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1959-09-10 第32回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年九月十日(木曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 大平 正芳君    理事 稻葉  修君 理事 臼井 莊一君    理事 簡牛 凡夫君 理事 木村 武雄君    理事 高見 三郎君 理事 小牧 次生君    理事 櫻井 奎夫君 理事 辻原 弘市君       加藤 精三君    清瀬 一郎君       坂田 道太君    高橋 英吉君       竹下  登君    谷川 和穗君       灘尾 弘吉君    河野  密君       長谷川 保君    原   彪君       堀  昌雄君    本島百合子君       山崎 始男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 松田竹千代君  委員外出席者         法制局参事官         (第一部長)  山内 一夫君         警  視  監         (警察庁警備局         長)      江口 俊男君         法務事務官         (人権擁護局         長)      鈴木 才蔵君         公安調査庁長官 藤井五一郎君         公安調査庁次長 関   之君         文部政務次官  宮澤 喜一君         文部事務官   齋藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君         文部事務官         (体育局長)  清水 康平君         文部事務官   小林 行雄君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 八月十一日  委員高橋英吉辞任につき、その補欠として大  倉三郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員大倉三郎辞任につき、その補欠として高  橋英吉君が議長指名委員に選任された。 九月四日  委員山本勝市君辞任につき、その補欠として塚  田十一郎君が議長指名委員に選任された。 同月八日  委員西村力弥辞任につき、その補欠として中  村時雄君が議長指名委員に選任された。 同日  委員中村時雄辞任につき、その補欠として西  村力弥君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  教育及び学術に関する件      ————◇—————
  2. 大平正芳

    大平委員長 これより会議を開きます。  教育学術、文化及び宗教に関し調査を進めます。質疑の通告がございます。これを許します。櫻井君。
  3. 櫻井奎夫

    櫻井委員 大臣が午後何か所用があるということで、大臣質問を午前中に集中してくれ、こういう申し出がありますし、先ほどの理事会でも一応そういう線を了承いたしましたので、私の質問大臣についての質問だけをいたしまして、その次の質問者もまた大臣に対する質問があるそうでありますから、そこに一応譲りまして、だから私の質問は一応打ち切りということで、途中でやめて、午後の部にまた質問をいたしますから、それを御了承いただきたい。  そこで大臣お尋ねをいたしたいのですが、これは今日一番大きな問題になっております勤評の問題についてであります。大臣大臣就任になりましたときの当文教委員会のあいさつにおいて、文教行政大臣所信を表明しておられます。またそれについて辻原委員から、この勤評の問題について、文部省が一方的に権力をもってどうしてもこれをやるのだ、こういうふうなことでやる以上は、ここにやはり混乱というのは避け得られない、大臣はお互いの立場というものを尊重して話し合いを続けていく意思がないか、これに対しまして大臣は、やはりそういうつもりでおるということをはっきり述べておられます。これは大臣のお言葉ですが、たとえば「何人においても権力を行使する立場の者は、特にそうした考えを持って施策を進めていかなければならぬ、かように考えておるのであります。」そういうことで民主主義本質は、常に相手方の立場からものを考えるという寛容の気持を持っていかねばならない、こういうことを強調されておる。そうして特に文部省の中において勤評強行の第一線に立っておられるという内藤初等中等局長との話し合いも今後十分やって、自分大臣としての立場から「私の考え方にまつこうから反対のような立場になる意見は、私は必ずしもたやすく容認するものではないということを申し上げておきます。」非常に筋の通った立場をあなたは就任の当初に当ってここで宣明し、宣言をされております。  それからその後大臣日教組とも会われまして、第一回の会合では勤評の問題というものが大きく問題となりました。そこで大臣は、やはり今の勤評というものについて改めるべき点があるならば、これを十分反省するのだ、改めるべき点があるならばこれは改めていくようにしたい、こういうことを言っておられる。ところがまた、最近第二回の日教組とのお話し合いにおいては、そういう最初の態度から、今度はどうしてもこれはやるのだ、こういう態度に急変しているわけであります。そこで、どうも大臣就任以来の態度を見ますと、やはり一貫性がないのではないか。就任されてからいろいろ御研究にもなって、そういう改めるべきは改めるべきであるという態度から、今日はもう改める必要はないのだ、これは法律にきめられておるのだから強行していくのだ、こういう立場に変られたというのは、これは文部省の内部の方でいろいろ大臣に示唆があってそういうことになられたのか、あるいは大臣大臣自身判定に基いて、そうして今まで研究の結果、そういうふうな結論になられたのか、この点であります。そこをお聞きしたい。  もちろんあなたは人から言われてそういうふうになったとお答えになるとは考えられないのでありますが、そういう結論になったとするならば、この勤評というものは昨年度から一年間実施をしたわけです。これが日本教育効果を高める上においてどうしても実施しなければならないのだ、こういう確信の上に立って、それでは一年間実施した結果、これは教育を高めるのにどういう理由があるのか。そういうものをつかんだ上で、大臣はやはりこれを強行しなければならないという判断が出てこなくちゃならない。そういう点について、あなたは一体どういう判断をしておられるのか。これが日本教育効果を高める上にどうしても絶対条件である、こういう上に立って、あなたはこれはどうしてもやっていくのだ、こういう結論が出なければならないと思う。それでなければ、あなたの日教組との第一回の会合、第二回の会合におけるズレというものは、あなた自身のそういう判断でなければ、これは第三者からの圧力によってあなたが態度を変えたと言われても仕方がない。大臣の、現在の文部省が強行しようとしておる勤務評定に対する評価、こういう点について御所信を承わりたい。
  4. 松田竹千代

    松田国務大臣 櫻井委員お尋ねは、私の就任当初の考え方について変化があったのではないか。それはおそらくいろいろな方面からの圧力によって、変化するとすれば変化したものと見られてもやむを得ないであろう。今日どういう心境であるか、あくまでもこの勤評を実施していくのであるかどうかというお尋ねであると思いますが、私の心境、ものの考え方は少しも変っておらぬ、態度は変っておらぬということは申し上げられると思う。私が当初においてああした発言をいたしましたのは、日教組は何といっても多数の教職員を含む大きな現存する団体である。その団体文部省が、いつまでも全く対立した形においてにらめっこしているような姿はどうもおもしろくない。何とか話し合いをすることによって、教育界混乱正常化へ持っていく道はないものか。そのきっかけは何かによって得られないものであるか、かように考え話し合いを続けてきたような次第であります。一方におきまして、私は就任当初勤評について、その内容、どういうふうにしてやっておるかというようなことについて知りません。従って、努めてそれぞれ教職員を勤めておられる方々にも会い、校長さんにも会い、いろいろの人々から得た知識それらにより、また書類なども見まして、勤評をやることが、なるほどこれをやる方の側の校長さん、あるいはやられる方の教員にしてもそれはやりにくい、よい気持をもってやられやすいものとは考えていなかった。ところがだんだん調べていく上において、昨年度の勤評の実施された県の様子、いまだ実施せられない県もありますが、それらのことを全体として考えましたときに、これは何もそんなにやかましく言うほどの問題ではないではないか。そんなにむずかしい問題ではないではないか。いずれも各府県においては、まるきり画一的な様式でもなさそうである。それぞれ勤評をやる人も違うのでありますし、またさらに教育委員もこれを見ていくということになって、二段がまえになっておるのであるから、ただ一人の校長の主観にのみまかされておるわけでもない。こういうようなことを考え、また内容についていろいろ勤評項目などを調べて見ましても、必ずしもむずかしいもの、これを評することのできないようなものとは思えない。明らかに簡単に、また相当正確に評価をつける府県もあるし、むずかしいというような点では、たとえば児童に対する愛着、愛情を持っているかというようなことについては、なるほど愛情を分量や数量ではかることはむずかしいかもしれない。しかし特定教員児童に親しまれておるかどうか、なつかれておるかどうか。児童の方からは、特定教員に対して親しんでおるかどうか、なついておるかどうかというようなことを考えるならば、これとても必ずしもむずかしいことではない。その他の項目についてもそうむずかしい問題でないと思う。しかも十二、三項目あると思いましたが、その中でも全部を一々採点するわけでもない。数項目を採点することになっている。それが校長さんの手元で自由にやられておるというようなことであると承知いたしますと、必ずしもそうむずかしいことではない。そうして全国的に昨年勤務評定が実施され、今年もその結果を見て、これならば実施してよろしいではないか。今度も実施するという方針をきめておるわけであります。それに対して早くから日教組の方では絶対反対を唱えて統一行動をとり、授業を午後二時に打ち切って徹夜すわり込みをやるということを打ち出して、そうして反対態度を明らかにしておる。そうした行為自体がはなはだおもしろくない。すなわちスト権を持っておらない教職員組合がそういう行動に全国的に出ていくということはまさに法秩序を乱るものである。そういうことだけは何としても話し合いをしていきたいと考えておる。そういう場合にそういう態度をもって臨まれるということは、全く話し合いの余地をなくしてしまうという結果になるのであって、これはまことに残念なことである。これだけはやめてもらいたいものであるという趣旨の談話を私は当日の五日でありましたかに発表いたしたのであります。これも私みずから執筆して発表したのであります。文部当局の書いたものではないのであります。そういう考えをもってこれを実施する。そうしてそれに対してはこうした法秩序を乱るような行為だけは何とかしてやめてもらいたいものである。その上で話し合いは幾らでも進めていけるのではないか、かような考えから私がそういう談話を発表して、そうして勤務評定を実施するという考えになっておるわけであります。
  5. 櫻井奎夫

    櫻井委員 大臣のこの間の日教組に対する言明のあの気持というものは、今のお言葉でわかったわけですが、それではこの勤評本質というものについてのあなたの認識というものがないのです。ただ、勤評というものは何もむずかしいものではないではないか、この形式から、書き込もうと思えば書き込めるし、そんな、なかなかめんどうくさいようなこともない。やろうと思えばやれるのだ、そういうのをやらないで反対々々と言ってすわり込んだりするこういう日教組態度がはなはだけしからぬ、こういうことだから、自分はそういうものを改めた上で話し合いをするのだ、だからどうしてもやれないことはないのだからやるんだ、こういうお考えのように承わるわけでありますが、しかし今日の段階において、これほど日本教育界において紛争が起きておるということは客観的事実なんです。そういう上に立って、それでもなおこれをやろうというからには、一体一年間この勤評というものをやって教育効果の上にどれほどのプラスがあったのか、そういう紛争というものと差し引きまだプラスになるというような教育効果の上の判定というものの上に立って、大臣がなおこれをやっていくのだ、こういう考え方であるとするならば納得できるわけでありますが、あなたのはそういうことではないのです。やろうと思えばやれるのに反対しておる。その反対がけしからぬ、法秩序を乱る、法治国家としてはなはだこれは許せないことであるからそれで強行するのだ、こういうことでは今日の事態というものは私は何も根本的に収拾することはできないと思います。一体この一年間これを実施してきて、教育的にどういう効果があったというふうにあなたはつかんでおられるか、そういう根本的な評価がなくして、ただやるんだ、やるんだ、この用紙を見たところで形式の上にも大した困難がなさそうなのだから、こういうものも出せないというはずがないのだから、これはどうしてもやらなくちゃならない、こういうことではこれは文部大臣答弁ではないのだ。あなたは教育行政日本の最高の責任者であるから、もう少し、この日本の当面しておる教育界混乱の上に立って、そうしてそれに対する大所高所からの判断があってしかるべきだ、今のような答弁では私は全然納得ができない。あなたはどういうふうにこれをつかんでおられるか。
  6. 松田竹千代

    松田国務大臣 昨年一年勤評を実施して、その結果は——もちろん実施してない県もありまするし、うまくいっていないところもありまするけれども、大体において実施している県が多いのは御承知通りであります。その結果から見まして勤評をやった結果、人事管理の上においても相当資料も出てきておる。参考となるべきものが出てきておる。(「よくない資料がある」と呼ぶ者あり)よくない資料もあるというから、私はその資料を出してくれと日教組小林委員長に頼んだ。向うでも出すというから、それじゃ出してもらいたい。それはいまだに出てこない。私は二回に会ったときに督促をいたしたのであるが、それもまだ出てこない。そうした資料があるならば、私は直ちにもってこれを参考にして、そうして大いに考えることができたのに、反対する方の側から資料を出していただけない。われわれの方の得たところはまさに好個の参考資料となり、人事管理の上に大へん便利になってきておる。校長候補者を定めるというような、考えるようなことについても、それぞれやはり資料となるようなものは出てきておるということで、やはりやってよろしいという確信を強められたわけでありまして、何ら、一年やってただ混乱を来たしておるのに、これをそのままにしておくのは政治家としてけしからぬではないかと言われるのでありますが、その混乱の来たる原因はどこにあるかというならば、先ほど申し上げたように頭から、のっけから絶対反対を唱えて不法行為をあえてするということをまるで日常茶飯事のごとくやっておるというところにこの混乱の根拠があるのであると私は考える。
  7. 櫻井奎夫

    櫻井委員 人事管理について非常に貴重な資料を得られたと言われる。こういう点についてはもう少し私は突っ込んで質問をしたいのですが、大臣に聞いても、これは今のような答弁では、これはまた大臣もおわかりにならぬと思いますから——それでは、今日日本の政府がとっておる勤務評定という方式が果して多数の支持を得ておるかどうか。大体世界的常識から見て、この日本勤務評定様式というものが、一体どういう評価を得ておるのかということ、こういうところからもこれは一つ考えてみる必要があると思う。これは国会できまって、こういうふうになって、それをどうしてもやるのがこれは行政当局の責務である。それに反対するやつはけしからぬのだ、こういうふうな一方的なきめつけ、そうして日教組はそれに対して日常茶飯事の闘争をやっておる。これは不逞やからであるというきめつけ、そういうことで今日の教育界混乱を収拾することができるかどうか。従って今あなた方がやっておる勤務評定というものが、世界教育学者からどういう評価を得られておるかということも、私はこの際あなたの頭を冷やす上にも非常な参考資料になると思う。御承知通り世界教育学会日本の、地元のここで開かれておることは御承知だと思う。これは文部省は一銭の補助金も出さないで、世界の有数なる教育学者が集まって学会を開かれた。ここに集まられた学者は、これはまた後刻自民党の加藤精三氏あたりは、これはいずれも世界のまっかな学者だ、そういう者だけを集めたのだろう、こういうふうなあれがあると思いますけれども、共産圏学者は集まっていない。相当の学者の集まりにおいて、一体日本文部省がやっておる勤務評定方式というものが支持されておるかどうかということ。これは読売新聞の報道でありますから、特に日教組の肩を持って報道したとは考えられない。これに座談会も出ておる。これは大臣もお読みになったと思いますが、「日本教育界への直言」というのです。そうして日本の現在の文部省がとっておる評定方式は無理である、こういうことを各学者とも口をそろえて言っておられるのですが、これはお読みになりましたか。ここには実に参考になることがたくさん書いてある。もっと日本教育行政で力をいたすべきことはたくさんあるじゃないか。特にすし詰め学級というのは世界一じゃないか。こういうのをあなた方は五カ年計画というものを昨年選挙のときに公約もなさって、五ヵ年計画を実施しておると言われるけれども、あれは十ヵ年計画じゃないか。あの坪数で埋めていっては十年かかるじゃないか。そういう一番日本教育行政が当面しておるような重大な問題というもの——これはやっておられるかもしれないけれども、きわめて誠意が乏しい。そういう教育行政の本筋というものを忘れて、そうして世界にも類例のないような、このような勤務評定方式を無理やり押しつけて、これに反対するのは不逞やからだ、けしからぬ、こういう態度というものが今日の日本教育混乱というものを——これをどういうふうに導くかというのは行政当局にある。そのあなたがそういう考え方で、これが収拾できるかどうか、あなたは一体世界教育学界の出した日本勤務評定に対するこのような評価というものをどのように考えておられるのか。これはお読みにならないのであるというならば、私がここであなたのために読んであげてもいいですよ。この座談会に集まられたのは、ロンドン大学教育学部教授のJ・A・ラワリース、それからテユービンゲン大学教育哲学教授〇・F・ボルノー、それからスタンフォード大学教育学部教授A・P・コラダルチ、いずれもこれは世界一流教育学者であります。こういう人が日本勤務評定評価をやっておる。特に私がここで申し上げたいことは、これは内藤局長に私はお伺いしたいわけでありますが、この勤務評定の問題については、わが党の長谷川委員が昨年ですかアメリカに行かれまして、アメリカのそれぞれの大学において教育学者と会われて、アメリカにおいてどのような勤務評定をやっておるか、こういうことを詳細調査してこられた。そうしてこれをこの文教委員会で論議をなさいました。今の日本のような勤務評定方式アメリカでやっていないのだ、こういうことを長谷川先生は強調された。ところがあなたはそれを肯定しない。アメリカ勤務評定をやっているのだと、長谷川委員意見とあなたの意見とは対立をしている。従って長谷川委員からは、それではアメリカでどういう形式勤務評定をどこでやっているのかという資料提出を求められたはずでありますが、その後あなたは資料提出されましたか。
  8. 内藤譽三郎

    内藤説明員 私、当時資料提出の要求はなかったように記憶しております。
  9. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは私の記憶違いかもしれませんから、あと長谷川委員もここに出ておられますから確めますが、資料提出を求められておったとすれば、これを出さなかったということはきわめて国会不信のことになりますから、これはあと確めてから追及をいたします。  そこでスタンフォード大学コラダルチ教授もここでアメリカ勤務評定について触れておる。「日本文部省がやっているような内容評定している学校アメリカにはひとつもない。」こういうことが言われておるわけでありますが、この点についてはどうです。
  10. 内藤譽三郎

    内藤説明員 私どもの調査によりますと、全米の教育委員会、特に市町村の教育委員会では八、九〇%がやっておるという実績が出ておるのでございます。ただ評定様式日本と同じかどうか、これは各国それぞれ国情が違うと思いますので、評定様式が一々日本とは同じだとは私も考えておりません。
  11. 櫻井奎夫

    櫻井委員 この問題は、その内容項目が違うとかなんとかいうことじゃないのです。項目とか形式というものは日本でも各県によって違うでしょう。文部省がそういう一つ評定方式をきめて、そうして校長につけさせる、本人が全然これにタッチしない、いわゆる本人に極秘の中で評定を上からの力でやっていくというやり方、こういう方式をとっておるところはないというのです。この中にもちゃんとそういうことが書いてある。「しかし、現在校長や視学が先生評定を行ない、その成績に応じてボーナスをだすようにしているところもある」これはボーナスです。一万円やるのもあるし、八千円やるのもある。「このことはすぐ父兄に知れわたり、その結果「あの先生はいい先生だ」「あの先生はよくない」ということで、評定のよくなかった先生に子どもを受持たれた父母が文句をいいだし、問題になっている。日本でもいまのようなやり方を続けると、同じような問題が起こってくるのではないだろうか。」こういうことを言っておる。ボーナスについてはそういうことがある。とにかく世界において日本のような勤務評定をやっておるところはないというのです。ロンドン大学ラワリースはこういうことを言っておる。「私が見聞している範囲で先生がその業績によって評定されている国は一つしかない。その国というのは共産中国だ。」あなた方の大きらいな中国です。そこでどういうことをやっているかというと、「現在どんな種類の学校を教えているか2教職につく前、何年間どんな学校で勉強したか3勤務年限教師道徳的素質教師としての能力、の五点が定められており4、5の二つに関しては校長がぜんぶの先生を集め、みんなの話し合いで決定する」こういう民主的な最後の評定がとられておる。共産中国においてもこういう民主的な方法で評定しているのです。日本のような評定はどこにもないということです。おそらく世界教育学会議事録はあるはずですから、文部大臣少し読んで勉強してみられたらどうですか。あなたがどうしてもこれを強行するという決心を変えないというならば、日本文部省が今やろうとしておるこの勤務評定様式が、世界教育行政の中で、一体どういう位置づけをされておるものか、そこであなたが非常な確信を得たということになれば、これは断固としてやられるのもいいでしょう。しかし今日こういう非難攻撃といっても差しつかえない、こういう中で、どうしてもこれにこだわって、これを強行されるということがわれわれには納得できない。今日のいろいろな新聞をごらんなさい。これはきのうの読売です。この「編集手帳」にどう書いてありますか。これも私あなたに読んで聞かせようと思って持ってきたのですが、時間がないから読みません。これでも日教組にも行き過ぎが確かにある、しかし文部省がもう少し気をつけなくちゃいかぬということを書いてある。しかも今日教育行政をやるのは文部省なんだから……。  私はきのう汽車の中で、退屈だったから週刊朝日を買った。これは私どもが理論をもって展開することはもちろんたやすいことであるけれども、社会党がまたああいうことを言う、こういうふうに大臣は聞き流すおそれがあるから、一体今日の世論は——世論というのは新聞、ラジオ、こういうものに集中的に表現されているが、そういうものは一体今日のこの勤評の騒ぎをどういうふうに見ているか。これは一つのバロメーターですよ。週刊朝日をごらんなさい。「日本教育ワンダフル?」こう書いてある。「九月一日、子どもたちは、夏休みの宿題を持って、黒い顔で、登校した。先生は、それによって、子どもたちの夏休みの「勤務ぶり」を評定しなければならない。が、その先生自身は、自分の「勤務評定」を出されるというので、九月八日を期し、全国的に午後二時授業打切り、校長や地方教育委員会相手に、徹夜のすわり込み交渉を準備している。これに対し当局筋は「言うことを聞かぬと警官を呼ぶぞ」といわんばかりの指示を出し、教育界は台風を待つこととなった。」こういう書き出しで書いてある。「これほど先生たちが「いやがるもの」を、権力づくで押しつけなくとも、もう少し話し合ったらどうかと思うものも少くないが、去年は、そのために流血の事件もあり、教組幹部の首切りも各地にあった。「拠点闘争」のいきすぎを反省した日教組では、今年は「ねばり戦術」に切りかえて、交渉の相手を、府県教育委員会から、校長や市町村の教育委員会におろしてきた。」こういうことで、「この新戦術に対して、当局筋は「組合交渉の手引書」ともいうべきものを、全国的に配布した。」これは内藤さん配布したかどうか。
  12. 内藤譽三郎

    内藤説明員 そういう事実はございません。
  13. 櫻井奎夫

    櫻井委員 配布したとはここでは言えない。その手引書によると、「組合員が自宅へ押しかけてきたときは、あくまで面会を拒否すること。退去要求をするときは、妻か子どもが証人として、立合った方がよい」実に懇切丁寧をきわめている。「ピケを突破するには開けないと警官を呼ぶぞ、と言え」こういったような工合に闘争命令を下している。「これでみると、役人の目には、学校先生が、ヤクザか、暴力団か、せいぜい借金取りぐらいにしか見えないらしい。「お巡りさんに言いつけるぞ」といったセリフなど、「いやがらせ」を通りこして、「おどし」の文句になっている。」まだあとにありますけれども、こういう現象が「オー・ワンダフル」ということになるのです。  そこで八日、一昨々日の統一行動について、地教委において勤評をやらぬということを確約したところが全国的に百数カ所ある。文部省はしばしば、この勤務評定はいわゆる県教委が計画して地教委が実施するのだ、実施権は地方にあるのだ、こういうことを言っておられるわけでありますが、その実施権を持つ地教委がそれを実施しないのだ、こういう確約をしたということになれば、これは当然実施をしないということになると思うのでありますが、この点大臣どうですか。
  14. 松田竹千代

    松田国務大臣 勤評をことし実施して、二年実施して、直接その衝に当る地教委が、このやり方では困るということになれば、おそらくその様式なんかについても考えてくれるであろう、かように私は考えております。  また、先ほど来私にいろいろ御質問がありましたが、その中で、教育学者が、たまたま初めて教育学の国際会議に列席されたことは承知いたしております。のみならず私もその総会に出席してあいさついたしました。そのあいさつの最後に、皆さんの方で特にわが国の教育界の事情をお調べ下さって、そしていろいろ検討されて、どうぞ御注意なり御助言なり賜わりたいということをつけ加えておきました。さらにまたささやかなパーティを開いて、それらの人々を呼んで、その人々と懇談をいたしました。さらにまたアメリカから比較教育学の泰斗が大ぜいやってきて、ブリックマン博士はその団長としてこられた。この人はソ連へもほとんど毎年のように行って、この比較研究の問題を検討し続けている先生であります。その先生を主賓として多くの人をも私は呼びまして、そして長く懇談をいたし、日本の実情も訴えたところ、そういうことになっているかということで非常な驚嘆の状態でございました。  今お読みになった新聞のことでありますが、私も世論は大切だと思っております。だから、全部の新聞に目を通すひまはないからできませんが、文教関係のことは、特に命じて切り抜きを毎日持ってこさせて、それを努めて見ているようにいたしております。新聞その他世論の公正な立場にある人々の意見に耳を傾けるという気持は、少しも変っておりません。そういう気持で何らかのヒントなり指示なり、また世論の力を背景として、そして今日の教育界混乱を是正していきたいということに私は努めているわけでございます。そういう点から考えまして、諸外国——イギリスの例なんかもあげましたけれども、イギリスの国民の良識は、スト権を持っているところでも、むやみにストはやりません。そして教員たちはそういう立場に立って、教職の特別の地位を考え、みずからの地位をとうとしとして、そういう挙には出ておりません。こういうことを考えますと、そこに大きなる開きがあります。  すし詰め学校の話もございました。これは極力進めております。十年もかかるではないかとおっしゃいますが、あるいはかかるかもしれません。五年でやろうといたしておりますが、あるいは財政の都合でそれまでできないかもしれぬ。そういうことに対してはどうか一つ御協力を賜わりたい、かように考えます。しかしこれとても、わが日本の国はすし詰め教育を好んでやっているわけではない。どこもここもすし詰めになっているじゃないか、共同住まいになっているじゃないか。それはわずか十数年前に日本全体ほとんど焦土と化したことから考えてみても、ここまで復興したということは、わが日本国民がひとしく教育に熱心なる結果にほかならないと私は考えておる。こういう実情を考えますならば、外国の先進国と比較いたしましても、わが国民の日本教育に対して尽しておるところの力というものは、そんななまやさしいものではない。世界のどこの国と比較しても、多くの金を使っておる。こういう実情から考えまして、外国のその人々から日本教育事情をそう片片たる一面を見て、そうして総括的に断定を下されるというようなことは軽率である、そういうことは当を得ないと私は考えておるのでありまして、日本教育全体から考えましても、世界における教育の地位というものは、外国から見るならばむしろ驚嘆しておるような状態にあるということは、私は実情であると思う。私は努めて多くの人々に当ってこれを調べ、検討してやってきております。もとより私の調べもあさはかなものでございましょう。けれども私はそういう気持を持って、機会あるごとに多くの外国の人々に——この教育者の大会がありましたので、これを好機として努めて、これらの人々から私は承わっておる。あなたのおっしゃるような断定をだれも下しておりません。日本の国内事情、教育界の実情というものはそういうところまでいっておるかというので、驚嘆の意を表して、それでは実に困難なことであろう、こう言うて非常に同情の意を表される方々ばかりである。
  15. 櫻井奎夫

