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公述人(川口浩君) 御紹介にあずかりました青年団の川口でございます。私は断わるまでもなく、
社会教育の問題を専門的に研究している学者ではありません。また、
法律の
内容を詳しく
承知している、いわゆる
法律の
専門家でもありません。ただ、ここ数年来農村の末端の青年諸君と文字
通りひざを交えて語り合いながら、農村では
社会教育をどうしたら
振興することができるかという問題にまっこうから取り組んで参りました一人でございます。従って本日は、そういう農村での
社会教育の実践者としての立場から、なるべく抽象的な
論議は避けて、今農村の特に末端の
社会教育の現状はどうなっておるのか、またその現場ではどういう
ような問題が、どういう
ような事件が起っておるのかという
ようなことを
中心にして、率直に私の思っているところを申し上げたい、か
ように考えているのであります。
昔から理屈とこうやくはつけ
ようだということが言われておりますし、事実だけはいかんとも動かしがたいのであります。そういう
意味で、私は先ほ
ども申しました
ように、事実を
中心にして最後まで私の所感を申し述べる、こういうつもりでおりますので御了承願います。
その前に、私がこれから言わんとしていることを参考までに要約して端的に申し述べておきたいと思います。それはすでに言い古されたことかもしれませんが、要するにこの
社会教育法のこの
改正案は、われわれが十幾年もの長い間、農村の現場で悪戦苦闘しながら守り育てて参りました
社会教育の自主性を根底からくつがえす、そういう危険性を持った
法案である、もっとはっきり申しますと、
社会教育を
官僚統制下に置いたり、政党
支配下に置こうとすることをねらいとした
法案であるというふうに考えるので、私は
社会教育の自主性を守らんとする立場から絶対に
賛成することができないという一言に尽きるのであります。私がか
ように申しますと、おそらく皆さんの中には、特に
賛成者の皆さんの中には、そんなことは取り越し苦労だ、あるいはためにする
発言だというふうにお聞き取りになる方もあるかもしれません。そこで、先ほ
ども申しました
ように、具体的な事実を明らかにしていく中で私の言っていることが決して単なる取り越し苦労でもなければ、またためにする
発言でもないのだということを立証したいと思うのでございます。
それを立証する具体的な事例は山ほどたくさん私は知っているのでありますが、それはもし御質問があれば後ほど逐一お話しすることにいたしまして、ここでは私がごく最近身近なところで起りましたなまなましい事実を二、三拾い上げて申し述べる程度にとどめておきたいと思います。
まず第一に御報告しなければならない事件には、先月、二月の四日に日青協の理事会で起りました
一つのできごとであります。すでに御
承知の方もあろうかと思うのでありますが、それを簡単に言ってしまいますと、日青協の理事会に傍聴に来ておりました文部省の役人が、その日青協の理事会から追い出しを食ったというできごとであったのであります。私が追い出しを食ったなどと申しますと、おそらく皆さんは不届き千万じゃないか、大体青年団の
会議というのは、公開の
原則になっているのじゃないか、にもかかわらず文部省の役人を追い出すのはひどいじゃないか、乱暴じゃないかというふうに思われる方もあるかもしれません。ところが、これには深い
理由と事情があるわけです。それをお話することにいたします。この四日の理事会は、例によって例のごとく
会長のあいさつが終ったすぐあと、事務局長の経過報告がございました。ところが、この経過報告が終るやいなや、京都から出て参りました理事が、大要次の
ような
発言をしたのであります。去年の暮れ方に、文部省の主催の
全国社会教育課長
会議があった。その席上で、うちの課長が文部省の役人からおしかりを受けた、どういうおしかりを受けたかというと、君の方の青年団は勤評に庁対をしたり、
社会教育法等の一部
改正案に
反対をしたりして、傾向がよくないから注意しなさいというおしかりを受けたそうであります。それでそのおしかりを受けた課長が、京都へ帰って参りまして、青年団にそういうことを伝えてきたという
発言であったのであります。ところが、その
発言が終るやいなや、京都以外の他の
府県等からも、いや、うちの方でもやられたんだ、うちの方でもそういうことをやられたという
発言が次々に出てきたのであります。さあ大へんです、
会議は非常に緊張いたしまして、大体、文部省は自主的な青年団活動を伸ばす役割をしなければならない。そういう任務を持っているにもかかわらず、そういう自主的な青年団の活動や行動に対して圧迫を加えるのは何事だ、これこそがとりもなおさず
