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1959-02-24 第31回国会 参議院 法務委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年二月二十四日(火曜日)    午後一時四十四分開会   —————————————   委員異動 二月十八日委員辻武寿辞任につき、 その補欠として白木義一郎君を議長に おいて指名した。 二月十九日委員白木義一郎辞任につ き、その補欠として辻武寿君を議長に おいて指名した。 本日委員森田義衞君及び榊原亨辞任 につき、その補欠として西田信一君及 び石坂豊一君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     古池 信三君    理事            高田なほ子君            宮城タマヨ君    委員            石坂 豊一君            大谷 瑩潤君            西田 信一君            野本 品吉君            吉野 信次君            北村  暢君   政府委員    警察庁警備局長 江口 俊男君    法務省刑事局長 竹内 壽平君    法務省矯正局長 渡部 善信君    法務省保護局長 福原 忠男君    法務省人権擁護    局長      鈴木 才藏君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○検察及び裁判運営等に関する調査  の件  (高知県下における集団暴行事件に  関する件)  (東京婦人補導院の敷地問題に関す  る件)   —————————————
  2. 古池信三

    委員長(古池信三君) これより本日の委員会を開会いたします。  先ほど委員長理事打合会におきまして協議しました結果、本日の予定は、次のようにいたしたいと存じます。まず、裁判所職員定員法の一部を改正する法律案裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案検察官の俸給等に関する法律等の一部を改正する法律案、以上三案の審査は、都合によって次回に譲ることといたします。  本日は、検察及び裁判運営等に関する調査を進めたいと思います。その順序といたしましては、まず第一に、高知県下における集団暴行事件、第二に、売春防止法の施行に関する調査の一環といたしまして、東京婦人補導院の建設に関する件、第三に、少年犯罪対策に関する件、以上の順序によって調査を進めたいと存じます。  まず、去る二月十日の当委員会におきまして、派遣委員の方から現地調査報告を聴取いたしました高知県下における集団暴行事件について調査を行います。御質疑の方は、御発言願います。
  3. 高田なほ子

    高田なほ子君 当局に対する質問があるわけでございますが、きょう現地おいでになりました大川委員が御欠席でございますが、北村委員はここに出席されております。従いまして、この報告そのものについて、若干派遣された委員方々補足説明をしていただきたいという意味から、数項質問派遣委員に対してしたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
  4. 古池信三

    委員長(古池信三君) それでは、委員長から北村委員にちょっとお尋ねいたしますが、ただいま高田委員のお申し出のように、高田委員の御質疑に対しまして北村委員からお答えいただけますか。
  5. 北村暢

    北村暢君 ただいまの高田委員からの質問ですが、大川委員からのこの前の説明にもありましたように、この報告はまあなるべく簡単に申し述べて、具体的関係に関する詳細は、必要に応じて御説明申し上げることといたしますと、こういうことになっておるのでございます。それで、実はそういう関係からして説明はいたすのでありますけれども、何せ一日の調査でございましたから、各関係者言い分を聞いたという形になっておりますので、まあ十分の答弁ができるかどうかわかりませんけれども、知っている範囲において御答弁いたしたい、こういうふうに考えております。
  6. 古池信三

    委員長(古池信三君) それでは、さようにお願いいたします。
  7. 高田なほ子

    高田なほ子君 ただいま北村委員からも御発言がありましたが、遠隔の地であり、また、出張日数もかなり狭められており、特に問題の起った森地区は、高知から相当遠隔の地にございますというような特殊的な関係も含まれておりますので、派遣委員の方が調査の万全を期されたことは当然だと思いますが、またしかし、その半面、御調査漏れになっておる点があるかもしれないのです。従って、派遣されました委員の方には大へん御迷惑な質問になるかとも存じますけれども、事件が単に暴力事件というだけにとどまらず、計画的な殺人行為をも含まれているのではないかというような疑念も実は被害者方々から直接伺ったところによるとされるわけです。従いまして、以下の私の質問に対して御不明の点は不明であるというふうにお答えいただければけっこうでありますから、よろしくお願いいたします。  私は、この問題の背後関係というものについて、相当実は重視しているわけであります。しかし、この報告によりますと、抽象的には、総合的に背後関係というものが出てきているようでありますが、しかし、具体的に、事件発生原因について報告がされておるわけであります。そこで、この報告書にあります発生原因とおぼしいものを列挙して、われわれの参考に供されているわけでありますが、このうちの具体的な項目について、補足していただければ大へんけっこうだと思います。  その発生原因の第一項の中に、「仁淀川村は高知県下でもはなはだしい僻地にあり、村民は純朴である反面、旧弊なところがあり、時代の変転に対する適応性に乏しく、従って現代思潮理解に欠けた点があること。」と、こういうような御報告をいただいておるわけであります。この御報告は御報告といたしまして、村民が純朴である、あるいはまた、その反面旧弊なところがある、こういうような実は御報告なのでありますが、私は、漏れ聞くところによると、この地区では純朴あるいは旧弊という言葉以外に、相当殺伐な事件もこの村では起っておったように実は聞いておるわけです。たとえば、鵜匠殺し事件、農地解放問題にからまるいろいろの暴行傷害事件、あるいはまた、前々代校長が、戦後の教育方針に伴って平和教育重要性を唱えておった人でありますが、前々校長が在任中に、一身上の危険にさらされたというような計画的な暴行事件背後に内在しておるというようなことがあげられておるわけであります。従いまして、純朴、あるいはまた旧弊なところがある、時代思潮に乏しいというような表現だけでは、本事件真相を究明することにやや欠ける点があるように考えられるわけであります。従いまして、当地に参られました委員方々が、こういうような点について、何か聞かれたことがあるかどうか、この点が一つです。
  8. 北村暢

    北村暢君 それじゃお答えいたしますが、この地域、仁淀村の所在地が非常に僻地であり、村民が純朴である、こういう第一項の報告をしておるんですが、これは、高知地方法務局長報告の中にこのことがうたってあるのでございます。しかしながら、今高田委員の指摘せられました、村民が純朴であり、旧弊なところがある以外に、非常に粗暴である、何か過去においてもそういう暴力的なことがしばしば起ったというようなことについての報告は全然なかったのであります。これは、文書によって報告されておりまするので、また、私ども、その非常に遠い原因に当るかと思われる、そういう点については、実は指摘されたような調査はいたしておりませんので、ちょっと答弁しかねるわけです。
  9. 高田なほ子

    高田なほ子君 この点については、調査された方が未調査の分に入っているように思われますので、これは、当局の方に、後刻こういう実態についてお尋ねしたいと思っています。それからなお、本事件の起る前に、相当この村では、村八分的な事件が起っていたように伝えられておるわけです。たとえば、父母会に加盟しておらない校下に対して、父母会側の者が、みそだるの中に汚物を入れたり、またその他、生活上に困るようなことをやっておった、いわゆる封建性というよりは、むしろ村八部的な行為というものがこの事件背後に起ったということも聞いておりますが、もしこの点について御調査があれば、詳細に承わっておきたいと思うのでございます。
  10. 北村暢

    北村暢君 その点については、人権侵害事件に関して、昨年の十一月二十七日付をもって、父母会員から村八分的行為、圧迫、侮べつ、暴行、暴言、不当解雇等人権侵犯の申告があったので、当局今井人権擁護課長外数名をして調査に当らされているが、前記の状況下においての関係者調査は、面接にも困難なることと、感情的対立による関係者の供述には、真相の把握に困難なるものがあって、いまだ結論を出すに至っていない、こういう報告がなされておるのでございます。従って、まだ結論を出すに至っていない、こういうふうに理解しております。
  11. 高田なほ子

    高田なほ子君 人権擁護局のこの報告は、当然警察当局報告と一致するのではないかと思いますが、暴行傷害被疑者が今次の事件の前に十三件に及ぶというようなことでありますが、これは父母会側人権侵害事件に関するものであるか、傷害事件に関するものであるか、特に十三件あったという問題について、もし御調査でありましたならば、詳細伺っておきたいと思います。いかがでしょうか。
  12. 北村暢

    北村暢君 その点については、県警察本部からの報告文書で、当日の事件以前における事件処理一覧表というのが出ておりまして、それには、おっしゃる通り十三件かどうか、数えてみないとわかりませんが、その程度の恐喝、傷害あるいは公務執行妨害住居侵入罪暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、これらの罪名による事件が起っておりまして、被害者はいずれも教職員、あるいはオルグ団と称する者のうち、いわゆる学校側の方が全部被害者で、被疑者は部落の人である、そういう報告がなされております。
  13. 高田なほ子

    高田なほ子君 次にお尋ねいたしたいことは、報告書の第二項の問題で、「勤評問題の本質理解の点において、地元教員側父兄側ともに見解を異にしたため、お互い感情闘争に走り、妥協の道が見出せなかったこと。」、こういう御報告であります。しかし、「地元教員側父兄側」というふうに、ひっくるめてあるようで、全く父兄側教員が純然たる対立をしたようにも書いてあるわけですが、実際承わるところによると、必ずしも父兄の全部がこの地元教員側対立したというのではなく、父兄側の中でも、この勤評問題の本質ということについて相当に深い理解を持ち、教育の問題については教員とともに研究もし、そうして一切の混乱を防ぐために、かなり一部の父兄方々は苦しまれたということも承わっているわけでありますが、この第二の報告は、そういう実情から見ると、失礼な言い分かもしれませんが、必ずしも妥当な御報告ではないというふうに受け取れるわけですが、いかがでしょう。
  14. 北村暢

