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横田説明員 ただいま
佐藤郵政政務次官から
電信電話についての
被害の概況についての
お話がありましたので、これを補足する
程度にとどめさせていただきたいと思います。
今お
手元にお配りいたしております「
伊勢湾台風による
電気通信関係の
被害状況ならびに
復旧状況について」という印刷物の一番
うしろに二枚の
統計資料が出ております。これをちょっとごらん願いたいと思いますが、これにありますように、あの
台風によって
被害のありましたのは
東海地方が一番多いわけであります。
あとは
近畿、それから
関東、こういうところであります。そこで、ここにありますように、たとえば
市外電話回線を見ますと、
関東が三千七百六十六
回線被害を受け、このうちで、現在罹障中で残っておりますのが十七
回線であります。
電信回線は全部
復旧いたし、
市内の
電話回線もほとんど
復旧いたしまして、三万四千のうち四十九
回線だけ残っております。これはおもに
山梨県の一部であります。前に
台風被害を受けた
あとまた引き続いてということで、幾分この辺が残っているわけであります。それから中ごろにあります
近畿地方も
相当の
被害であったわけでありますが、
市外電話回線が、
障害数が三千三百四十四
回線、そのうちまだ残っておりますのが百九十六
回線、
電信回線は六十五
回線のうち二
回線、
市内電話回線が三万八千のうち六百六十四、これもほとんどがそういうように
復旧いたしまして、この残っている罹障中のものは
奈良県の山の奥と申しますか、
奈良県の奥の方がこれに該当するわけでございます。そこで
あと一番大きく残っておりますのが
東海地方であります。
市外電話回線におきまして五千四百
回線のうち六百二十
回線残っております。
電信回線の三百七十のうち七
回線、
市内電話回線の
障害数十八万六千
回線のうち、三万
回線が残っている、こういう
状況でございます。
市外のこの
回線のうち、当時
障害になりました
長距離幹線はあの
台風のあった翌朝、すなわち二十七日の朝にほとんどどこも開通いたしております。ただ、
長距離回線のうもで
被害が残りましたのは
名古屋—大阪間及び
名古屋から
三重県一帯に至る
ケーブル、この二つの方がやられたわけであります。
名古屋—大阪間におきましては、
搬送ケーブルが関ケ原を回っているのと、四日市の方を回っているのと両方あるわけであります。関ヶ原の方はすぐ朝
復旧いたしました。この
三重県を通っていっておる
搬送回線だけは実をいうとまだ
応急復旧の
程度であります。と申しますのは、
弥富のあそこの
中継所が現在も水につかったままでありまして、その近くは、私行ってみまして、私の背が立たないくらいの水が、まだ引かない
状況であります。従いまして、あそこの中の
機械も電源も水につかっておる。これを今
応急復旧いたしましたのは一応外を士のうで囲って、排水して、その
ケーブルをそこで結んで——中の
機械を実は通しておるわけですが、
中継所をなかったと同じようにして結んでいる。そういう
応急復旧の仕方で、一応これも
回線としましては大
部分今
応急復旧で直しておる、少し
通話の質が悪いということであります。それから
三重県方面に至る
回線も一応
応急復旧して今通じております。これはたしか十月三日に
応急復旧いたしたのであります。これもまだ御
承知のように木曽川及び長良川の、あのあたりがまだ水にずっとつかっておりますので、国道が干潮時に少しすれすれに出ておるという
程度であります。その途中の橋と
一緒に
ケーブルが持っていかれて切られたわけでありますので、それを切られたところの端に当るマンホールからの
ケーブルを出して、その
ケーブルを両方つないで、しかも、つないでも
道路も決壊しておるわけでありますから持っていくところがないので、たんぼの中にそのまま
ケーブルをほうり込んである。しかも、できるだけ
道路から遠くほうり込んであります。
道路の
修理工事と
一緒に
障害になっても因りますので、そういうような
状況で
応急復旧いたしております。しかし、そういうような
応急復旧でありますので、完全なものではなくて、いずれまた本
復旧に
相当な
工事を要する、こういうような
状況であります。
次に、
市内電話の
加入者につきましては、これも
