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1959-03-17 第31回国会 参議院 社会労働委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月十七日(火曜日)    午前十一時八分開会   —————————————   委員異動 三月十六日委員稲浦鹿藏君及び高野一 夫君辞任につき、その補欠として斎藤 昇君及び横山フク君を議長において指 名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     久保  等君    理事            勝俣  稔君            柴田  栄君            木下 友敬君    委員            有馬 英二君            草葉 隆圓君            斎藤  昇君            谷口弥三郎君            西田 信一君            松岡 平市君            横山 フク君            片岡 文重君            小柳  勇君            藤田藤太郎君            光村 甚助君            竹中 恒夫君   衆議院議員            八木 一男君   国務大臣    厚 生 大 臣 坂田 道太君   政府委員    厚生大臣官房長 森本  潔君    厚生大臣官房審    議官      小山進次郎君    厚生省公衆衛生    局長      尾村 偉久君    厚生省医務局長 小澤  龍君    厚生省児童局長 高田 浩運君   事務局側    常任委員会専門    員       増本 甲吉君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○国民年金法案内閣送付予備審  査) ○国民年金法案衆議院送付予備審  査) ○国民年金法施行及び国民年金と他  の年金等調整に関する法律案(衆  議院送付予備審査) ○児童福祉法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○社会保障制度に関する調査  (一般厚生問題に関する件)   —————————————
  2. 久保等

    委員長久保等君) これより社会労働委員会を開きます。  委員異動を報告いたします。  三月十六日付をもって稲浦鹿藏君、高野一夫君が辞任し、その補欠として斎藤昇君、横山フク君が選任されました。   —————————————
  3. 久保等

    委員長久保等君) 国民年金法案(閣法第一二三号)、国民年金法案(衆第一七号)、国民年金法施行及び国民年金と他の年金等との調整に関する法律案(衆第二六号)、以上三案を一括議題といたします。  御質疑を願います。  速記とめて。    〔速記中止
  4. 久保等

    委員長久保等君) 速記起して。
  5. 木下友敬

    木下友敬君 八木衆議院議員が御提出になっています国民年金法外二件は、これは私ども社会党のものとして十分理解があるわけでございまして、ことさら特別の質問をするのもどうかと思いますけれども、この際、政府の案と対照してはっきりしておきたいということがございますので、一つお答えを願いたいと思います。  私は、今の日本社会保障というこの大きな社会保障という一かたまりの政策を見てみますと、見方はいろいろあるかもわかりませんけれども、何か社会保障というよりも保険というような傾向が非常に多いように思います。これは世界的に見ても、やはり社会保障といっても保険という傾向はあるにはあるのです。国民年金にしましても若いときから金を積み立てておいて、そしてそれが数十年のあとにはね返ってくるという、やはりこれは保険の行き方です。ところが、一つの国の政策として、社会保障を国の柱として立てる場合には、今度の国民年金の立て方は、八木さんの案にしても政府の案にしても、あまりに保険に片寄り過ぎているのではないかと考える。少くとも政府の方はそうであっても、ほんとうはわれわれの政党から出た国民年金というのは、もう少しほんとう社会保障というかおりの高いものにできなかったかということを私も厚生委員の一員として今になって考える。何かいい方法があるべきではないかというのでございますが、この点に関して、一つ所信を述べていただきたい。なお、きょう私お尋ねしますことは、法案細部にわたってお伺いすることはいたしません。大体のその思想、考え方等について大綱を聞いておきたいと思いますから、そのつもりで十分に論議を尽してもらいたい、こういうふうに考えております。
  6. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 木下委員の御質問お答えをさせていただきたいと思います。  社会保障についてはほんとう社会保障であるべきで、社会保険的であるべきでないという木下委員考え方に私も全然完全に同感でございます。今までの日本のこういう関係の諸立法におきましては、ほとんどが社会保険的にできているわけであります。ほとんど全部できていると言っても過言ではないように思います。それを社会保障的にしなければならないわけでございまするが、その中で、年金に関しては特に社会保障的にする必要の度が強いと思うわけでありますが、健康保険の場合でございますと、これは健康保険なり国民健康保険という制度でございますると、医療保険料に見合ったということではなしに、やはりどれだけの医療をしなければならないという点で定額的になる要素があるわけでございます。傷病手当金とかそういうものは賃金に比例するとか、そういうようなことになりますけれども、この年金に関する限りは、そういう意味でも特に社会保険的ではいけない要素が一般的より以上に多いのではないかと思います。それで、そういう意味で、私ども国民年金案を作るに当りまして社会保障的に徹した考え方でやりたいと考えて練って参ったわけでございます。大体において、そのような考えががほとんど九分九厘まで入っているように思うわけでございまするが、木下委員が、完全でないということをおっしゃいました点の中には、おそらく労働者年金の中で標準報酬比例部分という点ではなかろうかと私ども考えております。われわれ社会党基本年金の中の一般国民年金に関しましては、これは全部もらう方が定額でございまするし、その要件は何と申しますか、年金税が何回減免になってもこれだけのものが六十才から国民のどんな状態でももらえるということになっておりますので、これは私ども現在考え得る一番社会保障的に組み立てられていると思うのであります。減免のほかに、減免を受けない人の場合も国庫負担から累進課税による賦課方式国庫負担給付の五割、保険料の十割に当るという点で、持てる階級がたくさん負担して、持てない階級がその再配分を受けるという点の要素が相当大きゅうございますし、また、積み立てるべき年金税の分も均等割、所得割、収入割、資産制という部分を作ってございますので、年金税を払えない部分も非常に社会保障的な恩恵を受けられる。しかも払えない人は全額免除ということがある。それは受取要件には一向さしつかえないということになっておりますので、これは完全に社会保障的にできていると思います。労働者年金の方は賃金標準報酬比例になっております。標準報酬比例になっておりますのと、もらう方の金額が基盤になっております八万四千円は通算の関係もございまして、一般国民と同じく八万四千円が定額になっておりますが、その上に標準報酬比例が六万三千円平均ということになって、標準報酬が高い人がたくさんもらえる、少い人が少ししかもらえないという要素がございます。これは明らかにその部分だけが社会保障的という要素が残っておるわけであります。このことを残しました理由は二つ、三つございまして、その一つは、現在の公的年金がすべて標準報酬比例でできておりますので、その状態、そういうものを統合する関係上似た形をある程度とらなければならなかったという現実的な要素一つございます。統合いたしますので、あまり違った制度にすると切りかえしにくいという点がございます。それとそれよりももっと大きな理由は、ある意味でこれは社会保険的という自己反省をしなくてもいい部分もあるわけでございますのは、八万四千円というものを国民全体に六十才から老齢年金として保障したいという考え方に立って、そうして今度労働者年金は、労働者の方は農場なり店舗なり工場なりというような生産手段を持っておりませんので、だからそれ以上に高くしなければならないという要件がほかの国民よりも多いだろうということを推察したのであります。それともう一つは、労働者の方は低賃金でありますが、現金収入が毎月ありますのでそれを源泉徴収で差引されることはそう苦痛ではあるまい、そういうことで高い保険料を納めることによって、高い保険料に当る年金税を納めることによってこれは給付を高くして、ほんとう老齢給付を高くする必要があるという要素に対応することができるという要件があるわけでございます。そういう要件があるのに、これをぴしゃっと八万四千円にくぎづけにする必要はないのじゃないかというふうに考えたのであります。全国民に対して八万四千円を完全に社会保障的に保障する、ただし、それ以上に自分努力で高い保険料に当る年金税を幾分高いものを払って、月七千円より以上の老齢保障をしようという各人の意欲をストップするようにきちっと作る必要はあるまい、それは労働者のみに限らず、ほかの方もそうである。ほかの方も農民とかあるいはお医者とか、弁護士という人は月七千円の年金では魅力がない、やはり三万円、五万円くらいほしいという方もあるでしょう、そこのところを制度的に高めることを考えますと、それまでの年金税を払うだけの余裕がない人にとってはそれを強制することは迷惑だ、その方方には政府任意年金ほんとうに組み立てる、または任意年金をカバーしてそういう方々自分年金を高めることをしていただく、ただし、労働者の方は定期的に年金税源泉徴収で差し引かれることによって容易に上げられる要素がある。そういう要素制度的に置いておった方がそういう国民にとっては仕合せじゃないか、そういうふうに考えたわけであります。でございますから、労働者定額分八万四千円は一般国民と同じように、これだけはどんなに低賃金労働者であっても保障されるということで、七千円の線で完全に社会保障的な考え方を全制度に貫いたのであります。それ以上のことは、補足的にその人の意欲によってあるいは制度の幾分の援助によって自分のいわゆる老齢年金額を上げられるという要素を残しているわけであります。そういう点で、まず九分九厘までは社会保障的な考え方だということを言い得ると私ども考えておるのでございます。  それからもう一つ特別年金の方でございますが、特別年金の方は、わが党の案は、平年度が千二百十二億円でございます。それを年金というものの分け方、性質はまず所得保障を必要とする人には所得保障をするということが第一義であろうと思います。その次に、それをできるだけ広くするということが第二義であろうと思いますけれども、その場合、それの特別年金財政に限りがございますので、その第一義に立って年金必要皮の多い人に分ける、皮の多い人に厚く分けるという考え方をとるのが社会保障的であろうかと考えておるのであります。それで御言及になりました通り社会党案の方は、私どもの概念で必要度が多いと見られる障害あるいは母子の方に老齢よりも多くの給付をいたしておりまするし、老齢においてもそのような配慮をいたしておるわけであります。  それからもう一つ、何と申しますか、老齢の方におきましては、概念的に七十才という限度で公平であればいいという考えではなしに、日本の現状においては非常に苦しい労働、激しい生活をしてきた人は早く老衰が訪れるという関係から、年齢制限を低くして、そうして所得制限をややきつくする方が実態に合った分け方であろうという考え方で、六十才から開始ということで、農家の老人が六十三才くらいになって、老衰の極に達した人が受け取れるというような配分をしたわけであります。そういう点で、社会保障的に理屈だけでいけば完全に踏み切ったとも言えると思いまするし、その標準報酬比例部分だけを見ますならば、幾分、百分の一ほど社会保険的な面が残っているということも言えるわけでございますが、その点は、その方々自分たち努力で将来の老齢安心度を高めるということを幾分援助する、幾分協力するという考え方で、付加した考え方であることを御了承いただきたいと思います。
  7. 木下友敬

    木下友敬君 百分の一くらい社会保険的な考え方が残っていると言われますけれども、必ずしもそうではない。これはほんとう社会保障ということであれは、もう少し私は踏み切って、たとえば、これはまたあとでお尋ねしますが、事務費の問題でももっと力を入れてやらなければ、私はほんとう社会保障とは言いがたいと思うのでありますが、それでもまだ細部にわたって調べてみますと、政府案よりかはまだ社会保障的なにおいは強いように思う。厚生大臣はどうでしょうか。同じ質問に対して。今度厚生省が出しておりますこの国民年金案は、私はまだこれは保険の臭気が非常に多い。ほんとう社会保障とは言いがたいという疑問を私は持っておるのです。といいますのは、たとえば四十年度には掛金の積み立てが二千三百三十一億幾らになるのですが、それから五十五年には一兆三千五百七十幾億という莫大な資金が残ってくる。経済の膨脹と並行をして、二千億とかあるいは一兆何千億とかいっても、こうなってくればそう大きな金でもないという見方にもなってこようと思いますけれども、私はこういうふうに保険税あるいは国民年金税として取り立てていって積み立てて、そうしてこれを政府部内に置いていく。これを利用するという考え方、これは私は商業的な経営でも成り立つと思う。こんなことならば、たとえばことしの事務費なんかは百十億出ておるわけですが、これを町にあるところの生命保険会社のようなものにまかせて、それだけの金を集めさせてやれば、これは時代の推移と並行して非常にいろいろの事業をやっていくに違いないのですから、商業的に成り立つのではないかと思う。ただ、政府が不幸にして——不幸ではございませんけれども政府建前として商業はやれない。だから、きわめてじみな経営をして、資金運用部なら運用部で金は運用してもらうというような建前をとっているから、まあそれで商業ではないと言えますけれども、私はこれは商業的な経営の可能な状態——それなら何も国が社会保障といわないまでも、一般国民に、営業として、皆さんが六十才あるいは七十才になられてから毎年これだけの年金を差し上げますといって、信託のような格好でやるのと私あまり違わないと思う。もっと国がこれにうんと、相当の金を突っ込んでやるならば、これは国が社会保障をやったんだということが言えると思うけれども大臣は、この点についてどういうお考えでございましょうか。
  8. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 一番基本的な、また根本的な御質問だと思うわけでございますが、私どもといたしましては、御承知の通りのように、拠出制基本として、経過的、補完的に拠出制でやっていきたいというわけでございますが、この拠出でやるかあるいは無拠出でやるかという問題は、これは単にわが国の社会保障あるいは年金というものをやります場合だけでなくて、やはり世界社会保障のやり方というものを考えてみました場合におきまして、やはり大きな問題になってきておると思うのであります。ある国においては全然無拠出的な考え方でやっておる国もあると思います。あるいはまた、拠出制でやっておる国もあると思います。しかしながら、大体の世界傾向といたしましては、やはり大体この拠出制というものを基本としておるのではないかというふうに私たちは聞いておるわけでございますが、私どもの立てました案と申しましても、日本社会保障というものの考え方というものが一体どういう考え方であるかということが一応やはり基本になるかと思うのであります。狭義に申しますならば、やはりこれは憲法二十五条にありまする社会保障というのは、やはりこれは社会保険というものを意味するかと思います。しかしながら、普通には、やはり社会保障は、社会保険公的扶助、こういうものをやはり含めて考えるのが適当だと私たち考えておりますが、さらに私ども考え方といたしまして、今後、日本におきましても、やはり単に社会保障あるいは公的扶助のみを社会保障だというふうに言い切れないものがあるのじゃないか。さらに進んでは、やはり社会的必要といいますか、ソーシャル・ニード、それに応ずるソーシャル・サービスということも含めて社会保障、こういうふうに考えなければいけないのじゃないか。そう考えて参りますと、たとえて申しますれば、公衆衛生等の面におきましても、私はやはり公衆衛生予防行政というようなものも、今日の段階においてはソーシャル・ニードがある、それに対しソーシャル・サービスというものをつけ加えていく、こういうふうに私どもといたしましては考えなければならないし、また、日本社会保障の現実というものを考えた場合においても、公的扶助というものがやはり一つの一本の柱になってきておって、それに社会保険というものが加わってきて、しかもその中枢として医療保障というものが基本になってきておって、それゆえにこそ各種の社会保険ができて、そうしてまた、われわれとしましても先般国会の御審議をわずらわしました国民保険に踏み切った、さらにまた、所得保障の大きな柱といたしまして、今回国民年金法案提出いたしておる、こういうふうに私どもは実は考えておるわけでございます。この考え方というものは、単に経済的な意味におきまして、あるいは財政政策の面からいっても、私はやはりそこにどうしても拠出制基本としなければならないという考え方一つは出て参ります。一方において出て参りますけれども、私どもが立てました社会保障というものの考え方並びに国民年金を打ち立てました所得保障としての国民年金を御提出申し上げました考え方の中には、単に経済的なあるいは財政的な意味だけでなくて、やはり考え方の基礎におきまして拠出制——自分老後については自分所得のある間においてこれを積み重ねていくという、こういう考え方がやはり国民の一人一人の方々にあまねく認識をされ自覚をされ、そして保険料を納めていただく、こういう一つ考え方から今度の法案を実は組み立てておるわけでございまして、決して、単に財政経済的な考え方でなくて、やはり基本的な考え方として、私たちは、保険料というものを納めてそして老後年金自分たちも積み立てていく、しかし、自分たちが積み立てていく金ではどうにもならぬので、積み立てました保険料の二分の一というものを国が見ていく、しかしまた、制度の立て方からいって、単なる生命保険と違うところは、いかなるインフレーションあるいはまた、経済変動等にも、国の制度として打ち立てました以上は、やはりこれを国が責任を持って見ていく、こういうような体制がむしろ私は望ましい体制ではなかろうかというふうに考えておるわけでございまして、社会保障制度審議会答申におきましても、やはり一応拠出制ということを基本とするということには発令に私たち一致をしておると思いまするし、その他の先進諸国におきましても、むしろ拠出制基本とするという考え方の方がより支配的な傾向ではなかろうかというふうに私ども考えておるわけでございます。
  9. 木下友敬

