、その当時の日本戦争指導をしておった最高会議方針に従って、向上あるいは、いわゆる独立、あるいは大東亜共栄圏の方針に従って動いていったという点が、これは歴然としておると思うのであります。日本について責任がないとおっしゃるのですか。
  76. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私は、日本責任があるとかないとかということは、先ほどは申し上げませんですので、日本としまして最高指導会議できめましたのは、「現地軍ニ於テ適宜安南国等ノ独立的地位ヲ向上支援シ積極的ニ我ニ協力セシムル如ク施策ス」、そして「一般情勢ヲ勘案ノ上安南国等ノ独立ヲ承認ス」ということでございまして、事実十一日に独立を宣言いたしておりますが、当時戦局も、非常に見通しも悪いというふうなことでありまして、結局、日本政府としましては、これの独立を承認はいたしておりませんので、一方的に宣言しただけにすぎないという結果に終わった次第でございます。
  77. 吉田法晴

    吉田法晴君 「現地軍ニ於テ」云々とは書いてございますけれども、その方針は最高戦争指導会議できめたことは間違いない。松本大使が最後通牒を突きつけられましたのも結局、その方針に基づいておやりになったことじゃないですか。片っ方は、それは日本責任を持つけれども、片っ方はバオダイの独立なり、あるいは大東亜共栄圏についてやっていく云々については、これは現地軍がやったことで、最高戦争指導会議責任は持たぬ、日本責任を持たぬ、そんな理屈は通りませんよ、これは。
  78. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 先ほど条約局長がちょっとそういうふうに響く御答弁をいたしましたので、私からその点はすぐ訂正いたしまして、これは最高指導会議の決定に基づいて行なわれたものだということは申し上げてございます。
  79. 吉田法晴

    吉田法晴君 最高戦争指導会議の決定に基づいて行なわれた、そして現地軍が云々と言うけれども、それは現地軍じゃなくて日本方針、そして独立を宣言した。それがかいらい的なものであろうか、あるいは実際の独立であるかということを今問うているわけじゃない。この日本方針に従って独立をさせた、これはその当時の軍の関係者がわれわれが独立さしたと言っているのだから、これは間違いないと思いますが、それが現地軍だけの判断あるいは現地軍だけの責任でやったんじゃなくて、最高戦争指導会議で決定された方針を現地軍がやった以上、国が責任を持たなければならぬじゃないか、そしてその日本責任を持つべき最高方針に従って宣言をやり、あるいは大東亜共栄圏建設の方向において、今後のアンナン帝国をやってもらいたい、こういうことならば、これはその当時作られたバオダイ政権と申しますか、その当時のいわゆるアンナン新政権ですが、これは日本のかいらい政権であることは、これは争うことのできない事実じゃないですか。そういう日本でこしらえさした、あるいは日本で最高方針に従ってやらせたバオダイ政権、その後これは多少変化はいたしておりますけれども、そのバオダイ。いわば戦争をしかけ、あるいは占領をし、戦争を通じて迷惑をかけた、その迷惑に対して政府の言葉でいえば、損害と苦痛、その国民に与えた損害と苦痛には、当時の日本政府あるいは日本の軍、これは責任を負わなければならぬ。その断わりを言うのに、その当時戦争に協力をし、あるいは一緒になって国民を苦しめたそのバオダイ政権に、その当時の戦争責任者である岸首相は、沈船引揚協定以来、これは岸内閣、岸首相責任を持っておられますが、そういう戦争責任者が、戦争の協力者に対して賠償交渉をするという、しかも、その効果は全ベトナム人民に及ばぬ、こういうことを相談をすることが、はたして妥当なんでしょうか、藤山大臣にお伺いしたい。
  80. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 戦争中でございますから、いろいろな戦時中のいきさつはあろうかと思います。が、しかし、サンフランシスコ条約調印に至りますまでのフランスと仏印旧三国との間の関係というものは、その後法律的にもあるいは規定されてきております。そういう関係から申しまして、戦争中のいろいろな若干の事実はございましょうけれども、独立国として継承されてきました今日のベトナム共和国というものに対して払うことは、私、適当だと考えております。
  81. 吉田法晴

    吉田法晴君 あるいは満州の溥儀政権あるいはヒットラー・ドイツと、それからビシー政権との間、こういうものを考えて、侵略主義者と、あるいは戦争責任者と、かいらい政権との間に賠償交渉が行なわれ、そしてそこで調印がなされたというのが、はたして有効なとにかく賠償になるでしょうか。法的にも問題がございましょう。これは侵略者とそれからかいらい政権との間でいえば、協力関係はあっても、敵対関係はなかった、あるいはその当時平和進駐といわれたように、侵略者かりいえば、その当時のあれは平和進駐でしょう。あるいは戦闘行為はなかった、向こうもそのかいらい政権である限りにおいては、侵略がなかったと言われるかもしれない、そういう政権の間に賠償交渉が実際に成り立ちますか。もしかりに、それを認めたとしても、その効果が国民全部に及ばないのはこれは当然です。あるいは満州なら満州、中国の東北において溥儀政権がかりに残っておるとする、それは間もなくそういうかいらい政権はおそかれ早かれひっくり返されるでしょう。ひっくり返されるけれども、過渡期において残っておったとして、そのかいりい政権との間に、溥儀政権との間に、岸内閣はこれは賠償交渉されますか、同じことじゃないですか。
  82. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 賠償は御承知通りやはりその土地におります住民に与えた損害その他を償って参るわけでありまして、合法的に成立過程を経て成立してきました政府性格のいかんによって左右すべきものではないと思うのであります。そういう意味からいいまして、やはりわれわれとしては、ベトナム共和国に、それを引き継いできております。歴史的な事実から築いてきておりますベトナム共和国に払うべきだと、こういう解釈をとっております。
  83. 吉田法晴

    吉田法晴君 今の前半というのですか、初めの方のは、これは当然のことを言われましたが、その住民に損害を与えた、あるいは迷惑をかけた、だから、その国民に、正当に代表すると考えられる国を通じて賠償を支払う、これはその当時の建前なんです。ところが、実際には、その損害を受けた、あるいは苦痛を受けた国民を正当に代表しておらぬ政権、しかも、それはむしろその国民に対して、日本に協力をして、国民を痛めつけた、いわば戦争協力者に対して賠償をされようとするから、そこで、その賠償の効果が、本来被害を受けあるいは賠償を支払うべき国民には到達しないという現実が出てくるのです。賠償の建前と実際とが食い違いをするのがそこにある。そこで、かいらい性の問題も問題になります。しかし、私はここで指摘をしておるのは、戦争をしかけた者、戦争損害と迷惑を与えた者、それに協力をしたバオダイ政権、しかも、かいらい性、その当時は日本のかいらい政権でしたでしょう。調印した当時はフランスのかいらい政権でしたでしょう。いずれにしてもかいらい政権である。あるいはバオダイという人がほんとうの人間ならば、その戦争の際の日本戦争政策に協力した責任を痛感すべきだ。そういう人が、そういう政権が、この正当な賠償の相手となるはずがないじゃないか。なり得ないではないか。迷惑をかけた国民賠償をしたい、償いをしたいという今の前半の意思は、国民には決して通らぬ、届かない、こういうことを申し上げているわけでありますが、事実はこのことはお認めになる以外にないでしょう。
  84. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 当時の三月十一日に独立宣言をいたしましたバオダイと、これは承認はいたしておりません。これと後ほどできましたバオダイ政権というものは、ただ元首の名前が同じであるだけで、全然法的にはつながりは、ございません。  それからもう一つ、当時の仏印の国民というものは、これは仏印の歴史がフランスに対する反抗であった、当時までは。というふうな点から見ましても、私は、国民に対して虐政をしいたというものではなく、むしろ一般のアンナン、仏印の国民に喜ばれたものである。かつ、日本軍といたしましても、現地の住民との関係をよくしようという意図に出まして、こういうふうな政権を擁立したということでありまして、決して現地住民を痛めつけたという事実はなかった、こう思っております。
  85. 吉田法晴

    吉田法晴君 それはその当時の軍なり、あるいは軍人あるいは日本政府の少なくとも主観的な意図は、痛めつけようということではなかったという点は、これは今から当時の関係者に聞いてもわかります。しかし、占領をしたこと、あるいは戦闘行為のあったこと、これはお認めにならざるを得ない。しかも占領なりあるいは戦闘行為なりひっくるめて大東亜戦争によって━━太平洋戦争によってベトナム国民に非常な迷惑をかけたことは、これは御否定になるわけには参りますまい。しかもそれをバオダイは日本の意図に従って、戦争最高指導会議方針に従ってこれに協力をした。大東亜宣言の方針に従ってやっていきたい、こういう宣言が、これは勅諭というのか、宣言というのか何か知りませんけれども、そういう方針をはっきり出し、その後それに従って行政が行なわれておる。そうすると、日本の占領政策あるいは戦争政策に協力した、こういう意味においては、日本ベトナム国民に対して負うべき戦争責任については、同様にバオダイ政権も——当時のバオダイ政権は責任をこれは分担をしなければならなかったということについてはこれは否定するわけに参らぬのじゃないですか。
  86. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) バオダイ政権を擁立いたしました経緯、その日本の真意、意図につきましては、これは今御説明いたしましたが、私はむしろバオダイというふうなものが出まして、直接軍が住民と折衝するのでなくて、バオダイが間接に間に入ったということはむしろ当時の民衆のためになったことでありまして、現実の問題からいたしますれば、むしろこれはいいことをしておると、私はそう考えております。
  87. 吉田法晴

    吉田法晴君 そうすると、バオダイを独立させて、あれをしたのはいいことをした、こういうように御説明でありますが、これは戦争責任というものについて全くの反省がないことですが、戦争裁判等を見てみますというと、仏印関係についても戦争犯罪と明確に指摘した事実もございます。戦争あるいは占領というものを通じてそれにバオダイ政権は当時協力をした。大東亜宣言の精神に従って云々という点で協力をしたのですが、日本の、それでは占領やあるいは戦闘行為による加害、あるいは戦争犯罪だと指摘された事実等についても、これはいいことをした、大へんいいことをしたと、こういうふうにお考えになっているわけですか。
  88. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私は、日本戦争責任があるけれども、バオダイが日本軍の、日本と現地住民の間に立つことによってむしろこの日本の与える損害というものを軽減する方に現実的には動いたのではないか、こういうふうに申し上げておる次第であります。
  89. 吉田法晴

    吉田法晴君 藤山外務大臣どうですか。これはさまつな法理論や言いわけの問題ではないと思うのです。基本は戦争責任を負った日本がその当時の戦争協力者、大東亜宣言に基づいて日本戦争政策に協力をした、あるいは占領政策についてもですが、協力をしたバオダイ政権は、私は日本戦争責任の一端をになうべき性質のものだと、こう考えるし、そういうものを相手にして賠償交渉をするということは、これは不法であり、不当であると考えるのですけれども、今のような独立をさせてやったんだ、あるいは損害が少なくなったんだという点において、日本はいいことをしてやった、こういう局長の答弁ですけれども、大臣としてもやはりその通り考えになりますか。
  90. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 戦争のさなかにおきまして、先ほど申しました通り、いろいろな経緯がありまして、むろん御承知のように、東南アジアにおける戦争の地帯というものは主として植民地でございます。従ってそれぞれの住民も、従来の植民地の支配に対しての反抗も持っております。そういう意味からいいますれば、日本の意図に対して協力したものもあると思います。そういう限りにおいては、日本考えるような非常な、あるいは日本が非常に何か侵略的なことをしたというか、侵略的なことに協力したというように考えるのでなくて、やはり現地のそれぞれの指導者といたしますと、自分たちの解放戦にできるだけ日本の協力を得たともいえないことはないわけなんでありまして、それらの点については、たとえばインドネシアとオランダとの関係においても同じような事態があるわけであります。でありますから、そういうことをただいまアジア局長が申したと思うのでありまして、われわれとしてはそうした性格論に立つのでなくして、申し上げております通り、歴史的な植民地からの独立発展段階において、適当にかたづけられましたベトナム共和国というものがやはり賠償を受けるべき国であるという、しかもそれはサンフランシスコ条約にも調印しておるわけでございますから、そういうふうに考えておるわけでございます。
  91. 吉田法晴

