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1959-03-27 第31回国会 衆議院 文教委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月二十七日(金曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 臼井 莊一君    理事 加藤 精三君 理事 木村 武雄君    理事 鈴木 正吾君 理事 永山 忠則君    理事 小牧 次生君 理事 櫻井 奎夫君    理事 西村 力弥君       天野 光晴君    内田 常雄君       木村 守江君    久野 忠治君       清瀬 一郎君    高石幸三郎君       竹下  登君    田中 榮一君       谷川 和穗君    渡海元三郎君       灘尾 弘吉君    福永 一臣君       二階堂 進君    八木 徹雄君       野口 忠夫君    長谷川 保君       堀  昌雄君    本島百合子君       山崎 始男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 橋本 龍伍君  出席政府委員         法制局参事官         (第一部長)  亀岡 康夫君         法制局参事官         (第二部長)  野木 新一君         文部政務次官  高見 三郎君         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    齋藤  正君         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君         文部事務官         (体育局長)  清水 康平君  委員外出席者         大蔵事務官         (主税局税関部         長)      木村 秀弘君         文部事務官         (体育局学校給         食課長)    平間  修君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 三月二十六日  委員田中榮一辞任につき、その補欠として三  木武夫君が議長指名委員に選任された。 同月二十七日  委員三木武夫君、谷川和穗君、中村寅太君、松  永東君、吉田重延君及び河野密辞任につき、  その補欠として田中榮一君、内田常雄君、福永  一臣君、久野忠治君、二階堂進君及び阿部五郎  君が議長指名委員に選任された。 同日  委員内田常雄君、福永一臣君、久野忠治君及び  二階堂進辞任につき、その補欠として谷川和  穗君、中村寅太君、松永東君及び吉田重延君が  議長指名委員に選任された。 三月二十七日  理事原田憲君同月二十五日委員辞任につき、そ  の補欠として鈴木正吾君が理事に当選した。     ————————————— 三月二十六日  学校教育法第二十八条の一部改正に関する請願  (島村一郎紹介)(第二八四五号)  同外一件(岡崎英城紹介)(第三〇四八号)  同(福田篤泰紹介)(第三〇四九号)  養護教諭各校必置に関する請願外十一件(早  稻田柳右エ門紹介)(第二八四六号)  同外二十六件(赤松勇紹介)(第二九八五  号)  同外五十五件(太田一夫紹介)(第二九八六  号)  同外十三件(佐藤觀次郎紹介)(第二九八七  号)  同外二十五件(塚本三郎紹介)(第二九八八  号)  同外一件(山花秀雄紹介)(第二九八九号)  義務教育施設整備事業実施時期繰上げに関す  る請願池田清志紹介)(第二八八三号)  文教施設建築単価増額等に関する請願池田  清志紹介)(第二八八四号)  教職員の研修費制度化に関する請願石山權作  君紹介)(第二九九〇号)  同外三件(栗林三郎紹介)(第二九九一号)  同外三件(鈴木一紹介)(第二九九二号)  東京芸術大学教育機構改革に関する請願(松  前重義君紹介)(第二九九三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の互選  社会教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第二八号)(参議院送付)  日本学校安全会法案内閣提出第一二一号)  国立及び公立義務教育学校児童及び生徒  の災害補償に関する法律案山崎始男君外三名  提出衆法第四号)      ————◇—————
  2. 臼井莊一

    臼井委員長 これより会議を開きます。  初めにお諮りいたします。理事原田憲君が去る二十五日委員辞任され理事一名が欠員となっております。つきましてはその補欠選任委員長において指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 臼井莊一

    臼井委員長 御異議なしと認め、鈴木正吾君を理事指名いたします。     —————————————
  4. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは社会教育法等の一部を改正する法律案日本学校安全会法案並びに国立及び公立義務教育学校児童及び生徒災害補償に関する法律案一括議題とし、審査を進めます。質疑を許します。堀昌雄君。
  5. 堀昌雄

    堀委員 この前の続きで法制局の方にお伺いをしたいと思います。前後するところが少し出てくるかもわかりませんが、この前承わったのは、ある不法行為と申しますか、そういうものが学校で起きた場合における刑法民事行政上の責任者について、実は行政上のところまで伺っておったはずでございますが、そこのところがお話の途中でああいうことになり、はっきりしなくなりましたので、行政上の問題のことからもう一回伺っておきたいわけですが、もし行政上の問題が起る場合には、この前はたしかその最終責任設置者だと伺ったのですが、そこのところからもう一回あらためて伺っておきたいと思います。
  6. 野木新一

    野木政府委員 行政上の責任と申しましても、場合々々によっていろいろあると存じます。設置者、あるいは教育委員会がその学校管理しておりますと教育委員会にある。たとえば学校先生臨海学校ですか、水泳に行っているときに児童事故が起きたという場合に、職務を怠っているということが非常にはなはだしいときには、場合によっては先生懲戒というような問題が理論的には起るかもしれません。その場合には懲戒権はだれが行うかというと、任命権者が行うわけでありますが、そういう適正な懲戒処分を行うのは、学校の長ということでなくて、教育委員会の方にあるわけです。ところが学校天井が落ちてけがするという場合につきまして、だれが責任を負うかということは、学校管理は第一義的には校長でありますし、それから教育委員会管理者、最後には設置者というようになってきますから、たとえば非常に危険であるのにかかわらず校長先生なりがちっとも報告も何もしなかったという場合には、その限りにおいて校長先生にある程度の責任があると思います。ところが報告された教育委員会が何もしないでほうっておいたという場合には、教育委員会責任があると思います。教育委員会が庁の方に予算を組んでくれといったが、庁の方が無関心であったという場合には、庁の方で予算を組まなかったという責任があると思います。予算を出したが議会で議決しなかったという場合には、ある意味議会にも何か責任がある。非常に責任が重畳するという場合もありまして、具体的の場合にどこに一番重要な責任があるかということで問題になってくるのではないかと存ずる次第であります。
  7. 堀昌雄

    堀委員 今学校の建物、危険校舎の場合、その責任と申しますか、そういうものが重なるというお話を伺ったわけですが、それは道理としてその通りだと思うのです。そこで学校危険校舎天井が落ちたという事故があったという問題を取り上げて、限定をしてお伺いしたいわけですが、法律的には、学校長学校管理をするということは、規則でどこかいろいろきめているのがあるかもしれませんが、法律事項としてはないと私は思うのです、現在の法律を調べたところでは。それがあるのかないのかちょっと伺いたいと思います。
  8. 野木新一

    野木政府委員 学校行政のこまかいことをあまり知りませんので、あるいは少し見当はずれ答弁になりましたら文部省の方から補充していただくことにしまして、私が申し上げましたのは、学校長校務を掌理するというのが学校教育法の中にあります。あの校務という中には、やはり一応学校校舎に危ないところがあるかどうかということを見て、危ないところがあったらそれぞれ教育委員会なりに報告する、そういう責任は負っているのではないかと思います。その限りで責任があると言っただけのことであります。
  9. 堀昌雄

    堀委員 校長校務を掌理するというのがございますから、それはそれに該当すると思います。そうするとその次の、教育委員会学校施設管理するという問題は、法律的にはどこにございましょうか。
  10. 野木新一

    野木政府委員 地方教育行政組織及び運営に関する法律の二十三条の二号ですか、「学校その他の教育機関の用に供する財産の管理に関すること。」それから二十八条、三十三条にもそれに関連した条文がございます。
  11. 堀昌雄

    堀委員 この問題はよくわかりましたから、今度は学案安全についてちょっと伺っていきたいのですが、同じ問題なので、この法律の第一条に関係が出て参りますので、もう一つ伺いたいのは、現在学校給食ということが行われておるわけなんです。それでこの前伺いましたところが、給食についてのそういうばく然とした責任設置者にあるということを体育局長の方からお答えをいただいたわけなんですが、そういうばく然としたものでなくて、今回伺った中で、刑法民法行政上の責任に分けて、前段で私は学校安全について承わったわけですが、今度は学校給食の問題についてその責任所在刑法民法行政——これは具体的に申し上げておかないとお答えをいただくのにあれでございますので、こういうことを予想して伺っておることを了承いただきたいと思いますが、学校給食給食婦赤痢保菌者であったというような場合、あるいは購入した食料品変敗をしておって、それによって集団中毒が起きたような場合、こういう場合にその中毒の症状がきわめて激しくて、あるいは死亡するというような事態が起ることはあり得るわけなのです。そこでそれが今の学校安全に関連をしてくるわけなんですが、その場合における死亡した児童赤痢の場合が第一点。第二点は中毒によって死亡したという場合における刑法上の責任所在民法上の損害賠償責任所在行政上の責任所在というものを一つ法律的な条項の裏づけをもってお答え願いたい。法制局の方だけではお答えにくいかと思いますので、文部省の方とお話し、御連絡いただいた上でけっこうであります。
  12. 清水康平

    清水政府委員 御承知のごとく給食実施者設置者でございます。設置者公立学校におきましては地方公共団体である。しかしその設置者と申しましても法人でございまして、給食は、教育委員会という機関教育管理機関として、教育機関学校給食の計画、実施執行というふうになっているわけであります。教育委員会といたしましては、現実学校給食運営するわけではございません。現実学校給食運営いたすのはそれぞれの学校でございますので、教育委員会学校長にこれを委任して、指導助言のもとに学校長がこれを実際に運営しているわけでございますが、学校給食の場合、私ども一番心配しておりますのは、今堀先生指摘になりました通り中毒あるいは伝染病でございます。遺憾なことに毎年数回発生いたしているわけでございますが、その原因、経路をつぶさに調査いたしますと、中には、ただいま御指摘のように、学校給食に従事している従事員保菌関係赤痢が発生したと思われる節のものもございます。しかもそれを分類してみますと、検便を月に少くとも二回はしてもらいたいということになって検便をいたしているのでありますが、検便を一昨日やったけれども、きょう発生して、調べたところがその後保菌者になったというようなことを考えますと、どこにだれが故意——故意はもちろんございませんが、過失があったのか、その点はきわめてむずかしい問題になる。それは赤痢の例を申し上げたのでありますが、それ以外に学校給食食当りと申しますか、何とか球状菌というようなものが出て、調べたところがそれが原因であった。その原因はどこにあったろうかと調査してみますと、たまたま学校物資購入物の中にそういうものがあった。その場合、買う際にこれは腐っているということを知りつつ、これを食べると必ず中毒を起すであろうという、何と申しますか、悪意と申しますか、そういう場合は全くないのでありまして、これは大丈夫だろう、相当注意したにもかかわらず発生した、言いかえますれば、不慮の災害というのが相当多いのであります。原因不明というのがかなりあるわけであります。それに伴いまして、それが果して買った人の不注意とか、もちろん故意はありませんが、そういう事例は非常に少いようであります。従いまして、これを行政上見まして、だれが行政上の責任を負うかどうかということは、不明の場合がはなはだ多いのであります。現状を申し上げるとそのようなことであります。
  13. 堀昌雄

    堀委員 私はそういうばく然としたことを伺っていないのです。ここは現実にあるかないかという問題の前に、そういうことが起ることが予想されるわけです。そこで、法律として、起きたときにはどうするかということがわかっていなければ——起きるか起きないかの問題は、現実問題としては別個の問題ですから、私はそこで、法律上の問題として、それはどっかに責任があるにきまっておるのです。全然責任がないということのあり得ようはずがないのですから、それについて刑法それから民法行政上、この三つに分けて、刑法においては、やはり場合によっては過失致死罪が生ずるおそれがあると私は思う。それから民法の上においては、損害賠償を請求し得る条件ははっきりあるわけです。行政上の責任も、おのおのの段階において、そういうものが起きてくれば、それはとるべき場所がきまっておらなければならぬと思いますので、それらを一つ法律条項の上で、この法律によるからこうだということでお答えを願いたいと思います。
  14. 野木新一

    野木政府委員 形式的、抽象的な法理論としての問題になりますから、私の方から申し上げます。もちろんこれから申し上げますことは、純粋な、理論的な問題でありますから、実際の事件があった場合に、果して証拠等関係ですべてがそうなるかどうかということは、これは全然別の問題であります。まず、第一に、学校給食の問題の総括責任者は、ただいま文部省の方から申し上げたように、学校給食法等によりますと、義務教育学校設置者ということになるだろうと存じます。そのもとにおいて、実際の管理をしておるのは、先ほど申し上げました地方教育行政組織及び運営に関する法律二十三条十一号ですか、それで、「学校給食に関すること。」というのが教育委員会職務権限になっております。これは長の方ではなくて、教育委員会側になっておる。教育委員会がこの権限をどうしてこうなっているかということにつきましては、先ほど申し上げましたように、地方教育行政組織及び運営に関する法律の中にあるわけであります。そういうもとにおきまして考えますると、まず刑法上の問題でありますが、これはやはり御指摘のように、論理的には、刑法の二百十条ないし二百十一条の過失傷害過失致死というか、むしろ業務上ということになるかもしれませんので、業務過失傷害過失致死という問題になると存じます。刑法の問題は、あくまでも今の刑法個人責任立場をとっておりますから、具体的な場合において、だれの過失によってその中毒が生じたか、だれが義務を負っていて、その義務を怠ったのはだれであるか。それとその中毒との間に相互関係があるかどうかという、そういうのが具体的証拠によって探求せられて責任者がきまることになると存じます。従いまして、普通は教育委員会委員長とかなんとかいうのが刑法上の責任を負うということは、実際問題としてはない。やはり具体的にその場合に密着したものについて論ぜられるのが普通だろうと存じます。そういう意味から、団体とかあるいは教育委員会とかいうのが刑法上の責任を負うことは、まあ実際上また理論的にいっても、ほとんど考えられないのでございます。これは個人責任であります。それから次に、損害賠償の問題でございますが、これもこの前触れましたあの問題と同じことでありまして、結局実際の給食に当る者はその団体の職員になるわけでありますので、民法七百十五条ですか、あの規定が働きまして、これは結局民事法上の損害賠償ですから、団体責任というものが追及される場合でございます。もちろん民法でいきますと、不法行為者自身、これも個人的責任も今の建前では追及される場合もありますが、しかし団体責任は、この前申し上げた七百十五条で損害賠償責任を負います。これはもちろん教育委員会が負うとか長が負うとかそういう機関が負うのではなくて、団体自身が負う。従いまして訴訟におきましても団体が被告になる、そういう関係になります。それから次に、行政上の責任と申しますと、これも先ほど校長等の援用で言った場合と結局同じことになるのじゃないかと思いますが、それぞれの段階々々においてそれぞれの担当の責任があるわけでありまして、あるいは責任が競合することもあるし、そうしてその責任を負ったことが事情がはなはだしければ、懲戒とかなんとかいう問題が起きる、あるいは政治的には地方議会で取り上げられていろいろな追及をされる、そういうことになるのではないかと存ずる次第であります。
  15. 堀昌雄

    堀委員 そこで、実は今の給食関係の問題にはこういう関連があると思うのです。設置者地方教育委員会の問題は、この地方教育行政組織及び運営に関する法律の二十三条によって、大体管理執行教育委員会にまかしておる。そうすると、その地方教育委員会学校長との間においては、さっきの学校教育法関係から、校務を処理するということでここまでは何らかの法律的な関係がくっついてきておる、これはわかります。その下の給食婦というのは、ここは法律的な問題がない。現在は給食婦というものの身分もなければ何もない。これは任意な従業員で、それの雇い主の主体というのは一体何かということが、ここで私はやはり問題になってくると思うのです。その給食婦身分というものは法律的に何も書かれていない。こういう状態の中で、一体雇用主体はそうするとどこになるか。この給食婦を雇っておる雇用主体というのはどこになるかということです。
  16. 清水康平

    清水政府委員 給食に従事しておられる人は約四万以上ございますが、今御指摘通り、私ども調査によりますと、大部分の人は雇員用人に任命せられておるわけです。その限りにおいては身分の所属ははっきりしておりますが、遺憾なことに八千二百何名の人は雇員でもない、用人でないので、その他ということで身分がはっきりいたしておらない人があるわけでございます。この点はまことに遺憾でありますので、この問題とは別でありますが、この点はできるだけ私どもとしては身分の安定と待遇の改善については努力いたしたいと思っておるわけでございますが、そういう人たち法律上の立場としてはどうなるか。身分用人とか雇員とかいうふうにはなっておりませんけれども設置者から、非常勤、臨時として名前をつけられておりませんが、任命されておるわけでございます。従いまして、そういう人たちも、たとえば月に何回検便しなければならないというふうに指示されておるわけでありますから、その人たち故意または重大な過失によって生じた場合は、民法七百十五条でできるのじゃないかと私は考えておる次第でございます。
  17. 堀昌雄

    堀委員 地方公共団体雇員または用人になっておれば、これはやはり公務員としての問題に私はなると思うのですが、今の八千人は給与も何も地方公共団体が持たないで、しかしその身分地方公共団体が見るということですか。そういう法律的な何らかの根拠がございますか。これは実はあとに非常に問題が起きて参りますのは、賠償問題については、公務員については国家賠償法関連が出てくると思うのですが、公務員でなければ民法七百十五条によらなければならぬということです。そうして民法の七百十五条によると、その使用しておる者の監督の問題もありますが、その人たち法律上では、使用しておる人たちのことに対して補償をするあれを持っているわけです。そういうことになってくると、同じ給食をやっておる人たちの中に、そういう片方国家賠償法とか、あるいはそういうことによって免責というか、個人としては責任を追及されないが、片方のものは個人としての責任を追及せられる可能性法律上に明らかになっておる、こういう状態の中で、あなたが今おっしゃった、それはあくまで地方公共団体設置者身分上の責任まで負えという何か法律的な根拠があれば一つ出していただきたいと思います。
  18. 清水康平

    清水政府委員 約八千二百何名の人が今申し上げた通りでありますが、待遇は御承知通り低いのであります。それは、私ども調査によりますと、全額じゃありませんけれども臨時費その他でもって設置者が出しておることは間違いないのでございます。ただ不足分PTAその他からやっておるようでありますが、いずれにしましても待遇の悪いことは事実でございます。身分関係におきましてはすべてこれは民法関係でありまして、国家賠償法ではない、国家賠償法の第一条は公権力行使であり、国家賠償法の第二条は営造物の問題でありますから、それはやはり民法七百十五条の被用者に該当しておると考えます。その場合は設置者責任を負うべきだと思っておる次第であります。
  19. 堀昌雄

    堀委員 今の答弁の内容は事実に反している点があるのです。私のおります尼崎市におきましては、学校給食給食婦人たちの過半数は全部PTAの会費によるか給食会計の中で雇っておるのであって、地方公共団体では何ら見てないものが半ば以上あるという事実がある。私も長年PTAの会長をしておりましたが、私の学校でもそういうものが給食会計から二名、それからそれでもなお足らないから一般会計から一名、PTA会計から一名使っておるわけであります。これらの人の身分は全然雇員でもなければ用人でもない、こういう状態のものがあるのです。現在の雇員用人になっておる人間の数であの学校給食ができるかできないかということは、現場をごらんになればよくわかることであって、それはできないのです。八千人というものは私はまだ少いと思うのです。もっとたくさんいるのではないかというふうに私は考えておるのです。そうすると雇員用人というのは、あなたの今の御見解ではもう公務員じゃないということなんですね。あなたさっき雇員用人であれば——地方公共団体公務員だと私は思うのですが、国家賠償法第一条で「国又は公共団体公権力行使に当る公務員が、その職務を行うについて、」云々と、こう書いてあるのですから、だから雇員用人というのはもう公務員ではない、一般私人だというふうな御見解ですか。
  20. 清水康平

    清水政府委員 私の理解しておるところがもし間違っておりましたら訂正いたさなければならぬと思っておりますが、雇員用人の方はやはり地方公務員でございます。決して私は地方公務員でないと申し上げた記憶はないのであります。ただ国家賠償法の第一条でいう公権力行使する公務員でないという意味合いで申し上げておるわけです。ただその場合、国家公権力の発動として、たとえば先般法制局からもお話がありましたが、学校先生児童生徒に対して懲戒権を有する、その場合にやはり限度がありまして、体罰を加えたといった場合に、体罰を加えてそのために災害を発生したという場合には、国家賠償法第一条の公権力行使というふうに解釈されるのではなかろうかというふうなことを申し上げておる次第であります。
  21. 堀昌雄