    木下友敬君 今の、社会保障とそれから社会保険的傾向ということについて大臣の答弁がございましたが、八木委員は、今のお話を聞いておられまして、あなたのさっき御説明になったこととの間に何も矛盾をお感じになりませんか。
  10. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 大いに、猛烈に矛盾を感ずるわけであります。私のさっき申し上げましたのは、社会党案は、私の考え方では、政府案と比較いたしましたなら天地雲泥の相違ほど社会保障的であろうと確信を持っております。これは純粋に、これからもう何にもかかわりなしに社会保障的な制度を作るかどうかという純粋な立場で、百歩譲って、一部分社会保険的な要素があるということを、ほんとうに正直に百歩譲って申し上げただけでございます。政府案と対照いたしましたならば、これは社会保障的という言葉を何百回使ってもいいくらいに社会保障的にできていると思います。社会保障的な点でございますが、政府案の方は、今坂田厚生大臣拠出制基本とすると言われ、そして諸外国の例とか、あるいはまた、社会保障制度審議会答申の例をとられた。わが社会党年金法案拠出制基本といたしております。しかし、その拠出制基本とするということについて、よく考える必要があると思うのであります。所得保障国民年金制ということは、本来ならば無拠出制ということが、ほかの条件が許せば一番いい制度ができると思います。その制度が許せば、ほんとうに必要な人に必要な金額を上げる、ほかの条件だけではなしに……、それが一番いい制度であります。しかし、これは、所得保障制度がすっかり徹底していない国において社会保障をそれだけするためには、減税をストップして増税をしなければならない。ところが、減税論が一般的に強い社会において、そこまでの金額一般財政から支出することは、事実上不可能の状態にある。ですから、できるだけ国庫負担をやって、無拠出と同じ状態にするということが一つ、それからもう一つは、それだけでは大きな年金ができないので、先ほど坂田さんが言われましたように、自分たち老後自分たちで用意するという要素、この要素が、今の世界人たちのいろいろの関心程度、特に日本国民のこういう関心程度においては、自分たち老後自分たちが用意するという要素を入れた方が、制度を大きくする要素がはるかに強いわけであります。そこで、政府においても自民党においても、日本社会党においても、各審議会においても、拠出制基本とするという考え方は、そこから始まっていると私ども考えている。ところが、それは、自分たち老後の準備を自分たちがしていくということでなければ、いろいろそうなりにくいからということであって、今度拠出制年金の内容を、純粋に社会保険的、いわゆる普通の保険——私的保険公的保険にしただけだというような要素で分けていいかどうかという問題になりますると、これは全然別問題であります。で、そういうふうに、自分という言葉を、坂田厚生大臣は将来は自分で用意するという言葉を使われ、後に自分たちの将来は自分たちで用意するという言葉を使われた。あとの方の、自分たちの将来を自分たちで用意するという言葉に徹しなければいけない。そうなれば、自分たちの中で、負担能力のある人がたくさん負担して、負担能力少い人は少ししか負担しなくてもいいし、それが逆になることがある——あと貧乏人金持になり、金持貧乏人になることもある、そこで、自分たちで用意するという立場に立ったならば、これは社会保障的になる、それは自分のことを自分で用意するということになれば、保険料をたくさんかけた人がたくさんに受け取るということは当然のことでありまして、これは年金支払条項をつけたのと大差ないことになってしまいまして、年金意味はなくなります。自分たち自分たちの将来を用意するということになりますと、拠出制の中でも分け方が大幅に迷う、政府も幾分免除規定などを作られまして、一部分そういう考え方をごくわずかに取り入れられているわけでございますが、社会保障の、憲法の精神を生かそうとすれば、自分たちという考え方を大きくすれば、年金保険料を、政府の方ではフラットにしているのをこれを収入比例することができます。また、分ける方も、政府の方は、保険料を四十年払い込んだ人は月三千五百円、二十年の人は月二千円、十年の人は月千円、十年未満の人は年金がない、三年未満の人には、保険料も返ってこないというようなさかさまになっているわけであります。そうして三年未満の人が、ボーダー・ラインの人が、一番気の毒な人が、苦心をして納めた自分たち保険料が仕合せな人の年金に当てられるということになれば、その年金制度を通じて収奪が行われるようなことでは社会保険的ではありません。その意味においては、自分たちの二年間の保険料がふいになるから、政府国民年金制度を通じて、貧乏人金持に金を取られる収奪制度でありまして、これは社会保険的より以上に収奪的な制度であるということも言えるわけです。ほかはそんなに悪くないところもありますけれども、その時点だけはそういう考え方でありますから、政府案社会党案とは大いに違う。そういうふうな分け方ということと、それからもう一つは、拠出制の次に積立金という話が必ず出ると思いますが、そうしてこれも拠出制だから積み立てなければいけないということもないと思います。完全に積み立てなければいけないということは簡単な議論でございまして、一部分賦課方式をとるということが考えられてもいい、賦課方式をとられた部分は無拠出制と同じような効果を現わすわけでございます。ですから建前としては、拠出制をとっても部分的に賦課方式をとればそれだけ無拠出という完全な理想の姿に近くなる、他の政府健康保険にしても、日雇労働者保険にしても、みんなこれは、政府は今まで全部賦課方式をとっておられるのです。ところが、当然賦課方式をとった方がいい制度である年金制度において、政府国庫負担を積立方式にされたということで、ほんとう年金が大きくなり得ないという要素が出てくるという点もある。この点も拠出制がいいのだ、拠出制は積立金だというような保険会社の経営みたいに割り切った、ほんとう制度を前進しようという考え方じゃなしに、ほんとうは無拠出制がいいが、そういう事情で拠出制をとった、そうなれば、国庫負担の分だけ積立制をとれば、それだけ無拠出の味が出てきていいのではないかという考え方も出てくるのであって、また、自分たち自分たちの将来を用意するならば、その中で自分たちの中で、富める者が脅しい者に対して、そういう補てんをするような、そういうような定額制の保険料でなしに高低のある保険料、そういうものを考えるべきであると思う。衆議院の審査中におきまして、厚生大臣並びに小山審議官の力から、そういうふうなフラット制じゃない力がいいという考え方は持っているけれども、とりあえず、というような答弁があったのを伺っております。政府においてもこの定額制の保険料じゃない方がいいという概念は持っておられる。ところが、持っておられるならばなぜ始められないのかと私たちは言いたいわけです。そういうわけで、社会党の方は全国民年金をもらえる。それは保険料を払うか、払わないかには一切関係ない。三十五年全部免除してもらっても、一文も払わないでも八万四千円もらえる。一生涯金額は一文も変らない。納める方は保険料は高低がある。厳格に国民に親切な免除の規定がついておる。免除は政府の方もまねておられます。それと特別年金額も、政府の方の援護年金の過渡的な部分に当りますけれども、そこで政府の方は、結局社会保障的に考えられるならば、特にひどい身体障害音というような所得能力の最もない者に厚みをかけるべきであるのに、その金額の厚みがかかっておらない。一級の外部障害だけついておるけれども、内部障害なり、二級障害なり、三級障害には一文もやらないという態度を示しておる。そして身体障害者には家族加給もない。母子家庭にはついておる。そういうようなアンバランスをつけておられる。母子家庭よりも、老齢家庭よりもはるかに所得保障を受けるべき条件が多いのにそれと同じ条件なのです。老齢の方は社会保障的に考えるべきであるのに、五十万世帯、月四万というような、ある程度楽隠居の状態の人に支給するような制度を作りまして、たとえば、月一万円くらいの、六十九才で死ぬ農家の主人たちには、実際上一文もやらないというような分け方をしておる。金額については、政府財政方式があるからあげなければいけないが、ある程度金額は、ある程度限度がありますから、その分け方を最も有効適切に社会保障的に分けなければならない。その分け方が逆になっているという点でいけないと思いますけれども、その点は社会党の方は、完全に社会保障的に考えておる。  少し時間を取り過ぎましたけれども政府案社会党案を比較していただきますならば、社会党案社会保障的な点数は九十九点くらいであり、政府の方の社会保障的の点数は、百点満点の二点か三点だと言い切っても過言ではないと思う。ただし、純粋の立場から、木下さんがお考えのような点がありますから、これは百点はもらえないで九十九点くらいであると私たちはこう考えております。
  11. 木下友敬

    木下友敬君 大へん御懇切な説明でありました。聞いておりますと、非常に長かったけれども、結局は、大臣自分の将来と考えられておることと、自分たちの将来、このたちという言葉を入れるか、入れないかということが、保険であるか、あるいは保障であるかというようなことに大きな関係を持ってくるように思うのです。それと同時に、政府案考えていること、それから八木案が考えておる、その中で、一つ私がお聞きしておきたいのは、一体政府あるいは八木議員は、社会福祉の限界ということについてどう考えておられるか。老後に限らず、身体障害者にしましても、あるいは母子定庭にしましても、とにかくこの世の中から貧乏で困るような人はもう一人もいないようにすべきだというのは国民全体が希望しているところである。それについて社会あるいは国が十分に保障をしていくべきであるという、これも概論としては正当なことであると思う。しかし、一方ではいろいろのものを読んだり、あるいはお話を聞いておれば、無制限に福祉事業を成長させていく場合にはなまけ者を作るのだというようなことを言われることが非常に多いわけです。私どももどこかではやはり限界が必要ではないかと思う場合も多々ありますが、私自体またその解明はできておりません。しかし、政府としては、一体福祉事業というようなものを、この社会政策一つとして福祉というものをどの辺まで持っていくか、これについては相当のもう固まったお考えがあるはずだと思うのでありまして、一つ御両所からお答えを願いたい。
  12. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 社会福祉の限界ということは、私は基本的には限界はないと思いまするが、しかし、世の中の現状がございまして、限界のないところまでできない現状がございますので、憲法保障された健康で文化的な生活を全国民保障するというようなことを、現在の段階においては限界とすべきだと考えております。だけれども、観念的には、限界はないものだと考えております。人間はあらゆる幸福を最大限度に追求していいと思う。将来の社会においては、オートメーションが発達したり、いろいろな諸産業が発達して、人間の今の八時間労働というようなちゃちなものではなしに、人間の生産年令人口のごく丈夫な若い人だけが一日に三時間働けば暮せる時代が将来くるべきだ、また、くつつあると考えます。その場合には、働くということ——働くということは、今度はもう権利になってくると思う。権利になってくると思うので、大体、働くということは若いからだに障害のない、奥さんみたいに家族、子供を児なければならないという条件のない人だけが、一日に二時間ぐらいずつ働いて、それで全国民が健康で文化的な生活ができる世の中が必ずくると思う。その場合には、働くということと、生活ということは、その場合には今みたいに直結しない時代がくると思う。すべての国民が、健康で文化的な一番望む生活ができるという世の中がこなければならない。それをささえるためには、ほんとうに若い、ほんとうに丈夫な人が二時間か三時間働けばいい時代がくると思う。そういうことを考えれば、限界というものはない。まだその時代は参っておりませんので、現在のところは、憲法で定める健康で文化的な最低限度の生活を保障するというところにモットーをおくべきであると私ども考えておる。基本的にはそうでございまして、それがすべての面でそこまで達しておらないと思う。なまけ者を作るというような考え方がありますけれども、人間の本来の性格は、なまけるというよりは働ききたい性格があると思う。それをいい条件で働けない、働いても報われないというような条件にあるからそういうことが出てくるわけでありまして、一日じゅう一週間寝かしておいたら、必ず働きたくなると思う。ですから、人間を悪人と思わないで、国民を善人と見るべきだと、国民が正しいよい人であると見て政治を行わなければならない。それを国民を悪人と見て、罪悪人である、どろぼうと見て、それでなまけるようなやつは絞めなければならないというような政治の運行は、政治のやり方としてはいけないと思う。ただし、現在の状態においては、いろいろなことがあるから、逆選択をすることはある程度必要であります。概念的には、なまけ者になるからという考え方は、現在の政治の貧困を物語っているものだと思いまして、現在の貧困な状態からできるだけいい状態に導く、そのためには国民が善人である、国民は積極的にそんなことをしなくても働けるという概念で政治を進めて参る必要があると考えます。
  13. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 社会福祉の限界というものをどこに置くか、これは非常に大きな問題だと思います。ただ先ほど私がお答えを申し上げましたように、とにかく社会保障という考え方、あるいはそれが制度上に各国に取り入れられてきたというのは、やはり何と申しましても、これは第二次大戦以後ではないかと思うのでございます。もちろんそれはイギリスにおいては救貧法以来のいろいろな、社会福祉事業あるいは諸制度がございまして、漸次発展もして、そうしてそれが第二次大戦後のビバリッジ案になって、今日のイギリスの社会保障制度というものが確立したともいえると思いますが、たとえばニュージーランドにおいては、それに先行すること、一九三八年くらいに、ニュージーランドにおいては、現在の社会保障制度を打ち出しておる。この間来られたニュージーランドの総理大臣であるナッシュさんも、そのメンバーの一人であるということも承わっておるわけでございますが、しかし、考え方の基礎として、やはり第二次大戦以後において、社会保障というものが、われわれが今日議論しておるような問題が取り上げられ、また、それが制度化されてさたということは、一応歴史的にいえるのじゃなかろうかと思う。そういった場合において、やはりその国々の一つ年金制度、あるいは所得保障をやっていく場合の一つ必要度というものがある、ニュアンスというものがあるのじゃないか。たとえて言えば、フランスは御承知のように、非常に人口問題が大きく取り上げられて、むしろ出生率と死亡率との関係が減少の傾向になってきておる。これは何とかして、国家あるいは社会というものを維持していくためには、ある程度の出生率というものを高めていかなければならないというような観点も加味されて、フランスにおいては家族手当というものに重点を置いて年金法というものが組まれておるということも聞いております。ある国においては、老齢人口というものが非常に将来大きな問題になってくる。で、それに応じたところの、やはり老齢人口を養う——お互いによってささえていく社会連帯の考え方において、働く人たちがこの人たちも扶養していくというようなこともございましょうし、将来自分たち老齢人口の中に入っていくという意味において、その所得のある間に幾ばくかの金を積み立てて、そして、それに対して国が補助をしていく——今度は国がまた幾ばくかの国家的支出をやって、そうしてその人たち保障していくと、こういうような考え方でおのおの特徴があるかと思うわけでございます。で、先ほどお話のございましたように、自分たち老後の生活のささえを所得のある間において積み立てていくという考え方、そしてまた、しかしながら私に言わせれば、自分たちというこの言葉は、やはり自分というものがたくさん集まって自分たちというものがなければならないので、自分というものがない自分たちというものは私はないと思います。その意味において、その自分たちというものの分析といいますか、が非常に違うので、非常に元気な方もある、そうでない人もある、あるいは障害を受けられた人もある、病気の方もある、五体のそろった人もある、そうじゃない、五体の不完全な方もある、こういうようなことから考えて、少くともわれわれがそういう年金を組み立てます場合において考えることは、自分の天から与えられた一つの能力と申しますか、あるいは健康と申しますか、それが自分の意思ではないものによってそういう社会的な活動ができない人たち——少くとも人間というものは生まれてからだんだん働く活動に入ります、所得活動に入ります、それがだんだん働けないような、所得活動ができないような状態になっていくという意味において、一つの限界が引かれると思います。これは、年令的な意味において老齢年金というものが生まれた私は一つだと思います。それから、年令的なものでなくて、ここに障害——自分が普通の人なら、完全な五体のそろった健康な人間として生まれ落ちたわけであるけれども、そうでなくて、どうしたわけかしらぬけれども、とにかく自分の意思ではないほかのことから障害を受けた、そして、ほかの普通な人よりも働けないというような状況、つまり障害者、それからまた、夫が死亡した、そして未亡人になった、そして子供は養育をしていかなければならぬ母子家庭、こういうような関係、これをまずとらえるということが一つの段階だと思うのです。それからまた、働くといいましても、これが働く意思はあって、働く能力はあっても、それを受け入れるところの社会的現実があるかないかということが一つの問題であって、ここでたとえば年金考えます場合においても、一方において働く意思があり、働く能力を持っておっても、なおかつそれを受け入れる社会的な条件が備えられておるかいなかというところに一つの題があると思う。たとえて言うならば、この間、私、予算総会でも御答弁を申し上げたわけですけれども、同じ貧乏、貧乏追放ということを考えた場合でも、アメリカのような国民所得の非常に高いところと、日本のような国民所得の少いところとでは、その貧乏の意識というものは非常に違わなきゃならない。より以上に貧乏というものの意識を日本人としては考えなければならない。早い話が、たとえばアメリカにおいても一九四八年に上下両院においてボーダー・ラインの調査をしたところが、アメリカ全世帯に占むる貧乏人世帯というものは大体一二%であった。日本においても、厚生省で発表いたしておりまするボーダー・ライン層というものは大体一二・六%だという。しかしながら、アメリカの生活保護基準というものは二千ドルにこれをきめておる。たとえば一般生活水準に対して、その貧乏水準といいますか、生活保護基準の水準というものは六割のところで押えておる。日本の場合においては、一般生活水準に対して二割か三割というところに押えられておる。そうするならば、国民所得がアメリカに比較して日本が十分の一、あるいは九分の一だとすると、おそらく二十分の一かあるいはアメリカの三十分の一かの、そこに貧乏の開きが、格差が出てきておる。そうすると、アメリカにおいてたとえば金持でない、貧乏人と申しましても、あの社会においては働こうと思えば、あるいは働く意思があるならば、多少の働く能力があるならば、大体金持になれる。こういうところにおけるところの貧乏というものと、それから日本の場合では、先ほど申しましたように、働こうと思っても働く機会の恵まれない、与えられておらない、機会がない、この状態においては、非常に貧乏というものの問題がもっと深刻でなければならない。だから、アメリカの場合において、貧乏だというものは大体なまけ者なんだ、こういうことがアメリカにおいては言える。しかし、そういうことは直ちに日本においては、今言うように、三十分の一の貧乏の社会的現実がある場合においては、これはどうしたってその貧乏ということは言えない。ここに私は特に、日本に貧乏の追放ということを言わなければならない現実があるのではなかろうか、こういうふうに考えてくると、まず、年金という所得保障を打ち立てていく、あるいはまた、一面において、その基礎になるところの医療保障であるところの国民保険というものをやっていく。しかし、もっとその前提となるべきものはやはり失業対策でなければならない。あるいは完全雇用の道でなければならない。あるいは減税政策でなければならない。もっと基本的に言うならば、経済の基盤を確保していくということでなければならない。そういうふうに、つまりソーシャル・ニードといっても、アメリカの場合のソーシャル・ニードと、日本におけるソーシャル・ニードというものとはおのずと違ってきておる。フランスの場合、あるいはイギリスの場合においても、ソーシャル・ニードは違う。あるいはイギリスの場合、一九四五、六年にビバリッジ案ができましたときのソーシャル・ニードというものと、それから一九五七、八年の今日のソーシャル・ニードというものとは違ってこなければならない。そうすると、その各段階に応じてそのソーシャル・ニードというものに応ずるところのソーシャル・サービスということが必要にして現実的な私たち社会保障考え方ではなかろうか、こういうような考え方からいたしまして、日本の場合において、そのソーシャル・ニードというものは何だ、こういうことが当面の問題として私はきたと思うのであります。そういう考え方からしまして、私たちは、この法案でもって十分理想を、そのソーシャル・ニードを満たしておる、完全に満たしておるということは申し切れませんけれども、少くとも基本的な考え方としましては、日本の現状のソーシャル・ニードに応ずるところの一つの立法措置、年金法というものを私は出し得たと、まあこういうふうに大づかみといたしましては考えておるわけでございまして、そのソーシャル・ニードが一体何かということが、いわば御指摘になりました大体社会福祉の限界ということになろうかと思うわけでございます。
  14. 木下友敬