    吉田法晴君 まあ、私は戦争の後には戦争失敗を深く反省をし、そうして再び戦争の繰り返されないように平和憲法を作り、国の大方針とした、あるいは賠償問題についてはいろいろな国に対して、それぞれの国に対して大へん迷惑もかけた、悪いこともした、従ってその反省の上に自分も再びそういう侵略を繰り返さないが、国民に対しても損害を与えたことに、迷惑をかけた国民に対してもおわびを言い、そうして平和関係を復活し、そうして友好関係を復活していきたい、あるいは強化していきたい、こういう意味で、私は償いの意味賠償が行なわれると思うのですが、ところが今の答弁の中には、いや、インドネシアについてもそうだけれども、仏印についてもそれぞれの植民地の母国から、フランスから独立をさしてやったんだ、あるいはインドネシアを独立をさしてやったんだ、むしろ戦争を通じてわれわれはいいことをしてやったんだ。大東亜の、とにかくそれぞれの国の独立を達成さしてやったんだ、こういう、復古思想でございませんが、大東亜戦争中に、あるいは仏印進駐前からありました大東亜精神にお返りになっているんだと思う。そういう思想でおられるから、南を助けて軍事的な強化に役立ち、あるいは北に対して、あるいは中国に対しても軍事力を強化して、平和を保つことが、あるいは軍事的な統一をやることが、これは日本にとっていいことだというような態度になってくる。今の、とにかく独立さしてやったんだ、いいことをしてやったんだという説明はまさに大東亜共栄圏の精神である。そういうことで賠償をおやりになろう、あるいは賠償を合理化しようったって、それは認められるものじゃありません。まさに戦争責任者のような、これはまあ、あなたの御答弁を……。
  92. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私の申し上げましたことが若干誤解をしておられるのではないかと思うのでありまして、日本が非常にいいことをやったんだということは私は申しておりませんし、先ほど来、前段で御説明のありましたように、戦争のときにその地域に対して占領もし、あるいは軍事行動もあったことに伴いますいろいろな損害と苦痛に対して、われわれはお話の通り、衷心からやはり償いの気持を持って賠償問題を扱わなければならぬことは当然でございます。ただ、私の申しましたのは、そうして戦後植民地が解放されて独立して参りました場合に、それぞれの国の政権を担当しておりました者が戦時中、あるいは日本軍に協力した人もあり、あるいはしなかった人もございましょうけれども、協力した人であるからということだけで、そういうことを左右すべきではないのだということを申し上げましたので、私は決して日本がいいことをしてやったのだ、非常にあれだというような、そういう意味で申し上げたつもりではございません。
  93. 吉田法晴

    吉田法晴君 局長がいいことをしたのだという説明をし、それからあなたの答弁の中にも、インドネシア等についても独立が戦争を通じて実現したのだという意味の言葉があったと思ったから、私は申し上げたのですが、その点はこれはまあ外務大臣は取り消されましたが、伊関局長もしいいことをしたのだという点について誤りがあったというならば、これはお取り消しになるべきだと思うのですが、賠償は、それは初めから言われておるように、迷惑をかけた国民に対して償いをするのだ、そして償いをして平和関係を復活し、あるいは友好関係を復活するのだ、こういう目的のものであることは、これは間違いない、いかがですか。取り消されますか。取り消されませんか。
  94. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 賠償に関する考え方といたしましては、ただいまおっしゃいました通りでございますが、私が、いいことと申し上げましたのは、言語風習等を異にする日本軍が直接現地の住民に対しまして占領行政をやりますよりも、現地の住民に高度の自治組織を持たせまして間接にやる方が現地の住民からは喜ばれただろう、こういう意味において申し上げた次第であります。
  95. 吉田法晴

    吉田法晴君 相変わらず自治組織云々についてもそうですが、戦争政策を合理化しようとされるから、そういう態度はそれは戦争責任について反省するものではない、こういう意味で反省を求めているのです。反省がなければないでよろしい、あるいは取り消されなければ取り消されないでもよろしいが、そういう精神に基づいてやられるから、賠償というものがとんだところに行き、あるいは被害を受けた国民には到達をしない、こういうことが起こってくるわけであります。それから大臣の答弁の中で、これは間違いがございましたが、共和国に対して云々というお話でありますが、これはバオダイ政権との間に平和条約の調印が行なわれ、それを共和国が引き継いだ、こういうことになっているのでありますが、その間違いははっきり間違いですから、別に取り消しを要求しませんが、バオダイ政権が日本戦争政策に協力をした政権であるという点は指摘をいたしました。それから、そういう戦争に協力をしたものに戦争責任者が賠償の話をするというのはこれは不適当である、あるいは不当である。しかも実体は、このバオダイ政権がベトナムの全部の人民を代表するものでない。むしろ日本に対して独立の戦いをし、そして独立を実現したものは民主共和国だ。この点は外務省の資料の中にもございますから、これは明らかになっておりますが、そういう、とにかく賠償交渉をすべき相手が間違っておる。そこに賠償のせっかくの誠意というものが到達しない点があるのだということを私は申し上げたわけであります。それは指摘にとどめて同じ議論は繰り返しません。ただ、バオダイ政権からゴ・ディン・ジェム政権にこの賠償請求権が継承されたという説明を従来されておりますけれども、どうしてこれは継承されたと言えますか。従来、衆議院等で説明をされたところによると、バオダイ政権の打倒、追放というか、あるいはバオダイ政権からゴ・ディン・ジェム政権に移ったのは革命だこういう点もはっきり言っておられる。革命だという点を認めながら、権利関係が承継されるというのは、どうして言えるのですか。
  96. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの御指摘の点でございますが、ベトナム国、国としては同一性を保っているわけでございます。ただ政府が変更いたしまして、変更の様式が一種の革命に類するような変更の仕方でございます。従いましてこの際は政府の変更、従ってそこに政府承認という行為を経まして、引き続き前の政府とあとの政府との権利義務関係が、国家が同一でございますので、その権利義務関係が引き継がれている、こういうわけでございます。
  97. 吉田法晴

    吉田法晴君 政府の承継だ、政府の変更だと言われますけれども政府の承継ということと革命ということと違いますよ。それからもう一つ、バオダイ政権が、バオダイがおらん間でありますけれども、投票の形によってはおりますけれども、継承の関係はない。いわば投票によっておりますけれども、しかしある意味においては更送だということも言えましょう。選挙の際にずいぶん選挙干渉というか、票が、公式に登録せられない票数が出てきている点等もございますが、そういうこまかいことは今は言わぬにしても、王政から共和国になったことは間違いない。それはお認めになるでしょう。そうすると、同じ国の中で政府が違ったという説明では、これは通らぬ事実の経過であることは、これはあなた自身も過去においてお認めになっているじゃないですか。
  98. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいま御指摘の点は、国としては同一性を保っているわけでございます。国はベトナム国として引き続き存在しているわけでございますが、それを代表するところの政府及び政体、それがこの十月二十三日の国民投票を実施することによって変更を受けた。従いまして御承知通りの、通常言われますところの政府の変更でございますので、ここに承認という行為を通じまして継続性が保たれている、こういうふうに考える次第でございます。
  99. 吉田法晴

    吉田法晴君 これは革命だということを承認されたように、政府の交代だけではないのですが、それは水掛論になりますから、それでは具体的に伺いますが、バオダイ政府日本との間に行なわれておった沈船に関する賠償協定は、それはゴ・ディン・ジェム政権に引き継がれたのですか。
  100. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) もちろん引き継がれているということになります。
  101. 吉田法晴

    吉田法晴君 沈船引き揚げ協定問題自身については大和君から御質問がございますから、詳しく内容には入りません。  それでは特別円の協定は、一九五四年ですが、その前の基礎になる条約等についても、もちろんこれはフランスと日本との間、あるいはそれを、フランスからの権利義務を継承した仏印バオダイ政権と日本との間に継承をされる云々ということが考えられますが、特別円決済についてもこれはベトナムに継承されたと考えられますか。この特別円関係についての権利義務の関係はいかがですか。
  102. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) 特別円関係は、日本国政府及びフランス政府との関係解決した問題でございますので、これは承継云々の問題は全然関係ございません。  それから先ほど申し上げました沈船引き揚げ協定は発効いたしておりません。従いまして引き継ぎ云々の問題は起こりません。この点訂正させていただきます。
  103. 吉田法晴

    吉田法晴君 特別円問題は、これは同僚木村議員からあとで御質問になると思いますけれども日本とフランス云々という話ですけれども、しかし、特別円はベトナムで発行され、それから、特別円で物を買ったりいたしましたのはベトナムでやったこと、これは間違いない、それは御否定にはなるわけには参りますまい。それでは、特別円の関係については日本とフランスとの関係というならば、特別円問題について日本ベトナム国民との間にできた権利義務の関係というもの、こういうものについてはこれはどうですか。たとえばこの間、辻さんはこれはバオダイの時代ではございませんからあれですが、預かり証を出して、あとで返済をする云々ということで、特別円の問題についても日本とそれからベトナムとの関係が発生したという、これは事実としては一つ引き合いに出すことはできると思うのですが、特別円を使って物を買った、あるいは調達した云々という事実関係はあるようですが、そうした事実関係は、これは日本の国とそれからベトナム国民との間の権利義務の関係だと思うのですが、全然ベトナム日本との関係ではないというわけですか。
  104. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) この特別円に基づきますところの債権債務の関係、これは日本政府とフランス政府との関係でございます。従いましてベトナムとの関係はございません。
  105. 吉田法晴

    吉田法晴君 それではこの具体的な問題に関連して議論しなければなりませんから、他の委員の質問に譲ることにして、このゴ・ディン・ジェム政権は私は政府のかつての説明のようにバオダイ政権からゴ・ディン・ジェム政権に事実上の引き継ぎはこれはなかったと思うのでありますが、フランスとの関係等について考えますと、バオダイ政権がフランスとの間に約束をいたしましたのはゴ・ディン・ジェムに引き継がれたというこの関係は私はないように今思うのですが、政府は引き継がれたという。ところが、ゴ・ディン・ジェムというのは日本と、あるいは日本戦争遂行あるいは戦争遂行の中心でありました軍との間にどういう関係にあったと理解しておられますか。ゴ・ディン・ジェムという人の過去についてこの間ちょっと質疑が行なわれましたが、どういうように理解しておられるか承りたい。
  106. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 終戦前に一時日本軍がどこでありましたか、軍の病院におきましてゴ・ディン・ジェムをかばったことがあるという話は聞いております。
  107. 吉田法晴

    吉田法晴君 これは証人なり、あるいは参考人を呼んで詳細に聞くことができませんので、自分自身で聞いたことですけれども、ゴ・ディン・ジェムはベトナム人を役人として教育をする官人学校、あるいは端的に当時の言葉でいえば土人官吏養成学校と言ったのだそうですが、そういうところを出てあるいは役人としてとんとん拍子になりユエの王朝の内務大臣をしたということがいわれておりますが、日本の憲兵隊に庇護され、サイゴンの陸軍病院に逃げたものを、軍のトラックを持っていって、病院からトラックに乗せて軍服を着せて連れてきたのだ、そうしてその後ぶらぶらしておったけれども日本の軍人の推薦、戦後ベトナムにおいてベトナム人の中で利用するとしてだれが一番適当かというGHQの質問に答えて、それは一番骨のあるのはゴであろう、こういう意味で、これは反仏という意味でゴ・ディン・ジェムを推薦された。その推薦に飛びついた、あるいはそれをもとにしてダレス氏その他がアメリカに引っぱっていったのだという点は、これは間違いのない事実のようであります。ゴ・ディン・ジェムが太平洋戦争中、日本の軍あるいは日本の憲兵の庇護のもとに、あるいはサイゴンにのがれ、あるいは病院から脱出するについては庇護されたというように、日本の軍との間に非常に密接な関係があったということはその当時のベトナムにおった人たちから聞いたことがありますが、これは事実と違いますか。
  108. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私も当時の軍の方からそういうお話は伺っておりますが、これは要するに、まだフランスが表に立っておったときでありまして、反仏運動をやっておりまして、フランスの追及をのがれて日本軍にかくまってもらったというふうに聞いております。
  109. 吉田法晴