    堀委員 そうすると、民法七百十五条は「或事業ノ為メニ他人使用スル者ハ被用者カ其事業執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス但使用者カ被用者選任及ヒ其事業監督ニ付キ相当注意ヲ為シタルトキ又ハ相当注意ヲ為スモ損害カ生スヘカリシトキハ此限ニ在ラス」というのがありまして、「使用者ニ代ハリテ事業監督スル者モ亦前項ノ責ニ任ス」、次に「前二項ノ規定ハ使用者又ハ監督者ヨリ被用者に対スル求償権ノ行使ヲ妨ケス」、こういうふうなことになっております。そうすると雇用、用人の場合は、これは雇い主がはっきりしておるわけです。これは明らかに設置者なんですから、これはいいわけなんですが、今給与も出しておらなければ何もしていない、事実上私のところの学校あたりで使っておる給食婦身分上は何もないのですよ。率直にいって雇主の主体がどこになるかというと、これは今の段階では法律的にわからないのじゃないか。要するに、学校給食設置者がやるのだ、あるいは地方教育委員会執行するのだという段階になれば、教育委員会以下で雇っておるものについては法的な責任がなくなる。要するに学校給食の費用を余分に集めた中で雇った給食婦、あるいはPTAの会費によって充てておる給食婦というものの使用者とは一体だれなのかということですね。そこの点を一つ伺いたいのです。問題が起きた場合、今の場合四名いて中の二名が雇員用人だ、しかしあと二名いる場合には、赤痢のような中毒の問題はいいのですが、そうでなくて食品購入その他の場合になりますと、一体だれがどうというわけにいかないと思うのです。その場合には、やはり損害賠償が起きてきたとするならば、その使用者が一応それらの対象になる、その場合の使用者というものは、じゃどういうふうに考えるかということについてお答えを願いたいと思います。
  22. 清水康平

    清水政府委員 今の御指摘雇員でも用人でもないという人たち身分は、なるほど御指摘通り辞令も私は出ていないだろうと思います。しかし実質上使用者、設置者が雇われている、いわゆる民法七百十五条の被用者に該当すると私どもは解釈いたしておるわけであります。
  23. 堀昌雄

    堀委員 そうすると、これは局長さんあれですよ、ここでただ質疑応答で流れるものでないと御理解いただきますよ。これは今後のこういう問題の全体をただいまの質疑で規整をするのだ、要するにそういう事故が起きたときには、あなたの御答弁によって、これは設置者において使用者であるということを一つ確認できるかどうか伺っておきたいのです。
  24. 清水康平

    清水政府委員 もちろんただいまの問題は法律問題でございまして、かりにそういう人たち故意または過失によってそういう災害が発生した場合という前提でございますが、私といたしましては、一応そういうように申し上げたわけでありまして、この点は判例その他を見て考究しなければならぬ問題であろうと思いますが、私どもといたしましては、一応七百十五条で参るのではないかと思っておるわけであります。
  25. 野木新一

    野木政府委員 御議論の問題はなかなかむずかしい問題でありまして、私の研究もまだ不十分な点があるかと存じますが、民法七百十五条の「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者ハ」という場合——給食事業は結局学校給食法によって学校設置者がやっておる事業である、それに雇員とか用人とかいう身分を持たないけれども使われて、実際の使用関係にある、その管理のもとに服して学校給食に従事しておる、そういう場合は、これはまた判例、学説をなお調べてみなければなりませんが、これはいろいろの議論のあるところでございますが、しかし私としての、まあ法律家としての判断ではやはり七百十五条の、「或る事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者」そこにやはり解釈上当るのではないか、一応そう思われますので、今の段階では一応そうお答えしておきたいと存じます。しかし非常にむずかしい問題でありますから、なお研究はしてみたいと思います。
  26. 堀昌雄

    堀委員 それは一応判例その他があるかもわかりませんので、詳しいことは後日にお調べを願って一つお答えを願いたいと思います。これはそういう状態給食を置いてはいけないのじゃないか、学校安全という建前からして、こういう法律を出す機会に、学校安全についての責任が全うできるような、少くとも行政上の体系が整えられるようにすべきではないか、そういうふうな身分のはっきりしない者を使って学校設置者が行うことは非常に遺憾であると思います。しかし問題は、現実がそうなっておる以上、その場合における責任所在をはっきりしなければ、それが非常に不分明なために、たまたまその雇れわておる当事者が損害賠償の責に任じなければならぬということになれば、それは重大な問題だと私は考えるわけです。行政上の手落ちが個人に対して非常な損害を与えるということでは困るので、その点につきましては、体育局長の方においても、これは一つすみやかに、少くとも学校給食現実に行うに足るだけの給食婦を置くように考えていただきたい。現実の問題の中では、場所によってはお金がないから、学校の父兄がこの給食を手伝っておるところもままあるわけです。父兄がやっておるなんということになれば、問題はさらに複雑になって、ここには雇用関係もない。そうしてたまたまその父兄などの身体検査をちゃんとやろうにも、毎日心々変った人が出てくるという状態の中で、事故が起れば一体だれが責任を負うのか、これから非常に全国に給食が広がるという時期において問題があるわけですから、その点は特に御注意を願いたい。
  27. 清水康平

    清水政府委員 ただいま御指摘の点は全くおっしゃる通りでございまして、私どもといたしましては、学校給食に従事している人たち身分待遇については、ことにこの法案が出ます際でございますので、整備充実していかなければならないと思っております。そこで御承知と思いますが、昨年の昭和三十三年度から一人九万二千三百何十円でございましたか、地方交付税交付金でもって見ておるわけでございます。それは十八学級九百人に対して一人、大体十二億見ております。しかしながら九百人に対して一人ではとても足らぬ。現状を見ますると、これではいかぬ。それで関係方面とも折衝いたしまして、三十四年度からはさらにまた九万二千三百幾ら、一人追加いたしまして、また大体十二億、全部で二十四億を三十四年度から見るとことにいたしておるわけでございます。しかしこれも私どもは満足いたしておりません。少くとも三百人に一人ぐらいは地方交付税で見てやる必要があるのじゃないかと思って、これから努力するつもりでございます。それから先ほど御指摘になりましたが、私らの調査によりますと八千三百何人というものの身分が不安定でございますので、今度三十四年に一人ふえますけれども、来月の中旬ごろ主管課長の会議を開きまして、八千何百人の人たち身分の安定と、それから十二億ふえたのでございますので、待遇の改善については鋭意努力してもらいたいということを各府県の意向も聞いたり、こちらの意向も伝えて強力に指導して参りたいと思っておる次第でございます。
  28. 堀昌雄

    堀委員 そこで学校給食の中でやはり問題が起きますのは、今の点と、もう一つは、さっきあなたのお答えの中に、中毒その他の問題については不慮の災害だとか原因の不明な場合が多い、こういうお話であった。ところが実態を調べてみますと、野菜とかあるいは生鮮食料品を買う場合には、業者との間に学校長が適当に買い入れの契約をするというか、それは学校長が一方的に大体きめておるというような具体的な事実があるだろうと思うのです。そういう状態の中で、業者の側としては、そのときの売れ残ったものをとかく学校給食として一括して回しておるという事実が相当見受けられる場合があるわけです。こういうことになれば、不慮の災害または原因不明というような問題ではなくて、これは大いに問題があるわけなんです。その問題は一体どこにあるかというと、その個々の問題の前に、学校長が一体どういう業者を指定するかというところにすでに前段の問題があって、正当にちゃんとした業者を予約をしておればそういうことは起きないわけです。ところが実際に中毒が起きたりいろいろしていても、業者を変えられたりすることがきわめて少い。それについての監督権がどこにあるかということを調べると、地方教育委員会といえども、一々そこまで介入しておらぬというのが実情のようです。学校給食に関しては管理または執行することができると、教育委員会法にはなっているけれども、実際上としてはそこまでやってないというのが現実の実情だと思う。たとえばそういうことの一つの例は、給食用パンの指定をする場合においても給食用パンの指定については学校長に一任されておる、地方教育委員会は何も関係なくて、県の教育委員会学校長との間で、パンの委託工場についての契約が行われるようなかっこうになっている、こうなるとさっきのような場合に、順序は設置者で、その次が地方教育委員会校長という仕組みがあるにもかかわらず、問題によってはその業者と校長ということだけで処理される、あるいは校長と県の教育委員会ということで処理をされる、しかし事故が起きたら責任の最終点は設置者である、あるいは地方教育委員会であるという事実が起きることになる、ここらは私は非常におかしいと思うのですが、あなたの方はどうお考えになっておりますか。
  29. 清水康平

    清水政府委員 ただいま御指摘の点は、それぞれ各県によって違うかと思いますが、今御指摘のような点がございますれば、この点は指導して参らなければならぬと思っております。ただそこで私ども考えておりますのは、業者の指定でございます。指定する場合には、よほど細心の注意をもって慎重にやることはあらゆる機会に通知してあるわけでございます。パンの契約でございますが、これも長い間それだけによってしまうということは、マンネリズムに陥ると申しますか、なれ合いになってしまうから、それも注意してもらいたいということをそのつどやっておるわけでございます。それから物を購入する場合に、余ったもの、腐ったものを、自分ではそう思わないで新しいものだと思って買ってきたというようなことがあってはならないのでございまして、その点も注意してございますが、たとえば給食を与えます際に、たくさん買い入れ過ぎていろいろなものが余るわけです。そうすると、たとえば学校に冷蔵庫なんかある場合にそれを入れておく、もったいないからというのでそれを翌日また食べる、ところが毎日食べるA型の給食ならよいけれども、C型なんかになると一日置きになる、そうすると学校の冷蔵庫に入れておいたという気持はよいが、それが果してよいであろうかどうか、むしろ学校では必要なものをその日に買って、その日に食べてしまうというようなこまかい注意をしている次第でございますけれども、なお御指摘の点については、今後十分注意して指示すべきものは指示して漸次改善して参らなければならぬと思っております。
  30. 堀昌雄

    堀委員 ここで私がこの前ちょっと質問いたしておきましたことについて、お答えを保留されておったのをちょっと伺いたいと思う。日本学校給食会の決算の中で、未収金が出ているということをこの前申し上げておいた、事業外雑収入として未収金が出ている、この間ちょっと途中で給食会の方がおいでになってのお話では、この未収金のうちに昭和三十二年度の分は愛知県、埼玉県、福島県の三県で、これが二百何万円の未収金、こういうことになっているようですが、毎年々々未収金といいますか、用途外使用に伴う弁償金というものの項目が並んでいるわけです。これは今度は学校給食行政監督上の問題として、一体どういうことになるのか。ここで用途外使用に伴う弁償金というのは、輸入された脱脂ミルクが正当なこと以外に使用された場合に、関税法違反によって金が払われている、こういうことだと思うのですが、これが毎年ずっとあるわけですね。そして未収金は未収金としてここに積み上って、七百六十万円、学校給食会は、未収金、赤字をかかえておるということですが、今後これは一体どうなるのか、行政上としてはどうなるのか、これを一つ伺いたい。
  31. 清水康平

    清水政府委員 ただいま御指摘の、二百万一千円でございましたか、これは三十二年度分の関税の支払いのものの未収入金でございます。それ以前のものは三十一年度でございます。毎年毎年こういうようなものがたまっていったらどうなるのかという御指摘だろうと思うのでございますが、これは当時のことを申し上げますと、当時、そういう何と申しますか、正当の手続を経ずして不適品を流用した場合、それの関税はどうなるかと申しますと、これは、輸入を申告した者が支払わなければならないというふうに、当時の法律上には規定してあるわけでございます。それで、輸入した人はだれかというと、日本学校給食会でございます。そこで、学校給食会でそれを支払う、学校給食会は、今度は求償権を持っておるわけでございます。それが未収入金になっておるわけでございます。現在もどうしてそういうふうになっておるのかと申しますと、現行はその後改正されまして、不適品を用途外に使用する場合には、法律上は、変質その他のやむを得ない理由がある場合には、もちろん税関長の承認を受けなければならないということになっております。また承認申請者は、給食用ミルクの輸入者ばかりでなく、その他の配給機関、たとえば地方の、各県の財団法人学校給食会あるいはこの給食ミルクの給食実施している学校等がその承認申請人になっております。それが正当の手続を経ればよろしい。それから、その他承認を受けた場合、関税は徴収されるけれども、豚とか牛とか、そういう家畜の飼料とした場合には、減額、減免として取り扱うということが、関税定率法付則第十項にあるわけであります。しかし、これをこのままやっていきますと、かつての、学校給食会は善意でやって、その不適品を飼料に回そうと思っても、中に、業者が、飼料に回す回すと言って、ビスケットやその他に回すおそれもないわけではない、これでは困るというのでもって、三十三年度からは、実際の取扱いといたしましては、行政措置といたしまして、不適品は、中央にありまする日本学校給食会が全部回収いたしまして、そして魚粉その他をそこへまぜまして、いわゆる編成がえをいたしまして、そうして日本学校給食会において、税関に一括手続をとって、全部飼料に回すというふうにいたしておりますので、これがいい薬、と言っては何でございますけれども、頂門の一針になりまして、事後はそういうことはないと確信いたしておるような次第でございます。
  32. 堀昌雄

    堀委員 今のはよくわかりましたが、そうすると用途外使用に伴う弁償金の中には、不法なる使用と、適法なる使用と言うとおかしいのですが、不法ではないのだ、要するに不適品であったからこれを払い下げたんだ、それは正式にやって違法でなかったのに弁償金を取られておるものがこの中にあるのですが、これは一体——食課長がお見えになっておりますが、不法なのはどれで適法なのはどれか。長崎のは不法なことがわかっておるが、それ以外は全部適法かどうか、お答え願いたい。
  33. 清水康平

    清水政府委員 御指摘の長崎は、適品といいますか、それを横流しした不正の行為であります。埼玉がそうだったと記憶しておりますが、詳しいことは給食課長から……。
  34. 平間修

    ○平間説明員 今局長から申し上げましたように、長崎と埼玉県が適品を横流と、あとのものは一応飼料として払い下げた、こういう形になっております。
  35. 堀昌雄

    堀委員 さっき清水局長がおっしゃった、関税法の部分的改正が行われて、不適品の払い下げについては今後はこういうことがなくなるということはわかりました。しかし適品をこのように不正に払い下げるのが毎年あるわけですね。長崎であり、その次の埼玉であるというように、一年に一ぺんずつくらい起きているわけです。これは今の法律ではどうにもならぬのか。適品を不正に払い下げて用途外使用をやれば、これは関税法違反でやられるのでしょう。今の問題はそこまでは私は通用しないと思いますが、そこはどうですか。
  36. 清水康平

    清水政府委員 適品を用途外に使用した場合、これは改正されまして、従来はそうでなかったのでありますが、関税定率法によります罰則の適用がここにあるわけであります。それは五年以下の懲役もしくは五十万円以下の罰金、もちろんこれは併科できるわけであります。それだけでどうなるか。そのほかに今度関税法には百十八条でありますが、もちろんそういうものがありますれば、貨物の没収、または犯罪が行われたときの価格に相当する金額を追徴するという規定があるわけでございまして、そういう罪を犯した者はこの規定によって処罰されることになっております。
  37. 堀昌雄

    堀委員 罪の処罰は当然なんですが、関税法としては関税をとるのでしょう。
  38. 清水康平

    清水政府委員 その場合は関税を払うというのでなくて、貨物の没収あるいは全額追徴する、犯罪が行われたときの価格に相当する金額を追徴するということになっておるわけであります。
  39. 堀昌雄

    堀委員 ちょっとその法律は何ページですか、言って下さい。
  40. 清水康平

    清水政府委員 四百九十三ページ、関税法の百十八条になっております。
  41. 堀昌雄

    堀委員 ちょっと、今百十八条を見たのであれですけれども、これだけで今の問題がそういう形になるとは思わないのです。そこでこれはあとでもう一回詳しく調べますが、私はそういう用途外使用を行った場合における追徴であるとか、没収であるとか、あるいは刑罰であるとかいう問題のほかに、関税法違反としての一種の追徴金といいますか、この前に払っているのもそういう追徴金のようなものだと思うのですが、この日本学校給食会に払っておる関税法違反による金は、そういう形の関税だと思うのです。私はそういう違法行為があったときには、当事者の問題以外に、購入をした申請者にやはりそういうことが起るのじゃないかと思うのですが、その点については明確にないというふうにお答えできますか。
  42. 清水康平

    清水政府委員 関税法百十八条で一項が没収、二項が追徴、そのほかに輸入業者である日本学校給食会は、関税をやはり支払うべきじゃないだろうかというお話じゃないかと思うのでございますが……。
  43. 堀昌雄

    堀委員 払うことになるのじゃないか。払わなければけっこうですが、払うのかどうかということをはっきり……。
  44. 清水康平

    清水政府委員 それは払わなくて済むと私は思うのでございますが、百十八条があとで入ったものですから……。もし間違いならばあとで訂正をいたしたいと思っております。
  45. 堀昌雄

    堀委員 私まだしばらくやりますから、関税の関係者にはっきり払うものか払わないものか確認を質問中にしてもらいたい。払わないということならそれでよろしいのですが、実は払うということでありますと、なるほど当事者が罰金を受けたりいろいろして、その金は国に入るのです。そして関税法違反で日本学校給食会がまたその金をとられるということになると、これは別に給食会自体の問題でもないし、その金は要するに父兄の金なんです。全部これは父兄の金であるものを、ある第三者が不当な損害を与えておいて、なおかつその上に関税としては、国がまた父兄なり日本学校給食会から金を取り上げるということは、私は筋道が合わないと思うのです。だからそういう点は、この前の残っておるのにも問題があるのです。これまでの残高として……。
  46. 清水康平

    清水政府委員 今の関税は支払わないかわりに没収と追徴があると私は解釈しておりますが、今調査いたして御返事申しげ上ます。それから脱脂ミルクの横流しの場合、どういう場合が一番多いかと申し上げますと、結局業者の手に入ったときに、これを横流しする事例が多いわけでございます。普通脱脂ミルクというのは、学校でそれを脱脂ミルクとして飲む方が多いのでございますけれども、ときたま脱脂ミルクをパンの中に何がしか入れるとパンがおいしくなるという意味合いで、学校長が契約しているパン工場へ脱脂ミルクを少し持っていって、小学校児童の百グラムの中にこれくらいの脱脂ミルクを入れていただきたいといって向うへ渡すわけです。そうすると製パン会社の方は、その中にそれじゃ入れますよといいながら、それを全部入れなくて、わきに回したり、一部をわきに回したということが、一つの事例でございますが、わかったわけでございます。それで少しでも脱脂ミルクをパンの中に入れるとおいしくなる。だけれども、そういう脱脂ミルクをわきに流す危険があるというので、ただいまでは、幾らおいしくなるからといっても、脱脂粉乳をパン屋に持っていって入れてもらうというようなことはやめるようにというふうに指示、指導しておるわけでございます。
  47. 堀昌雄

    堀委員 そうすると、私それは非常に少額なものだと思うのです。長崎のように四百四十一万二千円もの追徴をされたり、埼玉の百十五万九千円、この事業外雑収入、用途外使用に伴う弁償金のうち百万円をこえる額というものは、不正の場合に起きているのです。不正でないものは、たくさん項目がありますが、みなわずかなんです。そうすると、これは一体どういうことで起きたのですか。この長崎の場合と埼玉の場合は、そんな業者に渡ってから横に流れたようなものじゃないと私は思うのですが、ここのところは具体的にどうなんですか。これは今後も起る可能性のある問題点だと思います。
  48. 清水康平

    清水政府委員 長崎の問題はきわめて遺憾でございます。これは御承知通り、各県に、日本学校給食会とは別に、独立した財団法人の学校給食会があるわけでございます。その学校給食会がそういう適品をわきに不正横流しをしたという刑事犯罪でございまして、まことに遺憾に思っておる次第でございます。あからさまに申しますと、全国に何々県学校給食会というのが四十六県にございますが、現在まだ財団法人にすらなっていないが、六つあったわけでございます。財団法人は各県の知事によって認可されているわけでございますが、財団法人でないというと、経理状況その他が非常にまずくなる、監督もできないというのでもって、各県の学校給食会で財団法人になっていないものは、至急財団法人にかえるように強力に知事に指示いたしまして、この四月からは財団法人になると思います。しかしながら、この何々県学校給食会の適正公正な運営につきましては、あらゆる機会を通じまして、適正運営につきまして指導監督して参らなければならぬと思っておるわけでございます。
  49. 堀昌雄

    堀委員 大臣がお見えになりましたから、大臣にお伺いをいたします。実は今学校給食の問題に触れておるのですが、長崎県と埼玉県で不正な行為に基いて学校給食用の脱脂ミルクが横流しになっておる。そのために、都合約五百五十万円ばかりの関税を再度とられて、それを日本学校給食会が払って、それは日本学校給食会の未収金になっておるという事実があるわけです。そこで私、今、清水さんにも言っているのですが、日本学校給食会の資産というものは、児童、父兄が大体金を集めて、それに基いて給食が行われておる。それで政府はこれについては事務費の一部を補助していらっしゃるかどうか、その程度じゃないかと思うのであって、内容についてまでは皆さんの方は何ら財政的な援助をしていない、そういう段階なんです。そこで不当なる行為によって第三者がこの日本学校給食会に対して、あるいは父兄全般に対して損害を与えておるということが起きておる。そうしてその損害を取り上げたものは何かというと国なんです。関税法違反ということで国が五百五十万円取り上げた。これは未収金で残っておる、こういう状態があるわけですが、一体これはずっと最後まで未収金として児童、父兄の負担のままで置いておかれるのか。この問題はどういうふうにお考えになりますか、大臣にお伺いいたします。
  50. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 私は実はその事実はあまりよく存じませんでしたけれども、これはまことに申しわけのない、はなはだ遺憾なことでございます。こうしたものにつきましては、欠陥についていつまでもほっておくわけにいかぬと思います。国としても何らかの考慮を払ってこれを消すように配慮しなければならぬと思っております。
  51. 堀昌雄