    北村暢君 この点は、こういうふうに御理解願いたいと思うのですが、確かに調査に行ったときには、おのおのの言い分からすると、非常に言い分が違っているわけです。ここで「地元教員側父兄側」と、こういうふうに書いておりますが、「教員側」というのは、これが、その教員全部と父兄全部とが対立したと、こういうふうに言うのは、これはちょっとここの表現がまずかったかとも思うのですが、教員側の方にもやはり父兄の一部の人がついていることは、ここに説明ある通り、非盟休組の方もおられるわけです。それから、父兄側と全般的に対立をしたように受け取れますけれども、ここのところへいくまでには、大体この事件の起った当時は、大多数の父兄の子弟は盟休組ということで、学校を休んだ方に入っておりますし、そういう意味でこういうふうな表現をとっておりますが、これは、大川委員には非常に申しわけないと思うのですが、まだ大川委員と打ち合せしてありませんから、こういうことを言うのはどうかと思うのですが、実は、この非盟休組父兄に対する面接をいたしましたときに、この方々の述べているところでは、六月の最初の勤評問題の起ったときに、相当勤評問題に対する賛成者、あるいは勤評問題に対する反対者もあったということでございますが、その父兄の集まりの中で、相当半強制的に勤評賛成という方にしいられた向きもあったという陳情があったのでありますが、これは、私一人が実は聞いておりまするので、このことは、そういうこともあったのでありますけれども、しかし、事件が起りました当時は、このような表現ができる程度に、非常な差があった。もちろん、教員側についていた父兄もあったのですが、これが非常に少いために、こういうような表現になったのじゃないか、こういうふうに思っておりまするので、御了解いただきたいと思います。
  15. 高田なほ子

    高田なほ子君 あまり突っ込んだことでもどうかと思いますが、教員側についていた父兄が非常に少いのでこういう表現に—結果的にはそのようですが、その過程の中で、いろいろな村八分的な行動があったり、いろいろの、いわゆる地元有力者等説得等もかなり行われて、父兄側に次第に分裂工作が進んできた結果として、そういう状態が現われたのだというふうにも聞いておりますが、御調査の時間が少いために、こういうこまかい点までは御調査いただけなかったのじゃないかという気もするわけでございますが、また、私の調査と、実際おいでになった方の調査との食い違いがそんなところにあれば、補足していただければなおけっこうだと思いますが、さらに質問を続けます。  第三の項なんですが、これは、今度の森事件に限ったことではありませんが、勤評闘争というのは、御承知のように、全国的に起った問題でありまして、一般的に言って、オルグ活動が行われたからこういう事件が起きたということは、そう例がないのでありますが、この御報告によると、「森地区が(一)において述べましたように、封建的思想の強いところであるにもかかわらず、オルグ活動が行われたため、ことさらに住民を刺激する結果となった」、こういうふうに御報告がありまして、オルグ活動が直接に住民を刺激する結果になって、この暴力事件の近い原因を作っていたのだというような意味に受け取れるわけでありますが、何か、このオルグ活動がこういう事件を作った直接の原因になったというふうにも受け取れない面もあるわけでございますが、この点は、補足説明をしていただけたならば大へんけっこうだと思います。
  16. 北村暢

    北村暢君 このオルグ団が来るに至ったのは、いろいろな報告を総合いたしますと、十一月の十日ごろでございましょうか、いわゆる同盟休校が行われるようになって、それに対して、県教育委員会あっせんによって、学校当局—学校先生全員です—それから村の教育長、それから教育委員会、三者が県の教育委員会あっせんのもとに、六項目にわたるあっせんを受けておるわけなんです。それにもかかわらず、この盟休がずっと続いた。その盟休が続いたことに対して、正常化した学校教育をやろう、こういう摩擦が起ってきて、それで盟休組先生との間に、その間だいぶいざこざがあったようでありますが、そういう対立が深まって参りましたので、オルグ団が入ってきた、こういうようなことにもなっておるようでございます。従って、オルグ団が来るというのも、来るようなやはり原因があったんじゃないかというふうには感ずるのでございます。しかし、ここで申しておりまするように、オルグ団が来たことは、「封建的思想の強いところであるにもかかわらず、オルグ活動が行われたため、ことさらに住民を刺激する結果となった」、これは、そういういきさつはあるのでありますが、実際、オルグ団というものが来てから村民がいきり立った、これも事実なわけです。従って、どっちが先に—オルグ団が刺激したのか、それとも村民が、非常な暴力行為その他が行われたために、オルグ団が入ってきたのか、そこら辺のところは、確かにこれでは十分な表現にはなっていないように感ずるのでございます。ただ、しかし、オルグ団が来たために、非常に村民感情を刺激した、このことも事実のようでございますし、また、そういうように述べられておりまするので、述べられたままを率直に原因としてあげてある。従って、高田先生のような御批判も一面にあるのではないか、こういうふうに思いますが、ここに出ております報告に基いて、率直にこういうふうに表現をした、こういうことでございます。
  17. 高田なほ子

    高田なほ子君 次に第四項です。「六月二十八日、校長父兄側との間に「今後闘争のため児童を犠牲にしない」との協定が結ばれたにもかかわらず、昨年十月二十八日の闘争によって教員側が一方的にこれを破棄したことが父兄側憤激を買い、父母会結成の因をなしたこと。」こういうふうに第四項ではあげられておるわけであります。しかし、この第四項の御報告は御報告としても、この第四項から見ると、教員側が一方的にこれを破棄したことがこの暴力事犯原因になったというふうに、大きくこの第四項があげられてきているわけでございますが、この御報告の中には、十一月の七日高知県教育委員会村教育委員会話し合いをして、非常事態を回避するための協定案が結ばれたことが報告されておるわけです。この協定の第四項には、「学校を占拠することは不法である。」第三項には、「教師の登校を阻止することは不法である。」また、第六項には、「臨時の者を雇い入れて自習の管理をすることは法的に見て不法であり、何らの効力を持たない。」というような、重要なこの六項目協定がされておるわけです。しかし、私の調べたところによれば、こういう村あるいは県教育委員会側との双方の協定を踏みにじって、臨時教員を雇い入れて教育をさせたり、あるいはまた、教員登校を阻止したり、あるいは学校を一方的に父兄側が占拠をしているというような数々の協定に違反するような不法行為を行なった父母会側の態度、あるいはまた、その不法行為に対する教育委員会の熱心なあっせんというようなものが、実は報告の中に欠けておるのではないか、つまり私の尋ねたいところは第四項です。教員側が一方的にこれを破棄したことが父兄側を刺激した原因だとあるのでありますが、しかし、もしこれを書くとするならば、そういうような公式な協定を踏みにじった者の立場というものも、公平にこれは報告の中にお載せいただくことが妥当であったように思いますが、この点についてはいかがでありますか。補足をしていただければ大へん仕合せです。   —————————————
  18. 古池信三

    委員長(古池信三君) この際、委員異動について御報告申し上げます。  本日、森田義衞君が辞任されまして、補欠として西田信一君が選任されました。   —————————————
  19. 古池信三

    委員長(古池信三君) 質疑をお続け願います。
  20. 北村暢

    北村暢君 その点につきましては、十月二十八日の教員休暇闘争ですか、これが父母会憤激を買って—今までは父母会というものがなかったのですが、十月二十八日の闘争をやった結果、二十九日かにこの父母会結成をした原因になった、で、父母会会長を設けて、組織的に結束をさせた、こういう原因になったということを言っておるのであります。それで今、高田委員が指摘されましたそれ以降の問題について、いわゆるこのときから同盟休校が行われて、そうして十一月七日に全員先生高知へ行って、そうして八日の日かに教育委員会あっせん協定をしておるのでございます。従って、その協定をしたことについては、報告書の中に織り込んであるのでありまして、この議事録の十二ページの上の段のところに、協定内容等についてもはっきり報告をしておるのでございます。それを守らなかった。十一月七日ですから、それ以降十二月、事件の起ったのが十五日でありますから、相当長い期間において、教育委員会のこの協定事項というものが守られていなかったということも事実なのでありまして、この点については報告をしてあるのであります。ですから、この第四項のところの、父母会側憤激を買って、それが直接の原因でというわけではなくして、この父母会というものを結成する原因になった、こういうことを言っておるのでございます。
  21. 高田なほ子

    高田なほ子君 そういう話ですと、私は了解できるのですが、暴力事件発生の「原因とおぼしきものを列挙」するという中に、四項が挙げられておりますから、御説明をわずらわしたわけでございますが、北村委員の仰せのように、なるほどこの報告書には、「一つ学校において、非盟休児童西校舎盟休児童東校舎と二組に分れ、変則的状態のまま事件当日を迎えたのであります。」というように、危機一髪の状態を実はここに御報告してあるわけであります。しかし、そのことがやはりこの暴力事件発生原因になった問題として、項目別にここに報告されておるものですから、やはりこういう問題は、一つ項目としてあげられた方がわかりやすくてよかったのではないかというような感じを持ったので質問いたしました。よくわかりました。  その次にお尋ねしたいことは、今度は事件そのものについてなんです。報告議事録の十一ページの下から二段目の中ごろのところです。「父母会会員数十名が会場前の廊下に集まりまして、中越会長先頭に、五名が無断で懇談会場に侵入し、小林委員長に対して懇談会傍聴を要求いたしましたが、会合性質傍聴は許せないといってこれを断わったため」と、こう書いてある。聞くところによると、「父母会会員数十名が会場前の廊下に集まりまして」というようなものじゃなかった。もうどかどかと、激しい音を立てて、それこそどやどやがたがたというようなものものしい姿で集まった。これは、あとの事件関係するところなんで、この「集まりまして」というのは、きわめて平静に集まったような表現でありますが、どうやらこの辺は事実と違うのではないかということが一つ。「会合性質傍聴は許せないといってこれを断わったため」とありますが、本人から私が調査いたしましたときには、小林委員長も、こういうような問題でお互いが別れ別れになっておったのでは、子供たちもかわいそうだ、どうか何とかこの問題を解決したいので、両方子供たちにそれぞれおみやげを持ってきたので、というようなことで、代表の方にはお目にかかってお話しいたしましょうというふうに委員長はものを申したということを言っておるわけです。これは文芸春秋の三月号の小林武さんの手記にもそのことが出ておるようでありますが、もし補足で私の疑問に答えていただけますならばお願いしたい。
  22. 北村暢