    櫻井委員 大演説をお聞きしました。それは日本文教行政の担当者であるあなたに外国人が会いまして、日本教育は貧弱ではないか、こういうようなことを言うはずはない。これはエチケットとしても、日本教育はりっぱに行われておるじゃないか、こう言うのは当然のことだと思う。そういうことで、日本教育行政世界でもすぐれたものであるというような錯覚を持たれてはこれは大へんである。もちろん教職は大事なんです。だから、その教職に携わる者は誇りを持って安んじてその教職に従事するというような環境を作らなければならぬ。そういう環境、諸条件の整備拡充、これが文部当局に課されておる重大な問題なんです。それを、戦後これだけ復興したのは、これは大へんなあれだというような自画自賛をしているようなことではいけないと思う。もちろん今日の日本の財政の中において理想的な教育というものが完遂できない、こういう困難というものはわれわれも理解する。そういうものの打開に向って、この教育の問題には与野党とも最大公約数をしぼって協力していく。こういうことには私ども何ら異存があるところではない。そういうところを一つ誤解をしないように、あなたのやっていることにことごとくけちをつけておるというような、あなたの今の大演説の裏にはそういうことが含まれているが、そういうことは言ってない。  そこでもう一度確認したいことは、地教委が、これは中にはやらないときめたところもあるし、あるいはもう少し時期を待って三ヵ月延期するとかいうような結論を出したところもあるし、いろいろ、まちまちでございますが、とにかく三ヵ月延期する、こういうようなあれも出ておりますが、こういうものは今日やはり教育の地方分権という本筋から考えて、特に実施権者である地教委が子のような結論を出した場合には、その結論を尊重して、これを無理押しに強行させる、こういう態度をとられるのか、その地教委の結論というものを尊重するというような立場に立たれるのか。今日の教育行政からいえば、私は実施者のきめたことというものを権力をもってこれを押し曲げる、こういうことは筋ではないと思うのであるが、一応文部大臣の確認をとっておきたい。
  16. 松田竹千代

    松田国務大臣 ある特定の地教委において今お話しのようなことがありましても、これは無効であるという考え方をわれわれは持っておる。何と申しましても、皆様方と御一緒にこの国会において定めたところに基準して、そうして行なっておる事柄でありますから、これはどうしても実行していかなければならないと考えておるのでありまして、これを拒否したりあるいは別途の態度をとっても、どういう約束をしてもそれは無効である、かようにわれわれは考えております。
  17. 櫻井奎夫

    櫻井委員 どういう法律的根拠に立って無効と言われるのか。この大事なときになると、すぐ内藤さんが大臣の方に紙切れを渡して、盛んに大臣の良心的答弁というものを妨害するような傾向がある。内藤さん、あなたに聞いているんじゃないのだ、大臣に聞いているのだ。どういう法的根拠に立ってこういうことを言われるのか。勤務評定というものは、これを計画をして実施するのは地教委なんです。一定のこういう様式によって計画はするでしょう。それを実施するかしないかということはその地方の実情によって、これは今やってはちょっと問題があるから三ヵ月あとに延ばそうとか、そういうことはあり得るんじゃないですか。それもどういう法律で一体規制してあるのですか、大臣、それを答えなさい。
  18. 松田竹千代

    松田国務大臣 これは地方公務員法もありましょうし、またそういう拒否をしたりあるいは、出さないという約束をしたところがあるという事実は認めます。事実は事実としてそういうところはあるが、その事実はやはり無効である、そういうことはあってもそれは不法行為である、こう考えるわけです。
  19. 櫻井奎夫

    櫻井委員 だからその無効とする法的根拠はどこにあるかと言うのです。
  20. 松田竹千代

    松田国務大臣 法律に基くのです。
  21. 内藤譽三郎

    内藤説明員 これにつきまして、私からかわってお答えいたしますが、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四十六条によって、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会の計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」そこで計画につきましては、府県の条例で事こまかに規定されておる。この中には実施期日も、同時に評定の方法その他詳細に規定されております。従ってこの条例に基いて実施すべき義務が市町村教育委員会にあるわけでございます。ですからその義務に違反してしないということをかりに約束しても、私どもは無効であると考えます。
  22. 櫻井奎夫

    櫻井委員 まあ、それは内藤式見解だと思うのですが、そういうふうに条例で定めてある、そういうものを実施の幅を持たせるということについては、これは法律違反だからそういうものは無効だ、こういうことになると問題が非常に広がってくるんだな。それじゃその生徒数、教員の定数、教員の俸給、こういうようなものも一応法律に定めてあるが、一つもそういうことは実施してない、それなら無効かということです。そういうところだけをあなた方追及していくということになれば、これは問題は大きくなるのです。まだ法律に明記してあるものがたくさんあるでしょう、そういうものもそれじゃ無効ということになる。法律通りにやっていない、文部省は違法行為をやっているということになる。
  23. 内藤譽三郎

    内藤説明員 先ほどの学校教育法のたとえば定数の問題、これは五十人以下を標準とすというような規定の仕方がしてあるわけです。そこで都道府県教育委員会がどういう条例のきめ方をしているか、そのきめ方にもよると思うのです。きめ方が施行期日を明確にしていない場合には、お話のようにそれがどうこうということにはならぬと思う。もちろん市町村の教育委員会に許された裁量の範囲ならこれは当然でございましょう。しかし裁量のない行為について、勝手に市町村の教育委員会が契約を取りかわしてみても、これは私どもは無効だと考えております。
  24. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは内藤さんの見解を私は聞いているわけじゃないけれども、あなたはこれは無効と言っておられるわけですね。無効ということは文部省が無効と認めることであって、違法ではないでしょう。違法ということは、これは法律違反ということになる。あなたは違反とは言っていない。どうなんです。無効なのか、違法なのか、どっちです。
  25. 内藤譽三郎

    内藤説明員 私どもは無効であると考えております。
  26. 櫻井奎夫

    櫻井委員 文部省が無効と考えられるのは、これはあなたの主観ですから、ここでその無効だか有効だかということを争ってみたところで、これは水かけ論だから、それはよしましょう。  大臣には、これ以上こまかく聞いてもあれでしょうが、そこでもう一点聞きたいことは、過日世界教員会議の書記長のカーのところへ文部大臣は手紙を出したというようなことを言っておられましたが、これは返事は参りましたか。
  27. 松田竹千代

    松田国務大臣 その返事を待っておるわけですが、まだ来ておりません。
  28. 櫻井奎夫

    櫻井委員 カー書記長にあなたが手紙を出された。どういうことをその手紙の要旨として出されたのか。これはここで御公表願えれば、公表していただきたい。相手は国際的な人ですから、私信ではなかったろうと思います。文部大臣として世界教員会議の書記長というこの公職にある書記長に対するあなたの公開質問状だと思う。どういうことを一体聞かれたか。
  29. 松田竹千代

    松田国務大臣 先方に対して言ったことは一々私は覚えておりません。手紙を全部記憶しておりませんけれども、日本勤評やり方についてはおもしろくないのではないか、これこれの点がおもしろくないというようなことを言うてきておるのでありまして、それに対して、それらの条項を大体反駁して、そして最後に、これらの問題についてあなたの方はそうおっしゃいまするが、ここまでくるには——私はあえてそれを言いたかったが言いませんでしたが、そういう他国の、独立国の教育上の一つ行政措置に対してそういうことをおっしゃるのは、むしろ内政干渉に類するようなものじゃないかと言いたかったのでありますが、その言葉をそう使わないで、あなたはこういう手紙を書くならば、もっと日本教育界の実情をお調べになった上で手紙をちょうだいしたかったということをつけ加えております。
  30. 櫻井奎夫

    櫻井委員 カーという書記長は、これは書記長でありますから、個人的にあなたに手紙をよこしたという問題ではないと思う。従ってカー書記長の書信の内容、たとえば日本勤評に対する批判というものは、カー書記長自身の批判でなくして、ワシントンにおいて八月に開かれた世界教員会議結論、そういうものを書記長という執行機関の責任者としてあなたにそれを執行されたと思うのです。そういうことで、カー書記長がそういう手紙を書いたのは、カー書記長に対するいろいろな圧力があったんだということをあなたは言っておられたようですが、やはり今日でもそういう見解をとっておられるのかどうか。これはやはり機関の書記長がそういう行為をとるということは、個人的な資格でやっているのではない。一つ会議、執行委員会なり、あるいは委員会あるいは大会、そういうものの決定というものに基いて執行するのが、これは書記長の義務であります。カーの手紙というものはあくまでもカーの個人的な見解と受け取っておられるのか、あるいはちゃんとした機関の決定を執行しておる、こういうふうに理解しておられるのか、その点をお聞かせ願いたい。
  31. 松田竹千代

    松田国務大臣 私が手紙を読んだことでは、そういうはっきりとした、これは大会の決定に基いてというような言葉はございません。その会の用紙を使っておりましたけれども、手紙の趣旨は、これは大会の決議に基くものであるというような言葉一つもございません。従って私は個人的な好意を持ってやってくれたことであろう、かように解釈します。
  32. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは私の見解と大臣考え方は違う。いやしくも世界教員会議の書記長として他国の大臣に書簡を出す以上は、これは個人としてやるわけではない。やはり大会なり会議の決定に基いて、その結論に基いての、これは好意的であるかどうかはわかりませんが、そういう趣旨のものしか書けないわけです。カー個人ならともかく、そういう書記長という肩書きにおいてなす場合、しかも日本文教行政についての批判であるから、そういう点は大臣考え方ははなはだ古色そうぜんとしておるように考える。これはカー個人の書簡でなく、やはり大会の決議——決議と申せなくとも、一つ結論、そういうものに基いて出されたと思うのです。そういう点は一つ十分御調査を願いたい。カー個人の見解であるというふうに軽く考えられるということはよろしくない。そういうふうに考えるわけでありますが、あなたは今返事を待っておられるということでありますから、どういう返事がくるか、その返事についてまた大臣がどういう返事をなされるのか、そういう点を御忠告を申し上げておきたいのであります。  要するに、世界教員会議結論にしろ、国際的に今日日本文部省がとっている勤評やり方というものにはきわめて批判的である。全面的に支持している者はほとんどない。あなたに会った人は全面的に支持したということをあなた自身は言っておられるが、これはだれも聞いた者はいない。内藤さんは聞いたかもしれないけれども、これは公けのあれには今なっていないのです。国際的にもそういう批判があり、国内的にも今いろいろな新聞や雑誌をごらんなさい。文部省が今日のようなただ権力でひた押しにこれを強行していくというようなことではこの混乱は避けられないのだ。昨晩も何かラジオの討論会ですか座談会ですか、石垣綾子さんと大臣が話をしておられたようでありますが、これは堀さんが詳細に聞いたと言われるから、堀さんから詳細その点についてはあと質問があると思うのですが、どうも私の聞いたところでは、大臣は盛んにつるし上げられてたじたじで非常に怒っておられたということでありますね。世論というものは今のやり方というものには非常に批判的なんです。そういうところに思いをいたされて——内藤初中局長あたりの意見を尊重されることも必要でしょう、日本一流のエキスパートでありますから。しかしそういうことにだけ耳を傾けて、世の中の流れというものを見誤まったならば、この混乱の解決のめどは立たない。今日のこの教育界における紛争の妥結点は、やはりあなたが就任当時言っておられた通り、相手の立場に立ってものを考えてみることも必要だ。今日何が何でもはち巻を締めて坐り込んでまで反対するという理由はどこにあるかということをもう少し腹を割って話を進めてみたらどうですか。そういうことがなされていない。二回会われて、一回目はやめてもいいようなことを言って、二回目に会ったときには、いやこれはだめだ、断然やるんだ、こういうことではまだあなたのおっしゃった民主主義のルールには立ってないと思う。この点についてあなたはもう少し詳細にわたって話し合いを続けてみるという意思がおありになるのかどうか、最後にその点を質問いたしたいと思います。
  33. 松田竹千代

    松田国務大臣 私の考え方としては、現在の日本教育界混乱状態を何とが正常に戻したいという考えにおいては変りはない。またそのためには教員の組合の諸君とも今後も会っていくつもりでございます。  なお、これをどこまでも強行する気かと申しまするが、先ほど申し上げましたようにことしは実施する。去年やりことしやり、さらに全国的に非常に悪い面が出てくれば、それぞれ地教委においても考えることであろう、その場合にはまたわれわれもそのやり方なんかについて考えることは決してやぶさかではない。しかしこの勤評を昨年もやり今年もやる、一年やっただけではまだわからぬ。一年やっただけでも、われわれの考えとしては相当によい成績も出てきておる、かように考えておるということは申し上げた通り、また一年やって、さらにいろいろな点に悪い点が出てくるならば、地教委もまたわれわれも考えて、よい方式考え出すということも努力したい、かように考えまするけれども、しかし何と申しましても、これに対してあらゆる妨害行為反対行為をし、そうして勤評のどこが悪いのだ、どこをどうせい、こういうふうに内容を変えたらどうだというようなことについて、あなた方に対しても考えてもらいたい。その資料を要求しても出してもらえないというようなことでありまするので、われわれの方としてはやっていかざるを得ない。これに対して徹頭徹尾反対闘争をやって、社会秩序を乱るようなことをあえてする。われわれは重ねて申しまするけれども、国会において定められた法律に基準してやっておる、政府は執行磯間としての立場にあってこれを実施していくということに何の不思議があるか。われわれといたしましてはかような社会秩序を乱る違法行為を是認して、そうしてすぐ勤評を改めるということはできるはずのものではありません。よくその辺をお考え願いたい。
  34. 櫻井奎夫

    櫻井委員 そういうふうなことになると私の質問もこれで打ち切るわけにいかなくなる。あなたは時間を非常に制約しておられるから、私は尊重いたしまして、打ち切ろうと思ったのですが、そういう考え方の背後にはやはり権力思想があるわけです。国会できまった合法的なものをしゃにむにやっていく、これに反対していくのはけしからぬ、法秩序を乱すものだ、こういうものはやはり取り締まって警察にも引き渡す、裁判にもかける、こういうことであったらこの問題点というものは解決はしないんですよ、十分話し合いをして解決のめどを見つけるという、もっと大きな気持大臣がならない限りは。われわれがやっている、法治国家のもとにおける国会で成立した法律の施行の仕方にもいろいろ問題点があるわけです。そういう無理なことをやっている点があるわけです。どこに無理があるのか、そういうようなことを話し合うということでなければやっていくことはできません。これは当然やっていくので、反対するのがあくまでも悪いのだ、こういうことでは話し合いはできないにきまっている。いつまでたっても並行線ですよ。あなたは口で言っていることと、今腹で考えられていることとは別なのです。そういうことになると、今日のこの混乱はまだまだ長く続くと考えざるを得ない。もう少し大所高所に立った話し合いというものができないのかどうか。あくまでもお前たちがそういう反抗の姿を示している間は断固としてやるのだ、こういう立場に立ってあなたは話し合いをしようと言っておられるのかどうか、もう一度確認をいたしておきたい。
  35. 松田竹千代

    松田国務大臣 櫻井さんのように教壇に立った経験を持っている方の気持は、私も長い間子供を扱った経験もありまするので、あなたの気持は十分わかります。しかしわれわれ政府にある者といたしまして、法秩序を乱る行為を認めていくわけには参らない。これを是認していくわけには参らない。これはなぜ不思議があるのですか。私はまずこの点から直していただかなければ話し合いもできないのではないか。話し合いの場面というものはなくなってくるのではないか。何らか協力して話し合いをしていきたい、そしてこの状態を直したいという気持は十分持っておりますよ。今もなお持っております。しかしまずもってこうした日教組やり方は改めてもらいたい。そしてどこが悪いのであるか、どういう点が不満なのであるか、こうしたらいいではないかというような建設的な意見を出すようにしてもらいたい。こういうような気持を持っております。
  36. 櫻井奎夫

    櫻井委員 大体大臣の言わんとするところはわかりました。文部省としては今の日教組の実力行使を全面的に認めるわけには参らない、そういうあなたの気持はわからないわけではないのですが、そういう情勢にあるとするならば、大臣気持がそういうところにあるとするならば、かりに、昨年あたりこういう動きがあったわけでありますが、学識経験者でも何でもいいですよ、第三者が調停に乗り出したというようなことがあれば、文部省はこれに応ずる御意思があるのか。去年は第三者の機関が調停に乗り出したわけですが、これはついに不成功に終った。国民の声も、どっちもどっちだというようなところまで高まっている情勢の中で、第三者が調停に乗り出した場合に、やはり文部省としては去年のようなにべない態度を続けられるのか。それともそういう機関が、けんかの氏神というようなものが現われたような場合、そういう人の申し出なりそういうものに応ずるような御意見があるのか、この点もお聞きいたしておきたいと思います。
  37. 松田竹千代

    松田国務大臣 私は重ね重ね申しておりますように、大多数の国民の良識というものは尊重したい。従って公正な立場にある第三者の御意見には耳を傾けたいと考えております。ただしその申し出なり、あるいはどういうことをやっていただけるか、その内容いかんによっては必ずしもわれわれは今ここで約束して、それを頭から受け入れるというわけには、先がわからぬのに、わからぬことに対してどうというわけには参りません。
  38. 櫻井奎夫

    櫻井委員 私のあと質問は午後に保留いたしまして、人権擁護局長と法制局長官、公安調査庁長官の出席を要求して、大臣に対する質問はこれで終ります。
  39. 大平正芳

    大平委員長 辻原弘市君。
  40. 辻原弘市

    辻原委員 今櫻井君の方から大臣に対する世論の批判ということについて強く話があったのでありますが、私は最近いなかの方におきまして、かなり山間僻地に行って、農民の人たちとも、あるいは山の労働者の人たちともいろいろ話し合いをいたしました。その中で、率直に申して、松田大臣の人気が非常にいいわけです。今の櫻井君の意見とは若干違うように聞えますが、それはどういう意味かといいますと、松田大臣という人は非常にりっぱな人ですねという意見を聞いた。私もまことにりっぱな人だということを答えておきました。その意味は、こういうふうに言われた。ほかのことは知らない。やはりどこの山間僻地に行きましても、今当面している勤務評定の問題について、一体どうなるんだ、こういうことでは困るじゃないか、文部省は一歩も引かない、また日教組も原則を掲げたままにまっしぐらに進んでおる、毎年々々自分たちはこの問題で頭を悩すのだ。農民の人であれ、また山の労働者の人であれ、いずれもがそれぞれPTAの父兄でありまして、みんな子供を学校にやったその立場から、この問題に対してそれぞれ胸を痛めておるというのがいなかの実情でありまして、そういう中から、松田大臣はりっぱないい人らしいですねという言葉を私に発せられた。それは、松田大臣就任早々、一つ日教組との話し合いをして、全国五十万の教職員意見も十分聞いて教育行政をやりたいと言った、実におおらかなそういう態度が、今の山間僻地に至るまでの一般の父兄の方々の心に非常にマッチして、何がしかあたたかいもの、何がしか明るいものを期待をさしたということなんです。その後は一体どうなんですか、こう聞かれましたので、その後はだめですよと私は答えておきました。私は松田先生とも、大臣就任以前からいろいろ当委員会の委員もやられておりましたし、個人的にも選挙区も比較的近いし、いわゆるリベラリストとして実は尊敬しておった一人なんです。だから、私は自分の選挙区で、その後はだめなんだよというようなことは実は言いたくはないのです。実に全く涙ぐましい努力をされておりますぞ、だから皆さん一つ安心をしてくれ、おれもその驥尾に付してこの問題の解決には政治的生命をかけるんだと私も言いたい。そこでそのときに、あなたは一体この問題についてどういうふうにお考えですか、こう聞かれた。私は率直に言った。この問題がここまで紛糾した大きな原因は、これは双方とも一歩も譲らないし、また政党が、政府与党が権力を振り回して強行してきて、そして実際地方の教育委員会委員の皆さんに会ってみても、やっぱり困っておる、弱っておる。そして自民党のそれぞれ秘密指令とかいうものが——これははっきり新聞にも出ておりましたし、私の県などにも来ておる。そういう形で政党がこれをいわゆる党勢拡張の具に供しておるというようなことが、問題をさらに紛糾をさしておる原因だ。だから政党がこれに関与をせず、今も櫻井君から提言がありましたが、ここまで来た問題について、いい悪いという論は果てしがなかろう。だから、問題を解決するという立場に立つならば、やはり争いをコップの中にとどめて、その中で十分一つ話し合いをやってみる。迂遠な形かもしれぬけれども、話し合いが成立すれば、これほど大きな収穫、喜びは今の日本にとってなかろう。失敗をしてももともと。そういうことであるならば、話し合いをやったがいいという結論になる、私はそう思う。だから、りっぱな、何人が考えても信頼でき得るような公正な立場に立つ学者なり第三者、あるいは父兄の代表、こういう人々をも含めて、一つの機関を設けて、それに結論を一任するという形において、双方ともそうした方向へ踏み切るということが解決の有力なかぎである、おそらくそれ以外にはなかろう。こう私は申した。そうしたらやんやの拍手があって、一つできるだけその通りやってくれ、こういう非常な激励でありました。日教組の内部にも、私は率直に言いましてこういう形での問題の解決には釈然としない向きもあると思います。今の櫻井君の提言に対して、大臣もやはり奥歯に物のはさまったようなそういう御答弁がありました。しかし私は、そういうふうにカムフラージュしておったのでは、今日のこれほどの混乱、また将来さらに続くであろうと思われるような教育上の大きなマイナス、この問題を解決するにあらざれば、幾ら教育行政を叱咤激励いたしましょうとも、教科課程を改正いたしましょうとも、日本教育の正常な運営というものはあり得ないと私は信じている。そうした意味で、松田大臣に期待するところの、これまでに新聞記者に発表された談話、さらに当委員会でわれわれの質問に対して一つおおらかに話し合いをしてみたいと言った気持は、どうやらどこかでブレーキがかかって、松田大臣としてももう一つステップを踏み切れない、そういう悩みに今日逢着しておられるだろう、こう御推察を申し上げております。しかしお互い政治家であるならば、私もその端くれに連なっている一人、松田大臣もわが国における有数の政治家の一人、そういう立場であるならば、この際文部大臣としての職責にかんがみ、またいわゆる政党はえ抜きの政治家として、大きく腹をきめて踏み切るべき段階ではなかろうか、私はこう思う。そういうような踏み切りがあるならば、これを私は大局的見地と申せると思う。その大局的見地があるならば、その他いろいろ付随してわだかまっている感情の問題であるとか、既往の問題であるとか、あるいは行政上のさまつな問題であるとか、そういうことはおのずから解決されていくものだと私は考える。もし大臣にその決意と腹があるなれば、われわれもそれに対して進んで協力をいたしたい。今の櫻井君に対する御答弁に対して私ははなはだ舌足らずのものがあることを感じたが、このままで放置しておいて、ほんとうに大臣として心残りがないのか、それで自分の責任が済まされたというお考えであるのか、法律に反するから、違法行為あるものについては断固これを取り締るということだけで事済まされる問題であるのか、私は、その論議はすでに尽き果てたと思う。だから、今この時限に立って問題を解決しようとするならば、過去においてやりとりしてきたいろいろの事柄は一応それはおいて、今日どうするかということに踏み切っていただかなくちゃならぬ、そういう意味で私は大臣に御決意を促したいと思うのであります。今櫻井君が言われたように、第三者のそういった公正な立場におけるあっせんというか、あるいは双方についての話し合いの促進というか、こういうものはほとんどの国民が期待しているところなんだ。しかし、そのあっせんなりあるいは話し合いの糸口のきっかけについての条件いかんによっては応ぜられないということじゃなしに、ともかく話し合いをしましょう、その中で、どうしてもこれは困るというような場合にはあらためてそれについてはもう一ぺん再検討してみたい、こういうことならばまだ私は話がわかると思うが、こうでなければ話し合いをしないということでは、あなた方は日教組をボロクソに言っておるけれども、同じように文部省立場というものも、だだをこねて、解決をしなければならぬ問題についておくらしているという非難は免れないと思う。ともかく一つ話し合いをそこへまかせてやろう、こういうことに踏み切れないものかどうか、大臣としての御決意のほどを私はこの機会に承わりたいと思う。
  41. 松田竹千代