    堀委員 消していただくというなら私は大へんけっこうだと思いますので、それはそれとして伺っておきまして、さっきもう一つ伺っておりますのは、今後こういうことがあった場合には、これはもう日本学校給食会の方で関税を負担しなくてもいいんだろうという局長のお答えですが、そこがちょっと確認されておりません。確認できましたか。
  52. 平間修

    ○平間説明員 従来は確かに輸入申告をした者が関税を払うという規定でしたが、これが全面的に変りまして、(「いつから」と呼ぶ者あり)三十一年の五月でございます。この長崎事件以下の問題が起ったときは、三十年の末から三十一年の年頭にかけてでございます。この問題が契機となって、三十一年の五月に改正になりました。今後は横流しした者が罰則を受ける、この規定だけになりまして、従いまして輸入した者というのは関係なくなりました。横流しした者がその罰則を受ける、追徴を受ける、こういうふうにはっきり規定されておるわけであります。
  53. 堀昌雄

    堀委員 それではちょっと伺いますが、埼玉事件はいつ起きたのですか。
  54. 平間修

    ○平間説明員 これはやはり三十年の暮れ近くだったと思います。
  55. 堀昌雄

    堀委員 三十二年の決算に出ているのですがね。三十二年の四月から三十三年の三月までの決算に出ておるが、事実は三十年だということですね。三十一年の五月に法律が改正されておるのだから、これはそれ以前の問題なんですね。それでは今度はもとへ戻りまして、第一条に児童等の負傷、疾病とあるわけですが、疾病の範囲、期間、これを具体的にどういうふうに考えておられるか、一つ伺いたい。
  56. 清水康平

    清水政府委員 第一条の「負傷、疾病、廃疾又は死亡」この内容につきましては、十九条第二項に「前項の学校管理下における児童及び生徒災害の範囲については、政令で定める。」という規定がございます。政令でもって定めたいと思いますので、その政令で定める予定のことをここで申し上げたいと思います。まず第一に、学校管理下ということが問題になりますので、順序としてその方から申し上げたいと思います。さもないと、同じ疾病でも、全部取り上げるわけに参りませんので政令といたしましては、学校管理下の範囲といたしましては、教育課程の実施中、これは当然入るわけでございます。それならば教育課程の実施とは何かと申しますと、これは申し上げるまでもなく、各教科、道徳、特別教育活動、あるいは学校行事等が入るわけであります。学校行事が入りまするので、運動会、学芸会、修学旅行あるいは学校給食、あるいはまた健康診断というようなものが、この教育課程の実施中に入るわけであります。これは何と申しましても、学校管理下の中の主要なものでございます。それからそのほかに、学校の休憩時間中も入る予定でございます。私ども調査いたしますと、児童生徒災害の一番発生する時間は、休憩時間中でございます。この休憩時間中を学校管理下の中にもちろん入れる。それから授業開始前と終了後。もちろん児童生徒は早く学校に行き、授業を終っても学校におります。しかしいつまでも、夜おそくまでというわけに参りませんので、授業開始前及び終了後における在校中で、校長が一般的に承認している場合、これも学校管理下の中に入れる予定でございます。それからもう一つは登校、下校の場合でございます。学校へ登校し、それから帰宅するための通常の経路中、これも学校管理下。以上が学校管理下というふうに解釈しておるわけでございます。言いかえますれば、教育計画上の拘束時間その他の学校の教育に関連する範囲を考えているような次第でございます。それで次に、それでは災害の範囲はどうかという問題でございますが、負傷といたしましては、ただいま申しましたような学校管理下で発生したもので、医療に要した費用が百円以上のものを、ただいまのところ考えておるわけでございます。それから疾病でございますが、これは学校管理下でどれとどれが疾病であるかということは非常にむずかしいのでございますが、ただいまのところ政令で考えておりますのは、学校管理下で発生した食中毒、これは学校給食が中心になるだろうと思いますが、食中毒などを考えております。それから廃疾でございますが、これは申すまでもなく、やはり学校管理下において、負傷がなおった場合において所定の程度の身体障害が存するものでございます。もう一つは死亡でございますが、これは学校管理下において即死した場合、あるいは学校管理下における負傷または廃疾によって、その結果死亡した場合、以上が学校管理下と、それから災害の範囲でございます。
  57. 堀昌雄

    堀委員 障害の問題は、これはきわめて簡単ですから範囲に入れるということはいいと思いますが、疾病については私は非常に問題があると思います。たとえば今あなたは食中毒を考えていると言われましたが、そうすると、食中毒以外はいけないのかということになります。ところが食中毒以外にいろいろ学校管理下において起る問題がある。たとえば最近小学校、中学校ではよく耐寒訓練と称して、かけ足などやらせる。この場合間々そのために極度の心臓障害を起して、極端な場合は死亡するというような事故も起るし、そのためにその運動中に倒れる、それがもとで疾病が起る場合、これは相当ある。あるいはまた、かぜを引いておるのにみなを走らせる。走って学校へ帰ったときは急性肺炎の状態を起して、学校で寝込んでしまうというようなこともあり得る。疾病の範囲については私は相当に、個々の問題については問題があろうかと思います。今のは当然これの中に入ると思うんですが、問題はこの疾病の範囲をもし政令に書かれるとするならば、少くともこれとこれとこれとというような書き方ではいけないのじゃないか。要するに学校医と学校長が協議の上、学校管理下における災害と認めるというようなことを当然加えなければ、法律だけでそれを規定したり、あるいは定款その他だけでこれが規定できるようなものではないと私は考えておりますので、その点については一つ政令をお書きになるときに、要するにそれは医師の判断というものが優先をする、その医師の判断については、学校保健法に定めるところの学校医がその学校医の立場において認定をするものについてはこの範囲に含めるのだということを、一つお考えを願っておきたい、こういうふうに思うわけです。その次は第十条にいきまして、「役員は、文部大臣が任命する。」と書いてあります。これは私のひがみかもしれませんが、日本学校給食会法を見ても、表現は少し違うのですが、学識経験者の中から文部大臣が任命する、要するに何が文部省でお作りになる学校関係は、それ以外にもいろいろありますが、もっぱら文部大臣が一方的に任命するわけです。そうすると、文部省でそろそろ行き場がなくなったときには、これは一つ文部大臣が任命するというようになる可能性が非常に多いと思うのです。この間たまたま新聞を見ておりますと、国立劇場について、大へんたくさん給料をもらえる人が一ぱい出ていて、まさに国立劇場は文部官僚の姥捨山として出現したということが新聞に伝えられておりました。これはその金額を見たら、ほとんど大臣、次官くらいの給料をもらう人が国立劇場の役員になる、もうちゃんときまっておる。そういうことについて、果して文部省で、たとえば次はだれが行くのだというようなことがあるのかないのか、そういうことについての心がまえを一つ大臣に伺いたい。
  58. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 こうした特殊法人の役員につきましては、その目的に照らして適任者を選ぶのに十分慎重を期さなければならぬと考えております。特に文部省の役人を埋めくさに入れるということは考えてもおりませんし、また文部省の役人の出身であってはいけないとも考えておりません。真剣に適任の人を選びたいと思っております。それから国立劇場の問題も、世間ではやしておりますが、これは皆さんに御協力を願って設計のアイデア等をよどほ練っていかなければならぬ状態でございまして、これはずっと先のことでございます。ことに国立劇場の問題については、単に建物の管理ということでなしに、国立劇場の運営をやりますので、これはよほど高い芸能的感覚が必要だと思いますから、国立劇場の運営者といったようなものについては、これこそ、ほんとうに、よほど衆知を集めて人材を練らなければならぬと思っておる次第であります。
  59. 堀昌雄

    堀委員 おっしゃるように、私は今の大臣のお言葉をそのまま受け取りますから、一つ実行の上におきましても、そのように全般的にお願いをいたしたいと思います。その次に、第十三条の第二項に、「自己の営業に関し、安全会と取引してはならい。」こういうことが書いてあります。一体「自己の営業に関し、」とは何でしょうか。安全会と取引をするというふうになっておりますが、これはどういうことを考えておられますか。
  60. 清水康平

    清水政府委員 第二項のこの趣旨は、役員は全部専任でございません。私ども、専任は理事長と常務理事それから監事一人というふうに考えておるわけであります。それ以外の兼任の人は、この安全会の業務に支障がないと認めた場合には、文部大臣の許可を得てできるわけでございますが、しかしその場合に、安全会のやろうとする仕事と、そういう非常勤の人との利が相反する場合が観念的にないとは言えない。たとえば安全会でもって印刷をしたい、ところが非常勤の役員の中に印刷屋さんがおったような場合、その印刷屋と印刷の取引をすることはやめたらどうかということでございます。こういうのは、私の知る限りにおいては、数年前の特殊法人にはこういう規定はなかったようでありますが、最近これを入れるようにいたしておるのでございます。
  61. 堀昌雄

    堀委員 次は第十九条に、「前条第一項第二号に掲げる災害共済給付は、義務教育学校(以下「学校」という)の管理下における児童及び生徒災害につき、学校設置者児童又は生徒の保護者の同意を得て当該児童又は生徒について安全会との間に締結する契約により、政令で定める基準に従い定款で定めるところにより行うものとする。」となっております。そこで「児童又は生徒の保護者の同意を得て」というのは、どういう形の法律的な仕組みで保障されておるのかということを一つ伺いたいと思います一
  62. 清水康平

    清水政府委員 日本学校安全会の基本的な考えと申しますか、将来の発展ということは別といたしまして、設置者、保護者それから国がそれぞれの立場でもって資金を出し合いまして、そうして教育的な配慮によって設けられました公共的な質性を持っておる日本学校安全会をして安全事業災害共済給付事業をさせようというところがこの出発点でございます。それで父兄の同意の方法はどういう仕組みかということでございますが、これはごらんの通り、この設置者がやはり法の中心でありますが、設置者は、公共的性質を持っておる特殊法人と契約をする契約の当事者が設置者である。しかしながら掛金もその全額を設置者が払う。しかしまた掛金の中で必ず設置者は何がしか持つというのが三つの大きな点でございますが、その点が純然たる保険業法とちょっと違う点でありますが、この場合、法律はそういう建前であっても、これは強制加入ではなく任意加入であります。それから設置者が必ず掛金は持つのだけれども、一部は保護者も持つ。この考え方は学校安全教育と安全管理に御協力と申しますか、御理解を願う意味合いもあって何がしか出していただく。しかし任意加入であって強制加入でない。それから何がしか掛金もちょうだいする意味合いから同意を得るということになったのでありますが、それならばその同意をどうするかという問題だと思います。これは設置者がそういうふうな責任を持つわけでありますけれども設置者と申しましても、先ほど申しました通り、市町村というものは法人でありまして、実際これをだれがやるか、設置者である人がやるか、あるいは機関である教育委員会がやるか、それは教育の管理機関である教育委員会でやるのが適当であります。それでその点をどういうふうにやって同意を求めるかということは教育委員会で決定せられるはずであります。しかし私どもここで考えます実際上の運営は、教育の管理機関である教育委員会学校長に委任いたしまして、そうして学校長PTAその他の同意を得てお入りになりますか、なりませんかと聞かれて、それを設置者教育委員会の方に報告をするようになるのじゃないかというふうに思っておる次第でございます。
  63. 堀昌雄

    堀委員 法制局に伺います。今の問題はまことに常識的なお話であって、法律を論議する場所では通らない理屈だと思うのです。そこで法制局の方にお伺いいたしますのは、法律的にここに生徒、保護者の同意を得て設置者が安全会との間に契約を締結するということになりますと、これは契約の締結の一つの前提条件になるこの同意が、法律的に有効か無効かによって安全会と設置者の間の契約は無効になるのじゃないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  64. 野木新一

    野木政府委員 なかなかむずかしい問題を含んでいると存じます。同意を得て締結する契約でありまするが、契約するに当りましては同意を得ていなければならないわけであります。しかしながらかりにしないでやった場合、あるいは同意を得た場合にあとで同意を撤回できるとか、いろいろな問題があった場合どうするか、いろいろな場合がありますが、それを保護者の中の一人だけ同意を得ないで契約をやったという場合に全体の契約が無効になるかどうか、そうしてまた追認の問題、同意がなくてあとで同意を与える、保護者が追認したというようないろいろな法律問題がからまってくるわけでありますが、まず第一に、かりに全部の同意を得ないで契約を締結したならばどうかといえば、極端の場合ですが、しかもあとで追認のない場合どうかということになりますと、これは結局契約が効力を生じないのではなかろうかと存ずる次第でございます。
  65. 堀昌雄

    堀委員 私は法律の建前はそうだと思うのです。そうしますと、その同意を得ておるということが法律的に契約によって確認をされてこないと、ただ同意を得ましたという報告が出たというようなことが、この法律に定める同意を得るという条件になるほどのものではないと思うのです。当然ここに「生徒の保護者の同意を得て」ということは、少なくとも法的に生徒の保護者がこの項については同意をいたしますという何らかの文書的な契約が行われておらなければならないと私は理解するのですが、それについて法制局側の見解を伺います。
  66. 野木新一

    野木政府委員 純粋に法律論的にいきますれば、同意を得るというのは保護者と学校設置者との間に意思の合致がなければなりません。しかしながら意思の合致があったことを証明するにはどうかといいますと、これは別に様式法にはなっておりませんから、文書を取りかわさなければならぬということにはならないと思います。ただ文書を取りかわしておけば証拠になって完全ではありますが、それは口頭でも何でも、要するに意思の合致があればそれで論理的には足ると思います。
  67. 堀昌雄

    堀委員 法制局の方がお急ぎのようですから、法制局に先に伺います。そういうことになりますと、ここで問題にしていかなければならないのは、さっき体育局長も申しておりますが、この法律の仕組みが学校安全会と設置者との間の契約ということで書かれております。そうしてその対象は児童ということです。しかし掛金をかけるのは児童の父兄なんです。児童の父兄がかけた掛金を設置者が集めるようになる。設置者が集めて、設置者も幾らか出すでしょうが、ここからあとが法律に規定されておるわけであって、設置者から保護者との間の規定はこの法律の中にはない。そういうことになれば保護者の法律的な権利はどういうことになりますか。法制上の保護者の法律的な権利を私はこの法律に書かなければならないと思うのです。
  68. 野木新一

    野木政府委員 保護者はいわゆる契約当事者になっておりません。しかしながらこの十八条第一項二号に明記してありますように、「当該児童及び生徒の保護者に対し、医療費、廃疾見舞金又は死亡見舞金の支給を行うこと。」ということがありまして、一定の事故が起れば支給を受ける権利が保護者について生ずる、そういう仕組みになっておるわけであります。
  69. 堀昌雄

    堀委員 保護者に支払われるということはここに書いてありますが、しかしいろいろな問題についての保護者の権利を法的に何らの契約も何もなくて、同意をしたのかしないのかわからないような状態の中でもそれが生きてきますか。要するに私が伺いたいことは、御承知のようにこういうことになれば、これは個々の契約なんです。私はそう思うのです。保護者が金を払うのですから、たとい年額は幾ら少ないにしても、自分たちの子供を学校にやって、そこで起る災害、あるいは廃疾、死亡についての掛金を父兄がかける。掛金をかけるということは、もし問題が起ればそれに対しての要求権というか請求権がはっきり生じてこなければならない。ところが片方はごくあいまいに保護者の同意を得てということで、PTAの会長あたりが教育委員会に報告をしたというようなことで、保護者の同意が得てあるかどうかということは、法的にはどこにもないということになる。厳密に言うならば保護者一人々々が委任状を出して、それをPTAの会長が委任者となって、教育委員会との間に少なくとも契約を締結する程度のことはこの法律に書かれておらなければならぬと思う。大体問題のあるのは最終の保護者なんです。十八条であなたの言うように保護者に対して給付が行われる。給付を行うという相手方の保護者について法律の中に書かれておるのは、「保護者の同意を得て」というこれ一つしかない。あとは法律的な規制も何もされていない。少なくともこの問題については、文部省監督者としての責任もある、権利もある。監督についての責任がある。設置者もそれについての責任があるし、いろいろな権利がある。当然保護者もそれについての責任と権利があると思う。金を払わなければならぬと書いてある。金を徴収すると書いてある。設置者は父兄から政令で定められた範囲の中で金を徴収する。徴収を片方がして、徴収されるものの権利が何ら明記されないということは——あとで問題をずっと進めていきますが、問題が起きてくるわけであります。これについてこのような状態法律上の法文としてこれが正しいかどうか、法制局の方にお伺いしたい。
  70. 野木新一

    野木政府委員 いわゆる民法におきましても、第三者のためにする契約という理論がありまして、甲と乙とが契約をして、その契約上の効果として丙が権利を取得する、そういうような契約が法理としてあるわけでありまして、これもそれと性質を同じくするところがあると存じます。従いまして法律上の点につきましては別に疑義はないと存じます。ただ実際の運用上同意があったかどうかという点が争われると、証拠の問題になりますが、同意があったかどうかをはっきりさせる、そういう証拠方法をはっきりさせておくということが争いを防ぐためにも必要であると思いますが、法理的にはいささかも異例なものではないと考えております。
  71. 堀昌雄

    堀委員 そういたしますと、ここで私が今の関連でちょっと伺っておきたいのは、さっきから学校安全のスタートから伺っておりますと、いろいろな問題については設置者責任がある場合がある。学校の建物がこわれた、校長に早く直してくれと言っておるけれども、だめだ、一向直してくれなかった。教育委員会も、事情はよく話しておったから出しておるけれども設置者予算に組まなかった。設置者責任のある場合に、自分の方で——あとで認定をだれにするのかきめますけれども、その設置者が契約しているわけであって、父兄は外へはみ出しているわけです。利害の中心になる者が利害の相手方になる者と片方の契約をして、それが第三者に対して有効な権限を保障できると法律的にお考えですか。
  72. 野木新一

    野木政府委員 それは普通の第三者のためにする契約におきまして当然そういうことはあります。しかもこの場合においては、いま一つ「同意を得て」、父兄の同意がありますから、結局単なる第三者との契約の場合に、いま一つ何か父兄の同意という点でよけいかかっておりますから、問題は少いと存ずるのであります。
  73. 堀昌雄

    堀委員 問題は少いけれども、あるということになると私は理解しますが、よろしゅうございますか。
  74. 野木新一

    野木政府委員 法律的には問題ないと思います。ただ今言ったように、集団的の現象でありますし、しかも「同意」ということがあとで争いになった場合に、一体同意があったかどうかという点が結局問題になるわけであります。しかもそれは一人々々じゃなくて、集団的の現象でありますから、これははっきりさせておかなければそういうことが起るかもしれない。起った場合に何か同意があったかないか、そういう事実の認定でありますから、これは証拠によって認定する。証拠方法としてはいろいろあるわけであります。今言ったようにPTAの報告というのも、一つの証拠方法かもしれませんが、それは非常に薄弱のものであるとおっしゃるかもしれません。それは一々同意書をとっておけば一番いい証拠方法だと思います。そういう意味で、そういうことが一番望ましいかもしれませんが、それは実際の運用に当るそれぞれの人が、事件の起らないように実際の手続で処理していけばよいので、必ずしもこれは書面によらなければならないというように要式行為として法律で規制してしまうべきかどうか、そこまで必ずしもいかなくてもいいじゃないか、これはそういう原案の考え方であります。
  75. 堀昌雄

    堀委員 あなたは起らない方がいいだろうとか、そういう将来のことですからあれですが、法律というものは起り得るすべてのものに対処するために法律があるんじゃないですか。大体私はすべてのこれらの法律を見ておりますと、起り得る可能性の限界を全部埋めるというのが法律であって、もうよろしいんだ、ここらでよろしいんだという法律は、それじゃもうみんな行政者の一方的な委任にまかしたと同じであって、私は非常に問題があると思う。だから当然法制局のあなたが可能性があるということを予想される場合には、法律において保護者の同意を得るということについては、保護者と設置者の間において少くとも契約を取りかわすべきという一項がこの中にあってこそ、この十九条の精神の「保護者の同意を得て当該児童又は生徒について安全会との間に締結する契約」が生きるんじゃないか。少くともその規定ぐらいを入れることが、私は法律を書く側の保護者に対する当然の責務だと思う。そういうことが起きた場合に、PTAの会長が報告しておったということのために、いやそれは法的に大した権限がないんじゃないかというように、民事訴訟として発展する危険がある問題として私はお話をしておるんだから、最初に刑法上の問題、民法上の問題、それから行政上の問題として伺っておることは、厳密には起り得るあらゆる場合において規定していくのでなければならない。これは知りませんでしたということでは、私は法律は通らないと思うのですが、そこはいかがですか。
  76. 野木新一

    野木政府委員 ここにかりに保護者と契約を結べと書いたって、契約は口頭の契約もあります。あるいは書面による同意を得てと書いたらどうかという御議論かもしれませんが、実際の運用では、おそらく明確にする意味で何らか書面による同意ということになるのじゃないかと存じます。運用の方ということは、結局法律は善良な管理者の運用を期待しておるわけでありますから、必ずしも普通のこういう場合に一々そこまでがっしり書くということは必要ない、そう存ずる次第であります。
  77. 堀昌雄