    北村暢君 ここのところは、大川委員ともだいぶ表現に苦労したところなのでございまして、実は、何といいますか、加害者側被害者側説明では、だいぶここら辺が食い違っておるところなんです。それで食い違っているままを、そのまま両方言い分両方言い分として書こう、こういうふうに言ったのですが、どうも文書の体裁からいって、なかなかそう簡単にいきませんので、こういうことになってしまったのでございます。それで、父母会会長中越さんの言からすれば、大衆が制止しても制止しても制しきれなくて、この会場へ行ったんだと、こういうふうに言っておるのです。ところが、被害者側の方からいうと、そうじゃなくして、中越会長先頭に立ってやってきて、そしてまず小林委員長の横へどっかとすわって、みんなに入れと、こういうふうに言ったという点で、だいぶ食い違っておるのです、主張が。それはそれなりに書けばよかったのですが、そこをあんばいしまして書きましたために、こういう表現に実はなったのでございます。そしてまた、「会合性質傍聴を許せないといってこれを断わった」と、こういうふうに表現しておるのですが、実はこれは、加害者側からいうと、話し合いをさせれとか何とか、こういうことで、実におとなしく言ったように言っておるのです。しかしながら、そのときには、代表者と話をしたい、こう言ったところが、これは全部が代表者なんだということで中越会長が言っておる、従って、そこへどかどか集まってきたのが全部代表なんだ、これじゃとても話ができないから、一つ代表者を出してもらいたい、こういうことで、先生とは別に、五藤という人ですか、五藤という非盟休側の父兄代表中越会長に、それじゃあなた方は代表を出しなさい、私どもも代表を出して、何とか話の聞けるような形にしたいから、話し合いをしようじゃないか、こういうことまでずいぶんあっせんしたようでございましたが、そのあっせんが不調に終って、実はその間まあだいぶ時間がかかって、険悪な空気になってしまったと、こういうような事情のようでございます。
  23. 高田なほ子

    高田なほ子君 その次、二、三行あけまして、暴行の現状がここに報告されておるのです。「午後十時四十分ごろより袋入り石灰、椅子、火鉢、ミシン等を懇談会場へ投げ出したり、廊下に備付の消火器の消火液を浴びせたり、」というような御報告であります。この表現は、今、暴行容疑者としてこの事件に加担した者が調査をされておるようでありますので、なかなかこういうところの表現はデリケートな点があるかもしれませんが、しかし、やはりまことに大切な点だと思いますので、突っ込んでお尋ねをするわけです。この「袋入り石灰、椅子、火鉢、ミシン」、これを懇談会場へ目的を持たないで投げておるように御報告されておるわけですが、しかし、これもまた、被害者の立場になる側の言い分を尋ねてみると、ただ単におどかしのために投げたのではなくて、棺おけを三つ用意しておるというようなことを言いながら、電灯をたびたび点滅させて、電灯がついたときに、小林はあそこにいる、だれそれはここにいる、だれそれはここにいるというふうに、明確に攻撃目標になる個人名をさして、電気の明るさの中でこれを確認をした。それから消して、その目標に向ってこういうものが投入された。投げつけられた。だから、的確にいすとか火鉢とかミシンというようなおそるべきものが目標人物に向って投げつけられておるということが、私の調査した限りではあるわけでございますが、この辺は補足していただかないと、会場へ投げたということと、本人に向って投げたということでは大へん問題が違うので、この辺は御調査になった詳細を伺わしておいていただいた方がいいと思いますので、お願いしたい。
  24. 北村暢

    北村暢君 この点は、警察の報告に基いて報告しておるのでございますが、だが、懇談会場へ投げ出した、このことは警察の報告文書には、今見ますと載ってないようでございますので、ここら辺、私はちょっとうっかりしておりましたが、その点は、実際には加害者側から殺意があって投げたのかどうかというところまでは、実際には調査しておりません。そしてまた、今申されておるように、電灯のスイッチを点滅して投げたりなんかするところは、明るいところで大体目標を見ておいてしているということは事実のようでございました。事実のようでございましたが、ここの表現がそういう表現になっておらないという指摘があれば、そういうような気もするのでございますが、ここはまあ非常に大事なところでございますが、事件内容等の一切の捜査の問題については、検察庁なり警察が、またおそらく裁判問題で争われるところじゃないか、こういうふうに思いまするので、その事件そのものの内容については、実はあまり詳しいことをどちらからも聞いておらないのです。ただ、事件の起りました現場へは、私も行って参りましたが、大川委員は都合で行かれませんでした。私だけ、大川委員の依頼を受けて行ってみまして、そして現場でどういうふうな状況であったかということの説明は、被害者側の方からもお伺いいたしました。それによると、今申したような感じをいたしておるのでございます。従って、ここの表現が「懇談会場へ」と、こういうふうになっておる点については、これは、大川委員とも相談をしましてでなければ、ちょっと答弁できないかと思います。
  25. 高田なほ子

    高田なほ子君 このところは大へんニュアンスのあるところですが、暴力事犯として今調査をしておるのでありますが、懇談会場へ投げたということと、それから、攻撃目標人物に向ってこれを投げたということでは、これは結果として非常に違うと思うのですが、これは、北村委員の御発言で、どうやらこの点の調査が十分ではなかったというような御発言もありますので、これ以上御説明を求めることもいかがかと思いますので、これは不十分の点であると私は認めまして、後刻また、当局から伺わせていただきたいと思っておるところです。  次にお尋ねをしたいところでありますが、この報告書を読んで、奇異に感じたところなのです。これは、ちょっと時間的な推移があるので、大まかに申し上げると、この暴力事犯が起って、多くの父兄たちが森地区から仁淀に向って行列を三々五々組みながら酒の勢でやってきた。そして物言いが始まり、そして暴行が始まったという時間が非常に長いのですね。始まりから終りまで、ざっと四時間以上になると思うのです。その間いろいろ御報告の中では時間的な報告をしておられるのですが、駐在におる飯尾巡査、それから山中巡査、この二人の巡査は、時間的な御報告はあるにしても、このおそるべき事態の前には、この巡査がおりながら、それが起ったときには二人ともおらない。本署に連絡をしてかけつけてきたときには、もう事件が終ってしまったあとだというので、どうもここらが釈然としないのです。従いまして、多分大川委員北村委員も、この点については釈然としないでお帰りになったのではないかという気もするわけでございます。率直な御意見を承わらせていただきたいと思います。
  26. 北村暢

    北村暢君 その点については、この報告の中にもうたってあるのでありますが、「現地の山中、飯尾両巡査の行動には時間的に見て多少の疑問がありますが、」「多少」ということになっておりますが、疑問がある。私ども聞いてみて、確かにどうも、ちょっと納得がいかないという点はあったのでありますけれども、警察本部長それから中山、飯尾の両巡査からも様子はお伺いしたのでありますけれども、どうもそうでないということをこちらから言うわけにもいかず、とにかく巡査なり、警察本部長の報告をそのまま報告しているのでございます。従って、この報告書の中にも、実は一見してすぐ矛盾しているというふうに感ぜられる点もあるのでありますが、それはそれなりに、私見をまじえず報告せられたものをそのままここに報告して載せてある、こういうふうに一つ御了解願いたいと思います。  通して申し上げますと、実はこの調査の方法等についても、相当多くの人を一日で、高知と、それから現地森地区と、午前と午後に分れて調査いたしましたが、一人について約二十分程度しか事情を聞く時間的余裕がございませんでしたので、非常にあわただしい調査であった。こういう点も、実は私としても、この種の調査にはもう少し時間をかけて、ゆっくりしたらいいじゃないかという感じを率直に持っているのでございます。十分な調査ができなかったということは、この報告からいきましても言い得るのじゃないか、こういうふうな感じをいたしているのでございます。従って、その点御指摘の通りなのでありまして、そこまで突っ込んだ究明はしておらないということだけを率直に申し上げておきたいと思います。
  27. 高田なほ子

    高田なほ子君 もう一つ伺いたいことは、御報告にはございませんでしたが、もし私の以下質問する点に触れられた点があれば、お答え願いたいと思います。  それは、今度の暴力事犯で検挙された者のうちで、未成年者が第一線で暴力をふるった者の中に多いということを聞いているわけですが、それは御調査におなりになりましたか。
  28. 北村暢

    北村暢君 その点は、特に調査はいたしませんでした。警察からの報告で、検挙者の名簿が出ておりますが、その中には、未成年者も御指摘の通りおるわけでございます。
  29. 高田なほ子

    高田なほ子君 もう一つ報告書そのものについて、十二ページの一番下の段のちょうどまん中ごろ、これは、警察本部の説明だけが出ているのでありますが、この説明に対して、さらにまた御調査になった点があれば、補足していただくし、もしなければないとおっしゃっていただけばいいのですが、十二ページの一番下の段の中ごろからちょっと初めの方ですが、「従来日教組は、高知県教委カン詰事件についても警察の出動を常に非難し、現場の警戒に当った警察官はしばしば組合員によって不当干渉なりとしてつるし上げにあった事実もあり、県教委側等の警備要請には常に消極的になりながら、日教組側の警備については、要請をまたずしてあらかじめ警備をつけるというわけにはいかないと、県警本部は説明いたしておりました。」これは、県警察本部だけの説明でありますが、この説明に対して、別の意味からの説明も当然あったようにも思われるわけなんであります。もしこの報告に対して別な方面からの説明、つまり組合員は不当干渉としていつでも警察官をつるし上げているのだという警察側の説明ですが、しかし私どもは、たびたびこういう事件調査に派遣されている例から見ると、相当やはりたとえば県教委とそれから教員団体とが話し合いをしている。そういう話し合いをしている最中に、あと五分間だけ余裕を、待ってくれというようなことがお互いに認められているにかかわらず、警察がこの中に入ってきて、ひどいのになると、その会場の壁をまさかりでぶち破ったりして、警察官がなだれ込んでくるという例もなきにしもあらずなんですね。こういうようになった場合に、やはり組合員というものは、こういう不当なやり方に対しては警察官を難詰するということは、これは当りまえのことなので、それでも黙っているというわけにはいかないのであります。でありますから、不当干渉なりとしてつるし上げにあった事実もある。果してこれが不当干渉であったのかどうかというようなことですね。もしお調べになりましたら、ここらの事情を伺わしていただきたいと思うのですが…。
  30. 北村暢