    松田国務大臣 勤評ということは文部行政上の一つの問題だから、これだけ大きな問題になっているのでありまするから、これが解決ひゃきわめて重要なものであるということを私は考えておりまするから、この問題についてあなたがおっしゃるように、われわれが権力々々といって権力にたよってこれをしゃにむにやることにおいて行き過ぎはなかろうか、あるいは文部省として今までやっていること、今直面しておるいろいろな問題に対しても権力にたより過ぎるような点はなかろうかということを私は常に反省しながらやっておるのであります。しかし御承知通り、安保条約といわず勤評といわず、この問題を政治問題として扱っていかれておるのが日教組でありその他の社会党の諸君であると思うのです。外交の問題なりあるいは教育上の問題だけは、できたなら超党派的に皆さん方と相談し合っていけるものならいきたいものである、こういう気持を持っておるけれども、残念ながら従来の情勢というものは、この勤評の問題のみならず、何の問題でも絶対対立の形になっておるという姿を、私は政治的に考えて、まことにこれは困ったものである、かように考えておるのであります。また今のお話については、私が櫻井さんにお答えしたと同じことをもって御了承願いたい。
  42. 辻原弘市

    辻原委員 自分が色めがねで見れば相手もその色に見える、こういうたとえの通りどうも私は今の大臣のお話には釈然としない。日教組が政治問題に関連し、われわれ社会党が同様政治的問題として扱っておるという認識は、これは大臣としてはなはだ不穏当であり不適当であると思う。少くとも私はそういう認識に立ってものを考えたことはない。従って今言った通りです。政治的問題という形をはらんできておるからそれはいけない、だから第三者としての公正な判断にゆだねようとしておる。またこれは従来の大臣のみならず松田大臣としても——少くとも大臣というものは問題解決の当面の責任者です。それだから、われわれからそういうことを申す前にこれはどういうふうにして解決したらよかろうかという話し合いがあってもよかろうと思う。純粋な教育上の問題として考えていないのならば、政治問題であるということならば、政治的に解決しようという腹をもって社会党にそういう相談があってもいいはずだ。逆にかつて鈴木委員長が岸首相にそのことを申し入れても、それに応じなかったのは自民党なり政府与党ではありませんか。またどっちもどっちだということを言われますけれども、私はあながちそうは考えないのです。なぜかといえば、昨年の学者のあっせんのときには、日教組は受諾したのです。腹をきめてその話し合いに受諾した。内部的には非常に困難ないろんな点もあったでしょう。しかし小林委員長は執行部に諮ってそれをきめて受諾した。けったのは当時の文部省だ。それが国民に大きな失望を与えたと私は言うのです。どっちもこういう条件でなければ絶対に話し合いには応じられないという形で対立するならどっちもどっちということが言えるが、第三者のあっせんに一方の側が受諾した。なのに文部省がそれを受諾しないというのは、あまりにもひた押しの、いわゆる権力行使の文部省の強行なやり方ではないかという批判を私たちはいたしておる。しかしそういう過去のことを取りたてるのではなしに、私は今の時限に立ってもう少しフェアに大臣考えてもらいたいと言っているのです。そういう考え方の前提があるならば、技術的なことは今後の問題に残るとしても、大筋において私たちの見解と一致する。そして一つ解決していこうということになれば争いはコップの中におさまるのではないかと私は言っている。しかしなかなかしゅうと、小じゅうとの多い自民党、文部省でありますから、私はこの席上においてすぐさま即答を求めようとは思いません。しかしそういうフェアな文部大臣として初めて問題が解決できる——松田さんに十分そうしたお人柄を感ずるからあえて言っているのです。官僚のこちこちなら私はそういうことを申しません。十分、今日の情勢とわれわれが申していることをこの機会に翫味していただきたいと思います。  それから先ほど櫻井君にお答えになった、地方の教委が実施をしなかったのは無効であるということも、私は少し言い過ぎた言葉であると思う。法律のことは、私もしろうとですからここでやりとりはいたしませんけれども、常識をもって考えたならば、そんなたわごとは出てこない。地方教育委員会は独立しておるということは、これはかねがね文部省が言っておったことや法律を見ても、どこにもやらなければならぬということは書いてない。どこでやるかということを法律に書いてあるだけなんです。それについて地教委のやり方は無効だということは、少し出過ぎた、言い過ぎた言葉だと思う。刺激する言葉なんだ。無用な言葉だ。慎しんでいただきたいと思います。  勤評の問題は櫻井君なりあとで堀委員がおやりになるそうですから、私はこれ以上申し上げません。ただ松田大臣の実行と決断を促すだけであります。  次に時間がございませんので、一、二IOCの問題に関連をいたしまして質問を申し上げてみたいと思います。きょうの新聞にも五輪の組織委員会の顔ぶれといいますか、それぞれの人員のワクが発表せられております。いろいろ当事者の間で御苦労を重ねていただいておることはわれわれも敬意を表しておるのでありますが、私どもかねがねスポーツ愛好者の国会議員の集まりにおきましても今日まで希望を申し上げてきました。少くとも五年後における多年希望いたしました東京オリンピックがほんとうに成功裏に終るようにということを念願をいたしております。そのためにはどうしてもその直接の組織運営に当る組織委員会の構成というものを早く決定すること、同時にこれについてあとで遺憾のないようにぜひやっていただきたい。かつてのアジア・オリンピックのように船頭多くして船山に上ってしまう、何のための組織委員会であったかという批判を受けるごとき、そういうことのないようにということを申してきたのであります。ところがそれぞれのワクについての話し合い文部省、それから体協、東京都の三者の間で話し合いを進められ、御出席の清水局長もその当事者になっておられたようでありますが、私がここで常識的に伺いたいのは、一体三者協議会でそういうワクを決定する権限をお持ちかどうか。それからもう一つは、一体当初あなた方はどの程度の人員が妥当であるとお考えになったか、これを一つ承りたい。第一回に発表になりました人員が各省事務次官をずらっと並べてのあれはいかさま私はなはだ感心をしない。もう一つは、そういう多くの人は要しないといたしましても、何といってもスポーツの祭典でありますから、スポーツ関係者が中心になる、その性格をぼやかしてはいかぬ。しかしここは若干時間がありませんので、個々に問題の提供をいたすわけには参りませんけれども、あなた方の方ではある段階まで非常にスムーズであったとおっしゃっておりますが、どうも結果としては御苦労ではございましたけれども、多少問題を残したのではないか、こういうふうな印象を受けるのであります。一つ清水さんの方から三者協議会においてそういうことを御決定になる権限があるのか、人選についてどういう見通しを立てておやりになったのか、結果として今大体二十五、六名の者が予定されておるようでありますが、そういう形のものでいいか、この点について一つ伺っておきたい。
  43. 清水康平

    ○清水説明員 アジア・オリンピック東京大会をりっぱに計画実施してやるにはただいま辻原先生がおっしゃいました通り、組織委員会がりっぱなものを早く作るという点でございます。このことにつきましては御承知と思いますが、組織委員会のできるまでの間はオリンピック憲章に基きましてNOC、すなわち日本におきましては、日本オリンピック委員会がやることになっております。それで日本の実情を考えますと、日本オリンピック委員会だけではやっていけませんので、どうしても各方面の協力のもに組織委員会を作りたいという意向が、非常にJOCに強かったのであります。従ってJOCといたしましては、オリンピック関係の一番深い文部省と、それから東京都で開催される関係がありまして東京都に、日本オリンピック委員会が主体となりましていろいろお話があったわけでございます。従いましてオリンピック組織委員会のメンバーにつきましては、JOCが主体となってこれをお願いするという立場で、私どもはその相談に乗ったわけであります。その際話が出ましたことはオリンピック組織委員会はあくまでも責任体制のはっきりしたりっぱなものを作らなければいけない。それには大体のところ二十名前後じゃなかろうかというところでございます。それで日本の実情から申しますと、国の協力を得る面が非常に多いので、先般の打ち合せの際には、各省の事務次官が協力するという意味合いにおいて、一応のめどとして話し合いがついたわけでございますが、この問題は、JOCから各官庁、各政党あるいは国会、東京都に正式に交渉して態勢を固めていこうというふうに承わっております。ところがその後、ただいま辻原先生がおっしゃいましたように、いろいろな情勢が変りまして、内容も組織委員の顔ぶれも変るように承わっておりますが、内容につきましては、きょうの新聞以外聞いておりません。いずれ二、三日中にJOCの方から、東京都と文部省に来ていただきまして、連絡があって、そこでもって報告を承わることだろうと思っております。
  44. 辻原弘市

    辻原委員 次に、やはりIOCに関する問題でありますが、組織委員会が十八日に創立総会を開いて、いよいよ実質的な運営に乗り出される。国民もこの組織委員会の運営の方向に向って、それぞれ期待と協力という形において、五輪の問題に大きな関心を今日向けていくだろうと思うのです。その中でやはりすっきりいたしません問題は、これは前に当委員会でも私の方からも質問をいたしましたが、当然組織委員会が活動を開始いたしますと、一般国民に対する募金という問題が具体化してきますから、その際にやはりオリンピック協会の募金についての跡始末の問題がひっかかる。私どもは前回の選挙の前あたりから、やはりこういう問題について実は耳にいたしておった。その後東さんが東京都知事に出られるといううわさがあった当時にも、私どもはこれについて耳にいたしました。ところが一向に——その間体協その他では、いろいろ心配されたけれども、これだけの事件がすでに公然と表面に出ておるにかかわらず、警視庁なりあるいは東京地検は、この問題について取り上げなかった。どうも私どもとしての印象は、東さんが東京都知事に出られるので、この問題をその以前に取り上げるということになれば、政治的な問題として非常に問題が複雑になってくると懸念をされた、こういうような判断があったんではないかと実は勘ぐった。実はこれは私の判断でありますが、たまたまそういうことが、的中したんじゃないか。なぜかというと、東京都の知事選が終ってから、当の佐藤事務局長が検挙された。その後地検の方において種々取調べをいたして参りますと、実際むだに費消せられた金額が発表されておりましたが、千四百六十九万。ところがその前に何回も清算人会を開いて清算をいたしましたが、その結果の数字として公表されておったものは一千六十七万円。この間に四百二万円も相違があるのは一体どういうことなのか。私は精力的に非常に御苦労をかけた清算人会の方々に対してとやかく言うわけではありませんけれども、何だかすっきりしないという印象を、私のみならず、一般国民が持つんではないか。警察で調べたらこれだけなのに、内部で調べたらこれだけしか出てこない。何だかそこに、起訴された佐藤氏をかばっておるのじゃなかろうかというふうな印象を与えることは、私は事実だと思う。こういうことが、これからいよいよ組織委員会が出発をして、一般に対する零細な募金までもお願いしようという段階に、どういうような影響をもたらすかということを考えたならば、私は問題の性格をもっと明らかにする必要があると思う。そういう意味で、本日この問題について、体協なりオリンピック協会の当事者ではございませんけれども、清水さんにその内容を、知っている範囲においてここで話をしていただきたい。なぜこんな、警察が調べたのと内部で調べたのとで食い違いができてくるのか、もっと追求していけばもっとあるのではなかろうか、こういうことも考えられがちなんです。この問題について、一体どうなっておりますか。内部的には一千六十七万円で、それだけしか不当支出がなかったのか、こういうことについてはっきり承わりたい。
  45. 清水康平

    ○清水説明員 申し上げるまでもなく明朗なスポーツ界にこのような不祥事件が起きましたことは、まことに残念しごくでございます。当時オリンピック後援会におきましても、この会計検査は、第三者によって公正、厳正にしなければならぬというわけで、御承知のごとく早稲田の総長の大浜先生を中心とするいわゆる大浜委員会でもって、前後八回にわたる調査をいたしました。その結果は、ただいま御指摘の通り、不当使用の分といたしまして一千九十二万何がしございました。その後事務局長が検挙せられ、ただいま起訴になっておりますが、それの調査の結果、これは新聞その他の仄聞でございますが、ただいま御指摘の通り千四百六十何万そこに開きがあるわけでございます。これは私どもとしても、どういうわけか、非常に懸念を持っておるわけでございますが、片方の大浜委員会としては非常に良心的に厳正にやる、片方は司直の手で、大浜委員会では手の伸びないところまでもやれた関係ではないかと思いますが、千四百六十何万の問題につきましては、ただいま司直の手によりまして厳正に調査いたしておりますので、その結果を待たないと、まことに残念でございますけれども、ここで具体的内容は申し上げることができないという実情でございます。  それで問題は、オリンピック大会をりっぱにやるためにはいろいろな方面の協力が必要でありますが、特にオリンピック後援会の前者の轍も考えまして、それを踏まないように、この会計経理をもっと適正に厳正にやる組織と心がまえが必要じゃないかと思うのでございます。おそらく私は、組織委員会ができますれば、組織委員会規程というものがそこで判定せられると思いますが、その中には会計経理の適正に関する規定が十分に織り込まれることを、真に期待しておるような次第でございます。私どもといたしましては、その会計経理が適正に行われるように、できるだけの範囲において指導も助言も、あるいは場合によっては監督もしなければならぬと考えておるような次第でございます。
  46. 辻原弘市

    辻原委員 この問題が起りました当時にも、これは内部で幾ら調べても調べがつかぬのじゃないか、結局は司直の手でやらなければどうにもならぬのじゃないかということが、うわさとして流布されております。そうして当時、一千万そこそこのものが不当支出だということが新聞に発表されたときにも、これは警察なりあるいは検察庁の手によって調べれば、そんなどころの金額じゃないぞ、こういうこともいわれておった。そこでたまたま従来のこういう募金についての扱い方について何としても納得ができない。何としても経理のやり方に得心のいかぬ点がある。今清水さんが組織委員会の中で規約を作り、そしてやっていくということになれば厳正に行われるであろうという希望的観測を述べられました。私もそういうふうに考えたいのであります。ところが従来幾たびかオリンピック募金についてはこれだけではない、その前にも問題があった。そのいずれもがりっぱな規約、りっぱな運営規程を持っておられたのです。ところが規約がありながら正式な理事会、評議員会もろくすっぽ開かない。会計は当事者の一人にほとんどまかして他の者は知らぬ。いわゆる規約や定款が幾らりっぱであってもどうにもならなかったというのが過去の例なんです。そこに私は十分その規約、定款を整えると同時に、それぞれの使途あるいは正式の機関の運営というものについて、これは監督官庁たる文部省は干渉するわけには参りませんけれども、十分それらについて見守る必要がある。また関係者に当っては強くそのことを文部省立場においても希望すべきである。私ははなはだ老婆心でありますけれども、もし今後こういうことが五ヵ年間の間にまたぞろ持ち上るようなことはなかろうと思いますけれども、あったならばせっかくの東京五輪も何ら意味もなさぬというふうなことになりますし、相当多額の募金をしようという段階に私は大きな障害となろうと思うし、さらに私は今司直の手で調べが進んでおる五輪の問題についても、内部的にもう少し明らかにする必要があろうと思うので、そういう意味もこの席上において申し上げておきたいと思います。  次にもう一つ、私はただいまの問題に関連をいたしまして見解を、これは大臣にも承わりたいと思うのでありますが、それは私はいつも申し上げますように、スポーツの振興というのは国民的規模と国民的背景でなければならぬし、そして何人にも明るい一つの希望というものを持たせなければならぬということを申し上げておるし、だれもそのことについては異論がないはずなんです。そういう中で一つは選手主義に走ってはいけない、もちろん国際オリンピックをやるのですから、勝たなければいかぬということももちろん主であります。それも大切なことである。従っていわゆる国家選手というようなものを養成するのだと前に文部省が橋本大臣の口を通じて発表された。一応の意味はわかりますが、それに走ってはいかぬということ、もう一つ大切なことは、国民的背景、国民的規模という限りにおいては、私は特にアマ・スポーツにおいては政治的中立というものを堅持していただかなくちゃ困ると思う。政治的中立ということは、これは従来文部省が特に日教組に対してはやかましくいっているけれども、スポーツについて特に、このことを、私は旗幟を鮮明にしていただかなければ困ると思う。そうでなければ決してそれぞれの大会というものは成功するわけのものではない。従ってそのアマ・スポーツの総本山である、中核である体育協会というものは少くとも政治的中立ということが前提である。私の記憶するところでは体育協会の規約に十分そのことがうたわれておると思うのでありますけれども、ところがその規約と実際行なっていることとは必ずしも符合一致しないということを悲しむのであります。ちなみに私は津島会長は実に個人的にはりっぱな人柄の人であり、またスポーツに対しても深い造詣と理解をお持ちになっておる、まさに個人的には最適任だという感じもいたすのでありますけれども、ところが津島先生自身は今日自民党の有力なる党員である。前防衛庁長官でもある。これが国際オリンピック委員会の委員にもおなりになる。またいま一人の東京都知事も今なお国際オリンピックの委員を兼ねておられるけれども、重要な国際オリンピックの委員を兼ねている人がいずれも今日の自由民主党の有力なる党員であるということについて、しかも一人が体育協会の会長であるということが、果して体協それ自体アマ・スポーツの政治的中立を堅持したものといえるかどうか、この点について一つ文部大臣の見解を承わっておきたいと思います。私は社会党、自由民主党という立場を離れて考えてみても、どうも合点がいかぬし、また私と同じような見解を持つ人も相当あるわけであります。一体文部大臣はどうお考えになりますか、この点について。将来組織委員会を発足いたしまして、国民的規模における東京オリンピックを開催しようという段階において、そういった問題について国民の間に危惧があってはならぬと思う、私はその見解をただしておきたい。
  47. 松田竹千代

    松田国務大臣 ただいまのお話、すなわちオリンピック大会はどこまでも国民すなわちアマチュアリズムを尊重してやっていかなければならぬ。従って政治的にも中立でなければならぬというようなことについては、私は全く同感でございます。全く民間の仕事としてやるということに対しては、しごく同感の意を表する次第であります。体協の会長は自民党の人間ではないか、しかも有力な人ではないかと仰せられますけれども、たまたま津島氏は体協の会長である、体協の会長のいすを持っておるわけでありまして、体協がこれを実施するという建前であるオリンピック、その場合にやはり会長は政党員であったからといって、必ずしも政治的中立を妨げない、かように思うわけであります。たまたま同氏並びに東都長官でありますが、同氏も自民党の応援を受けて都長官になりましたけれども、従来スポーツマンとして名立たる人である、津島氏もその通りで、たまたま政党に席を置くからといって、それだけをもってして直ちに政治的中立を欠くというようなことにはならないと私はかたく信じております。
  48. 辻原弘市

    辻原委員 はなはだ失礼ですけれども、どうも御答弁が前後矛盾しておる点と、それから非常に御答弁が飛躍している点を私は感じますので、どうも釈然といたしません。政治的中立は大賛成だ。ところが同じ党派にある者が二人もその中枢にすわっておってもその中立を侵すものではないという御説明がございません。私はたまたまとおっしゃいますが、たまたまなったのがそういうふうな政治的中立ということに相反しはしないかという危惧であります。それは津島さんにいたしましても東さんにしても、個人的にはりっぱな方であるから、あえて自民党の走狗となってスポーツによって党勢拡張をしようなどというようなけちな考え方はお持ちなさらないだろうと思いますけれども、しかし見る方の国民は客観的立場に立っております。その客観的立場に立った国民がどうもこれを受け取るかというところに、すでに政治的中立と相反しはしないかという心配が生まれます。私の心配もそうです。だから必ずしも二人がなろうが三人がなろうがそういうことが心配がないということになれば、たとえば教育委員の任命にいたしましても、法律上そういうふうな二人以上の委員が同一政党から出てきてもそれを制限する必要はない。しかし、法律も、あえてそういうことについて政治的中立を保たなければいかぬと、そういう運営の場合には一つの制限を設けている。その制限というものは必ずしも心配はないでは済まされぬから、やはり何かそういう一つの措置をとっておこうという、そういう事前の心配のための措置が設けられておると私は考えるのです。この場合においても、必ずしも大臣が心配がないということだけの御答弁によっては、すっきり納得をいたしましたということには、私もお答えできないと思います。いかがでございましょう。私の言うのが無理でしょうか。
  49. 松田竹千代

    松田国務大臣 一応ごもっとものようにも伺いました。しかし、何も東都知事にしてもあるいは津島君にしても、党籍を持っておるからということだけで、この人々が直ちに政党的に偏するような人でない、これは一般の見方ではないかとも考えまするし、また、これは国民的基盤においてやるべきものじゃないかとおっしゃるように、おそらくこれは政党人もおのずから関係されるようになるし、社会党さんもおそらく関係されるようになるのではないか、かように私は思っておるので、決して一党一派に偏したような考え方ではないと考えておる次第であります。
  50. 辻原弘市

    辻原委員 最後に一つ。そういうふうに簡単に片づけられないと私は申し上げるのです。たとえばアマ・スポーツの体育協会の理事なら理事、評議員なら評議員、こういう人たちはたくさん数もおりますから、それは政党人も入ればよし、政党の中でも社会党も自民党も入ればよし、いろいろバラエティがあって初めて国民的立場の運営ができるということならそれは筋が通るのです。ところが津島さんという立場、東さんという立場、これはどっちかというとオンリーなんですね。体育協会の会長というのは二人ないのです。また国際オリンピック委員というのはそう数がない。これは個人的に選任されるという答弁をもし大臣がされれば私も反論の余地はないのですが、しかし個人的であろうがなかろうがそれは形式論であって、実際はやはり体協、アマ・スポーツというものを背景として国際委員というものが選ばれておるから、そういう数が少い重要な立場に、それぞれに政党の有力人、しかも同じ政党の有力人が並ぶということについては、それは必ずしも党籍を持ったから直ちに中立性を侵すというふうには考えられないという大臣の御答弁では、これはすっきりいたしません。しかし、これははなはだ物の言いにくい問題であるということがわかりますから、大臣もこの点についてはだいぶんお困りだと思いますので私は追及いたしません。追及というかこれは大臣に追及すべきことではありません。ただ一般の世論の中に、体協の会長がだれになるんだろうというふうな問題のときに、体育協会が五輪募金の問題が責任をとられた、その直後に、こういう問題があったあとだけに、しかもうしろに東京オリンピックというものが控えているだけに、体育協会の会長というものは、これは与野党とも私はそのことを考えたと思う。でき得べくんばそういう政党色のない方を一つ何して、ほんとうに超党派、ほんとうに国民的規模の上においてこのアマ・スポーツというもののあり方を確立していきたいというのが念願であったと思う。そういう経過がありましたので、私はこの機会に心配はないか、こういうふうにお尋ねしたのですけれども、まあ大臣として同じ政党の方々に対する批判ということにもなりまするし、責任のある地位においてこれはいかぬ、あれはいかぬということは、これはきわめてそつのある答弁になりますから、それ以上私はお尋ねをいたしませんけれども、しかし、そういう傾向をアマ・スポーツの中にはらむということになりましたならばこれは重大な問題であると思いますので、文部省の体育行政においては、特に、そのことについて一つ十分考えた方向をおとり願いたいということを私はあらかじめ申し上げておきたいと思います。これで終ります。
  51. 大平正芳

    大平委員長 堀昌雄君。
  52. 堀昌雄

    ○堀委員 これまではいろいろと技術的な問題を伺って参りましたけれども、私は、本日は教育の問題について一つ大臣の率直な御真意を伺いたいと思うわけでございます。  そこで、まずただいままで櫻井委員及び辻原委員がお話になりましたいろいろの問題についての大臣の御回答で、私も大体大臣のお考えはわかって参りましたけれども、さっき櫻井委員が申し上げましたように、私昨日の十一時十五分から四十五分にわたる大臣と毎日新聞の論説委員及び石垣氏との対談を伺ったわけであります。その対談の中で私は大へんうれしいと思ったことが二つございます。  ちょっとその前に大臣に伺いたいのは、あの対談についてのお話は、やはり国民の多数が聞いておりましたことでございますから、責任のある御発言であったというふうに考えたいのでございますが、その点はいかがでございましょうか。
  53. 松田竹千代

    松田国務大臣 私が申し上げたことはむろん冗談で言うておるものではない、むろん真剣に考えてのお話でございます。
  54. 堀昌雄

    ○堀委員 あの中ではいろいろなことが話されたわけでありますが、まず一番先に問題になる点から申し上げますと、さっき櫻井委員もちょっと触れられたわけでありますが、勤評の問題について国民は非常に心配をいたしております。そこで何とか一つこの問題に冷却期間を置くことはできないのだろうか、こういうふうなことが尋ねられたのに対して、大臣としては、実はこの問題は地方教育委員会のやることであって、文部省としてすぐ今やめろとかなんとかいうことはできないのだ、こういうふうなお話があったわけです。そこで、しかしそれはそうでしょうけれども、大臣として、文部行政の最高責任者としてしばらく時間を見ようではないかというようなことは不可能でしょうか、というような質問に対して、大臣は、さっきもお答えがありましたが、中立的な方からの申し出がもしあるならば、冷却期間を置いてもいいのだ、こういうふうなお答えがあったわけであります。これはすでに櫻井委員辻原委員も触れられておることでありますけれども、私は、この問題に対する大臣の心がまえと申すと大へん失礼に当るかもしれませんが、そういう気持が第一であって、あとのこまかい技術的な問題というものは、これはいろいろな問題の中で検討なされなければならないことだと思いますが、まずそこのところが一番大事なところで、私、昨日の放送を伺って大へんうれしかった。大臣がそういう気持で冷却期間を置いてもいいのだという御答弁を国民の前にされたということは、私は日本文教行政にとって明るい光がさしてきたように感じておるわけでありますが、その点についてもう一回、昨日のお話との関連で伺いたいと思うのです。
  55. 松田竹千代

    松田国務大臣 私もいろいろ、たびたび方々で話しておるのでありまして、話したことを別に——確実に話したならばそれは話した通りでありますが、一々私が話したことを覚えておりませんけれども、私の気持といたしましては、今度の勤評は昨年やった、そして、その結果を検討し、また今年も既定通りの方針についてやるということは、これは繰り返し繰り返し述べておるわけであります。しかしどうもこの混乱状態が激しく続くということは、ますます実際問題としてはまことに困ったものであるから、これをどこまでも政治的問題として扱うというようなことはやりたくない、あくまでも教育上の問題としてやりたいのだ。それにはどういうことが考えられるかというようなこともあって、今年はやる、今年の結果を見て、そしてまた悪いところがあれば、その問題について地方教育委員会なりわれわれなりがさらにこれを検討し、悪いところを直すということも考えられることである、こういうふうに話したつもりであります。
  56. 堀昌雄