    堀委員 今の法制局の方のお考えは、行政者の側からものを見て、要するに、行政者は善意において行うからそういうことはいいのだ、こういう見方のようですが、私どもは国民の代表なんですよ。保護者の代表なんです。保護者の側からこの法律を見たときに、こんなあいまいなことでは困るというのが、私の代議士としての言葉なんです。だからあなたは、法制局という立場行政者の側に立ってものを見るのじゃなくて、少くとも国民の立場に立って、保護者の権利をいかに守るかという観点から見るならば、保護者の権利を守り得るようなはっきりした条文をここに書いて、それを怠った場合には行政者がいけないじゃないかということが国民の立場で言えるような法律を書くべきじゃないかと思うのですが、どうですか。
  78. 野木新一

    野木政府委員 保護者の保護、保護者の保護といいますが、ここで保護者の利益とは何であるかというと、児童に傷害を生じた場合におきまして、一定の給付を受けるということが利益であります。また保護者の立場として不利益は何かというと、一定のある掛金を徴収されるという点が不利益であります。保護者の側から何かこれについて争うという場合を考えますと、自分の子供が事故を起した、安全会から給付を受けるという場合において、安全会の方で、お前は同意しなかったから給付しない、そういう問題が起ると保護者の方が不利益になりますが、しかしそういう場合には保護者は同意書の追認を得るのでありまして、保護者の方から同意があるかどうかということを争うことはないと思いますから、その点は実際問題として問題にならないのではないかと思います。しからば今度は、保護者の側から、同意をしたということで掛金を徴収されるのは不利益だ、おれは同意しないから徴収金を払わないという場合だと思います。それは保護者と設置者との関係になりますから、これはそう集団的の問題ということはないのじゃないかと存ずる次第であります。
  79. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 関連して。ただいまの堀先生の御質問に対して法制局は一般的な原則を言われたわけですが、あまりこまかい政令できめるべき内容等に立ち入りますことは、法制局のお立場として困るだろうと思いますので、当面の責任者である文部省の政府委員から御答弁をいただいた方が事態が明らかになるだろうと思いますから、そういうふうにお願いしたいと思います。
  80. 清水康平

    清水政府委員 ただいま法律の問題として法制局の方からお話がありましたが、実際の問題といたしましては、設置者が保護者といろいろ相談をなさるだろう、相談する方法について問題があるかもしれませんが、しかし法律的にいった場合には、私どもといたしましても、個々別々に同意書をもらう、こういう建前で考えておるわけでございまして、ただ口頭でもって、入りましょう、そうか、それじゃ入って下さいというようなことでもってやるつもりはございません。保護者のそれぞれの同意書を得る、書類による要式行為による考え方は当然持っておるわけでございます。
  81. 堀昌雄

    堀委員 さっきの答弁と違いますね。さっきはPTA会長が教育委員会に報告したらいい、こういうことだったので、そんなずさんなことじゃ困るということで言ったのですが、あなたがそうやってちゃんと正式に文書で個々の同意を得てそれを教育委員会として処理をされると言われれば、私はそれでいいのです。あなたがああいう答弁をするから、それじゃそんなあいまいなものじゃ困るじゃないかということで私は法律的に伺っておるのです。  それではそれはいいですが、二十一条の「災害共済給付に係る給付金の支払の請求及びその支払は、政令で定めるところにより行うものとする。」こういうふうに、これもまた政令ですね。この法律は、どこにいってもここにいってもみな政令。大体私はこういう法律はもう少し法律として書くべきであって、われわれこれではあなた方に白紙委任状を渡しているようなものです。あなたの方が勝手な政令をちゃっちゃっと書いて、法律はどうでもいいということになる可能性がありますから、そこのところは一つこういうことは困ると思いますから、その政令の中をちょっと言って下さい。「政令で定めるところにより」というのはどういうことなんですか。
  82. 清水康平

    清水政府委員 これは弁解するようで恐縮でございますが、先ほど実際どんなふうにやるのかとおっしゃいましたから、おそらく学校長が保護者といろいろ相談なすって、そうして報告することになるだろうと思いますと、実際の運び方を申し上げたのでありまして、法律的に見ますれば、前々から私どもといたしましては、同意は法律的には必ずしも要式とは言えませんけれども、要式行為によって同意書をとってやる所存でおります。  それから次に、今二十一条のお話がございましたが、その前に非常に政令が多いじゃないかというお話がございました。その点について先に申し上げて、それから二十一条に参りたいと思います。政令、政令というのがだいぶ多いように見えます。事実多いのでございますが、これは安全会の行います災害共済給付は先ほど来申し上げております通り任意加入で、契約でやる。その契約は安全会と結ぶわけでございますが、その際定款に基きまして契約書に書かれた約款の記載事項、約款の記載条件をもとにして行われる性質のものでございますので、一々法律に規定する必要はないのじゃないだろうかと思っておるわけでございます。しかしながら公共的な性質を持っておりますこの国立学校安全会との契約でございますので、給付の基準等については政令できめて逸脱しないようにしようというのが趣旨でございます。  それからもう一つこういう理由もあるわけでございます。それはいろいろなところに、たとえば法律の最後の方に、この法律に規定するもののほかこの法律の施行に関し必要な事項は政令で定めるというような規定が大体多いのでございます。これはいわゆる政令に一般委任をする規定でございまして、何と申しますか、都合のいいというか、都合の悪いというか、こういうものが非常に多いのございますけれども、この法案はそういう一般政令で何でも委任にしてしまうということはやめまして、各条規ごとに政令、政令ということにしておこうという意味合いがありまして、そうしてこれが多くなったという理由でございます。  それからただいまの二十一条の「災害共済給付に係る給付金の支払の請求及びその支払は、政令で定めるところにより」これはどういうことを考えておるかと申しますと、支払いの請求及び支払いの契約経由機関をまず第一に考えなければならぬ。これは公立学校にかかるものは教育委員会が支払いの請求それから支払いの経由機関、支払いを請求して参りますときには保護者がその教育委員会を経由して請求する、国立学校にあっては校長、それから私立学校にありましては学校法人を経由して請求してくる。それから安全会が支払いする場合も直接やりませんで、それらの経由機関を経由して支払うというのをまず第一に書きたいと思います。  それから次に支払い請求の手続でございますが、これはもちろん申し上げるまでもなく支払い請求書というものがございまして、要式行為に基いて、それによってするものでございます。安全会がその場合支払い手続をどうするかという問題が残るわけでございますが、安全会といたしましては経由機関を経て請求して参りました際には、その内容が適正であるかどうか、これは大体大部分のものは地方の支部に委任されるわけでございますが、それを審査いたしまして、そうして支払い額を決定して、これは郵便振替貯金とかあるいは銀行送金によるというふうに規定いたしたいと思っておる次第でございます。その他安全会の支払い額、安全会が支払わなければならない額は法律第十九条の第一項で規定されてあります政令で定める基準に従って定款に定めるところによって算定した額、こういうふうにいたしたいと思っておる次第でございます。  大体以上のことが考えている政令でございます。
  83. 堀昌雄

    堀委員 そうすると支払いの請求権は保護者にある、こういうことでございますね。
  84. 清水康平

    清水政府委員 さようでございます。
  85. 堀昌雄

    堀委員 その次に三十五条、「国は、予算の範囲内において、安全会の事務に要する経費の一部を補助することができる。」こうございますが、安全会は中央だけであって、末端にはもう安全会というものは関係はない、要するに中央だけのものという考えでこういうふうにできておるわけですね。都道府県に実は現在財団法人学校安全会というものがあるわけですが、今度こういうものがなくなって、地方教育委員会が直接安全会との間に、設置者との間に契約をすることになりますから、要するにもう地方にはないということですか。何か支部を置いて教育委員会にやらせるというようなことがどっかに出ていますね。そことの関連はどうなんですかね。
  86. 清水康平

    清水政府委員 この第三条にありますように、日本学校安全会は主たる事務所を東京に置きまして、従たる事務所いわゆる支部を各都道府県に置くわけでございます。これはただいまのところ各県の教育委員会の保健体育関係の保健体育課に置いてもらおうかと思っておる次第でございますが、そこに支部を置くわけでございます。それで三十五条の国は、予算の範囲内において、安全会の事務経費の一部を補助する、これに要する事務費の一部を、本部に対する経費の一部を補助しようというわけでございます。それから現在各県にそれぞれ財団法人の学校安全会というものが約二十ございますが、これはどうなるかというお話は先般も御質問がございまして、お答え申し上げたのでございますが、これは御承知のごとく昭和三十一年ごろ、最初任意団体のものが島根県ですかできまして、その後保険業法との関係がむずかしくなりまして、国でもって法的措置ができるまでの間、財団法人でいこう、いわば暫定的、臨時的なものでございます。この日本学校安全会法が成立いたしますれば、地方にある学校安全会はそれまでの間ぜひ早く作ってくれという要望がありまして、そういう各県の学校安全会はそれぞれ財団法人の規定によって処置せられるものと考えておる次第でございます。
  87. 堀昌雄

    堀委員 そうすると地方の事務所の経費の一部も国が見るということに理解してよろしゅうございますか。
  88. 清水康平

    清水政府委員 本年度は全部、事務費その他国でもって持たなければならない準要保護児童の分も入れまして一千万円でございまして、本年度の予算につきましては中央の本部の事務費だけを持つという建前になっておる次第でございますが、今後は事務費は全部国でもって持つのが当然ではないだろうかと私は思っておるわけでございます。
  89. 堀昌雄

    堀委員 大蔵省主税局から税関部長がお見えになっておるようですから……。さっき実はちょっと問題になっておりましたのですが、学校給食用物資の用途外使用に伴って、関税法違反で追徴金というのか何かあとで納める金がある。三十一年の五月に法律が改正されて、今後そういうものについては事故を起した当人だけが追徴金の対象になるのであって輸入者その他は関税法には関係がなくなっておるかどうかということで、はっきりした御答弁をいただきたいと思いますのでお願いしたいと思います。
  90. 木村秀弘

    木村説明員 ただいま仰せになりましたように、一時学校給食用の脱脂粉乳が大へん横流れをいたしまして、それでアイスクリームの原料なんかにされておるという事例が頻発をいたしまして、その関係で、従来なかった横流れの場合の罰則を設けますと同時に、追徴の規定を法律に盛り込んだわけであります。ただいまの法律の建前といたしましては、輸入者が追徴を受けるというのではなくて、横流しをした者が追徴を受ける。それから罰則についても、もちろん横流しをした当人が罰則を受けるということになっております。
  91. 堀昌雄

    堀委員 その点はよくわかりました。そこでちょっとこれは体育局長に伺いたいのですが、横流しをして、損害は、関税法違反という損害もあると思うのですが、実質的には品物が学校給食に渡らないわけですね。ほかへ行ってしまう。今後も起る余地があると思うのですが、そういう場合の、今度は学校給食会とその横流しをした人との関係はどうなりますか。関税法としては追徴金とか没収ということはできるでしょうが、事実上は、それだけを児童に与えようと思って輸入をしてあるわけですね。そこが誤差を来すことになるわけです。そういう場合に給食会の方は、横流しをした人間との間はどうなりますか。
  92. 清水康平

    清水政府委員 関税法百十八条で没収と追徴になります。ですから国とそれとの関係は、それで終了するわけでございますが、事の性質によりましては、追徴金を課することはあるだろうと思いますけれども、具体的の問題について処置していくべきではないか、研究を要する問題だと思います。
  93. 堀昌雄

    堀委員 三十五条の第二項に、「予算の範囲内において、政令で定めるところにより、安全会に対して補助することができる。」こうなっておりますがこの政令は何ですか。
  94. 清水康平

    清水政府委員 三十五条の第二項「予算の範囲内において、政令で定めるところにより、安全会に対して補助することができる。」これは政令の内容といたしましては、ただいま申し上げた通り、毎年度予算の範囲内で、文部大臣が定める要保護と準要保護の児童数に応じて出さなければならぬということが、第一点でございます。そして今度は内容になりますが、保護者が何分か出すわけでございますが、保護者の共済掛金の納付金の二分の一に相当する額ということを限度にいたしまして補助するという意味のことを規定いたしたいと考えておる次第でございます。
  95. 堀昌雄

    堀委員 そうすると残りの二分の一は地方自治体が持つということでございますか。
  96. 清水康平

    清水政府委員 さようでございます。
  97. 堀昌雄

    堀委員 そうすると今の準要保護の対象は、この間出て参りました教科書の件とか、修学旅行あるいはその他、準要保護については学校保健法の中に、非常にこまかい割当か何かの数字が載っておるのですが、あれが全部同一にいくわけですか。初中局で出す準要保護二%というやつとこれはみんなばらばらですか。そこのところを一つ文部省見解を承わりたい。
  98. 清水康平

    清水政府委員 予算の定める範囲内でございますが、私たちといたしましては、要保護は御承知通り二・五%、準要保護は二%と相なっておるわけでございます。準要保護が二%でいいかどうかという問題は、今後考究し努力しなければならない問題でございます。それで、そういう数によって出てくるわけでございますが、各県、各市町村の事情によって、その数は、全体としてはさまっておりましても、違うだろうと思うのです。その各県、各市町村の事情に沿うように、学校保健とあるいはやり方は同じような方法でもって配分いたしたいと思っておる次第でございます。
  99. 堀昌雄

    堀委員 次に第三十七条で、「安全会は、災害共済給付の給付事由が第三者の行為によって生じた場合において、給付を行ったときは、」「損害賠償の請求権を取得する。」こういうことになるわけですが、そこでこの第三者の行為は、この前たしか設置者が認定するというふうにお話しになったと思いましたが、もう一回その点を確認をしたい。第三者の行為をだれが認定するか……。
  100. 清水康平

    清水政府委員 安全会が第三者に対して損害賠償請求権を取得するわけでございますが、こういう問題は、請求も、すべて教育委員会が意見を付してくるわけでございます。安全会としましては、安全会に審議会がございますので、むずかしい問題はそれにかけて、そこでもって審議させるわけであります。
  101. 堀昌雄

    堀委員 ちょっと法制局の方にお伺いしておきたいのですが、第三者の行為によって生じた場合には、安全会がその第三者に対して損害賠償の請求権を得取する、こうあるのですが、それの認定は、今のお話では教育委員会がやる。ところが、その第三者も教育委員会という場合には、自分の不利になることを自分の方で定認する可能性というものに、ちょっと問題が生じてきやしないかと思うのですが、こういう場合は法律上どうなりますか。自己に不利になることを自分が決定しなければならぬという仕組みですね。私はそういう場合には、少くともその決定はその当事者をはずすというようなことが一項入ってこなければ、正確な認定というか、そういうものは行われないんじゃないかと思いますが、その点いかがですか。
  102. 野木新一

    野木政府委員 第三十七条の問題といたしましては、この法理上の解釈といたしましては、「安全会は、災害共済給付の給付事由が第三者の行為によって生じた場合において、」——たとえば学校管理下にある子供がいる。そこへ、極端な例ですが、暴漢が入ってきて、子供をなぐってけがをさしたというような場合、それが一番典型的な第三者の行為によって生じた場合ですが、その場合において、けがをしたので安全会が給付をする。そのときに、「その給付の価額の限度において、当該災害に係る児童生徒又は幼児が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。」暴漢が来てなぐり、児童がけがをする。そうすると、児童は暴漢に対して、不法行為による損害賠償請求権を取得するわけです。ところが児童の側といたしましては、結局安全会が保護者に給付をして、その損害が補填されたというふうになるわけでありますから、安全会がその限度で、第三者に対して児童が有する損害賠償請求権を取得するということになるわけであります。従って、暴漢と安全会との間に話し合いがつけばいいのですけれども、つかない場合には結局訴訟になる問題でありますから、この第三者の行為によって生じたかどうかということは、終局的には裁判所が判断する、理論的にはそうなってくると思います。
  103. 堀昌雄

    堀委員 ちょっとそこは——暴漢などというものは、これは別なんです。私は最初から申し上げるように、危険校舎で、天井が落ちてきた、そこで子供がけがをしたという、こういうふうな場合ですね。私は、これはやはり一種の第三者の行為だと思うのですが、法律的にはそういうふうに第三者の行為というふうには見えないのですか。
  104. 野木新一

    野木政府委員 御説のような場合にはやはりそれは第三者的な問題になってくると思います。
  105. 堀昌雄

    堀委員 天井が落ちて、二十人なり三十人の者が死んだと仮定をいたします。そうするとそれに伴なって学校安全会はまず最初にその児童の保護者に対して相当多額の死亡見舞金を出すわけですね。今度は、それは実は第三者の行為によって生じておったんだということを認定するのが教育委員会でありますと、それは第三者の行為ではございませんといって教育委員会が突っぱねる場合があるのです。事実は第三者の行為だと見られた場合に、教育委員会がそういうことになると、今度は教育委員会がその限度において日本学校安全会に払わなければならぬということが起って、自分たちに不利であるから、その屋根の落ちたのは第三者の行為ではございませんと突っぱねた場合には、学校安全会が不当なるそういう判断のもとに被害を受ける。ということはとりもなおさず父兄が被害を受けるということになると思う。そこで今、最終的には裁判所だとかおっしゃいましたが、それが第三者の行為によって生じたかいなかということを認定する場所が教育委員会にあるとすると、教育委員会を除いた場合においては公平な裁判ができると思うが、その相手方が教育委員会またはその設置者になる場合においては、公平なる判断ができないと思うのです。私は、これは法律上は当然だと思うのですが、そういう例外規定を一応設ける必要があるのではないか。危険校舎は御承知のように全国に幾らでもあるわけです。そして学校長は盛んにこれを改築してもらいたいと言っている。教育委員会でもいろいろそれをやっているところがある。そういうきわめて事故の起る可能性が多い状態の中では、私はそういうことをはっきりさせておかなければならぬと思うのでありますが、いかがですか。法律的に法制局の方に伺います。
  106. 野木新一

    野木政府委員 そういう場合には、結局争いがあれば裁判所で判断するということになると存じますが、その前提としては、それぞれ請求者側なら請求者側は一応第三者の行為と判断して請求する、そういうことになるわけでありまして、設置者が第三者に当り、しかも契約当事者というような場合がかりにあるといたしましても、それは資格が違う場合でありますし、しかも設置者としては公共の福祉をになっておる、そういう立場にある設置者でありますから、単なる私的利害によって動く場合と非常に違いまするから、必ずしも一々そこまで書く必要もないのではないかと存ずる次第であります。
  107. 堀昌雄

    堀委員 私は、この中には公共だけではなくて、義務教育学校については私的なものも入ると理解しておるのです。学校法人その他が設置者になるということもあるので、必ずしも私は公共団体に限らないと思うのです。だからその場合においては、設置者ということになれば、今度は学校法人が設置者になる。設置者というのは必ずしも地方公共団体に限ってないわけです。清水さんは先ほど、そういう認定はあくまでも教育委員会だと言われたのですが……。
  108. 清水康平

    清水政府委員 教育委員会が認定するとは申しません。教育委員会は意見を付して、そして安全会へ参るわけです。また安全会としては教育委員会が意見を言って参りますから、もちろんそれを参考にいたしますけれども、重要な問題については安全会に置かれている運営議会にかけて給付を行うわけであります。給付を行なったけれどもそのあとで、たとえば第三者によって生じた場合にはそれに対して損害賠償の請求権を持つんだということを申し上げたわけでありまして、教育委員会が自分でそれを決定するという意味ではございません。教育委員会はあくまでも意見を付して参るわけでございます。
  109. 堀昌雄

    堀委員 そうすると、意見を付さない場合があると思うのですよ。何にも言わないで、屋根が落ちました、子供が死にました、こういう事実だけをこう出したとしたら、しまいには学校安全会としてはそれはやむを得ざるものと認めるかどうか、給付をした、しかしそうなると、今度は第三者の行為によって生じたかどうかをきめるのは安全会だということになると、問題が起ります。第三者の行為だということを認定するのは安全会だ、自分がとるのを今度は安全会がきめるのだということになれば、これはまた問題が起ると思います。
  110. 清水康平

    清水政府委員 安全会といたしましては、学校安全の普及と災害共済の給付を行うのでありますが、災害共済給付は、率直に申し上げますと、その事由が第三者の行為によって生じたいわゆる不法行為による場合であろうとなかろうと、安全会の立場としては迅速、適正に支給してやる、率直な言葉で言えば、喜ばれる立場であります。ところが給付を行なったときには第三者に対して損害賠償請求権を取得するわけであります。それだけの話でございます。それからいろいろ支給して参る場合には教育委員会は意見を付してくるわけであります。意見を付してこなかった場合は、手続の欠缺でもって意見を付してくるようにしなければならぬと思っております。意見を付してきて、これはどうも第三者による損害賠償じゃなかろうか、あるいはわからない、たとい損害賠償であったとしてみても、払った場合はあとで損害賠償請求権がくれば損害賠償請求権を取得するのでありますから、その点は支障ないと思っておるわけであります。
  111. 堀昌雄