    木下友敬君 今の問題ですが、私は、社会福祉の限界ということの論議には、それが資本主義社会であるか、あるいは社会主義社会であるかということに大きな違いが出てくると思うのです。たとえば自分の将来ということは、これは人間の場合だれでも努めなくちゃならぬことであるし、本能である。ただ自分の将来のために備えるけれども、そこへ社会的にいろいろな条件で損害をこうむる。自分の責任でなくて社会的な事情のために損害をこうむるということなのですが、それは社会主義社会ではなくして、資本主義社会において特に自分に原因のない損害をこうむる場合が非常に多い。日本の場合においてはそれが一番顕著に現われてきておる。それを救うために私ども自分の将来という一つの集団的な考え方を持ってきたところに互譲の精神ができてきて、これが社会主義社会の濫觴である、こう考えるわけであります。そこで、社会主義社会というものはどんなものかと言えば、これは私がここで申すまでもなく、福祉の限界のない、十分の福祉施設の完成されたものがこれは社会主義社会ということができると思うのです。完全な社会主義が出てきたとすれば、もう特別に社会福祉をどうしようということの必要のない社会でなければならぬと思う。だから、資本主義社会におきましては、どうしても貧乏がついてくるという必須の条件がございますから、資本主義社会においてこそこの福祉というものを特に考えなければならない。そこで、私が希望するところは、資本主義社会においてこそ福祉の限界というものはないのだというような考えを持って福祉事業に進んでもらわなければ、いつまでたっても世の中の谷間というものは消えていかない、私はこう考えます。しかもそれは社会主義社会にいけば一番いいけれども、いかなくても、為政者の考え方次第では、資本主義社会においても福祉の限界を考えないでみんなの国民が楽しくいけるということができ得るはずだと思うのでございます。  そこで私は、それに関連してもう一つここでお尋ねしておかなければならないのは、これは今度だけの問題ではございませんが、社会党がいろいろな法律案を出した場合に、まず一番にこうむる非難は何かというと、非現実的だという言葉でいつも葬られる。その御多分に漏れず、今度の八木案にいたしましても、公聴会においてもそういうことを言った人がございますが、なぜ反対をするかというと、そのおもな原因については非現実的であるということで一蹴された場合がある。私どもは、自分の党から出した国民年金のこの案が決して非現実的であるとは考えていないが、大臣もおそらく自由民主党の出身の大臣として、自分の作っておる政府が出した案が社会党の案にはるかにまさっておるという御自信があることと同時に、社会党の案は非現実的であるというお考えがあるならば、その非現実的というのはどこであるか、なかったらばいいですけれども、非現実とおぼしめすならばその点を示していただきたい。
  15. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これはなかなかむずかしい問題だと思うのですけれども、ただ私どもといたしまして、これは私どもの方で計算をいたしたわけでございます。これは八木委員の方で御反駁があるかと思いますが、今度の年金をお出しになって、そしてこれをわれわれのところよりも、たとえば特別年金においては七十才を六十才から支給開始をやられる。あるいは特に障害者に対しましても、御承知のように、内部障害というものを含めておやりになる。その案そのものは非常にこれはけっこうな私は案だと思います。しかし、これが現実的であるかないかということは、一体今日の日本財政から考えて、これが予算に組み入れられるかいなかという問題が私は現実的であるか、非現実的であるかの区別だろうと思う。もしほんとうに現実的な案であったならば、今度の予算委員会のときにもやはりこの年金を含んだ予算案を御提出願わなければならなかったのではなかろうかというふうに私は思います。その一つの例といたしまして、たとえば私たちといたしましては、十一月から支給開始を援護年金の場合はいたすわけでございますが、今年の場合においては百億、平年度化します場合には三百億というものを援護年金の場合は一応支給可能なものとして御提出を申し上げておるわけでございます。ところが、これもいろいろな計算の仕方にもよりましょうけれども、私どもの事務当局において命じまして調べたところによりまするというと、初年度をいわゆる平年度化して考えるならば約二千億、八木さんの方は千二百億というふうにおっしゃっておるようでありますが、内部障害等の場合において法文通りにこれをやるならば、おそらく六百九十億ぐらいはこの点だけでも加えなければ支出できないのではないか、つまり二千億というものが一体今度の予算に編成できるかどうかということは私は大きな問題であって、これが組み得るということでございますならば、現実的な法案であるということがさしあたり言えると思います。そうでなければ非現実的な法案である、こういうことが言えると思います。さらにまた、将来にわたりまして、これが五十年後あるいはピークのときにいきますならば一兆近い国家支出をするというようなことを考えますと、私どもの常識的な判断からするならばちょっと非現実的な法案ではないかというふうな気もいたすわけがございますが、これも先ほど先生からお言葉がございましたが、それは資本主義社会においてはできないのであって、われわれ社会党社会主義政策という考えを持っているから、その中においてはそういうことが可能である、こういうような御信念のもとにこの法案提出されていると思うわけでございますが、それ以上は、私としては申し上げることはできないことでございます。
  16. 木下友敬

    木下友敬君 もう一つ、資本主義社会の谷間から貧乏あるいは不幸が発生してきたということからいけば、私は資本主義社会政策としては福祉の限界を設けてはいけない、その概念において福祉は徹底的にやるのだという概念が必要だ、その概念が確立しないと、常にブレーキがかかってくる。やりたいことも途中でやめるとか、あるいは非現実的だといってそこに考え直したり、二の足を踏むのはやはりその福祉の限界というものを常に考えるから、そういうことになるのではないかと思うのでありますが、もし福祉の限界はないという考えであれば、あえてやればやれるという問題がたくさんある。これは為政者がやろうとするか、やるまいとするかの意思決定する大きな条件になってくるのであるから、あなたは福祉の限界を構想に持っているかどうか聞きたい。
  17. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) それは非常に私も同感でございまして、そのソーシャル・ニードは、私はあると思います。ソーシャル・ニード考え方はあるいは多少違いはありましょうけれども、そのソーシャル・ニードは現に日本においてはあると、私も心得えております。このソーシャル・ニードを満たしていくためにこの法案提出を申し上げているわけで、そのために社会福祉の仕事というものは大いに前進させなければならない。ことに資本主義の社会においては、そういう谷間ができやすいということは、これまた歴史の示すところであり、また、われわれも考えなければならない問題である。しかし同時に、それじゃ資本主義の社会においてはそういう谷間というものは消えないかと言われれば、私は消えると思う。これが私の一つの信念でございますから、そういうふうに申し上げたい。なぜならば、たとえばイギリスの社会保障を見ましても、御承知のように、一九三六年にたとえばヨーク・シティで貧乏調査をやったのであります。そうしてその場合においては、たしか貧乏世帯というものは、ボーダー・ライン世帯というものは、全体の世帯に対しまして一七・六%か八%であったように記憶いたしております。つまり社会保障が一九四五、六年にできまして、そしてそれが施行になって、あるいは一面において完全雇用の道をとってきたというもろもろの政策もあわせて考えなければなりませんけれども、それによりまして同じバスケット方式でその貧乏世帯というものをとらえたヨーク・シティにおいては一九五〇年の調査によると、これが大体一・七%にそういうおっしゃるような谷間というものがなくなってきておる。まだ一・七%残っておるじゃないかとおっしゃられればその通りだと思います。まだ努力をすると思いますが、少くとも一七・何%から一・七%まで下ってきたということは、やはり社会保障というものに対してあの国が保守党であれ、あるいは労働党であれ、そこに目をつけた、あるいは社会福祉というものに対して大いに為政者が考えてやろうと思うならばできることなんだということを私は示したものとしてこれを参考とすべきである。少くともわれわれ為政者としては考えなければならないのじゃないかというふうに思うのでございまして、そういうような体制というものをやはり日本社会においてもあるいは日本の政治の中にも取り入れていかなければならないということに対しましては私も全く同感でございます。
  18. 木下友敬

    木下友敬君 それはそういうような御説明でイギリスの例をとって言われますが、それは非常に私はけっこうなことで、ということはあなたの今おっしゃったことをこれを少し逆説的になるかもしらぬけれども、申し上げれば、資本主義社会がなしくずしに非常に緩慢なカーブを描きつつ社会主義に移行しているということの実は裏書きだと思う。それは社会保障なり福祉というものが完全にでき上った形、これは一つの何といいますか、一つのそういう理想、今のところ理想郷と言われるかもしらぬけれども、資本主義といえどもそこに近づいていっているというのは、私はやはり資本主義の大きな欠陥を補うために、社会福祉なり社会保障というものが出てきて、その結果としては緩慢であるけれども、大きなカーブを描いて資本主義が社会主義に移行しつつある。そういうことをまああなた方がほかの言葉でおっしゃっても、こういうふうに私どもは理解する以外に手はないと思う。それでその議論は今はよしますが、八木委員にお尋ねしますが、今の社会党の案としてあなたが御提出になっているこの案が非現実的だと言われることには、あなたはどうも不賛成であろう、それはその通りだと言われるはずもないし、私自体も非現実的ではないと考えるけれども、私から非現実的でないということをあげて大臣と議論するよりも、提案者のあなたからその非現実的でないというおぼしめしを一つ徹底的に述べてもらいたい。
  19. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 社会党の案が非現実的だというようなことは、年金というものを知らない人が世の中で言っているようであります。非常に年金制度というのは構成がむずかしいので、そういう何といいますか熟さない意見があったわけでありまするが、国会で政府案並びに社会党案審議されるに従って世の中の関心が高まりまして、そういうことがだんだん解消してきたように思うわけであります。衆議院の公聴会並びに委員派遣の地方公聴会で私がこの耳で伺ったところによりますると、衆議院の公聴会においては途中退場されました方にだけは質問はできませんでしたけれども、そのほかの委員の方の一人を除いた全部は社会党案だとできる、やるべしというような御発言でございまして、お一人は社会党案政府案のまん中ぐらいのものを、これは未亡人会の会長の方でございますが、やってほしいというような御意見でございました。九州地区の地方公聴会に参りましたのでございまするが、大体において半数は、全面的に社会党案を逐次やるべし、半分は、これは自民党推薦の方でございますが、いろいろ御説明をいたしますると、社会党案は——とにかく説明の前に社会党案は案の内容としてはよろしい、しかし、財政その他から見て実現がすぐには困難ではないかという御意見でございましたけれども、論議を重ねた結果は、政府案は非常に乏しい、そして社会党案とまん中ぐらいの線まで持っていかなければならぬということを与党の推薦の公述人が言われたような状況でございました。ところで、今坂田さんの方から、初年度の金額その他について言われましたので御説明をさせていただきますると、厚生省の方はどのような計算をなさったか存じませんが、私どもは私どもなりに今の統計のあらゆる点を……、統計が非常に不偏でございます。非常に不備でございまするから、ぱっぱときちっとこれがあるからこうだということは、厚生省の方も私の方も論戦するような根拠のあるきちっとした統計は今、世の中にございません。で、あらゆる統計を組み合せてこれに推計を入れて計算をしなければならないような現状にあることはこれは厚生省もお認めになると思う。そこで、推計その他について幾分の差異ができることはこれは当然起り得ることであろうと思いまして、私の案も一銭一厘違いませんとはこれは申し上げませんけれども厚生省の御計算が一銭一厘違わないということもないわけであります。そこで一つ違いの大きな原因ではないかと思いますることは、身体障害者につきましては、私の方は十九才までの間は無拠出年金に入れる。それから五十五才以上は無拠出年金で、二十才ないし五十四才までの年令該当年令に達している者は拠出年金の方でまかなうということに相なっております。それも全部通算されて二十才から五十四才までの方ものんで全部身体障害者とすれば、社会党の無拠出身体障害者の金額は多うございますし、対象者も多くなりますので、それを御計算になりますると相当の金額の差異が出てくると思うわけであります。そういうことでございまして、一銭一厘迷わないとは申し上げませんけれども、私どもとして最も良心的な計算をいたしましたのが平年度一千二百十二億になるということで、私どもは自信を持っております点をぜひ皆さん方に御理解を願いたいと思うわけであります。  その次に、一千二百十二億円という問題でありますが、千二百十二億円が予算その他の関係坂田さんから現実性がないじゃないかと言われますが、これは初年度にいたしますと六百六億円でございます。私どもの党の、日本社会党の党の政策としてかねがね政府に進言を申し上げておる点がございまして、租税特別措置法のうち、たとえば農村の方々の早場米供出に対する特別措置あるいはまた、御商売の方々の青色申告の特別措置あるいはまた、単価の少いことの代償として置かれております診療担当者に対する現在の特別措置というような必要なものは置いておきまして、そういうもの以外の大資本に対する特別措置法を改廃いたしますことによって約七百億円の税金が入ってくるわけであります。いろいろの財源の計算が必要でございますが、この六百六億円の初年度を入れて、それさえ実行すれば直ちに余りがあるわけであります。  次に、それでは来年度はどうするかというお話でございますが、来年度は平年度になりますので、一千二百十二億円に、わずか三億か四億の人口構成による増加がございますと思いますが、大体それくらいの金額、そうなりますと七百億を、それだけ引きますと五百億円それ以上ちょっとの金額が必要ということになります。ところが、毎年租税の自然増収によりまして相当の金額が、石橋内閣のときにおきましては二千億以上の自然増があって、一千億の積極予算、一千億の減税というような政策をうたわれ、各年度においても同様なことが起っております。ここで、社会保障考えが徹底され、また、この際に、ただ一面の減税にわたる金額をこの社会保障国民年金並びに医療保障——生活保護も必要でございましょうし、そっちに回されましたならば、平年度におきましては十分に余りがあるわけであります。来年度の推算はいたしておりませんけれども、今までの例によると、少くとも数百億ということは予想されますし、それで十分まかない得るわけであります。これで国民年金社会党がいい案を出したが、医療保障はどうする、それからまた、生活保護はどうするというようなことを言われる方がございますけれども、その金額をもってすれば医療保障も生活保護も漸進をして年金もやって十分まかない得るものであります。さらに社会党基本的な政策に自民党並びに政府が御賛成になって自衛隊を削減されましたならば、さらに莫大な財源があるわけであります。もし自衛隊をどうしても置こうとお考えになりましても、国民年金だけは熱心におやりになる考え方であるならば、今言ったような財源で十分に社会党案ぐらいのものではけちくさい、もっと大きなことをしようというぐらいの、そういう財政の組み方だっていいわけであります。また、医療保障の方のおもな問題は社会保障に対する国庫負担でございますが、そのうちの半分は結核に対する問題であります。結核の全額国庫負担をすべしということは社会党が主張し、社会保障制度審議会も全額国庫負担でございます。政府は二、三年前までそれを持っていながら、それをあきらめて、濃厚感染源ということでごまかしております。たとえば三百億つぎ込むべしという社会保障制度審議会の勧告であります。これは別に考えてもいいと思う。三百億を五、六年支出いたしますと、結核がなくなってしまって、その後は結核に対する治療費、予防も含めてもいいですが、そういう費用が激減するわけであります。こういう四、五年出せばあとは激減するということについては、通り一ぺんの考え方をしなくてもいいわけです。科学的の別な財政の組み方ができるわけであります。その年にだけの公債を発行してもできるわけであります。後に費用が減るわけでございます。そういうことを一つ考えない財政方式をとっておられるので、それで社会保障は進展しないわけであります。  次に、そういうことで、初年度並びに次年度というような最初の出だしはほんとうにおやりになる気があれば優にできる。厚生省は、社会党の計算は不確実である、千二百億は、今の障害者年金を入れてももっと多いという御主張をなさって、その立場において年金案を組まれるとしても、今のようなほんとう国民のための財政方式で組まれるならば、それは可能であります。二千億でも可能であります。そういうことであります。  次に、完成時のことが一兆になるような推算をされました。これも解せないわけであります。千二百億と二千億の差のことで今申し上げたことをお聞き下されば、この推算について、私ども考え方と、ほかの方が考えられた案というのとは幾分相違があることはお気ずきであろうと思います。厚生省が出された人口動勢の統計で推算をいたしますと、七千億をちょっとこえることになります。一兆には足りません。七千億です。私ども四千二百億と、いうことを申し上げましたが、これは三十五年後の時点だけでなくて、四十年、五十年、あるいは百年、長く続きますから二百年のそういうような時点においても、それを比較しなければならないのでありまして、その比較は非常に長時間を要し、困難をきわめる問題でございます。しかし、大まかにいって、絶対に大丈夫なことであるという立証はつくわけであります。かりにそのような御質問が出るであろうと思いまして、さっき計算をいたしたわけでございますが、私が年率四%で経済が伸張するであろうと申しましたのは、四%ということと、四千二百億ということとからみ合せて全体的にこれが可能であるということを政府側にお知り願いたいということで言ったわけであります。それがごつち側だけがいけない、こっち側がいいという論議になりましたならば、あらゆる点を申し上げなければならない。四%の率で計算をいたしますると、五年後には日本経済は四倍に拡大をいたしまして、そうして財政も今の考え方をもってすれば同じく拡大し得るわけであります。三十五年後の四%経済の伸張率による拡大は、五兆六千億でございまするけれども経済企画庁の経済伸張計画は六・五%である。本年の実績は五・五。社会党は一割ぐらいの経済の伸張を見て、最低五・五で見積りをいたしますと、その三十五年後には六・五の二倍、九兆二千になります。六%で見積れば十一兆の規模になるわけであります。  次に、三十五年という時点が一番苦しいわけであります。将来の見通しがつけは、その苦しい時点は、中の積立金の運用でこれをまかなえるわけであります。見通しで申しますると、五十年後の見通し、完成時から十五年後でございます。五十年後の見通しを申し上げますると、四%で計算しても十兆の財政額になります。五・五でございますと、二十兆の財政額になります。六%の伸張率だと二十五兆の財政額になるわけであります。そういうことを総体的にお考え下されば、たとえ厚生省の計算が社会党の計算よりも正しいという根底において御論議をなさいましても、その金額も一向心配はないということになるわけであります。しかもこの計算においては立場の違いがございます。この点についてどうか御理解を願いたい。
  20. 久保等

