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坂本昭君 この
年金が
ほんとうに始まるのは四十年の後なんですね、四十年の後のときには幾ら若い
厚生大臣といえ
ども、そのころまで御存命かどうか、大へん失礼なことを申し上げますが、わからないのであって、だれが読んでも明確に
責任をとるというその
言葉をもって法律を言い表わしておかないと、
あとでいろいろ疑義が起ると思います。私は、きょうはこの逐条審議に入っておるのじゃありませんので、あらためてまたこの四条について検討しようと思いますが、ただこの四条には一項と二項と二つありますが、これは読んだところではやはり二項が主体になっておるものだと思います。二項が主体になってできて、それに一項をつけ加えたものじゃないか、従って、私の読んだ範囲内では、いつも主体になっているのは
保険料なんですよ。取り上げる方の
保険料を基準にして、そうして少くとも五年ごとに基準に従って再計算、それから
調整をせよ、で、われわれが求めているものは、出すところの
保険料だけではなく、給付の、
年金の額なのです
年金の額ということに基準を置いてやはり
調整をするという思想がなければ、これは主客転倒だと思うのです。きょうはその点については、また、この逐条審議のときに
一つ議論をやるといたします。
次に、この
郵便年金と並んで重要な
厚生年金保険の過去の
歴史について少し検討してみたいと思うのです。ちょうど「
厚生年金保険法の解説」という
厚生省の
厚生年金保険課で編まれた本があります。これはたしか前の条文を書いた前の
年金保険・課長が作られた解説なんです。非常にいいことが響いてあります。実は私はこれで非常に教えられたのです。たとえば
厚生年金保険制度の創設とその
経過のことをいろいろ
説明しておりますけれ
ども、最初は労働者
年金保険と申しておりましたが、どういうために作られたかということについてこういう
言葉を使って響いてあります。直接には当時の、つまり最初できたのは
昭和十六年三月十一日に公布されて、十七年の六月一日から実施されたわけですね。ですからちょうど大東亜
戦争の始まる前から、大東亜
戦争の間を通じて
厚生年金保険法というものは発展してきたわけです。「直接には当時の戦時体制下において、生産力を極度に拡充し、労働力の増強確保を図る必要があり、そのための措置の一環として要望された」また「一方時局下における
国民購買力の封鎖の見地からこの
制度による強制貯蓄的機能が
期待されておったことも見逃し得ない」これはなかなか大事なことなんですね。「その成立の経緯から、戦時政策的な色彩が強く現われていたということができる。」というふうに解説しているのです。私が今、
年金法案の最初の審議に当って序論的なことから申し上げたいということは、かつて、今約一千万をこえるところの労働者のための
厚生年金保険法というものが強制的な貯蓄的機能が
期待されておったことも見のがし得ない、再び強制的な貯蓄的な機能のもとに、この新しい
国民年金法が全
国民に対して強制されるということになれば大へんなことなんです。ことにあのときは大東亜
戦争の直前に公布された、そうして今
坂田厚生大臣は岸内閣の一人として、この
国民年金法案がまた喜び
戦争目的のために強制的な貯蓄的な
目的をもってやられるとすれば、これはもう私
たち命を賭してでも反対しなければいかぬことだと思うのです。もちろん今そういうふうなことは、児戯に類することは申しませんが、ただ多分に強制貯蓄的な
内容があるということです。しかも先ほどから
郵便年金の場合に論じられた
通り、四十年も五十年もたって、
あとになってまた
貨幣価値がなくなってから支払われたのでは
意味がない、そういう点のものもどうしても検討していかなければならないと思うのでございます。その後の
厚生年金保険法のいろいろな経緯を見ますというと、非常におもしろいのであります。
昭和二十二年の四月に
改正されたころには、
厚生年金保険事業の運営に関して重要な事項を審議するために、被保険者、事業主、公益代表の三者構成による
厚生年金保険委員会を設置する、こういう
改正も述べられておるのであります。私はこういう点も、今度の
年金を作る場合に非常に大事な示唆を与えるのではないかと思います。
さらにこまかくは申し上げていけませんが、大事な点だけ申し上げていきますと、