    堀委員 ちょっと法制局に伺いますけれども、今のような話を聞きますと、どうも第三者の行為の認定がよくわからないのです。今事故が起きた、それは二つの場合が考えられます、公立学校の場合と私立の学校の場合と考えられる。そうして公立学校の場合には、公立学校から教育委員会を通って設置者の名前で日本学校安全会、私立の学校の場合にはやはり設置者を経由してくるわけでありますから、設置者である学校法人か何かを通じて上へくるわけであります。そうしてそれは日本学校安全会として見れば、第三者の行為によって生じたかどうかということは、率直に言うとわからないわけであります、下から上ってきた書類だけを見ればわからない。そうなると、一体第三者の行為によって生じたのだということになれば、それをとらなければならないにもかかわらず、とらないで見のがす場合が非常に多くなるのじゃないか、どこかで何か第三者の行為だということをきめるところがあればいいのですが、ないとなると、一体これはどこがどういうふうにきめるか、常に裁判できめるというわけにいかないと思います。法律的にはどうなりますか、法律の方の建前から聞きます。
  112. 野木新一

    野木政府委員 法律的にはやはり具体的の場合によって判断していく判断がむずかしい、先ほどしばしば申しましたように、理論の問題ではなくて、証拠の問題になるのではないかと思います。第三者がやった場合かどうかということを別に機関を設けて判定するというようなことになると、またそれは非常に繁雑になりますし、結局この法律としては安全会が払う、しかし安全会は自分が損のいかないように自分で注意しておって、第三者に対して損害賠償請求権がきたらその損害賠償請求権をこっちでこの法律によってとる、そういうように注意しておらなければならない、また、この実施に当る学校設置者というものも、先ほど申しましたように、公けの一つの機関でございますから、ここは今言ったように、安全会の事業が適正にいくように、やはり協力すべき立場にあるのでありますから、普通の私人の場合ということと実際の運用においても非常に違うのではないかと存ずる次第でございます。
  113. 堀昌雄

    堀委員 ちょっと法律的な見解がはっきりしないのです。今のお話だけを聞きますと、法律というものはやはりある程度きっちりしていないと困ると思うのです。証拠関係だけで右から左に動くというのではなく、やはりある程度は基準がきめられて、その基準があるから証拠関係がどうなるということにならぬと困ると思うのです。今の場合に、皆様の頭の中には、義務教育学校、あるいは地方公共団体というものだけが頭に入り過ぎておる。ところが、学校法人には私立も入れることになっておるわけであります。全国に小学校、中学校にも相当私立があるわけであります。その場合に、そういうところにおける管理者の下手ぎわ、その他のいろいろな問題によって、学校の建物でなくともいいのです、さっきの給食事故でもいいのです、給食事故が起きて子供が死んだ。そうすると、学校給食会は当然金を払うのですが、どうも給食事故というものが、監督の側にある者の不注意であったというような場合に、学校法人が損害賠償の責に任ずる側になれば、やはりなるたけそういうことは私の方の関係じゃございませんよ、これはもう不可抵力でございます、そういう学校が出てくると思うのです。さっきの清水さんの答弁を聞いても、中毒事件なんかはほとんど不慮の災害で、原因不明のものが大部分だという。私は重大な問題だと思っております。学校給食中毒問題は原因不明でもなければ不慮の災害でも何でもない。明らかに購入した人たち責任上の問題であって、そしてその給食実施する前に点検をする点、検食をした人にそれ相応の責任所在一があると思う。私はかって軍医をしていたけれども、われわれは軍隊で兵隊に食わせる飯は、必ずわれわれの責任監督において、私がまず先に食って、私が点検食をしないものについては、たといだれであろうと一人も食わせないというのが、軍隊としての給食責任の建前です。そのくらい給食というものは事故を起す可能性はあるし、危険があるということについて、責任所在がはっきりしていなければならぬと思うのですけれども、今お話を聞いたところでは、まことにどうもあいまいな状態になっておる。そういう状態の中で事故が起きたときに、第三者の行為でないということで逃げることになれば、やはりこの場合においては学校安全会の方でいつもそういうものをかぶって、それはいつも父兄の負担になっていくのだということになる可能性は法的にあるのです。だから、法的に第三者の行為によって生じたものは、だれかが第三者の行為によって生じたかどうかということをはっきりさせていくのでなければ、やはりここに保護者としての権利を侵害されてくる部分ができてくると考える。あなた方の方はいつでも行政者の立場になって、地方公共団体は善意であるとか何とか言って、上からばかりものを見ているけれども、われわれはそれでは困る。それらのあらゆる部分におきまして、国民の権利を守るにはどうすべきかという観点から法律を書かれるのでないと、現在の民主主義の世の中で、これは封建的な法律だと思うのです。上から押しつけて金は徴収しますよ、何でもかでもお上がきめますよというような、こんな反民主的な法律の組み立て方はないと思う。少くともあらゆる法律の一項々々において、国民の権利はいかにあるべきかということが基本に書かれて、その上から問題を積み上げられるということにならなければならぬ。こんなあいまいな法律の書きようはないと思うのですが、法制局いかがですか。
  114. 野木新一

    野木政府委員 三十七条のような規定は、各種の法規にあるのでありまして、一種の例文といえば例文のようになっております。従いまして、第三者の行為によって生じたかどうかという点は、やはり一つの法律の条文の解釈の問題になりますし、いわゆる災害にかかった児童等が第三者に対して有する損害賠償請求権ですから、普通の場合は、不法行為による損害賠償請求、国家賠償による損害賠償請求権でありまして、これはやはり民法でありますと故意過失というような条件が備わった場合であります。ところが実際の場合においては、給食などというような場合においては、どこに故意過失があるのかという点は、この条文を離れて、まず災害にかかった児童がだれに対して損害賠償の請求権があるかという点が、むしろ非常に問題になるわけでありまして、三十七条の条文により第三者に対する損害賠償請求権を安全会が取得するという関係でなく、第三者について損害賠償請求権が生ずるかどうか、だれに対して生ずるかという点、そのこと自体が非常にむずかしい問題をはらんでおるのではないかと存じます。必ずしも三十七条の条文自体の問題というより、ほかの問題になるのではないかというような気持がいたす次第であります。
  115. 清水康平

    清水政府委員 先ほどの教育委員会が意見を付す、それから私立学校におきましては学校法人が意見を付すということでございますが、意見が安全会といたしましてどうもおかしいというような場合は、実地調査もいたさなければならぬ、場合によったら書面の再提出も当然ある。意見書を付してこない場合には手続の欠缺で返却するというようなこと、実地調査の問題あるいは関係書類の提出を求めるということは、この災害共済給付は契約でございますので、当然約款においてできるようにする考えでおるわけであります。
  116. 堀昌雄

    堀委員 実はまだ罰則につきましてずっとあと伺いたいのですか、一時になりまして、まだだいぶかかりますので、休憩か何かであとで引き続きやらせていただくようにしていただきましょうか。私の方はぶっ続けてやってもよろしいのでございますが、そこらはいかがでしょうか。     —————————————
  117. 臼井莊一

    臼井委員長 この際御報告申し上げます。  去る二十日の委員会におきまして、社会教育法等の一部を改正する法律案について、参考人より意見を聴取することに協議決定し、その時日人選等は委員長に一任されましたが、その後理事会において協議の結果、意見聴取の日時は、三月二十八日午前十時よりとし、参考人は、愛知学院大学教授井手成三君、評論家中島健三君、新潟県公民館連絡協議会会長丸山直一郎君、東京学芸大学助教授星野安三郎君、以上四名の方にお願いすることとし、すでに手続を終了いたしました。  以上御報告申し上げます。     —————————————
  118. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 議事進行の発言を求めます。  ただいま審議中の三案中、社会教育法等の一部を改正する法律案に対しましては、他の二案と午前、午後交互にその審査を進めることに理事会の協議が整っております。すでに自民党委員の質疑は本日で三日間にわたって行われているのでありますが、社会党委員の質疑は関連質問のみで、西村委員、それから堀委員から関連質問があっただけで、ほとんど行われておりません。これは委員長に質疑の通告がないのでありますかどうか。また委員長は通告について社会党委員に御要請をなされたのであるかどうかをお伺いしたいのであります。  ただいま御発言がありましたが、御質疑の予定だというのでございますが、予定はまだ正式通告がないようでございますので、社会党といたされましては、この質疑をする御意思がないかどうか。先例により、国会法に従い、これは慣行もありますので、すみやかに委員長においてその質疑の有無をこの委員会において諮って、質疑がある場合はその通告を求め、その順序に従って逐次審議を進められんことを望む次第でございます。
  119. 臼井莊一

    臼井委員長 加藤委員の議事進行についての発言に委員長よりお答え申し上げますが、すでに審議中の三法案中、学校安全会法案並びに議員提出法案に対しては社会党より七名の質疑の通告が先ほど理事会においてなされましたが、しかしながら社会教育法案に対しましてはいまだその通告を受けておりません。従いましてただいまの御発言のごとく、先例により委員長といたしまして、委員長より質疑の有無を諮り、質疑の通告なき場合は、国会法、先例等に従いましてその終局について諮り、討論に入ることとなるのであります。本案に対しましては質疑がなされておりませんが、直ちに質疑の通告を社会党の委員の方からお願いしたいと存じます。なお委員会に諮って質疑の有無云々という御要請でありますが、これは会議録に残ることでもありますので、この際は委員会に諮ることなく、社会党の委員の方々から御質疑をなさる御意思があるのであるならば、直ちに質疑の通告をお願いいたします。
  120. 櫻井奎夫

    ○櫻井委員 議事進行。社会教育法の問題につきましては、私ども質疑の通告は今の段階ではしていないかもしれませんが、質疑があるということはしばしば言明をいたしております。しかもそのために、ただいま木村理事とも打ち合せして休憩を求め、そこで今後の運営をいかにするかという話し合いをしよう、こういうことで、社会教育法は重要法案であるがゆえにわれわれは全員質疑をいたします。その点は明確にそういう答弁をいたしておきます。従いまして休憩に入ったら、直ちに私どもは質問者の氏名を通知いたしますから、その点御了承をいただきたい。次に参考人の問題でございますが、これはもちろん理事会においては、私ども委員長の先ほどの報告の通り了承をいたしました。しかし明日は不信任案が上程され、それについて国会審議の最高責任者であるところの両党の国会対策委員長の間において、二十八日においては一切の委員会をストップする、こういうことで了承がついてみるのであります。(「ノー、ノー」と呼ぶ者あり)従って、私どもは、自民党はどういうかわからないが、(「理事会できまった。」と呼ぶ者あり)理事会できまったといっても、一切の国会の審議については国会対策委員会権限がある。自民党のことについては知らないが、社会党においてはそういうことになっておる。従って二十八日の参考人の意見聴取については、わが党としてはこれに応じない。もし委員長においてそのような事態を了承を求められるとするならば、これは文教委員会理事会でなくして、社会党の国会対策委員長の了解を求めていただきたい。われわれは国会対策委員長より、参考人を呼んでその事情を聴取する文教委員会だけを開いてよろしいという命令があればそれに服します。その点だけを今日明瞭に記録に残しておきます。
  121. 臼井莊一

    臼井委員長 櫻井奎夫君にお答え申し上げますが、この参考人の招致につきましては、先ほど委員長より申し上げました通り、その時日、人選等については御一任を受けております。しかし理事会に一応お諮りいたしまして、二十八日午前十時より、こういうことに決定いたしております。従いまして、不信任案提出云々の問題は本委員会とは別個の問題であります。しかし本会議で不信任案審議の際にはもちろんこの委員会を開いておられませんから、その際にはもちろん開きませんけれども、すでに参考人につきましては通知を出しております。手続が終了いたしておりますので、先例に従いまして、本委員会といたしましては、本委員会の決定に基いて、委員会の権威のために決定通り明日午前十時より参考人を招致いたします。この点御了承を願います。  暫時休憩いたします。     午後一時六分休憩      ————◇—————     午後三時四分開議
  122. 臼井莊一

    臼井委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。質疑を許します。ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  123. 臼井莊一

    臼井委員長 では速記を始めて……。社会教育法について引き続いて審議を進めます。野口忠夫。
  124. 野口忠夫

    ○野口委員 社会教育法について大臣並びに関係の方々にお伺いしたいと思うのですが、社会教育法が昭和二十四年度に施行されましてから、社会教育法のねらっているものは、国民相互の間に自主的な教育関係として生まれてくる、そういう教育の中から——社会意識が民主的な日本の建設の中に参加していくような、そういう教育が民主的国家を作るのに非常に必要だという建前の中から、非常に特殊的なそういう社会教育法の立法措置が行われたというように考えるわけです。この自主的な国民相互の間に生まれてくる社会教育というもののあり方については、特に国及び公共団体はこれに対して特段の留意をしなければならない。社会教育運営の自主性というようなことについては特に注意しなければならない。そういうようなことから、あくまでも自主活動の助長であり、その自主活動に対する国及び地方公共団体の干渉支配というようなことは厳に排除されなければならない。特殊な社会教育という自主活動を基本とした、そういう教育目的を持った法律、この精神をよく守るために、そういう制限条項までもつけて社会教育法ができており、第十二条、第十三条の趣旨というものがそうして生まれてきたと思われるわけでありますが、この社会教育の推進について、今回提案されておりまする一部改正案というものが、そうした点で、一般の世論の中からも、あるいは国会の審議を通じても、非常に問題が起っているわけでございますけれども、この改正の十三条削除ということと関連して、社会教育推進に対しての基本的な態度というようなものを大臣の方から一つお願いしたい、こう思うわけであります。
  125. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 社会教育法は、御承知通り社会教育法の第一条にはっきり教育基本法の精神にのっとりということをうたっておるわけであります。で学校教育についてもそうでありますが、社会教育を実施するに当りましても、憲法、教育基本法の精神に従いまして社会教育の振興をはかるという精神というものは、大きく貫かれておるわけであります。とかく明治憲法下において教育が大権事項として、これは結局文部省の役人の手で左右されておったという記憶がありまするものですから、いろいろな意味における疑惑なり誤解なりというものが起りがちであります。それについてはわれわれとしても十分関心を持って心して参らなければならぬのでありますが、あくまでも趣旨は憲法、教育基本法の精神に従って社会教育の運営をやっていく、あくまでもそうした精神に基いてやっていく限りにおいては、従来の社会教育活動をふり返ってみて、組織の至らないところ、人の充実の足らないところ、また予算の不十分なところという点につきましては、これをできるだけ充実をしていって、憲法、教育基本法の精神に従っての社会教育活動というものを一そう効果の上るようにしなくちゃならぬというのが基本的な考え方であります。
  126. 野口忠夫

    ○野口委員 憲法並びに基本法の精神に従って、社会教育がさらにその自主活動の助長の中で充実発展する。この点についての法改正ということの必要は、社会教育に関係する者のすべてが思っておるところではないかと思うわけであります。現在までの状況の中で、社会教育が実施されている状況からいいますと、この状態は率直にいってよどんでいるというような言葉で表現されるような面があるのではないだろうか。社会教育自体が、一人々々の社会人の自発活動の意欲の上に立って、全面的な民主的発展を遂げていくということを考えますと、この教育全体を通じて、一人々々の社会人の心の内面に触れたような、そういう指導がやはりなされなければならないと思うわけであります。一人々々の社会人の心の内面で触れ合うところのものは、やはり自分の住んでいる村あるいは町、そういう地域社会に対する住みよいものを望んでいくことになるだろう。そういう地域社会の中で住んでいる社会人の心の底からわいてくる要求や意欲の上に立って、教育が進められない限り、その教育が社会教育として動いていく自発的活動である、生きている教育になるということはあり得ないと思うのですけれども、そういう点においては、現在の社会教育の進め方は若干技術的な指導にあまりにも偏重し過ぎたり、あるいはその形のワク作りに終始しておって、その中に真摯に、自発的に起っているクラブ活動とかあるいはサークル活動ということの中で、ほんとうに求めている社会人の教育ということになっていないのではないか。やはり求められている方向としては、こういう心の中からわき上ってくる社会人の求めている、そういうところにぴたっと密接した文部省なり地方公共団体の施策というものがもっとあるべきではないかと思うのですが、そういう点では、今回政府が出されております改正案の要点をざっと見ますと、まず人を得ようとするために行われる社会教育主事の講習を文部大臣主宰によってやる。財源が不足しているから、それを作ろうとするところのねらいとしては、文部大臣が認可をしたり地方公共団体が認めたりするような、そういう政府の判断を待ってされるところの補助金を、今度は出してやる、青少年に対する指導というような面でさらに拡充したいということになりますると、社会教育委員の教育に対する直接指導をはかっていく、公民館の運営をさらにしたいと思えば、これは国家基準を設けてやる、こういうような状態の中で提案されているように思うのでございますけれども、こういうような政府の法改正の精神というものが、一般社会人がほんとうに望んでいる社会教育の充実発展というような方向と若干ずれているように私には考えられるわけでございます。この点については相当の反対意見もあって、この反対意見に対してはやはり社会教育ということを真剣に憂えていられる社会教育学会の方々や、あるいは大学関係、そういう方々の中で、こうした面について非常に危惧を持たれながら反対をしているのではないかと思うのです。ほんとうに法改正をするなら、社会教育をほんとうに充実発展させていくならば、今回出されている文部省の法改正案が、果してそういう社会人、社会教育者関係のねらっているものと合っているだろうか、むしろ何か非常に権力的態勢が確立していって、その中で社会教育が逼塞していくのではないか、こういうようなことをおそれさせるような改正案ではないかというように感ずるわけであります。先ほどの文部大臣のお話によりますと、あくまでもそういう点は守っていくのだということですが、この改正案の方向といますか、この改正によって出てくる社会教育の基本方針というもの、桂極的に充実発展させようとする、そういう方針について大臣に一つ御答弁を願いたいと思うのです。
  127. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 私は戦後十四年にわたる教育行政の実績から見て、今日非常に大事なことは、関係者のそれぞれがきわめて腹蔵なくものを言いながら、議論のあげくには、やはり相互の善意とこれに対する信頼を持って、できるだけみんなでよくしていこうということが非常に大事だと私は考えておる次第でございます。今回の社会教育法の改正案につきましても、ただいまもお話のございましたようなことがいろいろ憂えられまして問題になったのでございます。参議院における御審議の過程におきましてもほとんど八、九割の御議論はそこにあったのでありますが、これは全く先ほど私の申し上げましたような、憲法、教育基本法を引いた社会教育法の精神に従って、これをほんとうに効果あらしめるためには組織も人も予算も十分に手を貸していかなければならぬじゃないか、そういう趣旨で運営するつもりで御提案を申し上げたものであります。むしろ不十分な組織、不十分な人、不十分な金ということでおいた場合に、一つには社会教育活動というものが、ただいま御質問にもありましたようによどんだふうな形にもなるし、また一つには無理して片寄った方向にいく危険があるのでありまして、そういったような趣旨を結局は参議院におきましても委員会において満場一致御理解を願いまして、二点の修正だけで衆議院に回されておるわけでございます。趣旨といたしましては、たとえば例のあがっておりました補助金の問題にいたしましても、憲法上の補助金に関しまする規制をさらに強い形でしぼるというふうなことは意味のないことでありまして、社会教育をやる場合に、もちろん社会教育団体がそれぞれ自分たちのふところ金の中から、みんなが、青年なり婦人なりが出し合ってやっていくということは非常にけっこうなことでありますが、なかなか活動が十分でないのであります。そうした場合、資金的の援助を求めていく場合に、民間で資金的援助を求めるとすれば、どの団体も全然何らの制約も受けておらないのでありますから、あるいは右に片寄ったりあるいは左に片寄った団体から金をもらったり、あるいはまた選挙にでも出るような底意のある人から金をもらったりというようなことにかえってなりがちであります。この社会教育法十三条の規定を改めまして、憲法上許し得る最大限まで、とにかく社会教育関係団体に対しても補助金を与えることができるということに相なりました場合に、国なり地方公共団体なりはどういう立場に立つかといえば、その補助金の与え方及び補助金によって動いて参りまする社会教育活動というものを、あくまでも憲法、教育基本法、社会教育法の精神に従って、この法律のワクの中におけるほんとうに色のつかない活動をさせなければならないし、それ以外の補助金を出すこともできないし、十分にその制約を法律上受け、そしてこの法律を適正に執行しているかどうかということについて、国会の監督を受けながらやっていくわけでありまして、一番間違いのない行き方でございます。  講習につきましても従来におきましてはまだまだ手が足りませんので、そこで文部大臣、教育委員会といったようなところも最初の原案には提言をいたしました。その場合におきましても、これは文部大臣、教育委員会といったときに、ちょうど戦前の文部大臣なりあるいは地方の学務部長なりがやるようになりはせぬかという一まつの不安というものが現実に存在しているということがいろいろな議論のもとになるわけでありますが、もうわれわれの提案の趣旨でもあるし、事実またそれ以外に行きようもないのは、原案にありました文部大臣なり教育委員会なりというものはどこまでも社会教育法第一条にありまする教育基本法の精神に基いてやっていくという厳格な戒律の中にこれをやって参るわけであります。ただこの点につきましては趣旨はわかったけれども、しかしやはり従来の大学中心の主事の資格講習ということに対しては、新規に加えるところではその他の教育機関というような程度にしておいた方がよろしいということで、そういうふうに御修正に相なりました。趣旨はあくまでもそうであります。そしてやはり戦後の社会教育活動があまり活発でなかったという点につきましては、どうも文部省なりあるいは都道府県の教育委員会なりが何か積極的にやりますると、ちょうど明治憲法下において国の大権事項としてやられた、文部省あるいは学務部長あたりがやったように誤解されやしないかということが、この社会教育法に規定のありまする専門的技術的指導または助言であるとか、あるいはまた必要な物資や予算を確保するというような問題でありまするとか、あるいは指導、資料の作成あるいは調査研究の報告を求めるとかいうことについては、比較的遠慮しがちであったと思うのでありますが、これはやはりお互いにあくまでも憲法、教育基本法の精神に従いながらやるのだということが社会教育法に明記をされてあるのでありまして、その戒律を守りながら与えられた職責というものは今までよりも文部省は積極的に果すし、都道府県の教育委員会にも果させるようにしたいというように考えておるのであります。私はそうした積極的な形で努力をしながら、これに関しては十分国会の御監督を受け、またさらにその背後にある国民の監督を受けるということが、社会教育というものをもっともっと振興をさせることができ、そうして地域社会の求めというものもむしろもっともっと活発に、いろいろな面で出てくるということにもなり、またそうした実際活動の面を通じて国、地方公共団体と国民一般との間の善意と信頼とを増すということに相なると考えておるのでありまして、社会教育法の改正がかりに両院の御承認を得たとして、その後における運用の方針というものは、従来におきまする社会教育法の運用の基本方針と全然変ったことを考えておりません。むしろこうした基本方針の上になるべく活発に動けるようにいたしたい、こういうのが今回の改正を提案いたしました基本的な考え方でございます。
  128. 野口忠夫