    北村暢君 これは、確かにこの通りのことを警察本部長が繰り返し繰り仮し強調しておりました。しかしながら、私どもは、その教育委員会と、それから高知県の教員組合とのこの問題について、調査に行ったわけでもないのでありまして、従って、まあそういう点については、直接不当干渉であったかどうかという事実、そういう問題について、あえて行かなかったし、また調査もしておらないのです。従ってこの点は、警察本部長が強調せられておった点をまあそのまま実は報告しているのでございまして、これは、立場が異なりますというと、いろいろ見解は変ってくるだろうと思うのです。私も、そういう私の感じとしては持っているのでございますけれども、これは警察本部長の説明を率直に報告をしている、こういうことで一つ理解を願いたいと思うのでございます。
  31. 高田なほ子

    高田なほ子君 もう一点だけ伺わしていただきたいのです。  これは、暴行事件の内容のことにわたるわけですが、森小学校の宿直室で、中内という先生暴行されて、相当の重傷を負ったという事件があるわけで、ここにも報告されておるわけですが、この報告は、時間的にもどうもちょっとふに落ちないのですが、森小学校の宿直室を襲ったのは仁淀高校でもって暴行をした父兄たちが、仁淀の連中たちをみんなやっつけてしまったから、その次に今度は森小学校に行って第二の犯行を行なったということになってくるわけですが、どうも、森小学校の中内教諭が生命の危険にあっているという報告が駐在所にされた時間と、実際に暴行を受けた時間がちょっとここの報告で食い違っているように思うのですが、この点はいかがでしょうか。
  32. 北村暢

    北村暢君 この点、あまり詳しく調査してくることができなかったのですが、この報告で見まして、たしかにその点が感ぜられるのです。で、実際に暴行の加えられたのは零時過ぎでございますから、仁淀高校で暴力行為が終ったのが十一時半過ぎ、十一時四十分ごろでないかと思う。ですから、そこを引き揚げて、帰りに暴行を働いたことは事実のようでございます。その前に、中内教諭が、生命の危険があるからと言って、飯尾巡査の駐在所に電話をしておるのですが、その電話を飯尾巡査の奥さんが受けて、そうして仁淀高校に向う途中の主人の飯尾巡査にその点を伝えておる。そこら辺が、実は私どもも飯尾巡査の行動を不審に思うところなんです。ですが、その点は、警察なり飯尾巡査が強硬に主張をしておるのでありまして、そのときには、確かに中内教諭に対して生命の危険のある事象というものは起っておらない。おらないときに要請があったと、こういうふうに言っておる。そこのところは、中内教諭自身に会ってどうだったということを確かめておりませんので、警察側の言い分をそのまま書いた、こういうことでございますので、御了承いただきたい。
  33. 古池信三

    委員長(古池信三君) 政府当局に対する御質疑がございましたら御発言を願います。
  34. 北村暢

    北村暢君 私は、主としてこの飯尾巡査と山中両巡査の行動について、警察の方の報告というのがおそらくこちらにも、もう警備局長さんの方にも来ておるのじゃないかと、こういうふうに思いまするので、どの程度に把握されておるかわかりませんが、この報告文書を見ただけでどうも納得のいかない点があるのでございます。それで、その点について一つお伺いいたしたいと思うのでございます。  まず第一番目に、飯尾巡査が、小林委員長らが到着した時間というものを、あるいは到着した事実というものを確かめてから駐在所へ帰っておるわけです。そうして九時半ごろ山中巡査と飯尾巡査が仁淀高校へ警らに出向いておるのでございます。この出向いて来たときに、二人で分れてそして仁淀高校の二階の教室で会合が行われていることを認めつつ、その状況を相当時間にわたって監視、見ておったことは事実のようでございます。そこで、飯尾巡査が、地元民から乗用車のタイヤの空気が抜かれている旨の届出を受けた。これは、現場に実際巡査も行っておるし、それからこういうことを知らしたのは大原義正という地元父兄、若い人でございましたが、父兄側の人が知らしておるのでそのとき、もうすでに小林委員長会合父母会側の人がなだれ込んでおりまして、そして険悪な空気であった。こういう事実は、この巡査も知っておるようでございます。しかもなお、大原という人は大へんなことだから、実際に行って見てくれということまで、暴力行為が行われておるようなので、行って見てくれというようなことまで言っておるのですが、自分一人ではどうにもならないから連絡に行くということで、直接現場には行こうとしないで、自動車のタイヤの空気の抜けたことを確認し、そうして森地区の方へ行こうとした、そういう事実があるようです。そしてそのときに、森地区へ行くのならば、まあ仁淀高校の会場の中から保護されて出て参りましたその会合に参加していた婦人六名を森地区まで送って行くように、こういうことで、まあ依頼を受けて、飯尾巡査はその婦人を送って、仁淀高校を出発して森地区へ行った、こういう報告になっておるのでございます。そこでお伺いしたいのは、飯尾巡査は、そういう仁淀高校において相当な暴力行為が始まりつつあったということを知っておったというふうに私どもは聞くのでありますけれども、警察の方の調査ではどういうことになっておるのか、お伺いいたしたいと思います。
  35. 江口俊男

    政府委員(江口俊男君) お答えいたします。ただいま北村委員のおっしゃった通り報告が私の方にも参っておるのであります。ただ、その暴行事件を知っておったかどうかということのお話が、先ほど高田委員からも御指摘になりました点と関連するのでございまして、われわれも、そういう状態であるならば、当然非常に険悪だということを感ずるはずじゃないかという疑問をやはり一たん持ったわけです。どうしてその場を去ったのだということにつきましては、再三現地に対しましてその間の事情を聞くのでございまするけれども、やはりただいまおっしゃいましたように、当地におきましては、まあとにかく非常に平静な状態であるとは感じないが、多数と多数とが対峙するといいますか、集団で、入れろとか入れないとかいうような形の押問答ということがあっているということは、ほぼ想像にかたくはないけれども、こういう場合にとっては、一人の巡査の判断でそこに飛び込んでいかないという気持は、先ほど来警察本部長が御視察の皆さんにも繰り返して申したという点に関連するのでありまして、現地におきましては、そこでたたき合うとか、あるいは物を投げ合うとかいう事態が起るということまではもちろん感じていないけれども、まあいつもやる押し問答の状態だというふうに感じておったということは、本人も言いまするし、また、県本部におきましても、それはそういうふうに感じたのだろうという認定をいたしておるのでありまするから、私の方としましてもそれ以上、いや、それは知っておったはずだということを言う根拠もございませんので、おっしゃる通り報告になっておりますることを御報告申し上げます。   —————————————
  36. 古池信三

    委員長(古池信三君) 委員の変更につきまして御報告申し上げます。  榊原亨君が辞任されて、補欠石坂豊一君が選任されました。   —————————————
  37. 北村暢

    北村暢君 それから、山中巡査と二手に分れて警戒しておった、こういうことなんですが、山中巡査も、二十二時ごろ腹痛のために名野川の駐在所の方に帰っておられるのです。そこで、これは二十一時三十分ごろに来て、二十二時ごろにもう腹痛のために帰っておられる。この腹痛の事情については、本人からもよく聞きましたが、腹痛でないという断定は、私どももつきかねるわけなんでありまして、腹痛は腹痛、これはやむを得なかろうかと、こういうふうに思うのでございますが、その後山中巡査は、地元民から連絡があって、仁淀高校で起っておる危険な状態について報告を受けて、そうして再び出ておるのでありますが、そのときに、仁淀高校で問題が起っておると、こういうふうに救援方を依頼されておるのにかかわらず、山中巡査は名野川の駐在所を出発して森地区へ行っておるのですね、仁淀高校へ行かないで。ここら辺のところは、だれが見てもちょっとおかしいですね。実際事件の起っておる所へ行かないで、二キロも離れた森地区の方へ行っている。この点については、どういうふうに御調査になったか。
  38. 江口俊男

    政府委員(江口俊男君) 山中巡査につきましては、山中巡査が腹痛を起したという報告を受けております。その腹痛がたまたま起ったのであるかどうかということでございまするが、これはどの程度のものか、私存じませんけれども、かねがね胃かいようの気味があって、ときどきそういう発作を起すというようなことで、その場合もその一つであったろうと、こう思うのでおりまするが、それが十時十五分ごろに、自分の……これは、名野川駐在所というのは、御承知のように、仁淀から離れておるところの駐在所で、この日に限り応援のために派遣されておった所でありまするが、おっしゃる通り、自分の家に帰っております。そこに近所の日浦という人が見えられまして、今、自分のところに電話があって、仁淀の会場に森部落の者が多数押しかけておるようだから、応援に行ったらどうかという意味のことを言われた。それで、十時四十分ごろに、その旨を本署に報告しましたあとで森地区に向いまして、途中の、私その辺の地理をよく存じませんけれども、国道の上から仁淀高校の状況が見えるそうでありまするが、その国道のところに行って二階の方を見たところが、電気がついていて、別段変ったようには自分は思わなかったということで、それでその前に、七時ごろから九時半ごろまで別府といいますか、森の駐在所に飯尾巡査と一緒におったわけであります。やはりそこに行って聞けばわかろうというわけで、そちらの方におりていったところで、途中に、これは御質問がまだございませんでしたけれども、飯尾巡査が一たん仁淀高校の方に向おうとして、細君があとから追いかけてきて、飯尾巡査の出た直後に、森小学校の中内教諭から身の危険を感じているという電話があったから、そっちの方が急じゃないかということを言われて、そっちの方に引き返しております。その前に、その話を飯尾巡査が細君に聞いて、それでは自分もそっちに行ってみようというので、森小学校の方に行っている。そして森小学校で飯尾巡査と二人で三十分くらい警戒をして、再び森の駐在所に引き返してきている。こういう行動を山中巡査はとっておるのでありまして、なぜ学校の中に入って、そしてほんとうの状態を間近かに見て、そして判断しなかったかという点については、御疑問の点があろうと思いまするが、その点は、やはり飯尾巡査と同様な感覚であったろうと思う。遠くからというか、何か大騒ぎになっているというのなら、ここからでも様子が見えるという意味で国道、多分高くなっているのじゃないかと思いますが、そこから会場の二階を見て、二階の状況が別段変っていないという判断を本人がして、引き下っていると、こういう事情でございます。
  39. 北村暢

