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伊関政府委員 一九五三年にこれは
インドネシア、
フィリピン等に次ぎまして
中間賠償の
沈船引き
揚げ協定ができたのであります。たしか
仮調印をいたしましたのが九月かと思います。それをどういうわけか、
先方といたしましては正式に
調印いたしません。五五年の末になりましてこれをたな上げするということを言って参ったのであります。この
理由につきましては
先方も
説明いたしません。こちらが聞きましても何も言わない。そこで推測するより仕方がないのでありますが、別途その前から民間の方で手をつけておりました。その方でいけばそちらでやろうかというふうな気もあったかも存じませんし、あるいは
くず鉄の値段の上下というふうなことも影響したのかもしれません。これははっきりわかりませんが、いずれにしろこちらが催促しましてもこれを
正式調印しない。そして五五年の十二月になりましてこれをたな上げする。そしてたな上げしました上で正式な
賠償の
交渉をしようということを申してきております。一九五六年の一月に
正式交渉が始まっておりまして、そこで二億五千万ドルというふうな
数字を出しております。その後ずっとこの額をめぐりまして、これを下げるべくこちらとしては
交渉いたしておるわけであります。その間
ダニムとかいろんな
プロジェクトが出ております。その際に
沈船の件も向うから申しておりますし、こちらでもまたこれを言っております。しかし
順位としましては常に低い
順位にあります。そこでこちらの
賠償額の方が少ないわけでありますから、こちらはなるべく金額を少なくしようということになりますと、
順位の低いそういう
沈船というものは入ってこなかったということであります。