昭和二十九年ごろ、
昭和二十九年の
社会保障制度審議会の審議の過程で取り上げられた問題点として、「
年金額がきわめて低く、
生活保護法による保護基準にも及ばない。」これが
昭和二十九年の新しい
厚生年金保険法制定当時にもうすでにそう言われている。二十九年ですよ。そして御
承知の
通り、定額は二万四千円というのは、あのときから今に至るまで同じなんです。その間に経済の成長の伸びはずいぶんある。
物価の指数もずいぶん上っている。しかし、基準は低いままできている。当時すでに「
生活保護法による保護基準にも及ばない。」これは
厚生年金保険法の過去の事実であります。さらに大事な点は、「
積立金の
運用については、民主的管理
運用の途を開き、その収益が還元し得るように措置すべきである。」新しい
年金法の制定のときに、すでにこの
積立金の
運用について非常に示唆に富んだ勧告が行われている。そうして特に最後に、「過去の
インフレーションによる不足分については、国庫負担の途を講ずべきである。」こういう明確なことが、この過去の例の中でわれわれはこれを検討することが実はできるのでございます。そこでこうした経緯で発展してきたところの
厚生年金保険、今日約一千万人以上の人が対象になっている。いわばモデルであります。今回の
政府の
国民年金法の対象になる人は二千六百四十六万人、従来の
厚生年金保険法の倍以上の
人たちが対象になる。しかも
内容において強制的なこの措置をとられている。そうなりますと、どうしてもこの
厚生年金保険法の行われている実態をよく分析して、この中からこの現
法案との比較対照をする必要がどうしても生まれてくる。そう思うのでございます。で、まず、従来のこの
厚生省が
国民皆保険、医療
制度についての皆保険をやる場合にもいつも問題になるのは保険経済であります。いつもその保険経済、
国民の
生活の水準を高める、
国民の医療を完全に守ってやるということよりも、もう財政経済、そういう観点が非常に強かった。で、今度の
年金の案を見ますというと、
昭和三十四年度、これは全部まあ無
拠出の対象ばかりでございますが、
昭和三十六年度からは、保険収入が六百五十一億になり、給付が百十六億になって、それから
積立金が三千六百六億になる。これをずっと計算して参りますと、
昭和五十五年になると、
保険料の収入は八百四十五億であります。給付が九百九十五億であります。それから
積立金が二兆五千九百四十七億になる。さらに
昭和百十五年、
昭和百十五年というと、二〇四〇年ぐらいになりますが、もうずいぶん先の、長い先のことでして、地球が全うしておられるか、どうだとかちょっとわけのわからない時代ですけれ
ども、こういう百十五年という将来を見て、
保険料の収入が八百二十二億で、給付が三千九百三十五億で、
積立金が四兆六千九百八十三億、なるほどこれは保険の数理としては正しいと思う。そうして、この正しい保険の数理の上に立って
皆さん方は
保険料をきめた、それから保険の給付の
内容をきめておられる。しかし、この前の
厚生年金保険を作ったときはわずか三年にして
日本は
敗戦の悲運をみましてひどい
インフレーションがきた。一体百年も先のことを
考えて、なるほど数字は正しいでしょう。確かに数字は正しい。しかし、その間の
インフレーションも
考えなければ、あるいは
日本が世界連邦になるかもしれない。あるいは
日本がどうなるかわからない。そういうことを抜きにして、そうして、ただ保険経済の数理の上に立ってこうした計算をやっていくということは何か大きな誤まりがあるのではないか。
たとえば、
イギリスの場合は基金というものを作っておったけれ
ども、あれは現在基金は全部なくなってしまって、赤字になってしまっているというのは、アメリカの援助をもらったマーシャル・プランあたりでかなりの金をもらっておりましたけれ
ども、そういうものを社会保障の方へ全部つぎ込んでしまう。それほどまでも
イギリスの社会保障というものは、
国民生活を高めるために努力をしてきた。
日本の場合はこれだけの、
昭和百十五年までまことにりっぱに計算せられて四兆何千億というものを積み立てられる。しかし、その間、給付を受ける
人たちの
金額はたった三千五百円しかにすぎない。これは保険の数理の問題ではなくて、私はもう政治の問題だと思う。このことについて
厚生大臣の御意見を承わりたいと思います。