    北村暢君 今説明ありました飯尾巡査の行動についても、確かに仁淀高校の方に行こうとした。そしてこの暴行等が行われている事実について、仁淀高校の方で人がたくさん集まっておったのも事実だし、それは両巡査とも知っておるのですね。知っておるので、電話もそのような形で聞いているので、実際はそっちの方へ向ったわけですね。向ったところが、あとから奥さんが来られて、電話で、森小学校の中内先生から身の危険があるという電話がかかってきたと、それをまあ奥さんが、仁淀高校の方に向った飯尾巡査を追いかけていってそのことを伝えたと、そして戻ってきて森小学校の方へ行ったと、これは、そのように聞いたときも述べておるのです。だけれども、その点は間違いないのですが、そういうことだということですから、それはそうでないという私どもに何も否定する事実はないのですが、しかし、常識的に考えて、ここのところは私ども非常に奇異に感ずるところなんですね。実際に問題の起っておるのは仁淀高校で、森小学校と仁淀高校は約二キロくらい離れているのですから、そして集まっておるのもその仁淀高校だ。問題のあるのもそこだ。自動車のタイヤの空気の抜かれたのも知っておるのですから、暴力行為が起っておるから行ってみてくれと言われているのに、一人ではどうにもならぬというので、森地区までわざわざ戻って、佐川の警察署に連絡しておる。実際そこでやる気であれば、そこに仁淀中学校という、高校のすぐ隣に中学校もある。そこに電話も何もある。にもかかわらず、そこからすぐ佐川警察に連絡せずに、森地区まで二キロの道を歩いて帰っておるのですね。そこら辺に非常に疑問に思うところが残るのですよ。しかも、二十二時ごろ帰っておそらく間もなくだろうと思うのです。二十二時四十分ごろですから。そうして仁淀高校の方で問題があるから来てくれと、これはもう想像して想像つくんだが、二人が二人そろって、身に危険を感じたかもしれないけれども、たった一人宿直の先生が森小学校に一人いる。そのときには、そこには暴徒が行ったわけでも、人が集まっているわけでも何でもない。森小学校の中内先生がどういう電話をしたか、その点は確かめてないわけなんですが、そこにはまだ人はその当時は一人も行ってないのです。これは、そのときに身に危険を感じたと、こう言って電話が来たからといって、そっちへ行っているのですが、電話を聞いた所から学校まではすぐなんです。駐在所から学校までは約百五十メーターくらいしかない。出ればすぐわかる所なんです。それで、そこで見れば、二十二時四十分ごろですから、これはもう一番激しく暴行の加えられている時間です。そういう時間でありますから、森小学校の方には人はいなかった。そっちの方で実は二十二時四十分ごろまで二人で警備しているのですね。そうして仁淀高校の方にはだれも行ってない。せっかく呼ばれている仁淀高校の方には行っていない、これは、だれが見ても常識的に見て疑問に思うところなんです。私どもも、この説明を聞いて、おかしいなとまあすぐに感じておったのですけれども、そういうことだと言うのですから、それ以上。判断の間違いであるか、間違いでないかということについては、私どものせんさくの限りでないから、調査して来なかったのでございますけれども、ここらへんの御調査が、私どもは常識的に考えて不思議に思うのだけれども、皆さんそれ以上に専門家なんですから、これは不思議に思わないのかどうなのか、この点なおお伺いしたい。
  40. 江口俊男

    政府委員(江口俊男君) 何べんも申し上げるようでありますが、私も、その現地からの連絡に基いてまあ申し上げているわけでございまして、内容的にはほぼ一致いたしまするが、ただいまお話のありました点で、私たちの認識をしておりますることと多少違っておりまする点は、森小学校におもむきましたのは、最後は結果において二人になりましたけれども、行ったのは別です。飯尾巡査がかけつけましたのと、あとから山中巡査がそちらの方に行ったのは別々でありましたが、まああとは二人になっているという点。それから中内教諭から……これは中内教諭に当って、はっきりそうおっしゃったかどうかというのを確かめた書類はございませんけれども、中内氏から電話がかかってきたことも私は事実だと考えております。身の危険を感ずる、それで行って見たところがいないものだから、どうしたと聞いたら、今までおったのだけれども、何事もなく帰ったというようなことで、中内氏はそのときは宿直室に寝ていた。しかし、またいつ戻って乱暴されるかもわからぬからというので、三十分ほどそのへんをうろうろして警戒をした。これはほんとうは、もう三十分ほど警戒をしておれば、ほんとうになぐられるときにいたわけでございまするが、これがまあそのときにはもう引き上げておりまして、現実に中内教諭が暴行を加えられるときにはいなかったわけでありまするが、そういう、あとから来ることもあろうかと判断して、なお、だれもいなかったけれども、森小学校について三十分ほどの警戒をしたという事実。それから、なぜ現実の仁淀に行かずに森の方に行ったかということについては、北村先生ならずとも、疑問に思われるところだと思いまするし、また、私たち自身も、一応はその点については疑問といいまするか、どういう事情であろうかということを何べんも念を押したことは、まあ先ほども申し上げた通りでございまするけれども、やはり現地の判断は、森小学校の方は中内教諭一人なんで、そこに父兄が押しかけて乱暴を働かれれば相当ひどい状態になるということの判断と、もう一つは、電話の内容があるいはかけた方と聞いた者との間で食い違いがあろうがと思いまするけれども、仁淀高校からの電話が、小林委員長一行がカン詰状態になっておるという電話であったというのであります。だから、小林委員長一行は相当の数でありまするし、また父兄もそんな圧倒的な多数というわけでもないし、現になぐり合いをしているとか、あるいは火ばちを投げつけているというような状態の認識は、あくまでもなかったという点でありまして、これは先ほども本部長の感想といいますか、釈明としてお聞きになった通り、そういう状態というものは、教諭と組合側との間にも、過去において高知におきましてはしょっちゅうあることであって、これはまあどういう時期にどういう形でこれを救出するとか、あるいは分けて入るということはもちろんやらにゃならぬけれども、これをすぐ駐在巡査が行って、そういう団体的なトラブルを解決するというような性質のものじゃ、まあないとまで判断したかどうかは確言はいたしておりませんけれども、まあそちらの方はやはり策を練るといいまするか、あるいはまあ私の想像でありまするけれども、やはりある程度の人数を——これはまあそういうことは高知じゃ言いませんが——もって、やはり分けて入らなければ効果がない。まあ暴行とか傷害ということを念頭に置いた場合と、やはり団体的にそういう対峙の状態にあるということの判断との間には、そういう警察的な感覚の差が出てきたのであろう、こういうふうにまあ私は解釈しております。
  41. 北村暢

    北村暢君 そこで、その判断の仕方、私もまあ二人の巡査個人をどうこうしようというつもりはないし、また、非常にこういう立場に当って、判断が正しかったか正しくなかったかということによって責任を問われることについては、それは私は非常に個人的にはどうこうというつもりは何もない。何もないのですけれども、ここで大原義正という方がやはり参考人として呼ばれて、検察庁かどこかわかりませんが、検察の取り調べか何かで証言をしているようでございますが、実際に飯尾巡査に対しては危険性の度合いというものについては、ただ単にカン詰になっているといったような形のことを言っておるのじゃない。この自動車のタイヤの空気を抜かれているときに、すでにこの巡査とこの大原義正という人は、相当まあいなかの巡査のことでありますから、非常に知り抜いている、友だちみたいな人なんですね、そういう仲で、飯尾巡査に、お前行って見ろと、こう言っているのですが、行きもしなかった、こういうことを言っている。そしてそれから一回駐在所に引き揚げているのですから……。そしてまた仁淀の中学から、中平先生という人がまあ別府の駐在所に電話をしておるのでございますが、とにかくこれは相当険悪な空気である。これはですね、もう山中巡査も飯尾巡査もはっきり認識しておる。それから山中巡査が二回目に来て、国道の所から——その高等学校の二階でやっているのですから——そのときに見て、平静であったと、こう言っているのですが、その時間的な関係から申しますというと、どうしてもそのころは相当ガラスなんか割れているし、国道から見て平静であったからまあ森地区の方へ行ったんだと、こう言うのですけれども、そういう判断で行ったというのですが、実際にそういう連絡を受けていれば、その国道からながめている程度でなくて、やはり現場ぐらいには行っていなければならぬ。私は職務上どうも判断は、そういうふうな判断をしたといえばそれまでですけれども、この職務を忠実に実施しているというふうには受け取れないのですよ。そういう点がどうもふに落ちない点がある。そうしてまた、軟禁状態になっておって、そういうときに軽々に警官が入るべきでない。これは警察本部長が非常に強調しておるところですけれども、これが末端の巡査個人についてこういうようなことを言っているのじゃなくして、警察が出動する、まあ佐川の警察署ならば警察署、あるいは小林委員長がすでに森地区へ行くときに、警備の要請がなかったからこれはつけてやらなかったのだと、そういう面についての弁解は、私ども聞くというと、もう警察本部長は、その点だけ非常に強調して弁解しているように聞えました。何回も何回も繰り返し言っておるのですから、そういう点は、まあ事件の起った当日がちょうどオルグ団が来なくなりまして、平静になって約半月ばかりたって問題が起っておらんかったのですから、まさかこういう問題が起るだろうという想像は、小林委員長しなかっただろうし、警備も頼むというような形で行かなかったということだろうと思うのですが、その佐川の警察署が出動をして、そうして、警戒に当るというようなことはしなかった。この点は本部長の言われる通り私どもは率直に理解していいと思うのです。しかしながら、末端の飯尾巡査、山中巡査までが、現場の緊迫した事情を実際に見つつ、しかも二百名も三百名もの部落民が行って相当喧騒にわたってやっているので、国道から見まして静かであったというような判断で行かれるような状態では全然なかったのですよ。これはもう学校の上と下でもってがやがややっておるのですから、相当周辺には人もおったのですし、これはもうはっきりしておるのです。この保護されて出てきた人も、この仁淀高校と仁淀中学と並んで立っているわけですが、その辺には相当人がもうおった。これも事実上そういうような点からいって、平静であったというふうな判断をして、森地区の方へすっと行ってしまうということは、どうも職務を放棄して責任を回避したような疑いが、私どもは非常にするのです。そういう点は、そういうふうなことだということであればどうだかしりませんけれども、どうもそこら辺のところがふに落ちない。これはもう一つ皆さんの方で調査をしていただきたい、こういうふうに思うのです。その点が、飯尾、山中巡査に対しての私どもの非常に疑問とするところ。  それから、先ほど指摘されておりますように森小学校に三十分ぐらい警らしておったわけですが、その引き揚げたのが二十二時——二十三時ごろですかね、警戒を打ち切っておるわけですね。二十三時過ぎでしょう、二十三時四十分ごろまで森小学校におったわけなんですから。そして、森小学校事件が起ったのは零時過ぎに起っておる。あとまあ二十分か三十分おれば、ここでもまあ引き揚げてくる、とにかく仁淀高校から森地区に引き揚げてくるときも静かにすうっと来たんじゃないんです。相当それはもう凱歌をあげてやってきたんですから。そうして一部が森小学校に来て、この中内先生暴行を働いておるわけなんです。そうすると、来る道すがらも、大体こうわかることなんですね。それですから、もし飯尾巡査、山中巡査が二、三十分の差でもってそこをいなくなったとしても——岡林警部が来られて、その出迎えとか何とかのためもあったろうと思うのですが——とにかくそこの所を離れている。ここら辺も私ども非常に納得しがたい。向うの仁淀高校で終ったのが十一時五十分ごろ終って、それから引き揚げてきているのですから。二キロぐらいといいますが、非常に仁淀高校という所は森小学校がある所から見れば、ずっと下の谷間の所で、キロ数は二キロですが、曲りくねっているので、川のすぐ向い側くらいに見えるところなんです。ちょっと曲るというと見える場所にある。そういうようなことですから、もう少し飯尾巡査なり山中巡査が気をきかせれば、しかも中内先生が実際に暴行をうける一時間ばかりも前に、身の危険を感ずるからと言ったときには、そこに仁淀高校へ行く通りすがりの人が、とにかく今から仁淀高校へ行って一つやってくるんだと、その帰りにはお前の所にも寄るんだと、こういうことでおどかして行っているのです。そこで中内先生は身の危険を感じて救援を求めている。ところが、行ったところが何でもなかったんですね。だからまた来るぞということはわかっておったと、この両方の巡査はわかっておったんじゃないか。それにかかわらず二、三十分前にそこを離れているということが、またそこら辺の事情からいって、どうもふに落ちない点があるわけなんです。ですから、ここら辺の事情をもう少しやはり確かめていただく必要があるんじゃないか。まあ両巡査については私ども非常に気の毒だと思うのですが、やはり調べるべきものは疑いとして残っているのですから、調べていただきたい。こういうふうに思うのです。これは要望でございますから、私は答弁は必要としませんが、もう一つ……。
  42. 高田なほ子

