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1959-08-10 第32回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年八月十日(月曜日)    午前十時三十九分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加藤 武徳君    理事            高野 一夫君            吉武 恵市君            阿具根 登君            木下 友敬君    委員            鹿島 俊雄君            勝俣  稔君            紅露 みつ君            谷口弥三郎君            徳永 正利君            山本  杉君            片岡 文重君            小柳  勇君            坂本  昭君            藤田藤太郎君            村尾 重雄君            常岡 一郎君   国務大臣    厚 生 大 臣 渡邊 良夫君   事務局側    常任委員会専門    員       増本 甲吉君   説明員    警察庁警備局長 江口 俊男君    厚生省公衆衛生    局長      尾村 偉久君    厚生省医務局長 川上 六馬君    厚生省社会局長 高田 正巳君    厚生省引揚援護    局長      河野 鎮雄君    海上保安庁長官 林   坦君   参考人    日本赤十字社副    社長      葛西 嘉資君    日本赤十字社臨    時帰還業務中央    対策本部総務部    長       小沢 辰男君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○社会保障制度に関する調査の件  (在日朝鮮人帰還問題に関する件)  (埴生療養所問題に関する件)  (小児麻痺多発に伴う措置に関する  件)  (拓洋丸問題に関する件) ○派遣委員報告   —————————————
  2. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それではただいまから社会労働委員会を開会いたします。  社会保障制度に関する調査の一環として、在日朝鮮人帰還問題に関する件を議題といたします。  本件に関し、日本赤十字社社長葛西嘉資君及び日本赤十字社臨時帰還業務中央対策本部総務部長小沢辰男君を参考人として御出席を願い、経過等について御説明を願うことにいたしております。参考人の方にはお忙しいところをありがとうございました。それでは葛西参考人の御説明をお願いいたします。
  3. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) ただいま私が今日までのことをお話し申し上げるようにというお話でございましたが、もう参議院の皆様方大体御存じでございますので、あまりこまかくは申しませんで、骨組みのような点だけ申し上げて、あとは御質問に応じてお答えさしていただくことにさしていただいたらと思います。  この問題、御承知のように、終戦直後から日本におりました朝鮮人は、帰還を希望する者は大部分、もうすでに百三、四十万、終戦の直後本国に帰っておったのであります。日本に六十万前後残っておりました者は皆本人意思で残るということになっておって、十何年このままの状態で来ておったのは御承知通りでございます。ところが、ちょうどこの問題が、日本におる朝鮮人北鮮に帰りたい者を帰すという、いわゆる北鮮帰還問題が起りましたのは、私の承知するところでは、昭和三十一年の初めに、北鮮におる日本人帰還に関して私ども日本赤十字代表として平壌に参って日本人引き揚げ交渉をしたときに始まったと思います。このときに日本人を帰すという協定をする、これはもう非常に簡単なことであったのでありますが、当時北鮮側としては、日本人を帰すかわりに、日本におる北鮮に帰りたい者がだいぶあるから、これを帰してもらいたい、こう言い出したのが初めでございます。ところが、なかなかこの問題解決、御承知のように、できなかったのでございまするが、初めから私ども並びに伺うところによると、政府もそういう御意見であったようでありますが、この問題は非常にデリケートであり、ことにまた、航海の安全というふうな点から考えても、どうしても赤十字国際委員会介入してもらう必要があるというのがその当時からの考え方であったと思います。そんなことで私ども国際委員会に頼んだわけでございます。  日本人を迎えると同時に、昭和三十一年の五月だと思いますが、国際委員会代表であるミッチェル、ドゥヴックという二人の人がこの調査のために来てくれました。中共北鮮南鮮、東京というふうな各地でいろいろ調査をして帰った。このときにはもちろん大村収容所並びに釜山の収容所の問題も一緒に調べてこれに対する勧告のあったことは御承知通りでありますが、そんなにして彼らは帰る。帰るとすぐに彼らは国際委員会首脳部報告をして、赤十字国際委員会としては、同年八月だったと記憶いたしますが、ジュネーブ国際委員会が主催をするから、日本と南北両朝鮮、三赤十字のこれらの問題についての会談をしたいということを提唱いたしました。当時日本はもう直ちにこれに応じます、それから北朝鮮の方の赤十字も応じます、ただ南鮮赤十字だけは、その必要なしということでその会談がだめになったいきさつがございます。そんなことであったのでありますが、その後日本としまして、日韓会談が進行中であったりなんかいたしますし、昨年あたりまでそのままの状態できたというのが事実のようでございます。  昨年の秋ころだったと思いますが、北鮮の方から、実は、日本におる朝鮮人帰ってこい、自分の方はこれを受け入れる万般の準備を整えている。しかもこのとき新しいことは、配船自分の方でやるということを言ったようであります。そんなことから、昨年の秋あたりから、日本におる在日朝鮮人帰還を希望する者などがワイワイ言ったというのは皆さん承知通りでございます。そんなようなことがあったと思いますが、御承知のように、本年の二月十三日に、政府北鮮帰還問題を閣議で御決定になりまして、そうしてその交渉日本赤十字に御依頼になったのでございます。そこで私ども井上外事部長は二月の下旬でありますが、私は三月の十日ころから向うへ行きまして、北鮮の方も当初はジュネーブに行くことを反対しておったのでありますが、四月の八日に、ジュネーブ向う代表も参りまして、四月十三日からずっと、新聞で御承知のように、十八回ばかり、ずいぶん長い会談をいたしておって、六月の二十四日に大体私ども北鮮との間では帰還に関する協定に大体同意を見て、サインをするばかりになっておったのでございます。ところが、その後話し合いをした結果、この十三日にインドのカルカッタで調印をしようということに話がまとまりまして、明後日私も行ってこいということで、向う調印のために行こうかというようなことに相なっておるわけでございます。  で、交渉の中で非常に問題になりました点、大きな点から申しますと、一番最初に、とにかくジュネーブ会談をするのだということ、これは非常に大きな点であったのでありますが、とうとう向うでも出てきたということで、これは事実で解決したわけでございます。それから国際委員会建物の中で十八回やったのでありますが、国際委員会建物の中でやったということに私は非常に意味があるような気がいたします。十八回ともこれは国際委員会建物を貸してくれまして、その一室でやった。もちろん公的な会談のほかに私的な打ち合せもいろいろいたしました。これはお互いに、向うが私どもホテルにたずねるとか、あるいはこちらから向うホテルへたずねるというようなことで、おそらく、数は数えてみたことはございませんが、十八回の倍くらいは接触をしておったというふうに思います。  そんなことで、会談場所等については日本側の言い分といいますか、これがある程度通ったというように私は思います。  それから、閣議の大体今度の北鮮帰還問題についての一つの大きな柱というものは、私ども承知するところでは、本日は伊関アジア局長並びに河野引揚援護局長がおりますから、政府の方で間違っておりましたら訂正していただきたいと思いますが、私ども承知いたしておりますところでは、この今回の帰国というのが、在日朝鮮人個人々々の自由意思でその行く先をきめるという点が非常に大事な点でございます。御承知のように、日本におる朝鮮人地位等についてはまだきまっておらぬので、非常に複雑になっておるわけでありまして、こういう場合に国際通念並びに赤十字の決議あるいはまた人権宣言等によれば、本人自由意志居住地を選択するのだ、居住地選択の自由というものは、これは人間の基本的な人権なんだ。だからその北鮮へ帰りたいというのはその自由意思によってきめるのだという点でございます。従って、私どもとしましては、この意思にもし間違いがあっちゃ困るのだから、この意思というものは非常に大事にせにゃならぬ。それをまあ私どもは初め意思確認ということを言っておったのでございますが、北鮮側の方は意思確認人権の侵害であるから絶対反対だといってジュネーブへ乗り込んで参りました。この意思確認問題というものについての話し合いというのが、会談にして四回くらいかかったと思いますが、やったのでございます。非常に、私の受けた印象でございますが、北鮮側もどうも日本信頼できないというような態度であったように思います。私どもの方もまあ何を言い出すか、ああは言っているけれども、その裏に何があるかわからぬというようなことでお互いに警戒して話をする。従って、話すことは初めのうちはきわめて抽象的なことをお互いに話し合うというようなことでございます。それを一回会談をやり、二回会談をやり、三回目ぐらいになって、大体向うが何を考えているのだというようなことがぼやっとわかってくるというようなことでございます。一体私の理解するところによると、向う意思確認絶対反対と言っておったのは、今言ったように朝鮮人日本における地位というものが非常にデリケートであり、しかも複雑なのだから、自由意思帰国でやるのだという点については、これはもう向う異議がなかったわけです。ただ、意思確認という名目のもとに日本側において朝鮮人のいろいろなことを調べられては困るというのがどうも意思確認反対と言っておった理由のように私は見受けました。たとえて申しますと、この在日朝鮮人は過去において共産運動をしたとか、あるいは特定の団体へ属しておったとか、あるいはどろぼうをして前科があるとか、あるいは密入国を何べんやったとか、そういうふうな過去の、言葉は悪うございますが、古傷を洗うというようなことは一切しない。ただ本人意思だけは、これは帰還についての基本的なものなんだから、これはどうしても日本としてはやらざるを得ない。これができなければもう問題にならぬ。また、日本には帰還を阻止する勢力もあるわけだ。そういうふうなものを納得させることができない。だから意思確認ということだけはどうしても必要なのだ、ということを言ったところが、わかりました、意思確認がそういう意味ならばいい、ということを第四回の会議だったと思いますが言ったのでございます。それで意思確認問題というのはそんなことで終って、最後まで自由意思帰国だという点については両者はほとんど争いはない、こういうふうに思います。それから閣議でありました第二の大事な点というのは、赤十字国際委員会介入の点でございます。これも、私ども理解するところでは、国際委員会介入なしでは北鮮帰還はやらないのだということを明瞭に向うに申しておったのであります。ところが、向うの方は、国際委員会介入の必要はない。現にあなた方が北鮮におる日本人を連れて帰るときに国際委員会介入しましたか。これは日本北鮮の両赤十字話し合いをしてそれで帰っておった。その必要を認めない、というのが彼らの態度でございました。一体、この問題というのは、二つ赤十字でやればそれでいいので、何のために国際委員会介入するか、それがわからぬ、こういうふうな主張でありました。私の感じたところをもってしますと、どうも北鮮の連中は、もし国際委員会なんかに介入されるというと、何を言い出されるかわからない。ことに、まあこれは言葉は悪うございますが、国際委員会が公正だ公正だと日本は言うけれどもほんとうに公正か、どうも彼らは日本びいきに違いないと、こう思っておったんだろうと思うのでございます。だから、うっかり入れちゃうと二者が三者になっちゃって、国際委員会日本と組んで北鮮を何とかされやせぬかというような感じがあったんじゃないかと思うわけでございます。そういうふうなことでありましたが、そんなことはないのだ、ほんとうに公正なのだということを話すと同時に、日本としてはこれなしじゃ絶対できないのだ、これが生命線だと私ども言ったわけでございますが、向うも盛んに生命線ということを言い出した。それが、第六回の正式会談だったと思いますが、国際委員会介入に賛成しますということを向うが言い出しました。しかし、それには限度がある。それは、日本国際委員会にいろいろやってもらおうというふうに考えているけれども自分らが言うのは、日本介入生命線だと言うからそれじゃ認める。認めるけれども、私どもは何もそう深入りをしてもらう必要はない。実務に関与してもらっちゃ困る。帰還実務に関与することなく、国際委員会はわきにおって、観察者として、オブザーバーとしてやるということならば自分の方は異議はないと言ったのが第六回の正式会談だったと思います。そこで、自来そのあとは、今度国際委員会介入の程度について日本側北鮮側との間でいろいろ議論があったのは、もう御承知通りでございます。日本の方は国際委員会というものにある程度やってもらいたい、あるいは国際委員会の管理のもとにこの帰還業務をやるんだ、あるいは国際委員会の指導のもとにこれをやるんだ、あるいは、もしこの意思確認が、これは非常に大事なんだが、そういうふうな意思確認について若干の苦情が出たような場合においては、その苦情は最終的には国際委員会に下してもらう、日本はそれに従ってやるということにしてもらわなきゃ困るというようなことであったのでございますが、これは、向うの方は、どうしてもそれは困る、二者会談だけだ、日本がその代り国際委員会に私ども北鮮側の言うようにやってもらうのならばその限度異議がないと、まあこういうふうなことでやっておったのでございます。で、そうやっておったのですが、結局は日本側としてはそれじゃというようなことで、大体こういうことになりました。今度の帰国というのは自由意思による帰国人道上の措置なんだ。人道上の措置をいろいろ日本がとる場合に、これは人間のやることだから間違いがあるかもしれぬ。そういうような間違いがあっちゃいかぬから、その間違いを確保するために、日本国際委員会に対して適当な措置をとってもらうように依頼する。国際委員会からこっちへ言うてもらう。そうしてその措置とは何ぞといえば、三つのことがあるわけでございますが、その第一は、今度の帰還というのは朝鮮人自由意思で帰すというのだから、その自由意思で帰すための組織言葉をかえて申しますと、集団帰国でたくさん帰るのでございますから、それを登録せんならぬ。登録組織をどういうふうにするかということを日本がきめて国際委員会アドヴァイスをしてもらう、助言をしてもらうということ、これが一つでございます。登録機構組織について国際委員会から助言しもらうことを赤十字が依頼する。それから第二は、そうしてできた登録機構の運営についていいか悪いかを一つ確かめてもらう。組織助言によってできて、なるほどこれならば、人道上正しいということはできるかもしれぬけれども、それを運営するについていいか悪いか見てもらってそれを確かめてもらうというのが第二でございます。第三は、それを確かめた結果、もし必要ありと認めれば、国際委員会日本赤十字に対して助言を与えてくれる、アドヴァイスを与えてくれる。そのアドヴァイスを与えてもらって日本はそれに従えばいい。そういうふうな三つのことを日本の方から国際赤十字委員会に頼む。この限度ならば異議がない。こういうことに話がまとまったのでございます。さらに、今度の帰還について、日本でこのことが人道的に正しいことであり、ことにまた、意思の確保に欠けるところがない、こうやってやるんだということを国際委員会代表日本に来てもらってそれをラジオを通じて一般に周知させる、ラジオを通じて放送するという点を日本が依頼する。これも異議がない。まあ大体それだけのことを国際委員会に依頼する。国際委員会の方が日本から頼んだこれこれの事項を引き受けてやると言ってもらえばこれが動き出す。それがない限りはこの帰還業務は動き出さない、というのが大体の協定でございます。あと協定の内容は、皆さん新聞でも出ておりまして御承知通り、あるいはまた、中共ソ連等ののと同じように、日本新潟港が今度出港地になりますが、新潟港までの間の一切の措置というふうなものはある一定の限度の制限はありますけれども日本側においてこれを処置してやる。それから船場まで朝鮮代表が乗ってきますから、その北鮮代表にそれを渡しますというと、もうそれから先は北鮮での定着地までの措置というものは北鮮側でやるんだ、こういうことをはっきり書いてございます。で、協定は、さっき申しましたように、六月の二十四日、ジュネーブにおいて起草委員会の仮調印をいたしましてできておったのでございますが、御承知のようないきさつ調印だけができずにおるというふうなことであったのでございますが、ようやくこの話ができまして、十三日に調印というふうにきまりましたのは、先ほども申し上げた通りでございます。それで、まあそれだけのことに一体なぜこんなに時間がかかったのかと皆さん御疑問をお持ちになるかもしれませんが、別に遊んでおったわけではございませんが、何と申しますか、まあお互い信頼が非常に薄い。従って、言うときに非常に遠くの方からものを言ってだんだん具体化していかなきゃならぬ。こういうようなことで、さっきも申しましたように、今度の会談についての山というものは、大きい山が二つ三つございます。それで、その山の中にさらに小山があるわけですが、その一つ一つの山を越えるのに、やっぱり今言ったように抽象論をやり、向うが何を考えているということをお互いがだんだんに理解する。まあそんなことで妥結の道が自然に見つけられるというようなことで、大きい山二つ、小さい山になると五つ六つを越えるのに、一つずつ手間がかかったというのが、まあ長くかかった理由ではないか、こう思うわけであります。はなはだ雑然としたことを申し上げましたが、一応私の説明を終りまして、御質問がございましたらば、御質問によってお答えをさしていただきたい、かように考えます。
  4. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) ありがとうございました。  それでは参考人に対する質疑をお願いいたします。  なお、政府側からは、外務省の伊関アジア局長厚生省河野引揚援護局長出席いたしております。
  5. 坂本昭

    坂本昭君 この帰還交渉に当りまして、先ほど葛西さんの説明通り、警戒と不信から融和と信頼と友情へだんだん変っていったその長い忍耐の御苦労に対して、私たち心から感謝と敬意を表したいと思います。特に、今最初お話のありました昭和三十一年の日本同胞引き揚げのことについては、私も直接関係があったんです。ちょうど三十年の九月に、日赤の本社で井上外事部長に、当時平壌に集結して故国に帰りたいということを切望しておった三十数名の日本人帰国交渉に当ったことがあります。というのは、ちょうど忘れもしない三十年の八月の中旬です。あの暑い平壌の駅で、三十人ほどの、中には御婦人もまじえた方々から、当時はほとんど廃墟に近い平壌の町、その中からたしかユリの花を持って私たち平壌の駅へ送りにきてくれた同胞人たちがおりました。その人たちは、私たちの持っている旅行カバンの中に入れて連れて帰って下さい、私たち日本へ帰りたいんだ、そういうことを切実に訴えられたことがある。私はその当時の同胞の胸をえぐるような訴えを忘れることができなくて、九月の初めに羽田に着いて、朝五時ごろ、税関が終ったら夜がもう明けていましたが、そのまま、日赤方々がおいでになった時間を見計らって井上外事部長に面会を求めて交渉をして何とかして帰してもらいたいということを申し上げたことがあります。いわば、ちょうど昭和三十年の夏にたまたま私が平壌へ、そのときはもちろん国会議員ではありません、一私人として参りましたことがきっかけとなってこうなってきたことを、非常に、何と申しますか、感慨深く顧みるものでございます。その当時、この廃墟平壌の町の中に、引き揚げの三十数人の日本人のために特別な家を作っておりました。これは葛西さんも御承知と思いますが、障子の入った日本風の家なんです。それには子供ももう入っておって、当時集結しておった日本同胞諸君は非常に感謝と満足の気持を持っておりました。ただ問題は、いつ帰れるかという不安であったんです。それが幸いにして皆様方の熱心な御努力によって帰ることができて、私も三十一年の春でしたか、帰られた方々から、並びに、その家族から、お礼状をもらったことを今でも忘れることが実はできません。それで、その当時の平壌におった日本人気持を考えると、今、日本におって朝鮮に帰りたいという人の気持が、私は、純然たる人道主義的な気持でよくわかるんです。私は高知県ですが、高知のいなかにおった朝鮮人諸君からも、もうこれでお別れですから、先生と一緒写真をとらして下さい、そう言って写真をとったこともあるんです。ところが、四カ月たってもなかなか帰れないので、おそらく平壌におった日本人人たちと同じ気持で、非常にいらいらした気持でいるのじゃないかと思います。一つ純然たる人道主義的な立場でその立場を貫いて、特に赤十字の精神を徹底さして、今回の帰還業務を精神的にも物質的にも十分にやりとげていただいて、日本赤十字健在なりということを示していただきたいと思うんです。  それで少し具体的なことをこれから二、三お尋ねしたいんですが、まず赤十字国際委員会の承認は絶対間違いないというふうに、日赤方々は非常に確信と自信を持っておりますけれども、どうもわれわれ報道関係を見ても、一体それほど確実なのだろうか、そういう証拠があるのだろうか、一体どういう証拠がまずあるかということ、たとえば、この十一日にはコミュニケが出されるというふうに出ておりました。最初十口であったのが十一日に延びた。このコミュニケには何かそういうことを裏書きするようなことが予想されるのか、あるいはまた、国際委員会の公式の意思表示というものがいつなされるか、調印の十三日からジュノー副委員長の出発される十八日までの間にそれがなされるのか。それからもう一つは、十八日ごろに国際委員会の副委員長のマルセル・ジュノー氏がジューネーブをたって日本に特派されるというのですが、一体その目的は那辺にあるのか、とりあえず、それらの点を御説明いただきたい。
  6. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 一番大事な生命線である国際委員会介入同意が確実なのかというお尋ねだと思いますが、これは実は国際委員会関係は実は非常にデリケートでございまして、私、実はジュネーブたちますときに、ちょうど九品にたったのですが、八日に向うボアシェ委員長に会いまして、そのときに実はいろいろ打ち合せて参りました。そのとき、ボアシェさんから念を押されまして、日本にものを言うと全部それが漏れてしまう、それでこりた例が数々ござると、こういうようなことで、これから言うことは、もうこれは赤十字のあなたと赤十字の私の間のごく内々の話なんだから、その含みで聞いてくれるかということを念を押しまして、それは文書にもいたしませんししますから、こう言って実は話をして参ったのであります。それで極端な言い方で、向うはこれは一体——非常に私も困ったんですが、日本にはビューロークラシーというものがあるのですか、全部書面が漏れてしまう、そういうことでは話ができぬ——いや、それはもう話しませんから、それは私も、これは帰る以上は、と言うたら、いろいろな話を伺って参りました。これは大へん国会の皆様に申しわけないんですが、どういう話をしてきたのかということは、これはちょっとまだ、もう少したたないと、国会の方々でありましても、私はちょっと申し上げられぬような気がいたします。ただ私は、さればといって、具体的に話が八日にあったわけではありませんが、私は、折衝の経過から見て、日本としてはこれをやらなければできないんだということをくどく言ってありますので、私はもう必ず確実に、調印をしても間違いなく国際委員会介入同意をしてくれるものと確信をいたしております。十一日に何かコミュニケが出るというようなことを、新聞を見ますと外電等がきているようでありますが、出るのかもしれないと思いますが、そこらどうなりますか、実は私どもつまびらかにいたしておりませんので、責任を持って皆さん方にこうでありますということを申し上げることも実はできないと思います。ただそういうことに、同意というようなことになってくれば、どうしても日本国際委員会代表というものが来て、そしてそこでいろいろ正本が先ほど申し上げた協定の内容を助言を与えたり、あるいは確かめをしたり、あるいは放送をしたりするような仕事をやらなきゃなりません。これはもう必ず来てくれると思います。ただそれがジュノー氏が一体どういう用務を帯びて来ることになりますか、そこらのところを私は実はつまびらかにいたしておりません。おそらくジュノー氏はそう長く日本におることはできぬと思います。従って、荒ごなしというような、そういうことをして、そしてジュノー氏はまたジュネーヴに帰るというようなことではないか、これは想像をいたしておるわけであります。ただ日本がこの仕事をやるために絶対要件であり生命線である国際委員会介入という点は、これはもう私は絶対と申していいと思います。絶対間違いないと確信をしております。その根拠は何だと言われても、今のところちょっとこうこうこうだということを申し上げられないことは大へん残念であり、申しわけなく思いますが、これは間違いないと、こう思っております。
  7. 坂本昭