    ○堀委員 具体的には冷却期間を置いてもいい。こういうふうに、昨夜のきょうですから、そんなにお忘れになっておらないと思うのですが……。
  57. 松田竹千代

    松田国務大臣 それは昨夜じゃないのです。
  58. 堀昌雄

    ○堀委員 放送は昨夜です。それはそこまでにいたしまして、もう一つ非常にうれしいと思いましたのは、専従制限の問題がやはり取り上げられたわけです。そのときに大臣が、タイミングがちょっとまずかった、こういうふうにそこではお答えになっております。質問をされた方も、専従制限を三年にするとかいう原則的な考え方は私もわかります。しかし、今勤務評定でこれだけ混乱しておるときに、考え方が原則的にいいからといって、今やるというのは問題ありませんかということに対して、大臣はタイミングは確かにまずかった、こういうふうに実はお答えになっておるのであります。そこで、自分としては今すぐこれをやるつもりはないので、他のいろいろなそういう関係の人たちとのバランスも考えて、そうしてまた、地方自治体でいろいろと条例ができたり、全体が整った中で無理のない形でやりたいのだ、こういうふうにお答えになっております。私は大臣のお答えについて——どうも私これまで見ておりますと、少し文部省がおやりになることはせっかちになり過ぎているんじゃないか。ともかく次々に、これとこれとこれをやっていかなければならないという、何か衝動にかられた行動のように今国民は受け取っておると思うのです。そういうことが、大臣がタイミングがまずかったのだ。だからもうちょっとよく考えて、そうして全体が整ってからやりたいというお話も、私は大臣のお答えとしてまことにりっぱなお答えだ。そういうことが私は今の日本教育に国民が望んでおることだと思っておりまして、そういうお答えをされたのを聞いて、私は非常にいいお答えをいただいたと思うのですが、それについてはいかがでございましょうか。
  59. 松田竹千代

    松田国務大臣 私は考えておらなかった問題、というよりは、私はあまり知らなかった問題という方が適切である専従の問題、その制限が教育長並びに教育委員会会議において決定されて、そうしてそれが文部省へ持ってこられたということに対して、私は不意をつかれたような、知らない問題にぶつかったというような意味において、私としてはそういう感じを持ったという意味でありまして、おっしゃることは、大体そんなことを言ったろうと思います。
  60. 堀昌雄

    ○堀委員 そこで、もう一つ伺っておきたいのは、今教育会議が何かできまってびっくりなすったというお話ですが、一体内藤さん、何月何日の会議でそういうことを教育長たちはきめたのですか、その日にちを伺いたいのですが……。
  61. 内藤譽三郎

    内藤説明員 たしか八月の二十一日の教育会議で一応決定しまして、最終的に教育委員会議で決定されたのは、八月二十二日だったと記憶しております。
  62. 堀昌雄

    ○堀委員 そういたしますと、今の問題は文部省がイニシアチブをおとりになったのではなくて、たまたま教育会議ですか、八月二十一日に行われた日にこの問題が出てきた、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  63. 内藤譽三郎

    内藤説明員 さようでございます。
  64. 堀昌雄

    ○堀委員 それを伺うと、内藤さん、上手の手から水が漏るといいますけれども、おかしいことがある。「法制局1発第19号昭和33年7月3日、文部事務次官稲田清助殿、自治事務次官小林与三次殿、法制局長官林修三」こういう文書が出ている。この文書には「4月28日付文初地第255号、自乙公発第21号をもって共同照会にかかる標記の件に関し、次のとおり意見を回答する。」こういうことで専従制限に対する法律的解釈をあなた方は法制局に照会している。それからそれに基いてあなた方は「文初地第404号、昭和34年6月8日、各都道府県教育委員会教育長殿、文部省初等中等教育局長内藤譽三郎」として、この回答がこうなっておるからこの点についてやれ。——ちょっと読みますと、「職員団体の業務にもっぱら従事する職員(以下「専従職員」という。)の身分取扱に関して、このたび、別紙1、2のとおり内閣法制局から意見の回示がありました。これらのことについては、従来取り扱っていたことと異る点もありますので、これに対する措置について自治庁とも協議いたしましたが、回答意見の趣旨に従い、処理するのが妥当であるとの結論にいたりました。ついては、今後の取扱についてしかるべく御考慮をわずらわしたく参考までにお知らせいたします。」こういう文書が出ているのです。そこで私は別にあなたをひっかけたり、とっちめようとかいう考えはないんですよ。ただ問題は、私昨年委員になりまして、一年間の文部行政というものを見ておりますと、いささか常識を欠くような問題が多過ぎると思うのです。これは民主主義という問題の基本に立ち返って一つ大臣にお考えを願いたいのです。私は、大臣が先ほど皆さんが述べられておるように、リベラリストとして、そして民主主義者として、ある一つの道を通っていらっしゃったことについて敬意を表しております。そこで私は、ここで何も民主主義をいろいろ申しませんけれども、民主主義というものは常識的に問題を取り行うということが一つの原則だと思うのです。そうしてその中では、偏見や猜疑というようなものはできるだけ取り除いてもらいたい。民主主義というものは時間のかかるものである。話し合いをして、みなが納得の上で問題を進めていくためには、大へんな努力と時間がかかるというのが民主主義の原則だと私は思うのです。ところが見ておりますと、文部省のおやりになることは、いろいろとまず計画を定めておいて、そうして今のように、大臣教育会議でそういうのがきまったのは初耳だというようなお話、ところがあなた方は、それについての段取りはずっとこう進めておいて、ちゃんと指示まで流しておいて、そうしてこういう通達か何か知りませんが出ておれば、地方の教育長としてみれば、文部省の意向に沿ったことをやらなければならぬ。そこで八月二十一日にその人たちがあなた方の意を受けて問題を提示してきたのを、大臣は初めて聞いて実は考えていなかったので驚いた。大臣は私はそうだと思うのです。しかしあなた方が下にいてこれだけの段取りをとっていて、大臣にそういう思いをさせるということが、果して行政事務当局のやり方として正当かどうかという点になりますと、私は社会党の立場だけでものを言っておるのじゃないのです。これはやはり日本の国民が、現在の国会に対して抱いておりますいろいろな不信なり、政府当局に対しての不信というものは、そういうところから生まれてくるのではないかというふうに心配をするわけなんです。やはり権威のあるものが権威を行うときには、権威に値するだけの行為は十分考えておいていただかなければ、そこで国民が国会に対するいろいろな批判であるとか、あるいは行政当局に対する批判をするようになるのであって、この点は今さら済んだことですから、これをどうとは申しませんけれども、今後の文部行政については、もう少し改めていただかなければ困る。国会における答弁において、あなた方はそういうことをしたことはない、こういって、実ははっきりした証拠をここに提示できるというようなことは、これは望ましいことではないと思うのです。そういう点で、文部行政としてのあり方の根本について、大臣がお考えになっておる考えをもっと事務官僚の諸君に入れていただかないと、あなたが大臣就任なされたときと今日に非常に差があるというふうに先ほどから皆さんが言っておられることは、やはり大臣確信がややそういういろいろな点でゆらいでおるのではないかという不安があるのです。私は昨日の対談の中で、自分はなるほど政党に属しておるけれども、単にそういう党の圧力にだけ屈するのでもない。自分はこの年になって、別に地位も名誉もほしいとは思っておらぬので、自分所信に向って邁進したいとお答えになっておることはまことにりっぱだと思うのです。米ソ会談のときに、アイゼンハワー大統領が、大統領がソ連に行くなどということは大統領の権威に関するのではないかという新聞記者の質問に対して、大統領の権威の問題ではない、人類の問題だということを答弁しておられる。非常に大きな視野に立ってものを言っておるアメリカの大統領を見ますときに、日本政治家の皆さんも、当面ここ一年の日本行政をどうするか、こうするかということではなくて、やはり日本の今後の長い見通しの上に立って、日本教育をどうした方がいいのかという大きな視野に立ってものを見ていただかないと、小手先細工だけで処理されておるのが現在の文部行政ではないかという点を、私は国民とともに残念に思っておる、こういうことなんでございます。  そこで、それはそれといたしまして問題がもう一つございますのは、実は兵庫県で七月七日に高等学校先生が七名免職になった問題があるわけでございます。私は今から具体的な法律問正題をも含めてちょっと触れますが、その前に伺っておきたいのは、人を免職にするという問題は、今のこの状態で非常に重大なことだと私は考えております。かつて封建時代にさむらいたちは無法に百姓、町人を刀で切り殺したわけです。切り捨てごめんということで切り殺しましたけれども、当時の社会では百姓、町人はこれに抗議をすることもできなかった。不法であっても抗議することができなくて死んだということでありますが、現在は幸いなことに、こういう首切りに対していろいろと抗議やあるいは裁判等が設けられている。しかし切られて裁判その他で決定をするためには、相当長時間がかかるわけです。長時間かかったあとで、もしそのやり方は間違っていたといわれても、この何年間かに首を切られた人が置かれた状態、その人とその家族を含めての困難な状態ということに思いをいたしていただくならば、私は軽々に免職というようなことはできないと思うんです。これは別に兵庫県の問題だけではなくて、今全国の教育関係者に免職ということをしばしば地方教育委員会がとっておりますけれども、私はこの点についてはもう少し慎重な考慮が払われていいのではないかと思うのですが、大臣はこれをどういうふうにお考えになっているのか、一つこれを伺っておきます。
  65. 松田竹千代

    松田国務大臣 むろんお話の通り、人を免職にするというようなことは慎重な扱いをしなければならぬということは言うを待ちません。しかし私の知っておるところでは、日本ほどこの免職ということを慎重に扱っている国はないんじゃないか。これは官といわず、民といわず、世界において日本が一番慎重に扱っておると私は信じておる。いろいろな国の例を見ると、アメリカのごときはひどいもんです。ユニオンの人であろうと何であろうと、すぐお前は首だと言ってしまえばおしまいなんです。あとに何にも問題が起りません。きわめて簡単に扱っている。五分、十分以上おくれただけで免職された例を私は知っております。そういうわけで、私はお話の通りにどこまでも慎重に扱うべきものだと思いますけれども、わが日本の国はそれをどこの国よりも慎重に扱っているということは、大体において私は言えるのじゃないかという考えを持っております。
  66. 堀昌雄

    ○堀委員 法律の適用の問題については、裁判では疑わしきは罰せずという原則があります。私もしろうとですから、詳しいことは知りませんけれども、常識の範囲で、疑わしきは罰せずということがある。ところが実は今度の私どもの兵庫県で行われました免職問題は、法律的にまことに疑わしい問題だというふうに考えております。そこで、免職というものはやはり一種の死刑に該当するような格好のものですから、それについて重大な決定をする場合には、疑わしきは罰せずというのが私は原則じゃないかと思う。この高等学校先生の免職問題は内藤さんのところで何か照会を受けましたか、ちょっとそれを伺っておきたい。
  67. 内藤譽三郎

    内藤説明員 受けたことはないと思っております。  それから、実は先ほどちょっとお尋ねがありましたが、何か文部省が専従制限をやっている、こういうふうなお話がございましたけれども、六月の通達は、専従についての従来のあり方について、地方公務員法の二十四条六項でやるのが正しいんだ、こういう見解があったので、これを出しただけのことでございます。何か文部省がこの通達で専従制限を意図しているんだ、こういうふうにお考えになったのは、私大へん思い過しではなかろうかと思います。  それから、このときに専従の身分を休職にするとか、あるいは人数をどうするか、期間をどうするとかいうようなことは全然触れてない、この点は一つ誤解のないようにしていただきたいと思います。
  68. 堀昌雄

    ○堀委員 今の問題はあとに残しまして、大臣に対する質問を先にいたします。今度の問題については、実は法律的にいろいろな問題がありまして、その点について法制局の意見を聞きながら大臣とお話したいのですが、時間がきておりますからこれをあとにいたします。——委員長にお願いしたいのですが、こういうことになって次の委員会はまた一ヵ月も先になるということになりますと、私ども非常に困るのです。ですからこの点はちょっと配慮してもらいたいと思うのですが、これはちょっとあとに残して、この前宿題にいたしておきました学校保健法の問題につきまして、二つの点を回答していただくようにお願いいたしておきました。第一点は省令が現状に即しないのじゃないか、それについて一つ改正してもらいたいという意向を私述べました。これは御検討いただいたと思うので、具体的なことは局長からお答えいただけばいいのですが、改正する意思があるのかないのかという点だけを一つお答え願いたいと思います。
  69. 松田竹千代

    松田国務大臣 お約束してその後早速調べて、いろいろ担当の校医などの実際について調べました。その結果聴覚と申しますか、オージオメーターによる調べ方があまりに進んだ、行き過ぎた点まで調べるということでは、いろいろの点で困ることがある。やや省令は行き過ぎであったという結論になっておるので、行き過ぎはこれは正さなければならぬ、かように考えます。
  70. 堀昌雄

    ○堀委員 学校保健法関係のものがあとあるのですが、これはあとに延ばして、次に、本年度の予算をそろそろ皆さんの方では大蔵省にお出しになる段階にきておるようです。そこで、私この前の、いつでしたかの委員会で、中学校の生徒が急増するので、それに対する不正常授業解消の問題について、義務教育費国庫負担法では五月一日の現在員をもって出せという点は、これから急増する状態では無理ではないかということを申し上げましたら、たしかあのとき管理局長は、法律はそうなっておりますが、現状に即したようにできますとおっしゃったように私記憶しております。そこで私地元に帰りまして、本年度について来年度との関係の見通しについて調べてみますと、やはり依然として五月一日現在で出さなければだめだというような文部省のお話なので、われわれはやはり法律通りにしかやれない、実は私から聞いてそのようにやれるかと思ったらできないのですが、どうでしょうかという話を聞いておる。そこで私どもは、この問題については十分計画してやっていただかなければならぬと思うのですが、あなた方の方では義務教育費国庫負担法のあの部分を、当面中学校は三十八年までにものすごく急増する。小学校の生徒が義務教育で中学校に来るのはもうわかっておるのですから、その期間何か経過措置として現状に即して、入ってくる者が入れるような状態にできないのかどうか、管理局長大臣のお答えをあわせていただきたいと思います。
  71. 小林行雄

    小林説明員 中学校の生徒の急増に関連いたしまして、翌年度の生徒数をとって提出するべきだというお尋ねだと思いますが、この点につきましては、ただいまお話のございましたように、原則といたしましては当該年度の生徒数をとる、しかし、御承知のように増加の勢いの非常に顕著な場合、私ども二割程度以上にふえるような場合には、これは特別の事例といたしまして、この分につきましては、翌年度の生徒数をとってその年度に整備するということを認めておるわけであります。本年度の実際の状況を見ましても、文部省の方で採択いたしましたものの約七分の一くらいにつきましては、翌年度の生徒数をとって特認をしておるような状況でございます。ただ全面的にこれを取り上げるということになりますと、何といたしましても社会増の関係でございまして、数字的にはっきりしない面もございますので、数字的にはっきりしたものについてはできるだけできるように本年度もいたすつもりでございます。
  72. 松田竹千代

    松田国務大臣 私どももできる限り、今先の数字や何かも大体わかっておるのでありますから、それに対しては非常に心配いたしておりますが、あとう限り、少々無理をしても、一番むずかしいところから何らかの応急の措置でも、何らかの方法を講じて、今管理局長から話されたように工夫をしたいものだと思っております。それ以上は今のところでは申し上げられないのであります。
  73. 大平正芳

    大平委員長 午前の質疑はこの程度とし、午後二時まで休憩いたします。     午後一時四分休憩      ————◇—————     午後二時三十一分開議
  74. 大平正芳

    大平委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を許します。堀昌雄君。
  75. 堀昌雄

    ○堀委員 午前中の質問の中で残っておるのを一つだけ片づけて本論に入ることにいたします。  前回の委員会で学校保健法の問題に関連して、教育用品審査会の審査の合格品といわれた山越製作所が出しておるオージオメーターについて、どうも不十分な点があるというふうな指摘をいたしておきましたので、それについてはやはり文部省としても権威のある検査を一つしてもらいたい、こういうふうに私要望しておいたのでありますが、それについての回答を一つ承わりたい。
  76. 小林行雄

    小林説明員 KYSオージオメーターの科学的な再調査を行なってくれという御要望だったと思いますが、まことに私どももごもっともと思いましたので、これにつきましてはただいま電電公社の電気通信研究所の方へ試験検査を依頼しておるわけでございます。この電電公社の電気通信研究所を選びましたにつきましては、音響学会あるいはオージオメーターの専門委員会、これは工業標準調査会の中のオージオメーターの専門委員会でございますが、そういうところともいろいろお話し合いをいたしまして、何と申しましても非常に測定器の整備された機関でなければならぬ、しかも権威のある機関であることが望ましいわけでありますので、そういうところから御推薦を受けました電電公社の電気通信研究所に御依頼をいたしておるわけでございます。
  77. 堀昌雄

    ○堀委員 依頼はしていただいておるのですが、その後の経過はどういうことかちょっと伺いたい。
  78. 小林行雄

    小林説明員 話は八月の前回の委員会の翌日に実はいたしたのでございますが、機械を持ち込みましたのが下旬でございます。この音響測定器の測定というのは、話によりますと計測器の測定の中でも一番困難なむずかしい問題だそうでございます。それに今この電気通信研究所としてはできるだけ厳密な検査をしたいという考えから、相当時間がかかるように聞いております。実はせんだって、それにしても現在までの状況はどうだということを聞いておりますが、現在まで温度試験と申しまして、いろいろ温度の変化に応じた試験はやっておるようでございますが、その他のいろいろな試験研究の方法があり、それについてはまだやっていない、場合によっては二、三ヵ月かかるかもわからぬけれども、もうしばらく待ってもらいたいということであります。
  79. 堀昌雄

    ○堀委員 非常に科学的な検査をしていただいておるようで、私は満足でありますから、時間はかかっても一つはっきりした結果をいただきたい。その場合にちょっとお願いをしておきたいのは、今体育局長も来ておりませんけれども、次官一つお聞きいただきたいのですが、正確なそういう検査の結果が出るまでは一応学校その他が購入いたすことを差し控えるような処置を一つとってもらえないかということであります。それがいいとわかればよいのでありますけれども、もし十分でないというものであると、検査中であるのにかかわらずどんどん売り込まれるというようなことは、これはやはり問題があるかと思いますので、その点については一つ配慮をしていただきたい。  それからもう一つそういう測定器のいわゆる機械的な検査は、この電気通信研究所の検査で十分であると思いますが、臨床的な——これは機械だけではなく、それをいかに使うかという中で問題が起るわけでありますから、それについては問題は慶応大学の講師の方が提供されておりますが、その他の大学等で、やはりその山越の問題の機械的なレポートのあとで、これについての臨床的な評価といいますか、臨床的にもこれでよいのだということであるのかどうかについても、一つ確かめていただきたいということをお願いしたいと思うのです。
  80. 宮澤喜一

    ○宮澤説明員 前回堀委員からその問題についての御指摘がございまして、私ども研究を始めたわけでありますが、お話を伺いまして研究をして参りますと、御指摘の点に非常なごもっともなものがあるように実は報告を受けております。御指摘のメーカーのオージオメーターそのものにつきましては、ただいま管理局長から申し上げましたように、厳密な試験をいたしておりますが、他方でその機械がかりに完全な品物であったといたしましても、なおこれを用いまして学校で検査をいたします際には、やはり十分な知識を持った専門家がその検査に当らなければならない。これは耳鼻科の権威あるお医者さんでなければならないわけでありますが、全国的にもそういう方の数は決して多くはないわけであります。そればかりではなく、検査を行います場所、これはかなり整いました防音装置なり何なりなければ、正確な測定を行い得ないというのが、どうも事実のようでありまして、そういう場所を備えました学校なり施設というものも決して多くはないわけであります。従いまして、この機械を用いますことによって難聴であるかどうかという程度のことは判明するといたしましても、ただいま私どもが文部省令で難聴の程度を一つ精密に測定して、これを記録しろという問題につきましては、かりに機械が正確であるといたしましても、専門家の欠如並びに試験を行います場所の不整備というような点から判断いたしますと、難聴の程度までこれで測定をし、記録をするということは、どうも総合的に判断をして少しく適当でないのではないかという結論に近づいているように思うのであります。従いましてもしそういうことでございますと、省令で求めておりますことが、やや理想論に走りまして、現実に即さないということになるのではないかと思いますので、そういう結論に到達いたしましたならば、やはり省令をこだわらずに一応改める。難聴の程度を詳しく測定しろというようなことを省令からはずしていくことが、むしろこの際妥当な解決ではないか。将来機械並びに設備全体が整いました上は、それは進んだことをやるに越したことはございません。ただいまの状況ではそこまでいったことに多少行き過ぎと申しますか、無理があったのではないか、こういうように考えつつございますので、そういう結論が出ますと、私ども省令をこだわらずに一つ改めていかなければならないか、ただいまそう思っております。
  81. 堀昌雄

    ○堀委員 その問題はそれでけっこうでございます。  次に、先ほどちょっと触れたわけでありますが、兵庫県の教育委員会が七月七日に兵庫県高等学校教職員組合の執行委員六名を免職の処分にいたしました。私が先ほど触れましたように疑わしきは罰せずというのが裁判でも原則だし、行政処分でありましても、確固たる理由がないような場合には、これを免職などにするということはいささか問題があるのではないかというふうに考えておるわけであります。そこでしばらく法制局の方にお聞きをして、その関連で文部省の方にも質問をいたしますので、法制局との間の質疑を文部省の方も十分お聞きをいただいておきたいと思います。  まず法制局に伺いたいのは、その処分に対して処分説明書というのがつけられております。その処分説明書を簡単に申し上げますと、処分の内容に関する事項、それから懲戒処分としての免職、それから処分年月日昭和三十四年七月七日、根拠法規地方公務員法第二十九条第一項、こういうふうに書かれておりまして、処分理由というところに「右の者は兵庫県高等学校教職員組合理事中央執行委員の地位にあって教職員に関する勤務評定の実施を阻止する目的をもって昭和三十四年度兵庫県公立高等学校学者選抜のための学力検査実施阻止闘争を計画し積極的にその遂行を指導するなどの行為を行い学力検査事務拒否をはじめとし、学校の正常な運営を著しく阻害するなどの事態を生ぜしめた。かかる行為教育公務員として許し難い行為でありその責任は極めて重大である。よって、懲戒処分としての免職に処したものである。」こういうふうに書かれております。そこで私が伺いたいのは、地方公務員法第四十九条第一項で、「任命権者は、職員に対し、懲戒その他その意に反すると認める不利益な処分を行う場合においては、その際、その職員に対し処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない。」と規定をされております。そこでこの事由をはっきりさせた説明書を交付しなければならないと義務づけておる法律の趣旨、これは一体どういうことか伺いたいのです。
  82. 山内一夫

    ○山内説明員 懲戒処分が教育公務員と申しますか、地方公務員に対して重大な不利益を課するについて、その理由を明らかにして、その理由に基いて法の規定してありますところの救済処分を受けるのを容易にするという趣旨であろうと思います。
  83. 堀昌雄

    ○堀委員 要するにそういたしますと、処分された者がその理由を基礎にして、自分の救済を申し出るための根拠を明らかにするのが目的なわけでございますね。そうすると抽象的な表現であるとか——やはりその場合に何らかの行為に対する特定の事実がここに記載されておらない場合には、それを基礎として救済を申し出るということが非常に困難になりますから、抽象的なことで処分をされる、抽象的なことでやるということでは問題があるので、ある行為に該当する特定の具体的な事実と申しますか、そういうものを処分事由の説明の中に書き加えるのが、私はこの法律の趣旨であると理解しますが、その点はいかがでしょうか。
  84. 山内一夫

    ○山内説明員 原則的にはただいま先生のおっしゃった通りでございます。ただその行為が非常にはっきり、何人も疑わずあるということで、暗黙の上にそういうことが当然はっきりしてきたという前提があるような例外の場合は、あるいは違うかと思いますが、原則的には私はただいま先生のおっしゃる通りだと思います。
  85. 堀昌雄

    ○堀委員 ここでは根拠法規を明確に書くことになっております。根拠法規とその処分理由の説明というものはそこにはっきりと関係がなければならないと私は思うのです。要するに一つの処分理由があって、これに基いてこの根拠法規を使いました、こういうことになるのが当然だと思うのでありますが、今おっしゃるように原則的にはそうでありますけれども、それは何人もが直ちに理解できるというようなことであれば例外があろうと思うのですが、大体において私はやはり特定行為というもの、こういう行為があったから、この特定行為に関してこの根拠法規をこう使ったのだというところの関連が示されるのが当然ではないか。第四十九条第一項の趣旨はそういうふうに理解しますが、それでよろしいですか。
  86. 山内一夫

    ○山内説明員 原則的には堀委員のおっしゃる通りであります。
  87. 堀昌雄

    ○堀委員 そこで問題は、私と法制局の見解は大体一致をいたしたわけですが、その次に今度はこの処分をされました法律根拠、地方公務員法第二十九条第一項、「この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合」というのがここで使われた根拠法規のわけですが、そうすると、この中の今私が申し上げた処分の理由は、私どもはどうもこの法律にも関係がないし、「若しくは五十七条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、」これには条例もない。地方公共団体の規則、そういうものもない。「若しくは地方公共団体の機関の定める規程」こういうものもないというふうに私どもは考えるのです。こういうふうに抽象的に書かれておりますから、特定の事項というものがまず処分理由書にないわけです。それじゃこれだけ見たら、根拠法の二十九条の第一項とぱっとつながるというようなものでは、さっきあなたのおっしゃった例外として認められない部分だと考えるのです。そこで第二十九条第一項とこの処分理由の間にあなたが法制局の当事者の立場として何らか関連を考え得るかどうか。これがこういうふうになっているからこうじゃないかという点が、常識的に見ますと私どもは考えられないのです。それについてちょっとお考えを聞きたいと思うのです。
  88. 山内一夫