    ○野口委員 だいぶ大臣から説明があったわけですけれども、ただいまの御説明の中で、教育という問題が発展の度合いが非常におそい。もう少しこれを早めていきたいということの中で、国がこれに対して関与をしていくというあり方は、限界の点では非常にむずかしい点ではなかろうか、こういうように思うのです。民主的な教育というものは、一人々々の民主的な人間が形成されていく。その形成されていく過程の中で青少年のさらに深まった形成が行われていくという、お互い同士が持っている民主的な課題があるわけですから、そういう中で教育を行なっていくということは、一見すると非常にまだるっこいようにも見えるし、あせるということも出てくるのではないかと思うのです。しかし今大臣の言われたように、もっと教科書についても、あるいは教育の指導内容についても、何かおじおそれている、こういう関係があったのではないか。これは思い切り踏み切って、もう少し強く教育を指導し、援助していくことが必要ではないか、国の責任において強めていこうという方向が限界点からいいますと非常にむずかしいのじゃないか。従来までの文教政策のいきさつからいいますと、その点では日本の文部省の政策は若干強まり過ぎたのではないかというように思われるわけでございますけれども、その点は、なるほど上の方からずっと命令を下して、これでやりなさいというやり方でいくことは大へんすっきりして感じがよいかもしれませんし、あるいはその意味においても成績は向上するかもしれないけれども、一人々々の人間の責任において、これからの日本の運命というものを一人々々が作っていくんだ、主権を作っていこうという立場での教育というものは、一人一人の地域における環境的な条件や、子供の家庭的な条件や、人的条件等を十分考えてみた中で、やはり教育は進められているわけでございますから、そういう点ではあまり国があせっちゃって、教育ということの中にあまり手を出し過ぎていかれるということについては、過去のなまなましい教育の国家統制的な方向というものがどうも感じられて、これはおそろしいことになるのじゃないかと思うので、ただいまの御答弁の中の補助金支出の問題ということでございますが、これは予算的に非常に社会教育団体は困っているだろう。だからこの際補助金を出して何とかやってやろうというこの気持、国の責任においてやっていこうとする、この責任を持ってやるということに対して、社会教育法十三条はそういうことをすることによって統制というようなことが生まれてくるのではないかという、社会教育法の根本精神に立って、排除の精神に立ってこれが行われると思うのですけれども、社会教育の充実発展のために補助金を出さないという禁止事項をここでとってしまって、補助金を出して、一つ社会教育を充実発展させようとする文部省側の改正の趣旨が、その基本の精神と非常に相反してくるものがあると思うのですが、そういう点で局長としては、そういうことは万々あるまいというようなことでお出しになったのかもしれませんけれども、いかがでございましょうか。
  129. 福田繁

    福田政府委員 いろいろ大臣から御質問に対しまして御答弁を申し上げたわけでありますが、もとより社会教育のやり方といたしましては、社会教育法に定められておる事柄が基本になるわけであります。従って、国あるいは地方公共団体と社会教育の現場との関係は、この法律によって規制されている規定に従って実施されるわけでございます。また、おっしゃるように、社会教育の現場におきまして、あるいは町村等を見ましても、やはり地域社会のよりよい向上、あるいは明るい地域社会を建設するというようなことが社会教育の一つの目標でございますから、従って、そういった意味におきましては、地域社会の人たちがいろいろ、勉強したり、あるいはまた教養を高めるような各種の催しをやりまして、それが盛り上っていくというのが、本来の筋であろうと思うのであります。従って、社会教育のいろいろお世話をする場合におきましても、地方公共団体あるいは国というものがそういった現場に対する関係は、今申し上げましたように、社会教育法にちゃんと規定しておりまして、社会教育法の第三条であり、あるいはまた団体に関することでございますれば、第十二条に規定いたしておるわけでございます。従って、あるいはまた社会教育主事が指導する場合におきましても、第九条の三において専門的、技術的指導と助言を与えるという規定になっております。監督立場とか、あるいはまた命令的な立場では決してないのであります。しかしながら、地域社会の社会教育を振興するためには、根本的に何と申しましても、これはある程度地方公共団体責任がございます。また国が補助金を与えなくても、いろいろ社会教育の経費につきましては、地方公共団体等が第一義的にこれを負担していくという建前になっておるわけでございます。従って、それでなお足らないで、あるいはまた奨励的に出す場合に国が補助金をもっていろいろ奨励していく、こういうような関係になっておるわけでございます。従って社会教育の建前としては、おっしゃるような点は確かにございますが、しかしながら、この十三条は、国が補助金を出して国の関係だけを補助金によって律していこうということではないのでございまして、これはやはり地方公共団体の場合が非常に多いのでありまして、団体等に関しまして、国が補助金を出すというよりも、むしろ都道府県市町村の立場として、それぞれの団体事業の必要性を考えて十分それを振興するような方策を講じていく、これが非常に重要な点でございます。従っておっしゃるように、国ばかりのような関係はその一部にすぎないというように考えるのであります。
  130. 野口忠夫

    ○野口委員 国では下の方を見て、必要なところには相当補助してやって、あたたかく国は自主的な社会教育の発展をずっと見守っているんだ。それで下の方ではそのお金をいただいてみんなでどんどん発展するように下の方はやっていくんだ、こういう立場においての補助金の支出であって、私のいうようなものではないのだということをいいますけれども、やはりこれは補助金を出すとなったら、この補助金を出す建前の上から、国はこの補助金支出についてはやはり責任を持たなければならないだろうと思うのですが、補助金を出すということになりましたら、一般に今まで出ておりました補助金適正化法とか、そういうものとの関連は同じものですか、いかがですか。
  131. 福田繁

    福田政府委員 これは申し上げるまでもなく、一般的にこの社会教育関係団体に対する国及び地方公共団体関係は、社会教育法の第十二条に規定いたしておりますように、いかなる方法によっても不当に統制的支配を及ぼしたり、あるいはまたその事業に干渉を加えてはならないというような基本原則がここに明示されております。従ってこういった基本的な原則はこれは国、地方公共団体は守らなければならないのでありますが、しかしながら補助金の場合におきましては、おっしゃるように補助金を当該団体に対して出したというような場合におきましては、補助金は国あるいは地方公共団体におきましてもそれぞれ税金でもってまかなわれておりますので、従ってその補助事業を適正に執行するという見地から適正化法は当然適用になっておるわけでございます。
  132. 野口忠夫

    ○野口委員 そうすると補助金を支出するということについは、国がこれを補助するための条件というものはつくことになってくる。全然これは野放しに補助するのではなくて、国の責任において補助条件をもって、そして補助交付がなされるということになりますと、局長の先ほど言うような、国の支配はないし、統制はないし、下の方ではこの補助金の中で喜んでやれるのだ、こういうことだけでは少し——局長の言うことは話としてはわかっても、具体的にはやはり補助金の支出をめぐってそういう適正化法の束縛も受ければ、その中から生まれてくる補助金の適否というような問題もおのずから国が判断をし、その中から補助金を交付しなければならないということになりますと、先ほど局長の言うたような工合ではなくて、やはり時の政府との関係というようなことが非常に強くなってくるのではないだろうか。このことが国という立場地方公共団体の自主的な立場を守らなければならないという、そういう立場人たちに対して非常に自主性を侵すということをやってしまうのではないかというおそれを感ぜざるを得ないわけであります。そのことが各社会教育団体からいえば、時の政府に対して迎合的になるし、従属的になっていくし、何かその中では社会教育法に示されている教育の中立性というものが侵されていくということが懸念されるし、そうなっていくのではないかというように思うので、この十三条の禁止するという精神が十二条の精神の中で守っていけるのだということではなくて、十二条それ自体の中から国が何か統制的な支配的なものを生み出すようなおそれが生まれてくるのではないかということを考えねばならなくなると思うのですが、いかがでございましょうか。
  133. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 その御意見は社会教育法関係して今まで何べんも、国会内でも外にも申し上げて参ったのでありますが、これはもうあくまでも社会教育団体に補助金を交付いたします場合には、この社会教育団体に補助金を交付するというその行政行為自体が、社会教育法第一条の規定によって、教育基本法の精神にのっとらなければなりませんし、社会教育法第十三条の規定にのっとらなければならぬわけであります。従いまして補助金適正化の法律に違反するというふうな問題があるとすれば、要するに本を買うといって補助金をもらって本を買わなかったり、レクリエーションをやるといって補助金をもらいながらレクリエーションをやらないで飲んだり、これは明瞭に不適正なものとして、法律の違反に相なるわけでありますが、社会教育関係団体に関しまする社会教育の補助金というものは、繰り返して申しますように、社会教育法の目的を達成するようにはっきり第一条、第十二条の精神に従って交付されるものであります。何かしら内容について特別にどう考えるとかなんとかいうふうなことをするのじゃないかという懸念があるのでありますが、これはもう明治憲法下の時代と今日の時代とは憲法もまた教育基本法も社会教育法も違っておるわけでありまして、繰り返して申すまでもなく、私が先ほど申し上げた通りであります。現実を一つお考え願いたいのでありますが、現実には社会教育団体というものは活動するのに金が要るものですから、経常的にもあるいは短期的にもあっちこっちで補助金を求めております。民間の団体が寄付金を求めたりいろいろなことをしておるのでありますが、これにはいろいろな意味においてのひもがくっついておる。これはくっつけられてもしようがないわけでありまして、今日社会教育団体というものが金が必要で、それに対してほんとうに参加者個人の自分たちの小づかいでやるということ以上に効果を上げさせようとすれば、憲法、教育基本法、社会教育法に基きます国及び地方公共団体の補助金というものが最も間違いのない最も中立的なものであるということを確信し、事実それ以外に道がございません。現実に社会教育団体の資金を求めておる状態にあるということを考えまして、それに社会教育法の精神にもとるような寄付を求めたり使い方をしたりすることのないようにすることが、本法の改正の非常に大きなねらいであります。
  134. 野口忠夫

    ○野口委員 大臣の御答弁によりますと、鉛筆を買うというのが買わないでゴム消しを買ってしまった、そういう場合には補助金適正化法にかかるというのですけれども、国の予算を支出する、補助金の支出ということについてはそんな簡単なものではなくて、ことに現在のように補助金の整理、合理化ということが盛んに叫ばれて、学校関係の方でもこれのためにずいぶん大きな痛手をこうむっておるわけであります。そういう中で出す補助金というものは、やはり支出する目的が明瞭にならなければならないし、その目的の対象となる事業についてもある程度吟味しなければならなくなる。なおそれの的確なる使用ということが問題になる。そうした結果については、やはりそれらの報告や調査ということも、十三条を廃止して補助金を出す中では、おのずから生まれてくるのではないだろうかと推測されるわけです。こういうことの中で十二条に示している補助金によっていわゆる支配統制的なものが生まれてくることを避けなければならないという精神、この精神と交付補助金の支出をめぐっての形の中で生まれてはこないだろうかということを懸念されるわけでありまするが……。
  135. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 繰り返して申し上げますが、もちろん補助金は国民の血税によってまかなわれるものでありまして、これがあだやおろそかに使われてはなりませんので、その監督は十分にしなければなりません。補助金の使い方について、その目的についても十分に考えて吟味をして出さなければならぬのであります。その吟味の条件としてはあくまでも社会教育関係の補助金に関する限り、教育基本法の第一条の精神にのっとるものでなければなりませんし、第十二条の規定にのっとって不当に統制的支配を及ぼし、またはその事業に干渉を加えてはならないものでありまして、そういう幅の中において補助金が考えられるわけでございます。ですから、ただいまお話のありましたように、補助金というのはいいかげんに出すものではなくて、はっきりした目的を見、法の精神にかなうようにいたして出すわけであります。使途も監督をいたしまするが、その支出の適格性とかあるいは条件とかあるいはまた支出後の監督とかいうこと自体が、教育基本法の精神、社会教育法の精神にのっとって考えられなければならないものであるという点について、ただいまお話のようなことについてあまり深く御心配になり過ぎて補助金をやらぬ方がいいんだというふうなことは、社会教育活動というものを総体的に効果を上げさせないゆえんでもあるし、またかえってよそからひもつきの金をもらったりすることになる。繰り返して申しますが、補助金自身は厳重に効果のある条件をにらんで出さなければなりませんけれども、その条件自身が教育基本法、社会教育法の精神にきちっと合っていなくちゃならぬということを十分お考えを願いたいのであります。
  136. 野口忠夫

    ○野口委員 大臣のお話を聞いておっても、私の申し上げていることになかなか触れ合わない面が出るのですけれども、補助金支出ということをめぐって、やはり第十三条が規定されているようなおそれが起らないようにという大臣のお話ですから、そういう規定はあるべきであったし、またそのことによって起り得るそういう危険は防がなければならないということは大臣の御答弁の中でも感じられるわけです。全然ないわけじゃない。そういう心配はやはりあるけれども、その目的なり、その方法なりに従って基本法や第十二条の精神をこわさないように注意をしていくんだ、こういうことをおっしゃっているわけですね。今の財源措置として、そういう危険性のある補助金を出すごときりないのだ、その他の方法としては考えられないようなお話でございましたけれども、危険性のある補助金というようなものを、現行法規にちゃんと危険性があるからというて示してあるものまでなくしてしもうて、それをやらねばならないほど地方財源をめぐる豊かにしてやりたいというお考えの中で、そういうものから離れて、社会教育関係団体の財源的な面について国は何か別に考えることはないのでしょうか。
  137. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 お話のありました危険性という問題につきまして、これは一般的に野放図にほうっておくといけないという意味において教育基本法の規定もありまするし、社会教育法第十二条の規定もあるわけでありますが、しかしこういう精神で運営をしていくということを繰り返して申し上げた通りであります。いろいろなやりようがございましょうと思いますけれども、やはり自主的な活動をやり、それに対して援助をしていくということを考えまする限りにおきましては、本来的に社会教育団体が自主的に活動していくその求めに応じて、国、地方公共団体が援助していくという形に相なりますると、私はごく基本的に言いまして、大事なことは、青年団でも婦人会でも、日本人はなかなかやりませんけれども、零細な会費をきちっきちっと納めていき、自分たちの団体を育成するために団体財政を負担する責任を負うということを、青年団、婦人会あたりでやっていくということが非常に大事だと思うのです。今日政党でも党員といいながら党費を納めないようなのがたくさんいるような状態で、あまりいいことではございませんので、むしろ社会教育活動の非常に基本的な面で、少年のころから自分たちの作った団体団体財政というものは、わずかずつでも真剣に出していくという癖をつけるのは非常に大事なことであります。ただなかなかそれに参りません。そうしますと出て参りまする問題はどういうことかというと、一つにはこの団体活動というものが一向はかどらないという形を放置しておくか、そうでなければ、まあ公民館活動なんかの面である程度補いをつけているわけでありますが、国、地方公共団体の方の積極的な施設で、これこそ積極的な施設でありまするから、特に地方公共団体その他で、こういう公民館活動をさせたいということで、いらっしゃいといって寄せてきて、いろいろな話をするというようなことに相なるわけでありますが、結局全く自主的な活動を助成していくか、それで不十分だとなれば、やはり国なり地方公共団体の方でしつらえをして、その中に人を寄せていくかということに相なるわけであります。社会教育活動の面につきましても、学校教育ほどではございませんけれども、公民館活動等を通じまして、国なり地方公共団体なりで宰領しているところに人を寄せて、そこで社会教育活動の面を担当するという点も大事でありますが、先ほど御質問にもありましたように、基本的に大事なのはやはり地域地域の個人々々の心の中にある、また身辺にあります問題を取り上げての自主的な活動の助成が大事でありまして、これに関しましてはほんとうに各団体が骨を折っておるわけです。この自主的活動を助成いたしまするためには、ほかにもいろいろなことはあると思いますけれども、教育基本法、社会教育法の建前によって、厳重にその戒律を守りながら補助金を出していくということは、この上社会教育活動を推進する上において私はいいことだと考えておる次第であります。
  138. 野口忠夫

    ○野口委員 十三条の心配があるということをおっしゃりながら、結論的には地方公共教育関係団体の財源措置としては補助政策がよろしいのだということになってくるのですけれども、私は補助政策というものが決して日本の民主政治の中でよい結果をもたらしていない、これは社会教育団体に対する補助金ばかりではなくて、やはり一般の補助金政策の中でいわれておるのではないかと思う。地方公共団体等も、この補助金を目当てに、あるいは陳情をするとか、いろいろなことで非常に混乱を起しておるということを考えますと、やはり補助金政策は非常に問題が残るのじゃないかと思うし、そのようなことから、現政府の中でも補助金政策に対する批判というものも生まれているわけであります。しかも、事教育というものに対する補助金のあり方につきましては、いかように大臣がおっしゃろうとも、これを出す、もらうという関係の中では、この中から生まれてくる十三条の精神というものは、やはり十二条と関連なしに、基本法と関連なしに、十三条それだけでもってそういう統制支配的なものが行われることを憂うるがゆえの立法じゃないかと思うわけであります。これは一つの法律でありますから、執行の部面に当ってそういうことは厳に慎しんでいくという大臣のお言葉で、一応やり得るかもしれませんけれども、憲法八十九条の問題に触れてくるとなると、大臣の先ほどからの答弁では、この補助金を出すということはできなくなってくるのではないかと思うのです。社会教育法の十三条というものが、法律というものを越えて、その基本的な立場にある憲法の八十九条と関連してきて、「公金その他の公の財産は、」「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」という憲法の第八十九条の精神と、今この法令を改正して出そうとなさる補助金の問題とは相関連する問題でありますので、慎重を要すると思うのですが、この憲法八十九条をめぐっての大臣並びに局長の見解をお聞きしたい。
  139. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 憲法との関係につきましては慎重を期しまして、法制局とも十分相談をして練ったのでございまして、文書で回答も求めまして資料としてお配りをいたしてあると思いますが、なお、憲法論の詳細なことに関しましては、その資料に対する解説の意味で政府委員から答弁をいたさせます。
  140. 福田繁

    福田政府委員 ただいま御質問のありました憲法八十九条との関係でございますが、憲法八十九条は公けの支配に属しない教育の事業に公金を出してはならないという禁止規定になっております。この憲法八十九条の教育事業の定義の問題になってくると思いますが、これは、従来私どもの方では、法制局見解もございまして、八十九条の教育の事業とは、人の精神的または肉体的育成を目ざして人を教え導くことを目的とする事業である、換言いたしますと、教育する者と教育される者との存在を前提にいたしまして、一定の教育目標の達成をはかるために行いまする事業だ、こういうように解釈をいたしておるわけでございます。ところで、憲法八十九条の事業でございますが、それと、社会教育法のいわゆる社会教育という概念、これとの関係を検討いたして参りますと、社会教育法にいう社会教育と申しますのは、御承知のように、社会教育法の第二条に書いてございますように、「学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動をいう。」こういうように定義をいたしております。従ってこの社会教育という中には、体育及びレクリエーションの活動まで含まれておるわけでございます。これを比較して参りますと、憲法八十九条よりも社会教育法にいう社会教育という概念はやや広くなっておる。いわば憲法の教育の事業社会教育法の社会教育というものにはズレがあるというふうな関係がいわれるのであります。従って、かりにこの社会教育法の第十三条の規定があってもなくても、憲法にいう教育の事業には、御指摘のように公金を出せないのであります。しかしながら、それ以外のいわゆる社会教育の中で、憲法八十九条の教育の事業に該当しない事業におきましては、これは補助金を出しても差しつかえない、何ら憲法の趣旨に矛盾するものではない、こういうように解釈をいたしておるわけであります。これはひとり文部省だけでなく、内閣としてはそういう解釈を従来続けてとってきておるわけでございます。
  141. 野口忠夫