    坂本昭君 それでは明後日御出発ですし、特に国会からそういう混乱を起させようとは思いません。一応その点は葛西さんを信服して、信頼して、これ以上私も追及しませんが、ただ葛西さんも今のビューロークラシーの中におられた方でありますし、よく知っておられるはずでありますから、やはりこれは重大なことですし、それだけのことを言われた以上は、われわれとしては国会に対しても言うことはできないというほどのことを言われた以上は責任を持っていただきたい。これがきわめてあいまいな結果に終ったときには、これは葛西さんの責任をわれわれとしては追及する、そのことだけ申し上げて、重大な段階であるからもうこれ以上はでは今お尋ねをいたさないでおきます。  それから次に、今度の協定については、大体秘密であって、調印後に初めて出されるということでありますが、紙上発表されたものを見ますと、先ほど言われた国際委員会帰還業務に協力し、勧告を与えて帰還申請の登録機構に対して助言をする、それが協定のたしか第三条ですか、三条に人道立場赤十字の諸原則に合致するものであることの公式の確認をするというふうに私はちょっと漏れ承わっております。そのために別にこの国際委員会が八月の末ごろある程度の人員を派遣してこちらに来られる。ジュノー氏は滞在日数が短かいとされると、ジュノー氏が一度来られて帰られてから多分その国際委員会があらためてそういうことのために人員を派遣されるのじゃないか。そしてその派遣があって初めて全国の市町村の窓口での登録受付が開始される。そうすると、新聞に伝えられるように、その時期というのは九月の中旬以後だろうというふうに思うのですが、そうすると、第一船の出港の見込みですね、第一の船の出港の見込み、これは新聞によりますといろいろ若干の違いがあるのです。あるものは十月、あるものは十一月、いろいろ準備期間を二月と見るか三月と見るか。これについても皆さんは二月でやりこなすとかいうふうな確信があられるように……。これは援護局との関係もあると思いますが、大体第一船出港の見込みはいつであるかということを一つ承わりたい。
  8. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) どうぞおすわりになったままで。
  9. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) これは実は申し上げるのを忘れたのでありますが、協定の中には、実は調印をいたしましてから三カ月以内に第一船を新潟から出す、日本の方は諸般の手続をして出す義務があるし、朝鮮の方はそれまでに船の準備をして—これはソ連船が迎えに来るのであります。来るようにする責任があるということを規定してございます。以内でございますから。ところが、これは援護局長からお話があるかもしれませんが、大体調印を十三日といたしますと、日にしますと、多分十一月十一日ということになります。少し、まだ確定はいたしておりませんけれども、大体今お話しになった通りだと思いますが、まず登録機構助言によって作らなければなりません。このためには赤十字国際委員会代表が来てもらうことがもう必要だ、来てもらって、そして助言を得て、登録機構をまず整備する。これは第一線の地区町村の窓口から都道府県を通じての本部に至るまでの登録組織をそこで作ります。それを助言を得て作るということ、そしてできますと今度はそれを都道府県のレベルそれから市町村のレベルまで周知徹底しなければなりません。そして今度の帰還は、何度も申し上げますように、朝鮮人の個々の意思が大事でございますが、これが間違ってくると大へんなことになります。第一線の窓口から大事なので、これを訓練と申しますか、指導と申しますか、なれさせて、こういうふうにやってくれということを町村までやらなければならぬ。大体朝鮮人のいない町村もありますが、事務的に調べますと、全国で窓口が三千八百ぐらいあるという—これは間違ったら援護局長から直してもらいたいが、見込みでございます。これもしかしながら、朝鮮人登録したものと思っても、密入国をした朝鮮人も帰りたいと言えば帰さなければならぬから、そういうのが出ると若干数がふえるかもしれませんが、一応そういうことで三千八百の第一線の窓口までいろいろ訓練をしたり指導をしたりして、急いでやっても相当時間がかかる。そういうことを考えまして、大体九月の下旬ぐらいまでに朝鮮人が窓口に登録ができるということになるだろうと今予定をしております。そしてそれができまして、それか今度あと厚生省政府の方でおやりになるいろいろ援護所の手続あるいは政府でやっていただく援護の手続の準備というようなものができて、そして本人に送ってやる。それは鉄道を無賃にするとか、途中の弁当賃を出す、あるいは新潟援護所に入った場合のいろいろな処置の準備といったものを入れると、短かくしても一、二日しかないのじゃないかといういうようなことを私どもは考えて、政府と今そこらを打ち合わせておる次第でございます。だから船の見込みというものはおそくも十一月十二日までという、違っても大した一両日の違いぐらいしかない、それぐらいしか見込めないじゃないか、私どもそんなつもりでおります。あるいは間違っておったりあるいは不足の点がありましたら援護局長から……。
  10. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 葛西さん、すわったままでけっこうですが、暑いから上着をお脱ぎ下さい。
  11. 坂本昭

    坂本昭君 今の点で援護局長から補足説明かあれば言って下さい。
  12. 河野鎮雄

    説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話がございました通りでございまして、私どもといたしましてはできるだけ早く準備をやって、一日も早くお帰り願えるような状態を作らなければならぬと思っております。非常に大事な準備がございますので、ただいま関係の方といろいろ御相談をいたしておりまする結果から予測いたしまして、どうしても十一月の十日ごろにならなければ第一船が帰られないというふうな状況になっております。
  13. 坂本昭

    坂本昭君 今度のまあいわば歴史的な民族移動みたいなものですね。それでおそらく三、四十万人になりはせぬかと思いますし、期間も三、四年はかかるんじゃないかとわれわれ思うのですが、そのために新潟集結所の宿舎の整備は十分できるか、まあことし一ぱいくらいで終ってしまえばいいのですが、私は三、四年かかりはせぬかと思うし、人員も何十万になるのじゃないかと思う。だからその辺の見通し、並びにそれに関連して整備の状態はどうか。特に施設の改修だとか、冬に向っての毛布だとか、ふとんだとか、食器だとか、こういうことは予算もある程度示されてありましたが、十分な確信を持っておやりになれるのでございますか、日赤の御当局に伺いたい。
  14. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) お答えいたします。大体のところは一体帰国希望者がどれだけあるかということは、これは私どももわかりませんし、当時ジュネーブ交渉したときに朝鮮側も、それは届け出をしてみなければわからぬのだとはっきり申しております。何か内地におきましては、朝総連が何か集めたのに十何方かあるとかというようなことを言って、あの名簿を基礎にしていろいろやっておるようでありますが、これは向う北鮮の李団長も、これはやってみねばわかりませんということは、はっきり申しております。従って、数のわからぬものを一体何年間にやるのかというので、非常に困ったのでございますが、やってみた結果、それが数が少ければ、現在新潟港の収容施設は一千人、しかも大体一週間に一回ずつ船が出る。そうすると、一月に四千人出るというようなことを基礎にして、大体それでやってみる。ところが、この協定を今お話のように、何カ年間有効にするかという点と、それから送り出す能力、あるいは受け入れ能力との関係でだいぶん議論をいたしました。そのときに北鮮側の意見は、清津、興南、羅津、この三港を受け入れ港にすると、こういうことだそうでございます。だから、日本一つ港を増してくれぬかというような意見がございました。しかし、それは新潟を増すことはできない。もしたくさんどうしてもあれば、それはそのときに収容力を増すことをお互いに相談して考えようということで協定に到達いたしました。それで一体今一月に四千人でございますと、一年に約五万人ということになるのでございます。一年に五万人やって、十万人おったら二年でやるのか、あるいは新潟港をふやしてそうして二千人にして年十万にして一年で済ます方がいいのかということを聞きましたところが、北鮮側は、これは自分の方は新潟港をふやしても一年で済ます方がいい、短かく済ましてもらいたいということで、一応協定の中にはそういうことをうたいまして、協定有効期間は一年三カ月とするということで、三カ月というのは今の三カ月以内に船が出るということで、船が出だしてから一年として一年三カ月とする。なお、それでも希望者がどんどん続くようであれば、そのときにはまた相談して期間を延長しようというような大体の仕組みになっております。収容施設等の関係については援護局長の方から……。
  15. 河野鎮雄

    説明員(河野鎮雄君) ただいまお話のありましたように、大体一回千人ということでスタートをする準備を進めております。大体二月は必要であろうというふうに見込んでおります。今月の下旬ころ着工すれば十分間に合うということで、関係のものと相談して十分遺憾のないようにいたしたいと思います。
  16. 坂本昭

    坂本昭君 一番最初に申し上げた昭和三十一年に朝鮮から帰って来た日本同胞の場合ですね、あの場合は数はわずか三十数人でした。しかし、非常にいい待遇を受けていましたし、おそらく帰られた方々は厚遇を受けておったことを感謝しておると思うのです。あのときは正確な金額は覚えておりませんが、五、六万円くらい何か金をもらって帰ったのじゃなかったかと思います。そうしますと、今度は非常に数が多いので、あのときと同じ程度のことをして差し上げるということはなかなか困難かもしれませんが、少くとも人道主義的な立場で、日本として恥かしくない程度のことは私はして差し上げるべきじゃないかと思う。特に今、日本におられる朝鮮諸君の生活というのは非常に悪いということ、まあ生活保護を受けておられる人も非常に多い。たしか二十数億ぐらいがそのために生活保護費として使われていると私も聞いているのです。そうしますと、そういう人たちがあまりにみっともなくない格好で日本から朝鮮へ帰られる。そのためにまあどの程度のことを赤十字としてはして差し上げる所存であるか。仕度料の金額まで、こまかいことまで追及するのもいかがかと思いますけれども、ある程度のことをして差し上げないと、ボロのままで帰るということでは、これはどうもちっとみっともないのではないかと思うのです。それで今の仕度料のことなども含めて、どういう御方針でおられるか、赤十字並びに援護局長に伺いたいと思います。
  17. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) お話のように、確かに三十何名北鮮から帰って参りますときには、なかなか日本へ帰っても生活が定着してからもむずかしかろうというような意味で、生活の援助というような意味で、たしか朝鮮円で二万円、それを何か外貨にして換算すると、大体六万円近くになる。日本の金にして、当時六万円だったと思います——ぐらいな金を一人ずつにくれたことは、これは事実でございます。現にジュネーブでもその話を向うが打ち出しまして、やってくれ、やってくれと言って、盛んに申しました。ところが、大体話が違うということをこっちは申しました。さっきも一番最初申し上げましたように、大体終戦の直後、朝鮮に帰りたい者は政府の責任で、申し出なさい、それは帰しますということで、ちょうど二十一年の終りごろになりますと、五十万の希望者があったものが大体八万人ぐらいしか帰らなんだ。当時、から列車が走ったといういきさつがあったのでございます。これは本人意思日本にとどまった、それが今度帰るのだから、朝鮮から来た者とは若干そこが違いはせぬか。それからただいま御指摘になりましたように、数が違うので、とても朝鮮並みにはできませんということで、まあしかし、やはりおっしゃるようなことを向うは言いましたのですけれども、大体日本側で提供する便宜はこれこれ、それから朝鮮へ帰ってからの、船の中をどうするとか、それから定着地においては住宅だとか就職だとか、あるいは就学ですね、そういうようなものについて世話をしますということをまあ協定の中に入れてあるのでございます。それで、日本側で与える便宜はこうこう、それから朝鮮側で与える便宜はこうこうというのを協定の中に—おっしゃるように、調印までまあ極秘中で、向うもそれを発表しておりません。こっちも従って出しておらぬのですが、大体そういう内容になっております。それには今の日本に残していく財産なんかは法的に保護する、それから持っていきたいものは引っ越し荷物とか、それから職業用具だとかというようなもので、税関で今まで許しているものは相当大幅に認めるという政府の御方針でありますということを伝えておきました。ただ個人に金をくれるかどうかというような点は、これはそうはいきませんというのを言ってございます。ただそれじゃ本人自分が金を持っておったらどうかというふうな点でございます。それでは財産を処分していくというような場合はどうかということでございますが、大体協定の中には日本円で四万五千円だけは英ポンドにして持ち帰らせる。それ以上を持っておった者は、非居住者円預金という制度があるそうでございます。日本に預けておく。そうして日本に預けておいて、必要があれば、本人から言うてきたら支払ってやるというふうにして保護してやる。それから汽車の便宜でございますね、荷物なんかの便宜は六十キロ以内はただにするとか、チッキにすればチッキ料が要るわけでございますが、そんなことで大体朝鮮側の本国の方は、まあ日本側の援護はこれだけ、朝鮮側の援護はこれだけということで、協定には書いてございます。まあ赤十字の方としてもできればたくさん何とかしてやりたいのですけれども、それはもうこっちが大へんで、そんな労力もないものですから、もう私どもとしてはそれ以上のことはできないということを本国側にもはっきり、これはあとでまた遅滞でもしては困ると思って、はっきり申しておきました。
  18. 坂本昭

    坂本昭君 了解できておるのですね。
  19. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) そういうことをちゃんと書いてございます。
  20. 坂本昭

    坂本昭君 そうしますと、やはり問題になるのは、向うに帰りたい人の中には生活の困窮者が多いと思うのです。そうすると、生活の保護を受けているような人が帰る場合の処置として厚生省としてはどういうふうなことを考えておられますか。
  21. 河野鎮雄

    説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話のございました点以上のことは考えておらない。先ほどもお話しございましたように、終戦直後、国といたしましても帰りたいものと、それから残りたいものというのをはっきりとりまして、その当時もう残ることをきめた人は将来援護はできないというふうなことも決定しまして、その当時決をとったわけです。今度は事実上帰れないというふうな障害がございますので、人道的の立場からその障害を除去する意味で、国なり日赤が便宜を供するという建前で協定ができている。そんなふうないきさつ、それから今まで援護してお帰ししたときの例でも、そういったようなこととにらみ合せまして、ただいまお話のありました協定にあります限度において援護したい、こういうふうに考えております。
  22. 坂本昭

    坂本昭君 もちろん終戦直後に帰りたい者は帰りなさい、それは援助する、しかし、その後は援助しないと、そう言われても、実際人間気持というのはその当時は帰りたくなくても、あとで何というか、やはり生活が苦しくて帰りたくなるということは、朝鮮から帰ってきた人たちの場合も同じことなんです。私も三十何人の人が今この期に及んでどうして帰りたいかと思って疑問に思ったのですが、それが人間気持なんですね。だからそういう場合に前に帰れというときに帰らなかったからといって問い詰めることは、これははなはだ非人道主義的だと思うのです。ただ問題は、生活保護を受けておられる方たちが新潟へ集結する、それから新潟から船に乗るという場合に、十一月になるとだんだんと寒くなってきますが、そうした場合に、これは協定の中にはないとしても、冬空を迎えて帰っていく人たちに対してどの程度のことをしてあげるか、これは協定外のこととして、とにかく乗船するまではやはり日本におる人なんですが、そういう人たちに対してどういうことをされるおつもりがあるか、厚生省として特に生活保護の対象としてそういう点をお伺いしているのです。
  23. 河野鎮雄

    説明員(河野鎮雄君) ジュネーブ会談お話も伺っておりますが、北鮮側も帰ってくれば、全然心配のないようにすべての世話をするというふうなお話に伺っておるわけです。私どもといたしましては、乗船地までお届けする、そうして北鮮側に引き継ぐ、それまでのお世話をするという考え方をしておるわけであります。それ以上のことは考えておらないわけであります。
  24. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 坂本さん、だいぶ時間も経過しまして、そこで他の委員の質疑希望者もあるようですから、なるべく端折っていただきまして、坂本君。
  25. 坂本昭

    坂本昭君 他の委員の御質問というのは、帰還問題についてですか……。そうしたら適宜に質問していただいて、関連質問していただいてけっこうでございます。
  26. 高野一夫

    ○高野一夫君 議事進行。私はこういうことを皆さんにお願いしたいのですが、事は外交的折衝の段階にあるし、しかも話が円満にまとまる最後の段階にきているわけでありますから、当委員会は速記をやめて祕密会でもありますれば、いかなる質疑あるいは答弁を願ってもけっこうかと思いますけれども、速記をつけ、かつ大勢の傍聴者のいる前で、やはりわれわれとしてこの席に発表して差しつかえがあることがあるかもしれないと思いますので、その辺のところは適宜一つ委員長の方で御裁量を願うことが適当じゃないかと思います。
  27. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 承知しました。
  28. 坂本昭

    坂本昭君 私もその点は十分含んで御質疑申し上げていると思うのです。  次に、伺いたいのは、新潟の港まで向うが迎えにくると思うのです、朝鮮赤十字が。そうした場合に、その人たちの宿泊のこと、まさか船の中にそのまま待っていなさい、あんたたち船の中までのことだというふうなことでは、どうも少しあまりにも非人情的の扱いだと思うのですが、その宿泊のこと、場合によれば日本赤十字との連絡のこともあって、東京へ来る必要のこともあろうと思うのです。そういう場合のことについて、日赤としてどういうふうに取り計らうようなおつもりでおられるか。また同時に、日本新聞記者あたりも送っていく場合には、いろいろ乗っていって、さっきの友和と信頼と友情の、そういった関係を取り結ぶことも必要じゃないかと思う。こういうことも赤十字立場としては、きょうは外務省にはお尋ねしませんが、赤十字立場として、どういうふうなお考えでおられるか、その二点を二つ伺いたいと思います。
  29. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 他に質疑の希望者も二、三通告が来ておりますが、坂本君がほとんどの問題にお触れになったようですから、今までの問題なりあるいはこれから質問なさること等について、御希望の方は関連して御質問願って時間の節約をはかりたい、こういうことで一つ御了承をいただきたいと思います。
  30. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 今の協定で申しますと、実は今のお話になったようなものは、みんなジュネーブで出た問題でございます。今度の帰還は非常に多いから、朝鮮代表一つ東京なり新潟なりに常駐させてくれぬかというようなことの話がございました。しかし、今の段階ではできないとはっきり断わっております。これは何べんも断わったのでございます。先方は非常に不愉快ですと、こう言いましたけれども、不愉快でも仕方がないということで、代表はただし新潟へ迎えに来るのだから、各船には全部朝鮮赤十字代表が乗ってくる。月に四回来れば四人、それが全部乗って参ります。それは船の停泊期間中新潟の港域内へ泊る、こういうことになった。従って、代表は新潟の港域だけは上って、そうして適当の時期になれば、あるときはおそらく二日か三日ぐらい停泊すると仮定いたしますと、初めの一日ぐらいはやはり船の中に泊ってもらわなければならないと思っております。しかし、日本の方の手続が済んで、意思確認でも済んでしまえば、今度はお見舞に来るというのが中共やソ連に行ったときのやはりやった例でございまするから、それは新潟港域へ上る。上ってお見舞をするということはけっこうです、こういうことを言うでございます。従って、東京へ来るとか何とかというようなことはこれはできませんと言って、そういうことで代表だけが新潟港域内に停泊できると言っております。それから船員は、おそらく大多数はソ連船でありますから、ソ連船を朝鮮赤十字がチャーターしてくる、こういう形になるようでございます。そういうことでありますから、おそらくソ連の船員だろう。そこで日本はソ連と条約ができておるのだから上れぬはずはないということで、だいぶあれしましたのですが、これはやはり港における所轄官庁の許可を得て上陸をすることができるというふうに書いてございます。協定付属文書にそういうことを書いてございます。それ以上のことは書いてございません。それから新聞記者の話も、やはり先方は第一船に十名ぐらいの新聞だのラジオだのが来るということでございますが、これは第一船あたりはとても見込みがない、困るということで、それは書かぬことにしようということで、第一船はあきらめようというようなことでございます。それから日本側からも、私ども赤十字記者会からも朝鮮の方面に申し入れがあったようでございます。それもジュネーブの方に回ってきて、もう一ぺんやるかと言うているうちに、そんなことはだめだということで、ないわけでございます。これもやっぱり従来中共なりソ連の例なんかを見ましても、最初は全部そういうことはないようでございます。だんだんやっておりますうちに許されている例はあるようでございまするので、これはもう赤十字ではございませんので、政府の御所管のことだと思いますが、やっていただくように、時期が来たら適当にやっていただくようにお願いをしたい、赤十字はそう考えております。大体経過と気持だけ申し上げます。
  31. 坂本昭

    坂本昭君 最後に一番の問題は、せっかく十三日に調印というところまできたところが、昨今の新聞を見ますというと、日韓会炎の再開が十二日と言われています。そしてその帰還の問題とは別問題だとは、初めからはそう言われておったのですけれども、きのうきょうの新聞では、韓国の外務次官あたり帰還阻止のためにあくまで戦うというふうな決意を漏らしており、なかなかおだやかならぬことだと思うのです。私はそれに対して、日赤皆様方、実は厚生大臣が来ておられると、厚生大臣にもそれに対してどういう腹がまえでやっていかれるおつもりか、特に日赤厚生省当局が十分な意思統一をやっていっておられるか、そのことを、これは一番大事なものですから、伺っておきたいのですが、厚生大臣はまだお見えになりませんか。……とりあえずそれでは日赤の方のこの韓国のこういう言明と申しますか、十三日の調印を控えての日韓会談再開十二日、これらのいろいろな困難な外交問題に当って、日赤としてはどういう決意でおやりになるか、さらに政府とこの間にはどういう意思統一をしていかれるか、それを承わっておきたい。
  32. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 実は私どもジュネーブ会談をしているときに、韓国側からいろいろ反対に来て、そしてたまには国際委員会建物の中で韓国の方とは打合せをしたりなんかしたことも実はございますので、私どもの、今度の北鮮帰還の問題というのは、全然政治から離れまして、全く人道的にやるのだ、全く純人道立場で取り扱うのだというふうに考えておるのでございます。従いまして、今度の調印あるいはその後の態度等によって韓国側においても必ずわれわれの人道立場を理解してくれるものとそう信じております。
  33. 坂本昭

    坂本昭君 私の質問これで終りますが、とにかく世紀の大きな民族の移動と申しますか、非常に重大な人道上の問題が、まさに皆さん方の長い間の御苦心の結果完成されようとしているときであって、われわれとしては、これは国民あげて日本人並びに朝鮮人、両民族の将来の幸福のために極力これを支持するものでございます。たとえどのような理不尽な妨害があろうとも、私は皆さん方があくまでこの人道主義の基本に立って赤十字の精神を徹底さして、最後までやり抜いていただきたい。そして私はそれによって日本人の真価を世界に認めていただくのみならず、皆さん赤十字の正しい評価も得られるでしょうし、さらに一番近い朝鮮、一番近くて一番遠いという、火野葦平の言葉にもありますけれども、実際上は一番近いにかかわらず、一番遠く離れている、かつては同胞であった朝鮮諸君日本のわれわれとが、将来平和な幸福な国際関係を作るためにも、最後まで皆様方が初志を曲げることなくがんばっていただきたい、そのことを私はお願いしまして質問を終ります。
  34. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 他に御質疑はありませんか。……それでは本日の参考人に対する質疑はこの程度にいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  35. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 御異議ないものと認めます。  それでは参考人ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。  それでは、本件に対する本日の調査はこの程度にいたしまして、次に移りたいと思います。   —————————————
  36. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 次に、閉会中におきまする派遣委員報告を議題といたします。  去る七月中、厚生及び労働行政の実施状況調査のため、委員派遣を二班行いましたが、その報告をお願いいたしたいと思いますが、これらの報告につきましては、質疑の関係上、本日は厚生関係部分について報告をお願いいたし、労働関係部分については明日にいたしたいと考えておるのであります。この点御了承願います。  それでは最初に、第一班の坂本君に御報告をお願いいたします。
  37. 坂本昭

    坂本昭君 当委員会の決定に基きまして、厚生行政及び労働行政の実情を調査するため、山本委員、常岡委員及び私の三名が、去る七月二十七日から三十一日まで五日間、福島、栃木両県を視察いたしました。  まず、各県庁及び労働基準局において詳細な説明及び要望等を聴取いたしました後、各地の施設を視察いたしたのであります。すなわち、福島県においては、福島総合職業訓練所、国見町役場、藤田病院、採算保健所、福島愛育園、郡山市役所、郡山公共職業安定所、郡山市立希望ケ丘学園、福島県立郡山養老園、国立郡山病院、熱海町簡易水道施設、郡山市上水道施設。栃木県においては、国立光明寮、国立塩原温泉病院、国立栃木療養所、国立宇都宮療養所、下野三楽園、宇都宮保健所、総合的衛生害虫及びねずみ駆除模範地区宇都宮市徳次郎町、身体障害者福祉センター建設予定地、宇都宮総合職業訓練所、けい肺労災病院、五十里ダムであります。  調査は、厚生行政及び労働行政のほとんど全般にわたったのでありますが、本日は厚生行政のみの要点を御報告申し上げたいと思います。  まず、生活保護の状況について見ますと、福島、栃木両県とも医療扶助の増加が目立っております。すなわち、これを医療扶助人員について見ますと、福島県においては、本年四月には前年同期の一〇八・二%、栃木県においては、本年五月に前年同期の一〇五・九%という増加率を示しております。特に入院医療扶助患者が著しい増高を見ており、これを病類別に見ると、結核患者及び精神病患者が増加しておりますが、医療扶助制限の行政指導が行われることのないよう、この際強く要望いたしておきます。  次に、結核対策については、両県とも検診の徹底による患者の早期発見、発見患者の医療促進並びに医療費公費負担強化を進めており、特に零細企業の業者並びに従業員に対する検診強化、結核対策推進地区選定による対策強化など、施策の推進に努めております。  福島県国見町は、すでに全住民検診を実施し、結核検診優良市町村として全国表彰を受けており、結核患者数も著しく減少しております。しかしながら、まだ一般的には入院を要する患者が自宅において多数療養している半面、療養所には結核の空床が認められる事実があります。一つには患者及び家族の無知、迷信が指摘されるとともに、他面入院療養費の負担の困難が自宅療養を余儀なくせしめていると見られる事実も多いのであります。国立療養所における療養費収納未済は、国保患者に多いという意見も述べられておりましたが、国民皆保険実施時期の切迫に伴い、結核医療費について重大問題を投じていると考えます。  さらに国立療養所を視察した際、国の結核対策の不安定と待遇の不十分さを訴える声が強く、優秀な医師の確保困難が生じつつあります。医師の確保困難については、その置かれている特殊環境による物価高、子弟教育の不便等にも基くものである旨、国立塩原温泉病院、けい肺労災病院の当局からも陳情がありました。  次に、国民健康保険について申し上げますと、厚生省の国民皆保険四カ年計画に呼応し、両県ともその実現に努力を重ねており、福島県においては一〇〇%、栃木県においては七六・四%の普及率を示しております。また、国保関係の保健婦は国庫補助基準が十一万五千円程度で保健所保健婦との間にあまりに差がはなはだしく、その結果、給与においてかなり劣っており、さらに国保財政の状況によって市町村の間においても給与の格差があるので、保健婦の待遇を同等にするため、さしあたって国保保健婦補助基準額引上げの強い要望がありました。  次に、児童養護施設においても熱心にその経営に当っておりましたが、措置費並びに採暖費の増額、国有財産の無償貸与の必要を痛感いたしました。福島県社会福祉協議会の方々との懇談の際には、特に保育料を引き下げ、家庭負担を軽減すること及び保育単価を全面的に引き上げることの必要を認めました。  また、精神薄弱児施設については、年令制限について、精薄児の特性から見て、現行十八才を二十五才に引き上げること、さらに精薄児のみの作業施設を設けること、精神薄弱者のための単独立法を制定することなどを要望しておりました。  次に、本年十一月からの国民年金制度の実施について、養老施設においてさえ周知徹底されていないこと、両県とも啓蒙宣伝費が数万円にすぎないことが指摘され、八月が周知月間となっていることでもあり、なお一そうの努力を必要とすると考えます。  以上とりあえず厚生関係のみの御報告を申し上げます。
  38. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは次に、第二班は高野君にお願いいたしたいと思います。
  39. 高野一夫