    ○山内説明員 これは私の想像でございますから、想像が誤まれば御訂正を願いたいと思いまするが、学力試験をするということが公立高等学校の職員の職務に入っているというふうに考えられている、それに対する職務命令が出ておりまして、それに対して、それに従わなかったという事実がありますると、今の堀先生のおっしゃった理由書の書き方については別に問題は残るかと思いまするが、今お読みになりましたその実態がはっきりいたしますれば、懲戒事由には該当するのではないか、かように考えております。
  89. 堀昌雄

    ○堀委員 今は仮定の事実についてお話しになったわけですが、まず問題は二つあるわけです。今おっしゃった中には、高等学校の入学試験、学力検査は教職員の職務であるという問題が一つと、もう一つは職務命令が出されていて、その職務命令に違反したという問題と、二つ重なれば、おっしゃるように一つの懲戒の理由にはなろうかと思います。ただその場合に、それでなおかつ一号が適用されるべきか。それならば「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合」という法律二十九条二号に該当するのじゃないか。第一号に該当する理由にはならないと思うのですが、その点はいかがですか。
  90. 山内一夫

    ○山内説明員 これは地方公務員法二十九条一項一号の規程が、兵庫県はどういうふうに定められてあるかわかりませんから、にわかに判断してお答え申し上げるわけにいかないと思いまするが、規程がない場合には個々の職務命令ということになりまするから、堀委員のおっしゃるように、二号の問題になると思います。
  91. 堀昌雄

    ○堀委員 私が調べたところでは、兵庫県の条例、規則その他にはそういうものがない。またそういうものは作れるはずがない。と申しますのは、学校教育法施行規則第五十九条をごらんいただきたいと思うのですけれども、学校教育法施行規則第五十九条では、「高等学校の入学は、校長が、これを許可する。入学志願者数が、入学定員を超過した場合には、入学者の選抜を行うことができる。前項の選抜を行うにあたっては、第五十四条の二の規定により送付された調査書その他必要な書類及び選抜のための学力検査の成績を資料としなければならない。学力検査は、公立の高等学校にあっては、当該高等学校を設置する都道府県又は市町村の教育委員会が、これを行う。」こういうふうに法律の事項としてはっきり明記をされておるわけです。そして現実の慣習を調べてみますと——ですからこれは本来の高等学校職員の職務ではない。高等学校職員の職務については、要するに教育に専念をするということが、たしか学校教育法のどこかに書いてあるわけなんです。教育に携わることが高等学校職員の職務であって、そしてこの問題については教育委員会が行うと書かれておりますから、現状の慣行の中で見ても、アルバイトを雇ったり、あるいはその学校先生を使う場合にも委嘱をして、それに対して委嘱料を払っておるという例が、兵庫県にも相当ある。ですから、過去の慣例を見ましても、この法律をそのままにずっと解釈をしましても、この高等学校の入試の学力検査の事務というものは本来の高等学校職員の職務ではない、こういうふうに私は理解をするのですが、この法律の文面だけについて一つ考えをいただいて、まあ問題は別個ですが、法律的な解釈としては、私の今申し上げた考え方がどこか違っておるかどうか、お答えを願いたいと思います。
  92. 山内一夫

    ○山内説明員 私の考えでは、確かに仰せになりますように学力試験というものは教育委員会の機関の権限になっております。学力検査、問題はこれが校務というものに該当するかどうかということになると思います。私といたしましては、教育委員会学校を管理する、所掌事務として管理するということが地方教育行政組織法に書いてあります。学校という組織体の事務を管理するという面が、教育委員会の機関としての権限として入っております。当該の高等学校に入学させるというその事務は、実を言うと当該の学校の校務ではないかと思うのです。それはまた御説明を要しまするが、結局当該学校で教える者の素質を調べるということで、教育の前提条件のような形になる。それが本来ならば各高等学校という組織体の仕事としてずっと現われてくるのでありまするが、公立高等学校の場合におきましては、それを教育委員会が全体をながめながら管理していくということになって、今の学力検査というのは、幾つかの高等学校の学力検査というものを総合的に、共同的にやることが公立学校のあり方として、あるいは高等学校に入ってくる生徒のいろいろな便宜、公平さ、そういうものから考えまして、それを共同的にやるということ、それは教育委員会の所掌事務、それが同時に、先ほど申しました地方教育行政組織法の学校を管理するという言葉と平仄を合わしておる。でありますから、組織体としての事務を考え、機関の事務は教育委員会にあるということと、ある事務が、校務の観点から把握されてくる事務とは、必ずしも私は矛盾をしない、かように思いまするので、そういうものを共同的に教育委員会がやる。先ほどおあげになりました五十九条の四項の学力検査というものは、そういうものにつきまして、校長を通じて当該学校の職員に補助執行と申しますか、補助を職務命令としてやらせることは一応可能ではないか、かように思っております。
  93. 堀昌雄

    ○堀委員 法律の解釈というものはいろいろあると思うのです。私はさっきもちょっと申したのですけれども、そのままで理解をすることもあり得ると思うのです。要するに、これらの法律の中で明らかに高等学校の職員に入学検査は職務であるということが書かれていないという面から見ますと、そっち側が書かれていて、なおかつこういうふうになっているのなら、私はわかる。ところが法律というものは片面から書かれています。裏側から見て否定的な部分のないものがあるわけなんです。そういう場合に報酬が与えられておる、委嘱料が出されたりしておる慣行が全然ないとするならば、これはまた別個の問題だと思うのですが、そういう慣行が方々にあって、そして逆の側として高等学校教職員学校教育法第五十一条とそれからまた第二十八条によって教育に専念をすればいいんだ。事務と教育ははっきり分れておる。教育に専念するということははっきり義務として書かれておるけれども、事務に専念しなければならないということは、この法律には、高等学校教員に対して、一つも書いてないのですよ。法律に義務として課しておる条項が一つもないのです。ただあなた方の拡張解釈か何かで、ここはこういう広がりだ、そこの中のここもかぶっていいのじゃないか、ここもかぶっていいのじゃないかというような解釈だけでいけば、なるほどそういうことも、それは成り立たないわけではない。しかし私は先ほど申し上げたように、疑わしきは罰せずという原則があるならば、免職というような重大な問題については、これが明らかに職務であると法律に書かれておるものについてならやむを得ないと私は思うのですが、そういうふうに拡張解釈をして、議論の余地かあるものを——これは行政裁判にかけておりますから、今後にその裁判の判決は出ることだと思います。まあ法律としての判断は最終的には裁判官がされることでありますから、私はここで論議をしておるのは、そのことを言っておるのじゃないのですけれども、やはり行政者がその法を使う場合の態度が、今のようにあいまいな解釈——解釈も成り立つとか、あるいは例外的には存在し得るであろうとか、そういう非常にあやふやな根拠に基いて六人もの先生を免職をさせるという態度は、きわめて政治的な態度ではないか。行政執行官というものは少くとも法に定められた範囲における権限を行使すべきなのであって、政治的な配慮に基いて執行をするということは、今の日本教育界混乱させる非常に大きな禍因になっているのじゃないか。行政担当者の立場としては、法律の範囲でそれが正しく、だれが見てもこれはなるほどおかしいという、職務に違反しておる問題についてなら私は理解できますけれども、これは伝えられるところによると、兵庫県教育委員会行政訴訟が起きると負けるかもしれないということを漏らしておるということを聞いておるのです。もし負けたとしたときに、私がさっき申し上げたように、訴訟は五年も、六年もかかるでしょう。六年先に負けました、この法律解釈は私が申しておるように、これは職務ではありませんでしたという判決がもし出たときに、一体その法の執行者であった教育委員会の諸君はどういう責任をとるのか、どういう形でその人たちの受けた精神的あるいは物質的な被害、その人だけにとどまらず、その家族その他を含めたその被害に対して、果してほんとうの責任を、その人がどれだけの決心を持ってこういうことを行われておるかどうか。私はここは非常に重大な問題だと思うのです。そこまでに対して、それからずっとうしろへきますと、いろいろ人事委員会なり何かにかけたりして、ともかくも府県教育委員会の方は地方公務員法第二十九条第二項にも該当するし、三十七条第一項にも該当するし、どれもこれもに該当するというような形で、あとで人事委員会に対して文書を出しておられる。私はこれがまたおかしいと思うのです。そんなに一つの問題で、これでいくんだということが根拠理由書に書かれておるはずなのに、私がさっき申し上げたように根拠の理由になっておる第二十九条第一項は、これはもう裁判にかかったら問題なくだめなんです。これは第二項ならまだ話はわかるけれども、処分理由第一項じゃないのだ、そういう高校の入試事務というものが高校職員の職務であると仮定をしても、第二十九条第一項には関係がないものを根拠法規に書いて処分をして、あとでいろいろ問題が起きたら、これは第二十九条の二項にも該当するのだとか、いやこうだこうだとかいう見識のない態度というものは私は非常に不審だと思うのです。  そこでもう一つ私伺っておきたいのは、文部省設置法の第五条十九の二というのがあるのです。「地方公共団体の長又は教育委員会に対し」、これは文部省ですね。「教育学術、文化及び宗教の事務の管理及び執行が法令の規定に違反し、又は著しく適正を欠く場合において、その是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めること」ができる。これは皆さん方の方は勤務評定をやらなかった地方教育委員会があったら、これは法律をちゃんとやっていない、あるいはその適正を欠くから措置命令を出したいというようなことは前にだいぶ私聞いたことがあるのです。そういうことも成り立つと思うのですが、今のこのような場合に、私はその法律、「法令の規定に違反し、」かどうかは問題があるかもしれません。これはおのおのの見解のあるところでありますけれども、著しく適正を欠くという点には、率直にいいまして、私これは常識的には該当するのじゃないかと思うのです。それは最終的には問題は別ですが、この場合に二十九の二というものの法令の規定に違反し、または著しく適正を欠くという判断は一体どこがするのかをちょっと法制局の方に伺いたい。この法律でだれが判断するのか。
  94. 山内一夫

    ○山内説明員 これは文部大臣の責任で行います。
  95. 堀昌雄

    ○堀委員 これは文部大臣だと私も思うのです。そうすると今ここで問題になりますのは、文部行政というものが地方、他方でいろいろ行われておる中で、それが法令の規定に違反しておるとか、著しく適正を欠くという判断文部大臣がしていろいろあれをするという場合には、非常に恣意的な取扱いが行われる可能性がある。要するに、やはり私どもとしては今のように逆に、こういうゆがんでいる場合でもそれは取り上げてもらえるような立場だと非常にいいと思うのですが、その点について大臣がお見えになりましたから、今ちょっと途中からお聞きになったのでわからないと思うのですが、兵庫県教育委員会がとりました法的根拠その他の問題が法律的に非常に分明でないにもかかわらず、六名の免職処分者を出した。私は違反しておるかどうかは別としても、どうも適正を欠くという項目に該当しはしないかと思うのですが、そういうふうな場合には大臣はやはり注意をしなさいというような指示をお出しになるかどうか、ちょっと伺っておきたいと思います。
  96. 松田竹千代

    松田国務大臣 今朝お答え申し上げたように、懲戒免職というような場合には十分な注意をしてやらなければならぬと考えておることを申し上げたのであります。むろんそれによって当局がいろいろ考えてくれるものと思うのであります。たまたま前段のお話を伺いませんが、法律の明文にはっきりうたっておらないからといって、だれが考えても常識的にこれは教育上の事務であり、教育に直結する、関係するところの事務であるという場合には、それは当然のことではないか、直接教育たるものに関係の深い問題であるから、この法律に該当するものではないか、この一項、二項、三項ですか今読みつつあるのですが、これに該当するものと考えられる。
  97. 堀昌雄

    ○堀委員 今の御発言は私非常に重大だと思うのです。というのはわれわれの国は現在法治国で、国民の権利はやはり法律によって守られておるということが私は重大な問題だと思うのです。そうすると法律によらないで主観的に大体それは教育の事務なんだというような形で、そういうことをやったらけしからぬのだということになると、これは法治国として大へん重大な問題で、なるほど法治国では行政者の法律に対する問題というものもありますが、同時に治められておる国民の法律としての権利もあるわけなんで、法律で明らかにそれが職務であると書かれておらないようなものについて、そういうふうに主観的な恣意な判断に基いて処分を行うということになれば、日本の法治国としての立場は一体どうなるのか。私今の大臣の答えは大へん粗雑に過ぎるのじゃないかというふうに感じるのですが、その点もう一回重ねて大臣の御見解を伺いたい。
  98. 松田竹千代

    松田国務大臣 むろん法律によらなければならぬということは当然の話でありまして、それをわれわれはむしろ強調したいところでございます。私の申し上げたのは、いろいろさまざまな場合があるが、短かい条文の上に必ずしもあらゆる場面を想定してこれを書き上げるということはできない場合が多いと思う。そういう場合に私としましては、法律の条文を読み、必ずそれに該当しておる事項であると考えるときに、当然それは適用さるべきものである、かように考えるのでありますが、法律の解釈は私は得意とするところじゃありません。それぞれ専門家に一つお聞きを願いたい。私の申し上げるのは、少くとも何人も常識的に考えて、これは該当するものであるという確信を持たなければ、行政処分をするにいたしましても、あるいは特別の免職のごとき重要な間正題については、そう軽々しく、軽率にやるべきものでないという観念はこびりついているものである、かように考えております。
  99. 堀昌雄

    ○堀委員 さっき申しました第二十八条には「教諭は、児童教育を掌る。」となっておるので、事務というものはあとから付帯的に問題が生じておると思う。本来この学校教育法から見て、さっきのそういう解釈などからくると、これだけのことは皆さんの職務ですという管理規則が設けられておれば別ですが、県の条例その他の中には、高等学校の職員が学力検査をやらなければならぬというような条例はないのです。何にもないところ、これだけの法律の中で、いきなりそれが職務であるということをきめつけておる点に私は問題があろうかと思うのです。最終的なことはこれは裁判所のことですが、私はそういう見解の成り立ち、要するに疑わしきは罰せずという問題をここで一つ取り上げる必要があるのではないか、こういうことを申しておるわけなんです。内藤さん、何か発言があるようですから、それについて何かあれば………。
  100. 内藤譽三郎

    内藤説明員 先ほどお述べになりました学校教育法施行規則の五十九条の子供たちの入学から転学から退学から卒業まで、これが一応学校の事務に入っているわけであります。今御指摘の学力検査は教育委員会の事務ですが。ですから教育の中には、子供を入れるときに判定をし、卒業するときにも学力の判定をしなければ、卒業させていいかどうかわからぬ。ですから、教育というものは当然入れるときから出すまでのものが含まれておる、かように考えるわけです。従って、広い意味の教育の中でございますから校務である。ですから、地方公務員法二十九条に「この法律」と申しましたのは、入学試験の事務を拒否する計画を立てて、これをあおり、そそのかしたという三十七条違反の問題が、二十九条一項の一号からは出てくるかもしれない。職務上の命令が出ておる、この職務上の命令に違反した、こういうような点で一項二号違反、またそれは「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」だ、こうも言えることと思います。ですから一項の一、二、三のいずれにも該当すると思う。ですから、いずれにも該当するということを書いて差しつかえない。特定の場合のみでない、いろいろな条件が重なった場合は、その重なった条件を克明に書き出すことは差しつかえないと思います。
  101. 堀昌雄

    ○堀委員 そういうことになると意見の相違ですから、私はここで内藤さんと論争する意思はありません。しかし、率直に言いますと、あなたの論理からすると、要するに学校教員は何でもやらなければならぬということになるんですね。教育ということの関連になれば、それこそ学校の掃除もしてやらなければならぬし、あらゆることはもう全部教員がしなければならぬ。それはみな教育なんだというところに私は発展してくると思うのです。だからこの問題は、私が最初に申し上げたように、常識を基準にして問題を判断していかないと——それならば事務と書く必要はないんですね。いろいろな事務という言葉がこの中ではたくさん出るのです。事務と教育はやはり分けられなければならぬ。そうすると、ここで学力検査というものは、この場合においては教育ではなくて、その先生たちにとっては一つの事務なんです。というのは入ってこないんだから。きた人については、それからは教育だ、試験をやったりすることについては、それはその人たちの責任だと思う。しかし、入ってこない人間に対して、くるかこないかわからない者の部分については、よその人間を教育しなければならぬことはないのであって、だから学校教育法施行規則でこのように書かれておる。入った者については学校側の責任である。入る段階の者は、その学校当事者の責任ではなくて、そこらは教育委員会で入れるということについて事務を行えということ、私はこの法律を常識的にそう解釈しておるのです。だから、これはあなたがそうでないということになれば、見解の相違だし、私はこの場で見解の相違を争う意思はない。そういう問題については裁判所できめるでしょう。ただ私がここで望んでおきたいのは、あなた方は片一方の面だけで常に問題を見ておられるということですね。反対の受ける側の身になって、それでいいかということを過去において点検され、問題を処理されたことがあるかどうか。現在の文部省の行き方に最近は世論が非常に反発しておる。私はきのうのラジオ放送を聞いておると、文部大臣がいささか興奮しておる。なぜか、毎日新聞の論説委員と石垣さんが言うことは私が言いたいことをみんな言っておる。それだから、大臣はついに、どうもこういう対談会には勤評反対の方々が出てきて、賛成の人が出てこない傾向なので、私は最近こういう対談は断わる方針だとおっしゃっているのですが、私はその毎日新聞の論説委員は、特に反対の者を持っていったのではなくて、ラジオ放送のことだから、おそらく比較的中庸の人を持ってきたけれども、その人たちすらもあえてそう言わざるを得ないというところには、皆さん方がある一つ行為をされたときに、それに対して反省をされる気持があるのかないのか、もう少し謙虚に、一つ行為をされたときには、それを受ける側の身になったらどうだろうか。その人たちの権利を守る部分はどういうふうになるだろうかという形の面でものを見て、しかし、なおかつこれではいかぬという場合には、私はこういう場合もあり得ると思うのですが、私は別に弁護士でも何でもないですから、この問題でどうこう言いませんが、ただ客観的な立場で常識的にものを判断した場合には、今回のこの取扱いについてはいささか穏当を欠くのではないか。そういう問題が起る場合の態度文部省なり教育委員会が現在とられておる態度は、政治的な勤評反対というものをこういうことでやった——私は入試事務を拒否したことがいいとは言わないのです。こういうことは、私も、私の子供が兵庫県でことし入試事務を拒否されたときに、高等学校を受験しておる。子供が一生懸命勉強して受験しておる。私は父兄の一人として、学校へ一緒についていって、こういうことはしていただきたくないという気持は持った。これは文部省の皆さんとわれわれ同じだと思う。それは父兄の立場としては、何も子供に罪とがはないのですから、そういうことをしていただきたくないという気持はありますが、しかし、それと、こういうことをやったやつはけしからぬから処分してしまえ、ともかく勤評反対するやつは頭を一つがちんとたたかなければいかぬ、多少あいまいな点があってもやるんだという態度は、私は教育行政の中から取り除いていただきたい。やはり国民の立場というものは、先生たちがそうされたのは悪いけれども、免職にするとはひどいというのが兵庫県民の大きな声です。これで免職しなければならぬほどのことかということになりますれば、現在の文部行政混乱さしておるのは、教組側が混乱さしておると皆さんは言うけれども、県民は正しくそれを批判して、教育委員会の誤まりは誤まりとして見ておる。そういう点を分けて考えていただいて、一つ行政者の立場としても、行政処分をされたりいろいろされたりする側の立場に一回立って、謙虚に反省をしていただきたい。  その点で私は大臣に伺っておきたいのは、昨年来この一年間勤評のああいう問題を起されたことは、大臣は非常に何か効果があったように言われておりますが、私は、それは何か多少の小さな効果が部分的にはあったかもしれませんが、日本教育界全体として見るならば、混乱に終始しておる現在の姿は、勤評をやった以前と以後において必ずマイナスであるという判断を持っておる。これは私も持っておるし、国民の多くが持っておるということが、最近の新聞論調の中で文部省に反省を求める声として現われておる、私はこういうように考えるのですが、その点についてもう一度お答えいただきたい。
  102. 松田竹千代

    松田国務大臣 私はその点はあなたとは違うのでありまして、私は、勤評内容や何かに対してあまり詳しく知らない一般大衆は、勤評もやるべきものであるというふうにもうだいぶ変ってきておると考えております。それはなぜかといえば、勤評内容について調べるまでもなく、勤評反対を唱えてああいう騒擾をかもすことは、もう日教組が悪いのだという考え方からそういう考えを持つに至っておると思います。  それからまた今私のラジオ放送に言及されましたが、それは私は実例を引いて申し上げたのです。あるラジオで一般公衆の意見をとるようにしておったところが、それがたまたま電話がかかってきて、そうして勤評反対の電話は取り次ぐが、勤評賛成の電話は取り次がなかったという事例があるから、そういう偏向したやり方をやられるのでは困る。偏向していることも困るし、またこの教育の問題を興味本位に取り扱われるということはまことに困るから、そういうのはお断わりするということで私は断わった。こういうことは少し違いますから……。
  103. 堀昌雄

    ○堀委員 今のお話の中で興味本位というお話が出たのですが、これはマスコミといいますか、ジャーナリズムに対する一つの冒涜というか、そういう態度はよろしくないと思うのです。国民の関心がここにあるからこそジャーナリズムの諸君はあげてこの問題についてあなたの意見を聞きたい、それが世論なんですよ。そういう世論があるということは、もうちょっとあなたは謙虚に聞いていただかなければ困る。それはなるほど取扱いの中にそういう問題はあったかもしれない。しかしそれは興味本位に扱おうとしたからどうということではなくて、賛成の立場にある文部省の見解とその反対の見解との中にいずれが真理かということを国民に知らせてやりたいというのがジャーナリズムの人たちの考えじゃないかと思います。だからそういう取扱い方を一方的に興味本位に扱うのだというふうにきめつけられる点は、私は松田さんのようなリベラリストにしては何かちょっと解せない点があるわけなんです。ですからどうかこの問題について大臣一つ冷静に、そうして謙虚な態度で国民の希望に沿うような形でこの問題を処理していただきたいということをお願いして、この問題についての質問を終ります。
  104. 大平正芳

    大平委員長 臼井莊一君
  105. 臼井莊一

    ○臼井委員 私の質問は今堀委員の御質問のありました兵庫県の高等学校の問題、これは尼崎市の城内高等学校の問題にもからんでくると思うのでありますが、この問題について、警察庁はお見えになっておりませんので、文部省からおわかりのことを一つお伺いしたいのです。  この尼崎市の城内学校で今堀君の御質問のように一人の先生が処分せられた、もう一人の先生は何か仮免許状の期限が三月で切れて、採用試験に通らなかったというので二人がやめることなった、そうして新任の先生が二人そこに来たところが、これを組合の方で校内に入ることを阻止した。これがなんでも九月一日、二日のことだったそうです。その後も組合の人たちが管理者の許可を得ないで校内へ入ってきている。そうしてこの新任の先生が校内へ入ることをピケを張って阻止した。ところがこの阻止の仕方に、何か生徒を校門の中に立ち並べて、これを突破して入れないようにしたというような事件があって、そうしてこれに対して生徒の中にけが人が出た、こういうようなことをちょっと聞いておるのです。この事実について一つお伺いしたいと思うのでありますが、もしこのようなことをやろうとしたならば、いやしくも生徒を保護し、教育する立場にある先生が、みずからの——意見なり主張なり運動のよしあしは別といたしましても、これを暴力のたてにするようなことをもしやろうとしたならばまことに重大なことである、私はかように考えるのであります。おとなに対する人権の擁護とかいう問題がありますが、ことに生徒学生に対してそういった運動の材料にする、これは私は非常に大きな問題だと思います。ひとりこのことばかりでなく。このことについては、まず一つ御報告を伺いたいのでありますが、最近の教組の運動のやり方が、児童の迷惑ということをむしろ売りものにして、こういう子供が犠牲になることはただ権力の犠牲だ、文部省の犠牲だというような一方的な宣伝の材料に使っておるというふうに思える節が多分にあるのでありますが、こういう問題について教育の場において、ことに身をもってでも生徒をかばったというようなことをいろいろかつては聞いておる。そういう先生方がかりにでもそういうような考え方があるというと教育上の根本の大きな問題であると思いますので、ちょうど堀君から御質問が出ましたので、その問題について事情を文部省、並びに警察庁の方でもこういう点について御調査がありますがどうか。それをまずありましたら事情を一応御説明願いたいと思います。
  106. 内藤譽三郎

    内藤説明員 ただいま臼井委員お尋ねでございますが、尼崎の城内高校は校長が不合格ときめた二人の先生を含めて組合が全員入学を発表した。そうして入学試験の拒否闘争になったのですが、そこでお話のように一人の先生は入学試験の拒否闘争という理由で免職になっておるのであります。もう一人の先生は条件付採用の教員でありましたが、任用資格がないということでやめていただいたわけであります。この事件を契機にかようないい先生を首にすることはけしからぬ。そこで教育委員会としては四人の後任の牛生を任命したのですが、ついに校門に入れなかった。特に最前列には女生徒がおる、そのあとには男子生徒がおり、そのあとには職員が控えておる、こういうような状況で校長が四人の先生を連れて校門に入ろうとしたが、どうしても入れなかった。こういう事情でありまして、後に警官の出動をお願いしてようやく入ることは入った、こういうような事情でございます。
  107. 堀昌雄