    吉田法晴君 大体、ゴ・ディン・ジェムと日本の軍あるいは憲兵隊との関係は大体お認めになったようであります。サイゴン病院から逃げた、あるいは日本の総領事館に逃げたときに、日本の庇護をしました当時の総領事、今ゴ・ディン・ジェムの顧問になっている云々といったような点も大体御承知のようでありますが、そのゴ・ディン・ジェムと、それから松下光広氏との関係は仏国同盟を組織し、このコンデ侯を看板にして金を集め、あるいは運動をやります際にその中心をなしたのは松下氏であります。あるいは仏国同盟の運動等を通じて松下氏がゴ・ディン・ジェムとそれからコンデ侯を結びつける間にゴ・ディン・ジェム、松下氏の最初の因縁ができたと、こういう事実については、これはどうですか
  110. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 私はその点よく存じませんので、事務局でよろしければ……。
  111. 小林智彦

    説明員小林智彦君) 大南公司の松下社長が戦争中にゴ・ディン・ジェムが民族独立運動をしているときに庇護したということは聞いております。しかし、それ以上のなにについては存じておりません。
  112. 吉田法晴

    吉田法晴君 庇護をしたということは知っているということならば、コンデ侯を看板に仏国同盟を組織し、その金集めを松下氏がやった、その集めた金の全部をコンデ侯にやらないで大部分を私したという話さえあるのですが、とにかくそういう仏国同盟の関係を通じて松下・ゴ氏の関係ができたという点は少なくとも御否定にならぬようであります。松下氏がこれは今日ゴ・ディン・ジェムとの間に電話一本で話ができるという事実は週刊誌等にも書いてございますが、特別の関係があるようですが、松下氏が戦争中憲兵隊との関係、あるいは諜報機関としてベトナムだけでなしに、東南アジア全部について活動をしておったという点は、これは御存じでしょうか。
  113. 小林智彦

    説明員小林智彦君) そういうことは全然聞いておりません。東南アジア全体について松下氏がそういう日本の憲兵隊との関係において活躍していたという話は全然聞いておりません。
  114. 吉田法晴

    吉田法晴君 知らぬということですか。事実を否定されるわけですか。あるいはインドに行って捕えられたということ、それから目黒にありました当然のこれは諜報機関、諜報員養成の機関、ちょっと名前は今探すとわかると思うのですが、そこで育った人間を松下氏が全部引き受けてこれに采配をふるっておったというか、そしてその活動の一端が、たとえばインドならインドで逮捕された。それから帰ってくるときには、これは軍の飛行機で、戦争後仏軍に追及されておった者が軍の飛行機で台湾に飛んでいった。台湾で日本軍が連合軍の追及に対して、そういう人間はおらぬということでこの逮捕を免れしめた。台湾から日本へ帰ってくるときには、海軍のおそらく軍艦だろうと思うのですが、海軍の便宜に従ってこっちに帰ってきたのだ。こういうことも大体明らかになっていますが、そういうふうに松下氏が仏印を中心にして諜報活動をやっておったということは、少なくとも私の調べた範囲内では、これは否定するわけには参らぬと思うのです。事実を御存じあるか、御存じないかは別問題にして、それを御否定になる勇気はおありになりますか。
  115. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) われわれの方は松下氏の過去の行動等の詳細については存じませんので、ただいまお話しのございました点につきましては否定もできませんし、肯定もできないという次第であります。
  116. 吉田法晴

    吉田法晴君 まあ一応肯定もできない、否定もできないというのがあなたの公の立場でしょう。しかし、この事実を否定するわけには参らぬと思うのです。なお、これは同僚議員で詳しく追及されるところかもしれませんが、ゴ・ディン・ジェム氏と松下氏との関係は、戦争中そういう軍、あるいは憲兵隊等を通じて因縁ができたり、あるいは結ばれたりしたということですが、そういう性格が私は今度の賠償交渉の基礎になりました軍事力の増強、あるいは軍需工場、軍需品の修理工場等にも関係をして参ると思うのですが、ゴ・ディン・ジェム政権でカンボジアに対する内政干渉の疑いある活動が行なわれておったという点はこれは御存じかどうか。具体的に申し上げますが、カンボジアとそれから仏印の南部とは境を接しておるし、あるいは川も両方にまたがってメコン河が流れておりますが、この諜報活動あるいはゲリラ等を含んで南部ゴ・ディン・ジェム政権につながりのあるところから、こういうカンボジアの撹乱作戦が行なわれた。それに松下氏が関係があったかどうか明らかではございませんけれども、昔のやり方と関係考えるならば、あるいは武器の売却等については関係があるかもしらぬと思うのでありますが、カンボジアの諜報活動について、ベトナム側から何らかの関係がありと疑われるような事実があるということについてはどのように聞いておられるか、アジア局長に伺いたい。
  117. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) カンボジアとベトナム関係につきましては、必ずしもうまくいっていないことは御承知通りでありまして、現在のシャヌーク派に反対しましたカンボジア内の一部の勢力というものとベトナムの間に関係があるのではないかということは、現政権であるシャヌーク派の方はそういう疑いを持っているかもしれませんが、私たちといたしまして、そこにはっきりした証拠があるとかないとかいう点までは、私たちには現在のところ突きとめ得ない点でございます。
  118. 吉田法晴

    吉田法晴君 これも否定もせぬ、肯定もせぬというような答弁ですが、これはもう少し具体的な事実をあげれば、南ベトナム側からする関連というものが明らかになって参りますが、少なくともこの戦争中の諜報機関として活動した松下氏、それとゴ・ディン・ジェム氏との関係はなお今日も続いておる。カンボジアの中立政策に対する破壊諜報活動にも、少なくとも南ベトナム側は関係がある。あるいはその中に松下氏等も関係があることを疑わしめるに十分なものがあるのではなかろうかと私は考えるのであります。こういう過去の経緯、それから戦後においてもなお個人的なこういうつながりを考えますと、この賠償問題が損害額から計算をされて、そうして賠償額がきめられたのではなくて、ダニム・ダムあるいは軍需品の修繕工場あるいは軍事援助、そういうものの中で、積み上げによって賠償がきまったということからいっても、この賠償の実施に当たって、こうした過去の戦争協力あるいは諜報関係についてつながった人の中では、これは今後やられる賠償の実施というものがどのようになっていくかということは、おのずからこれは明らかではなかろうか。あるいは政府方針として、自由主義陣営の協力強化ということで、独立運動を育て、あるいは統一を促進するというのではなくて、南ベトナムを通じて、共産主義陣営というのですか、人民民主主義といいますか、これは北ベトナムは民主主義共和国で社会主義じゃないと思う。憲法を読んでも民主主義だと思うのですが、その民族独立運動に対して圧力を加えていこう、こういう態度をとられ、そうして賠償の話の衝に当たった者が、これは藤山さんは実際には当たっておられないようでありますけれども戦争責任の大いにあった岸首相、そうしてもうけのためには何でもやろうという経団連の植村氏、これが防衛生産委員会委員長であり、あるいは特需の減退した後、東南アジアにおいて軍需品を売りつけるということで、アメリカのいう東南アジアの武器供給の軍需品工場になろう、こういう方針賠償交渉に当たられ、そうしてその実際の内容をこの軍事的な必要に応じてきめられた賠償交渉、そうしてそれを実施するのは向こうはゴ・ディン・ジェム、それから実際にこちらで、これは外務省とは何の関係もございませんけれども、事実、協力会社やあるいはこのベトナム側に対して大きな発言力を持っておる松下氏というものが、事実上賠償実施の中心としてなられる以上、これはどんなことが行なわれるか。あるいは、この非難されるような南ベトナムの軍事力の強化という方向に行くのは間違いないし、それからまた、直接賠償の方式に従ってベトナム側に対して推薦をし、あるいは請負者を結びつけていくのは、松下氏が大きな役割を果たされるとすると、そこにとんでもないことが行なわれる。あるいは公正さ、あるいは清潔さが乱されることは、これは火を見るよりも明らかなんだろうと思うのでありますが、これは大きな問題でございますから、藤山外務大臣に御答弁を願っておきたいと思います。今までの事実、それから人間関係、その性格等を考えますならば、大きな心配があり、現にその危険性が進行しつつあるのではないかと考えられますが、いかがでありますか。
  119. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ただいまお話しではございますけれども、私は植村君とは長い間親しくしておりますが、植村君自身が仕事の関係をいろいろ持ってはおろうと思いますけれども、先生自身が不公正な立場でものを判断し、あるいはものを遂行するというようなことはないと思っております。松下氏につきましては、私全然存じておらない方であります。この方についてとかくのことを申し上げるわけには参らぬと思います。  が、しかし、今回の賠償を通じましてわれわれが考えておりますことは、むろん、一面におきまして戦争損害と苦痛に対してそれをできるだけ査定し、そしてそれに対して日本の支払い能力等も考えまして、そして金額、最小限でしかもベトナム側に満足を与えるような金額の折衝をいたしたつもりでありますし、また他面、ベトナム賠償の際に——どの国の賠償においてもそうでありますけれども、やはり向こう側の要求は、ただいまお話のありましたような積み上げ方式と申しますか、そうした面を参考にいたしたわけでございます。むろん、今回の賠償三千九百万ドルというものが、例示されておりますように、水力発電所を作る、あるいは機械工業センターを作る、あるいはその他の両国が合意するものに充てるということに例示はされておりますけれども、むろんこれ以外のこともできるわけでございますし、また、たとえ例示されておりますものをとりましても、私ども軍需工業に直接関係するものとは考えないのでありまして、一般国民の民生の福利等に影響をするプロジェクトではないかと、こういうふうに考えております。  また、機械工業センターにつきましても、まだこれはほんとうの輪郭ができているだけでありまして、ベトナムが工業建設をやっていく上において、卑近に、すぐ必要なものはやはり修理工場であるというような建前から、これらのものを要求しているのでありまして、そのもの自体が軍需工場になるというふうには私ども想像もいたしておりません。また同時に、賠償、今後の実施にあたりまして、そういう面については、総理も言われております通り、この賠償を通じて平和的な経済建設に貢献するようにできるだけ運営していきたいという趣旨でありまして、われわれもむろんそういう趣旨において実施にあたりましては協議をいたして参るつもりでございます。また、そういう心がまえで実施をやっていくつもりでございますから、ただいま御指摘になりましたような弊害は起こり得ないというふうに考えております。
  120. 吉田法晴