    ○高野一夫君 私ども第二班は、加藤委員長、阿具根理事、私を加えまして一行三名、二十七日に香川県、二十八日に岡山県と山口県、二十九日に山口県と福岡県、三十日に福岡県、こういうようなふうに厚生問題、労働問題について調査を進めて参ったのであります。時間の関係もございますので、あら筋だけ報告申し上げておきたいと思います。  まず、国民皆保険の中核をなすべき国保の開始状況について各県を調べましたところが、各四県ともいずれも非常ないい成績でございまして、たとえば例をあげますれば、香川県は八九%、岡山県が九四、山口県が八四、福岡県が八四%こういうことでありまして、この四県ともに本年度末、来年三月末までには一カ町村残らず国保の実施ができる見込みである、こういうことでございます。ただし、岡山県においては相変らず各市町村の財政問題に対する苦況からいたしまして議会が賛成をしているけれども、町村の執行部が反対している。また、逆の場合もあるということで、なおある程度の県としての負担が伴うような話でございました。これに関連しまして特に岡山県からの要望がありましたが、これも聞いて参りましたので、この機会にお伝えしておきたいと思います。それは国保の国民健康保険法により保険者を指導するように県が義務づけられているけれども、このための指導の経費あるいは療養取扱機関の申し出での受理、また、国民健康保険医あるいは同薬剤師の登録事務、そういうものに要する経費に非常に多額の県費を要している状態であるので、何とか国庫補助されるようにお願いできないかという点が一点、それから国保法の規定によりまする療養取扱い機関の申し出の受理方法が都道府県を単位にしておるのできわめて複雑でありますから、健康保険法に基く保険医療機関と同様の取扱いにできないものであるか、これをぜひお願いしたい、こういう要望がございました。そのほか各地とも大同小異の話がございました。  それから社会福祉施設といたしましては、高松においてひかり整肢学園、不自由児童の訓練学園でございます。これと岡山市におきまして県立矯護施設であるところの成徳学園と、これに併設されております児童養護施設を見たのであります。そうして将来の計画並びに現状、今後の方針等についての話も伺いました。ところが、これを見て参りまして、特に感じましたことは、高松もよくやっておりまするが、岡山の矯護施設、児童養護施設は、非常な、まあ、この方面の施設としては相当整備しておるやに見受けられました。ことにそういう児童に対しまして、たとえば養鶏の仕事を与える、あるいは畑仕事をさせる、あるいは家具類の製造をやらす、木工のけいこをさせる、こういうわけで、家具、木工等も非常に優秀な製品ができておる。こういうことで、仕事を与えることによってこれらの青少年の男女に、非常に気持よく生活の転換に導いていかれるようなやり方に努力しておるやに見受けられまして、その点についてわれわれ感心した次第であります。  ただ一つ、男女一緒でございます—部屋は別でありますが—せめて女子のこういう施設だけは完全に場所、施設ともに分離をしたい、こういうことの強い要望かございました。  なお、こういう施設を見るたびに私ども感じますることは、こういう施設に国がもう少し補助をいたしまして、十分に収容し切れないのでございますから、十分に収容して、収容の施設、いろいろ保護を与えることができるように予算を組むべきじゃないか、そういうための予算はわずかでございますから、国費を惜しんでならないのではないかというような感じを強く持ったような次第であります。  詳細は省略いたします。次に、山口県におきまして私どもが興味を持って視察に参りましたのは、大森式密閉堆肥舎でございます。これは長崎大の大森教授の考案になるものでございまして、山口県の山陽町の厚狭にありまする保健所長の谷川君がもっぱら同志とともに努力されて、農村にその普及をされておるのであります。これは、たとえば牛二頭を飼っている農家につきましては、横が六尺ないし九尺—これはメートル法に一つ換算していただきたいと思いますが—幅が三尺、高さが六尺程度のコンクリート作りあるいはれんが作りの密閉式の堆肥舎を作って、その中にちょうど中指くらいの深さの水おけを作りまして、その上に竹のすのこを敷いて、そうして牛車の敷わらのような干からびた堆肥の材料をそこに積み込んで密閉するわけであります。そういたしますと堆肥が腐敗、熟成をするのに、夏は一週間ないし十日間、冬の寒いときで二十日間もたてば完全に堆肥の腐敗熟成ができるという肥料対策が一つ。もう一つはその堆肥の中にわきますウジがだんだん下に下って参りまして、竹のすのこから下の水に入りまして水でおぼれるわけです。それで完全にウジの撲滅ができる。そのために、私は昨年も参ったのでございまするが、今回は議員団として参りましたけれども、一週間後の点検をいたしますれば、牛が二頭いるような牛舎で、こういうふうに、その牛舎の中にハエ取り紙をぶら下げておきますと、一週間たってもようやくハエが五、六匹しかつかないという、全く絶滅に近い状態であります。また、そういう農家の台所にやはりハエ取り紙をつけましても、一週間たってもせいぜい五、六匹から十匹くらいしかハエがつかない、こういうふうにハエの撲滅に非常な成功をおさめておる施設でございます。  なお、この堆肥を使いました水田等についてもわれわれ視察いたしましたが、水田の稲の分けつ状況についてもきわめて優秀な成績でございまして、その堆肥の分析状態、結果も農地試験場で出ております。このことは農林関係と厚生関係、社会労働関係が中心になりまして、農林省と厚生省が協力することによって、農村における肥料の促成とそうしてハエの撲滅という環境衛生の目的を達成する優秀な施設ではないか、現在一つの、ただいま申し上げましたような規模の施設をいたしまするのに一万八千円ないし二万円かかります。これは農協があっせんをいたしまして、長期低利の融資をいたしておるような状況でございまして、特に山口県の山陽町、田布施ないし下関方面に非常に普及しておりますが、われわれは、今後こういうことが都会における施設としても考案されることを希望して参りましたし、また、全国の農村地帯の環境衛生の立場からも早急に何とか国の手でこれを普及せしめる方法はないかということをいろいろ協議をいたして参ったような次第でございます。  それから山口の埴生の療養所を見まして、これは今年の春二月か三月だったと思っておりますが、厚生省がすでに廃止の方針を決定しました。それで患者並びに職員側が廃止反対の運動をいたしまして、ことに外部からも二、三の団体の働きかけがございまして、私どもが行く直前には患者のハンストまで行われておったような状態であったわけです。そこに参りましてまず療養所の所内をつぶさに点検、視察をいたしましたあと、所長から経過を聞き、また、患者代表、あるいは職員代表、また、山陽町の町議会代表、それから山陽町の埴生の商工会議所の代表、こういう方々から廃止反対の陳情を受けたのであります。そこで私どもは、これはまだ厚生省に対して十分な説明を聞いておりません次第でもございまするし、なお、私どもが行きます前に厚生省の係官が参りまして、いろいろ懇談折衝も繰り返しているような実情でもございましたので、これは東京に帰りましてから、十分厚生省側の意向も確かめた上で、当委員会の審議に付すべきであるという考え方で、われわれは全くこの問題につきましての意見はノーコメントにいたしまして、ただ話を聞きまして実情を調査する程度にとどめて帰って参った次第であります。これは現在定員が、入院患者百名くらいあるそうでありますが、現在入っているのがわずか五十二名、しかも職員が五十二名、一対一、そうしていろいろ聞きますれば、土地の状況もありまして、ここに来る所長そのほか医師がいないというようなことでございまして、ようやく医師が三名、設備等は、これが国立の療養所であるかと思われるような、きわめて貧弱な設備であったことを見て参ったわけであります。この点について詳細申し上げますると、話が長くなりますから、また、この問題については御質問ございましょうから、厚生省側からも十分お聞き取りを願いたいと思います。  次に、最近各地で起っておりますスーパーマーケットと薬業経済の紛争の問題につきまして、高松、岡山、山口、福岡県等において業界関係の陳情を受け、県庁当局との懇談も繰り返し、また、高松においてスーパーマーケットの実情も調査いたしたのであります。これはどういうことかと申しますれば、国民皆保険になりまする場合に、診療に当るべき病院診療所が十分の経済的安定感をもって十分の医師が十分の勉強研究をしながら、安心した診療ができるようにするために、医療経済の安定をはからなければならないということと同様に、健保法、あるいは国保法に定めてありまするが、保険薬局がやはり経済的安定感をもってこの国民皆保険に協力しなければならないにもかかわらず、スーパーマーケットが、非常な乱売をいたしまして、御承知通り、薬業家が破産に直面している、倒壊に直面している、こういう事実が各県に起っておりまして、事がきわめて重大であると考えて、当委員会でこの問題を取り上げて視察の大きな一つの問題といたしたわけでございます。これにつきましては、各県ともいろいろ協議をいたしましたが、いろいろ複雑な問題がございまして、詳細はいずれこの問題について当委員会において質疑ないし政府側の御答弁を願う機会に、われわれの視察の詳細な点を申し上げたいと思いまするけれども、スーパーマーケットの実情を見まして、医薬品の特殊性が忘れられて、そうして一般商品と、たとえばカン詰、つくだ煮、ビスケット、そういうものと同じような考え方で扱われているということもよくわかったのでございます。さらにまた、当局が禁止しておりまする販売方法も平然として行われている、こういう事態も見て参ったのでございまするが、こういう点につきましては、今後の法律の改正、あるいは小売商業調整特別措置法、また、中小企業団体法によるいろいろな問題も伏在しておりますので、あげて次の審議の機会にさらにまた敷衍して御報告も申し上げ、それから当局の説明もお聞き取りを願いたいと思います。  福岡におきましては主として労働問題でございまして、これは炭鉱における閉山のあとの離職者の問題を中心にして調査いたしましたが、先ほど委員長からお話かございました通りに、明日労働問題についての、委員会の審議がございますから、その機会に阿具根理事から詳細に労働問題についての調査報告をしていただくことにしたいと思います。  以上きわめて簡単に筋道だけでございまするが、本日申し上げるべき報告といたしておきます。
  40. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  41. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を起して下さい。  それではただいま国政調査の二班の報告がございましたが、それに関連いたしまして御質疑を願います。  なお、政府側出席者は、厚生省から渡邊厚生大臣、川上医務局長、黒木医務局次長、医務局の北川管理課長、橋本国立療養所課長、それから高田薬務局長が御出席でございます。なお、警察庁からは江口警備局長出席をされておりますので、これをお含みの上で御質疑を願いたいと思います。  それでは質疑に入ります。
  42. 木下友敬

    ○木下友敬君 先ほど派遣委員の高野君から御報告になった中の埴生療養所の問題、あれで少しお尋ねをしたいのですが、埴生の療養所は昨年の三月、前の池田所長ほか医員が二人か三人いましたのが、全部やめてしまいました。それからあとお医者さんがなかなかない、ほとんど医者が空席、これは現在おそるべきことなんですが、療養所があって、当時は患者がおそらく百人ぐらいおったと思いますが、お医者さんは一人もいない、ほかの療養所から、山陽荘という療養所の所長さんが兼任して所長をやり、医員も一人程度のが交代で加勢に来る、これも非常に不十分な状態であったので、これは私は昨年の十月の委員会あるいは今年三月の委員会で追及したのですが、医者がどうしても得られないという非常に不幸な状態であったのでございますが、十二月一日の発令で今の橋爪という所長が来られた、そこで非常に患者も職員も安堵しますし、私の地元でございますから、私も非常に安心して、これからだんだんお医者さんの拡充もできあるいは整備もされることだろうと、こう喜んでおりましたところが、そのお医者さんが発令されたのが、十二月の一日であって、一月のたしか十四日の文書だったと思いますが、一月の十四日には今度は埴生療養所は六月三十日まででこれを廃止するのだという、新しい所長が赴任されて一カ月半でそういう通牒が出されたというので、これは非常に驚いたわけなんです。今度の問題の発端はそういうところから重大なところまできておりますが、どうか私もまだ十分わからないところがございますし、ほかの委員の方方も、今日非常に混乱に陥っている埴生の状態について、認識の少い方もおられると思いますので、一つ厚生省側から、埴生の問題の経緯を詳細一つ報告を願いたい、こういうふうに思います。
  43. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 経緯につきましては、事務当局より詳細御報告申し上げますけれども厚生省といたしましては、一月の二十一日に局長通達をもちまして、埴生療養所の閉鎖ということに相なったわけでございます。これはどういうことでありまするかといいますると、終戦後におきまするところの国立療養所あるいは国立病院、こうした機関というものが非常に老朽化しておる。これから先ほども木下先生が申されましたように、医師が行きたがらない、あるいは給水の便が悪いとか、環境、施設が悪いとか、近代医療施設というものがきわめて整わぬ、こういうところから、逐次近代施設の整ったところに患者側を十分に手当を施したらどうか、こういうところの意味合いにおきまして厚生省がとった措置でございまして、別に職員に対してこれを整理するとか、あるいはそういうような気持から起ったものではありませんので、この点は御了承を願いたい。私どもはそういう意味において、基本方針のもとに漸次りっぱな近代医療施設のもとにおいて、これは患者第一主義のもとにおいて整備統合をしていきたいと、こういう方針でございまして、詳細の経緯につきましては事務当局から御報告いたさせます。
  44. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 統合の理由は、今大臣から述べられましたように、いいものに一つまとめていこうということでありまして、ところが現地から、ことに現地の施設の患者さん及び職員から相当強い反対が出ておりますし、また、地元の山陽町とその周辺の市や町からも存続の要望が出て参っておりますし、また、この前の当委員会におきまして、厚生省といたしましてもう一度調査をさせるというお約束をいたしておったものでありますから、七月の十五日に二名の調査官を現地に派遣をいたしまして、そうして山口県の県庁、それから山口の医科大学、それから埴生の療養所のほかに山陽荘、小串の療養所、それから関係の市や町等、その付近の保健所などにつきまして調査をいたしたわけであります。  その調査の概要をかいつまんで申し上げますというと、山口県全体といたしましては、結核のベッドが六千くらいございまして、しかもその利用率は約七割という程度でありまして、従いまして、現在約千八百床くらい空床になっておるわけであります。山口県の結核のベッドは、人口別に見ますというと、人口万単位に申しますというと、ずいぶん多い方でありまして、全国平均第四位にあるというような状態であります。それから県が指定いたしました結核予防の推進地区というのが山口県に四地区ございまして、そうしてこの埴生療養所を管轄いたしております厚狭保健所というのがあるのでありますが、その厚狭保健所の命令入所に割り当てられている結核患者というのが、この予算の面から見ますというと、五名ないし十名程度になっておるわけであります。それからその医師の充足の問題につきまして、山口大学に参ってお願いをいたしておるわけでありますが、大学といたしましては、千五百万円くらいな施設を整備して、そうして研究費その他医師の興味の持てるようなふうに考慮してもらわないと医者を送りにくい、しかし、現在医局では医員も非常に少いので、臨時的な派遣は考えられるけれども、継続的にこれを引き受けようということはむずかしいというようなことで、今後山口医大にあまり期待をすることができないような事情が判明いたしたわけであります。それから関係の市町村になりまして、まず山陽町でありますが、これは地元でありますだけに、廃止反対の意見がかなり強いわけであります。しかし、小野田市、楠町、美祢市、豊田町におきましては、地元山陽町の要望などによりまして反対意思表示をいたしておりますけれども、その後におきましてこれを議会で取り上げたということはないようであります。患者さんの方は非常に反対の意向が強いわけでありまして、その理由は非常に不便になるということ、それから山陽荘は外科患者を主体にいたしておる関係上、長期療養患者には不適当である、ことに山陽荘の患者は生活の程度が自分たちよりも高くて、しかも外科手術の患者だけに短期入院の患者が多いので、一緒に気安く療養するということができにくい、こういうような点で非常に強い反対をしておるわけであります。それから職員の方はやはり非常に交通が不便になる、中には通勤がむずかしいというような人もできてくるというような点で、これまたかなり強い反対を示しておるわけであります。大体以上が今度の調査官の調査をいたしたものであります。
  45. 坂本昭

    坂本昭君 議事進行。先ほど時間が逼迫しておるということでありますから、今の調査みたいな調査なら何もこの間やらぬでも、去年だってできるぐらいの調査なんですよ。さらにそれに対する厚生省の方針など一つ明確に言って下さい。一番大事なことを抜かしておいて、去年だってできるような調査のことをごたごた述べておってもしようがありません。簡単に明瞭に言って下さい。
  46. 木下友敬

    ○木下友敬君 私はまだあなたの発言が続いているかと思いましたが、そこで打ち切ったんですけれども、今度調査に行ってそれだけの報告じゃないでしょう、向うで患者諸君がどういうことをしたというようなことについてちっとも言わなかったが、もたもたしないで、私は二分ぐらいで言ったけれども、あなたは十何分、大かた十八分ぐらい言ったけれども、何も内容のあることは言っていない。今度調査に行った人は一次、二次と行っているんですね、そういう人たち報告なんか一つも出ていない、私はそういう報告を言って下さいということを言っているんです。その含みで言って下さい。
  47. 高野一夫

    ○高野一夫君 この点につきましては、私も発言をいたしませんでしたけれども厚生省から説明を聞いた上でと思ったんですが、私ども向うでは埴生の療養所長から聞いた経過の中で、早生省の係官が行ってハン・ストが解かれるまでのいろいろな折衝が繰り返された報告を詳しく所長から聞いたわけです。これについては一応やはり当時の模様を当局の方からお聞かせを願わなければやはりいけないんじゃないかと思います。
  48. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) ただいま坂本君、木下君、高野君から発言がありましたが、ただいま川上局長からあらかたの報告がございましたが、さらに厚生省の今までの方針並びに今後の方針等の基本問題も含めて、この間の調査の結果を報告願いたいと思います。
  49. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 先ほど申しましたように、調査官をやりまして調査をしようといたしたわけでありますけれども、非常に患者さん、あるいは職員の方から調査をどういう権限をもってやるのかというようなことや、それから一応統合を白紙に還元しなければ調査をさせない、そういうような強い要望がありまして、だいぶん長い時間つるし上げを受けたわけであります。  二十三日の日に全医労の方と日患同盟の方が三十数名大臣室へ見えまして、二十二日夜から患者三名職員五名がハン・ストを始め、そして白紙還元を非常に強く迫っておるわけですが、その問題を取り上げられまして、そして大臣や私に廃止統合をやめろ、白紙に還元しろということを強く迫られたわけです。それからだれか一つ派遣しろというような、大臣も出てこい、局長も出てこいということでありましたけれども、私たちが出てゆくわけに参りませんので、橋本課長を二十三日に、その晩に実は出発をさせております。そして二十四日の夜の十一時ごろ現地に入っておるわけでありますが、そのときはもうすでに患者、職員のほかに友好団体の人たちが多数来ておりまして、そして本人たちが着くと同時に手を取られ、あるいはかかえられるようにいたしまして、会議室に連れていかれまして、そして会議室の長椅子にすわらされまして、そしてその室内には患者が二十名ほど、それからその他職員あるいは友好団体の方など約二百五十名ぐらいに取り囲まれまして、そして何しに来たとか、あるいはなぜこんなにおそくなったのかというようなことで、だいぶ責められた、翌朝五時ごろまでだいぶ罵声や怒号を浴びせられております。その後しばらく休んでおりますけれども、その間にいろいろ折衝に当っておりますが、また、午後の一時から八時ごろまで非常にやかましく白紙還元しろということで責め立てられまして、一行といたしましては全く発言あるいは行動の自由を拘束されまして、そうしてしかもそのハンストをやっております患者の一部の容態も一時悪くなったというようなことから、課長としましては一応存続するという言葉を申しまして、その一同が非常に喜んで歓声をあげられた。そのすきに実は脱出をして下関に引き揚げたというような状態であります。  それからその後課長におきましては、その存続するという言葉を言ったわけでありますけれども、これが非常に今申しましたような、全く発言あるいは行動の自由のない状態におかれたときに言った言葉であって責任を持てないという立場からこれを取り消したということを私に報告をしたわけでございます。その辺でよろしゅうございますか。
  50. 木下友敬

    ○木下友敬君 ほんとう委員長がさっき最初警告したように、もたもたしないようにと言ったけれどもほんとうにもたもたして、何か言いにくいことがあるんだろうと思いますが、あなたが説明された中には不実そういうようなことがたくさんあります。非常にたくさんある。それを追及しなきゃならないけれども、その前にあなたが、おそらくこれは故意に言わなかったんかどうか知らないけれども、私は警察の問題で一つ、先に警察関係の方を聞いてみたい。あなた警察官の行動については何も今触れなかった。ところが、中央での交渉のときも警察官が出動してます。警察関係の方来ておられますでしょう。
  51. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 江口整備局長が。
  52. 木下友敬