    ○堀委員 ちょっと関連。今のあれはちょっと事実と違うので、文部省調査はどういう形で調査をなさったのか知りませんが、非常に事実と相違がある。私は当時ずっと尼崎市におりまして、その実情を詳しく見ておりましたが、生徒が並びましたことは事実でありますが、生徒が並びましたのはたしか九月の五日だったと思います。それで問題が起きたのは九月の四日に警察の方の介入があった。そのときに私はちょっと市教委のやり方に納得のいかない点がありますのは、実はこの学校は全日制の高等学校と定時制の高等学校、こういうふうにつらなっておる。そうして校長さんは全日制の校長であり、定時制の校長である。そしてこの二人の免職された者は定時制の先生なんです。そこで新任の先生四人を連れていくのに、何も午後四時半以後に入らなければならないことはない。学校は朝からあるし、何時に入っても差しつかえない問題なんですが、なぜかその諸君が四時半からピケを張るというその四時半以後に校長先生が四人の先生を、必ずピケを張っているからと連れていって帰られた。三日間そういう既成事実を作って、四日目にとうとう警察官を動員して、そうしてピケを破って、連れて中へ入った、こういう事実なんです。そうして生徒が立ちましたのは、それではあんまりだということで、ピケを破られて警察官が介入した翌日に学校の校庭に並んだ。ピケはやはり四時半から労組の人や何かがこんなにちゃんとして、そうして女生徒を含めた二百人程度の生徒たちが、これではあまりひどいではないかということで校庭に並んだだけで、ピケを張ったわけではない。だから警察官はその生徒が出てきたということで、その日は介入をしなかった。私は七日に出てきましたから、七日以後のことはわかりません。しかし六日までの実情はそういうことであったわけです。そこで生徒が負傷したりすることもない。ただ私も臼井さんの御意見と同感なのは、やはり生徒がそういうことをやるのなら、先生方はそういうことはやめろと言ってほしかった。そういうことは、私はいいとは思わない。しかし生徒たちが自発的に、これは定時制高校の生徒ですから、昼は職場に行って働いておる人たちで、やはり労働者としての感覚があるから、あまりひどいじゃないかといって、生徒がみずから生徒会で決議して並んだということについては、私はそれは何ら教員が指導したものとは考えていない。だから、そこはちょっと内藤さんがお答えになったことと事実に相違がありますから、ちょっと申し上げておきます。
  108. 内藤譽三郎

    内藤説明員 事実に相違があるかどうか、さらに私の方も県の教育委員会に照会して、いずれ後刻お答えを申し上げたいと思います。
  109. 臼井莊一

    ○臼井委員 そうすると、別にそれによって生徒がけがをしたとかなんとかいう事実はなかったのですか。
  110. 内藤譽三郎

    内藤説明員 若干のけががあったとは聞いておりますけれども、この点もさらによく調査いたしたいと思います。
  111. 臼井莊一

    ○臼井委員 その点何か警察庁の方には報告は入っておりませんか、どうですか。
  112. 江口俊男

    ○江口説明員 私もただいま急に参りましたので、詳しく聞いておりませんが、私が聞いている範囲では、実力行使をやったということだけでございまして、けが人が出た云々ということは聞いておりませんし、生徒が並んだことも、調べてみればわかると思いますが、存じておりません。
  113. 臼井莊一

    ○臼井委員 けが人が出ていなければ幸いですが、私は何かちょっとけが人が出たように聞いたので、事は非常に重大だと考えたいのであります。しかし幸いけが人が出ないにいたしましても、堀委員もおっしゃったように、自発的であるかないかの問題は別としても、教育者という特殊な立場にあることをお考えないじゃないでしょうが、あまりに組合意識というか、労働者としての意識の方が強過ぎて、教育の方の責任というか、職務というか、そういう方面の意識が薄れて、先生行動がそういうことに現われる。従ってこれが子供に影響して、少くとも生徒としてそういうことであってはならないような行動まで出る。しかもこれを先生がとめても生徒なんかが聞かないような状態になりつつあるということは、私は教育の面において非常に重大だと思う。実は私昨年の九月十五日の日教組統一行動のときに、前日唯一の賜暇をやったといわれる福島へ参りました。そのときも、先生のデモなどはまことに穏やかでありましたけれども、あすこの福島大学の学芸学部の学生のデモのやり方はまことに激しいものがあって、県庁の中でジグザグ行進をやって、果てはそこに坐り込んで、面会を強要するという状態であった。私はあまり見かねて芸大の学長に電話して聞いたんです。ところがもう学生が先生の言うことを聞かないという。どうして聞かないかというと、その前に勤評はやるべきでないということを教授団として発表した。従って自分たちは先生の言うことを応援してやっているんだ。それを何もここで坐り込みをやっているからといって帰れとは何事かといって、逆に学部長に食ってかかるような始末で、どうにも手に負えないということを聞いたんです。そういうふうに教授なり教師なりが言うこと、行うということはやはり学生、生徒、児童に影響するのでありますから、そういう意味において私はよほど慎重にやってもらわなければならないというふうに考えるのであります。こういう点について今後も私の方でもそういうようなことについては特に関心を持っておりますので、昨日でございますか、一斉の統一行動がありましたので、全国的にそういう点を御調査願って、特に面会あるいは話し合いという非常に穏やかで体裁がいいが、事実過去において教育長や校長をつるし上げをする、そうして何時間もカン詰めにする。すでに岐阜県においては昨日の前にもそういうことがあったということが新聞に報ぜられておりますが、一つこれは文部省も警察当局も、さらには人権擁護局も、こういう人権擁護の中でも、ことに児童に関する問題はどういうふうにお考えになっておるんですか。やはり人権擁護局の御担当でありますか。その点を伺いたいとともに、十分御調査願って次の機会にまた御報告願いたいと思います。
  114. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 児童に関する件というのは、どういう意味でございますか。
  115. 臼井莊一

    ○臼井委員 私どもの常識では、当然児童人権擁護局で扱うものと考えますが、特に児童擁護の立場学校もやっておりますが、やはり同様に扱っておるのでありますか。特に何か扱うあれがあるんですか。要するに、あなた方の方でそういうことをお取り扱う立場にあるかどうか、将来の参考にちょっとお伺いしておきます。
  116. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 児童と申しますか、子供の人権につきましては、たとえば体罰という問題、それはむしろ強いくらいに取り上げております。それから、もちろんそういうふうな組合活動あるいはその他のこういう集団的なスト、そういう場合において何らかの形で児童の人権が侵害される。たとえば町村合併なんかで反対派が同盟休校をする、そういう問題がありました。それもやはり児童教育を受けるという権利を妨害するのではなかろうか、そういう点でも取り上げております。決して別に取り扱っておるわけではございません。
  117. 臼井莊一

    ○臼井委員 そうすると、こういうふうにかりにピケを組合員と一緒になって張ったという場合に、自発的であるというならばやむを得ないものなのか、あるいはこれが教師としての立場から指導したということになると、当然私は問題になると思うのですが、その点についての御見解を伺っておきたいと思っております。
  118. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 先生方が自分たちの何らかの目的達成のために児童に命令と申しますか、指導してピケを張らせた。実は私たちも今初めてお聞きするのでありますが、この際抽象的にすぐこの事例が児童の、あるいは学童の人権を侵害するかどうか今お答えしかねると思いますが、やはりこういう問題にわれわれも関心を持っております。その点だけつけ加えます。
  119. 大平正芳

  120. 長谷川保

    長谷川(保)委員 先ほど大臣世界教職員総連合の事務局長ウィリアム・カー氏の書簡等についていろいろお言葉があったわけでありますけれども、ことにこの人の文部省に対します発言、勤評に対する発言は内政干渉であるというお話をちょっと言われたのでありますが、私もこの人と会ったことがありますけれども、非常に温厚な年寄りの人です。この中には日教組も加わっておる。これは約七百万の全世界の、ことに自由主義陣営のすべてといっていい国の教職員の連合団体であります。勤評日本の五十万教員諸君の非常に重要な問題、ただいまお話がありましたようにしばしば教員諸君が誠首されるという非常な問題であり、ことに日本教育問題としまして非常に大きな問題となっている。私は先般申しましたように、この勤評問題をもし大臣が正しく解決されるならば、それだけでも大臣をなさいました大きな歴史的な意義があると思うのでありますけれども、そういう大きな問題に対して、日教組も加わっております世界教職員総連合がいろいろな忠告をし、勧告をし、助言をするということは当然のことであります。でありますからどうも大臣の先ほどの言葉は不穏当だと思うのです。これはやはりすなおに耳を傾けるべきである。だから内政干渉であるというふうな発言があったことは非常に遺憾だと思う。そういう筋のものでないと私は思うのでありますが、この点大臣のお気持をお聞きしたい。
  121. 松田竹千代

    松田国務大臣 私は内政干渉であるとは言いません。内政干渉であると言いたいような気持を持ったけれども、言わなかった。それで好意を感謝し、向うの言うてきた勤評のあり方についてこちらの考えを述べて、そしてありがとうといってお手紙を出したわけです。ですからそう申し上げたつもりで、はっきりしていると思います。
  122. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そのようにおっしゃいましたが、そういうような感じを持つということ自体変じゃないか。世界のすべての自由主義陣営の教員が加わっておる団体の事務局長が、団体を代表して申してきている。事務局長という名が手紙についていたはずです、そういうものに対してただいまのようなお立場というのは非常に遺憾であると私は思います。七百万の世界のほとんどすべての自由主義陣営の——これは共産陣営は入っておりません。その団体の代表が、日本勤務評定は間違っている、教育効果は上らないのだ、こう言ってきている。でありますから私は文部省の昨年来強行して参りました勤務評定は、世界のすべての自由主義陣営の教師から批判されてしまったのだと考えるのでありますけれども、大臣はそうお考えになりませんか。
  123. 松田竹千代

    松田国務大臣 もしその席上に、わが日本日教組の諸君ばかりの代表がおったのでなしに、別の見解を持つ人々も出席されておるとしたならば、私はああいうことにはならなかったと思います。
  124. 内藤譽三郎

    内藤説明員 ちょっと長谷川委員に申し上げますが、カー博士の手紙は、勤評が間違いだということを言っているのじゃございません。アメリカでも特に条件付採用を任用にする場合とか、一般の任用の場合には当然やっている。日本の場合は事情がちょっと違うのでございまして、転任という形はアメリカでは普通とっていない。契約の更新あるいは契約がえになりますので、新しい任用でございます。カー博士が言っているのは、こういう任用の場合に使うのは当然だ、しかし昇給に関係づけることは妥当じゃない、こういう点を指摘しているのでございまして、勤評が間違いだということはカー博士も言っておりません。
  125. 長谷川保

    長谷川(保)委員 冗談じゃないよ。読売の今年の八月二十三日の世界教職員総連合の書簡、これが読売は英語を知らなくてへたくそな訳をしました、あるいは誤訳である、こういうならば別でありますが、新聞に載っている訳が正しい——私は原文を読んでおりませんから、正しい訳であれば、これにこう書いてあります。「全世界数百万の教職員を代表し、日本で実施されている勤評教職員にとって、また教育の進歩にとって有害なものである。多くの同様な制度を研究した結果として、日本勤評制度に対して激しく反対せざるを得ない。」こう書いてありませんか。
  126. 内藤譽三郎

    内藤説明員 今長谷川委員のお読みになった記事は、カー書簡とは全然関係ございません。カー書簡にはこういうふうに書かれております。「教職員の能力は、教職志望者の選抜を養成期間、採用時及び見習い期間において厳格に行えば、最も確実に保障されるのであります。よき管理者、教職員は、教育の質を向上させるには、勤務評定制度により経済的懲罰を加えるより、教職員の賢明な選抜と指導を行う方がはるかによい方法である」つまり教職員の選抜、指導にはこれは役に立つということを言うているのでありまして、今お話の件はカー書簡とは全然関係がございません。
  127. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それは実にいよいよ奇怪しごくだと私は思う。今お話の点も書いてございますよ。終りの方に書いてありますけれども、文部省内藤局長はいつも自分の御都合のいいことだけおっしゃるように、私は長年おつき合いして感じる。手紙の一番初めにそう書いてありませんか、これは橋本文相時代に来たものではありますけれども……。
  128. 内藤譽三郎

    内藤説明員 私が申し上げたのは、先ほどあなたが八月に決議した読売新聞に載っておった記事をおっしゃったから、それと関係ないということを申し上げたのでございます。このカー書簡が橋本文相に参りましたのは、向うの日付で一九五九年三月三日になっております。ですからそれと関係ないということを申し上げたのです。  それからこの手紙の初めに、御指摘のように、「私は、全世界数百万の教職員を代表し、日本において実施されている教職員勤務評定は、教職員にとって、また教育の進歩にとって有害なものであると考えますことを申し述べます。」これは出ています。
  129. 長谷川保

    長谷川(保)委員 これは私は決議したと言いませんよ、書簡ですよ、決議したとは申しておりません。だから別に日教組の人がそこにおって決議したわけでもなんでもないわけでありまして、先ほど申しましたように、これは橋本文相時代に来たものではありますけれども、今申しましたように、はっきりと「全世界数百万の教職員を代表し、日本で実施されている勤評教職員にとって、また教育の進歩にとって有害なものである。多くの同様な制度を研究した結果として、日本勤評制度に対して激しく反対せざるを得ない。」こうはっきり書いてある。でありますから、全世界教職員諸君は、文部省のやろうとしているものは反対だ、間違いだ、激しく反対せざるを得ない、こう言っているということは事実でございましょう。
  130. 内藤譽三郎

    内藤説明員 そういうことも言っておりますが、先ほど私が申し上げた点も言っておるのでございます。
  131. 長谷川保

    長谷川(保)委員 あなたは世界教職員団体総連合の教員諸君が、勤評は悪いと言ってないというように先ほどお話がありました。だからその言葉を取り消すわけですね。
  132. 内藤譽三郎

    内藤説明員 私が申し上げましたのは、今お話のような点も書かれておりますし、同時に勤務評定というものは教員志望者の選抜、養成期間、採用時及び見習い期間にやる場合にはけっこうなものである、また勤評を選抜、指導に使うこともけっこうだ、こう言っているのでございまして、日本勤評制度というものについて、私はカー氏は十分な理解がないように思う。前段においては、お話のように反対、有害なものであるということを述べておりますし、後段においては、何か勤評というものを認めるような書簡でもございます。ですから私どもとしては、日本勤務評定の実情について、カー氏が十分な御理解をいただいていないんじゃないかというふうに思います。
  133. 長谷川保

    長谷川(保)委員 あとの書簡でも勤評がいいとは言ってないですよ。ただ採用時に十分審査すべきだということを言っておりますよ。けれども勤評がいいとは言ってないのですよ。別にそんなことは何も書いてない。原文を読んでごらんなさい。
  134. 内藤譽三郎

    内藤説明員 こういうふうに書かれております。「よき管理者、教職員は、教育の質を向上させるには、勤務評定制度により経済的懲罰を加えるより、教職員の賢明な選抜と指導を行う方がはるかによい方法である」こういうふうに、何か勤務評定というものを経済的懲罰を加えるというように誤解しているのじゃないか。採用する場合に工バリュェーションをする、これは当然であり、また指導する場合、特に研修する場合にも何らかのエバリュエーシヨンが必要である、この点はカー氏も認めておると思うのです。
  135. 長谷川保

    長谷川(保)委員 あなたの読み方は非常に勝手な読み方です。勤務評定が経済的懲罰に食いついているのです。あなたは、勤務評定はいい、経済的懲罰は別だというように解釈している。そうじゃないですよ。勤務評定が経済的懲罰に食いついている。メリット・レーティングという関係を向うは言っておりますからね、食いついているのですよ。勤務評定がいいと言っているのじゃないのです。勤務評定をすることによって、その結果たとえばボーナスを減らすとか、あるいはまた昇給をさせないとか、そういうことはいけないと言っているのであって、勤務評定はいいとはちっとも言っているのじゃ、ない。ただ御承知のようにアメリカ教員の任用制度におきましては、大学を出てから仮任用の期間があるわけです。日本でも同様ですけれども。仮任用の期間に十分にこの人はいいか悪いか、教員として適当であるかどうかということを見るわけですね。その期間はあります。それは私必要だと思う。日本でも必要だと思う。いきなりやって、とんでもないようなのが飛び込んでは困りますからね。仮任用、試験採用という場合には、勤評という形であるないは別にして、今行われておる勤評というようなものでいけるかいけないかは別問題として、それは必要だと思う。ただ、向うの仮任用のときのやり方を調べてみますと、仮任用の期間にまた資格をとるのでありますけれども、その一人の仮任用の教員がりっぱな教員として採用されるようにと、もう学校の全教員が非常によく協力している。ただ単に冷たい目で見ておって、これはいいか悪いかなんということじゃなしに、十分その単位がとれて、正規の教師としての資格がとれるように、学校中がみな涙ぐましいほどの協力をしているのです。そういう態度をもって仮任用の諸君をりっぱな教員にする。その間にたとえば不道徳をしたとかいうことになれば、これはもう任用できないけれども、それでも日本であなたが考えているような勤務評定と違いますよ。そういうものじゃありません。あなたは非常に勝手に考えるくせがあるのだけれども、まことによろしくないと私は思うのです。私どもがこういう問題をここで討議いたしますのは、そのために日本教育がどれだけりっぱになるかということを考えるわけです。一体こういうような勤務評定というようなことで大きな争いになって、これでは教育効果は絶対上がるはずはない。だから私どもは、何とかこういうことはあと回しにしたらどうか、お互い共通の問題がたくさんある。文部省教育委員会もまた与野党を問わず、われわれ文教関係の議員も、あるいはまた先生も親たちも子供たちもほんとうに協力をして、何とかそれを実現したいと思っていることが幾らもあるでしょう、そういう問題をなぜやらぬかということを昨年来言っておるわけだ。たとえばすし詰め教室の問題です。先ほど大臣からも、十ヵ年かかるかもしれませんが、非常に一生懸命やるのだというお話がありましたが、今度の世界教育学会議を見ましても、今日文部省が言っておりますすし詰め教室の問題でも、向うはもうびっくりしてしまっているでしょう。どこか大田区の学校を見て一クラス七十名なんてとんでもない話で、大体私も調べて参りましたが、二十名ないし二十五名、せいぜい三十名というのが世界の文明国の一クラスの定員です。この間私は文部省へ静岡県の浜松市の学校の問題で行きました。それはその学校がおきめになっている一クラス五十何名の定員よりも二割オーバーしている。それを二割オーバーしているのじゃ、すし詰め教室と認めないから、不正常授業解消の金は出すことはできないとおっしゃる。五割以上でなければ出さないとおっしゃる。私は初めて文部省の内規か何か知りませんけれども聞きましてびっくりしました。何ということだ、私どもは五十何名ということ自体がすし詰め教室だと考えておる。やはり今日の進歩した教育をやるとすれば、一クラス二十名ないし二十五名、あるいは三十名というところでとどめなければならぬということは世界の世論の通説です。しかるに私が浜松市の学校のすし詰め教室のことで行っても、五十何名の二割多いのじゃだめなんだ、それじゃ不正常授業と言われぬのだ、解消するには五割以上多くなければ金は出せないのだ、そんなばかなことがありますか。すし詰め教室解消の十ヵ年計画、五ヵ年計画といったって、おそらく五十何名に返るということでありましょう。その五十何名のすし詰め教室をまた半分にしなければ今日の進歩した教育はできないのです。そういう世界の通説の前に、外国から来た教育学の先生たちはあきれてしまっているじゃないですか。どうしてその問題に金をかけないのか。そういうことをしないでなぜ管理職手当なんというものに十三億という金を使うか。その先生たちは何もそんなものを要求していない。それがまた学校先生たちの不安の原因になっている。そういうようなものに持っていかないで、なぜすし詰め教室の解消に十三億円を使わないか、私はそう思うのです。あるいは道徳教育の問題でも、私は新聞で見たのであって速記録を見ておりませんから、どういう御議論に立っているかは新聞で知るよりほかに道はありませんけれども、新聞ではやはり日教組が言っている通り日本ではあなた方の考えている道徳教育ではだめだといっているじゃありませんか。ブリックマンその他の諸君の言っているところは、あなたの考えている道徳教育ではだめだと、日教組のいっている道徳教育を支持しているじゃありませんか。私はアメリカに行って道徳教育のことを調べました。今文部省がこういう道徳教育をやろうとしているがと言ったら、一人の教育学者も賛成しませんでした。そんなものはだめだ、そういうものは効果が上らないものだと全部の教育学者が言いましたよ。その問題だって日教組のいう通りです。勤務評定の問題もその通りです。入学難問題だってそうではないですか。こんなに親たちの心配する問題はありませんよ。またこんなに子供たちが心配している問題はありませんよ。そしてまた私は今日の日本の入学難問題こそ、ほんとうに日本の青年諸君の道徳を破壊しているものはないと思う。人を突き飛ばさなければ自分は上れないのだ。もう都会では幼稚園から始まるという。いなかではそうではありませんけれども、すでに中学校はもう試験地獄、高等学校試験地獄、大学試験地獄でしょう。このような試験地獄の中で、りっぱな人格を持った子供が育つはずがないじゃありませんか。人を突き倒さなければいかぬのだ、何を道徳教育したってだめでしょう、自分のためには人を突き倒さなければだめだ。この前申し上げたと思いますけれども、これは事実のことですが、東大で卒業のクラスにおる人が、掲示板に人を採用するというどこそこの会社の掲示が出ると、自分が見てすぐに破ってしまって、ほかの人に見せない。こういうことをやっておるということを東大の学生から私は聞いた。これではわれわれがたくさんの国の費用を入れて東京大学を作って、さらに学生を卒業させ、たくさんの費用を出してやっておる学生諸君がそういうことでどうして日本の将来がりっぱなものになりますか。和は入学難こそほんとうに真剣になって解決していかなければならぬと思う。これはあの教育学者諸君の議論を聞きましても、こんなことは世界中にない。やはり考え方はあるんでしょう。今度社会党で文教政策を出しましたけれども、入学難を解決することについて一体どれだけの努力を文部省はしているか。私はほんとうに日本の国民の幸福というものを真剣に考えておるかどうか問題だと思う。こういう面でも日教組のいう全員入学をさせようということは、その具体策はどこにあるかは研究しなければなりませんけれども、ずいぶん困難な問題ではあるが、しかし方法はあると思う。そういうような問題でもむしろ文部省がしなければならぬ問題がたくさんある。産業教育の問題でも、単線型の教育をするか複線型の教育をするかということについても、教育学者の議論を見て参りますと、やはり日教組のいうように、ヨーロッパの複線型をいっている国でも順次単線型にしていこうという傾向がすでにドイツで出てきておると書いておるでしょう。だから日教組のいうことがほんとうじゃないんですか。今度の世界教育学者会議でいっていることを見ましても、日教組のいうことはほとんど全部ほんとうであって、文部省のやっておることは全部時代おくれの石頭だと考えざるを得ない。これを読んでいきますと私はすなおにそう思いますよ。あなた方もお読みになったと思う。だから私は今文部省がそういうことを解決することに全力をあげることを要求しておる。それを勤務評定をあくまでやっていくという。しかも今申しましたように、世界のすべての自由主義陣営の教職員が、日本でやるものはだめだ、激しく反対する、こう手紙に書いてきておりますのをなぜすなおにお受けにならないか。これは間違いだと文部省があくまで主張するその根拠があるのでしょうか。世界教育学者会議でも、文部省のやっておることは間違いだとほとんど全部いっている。世界教職員総連合事務局のカー氏の世界七百万自由主義陣営の教職員を代表しての手紙も、これは間違いだといっております。これをすなおに受け入れられないのはどこに原因があるか、その原因を一つ伺いたい。
  136. 内藤譽三郎

    内藤説明員 何か先ほど来、新聞の記事を取り上げられていろいろと御批判がありましたけれども、実は道徳教育をやってないということについて、イギリスのラワリース教授がその対談に出ていらっしゃって、直接ラワリース教授に聞きました。ところがこの記事はうそだ、私は非常に激しい憤りを感じておる、この新聞社に対して私は抗議を申し込む、近くこの新聞社は同じだけのスペースを私に与えてくれることになった、こう伝えておりました。そこでラワリース教授の話によりますと、イギリスでは道徳教育という名前のもとに行なってはいない、しかしながら一週間二時間宗教教育を行なっておる、毎朝モーニング・サービスもしておる、道徳教育には非常に力を注いでおる、こういう言明がございました。この点はつけ加えさせていただきたいと思います。いずれ近くその新聞にラワリース教授の反駁が出るであろうと私は思っておりますので、それを読んでいただきたいと思います。  それから勤務評定についていろいろ御批判がありましたが、この書簡でも何か勤務評定が経済的懲罰を加えるという誤解があるのじゃなかろうか。この書簡においてもあなたの御指摘の通り条件付採用の期間、当然アメリカの場合には全部新しい任用になる。日本のような兼任という制度はございません。ですから任用されるときには当然その間において何らかの工バリュエーシヨンが行われます。同時にどういう先生が能力が欠けておるか、教員の資質の上に支障があるかないか、こういう点で研修にも使っておる。現在私どもの調査では、アメリカの市町村教育委員会の八〇%が勤務評定をしている。従って今お話のように、昇格の場合あるいは選抜の場合あるいは研修の場合に現に使っておるのであります。私どもとしては、各県に大体平均一万四、五千人の教員がおるわけでございます。ですから従来からも、何らかの形でこれが校長や教頭に進める場合にも候補者を選考しなければならぬと思います。また教員の配置がえの問題もあろうと思います。また教員の研修の問題もあるわけです。どういう人を研修させるか、こういうことについて従来もある意味では工バリュェーションが行われておった。それは今日のような形じゃなかったと思う。しかしながら何らかの形の工バリュエーシヨンは当然必要なんです。ただその場合に、各個人にまかせますと主観的なものが入りがちです。ですから、より客観的、より合理的なものにしようということで、あの様式が生まれたわけでございます。ですからあの様式自体にいろいろと御意見がありますればできるだけ取り入れて、より完全なものにして参らなければならぬと考えておりますが、私どもは勤評制度はなくていい、こういうふうなお考えにはにわかには同意いたしかねるのでございます。
  137. 長谷川保