    委員長久保等君) 速記をとめて。    〔速記中止
  21. 久保等

    委員長久保等君) 速記を始めて下さい。
  22. 木下友敬

    木下友敬君 私は、この政府案八木案の二案を比較して勉強しておりまして、小さいことはわかりませんけれども一つ考え方の相違点を見出します。それは何かというと生活保護に関する考え方の相違、これは非常に重大な相違だと思うのです。政府の案では、生活保護にかかっている人にも年金は与える、むろん社会党から出ておる案でも年金は与える、しかし、その先が、政府の方のお考えでは、今度は生活保護によって年金収入と見て、それだけのものを除外して処理していくという考え方と、八木案では、年金が入ったからというので、それを収入だと見て保護の対象から省いていく、それだけ引くというようなことはしないのだという考え方、これは十分一つ検討して、生活保護法の建前からと、年金建前からと、それから世の中の谷間にあるものを救い上げていくのだという一つ立場考え方からこれをどっちかへほんとうに決をとっていただかないといけない。私これが将来の社会保障の問題点の集約されるところだと思うのです。これは国会討論を聞くようなわけではないけれども、十分両方から意見を言ってもらって、生活保護としてはどうあるべきだ、全体としては、それだからこの方法をとるべきだというような考え方を聞きたいと思うのです。
  23. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 一番現実的な大事な点を木下委員からお聞き願いまして非常にありがたく存じます。生活保護法との併給の問題でございまするが、これは無拠出年金の点におきましては、一番重大点ではないかと私ども考えております。何と申しまするか、金一額が限られておりまするから、その必要の度の多い人に解凍をかけるべきであると私は思っておりますが、その極点が結局生活保護を受けておられる、そのような困難な生活をしておられる家庭の、身体障害者であるとか、母子家庭であるとか、あるいは老人というような方が最もこの厚味をかけられるべきであると私ども考えておりますし、その点が何と申しまするか、私どもとしては、これを完全に併給にするために法律の中に明記をいたしまして、この年金収入は生活保護における収入認定に入れてはならないということをはっきりと明文でうたってございます。その結果、生活保護法の生活扶助その他の扶助、政府の方では生活扶助だけに限られておりますけれども社会党のは生活保護法のあらゆる扶助を全部、該当しておられればまるまるもらうことができる、それとともに、社会党の無拠出年金老齢にしろ、身体障害にしろ、母子年金にしろ、完全に両方もらえるということになっております。これはそういう困難な状態の世帯でありますから税金には関係ございませんが、実質上関係ないと思いまするが、私どもの無拠出年金は完全に課税の対象としないとい点うでもこれはまるまるもらえるということになるわけであります。それに対しまして政府案の方は、そういう規定はございません。法律の規定によれば、三種類の援護年金年金の会計から出ることになっておりまするが、その出たものは今のままでございますると、生活保護法の収入認定に入りますから、それだけ生活扶助がもらえる金額が減って参りますので、実際もらえる金額は同額になるわけでございます。一番気の毒な、困難な生活をしておられる中の身体障害者、母子家庭あるいは老人というようなところに一文も年金がいかないような案であったならば、それだけこの無拠出援護年金の分はこれは意味のない援護年金だということができると思います。それに対しまして社会保障に熱心な坂田厚生大臣が、参議院におきましても、衆議院におきましても、本会議において、加算をつけて、それを実際に埋めたいということを言われました。これは非常に新たに就任された大臣の善意であり、そうしてこれからその方がほんとうにこれをなさらなければならない責任を持っておらるると思いまするが、衆議院の社会労働委員会における質疑応答の過程においては、加算をつけるということは明言をされましたけれども、その加算を幾らにするかということにはまだはっきりとしたお言葉がございません。私ども老齢年金が千円であるならば、生活保護階級老齢はむしろ二千円ぐらいにはすべきであると思いまするけれども、少くともその加算が千円にならなければ意味をなしませんけれども、今の質疑応答の状況では、それよりもはるか下の金額程度を低迷しておられるように、これは厚生大臣は千円まで上げようというお考えを持っておられましても、保守党内閣全体、自民党、岸内閣全体としてそういう空気がまだ盛り上っておられないように思いますので、どうかこの参議院の審議の場において、それが盛り上り、実際になりまするように、一つ審議を賜わりますることを、部外の者でございまするが、心から期待をいたしておるわけでございます。で、それともう一つの問題といたしましては、その時期の問題がございます。時期の問題がずらされたならば、その時期的にそういう気の毒な人が救われないということになります。援護年金の支払時期は、実質的には来年の三月だそうでありますが、本質的には十一月から適用になり、その支払が三月ということになるわけでありますが、少くともそれに間に合うようにそういうことが措置がとられなければならないと思います。  それから一番大事なことは、法律で明記をされるべきであると私ども考えております。で、厚生大臣のお考えでは、ただいまのところ、厚生省告示で、ただいま現在行われております母子加算のような告示というようなやり方でなさろうという考え方は、まだ濃厚のようであります。しかし、私ども熱心に追及もし、お話しもし、また、お願いをいたしましたところ、法律化も考えようという段階まで達しつつおありになるような状況でございまするが、これは少くとも生活保護法の改正、あるいはまた、国民年金法にその部分をうたうというように法律で明記いたしませんと、厚生大臣なり大蔵大臣が、非常に反動的な人間にかわりましたならば、この告示が取り消されるというおそれもございまするので、ただいまの、厚生大臣の善意のみを信ぜず、ほんとう制度として確立する必要があると私ども考えているわけであります。  生活保護自体について、まだほかの点でちょっとつけ加えて申さしていただきますると、生活保護法の収入認定に入れないということは、何と申しまするか、生活保護法の現在の建前をくずすことに相なります。しかしながら、生活保護家庭において内職をし、あるいはいろいろな仕事をして立ち上ろうとして立ち上ったけれども、これが収入認定に入れられて、もらう金額が同じということでは、自立更生の道がなくなるわけだから、そうい点において弾力性を持たして生活保護法の改正が必要であると私ども考えているわけでございまするが、日本社会党はそういうものも合した考え方考えているわけであります。少し横道に走りましたけれども、生活保護法の冷酷きわまりのない今の収入認定の規定の算出、このような老齢とか、身体障害者、母子家庭という点で改めなければなりませんし、また、自立更生という点においてもこれを改める必要があるという考え方をしておりますることを御理解を願いたいと思います。
  24. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ただいま八木委員からお答えになりました要するに、大体私たちがこの生活保護法の方方に対して、どういう国民年金が及んでいくかということが大体御理解いただいたと思いますが、私どもといたしましても、やはり生活保護を受けておられる方々に対して国民年金が及ぶということでなければならないという、こういう点では同感でございます。従いまして、国民年金がやはり国民のすべての方々に及ぶという、この考え方からいたしましても、この年金額というものが、実質的に生活保護法を受けておられる人たちに及ぶようなふうに考えなければならないということで、実は先ほど八木委員からお話がございましたように、私就任いたしましてから、このことは大蔵大臣及び閣議了解を実は得まして、ただその額等につきましては、まだ大蔵省と最後的な段階に至っておりませんけれども、しかし、私といたしましては少くとも国民年金というものが全国に及ぶという建前であるならば、少くともこれを八木委員のように千円を二千円というわけにはこれは私どもも今は当えておりませんけれども、しかしながら、千円はそのまま千円及ぶということでなければならないという建前で大城大臣と折衝をしておるということを申し上げておきたいと思います。  また、この法律化の問題についてはいろいろ技術的な問題もございましょう、あるいは考え方の相違もございましょうが、ただいまのところは考えておりません。しかしながら、この点も御指摘がございましたので研究はいたしております。それから、こういうことが厚生大臣がかわったり、あるいは内閣がかわったならばどういう反動的な人が出るかわからないからという御心配もこれはあるかと思います。しかしながら、今日私は保守党にしろ、社会党内閣にいたしましても、内閣をとっていった場合に、社会保障というものに対して、これを充実していくかいかぬという、このことで私は国民の信頼を維持し得るかいないかという分れ目になると思うのでございまして、今日こことまで踏み出した以上は、もはやこれは後退するということは私はできないと思うのです。むしろ前進あるのみだ。その意味においては先ほど先生からお尋ねにありました通りでございまして、私たちは前進また前進ということでいかなければならない。それが、たとえば法律に書かれなくとも、少くともそういう額が最初年金が打ち立てられたときに千円及んだならば、もはや一片の法律でもってこれを断ち切るというようなことすらもできなくなってくる。そんな意味においては、一片の法律よりも、その施行しましたところの、告示でございましても、私はその力というものは、もはやこれをくずすことはできないというふうに考えておるわけでございまして、そう八木先生が御心配になるようなことはないのではないかというふうに思うわけでございます。ここにわれわれ保守党の行くべき道が実はあるのだ。そこにおいて国民の信頼をかち得るというように思っております。
  25. 木下友敬

    木下友敬君 今大臣は非常に熱意をこめて御答弁いただいて私は非常にうれしいのです。前にも申しましたが、厚生省でもどこでもそうですが、もう古くからおられる方やら専門衣の方は、もうすでに色めがねをかけて見ておられる、大臣はすっきりした透明な目で見ておられるから、従来のことにこだわったりしないでいいことはいいという考えでやっていかれるという御意思がほのかに見えている。私はこれは非常にいいことだと思う。どうかそういうつもりで、この生活保護などというものは非常に大きな規制を受けておりまして、生活保護という名前はいいけれども、実際にはいろいろのワクで満足どころではない、もう非常にまだあわれな状態、生活保護の適用を受けておるという汚名をこうむって、その汚名に値いするだけの保護は受けていないとさえ言えると私は思うのです。ところが、その年金問題においてたまたま大臣がそこに踏み切って告示ですか、そういう方法でもこれに善処していこうと言われることは、これは単に国民年金の問題と生活保護との問題だけではなくして、大臣の思想、考え方ですね、考え方の一端をお示しになったものだと思って、私は将来、生活保護等においてもそのお考えがだんだん拡大されていくということを希望も打ちますし、非常にうれしく思っているわけでございますから、どうぞ今お答えになったことをお忘れないように、また、他からの制肘を受けないで、一つそのお考えをどんどん伸ばしていただきたい、かように思うわけです。  そこでもう一つ次にお伺いしたいのは、たとえば五十年たてば、昭和五十年には一兆三百とかあるいは百年になれば三兆二千七百とか、莫大な金が出てくる。これを今の構想ではやはり資金運用部にまかせようというお考え方のようでございます。これは従来の政府のこういう余った金の取扱いからいけば資金運用部に持っていくというのが慣例になっておりますし、また、資金運用部の条文を見ましても「資金運用部特別会計の積立金及び余裕金を資金運用部資金として統合管理し、その資金を確実且つ有利な方法で運用することにより、公共の利益の増進に寄与せしめることを目的とする。」というような資金運用部の第一条、こういうことからいきますれば、こういう金は資金運用部に持っていって、そうして公共の利益の増進に資すると、まことにいいことのようである。ところが、実際面におきましては、現在までいろいろの方面に出されておる資金運用部の金の出し方は、私は必ずしもこれは正当を得ていないと思う。それは条文はなかなかよくできておりますよ。たとえば第七条の九項には銀行、農林中金、商工中金等の発行する債券とかいうようなもので、農林中金とか商工中金とかいうようなものはこれは主として中小企業にいくものですから、そういう方面にまで金が行き渡るというようなことが考えられて、かなり一般国民に行き渡るかと思われているけれども、第十項には「電源開発株式会社の発行する社債」というのがびんときて実際の運用面からいけばこの電源開発とか、あるいは鉱工業とか、大きな方面にいっているのが一番多い。これはパーセンテージがどのくらいになっているかということは私は存じませんけれども、大部分はこういう大企業にいっていると考えられる。ところが、国民年金にいたしましても、厚生年金にいたしましても、その金が出てくるというのはこれはむろん全国民であり、かつ零細な人からもたくさん集まってきておる。その運用については、それが直ちにその零細な国民のためになるという方面に使うようにしなければならないと思う。ところが、今のこの資金運用部の規定そのものからいっていけば、ここには審議会がございますが、審議会のメンバーの構成を見ましてもこれはもうお偉い方ばかりで、われわれ零細な国民の味方になりそうな方は一人もおらない。大企業の味方をする人ばかりが審議会委員になっておる。私は第一この審議会メンバーの顔ぶれから、構成メンバーから変えてかからなければ、資金運用部の運営というものは国民にはね返ってくるような運営というものはできないと思う。と同時に、もし国民年金で集まった金をどこに預けるかと、どこに使ってもらうかということであれば、今のような資金運用部の機構であれば、ここにおまかせすることは私は望ましく、ないと思う。むしろ厚生省の中に、こういう特別の年金なり保険なりの一つの大きな機構を作って、そこで直接運用していくとか、あるいは厚生省が、これはもう別にして、たとえば公企体みたいな一つのものを作って、そこで一つ経営としてやっていく。もっとあっさりいくならば、政府がいろいろの鉱工業に補助金を出してやっているように、一つ商業団体にこういう年金というようなものの仕事をまかせて、そうして若干の補助をしてでもこれをやっていくとか、いろいろの方法が考えられると思う。私はこう申しましても、直ちに政府なりあるいは国家がこれを醜業的方面におまかせするというようなことは、そういうことはあり得ないことだと思うけれども、少くとも厚生省部内でこの金を運用し得るような機構であるとか、あるいは公企体のようなものを作って、そこで独立した運営ができるということは十分考え得る最短の距離にあるものだと考えます。大臣はこの点についてどういうことを考えておられるか。また、社会党八木さんとしても、こういう面についてはどういう考え方法案を出しておられるかということをお尋ねしておきたい。
  26. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) この点は非常にやはり大切な問題でございまして、私どもといたしましても、零細ないわゆる保険料を積み立てましてそうして年金というものが積み立てられております。どうしてもこれはできることならば、一つこれらの方々の福祉のために還元されなければならないというふうに基本的に考えるのでございます。従いまして、一応われわれ厚生省内部の考え方といたしましては、少くとも保険料を国風が納めましたその額程度は、これは一つ厚生省の中におきまして何らかの機関を設けて、そうしてこれらが運用できるようにしなければならない、こういう考え方に実は立っておるわけであります。
  27. 八木一男

    衆議院議員八木一男君) 何と申しまするか、木下委員のお考え、あるいは坂田厚生大臣のお考えとこの点においては大体において私も考え方が同じでございまして、ただ私の案は、率直に申し上げますると、これが社会党内閣において運営されるという立場でいろいろの案を作ってございます。これを政府が取り入れられて、この案で運営されるときにはいろいろの点で少しずつ直される必要があると思うわけでございます。それで、今の政府資金運用部に委託することも私ども考えておるわけです。資金運用部は今木下委員のおっしゃったように、今の審議会の運営がいけない、ほんとうのやり方がいけないという点を社会党の内閣におきましては政策で確定しておりまするので、これは与党の方々に申し上げておきたいと思いまするが、資金運用委員会というものを国に作りまして、資金運用全体を社会党としては規制をして、ほんとうに公共的な、国民のためにいい運営がされるような行政委員会を作ることに相なっております。行政委員会を作ってそのようなりっぱな資金運用が行われるということになりますると、基本的にはその金は各個てんでんばらばらにされないで、一つに集中されておった方がいいと概念的には思われます。運営が根本的に正しい方法で行われれば資金一つに集中していた方がやりいいわけでございます、分散しているよりも。そういう建前でこの法案ができているわけであります。その資金の運用の目標は、そういうような零細な中小企業であるとか農民であるとかあるいはそういう人たちに還元されるという目標のもとにこの制度を私どもは作ったわけであります。ただし、この法案をそのままやりまするときにそういう建前になっておりまするので、ただいま木下委員のおっしゃいましたように、厚生省自体で管理運営するというような方策が入っておりません。これは資金運用委員会で一般的に集中した資金が最も適切に運行されるという建前でやっておりますので、政府社会党案をいれよう、可決をされようとなされましたときには、そういう態度をなされましたときには、これは今の時点において、たとえば急速に運用部のやり方を改める法律を出されるか、それが急速に間に合わない場合においては、厚生省の特別会計自体においてあるいは木下委員のおっしゃったような別な組織を作ってそれで運営するということも十分に考えられなければならないと考えております。そういう点で、大体においてこの運用の問題につきましては、木下委員のおっしゃったことと、それから政府考えられておることと、それからわれわれの考えておることは大体同じだろうと思いまするが、今の点において資金運用部の運営を完全に規制する、資金運用委員会の行政委員会で完全に規制するという建前に立っている点において幾分の相違があることを御理解願いたいと思います。
  28. 木下友敬