    吉田法晴君 私は、まあ事態藤山さん御存じなかったのだと、あるいは外務省も知らなかったのだと、そこで、その外務省等で知らぬところで賠償交渉が進められ、あるいは金額もきまった、あとからこのことについて説明をしろと言っても、実際には説明ができないのが事実であろう、それが衆議院段階での政府委員その他の説明が十分できなかった原因だと、こうまあ考えてきたのですが、藤山さん、今になっては自分がやったように説明をしなければならぬ、こういう立場に立たれていることはわかりますけれども、実際にやられていることは大へんなんです。それから、あるいは戦争責任ども、あるいは向こうについても、この太平洋戦争の最中にも軍に協力をしてきた人間が、これはフランスは駆逐をしたけれども、そのかわりにアメリカを背負い込んで、アメリカのかいらい政権になっていること、これはまあ事実であります。その政治がいわれるような民主政治にならないで、あるいは弾圧政治をやっている点も、あるいは腐敗も、それからインフレその他の失政も、これはアメリカの国会で取り上げられたように、これは否定するわけに参りません。そのアメリカのかいらい政権、そうして関係者が、その手のよごれた諸君が相談をし合い、そうして実施をしていくところに、どうして、とにかく藤山外相が当初言われたような戦争のおわびをし、そうして償いをして、両国民の間にきれいな友好関係を打ち立てるということができましょう。この点を強く指摘をして、私が南ベトナム賠償に反対をしているゆえんを明らかにしておきたいと思うのです。  ところが、この最後に否定をされておりますけれども賠償の中身あるいはダニム・ダムの発電所であるとか、あるいは軍需品の修理工揚としての工業技術センターという名前のもの、これは名前は工業技術センターと書いてあるけれども、軍需品の修理工場であることは、これはみんな知っております。しかも、この工事にしても、すでに工事が始められている、あるいは下請といいますか、工事の請負をやるのがだれであるか、こういうことまでもきまっている、こういうことがいわれている。これは自民党の政調会でもきまっているという話ですが、こういう事実があります。あなたたちは否定をされるけれども、あるベトナム語のわかる通訳を雇いたいと、ある商事会社が言っておった。その通訳さんが問い合わしたところが、その会社からは、衆議院でもベトナム賠償は通った、あなたたちの強引な、疑問が残っているにかかわらず質疑打ち切りや強行突破でとにかく通った。そこで、だんだんまあ有利になってくるようですから、どこそこに使ってもらうかどうかについては、それは松下さんに御相談されるがいいでしょう、こういうお話をしている。工事をだれとだれがやるということもきまっている、あるいは工事もすでに始められている、あるいは使う通訳や人間のことまでもうきまっている。こういうことが明らかになっておって、今までの、事実まあ否定もなさらぬ、肯定もなさらぬけれども、その岸さん、あるいは植村さんも中に入ったのでありますけれども、向こうでゴ・ディン・ジェムに取り次ぐのは松下氏、そうしてその工事をやる人間、あるいは下請けまで、あるいは配線工事まで、これはみなきまっているんじゃないですか。あるいは鹿島組も、あるいは松本組も入ることはきまっている。こういう事態で、どうしてあなたの言われるような贖罪をし、そうして友好関係を復活するということができますか。
  121. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) ダニムにつきましても、機械工業センターにいたしましても、工事が始まっているというふうなことは絶対にございません。これは明瞭な事実でございます。そういうことは全然ございません。ダニム等は、大きな仕事でありますから、日本関係業者がこれをやりたいと思うのは当然のことかもしれませんが、これも、これがきまっているというふうなことは全然ございません。
  122. 鈴木強

    鈴木強君 私は、ベトナムの貼償問題に非常に関係があると思われます二つの問題について、藤山外務大臣以下に御所見を承っておきたいと思います。一つは、南ベトナムにおいて米軍の軍事顧問団が極超短波による無線通信設備を設置するために、その測量調査を日本電電公社に依頼した、この問題であります。それから、もう一つは、ビルマとの賠償はすでに済んでいるわけでありますが、本年四月に再度ビルマから再検討の要求が出ておりますが、その問題に関連をしてお尋ねをしたいと思います。  最初に、極超短波の南ベトナムにおける施設の問題でありますが、これは藤山外務大臣一つ十分にお聞き取りをいただきたいと思いますが、昭和三十二年の五月二十八日に在日米軍調達本部より日本電電公社に対して、これが測量、設計のために入札に参加したらどうか、こういう招聘があったようであります。で、まず最初に、私は電電公社の総裁にお尋ねをしたいのでありますが、昭和三十二年の六月七日に、それに対する説明が横浜のJPAのメモリアル・ホールで行なわれたようでありますが、その際に、この計画の性格はどういうものであったのか。われわれの了承している範囲では、在日米軍の調達本部から依頼を受けておりますが、具体的には、南ベトナムのMAAGが指導権をとって南ベトナムにおける軍事通信設備をやるんだ、こういうふうに私は理解をしているわけでありますが、この説明会においてどういうことが説明されたのか、承りたいと思います。
  123. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) ただいま御質問の通り、三十二年の六月七日に電電公社外約十社ばかりの商社もしくはメーカーが横浜の調達本部に参りまして、南ベトナムにおける超短波の施設の調査、設計をして報告をする役務の入札をしてもらいたい、こういう説明があったわけであります。
  124. 鈴木強

    鈴木強君 超短波の通信設備をするのに対して測量してもらいたい、そういう簡単な説明であったのでございますか。大体構想というものはあったと思うのですが、そういう点はいかがでございましょうか。
  125. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 大体は、サイゴンからクワントリーの間の九百五十キロの区間にわたりまして、大体最大四十八回線の超短波の無線施設をやる、かような内容でございます。
  126. 鈴木強

    鈴木強君 そういう説明を受けて、公社がこの入札に応ずるということは、どういう根拠によってやられたのですか。
  127. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 公社法第三条第二項の規定によりまして、公社はこ、の入札に参加いたしたわけであります。
  128. 鈴木強

    鈴木強君 公社法第三条の二項の規定というのは、私は、この精神があくまで日本の国内における電信電話の円満な運営に当たるのが公社の責務である。従って、二項に郵政大臣の委託及び委託によってというような条項はございますが、その条項はあくまでも国内的なものであって、国際的に日本の電電公社が出ていくということは、私は現在の公社法から見て非常に疑義がある、そう思うのです。総裁はどうお考えですか。
  129. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 法律の解釈については、いろいろ御意見があろうかと思います。現在の電電公社法の規定によりまして、公社の主たる仕事は、むろん、御指摘通り、国内における電信電話の経営であります。しかしながら、三条二項の規定によりまして、本来の業務に支障のなき限りにおいて委託を受けて三条二項に列挙しておりまする条項について行為をなすことができる、かように規定されておるわけであります。
  130. 鈴木強

    鈴木強君 それは非常に解釈上、拡大解釈もはなはだしいのであって、その総裁の解釈については私は絶対に了承できないわけです。  しからば、私は、その点をかりに一歩譲ったとして、その前段にございますように、日本電電公社が現在、第三条に明定されたその目的を達成するために、業務の円満な遂行が行なわれておるかどうか、こういう点については非常に問題があると思います。今日、総裁御承知通り、七十万の電話の積滞がございます。四十万の新しい需要があり、電話は五年たっても六年たっても引けない、そういう不満もずいぶん出ておると思います。従って、私は、かりに今言われるような二項の後段の解釈を認めるとしても、前段にございますような業務の円滑な遂行ということは、まだまだ非常に問題があるのじゃないかと考えておるのでありまして、そういう中で、ベトナムの、しかも軍事通信施設を設計し測量するというようなことの余裕は、私はないはずだと思うのです。その点についてはいかがでございますか。
  131. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 事務に支障があるかないかという問題でありますが、現在の公社の陣容なりあるいは機構において、現在の電信電話の拡張、拡充に対する施設がきわめて潤沢に楽に行なわれておるとは申しません。しかしながら、この程度の工事の設計、調査をするだけの余力がないとは、その点において考えられないのであります。特に公社の円満なる仕事の運行に支障があったとは思いません。
  132. 鈴木強

    鈴木強君 郵政大臣にお尋ねいたしますが、あなたは、もちろん当時就任をされておらなかったと思いますが、郵政当局として電電公社から何らかの御相談があって、そうしてその了承を与えたものだと私は理解をいたしますが、そのように理解してよろしゅうございますか。
  133. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) その当時の郵政大臣は、ただいまの御発言の通り考えて、その通り処置いたした、御発言の通り処置したと了承いたしております。
  134. 鈴木強

    鈴木強君 これは郵政大臣は電電公社を監督する権限があるわけでありまして、今総裁のお述べになりましたように、公社の本来の業務に支障があったかどうか、この点は大いに論争のあるところと思いますが、私も長いこと、事業の経験がございますが、現在の電気通信事業はきわめて重大な段階にあると思います。従って、監督する大臣としても絶えずこの問題については御苦心をいただいていると思いますが、私は少なくともこの第三条の精神というものが、明らかに国内の電気通信業務を推進するのが公社の任務であって、事、外国まで出かけて外国の通信をやるというようなことは、この本来の使命からいって、この条文をどう解釈しても出てこないところである。従って、一面においては、公社の仕事が非常に今拡大の一途をたどっておりますが、それにもかかわらず、国民の不満はある、そういう段階でありますから、そんな余力があるとは考えられません。そういう点、郵政大臣はどうお考えでございますか。
  135. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 私はただいまの大橋総裁と全く考えを同じくしておりますが、なお、その上に監督行政の任務を持っております立場から申しますと、公社は組織で仕事をいたしておりますので、国内の調査機関ばかりでなく、日々に発達進歩して参ります電気通信の趨勢、設備等の調査も行なっておりますので、従って、こういったような機会には、この十七人の人員を派遣いたしまして、海外に調査するだけのゆとりがむろんございませんければ、公社はその使命の完全な遂行ができないと考えますので、この程度のことは常に調査機関も持ち、また、この調査の任に当たったことは主たる任務の障害にはならない。むしろ、かえってこれによりまして新しい設備と研究の元手となったことと存じております。
  136. 鈴木強

    鈴木強君 これは大臣、非常に私は不勉強な点があると思いますが、当時、田中角榮氏が郵政大臣でありまして、逓信委員会におきましてもかなり論争を加えたところであります。その際、田中角榮氏は率直になるほど言われてみると、解釈上いろいろな問題がございます、国内の電気通信事業に専念する公社が各国に行くということについては、やはり相当に慎重に考えなければならぬという御発言が、この議事録に載っているわけであります。私はあなたのように、もうこれは何の疑問もないし、問題がない、むしろ、そのことがよろしいのだというような考え方については、絶対に納得ができないわけであります。もちろん私も、別途この正常な外交ルートを通じて、東南アジア地域ないしは全世界日本のこの電気通信技術というものが大いに貢献する道を開いていくことは、これは政府の当然の任務でありましょう。これは通産なり政府全体としてお考えになることでありますから、それは私は平和産業、文化国家、平和国家としての各国に協力するという、そういう建前は私は大いに賛成です。ですから、そういう道を開くためには、この現在のようなあいまいな、しかも、疑義のあるような法律をやはり改正する点は改正しておかなければ私はいけないと思うんですが、そういうことは、当時の大臣も十分私は、公社と大臣の間に連絡があったかどうかよくわかりませんが、質疑の中でも、田中角榮大臣はそういう御答弁をなされておるわけであります。ですから、今のような、何にも問題がないんだというような考え方については、私は反省をしておかなければならぬと思うんですが、それでも大臣はまだそのことを固執されますか。
  137. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 私は今日、つまり、昭和三十四年の十二月に、当時を振り返ってお答えをいたしておりますので、そこに、その当時の何代か前の大臣との間にニュアンスがある点は、何分に御了承いただきたいと存じますが、今日の段階になりましては、これは電電公社といたしましても、どんどんと進歩して参ります科学的な電気通信につきましての調査機関を、これは私はむしろ、ではない、絶対にそういったような調査機関を持っておるべきだ、さように考えます。しかし、海外にまで出かけて参りまして、そういったような調査に応ずるのを建前とするわけではございません。この点は鈴木委員のお考えとおそらく一致しておるのだと思いますが、しかし、業務に差しさわりのない限りにおきましては、その当時におきましても、海外に参りましたことが、必ずしも公社法の精神に反しておるものだとは考えないのでございます。
  138. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今の質疑を聞いておりますと、総裁も大臣も、公社がそれを受諾することは公社法上支障がないからこれをやったんだ、消極的な意味でおっしゃっておるようでありますが、それは当時、郵政省から了承した趣旨は違うので、郵政省は、本件は東南アジアに対するわが国通信技術進出上有意義なものである、こういうプラスの役割からこれを進めた、こういうふうにしておるんですね。ところが、もし、そうであれば、これは電電公社自身がそう言っておられる、今の総裁は、意識的か無意識的か知りませんが、そうはおっしゃりませんけれども、記録によると、そういうふうに出ておる。ところが、そういうふうに考えて郵政省がもしこれに了承を与えたとすれば、先ほどから鈴木委員もおっしゃっておるように、これは非常に公社法の逸脱であるわけです。どっちが一体ほんとうなんですか。その点をさらに明瞭にしていただきたい。
  139. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 有意義なものでございましても、もし、その当時、私が郵政行政を担当しておりますれば、有意義であっても、公社本来の仕事に差しさわりまするときには、これを許可承認しなかったであろうと思いますが、そのときの大臣といたしましても、有意義であり、かつ支障がないと考え承認したことと考えます。  なお、先ほど鈴木委員の御質問に答弁漏れがございましたが、それは公社法を改正したらどうかというお話は、ただいまの佐多委員の御発言中にもうかがわれるのでありますが、この点につきましては、将来のことに対しましてよく検討する必要があろうかと考えております。
  140. 鈴木強