    長谷川(保)委員 ただいまの言葉の中にあったのでありますけれども、日教組は道徳教育をしなくていいと言っているのではない。そういうように去年も言いふらして国民をだました。日教組はそんなことは言っていませんよ。日教組は全教科において道徳の教育をする、それを主張しておる。道徳特設時間でやるのではないのだ、そう言っているのです。だから先ほどのお話のように、英国、ドイツ等では確かにモーニング・サービスもしておりましょう。それから宗教教育をするところもあります。アメリカでももちろんあります。そういう点は、私は日本におきましては、ある程度不幸な点があると思います。同時にアメリカ学校等におきましては、日教組の言うように全教科において道徳教育を行うという行き方をしているわけです。またそれがおそらく正しいと私は思うのです。だから去年も道徳教育日教組反対をしているのだ、道徳教育をしないのだというように宣伝をして、日教組は窮地に陥ったのでありますけれども、そんなことは日教組は一言も言っていない。全教科において道徳教育をやる、そのことを主張している。ただ特設の道徳時間でやるということは間違いである、こういうことを主張しているのです。その点は今日明確にしておかなければならぬと思う。国民諸君は去年非常にだまされた。だれがだましたのか知りませんけれども、これは日教組の諸君に対して非常に気の毒であると思います。それから今アメリカでは八〇%ですか、勤務評定をやっているとあなたは言うのですが、そういうことは私が調べた限りにおいてはありませんし、先ほど同僚櫻井委員からお話がありましたように、アメリカから参りましたスタツフォード大学のガルシア教授もそう言っておられる。問題は、あなたと私とどこで食い違っているかというと、あなたは勤務評定という言葉で、今あなた方がやっていこうとする。またやらせようとするその勤務評定言葉ですりかえているわけです。問題はそこにある。あなたは勤務評定という言葉で、今あなた方が全国の教育長やその他に指示をしてやらせておるその勤務評定をやっているというようにわれわれが聞けるようにあなたは説明している。そうじゃない、全然違うのです。アメリカでやっておるところも少しあります。この前申しましたように、たとえばカリフォルニアの百七十八教育区の中で四つやっていますよ。けれどもあなたの言うような、日本文部省の言うようなのと全然違う。この前申し上げましたから繰り返すのはどうかと思いますけれども、それはまず自分で申請をするのです。自分で、自分はすぐれた教師だと思う、だから特別に給料をよくしてもらいたい、ボーナスをよけいもらいたいと申請をするのです。それに対して、その教師だけを取り上げまして一方的に、しかも秘密にやるのではない。たとえばその学校先生、同僚が三名出てくる、校長が入る、教育の監督官が入る、PTAの親たちが入る、子供も入る、そうして自分も入る、そういうようにして自分が書き出しました主張を審査するというような行き方をしているところが多いのであります。それでありますから、それを勤務評定であるとあなた方は言うけれども、あなた方の言う勤務評定と全然違う。非常に民主的な行き方をもってしている。しかもそれも害があるからやめようということになっているところがほとんどなんです。そういうように違うのですよ。だから、勤務評定アメリカでたくさんやっておるのだということを方々でお書きになっているようですけれども、全然違う。あなた方がやろうというのをやっているところは、もう世界一つもない。そのようなばかなことをやろうという人間は、世界教育界にいないということなんです。そういうことをよく反省しなければいけませんよ。私は、激しい言葉で大へん恐縮だけれども、あなた方が言うことを聞いていると腹が立つ。ごまかしです。ほんとうに日本教育を大事にしようと考えているのではない。考えているならそういう言葉は出てこない。ほんとうに日本教育を心配するなら、日本の国民を心配するなら、そんな言葉は出てこない。もっと事実を正確に調べて、なるほどわれわれがやろうとしていることは、ほかの国では一つもやっていない、けれども別の形でこういうことをやっているところはある、こういう話ならわかる。しかしそうじゃなくて、勤務評定という言葉で問題をすりかえている。国民を詐欺している。そういうことはいけませんよ。ふまじめです。私どもはそういうような立場であなた方に給料を出しておるのではない。ほんとうに日本教育をりっぱにしようと思っている人々に給料を出しておる。日本教育を破壊するようなことはごめんですよ。そういうことだったら、私は国民の名においてやめてもらいたいと思う。勤務評定という言葉ですりかえている。そんなことではありませんよ。だから今言ったような非常な食い違いが出てくる。私は初め、私が調べてきたものが間違いかなと思ってずいぶん心配した。あなた方があまり言うものだから……。けれども内容が違うのですよ。ですから、日本教育を守るためにもっとまじめにならなければなりません。私は時間もおそいからあまり申しませんけれども、あなたが、あなたの名前で世界教職員総連合の事務局長のウィリアム・カーに出したというこの手紙が、やはり八月二十三日の読売に載っていますが、これはごらんになりましたか。ごらんになったとすれば、この記事はそのままほんとうでしょうか。まずそのことを先に承わりましょう。
  138. 内藤譽三郎

    内藤説明員 読売の記事は私詳細に読んでおりませんが、全文ではなく抜粋したと記憶しております。  それからちょっと今お尋ねがございましたアメリカ勤務評定を定期的に実施しておる学校は、五十万人以上のところで九四%になっております。十万人以上五十万人未満のところが七九%で、大体大都市ではほとんど実施しているように聞いております。
  139. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そんなことはないのです。あなた方の方でだれか行って調べてきたのですか。だれかそのために派遣したのですか。
  140. 内藤譽三郎

    内藤説明員 これは一九五六年にアメリカから出版された出版物の抜粋でございます。
  141. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それだから内容が違うと言っている。今言ったように、大体自分で申し出てやってもらうという行き方をしている。あなた方の言うのと全然違う。上から勤務評定をやる、いやだというのを無理やりつかまえてやらせる、それで反対するやつは首を切ってしまうというのと違うというのですよ。自分で申し出てやっているのです。つまりおれの給料は、普通アメリカは全部勤務年数と学歴で、エスカレーター方式でやっていますから、それではとてもだめだ、おれはもっといい先生なんだ、こういうことでやっているのであって、内容が全然違うというのですよ。だから、さっきもくどく申しましたように、あなたの言う勤務評定と違うのです。エバリュエーションとか、メリット・レーティング・システムとか、いろいろやっていますけれども、違うのですよ。それだから、九 ○何%やっているというが、事実はそうじゃない、申し出た人があるときにやりますよというのです。やらないものは幾らもある。だから全然違うのですよ。そこに非常な間違いがある。それで、あなた方の方でだれか行って、事実調べてきたのかどうか、それを聞きたい。
  142. 内藤譽三郎

    内藤説明員 そういう御指摘がありますから、近く出してよく調べさせたいと思っております。
  143. 長谷川保

    長谷川(保)委員 これだけの大きな騒ぎを日本の中で起すのに、外国の事情も調べずにこれをやるなんということがありますか。あなたはその責任者です。これだけの、日本じゅうを混乱に陥れる仕事をやるのに、そんなばかなことがありますか。あなたは、勤務評定をやるやり方の一番基礎になっている、昨年も当委員会で問題になりました人事院規則の一〇—二に書いてあることを御存じでしょう。大臣、先ほど来、法律に書いてあるからやるのだというお話がありましたが、文部官僚にだまされてはいけませんよ。法律に書いてあるからやるのだと文部官僚は言いますけれども、だまされてはいけません。これは去年ここで非常な問題になった。  それで勤務評定をやる一番基礎になる人事院規則の一〇—二ですが、ここにどういうようにやるのかということが書いてある。地方公務員の場合にも、私は当然これに従うべきだと思うのです。この一〇—二の二条の二に「勤務評定は、あらかじめ試験的な実施その他の調査を行って、評定の結果に識別力、信頼性及び妥当性があり、且つ、容易に実施できるものであることを確かめたものでなければならない。」こうあるのです。こういうことを、今のお話ではやってないじゃないですか。文部当局がやるべきことをやってないじゃないか。去年もこの問題が出たときに、どこそこで少しやったというような話がありました。なるほど二、三のところでちょっとこれをやったようなことがあったのです。これに似たことをやったことがあるのです。それを文部省は言っておる。けれども、今全世界の自由主義陣営の教育者から、それはだめだ、教育も進歩させないし、教員に対してもよくない、こういういわば善意のある袋だたきにあっていながら、そういうものを強行して大混乱を起しておる。しかも勤務評定では一番長い歴史と経験を持っており、過去三十年やってみてだめだからというので、二十年前にみなやめてしまった、そういう大失敗をしたアメリカの実情をも調べない。そして独善的に、みずから考え勤務評定やり方を、アメリカでもやっているのだ、九〇何%もやっているのだ、いつの間にか考え方が飛躍してしまっている。自分の頭の中で空想したものをアメリカでやっているものと一緒だと思っている。全然違う。そういうようなばかなことをしている。つまり法律通りやっていない。一体何のために勤務評定をやるのだ。これは、先ほど内藤局長その他がお引きになった得意の地方公務員法を見たって、第一条には、地方公務員法の目的が書いてある。つまり、この勤務評定を規定しておりまするこの地公法の目的、それには、地方行政の民主的かつ能率的な運営を保障し、もって地方自治の本旨の実現に資することを目的とするということが書いてある。つまり、民主的かつ能率的な運営を保障するためにやるのだということが書いてある。ところが、今日、どうごまかそうと、強弁をしようと、現場の五十万の先生を敵に回して、法律と全く逆のことをやっているじゃないですか。先生たちは、激しい闘争を組んで、二時間、三時間の授業をやめても、自分たちが考え日本の民主的教育を守ろうとして、それほどの大きな犠牲を払って戦っておる。こういうようなあり方でどうして教育効果が上り、教育能率が上るか。およそ教育くらい全部の関係者、親も子も教師文部省も、一切のその地域社会の者が協力しなければ効果の上らないものはないことはだれでもわかっている。それを、これだけ現場の先生を相手にして戦って、能率が上るはずがないじゃありませんか。まさしくこの勤務評定こそは地公法違反です。地方公務員法第一条目的の違反だ。それを今やっているのです。それをみずから法律を守るためと強弁しているから、実に変なものだ。しかも大臣は、先ほど来法律を守るという立場でやるというお話でありますけれども、この人事院規則の一〇—二の第三条には、除外例があって、著しく困難なものは除外をすると書いてあるのです。先ほど来お話しのように、これが容易にできるものであって、それが確かめてある、信頼性、また客観性がある、妥当性がある、こういうものであるならば、幾ら教組がさか立ちしたって反対できるものではありませんよ。つまり、信頼性、妥当性がないというところにこういう問題が起ってきているのです。でありますから、まさしく人事院規則違反であり、地方公務員法違反である。ことに直接担当します各府県の人事委員会では、すでに、私の住みます静岡県を初めとして、教員は、まさしくこの人事院規則の一〇—二の三条の二、著しく評定の困難なものに該当するといってこれを除外してあったのです。そういう県が日本中に幾つもあったのです。そういうものを無視してやる、まさに法律違反をしているのです。法律を守るのでなくて、法律違反をしているのです。これは、調べてみましたところでは、もう世界的にそうです。だから、法律を守ってやるんだという今までの文部省、政府の言い方というのは違っている。法律を守っているのではない。法律を逆にしている、法律に違反している、そう考えられる。昨年その点をここで非常に議論をしたが、私どもは全然文部当局の言うことに納得しておらない。教育行政の組織及び運営に関する法律の中に教員はしかじかときめてある、こうおっしゃるが、その法律こそは、それゆえにこそ参議院であの大乱闘騒ぎを起してまでも無理やり通した法律なんだ。そういう教育に関する法律を力で通すということ自体がすでに根本的に間違っている。こういうものこそ、教育に関する法律であればこそ、なおさら慎重にすべての者が納得して通すというものでなければならぬのに、それを無理やり力で通したというところに、ああいうような法律ができた。われわれはあのような法律は不当なものとして承知をしておらぬ。今日も了承しない。そういうような力でもって押していくという最も非教育的なやり方教育的な法律を作るというところに大きな間違いがある。すでに根本的な間違いをしているわけです。でありますから、法律によってやるのだという論拠は今日の勤務評定にはありません。その点をお考えになっていただきたい。大臣は文部官僚にだまされてはいけません。やはりあなたが最初におっしゃったように、また私がこの前の委員会で申しましたように、官僚諸君でなければできないことはたくさんあります。その点については、私は日本の官僚諸君を高く評価します。しかし、官僚諸君ではできないことがあります。つまり木を見て森を見ない、山を見ないという点が官僚諸君にある。特に日本の官僚諸君の非常な弱点は、何でも権力支配しようとする、中央集権で権力支配しようとする、そういう傾向がある。それは民主主義考え方と違う。そういうような欠陥を補うために、われわれは政治家としてしっかりと大所高所から見て、そしてほんとうに日本教育を大事にするという道を踏まなければならぬと思う。そういう点で私は大臣に期待を持っておった。けれども、最近どうも官僚諸君にだまされるという傾向が出てきているのは非常に残念だと思う。そうでなくて、お互いに力を合せて日本教育を守ろうじゃないか、官僚諸君はわれわれの決定したことを忠実にやってくれればいい、そういうようにしなければならぬと思う。その点で、私はこの際大臣が奮起せられんことを望みます。  話がだいぶ長くなって恐縮でありますけれども、内藤局長に先ほどお伺いいたしましたこの手紙、あなたは全文新聞を読んでいらっしゃらないということでありますが、これは読売新聞のことでありますから、おそらく間違いではないと思います。この回答書簡の中に日本の今の勤務評定を行おうとする文部省当局の考え方が集約されて出ていると思いますので、この点について私は少し質問をし、議論をいたしたいと思います。このあなたの名前で出されました回答書簡を見ますと「教職員の賢明な選抜と指導は、教職員の能力と勤務実績との正しい評価にもとずいて行なわれなければならない。」ということが書いてある。「だから勤評を適正に行なうことは教育の進歩となり決して有害なものではない」こういう言葉がある。すでにこの言葉の中に根本的な間違いがある。教職員勤評が適正に行えるという前提に立っている。正しい評価が行えるという前提に立っている。これができないというのが世界教育学者意見なんだ。それが適正に行えない。少くとも私がアメリカで会った全部の教育学者意見だ。一人残らず適正に行えないと言う。あなたは適正に行えるという前提に立っておる。これが非常な間違いだと思いますが、これをあなたはあくまで適正に行えると言い切れますか。
  144. 内藤譽三郎

    内藤説明員 従来から、私が先ほどから申しましたように、わが国でも五十数万の教職員を扱っておりまして、一県平均一万五千くらいになりますので、何らかの評価は行われた、しかしそれは不十分であったから、より合理的、客観的なものにいたしたいという希望を私たちは持っています。不合理なものになりますと、因縁も情実も入って参りますから、なるべくそうでないものであってほしい。国立学校につきましては、先ほど来先生はできないとおっしゃったが、すでに二十七年から実施して、別に不平不満も聞いておりません。ですから、私どもは国立学校先生にできるものが地方の先生にできないとは考えておりません。私どもはできるだけ適正な勤務評定を行なっていきたい、こういう熱意と努力を続けていきたいと思うのであります。  それからちょっと別のことでありますが、先ほど何か文部省が道徳教育について全教科でやるということを否定しておるような御発言でございましたが、これは誤まりでございまして、私どもは全教科を通じて行うという原則は依然として堅持しており、ただ足りないところを補ったり、深く掘り下げたりして、断片的なものを統合するという意味で一時間をさらに特設した、こういう趣旨でありますので、誤解のないように願いたいと思います。
  145. 長谷川保

    長谷川(保)委員 時間がありませんから、また次の機会に順次譲りますけれども、ごく大ざっぱにもう少し伺いたいと思うのであります。  国立学校で行なっておるから行えるのだというお話でありますけれども、それは国立学校全部に行なったんですか。そしてまたそれが完全なものだという自信をお持ちになっているのですか。
  146. 内藤譽三郎

    内藤説明員 国立の高等学校は全部に行なっております。不備な点があれば、もちろん私どもは改善して参りたいと考えます。
  147. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そういう勤務評定が適正に行われるという考え方自体が間違いだということをまず反省してもらいたいと思います。私が先ほど来申しておりますように、アメリカで会いましたすべての教育学の有名な大学の教授たちはできないというように言っています。ドクター・ガルシアという人の言葉だけを一つ代表的に出しておきますけれども、これはシカゴ大学の教授ですが、この人は、長年にわたって教師評価がされたが、成功したためしはない、よい教師か悪い教師かを決定する基準はないのだ。なるほど他のところでこういうように言っていますよ。学歴と年数によるアメリカ式の、エスカレーター式の給与の引き上げですね。そういう行き方は、無能な教員を助けることになるかもしれないが、有能な教師の地位を守る。ほんとうの教育は、自発的に、しっかりと熱情を込めてやらなければならないものだ。そういう教師の地位を守り、下手くそな、誤まった評定によって有能な教師をだめにしてしまうというようなことがあってはならない。教育は事務的、機械的な仕事ではない。ちょうどこれは偶然でありますけれども、ドクター・スミス、これはネアの本部におられる、今の国際教育者連合の秘書をしておる——秘書長といいますかをしておる人でありますが、この人と私はワシントンで会った。ネアの本部で会った。この人はそう言っております。ですから、そういう点を謙遜に考えなければいけませんよ。そんな評価ができるなんて、甘いものじゃないということは、全部の教育学者が言っております、私が会った限りでは。私は決して意図的にこの教育学者を選んだのではない。この前申したように、各大学へ行って、お宅の代表的な教育学者に会いたいということで、お目にかかっておる。ですから、そういうふうに適正に行うことができるとあなたが言うということに、すでに大きな間違いがあるということを、深く反省しなければいけません。そういうところに今の大きな間違いが出てくる。  それからもう一つ、あなたの書簡で私は非常に気になりますのは、あなたの書簡を見ますと、「日本教師の大多数は過激な反対運動に批判的である。」「また勤勉な教師が怠惰な教師と同じ給与をうけることが、教師の士気をたかめ教育を進歩させるものだとはとうてい考えられない。」あるいはまた「勤評反対運動は教育的見地に立つものではなく、」こういうようなお言葉があります。こういうような、勤評反対運動が教育的な見地に立つものではないというような断定、それ自体に、私は大きな誤まりがあると思う。たびたび申すことでありますけれども、私は日教組の諸君と始終お目にかかります。また彼らの討論の場にしばしば傍聴しますが、そんな変な考え方を持っておりません。まじめに、今の教育を守ろうとしておる。ただその守ろうとする考え方が、あなた方と立場が違うだけです。あくまで平和的な、民主的な、着実を守る教育を守ろう、それが日教組のスローガンです。ほんとうにそう考えておりますよ。ですから、こういう、勤評反対運動は教育的見地に立つものではない、何かはかの意図があってやっているのだ、この考え方は根本的に間違いです。そこに間違いがあるから、一つそれを考え直してもらいたい。日本の大多数の教師は過激な反対運動に批判的である——なるほど過激な反対運動には批判的でありましょう。けれども、この勤評反対運動は必ずしも批判していませんよ。大多数の教師諸君は、これは賛成してやっているじゃありませんか。あなたの手紙を見ますと、そこにも、客観性を欠いた、あなたの主観だけが出ています。やはり文部省初等中等教育局長としてお出しになる以上は、もっと客観的な立場に立たなければだめです。こういう主観的なことを入れて、これは笑われものですよ。これはいけませんよ。あなたに道徳教育をするわけじゃありませんけれども………。それから、優秀な教師が怠惰な教師と同じ給与を受けるというようなことも、世界教育者諸君がそういうことを頭の中に置いておかないでこの手紙を書いているのでもなければ、世界中の教師勤評反対しているのではありません。そういうことは全部頭の中に入れて、しかも長い間の経験を通して、これはだめだと、こう烙印を押しておるのでありまして、決してあなたが言うように、こういうようなことを頭の中に入れないでやっているのじゃない。十分頭の中に入れて、計算の中に入れて、経験を通して、しかもこれはだめだと言っているのです。あなたが独善的にこういうことをお書きになって、まるであなたのお手紙を見ますと、向うの人はそういうことを考えないで忠告をしてきたかというふうに見えますけれども、これは全部計算の中に入れてやっている。やはりこういう点でも、謙遜にお考えいただきたいと私は思う。  もう一つここで申し上げておきたいことは、先ほども教員の馘首の話が出ましたけれども、アメリカ教師というものは、その試用期間、試みに使いまする期間、仮任用の期間というものを終りまして、正規の教師の免状を受けますと、もう裁判によることなしには本人の同意なしにこの学校から他の学校に移すということすらできない。それほど身分が保障されている。どこでも勝手にやっていいというのではない。これは私は二ヵ所でこれを確かめました。もう正規の免状をとれば、その人の同意なしには馘首もできなければ、他に移転することもできない。裁判による以外にはそれはできない。それだけの教員に対する尊敬、信頼というものがあれば、私はずいぶん事情は違ってくると思う。どうもあなた方は、教員の労働運動をするようなやり方でやります行き方をずいぶん責めていらっしゃいます。責めていらっしゃるが、そして教員は労働者でないのだとしきりにおっしゃいますけれども、しかし、もしほんとうに教員が労働者でないとお考えになるならば、教育の現場というものをほんとうに尊重していくということであれば、教員を尊重していくということであれば、それだけの身分保障をする必要があると私は思う。その身分保障をすれば、もう本人の同意なくしては他の学校に移転する、勤務がえをすることもできない、裁判による以外に本人の同意なくしては馘首も勤務がえもできない、それだけの身分保障をするならば、教員諸君は私は今日とは非常に違ってくると思う。単なる労働者という形ではなくて、ほんとうに教育者としての立場に立ってだけやることでよろしいというような立場になると思う。今のような力で上から押されれば団結してはね返すのは当りまえです。戦争という苦い経験を経ているから、かつて文部省の言うようにやって、教え子を戦争にやったら負けちゃって国がつぶれてしまったという苦い経験を持っているのでありますから、これは当然なことだと私は思う。でありますから、今日でなくても将来に、教員の身分をアメリカ同様にそれだけの身分保障をする意思があるかどうか、それを一つ伺っておきたいと思う。文部大臣どうでしょう。そこまで教育者というものを尊重するなら、話はずいぶん違ってくると思うのですがどうでしょう。
  148. 松田竹千代

    松田国務大臣 私はかねてから機会あるごとに申しておるのですが、教員というものは専門の特別の仕事をやる。特に人の子供を教えるという格別の地位にある人々であるから、この人々の給与も、また地位も、そういう意味でいろいろの道から向上せられなければならぬ、またそうした方向に進めて参りたいという考えは、かねてから持っておるし、文部大臣となりましてから日が浅いのでありますが、特にその点に対してこれから努力をしたいと思っております。
  149. 長谷川保

    長谷川(保)委員 大へんけっこうなお言葉を承わりましたが、どうも大臣というものはじきかわってしまうので、言ってもさっぱりやらないうちに全部かわってしまう。しかし松田大臣は自民党の中の長老です。この際今申しましたような教員の身分保障を将来するという、そのために非常な努力をなさるということ、それからいま一つは、さきに申しましたように、今大きな衝突をしております。そういうようなことで教育の能率が上るわけがないのでありますから、そういうものはあと回しにして、共通の問題、入学難の解決の問題とか、すし詰め教室の問題とか、そういうような問題がたくさんあるわけであります。僻地教育の問題もありますし、あるいは精薄児の特殊学級の問題、あるいは理科、音楽その他の特別教室の問題、たくさんありますし、共通の問題があるわけです。そういう問題をまず先に取り上げて、勤務評定問題は教育効果が上るものではなしに、下ることはだれが考えたってわかっておりますから、現状はそれにきまっております。ですからそういう問題はあと回しにして、その際日教組と休戦をして、そうして共通の問題を取り上げて協力していくというような、そういう御意思をここで発表してもらうと、今の勤務評定問題は非常に解決に向って進めると思うのでありますけれども、一時日教組と大きな争いになっている問題は休戦にして、共通の問題を取り上げていくという御意思はありませんか。
  150. 松田竹千代

    松田国務大臣 先ほども申し上げました通り、まだ一年やっただけでありまするから、ことしも規定通り勤評はやるということには変りはないのであります。しかし教員の身分の問題、その地位というものに対する向上に対しては、これはいろいろの面からその実現をはかっていきたいと思っておる次第で、もとよりこれは長期にわたらなければならぬと思いまするが、教職員の諸君の立場を向上せしめ、その社会的から見る地位というようなものもおのずから向上していくように持っていきたいものであるということを考えておる次第であります。私は長谷川さんが御熱心にすし詰め解消の問題、あるいはまた精神生活をやられた方として、道徳問題に献身せられたことには敬意を表しておる次第でありますが、御協力を得てこれらの問題に対しても逐次その実現を期していきたい、かように考えます。
  151. 大平正芳