    木下友敬君 私大臣の今のお考えはまだはっきりしませんから、もう少しあとでどういうふうにしたいと思っておるということをはっきり聞きたいのですが、実際これは大きな事務的な負担がかかってくると思うのです、国民年金では。今までの、厚生省の一部でちょっとした取扱いをやれるというようなことではとてもやっていけないし、また、これを地方に委託するとしても、市町村長にいろいろの事務をお願いすると申しましても、これはたとえば労働者の場合のような一つの集団的に処理していくことのできるものと違って、ばらばらになっている国民から徴税するというような事務でもこれは非常に大きなもの、しかもそれを集める方でもそうだ。それから一方からいえば金を使っていく方でも、厚生省なりあるいは一つの公共的な企業体ができ上ったとすれば、それがその意思によってほんとう国民の利益になるような運用をしようということについても、私は事務機構ということについてはよほどここで、この出発点において考えておいてもらわぬと、途中でかれこれ言うことは非常にむだが多くなってくると思う。また、やり直しということも非常にできなくなってくると思う。事務費でも一件五十円とかしてございます。国民保険が九十五円か幾らだけれども、これが二百四十億か二百五十億の赤字を作っているということですが、この国民年金の規模は国民保険の規模より小さいということはやっぱり将来だんだん拡張していく可能性のあるものだ、そうすればここで私は、今の事務費の問題につきましてもあるいは機構の問題についても、もう少し大臣ははっきりした、こういう方法でやりたいと思っているというようなことまで言及していただきたい。それで、ただいま厚生省の内部の一つの課ですか、部ですか、局ですか、どこかへまかせて、そうして金の使い方は資金運用部にいくんだという安易な考え方でなくして、ここで一つ画期的な、あなたの非常に透明な、思い切った施策を伺っておきたい。
  29. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) おそらくこの点は私の気持を考えまして、当局でいろいろ案を練っておると思いますが、私の考えの中にありまするのは、仰せになりましたような気持でいきたいというわけでございますが、とにかく零細な金を還元する場合において考えなければならぬのは、それがやはり、最も、国としても、また、還元される方々に対して確実に有利に安全にまかなわれなければならないわけでありますから、その方策というものが非常に大事だと思うわけであります。事柄としては、今申し上げましたように、たとえば社会福祉についていろいろ金を出すと、還元をする、あるいは被保険者に対して還元されるようにすると申しましても、おっしゃるように、機構なりあるいは事務のやり方等ではそうならない場合があると思うのでございます。この点は慎重にそうしてほんとうに被保険者並びに社会福祉施設に返っていくというふうに考えたいと思います。また、膨大なこれらの資金でございまするので、私は、将来においては、この資金というものがあるいは日本経済一つの安全弁と申しますか、そういったものにも及んでいく、影響してくるのではないかというふうに思います。ニュー・ディール政策なんという大きなことは申しませんけれども、少くともそういうような経済成長の過程において、相当この資金がやりようによるならば非常に役立つのではなかろうかという一面も持っておるということはまことに同感でございます。だから、これが被保険者なりあるいは社会福祉のために直接的に及ぶということも一方に考えつつ、一方においては日本経済の発展というもの、そういうものにもこれが影響を持ち、好影響を持っていくという二つの眼でもって事務機構を充実し、そうしてはっきりしたような考え方が及ぶようにしたいというふうに思っておりますが、もしお差しつかえがなければ、事務当局からお話を申し上げてもいいと思います。
  30. 小山進次郎

    政府委員小山進次郎君) ただいま木下先生が申されましたように、この資金の運用は、当然実質的には厚生省の事務部局と別にしなければならぬと思っております。大体の検討いたしておりまする要点を申し上げますと、そういう組織は少数精鋭主義でいきたい。大体の見当としては三人ないし五人程度委員を設けまして、これらの委員の協議で処理するようにいたしたい。この委員の中には、当然のことでありますけれども財政経済の専門家は相当入れなくちゃいかぬと思います。そのほかに被保険者の利益を十分考え得るような人々も入れる。もちろん大蔵省なりあるいは厚生省の事務と連絡のつき得る者も、数は別といたしまして、ある程度入れなくちゃいけない。しかし、中心は何といっても財政経済の専門家を中心にした組織にいたしたい。こういうことでございます。  それから資金の運用の大よその割り振りといたしましては、七割程度のものは、何といってもこれは巨額な資金でございますので、日本経済の基礎をつちかっていくような使途で、しかも被保険者にとって有利になるような使途を選んでいくような気持でやりたい。その七割のうちで、なおある程度部分は、物価の変動に対し比較的対応性の強いもの、多くの場合株式ということになると思いますが、それもある程度入れていきたい。それから残りの三割は、いわゆる還元融資ということで言われているような使途に向けていきたい。この三割分についてはこれは先生方当然お考えおき願っておることでありますが、実は利率を相当低くしなければならぬわけなんであります。前述の七割分は、これは被保険者のためにかなり高い利回りでしかも安全な使途を選んでいくという運用が必要であります。残りの三割分についてはもちろん安全でなければいけませんけれども、利回りは相当低くしていく。そうして拠出をいたしました被保険者の利益になるようなものに還元融資をしていく。大体こういったような割り振りで考えているわけでございます。
  31. 木下友敬

    木下友敬君 大体今の運用に対するお考え方あるいはその割り振り等についてはまた後日詳しく伺うことにしましょう。大体として今の政府と申しますよりも、まあ保守党内閣でいつも考えていることは、一つの何か新しい政策を立てたときは、当然のことではあるけれども、いつも経済関係のことが非常に重点を置かれている。それでこういうことをしたいけれども、金がこういうふうだからやれない、これはもうわかります。しかし、ほんとうにやろうという熱意が強ければですよ、そこの難関を克服して、金も何とかやりくりができるだろうと思う場合があるんです。具体的にあげられる例でも、ほんとうにやる気だったらこうすればよかったのじゃないかということはあり得るわけです。私は、これは社会保障制度というようなものを政府が本気でやっているかどうかということのこれは一つの指針になると思うんです。いつも金がないからだ、社会党の案はそれはもう非現実的だ、今の予算を見てみろ、あれからこれだけの金がとれるかというようなことではなくして、どうしたらばとれるかということは考えておられぬような気がする。初めから経済の圧迫がある、このワク内でということにのみ重きをおいて、どうしたらばそこの隘路が開けるかということについては私は熱が足らないと思うんです。具体的にまあ一例をあげまするならば、今の身体障害者に対する年金の場合でも、外部疾患だけ取り上げて内部疾患は取り上げていない、ほんとうは、これはどっちも身体障害ということからいえば甲乙はないわけです。そうすると、これは私は数は当ってみませんけれども、内部疾患と外部疾患と両方ともとれば一番いいのだ、ところがちょっと金が足りない。ところが、内部疾患と外部疾患の数を比べてみれば、内部の方がはるかに多い、この際は数の少い外部疾患の方を一つ頭を出しておいてというような考え方でいっておられるのじゃないかと思うので、内部疾患と外部疾患に甲乙を、病気の重さについてあるいは保護すべきだという考え方に甲乙はないと思います。そういうことからいけば、私はなぜ内部疾患を入れなかったかということを責めるよりも、あなた方の考え方が、こういう法律なりあるいは制度を作るときも、おもに経済面からのことを考えに置いて、筋の通った施策というものの推進のための努力が足らぬのじゃないか、こういうことを考えますが、大臣の所信はどうですか。
  32. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 全くそういうような面も私はあると思います。思いますけれども、やはり私どもといたしましては、財政というものも一面において考えなければなりませんので、こういうような案になったわけでございまして、しかし、まあ私といたしましては、少くとも同じような、これはまあ身体障害者の問題でなくて、一般的に申しまして、厚生省の問題で、どうしてもこれは必要なものであるならば、これはやはり確保すべきだ、そのすみずみまで小さいことであってもそれが及ばなければ、結局口であるいは公約でいっても意味はないというふうに私は考えております。で、何か与えられた一つのワク内においてでもその気持なり筋なりあるいは立て方なりというものが及ぶようにしていかなければならない、それが誠意だというふうに心得ております。全く同感でございます、気持の上では。
  33. 木下友敬

    木下友敬君 同感と言われましたけれども、その結果においてはずいぶん違ってくると思うのですが、どうか大臣はその若さと新しさに一つものを言わして、社会党の出しております案をもう一度つぶさに見ていただいて、これはどうも自由民主党の政府が出したのよりもはるかにいいという考えがわいてくると思う。そうしたら一つここらで脱皮して、経済面だけに重点を置くか、あるいは社会政策として筋を立てるかというところにもう一ぺん思いを新たにして、そうして一つ政府案を引っ込めてもらって、社会党案を全面的にこれはいいものだという声をあげてもらいたい、それぐらいにしなきゃ、保守党もなかなかりっぱな保守党にはなっていかないと思います。  以上希望しまして、私の質問を終ります。
  34. 久保等

    委員長久保等君) それでは暫時休憩をいたします。    午後一時一分休憩    —————・—————    午後二時三十一分開会
  35. 久保等

    委員長久保等君) 午前に引き続き委員会を開きます。  国民年金法案外二案の質疑につきましては、本日はこの程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  36. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。   ━━━━━━━━━━━━━
  37. 久保等

    委員長久保等君) 次に、児童福祉法の一部を改正する法律案を議題といたします。  御質疑を願います。
  38. 木下友敬

    木下友敬君 児童福祉法の一部を改正して、カリエスの患者の教育と療養をかね与えるという法案でございますから、結論的にこれは賛成できる法案です。で、簡単な質問を二、三続けていたしたいのですが、二十一条の十六のところに「これを病院に入院させて療育の給付を行うことができる。」この「療育」という言葉ですが、この出典はどんなところで出ていますか。
  39. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) これは、現在の児童福祉法十八条の三の三号に、「身体に障害のある児童の療育について、指導を行うこと。」とございます。
  40. 木下友敬

    木下友敬君 その「療育」という言葉がどこから出てきたか。おそらく言海だとか、漢和中字典だとか、あんなものに療育という言葉はないと思う。これは新語じゃないか、法律上そういう言葉をいつから使ったか。なるたけなら、私は、こういういいかげんな言葉を法律の中に持ってくるのがいやだからお尋ねしているわけで、意味はわかっています。療養と養育だろうと思うのですが、法律の上でこういう言葉を使うというのなら、日本の国語を正しいものに持っていくという意味からでもよくない、きれいなすっきりした言葉を使って、長くなっても療養と養育を与えると番いた方がもっと私は日本言葉としていいと思う。そのことをお尋ねする。
  41. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) お話ごもっともでございますが、児童福祉法の中に盛られていますいろいろな事項が、内容として新しい点もございますので、そういった意味で、児童福祉法ができます際に、いわば新しい言葉というものが入ってきたことも事実であろうと思います。この点はまあ意味としては、これは肢体不自由児童についての学者のいろいろな御意見を伺って、治療育成というような言葉から、それを縮めて、療育というような言葉になったと聞いておりますけれども、まあ今後法令の用語を用います場合においては、御趣旨の点を十分尊重して、私ども心がけて参りたいと思います。
  42. 木下友敬

    木下友敬君 これは何も私は厚生省だけにこれを限ってお願いするわけではありませんが、この種の言葉というのは、日本語から一つのけていかなければならぬと思うのです。これはただ短かくさえすればいいというのでなくして、ちょっとくらい長くなっても、はっきりした言葉を使って、勝手に療養育成を……。それは何ですよ、ILOとかOKとかなんとか、そういうふうにしたのだというのなら、それならそれでいいけれども、そうはいくまいと思う。法律というのは、国語として使う場合には、私はきちんとした言葉を使うように将来はやっていただくということと、それだからこの次の時期には、私はこの「療育」という言葉は除いてもらいたい。次に改正する機会でよろしゅうございますから、ほんとうのだれでもわかる言葉に、療養と育成なら育成というふうに、そういうふうに法律の中の文字を変えていくように、そういう改正もあわせて次の機会にはしてもらいたいと思います。何もがんばられることはないと思うのです。そういうところから私は国語というものをきれいな正しいものにしていくという努力厚生省でも必要である。私どもはよくこういう条文でも、横書きにするとか、制限漢字内でするということも主張して、話言葉で書こう、法律でも何々なりというようなことが、こういうふうに、するということになったと同じように、それならば内容においてもお役人だけわかったり、法律を作った人だけがのみ込んでおるというだけではなくして、だれにでもわかるように、一人立ちのできる言葉を使うというふうにしてもらいたい、この「療育」という言葉を一人立ちしてぽんと出した場合、人がどう読むかということはわからない、言葉というものは独立性のある言葉を使うべきだ、これは心にとめておいてもらいたいと思います。  次に、カリエスの患者というのはそうたくさんいないようです。これを見てみましても、国立療養所及び国立以外のその他合せて二百幾らと書いてあるようですが、そうでしょうか、そういたしますと、一つの県におるこういう児童の数というのは非常に少いだろうと思います。カリエスの患者で現在入院しておる数は。そういう場合に、指定病院を指定されるときに、各県で何カ所くらい、一県に一つずつ置くという御意思であるか、あるいは非常に数の少い場合ならば、中国に一カ所、四国に一カ所、あるいは関東方面に一カ所というふうにされるつもりであるかというようなことを一つ御説明願います。
  43. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) お手元に差し上げてあります資料に、約二百人のカリエス児童が国立療養所で治療をしております。これは現在の姿でございます。これの現在の分布について見ますと、約二十カ所の国立療養所にこの児童がいわば散らばっておるという格好になっておるわけでございまして、私どもこれはなるべく施設が多い方が利用する者の立場からすれば便利であると考えるのでございますけれども、何しろ特殊の専門的な治療を要することでもございますし、かてて学習ということと一本に行うという、二つの要素考えておりますので、各県に一つというわけには参らないと思います。しかし、必ずしもブロックに一つとか二つというふうに限定をして考えるつもりもございません。なるべく広く行き渡るようにというような気持で、国立療養所のこういった施設の整備等については、これはほかの局とも十分連絡をして努力をして参りたい、かように考えております。  なお、国立療養所以外の施設については、現在のところ、これといった施設もございませんけれども、これはそういう態勢の整いましたものについては、逐次指定を考慮して参りたい、かように考えております。
  44. 木下友敬

    木下友敬君 そうすると、二十カ所とすると、県外の人も入ってくるということになるわけですね、そういう場合には、まあ十分の八は国で負担しても、十分の二は県で負担するという場合に、その人の出身地の県が負担するということになるはずだと思う、それと入院指定の基準ですね。単に国立とこう言ってしまうか、それ以外に同じ国立が一つの県に幾つもあり、また、一つのブロックにたくさんあるという場合にどういう雌雄でそれを指定していくか、あるいは現在おもに収容されておる所でやっていくというような考え方であるかどうか、そういうことを一つ聞かしてもらいたい。
  45. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 指定の基準としましては、先日の本委員会において御説明申し上げたかと思いますが、幾つかの条件考えておるわけであります。その一つは、小児結核の専門の病棟または病室を有すること、それから第二に、専門的な治療の設備及び専門の医師がいること、第三に、学習ないし生活指導が行える態勢にあること、第四に、義務教育を行い得る態勢にあること、そういったことを内容として指定の基準を規定をいたしたいと考えておる次第でございますが、従いまして、現在国立療養所で先ほどお話のように、カリエス児童を収容し、治療しておるものについて、これらの基準に照らして適格なものについては、これはもちろん現在やっておるわけでございますから、指定をして参るつもりでございます。なお、現在この条件に満たないものも、これは現在の設備でもちろん足らないわけでございますから、これがふえるように十分指導をいたして参りたいと考えております。
  46. 木下友敬

    木下友敬君 現在の国立の療養所で、結核の中でカリエスを治療していく、カリエスの整形外科専門の医者のおる療養所が幾つございますか。
  47. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 整形外科の医師がおる国立の療養所が、まあもちろん義務教育を行なっているとかそういったほかの条件もある程度満たして、しかも整形外科の医師がおる、そういったものが現在私どもの調べでは九カ所ございます。それから現に整形外科の医師がいないけれども、もちろん外科の医師がおりまして専門の整形外科医の援助が直ちに得られる、そういう態勢にある、それが九カ所ございます。
  48. 木下友敬

    木下友敬君 それでは先ほど、現在は二十カ所にそういうカリエス児童を収容していると言われましたがそのうちには、整形外科の専門家のいない国立療養所が十一カ所はあるというわけですね。まあ学習のできるような条件も具え、また、整形外科の医者を招聘して、そうして完全を期していかれるという御希望だろうと思うのですが、その線に沿うというおつもりでございましょうが、実際は二十カ所とか、あるいは三十カ所にそういう特別のお医者を迎えるということは現在の状態では非常にむずかしいと私は思うのです。そうした場合にわずか二百二十五人です、現在表に表われておるのは。もっと探し出せばたくさんあるかもわからぬけれども。もっと集約して、九カ所ならば九カ所でもいいから完全な施設をし、完全な教育もできるような方向に持っていく方が得ではないか、こういうように考えますが、どうですか。
  49. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 義務教育を行える態勢にあるということが絶対の条件でございまして、その条件の基礎の上に立って、今お話のように、最も設備の整い、それから人的にも完全に専門家がそろっているという施設が望ましい、このことは言うまでもございません。しかし、一面において、今お話のように、そういうあらゆる意味において完備した医療機関というものは、そう現状においては多きを望めない状況でございまして、他方、カリエスにかかっております児童はこれはやはり相当な数がございまして、これらに対して少しでもこの特典と申しますか、受けさせたいということもこれもまた一方の願望でございますので、その間をどういうふうに調整するかということは、結局具体的な指定をどうするかということがからんでくる問題だと思うのでございますが、その両者を勘案いたしまして、先ほど申し上げました現実に整形外科の専門はいないけれども、外科医者がおってそうして整形外科医の援助が直ちに得られる、そういう特殊な事情にあるものについては、やはりこれは指定を考慮すべきではないだろうか、現在のところそういうふうに考えておりますが、医療の問題というのは非常に大切な問題でございますので、今お話のありました趣旨に沿って十分慎重に検討して参りたいと考えております。
  50. 木下友敬