    鈴木強君 この法律解釈は、憲法九条ではないですが、そのときによっては非常に拡大解釈をされるんです。私は、この法律が国会を通過する際の両院の議事録も詳細に調べてみましたが、残念ながら、この点について触れておりませんでした。しかし、法制局の関係者の皆さんにもいろいろとお知恵を拝借してみたわけでありますが、もちろん当時は日本電電公社法が制定され、同時に国際的に国外までいくというようなことは考えておらなかったということはこれは事実なんです。しかし、その後の情勢の変化等によって多少この法律を拡大解釈すればそういうこともできるので、ここに国際的にいってはいかぬということが書いてないからできるのだと、そういうこじつけ的な解釈をしておられる。私はしかし、それは非常にむちゃであって、そういう解釈によって、日本が、しかも独立国の国にMAAGという米軍の軍事顧問団が通信施設をやろうというのに対して、ジュネーブ協定等の精神からしても、それに政府機関の一部である電電公社が出ていくというようなことは、どう考えてみてもこれは当たらないものだと私はそう考えておったわけなんです。ですから、これらの点についてはここで幾らやってみましても、あなたの方は適法だと、こうおっしゃるわけですから、ただまあ大臣もおっしゃるように、多少あいまいな点もあるように考えられるからして、将来十分検討して、改正すべき点があれば改正しよう、こういうことだと思いますので、この点は一つ十分今後御検討いただくことにして、私は少なくとも長い間研究して参っておりますが、今の大臣の御答弁は、この第三条の精神からいってこれは当たらない、そういう態度を持っております。これは質疑ですから、これ以上追及してもやむを得ませんから次に外務大臣お尋ねしますが、これは郵政大臣もお答え下さい。かりに、それではあなたのおっしゃるような三条二項の解釈をする際に国内的な問題であればこれは問題ございません。しかし、これがベトナムである場合、あるいはフィリピンである場合、あるいはアフリカのある国である場合、そういう場合がいろいろ想定されると思いますが、少なくとも事外交的な、国際的な問題になれば、この委託をされた業務を執行する場合も当然私は外務省の一応窓口を通っていくべきものではないかと私は思うのです。藤山外務大臣はこの件については御了承をいただいておったのでございますか。当時はあなたは大臣だったはずです。
  141. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私当時はまだ大臣でございませんでしたが、外務省に聞いてみまして、特別な連絡はなかったように存じております。
  142. 鈴木強

    鈴木強君 あなたは三十二年の七月三十日ごろは大臣でございましたでしょう。
  143. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 七月三十日ごろは大臣でございました。七月十日になりました。
  144. 鈴木強

    鈴木強君 七月十日大臣になりましたね。
  145. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) はい。
  146. 鈴木強

    鈴木強君 そうすると、あなたのところに電電公社から渡航の申請がなされていると思うのです。一般旅券の申請がなされておると思いますが、その際に、その一般の旅券の申請書の中に南ベトナムの今さっきから申し上げているような超短波通信施設を拡充するためにこの調査に行くのだ、こういう趣旨の申請がなされて、それを許可されておられる、それは御存じでございましょう。
  147. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 政府委員より答弁いたさせます。
  148. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 旅券の発給を受けます際には、そういうふうな当然書類は外務省に参るわけでありますが、これは旅券の発給という意味において参るのでありまして、われわれが連絡を受けるか受けていないかと申しますのは、このこと自体につきましての連絡を受けたかどうか、旅券発給というふうな段階でなくてその前の段階において連絡があったかどうかという点だろうと思いますが、それについては、われわれは連絡がなかったと思っております。
  149. 鈴木強

    鈴木強君 大体私も外務省の方に郵政大臣からお話があったようには承っておらなかったので、今のアジア局長のお話ではっきりいたしました。私はそのことを承知して言っておったわけでありますから、一般旅券の発給を申請する場合にベトナムにおける超短波通信施設測量調査のための国外出張という理由が書いてあるわけなんです。これに対しては藤山外務大臣がパスポートに署名捺印をされて発行されておる。ですからこういう問題は、特にこれはまあ大蔵省からも伺いたいのでありますが、特別な外貨の割当を受けて、これによって渡航されておる、こういう経過もありますので、こういう申請の内容については、やはり慎重に検討を加えて、相談があろうがあるまいがこれはちょっとどうだろうというような考慮をめぐらして、問題があるとすればさらに検討するというようなことは当然の職務でありましょう、それはどうなっておりますか。
  150. 高木広一

    説明員(高木広一君) 移住局長でございます。この種の旅券申請は本件は大蔵省の方で承認いたしました役務契約に基づく旅券発給請求が出ておるわけであります。そうして従って、われわれの方といたしましては、すでに大蔵省の方で認めました一般特需の役務契約と同じように問題ないものとして旅券を発行しておるわけであります。
  151. 酒井俊彦

    政府委員(酒井俊彦君) 本件につきましては三十二年の七月十九日に申請が出て参りまして、これは役務契約というよりも、支払い許可申請になっております。契約の内容は、先ほどから郵政大臣あるいは電電公社総裁がお話になりましたようなことで大体契約が結ばれましたので、私の方といたしましては、これは一種の特需契約といたしまして外貨が入るわけでございますから、これは事後に入ったわけでございますけれども、外貨が入りますので、為替管理法上は差しつかえないというので承認、許可をいたしております。許可の日付は同年の七月三十日ということになっております、この中に渡航関係のものも含まれておりますので、それが移住局の方へ回って旅券課から旅券発行という行為が行なわれたわけであります。
  152. 鈴木強

    鈴木強君 ちょっと為替局長に……。これだけでけっこうですから、あとはもういいですからお尋ねしておきますが、決算はどうなっておりますか、決済は。
  153. 酒井俊彦

    政府委員(酒井俊彦君) それでは少し許可の内容と決算の状況を申し上げますと、まあ許可の年月日は、先ほど申し上げたように、三十二年の七月三十日であります。許可金額といたしましては、外貨払いで二万七千八百十七ドル六十五セントという端数が出ております。これは派遣員が現地で滞在する旅費、滞在費一万五千九百二十ドル、それから現地の人を測量する場合に雇いますから、その現地人の雇用費を四千八百二十一ドル二十セント、それから現地で事務所の経費が要りますので、これが七千六十六ドル四十五セント、これが外貨で払われております。それから円払いの方につきましては、これは派遣員が航空機で参ります場合には航空会社に全部円で払ってよろしいというので、円払いの許可をいたしております。これが派遣員の経費といたしまして二百二十八万三千百円、ドルに直しまして六千三百四十一ドルでございます。それから同時に、測量機械を輸送いたしますために航空機を使ったわけでありますが、これも円払いでよろしゅうございますので、これが百七万九千八百一円、ドルで申しますと二千九百九十九ドル四十五セント、このほか所要の国内経費を合わせて合計いたしまして四万二千七百三十二ドルという金になっております。これは実は十八名渡航いたしまして、契約のときから半年以内に報告を出すということで報告書が三十三年の二月四日にアメリカの陸軍調達本部に出されております。そこでそのあと三十三年四月二十一日に四万二千七百三十二ドル相当の円貨千五百三十八万二千五百二十円という入金がございます。これはもちろん特需でございますので、米軍の調達本部がこちらへ円を払います場合には、ドルを持ってきて円にかえますので、ドルの裏づけのある円をもらったと、かような実績に相なっております。
  154. 鈴木強

    鈴木強君 それから三十二年の九月十七日に、お医者さん一名の追加申請がございましょう。それはどうなっておりますか。
  155. 酒井俊彦

    政府委員(酒井俊彦君) 七月三十日と申し上げましたのは、十七名許可いたしましてあとでお医者さんが一人出まして、これはちょっと申し上げるときに忘れましたけれども、滞在費が四百七十七万ドル、それから円貨が、これは航空運賃でありますが、十三万四千三百円、これだけ一人分を追加いたしております。それらを含めまして合計で四万二千七百三十二ドルという金額になっておるわけであります。
  156. 鈴木強

    鈴木強君 外務大臣、あなた公社法の第三条第二項をちょっと見ていただきたいと思いますが、大体今のお話で御了解いただいたと思いますが、この「委託による」ということなんですね。「逓信大臣から委託された業務及び委託による」とこう書いてある。これがたまたま在日米軍調達部ではありますが、測量する国は南ベトナムの国なんです。そこの現地へ電電公社が出かけるということになるわけです。ですからこの関係はどうなりますか。在日米軍が直接出てきてそして日本電電公社と話し合いをして契約を結んじゃったわけですね。ところが相手国というのがあるわけです。独立した国の中にあるMAAGがいろいろ指導してやらしている事実があるのですね。そういうものでありますから、あなたの方のルートに本来乗るべきものだと私は思うのですね。かりにMAAGがやるにしても、MAAGと南ベトナム国との間はどういう関係になっているか私はわかりませんが、独立国の国の中におる軍事顧問団がおやりになり、しかもそれが在日米軍調達部を通じて直接来た、こういうケースは私は非常に問題だと思うのです。普通の場合でしたら当然委託をする場合、もしこれが外国であれば外交ルートを通じてあなたの方へ来るでしょう。そしてあなたのところからいろいろ閣議で御相談なさって、電電公社なりほかの民間の会社にどうだというお話があってしかるべきだと思う。そういうルートが全然無視されていると思うのですよ。これは外務大臣、どうお考えになりますか。
  157. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) おそらく当時電電公社に対しては、現地の方の話が、ここにおります在日米軍の調達機関を通じて電電公社に話があった、こういうことが事実なんじゃないかと思うのでありまして、現地のMAAGそのものが直接電電公社に連絡をしたという関係ではないのではないか、こう考えておりますが……。
  158. 鈴木強

    鈴木強君 そういう場合に、これはあなたの見解お尋ねしているわけですから……。MAAGが直接やっていないのですね。契約は在日米軍調達部JPAがやっているわけです。ですからJPAと日本電電公社の間で、平常の状態ですと行政協定なりサービス契約に基づいて、日本に駐留する軍隊、「その附近」ということがどこまでかわかりませんが、行政協定に書いてあることは、いずれにしても「日本国内及びその附近」と書いてありますが、そこに駐留する米軍に対しては、日本国政府が通信施設を提供する義務があるわけですね。ですからこの場合には当然サービス契約もございますし行政協定もあるわけでありますから、それでいいと思います。しかし今回の場合はなるほど出てきておるのは在日米軍の調達部でありますが、しかし測量し、通信を施設しようというのは南ベトナムなんですね。北緯十七度線から南の方サイゴンまでの間九百何十キロまでの間に引こうということなんですよ。ですからそういうことを米軍調達本部がやり得るものかどうなのか、現在の行政協定の中で……、私は疑問があると思う。もし南ベトナムの国自体が発議をして、そうして日本国に協力を求めてくる、そういう場合は当然外交ルートを通るでしょう。そうすればあなたのところへ来て話がうまくいくわけです。ところがどうも私は独立国の中にそういうMAAGがおって、それの話を受けて在日米軍がやるというようなことは、現在の行政協定からいったら私はおかしいと思う。それをお聞きしている。
  159. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) おそらく行政協定日本の国内における調達でありますれば、調達庁を通じて、外務省じゃありませんから防衛庁ですか、調達庁を通じて取り扱われる問題だと思いますが、おそらくJPAが連絡機関として代行をした、外国の場合に代行したという形において、民間的な協定の取りきめをしたということではないかと思います。
  160. 鈴木強