    ○木下友敬君 これは下関の現場でも警察官が出ておりますし、私ら非常に不愉快に思う。たとえば医務局長から私に来ました電報では、非常に丁重な電報が来ておる。電文を私はここに持っておりますが、「ハブ リヨウヨウジ ヨノケンニツキオホネオリカンシヤシマスホンジ ツハシモトリヨウヨウジ ヨカチヨウヲハケンシ二四ヒ十九ジ ゴ ロオタクニサンジ ヨウサセルヨテイゴ メンセツノウエゴシド ウゴ キヨウリヨクヲアオギタクオネガ イイタシマス」コウセイシヨウイムキヨクチヨウカワカミムツマ」こういう電報が来ておる。非常に私御丁重な電報で、厚生省から頼まれる価値のある人間だと思っていた。ところが、私のところに二十四日の夕刻、五時前に警察の警部が来まして、どうも非常に危険な状態にあるから木下の身辺を守りたい、警察のものを少し配置したいと思うからと言ってきましたから、私びっくりしまして断わった。断わったけれども、事実は五時ごろから八時ごろまで五、六人の警察官が私の家の回りに常におりました。何でこういう問題で、私中正な立場であっせんしようとし、あなたもお頼みになっておる私であるのに、なぜ警察官がこういうことをするのか、一体これはどっちが頼んだのだ、あなたの方から頼んだのか、あるいは警察の方が自発的にこういうことをやられたのか、非常にこれは不愉快な問題だ。それからまた、埴生の療養所にも約二個小隊の私服及び制服の警察官が出て参りまして門前に、もう、ちらちらして、中の方では患者さんと職員がすわり込みをしておるという言葉がございますけれども、警察官がむしろを持ってきまして、療養所の前の門のそばにむしろを敷いてそこですわり込みをしている。警察官がすわり込みをやる。これはおかしいでしょう。しかも二十四日の晩には何も関係ない人を、よその療養所の人が会場の前に出たのを、何か話があるならば外でしようとか何とか言って手をつかまえて警察官が外へ引き出そうとした。たくさんの人がいてそれを阻止してことなきを得た。私はこういう、何で警察官がこういうふうに取り巻いて、別に労働争議ではち巻をして、そうして、ジグザグ行進をやって道路を妨げておるとか、そういうこともないのですよ。なぜ警察官がそういうことをするかということに私はどうも合点がいかない。あなたもまだ報告を受けていないから知らないだろうと思うから、一ぺんに私、警察関係を言ってしまいますがね。あなたの電報では七時ごろに私のところに療養所課長が来るということになっておった。ところが来ない、一つも来ない。どうしたのかと思ったらばやっと八時半になって私のところへ現われた。それで、いろいろ尋ねてみますと、警察の指導によって下関で下車するのが危険だからそのまま列車で門司まで行ってしまって、そうして、もう一度門司から下関に引き返してきて、ほんとうは私のところに七時に来なきゃならぬけれども、私のところへ来るまで約一時間半の間警察で保護されておった。だんだん聞くと、警察の電話を借りて本省と打ち合せをしておった。しかし私の耳の間違いがなければ、警察で保護されておったという。ところが、ホームに、ただ一人の患者も来ておりません、組合の人も来ていない、赤旗一本立っていない。そういうのに、なぞ下関で下車させないで門司まで連れていって、そうして、帰りには下関の警察の—三分しか私のところと離れていないその警察に一時間半もおってですよ、大塚君と遠藤君の二人がついておる、出張所の溝内というのがついておる。こういうのがついておって私のところに七時に来るはずだけれども、警察におるからという電話もしない。私は警察に—あまり来ぬからどうも警察の行動おかしいから、東京から来た人の行方を知っておるだろうと言ったらば、警察は知りません、八時三十分に知りませんと警察が言う。じゃ探してくれと言った。その電話をかけておるところに、警察に電話かけておるところに橋本課長らが私のところへ来ておる。何で警察とこういう緊密な連絡をとって厚生省がこういうことを、こういう療養所の廃止問題に一生懸命やらにゃならぬか、私はあとの結核対策などについても質問をしますけれども、一体警察と連繋をとってせにやならぬような今度の事情があったかどうか、なぜそういうことをされたか。厚生省厚生省立場として、警察庁は警察庁の立場として一つ納得のいくような説明をしてもらいたい。ことに私の身辺を警察官で固めるなんてけしからんじゃないか。説明願います。
  53. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 木下先生には埴生の問題でいろいろと御心配を願っております。何回も療養所にも行っていただいております関係上、調査官に対しましては、まず先生にごあいさつをしていくように申したのでありまして、電報でお願いをいたしたわけでありますが、ただ、そういう電報を打ったあとにおきまして、この一行が厚狭の駅で無理に下車させられるとか、あるいは木下先生と会うことを阻止されるというような、そういう情報が入ったり、また、現地におきましては、先ほど申しましたように、二人の調査官が相当長い間つるし上げを受けておりましたし、また、藤井出張所長なども、入ったままどうも外出がむずかしいようなことにも聞いておりましたし、それから、二十二日の夜と思いますけれども、藤井所長が東京から帰って参りましたときに、患者さんに戸口から突き出された、それから、私の方の出張所の溝口次長もだいぶ患者さんからおどされているような情報がありましたので、この一行の身辺に間違いが起ってはならぬというように考えまして、実は、本省としても山口県の警察に警戒方をお願いしたわけでございます。
  54. 江口俊男

    説明員(江口俊男君) ただいま医務局長からお話がございましたように、警察といたしましては、厚生省の御依頼と現地における判断によって行動いたしたのでありまして、私の聞いておりまする限りにおきましては、門司まで行かれたということは、行かれた方がおられるようでありまするからお確かめを願いたいと思いまするけれども、警察が門司に行っておりられた方がいいというような干渉をしたものじゃないというふうに聞いておるわけでございます。療養所の前に警察官がむしろを敷いておったということは、これは事実でございまするけれども、中における交渉が不測の事案を起す可能性があるという判断のもとに、しかしながら、直ちに中に入ってそれを監視するということも不適当であるというので、外から見ておったというのが実情でありまして、この程度の警備というものをやる必要があるというふうに現地で判断したようでありまして、門の前におりましたことは、あるいは厚生省から頼まれておったことではなしに、一連の今までのいきさつからして、山口県本部がさように判断したというふりに聞いておるわけであります。
  55. 木下友敬

    ○木下友敬君 私は、この警察官を導入するように厚生省が頼んだことに、非常に誤まりがあると思う。これしきのことに警察を一々出すと、今ごろ、あなた、警察の仕事というのはもう非常に忙しくて、大きな凶悪犯人を逮捕しなきゃならぬとか、あるいは盗犯を逮捕しなきゃならぬとか、たくさんの仕事があると思う。何もここで、大きな、警察が出なければならぬような大騒ぎをしているわけでもないのに、二個小隊も出すとか、私どものところにまで警察を出すような、いかにもだらしないことでは私はいけないと思う。実際に局長がこれは頼まれたのでしょうが、あなたはいつ局長になられたか……五月でしたかね。
  56. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 七月です。
  57. 木下友敬

    ○木下友敬君 あなたは御存じないと思うから、責め立ててもしようがないと思うが、今度の警察官をお頼みになったということは、これはあなたの責任ですよ。私は、警察官の首脳部に会いまして、門の前にむしろを敷いてこの会議を監視し、あるいは門の中に入っておるけれども、そういうことをされるのは意味がない、かえって事態を危うくする挑発行為じゃないか、いつでも警察が出てちょっかいをかけるから事態が悪くなるということをよく説明して、帰ってもらったのです。しかし、数人はやはり門の前におりましたが、大部隊は引き返してもらった。私は、こういうことは慎しまなければならぬと思う。あれしきの騒ぎに、直接あなたが出張しておれば、おそらく良識をもって、これぐらいならばそう大したことは起るまいと思って、警察を頼むようなことはしなかったろうが、あなたは厚生省の中の涼しい所に左うちわでおって、おそらく部下だけを出張させて、涼しい所にいながら部下の報告をそのままうのみにするから、誤まった措置になる。私は、中正な立場であなたも来て下さいということを、あなたにも申し上げた。また、次長にも言った。だけれども自分たちは来ないで、そこへ派遣した人たち調査といっても、きわめて粗漏な調査をそのまま耳に入れて、危険だと思ったから、あるいは、先ほど申し上げたように、つるし上げだとか、いろいろ一方的な調査によってそういうような判断をされたことは、私は非常に遺憾だと思う。しかも人に頼むのですよ、ああいう電報を打って頼んでおいて、そうして一時間半も人を待たしておいて、ただ一つのあいさつもしない、実は下関に着いているから時刻には来るはずだけれども、しばらく時間もたつから失礼するというようなことも言わない、あなた方が答弁に立つ前に、私にあれだけものを頼んでおいて、木下先生にはいろいろ御心配を願ってどうもありがたかったと冒頭に言って答弁に立つのが普通ですが、医務局の人々はみんな礼儀を欠いて、いたずらに警察に頼むのだということは私はまことに合点がいかない、警察をあなたが頼んだということについてもっとしっかりした答弁なり釈明なりあるいは遺憾の意を表するということがなければ了承できません。
  58. 吉武恵市

    ○吉武恵市君 関連して。私は先ほどから埴生の問題についての質疑を聞いておりましたが、実は私は問題のあった前日に埴生の療養所に行った、この問題は、ずっと以前の経過はよく存じませんけれども、地元の、何とかして存置ができないものかという当局の話もありまして、私も厚生省の前の次官、局長とも折衝したこともあるのです。何とか解決をしたいという希望を持って努力を続け、多少の希望も持てたわけでありますが、新聞に、ハンストが始まったということで、何とかしてこれを円満に話を進めたいということで現地に行ったわけであります。現地に行ってみると、驚いたことは、病人ともあろうものが病院の中で全くストライキと同様に、患者も職員もあげはち巻で中は大騒ぎのような状況でありました。私は取り巻かれなかったのですが、事情を、当局の気持もある程度伝えたい、というのは、六月の終りには廃止するということでしたけれども、まあ廃止になる根拠というものも私は大臣がはっきりとおっしゃる必要があると思うのです。そうしてそのいい悪いはわれわれがまた判断していくべきだと思うが、私どもの聞いたところによりますと、先ほどちょっと触れられましたが、療養所をよくしていきたい、それには総合的な施設を中心においてやっていきたいというようなことで、私はそれ自体はもっともだという気がいたしたのであります。しかし、日にちを限って限在おられる患者を右から左に移すということはこれはどうもおもしろくないのじゃないか、何とかしてやはり希望されるような方々は中に残して療養を続けられることがいいのじゃないかという私は折衝をし、また、当局も多少反省をされた点もあったようでございます。患者に伝えに行ってみると、なかなか状況というものはそういう状況ではないのです。今私が話を聞いてみると、二十四日の状況というものは詳しく知らないが、おずおずしないではっきり言った方がいい、警察も当局も。みなの判断でどうするかということで、威迫を加えられて意思を左右するということはわれわれとしては許せません。いい悪いの判断はそのかはり慎重に考えてもらいたいと思います。ただ役人が簡単にこうだということで措置をすることは慎しんでもらいたいけれども、脅迫によって意思を左右するということは私もこれは大いに考えてもらいたいと思います。当日も私が行きました日は、患者も職員も一緒です。あげはち巻で。私がにらんだところでは患者にも存続したいという気持はわかります。遠く—遠くといっても大して遠くじゃないけれども、住みなれた療養所から離れて移るということはいやだということはわれわれも想像できる。ところが、多分職員が一緒になって騒いでおられる。男の職員も看護婦も一緒になってあげはち巻でもう全く労働争議と同じような状況です。患者もやっておられました。中には患者で多少病状も悪い方もおられたのには私は非常に気の毒だなというような感じもした。病院というのは元来患者の療養に努めるべきところなんです。だから要望のあることはわれわれもわかるのですから、そのときに私は患者も職員もそういうふうにあげはち巻で威迫を加えて騒いで陳情するということでなしに、もっと静かに話を進める方法はないか、自分も町の要望もあるしするから当局にも話をしており、多少の望みもあることだからそういうことをやめて、一つおだやかな折衝をなさらないかと言っておる。先ほど当局からお話しのあった、これは多少私は遠慮しておっしゃっていると思うのです。医務局長、正直にありのままを言ったらよろしい。すいぶん僕にも乱暴な言葉をもって、やってきておりました。それで私は入っておられる患者は、あなた方が希望されれば僕の責任で何とかして残るようにしたい、当局もある程度の意思を持っておるのだから、それを直ちにほかの療養所に移せというような無理なことはさせない、だから静かになさったらどうか、いやおれたちの病気じゃないのだ、新しくどんどん療養所に人を入れてもらわなきゃ困ると、こういう話なんです。それは全国にある療養所が全部りっぱになるのもいいことだけれども、予算にも限界があることだから、いい施設を中心にして、そのかわり完備した施設を作っていく。漸次そういうふうに整備されるという当局の方針のようだから、その方針はいいじゃないか。しかし、外科その他の療養をしないで済むただ静養本位の方は、本人が希望されればそういう療養ができるようにしてやろうということだからと、こういうことで話しましたが、なかなか聞かれない。それで私が見た感じから言いますると、相当職員がおられた。職員に私は言った。おれたち職員はこの療養所の方がおれたちに便利だから存置してくれ、こう言って患者をおだてて、そうしてこういうふうに大騒ぎをするということは君たち慎しんだらどうだ、それは職員のやるべきことじゃないんじゃないかと言って別れたのでありますが、聞くところによると、翌日は相当ひどいつるし上げが行われたようであります。私はこういう種のものに警察が入ることは好みません。労働争議も私は警察の介入することは好みませんけれども、しかし、一昼夜つるし上げをする、こういうような問題を治安の問題からほっとかれては困る。これは労働争議についても私は言いたいと思っております。だから言うことに正しさがあるならば、やはり誠実に当局に訴える、世論に訴える、そして当局の意思を変えさせるなら変えさせるということでないと、病人をおだててハンストに出て、そして廊下をかけずり回って大騒ぎをする、おそらく私の想像するところによると、課長が下関か小倉でおりられたというのは、私が前日感じた空気から言うならば、おそらく警戒されたと思います。警戒するのは当りまえです。おそらくあのときおりられたらみんなから取り巻かれ、患者、職員ばかりでなく他の労働組合もみんな一緒になって大へんなつるし上げが行われたであろうと想像するにかたくありません。ですから、先ほど報告をおずおずしておっしゃっているような感じをまあ私どももしましたけれども、事実は事実ではっきりおっしゃっていただきたい。そしてみんなの議員の意見も率直にお聞きになって、そしてどうしたらいいかということを冷静にお考えになって、そして将来の方針をおきめになったらいいじゃないか、関連して一言申し上げておきました。
  59. 高野一夫

    ○高野一夫君 ちょっと速記をとめていただきたいのですが……。
  60. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記をとめて下さい。    午後零時五十五分速記中止    —————・—————    午後一時十三分速記開始
  61. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を起して。  暫時休憩いたします。    午後一時十四分休憩    —————・—————    午後二時五十八分開会
  62. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは休憩前に引き続いて会議を開きます。  木下委員質問に対しまして、厚生省の答弁を求めます。
  63. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 木下先生の先ほどの警察権の介入の問題でありますが、先ほど私が申し上げましたように、現地で不穏な情勢があるというようなふうに考えましたので、私の方から警察の方に調査員一行の警戒をお願いしたのでありまして、その後は警察の方の独自の判断で動かれたように思います。
  64. 木下友敬

    ○木下友敬君 私が言うのは、あなたはお願いしたと言うけれども、そのお願いの仕方が、あの状態のときにお願いしたいような状態にはなかったと僕は言うのです。それで僕の周りにまでなぜ警察官を回したかというのです。
  65. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 先ほど申しましたように、現地はかなり緊迫した情勢にありましたし、また、二十三日の日に全医労、日患と大臣との会見におきましても、かなり激しい要求をなされまして、実は私もそれに、私は二時間ぐらいだと思いますけれども、カン詰にあったような状態でありまして、こういうことでは間違いが起きるのではないかというように判断をいたしたのであります。なお、橋本課長一行が帰ってきた報告などから判断いたしましても、警察が待機をしておられたということが、かえって大きな事故を起さなかったというふうにも考えておるわけであります。
  66. 木下友敬

    ○木下友敬君 それはね、警察官がおったから大きな事故が起らなかったのか、警察官がいるのを、私が説得して、あなた方がそういう、ここに来てむしろを敷いてすわり込むのは挑発することになるのだ、だからここを引き仰げた方がいいと言ったことがよかったのか、この報告では二十四時間ぶっ続けにやったとか、新聞によるとずいぶん長い時間カン詰にしたとかということが書いてありますが、実際は二十四日の日は二十三時ごろ課長は着いておるのです。そうしてそれから交渉に入りまして、朝四時から十三時までは休憩しているのですよ。十三時から十四時三十分まで一時間半交渉を続け、それからまた、十四時三十分から十六時三十分まで休憩しておる。そうして十六時三十分から二十時まで交渉しておるから、これは決して長い交渉の時間ではないですよ。それをあたかもあなた方も、大臣もそうですが、新聞発表をしているのを見ると、非常に長い時間カン詰にしておるように言っておられる、それは当然何でしょう、現地の一方的な報告をもとにして言われればそういうことになるのですけれどもほんとうに僕らに頼む気であったらば、僕らの報告を聞けばもっとほんとうのことを言って聞かせる。私はこの間に立ってあっせんするのに、社会党の議員であるとか、自民党の議員であるとか、そういう考えは一つも持っていない。私はその近くに自分で療養所を経営しているので、療養所というものはどういうものであるかということも知っておるし、患者の心理状態もよく知っておる。そういう立場で、医者として、ああいう急に廃止されるという場合になったとき、患者の心理状態というものはどういうものかということを考えて、微力ながら尽そうと思って尽したけれどももなかなかいかないから、私が日ごろ尊敬している吉武先生にもお願いして、自民党の吉武先生にもお願いして、そうして事を円満に解決に持っていこうというので、組合の人にも、患者にも、僕は微力でなかなかできないから、吉武先生にお願いしたいが、諸君はどうかと言ったら、頼んでくれと言うのです。共産党に頼んでくれというようなことは一言も言っていない。吉武先生に連絡をとったらきょうここにおいでになるというので私は吉武先生にお願いをした。しかし、不幸にして吉武先生の見られるところと、私の見るところでは違う。ああいう状態であれば、当然警察が出るのが当然だというような局長の考え、私はああいう際に警察官が出てくるのは私はどうも早すぎる。犯罪の予防ということもございますが、警察法の第二条の二項を見ましても、警察の行動というものは最小限度に押えろということを、よく入念に書いてございます。今ここにございますけれども、私それを読み上げません。何でも事態を収拾するには警察さえ出てくればそれは都合よくいくのだというあなたの考え方、それは改めてもらわなければいけないと思う。警察の方が、私の回りに警察官を配置したということについては一つ答弁を願いたい。  それから局長と警察の問題では見解が違うし、あなた憶病なんだ。それで巡査さえ来れば何でも片づくというような、そういう権力的なことを私は改めてもらうことを要求してあなたに対する釈明の問題は打ち切ります。しかし、あとで個人的にも御告労をかけましたというくらいのあなた責任がある。物を頼んでおいて、すまして委員会で説明しても、まだ一つもあいさつしておらない。あなたのところから来た山田さんも萩島さんも、私を一日置き去りにして逃げて帰っておる。私はあすこで黙って待っておったのです。それからあとから来た課長等もその通り。だからああいう無礼をしないように。警察側の方から一つなぜ私の身辺に巡査を配置しなければいけないかということを一応しっかり聞いておかなければならぬ。
  67. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 警備局長が今すぐ参りますからちょっとお待ち願いたい。  その前に何か質問がありますか—。それではただいまの御質問のうち警察庁に関する部分はあとで答弁をする、かようにいたしまして、次の質問に移ってもらいます。
  68. 木下友敬

    ○木下友敬君 埴生の療養所をこれは廃止するということの通告をされて、そのされることについては私も前の委員会でも、一体どういう根拠でこれを廃止されるかということをしばしば聞いている。それから調査はどうなっているかということも聞いている。しかし、そのつど返答がまちまちであった。しかし、今度の厚生省立場から考えてみると、今までは調査していないのですね。全然この間一行が来たとき、萩島、山田という人が来たとき一体どういうような調査をしたかということを聞いたら、患者と職員と地元のこの、三つ調査はしておりませんというのです。ところが、以前あれは橋本龍伍厚生大臣のころ、療養所の問題について質問したときには、療養所を廃止するとか、あるいは統合するとかいうことについては地元を十分調査した上で、そうしてベッドは減さないようにやっていくつもりだということを言っているのです。ところが、今度あなた方がやられたあれは全然調査しないで、ただ行政的判断で閉鎖するということを言ってしまった。これははっきりしているのです。なぜかというと、どういう報告に基いてあれを廃止することにしたかと聞いたら、その文書を見せろといってもそういう文書はない、口頭の報告によってあれを閉鎖することにしたのだと、こういうことですが、厚生省は何ですか、調査しないで、局長とか大臣の感じで国立の療養所を閉鎖するとか存続するということをおきめになるのですか、一つ答弁して下さい。
  69. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 一月十四日に埴生の療養所を六カ月以内に閉鎖する、こういうことが、局長通達で出ておるそうでございます。それで戦後におきまする、先ほども申し上げたのでございまするけれども、国立病院あるいは療養所というものが、場所によっては非常な不便な土地にあったり、あるいはまた、設備がよくなかったり、老朽している、そうしてまた、医師の充足も非常に思うようにいかず、従って、近代施設というものが十分に施されていない、給水施設というものなども非常に不便である、こういうようなことからどうしても近代医療施設でできるだけ多くの患者を収容させてあげたい、こういうことに方寸を定めまして、そして逐次この整備拡充をはかっておった、こういうことでありまして、一月十四日付をもちましてその準備に入るように局長通達で出されておったようでございます。その後六カ月間の中におきまして、しばしば現地の所長あるいは中国の所長等から詳細にこちらからそれらの上京するたびごとにいろいろと現地の実情を調査しておったということからいたしまして、その期日も迫って参りました。それでいよいよその山陽荘その他に患者の希望等を入れましてできるだけ患者に支障のないようにしながらこれを廃止していきたい、こういう方針を立てておったわけでございます。ところが、現地の事情はまだ患者等が納得がいかない、こういうことも、またいろいろその他の事情等も聴取いたしておりまして、ただいまでは、あのハンストが起る以前から延期をする、延期するということで今日に至っておるわけでございます。しかし、私どもの品の厚生行政としての療養所に対しまするところの、ただいま申し上げました方針というものは、全然既定の方針通り変っておりません。
  70. 木下友敬

    ○木下友敬君 坂田厚生大臣に質問したとき、坂田さんは、どうも調査の点で不十分な点があると思う。それで一つ調査しましょうということであったのです。ところが、なかなか再調査か来られぬので、私は六月の初めに小沢局長一つ調査しないかということを言ったら、実は再調査したいと思うけれども、現地の模様が非常に緊迫しておる、こういう場合に調査にやるとかえってそれがきっかけになって騒ぎを起すことがあるから、もういっとき状況か冷えるまで待っていて再調査にやろうと思う。それも一つの考えであると思って私は賛成しておった。それが六月の上旬です。ところが、今になってみれば小沢局長の考えが当って、あなた方になってからすぐその調査にやられたということがかえって事態がああいうふうになって、事実はそれは調査ではなくてむしろ説得に行かれたという形に了解しなければならぬような結果になってしまったわけですね。これは非常に私は遺憾に思っておるのです。しかし、それは厚生省はもう最初からあれを閉鎖するということは医者が非常に少から、そして結核のお医者さんというのは得がたいということをいつも言いわれるけれども、私は現にあそこのお医者さんがいないとき、再三医者を推薦しておるのです。りっぱな結核の経験のあるお医者さんを推薦したのです。だけれどもこれを受け入れぬのです。これはほかの者を推薦した人もあったけれども、受け入れない。ああいう汚い療養所だから医者が来ぬというのではなくて、希望者があったけれどもそれを受け入れない、それが一つと、それから今の橋爪所長が赴任するときに、課長がせっかく赴任するけれども、あの療養所はあるいは閉鎖することが最近あるかもわからぬからということをちゃんと申しつけてやったということを前局長がはっきり言っておるのです。そういうことを考えますと、あれは医者がない、医者がないと言いよったのは、わざと厚生省が閉鎖するために医者を入れなかったと考える。なぜかというと、私は再三医者を推薦したけれども、御採用にならぬ。しかも医者はりっぱな医者なんです。そういったことを考えれば、あそこを閉鎖するというお考えは非常に古くからあって、そして予算などもあそこは整備の予算というのはお取りにならぬで、わざと荒廃させてああいうふうに持っていったということを私は考えなければならぬことになる。そこで問題は何かというと、結核行政というものに対する厚生省の考えというものが一体どうなっているか。厚生省はもう現在では結核は非常に少くなったからこれからは結核療養所というものはどんどんつぶしていって、そうしてどっかへまとめていこうというようなことを言っておられるけれども、私は結核というものは決してそれほど減っているとは思わない。医学的にはいい薬ができたけれども、それですぐ結核がなくなり、きょうの新聞を見ても五年後には半減するということを言っておられてけっこうなことですけれども、まだまだ療養所をすぐ閉鎖するというような問題は早過ぎると思う。あなた方は早過ぎないと思われるかもしれないが、現在もうすぐ療養所を閉鎖していかなければならぬというような状態にある数字の根拠を一つ私は示してもらいたいと思う。
  71. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 大臣からも先ほど、ただいまの病床についての方針を申し述べられましたけれども、今度の閉鎖というのはベッドを減らすという意味ではございません。各療養所が現在百二十床ございますけれども、将来ベッドを統合したいと考えております。山陽荘に一応新しく五十床を設けまして、これは三十三年度設けたわけですが。三十四年度におきましても、現在の建物を改修して七十一床設けることにいたしておるわけであります。今結核がほとんど要入院が減ったから、あるいは減りそうだからというので、急にベッドの縮小を考えたわけではないのであります。
  72. 木下友敬