    木下友敬君 現在厚生省では、小規模の療養所を大きなところに併合していくというような一つの方針を持っておられるようでございますが、どれもこれもというわけではございませんが、若干の小さな療養所で併合される運命にあるようなものを特にこういう方面に生かしていくというようなことは、私は非常に適当な措置だと思うのです。そういうことに関して、当局ではどういうふうにお考えですか。
  51. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 国立療養所の総合の問題は直接的には医務局の方の所管でございまして、私からその問題についてお答えすることは差し控えたいと思いますが、その統合されて残りました施設をこういった施設に活用していくという点については、もちろんこれは抽象的には非常にけっこうなことだと思うのでございますが、現実の問題としては、おそらく統合されるようなところというのは、地理的に申しましても、あるいはまた、設備の点で申しましても、いろいろ問題の点もあろうかと思いますので、それらの点等を十分ににらみ合せて考えなければならない問題であると思いますのと、もう一つは、実際問題として、現在小児病棟等を持っておりますのは、割合に大きい、いわゆる中心的なところにある療養所が多きを占めている状況でございますので、その辺を考慮いたしまして、御趣旨の点はまことに私どもも同感でございますので、十分そういった点も気をつけて今度施設を拡充し、一床でも多くなるように努力して参りたいと思います。
  52. 木下友敬

    木下友敬君 医務局の方はおられないのですね。——それでは医務局の方にはあとの時期にお伺いしますが、この法案が衆議院を通過する際に付帯決議がなされておる。その付帯決議を見てみますと、カリエスというような骨結核だけでなくして、内科的の結核にもこの法案を広げてもらいたいというような付帯決議が出ております。私はまことにこれは適当なことであると思うのです。骨結核と内臓の結核を区別して、まず骨結核から、カリエスから先に取り上げていかれたという根拠、この点を一つ伺いたい。
  53. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 私どもには非常につらい御質問でございますが、私どもも今お話のありましたように、骨関節結核のみでなしに、結核児童一般にこういう制度をとるべきであるという考え方で出発をいたした次第でございます。御承知のように、結核、骨関節以外の結核にかかっている児童についてみましても、国立療養所等の例によりますと、大体平均八カ月の入院期間を要している。そうすると、その期間における治療と教育と生活指導、やはりそういうものをこういう形であわせ行う態勢にする必要度においては、これは最も強いものと考えておるわけでございまして、その趣旨で予算の要求もし、諸般の計画も立てたわけでございますが、いろいろな事情で第一年度骨関節結核ということになったわけでございます。しいて申し上げれば、これれらの結核児童は一般の結核児童に比べますと、骨関節結核にかかっております児童の療養期間というものが二倍近くにもなっておりますし、そういう意味で、最も必要度の高いものから逐次やっていくということを言わざるを得ないと思うのでございますが、もちろん今後、骨関節結核児童のみならず、一般の結核児童に対してもこういう制度を広げて参ることには全面的に努力をして参りたいと思います。
  54. 木下友敬

    木下友敬君 それは入院の日数が普通の結核に比べて倍近くカリエスの方が長いと言われるが、現在病院に入院しているというのは、特にひどいのがおそらく入院している。結核の検診というものを今肺の結核などのように普及させて、カリエスについても、カリエスが発見できるほどの健康診断ができれば、軽いカリエスの人もどんどん入ってくる。この範囲に入るカリエスの子供の数もうんと増してくると思う。だから現在の入院日数が長いから、内臓結核に優先したというようなことは、それは理由のほんのちょっと、何とか言わなきゃならぬから言っておくということで、根本的な理由にはならないし、午前中にも言いましたように、経済的な面でうんと圧迫を受けているので、厚生省がせっかくお考えになった筋の通った結核対策も、お金のために阻害されておるということ、またそれと同心に、いろいろの希望があるから、こういうことで譲歩されたのだろうと思いますけれども、どうかこの点は、もう一つ努力を願って、一般の結核にも及ぶところまでいかなければうそだと思う。  なおかつ、小さい療養所がほかに併合されるのをこういうのに充てたらどうかというのは——一体小さい子供たちをおとなの療養所に長い期間一緒に置いておる。たとえば病棟が違ってもおとなと子供と一緒に置いているということには異論があります。ことに療養施設というのは非常にひまであります。たとえば歌を歌うにしても、療養当は流行歌のひどいのも歌っておるでしょうし、そういうものも自然子供の耳に入るようになる。やはり純真な子供は純真な子供ばかりという方がいい。病棟を変えればいいじゃないかと言われましても、それはそう言うだけのことであって、ついている看護婦が往復する、あちこっち歩くということだけでも子供の教育上よくない。長い間おとなと同じ病院に入院させておいた子供が、退院させたとき、どういうふうに変ってきたかということについて、そういう点でも注意して考えてやらなければいけないと思う。できれば子供は子供だけ、どうしても同じ国立病院の中に入れなければならぬということであれば、非常に離れて、全然隔絶されたような方向にでも持っていかなければ、これは病気以外のものが伝染するのではない、私はこういうふうに考えておる。どうですか。
  55. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) この制度を設けました一番初めの考え方もお話の通りでございまして、子供がおとなの間にまざって治療したのでは、結局病気はなおっても、まあいろいろなおとなの世界というものを覚える。あるいはまた、療養期間中においてもおとなの使いをさせられたりなんかというようなことで、非常に児童福祉上困る。そういう見地から、やはり児童については特殊の病室なり、病棟というものをかえて、特殊の環境において治療を行わせるべきである、そういう意味でこの制度考えたのでございます。そして理想的に申し上げれば、やはりこれも児童福祉施設として今お話のありました線に近い格好になるわけですが、独立の施設としてやるのがこれは理想でございますが、現実の問題として相当たくさんのこういった児童がおるが、新たにこういう施設を作っていくということは、現実の問題としてなかなか急速に解決はできない。それよりも結核の療養所に、相当大きなものについては空床等との関係もございますし、それを活用していくということの方がむしろ、実情に適するのじゃないかという意味においてこういう制度の仕組み方をしたわけでございます。今お話のありましたような考え方が、この制度の根本になっているわけでございますから、従って、これが具体的に療養所の指定の場合におきましても、十分お話のような点を注意をして参らなければならないと思いますし、また、先ほど来お話のありました転換療養所の問題についても、十分一つ考えさせていただきたいと思います。
  56. 木下友敬

    木下友敬君 医務局の方がおられないからちょっと無理ですけれども、今空床ということをちょっと言われたですね、空床を子供の方で埋めることもでざるからと、この空床の問題ですが、今度二百の地区を指定して結核の特別の検診といいますかをやっていきますね、特別の検診をやっていくということになってきますと、患者はたくさん出てくるのですよ。今の国立及びそれ以外の療養所のベッドの数ではおそらく足らないほど出てくるかもわからぬことなのです。また、出てくるように、そういう患者を発見して一カ所に収容して、結核の感染を防止し、これを治療していくという、そういう意味で二百カ所を指定してやろうということですから、指定して綿密な検査をする以上は、たくさんの患者ができて、これを強制的に収容していくということになれば——空床が埋まらぬような検診ならこれはやらないのがいいので、たくさん民間に散らばっている患者を拾い上げていこうという意図ですから埋まります。そうすると、この空床にカリエスをあてていくという考え方がこれはまた甘い考え方であると思う。私はやはりこれは次の機会には少くともカリエスだけでなくして、いわゆる内臓結核にかかっておる小児結核の患者もやはり同列に扱って、そうしてこの子供達、カリエス内科の結核のそういう子供達をいわゆる小さい療養所といわれているところに収容して、専門的に療養をさせていくというような方向に持っていけば一挙両得ではないかと思う。こういう点はもちろんまだ研究の余地のある問題でしょうが、どうか一つ自分の局だけにこだわらないで、他の局とも一つよく御相談になってそういう問題を解決していってもらいたい、こういうように思うのです。
  57. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ただいまの御質問は、非常に私いいお話を伺ったと思うので、私就任早々ではございますけれども、やはりカリエスだけでなくて、結核の児童についてもこれを考えていかなければならない。しかもその入院をいたす場合におきまして、一面において、医務局等において療養所の統廃合というものが行われておる、整備が行われておるという場合に、私たちが常に頭の中にそのことを考え、空床がある、あるいはその療養所を廃するという場合には、やはりそういったわれわれの政策に、将来の一つ計画に対して、この病院を廃する場合において、そういうような政策にもし合致するものとするならば、存続した形においてこれを見ていくということでなければならないと思うわけなので、ただしかし、具体的に申しますと、それが一体どういうふうになるかということは、これは事務当局といろいろ相談しなければなりませんけれども、少くとも考え方の方向としては全くおっしゃる通りではないかというふうに考えます。  それからもう一つ、私が考えておりますことは、結核児童に対して、これはまあ本年度の予算を組みますときに落されてしまったわけなんで、来年度の予算におきましては私は要求をいたしたいと考えております——おりますけれども、もう一つ問題は、学校に通っておる人、子供たちで、そして多少今日のように化学療法というものが進歩してきた、そしてある程度何といいますか、ヒドラジッドとかパスとかいうようなものを、むしろそういう児童に対してまあできるならば無償で、これを半年なりあるいは一年なり飲ませたならば、相当私は結核児童というものがなくなるのじゃなかろうかというような面も考えておるわけであります。この点につきましては、実は衆議院の滝井委員からの御質問もございまして、指摘された点でございまして、私も全くこれは同感でございます。で、予算上落ちましたわけでございますけれども、何とかしてこの結核児童に対して、予算は落ちたけれども、何かやる方法はないだろうか、実は私真剣に取り組んでおるわけなんであります。と申しまするのは、たとえば結核児童の実態調査によりますると、昭和二十八年におきまして、要医療の患者が二十二万五千人でございましたのが、三十三年度の調査によると九万五千人に減っておる。これはまあ六才から十四才までの者でございますが、要入院の児童について申しますると、これが六万人のものが二万五千に減っておる。そうしますると、このまあ調査が果して正確かどうかということにはまた問題があるといたしましても、この二万五千というものは把握ができると思う。そうしますと、この二万五千という、この者を対象としていろいろの政策考えられているはずだと思う。それがまあ長期欠席の形に出ておるとか、あるいは結核にかかっておりながらやはり学校に行っておるというような人の感染の度合い等も考えるならば、これらの人たちをとらえまして、そうして学校教育の中において一つの厚生行政の、いわゆる結核対策というようなものを取り上げられてしかるべきなんだというふうにまあ思っておるわけなんで、この点につきましては、今児童局長とも相談をし、これくらいのことはお医者さんの方々、まあ医師会にもお願いをしたいと思っております。まあ場合によっては薬剤師の方々の協会にもお願いをしたいと思っております。あるいは場合によっては、生命保険協会にもお願いをしたい、まあ試験的に、たとえば二百カ所の問題がございましたが、このところに全員はもしいかないとしましても、ある地区を限りまして予算はないけれども、本年度これを試みにやってみたらどうかということを、実は今事務当局に命じまして、考えをまとめておるような段階でございます。やはり私は総合的な見方で、結核対策というものを考えていかなければならぬ。単に児童局は児童局、あるいは医務局は医務局ということでなくて、厚生省自体として、あるいは民間等の御援助も願ってやっていけるところは解決していったらいいじゃないかというような、実は考え方を持っておることを御報告申し上げます。
  58. 木下友敬

    木下友敬君 ただいまの大臣の御発言、なかなかいいです。どうかそういうふうな考えを実際面に現わしてもらう。おそらく赴任されるときは高邁な理想で来られましても、しゅうと、小じゅうとがおったりしてなかなか思うようにいかぬこともございますが、勇猛心をふるって一つやっていただきたいということを、私非常に希望をもってながめておる次第でございます。くどいようですが、最初申しました療育という言葉のようなことですね。これはお役人の方、ささいなことを言うと思われますけれども日本の国語、国民言葉というものをきれいにしていくということは、これは文化国家の大事な仕事です。でたらめにつけて熟語を作るということは、まあ政府自体がしないように、これは最後に、私はほんとうに本気でやってもらいたいと思うわけです。これについてはお答えをいただいておらぬのだから一つ……。
  59. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 実はきょうはどうも話が非常に同じ、私の考えておりますことをお述べいただいておるような気でございまして、私役所に入りましてから、非常にやはり言葉の問題が、厚生省の内部であるいは医務局なら医務局、あるいは児童局なら児童局で、その人たちはわかっているのだけれども一般国民の、しろうとのわれわれにはわからない言葉がずいぶんある、これではいけないんじゃないか、もう少し端的な表現、日本語としてわかる言葉を使ったらどうかというようなことを申しております。たとえば私が、この前、年金法案をやっておりましたところが、重度の障害、その少くとも字を見るならば重度の障害ということはわかりますけれども、今日たとえばそれを国会で答弁します場合、あるいはまた、ラジオを通じて言った場合においては、聞く方ではおそらく重度の障害と言ってもわからないのじゃないか、むしろ私はその重い度合いとか何とかそういうようなことで、むしろよくわかる、そういう言葉を使うべきではないかということも考えております。  それからもう一つは、年金法案の中におきましても、たとえば廃疾という言葉がある、あるいはこれは法律的に、あるいは習慣的にはこういう言葉が適当であったのかもしれませんけれども、しかし、私はやはりこの問題でも、いろいろその方々に与える影響というものを考えた場合には、何か違ったほかの言葉があっていいのではなかろうか、あるいは障害者でもいいんじゃないだろうかというふうにも実は思っているわけなんです。  それから横書きの問題でございますが、これは私自身も実は横書きをやろうかと思っているわけです、現に私自身も横書きをやろうとしているわけなんで、役所において日本字のやり方でなくて、横の数字が出てくる場合においては、横書きの方がいいのではないかというふうに思いますし、聞くところによりますと、外務省においてはこれを取り上げられたようでありますが、私たち厚生省におきましても、できるならばこの四月一日からすぐには参りませんけれども、半年なり一年なりの間において、できるものから横書きをやりたいというふうに考えて、今事務当局にもそういうような話し合いをしている段階で、とにかくもう少しわかりやすい、だれでもそれがわかるというような言葉にしていくということが、私は非常に必要だと思うわけなんで、たとえばこれは縦書きと横書きといった場合、目の構造自体が横書きになるように実はできているので、これを縦にすることが非常にやはり目を痛めることになるのじゃないかと思うので、これはむしろお医者さん方にお聞きをしなければわからないのだけれども、物理的にちょっと考えますならば、横の方が疲労度が少いということだけは、一応言えるのではないだろうかと思います。まあそういうようなことから考えましても、私はどの程度役所としてやっていけるかは、まだいろいろ事務当局と話し合ってみなければわかりませんが、そういうような考え方で実は四月一日から、大体そういうような方針でやってみたらどうだというような話し合いをしているところございますので、この際お話を申し上げているわけです。
  60. 久保等

    委員長久保等君) ただいま尾村公衆衛生局長、小澤医務局長出席しましたのでお知らせいたします。
  61. 木下友敬

    木下友敬君 ちょうど医務局からお見えになりましたそうで、私お留守のときに質問をして中途半端になっておりますが、問題はこうなんです。今ここへ出ております法案は、カリエスの子供を国立の療養所に、主として国立の療養所に収容しようという法案であるけれども、おとなと子供と一緒のところに置くと、病棟が違っても同じ病院の中に置いておけば病気の伝染でなくて、覚えていかないものを覚えるというようなことで、病気はよくなったけれども、帰ってきたときは、子供が非常におませになって帰ってくるとか、いろいろなことがあるから、いっそ別にしたらどうか、数から申しましても、カリエスの患者だけは、今収容されたのは二百五十五名であるけれども、内臓の結核までこの法案を広げるということを考えたときには、二千何百人あるいは四千人という相当な数になる、そうしてみると、今医務局で考えておられる、ごくきわめて貧弱なと言われている療養所を、これを大きなところに併合すると言っておられますが、ああいう施設を一つ開放して、塗りかえをいたしまして、全国的に考えて、ああいうところに小児カリエスあるいは内臓の結核のある子供を収容して、療養と教育両方面をそういうところでやっていくというようにする方がよくはないか、こういうことをお尋ねしたわけでございます。このことは、もちろん医務局だけでもない、また、児童局あるいは文部当局とも関係のあることでございますが、どうかそういう面を、私は希望を持っておりますが、医務局としてはそういうことについて一つどういうふうに御判断になる、お考えになるかということをお尋ねもし、お願いもしておきたいと、こういうわけなんであります。
  62. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) ただいま木下先生の御指摘ごもっともと思うのであります。一つの病院の中でおとなと子供を一緒に治療した場合におきまして、子供が、病気は別といたしまして、子供の精神的な発育につきましては必ずしもいい影響だけではございません。そこで、私どもは、数年前からおとなの病棟と子供の病棟とを別々にいたしまして、子供には子供にふさわしい環境を与える。できたらば先生をつけて教育までしてあげるということによって子供の健全なる発育を促すように考えておるのでございます。同じ施設の中でおとなと子供と分れるだけでは不十分だと、施設そのものを変えてしまったらどうだというただいまの御意見だと存じますがこれが地理的にそれが許される、施設としてもそれが一つとして成り立っていくまた、療養所の運営自体といたしましても、それぞれの専門家を雇うことができるという条件下におきましては、そういうことも十分に考えられることであると思います。また、さように徹底することもできることかと考えますので、今後の問題として十分検討いたして参りたいと思っております。
  63. 木下友敬