    鈴木強君 どうもその点が私は不明確なんですがね、だろうという今の出た話ですから、検討する機会もないので、明確な御答弁はできないかと思いますが、私は行政協定からいって疑義があると思う、率直に言って。そんな幾つものルートを勝手にやれることになれば、それはフィリピンでも台湾でもどこにでも、現在米軍の軍事顧問団がおる所においてはこういうことが勝手にやられるということになりますが、これはどう考えてみても私は好ましいことではないと思います。ですからこういう問題は慎重の上にも慎重を期さなければならないし、同時に郵政大臣が電電公社は監督官庁ですから、御相談なすったんでしょう、そういうことは。田中角榮さんがはっきり言っておりますが、相談を受けてその結果よろしいという裁断を下した、こういう答弁があるわけですから、これは間違いない。これは郵政大臣も過去のことで、あなたはおれは責任がないということじゃ、これは困るわけでありますが、少なくともこういう問題については、もう少し私は慎重な態度で外務省なり調達庁なりあらゆる方面と連絡をとった上でおやりになる方が、私はよかったのじゃないかと思うのですよ。非常に経緯が唐突であるし、しかも現在の行政協定から見てはかなり問題があるようなことを、平気でやってのけているというようなことは、これは許せないことだと私は思うのです。反省がありますか。
  161. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) これは外務省の方に連絡がなかったのは、コーマーシャル・ベーシスによります入札契約ですか、それからまたサービス契約ではありませんので、行政協定関係なく、郵政省だけで承認を求めてきた、さように考えております。
  162. 鈴木強

    鈴木強君 藤山大臣、今の郵政大臣のお話ですと、関係がないから直接米軍からきた、こういうことなんです。今の行政協定からいうとサービス契約にはないわけです、明らかにこれは適用外ですから。サービス契約にないものを直接どこへでも米軍が行ってやれるのですか。そういうことは許されているのですか。行政協定で許されていますか。
  163. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 国内における調達というものは、調達庁を通じて調達するということになっております。
  164. 鈴木強

    鈴木強君 そうすれば郵政大臣の言っているのはおかしいじゃないですか。少なくとも日本の調達庁があるでしょう、あそこを通じてやられるわけでしょう。直接あなたのところへ来て頼むというのは、これは行政協定からいったら違反じゃないですか。
  165. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 私の答弁が言葉が足りませんでしたので補足をいたしますと、郵政大臣としてはこれが外務大臣との連絡を必要としないと考えた、こういう意味で申したのであります。
  166. 鈴木強

    鈴木強君 私はそういうことを聞いているのじゃないのです。現在の行政協定からいってサービス契約以外のものが直接きている、こういうことを言っている。サービス契約できまっておることは、これは自動的に向こうから発議があれば考えなければならぬ義務があるわけですね。しかしこれはベトナムという国のものですから、現在の行政協定に基づくサービス契約が電電公社と米軍との間にあるのですから、そういうものは適用できないだろう。従って適用できない場合には、日本に調達庁というものがあるのですから、調達庁を通じて米軍がこれとこれとこれをやってもらいたい、こういうことを要請してくるはずなんですよ。ところがそこのところが全然オミットされているじゃないかということを私は指摘している。そうすると、そのルートがどちらの点も非合法的で適法でない、そう判断ができるでしょう。これはどうですか。
  167. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) これはただいま御指摘通りであるからこそ、これは別に外務省を通じる必要がなく、大勢の商社を集めましてそれで安い者に落札させた。まあ安いというと語弊がございますけれども適当な者に入札をいたさせた、コマーシャル・ベースの契約であるから、そういうふうに簡単に事を取り運んだんだと、さように解釈いたします。
  168. 鈴木強

    鈴木強君 コマーシャル・ベースとか何とかいうことでなしに、私は手続的なものを聞いているのですね。ですから米軍調達本部が日本の国内からどういうものを調達するかということについては、当然日本国の調達庁があるわけですから、普通の場合の常時慣行的にやられるものはサービス契約にゆだねられている。しかしその行政協定はともかくとして、電電公社の場合でいうと、サービス契約によらずしていろいろなものがほしいというときには、当然日本の調達庁を通じて電電公社なり、あなたのところに話がある筋合いなんです。これはそうでしょう。ただ調達本部がどこへでも行って、これをやれということはできないはずなんですよ。必ずこれは調達庁というものを通じてやる建前になっているのですね。そこのところが抜けているじゃないかということを言っているのです、私は。これはどうなんですか。
  169. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 今日では別に調達を受けるわけじゃない、ただ外国へ行って調査をしてくれという契約ですから、調達庁を通す必要ないと考えるのですが、なおそこは一つ事務当局からお答えいたさせます。
  170. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 私ども在日米軍が在日米軍のために使用する調達、これは調達庁を通じてやると思います。おそらくこの場合はベトナムのMAAGですか、MAAGからの委託ではこういうものを民間ベースで探してもらいたい、入札の手続をとってもらいたい、こういうことだから直接いったのであると、こう考えております。
  171. 鈴木強

    鈴木強君 それは藤山外務大臣何かこう自信がないようなことを言っておられるのですが、よくこれは検討してみて下さいよ。とにかく郵政大臣の論法からいえば、人を調達する場合でもこれは完全に電電公社の職員ですよ。そういう人たちを調達する場合に調達庁を通じないで米軍が勝手にやる、これは資材や何かを調達するのと違って、そういうことを私は言っているのですよ。要するに少なくとも役務を提供することでしょう、何日間ベトナムの国に行って測量しなければならぬわけですから。そういう役務を要求してきた場合に、全然調達庁を通さずに日本の出先にどこへでも行って米軍が人を寄こせというようなことがいえるのですか。そういう建前になっているのですか。
  172. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) これは委託契約と考えております。
  173. 鈴木強

    鈴木強君 委託契約であっても、何であっても、調達の方法というものは一つの今の制度があるわけでしょう。委託契約だって同じことじゃないですか。委託契約を向こうでやる場合に、当然役務の人をどうするかという話はついているわけでしょう。
  174. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 公社のこの際の立場は、一般商社が契約をするのと同じ立場で契約をしたのでありまして、政府関係というようなことは全然これは関係ないことでございます。ちょうど調達庁が日本であるものを買うとかということと同じ関係になるんじゃないかと思います。
  175. 鈴木強

    鈴木強君 これは外務大臣もまだ御検討の余地があると思いますので、私は行政協定との関連からこの問題をあなたの方は合法だとおっしゃるので、人の調達なりあるいは他国に対する今のような米軍のやり方が、はたして適法であるかどうかということを質問しているわけですから、これは明確な御答弁ができないと思いますので、さらに一つ御検討をいただいて次の機会に一つお答えいただきたいと思いますが、その点はどうですか。
  176. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 今私が申し上げていることで大体間違いないと思いますけれども、もう一ぺん調査いたしましてさらに御返答を申し上げます。
  177. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) ただいまの大臣の御答弁を補足させていただきますが、今の御指摘の点は、これは行政協定の問題ではないと考える次第でございます。従いまして行政協定以外におきましてそのような調達と申しますか、それを日本において募集をするということでございます。それはそのようなコマーシャル・ベースにおいて私的契約でそういうのが日本で行なわれている、こういうことじゃないかと考えます。
  178. 植竹春彦

    国務大臣(植竹春彦君) 郵政省ではこれは商行為ということに思想統一しております。解釈が統一されております。
  179. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 調達本部は、そういういわゆる商行為を自由に独自にできるという建前をとっているのかどうか、という問題なんです。
  180. 高橋通敏

    政府委員(高橋通敏君) その点につきましては、むろん調達本部は原則としまして日本における米軍のため、あるいは行政協定の目的のための調達でございます。しかしその調達本部がそのほかの方面でそのような行動をするということを禁止しているわけじゃない、このように考えますが。
  181. 鈴木強

    鈴木強君 それであとで大臣も一応検討をしてみるということですから御検討いただくことにして、次に質問を進めますが、この一千五百万円の金を使って電電公社が現地を視察されて、その結果昭和三十三年の二月四日に報告書を提出されておりますが、その内容はどういうものでございましょうか。
  182. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) その報告書は契約の相手方である調達庁の方へ全部引き渡しておりまして、手元にはございません。
  183. 鈴木強

    鈴木強君 手元にはないが、大体どういう御報告をなされたか、記憶にもとどまっておらないということですか。
  184. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) これは私、就任前のことでありまして、実は私が直接この仕事の内容にタッチしておりませんので、今日となりましては私の研究の問題では実はないわけであります。
  185. 鈴木強

    鈴木強君 まことにおかしな話なんですが、ないものを聞こうとしてもそれは無理だと思いますが、しかしこういう点だけは一つ明らかにしておきたいと思うのですが、これは南ベトナムにUHFの通信施設をやるということが、軍事目的であったかどうかという点が、一つ論議になると思う。この点については私が今、申し上げたような経過の中で考えていく場合に、明らかにこれは米軍の顧問団が仲介に立って、ベトナム軍の軍事通信施設を拡充したとか、あるいはそのバックが使うためにやったのかもしれませんが、いずれにしても目的が軍事通信施設にあった、そう判断せざるを得ないのですが、その点は公社はどうお考えになっておりましたか。
  186. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) その点は先ほども申し上げましたように、この契約の内容はベトナムにおける超短波の通信施設の設備のために測量、調査をして報告書を提出するための調査団を現地に派遣した、こういうことになっておりまして、通信施設のことでありますから、いよいよ、もしこれができ上がった暁には、あるいは一般商社も使いましょうし、軍事施設も使うかもしれません。  しかしながら、特にこれは軍事専用の設備を作るとは、当時考えておりませんでした。また現在でもさように思っております。
  187. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  188. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記を始めて。
  189. 鈴木強

    鈴木強君 当時、団長としてベトナムに渡られた黒川保全局長の御出席をいただいておるわけでありますが、あなたは、直接向こうに行かれ、報告書を書かれた御本人だと思いますが、御記憶は、全然ないのでございますか。
  190. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) お答えいたします。  先ほど総裁から御説明ありましたように、契約によりまして、一切の資料は、先方に提出いたしましたので、私の参りました当時の記憶によって申し上げます。これを契約いたしました場合の仕様書というのがございますが、仕様書を見まするというと、仕様書には、北の方のユエの近くからサイゴンの近くまでに、電話及び電信回線を数回設計してほしい、その場合にユエとかナトラン、ツーランあるいはサイゴン等の電話局、電報局への引き込みをしてほしいということがございましたので、公衆通信に当然使うものということに解釈して参ったわけでございます。  で、先方に参りまして、この契約にも書いてございます、これを、現地において監督するのがMAAGである、契約は、あくまでも在日米軍調達本部でございますが、この作業を援助し、監督をするのがMAAGであるということで、MAAGから、いろいろ話を聞いたわけでございますが、なおその場合に、先方の公衆通信をいたしておりまするところの公共土木省というのがございますが、その中に、郵便電気通信総局というのがございまして、そこが南ベトナムの民間通信を一切つかさどっておるのでございますが、そこの長官にも会いまして、この調査のことを知っておりまして、全面的に協力をいただいた次第でございます。  これは、内容を申しますというと、約十五カ所ぐらいだと思いましたが、非常に見通し外の伝播を使いまして、新しい技術で設計いたしまして、回線を設計した次第でございます。
  191. 鈴木強