    高田なほ子君 ちょっと関連して。  今の件について、北村さんからは要望ということで発言を終っているわけですが、私はこの点についてやっぱりお尋ねしておかなければならぬ。  それは北村委員が、飯尾それから山中両巡査の行動について、幾多の疑問点をあげられて、当局に対しての答弁を求められた。ところが結果的に江口警備局長の答弁は、これは速記録を見なければはっきりわかりませんが、暴行傷害を念頭に置いた場合と、しからざる場合とではおのずからやっぱり処置が違うんだと、こういう答弁をしている。私はこの答弁はまことに不満なんです。この答弁はあたかも飯尾それから山中巡査の行動がきわめて妥当なものであるという裏づけをされた答弁である。私は、こういう答弁が江口警備局長からあったということは、はなはだ不満です。なぜなれば、暴行傷害を念頭に置いた場合としからざる場合とでは処置が違うという答弁は、この飯尾それから山中両巡査は、暴行傷害を念頭に置いていなかったためにこうこうしかじかになったのだというあなたは判定的な御答弁をされているのですが、私から言わせれば、暴行傷害を念頭に二人の巡査が置かなかったというのが、非常に不思議にたえない。これは私の主観的な考えから申し上げているんじゃないんです。この報告を見ると、こういうふうになっているわけでしょう。  まず第一に、「小林委員長等一行が十二月十五日午後四時ごろ高知を出発して森地区に向ったとの報告を得たので、直ちに所轄警察署を通じて、現地駐在巡査、すなわち名野川は山中巡査、別府は飯尾巡査に対し、その旨を通知しました」。その旨を通知しました「その旨」というのはどういう旨なのか、これから聞かなければわかりませんが、おそらく森地区には今日まで報告書にあるように四百六十四名かの警官が動員され、しかも十三件に及ぶ傷害事件、人権侵害問題があったという所だから、多分そういう旨を通知して、一応警戒に当らせたのではないかと私は想像する、これは私の想像の域を出ないのですが、多分そうだろうと思うんです。だからこの二人の巡査はこの命を受けて行動をした。  すなわちその行動の中で、具体的に出てきている問題は、この報告書の中にもあった通り、仁淀高校に父母会の会員が徐々に押しかけて、険悪な空気が認められ、しかも小林委員長等の乗ってきた乗用車のタイヤの空気が抜かれているのをこの巡査は認めて調査をしている、これが二つ。  第三番目は、この父母の懇談会に参加した六名の婦人が、どうも空気が険悪だというので、これは一人で帰すののです。そういうようなデリケートな点を御調査になっていると思いますが、この点はだれから連絡があったのですか。
  43. 江口俊男

    政府委員(江口俊男君) その前に先ほどの問題で、高田委員に対する私の説明があるいは舌足らずであったかと思いますが、意図するところと違いますので、釈明しておきますが、飯尾巡査が傷害事件がないと判断をしたことは警察官の常識だというふうに私が申し上げたようにとられておりますが、そうではなしに、そこで傷害事件があると思うたならばそちらに行くのが常識だから、そちらに行かずに森に行ったのは、森には傷害が起り、仁淀の方は多数の人の集合だから傷害は起らないと判断したと、その点は結果においては判断が間違っておったからその常識が正しいということを申し上げたわけではないのでありまして、そう判断したんだということをお伝えしたのでありますが、その点つけ加えておきます。  それからただいまの森小学校からの連絡でありますが、私がここの手元の書類にはちょっとはっきりいたしませんけれども、前に受けました連絡では、多分中内教諭自身から駐在にかかって、細君が電話を応待したように私は記憶いたしております。
  44. 高田なほ子

    高田なほ子君 その点は私はやはり調査が詳細にやられていないような気がします。どうしてもこの時間的な違いのことを突き詰めていきますと、腹の痛くなったおまわりを、腹が痛くなってけしからんなどということを私たちは言えないのです。おなかが痛いということはやむを得ませんから、なるほどそうだと思います。やはり北村さんが御質問になられたように、時間的についてのいろいろな問題が十分解明されないということと、警官が暴力事件が起っていなかったんだという判断をしたという、その判断の基礎が、私は乏しいように思うのです。警備局長から言わせれば、そんな主観の問題なんだからといわれるかもしれませんが、これは必ずしも私は主観だけでは解明しないんじゃないかというふうに思うのです。飯尾巡査は非常に、何ですか、父母会議側のメンバーの一人であったというような点もつけ加えられておるものですから、故意にこういう暴行、最もおそろしい前代未聞のような暴行事件に、そばにおりながら、二つの暴力事件に対してあたかも、その起ったときに、避けるがごとくに、この二人の者がおらなかったという点については、やはりもう少し納得のいくような釈明の仕方をしてもらいたいものだと思うのですが、再度御調査下さるそうでありますから、私はそのときの御調査をもとにして、また疑問を解いていきたいと思うのです。警察の威信の問題にかかわりますから、この問題は非常に高知県民並びに全国の方々が注目をしている問題ですからね。やはり当局としても、そういう事件事件だけに、解明をされるということがいいのではないかと思うのであります。お断りしておきますが、私は自分が日、教組の出身で、日教組の委員長がやられたからというような、そういうセクショナリズムの考え方を持ちません。ただ、目の前で酒に酔った多くの集団が、しかも警官がそれを目撃しながら、自動車のタイヤが抜かれているという不穏な空気を知りながら、警官の全くおらない中で、ほしいままに長時間にわたって、棺おけを三つも用意をしてきたというような暴言を吐かれながら、まさに死の寸前まで追い込まれたという、こういう問題を重視するがゆえに、以上のようなことを申し上げているわけですが、どうか警察の威信のためにも、こういうような疑問が明確に解かれるように、再度調査をしていただきたいと思うのです。
  45. 北村暢