    木下友敬君 話は中途になりましたが、今大臣がむずかしい言葉のことを言われましたが、ちょうど国会議員の衆参の議員と、それから学識経験者で言語政策を話し合う会というのがございます。北村徳太郎さんとか橋本龍伍さん、片山哲さんとかで、毎回横書きの問題とか法律の文字の問題とかいうようなことをやっております。お役所の言葉が非常にこういうような私どもからいえば勝手な、自分だけわかるようなことをしておられるということは、これは従来明治時代からの行き方なんです。勅語の言葉がむずかしかったと同じように、これは非常に民主化ということと反対で、お役所が雲の上にあるということとつながるもので、お役所をむしろ民主化して、国民に対するサービスの機関であるということを徹底すれば、やっぱり言葉というもの、あるいは体裁というものからくだけてもらいたい。蛇足でございますが、最後にそういうことを希望して、役所の方もああいう場所に少しは顔を出していただいて、そうして言葉だけではない、役所の民主化というものに資してもらいたい。このことをお願いして私の質問を終ります。
  64. 片岡文重

    ○片岡文重君 児童福祉法の問題で一つ二つお尋ねしたいのですが、今の木下さんの言われた言葉の問題は、もう何年も前から、せめて委員会に提出される資料だけでも横書きにして、しかもこれは左とじに統一してほしいということは何回も注文しておるのでありますけれども、まず、大臣の趣旨説明のプリントが縦書きである。それから同じお役所の中から出される資料でも、ある局は右とじ、ある局は左とじ、はなはだしいのになると、同じ局から出され、同じ課から出されるのでも右とじ、左とじがある。これはやっぱり統一された方がいいと思いまするし、何か先ほどからの大臣のお顔を拝見していると、何かきょうは非常にうれしそうに答弁をされておるのです。わが意を得たというような答弁で、はなはだけっこうです。けっこうですから、一つその熱をさまさないで、このくらいのことは私はやはり実施すべきだと思うのですよ。よそのところでは、特に地方なり、それから外局等では、横書きを実施しているところももうどんどんふえておる。やっておるのですから、せめて国会がこういうものをやはり先行すべきだと思うので、ぜひ一つ厚生省からまず始めていただくようにお願いいたします。  そこでさっそく聞くのですが、今木下さんからも療育ですか、という言葉を聞かれたのですが、児童福祉法の二十一条の十二には、今度は育成という言葉を使っているのですね。内容を見るとそう大した違いないのじゃないかと思われるのだけれども、ここでいう療育という言葉と、それからこの育成医療という言葉との違いはどこにあるのですか。それをまず伺いたい。
  65. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 育成医療と申しておりますのは、内容は御承知のことと思いますが、いわゆる肢体不自由児に対しまして肢体不自由児施設によらないで治療を行う、そういうことで、まあ端的に申し上げれば、肢体不自由児について、相当長期間収容し訓練する必要がありますものは肢体不自由児施設に入れる。それでなくて、病院の外来なり、あるいは短期の入院で治療ができますものはこの育成医療という形において治療をする、そういう格好にいたしておるわけでございまして、現実の問題としては、従って、教育の要素というものは、これには入っていないわけでございます。
  66. 片岡文重

    ○片岡文重君 わかりました。そうすると、療育の方には治療とそれから教育を含んでおる。それから育成医療の方は、これは肢体不自由児の通院ですか、等の医療が主たるものであって、教育という点は含んでおらない、こういうことですか。
  67. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) はあ。
  68. 片岡文重

    ○片岡文重君 今この指定医療機関の基準の内容はどういうことになっておるのですか。
  69. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 基準の内容といたしましては、先ほど申し上げたと思いますが、次のような条件を内容として考えております。第一は、小児結核専門の病棟または病室を有するもの、第二には、専門的な治療の設備及び医師がおること、第三には、学習指導ないし生活指導が行える態勢にある、それから第四には、義務教育を行い得る態勢が整っておること、そういったことを内容として基準を規定をいたしたいと考えております。
  70. 片岡文重

    ○片岡文重君 そうすると、今指定し得る基準を備えておる施設というのは幾つぐらいありますか。
  71. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 厳密な意味で申し上げますと、これは約十カ所程度になるわけでございますけれども、しかし、先ほどもお話し申し上げましたように、やはりこの制度に均霑し得る児童のこれは立場からも考えなければならないと思いますし、それとの関連を考えますれば、現在約二十カ所と考えております。
  72. 片岡文重

    ○片岡文重君 この児童の立場考えてすれば、なるほど数が多い方がいいということは私も同感ですが、この二十カ所の中には治療を主としたお医者なんなり、治療の施設等があることはもちろんでしょうが、そのほかにいわゆるこの療育の育の方です。教育という立場からした教職員の配置がなされておるのですか。
  73. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) このいわゆる教育の立場からする養護学校なり、あるいは特殊学級なり、あるいは教員の派遣ということは、これはもう絶対要件考えておりますので、今申し上げましたまあ大体二十カ所と申しますのは、もちろんそういう要件を充足していることを前提として申し上げておるわけであります。
  74. 片岡文重

    ○片岡文重君 その先生なり、教育関係の職員は付近の学校から通勤しているのか、それともこの二十カ所の施設というものは、そこに専属に配置されておる教員免許証を持っている職員ですか。
  75. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 身分的には教育委員会から派遣をされて、大部分は通勤をしているということだと思います。
  76. 片岡文重

    ○片岡文重君 通勤をしているということは、大部分がその施設専属におるということなんですか、それとも他の学校に籍があって、その学校に一つの受け持ちの学級とまではいかなくても、科目を持つなり何なりしておって、その間に通っておる、こういうことなんですか、それともこの病院なり療養町の施設にその職員として、職員は教育長から派遣をされるにしても、その職場が専門にそこに置いてあるのか、その学校と兼任になっているのか、この点どうですか。
  77. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 専属でございます。
  78. 片岡文重

    ○片岡文重君 この二十カ所の施設を現在どことどこに持っておられるのかは、一々ここでお聞きするのも何ですから、あと一つ資料にしてでも出していただいてけっこうですが、二十カ所という数ははなはだもって私は少いと思うのですが、これは早急に増設をされる意思がないのかどうか、意思はあっても予算関係で当分見込みがないということなのか、その見込みはどうですか。
  79. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 今申し上げました指定の基準の幾つかのすべてを充足してなければ指定をしないということでございますし、従って、おおむねこれに該当するものが二十カ所あるという意味でございまして、従って、そのほかにたとえば治療の関係は整っておるけれどもたまたま教育委員会からの教員の派遣がない、あるいは教員の派遣はあるけれども、治療の関係が十分いっていない、そういったものがそのほかに幾つかあるわけでございます。これらは関係のところと十分協力し、話し合いまして、また、地方の教育委員会等の御協力を得まして、すべての条件が備わって、現実この法律の対象として指定し得るような施設が少しでもふえるように努めて参りたいと思います。
  80. 片岡文重

    ○片岡文重君 今教育大学を卒業する子供らは、戦前と違って就職率ははなはだ悪いのです。免許証を持って、つまり資格を持って、その職につけない子供らがたくさんおるわけです。従って有資格者が得られないのではなくて、もっぱらこれは財政の面から制約されておると思うのですね。それから療養施設の方は、これはあまり大きな問題として考えなくても、実際問題としてやる意思があれば、療養施設の方については私は比較的容易にやっていけるのではないか。問題は教育関係の職員が得られるかどうか、特にこれはやはり相当の愛情の豊かな、しかもこのこういう不幸な子供らに対して積極的に何といいますか、同情と言っては言葉が悪いかもしれませんけれども、少くとも精神的に手を携えて、これらの不幸な子供らを明るく育てていこうという精神的に豊かな人々でなければいけないと思うのです。そういう場合を考えますと、資格があるからだれでもいいのだというわけにも参りますまいけれども、むしろ相当の年輩者、あるいは清純な若い人たちの中にもこういう施設にむしろ進んで行きたいという人も相当おるわけです。それが財政の面から制約をされて採用することもできない、こういう例を私は少なからず聞いておるのですが、この点について、もっと、しかもこれらの経費というものは、そうたくさんな経費ではない。しかも一カ所に収容する子供の数というものはそうたくさんではない。むしろ数が少いから、なおさら、先ほど来の局長大臣のお言葉では、相当積極的におやりになっているようですから、等閑視という言葉を使ったのでは御不満かもしれませんけれども、少くともほかの問題からみれば、これはやはり軽視される傾向にある。しかし、その関係の者たちにとっては相当深刻な問題ですから、もっと積極的にやっていただいていいと思うのですが、近い将来に、そういう面で積極的にふえるという見通しがどのくらいあるのですか。
  81. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 先ほど医務局長から申されました小児専門の病棟、ないしあるいは病室を作っていくという方針は、これは厚生省全体として推進をしている問題でございまして、私が、前に医務局におりましたときも、そういう線でこれが増設、増加について努力をいたしてきたのでございます。現在、医務局においても同じような考え方で、というよりもむしろもっと熱意をもって、そういう方向に努力をしていただいておるわけでございます。それに関連をして、これは必ず今お話のありましたように、教育委員会からの教員の派遣という問題にこれは当面するわけでございまして、これらについては、厚生省の出先の機関からも十分教育委員会の方にお願いをし、また、一般的な問題としては、私の方ないし医務局の方からも、文部省の方に十分連絡を密にしまして、努力をして参っておるような次第でございます。具体的に何ベッドということは、今的確に申し上げることはできませんけれども、予算的に申し上げますれば、御承知のように、これは二百九十ベッドを対象にした予算でございますので、それが達成できるように、あるいはそれをオーバーするように、努力を重ねて参りたいと思っております。
  82. 片岡文重

    ○片岡文重君 大臣として一つお伺いしたいのですが、この問題は、文部省と緊密な連携をとって、そうしてしかもこれは厚生大臣から働きかけていただかなければ、なかなか問題の解決はむずかしいと思う。で、これに対して一つ厚生大臣は近いうちに、この法の改正を機会に、文部大臣にこの点について積極的な協力が得られるように、一つ御要請を願いたいと思うのですが、いかがですか。
  83. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) この問題はすでに二十九日に、文部省の内藤局長から、各都道府県教育委員会に実は同様の趣旨のことを、通達が出ておりますが、今仰せの通りでございまして、ことに今の文部大臣の橋本さんは、かつてここの厚生大臣をおやりになった方でございますし、私も文部関係に、長い間文教委員としておりました関係もございまして、ぜひ一つそのようなことで、文部大臣の橋本さんにお願いをいたしたいというふうに考えております。
  84. 片岡文重

    ○片岡文重君 最後に、一つ局長に伺いますが、この学習に必要な物品というのは、どの程度のことを考えておるのですか。
  85. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) これは義務教育の場それ自体に必要な、たとえば教科書あるいはノート、そういうもののほか、予習復習に必要な、たとえば書見台とか、そういうものも含めるつもりでございます。
  86. 片岡文重

    ○片岡文重君 そうすると、通常の場合には、支給されなくとも、通常の一般健康な子供らには必要はないけれども、この病状にある子供にとっては学習に必要だと思われるようなものは全部支給をする、こういう建前をとっておられるわけですね。
  87. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 必要の程度をどの程度考えるかということは、これは一つの問題ではございますけれども、私どもの方は、今申し上げた趣旨で考えておる次第でございます。
  88. 片岡文重

    ○片岡文重君 予算で一人当りどのくらいになりますか。
  89. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 予算で申し上げますと、一人年額二千九百六十四円にいたしております。
  90. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 カリエスの養護の法律でございますから、私も趣旨は非常にいいと思うのですが、ただ衆議院のにありますように、結核にかかっておる児童にも拡大ということが出ておるのですけれども、小児麻痺とか精神薄弱者の問題はありましたけれども、小児麻痺はどういう手当がされておりますか、ちょっと参考までに聞かしていただきたい。
  91. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 小児麻痺につきましては、御承知のように、児童福祉法にも書いてございますし、それから児童福祉事業のうちの大きなウエートを占めておりますものとして肢体不自由児施設というものがございます。これが現在四十二カ所、人数としましては約三千ベッド程度の収容力、これに収容いたしまして訓練をするというのが一つの方法でございます。もちろん今申し上げました個所数であり、収容力でございまして、これは十分とは申せませんので、これが増設については私ども最重点を置いてやっておるような状況でございまして、おおむね三十四年度中には、少くとも各県に一つあての肢体不自由児施設が設けられるということになる予定でございます。それから先ほどもちょっと申し上げましたいわゆる育成医療という、いわゆる程度の軽い者と申しますか、そういった者につきましては、育成医療というような方法によりまして、外来とかあるいは短期の普通の病院における入院によってカバーする、そういうような措置をとっておるような次第でございます。
  92. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 国の補助、保護している基準を、また違ったときに聞いたらいいのですが、ちょっとこの法案に関連しますから、どういう工合に援護、具体的な補助というものを小児麻痺の方たちにしておられるか、ちょっと参考までに聞いておきたい。
  93. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 肢体不自由児施設を作る場合におきましては、設備費の半額を国から出す。もちろんこれは公立の場合でございます。私立の場合には補助金を出さないというわけでございます。それからこれは経費でございますか、いわゆる経常費に相当するものでございます。これは収入というか、そういう基準はいわゆる医療費の単価でやっておりまして、それに対して親が金を出せる、負担できるというものについては徴収をするし、負担が困難なものについては公費で負担をする、そういう仕組みにいたしております。その割合は大体九五%を公費でまかなう。そのうちの八割を国庫が負担をし、二割を府県が負担をする、そういう仕組みにいたしております。  それから育成医療につきましては同じようなことでございますけれども、これは公表の負担の割合というものを七〇%にいたしております。
  94. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 よくわかりました。そうすると、ここへ出てくる学習に対する必要な物品の支給、こういうものはカリエスにはおやりになるけれども、肢体不自由児に対してのこういう療育といいますか、先ほど話に出ていましたその概念が、今のお話はむしろ肢体不自由児の治療だけのお話ですけれども、しかし、療育というのですか、その二つを含んだものはどういう格好で小児麻痺、要するに肢体不自由児にはとっておられますか。
  95. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 先ほどちょっと育成医療のことを申し上げまして混乱を来たしたかと思いますが、育成医療については、先ほど申し上げました教育という要素は入っておりません。肢体不自由児の施設におきましては、これはほとんど全部教員の派遣なり、あるいは特殊学級の設置という形で教育を行なっておる。そういうことでございます。
  96. 片岡文重

    ○片岡文重君 さっきの二千九百六十四円という一人当りの予算は、これは子供に給付する学習用の予算だけであって、もちろん教職員その他の予算は一切含んでおらない。そういうふうに解釈していいですか。
  97. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) その通りでございます。
  98. 小柳勇

    ○小柳勇君 この定義はいろいろありましょうけれども、たとえば義務教育とか、年令の制限、それから幼児とか、少年については、たとえばつき添いといったものには国の補助はないようですが。
  99. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) つき添いの費用は見ておりません。
  100. 小柳勇

    ○小柳勇君 年令は。
  101. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 児童福祉法によりまして、児童というのは十八才未満ということでございますから、それに沿うようにしているわけでございます。
  102. 小柳勇

    ○小柳勇君 そうすると、義務教育についても、あるいは高等学校に入るかどうかわかりませんが、高等学校に入ってもいいということでございますか。
  103. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 学習指導の関係はこれは義務教育に限るつもりでございます。従って、義務教育を受ける年令でない者、受けてない者、これらにつきましても医療費のみ支給するという場合はあり得ると思います。
  104. 小柳勇

    ○小柳勇君 つき添いについても、私は病気のことはよく見当がつきませんが、看護婦を雇い、あるいは先生を雇わなければならぬような場合も予想されますが、そういう面については一切この法律として考えてないということでございますか。
  105. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) この根本の趣旨が、先ほど来申し上げておりますように、小児のカリエス特有のもの、結核特有のものとしてこれに対する手当として、治療と教育と、それから生活指導とあわせ行うというような趣旨でございまして、従って、そういう趣旨から申し上げましても、この指定いたします療養所においてそれに即応する態勢が整っているということが前提でございまして、そのほかにプラスをして、だれかつき添いを雇わなければ十分の看護ができない、あるいは学習指導ができないという格好のところは、これは指定から私ども実は考えていないわけでございます。そのように一つ御了承いただきたいと思います。
  106. 小柳勇

    ○小柳勇君 最後に、この法案ができまして、周知徹底する方法について何か、厚生省としてお考えでございますか。
  107. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) これらにつきましては、新聞等ももちろん御協力をいただいております。私どもは、先般民生部長会議あるいは衛生部長会議あるいは児童課長会議等を開きまして、そのうちにはこの問題を一つの重要な問題としてお互いに協議をし、同時に、よくこれらの実施について遺憾のないように、周知なりあるいは準備なりについて遺憾のないように、私どもとしては指示をいたしておる次第がございます。
  108. 小柳勇

    ○小柳勇君 最後に、この数字を見ましても、私どもがたとえば地方を回りまして感ずる実際的な数字との差が相当あるように思いますので、周知徹底なり、こういうものをなるべく収容して療養と教育ができるように要望いたしまして、質問を終ります。
  109. 斎藤昇