    ○木下友敬君 埴生の結核療養所を山陽荘に持っていくということについては、今まで私の反対理由というものはお聞きになっていると思うが、あすこの患者は特殊な患者でありまして、手術のできない患者がおもなのであります。それから化学療法でわずかに命を保っていくということで、最近仕事につくことのできるようなふうに回復していくという希望のある患者はいない、もう処置なしというのがあすこにおるわけであります。また、そのうちの相当数は一度山陽荘に行って、そうして山陽荘から、君たちはここにおってもしょうがないから帰ってくれと言われてあすこへ追い返された患者がかなりたくさんおります。そうして希望の少い患者であります。こういう人が先ほども出ましたように、生活の程度がずっと違う、お小づかいにしても山陽荘では二千数百円、埴生の療養所では千円以内、そういう貧富の差の非常に多いところに統合されていくということは、患者の心理状態としては非常にお気の毒で、行きたくないというのがほんとうだろうと思う。当局も延期するということは三月すでに言っておられる、廃止を延期すると言っておりますけれどもあと患者を入れてもらわなければ、まるで患者が減っていくのを待っている。一人でもおる間はこれは閉鎖せぬと言われますけれども、それでは死ぬのを待っているということです。患者の方から言えば、自分たちの死ぬのを待っているという気持では療養になりません。それだから私の方もその間に立って、あとの患者を入れて、医療法にも反しないように希望して来る患者をあすこへ入院させないということをしないで、あとの患者を入れて下さいということも私ども言ったけれども、そのお許しも出なかったわけであります。私は結核というような病気は、これは日本のどこにでもある病気だから、ある何カ所かの結核療養所を集中的に作って、基幹病院のように作って、そうして小さい療養所をみんなやめていくという方針には賛成できない。たとえば日本脳炎が東京に多いとか、小児麻痺が東京に多いとか、あるいはけい肺病は鉱業地帯に多いとかいうことで、ああいう病院を基幹病院の形でその個所に置かれるということはいいけれども、結核のようなもう国民病であって、どこにでもあるようなものは至る所に小さい療養所があっていいと思う。現在あるのをつぶさなくてもいいと思う。それがそこの住民のためにもなると思うわけです。この点は私は厚生省の考えと違うと思う。何もああいういなかで結核患者もそうたくさんはいない所に鉄筋のりっぱな療養所を作らなくては国の恥だとか十分な療養ができないということにはならぬので、無医村には無医村らしい療養所があってもいい、診療所があってもいいように、あの程度の療養所でもう少し内容が整備されれば私は十分成り立っていくと思う。そう急にしゃにむにこのごろの国立の第一病院とかあるいは大阪の国立とか厚生年金病院とかというような何億という金をかけた療養所でなければ国立の療養所にふさわしくないというので、埴生の療養所などを恥かしい施設だということで取りこわしていくという形には私は反対であるが、当局はどう思いますか。
  73. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) お話通りに、埴生の療養所の患者は外科療法の適用外の者が多うございまして、現在外科患者を主体にいたしておりますところの山陽荘に入ることを好んでいないようであります。従って、この点の山陽荘の受け入れば、私はやはり今後やっていかなければならぬ、現在でも山陽荘には施療患者がだんだんふえて約二割ぐらいになっておるそうでありますが、そうした長期療養患者が気楽に山陽荘で療養ができるように受け入れ態勢を整備しよくしていきたいというふうに感じております。それから新入所の患者の取扱いでありますけれども、これはやはり将来統合するという方針に変りがないので従来と同じように、緊急患者以外の患者は入院させない考えでおります。それから療養所を整理統合する方針には賛成しにくいと、こういうような今お話でありますけれども、これはやはり私の方といたしましては、規模も小さくて医師もなかなか獲得できない、現在の療養所の医師二名も八月一ぱいでやめさしてくれということを言っておるわけでありまして、こういうように医師の確保がむずかしい、つまり施設が悪くて研究設備なんかできておりません。そういうところではなかなか医師がきてくれませんので、そういうようなことで自然利用率も悪くなってくると、こういうところはやはりベッドを適当な施設に統合してそこをやはり近代的な結核療養所として強化をいたしたい、こういうようにやはり考えるわけであります。
  74. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) ちょっと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  75. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を起して下さい。
  76. 木下友敬

    ○木下友敬君 今あなたの答弁で、私一緒に尋ねたからあなた忘れたと思いますけれども調査が不十分だったということです。だから、たとえばその二日も三日もぶっ続けでつるし上げをしたというようなことを言われたのですが、実際はそうでないのです。何時から何時まで休んだということを言っておりますが、ああいう調査はだれが報告したか知らぬが、全くのうそですよ。これはきちんとした記録が残っておるし、そういううその報告を本省にして、そうして国会でもあなたが述べるような、そういうことは慎しんでもらわなければ……私はずっと向うにおったんだから、時間的の関係がうそなんです。そういうその調査をもって……たとえばそれでもうそだし、それから療養所を改廃するということについても厚生省調査というものは信頼をおけないということになってくるんだから、もう少し正確なことを言ってもらわぬと困ると思う。それをちょっと答弁して下さい。それは誤まりだから、誤まりを訂正して下さい。
  77. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 私が報告を受けたのは、七月二十四日の午後十一時から徹宵して翌朝の午前四時四十分まで大衆の抗議が続いておりまして、それ以後におきましても若干の仲介者との個々の折衝がはさまれまして、回答待ちの状態がありましたが、午後一時から午後八時に至る間は再び大衆抗議が続き、その間に患者及び職員の一部は任意に仮睡をした模様でありましたけれども、本省の関係者においては休憩することができませんでした。その間午前十一時ごろ一わんの御飯と汁と一個の卵を喫したにすぎないということであります。
  78. 木下友敬

    ○木下友敬君 さっきも私が読み上げたように、もう時間がそっくり違うんですよ。午後の一時から八時までやったなんということはまっかなうそなんです。さっきも私午後の一時から二時三十分まで交渉して、二時三十分から四時三十分までは休憩をしておる、はっきり、私はそこにおったんだから。そういうのをうのみにして、一方的の報告をもって厚生省の行政がいつもやられておるということは、それは大へんなことで、もっと正確な報告をとって、やってもらわなければいけないと思う。そういうまことにふしだらな厚生省態度は将来改めてもらわなければいけないと思う。そこで、私は療養所の、方々に散在しておるところの小さいものは、これをやめてしまうという方針には反対だと言いましたが、一体結核患者のこのごろの分布はどうなっていますか、患者はふえていますか、減っていますか。
  79. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 御承知のように、昭和二十八年度の実態調査それから昨年、三十三年の実態調査によりますというと、要医療というものはさほど減っていないようであります。しかし、これも最近の要医療の見方が以前と少し違っておりますので、そういう点を考えると、要医療の方もかなり減っておるんじゃないかというように見られております。それから要入院は非常に減りまして、御承知のように、約三割五分くらいに減少いたしておるわけであります。
  80. 木下友敬

    ○木下友敬君 あなた、それは数字的にちゃんとつかんでいますか。
  81. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 実態調査の結果でそういう状態です。
  82. 木下友敬

    ○木下友敬君 もう少し全国的な状態を言って下さい。
  83. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 二十八年度に第一回の結核実態調査をやりまして、昨年の三十三年度に、五年目に第二回の実態調査をいたしました。第一回目は断面調査で初めてやったことでございますので、断面がわかり、それから昨年第二回目をやりまして、昨年の断面と同時に二十八年度の第一回とのその後の趨勢比較ができたわけでございます。ただいまの趨勢比較だけを申し上げますと、要医療患者については、第一回の二百九十三万から第二回目は三百四万で、実数はふえております。それからそのうちの要入院は、第一回目の百三十万台から第二回目の八十万台に、それは非常に減っております。なお、この要医療の外側にございます要観察、すなわち治療は要しないけれども、医療的な監視下に置くというのが、第一回目の約二百五十万から第二回目の約百五十万に激減をしておるわけであります。要医療、すなわち治療を要する者がふえたかという問題でございますが、実数は明らかにただいま言いましたように十万余ふえております。ただし、これを比率で見ますと、その間の五年間に五百万人の国民の人口増加がございましたので、人口に対する要医療の患者率というものは、〇・一%、これは分母がふえたために減っております。なお、ここで実態調査委員会で若干補足がされました点は、第一回目の要医療の基準と第二回目の基準に若干差がございます。第二回目には、この要医療の内容が、五年間の治療医学の進歩に伴いまして、第一回目にはこういう者は要医療にならなかったものが、二回目はこれは医療すればただ観察よりもよいという結果で、少し基準に差ができたために、前回の要観察が激減したもののある数が要医療の中に入ってきたんではないか、こういうことがございますが、これはこの実態調査をやりました医学専門家のそれぞれの五年間の知識技能の進歩でございますので、これがどのくらいこちらに移ったかということは、これは数的に出ませんので、概括いたしましては、まあ若干減ったんではないか、こういう感じを受けるわけでございますが、数字の上で確実に要医療が減ったということは明瞭には出ませんけれども、ただ、今一番治療の対象になっております入院して治療するというものは、明らかにこれは減激をいたしております。こういう状況であります。
  84. 木下友敬

    ○木下友敬君 そのついでに、現在の結核ベッドの数と、あなたが考えている必要ベッドの数は幾らか。
  85. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 現在約二十六万ベッドでございます、結核ベッドは。これは、独立の療養所のベッド並びに総合病院の中にある結核病棟あるいは結核病床、両者合せて約二十六万ベッドでございます。これの現在の入院者は、ごく最近のデータで約二十一万人でございまして、約五万ベッドが全国的には空床になっております。それからなお、この結核対策は五年計画で来年度の予算も今策定中でございますが、これと比べ合してベッドのワクをどうするかという問題は、これは従来は比較的全国何万ベッドあればいいということでやってきたわけでございますが、これは少し実情に即しないということで、たとえば東京の清瀬の結核研究所の付属病院等は、現在三カ月ないし四カ月の待機患者がある。あそこでなければどうしてもいかぬという患者がある。ところが、比較的不便な所にある小さな療養所で、りっぱな外科のお医者等ないところは、いかなる方法を講じましてもその地区の患者が入らぬということで、五割もあいておるところもございます。従いまして、やはりこれは県単位さらに望ましくば診療圏というものことにベッドを出します。そういたしますと、ある診療圏では、現在もう近い将来にはあけておいても入らぬというところもございます。ある地区では、これをむしろ一方あけてでもこちらをふやした方がお客はそっちなら望んで待っている、こういう状況もございまして、一がいには今の五万ベッドが全体掴んで結核対策と結びつけて直ちに要るとか、要らぬとかいうことは、無理でございます。やはり、これは地区の状況によってこまかに策定していくべき問題だと存じますので、場合によってはある特定の地域では若干の増床をすれば今の希望者が三月待つのが一カ月で済むということが起り得ますが、まあこれは結核の家庭療養の待ち工合が適当か不適当か、三月はいかぬ、すぐに入れにゃいかぬかという問題とも関連がございまして、一がいには言えませんが、以上のような状況でございます。
  86. 坂本昭

    坂本昭君 今、二十六万のうち五万の空床があるという御説明がありましたですね。そうしてそれについて清瀬のように非常に待機患者の多い所もある。少い所もある。まあ今の話だと、何か清瀬あたりの地理的環境といったものが主たるようにうかがわれましたけれども、実際今日生活保護の、この間も調査して来ましたけれども、医療扶助の中でも、結核と精神、特に結核は、決して減っていない。どんどんふえている。そうしてその対象となる者は、低所得層の人たち。ちょうど御承知通り政府昭和二十六年度から国民皆保険をやる。この国民皆保険の対象の層、つまり、中小企業、零細企業、それから農民の人たち、こういうところに結核が相当温存されている。そうしてこの人たちは、従来国保の組織のある所でも入院ができていない。実際この間調査してみましても、国保をやっている所で結核の患者が全部入院しているかというと、入院していない。それはやはり医療費の負担のために入院することができていない。もちろん、そういう点は、公衆衛生局でも調べておられると思う。再来年から国民皆保険が実施されてきた場合に、やはり一番大きな対象となるのは、当然結核です。そうして国民皆保険が強制的に実施された場合には、この結核患者の入院というものも、これは促進こそすれ、決して制限されることはないと思う。従って、今あなたのお話だけ伺ってみると、ふやす所もある、減らさなくちゃいかぬ所もあるというが、結局、二十六万床というものは、私はもう少しあなたの方では全国的に—山口県の場合は六千ベッドとあるけれども千一二百床空床があるという説明がありました。しかし、山梨県の場合には実はもっとふやさなければならないとか、あるいは国民健康保険をやるとか、あるいは結核の公費負担の制度を変えればもっと患者が入るとか、おそらくその辺まで具体的な調査はし計画はしてあるはずと思います。そういう点から見ていって、一体この二十六万床というのが十分かどうか、特に国立結核療養所六万五千というこの病床の利用の仕方というもの、こういうものは、減らすべきかあるいは減らさないでこれをもっと存置せしめさらにこれを強化する必要があるか。私は、この点は、医務局長よりも、全般的な日本全体の結核対策を見ている公衆衛生局長としての御意見を承わりたい。
  87. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) まず第一に、先ほどの清瀬の問題は、地理的ではなくて、やはり主体は質的な問題であろうというふうに思っております。これだけ訂正いたしておきます。  それからもう一つの、今の各府県ごと、ないしはさらに府県の中の地区別のデータ、これは、きょうはよそから回って来たために、今ちょっと資料を持参しておりませんが、われわれの方でこれは資料を集めて来年の予算をやる基礎になるものでございますから、現在検討中でございます。  それからなお、公衆衛生局として、二十六万か、あるいは二十万か三十万かというのは、これは結核対策上積み重ねた結果、ある所は減りある所はふえた結果を差引いたしまして出る問題でございますので、今のところ、二十六万がいいかどうかといったようなことは、まだ答弁の資料を持ち合わせませんので、この点は答弁できませんが、しかしながら、現在国立療養所といえども一割以上のあきがあるということでございまして、まず全般的にベッドをさらに増床するという前に、この一割、それから全国総数でいいますと約二割のあきベッドになります。これを埋めるということが先決であろうと、必要なものがあってあいておればこれは非常に無意味でございますから、埋めるという意味で本年から一番つかみやすいものということは先ほどの結核実態調査の三百万とかあるいは八十六万とかというのは全国の抽出検査を全国民に引きのばした推計でございますので、多分あると想定されますけれども、これを保護する、あるいは治療するということには客観的な方途、それから本人の自覚、この二つが結び合って、いよいよ患者であるということが、だれが患者であるかということがきまりませんとどうにもならぬ問題でございますので、従いまして、今直ちに明年、明後年九千三百万の中にはこれだけいるでありましょう、この全部が直ちにあいておればそこを満たすということにはならぬわけであります。従って、できるだけひっかかるように健康診断の増加をする、あるいは医師が結核という判定をした者はその後の追求管理をして適当な保護をする、まあこれをやるわけでございますが、これにはどうしても病勢の把握率、実施率というものが五〇%とか四〇%とかというものをどうしてもかけなければ、その年の本人はもとより保護の対象に入らぬわけでございます。ここに推定による実態調査の推定値の数と、それから現実にあいているベッドが幾ら満ちるかという点とにギャップがあるわけでございます。そしてわれわれといたしましては、本年から予算をつかめて、しかも一番予防上必要であり、治療上必要である濃厚感染源というものをまず保護する。これにも全額公費でやるという線を打ち出しまして、来年これを全国に及ぼす予定でございまするが、この数では今直ちに全部大づかみにいたしますと、ベッドを何百なり何千なり予算をとって、この二十六万を直ちにふやすというような線はまだ出てこない。さしあたりこういうような方策によりまして、それを入れて治療するに足るベッドがどことどこが埋まるかということを今期待しておるわけであります。
  88. 坂本昭

    坂本昭君 そうすると、厚生大臣にお伺いしますけれども、今公衆衛生局長からかなり専門的な御説明あったのですけれども、結論的には非常に簡単なんです。つまり入院患者百三十万が今度八十万に減った。今まで幾ら減ったという減ったことに重点を置いて、ベッドの数というものは言わない。だからあたかも国立病院で三割も減ったというような印象を与えようとしている。実質は八十万、八十万人を入院させなければいかぬ。そうして今の公衆衛生局に聞くと、二十六万床でいいかどうかということを聞くと、具体的な計画内容はわからぬ。わからぬから、もっと検診率を高めてひっかけていきたいと言う。この八十万という数字はずいぶん違ったもので、四十万にしてもやはり入院する必要のある患者は多い。かりに四十万の人が半年入院してなおるならば、その半分の二十万のベッドで数学的には足りますけれども、しかし、今日でも平均の在院日数というものは半年ではないのです。従って、八十万という数がある以上は二十六万床をふやしこそすれ、減らさなければいかぬという理由はないのです。だから私は、この点でまず公衆衛生局と医務局と全部通じて、一体結核病床の方を減らしていいというそういう段階であるかどうか、厚生大臣の御意見を一つ聞きたいと思います。
  89. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) ただいま公衆衛生局長からるる医務局としての今までの数字あるいは推定数字等をあげて申し上げたのでありますが、私どもも今結核対策といたしまして、けさの新聞等にも一斉に出ておりまするように、五カ年計画あるいは十カ年計画、こういうことを意見の調整といいまするか、新対策を打ち立てているわけでございます。それで結核は、坂本委員が非常に御専門家だというお話も聞いておりますが、この結核というものが漸次これは減っているんだという考え方は私どもの方ではだれもしていないわけです。無自覚性でありしかも潜在性である。人口が非常にふえておる。こういうところから見て、要入院患者はあるいは新薬とかあるいは外科手術等によって多少減っておるかもしれぬけれども、これも明確ではない。結核患者という者は非常に経費がかかる。それでありまするから要入院患者というものがやはり自分の生計の上において考えてみたときにこの自分の稼業を投げ捨ててまで入院するかどうか、こういうようなこともわれわれは考えてみなければならない。それでありまするから、ただいま各局長か申されましたように、どうしてもわれわれはやはり結核病床というものはふやさなければならない方向にあるということは私は言わなければならないと思う。六万ベッドの空床というものが、これは決してただあいておるからということじゃなくして、これはやはりそういう家庭の事情あるいは医療費の負担の状況、そういうものからいろいろな事情が出てくるのであって、あるいはまた、一面におきましては非常に施設が不備な点がある。たとえばただいま問題になっておる埴生の療養所(坂本昭君「埴生ばかりですね」と呼ぶ)いや、たとえばと言うのですよ。施設が非常に悪いということで患者数が逐次減っておるということでありますが、そういうことがあるいは(「そうじゃない、そうじゃない」と呼ぶ者あり)私ども報告が非常に誤まりであればこれはまた私ども考え直さなければならぬと思いますが、こういうような形におきまして、私どもはやはり近代的な施設を施した病床というものは漸次これはふやしていかなければならぬし、公費の負担等も考えていかなければならぬし、重点施策として結核対策として考えていかなければならぬ。これは先ほどあなたが御指摘になりましたように、国民皆保険になってくればますますこれは多くなるのじゃないかという御指摘の通りでございます。
  90. 坂本昭

    坂本昭君 ちょっと続けて。施設が悪いから入院患者が入らない。だからそういう悪いところは直して近代化する。表面聞いておると非常にけっこうです。ところが、今日ある結核療養所は国立療養所ばかりではございませんが、施設が悪い。さっきから埴生々々と言っておりますけれども、あまり言うと埴生の人がハブのようにかみつきます。埴生だけ悪いのじゃなくて国立の結核療養所全国百八十数個みんな悪い。御承知のように、傷病軍人の療養所から出発をしておるものですからみんなつぶれかかっておる。けれども、さっきの空床率、衛生局長説明によってもわかるように、国立で一割ちょっと、全国平均で二割。国立療養所にみんな人が集まっておる。これは厚生省ある意味では自慢していただきたい。厚生省が一生懸命国の施策として結核対策を持ってきて、そのために非常に一生懸命やって、技術もよくなった。建物はぼろいけれども、人が集まって、実際に患者がなおってきた。だから今言われたことは、厚生大臣が建物がぼろいから人が来ぬということは、国立療養所に対する侮辱であって、大臣これは前言を取り消していただきたい。むしろ埴生の例を見てもこの十年間一生懸命結核対策のために営々として努力してきた。全国にある療養所がぼろいからといって整備もしてくれない。これは埴生だけじゃありません。全国の療養所について整備してくれない。けれども、結核をなくすために一生懸命粉骨砕身やってきた。そうしてだんだん減ってきて、いろいろな事情でお医者さんのいにくいところもありましょう。お医者さんのいにくいということは施設の責任じゃありません。患者の責任でもありません。厚生省の責任です。厚生省の力によってこれだけ結核対策が十分できたことが厚生省の手柄であれば、今度は医者が結核療養所に来なくなったということは、また同時に、厚生省のこれは責任であります。私はそういう点では、埴生について建物がぼろいとかあるいは医者がいにくいというふうなこと、これをつぶしていこうという考えは、今まで長い間結核対策に従事してきた人たちをまことに侮べつするものだと思う。私はそういう点でも厚生大臣のお考えを改めていただきたい。さらに近代化するということは非常にいいけれども、近代化するならば全国にある百八十全部近代化していただきたい。日本の結核対策の中心をなしてきた国立結核療養所の近代化にどういう計画を持っておるか、私は今まで聞いたことがない。もしあるならば聞かしていただきたい。結核対策を推進する上においていいというならば私も行きますよ埴生に。埴生へ行ってもうしばらく諸君がまんしてもらいたい、すばらしい療養所ができるからがまんしてくれと言いますよ—言いますけれども、そういう全般的な対策を聞いたことはないですよ。それについてこれはかなり具体的ですから、医務局長から国立結核療養所の近代化の具体的構想を説明して下さい。
  91. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) これはむしろ坂本委員の方が詳しいと思うわけでございまして、昔御承知のように、大気安静療法を主とした結核治療から非常に医療の内容が向上いたしましたので、どうしても昔のような療養所というものを、設備の非常にいいしかも結核の専門医のそろったような施設にしなければならぬというように考えておるわけです。お話のごとく、百八十からあります療養所、しかもそれは主として往年の陸海軍の病院を引き継いだものでありますので、必ずしも現在の施設というものが適正なところに適地に適正な規模のものがあるわけではないものですから、これはやはりだんだんよいものに私はまとめるべきだという考え方をやはり持っておるわけであります。医者の方も、そうした設備のいい研究などもできるというようなところでなければなかなか来てくれません。医者が来ないのは厚生省の責任だというふうなお話でありますけれども、結核がおかげで非常に減りましたために(「減ってないじゃないですか、さっきのお話では」と呼ぶ者あり)減るというような見通しを持っておるものが(「減ったと考えておるのが間違いじゃないかね」と呼ぶ者あり)ちょっとそこは取り消します。そういうような見方が一般の医師にあるものでありますから……。これが事実でありまして、そういうことで医者の方も先を見込みましてあまり関心を示しておらないわけであります。むしろ木下先生も前の委員会でおっしゃっておりますように、だんだん成人病などに関心が高まっていっておるわけであります。そういうことでありますものですから、なおさら私どもの方といたしましては設備のいい療養所を作って、そこで医者が単に結核ばかりでなしに、将来はチェスト・クリニックなども療養所といたしまして医者が関心を持つように、そしてそこでほんとうに結核なりあるいは胸部などの失患に対する専門医が養成されるように、そういうようなやはり考え方を今後は持っていかなければならないのじゃないかというように考えておるわけであります。
  92. 木下友敬

    ○木下友敬君 大臣、従来のこの委員会での厚生省側の答弁の中では、最近は結核の増床ということはほとんど考えていない。もう結核は、今局長が言うたように大へん減りましたからというようなことを口に言ったのはあなたが初めてで、取り消したって済むものじゃない。減ったと思うというようなそういう潜在意識を持っておることが間違いなのだけれども、今までの局長はそんな答弁をしていない。ところが、老人病とか精神病に切りかえていくというようなことを厚生省は考えておるのです。結核はもう一応済んだかのように考えている。大臣は増床していくのがこれからの結核の自分の考え方なんだと言われたが、ほんとうに今の厚生省の官僚機構の中ではもうこれは精神病、老人病の方に乗りかえて行こうという考え方を持っておるのに、大臣は増床ということをさっき言われましたけれども、そういう考えで今度の予算でも請求しているのですか。
  93. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) それは今予算は各局の数字をにらみ合わせまして今月末か来月の中ごろまでには予算要求をやりたい、こういうことになっております。それでありまして、ただいま精神病その他の精薄児とかそのほかのお話もございますけれども、それはそれの政策として別でございまして、あくまで結核対策といたしましてはますます強化しなければならない。こういうことはこの間の私どものいろいろ各部局におきましても話し合いをやっておるわけでございますから、その点を御了承願います。
  94. 木下友敬

    ○木下友敬君 これは私が今聞いている範囲においては、今度の厚生省の考えでは結核病床の増床ということはもくろんでいないように思いますが、大臣新しく御就任になって、結核の増床の予算面の請求ということをやるようにしておられますか。私はそういうことになっていないと思いますが……。
  95. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 今内容の充実ですね。内容の充実といっても、今ここで、すべての予算を折衝中でございますので、ここにおいてベッドを急にふやすというようなことは具体的に今申し上げられる段階ではないのであります。ただ、結核対策については十分にこれは考えている、こういうことだけを申し上げておきます。
  96. 木下友敬