相当応急復旧に努めて参ったわけでありますが、まだ水につかっている家、流れた家というようなものもありまして、このほか
市内電話の
加入者の
復旧、また未
復旧の数が
相当多いわけであります。なお、そのほか、
名古屋市内等につきましては、
名古屋市内で風によって吹き飛ばされたものが
架空ケーブルにぶつかりて、ほとんど
市内至るところの
架空ケーブルが
傷だらけになっている。従って、
傷だらけになっているために、雨が降ると、ここに水がしみ込んで漏話するというような
状況がございまして、
加入者の方に御迷惑をかけておりますが、これを全面取りかえていくのはもうしばらく時間をかしていただかないと無理かと存じております。以上のような
状況が、今の
被害状況の
概要であります。
なお、次に
従業員の
罹災状況は、先ほどの表のすぐ次にありますが、
死亡は幸いにしてと申しますか、一人にとどまったことは不幸中の幸いであります。最初生死不明の人が非常に多かったので心配いたしましたが、結局一人の
死亡者があったわけであります。負傷は三十一名、これもそう
重傷というわけではありません。それから
家族の
死亡が、非常に残念であったわけでありますが、十二名あったのであります。そのほか
罹災家屋等は、ここにありますように非常に多いわけでありますが、ほかの
地方は別として、
東海地方が一番多く、
家屋が罹災いたしまして行くところがないという人につきましては、応急的に全部
事務室等の
あき部屋に収容するとかそのほかの
措置によりまして、一応全部今収容されております。なお
応急家屋を建築して、そちらの方にできるだけ早期に移ってもらおうということでそれぞれ
措置をとっております。なお当時われわれといたしまして最も心配いたしましたのは破傷風、チフス、
赤痢等の
伝染病でありますが、これにつきましては、当時できるだけ迅速に
措置を講じまして、幸いに事なきを得たわけであります。なお、
従業員の
勤労意欲につきましては非常に旺盛でありまして、私たちもあまり無理をしないようにできるだけ努めております。特に
長期戦になっておるわけでありますので、無理をしないようにいたしておりますが、士気は非常に旺盛であります。なお
東海に対しましては、
全国の
通信局と申しますか、各
地方から
相当な
応援隊を送り込みまして復円に努めております。約八百名くらいに上るかと思いますが、そういう
応援隊を急拠派遣して
復旧並びに
業務の運行ということを応援いたしておるわけであります。なお、
職員についての給料の繰り上げ
支給、あるいは
共済組合の
災害貸し出し、あるいはそのほかの諸種の
救済措置につきましては、ただいま
郵政事務次官から
お話がありましたと大体同じような
措置をできるだけ早く講じて参ってきております。
なお、
電報につきまして、ああいう
被害がありますと、
見舞電報が非常に殺到いたすわけでありますが、これにつきましては、
台風の
災害のありました翌朝早く、あれは日曜日だったと思いますが、
格地方に、
見舞電報については必ずしも
配達できるかどうかわからない、というのは御
承知のような家も流されたところもあるし、どこへ行ったかわからぬ人が多いわけであります。どこどこの
地域につきましては必ずしも責任を持って
配達できかねるということを
全国各地で
受付のときに周知いたしたのでありますが、それでもなお多数
電報が参りました。その返報の処理につきまして、一時
名古屋の
中央電報局で約十七万通くらいの
電報がたまってなかなか
配達できないという
状況でありましたが、現在はそれが約千七百通ぐらいになっております。これは先ほど
郵政政務次官から
お話がありましたように、
罹災者の
あとを追っかけて探しながら
配達いたします。もちろん普通の
配達の方法による徒歩あるいは自転車というようなものだけでなくて、いかだで、あるいは舟で各方面を探して
配達いたしておるわけであります。まだ千七百通ぐらい残っております。しかし毎日大体二千通ぐらい——最近になると通数が少くなりましたが、そのくらいは相手の人を探し当てて
配達いたしてきておりますので、ほとんどが
見込みが立つと存じております。
見込みの立たないものについては、なお発信された方の方に連絡するというようなことにいたしたいと思っております。
以上、大体の
被害の概況と、やって参りました
応急措置についての御報告を終ります。