社会教育法の
改正の意図を事実の上で雄弁に示しているじゃないかということに話が発展いたしまして、こういう青年団に圧迫を加える
ような文部省の役人には傍聴を許すことができぬということになりまして、残念ながら涙をのんで御退場願ったということになったのであります。こういうふうに説明すると大体筋道が合うのであります。そこでそのあとで、なおも慎重に話し合いを進めまして、こういうふうな圧迫を加える文部省のやり方、態度は絶対に許せぬ、われわれが四百三十万の青年団の名においてこれを抗議する必要があるということで、前例に見られない
ような圧倒的多数でその抗議をすることを決議をすることを決定して、文部省に抗議をしたわけであります。こういう事実を
一つ参考までに御記憶願いたいと思うのであります。
それから、今度は私の県の事件を申し上げます。たくさんありますが、第一に神崎町というところで起りました事件をまずお話しします。要するにこの事件は、ある町長が町の公器であるところの有線放送を青年団に使わせなかったという事件であります。で、婦人会と青年団は一緒になって東大の太田堯という先生を呼ばって講演会をすることになった、せっかく東大の先生を末端の農村にお迎えするのだから、この
内容を町民に周知徹底せしめてなるべく大ぜい集まっていただく必要があるだろうというふうに青年の諸君が考えましたもので、有線放送でそれをし
ようとしたわけです。ところが、有線放送の
運営委員長をやっておる町長がそれをストップさせた、だめだと言って断わった、なぜだめなんだということを青年諸君が詰め寄りましたところが、原稿が長いからだめだ、前例がないからだめだ、アナウンサーがなれていないからだめだという
ような
理由で断わったそうであります。そこで、青年諸君は、それならば原稿を短かくするからやってくれというふうに要求したところが、それも取り入れられずに最後まで断わられて、ついに有線放送を使うことができなかったということであります。ところが、まことに不思議なことに、よく調べてみましたところが、それより少し前に、今度自民党の参議院の
地方区から立候補するといわれている某氏が、講演会をやった際には、なれていないはずの有線放送のアナウンサーが、しかも前例がないはずの有線放送を、しかも長々とやっておるという事実があるのであります。結局こういうふうに考えますと、参議院議員候補には有線放送を長々と使わせ、まじめな青年団や婦人会の講習会には使わせないということは、これは理屈ではない。町長の本心は、おそらくおれにたてつく
ような青年には有線放送を使わせたくない。それに第一、青年団や婦人会が講師を呼ばって講演を聞いたり、話し合いをするということになると、何をやるのかわからぬということで、それが心配になって貸さなかった
ようであります。こういう事件があります。
さらに、次に御報告しなければならないことは、これは
理由があってちょっと名前は伏しますが、とにかく私の近辺のある町で起った事件であります。これはよくある事件でありますけれ
ども、青年団の青研集会、つまり青年問題研究集会に共催金を出さなかったという事件であります。なぜ出さなかったのか、青年団の諸君が聞きましたところ、県の青年団の幹部、それから郡の青年団の幹部が講師や助言者として来るから、それだから出さないのだということであります。おそらく傾向がよくないと見たでしょう。そこで、これはとんでもないことだ。県の役員にしても、郡の役員にしても、われわれの青年団自体が民主的な、合理的な
方法で選び出した役員だ。その役員をけしからぬというならば、それはとりもなおさず青年団をけしからぬということをいっているのと同じことになる。こういうことは絶対に許せないということで、詰め寄ったために、ついに話し合いが決裂して、共催金がもらえなかったというところに至ったわけであります。ところが、これも不思議なことに調べてみましたところが、それより少し前、今度県
会議員に立候補する自民党の某氏が講演会をやった際には、数千円、もっとはっきり申しますと四千円だそうでありますが、金を使っているという事実が明らかになったわけであります。しかもそれが一ぱいに使われているという
ようなことであったらしいです。そこで、今、青年諸君は、この二つの事実を取り上げて、盛んに
教育委員会に抗議を申し入れているという事実があるのであります。今これは進行中の事件であります。
それからまた、千葉県下の八日市場市につい最近起きました事件であります。これは青年団から三名
社会教育委員を推薦しなさいという公文書が
教育委員会からきた。青年団からいろいろ話し合って三人名前を出した。ところが、三人ともけられた。それで、今度は数を一人にして、しかも青年団から推薦した以外の