    ○野口委員 八十九条の中にある教育というものは、非常に狭い意味の教育なのだという解釈ですが、社会教育法に示している社会教育の目的は一体何かということですね。そこでいう社会教育というものは基本法にのっとってやるということですね。その基本法は、憲法の中で使っておる総称としての教育という言葉の中での教育という言葉を使っているのだと思うのです。だから、公けの支配に属しない教育という、この教育という言葉はあらゆる面を含んでいるということを考えない限り、憲法、教育基本法、社会教育法学校教育法関連性の中で憲法の方が狭いのだということになりますと、一体その下における法律のあり方というものはどういうことになるか。やはり憲法の中でいう教育というものはあくまでも日本の主権者たる全国民の事教育に関するすべての機能的な問題をみんな含めての教育という言葉であり、その教育が公けの支配に属しないものである場合、そのことについては国の公金等を使うことはやめなければならない、こういう建前に立法の体系からいうとなってくると思うのですけれども、先ほどの局長の話からいうと、下から考えてきておる。学校教育というものは計画的なもの、社会教育というものはそれ以外のものをいう、だから社会教育法でいう教育というものは憲法の第八十九条でいっている教育よりは広いものであって、憲法の中の教育は狭いものだということになりますが、この考え方はあとで非常に問題になる個所が多いと思うのですけれども、いかがですか。
  142. 福田繁

    福田政府委員 おっしゃるように、教育基本法あるいは社会教育法にいいまする教育の概念でありますが、これはかなり広く解釈されております。しかしながら教育基本法あるいは社会教育法にいう社会教育の中には、家庭教育も入っておれば、あるいはまた一般の図書館、博物館、それから体育、レクリェーションといったようなものまで包含されておるのでございまして、従って、従来の私どもの解釈といたしましては、そういった図書館、博物館等の社会教育法にいう社会教育という概念の中に入っているものまでも憲法八十九条の教育の事業には含まれていない、こういうような解釈をいたしているわけであります。これは単に私どもだけでなく、学者もそういう見解をとっている向きもございます。従って、そういった社会教育という概念が非常に広いので、憲法八十九条の教育の事業に該当しない事業というものはかなりあるわけであります。社会教育関係団体はいろいろありまして、あるいは体育関係団体もあり、レクリェーション関係団体もあり、あるいはまた文化関係団体もあり、いろいろございます。従って、それらの団体がいろいろ行いまする事業の中には非常に広い事業がございます。そういったものに対して補助金をかりに出すにいたしましても、これは十三条が改正された暁においては少しも支障はない、こういうように解釈をいたしておるわけでありまして、これは先年運動競技に関する団体に対しまして補助金を出しても差しつかえないという社会教育法の一部改正をお願い申し上げたときもそういう解釈でお願い申し上げたのでございます。
  143. 野口忠夫

    ○野口委員 社会教育法は、その法律の目的は、「教育基本法の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにする」こうなっているでしょう。教育基本法にのっとってやることが社会教育法なんです。その教育基本法においては、憲法の理想の実現が教育の力に待つものであるというふうな形でもって教育というものが書かれているわけでしょう。教育それ自体というものは、日本の憲法の理想の実現である民主的な人間の形成を通じて、日本の国が永世に願っているところの理想を実現をしていく過程、それが教育の過程だという解釈なんでしょう。そういう憲法の精神を実現するために教育基本法というものがあり、そこから社会教育法というものが生まれてくる。その精神にのっとってやるということになりますと、局長の言うような解釈があるいは内閣法制局の解釈であるかもしれません。しかしこの問題は、明らかに憲法論争として大きな問題をはらんでおることだけは事実だと思うのです。それを局長だけが一方的に——だからこの憲法解釈についての国の立場というものは、補助金を出すことがおそろしいというのはそこのところにあるのです。何か自分たちの解釈が一方的に正しいのだ、こういう押しつけですね。やはり憲法問題に立ったならば、あなた方だってだれだって、同じ立場で憲法問題には従わなければならないと思うのです。国会の中で作り上げました法律の中においては、あるいは執行上に若干の権限も与えられるかもしれません。しかし事憲法の問題となったときには、法制局がこういう見解だし、内閣がこういう見解だから、これであくまでも正しいのだというてやることは、私は将来に大きな禍根を残すのではないかと思うわけです。学者の中にはそういう見解をとられる方も大へんあるというのだけれども、それと反対の意見を言う人も学者の中におるわけであります。この憲法問題というものは、それだけ大きな問題を八十九条がはらんでいるものを、文部省だけの態度でもって、これは差しつかえないということで十三条を削除していく、この行き方は、先ほどから大臣がるる言われてきた社会教育の自主性とかあるいは自発性というような言葉に立った憲法や基本法や、そういうものにのっとった公務員としての資格を喪失するようなことになるのではないかと思うわけです。それほどこの問題は重要だと思うのですが、いかがでございましょう。
  144. 福田繁

    福田政府委員 お答え申し上げますが、私はもとより憲法学者でもございませんし、憲法の解釈についてはふなれでございます。しかしながら、こういった条章の解釈につきましては、文部省としてはやはり法制局の解釈によりどころを求めるというのが私どもの通例のやり方でございます。従って私は、それを断定的に、それによって全部がいいのだというように、今おっしゃったようには申し上げたつもりはございません。それをよりどころにしているということを申し上げたのでございます。憲法あるいは教育基本法、あるいは社会教育法、こういう新しい憲法の制定以後における法令は、何と申しましてもやはり基礎を憲法に置いておりますので、そういった意味で、基本法には「憲法の精神に則り、」と書いてあります。また社会教育法には「教育基本法の精神に則り、」と書いてある。これは確かに間違いございません。しかしながら、その各条章というものはそれぞれその立法趣旨なりあるいは現実の事態に即して解釈していくというのがいいのではないか、こういうふうに考えるのでございます。     〔「憲法に反してもいいのか、それはおかしいぞ」「反しない範囲でやるからいい」と呼ぶ者あり〕
  145. 野口忠夫

    ○野口委員 そちらの方から、反しない範囲でやるからいいというようなことを言うのですが、憲法というものについてそういうようなものの言い方ははなはだいけない。しかも事教育に関する問題の中で文部省が一番考えなくちゃならないことは、憲法を犯して教育を侵そうとする力に対して文部省は一番戦わねばならぬということで、それが文部省の最大の務めだと私は思っているのです。教育というものは非常におそろしいものであって、教育によって喜んで死んでいくことをさせた、こういうこともあるのです。一度きりしか生まれない人生の中で死ぬことが一番よいのだと教えることを教育はしたのですからね。局長さんはあのころどうしていたかわかりませんが、そういう教育をやったわけです。それで子供たちはやはりその通りに信じていったわけですが、もう十五年もたちましたし、だいぶ世の中も治まったようですから、あの当時死んだ若い人たちの姿を思い出すことが薄くなっているかもしれないと思う。だから自衛隊などが出てきていろいろなことが出てくると思うのですけれども、教育はそういう点で非常に守られなければならないし、青少年のために教育はあやまたないように保っていってやらなければならないわけでしょうその教育の憲法という問題について、文部省が先ほどからこれは見解だというのですが、これは学者に見せてごらんなさい。一体これで正しくいう学者と、学者の中ですぱっとみんなが一つになりますか。それだけの問題のあるものをはらみながら、何か十三条を削除しなければできないのだというものの言い方から、陰に何かあるのではないかというようなことを憶測することもだんだん出てくるのではないだろうか。やはりこの点については、将来あなたの方から補助金をもらったものともらわない団体とがあった場合、こういうことについて最終的にこの憲法問題と関連してきた場合には、だれが一体その問題を考えていくことになるのだろうかということを、自主的な団体に対しての問題として考えていくと、将来混乱の起ってくるものが非常に多いのではないかというようにも心配されるわけです。そういう点についてはいかがですか。
  146. 福田繁

    福田政府委員 私どもの申し上げておりますのは、先ほどからるる申し上げますように、憲法八十九条と十三条との関係は、十三条の方が非常に広い事業を行う社会教育関係団体に対する補助金の禁止を規定している条項でございます。従ってこの十三条をかりに削りましても、別に憲法は厳然として残っておるわけであります。従って私どもといたしましては、この憲法に反するとかあるいは憲法の精神をないがしろにするというようなことは全然考えてないのでありまして、従って憲法の精神を十分尊重しながら参りたいと考えております。しかしながら、もし今おっしゃったように補助金に関しまして何かこれは憲法違反になるんじゃないかというような問題がかりに起きたといたしまするならば、これは私どもの解釈なりあるいはそういう問題でなく、これはやはり現実に裁判所がそういう問題をきめるべき問題だと考えております。
  147. 野口忠夫

    ○野口委員 それではもう少し具体的に今の問題でお尋ねしたいのですけれども、補助金を出すというのですが、昭和三十四年度の予算の中にも一応現われておるようですけれども、補助金を支出する支出項目ですね、一体どんなものに補助金を出そうとしておるのか、これはどうですか。
  148. 福田繁

    福田政府委員 私どもさしあたり三十四年度に考えておりますのは、社会教育関係といたしましては、青少年の指導者が海外に視察等に参ります際に、その派遣費の補助として、青少年指導者の派遣の場合の補助というものを一つ考えております。それからまた、ちょうど今年はボーイ・スカウトの国際大会がございまして、フィリピンでボーイ・スカウトのジャンボリーがある予定になっておりますが、こういった国際的な大会は非常に有意義なものでありますので、その大会に対する補助、渡航に要する経費の補助であります。あるいはまたその後におきまして、滋賀県におきまして、日本のボーイ・スカウト日本大会がありますので、これに対する大会費の事業補助、こういうものを考えております。それからまた大阪におきますところの国際芸術祭がこの四月から行われますが、それに対する運営費の補助というものを考えておるわけであります。そういったものが、大体純粋の社会教育関係の補助金でございますが、体育関係としてはかなりいろいろあると思います。たとえば今年行われまする全国青年大会の開催費の補助あるいはまたスポーツ、レクリエーションの国際行事の補助、あるいはまた全国レクリエーション大会の開催費の事業補助、あるいはまた日・独スポーツ青少年交歓行事の補助、そういったような幾つかの体育関係団体に対する補助というものを考えておるわけであります。
  149. 野口忠夫

    ○野口委員 ただいま局長の言われました予算項目は、従来もずっと出されてきたものじゃないかというふうに私は考えるわけです。あえて、非常に問題の多い十三条の精神の問題もあるし、ひいては憲法にまで上がってくるというような、そういう問題をはらんだ補助金を支給するというような方向に行かなくても、そのままに置いても、今までの御説明になった予算というのは、大体出されてきたのではないか。私からいいますると、十三条の項目はそのまま残しておいて、補助金を統制支配的なものが行われないように守りながら、その中での予算措置というようなものを考える面を国会なり地方公共団体なりが、これを審議して一応作っていくという過程の中に、今のような予算項目はみんな出ておったのでしょう。それをあえて十三条を削除してやらねばならないということは、単に出す方便がよくなったくらいのもので、何、そのほかに、補助金を支出するというと、もっと出せるものがあるというようにお考えになっているのですか。私はそうではなくて、今のようなものをやっていこうとするなら、十三条を置いても、あえてこれを削除しなくとも差しつかえないのではないかというように考えられるわけですけれども、その点いかがでしょうか。
  150. 福田繁

    福田政府委員 おっしゃるように、これは従来補助金ではございませんが、たとえば海外に青年が渡航いたします際に、個人に対する渡航費の援助というような形で出しております。これはしかしながら従来この十三条があるためにそういった個人補助という形をとらざるを得なかったのでありまして、従来からこういった経費はありますけれども、やはり筋としては団体に対する青年団ならば青年団に対する補助金としてこれをまかなっていくのが適正であるというふうに考えております。そういうものは従来からございますけれども、三十四年度の新しいものとしては、先ほど申し上げましたボーイ・スカウトの二つの大会に要する経費、あるいはまた国際芸術祭等に要する経費の補助費、こういったものは純粋に新しいものでございまして、今までなかったものであります。また体育関係におきましても、若干新しいものが、小さいものでありますけれども、出ております。しかしこれは国の場合でありまして、十三条を削除していただきますのは、単に国が補助金を出すということだけではなく、地方の都道府県あるいは市町村が必要な団体事業に対していろいろ補助金として出し得る道を開く、こういう趣旨でございますので、国よりも地方公共団体の方がいろいろな意味において今後補助金として計上されるものがはるかに多くなってくるのではないか、こういうふうに考えております。
  151. 野口忠夫

    ○野口委員 今のように地方に補助金が非常に多く出されるということになると、国の方は減ることは明瞭でありますが、地方で出していく補助金というものは、これは文部省としてはやはり一応の指導はあるわけでしょう。この中には非常に大きな問題がはらまれておると思うのですが、もし補助金が何らの制約なしに地方公共団体の手によってその交付の判断が随意に行われる。そうしてこの団体にはやる、この団体にはやるまいというようなことを各地方公共団体が考えていくということになりますと、補助金をめぐっての問題はさらに混乱するのではないか。現に局長は御存じであろうと思うのですが、参議院でもずいぶん質問があったようですけれども、現在社会教育関係の問題の中では非常にトラブルが起っておることはおわかりだろうと思う。このトラブルの中には、あえて補助金の条項を削らなくとも、地方公共団体が非常に手を入れて、いろいろな干渉が行われているという事実を背景として考えますと、地方公共団体が補助金というものを随意に支出する、そうしてくれる者ともらう者とがその間においていただきたいしくれてやるからということになってくる中では、統制的な干渉というものも考えざるを得なくなってくるのですけれども、その辺はいかがでしょうか。
  152. 福田繁

    福田政府委員 今おっしゃった事柄につきましては、私どもは地方の団体に対して、地方公共団体が補助金を出すという場合に、かれこれ国の方からいろいろ指導、干渉すべきものじゃないと思っております。やはり地方の地域団体に対して、その団体事業というものを十分見まして、地方公共団体がこれは適切なものだという認定に立って補助金を出すわけでありますから、政府の方からいろいろ申し上げるということは、これは適切じゃないと思います。しかしながら、そうだからといって、直ちに地方公共団体がむやみやたらに補助金を出すということは考えられない。これはやはり地方公共団体といたしましても、予算に計上いたしまして、都道府県なりあるいは市町村議会の議決を経て、これによって適切な補助金というものは出していく、こういうことになりますので、そういった御懸念はないと思いますけれども、さらに参議院の御修正によりまして、そういった補助金を出す場合におきましては、社会教育委員会議にあらかじめ意見を聞いて、公平、適正に事を行え、こういうような御修正がありましたので、私どもはそういった趣旨において運用して参りたいと考えておりますし、ますますそういった御懸念は少くなるのではないか、こういうように思っておるわけであります。
  153. 野口忠夫

    ○野口委員 今の地方公共団体の問題も、そのような考え方の中で局長がお考えになるほど——社会教育関係団体の中における団員や会員の問題は、私はもっと深いものがあるのではないかと思うのです。そういうことの問題をやはり地方公共団体の補助金を交付する中では若干のトラブルを持つようなことがより深いものとしてこれを受け取っていくような地方公共団体の社会教育関係団体もあるわけです。そういう面をそのままにしておく現状の中で生まれている社会的なトラブルというものは、文部省としてはもう少し公正な立場で一つ一つの問題を実態に即してよく検討して、今後とも処置してもらわなければならぬと思うのです。今言うた地方公共団体に対する補助金の問題については、さらに問題が残ろうと思います。あとの時間もあるそうでございますので、私が御質問申し上げました八十九条との関連、この問題については、あなたとお話をしていても、法制局の問題にばかりなりますので、法制局関係とあらためてお話したいと思いますので、以上保留いたしまして、私の質問を終ります。
  154. 小牧次生

    ○小牧委員 議事進行について。ただいま社会教育法案について質疑が行われておるわけでありますが、われわれ文教委員会運営については、できるだけ定足数を満たして、そうして熱心に審議をしなければならないということをたびたび要求をして参りました。与野党ともに相当数の議員が出席されて審議を進めて参ったわけでありますが、ただいまの与党の方の出席の状態を見ますと、わずかに五、六名しか出席しておられない、まことに遺憾であります。ほんとうにこの法案を熱心に審議する意思があるのかどうか、きわめて疑わしいものがあると考えられるわけであります。従いまして、ここで一ぺん休憩いたしまして、理事会を開会されるよう要求いたします。
  155. 臼井莊一

    臼井委員長 ちょっとただいまの小牧君の御発言にお答え申し上げますが、現在は定足数はございますので、なおすぐこちらの方からもあと催促して委員を入れるようにいたしますので、どうぞ一つ御協力をいただいて審議をお進め願います。ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  156. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて下さい。それでは会議を続行いたします。  野口君は御退席のようでありますから、次の方に御指名を申し上げます。櫻井奎夫君。     〔櫻井委員「何言っているんだい、順序不同としてあるじゃないか、そういう抜き打ちのことをやってはいかぬよ」と呼ぶ〕
  157. 臼井莊一

    臼井委員長 速正記をとめて下さい。     〔速記中止〕
  158. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて下さい。では、そのほかに質疑の通告がありますから、これを許します。小牧次生君。
  159. 小牧次生

    ○小牧委員 それはどういうわけで私に回ったかわかりませんが、確かにわが党の通告の予定者はあなたのところに提示しました。ただし、それは順序はまだ未定だとそこに必ず書いてあるはずである。従いまして、まだ野口君のあとに、わが党においてはだれが第二に立つか相談しておりません。もうしばらく御猶予を願います。
  160. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは本日はおやりになりませんね。
  161. 小牧次生

    ○小牧委員 まだわかりません。
  162. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは他の通告人の堀昌雄君。
  163. 堀昌雄

    堀委員 法制局長官の出席を要求いたします。
  164. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは法制局長官の来る間御質疑の方、長谷川保君。     〔長谷川(保)委員「そんなばかなことをやらぬで、ちゃんと話し合ってやれよ。議会というところは話し合いの場ですよ、話し合いをしてやりなさい」と呼ぶ〕
  165. 臼井莊一

    臼井委員長 質疑を留保されるのなら、他の御質疑の方ありますか。     〔「そんなばかなことがあるか、話し合いをしなさい」と呼ぶ者あり〕
  166. 臼井莊一

    臼井委員長 ではちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  167. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて下さい。小牧次生君。
  168. 小牧次生

    ○小牧委員 議事進行について……。本日は本委員会におきまして、社会教育法の質疑に入るということは確かにわれわれも了承はいたしましたが、先般の理事会におきましては、今政府が出しておる学校安全会法案とそれから社会教育法案の審議と同時に、もう一つ、日本社会党から十幾つの法律案が議員提案として提出されておる中で、少くとも二つぐらいは並行して審議をするということが理事会で決定されたことを私ははっきりここで申し上げたい。従いまして、本日社会教育法の質疑が行われておりますが、この議員提案に対する審議、質疑は委員長においてはどのように取り扱っていくおつもりであるか、あらためて理事会を開いてそういうことをきめる気持でもあるのか、お伺いいたします。
  169. 臼井莊一

    臼井委員長 小牧委員お答え申し上げますが、現在議題になっております三法案について並行審議をする、こういうことの決定でございますので、議事の整理上、一応三法案の御審議を続行願いたいと思います。その後において各種法案、残された問題を審議いたしたいと思います。
  170. 小牧次生

    ○小牧委員 ただいま委員長から私に答弁がありましたが、その三法案という法案の二つは、政府が出しました学校安全会法案と社会教育法案だと思いますが、もう一つは何をさしておられますか。少くともこの前の理事会におきましては、わが党が出しました十幾つの法律案の中で二つ程度は並行して審議をするということが確認されております。お伺いいたします。
  171. 臼井莊一

    臼井委員長 お答え申し上げます。委員長承知している範囲内では、並行審議とは、社会教育法等の一部を改正する法律案並びに日本学校安全会法案、さらに社会党提出国立及び公立義務教育学校児童及び生徒災害補償に関する法律案、以上三法案の意味でございます。
  172. 小牧次生

    ○小牧委員 先般の理事会におきましては、先ほど来たびたび申し上げる通り、議員提出岸の法律案については十幾つの中で少くとも二つくらいを取り上げて並行審議をするということで、具体的にはいまだどの法律案を審議するということは正式に決定を見ていなかったと僕は考えております。従いまして、いずれ理事会等において取り上げる法律案をおきめになる、こう今まで考えておったのでありましたが、ただいま委員長の言われるのは、これは委員長独自の考えであるのか、どういうわけです。
  173. 臼井莊一

    臼井委員長 小牧委員お答え申し上げます。  委員長の考えは、ただいま申し上げました通りですが、その問題につきましては、後刻の、本委員会終了後の理事会においてお計らいいたします。
  174. 小牧次生

    ○小牧委員 本委員会終了後の理事会ということになりますと、常識的に考えて、今社会教育法の改正案が審議されておりますが、それで打ち切って、その後の理事会というわけで、わが党提案の法律案は全然審議される時間がないということを意味すると考えます。それでは先般の理事会の決定に違反する、話が違う。あらためて理事会を開いて、それを正式にきめて下さい。
  175. 臼井莊一