    鈴木強君 一つ、はっきりしたいのは、黒川さんね、あなたは、公衆通信の設備をするための設計であり、測量であった、こういうようにお答えでありますが、それは、その通り間違いないですか。
  192. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) 初めの仕様書には、ただいまも申し上げましたように、回線を作りまして、電報局、電話局というところにエントランス・ケーブルを引いてくれということでございましたので、公衆通信のみであるというふうに考えておりましたが、なお、先方に行ってみましたところが、先方では公衆通信も、あるいは軍の通信も、非常に貧弱な状態、あるいは荒廃いたしておりまして、両方の目的に使うということを、先方のMAAGから聞いたわけでございます。
  193. 鈴木強

    鈴木強君 そうしますと、ちょっと過去の経緯の中で、食い違いが出てきておりますが、これは昭和三十三年の三月二十四日の予算委員会の第三分科会で、私が、当時の靱副総裁に、この問題について質問したことがございますが、その際私が、この計画は、明らかに米軍の計画ではないか、米軍の通信施設ではないかと、こういう質問をしたのに対して、靱副総裁は、「これは、アメリカ軍におきまして通信施設を整備するということの計画があるように承わっておるのでございます」こういうふうに答弁をしております。さらに続いて私が、「そうすると、在日米軍の調達部の依頼によって、電電公社は南ベトナムを縦断する通信建設計画の調査に出かけた、こういうふうに了解してよろしいのですか。」こう言いましたところが、「これらの調査につきまして、入札によりまして公社に入札が落ちましたので、調査に出かけた、」こういうことで、否定はされておらないのですね。  ですから、あなたが向こうに行って、そういうことを知ったとおっしゃるのですがね、もともと、この入札をする際に、説明会もあったようでありますが、その説明会の際に、当然、私は靱副総裁が答弁なさったような趣旨が、説明になったと思うのですよ。そうじゃなかったのですか。
  194. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) 私、先ほどからお話がありましたように、現地の測量には参ったのでございますが、説明会あるいは契約等に際しましては、実際に、その場に出たことがないのでございまして、その様子はわからないのでございますが、しかしその当時向こうが要求しておりますところの仕様書というのがございますが、それを見まするというと、一般の電話局、電報局等にエントランス・ケーブルをそこに接続をしてくれということが書いてございますので、当然、そういうものが主たるものだろうというふうに考えておったわけでございます。
  195. 鈴木強

    鈴木強君 その報告書は、あなたがお書きになったのでございますか。その二月四日付の契約番号DA九二五五七FECの二六六九一というこの契約番号による報告書は、黒川さんがお書きになったのでございますか。
  196. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) 私は、現地には二度ほど参りました。二週間ほど参りましたし報告書も、私は目を通しましたけれども、主として書きましたのは、私の部下が、ずっと滞在しました部下が書きまして、私も、目を通しましたので、相当大部なものでございましたが、私が書き上げたというものでない、私が責任をもって、どういうものだというものを見たというものでございます。
  197. 鈴木強

    鈴木強君 そうしますと、あなたは、それに対して責任を持てますか、この報告に対して。
  198. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) 内容につきましては、調査の現地の団長でございますので、責任を持っております。
  199. 鈴木強

    鈴木強君 そうしますと、このあなたのお書きになった責任の持てる報告書の総説のところに、これは私の資料でありますが、「この報告書は南ベトナムにおけるサイゴンよりカントリーに至る軍用通信網をVHF超短波による無線多重電話施設によって構成する設計のための調査について述べたものである。」こういうふうに書いてあるわけですね。  そうすると、これは明らかに、軍用通信網ということが入っておるとすれば、あなたが、この説明会には参加をしておらなかったかもしれませんが、靱副総裁のこの御答弁ともあわせて、私は明確に、その当時米軍の通信網であった、そのように私は判断をするわけなんだ。  ですから、これは情勢が変化してきて、ジュネーブ協定や何かの問題で追及され、それで、少し方向転換していこうと、そういうことでなしに、私は正直に当時のことをやはり言ってもらいたいと思う。少なくとも国会における答弁との食い違い、あなたがごらんになったこの報告書の中にも、そのことが明らかに書かれておるのですから、そういう中途半端な言いのがれをしないで正直に、そういう形で行って、こうやったというふうにされた方が、私はよろしいのではないかと思うのですが、納得できませんね、これは、過去の経緯からしまして。
  200. 黒川広二

    説明員(黒川広二君) お答え申し上げます。  私が測量いたしましたときは、当然公衆通信も、またあるいは先ほど申しましたように、通信と申しますものは、軍用にも使いますので、一部そういうものもあるかもしれないのでございますが、書き上げました一宇一句までは覚えておりませんが、両方やるというふうに書いたと記憶しております。
  201. 鈴木強

    鈴木強君 それはほかの欄に、そういうことがございます。あなた方が、こういう任務でもって依頼をされて、調査をしたのだ、その調査の結果、いろいろ検討した結果、こういう結論になったというところに「このVHFの計画については軍用としてのみならず公衆通信用としても通信状況の改善に役立つものと考えられる、」こういうふうに、中段において書いておるのであって、前段と明らかに違う。米軍から、こういう趣旨によってやられたのだという主張が書いてあって、皆さんが現地に行かれて、いろいろ調査した結果、ベトナムの一般公衆通信網は、非常に貧弱である、米軍の施設も、一般よりか多少いいようでありますが、これも、貧弱である、従って米軍が通信施設を拡充する場合に、幾つかの余った線を、公衆通信に使わしてやりたい、こういうことは、当然なことだと思うのです。私は、そのことはそのこととして認めますが、問題は、当初の米軍から日本に依頼するときの趣旨というものが、那辺にあったかということを確認したいし、明らかにしておきたいと思うので、こういう質問をしておるわけです。  これは、あなたが言わなくても靱さんが答弁されておるわけですからね。ですからそういう点について、答弁に食い違いがあるわけですから、この点は一つ、総裁なりあるいは大臣なりに、一つ十分考えて、善処をしていただきたいと思うのです。あなたは、私に何かあるのですか。
  202. 大橋八郎

    説明員(大橋八郎君) 当時私、その職になかったので、どういう話があったか、実は存じないのであります。今日私どもとしては、先ほど黒川局長から申し上げました当時の仕様書の内容によって答弁する以外に、実は、資料は手元にないわけであります。  その仕様書の内容によって申し上げますと、先ほど申し上げたように、特に軍事施設とか一般施設とかいうことでなしに、全くこの通信の施設を作るということだけでありますから、それは、場合によっては軍事にも使われるかもしれません。また、あるいは一般の公衆通信にも使われる、きわめて広い一般的の表現がなされておるわけでありまして、今日私どもとしては、この仕様書の通りに御答弁申し上げるほかないと考えます。
  203. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 関連。ちょっと今、ベトナム賠償問題で、ずっと毎日やっておるわけですが、この問題は、ベトナムの通信施設ということでございまするので、まあ賠償に何か関係があるものと実は考えまして、今までずっと聞いておったのですが、私ども、どうも聞いておって、もし単に通信の問題でございましたら、これは逓信委員会で、十分お聞きをいただけばわかることでございますので、鈴木さんに、一つベトナム賠償と、どういう関係があるか、われわれに納得のいくように、ちょっと言っていただかぬと、みんな、まあ関係ないじゃないかという意見が多いものですから。
  204. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) それじゃ、ちょっと速記をとめましょう。ちょっととめて。    〔速記中止〕
  205. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記始めて。
  206. 鈴木強

    鈴木強君 議事進行に私は協力をいたします。  で、このベトナム賠償協定が、正式に調印されるまでの間に、まあ午前中から、ここで同僚吉田君も質問しておりましたように、このダニム・ダムの問題とか、工業センターの問題とか、いろいろ事前に計画され、いろいろな動きがあったことは、これは事実なんです。で、それと大体時期を合わして、ベトナムのVHFの通信網の拡大というものが、具体的に測量され設計され、それが日本の電電公社によって行なわれた。こういうふうな一つの動きを見る場合に、なるほど、ベトナムの今度の賠償の具体的な事項の中には入っておりません。これは、私は承知しております。しかしこのほかにありますように、借款協定にしても、あるいは経済開発、借款交換公文の中にもあるように、九百十万ドルを原則として今後五カ年間供与するとか、こういう問題があるわけでありまして、こういうものと関連があるのかないのかということを私は聞きたいのです。  これは、聞くところによりますと、調査が終わって報告書を出した。あとは、ベトナムからも関係者が日本に来られているようでありますが、そういう際に、たとえば具体的に日本電気、沖電気、こういうものが、日本電電公社と一緒になって招待をしているというような事実もある。これは、もちろん公社が、いろいろ向こうで世話になったので、そのお礼返しにやったことですから、私は、公社のやったことをいいと思いますが、その中に、日電とかあるいは沖というような会社が加わって、特に公社等が招待をする席と違った席に、また先方の方々を招いて礼を尽くしておる、こういうふうないきさつもあるわけであります。この中で、特に私は沖については、御承知通り、サイゴンの自動改式をやった会社でありまして、まあ、来た機会に、これも参加したのだろうと、こう私は、善意に解釈いたしますが、少なくとも日本電気というのが、相当に、この際活躍をしておるというようなことを関連しますと、大へん失礼かと思いますが、何か経済協力等の今後の中で、この測量設計が済んだこの仕事をおやりになるというような、一連の計画があって、進められたのじゃないか、そういう気がいたします。これは外務大臣はさっきからの質疑の間でよく御存じないようですが、あなたの責任でもないし、あなたの関知することでもないでしょうが、民間業者はそういう動きを察知してそういう動きが出てきたのではないか、こういううがった考え方が出てくるわけでありまして、これが衆議院段階において、ベトナムとの関係においてどうだろうか、こういうような国民の危惧とともに質問が展開されたと私は思うのであります。ですから、こういう機会を通じて、これらの点を明らかにしておくことがこの審議の過程においては必要ではないか、さように思いまして、私はこの点を聞いておきたかったわけでありますが、通産大臣はちょっとお帰りになったようですしするので、これは郵政大臣か外務大臣か、知らぬというかもしれませんが、もしお考えがありましたらお聞きしておきたいと思う。
  207. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 郵政大臣はよろしゅうございますか。何かさっきから向こうから呼びにきているので、お許しが出たらというのですが……。
  208. 鈴木強

    鈴木強君 ちょっと待って下さい。
  209. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 今度の経済協力は、民間ベースでもってこれを取り行なうということになっておりますけれども、まだ内容もきまっておりませんし、何らそういうようなものが行なわれておるとは思っておりません。
  210. 鈴木強

    鈴木強君 そうすると、この借款協定の中にある総額七百五十万ドルと、さらに経済開発借款の方の九百十万ドル、こういうものの中には、こういう今具体的に指摘しておるものは考えておらぬ、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  211. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) まだそういうものが具体的に指摘されておる点は一つもございません。
  212. 鈴木強

    鈴木強君 それでは、私は時間もだいぶ過ぎておりますしするので、本件に関する質疑はこの程度にして終わりたいと思います。  で、議事進行上あともう一つありますが、それは続けてよろしゅうございますか、委員長
  213. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ベトナム関係でしたらけっこうです。
  214. 鈴木強

    鈴木強君 じゃ、郵政大臣もういいです。  これもお叱りを受けないようにあらかじめ私は申し上げておきますが、私の質問は最初に述べましたように、確かに関連がある、こういう立場でやっておりますので、多少過程においては、与党の皆さん方から御注意をいただくようなこともあるかもしれませんが、一つこれは簡単にやりますのでお許しを願いたいと思います。  まず外務大臣お尋ねいたしますが、本年の四月の上旬、ビルマ政府から例の賠償の再要求の申し入れが行なわれておりますが、その後これはどうなっておりますか。
  215. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ちょっと、電電公社もよろしゅうございますか。
  216. 鈴木強