    ○木下友敬君 話の都合で結核の病床を増すべきだということを、そういう考えだということを大臣は言ったけれども、実際面においてはそれを増していく努力をしておるとは考えられないというように私は受け取ったわけなんです。さっき公衆衛生局長は非常な適切な答弁をされてよかったと思います。たとえば病床をどうするとかというような問題でも、実情に即して、日本全国で何万病床ふやすとか減らすとかいうことではなくして、その地方々々の実情に即してやっていくのだという考え方はいいと思う。それには十分な地方的な調査が必要だと思う。私は今山口県の状態を見ておりますが、昭和三十年から三十三年までの登録患者数などを見ましても非常に結核患者は増加しているのです。ことに埴生の療養所の周辺、いわゆる長門地区というところでは非常に患者数が増しております。今度の県会で、埴生の廃止を県議会でも反対しておりますし、それから地元の山陽町それから宇部市、下関市、これはみな市の議会で反対を決議している。それから美祢市また菊同時、豊田町というようなその周辺はみんなこれは反対の決議をしておる。なぜかと申しますと、たとえば厚狭郡の例をとりましても、地元の厚狭郡の結核患者は数において増している。その周辺ではたとえば一万八千であったものが二万五千になったというふうにはっきり患者数がふえています。こういう状況を土台にして県の議会なり市の議会でもってあれを廃止することは不適当である、こういうふうに言っている。だから厚生省の中で大まかにペーパー・プランでもって、療養所は整備するのだという大まかなプランで、さっき大臣が言うたように、どうも埴生が適当な場所でないところにあるとか、設備が悪いとかいうけれども、設備が悪いのは厚生省が悪いのだ。一つも整備していない。医者をわれわれが推薦しても一つも入れていない。そういうようなペーパー・プランの上でやったもので、私はここに数字を持って来ている、県に調べさした数字というものをあなた方はつかんでいない。あそこの箇所では必要なんです。あそこの患者を、あの生活保護で、ちょっとの電車賃もないようなものを山陽荘までもっていく。さっきも言ったように生活水準も違う。そういうようなものをもってくるということも不適当だし、従業員の数から見ましても、あそこで働いている者を全部山陽荘に移すということは、あなた方はみんな吸収するのだと言われても、それに応ずるだけの資力もないし、また距離も許さない。だから反対が起ってきた。だから衛生局長の言うたように、実情に即してやっていくという考えを厚生省全体で持ってもらわなければ困る。どうですか。これは再調査、再調査ということは非常に私も不愉快だけれども、もう一ぺんほんとう調査なりして、厚生大臣は今月もさっきの方針には変りはないと言われたけど、そういう何とかの一つ覚えみたいに、一ぺん言ったことはもうゆるがぬという行き方でなくて、もっとほんとうに患者の心理状態、実情というものを頭に置いて考え直してもらいたいと思うのですが、厚生大臣どうですか。
  97. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 午前中も申し上げましたように、やはりその事情等もあらゆる客観的な条件寺もにらみ合せながら、逐次やはり私どもは既定方針の線に沿うてやっていきたい。それは縮小するのでなくて、患者のために新しい医療、近代方式というものを採用したい、こういうことで、その実情をもちろんその一つの条件としまして逐次われわれは既定方針の線に浴ってやっていきたい、こういう意味でございます。
  98. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) ちょっと速記を止めて。    〔速記中止〕
  99. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を起して。
  100. 木下友敬

    ○木下友敬君 大臣に一つこれは考えを改めてもらいたいというよりも、もう少し深く考えてもらいたいと思いますのは、あなたがさっきも言われたように、埴生のような場所は不適当だとか言われますけれども、まだあなた埴生を知らぬのですよ、ほんとうに、実際は。(笑声)これはもう、にやっとされるけれどもほんとうに御存じないのです。あの土地で埴生というものがどんなウエートを持っているか。交通の要衝であるとか、周辺が—インター・ラウンドがどうなっているかということは御存じないんだから、ただ部局の下僚から言われたことをうのみにしてそう言われないで、一つもう少し本気で考えて、さっき公衆衛生局長が言うたように、実情に即したことを一つ考え直してもらいたいと思うのです。それだから、さっきも局長が言ったけれども、新しい入所は許さない、そういう方針だと、それはちっともいいということになりはしません。延期だってだれも承知をしていないけれども、たとえ延期で承知をしようとしても、新しい入所を許さないということが延期になりますか。だんだん患者を減らしておいて、一人でもいる間は閉鎖しないんだということを言われたけれども、患者の死ぬのを待っているという状態の中で結核思考というものはおられません、それは医者の私どもにも……。だんだん患者が減っていくと、患者はさびしゅうて、それだけでも死が近づいてきますよ。そういう無慈悲なことは言わぬで、たとえば延期だというだけでも、どうしても私たちは適当と思うときや、必要の場合には入所させるんだということをあなた方は言う心のゆとりを持っていればいいけれども、全然そういうゆとりは持たない。あくまでも一ぺん言うたことはきかないという、そういう態度で、そうして二言目には警官を動員するような要請をする。そういうかたくなな考えではこの問題は解決しない。大臣は先を急いでおられるが、どうぞもう一ぺん考え直してもらいたいと思う。実情というものを知っていないから、だから実情を知るように努力してもらいたいと私は言っている。言いっぱなさないで、埴生のようなものはだめだとあなたは言うけれども、そうでなくて、もっと実情を知る、勉強するということを言ってもらいたい。その返事をしないで向うへ行ってしまうというのは無責任です。
  101. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 長い間厚生省事務当局でいろいろ各種の状況を検討いたしまして立てた方針でございまして、決して埴生を例にとったわけじゃございませんけれども、それはやはり私も参りまして、この既定方針というものは一応大きな国策的な見地からそうした方向に努力しなければならないのだ、こういうことでございます。それでありまするから、先ほど諸条件というものをいろいろと検討するということは申し上げておるわけでございまするから、この点で御了承願います。
  102. 木下友敬

    ○木下友敬君 ちょっと確認しておきます。諸条件を検討されるのですね。
  103. 渡邊良夫

    ○国務大臣(渡邊良夫君) 全国的な各地におきますこの問題につきまして検討する、こういうことでございます。
  104. 木下友敬

    ○木下友敬君 ということは、埴生も日本のうちだから、各地のうちだから埴生も入っている。こういうふうに私は了承する。
  105. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは先ほどの木下議員の質疑に対しまして、警察庁の江口警備局長の答弁を求めます。ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  106. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を起して。
  107. 江口俊男

    説明員(江口俊男君) 私、おくれましたために質問を十分聞いておりませんが、ただいま聞きますところによると、木下議員のおたくの周辺に警察官を配置した理由はどうであるかというような意味のように承わるのでありますが、そのことにつきましては、当夜警官を二、三名視察に出したのは事実でありまするけれども、その理由は、これは午前中にも申し上げましたように、情報でございまするけれども、橋本課長一行を厚狭で引きおろすというような情報、これは厚生省系統から入っておりまするが、情報もございましたし、そういう意味であるならば、その日の日程が橋本課長が下関におりられて、そうして木下議員とお会いになるというような日程になっているので、その場合にやはり阻止するための紛争がある可能性があるという判断のもとに視察員を出した、こういうふうに私たち報告を受けております。
  108. 木下友敬

    ○木下友敬君 その厚狭で引きおろす情報とか私と会うのを阻止するという情報はどこから入っていますか。
  109. 江口俊男

    説明員(江口俊男君) これは厚生省からお答えになるのがいいかと思いまするが、私たちの方はそちらの方面からこの情報が入っております。
  110. 木下友敬

    ○木下友敬君 それじゃ厚生省から一つ答弁してもらいたい。僕の身辺を守らしたそういう情報を警察当局に出した厚生省、責任ある答弁を求めます。
  111. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 橋本課長一行が車中でそういう情報を、電報を受け取っているのです。発信人は不明だそうであります
  112. 木下友敬

    ○木下友敬君 何ですか、そんな無責任なことあるか。発信人が不明な情報で、しかも国会議員の身辺を守るというそういうようなことがあっていいか。発信人がはっきりしておってなおかつそれでも実情を調べて、そうして初めてわれわれの身辺に警官を派すならいいけれども、発信人がわからぬものをもって国会議員の身辺に警察官を派すのはいいかどうか、それは通常のことかどうか、私はあくまでも私は責任を問う。発信人が不明な人から電報を受け取って、国会議員を拘束するような態度は、けしからぬと思う。
  113. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 私は、木下議員を拘束するようなことは全然考えておらないので、ただ、そういう情報が入ったものでございますから、警察に、先ほど申しましたように、一行の警戒方をお願いしたにすぎません。
  114. 木下友敬

    ○木下友敬君 大体、その根底が間違っていますよ。発信人の不明なそういう電報をもととして、警察の出動を懇請するというような、そういう無責任なことがありますか。いやしくも警察を依頼するというような場合には、懇請するというような場合には、もっと確実な情報をつかんでいなければ、発信人がわからないような電報——電報はだれだって打ちますよ、それは軽率じゃないですか。あなたのとった態度は、一つもいかぬことはないと思うならば、正直にその通りお答えなさい。僕でも、どこでも打ちますよ。そういう発信人のわからぬようなあやしげな怪電報を打つということは……。そんなばかなことに信頼を置いていいか。
  115. 江口俊男

    説明員(江口俊男君) 私から補足いたしますが、当日警察が動き出しました根拠については、どういう判断によって動いたかというお尋ねがございましたが、それは一つには、厚生省当局のそういう差し迫った判断による要請ということと、それから個々の行動につきましては、あくまで、そういう要請がございましても、われわれから見て必要がないと思えばもちろんやりませんし、要請がなくてもこれは必要だということになれば、やるのでございまして、私どもの行動自身が、たとえば木下先生のお宅のところを調べさせたのが、厚生省の要請によってやったと、こういう意味ではございません。視察しなければならぬという情勢判断の一つに、電報云々のこともございますけれども、それはひいていって、木下先生を拘束するというよりも、そこに会いに行く人々が阻止をされてトラブルが起りはしないか、こういうふうに判断したのが警察でございます。一一何名をどこに出してどうするということについては、必ずしも厚生省の依頼というか、指示とか、そういうものによって動いていないということを御了承願います。
  116. 木下友敬

    ○木下友敬君 それはそうですよ。警察官を何人出すということまで厚生省が指示する、そんなばかな答弁をする者があるか。警察の判断によって人数とか配置の場所とかするでしょう。そういう答弁はしなくてもいいですよ。厚生省が何人出してくれといった、そんなことまで僕は聞いているのではない。責任のない、発信人の名前もわからぬようなそういう電報を根拠にして——少くもそれもファクターの一つです。あわてたファクターの一つなんです。そんなものを基礎にして、警察の出動を要請するということに遺憾の点はないか。あなたはりっぱな行動をしたとお思いになるか、あるいはちっとあわて過ぎたとお思いになるか。私は、どうも多少軽率ではなかったかと心配しているんです。事態はそういう事態ではないと私は判断している。あまりあなたがあわてたからこそ、私の身辺まで守られたということになったと思うんです。
  117. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 先ほどもいろいろと現地の情勢、それから二十三日の厚生省に大勢の人が詰めかけてきたというようなその情勢、そして今の電報——氏名、発信人の記載はないわけでございますけれども、そういうような全体の情勢から、やはり警察にお願いをしたわけでございまして、先ほど申しましたように、警察に警戒をお願いしたということは、結果的に見て、私は悪くなかったようなふうに考えるわけです。
  118. 木下友敬

    ○木下友敬君 本人が悪くなかったというような考えを持って、まげないから、これはどこまで追及しても、あなたの人格が、そういう考えだから、私はあなたの力量なり人格を疑うという点で、それ以上申し上げることはもうよします。将来はあの程度のことで警察官を要請するというようなことは慎しんでもらいたい、こう思う。  それに、あなた方は厚生省の方針は一つも変えない、こう言っておられますけれども、先ほども大臣が言い残していったように、埴生の問題を含めて、全体の結核行政ということについてはまだまだ厚生省には不十分なところがある。だから、一ぺん言い出したことはきかぬと、そういうかたくなな言い方でなくて、私はやってもらいたいということを要望しておく。  それから、もう一つ、これは先ほど吉武議員から発言がありまして、吉武先生は私非常に尊敬した方だから、ああいう発言は一も二も納得せなければならないのでありますけれども、誤解を招くといけないから、私は速記にとどめておいてもらいたいと思うのは、あの中に職員が患者をおだててああいう状態に持っていったという印象を与えるお言葉があった。こういう問題は私も非常に調査したのです。私も第一番にそういう印象をとったのです。患者を組合がおだてたりしてはいないか、そうしてハンストまで持っていきはしないかということを非常に必配して、私は裏から表からその点を追及したのです。研究したのです。そうしたら、そうじゃなくて、患者の方がまだ先ばしっている。それを組合の方がむしろ、ハンストをやめてくれ、ハンストやるならおれたちがやるというのが、これは擬装戦術じゃなくて、ほんとうに患者の方が先ばしっている。私は、医者としての観察からして、当時の患者の心境というのは実際そういう心境であったということを見てとっている。これは吉武先生、非常に先輩の言葉を返して済まないけれども、これは決して職員がおだてたという確証もございません。私の見ている範囲では、患者の方がむしろ——むしろじゃない、ほんとうに先に立って、そうして職員の方がたじたじで、患者がやるなら自分たちがかわりにハンストするというところまでやる、これは医養施設で働いている職員の良識です。どんな急場に行っても患者だけは放棄できないというのが、これは医療従事者の考えでありまして、あの場合においても医療従事者は患者の治療ということを絶対に放棄していない。やっぱりあそこにすわり込みということは現実にあるけれども、交代で患者のみとりには従事しておったということは、私は見ておる事実なんです。これは所長も当然そういう報告をしておるだろうし、調査に行かれた方々もそういう報告をしておるということを、私は記録にとどめておいてもらいたいと思う。
  119. 坂本昭

    坂本昭君 厚生大臣が時間の関係で退席されましたので、あと今の問題に関連して二つだけ、どうしても具体的に御答弁いただきたい点がありますので、かわって医務局長に御質問いたします。ということは、先ほども大臣も、埴生のみならず国立療養所の整理統合全般について、いろいろな諸条件を研究しなければならないということは述べておられました。確かに古い結核療養所をどうするかということは深刻な問題であって、これは十分に検討しなくちゃいかぬと思う。ただ、それにはいろいろな調査が要ります。その調査が、これは私たちもまだ十分納得できていない。特に、医務局長には先ほどお伺いしましたけれども、全体的のプランというものがない。ただ、逐次やっていく。これは埴生をやったり、あるいは聞くところによると和歌山病院をやったり、あっちこっち逐次やるということでは、日本の将来の行政、特に基幹となる国立療養所の問題を十分に国民のために奉仕のできる組織に持っていけない。しかも、全体的なプランが欠けている上に、先ほど来近代化、近代化と言われますけれども、その実情がですね、それはたとえば国立の玉浦療養所とそれから西多賀の療養所、これの統合の問題の場合に、近代化ということが最初に標傍された。鉄筋コンクリートのりっぱなものができるといって、それが実際にできつつあるのは、鉄筋コンクリートでなくて、だんだんと質が落ちて、承わるところによれば、ブロック建築だというのです。しかも、病院当局者にとってはきわめて不満足な設備計画である。私は、こういう点で、局長は近代化ということを言われるが、実際は、統合されていっているものを見るというと、決して近代化されていない。そういう点から、私は、医務局長の言われておること、大臣の考えておられることと現実とがだいぶ食い違いがある。  さらにまた、その逐次ということの中に和歌山病院が入っておる。和歌山病院の問題などは、厚生省が責任をもって和歌山市にあったのを郊外の方へ移して、そうして長い間職員にも患者にも不便をかけておる。そうしてこの段に及んで、どうも不便だからとか何とかいって、これを廃止していこう。非常に無計画的なんです。  で、私は、事が埴生一カ所、あるいは和歌山の問題一カ所ならばいいけれども、あなた方の計画がきわめて総合的な十分な計画を持っていないから、行き当りばったりにやっている。そうしてこのことは厚生大臣が結核の増床をやって結核を絶滅したいという熱意とは逆の方向に、厚生行政が動いている。私は、はなはだこの点遺憾だと思う。従って、今の近代化に伴ってこの玉浦の問題、それから和歌山病院の問題についても、これは現在焦眉の問題だと思いますから、御説明一ついただきたい。まず、それが一点。
  120. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 厚生省のやり方が行き当りばったりだという、十分な調査をしていない、しかも全体的な調査をやるべきではないか、こういう御意見でありまして、その点、今後におきましては一つ十分検討いたしたいと思っております。  近代化と申しましても、私は、必ずしもそれが鉄筋というふうには考えておりません。ブロックでも、内容が整備されて、危険性が、あるいは治療に事を欠かないというようなことにいたしたいというようなふうに考えておるわけでありまして、それから和歌山病院の方は、これは御承知のように、六月の終りに閉鎖をするということになっておりまして、一応の延期をいたしております。これも非常に立地条件が悪い所でありまして、やはり従来の方針通り近い将来にあれはやはり廃止をいたしたいというふうに考えております。それから玉浦の療養所と西多賀の療養所を統合する、これは私は、現地としましても無理のないように運んでおるというように聞いておるわけであります。
  121. 坂本昭

    坂本昭君 今の和歌山病院のことについては、廃止の方針を変えていないという御説明ですが、先ほど来厚生大臣とのお話し合いの中では、いろいろ諸条件を検討するということがありましたが、私は、このことは埴生だとか和歌山とか、こういう特定なものだけでなくて、いろいろな近い将来に起り得るその他のことについても、私は含めての話だと思うのです。従って、和歌山病院のことについても、われわれも検討しますが、今のような皆さん方の従来の検討の程度でその方針を強行するという、そういう態度だけは改めていただきたい。これもやはり諸条件を十分検討の上、これが日本の医療制度の上で万全な策を講じた上で私は決定をしていただきたい。私は、そういうふうに先ほど来厚生大臣との話し合いを進めたつもりなんですが、その点、局長は和歌山病院はこれはもうきまっているという御説明ですが、これも私は当然諸条件を検討すべきものの中に含まれると思いますが、いかがですか。
  122. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) この点は、私は先ほど申し上げたように考えておるわけでありますけれども、大臣の意向を聞いた上でまたいたしたいと思います。
  123. 坂本昭

    坂本昭君 次に、大事な問題は、先ほど来予算の問題など若干出てきましたが、大臣は結核の増床とかいろいろ熱意を持ってやっておるわけであります。で、この国立の結核療養所について、特別会計の問題ですね、この問題が数年来から出てきておる。また、来年度の予算折衝に当っても、私は当然問題になると思う。これがことしの春の予算委員会で、担当の大蔵省の鳩山主計官にいろいろ説明を求めましたが、現段階において、来年度の予算折衝に当って厚生省は、国立結核療養所の特会制に対してどういう方針を持って臨んでおられるか、御説明をいただきたい。
  124. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) この結核療養所の特会問題は、御承知のようにかなり故障ございまして、収支バランスを合せるような制度ということについては、私自身疑問を持っておりますし、また施設長の方もだいぶ反対が多いわけでありますので、この点、私は慎重に一つ検討いたしたいと思っております。
  125. 坂本昭

    坂本昭君 ですから、来年度の予算折衝に当って厚生当局は、大蔵省に対して特会制はやらない、こういう建前で今進んでいるかどうかということを伺っているんです。今、施設長は反対をしている。あなたも、実は私もよくないと思っている、従って自分としては特会制には絶対に変えないかたい決意を持っているから、当社会労働委員会においてもよろしくという意味なのか、どうなのですか。
  126. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 積極的に特会をやるというようなことは、むろん、私としては考えておらないわけでございます。むしろ、先ほど申しましたように、私自体としましては疑問を持っておりますので、そういう立場でおります。
  127. 坂本昭

    坂本昭君 もっと大きい声で言って下さい。聞えませんよ。
  128. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) もう特会の制度については、まあ消極的なやはり私としては立場をとっているわけでございます。ここですぐ、来年は特会やるとかやらないとかいうことは申しませんけれども、今申しましたように、この制度について私自身疑問を持っておりますので、一つそういう気持で接したいと思っております。
  129. 坂本昭

    坂本昭君 どうもそういう、結核対策に対して、特に国立療養所についてはなはだ熱意の欠けた態度で、それで幾ら近代化々々々と言ったって、とうていそれはわれわれ信頼できないのですよ。それは多くの患者さんたち厚生省のやり方に非常に信頼感を持っていないものだから、それで何かハンストみたいなことをやっているように私思うのですけれども、もう少し明確な態度で、結核対策の中心をなしている国立結核療養所のその責任者として、私はもっとしっかりやっていただきたい。そうしなければ、われわれ一生懸命先般来各地を回りました。これは与野党通じて、結核対策はもっと推進しなければならない。また、結核療養所の所長の意見も聞いたのです。特会制になったらいかぬ。非常に強い要望がある。肝心のあなたのところで消極的である。しかし、押しつけられたときには押しつけられるというような態度では、はなはだ情ない。もうこういう医務局長さんでは、なかなかわれわれも支持しがたいということになります。もう少しその点について明確な腹を持って、日本の結核対策のために努力していただきたいと思います。ちょうど予算折衝のときですから、そうぐらぐらした態度でなくて、しっかりやって下さい。
  130. 木下友敬

    ○木下友敬君 その問題で、私は十月の委員会で小沢局長に尋ねたら、小沢局長はこう答弁していますよ。国策としての結核対策を遂行する上におきまして、入院患者の経済負担等を考慮いたしまして、そうして結核療養所が独立採算制にすべきではないという考え方だ、小沢局長はそう言っていますが、そこに何かぐらつきが出てきていますが、あなたにおかわりになってから、この問題について、特に独立採算制にすべきでないということについて再検討されて、何か消極的な状態に変ってこられたとすれば、その経過を一つ説明してもらいたい。
  131. 片岡文重

    ○片岡文重君 議事進行。答弁の前に一つ……。御答弁をされる場合に、大へん失礼なことを申し上げるようだけれども、やはりわれわれと考え方を厚生省が異にする場合があっても、これは私はある場合には当然だと思うんです。また、やむを得ないこともある。そういう場合にも、これは厚生省は確信を持って一つ御答弁していただきたいんです。聞いていると、どうもあなたの御答弁はあやふやで、どこを考えているかわからない。やはり堂々とわれわれとディスカッションするなり論戦をする覚悟で、やはり自信を持って御答弁いただきたいと思います。  それから、御就任早々でまだ内容が検討しておられないというのであるならば、率直に、検討しておらないからもっと時間がほしいならほしいということで、せっかく貴重な時間をかけてやっておるのですから、もっとわれわれの感覚に合ったような御答弁をわずらわしたいと思うのです。以上です。
  132. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) 私も、前の小沢局長とその点については大体同じような気持を持っておるわけでありますけれども、この問題は、私だけの責任でここではっきり申し上げるわけにはいかないと思います。
  133. 木下友敬

    ○木下友敬君 そこで、小沢局長がここで、独立採算制にすべきでないと考えておるということをはっきり言っておる。あなたの代になってからそれが言えないというためには、何か情勢が変ってきたということがなければ、小沢局長と同じことを言ってもいいわけなんです。それを、あなたの考えはそうだけれども、責任を持っては言えないといえば、何かそこに前の場合とは変った情勢が出てきていないかということを私は憂慮するから、その情勢の変化があれば、それをはっきりさしてもらいたい。
  134. 川上六馬

    説明員(川上六馬君) その判断を変える情勢の変化はありません。ただ、私の権限でここではっきりそれを申し上げられないということを言っておるわけであります。
  135. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  136. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは、速記を起して下さい。  国政調査に対する報告に対しましての本日の調査はこの程度にいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  137. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 御異議ないものと認めます。   —————————————
  138. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) なお、拓洋丸及び小児麻痺の問題について質疑の申し出がありましたから、これを許可いたします。  政府出席要求は、小児麻痺については大臣と公衆衛生局長でございますが、大臣は、御承知のように、退席をいたしておりますが、公衆衛生局長出席いたしております。  ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  139. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 速記を始めて下さい。  それでは、御質疑を願います。
  140. 片岡文重