社会教育委員を決定して、一方的に押しつけてきたという事件があるのであります。これは
理由をいろいろ具体的に調べてみましたところが、その前、八日市場の
市長選挙の際に、保守派に青年団と青年団のOBが協力しなかったというかどで、それからもう
一つは人物があまり好ましくないという
理由で断わられたらしいのであります。こういう事実もあります。
それから最後に、私の町で最近起りました事例を
一つお話しします。これは青年団
関係の社教
委員が、町長選挙の際に、現町長に協力しなかったというかどで、そろいもそろって三人首切られたという事実であります。そうしてそのかわりに、だれが社教
委員になったかというと、現町長選挙の際に、一生懸命努力した、いわば選挙の功労者が首をそろえて社教
委員になっているという、そういう事実があります。これは私の町で起った事件でありますから間違いありません。ところが、私のところでは青年団と婦人会が一生懸命力を合せて不当をつきましたために、ついに最近になりまして青年団から四人、婦人会から四人社教
委員を入れることができたわけでありますけれ
ども、こういう強い青年団、婦人会の組織を持っていないところでは、それが泣き寝入りになるというわけであります。
以上の
ような事実を私がお話ししますと、おそらく
賛成者の
皆様方は、それは例外というものだ。
全国ならして見ればそんな事件はほんの部分的な事件だ、あるいは偶然起った事件だというふうに受け取られるかもしれません。ところが、私は絶対そうは考えない。その一見偶然の事件の
ように思われるその背後においては共通の本質がある、共通のおそるべき本質がある、必然性があるということを、ここではっきり申し上げておきたいと思うのであります。どういう共通性か、どういう必然性かということでありますが、青年団が自主的に活動をやる、そこまではまあまあ黙認するのだけれ
ども、その自主的に活動した結果、している過程で、お上にたてつく
ような形になると、それがことごとく、ほとんど例外なくやられているという事実であります。おそらく、ここで今までいろんな
団体から
発言がありましたが、それは、基本的に
政府の方針に賛同しているからやられないのです。それが、たまたま自主的に活動をやった結果、基本に反するという
ような結果になった場合には、おそらくことごとくやられるということを私は自信を持ってはっきりここで申し上げます。これは、お上にたてつけばやられる。お上の命令に、積極的に、あるいは消極的に協力すればやられないということになると、これは、「この道はいつか来た道」という歌がありますが、何かそういう歌を思い出す
ようなおそろしい結果をもたらすのじゃないかというふうに考えられるのであります。私
どもは、まだまだこういう事実は山ほど知っております。先ほど言った
ように、うんと知っております。そういう、うんと現場でもってひどい目にあわされてきたわれわれが、今回の社教法の
改正の意図を疑うことが、果して不自然でしょうか。私の
発言が、ためにする
発言と聞こえるでしょうか。私は、自信を持って、そうでないということをここで繰り返します。その上、私
ども青年は、農村でいろんな
社会の問題を盛んに学習しております。いろいろな経験と学習を結びつけている中で、これは、勤評や道徳
教育や、さらにまた警職法と、一連のつながりを持って出てきた改法であるということをはっきり知ることができたのであります。だからこそ、われわれは心配しているのであります。
結局この
法案は、われわれに言わせますと、今までおそるおそる
干渉や圧迫を加えてきたものに対して、今度は本格的に、徹底的に、青年団の自主的な活動を押えつけるための法的な
根拠を得るためにやられる
改正であるというふうにしか見られないのであります。そうとしかわれわれには受け取れません。こういう前提の上に立って、私は、しばらくの時間、各条文の
解釈を、私
どもの見解を明らかにしておきたいと思うのであります。
まず、十三条の削除の件でありますが、これは、先ほ
どもお話申し上げました
ように、今まででさえひどくやられておるわけでありますから、今回十三条が削除されるということになると、これはどういう結果をもたらすかということは、私がここに言うまでもありません。さらにまた、
補助金をもらったって、こっちがしっかりしておれば何も自主性を奪われることはないじゃないかという議論もありますが、これは全くもって農村の実情を知らない卓上の空論であります。おそらく、失礼な言い方かもしれませんが、
国会の議事堂で話し合いをやっておられる先生方には、庶民の、ほんとうの農村の庶民の感情や実態というものは理解できないのじゃないかと思うのです。とにかく、私の町で申しますと、町長のところに文句を言いに行くのにも、しょうちゅうを一ぱいひっかけて、ぶるぶるふるえながら行くという実情であります。そういう実情があるのであります。さらにまた、農林省