    鈴木強君 いいです。
  217. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 御承知のように、また御指摘にありましたように、ビルマからビルマとの賠償協定における再検討条項を引用いたしまして、日本に対してビルマ賠償の再検討を要求して参ったわけでございます。そこで先般ビルマからも人が来まして、そうしてそういうことの話し合いをいたしたわけでありますけれども、今日まだ、われわれとしては、ビルマ側の再検討条項適用に対する主張等につきましては十分納得をいたしておりません。従って、現在そういう状況のもとに推移いたしておるのでございまして、詳しいことは政府委員から答弁いたさせます。
  218. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) ビルマ側は、本年の四月七日にここにおります大使から大臣に対しまして、再検討条項に基いて再検討を行ないたいということを言って参りました。その後、いろいろな事情がございまして、七月の二十三日が第一回になりまして交渉をいたしております。私が主任者として向こうの大使と交渉をいたしておりますが、四、五回交渉いたしましたが、意見が合わないままになっておりまして、その後最近はまあこういう国会も忙しいものでございますから、事実上交渉がとまっておるというのが実情でございます。
  219. 鈴木強

    鈴木強君 向こうの言い分というのはあれですか、簡単でけっこうですから、どういうことを言っておるのでございますか。
  220. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) 先方の言い分は、向こうのよこしました手紙の中にもございますが、インドネシア並びにフィリピンに比較して、自分の方は均衡がとれておらない、自分の方はもう少しよけいもらうべきだということを言っているのであります。簡単に申しまして、そういうわけでございます。
  221. 鈴木強

    鈴木強君 その中で一つお尋ねをしておきたいのは、賠償と同時に経済協力の協定を結ばれておりますが、その中で毎年五百万ドルの、年間十八億でありますが、合併事業を進めるための供与をするということがきまっておるわけですが、今日までその経済協力についてはどうなっておりますか、着実にそれをやっているのでございますか。
  222. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) そういう規定はございますが、その後ビルマ側の内閣がかわりまして、経済政策も幾らか変わったというような関係もございますし、もともと経済協力というものは民間で始め民間がイニシァティブをとったところで政府が便宜を、つまり銀行が便宜を供与するということでございますが、民間が、一、二手がけておりますが、その後いまだにその結果が結ぶまでに至っておりません。綿紡績の問題などはずいぶん長くから交渉を民間で続けておりますが、先方とどうしても、日本の民間の間で意見が合わずして、そのまま現在のところほとんど行なわれていないというのが実情でございます。
  223. 鈴木強

    鈴木強君 これは外務大臣、せっかくこういう経済協力の協定を結んでおいて、特に岸内閣も東南アジアに対しては、積極的な経済協力をするのだということが大きな看板になっているわけですから、これは民間業者等も向こうの、先方の業者との間にいろいろな問題があるのでございましょうが、もう少し政府自体として積極的に約束を果たすようにできないものですか、これは怠慢じゃないですか、政府の。
  224. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) この民間借款というものは、特に政府責任は持っておりませんけれども、しかし、こういう協定があります以上は、それが実行に移って参りますことが望ましいことは申すまでもないわけであります。従いまして、外務省としても、できるだけそういうことに対しては尽力もし、あっせんもするということをいたしておるわけでございます。先ほど綿紡績の工場の問題等につきましても、外務省としてはできるだけあっせんの労をとったわけでありまして、がしかし、遺憾ながら十分な成果をあげなかったわけであります。その大きな理由は、まず二つ考えられると思うのでありますが、この現地におきます政情の不安でありますとか、あるいは現地の経済関係の変動でありますとか、そういうことのために民間がなかなか思い切って出にくいということが一面にございます。他面綿紡の例等をとってみますと、これらファイナンスをいたします輸出入銀行等の金利の問題、あるいは償還年限の問題等々の問題もございまして、その辺でなかなか話し合いがつきにくい場合が多いのであります。これらの点につきましては、日本東南アジアに経済協力をいたします上においては、いま少しく何かやはり輸銀の仕事等が活発に行ない得るような、またあるいは、そういう実情に合うような方向に何らかの形で考えられることが望ましいことでありますけれども、今日まで輸銀の機能から申しましても、投資的な、長期にわたりますものについては、必ずしも輸銀本来の性格でないという形もありまして、若干そういうような面からも困難なところがございます。従ってわれわれとしては、将来ともそういう面について、政府といたしましてもいま一段の考慮を払って参らなければならぬのではないか、こういうふうに存じております。
  225. 鈴木強

    鈴木強君 今、伊関アジア局長のお話ですと、フィリピンとインドネシアとの賠償の比重の点から非常に不満だ、こういうことを言われているんですが、これは日本とビルマとの平和条約の第五条一項の(a)の(III)、それによって再検討の態度は留保していますね、そのときにも、明らかにそれを言っているわけですよ。それと私は、今回のベトナムに対する五千万ドルの賠償、経済協力を含めた額が非常に刺激をしているんじゃないか、そういう判断を持つんですが、今、あなたは二つの比重はおっしゃいましたが、ベトナムとの関係については、おそらく向こうでは、端的に言っていると思うんですよ、これは。その点の見解はどういうふうにお持ちでございますか。
  226. 伊関佑二郎

    政府委員伊関佑二郎君) これは先方がよこしました手紙の中にも、インドネシアとフィリピンだけをあげておりますし、その後何回か交渉いたしましたが、ベトナムについては全然何も申しません。ただフィリピンとインドネシアだけを問題にいたしております。
  227. 鈴木強

    鈴木強君 それは、向こうでそう言わないとすれば、これは事実でありましょうから、それ以上私は申し上げませんが、もう一つ、一昨年だと思いましたが、賠償の一部繰り上げ実施を要求してきたことの事実があると思うのです。その内容は、二カ年間にそれぞれ十八億ずつ繰り上げてもらいたい、こういうことを希望して参ったと思います。これに対してあなたの方は、どういう態度をおとりになりましたか。
  228. 小田部謙一

    政府委員小田部謙一君) 賠償の繰り上げ……、そのときの話では、繰り上げ賠償をするということが、非常に法律的にもむずかしいんではないかという態度でございました。むしろそのとき申しておりましたのは、繰り上げ賠償と、もう一つは、ある部分を政府借款の形にしてくれということでございました。この方の部分に関しましては、御承知通り、ビルマとの協定の中に五千万ドル、毎年二千万ドルずつは、政府が特に便宜をはかって、いわゆる政府借款政府借款と申しましても、政府が借すのではなく、輸銀の借款ですが、そういう借款をやるということになっております。その方の部分は、何とか聞いたらいいじゃないかということで……。ただし借款でございますから、プロジェクトが何かきまらなければいけないので、どのようなプロジェクトがほしいか、プロジェクトの明細を希望してやりましたところが、その後何ら返事がありません。そうして現在に至るまで何ら発展はしておりません。
  229. 鈴木強

    鈴木強君 この点は、今申し上げた平和条約第五条に基づく留保権ですね、この点についてはおそらく今後も出てくると思うのです。交渉が継続されたような格好になってくると思うのですが、端的に言って、昨年来申し出のあるような十八億の二カ年間の繰り上げ借款、それから、そのほか今お話のあったような約二千万ドル、七十二億円の円借款の供与ですね、こういったものを合わせてビルマから申し出があるようでありますが、その際日本としては、もしこれをやるとすれば、もう留保権をなくしてもらいたい、こういうふうな意見をお持ちになっておるのじゃないかと私は拝察をするわけですが、大臣としては、その点は、そういうものをちらつかせないでやっていくつもりなのか、それとも、そういう考えである程度向うの条件をのもうとしているのか、これらの点いかがですか。
  230. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ただいまの十八億の問題は、私の記憶によりますと、あれは、初年度、二年度でありましたか、賠償総額の平均額より若干下回っておった、従って、その下回っておったものが持ち越されてきたと申しまするか、そういうものを次の年度にそれだけふやしてもらいたいというような要求であったと思うのです。大蔵大臣と私折衝いたしまして、少なくとも二年間に九億ずつくらいふやしていく、大蔵省は六億くらいとか、三年間くらいとか言っておりましたけれども、そういうような点でぽつぽつそれを追っつけていくという形で解決できたと思っておりますが、そういうようなことでありまして、この再検討条項の話は、さっき局長が申し上げましたように、まだ交渉が打ち切られたわけでも、あるいは中止になったわけでもございません。向こう側においても、こういう問題については、日本側として相当やはり研究もしなければならぬし、あるいはそれぞれのあれもあるだろうし、また、国会等も忙しい点からみて、交渉もスロー・ダウンされておる、こういうところだと御了解願いたいと思います。従って、今後これらの問題については、やはり問題の解決をはかっていかなければならぬことは、明らかに再検討条項というものがついておりますから、して参らなければならぬと思いますが、しかし、われわれは、日本政府立場としては、ビルマ側が指摘しておりますように、インドネシアやフィリピンと必ずしもその比率と申しますか、あるいはバランスを失っているとは考えておりませんので、従って向こう側にも十分これには納得してもらいまして、そうして他の経済借款方法なり何なりによって、向こう側にも十分納得してもらう道が得られれば、それが一番適当な方法ではないかというふうに現在でも考えております。
  231. 鈴木強

    鈴木強君 最後にこの経済協力の問題については、大臣も率直に述べられているように、確かに先方の国の実情と日本の業者との関係、こういうものがマッチしませんと、実現は困難だと思いますが、ただ一つ、私はぜひもっと積極的に、結んだ協定について、責任をもって、ビルマに納得できるような具体的な積極的な措置をとってやることが非常に大事だと思います。ですから、こういう点をないがしろにしておきますと、ベトナム問題や、これは口には言えませんでしょうが、いろんなことが関連して参りまして、ますますビルマを刺激してくるようなことになると思いますので、こういう点については、もちろんこれは、具体的にやる場合になりますと、現在も輸出入銀行の融資の上である程度の危険負担もしなければならなぬというようなことも出てくると思いますが、そういう問題に対して、現在法制上何らの措置もなされておらない、こういうことでありますが、そういうことのもちろんないようにやるのが原則でありますが、しかしいつまでも、四年たってもびた一文も経済協力ができないというようなことであっては、これはビルマが怒るのも私は無理はないと思うのです。ですから、そういう協定を結んだ政府責任においてこれは一つ積極的に推進をしていただくように、私は大臣に希望します。そうでないと、ベトナムの問題も相当私は影響していると判断しますので、その点に対する今後万全の措置をとっていただけると思いますが、そういうことも強く期待をして質問を終わりたいと思いますが、最後にもし大臣の御意見があったらお伺いしておきたい。
  232. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 御承知通りビルマの賠償賠償の一番先でありまして、これが解決したことが次の賠償解決を進行させたゆえんだと思います。でありますから、当時の岡崎外務大臣も、やはりそういう点を顧みて、再検討条項というものをああいうふうに加えられたのではないかというふうに私は考えております。がかと、その後やりました賠償が、ビルマ賠償と必ずしも不つり合いな賠償をやっているとはわれわれは思っておりませんから、従って賠償そのもの考えるということは、必ずしも適当だとは思っておりませんけれども、御指摘のような経済協力の協定もございますから、それらのものができるだけ活用されていく、実施に移っていくようなことに日本政府としては協力しまして、一番最初に賠償を受諾して、まあ今日まで賠償解決の道を開いてくれたビルマに対するその好意は、やっぱり私ども考えてやらなければいかぬじゃないかと思っておりますので、この点については十分努力して参りたいと思っております。
  233. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 本日はこれにて終了し、明十六日午前十時からベトナム賠償関係協定両件についての質疑を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時七分散会