    ○片岡文重君 はなはだ不幸にして、私は医学上の素養を持ち合せておりませんので、一つ御答弁はしろうとわかりのするようにお願いいたしたいということを、まずお願いしておきます。  そこで、厚生省としては十分関心を持っておられると思うのですが、最近、東京都の南砂町あたりを中心として、まさにしろうとからいえば、突如として十二、三名の麻痺患者を発生せしめておるようであります。そこで、今申し上げるまでもないのですが、こういう発病された人たちの将来の人生というものは、ほかの病気とは違って、これは脳性麻痺などと同じように、ほとんど暗い道を歩まなければならないということを考えると、もっと私は積極的に手が伸べられていいのではないかというふうにしろうと考えを持つわけです。まあこの病気が、現在の医学をもってしてもなお十分に予防し得ない。何か聞くところによると、ワクチンなども日本ではまだできないというような話で、アメリカあたりから買い入れているようですが、それも十分でないというようなことも伺っております。しかし、そういう困難な状態であればあるほど、厚生省あたりが中心となって努力をしなければ、一般の国民では手も足も出ないという事態にならざるを得ない。  で、何か専門家にお伺いすると、この病気は、感染されたからといって、すべてが発病するわけでもない。非常に不顕性感染というのですか、それが多い。感染をされた中から、発病し麻痺するところの症状になるものは非常に少いんだということを聞いております。そうすると、なおさら、私は逆に手の加えようがあるんじゃなかろうか。すべての子供を対象にやっていくことが、つまり取捨選択をせぬともやっていけるんじゃないか。そうして特にこれは何か免疫性を持っておるという話です。そういうことになれば、対策も、ほんとうにやろうという気持さえあってやっていくならば、おのずからその中に対策が出てくると思うのですが、厚生省としてどういう手段をとっておられるか。特に、昨年でしたか一昨年でしたか、たしかこれは法定伝染病に指定もされておるはずである。その法定伝染病に指定をされたあとの予防措置について、厚生省はどういうふうな措置をとられたか。それから、最近都のまとまった地域に十二、三名も発病するというような場合には、当然東京都としても、これに容易ならぬ関心を示してその対策をとったであろうと思うけれども、とにかく厚生省としてどういう措置をとったのか。また、今後どういうふうな措置をとられんとされるのか。そういう点を一つ、私を初めしろうとのわかるように、一般国民がわかるようなやさしい説明で、しかも不安のないような御決意のほどを一つ伺わしていただきたい、こう思うわけです。
  141. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 第一に、今のポリオの免疫の問題でございますが、日本の現在の状況では、大体学齢児になりますと、ほとんど一〇〇%、一ぺん感染を起したのが、その結果として免疫が成立しておる、こういう実情になっております。で、なおこれと関連いたしまして、日本の発病の八〇%以上が満三才までに発病しておる。これが顕性感染で、大部分がなっておる。この顕性感染になります発病の数、これは昨年の患者総数は二千六百であります。三才までといたしますと、一、二、三才で大体人口四百五十万。この二千六百のうち、ほぼ二千名は三才以下でございますので、その程度のいわゆる顕性発病率で、その他のほとんど四百四十何方というものは、ほとんど感染は受けるがいわゆる臨床的に発病しないで、免疫だけを獲得して学齢に逐次達していく、こういう状況でございます。  この病気など、一体、不具を残すというような問題を除きますと、他の疾患と比べましては、感染の中で、量的には不幸な結果に陥る数は非常に少いということでございまして、要するに、そのために世界各国でこれは不顕性感染が百倍ある、ないしは千倍の不顕性率を持った病気であるということがいわれております。大体、日本脳炎と類似しております。ただし、質的に、かかった以上、発病した以上は、最も不幸な経過をたどることが一つでございます。従いまして、やはりこれは質的に重要性ということから考えまして、いま一つは、ここ最近これが消化器系統からの伝染病であるということが判明してきた点、この二つから、本年の六月十五日に指定伝染病にしたわけでございます。ことしでございます。  で、指定伝染病にいたしましたので、しかも、それが赤痢等のごとく消化器系の伝染病であることは間違いないということで、予防措置あるいは患者が出てからのいわゆる消毒措置等は、ほかの消化器系の伝染病と同様にやる。ただし、治療の問題でございますが、これは従来のように、他の赤痢、腸チフスのごとく隔離だけをして、今わかっておる抗生物質等の治療をすれば、大部分が二週間ないしは腸チフスでも一カ月で回復をするというのと違いまして、これは非常にむずかしい治療法が要るものであります。単なる隔離だけでやりますと、かえって入れられた者が不幸に陥るおそれがあるということで、この隔離収容につきましては、小児科、それからある程度まで治療が進みますと、歩行期にマッサージその他の治療を入れますので、整形外科的な総合的能力のあるところでやる。そこで伝染予防の措置ができれば、従来の他の伝染病ほどこの点だけに、いわゆる隔離ということだけにあまり重点を置かない方がいい。置き過ぎて殺してしまってはならぬので、このような形、その点は違った方法をとっております。従いまして、質的に非常に気の毒なものが量的には比較的少数発生するというような点で、この予防法に非常にむずかしい点があるわけです。  これは日本の倍ないしは二、三年前までは数倍の臨床発病例を持っております欧米諸国でも、長い間苦労したわけでございますが、ようやく今の予防接種というものが発明されまして、これを数百万例にやった結果、全体の臨床発病例を半減することができるという結果がアメリカでも出ましたので、日本もそういうものならということでこれを取り上げまして、現在国立予防衛生研究所でこれをまず国産をするということをすでに始めておりまして、これは三十三年度予算から始めまして、現在これが、秋になりますと最初の七千五百人分がようやくできる、こういう形になっております。そのほかに、それでは間に合いませんので、外国製の予防接種薬を日本に入れる。ただし、これはあくまで、やりそこないますと人為的に麻痺患者を作ってしまいますので、これは規定に基きまして外国から入ったものも国産品も厳重な検定を繰り返す、これを通過したものだけを使うということで、ことしとりあえず五万人分がもうすでに前に入りまして、五月に検定を終り、六月に第一回分、それから一カ月おいての第二回の接種ももう終ったと思います。五万人は全国的にこれをやりました。第三回目の追加接種が要るわけでございますが、これは七カ月後にやるということで、この分は来月入ってきたものを検定いたしまして十分間に合うように、今五万人についてはやっておるわけでございます。  しからば、三才以下の人口が四百五十万もある。まず、これを全部検査いたしますと、半分くらいは母親からの免疫が一才の間続いている。二才、三才は不顕性の免疫をその間に受けてしまうものがありまして、予防接種の対象は半分になりますけれども、これは厳重な検査が要りまして、全体の対象にしない。それに対してわずかな五万では、全くこれは話にならぬという問題でございますが、ただ、ワクチンの研究にはサルの腎臓を使ってやる。それから、その培養法には非常に最高級のヴィールスの培養方法が要る。検定にもそれぞれサルの腎臓そのものを使わなければできぬということで、最大限いろいろと努力の結果、現在の能力精一ぱいということでございます。従って、これの増加、強化を今一生懸命やっておるわけでございます。来年もそれの可能な範囲の拡充をやり、この予防接種ワクチンを重点的に一番危険なところにやろう、こういう一般的な方針でございます。  それから、今御指摘の江東区に出ました、南砂町地区を中心にして出ました集団発生でございます。これは十二名現在は聞いておりますが、このほかに全国で約四地区すでに集団発生しておりまして、一つは八戸市の、これは数年前にも出したのでございましたが、約三十名前後、それから新潟県の長岡地区にやはり二十数名、一番最近で非常に勃発いたしましたのが、神戸市の長田地区で、これが数十名で、これは昨日調査団が帰って参りましたのであります。今おもな地区は、そういうような地区に出ております。これは非常にゆゆしいことでございまして、みんな三才以下が中心でございますが、一般の顕性、不顕性の比率を突破いたしまして、二倍、三倍というのが出て参りました。従って、その原因を今追及中でございますが、大体いずれも環境衛生が適当でない、下水、排水等がないというような、一般的な条件はやはりそういったところでございまして、それがある免疫との特殊なバランスで非常にかかってきた。もちろんヴィールスの散布度も強かったと思います。  こういうことでございまして、なぜこういうふうにここに勃発したかということは、今も最高の権威者も行ったわけでございますが、結論は、今まだ研究中でございまして、明確なものは出ませんが、その基本が環境衛生を直すこと、それから患者を今度の指定に基きまして隔離して、費用等に困らぬようにして、適切な治療と、ほかの子供にうつさぬような隔離処置をする、これは万全を今期しております。東京都でも、大体その点は厚生省通り、ほかに手はないものですから、これをやる。それから、できるだけ、今度入ります予防ワクチンを、そこには他の地よりも濃厚に配付をする一番まだかからぬで、しかも恐怖にさらされておるものでございますから、ここに重点的に、できれば心配な三才以下の子供にはみんなやりたいという計画を今いたしております。
  142. 片岡文重

    ○片岡文重君 大へん懇切な御説明でしたが、何か私ども聞くところによりますと、この病気は生活状態もよく、栄養状態もよろしい人たちの間に、比率からいえば発生率が多い。他の伝染病のごとく、衛生環境の悪い、栄養の不足しておるような、いわば肉体的に疲労こんぱいしているところに発生する病気ではないらしいというふうに聞いておるのですが、それは通説のように伺っておるのですか、しかし、大へん失礼ですが、江東地区その他発生した地を見れば、必ずしもそういう地帯のみとは言い切れない。むしろ逆に、他の伝染病と同じように、今局長の言われたように、排水の不良、環境衛生面からいって必ずしも好ましくない地帯に多量に発生している。これは現実に起っている問題ですから、大体栄養状態がよろしいとか、生活環境がよろしいという所にわくのだということも、実験研究の結果でしょうけれども、現にわれわれの目前に起っているのは、それに反する事態です。従って、今までの通説に従ってとられた対策では、やはり間違ったところが出てくるのじゃないかと思う。従って、こういう点で現に起りつつある事態をさらに究明していただいて、発生する地帯がどういうところに起るのか、全くの特異なものであって、今起っている事態は前例もないし、将来も起らないであろうという見通しがあるならともかく、やっぱりそういう断定ができないならば、最近の事態に立って対策を立てられるのが私は一番正しいと思われるので、そういう環境衛生の面からいっても好ましくない、また栄養その他からいっても好ましくないところに発生することも大いに考慮されて、その対策をとられるべきではないか、これが一つ。  それから、御承知のように、日本の身体障害者の収容施設、福祉施設というものはきわめて貧弱であります。一たんこの小児麻痺等のごとき不幸な病気にかかって、不顕性感染であるならともかくとして、明確な顕性感染をされた場合には、これは本人が非常な不幸に陥ることはもちろんのこと、その病人の発生された家族も、はなはだしい場合には婚期にある娘さんが婚期を逸する、嫁さんももらいそこなうという事態まで発生してきたり、そのお子さんがあるためにせっかく働いておられた奥さんが働きに出られない場合が起る。いろいろな不幸な事態が起っております。それらに対する者施設についてもこの際やはり考えておかなければならぬと思うのですが、今の場合はそこまで私は発展をさせるつもりではないのですけれども、そういう点等も考えて、今、濃厚な危険な地域にソーク・ワクチン等も配付される。また、国内の生産もだんだん可能になってきたというお話ですが、費用の点が相当まだやはり高いのではないか。今市販では三人分で九百五十円とか九百円とかいっておられましたが、これは経済生活の豊かな御家庭ではそれほど苦痛ではないでしょう。しかし、生活保護を受けるとまでいかなくとも、要するにボーダー・ライン層、それに近いところにはこの費用の点等についても相当見てやらなければならぬのではないか、こういう点についてどういう対策を立てておられるか。  この二点について一つ
  143. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 最初の御教示の、日本の実態と従来の通説との関連でございます。これは確かに、今までは比較的、外国等の例でございますが、グループで検査いたしますと、免疫が割合とできない、すなわち環境がよくて感染のチャンスが少い富裕の生活の者が、五才、六才というふうに、人口がたまったものが相当、まだ免疫ができておらぬというところに入った場合に非常に多発するということで、一見それだけ見ますと、かえって金持階級の方がよけいに多発するという例がしばしばあったものでございますから、そういう例がございますが、しかし、これは免疫を論ずる場合には二つがあるのでございまして、そういうような免疫ができないような状況にあったものに入った場合に多発するという場合と、一般的に同じような条件の場合は、むしろ早く免疫ができるからには、免疫ができる過程において犠牲者が出る。今の頭性が百分の一でも出てくる。日本の実例は後者でございまして、大体富裕階級あるいは上流の階層の住宅地域に多発しておるのではなくて、お話通りでございまして、私どもも最近の対策は、昔の通説ではなくて現在に合したようにやっておりますので、御了承願います。  それから、予防接種の費用でございますが、これは何といいましても、チフスその他と比べまして、非常に高い。どうしても千円の単位ということになりますので、いかにかわいい子供でもということがあって、私たちも非常に困っておるわけです。しかしながら、これをたとえば臨時接種法、伝染病予防法を独自に発動いたしまして、相当のものにこれをやるからには、だれでも受けられるように材料を確保いたしませんと、特定のもので、しかも危険度というのは当然、八戸のように起りました場合にはいいのでございますが、その他の場合は、貧富の差で直ちに論ずるわけにはいかないというので、国費、公費で直ちに予防接種を全部肩がわりするというには、あまり確保量が予定の何十分の一でございますので、これはできない。そこで、今の伝染病予防法で適用できる範囲、八戸なら八戸のように集団を指定いたしまして、地域指定した場合にはこれは可能であろうかということで、こういうことで、重点的に、困る人で、しかも危険にさらされたものの予防接種ということを個々に考えていきたい、こういうふうにやっておりまして、これは可能であろうが、しかし、江東地区に十二名おるから、江有区の約二十万の中に含まれておる何才以下のものに全部公費でやるということには、これはちょっと現在まだ無理があるということでございます。
  144. 片岡文重

    ○片岡文重君 かりに千円として、三才未満が四百五十万とすれば四十五億でしょう。これは三才未満の幼児には少くとも全員はやることができる、一人当り千円と見て。そうすると、不幸にして罹病し——罹病というよりもむしろ罹災ですわね。一つの非常に大きな災難ですよ。こういう状態に陥って、しかも成人をしても、学齢期に達しても、普通学校には行かれない。しかも、養護学級等については、あるいは特殊学級等については、全国にきわめて数が少い。今度は成人してもこれらの人たちの仕事する道もない、収容施設もさっぱりない。こういう将来のことを考えれば、やはり一人でも少い方法をとることが大事であるし、かりになった者を今度全部収容することになれば、四十億や五十億の金で、今全国的に養護学級を設けたり、特殊学級を作ったり、身体障害者施設を作るなんていうことはできないということになれば、これは年々にはなるかもしれませんが、四十億、五十億の金があるならば、とにかく一応一番危険のある年令の全児童について国費をもってやれるというのであるなら、私はそのくらいの積極的な予算は要求をされてもよろしいのではないかと思うのですが、局長のお考えいかがでしょうか。
  145. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) とにかく気の毒なものでございますから、国費なり公費で有効なものを全部にやれれば、これにこしたことはございませんが、何といたしましても、これは今生産量の確保に世界的に限度がございまして、急激に四百五十万にはとてもできない。今の五万を来年十万に、国産にこれを一応置きかえることさえ、金の問題でなくて、いろいろな能力の問題、ことにサルの問題でございます。これでできない。アメリカもこの間、実は予約しておりました五万さえ、次に入る五万さえアメリカで足らなくなってしまって出せぬというような話が出まして、これはようやくもとへ戻りまして近く入ります。が、さような状況で、製造能力が世界的に行き詰まっておる。とにかく大事な病気で、しかも予防がきくということになったのでございます。皆でやらにゃいけません。さようなことで、ただ四百五十万の金をとりましても、使えないわけでございます。とてもだめで、むしろ供給能力の中で、今の金がなくてみすみす指をくわえねばいかぬという者に限定をいたしまして、重点的に考えるというのが、今のところはどうしても妥当かと、こう存じております。
  146. 片岡文重

    ○片岡文重君 ワクチンの生産能力が間に合わないということであるならば、やむを得ません。しかし、これはやむを得ませんといって済まされる問題ではありませんので、ここで技術的な面で討論しておってもうまい結論が出ないと思いますから、いずれまたゆっくりした機会に、公式の席上ではなしに御意見も伺いたいと思いますが、しかし、こういう不幸な病気で、予防できるという今日の医学水準に達したのですから、あとはその技術的な面でこれがカバーできるかできないかというところになっておるのですから、現在の生産設備でできないならば、その生産設備を拡大するように、これはどうしてもサルの腎臓だけだということが通説のようでありますが、それならサルをたくさん飼って、サルの腎臓をたくさんふやすというようなことで、とにかく何らかこれはやはりやらなければ、非常にかわいそうなものですから、せっかく大臣も新しくなられて、張り切っておられるようですから、新しく何かやりたいという意欲のあるところで、こういう問題も、ぜひ突っ込んでいただいて、事柄が小さいというようなお考えを持たないで、ぜひ積極的にやっていただきたいという御要望を申し上げて、質問を終ります。
  147. 吉武恵市

    ○吉武恵市君 ただいま片岡さんから、小児麻痺についての御質問がございましたが、私も全く同じ感じを持っておるわけであります。山口県は特に昨年、一昨年非常に集団的にできて、非常に恐怖になった状況もございますが、一般の感じは、もうかかったらおしまいだ、それから原因もわからないらしいということで、非常に不安を持っておるわけです。最近ワクチンもできたと、こういうことですが、すぐにといってもいろんな施設が間に合わぬかもしれませんけれども、これは一つ政府としては速急に全力を注いでそのワクチンの製造をふやしていただいて、全部にといっても無理でしょうが、しかし希望する者があれば少くとも希望に応じられるだけのことはやっていただきたい、かように存じます。  それからなお、この小児麻痺の研究というものが政府でおやりになっているか知りませんが、私どもの感じから見るというと、どうもこの病気は原因がよくわからないというようなことで、まあほんとうに治療ということあるいは予防ということに真剣にまだ確信を持っていないような感じを、まあ私自身かもしれませんが受けておるのですが、もし研究に足らざるところがあれば研究費も相当お組みになって、一つ御研究を進めていただきたいと、かように存じますから、関連して申し上げておきます。
  148. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 各委員の発言を大臣にもよくお伝え願いたいと思います。   —————————————
  149. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは次、拓洋問題に入りたいと思いますが、引き続いて御質問を願います。
  150. 坂本昭

    坂本昭君 去る八月の三日、国立の第一病院で拓洋丸の首席機関士永野博吉氏が急性骨髄性白血病で死亡せられ、目下放射能障害かどうか調査中であるという記事を拝見いたしました。まことに、第五福竜丸のとき以来、われわれとしてきわめてショックを受ける事実でございます。このことにつきまして、所管の海上保安庁から御説明をいただきたいと存じます。
  151. 林坦

    説明員(林坦君) 海上保安庁におきまして、昨年七月の三日に測量船の拓洋及び巡視船の「さつま」という二隻を、ちょうど国際地球観測年計画に基きまして、赤道の海流調査のために出動させたその際に、七月十四日に拓洋はエニウエトクの環礁のところで、米国が原水爆の実験をいたしましたために、設置してあった危険水域の外側を通っておる際に、たまたま雨水から一リットル当り毎分十万カウントの放射能を検出したので、急ぎ海洋観測を中止してこちらに帰ってくるようになった。その同のいきさつにつきましては、すでに前の国会のときに私の前任者から御報告申し上げてある通りでございます。その後、昨年の八月の十一日に、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会というのが厚生省に設置されておりますが、いろいろの研究調査の結果をそこにかけまして検討をしていただきました。そしてその際、現在放射線の障害があるという所見は得られないということ、それから放射能調査の結果は乗組員に対する精密検査の必要はないということ、それから両船に残存しておる放射能汚染は、海上保安庁の指示と乗組員の措置が適切であったため、現在きわめて軽微で、居住性に支障はないという結論的な所見が述べられたということにつきましては、国会に御報告申し上げてあった通りでございます。  さらに、海上保安庁といたしましては、この健康管理の万全を期しますために、昨年八月二十七日及び二十八日の両日にわたりまして、白血球の数の比較的不安定と思われた者を特に十五名選びまして、再検査を実施いたしました。しかし、その際には異常者は認められなかったのであります。従って、当時放射能によって健康を障害されたと認められる者は当時はなかった。それから、昨年の十二月の十九日、これは拓洋乗組員及び観測員に精密検査をもう一度実施いたしております。これは一般的な診察のほかに、血液あるいは尿、その他赤沈その他の検査をいたしておるのでありますが、異常は認められなかったというのが、そのときの状況であるように報告を受けております。  また、ことしに入りまして、ことしの六月に一般の定期身体検査を実施いたしました。しかし、その際も異常は認められておりません。ところが、先般新聞に報道せられました拓洋の乗組員の永野博吉保安官は、急性骨髄性白血病という病名のもとに死亡いたしました。  この間の経緯につきましては、医師の話によりますと、永野保安官は七月の二十二日ごろから出血の傾向があったということで、二十七日に東一病院で受診いたしました結果、入院を勧められまして、たまたま病床の都合もございまして、東京女子医大に入院し、そして療養しておりましたところ、二十八日の夕方白血病の疑いを持ったということでありまして、その後白血病と診断されまして、八月三日に今度は東一病院に移りましたが、その日の十四時東一病院で死亡したということであったわけであります。  それで、この結果につきましては、現在私どもといたしましては、八月三日から八日まで、この観測員及びその乗組員につきまして、大体、もうほとんど全部と申し上げてもいいのですが、ちょうど東京におらなかったというような者がありますので、拓洋につきましては、当時拓洋乗組員のうちで東京在京といいますか、東京勤務の者につきましては、もう今日までに精密検査を実施いたしました。その結果につきまして、門口原爆被害対策に関する調査連絡協議会というのの医学部会というのが開催せられることになっておりますので、そこに資料等も出されて検討されるはずでございます。当庁といたしましては、その結果に基きまして、拓洋の今後の行動その他も決定したいと考えております。  以上でございます。
  152. 坂本昭

    坂本昭君 実験をするので航行の禁止にされておった所から、ずいぶん離れた所を航行しておって、ちょうど第五福竜丸と同じような条件で、しかも相当量のカウントの雨水を船がこうむっておる。あと急性白血病でなくなられた方がどういう原因であるかということは明日の調査連絡協議会で判明するとそういうお話に承わりましたが、第五福竜丸のとき以来、しばらく、われわれが忘れておったのではありませんが、しばらく忘れかかった問題が再び出てきた。そういう点で、正確な科学的な調査の結果ほんとうに放射能障害によるものかどうか、われわれとしても明日の結論に基いて、あと海上保安庁の船の航行の問題、あるいは実験に対する問題、そういう点について十分検討を要すると思います。  そこで、実は最近のど元過ぐれば熱さ忘れるで、死の灰の問題について、先般も広島で原水爆禁止世界大会があり、ああいう場合には全国民あげて非常に深刻に考えるのでありますけれども、ともすれば忘れがちになっておる。特に昨年の十月以来は、原水爆の実験は今までにない回数を重ねております。そしてその結果、最近の死の灰の分量というものはおびただしいものである。先般、ことしの三月の予算委員会で公衆衛生局長に環境衛生の立場でこの死の灰について質問を申し上げたところ、きわめて不十分な説明しかいただけなかった。さらにこの対策として、厚生省として予算的にもほとんど何ら予算を組んでいない。また、公衆衛生局として、環境衛生の問題として重要視しておられない。はなはだ遺憾に感じた次第であります。  で、拓洋丸のことについては、明日の決定に基いてあらためて私たちは自後の措置についてはお尋ねしたいと思いますが、公衆衛生局長に、一体、現在の死の灰についてどういうふうに調査しておられるか。そしてさらに、それに対してどういう方針を持っておられるか。特に学術的な面では、学術会議に全部一任しておられる。あるいはまた行政面においては、科学技術庁にただ一任しておられる。しかし、われわれが一番必要とするのは、毎日米を食べ、牛乳を飲み、そして私のように帽子もかぶらんで歩く人間にとって、この死の灰がどういう影響を与えているか。それについて、厚生省自身が科学的なデータをどういうふうにつかんでおられるか、またそれに対してどういうふうな措置をしておられるか、そういう点をこの際明らかにしていただきたい。
  153. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 林長官から補足説明を要求しておられますから、その前にちょっと。
  154. 林坦

