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岡委員 なお、
人口基準と同時に、
ファーマー氏のこれを読んでみると、前の日の
ファーマー氏の説明では、大体二百五十キューリー放出量、それから原電は二十五キューリー、十分の一にしている。これについても
ファーマー氏は、私ちょっとこれを読んでみただけですが、非常に矛盾を犯していますよ。このステートメントは余儀なく書かされたような印象を受けますよ。「私は、本日の
新聞報道で
日本原子力発電会社が述べた放出量二十五キューリーと、私の
論文で用いた二百五十キューリーの違いについて読みました。
原子炉の動作を解析する場合、事故が発生し得る状態をすべて記述するのが普通のやり方であります。」云々と書いて、「その結果は適当な
技術的評価とともに、「災害評価
報告」の中に述べられます
コールダーホール型
原子炉の「災害評価」の
結論は、事故が発生しても、事実上放射能の放散はしないということであると考えています。もし、通常あり得ないような状態が幾つも同時に発生すると仮定して、ずっと
条件を悪くして事故解析を行えば、ヨードの放出量が二十五キューリーに達するということも可能であります。」云々。
ファーマー氏はここの場合に、さらにそのあとを読んでみますと、とにかく非常な矛盾を犯している。
ファーマー氏としては、やはり二百五十キューリーという、ことし六月の
ローマ会議に出した線が正しいんだ、だが、しかし二十五キューリーという、そういう考え方もあるんだと言うておるだけです。なぜそういう考え方が許されるかということをここで説明しておらない。そして、今申し上げたように、解析のいろいろなケースというものがあるのだということを言って、そのいずれかの
一つのケースでは二十五キューリーも考えられるであろうということである。これは、私は、専門家として
ファーマー氏の御
意見は非常に自家撞着があると思います。
しかし、それはそれとしまして、さらに私がこの際指摘したいことは、
御存じのように、先般学術
会議の放射線影響
調査特別
委員会ですか、都築さんが
委員長をしておられるあの
委員会でも新しい勧告を出しました。その勧告については、当然
原子力委員会としてもまじめに御
検討のことと思いますが、あの勧告は、これまでの勧告から見ると、非常に異質的な原則に立っておる。要するに、放射能はどんなにわずかでもいけないのだ、だから、
許容量というものはあり得ない、しかし、必要悪として最小限に制限をするならばどれだけかという考え方で、放射能の
許容量というものを認めようという、放射能のこれまでの、いわゆる
許容量の概念と全く異質的な概念に基いておる。これが私は正しい原則だと思う。そういう
許容量の問題について、原電は二十五キューリーと言っている。一方では二百五十キューリーと言って、二十五キューリーでもよい、いろいろな事故についての解析のたくさんのケースの中では、二十五キューリーも生まれてくるであろうということで、
ファーマー氏は二十五キューリーを認めておる。これで、科学的な
結論として、
ファーマー氏のステートメントは、原電のいわゆる二十五キューリーというものを是認しておるとは、私は了解することができません。私は、そういうことを勘ぐりたくはありませんが、こういう新しい
許容量についての勧告もあることでございますので、
人口の問題と同時に、
ファーマー氏がまず指摘をいたしました——原電の方の認可申請書にもついておるはずでございますが、放射線影響
調査特別
委員会の勧告をすなおに受け取っていただいた上で、ぜひこの
許容量の問題についても、もう少し真剣に取り組んでいただきたいと思います。