  152. 櫻井奎夫

    櫻井委員 午前中保留いたしました問題点について、思想調査の問題について私は御質問を申し上げたいと思います。だいぶ時間もおそいのでありますので、そちらの御答弁次第によっては、私はこの問題は簡単に片づけてもいいと思っております。  そこで、これは最近私の住んでおる新潟市で起きたところの事件でありますが、この点につきまして事実を述べまして、法制局の見解及び公安調査庁の見解をお聞かせを願いたいのであります。それは八月の二十日の夜に、私の古い友人でありますし、かつて新潟の教職員組合委員長をされ、現在は新潟県立新潟工業高校の教諭をしておられる山名正二君、県教組の高校部長という役目もしておられる人であります。この山名正二君のところに一人の男がたずねて参りました。そうして、自分は新潟地方公安調査局の者である、少しお話を承わりたい、これは調査でしょうが、あなたからお話を承わりたいから、そこに自動車も待たしてあるから、これに乗っておいで願えないか、こういうことがありました。そこで山名君は、別にそこに行って話す必要もないのだから、うちに上って話したらどうかということで、この人を家に招じまして、あなたは一体どういう方であるか。ところが私は公安調査局の竹内五郎という人間である。竹内五郎ということは自分も鉛筆をもってそこに竹内五郎という名前を書いておる。こういう人間であって、あなたは日共の活動——日本共産党の意味で言ったらしいのでありますが、山名さんは日共と言ったから日教組のことかと初めは考えておられた。日共のいろいろな活動についてお話を承わりたい、こういう話であったそうであります。で、私は直接山名君に事情を聞いてみたわけでありますが、山名君は、私は日共の党員でもないのにそういう日共の活動を調べるというのであれば、共産党の県委員会もあるのだし、そこへ行って調べたらどうだ、どうして自分にそれを尋ねるのだ、こういうことを聞いたところが、あなたは共産党員と歩いている姿をよく見る、こういう話であった。そこで山名君は、私は共産党にも友だちがおるし、社会党の櫻井君とも私は友だちであるがら、そういう方々とおつき合いをしておることは、これは友だちとして当然のことである、しかしこういうことであなたが調査をなさるならば、公安調査官という身分の証明書があるはずであるから、その証明書を出してくれ、こういう要求をいたしましたところが、いやきょうは暑いので、この身分証明書は、上着のポケットに入れて役所に置いてきたから、自分は身分証明書は持っていない、こういうことでいろいろ話をして帰った、こういう事件であります。そこでこの問題は、その後公安調査局に行って確かめましたところ、この竹内五郎という人間は実在しないのであります。そこでこの首実験をした結果、竹内五郎と称して八月の二十日の夜山名正二君の自宅に現われた男は、新潟地方公安調査局の公安調査官である五十嵐金松という人物である、こういうことであった。  そこで私が聞きたいことは、これは破防法の規定に基いて五十嵐何がしという者が行動したと思われるが、一体そういう公務員が偽名を使って公務を執行することが法律上正しいかどうかということが一つ。  それから聞いておる相手方から身分証明書の呈示を求められた場合に、いやそれは忘れて今ここに持っていない、こういうことを言って調査を進めたということは、破防法の三十四条、「公安調査官は、職務を行うに当って、関係人から求められたときは、その身分を示す証票を呈示しなければならない。」この三十四条に違反をしておる行為ではないか、こういう点について法制局並びに公安調査庁長官の御見解を承わりたい。
  153. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 お答えいたします。今櫻井委員の申されたことと大体事実は間違いございません。なお調査官の本名は五十嵐金松と申すのでございまして、竹内という偽名を申したのでありますが、これは同調査官の実はペン・ネームでございまして、ときにはそのペン・ネームを用いることがあるのでありまして、そのときの情勢によって用いることがあるのでございます。  それから次の点でございますが、調査官の証票を当時持ってなかったのは事実でございまして、私どもの方から常に調査官が調査活動をする場合には調査官の証票を持っておれということは強く指示しておるのであります。もしこれを紛失したようなときには相当な処置もとろうと思っておるのでありますが、この際は、調べましたところ、調査官は、いつも大事にするものでございますから、万一手洗い等に行って落してはいけないと思って、ほかのところに置いて手洗いに行って用を足して、そのまま出かけていった次第でありまして、全く申しわけないことでありますが、わざと持っていかなかったわけではない、全く過失でございます。しかしこの件は実に遺憾に思います。われわれが日ごろ強く注意しておったことを、つい過失とはいいながら、その注意に従わなかったことは非常に遺憾だと思いますので、今後ますますこの点等については十分注意するつもりでございます。
  154. 櫻井奎夫

    櫻井委員 私は法制局の意見を聞く前に、あなたの今の答弁に対してもう少し突っ込んだ質問をしたい。  竹内五郎というのはこれは実在しない、いわゆる偽名であって、本名は五十嵐金松という者である、竹内五郎というのはペン・ネームであった、こう言われるわけですね。それはこの五十嵐金松さんが、竹内五郎であろうが楠木正成であろうが、そういうペン・ネームを個人としてこの方が使われる分には一向差しつかえない。公務を執行するに当って、そういうペン・ネームを使って公務を執行していいか、そういうことが日本の公務員として許されるかどうかということを聞いておる。個人がペン・ネームを幾つ持っておったって、それは個人の自由です。公務員が公務執行に自分の本名を言わないで、そうしてそれをペン・ネームでごまかして、その相手方をあざむくという、そういう調査の方法があるかどうか、そういう点について法制局は法律の建前からどういう見解を持つか。  もう一点は、破防法の三十四条に、明らかに調査官が公務執行をする場合に、相手方から身分の証明を求められた場合はこれを呈示しなければならないと法律に明記してあるじゃないか。そういう法律に明記してあることを、たまたま手洗いに行って忘れたとかなんとかということで公務を執行しておるということ、このことが法律に抵触しないかどうかということについて、私は法制局の法的見解をはっきりお伺いしたい。
  155. 山内一夫

    ○山内説明員 仰せの場合は公安調査官が二十七条の調査権を行使した場合と思いますが、これは三十四条の職務に当るのでありますから、その証票を呈示しないことはいけないことであると思います。
  156. 櫻井奎夫

    櫻井委員 いけないということは法律的に間違いかどうか……。
  157. 山内一夫

    ○山内説明員 違法だと思います。
  158. 櫻井奎夫

    櫻井委員 もう一つ、偽名を使って公務が執行できるかどうか、この点の法的見解を明らかにしていただきたい。
  159. 山内一夫

    ○山内説明員 身分を示す証票の中には、むろん自分の当該の氏名を書いてあるわけでありますから、身分を示す証票を示すということは、むろん本名を示すということだと思います。本名を示さないということは違法だと思います。
  160. 櫻井奎夫

    櫻井委員 法制局の法律に対する見解は、ただいまはっきりと御答弁になりました。公務員が公務を執行するときに偽名を使うということも、これは違法である。それから相手方から身分証明書の呈示を求められたときには当然これは出さなければならない。それを出さないで、そこらに置いてきたとか何とかいうのだったら、調査をしなければよいのですよ。そういうことは言いわけにならない。明らかに法律違反の行為をやっておるではありませんか。さらにこのような重大な問題点があるので、その後地評、あるいは地区労の代表、あるいは県の教員組合の委員会にこの問題が緊急提案になって、県教組としてもこの問題は重視して取り扱う、こういうことで県教組の執行部、そういう方々と私も新潟地方公安調査局ですか、ここに行ってこの不当性を質問したのに対して、藤崎という新潟地方公安調査局の局長は、調査をする場合、そういうこともあり得る、こういうことを言っておる。そうするとこれは氷山の一角であって、たまたま取調べを受けた山名という方が私の旧友であり、また考え方もしっかりしておったために、私の耳に入ったことであって、全国においてこういうことが行われておるということになれば、これは実にゆゆしい問題であると言わざるを得ない。破防法の第二条、第三条に何と書いてありますか。この法律の取扱いというものは、基本的人権というものを侵害するおそれがあるから、この法律の取扱いについては慎重を期さねばならぬということが、はっきり明記してあるでしょう。特に第三条においては「この法律による規制及び規制のための調査は、第一条に規定する目的を達成するために必要な最小限度においてのみ行うべきであって、いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあってはならない。」とある。これがこの破防法を作ったときの制定の趣旨でしょう。この破防法の実施に当って、あなたの部下はこういう不当な行為をやって、そうしてそれを批判をし、それに反対をしておる人に対して、何ら反省もなく、ただ済まなかった、今後はこういうことはいたしませんというような、ただ単に口頭で約束し、陳謝しておるし、その最高責任者であるあなたの答弁も、ペンネームであるとか、たまたま身分証明書は大事だからそこらに忘れていったのであると何ら反省の色がない。あなたは一体この法律を施行するに当って各地の調査官にそのような場合もあり得るのだ、調査官が調査をする場合にはそういうこともやむを得ないのだ、今日でもそういう考えを持っておるのかどうか。その点をはっきりお聞かせ願いたい。
  161. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 櫻井委員のおっしゃる通り本名を名乗らないということは一般的に見まして調査上好ましいことではございませんが、私どもの調査上、ある段階においてはやむを得ずペンネームを用いなければならぬようなことがあるのでございます。しかしこれは用いていいということを奨励しておるわけではありません。実際いよいよの調査活動という段階にきますれば、身分はもちろん明瞭にいたしますが、ある段階においてはやむを得ず本名を名乗らないことが、遺憾ながらある。決してこれは奨励してはおりません。なおまた繰り返して申しますが、証票を呈示を求められたとき呈示しなかったのは実に違法でございましょう。けれども、これも調査官があまりに大事にし過ぎての、ほんとうの過失だと思います。しかしこれはこのままただ過失では済まされませんので、全国の調査官に対して、この二点についてよく注意するようになお指示するつもりでございます。
  162. 櫻井奎夫

    櫻井委員 あなたの答弁は、はなはだ大へんな答弁です。これはペンネームを用いて調べることもあり得る、それから身分証明書を持たないで調べることもあり得る、ある段階においては、こういうことを肯定しておられるのですが、それは私立探偵社の探偵が何か人の調査をする場合にそういうことはあり得るかもしれない。しかしあなた方は公務員でしょう。身分は何ですか、国家機関としての公務員でしょう。公務員がそういう秘密警察的な、法律に明記されてあることも実行しない、法律に明記してあることを逸脱した行為をやって、そうして人の身上なり思想なり、そういうことを調査するということがあり得るというのは、一体どういうことなんですか。私はまずこういう点について、これは人権問題ともからみますから、人権擁護局長の見解を一つ承わりたい。こういうことをやっていいのかどうか、許されるのかどうか。これは法制局は、法律上三十四条に違反するということをはっきり言っている。しかもこれは人の思想なり身上なり、こういう第三条の問題に関連してきます。しかもそういうペンネームを用いたり、法律に規定されたるところの行動をせずに調査するということがある点まであり得るのだ、こういうことを、いやしくも公安調査庁という国家の機関の代表者である長官が言明されるということは、ゆゆしい問題だ。公安調査庁というものは、全国に地方の局を置いて調査をしておる。その調査に当ってこのようなこともあり得るというのが一体肯定されていいのかどうか、これは人権問題です。人権擁護局長の御見解を承わりたい。
  163. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 この事件の詳しい内容について櫻井委員から御説明の途中で参りました。問題の公安調査官が山名正二氏を訪問したときに、一体どういう目的で、またどういうふうなことを山名氏に尋ねたか、いま少し知りたいのでありますが、今、公安調査庁長官がおっしゃいましたように、原則としては本名を使い、そうして身分証明書を持ち、かつ呈示を求められたら呈示する、これが原則であるとおっしゃったのであります。ただ本格的な調査でないような場合、いろいろ調査の段階があるように今理解いたしたのでありますが、場合によると偽名を使うような場合があるというようなお話でありますが、私が今結論的なお答えをいたします前に、本件の場合に、いわゆる偽名を使う段階、偽名を使ってもいい段階であったというのは一体どういうふうな段階であったか、ちょっとそれを知りたいのであります。
  164. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは最初に私が説明いたしましたけれども、おいでになっていなかったようですから、もう一回重複しますが説明いたします。この八月の二十日の夜に、先ほど言った山名正二、これは新潟県立新潟工業高校の教諭であります。現在県教組の高等学校部長をしておられます。私の古い友人でありますが、この山名正二君のうちに、一人の男がたずねて参りました。そうして山名さんはいないか。留守だったそうでありますが、山名さんの子供さんが山名さんを呼びに行った。そこで、私は竹内五郎という公安調査局の者であめる。そこで日共の——日共と言われたのは日本共産党の意味であろうと思いますが、いろいろな活動について先生にお伺いをしたいから、自動車を待たしてあるから御同道を願えないか、こういうことであったそうであります。山名君が、いや自分のうちの中でもいいんだから上ってくれ、こういうことで、再三山名氏は、あなたの名前は何だ、何という方ですかと聞くと、竹内五郎であると言う。ちょうど武内五郎というのは、この間の参議院の選挙に、私どもの社会党から統一候補として出して当選して、今日武内五郎は参議院議員としておるわけです。従って、あの参議院の武内五郎さんと同じ名前かと言ったら、いや、私の竹は細い竹の竹だ、武内五郎は武士の武だが、私は細い竹の竹内五郎だ、そうして自分で字を書いて、ちゃんとその人の筆跡は残っている。再三念を押されて、みずから竹内五郎と名乗って調査をした。その途中で身分証明書を出してくれと言ったけれども、いや、それは今持っていないのだということで、山名先生のうちに上ってお茶を飲まれたかどうか知りませんけれども、調査をやった。これは明らかに先ほどおっしゃった公務だ。公安調査官としてのそういう公務を執行する場合に、そういう偽名を使い、そうして三十四条にある身分証明書の呈示要求があったにもかかわらず、それが持ってきていないのだということで、呈示もしないでそういうことをやっているということは、法制局では、明らかにこの法律に違反している、これは間違いである、こういうことを言っている。人権擁護局長としてはどう考えられるか、こういうことです。
  165. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 破防法に基く公安調査庁公安調査官の激増に伴いまして、人権侵害の憂えもあるがゆえに、御指摘の三条がでたのであろうと思うのであります。従いまして、公安調査庁長官にもお聞きしないと私もわからないのでありますが、その際、簡単な、ただ日本共産党のことについて知りたいのだがちょっと来ていただけないかということを言うのに、何がゆえに偽名を使ったのであるか、その理由であります。それが知りたいのでありますが、そうしないと少し私も答弁ができないのであります。
  166. 関之

    ○関説明員 私がお答えしてよろしゅうございますか。——察するところ、その点について、実はまだ詳しく調査をしておりませんが、一応現地の報告などを見てみまして、竹内五郎というペンネームを彼が平素使っておりまして、五十嵐金松という名前を使うよりこの方が相手方に好感を持たれて話を進めるのに都合がよかろう、こういう判断であろうと思います。
  167. 櫻井奎夫

    櫻井委員 人権擁護局長、そういう判断でどうでしょうか。
  168. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 非常にデリケートな問題でありますが、私は、これを人権上どう考えるかとおっしゃる前に、何ゆえにまずその山名正二氏という方ははっきりと身分証明書の呈示を求めて、身分証明書がない場合には返答の限りではないという答弁をなさらなかったか、こういう問題について、警察の警備情報活動につきまして、あるいは公安調査庁の調査に関連いたしましていろいろ人権問題が起きる。ちょっと御答弁からはずれるようでありますが、私も今の問題に対しまして、はっきりと今結論を出すことは唐突の場合でありまして、やはり公安調査庁のいろいろの考えもあり立場もありましょう。また各方面の法の解釈あるいは検察、公安調査官の活動の態度、方法あるいは限度についてのいろいろむずかしい問題もあると思うので、今私は早急な結論は出したくないと思うのでございます。ただ検察並びに公安調査官等の情報収集活動、その上におきましていろいろの人権問題が提出されるのでありますが、私が一番心配なのは、結局調査に基きましてその人が調査の対象になった、あるいはそういうふうな調査官から一緒にいろいろと情報を聞きたいとか、そういうふうな話を受けた人が、自分が何か検察なり公安調査庁の方から目星をつけられているんじゃないか、そういう一つの不安、あるいはまた思想上の問題になりますと、調査を受けあるいはいろいろ調査されているらしいということによって、自分のこれは正しい思想であると思った思想を変えなくては、人間として、あるいは社会人として生きていけないような不安感を与える、これがやはり破防法が第三条で規定している本文の理由であろうと私は思うのであります。官庁のやります情報収集活動に伴う人権問題の場合には、せっかく法がこういうふうなしっかりとした規定をしておるにかかわらず、明確なる態度を持せられないという、いわゆる被害者といいますか、そういう人たちの態度もやはり考えなくちゃいけないのじゃないかという気がするのであります。ただ今お話を伺いました点におきましては、私としては今日はできる限り法がはっきりと——ほんとうにどの調査官が自分に面会を求め、またどういう話をし、またどういう依頼をしたか、そういうことをはっきりさすためには、やはり後々の責任のためにも、公安調査官という国家公務員が正当なる公務を執行する場合にはあくまでも本名を使うべきじゃなかろうか、こういう感じがいたすのであります。もしも偽名あるいは証票なしに自由にこういうふうな、いわゆる破防法で規定してある調査官の職務を行い得るといたしますと、これは一そう不安をかもすのじゃないかという気がいたします。あるいは本件におきましてどういう具体的事情があったか、それははっきりとまだよくつかめないので、本件についての結論は今留保いたしたいと思います。
  169. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは今即答はできないとおっしゃるわけですが、前段の、取調べに当って身分証明書の呈示を求めて、それを持っていなかったらどうして拒否しなかったか、これはおっしゃる通りなんです。しかし一般の国民は今日そこまで進んでいないのですよ。先ほど申しましたように、山名氏はかつては私の前に県の教組の委員長をやった思想的にも相当しっかりした人です。そういう人さえも相手のこういうあれに引っかかるというようなこともあり得る。ましてこれが一般の人であればそういうのは泣き寝入りであって出てこない。これは公安調査庁長官が今言っておられるようなことであれば、全国にわたってそういうことが行われておるということが証明されたと同じことなんです。そうすればこれは氷山の一角であって、こういうことが全国に行われておるとするならば、これは日本人の人権の問題としても決して捨てておかれる小さな問題ではない。法制局の方では、これは明らかに法律に違反しておるということを言っておられる。そういう観点からは、なるほどあなたのおっしゃる通り、それだけの法的知識を持っている人であればおそらくそれをやるでしょう。大部分の日本人はそういうことはなれていないのですよ。しかも今日どうですか。たとえばオートバイや何かに乗っておって免許証というものをかりに忘れた、そこで調べられて、私は忘れてきました、それで済みますか。みんなこれは帳面に控えられて罰則を加えられる。これは一人の容赦かんべんもなくやられる。小さなバイクに乗って運転免許証をうちに忘れておる、試験は受かっておるのだと幾ら陳弁してもそこに持っておらなければ罰金をとられる。あるいは裁判ざたになるでしょう。国民にはこういう過酷なあれを押しつけておいて、国家公務員であるところの調査官というものはそんなものを忘れておってもいい、これを許しておいていいということが言えるかどうかということです。これは大きな問題だと思う。
  170. 鈴木才蔵

    ○鈴木説明員 私は決して身分証明書を忘れておいていいとは考えません。法の規定のもとに身分証明書というものは必ず持つべきである、持たないと調査はできないというような感じはいたします。
  171. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは法制局の見解も身分証明書を持たないで調査することは法に違反する。人権擁護局長も先ほどはっきりそういうことを答弁しておられる。こういう観点に立ってあなたは、この公安調査官はやはりある段階においては身分証明書も要らぬのだ、ペンネームを使うのもやむを得ないのだ、こういうお考えで依然としてあられるのかどうか。
  172. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 ある段階においてペンネームを使うのはやむを得ないとは申しましたけれども、ある段階において身分証明書を持たないのはやむを得ないとは申しません。それは持たなくちゃいかぬです。いかぬけれども、本件の場合は過失で持たなかったと言っておるのであります。決してこれはほめておるわけでもありませんし、重々遺憾の意を表しております。
  173. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これは公務執行上の重大な過失である。あなたはそう認めておられるわけだ。ところが新潟の局長はそういうことは認めていない。そうすると公務員が公務執行上の過失をやっておるし、その監督の任にある局長はそれを認めておる。口では陳謝しております。しかもそれは、口頭で陳謝したのは法律違反をしたことを認めて陳謝したのではないということを、さらに九月八日に第一課長山口、第二課長森島両名がこれを証明しておる。こういうことになると、この公安調査庁そのものが長官から末端に至るまでこの法律順法の精神がないといわれてもしようがないでしょう。これは非常に遺憾であった、そういう遺憾であった意を表することだけで済むことですか。公務員の公務上の大きな過失というものを、その点においてはどういうふうに考えておられるか。
  174. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 これがもし違反であるならば法律に従って正当な処置をとります。それは当然とります。しかし今どういう処置をとるかということはまだきめることはできません。
  175. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これはもし法律上間違っておったならば、こう言われるわけですが、これはあなたが納得のいく調査をなされるのもけっこうでありましょう。しかし大体この国会で、しかも審議の最高機関である国会で法制局を代表してきておられる部長さんと、それから日本人の人権擁護を任務とされる人権擁護局長さんの見解というものは一致しておる。あなただけがまだ納得がいかぬということを言っておられるわけだが、明らかにこういうことがあったならば、なあたは責任を持って善処する——もちろん善処の仕方にはいろいろあるでしょうけれども、それを、私はこういうふうにします、これはどうしますという具体的なことをここに聞こうと思わないが、明らかにこういうものについての責任は、それを犯した者についてはとるという厳正なる態度をあなたは持っておられるかどうかということを、私は最後にお伺いをいたしたい。
  176. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 法律の見解と申しましたけれども、人には過失がありますから、その事案をもう少し調査いたしまして、過失の責任ということもまた考えなくちゃならぬと思います。そこで私今決して違反していないという意味じゃありませんから、この点もよく調査をする。しこうしてもし本人に違法があるとするならば、法の許す範囲内において処置を講ずる。なお私自身として、長官としてやはり責任はとらなくちゃならぬ。その責任の内容はおのずから別のことと思います。
  177. 櫻井奎夫

    櫻井委員 大体了承をいたします。ただ最後に、あなた方の立場として調査をなされる場合においてもいろいろな困難があると思います。これは警察官でもないのですから、まして刑事でもないのですから——しかしこの破防法というのは非常な論議を巻き起して成立した法律です。従ってこの法律の施行に当っては、念には念を入れて、この第二条に書いてある通り、拡大解釈をやってはならないんだ、日本人の基本的人権というものに非常に関係をするものであるから慎重に取り扱わねばならないということを大眼目に書いてある法律でありますから、そういう行き過ぎのことがないように、特に思想的に対立激化しておる今日の状況におけるあなた方の苦心もわかるわけですけれども、そういう行き過ぎのないように、全国のあなたの部下を督励していただくことを私はここに重ねて御注意申し上げまして、私の質問を終了いたします。
  178. 小牧次生

    ○小牧委員 ちょっと関連してお伺いしますが、先ほど御答弁の中に場合によってはペンネームを使うこともある、たしかこういう御答弁であったように思うのですが、身分証明書の氏名を表示する個所にもう一ヵ所ペンネームが書いてあるのかどうか、それは一体どういうふうになっておりますか。
  179. 関之

    ○関説明員 書いてありません。つけ加えて申し上げますと、今の段階によってはペンネームを使う場合が必要上やむを得ず出る場合がある、そういう段階の問題でありますが、公安調査庁の職員は非常に少うございまして、名前がその方面の方に売れておると申しますか、向う側ではこれこれの者がいるということがわかっているわけです。そこで本名をあげても、ある場合にはなかなかお目にかかることができないというようなことがあり得るわけです。そこで最後の手段としてペンネームを使ってお目にかかる、いろいろお話し合いが出て最後に、ある場合には調査官の官職職業を明記した証明書を出しまして、自分はこういう者であるということになるわけでありまして、従ってそういう場合において正確に自分の氏名を名乗るということになるわけであります。
  180. 小牧次生

    ○小牧委員 なるほどそういう御見解もあるかもしれませんが、しかしペンネームの方がわかりがいい、あるいは向うの方のいろいろな答えを引き出しやすいとか、会いやすいとか、いろいろな御見解があるかもしれませんが、もしそういう意味のペンネームであるならば、本名よりもペンネームの方がはるかに有名でなければならぬ。相手の方が、本名よりもペンネームの方を聞いた場合に、非常に気やすくなって、ああ、あの人かということでなければ、ペンネームの意味はほとんどない、のではないか。ところが公安調査官という身分を考えてみますと、公安調査官は国家公務員です。国家公務員にもいろいろありまして、農林省に働いておる方もありますし、文部省に働いておられる方もある。こういう人の中にはずいぶんペンネームを持っておる人もあるでしょう。たとえば好きで小説を書いたり、あるいは詩を書いたり、芸術的な才能が別にあって、そういうものを持っておる人もあるかもしれぬ。しかしながら、公安調査官というのは、あなた方が御承知通り相手を調べなければならない特殊な任務を持った、特別な権限を持った人たちです。ただ単に農林省の役人とか文部省の役人とは大へんな違いです。こういう特殊な権力を持つ人が相手を調べる場合に、ペンネームを名乗る場合があり得るということは、われわれ常識ではちょっと考えられない。これが非常に有名な人であれば別ですよ。ところが私は遺憾ながら寡聞にして公安調査官の方で有名なペンネームを持った人は知らない。こういうことを考えた場合に、先ほど長官の方で、そういうこともあり得るし、また場合によってはそれも認めざるを得ないというような御答弁があったわけですが、これは人を調べる役目を持った人に対する最高責任者として、自分の部下に対する指導の仕方という点において、私ははなはだ遺憾な点が多いのではないかと思うのですが、いかがですか。
  181. 藤井五一郎

    ○藤井説明員 櫻井委員並びに他の委員のおっしゃることは私よく心いたしまして、部下に注意いたします。なお私が部下に対して訓示することの中のおそらく十分の七は、人権をじゅうりんするな、そういう点を繰り返しておるのであります。しかし、調査の実際問題として、場合によってはペンネームを使うことがあるやに聞いております。これは決して奨励すべきことじゃありませんので、なるべく禁止するようにいたします。なお重ねて申しますが、破防法に記載してある第二条、第三条、あの重大な条文は心肝に徹すべく注意しております。
  182. 大平正芳

    大平委員長 次会は十月九日午前十時より開会することにいたしまして、本日はこれにて散会いたします。     午後五時三十八分散会