    説明員(林坦君) ただいま私説明を申し上げましたうちで、ちょっと言い足りなかった点があるのでございますが、明日の協議会におきましては、一般的に拓洋の乗組員全般について精密検査をいたしました結果についてのものがかけられるのでございまして、永野博吉保安官のこの原因につきましては、もう少し日にちを要しますので、大体私の聞いておりますところでは、一カ月くらいかかりそうだということでございます。
  155. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) ただいまのこのフォールアウトの放射能、空から降る方でございますが、これの現状の分析と対策については、厚生省は現在非常に熱心にしておるつもりでございまして、ただこの点の予算に現われるとかという点で、確かにそれと結びついておらぬというふうに誤解を受ける点がございます。これは厚生省としては、やはり国民一般のこれによる被害を、常に実情を明らかにして、それに対する対策を立てるというのは、これはもう当然でございますが、ただ、現在政府部内の分担といたしまして、これに対する調査予算というようなものは全部、科学技術庁で一括してとる。それから、それのプランも、農林省は動物にあり厚生省人間にあるというように、いろいろな調査機関あるいは対策機関があるわけでございますが、これを全部一括いたしまして査定なりあるいは取りまとめの要望をするという形で、この予算措置とか、それからテーマの分配というようなことは一応科学技術庁でやる。また、予算の組み方も、そこに大部分が行くものでございますから、ちょうど厚生予算の中にどれだけ入るかという点とうまく合わぬ点がございますが、しかしながら、そのきまったものの中で厚生省が当然やらなければいかぬ、国民の被害を常に把握するという点で厚生省の分担すべき部面は、これはその線に沿って熱心に、やっておるわけでございます。  具体的に申しますと、現在厚生省のいわゆる直轄機関ないしは保健衛生の機関でやっておりますのが、水と土壌と食品につきましては、現在は、全国的でございますが、九地区の地方衛生研究所、これを督励いたしまして、その土地の継続調査を続行いたしております。それから国では、そういうような地研で出ましたむずかしいような分析その他は、今度は国立の衛生試験所に材料を送る、あるいは予防衛生研究所と関連のある食品等のものについては予防衛生研究所に送ると、こういうふうな形で国の直轄機関とも連携をとり、それ以外には、われわれの方は非常にデータをとりますが、直轄機関ではございませんが、気象庁の測候所が、全国で十三測候所が、雨水と空気の分析を常時やっております。このデータは、科学技術庁の方に送られると同時に、われわれの方にも来ますので、これと地研でやっております水と土壌についての関連を明らかにするという形になっております。なお、海上につきましては、これは海上保安庁の方でございますが、水路部で海水の研究をされております。これもやはり関連性がございまして、それぞれ独立では意味が少くなるので、お互いにこれは必ず交換する。ただその場合には、必ず科学技術庁で仲立ちをしてこれの取りまとめをする、こういう形になっております。  なお、そのほか、かなりの数の国の直轄機関、たとえば八つの農事試験場、それから八つの水産試験場、これがそれぞれの地域の魚類その他、これはもう定時検査をやっておる。それからそのほかに、われわれの方では、これは定時検査というよりも毎月一定数を—大体月に二十から三十見当でございますが、魚河岸で上る今の一番関連のあるマグロ等の肝臓を切り出しまして、これを衛生試験所に持って参りまして、これの放射能検査を、これはもう何年か、現在も続行いたしております。  こういうような形にいたしまして、監視機構といいますか、放射能のあび方の変動状態をつかむ。それに基きまして、いわゆる許容量との関連がどういうふうに近づきつつあるかというような分析をするわけであります。これの判定は、むやみに各個の見解でやりますと、これは国民に不安を来たしますので、これに対する見解の統一は、原子力委員会の中の放射能調査部会というところでいたしております。これは都築先生が部会長でいたしておりますが、これは正確にいいますと、原子力委員会放射能調査専門部会、ここで統一いたしまして、私どももこれの委員として参加いたしまして、適時開かれますが、これで情報を交換する、こういうふうになっております。  それからなお、このためには必ず研究が必要でございます。というのは、許容量にだんだん近づいていくのに、その除去方法、それからその防止方法というものが、決定的なものが遺憾ながら過去においてまだそれほど出ておりませんので、常時研究を続けなければいかぬということで、研究費が相当要るわけです。これは厚生省厚生省なりに、厚生省の関連のところが分担すべき研究費を算定いたしまして、これを予算といたしまして、科学技術庁にまとめてこれを各省から提出する、こういう形になっておりまして、これは最初から科学技術庁の、行政責任が向うだという意味ではなくて、ただこの問題は各省が協力して連携を保ちませんとその効果が非常に薄いわけでございますので、さような形でやっております。  それから、厚生省として、なお来年度の予算との関連で一そう機構を強化する問題でございますが、これは今の地研の、九地研でブロック的にやっておりますが、これをもう少し追加の必要を感じております。これは灰の降り方のデータの入手のために、これを三地研追加すること。それから特定の地研ほどでないけれども、せめて雨のカウント、これは全国的にむらなく常時調査ができるように、四十六都道府県あるわけでありますか、この地研全体に近くカウントのできるような設備の不足なところは追加いたしまして、現在、すでにもう二十幾つは実際にはやっておるのでありますが、ある程度までのカウント検査はできるようにする。そのためには公衆衛生院が、ことしからいよいよ発足しておりますが、公衆衛生院のこの方の訓練部を、放射線の従事者の訓練部を来年度拡大する、こういうふうにいたしまして、われわれの方の所管であります府県の衛生行政当局がもっとこの仕事にタッチできるようにということを中心に考えております。  それから、もちろん、直轄機関の研究内容の拡充につきましては、予算をもりすでに相当積算いたしまして、これを現在科学技術庁に取りまとめて要求中でございます。先般第一回の説明会は済んだわけでございます。
  156. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 ちょっと関連して。今お聞きいたしまして大体わかりましたが、二つだけ教えていただきたいと思います。科学雑誌とかその他に出てくる放射能の灰といいますか、そういうものが空中を気流に乗って地球のぐるりを回るというような、絵や雑誌の解説が出ているわけです。だから、そういうものが気象庁や海上保安庁その他で明確になれば、大体どこで実験されたものがどういう経路を経でどこに濃度のものが落ちてくるか。たとえば雨になるとかいうことが、簡単にわかるかどうか、これに基いて対策、研究をされているのかどうかということを、一つ聞きたい。  もう一つは、もっと単純なんですが、国際地球観測年の調査にお行きになった。しかし、アメリカは無警告だったのか、ある程度わかっていたのかわかりませんけれども、その危険区域とか、この前の第五福竜丸のときもそういう危険があったわけでありますけれども、そういう危険な海域といいましょうか、安全だといっても危険があった海域にまでなぜそういう船を出したか、そういうことは事前に調査されなかったのか、そういう対策をお立てにならなかったのかどうか、そこの点がわからない。  この二つだけ、ちょっと関連して聞いておきたい。
  157. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 第二の問題は海上保安庁の方のことでございますので、第一の問題をお答えいたします。現在までわかっておりますことで、われわれ集まった資料で読みまして、あるいは話を聞いてわかっておる点は、やはり地球全体が同じ濃度で成層圏がおおわれておるのじゃなくて、大体赤道から北の方、何度でございますか、ちょっと正確な度数は忘れましたが、北緯何度の範囲のところが一番濃厚な帯で包まれておる、こういうことはわかっておるようであります。ただし、それがどちら側から来たものか、地球が一定の方向に回転しておりますが、それとの関連はまだ——あるいはわかっておるのかわかりませんが、私どもの方はまだそこまではつまびらかにしておりません。それから海流の方も、これは赤道の反流と普通の流れがあるので、それとの関連でやったところが、一定の方向で流れておるということは聞いておりまして、概して日本は上の方も、それから海流の方も、比較的不利なところの場所にあるのだというふうに大体知っておるわけであります。
  158. 林坦

    説明員(林坦君) 当時、私は在職しておりませんでしたので、詳細なる事情はちょっとまだ研究いたしておりませんが、私が聞いておるところによれば、国際地球観測年の計画に基きまして海洋部門の観測の赤道海流調査を行うというので、赤道地方を調査いたしますことは、海上保安庁の仕事としても、黒潮の関係上いろいろな関係もありまして、必要なことであるというので、計画が立っておったようでございます。で、当時、拓洋があちらの方に参ります場合には、一応その危険水域外を迫るということであって、もしその際にもそういう危険な—危険といいますか、放射能の多い雨などにぶつかった場合には、注意をして直ちに引き返すように手配をするように連絡をとりつつ来たったようでございます。当時これが突然でありまして、こういう結果になったのでございまして、私どもの方といたしましては、当時危険があるとは考えていなかったわけでございます。注意をしながら措置をするということ、さらにその上に注意して出したと、こういうふうに聞いております。
  159. 坂本昭

    坂本昭君 関連して。先ほど公衆衛生局長説明では、死の灰の検索の組織機構の説明をいただいた。それからまた、予算がどういうふうに配賦されておるかということで、その点は納得いたしました。しかし、ただいま藤田委員質問にもあったように、どういうふうに分布されておるか。去年の国連科学委員会の報告では、北緯三十度付近が多いということ、それから米食国民の方が牛乳、ミルクを飲む人よりも六倍ストロンチューム90が摂取されておる。こういうことは国連の科学委員会からわれわれは教えられたことであって、せっかくそれだけの大きな組織と万全の策を講じておられるといわれる厚生省であるにかかわらず、われわれは厚生省から何らの注意も受けておらない。そういうことが同時に、今の拓洋丸が悲しい事実になるかどうか調べてみなければわかりませんが、そういう点の十分な国民に対しあるいはその他の官庁に対する指摘が行われていないのではないか。たとえば原子力委員会におられる檜山教授のきわめてわかりやすい言葉として、あのビキニの実験のときに厚生省が指導してマグロのカウントを調べたが、あの当時の一人前のマグロの刺身の中で一番危険な灰の分量、当時廃棄された一番危険な分量程度の死の灰を、われわれはすでに一般の米食の中で食べている、一ぱいの飯の中で食べている、そういうような説明も聞かせられて、なるほどこれは説明を聞かせられたら非常におそろしいのです。おそろしいことだけれども、やはり事実は事実として厚生省がこれを指摘し、そしてかつこれを研究し、さらにこれが対策を講じていただかなければならない。そういう点で、せっかく今大きく地方衛生研究所あたりでもやっているというが、どうも私は寡聞にしてあまり聞かない。また結果がどういうふうになっているか、特に国民に対して、よその雑誌とかそういうものでなくて、いわば厚生白書の中にでも盛られて忠告をしていただきたい。そういう点でのデータを局長から一つ……。
  160. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 確かにお説の通り厚生省ももっと厚生行政の中でできるだけのPRをしなければいかぬと思いますが、実は今の地研等で、厚生省が従来やってきましたものも含めまして、本年の四月に、これはやはり政府機関として発表するには個々の見解ではいかぬ、同じ空でございますからということで、これも実は協力いたしまして、一切のわれわれのデータを整理して集められて、やはり発表は原子力委員会でやるということで、全部協力いたしまして、今年の四月に放射能調査の展望というものに厚生省の分を全部入れまして発表され、さらにPRのためにも同じ形式をとろうということで、六月十一日の官報にもこれの要約が、厚生省の分も十分入っておりますが、要約いたしまして、六月十一日号の、官報の付録で放射能調査の展望という、これは全国に官報の配付部数だけ全部配られております。これによりまして大体今のお説の内容は、おもな点は、これは非常にわかりやすく要約して、これは厚生省もむろん参画いたしまして統一的な発表をし、PRをしたわけであります。従いまして、これに基いて厚生省厚生省なりのもちろん行政施策はしておるわけでございます。  この内容につきまして、たとえば米等の問題は、今の原子力委員会の専門部会にかかる前に、最近は閉口開かれます原爆被害調査の医学部会という権威者を網羅したものがございます。環境衛生部会、食品衛生部会がございますので、これにまず厚生省の手で集めたものをかける。委員には各省からも来てもらっておりますので、そこでまず検討してある程度出たものを、今後一段上の原子力委員会に出す、こういうことでございます。そこで検討の結果、取るべきものは大体取り入れるという形にいたしております。ただ、PRの点は、何も一省だけでなくて、背馳しない点は発表された中でさらにまたやる分には、これは意見が違うわけでないので、この点はまだ欠けているところもあるかと思いますので、その点は十分PRに尽力いたしたいと思います。
  161. 坂本昭

    坂本昭君 なかなか死の灰の問題のPRについては、政府としてもいろいろな面で慎重ならざるを得ない点があるかもしれません。これはわが日本国民だけじゃなくて、全世界の人にとって貴重なことであるし、特に日本には北緯三十度付近において相当量のものがあるし、特に米食国民として非常な危険にあるということだけは、率直に私は忠告を発してもらいたい。  なお、今度の拓洋丸の犠牲者であるかどうか判明しませんが、原爆の医療の問題について、これは厚生省が直接責任を担当しておられますが、従来の原爆医療法に基く医療の実情を見るというと、どうも認定が科学的にも厳格に過ぎるのではないか。たとえば原爆医療法の手帳を持っておられる方が、たしか二十一万五千程度おられると思うのです。ところが、これは広島の実例ですが、三十二年の四月一日から三十四年の三月三十一日までに、医療法による治療認定の対象が累計わずかに一千三百十五、これは広島市です。それから全国含めても、たしか二千五百名程度ではなかったかと思います。非常に少い。そのためには、御承知通り、予算が三十二年度の一億七千万が三十四年度には一億二千万と減ってきておる。しかも、これは余っておる。しかも、患者さんの方ではもっと医療をやってもらいたいという要求がある。たとえば、白血球数にしても四千以下一万五千以上というふうな規定があるために、四千より少し上くらいで、実際は原爆を受けていろいろな障害があるにもかかわらず、医療の対象になっていない。あるいは胃ガンの患者さんの実例、これは長崎、広島で最近各一名あげられています。ところが、胃ガンというものは、これは原爆症と関係ないということで、医療法の対象からはずされておる。ところが、実際、最近の詳しい調査によると、特に被爆の中心地から一・五キロメートル以内、そういう所では、肺臓ガンは従来非常に高率だといわれておった。ところが、肺臓ガンだけじゃなく、胃ガンも子宮ガンも、その他各種のガンについても、やはり頻度が非常に高いといわれてきた。そうすると、胃ガンだからこれは原爆症の対象じゃないということじゃなくて、やはりこの対象になってくるんじゃないか。  もちろん、科学的な厳密さからいいますと、原爆を受けたことのない人の中にも数%の発生率はある。それが原爆被災地においてはその三倍も四倍も五倍も高い。そうした場合に、高い中には、被爆を受けなくても発生した人もいるかもしれません。これは神様でないとわからない。ところが、神様でもないとわからないけれども、今の医療法は認定がきわめて厳格過ぎるという点で、私はこの認定のやり方について、医学的にも、また原爆の被害者の人をほんとうに救うためにも、改める点があるのではないか。  それから、もう一つ、長崎駅の庶務係長が、これは原爆を受けた人ですが、きわめて健康であったので手帳を持っていなかった。ところが、最近急性出血病で急死した。その手帳を持っていなかったために、医療の対象にならなかった。  こういうような、原爆医療法があるにもかかわらず、きわめて不備な点が多い。これについてどういうふうな具体的な対策を持っておられるか、承わりたい。
  162. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  163. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) では、速記を起して。
  164. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) 現在の状況でございますと、二十一万七千名、七月三十一日現在で手帳を交付済みでございますが、それに対して現在までの医療法に基く医療の認定数が三千二十五名。これを取り扱います原爆医療法の指定病院が百四十、こういうふうになっております。従いまして、手帳交付と認定数の間に非常な差があるようでございますが、これに対しまして、医療の認定の前提になります健康診断、これは相当数行われておりまして、三十二年度に一般健康診断八万八千、それから三十三年に九万六千、それから三十四年はまだ途中でございまして、まだ三月しかたっておらぬ時期でございますが、九千二百、これはおそらく同じ数以上になると思いますが、こういうふうな形で、結局は健康診断をいたしまして、その中からさらに精密検査がまたその何%かが行われる、そうしてその認定を受ける。こういう形になっております。  要は、この手帳を受けた者はとにかくあの土地で条件通り被爆した者ということで、その中のどれだけ、この医療法にあります原子爆弾の障害作用に基因して負傷しまた疾病にかかる、こういう直接のものと、それからそれに関連のない病気であるが、当時受けたために治癒能力が障害されて、その病気が人並みになおらぬ、あるいは悪くなる。この二つに限定しておるわけでございますが、これを、とにかくあのとき受けた者は、現在もっと別な病気、かぜとかいろいろな、これは極端でございますが、結核とか、こういうものまで医療法で見るか見ないか、こういうことであろうかと思います。現在は、少しでも関連がありまして、確かに何か関連がある、立証的にあるというようなものは、極力この認定の対象にするように指導いたしておりますが、ことに先ほど白血球の数がこれ以上はという問題がございましたが、われわれの方の最近の業績ではそういうようなことはやっておりませんので、白血球数そのものの数は、この線を引く問題にはいたしておりません。やはりこれは総合的な問題で、関係があるかどうかということの認定をいたしておりまして、極力広げるようにいたしておりますが、ことにガンの問題は、最近はできるだけそういうふうで極力結びつくものはぜひ結びつくような解釈でいくように、審議会の零歳も、政府側の希望としてはそうであるということの前提において御審議を願っておるわけです。  ただ、いつも問題になりますのが多い結核でありまして、結核が、その人が十四年前に原爆を受けておった。その後、年がきて結核にかかった。その結核それ自身が、これと関係があって原爆医療法で見ますとなると、これはもう相当範囲は大きくなります。この結核のような、また類似のものもございますが、こういうような問題の場合には、まだ結論が出ない。ある程度納得のいくものは兼症として見る、こういうことでございます。たとえば肝臓障害がある程度あるという場合には、肝臓障害と兼結核という形で、大体対象に取り上げよう、こういう形で審査はお願いしておるわけであります。
  165. 坂本昭

    坂本昭君 今、局長の御説明がありましたが、現地の実際は、ことに医師の間の実情を聞きますと、やはり白血球の数そのものだとか、そういうものにとらわれておる傾向が非常に強い。そのために、実際の医療を要する患者が医療の対象からはずれているように、私も感じ、医師自身がやはりそういうことを訴えております。  それから、社会局長、来ておりますか。
  166. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 来ています。
  167. 坂本昭

    坂本昭君 最近の広島の実情を見ますと、広島の市民のうちで現在被爆者が二五%程度にすぎない。ところが、夫対労務者のうち被爆者が四二%を占めている。非常に生活の困窮者が多い。これはいろいろな面で原爆患者の援護の問題に関連することでありますが、特に生活保護を受けている人もかなりあると思うし、広島あたりでは、朝鮮人諸君は被爆者の手帳も持っていない。こういう人たちは、おそらく一部は生活保護を受けているのではないかと思われる。従って、この原爆を受けた患者さんに対するところの医療の問題が、一応医療だけは片が—これも十分しさいに点検すると片がついていませんが、生活の問題に対して厚生省当局としてどういう考えを持っておられるか、その点だけ公衆衛生局長並びに社会局長に伺っておきたいと思います。
  168. 尾村偉久

    説明員(尾村偉久君) この原爆被爆者の生活問題について考えますと、二つあるわけでございまして、一つは、その原爆によって現に何かの障害を受けておりまして、原爆医療法の対象になって治療を受くべきものである、あるいは精密検査を受くべきものである。それが、受けてしまうと、うちがるすになるとか、あるいは休まなければいかぬというための生活の困窮性の問題、それとは別個に、原爆を受けた者が、一般的ないろいろな問題として、原爆者の生活困窮の問題、あのときの被爆者ですね。現在、医療は別といたしまして。ちょうど一ぺん戦地に出た者が、旧軍人としてのいろいろな問題というものと、傷痍軍人のその病気の問題の裏づけ、この二つ考えるわけでございますが、原爆医療との関連では、治療が受けたくても生活上保障がない、いかにただでやってくれても受けられないという声を、しばしば耳にするわけでございます。表に現われまして、精密検査を受けて、工合が悪くて医療の認定を受けた者は、そのいろいろな保護の対象になっておる方は、それに基いてやってもらうという形で、これは極力われわれの方も民生関係にお願いして、医療をまともに受けられるようにお願いしておるのですが、元来健康診断自身受けに来れぬという人がたくさんある、こういう話でございます。この点はほんとうにわれわれの方で実態をつかんでおりませんので、これは本年も県、市でわかっておるものはできるだけそのデータを出してもらいたいということを申しておるのでございますが、まだ的確にどれだけひそんでおるかということをつかんでおりません。  そういうふうな場合の、この生活援護のそういう問題につきましては、もちろん、生活困窮ならば、これは生活保護法従来通りでいけますが、日雇い等で、生活費がその日治療を受けに行ったりするとなくなるという裏づけについては、これはどうしたらよいだろうかということで、原爆医療法を中心には、まだやり方については結論が出ておりません。これはこの考え方を傷痍軍人的なふうで考えるか、あるいは一般東京その他空襲で多数負傷したりあるいは病気になったというふうな人の方と同じような立場で考えるか、この点についてはいろいろまだ省内で議論がございまして、特別生活保護法的なものを原爆医療者の裏づけに考えるかどうか、実のところ結論に達しておりません。  それから、もう一つの方の身分が、手帳を持った被爆者二十一万人についてすべての点について特別な生活援護法にするという点については、これは私ども公衆衛生当局として、医療を中心に今まで考えたところでは、そこまでは一応考えておらぬ。これは特殊人種というような、悪い言葉かもしれませんが、そういうような特別な援護をいうことになりますので、これは社会局長から御答弁願った方がいいかと思います。
  169. 高田正巳

    説明員(高田正巳君) 今の公衆衛生局長のお答えになりました後半の方でございますが、これはいろいろ考え方があろうかと思いますが、今日私どもがやっております、何と申しますか、社会福祉のやり方では、たとえば貧乏なら貧乏になっておる、それを救うにはどうしたらいいかということで、一般的にやっておるわけでございまして、なぜ貧乏になったかという原因別に特別なその措置を講じていくというふうなことは、実は今の建前ではやっていないのであります。かりに原爆の被爆者の特別な援護をやって参るといたしますると、しからば、原爆ではなかったけれども、本所、深川、あの大空襲でけがをした人、なくなった人やなんかとどう区別があるかという問題になってくる。まあさようなわけ合いで、いかなる原因によって貧困状態に落ちた人であっても、その原因は問わないで、その今日の状態に手当をしていく実はやり方の建前になっておるわけであります。  もっとも、たとえば身体障害者でありまするとか、そういうふうな特別ないろいろハンディキャップを持っておるその状態にありまする人は、これはそのなぜ身体障害者になったかという原因は問いませんけれども、身体障害者としてのハンディキャップをカバーするような援護は、生活保護とは別にいたしております。原爆の被爆者の場合でも、身体障害者として該当しておられる方は、その援護に当るわけでございます。  大体そういうようなやり方をいたしておるわけでございますが、これについてはいろいろな御意見もあるかと存じますが、しかし、そういうやり方をいたしませんと、実際問題としてはなかなかいろいろな公平の問題とか何とかが出て参りまして、国の施策といたしまして非常にやりにくいようなことに相なってくるんではあるまいかというふうに、私ども考えておりまするけれども、なお、さような点につきましては、今後一つ十分研究もいたして参りたいと、ただいま考えております。
  170. 坂本昭

    坂本昭君 先ほど衛生局長は、まだいろいろな調査をしていないと言われておりましたが、かなりな調査ができているのです、広島も長崎も。たとえば被爆者の手帳をまだもらっていない者が四二%もある。手帳をもらった中でも、健康診断を受けていないものが五八%もある。かなり綿密な調査ができております。ですから、私はもう少し具体的な対策を講じてもらいたい。  それから、社会局長は今の保護の特殊性ということについて触れられましたが、この原爆被爆者の中で実際に保護を要する人は二十万もいないのです。私は五、六万だろうと思う。それからまた、空襲による身体障害者の問題、これも更生課で調べてもらいましたら、これはどうも私は数があやしいと思うのですが、五、六千なんです。非常に数が少い。ですから、私は、何百万というような数でないので、この点については空襲による災害者に対しても特に考慮していただきたいし、さらに原爆症に対しては、一般の死の灰がわれわれ全部にもかかっているし、将来の人類の問題であるから、これについて特別の立法をすることに対しては、おそらく与野党をあげて好意的であると思う。ことに数が一応何百万、何十万じゃないということですね。私はそういう点で、厚生当局がもっと積極的に政府としての対策を立法的にも講じていただきたい。まあその点を要望並びに質問としてお伺いして、これで打ち切ります。
  171. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 答弁よろしいですか。
  172. 坂本昭

    坂本昭君 その考えがあるかないか……。
  173. 高田正巳

    説明員(高田正巳君) 検討はいたしてみるつもりでおりますけれども、なかなかこれ、御議論がある問題だろうと思います。ある何か特別な立法でもいたす方向へ一つ検討をするというところまで、私お答えをいたしかねるのじゃないかと思います。一つ十分、いろいろ御議論のあるところであろうと、思いますから、各方面の御意見も承わって、研究をさしていただきたいと、かようにお願い申し上げるわけでございます。
  174. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) それでは、拓洋丸に対する質疑はこの程度にしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  175. 加藤武徳

    委員長加藤武徳君) 御異議ないものと認めます。  本日はこれで散会いたします。    午後五時五十四分散会