    斎藤昇君 各委員の御質問で、私の伺いたい点はほとんど明瞭になりましたので、ただ一群だけお伺いいたしたいのでありますが、この法律は四月一日から施行になっておりますが、先ほど担当医療施設の指定等についての御答弁等を伺っておると、まだ非常に慎重審議をしておられるらしい。で実際これらの児童が給付を受けられるのは、いつごろから受けられるようになるわけですか。
  110. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 先ほど来申し上げておりますように、施設については非常に条件の整ったところと、それからさらに多少検討を要するところと、いろいろ種類がございますが、たとえば宮城県にあります玉浦療養所でありますとかあるいは千葉県にあります下志津の療養所でありますとか、その他これに類する施設につきましては、これはいわばきょう今日からでも指定をして、これに適応した措置がとれる、そういう態勢にあるわけであります。そういう態勢の整ったものにつきましては、なるべく四月一日、ないしそれに近い期間に指定をいたしまして発足できるようにいたしたいと思います。その他のものにつきましては、準備の整い次第すみやかに法律の適用が行い得るようにいたしたいと考えております。
  111. 斎藤昇

    斎藤昇君 給付を行うのは都道府県知事でありますから、従って、最初施設の整っておるところから指定をしていくといった場合に、お前の府県はどこのあれだということでもわからないと、都道府県知事が戸惑ってしまうのじゃないかと思いますが、そこらはどんなように指導しておられるのですか。
  112. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 今申し上げたような、たとえば玉浦でありますとか、下志津でありますとか、こういう、いわばはっきりしたところにつきましては、これはあらかじめ準備の措置を手配をいたしておりますし、そこに入っております児童の住所を有する府県等にも連絡のつくように、児童課長等には申しておる次第でございます。なお不十分な点もあるかと思いますので、さっそくそれらの点について、さらに準備を確実にするように申したいと思います。
  113. 斎藤昇

    斎藤昇君 現に入院している児童については、指定されたところから行くからいいかもしれませんが、こういう制度ができた、それじゃ自分の子供を一つこの対象にしてほしいという人も新たに出てくるだろうと思いまするし、なるべくすみやかに指定をされ、そして四月一日からあまり遠くない期間に、全部適用を受けられる人たちが一人も洩れなくというわけにはいきますまいが、ところによって、県によって、非常にもう半年もあるいは一年もたってもまださっぱりわけがわからぬというようなことのないように、一つ御配慮を願いたいと思います。
  114. 久保等

    委員長久保等君) 他に御発言もございませんようですから、質疑は尽きたものと認めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  115. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。  それではこれより討論に入ります。御意見のおありの方は、賛否を明らかにしてお述べを願います。なお、修正意見等おありの方は、討論中にお述べを願います。——別に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  116. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。  それではこれより児童福祉法の一部を改正する法律案について採決いたします。本案を原案の通り可決することに賛成の方は挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  117. 久保等

    委員長久保等君) ありがとうございます。全会一致でございます。よって本案は、全会一致をもって原案の通り可決すべきものと決定いたしました。
  118. 木下友敬

    木下友敬君 この機会に、私は本案に、お手元に配付いたしましたような附帯決議を付することの動議を提出いたします。
  119. 久保等

    委員長久保等君) ただいま木下提出の動議を議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  120. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。それでは木下提出の附帯決議案を議題といたします。御説明を願います。
  121. 木下友敬

    木下友敬君 御説明を申し上げます前に、附帯決議案を読み上げたいと思います。    児童福祉法の一部を改正する法律案に対する附帯決議案   今回骨関節結核にかかっている児童に対する療養と教育の制度を設けることは極めて時宜に適したものであるが、政府はすみやかにこのような制度を骨関節結核以外の結核にかかっている児童にも拡大するよう適切な措置を講ずべきである。   右決議する。  内容の説明は省いても御理解できることと思いますから、省略することにいたします。
  122. 久保等

    委員長久保等君) ただいまの木下提出の附帯決議案を本委員会の決議とすることに賛成の方は挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  123. 久保等

    委員長久保等君) ありがとうございました。全会一致と認めます。よって木下提出の附帯決議案を本案に付することに決定いたしました。  なお、議長に提出する報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  124. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。ちょっと速記をとめて。    〔速記中止
  125. 久保等

    委員長久保等君) 速記を起して。   ━━━━━━━━━━━━━
  126. 久保等

    委員長久保等君) 社会保障制度に関する調査の一環として、一般厚生問題に関する件を議題といたします。御質疑を願います。
  127. 勝俣稔

    ○勝俣稔君 厚生大臣に伺いますが、時間が非常にもう迫っておりますから簡単に申し上げます。ただし、非常に緊急の仕事でございまするから、ちょっとお伺いいたしたいのですが、政府の方で行政整理じゃありませんが、港湾行政の統一の問題等によりまして、あるいは検疫は港湾の方の税関の方へ移すようなことを聞いておりまするが、これはどういうようなことになっておりましょうか、お伺いいたしたいと思います。
  128. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 実はこの問題は、勝俣委員もすでに御承知だと思いまするが、答申案が出まして、それに基きまして関係閣僚懇談会というものがこの前、第一回の実は会合をいたしたわけであります。そこで、われわれの方といたしましては、その答申はさることながら、一体山口長官の方の原案がどういうものであるかということを見ない以上は、これは何とも申しようのないわけでございまして、実はその第一回の会合におきましては、山口大臣の方からは何ら具体的な案というものは出て参らなかったわけでございます。しかしながら、その際に、私厚生省立場といたしましてもあるいはまた、その他の関係大臣からもいろいろ話し合いをいたしましたが、われわれといたしましては、現在の段階で一体あなたはどういうような目的で、どういう性格の、行政整理というものをやられるのについて、どういうおつもりでおやりになるのかということを聞いたわけであります。そうしましたら、結局、各省の権限を一緒にするとか何とかいうような問題ではない、その筋というものはあくまでも貫くんだ、ただしかしながら、これを利用する人たちから見るならば、確かにいろいろ不便な点もあるからその点を一つこの際解決をしたい、まあこういうようなことでございました。それならば、一体どういうような案でございますかと開きましたら、その案はまだきょうまでは実はここに示すものを持っておらない。そこで、愛知法務大臣から、自分たちの省としてはとにかく確かに不便な点はこれはわかるから、そのための現実に解決する方法として共同のオフィスをまず作ることが先決ではないかと思う、そこに各省の機関が集まって仕事をするならば、そう迷惑という——不便というものはまず解消するのではなかろうか、こういうような御提案がありました。それからまた、同じ施設、たとえば検疫艇等につきまして、いろいろ各省で持っておったものを共同で使うというようなことも考えたらどうか、あるいはまた、第三には、事務の統一と申しますか、同じ一つの形式によるところの書類でもってすべてが事務処理がなされる、二通作る場合においては、役所側において複写をしたらどうかというような、三つのこういうようなものをわれわれは考えておる、こういうことでございまして、実は私どもの方としても、そのような程度であるならば、これはけっこうである、しかしながら、検疫所をいろいろ大蔵省に持っていくというようなことについては、自分としては反対である、というのは長い歴史もあるし、また、そのこと自体から考えても、国内のいわゆる衛生行政というものがどうなるかということの責任を持たずして、これをただ大蔵省に移管をするというようなことは、とうてい私としてはできないということを申し上げておった段階でございます。ただいまのところは、私のところにおきましてはそういうような運びになっておりますし、また、次の実は懇談会が開かれるものと思いますけれども、私はそのような考え方で進めたいというふうに考えております。
  129. 勝俣稔

    ○勝俣稔君 私は、長い経験でこうなっておるというようなお話が大臣からありましたけれども、検疫がかつて税関に移らされて、やみ討ちを食って、そうしていけなんで、またこちらへ戻ったわけでございまして、例をたとえてみますれば、神戸の港にコレラが入った、それが税関の方でやっておりますと、税関の方でそれを決定するわけです。その間は、県の衛生部というものは何ら手が出ないわけなんです。これがコレラであるか、ワッサービブリオ病であるか、何であるかわからない範囲においては公表いたしません。もし間違った場合には、コレラであるかもしれないということを言った場合に、コレラの予防の措置をとってみたところがコレラでなかったというと、間違った予防方法、要らげることをやったのではないかということで、検疫の方ではそれを自重してなかなか発表しないのであります。いざ決定したとした場合にはプァイフェルの実験まで——最近はプァイフェルまでいきませんけれども、そこまでやってから発表したときには、もうすでに——神戸の港は御承知のように、港と市外地がほとんど同じところでございます——そのときにはもう病毒が町中に入ってしまう。こういうことでありまして、これは衛生行政をほんとに考えられる場合においては、私はどうしても譲るべからざるものではなかろうか、譲ってはならないものであると私は考えておるのであります。おそらく警察の方は、いざどうなるかというと、警察の方も目に見えないばい菌がじゃんじゃん入ってくるということをお考えにならなければならない食物検査も私はそうであると思います。だから検疫のことは、検疫が済まなければ他と交通を許さないという原則があるのでございまして、そういうようなことは世界各国どこでも共通なものでございます。アメリカではかつて大蔵省がこれを取り扱っておったのですけれども、これは税関の関係で……。しかし、これではいけないというので、アメリカでもこれを衛生の方に移したわけです。でございますから、これはよほど大臣としては決心をしていただかなければ困る。われわれ役人におるときにやみ討ちを食いまして、これは勝俣みたいなやつにやらすと何やるかわからぬというので、われわれに話さないで局長だけで——その大臣は大蔵省からきた人だものですから、大蔵大臣を前にやった人だったもんで、ちょこっと総理とその辺でまとめたらしいので、これはまあ非常な弊害があるので、しかも承わるところによれば、相当進行しておりやしないかというように伺うもので、実はもう時間がおそくなりましたけれども、私は、この委員会で一つぜひ大臣に御質問をいたしまして、そうしてその辺の決心を、強い決心を持っていただきたい、こういう意味合いで質問したような次第でございますから……。
  130. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ただいま勝俣委員の御経験に基く強い御要望に対しまして、十分これを尊重いたしまして、私閣議で発言いたしたいと考えております。
  131. 小柳勇

    ○小柳勇君 これは久留米市の民生委員の総会の決議によって陳情された問題でありますが、全国的な問題であろうと思いますので、三点をお聞きしておきたいと思います。  第一点は、生活保護法による最低準準の級地区分に基くこの種の級地を引き上げてくれという要求でございますが、こういうような敵地区分の査定はいつどのような委員会でおやりになるのかお聞きしておきたい。
  132. 森本潔

    政府委員(森本潔君) ただいま社会局長がおりませんので、詳細はなんでございますが、特別の審議会等ではなしに、厚生省におきまして社会福祉審議会に諮問をいたしまして——もちろん厚生省で原案を作って告示をいたしておる、こういう扱いになっております。
  133. 小柳勇

    ○小柳勇君 時期はいつごろ、年何回いつごろおやりになるのでございますか。
  134. 森本潔

    政府委員(森本潔君) 時期は一応決定いたしますと変更せぬと思いますが、その土地のクラス分けの仕方でございますが、これは一度決定いたしますと、そうたびたび変更するというようなことはないと考えております。
  135. 小柳勇

    ○小柳勇君 それから第二の問題は、世帯更生資金の貸付制度による貸付ワクの増額と資金総量の増額をお願いしたい、こういうような要望でございますが、厚生省としてどのように考えておるか、大臣から。
  136. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 係の局長が参りませんので、あるいはもし間違っておりましたらあとで訂正をいたしますが、本年度の予算におきましては、たしか世帯更生資金は三億円、それから医療貸付資金は二億円でございます。これはまあ本年度予算はきまりましたので、ただいまのところ、どうというわけではございませんけれども、しかしながら、将来私どもといたしまして、昭和三十五年度の予算要求の場合においては努力をいたしたいと考えております。
  137. 小柳勇

    ○小柳勇君 個人的に現在は五万円まで貸せるようになっているけれども、これではどうしても更生資金として少いので、十万円まで一件の貸付のワクを拡大してもらいたい、これに相応して全体の総額をふやしてもらいたい、こういうような要求でございまするが、厚生省として御検討されたことがあるのかどうか、御答弁を願います。
  138. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) この額の問題につきましては、やはりそういうような、望ましい形ではございますけれども、全体のワクがそういうふうにきまっておりますものですから、もしそれを引き上げますると、結局対象人員数も非常に少くなってくるような格好でございます。ただいまのところは、そのようなことでいきたいと考えておりまするが、なおこれは研究したいと思っております。
  139. 小柳勇

    ○小柳勇君 この点については、これは全国的な更生世帯の熱望であろうと思いまするので、厚生省全体としてもう一度一つ研究していただきたいと思います。  第三点は、母子家庭が、現在ほかの一般の人たちよりも住宅対策について発言力も弱いし困っておるので、この母子家庭について県・市営住宅の優先貸付制度考えてくれないかという要望でございまするが、そのようなことが検討されたことがあるのかどうか、お聞きしたいと思います。
  140. 高田浩運

    政府委員(高田浩運君) 母子家庭の住宅の問題は、これは母子世帯の対策の中で非常に重要な部分を占めておるわけでございまして、従いまして、この点については、かねがね住宅の所管省であります建設省の住宅局と緊密に連絡をとりまして、これが確保については努力をいたしております次第でございます。公営住宅の、まあ法律の建前からいたしまして、もっぱら母子世帯のみを対象とするいわゆるワクと申しますか、そういったものを設定することは、これは法律上いろいろ問題もございまするので、実質上それに相応するような考え方で、母子家庭を公営住宅に優先的に入居させる、そういったものは、住宅に困っているというようなものは、そして緊急に入居の必要があるというような前提のもとに優先的に入居させるということについては、両省大体考え方が一致いたしておりまして、その線で地方を指導いたしているのでございますけれども、何しろ対象が非常に数が多うございますし、広い範囲でございますので、その趣旨が十分徹底しかねておるところも、これも現実にあることは私どもいなめないと思います。これらについては、十分今後指導をして参りたいと思っておりまするが、さらに、三十四年度のこれは方針といたしまして、そういう線をさらに強めていくようにし、それから、母子世帯を、法律的に分けるわけには参りませんが、実質上母子世帯を入れるものとして、公営住宅の建設については十分一つ計画の中で考慮をするということで、現在地方からそれらの具体的な要望の数字等を取りまとめておるような次第でございます。ただ、現実には、その数字がそう私どもが思っていたほど高くないのでございます。これらの点について、いろいろ前提条件なり問題があろうと思いますが、趣旨は今申し上げましたようなことで、お話のような線に沿って、建設省とも協力して一体となって努力しているということを御了承願いたいと思います。
  141. 小柳勇

    ○小柳勇君 建設省の住宅局などと厚生省が連絡をとって、優先的に入居せしめるために指導しておる、県の民生部などを指導しておるということで、あと、具体的に今までの書面なりを適当な機会に一つお見せ願いたいと思います。  質問を終ります。
  142. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は、いずれまた、具体的に新しい厚生行政の問題については考え方をお聞きしたいと思っておりますけれども、ただ私は、大臣が新任されましてから、一番大きく、厚生省としては、厚生白書を中心にしていろいろな施策、考え方、それから実態の御報告をされているわけです。その意味においては、私は非常に努力をされていると思うのですけれども、しかし、こうながめて見ておりますと、どこかがしゆっと頭を上げてくると、既存の施策というものがへこむ。こういうものは、厚生省内部の問題ばかりではなしに、他の省まで影響をして、大蔵省でそろばんをはじいておる。それで頭から対外的に発表される、——社会保障を進めたい、国民生活を守りたいという政治的な意欲は非常に強く出されるけれども、内容的には私はそういう格好じゃないかと考えております。午前中の年金のときにいろいろお話がありましたのを聞いておりましても、そういう感じを非常に強くするわけであります。たとえば年金に少し百億ばかり出すと失業保険が黒字になるから政府負担を引っ込める、健康保険国庫負担を約束しながら勝手に国庫負担を引きあげるということで調整されては、厚生行政、すなわち人間生活を守っていく社会保障を推進していこうという厚生行政のほんとう基本的なものが進んでいかないという感じを非常に強く受けているわけであります。私はあらためてこういう問題についてやりたいと思いますが、きょうは概念だけを一つ承わっておきまして、あとでまた具体的にお聞きしたいと思いますが、少し時間がまだあるそうですから、一言だけ大臣のお考えを承わっておきたい。
  143. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 御承知のように、日本経済というものは非常に底の浅い経済でございます関係もございまして、一面において財政経済というものに制約されるということは、これは今日の段階としてある程度はやむを得ないといたしましても、しかしながら、その中におきましても守るベき一線はなくてはならないと思うわけであります。たとえば本年度百億の援護年金のお金をもらったが、ほかのものはストップされるという状況では私はよろしくないと考えるのであります。たとえば本年度百億と申しましても、これが来年度の予算になると三百億ということになる、そうすると、大蔵当局は、もう三百億やったのだから今年はほかの方はがまんをしるというように出てこないとも限らぬのであります。しかし、私どもといたしましては、日本経済というものを一面においては考えるけれども厚生省としてどうしても考えなければならない問題あるいは確保しなければならぬ問題、懸案事項等については、私は最大限の努力を払って確保いたしたいと考えております。それがしわ寄せされるとか何とかということがないように一つ——私来年度の予算まで仕事ができるかどうかわかりませんが、しかし、与えられた範囲内で最善の努力をいたしたいと思います。国会が終りましたら、私は来年度の予算の作業に取りかかりたいという気持でいることを申し上げておきたいと思います。
  144. 久保等

    委員長久保等君) 本問題に関する本日の質疑は、この程度にいたしたいと思いますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  145. 久保等

    委員長久保等君) 御異議ないと認めます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時九分散会