    北村暢君 ただいまの私の調査をしていただきたいという要望についても、実際に私どもの聞いた範囲では、非盟休組父兄が率直に言っているのにはタイヤ三本が空気を抜かれているのですね、たしかそうだと思いました。そこではっきりと飯尾巡査に早く現場へ行って見てくれ、とにかくあなたは一人で行けなくてできなければ、とにかく暴行をやっている事実だけでもいいから見てくれということを言っておるのですよ。それにかかわらず、私一人ではとてもどうにもならぬからというので、森の方へ、佐川警察署へ連絡をするために行ったのだろうけれども、森の方へ六人の婦人を送って行っているということを私ども聞いている。そこらへんまで、二度目に来る前に、もうすでに第一回目に来て、内容を警察へ連絡するために戻って行くときに、すでにそういうことを言われておるのですよ。ですから、今、高田先生が指摘しているように、そういう暴力が起るとか起らないとかの認識がなかったとか、軟禁状態であるとか、そういう問題じゃないのです。そのときすでにもう飯尾巡査というのは、相当の暴力行為が起るということは本人からも言われて、しかも出てきた六人の婦人というのは、この六人の方もなかなか出れなかったのだが、地元父兄に迷惑をかけてはいけない、こういう取り計らいから、まあ小林委員長がとにかくこの父兄だけを出してくれと、こういうことで、父母会側の人垣の中を、その父兄を一人々々出して、ようやく救出したような形になって出てきている。その父兄を送って行ってくれと頼んでいるのですよ。ですから中の状況なり何なりというものは、飯尾巡査に相当詳しく告げて、そうして救援してくれ、こういうことを言っておるのです。ですから、それに、あなた一人で行けないならば、暴力行為をやっている現認だけでもしなさい、こういうことを言われておるのだが、飯尾巡査は、私一人ではどうにもならないというので、森地区へ行っているのです。だから二度目に電話がきたときに、この仁淀の方へ行かないで森地区へ行くというのは、どうも私ども納得いかないし、そういうことはもう前にはっきり認識としてわかっている、こういうふうに私どもは常識的に考える。そういうことをはっきり言っている人もおります。その報告はこの警察の報告にはないです。ですから警備局長の方では、その警察の報告からだけするというと、今のような判断が出るかもしれませんけれども、私どもの聞いた範囲だと、そういう非盟休組被害者側の方からの言い分はそういうふうに出ているので、そういう点から思うと、それが真実なのかどうなのかという点については、これは調べなければわからない問題でございますけれども、少くとも私どもは、そういうふうに聞いているわけです。ですから、そういう点に立って一つもう一度調べていただきたい、このことを重ねてお願いしておく次第です。  それからもう一つお伺いしたいことは、警察本部長が先ほども触れられたのですが、「従来日教組は、高知県教委カン詰事件についての警察の出動を常に非難し、現場の警戒に当った警察官はしばしば組合員によって不当干渉なりとしてつるし上げにあった事実もあり、県教委側等の警備要請には常に消極的になりながら、日教組側の警備については、要請を待たずしてあらかじめ警備をつけるというわけにはいかないと、」警察本部長は、これは先ほども申したように繰り返しそういう点は強調しているのです。これは、私は警察がこういう認識であっては今後困ると思いますので、一つ御意見を伺っておきたいと思いますが、この県教委のカン詰事件と称せられる問題は、あくまでも県教育委員会教員組合との、これは団体交渉とはいいませんでしょうけれども、何か交渉をやっているのです。そういう正規の交渉をやっている問題である、そういうところに対して警官が来るということになれば、これは不当干渉だ、こういう認識は、組合側からすれば、これは当然出てくるだろう。だから、やはり自主的に解決するための交渉をやっている、こういうことです。その度合いがカン詰になったのかならないのかというのは、これは判定の仕方で、この問題は刑事問題にもなっているようでありますから、その判定は判定として私は出るだろうと思うのですが、いずれにしてもこの問題は、私はそういう立場に立っての警察の介入というものは不当干渉だ、それで、来た場合に、警官はまだ出る幕ではないのではないか、こういうことで、不当干渉だと、こう言っておる。ところが森地区に起った問題は、これはその前に、十一月の初めから、中ごろからですか、先ほども申しましたように、オルグ団のせいもあったかもしれませんけれども、十何件かの刑事問題が、検挙されている状態、そういう中でも、実際に小林委員長が行った場合というのは、会合の持ち方、これは懇談会をやっておるので、しかも、何も相手と交渉をやるための会合でも何でもないわけなんです。それで、その中で教育問題、あるいはこの地区のこういう状態の問題について、父兄と懇談をやっている、そういう懇談をやっている所へ二百名も三百名もの、これは見方によっては暴徒とも思わしき者が、会合が開けないような形で押しかけてくる。こういうものとは性質が全然違うんじゃないか。カン詰事件に対して警官が不当干渉であるというようなことで、いつもつるし上げられているから、日教組側にだけ特に警備をするということはできないので、逆に言えば、今までいつも警官が不当介入だといってつるし上げられているから、腹いせで、今度はまた少少暴力行為があっても、あなた方に都合のいいときだけ来るというそういうような感じで、警察というものは一体、ものを処理していいのか、僕はこれを聞いていて、非常に弁解がましく、しかも非常に官僚的にものを話しておられるという感じを受けた。私は、えこひいきするわけじゃないんだが、そういう感じを非常に受けたわけです。これは、私は警察に人命なり財産なりを保護するという立場にある警察が、こういう正規の交渉というようなものに対する警察の不当干渉というようなものと、それから村中が暴徒化しているといったような形、こういうようなものと同じ感じでもって物事を処理されるということについて、そういう認識でいいのかどうかということです。先ほど、警備局長の話によると、こういう考え方で、飯尾巡査やら山中巡査もそういうふうに感じたのだろうと、こういうことまで言われたわけなんですが、そういう感じで物事を処理されていいものかどうかということを私どもは非常に疑問に思うわけです。どうなんでしょうか。
  46. 江口俊男

    政府委員(江口俊男君) 地元におきまして、どういう言い回しで本部長がお話を申し上げたか、私、その点は詳しく知りませんけれども、とにかくただいま御指摘のように、同じ多数と多数の対峙でありましても、事柄の性質が違う場合ももちろんでございます。しかしながら、また逆に、団体交渉であるから、相当な時間、相当な方法にわたっても、警察が出ることは不当干渉であるというような考え方については、また別の考え方をこちらは持っているわけでありますけれども、とにかく本部長が申し上げたのは、おそらくそういう団体と団体というような場におきましては、とかく従来もいろいろ言われたので、事柄の性質が同じであるとか同じでないとかということは別として、とにかく警察官個人が、消極的になる気持があったのだろう、こういう意味合いのことを言ったのではなかろうかと私想像するのでございまして、なお、それ以上に片方が、こちらが出かけるとしょっちゅう文句を言うのだから、その方がそれ相当にやられるまでは、こちらが出ないのが当りまえだというようなことを申し上げたとすれば、私とは非常に考え方が違いますので、その点は、もしもそういう意味で言っているとすれば、一考をわずらわしたいと思うわけです。警察全体としては、片方をやらぬから片方も同じ状態になるまではしっぺい返しだというような気持は、毛頭持っていないと私は確信しております。
  47. 古池信三

    委員長(古池信三君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  48. 古池信三

    委員長(古池信三君) 速記を始めて。
  49. 北村暢

    北村暢君 今の問題ですが、そういうふうな感じを、警備局長の言われたあとのような感じを、私は非常に受けたわけです。自分勝手に、都合の悪いときは、警察は来てもらっては困る、都合のいいときは、なぜ来ないのだと、こういうふうにしかられても困ると、こういうようなことが露骨なくらい聞えたものですから、私は、そういう感じがあってはいけないのではないか、こういうふうに率直に感じましたので、今後の指導に、一つその点参考にしていただきたいと思います。  それと同時に、考え方として、先ほど言いましたように、山中巡査なり飯尾巡査までが、こういう本部長の考え方、まあ、あの団体とあの団体の問題だから、なるべく警察は手出しをしないで、自主的に解決できるような方法、こういうような形が望ましいのだから、軽々に警察は行かないのだ、こういうようなことで、おそらく山中巡査なり飯尾巡査も、そういう考え方であったのではないだろうか、こういう想像もあったようでございますが、これは、私、先ほどから繰り返して言っているように、そういうようなもし判断をされたとするならば、これは非常に甘いことになってしまうので、先ほど申したように、事実の認識というものについては、飯尾巡査なり山中巡査というものは、相当なものを、やはり現場を直接見て感じておった、そういうふうに感じておりますから、その点は、一つこの問題とは関係なしに、別にして、先ほど申したように調査していただきたい、こういうことをお願いしておきます。この点だけで、私の質問はまだあるのでございますが、きょうはこれで打ち切りたいと思います。
  50. 古池信三

