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石田次男君 何べんお伺いしても同じですね。じゃもう少し砕いて参りますけれども、先に申し上げた
通りに、この
外交問題を考えるには、
法理論一点ばりでもおかしくなりますし、また、そうかといって、
実際論ばかり振り回しても、もちろん片寄るわけでございます。さらにその上に、
外交全体の将来も考えた
政治論的な
立場も加えまして、
法理と実際、
政治の三つの論義を重ねまして、このかね合いの上で考えたら、より正しさが求められると考えられるのでありますが、この三点から、角度を変えて練り直してみますと、どうも
政府のおっしゃっている
国際信義論は、片寄っているように思うのでございます。
南北統一の見通しがつかない、予見されない将来まで
支払い義務の履行を延ばすのは
国際信義に反する、こうおっしゃっているのでありますが、これでは簡単過ぎて、一見なるほどと思われるのですが、しかし、よく
検討してみますと、本質が言葉のあやの中に隠されてしまっているように思うのであります。そこで国際
審議そのものを考えて、砕いてお伺いしたいと思います。
まず
賠償問題、これは、サンフランシスコの平和条約から端を発しているのですから、わが国が
支払い義務を履行するかどうか、その点については、総じては世界全体が見ていますし、別しては平和条約調印の諸国が見ているわけでございます。だから、
賠償もやめた、払わないと言えば、これは世界の国際間の信義に反するわけでありますが、また、
相手である
ベトナムに対しまして信義に反することになるのでありますが、また、
ベトナムの
国民全体に対して信義に反するのでございますが、しかしながら、こっちは払うのだという
態度をはっきりしているのですから、しかもその上に、肝心の
相手の
政府がどうも疑問があるので、万人が見て、
相手が
支払いを受け入れるに足りるりっぱな
政府になるまで待ってくれ、
支払い義務の履行の責任上ちょっと待ってもらいたい、こういうことになるのなら、いくら延びても
国際信義に反しないと、こう考えるのですが、いかがでしょう。