関係の
補助金が、今日農村にどういう結果を、害悪をもたらしているかということは、これは私が言うまでもなく、諸先生が十分
承知しているところであろうと思うのであります。さらにまた、つけ加えたいことは、この
補助金がもらえる
ようになると、青年団がうんと金をもらえる、自由にもらえるという
ような印象を与える
発言がしばしば行われるのでありますけれ
ども、これは子供でもわかるうそであります。なぜか。県や
市町村の今日の予算の状況を調べてみればすぐわかります。多少のでこぼこはありますけれ
ども、ことごとく
社会教育関係の予算は減らされております。大もとが減っているのに、
改正をしたからといって金がふえるという論理は成り立ちません。これは子供でもわかるうその論理であります。
二番目に、
社会教育委員の指導性の問題でありますが、これは非常に危険であります。なぜ危険かといいますと、先ほ
ども申しました
ように、今日の末端の農村での
社会教育委員がどういうものであるか、どういう人たちがやっているかということを考えると、これはすぐわかるのであります。大体は町の有力者につながっている人たちであります。しかも、今日の青年の気持はわからぬ、これは何とかもう少し訓練をする必要があるじゃないかという、いわば、きつい
言葉かもしれませんが、前近代的な感覚を持っている
社会教育委員というのが非常に多いのであります。青年団や青年を理解している
社会教育委員はだんだん減らされているという現状も一方にはあるのであります。こういう状態の中で、こういう傾向の中で、
社会教育委員に指導権を与えるということになれば、何をもたらすか、これは私が言う必要はありません。もちろん私
どもは、青年団に対しての指導者が必要だということは、皆さんに言われるまでもなく、十分
承知しております。しかし、これが自主性を抑える
ような指導はいけないということであります。そこで、どういう指導者が必要かということになるのでありますが、それは、青年団とじっくりと話し合って、相談して、自主性を伸ばす
ような、青年や青年団を理解した、そういう指導者がほしいということであります。それは、今までの
法律の上でもりっぱにできることでありますし、やっていることであります。
主事の養成と
必置の件でありますが、大体これはどういう
主事を作ろうとしているのか、その
主事にどういう仕事をやらせ
ようとしているのか、これがわれわれは非常に危なかしく思われるのであります。これには前例から押してそういうふうにしたということであります。正しい仕事をする
主事は大いにけっこうです。しかし、われわれにはそうは思われない。
さらに大学のことは、われわれの
ような一介の農村青年には理解できませんけれ
ども、何でも言い分によりますと、今日は大学の
内容が充実しておらぬから、従ってそのかわりに文部省や
教育委員会がやるんだというお話でありますが、これは全くもって論理の誤まりというものであります。なぜかといいますと、大学がまずければ、なぜ大学を充実する
ような努力をしないのか、そういう努力をしないで、片方で
主事を文部省が養成するという
ようなことを言われるからその熱意が疑われるのであります。
以上いろいろ述べて参りましたが、私
どもには、この
社会教育法を
改正しなければならない、無理をして、
反対を向うに回して、どうしても
改正をしなければならないという
理由をさらに見出すことができないのであります。文部省は、
社会教育法を
振興するために改法をやるんだ、
法律改正をやると言っておりますけれ
ども、私はここで
反対に聞きたいくらいです。今日
社会教育の不振の原因はどこにあるのか、何が根本的に
社会教育の不振をもたらしているのか、このことを聞きたいくらいであります。私は、
法律を
改正したから、それだけで
社会教育が
振興するなどとは考えておりません。もっと
社会教育の不振をもたらしている根本の原因はほかにあるのであります。そういうふうに考えて参りますと、私
どもは、どうしてもこの
社会教育法を
改正する
理由を
納得することができないのであります。今からでもおそくありません。どうか、これをお出しになられました方々は、
社会教育の不振がどこにあるのか、どうしたら
社会教育を
振興させることができるのかという振り出しに戻ってその問題をお考えになっていただきたいということを特にお勧めいたします。さらにまた、そういうことを考えた上で、この
改正案を御撤回になられることをお勧めしたいのであります。
いずれにしましても、自主的な青年団活動を守るという立場からして……。