    委員長(古池信三君) それでは、本件に関する調査は、本日は、この程度にとどめることにいたします。   —————————————
  51. 古池信三

    委員長(古池信三君) 続いて売春防止法の施行に関する調査といたしまして、東京婦人補導院の建設に関する案件を問題といたします。御質疑のおありの方は御発言をお願いいたします。
  52. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 矯正局長にちょっとお尋ねいたします。  東京婦人補導院の敷地問題につきまして、贈収賄の問題が起っているように新聞でも報道いたしておりますし、また、地元から私のところに二、三の方が見えての報告も伺っておりますが、法務省におきまして、現地の警察や検察庁は手入れをしているようでございますけれども、何か報告がございましたでしょうか。
  53. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) 東京の婦人補導院の敷地の問題につきまして、新聞紙上にいろいろと報道されておるようでございまするが、私の拝見いたしましたのは、去る二月二十三日の読売新聞紙上、これは都下版のようでございますが、「五十万円で反対説得」というような記事が出ておるのでございます。これは、特にこの記事で、贈収賄がこれにからんでおるというふうにも直接は出てないようでございますし、私自身としてはさようなことは承わっておらないのでございますが、現地の方で警察なり、あるいは検察庁の方で、いかなる情報を手にしておられるか、その点は私の方ではわかりかねる次第でございます。新聞紙上直接には、その問題は出ていないようであります。
  54. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 二月の二十二日の朝日新聞の都下版に、「反対運動金で解消、税金から五十万円、取締り当局で捜査」というような大きい見出しで出ておりますが、この反対運動をしないように、つまり口どめ料に五十万円といったように私は記事の内容も読んでおりますけれども、大体府中という一番初めに婦人補導院の設置場所が法務省できめられましたときに、非常に府中で反対いたしまして、そのときに当法務委員会委員が総出で向うに参りまして、事情も聴取いたしましたり、また意見の交換もいたしました。局長御存じの通りなんでございますね。その人々が反対運動しないで、ぜひ八王子に設置してくれというために、一体五十万円の金を出すなどということが、どうしても私理解ができないのでございます。だがその府中をやめて八王子の方に移って、この間いつでございましたか、地鎮祭をいたしましたが、その間の事情を簡単にどうぞ御説明下さい。
  55. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) 婦人補導院の敷地の決定に至るまでの概略のお話を申し上げたいと思います。ただいま宮城委員の仰せのごとく、去る昨年の五月でございますが、法務省設置法の一部を改正する措置によりまして、府中に婦人補導院の敷地をきめました。そこに建設すべく着手をいたしたのでございますが、宮城委員の仰せのごとく地元のPTAが中心となりまして、反対が起ったのでございます。われわれといたしましては、この敷地は予算の関係等もございまして、ぜひ地元の了解を得てそこに設置すべく、いろいろと努力を重ねた次第でございます。ところが、この問題につきまして府中市といたしましては、何とか適当なよりよき場所を選定してあっせんをするから、いい場所ができたならば、何もここに作らなくてもいいんじゃないかというようなことになりまして、その間、府中の方でいろいろと候補地を物色いたしたのでございます。われわれもいい場所があるならばということで、その敷地を見に参ったのでございますが、いずれも適当な場所ではないのでございまして、いよいよ、昨年の十一月でございましたが、このままではとても年度内の建設もむずかしいというところから、最初の方針通り府中市に建設すべく再度の話し合いを府中にいたしたのでございます。ところが府中の方で、もう一度だけ待ってくれ、実は八王子の甲ノ原に適当な場所が見つかったから、これでいけなければやむを得ないから、ぜひここだけは見てくれ、こういうことになりまして、私もさっそく見に参ったのでございます。ところが甲ノ原の土地は、府中の従来われわれが考えておりました地所よりも、さらに場所的に申しまして適地ではないかという結論に到達いたしましたので、ここでうまく八王子の地元方々との了解がつき、円満な解決がつくならばけっこうだということを申しましたところ、さっそく府中の方で八王子の市なり地元の方と交渉されまして、中には反対もあったようでございますが、結局円満にまとまりまして、先般地鎮祭を実施いたしたような次第でございます。で、この間、この八王子の市、在に敷地を求めるということにつきましては、府中の市としての責任においてすべて選定もされ解決もしていただきたいということで、この府中と八王子との間の折衝につきましては、法務省としては全然介入いたしていなかったのでございます。ただ地元の方に、婦人補導院の何ものであるかということを十分認識してもらわなければ納得もいかないということで、この地元の方に婦人の補導院の実態なり今後の運営ということにつきまして、地元方々説明には参ったのでございますが、直接その間の交渉には、われわれ全然介入いたしていないのでございます。従いまして、その間にいかなる話し合いがございましたか、この点はわれわれの方では存じていないのでございますが、どうも新聞紙を通じて見ますると、その間、府中市と八王子市との間でいろいろお話し合いがあって、何か地元の小学校なり中学校なりの教育施設の整備のために、五十万円を府中から提供されたというようなことに相なったやに伺うのでございます。しかしこの点は、法務省としては全然タッチしていない事柄でございます。御了承願いたいと思います。
  56. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 今の御説明を聞いておりまして、府中にあの通りに設置したいという法務省の意見も十分強うございまして土地を得たことなんでございますから、それを立ちのかせるためにはずいぶん迷惑をかけている。そこで八王子市にいい土地を見つけたからそこに移すためにといっても、その一体五十万円を出さなければならないということは、私ども考えられないけれども、局長これはどうなんでしょう。
  57. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) 実はこの婦人補導院は、われわれは決してその置かれまする環壊に迷惑をかけるようなものは絶対にないのだということを確信いたしておりますし、この府中でもそうであったのでありますが、まあたまたま第六小学校の筋向いに当るわけでございまして、約一万二千坪を少し欠けますが、その奥まった一部をわれわれは選定いたしまして、そこには決してあたりの環壊を乱さないようなりっぱなものを作るのだということを、いろいろ御説明申し上げて、お話を申し上げましたのですが、なかなか納得がいかなかったのでございます。そこで、この甲ノ原の地区もこれは府中よりもさらに学校等とは非常に離れておりますし、決して四囲の環壊を阻害するようなものでないと私らは確信いたしておるものでございます。従いまして、かような金が授受されなければ、地元が納得されないというようなものでは絶対私らはないと確信いたしておりますので、この金が出なければ地元が説得できないということについては、われわれとしてはなかなか納得いきかねるのでございますが、地元方々の感じ方、もののお考えのあり方等につきまして、われわれとはだいぶズレがあるようにも見受けられますので、この点につきましては、私どもでは何とも申し上げられない次第でございます。
  58. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 この八王子の甲ノ原にということが大私決定しそうになりましたときに、PTAのおっかさん方が、まあ婦人会と提携したようにも聞いておりますけれども、非常に反対したということを私は聞いておりますが、その点いかがでございますか。
  59. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) 甲ノ原の方でもやはり反対をなすったのはこの新聞にも出ておりますが、第九小学校のPTA、それから中学校は第二中学校だったと思いますが、PTAの方々がやはり中心になって反対をなすったのでございます。しかし、ただいまちょっと申し上げましたように、現地からいたしますと、この小学校、中学校は相当離れておるのでございます。まあ私らとしては、直接さような影響はほんとうにないと思っておるのでございますが、この点、府中で反対したものを何で八王子で置かなければならないか、どうも納得がいかぬというようなことでございまして、婦人会が中心になられたというふうにも思いませんが、婦人会の方もお見えになっておりました。まあPTAが中心となられまして、地元の婦人会の方も私らの方においでになりましたが、婦人会が中心になって反対なすったというふうにも私は感じておりません。
  60. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 ちょうど私が少しかぜ引いて休んでおりますときに、どうもPTAや婦人会がこの設置に反対しているので、一ぺん来てくれないかということがあったのでございます。でも私は気持としては、飛んで行って一つ皆さんに会ってみたいと思いましたが、からだが承知しないで参りませんでしたが、そのあとで聞きましたところによりますというと、やっぱりPTAや婦人会が非常に反対しておって、納得しなかったということを聞いておりましたが、それがいつの間に納得して、どういうことで納得して地鎮祭ということになったんだろうかという私は懸念を一つ持っております。ちょうどそういうときに、この新聞記事で見ますと、やっぱりこの金というものは学校の方であるいはPTAの方で使ってもいいというような意味合いで贈られたというようなことが見えておりますがね。それは局の方では関係はもちろんないわけなのでございますね。
  61. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) この反対は、ただいま宮城委員の仰せのごとく、ございましたし、私らの方にも反対陳情には参られたのでございます。しかしながら、ある一方の方から伺いますと、府中の反対と八王子の反対ではだいぶ、何と申しますか、力と申しましょうか、そうきつくはないんじゃなかろうかというふうな見方をしておいでになる方もあったのでございます。まあ八王子の方じゃ、ただいま申し上げますように、相当学校とも離れておりますし、それからすぐ直接には人家もない所でございます。ところが、府中の方はすぐ筋向いが学校になっておりますし、すぐ隣接した所にたしか都営住宅であったと思いますが、両側にあったわけでございます。従いまして、八王子と府中とでは、相当私ら自身見ましても、感じは違っておったのでございますが、まあさような反対がおさまったということにつきましての内輪の事情を、私、はかりかねますが、われわれといたしましては、いろいろと事情も御理解いただきまして、御協力いただいたものだと思っておったわけでございますが、まあその間、かようなことが八王子と府中との間にお話し合いがあったのかなということを、あとから実は知った次第でございます。
  62. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 この八王子に土地を見つける、その他のあっせん方を府中の方にお願いになったということは、つまり府中の市でもって責任を負いましょうと言ったからのことなんでございますね、それで、その間において、八王子の方に交渉することは全然法務省はタッチしていらっしゃらないのでございますか。
  63. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) これは、個人的な立場からいろいろおっしゃってもわれわれとしては応じかねる、府中市が責任をもって一つこの問題について解決をしていただきたい、こう申しますのは、実は反対をなすったのが府中の最初はPTAが中心でありましたけれども、府中の市の議会の方で取り上げられまして、そして市議会の中に反対同盟特別委員会とか何とかいうものをお作りになって、実は反対陳情があったわけでございます。さような関係から、府中市としてさように市として御反対になるならば、市として一つ代替地をごあっせん願いたいということを申し入れまして、市の方でやっていただいた次第でございます。従いましてこの交渉は、八王子市と府中市の方でやっていただいたわけでございますが、いい適地があるということになりました際には、われわれの方からも八王子に参りまして、適当な場所でもあるし、御了解をいただきたいということを、われわれの方からも市当局並びに市議会にも申し上げ、また、地元説明にはわれわれも参りまして、婦人補導院の実態についての説明をいたした次第でございます。
  64. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 この府中から八王子の方に願いましたときに、何かお礼しなければならぬとかいうようなことについては、別に法務省に責任を負うかとか、何かお礼をしないかとかいうような話は、少しもございませんでしたですか。
  65. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) さような話は全然承わっておりません。これはもう直接の問題でございまして、われわれの介入すべき限りでありません。全然さような話は承わっておりません。
  66. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 私のところでは、だれがいついつ金をこれだけ持って行った、名前も報告になっておりますし、受け取った人はこうだということもございますけれども、これは私はそれをそのまま問題にしようと思っておりません。ただここで、私、法務省当局にお願いしたいことは、この問題はやはり捨て置きがたい問題で、そしてほんとうにこの法務省当局で十分に御調べ願いたいというように考えております。  時間がございませんから、きょうの私の質問はそれだけにいたしますが、そういう希望を持ちまして、ことにそうでなくても不潔だといって、どこでも反対運動をされて困っておる、この問題について、またこういう不潔な問題がつくなんてことは承知ならぬことでございますから、一つ調査を願って、この次の委員会一つ報告願いたいと思っております。委員長そう願えましょうか。
  67. 渡部善信

    政府委員(渡部善信君) これは贈収賄とかいうような問題がございますならば、直接警察庁なり検察庁の方で十分調査をいたします何でございますが、さような点はまだ私らの方では聞いておりません。しかし、この点につきましてよく現場の検察庁にも連絡いたしまして、いかなる事情になっておりますか、調査いたしたいと思います。
  68. 古池信三

    委員長(古池信三君) それでは、本日の調査は、この程度にとどめることにいたします。  次回は三月三日午後一時より委員会を開会いたします。なお、当日午後零時五十分から委員長及び理事打合会を開きますから、御出席願います。  本日は、これにて散会いたします。    午後四時二十分散会