    臼井委員長 小牧君にお答え申し上げます。当初に、ただいま申し上げた三法案を一括して議題といたしておりますから、どうぞその意味に御了承願います。
  176. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 議事進行。ただいま委員長のたびたびの社会党の委員さんに対する質疑の御催告がありましたのにもかかわりませず、社会教育法等の一部を改正する法律案に対しましては、社会党より質疑者が出ておりませんので、委員部で、従来の慣行を御調査の上、社会教育法等の一部を改正する法律案につきまして、社会党の御質疑がもはやないものと取り扱うことができるかどうか、委員会の先例その他を御研究になって、委員長におかれまして適宜御処理を願いたいと存じます。(発言する者あり)
  177. 臼井莊一

    臼井委員長 ちょっと速記をとめて下さい。     〔速記中止〕
  178. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて。申し上げますが、先ほど野口忠夫君及び堀昌雄君から政府委員の出席要求がございましたので、ただいま委員長より出席を求めております。  なおこの際委員の各位にお願い申し上げるのですが、政府委員出席の要求は、質疑通告の際あらかじめ一つ委員長までお申し出を願いたいと存じます。  申し上げます。法制局長官が予算委員会のためにお見えになれませんので、第一部長の亀岡康夫君がお見えになりましたので御了承いただきたいと存じます。それでは先ほどの質疑を続行いたします。野口忠夫君。
  179. 野口忠夫

    ○野口委員 憲法八十九条をめぐって法制局見解をお聞きしたいと思います。憲法八十九条に示してある教育というものの内容はどういうことか、御説明をいただきたい。
  180. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お答え申し上げます。憲法八十九条に規定いたしております教育の事業とありますのは、人の精神的または肉体的育成を目ざして人を教え導くことを目的とする事業、従って教育する者と教育される者の存在がなくては、教育の事業である、こういうふうにはいえない、こういう解釈をいたしております。
  181. 野口忠夫

    ○野口委員 それでは社会教育法にいう社会教育というもの、これについてはどのような御解釈をなさっておられるかをお聞きしておきたい。
  182. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 社会教育法におきましては、その第二条で社会教育の定義が定められておるのでございまして、ここにございますように、「学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)」こう規定しておりますので、社会教育法の社会教育とはその定義によることとなると思うのであります。なお憲法上の教育の関係を申し上げますと、社会教育法にあります社会教育の概念とはこれは若干違うのじゃないか。と申しますのは、ここにございますように、「青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)」こういうふうにありますので、憲法の教育の事業よりも若干概念が広いんじゃないか、こう考えております。
  183. 野口忠夫

    ○野口委員 憲法でいう教育ということは、このこと自身が、ただいま御説明のあったような、系統的、計画的に行われる学校教育というものと、それ以外のものの社会教育というものと、二つに分けてあるこの総称の上に、教育というものが立っているというように解釈をすることが妥当ではないかと思うのであります。憲法それ自体の中において常に使われている教育という言葉は、これは系統的なものだけを言うのだというような意味ではなくて、少くとも日本国憲法は、憲法の示すような日本の民主的な社会を作るために、その人間を育成していくというような立場に立って、憲法の精神を実現していくために、その上に成り立っている教育ということを言っておるのであって、社会教育法には社会教育とはこういうものだという規定がありますけれども、それは学校教育との区別をさしているのであって、憲法の中の教育というものとこれとは区別されているのだ——範囲が広かろうが狭かろうが、そのことは、憲法の中に示している教育というものの概念からは、別個に考えるということはあり得ないと私は思うのですが、その点についてはどうですか。
  184. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 憲法に言っております教育の事業、この概念を考えますにつきましては、この憲法八十九条の規定の趣旨を考えて判断をしなければならないというふうに考えられるのであります。ところで社会教育法に社会教育の定義を下しておりますが、これは必ずしも憲法八十九条の教育をそのまま引っぱって参りまして概念を規定しなければならないという性質のものではなくて、別個の社会教育法として、立法政策としてそういう定義を下すということは十分可能であるし、また考え得ることだと考えております。
  185. 野口忠夫

    ○野口委員 第八十九条の憲法の精神は財源支出にからんでの問題だと思うのです。財源支出ということにからんでの教育ということの問題を対照的に言っておるのであって、この八十九条で言う教育というものは非常に狭いものだという解釈はおかしいのじゃないかと思うのです。ここは財源を出すときの教育というものであって、教育それ自体についての範囲の広さとか狭さとかをここで論ずべきものではない。とにかく公けの支配に属しないそういう教育、つまり教育というものは公けの支配に属しないものである。そういう教育の事業に出してはならないという規定が八十九条であって、この中にあるところの教育と他のところにある教育とは概念的に別なものであるということは、八十九条の中から読み取れないように思うのですが、どうでしょう。
  186. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 八十九条の解釈の点についてのお尋ねでございますが、八十九条は、ここにございますように、公けの支配に属しない教育の事業に対し公金を支出してはならない、こういうことでありまして、その趣旨は、教育の事業については、公けの支配に属しない事業であれば、すなわち純粋に私的な事業であれば、それは公金を支出することによって関与してはならないというのが一点。もう一点は、こういう公けの支配に属しない教育の事業というものに公金を支出するという名目をとりますと——名目をとりますというよりも、公金を支出するということになりますと、国の財政の見地から見て、そういう支出が乱費されるというきらいがあるので、八十九条によってそれを押えていこうというのがその趣旨かと存じている次第であります。
  187. 堀昌雄

    堀委員 関連して。社会教育法第二条に「この法律で「社会教育」とは、学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動をいう」こういうふうにあるのは、ある一つの教育という概念の中から、学校教育法による学校の教育課程として行われる教育活動を除くのであって、これは何にもないところから除くのではない。ある一つの教育というものの大幅な概念というものをここに一応予想した上で、その中にこまかく分けて、学校の教育課程として行われる教育活動と青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動、こういうふうに二つをここに分類しておるということは、少くとも教育というものは、この社会教育法法律を書いたその時点においても、あなたの言われるような学校の教育課程に基く教育のみをさしておるのではないということは、この条文で明らかだと私は思うのですが、その点いかがですか。
  188. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 社会教育法の第二条についてのお尋ねでございますが、これは必ずしも憲法で言っている教育の概念を受けて考えておるとは考えていないわけでありまして、ここにありますように、学校の教育課程として行われる教育活動を除いたそれ以外のこういうものについて社会教育という、こういうふうにありますので、必ずしもこれが直ちに、憲法に一つの教育のワクがあって、その中でこういう二つのものに種類分けされる、こういうふうに考える必要はないと思います。
  189. 堀昌雄

    堀委員 私は何も今ここで憲法のワクなどとは言っていないのですよ。教育という言葉が普遍的に日本の国では行われているわけですね。教育とは何であるということになりましたときに、これは私この前あなたに東京都の問題について伺ったときも、要するに現在における時点の現象から逆に持っていって、そうしてそういう解釈をしようとする傾向があった。私はあのときすでにおわかりになったと思うのですが、今回もさっきの質問についての答弁を伺っていると、今の社会教育法におけるそういう問題をまず固定しておいて、それの関連において憲法の教育を見ようという。これは私は逆だと思う。国の憲法において定める教育というものが先にあって、その憲法の定めるところからあとの問題は二次的に起ってくる。ものの見方を逆にして、あるところにピントを合せて持っていくという考え方は、私は法制局の考え方としては公正でないと思う。法律の考え方の建前としては、まず憲法の前に、日本語における教育というものは何かという一般的な概念があるはずだ。そうしてその上に立って、教育という問題を憲法でその言葉を使って規定しておるのであって、憲法があって教育があるわけじゃない。われわれの憲法というものは、少くとも日本における一つの教育という概念の上に立って、その概念を教育という格好で憲法に書いてある。その後に社会教育という問題が起きてくる。それをあなたの話を聞いておれば、先に社会教育の方から問題をずっと憲法の方に持ってきて、そうしてこれはこれに当るという表現では私は納得できない。だからまずその前に憲法を離れて、あなたのおっしゃる教育というものは、一体さっきあなたがおっしゃったような幅の狭いもので、日本語としていつでも通用するものかどうかということを伺いたい。
  190. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 その点は仰せのように、社会的に一般に教育とは何かということについては、これはいろいろ考えられるところかと思います。従って社会教育法において社会教育とはこういうものだということをわざわざ定義を下しておるわけでありまして、仰せのように、一般の教育という中で社会教育法でいっている教育というものはこういうものをいうのだということをいっているわけであります。ところで憲法でいっております教育というのはいかなるものであるかということは、これはあくまで憲法の八十九条の規定に基いて解釈をしなければならないということで、これはやはり必ずしも通俗的と申しますか、一般に教育といわれておるもの、それはどういうものであるかということは別にしまして、それとあわせ考えなければならないという性質のものでもないと思います。
  191. 堀昌雄

    堀委員 大体私どもが持っておる、皆さんのお持ちになっておる六法全書、我妻榮さんがお書きになった六法全書を見ても、八十九条のうしろの方にちょっと関係のあるところが書いてあるのです。そこには社会教育法の十二条、十三条というのがそのうしろへちゃんとくっついているのです。憲法及び六法全書を作ったこの人たち法律の専門学者がやはりこの関連において見ておるということは、あなたのお持ちになっているこれにちゃんと出ているわけです。これは純粋に公正な立場で学問的にすなおに見るならば、前に灘尾さんのおっしゃったようにさらっと見れば、これは必ずこういうふうに読めるようになっている。ちゃんと憲法学者はこういうふうに書いている。あなたが現在この委員会のこの時点に立って、ともかく文部省との関連において事前に協議された結果が、ここに出たところの法制局一発第八号、三十二年二月二十二日ということになったのだと私は思いますが、憲法の解釈とか、法律の解釈がその時期、時点において都合によって解釈をされるというような法制局見解については、私は非常に大きな不満を持っておるわけです。少くとも皆さんは法律の番人であってもらいたい。要するに最高裁判所が司法権の最高の位置にあるように、法律の解釈についての法制局見解は、その時期、時点とかいろいろな問題で左右されないようにお願いをしたいと私は常に考えておるが、どうも今の答弁を聞きますと、今度の社会教育法のこれをはずすのに都合のいいようなふうに憲法は書かれておると私は理解する。それじゃなぜこの前に、そういうふうに第十三条があるというときに——これはあなたは我妻さんのことは関係ないかもしれませんが、ここに書いたということは、憲法の学者がこういうふうに書いておることは、憲法の関連において彼らが見ておると私は理解する。そこでもう一つそれに関連して、さっきもお話が出ておる第二条には「教育活動を除き、」というふうに書いてある。「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として」何々と、こういうふうに書かれている。「除き、」ということはある一つの概念があって、その中でこれだけを除いて、残りのものとしてこれを社会教育というのだというのが、この第二条に書かれた法文の精神であると思うが、あなたはどうですか。これは何もないところから除かれるのですか。
  192. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お答えいたします。  最初に申し上げたいのでありますが、そのときそのときによって、その時点において解釈している、こういうお説でございますが、われわれといたしましては別段そういうことにこだわってないのでありまして、憲法八十九条の解釈につきましても、すでに過去何年かにわたって教育の概念については同じように考えておりますし、またこの点について、過去においてすでに昭和二十四年当時に意見を出しているようなわけでありまして、その解釈と現在まで何ら変えてないわけでございます。そこで今のお尋ねの第二条の「除き、」という点でございますが、これは学校の教育課程として行われる教育活動というものと並べまして、ここのあとにありますように「青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動」、こういうものが社会教育である、こういうふうに規定しておる。お説のように一般的な通俗的な教育というものがあって、その中からこういうものが除かれて、あとにこういう概念が残るというふうに差し引きしてお考えになっても、それは別段とやかく言うべき性質のものではないと思いますが、あくまでそれは社会教育法上の問題である、こういうふうに考えているわけであります。
  193. 堀昌雄

    堀委員 これは見解の相違ということになりますから私はこれで終りますが、やはり納得ができないのです。そうすると今おっしゃったあなたのその教育という言葉の定義は、憲法上どこに出ておってもすべて統一見解だということですね。憲法の八十九条にはいろいろごちゃごちゃ書いてありますが、あなたのおっしゃった教育という言葉はすべてこれの統一見解として了解してよろしゅうございますか。
  194. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 この教育の事業ということにつきましての解釈でありますが、これは八十九条にあります教育の事業という解釈でありまして、従来から変っておりませんし、現在もその通りに考えておるわけであります。
  195. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 関連して。憲法八十九条の、公けの支配に属しない教育の事業に対して公金を支出してはならないという意味は、これはもちろん国費の乱費ということを戒めるという点もありましょうが、しかしもっと大きな問題は、教育に対する時の支配者の権力支配というものを排除したものでなければならぬと私は思います。それが重点だと思います。御承知のように教育に対する権力支配というものは、民主社会においては非常な注意をもってこれを排除しておるわけです。でありますから、教育の地方分権あるいは国民全体に対して直接に責任を負うというような言葉が教育基本法には御承知のように出てくるわけであります。それは時の権力者、支配者というものから教育というものを守る意味を持っておるわけであります。この八十九条のところにおきましても、公けの支配に属しないところの、いわば私学というようなもの、あるいはその他の社会教育、こういうものに対する時の支配者の権力支配というものを排除していく、これは教育の本質からしてそういうことを言っているに違いないと私は思うのであります。これは慈善の場合においても同様です。ことに教育の場合においては私はそういう意味があると思うが、あなたはそういうことは考えませんか。
  196. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 先ほど八十九条の趣旨につきまして二つ申し上げたわけであります。そこで今仰せになりました点は、まさに先ほど私が申し上げました第一点に当るわけでありまして、仰せのように、公けの支配に属しない、すなわち純粋に私的な教育の事業というものがあれば、そういう公金を支出するということによりましてそれに干渉してはならないという精神があることは申すまでもないと思います。
  197. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 あなたの方から出したこの「憲法第八十九条にいう教育の事業について」というのを読んだのでありますが、この文書の二枚目のところに書いてある「意見及び理由」というものを見ていくと、四行目からあとのところに「その精神的又は肉体的な育成を図るべき目標があり、教育する者が教育される者を導びいて計画的にその目標の達成を図る事業でなければ教育の事業ということはできないのであって、」こう書いてありますが、この教育の事業という場合、たとえば個人個人を教える、あるいは団体でもそうですが、何か一つのことを言葉でもって教えるというようなことだけをさすのではなくて、それに付随するすべてのことが含まれて事業と言えると思うのです。たとえばいろいろな準備も何もかもあると思うのです。場所もありましょうし、教材もありましようし、いろいろあるだろうと思うのです。だから広く言えばたとえば体育大会などでもレクリエーション大会などでも、競技会というようなものでも、そういうものをみな含んでいると私は思うのですが、どうもあなたのこの解釈を見ていると、具体的にあなたが言う社会教育の場合に、教育の事業というのは何であるかというと私ども具体的にわからないのです。あなたの言う憲法八十九条に抵触する社会教育の仕事というのは具体的に言うとどういうことがありますか。私はみなこれにひっかかると思うのであります。だから抵触する社会教育の具体的な仕事というのはどういうこととどういうことがありますか、一つ教えてもらいたい。
  198. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 今おあげになりました私の方から出しました三十二年二月二十二日の文書でございますが、そこで教育の事業というのを具体的にこういう場合には教育の事業に入るだろうというふうにこの当時申し上げたと存じておりますが、今のこの書類の二枚目の裏側でございますが、「研究会、読書会、鑑賞会、講演会、講習会その他いかなる名称を用いるとを問わず、教育の事業に該当するものと解すべきであろう。」こういうふうに言っておりますので、たとえば一番典型的な場合に講習会などが開かれて、そこに教育をする者、教育を受ける者、こういうものがありました場合には、それはまさに教育の事業じゃないか、こういうように考えております。
  199. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 たとえば競技会だとか体育会だというようなものを持つとして、そこでは教育する者とされる者は全然ないのですか。社会教育というものは主として相互教育だと思うのです。これは私一個の意見ではなくして、学者の意見でもそうであります。社会教育というのは本来は相互教育だと思うのです。     〔委員長退席、木村(武)委員長代理着席〕 それだから対等の立場で教えたり教えられたりというものが主だと思うのです。だから社会教育というものは、本来学校のように先生がおって生徒がおるというのじゃなしに、相互に教育されている、そういうことが社会教育の中心だと私は思うのです。私だけじゃありませんよ。学者もそう言っています。だからそういうように考えてくると、今の競技会や体育大会はこれに抵触しないのだというようにここに書いてあるけれども、そうじゃないのです。競技会、体育大会自体でも本来はやはり社会教育の一つなのです。それだから先ほどの社会教育法にははっきりとこれも含むのだと書いてあるのでしょう。そういうものなのですよ。だからそういう一切の社会教育的な事業をも含めて、それに対して権力支配が行われてはいけない、こういうようなことが言われるわけです。ことにわれわれが明治から大正、昭和にかけてあの社会教育の名においていかに時の政府が青年団その他の者を戦争にかり立てていったか、ほんとうの純粋な教育という立場ではなくて、それを一方にひん曲げていったか。そういうことをここで深く警戒しなければならぬ。またそういうことであれば本来の教育というものはできないのです。こういう立場から言われているのであって、それじゃ競技会、体育大会はあなたの言う教える者と教えられる者があるのかどうか。これは教える者と教えられる者とあるのですよ。それは相互的にありましょう。さらにまたそこにもいろいろな人がついておりましょう、指導者がついておりましょう。それだからこれが教える者と教えられる者はないのだということにはならないでしょう。競技会、体育大会だって事実ならないでしょう。あなたは競技会、体育大会は教える者、教えられる者もないし、こういうものは計画的なものではないと言っているけれども、みな毎年計画的にやっているのではないでしょうか。そういうものだから憲法八十九条に抵触しないのだというのは変ではないですか。教える者、教えられる者はちゃんとあるでしょう。なるほど学校のように先生生徒という関係は比較的薄くなってくるでしょう。しかしそれが本来社会教育の姿なんです。相互に教えられておるのです。だから社会教育といわれておる場であって、教える者と教えられる者がないとは言えない。この例を見たってそうでしょう。どうもあなたがこういうように言っているのは変だと思うのだが、非常に無理があると思う。だからこういうものをも一切含めまして社会教育、あるいは学校教育、プライベートな私立の学校教育、そういうようなものに決して時の政府がいわゆる思想善導的な変な権力支配をしてはならない、民衆の根本を育てるために……。そう言っているものだと私は思うのです。あなたの文書を見たってどうも明確でないのです。納得できないのですが、その点どうでしょうか。
  200. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お答え申し上げます。教育という非常にむずかしいことでございますが、憲法で言っております教育というのは、昭和三十二年二月二十二日に申し上げております通り、「教育される者についてその精神的又は肉体的な育成を図るべき目標があり、教育する者が教育される者を教え導いて計画的にその目標の達成を図る事業」というふうに考えるわけでございまして、やはり相手方と申しますか、教育を受ける者、そういうものが存在しておって、その心の中と申しますか、精神を導いていくという概念が入ってこなければ教育と言えないのじゃないか、こういうように考えております。  そこで今お話の相互教育というものも教育じゃないか、これはものの考え方で見解の相違にもなるかと思いますが、そこでは教育する者と教育される者とこう二つあって、それがまさに教育ということに当りますれば、もちろんそういうことにもなるかと思いますが、普通体育大会というような場合に、運動競技をやるというようなことでありますと、それは教育される者と教育する者という二つの存在があって、そこでそういうことを行われておるというふうには、必ずしも考えられないと思っておる次第であります。
  201. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 だからあなたの言う1から6まではここに該当しないのだと書いてある。だから今言ったようなうにある競技会とか体育大会というものは教える者と教えられる者は全然いないのですか。計画的でもないのですか。その中で人々は学ぶのではないのですか。集まった青年は多くのものを学ぶのではないですか。しかも教育という場合には体育も含まれると書いてありますけれども、そういうものは教育と言えないのですか。教える者と教えられる者はないのですか。やはりそこでみな教え、教えられているのでしょう。しかも実際問題として指導者もいるのでしょう。だから競技会、体育大会というものは該当しないと書いてあるけれども変じゃないですか。あなたの文書は一貫しないじゃないですか、どうですか。
  202. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 ここにございます通りに競技会であるとか体育大会、こういう場合におきましては、「教育される者についてその精神的又は肉体的な育成を図るべき目標」及びその計画的な達成という要件を欠いているから、従ってこれらは教育の事業に該当しないと解釈する、これは私は今もその通り考えておるわけでありまして、単に運動競技をやっている、確かにそれはお互いに何らかつながりはあるかと思いますけれども、それが一般に人を教える、また教えられるという考え方ではないというふうに考えております。
  203. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 だから、あなたの言うことは全然筋道は立っておりませんよ。競技会、体育大会はちゃんとここに書いてあるような条件はみんな備えているではありませんか。では、その前を読んでみましょう。「教育資料を公衆の利用に供する事業又は資料展示会若しくは展覧会の開催」ということがありますね。これは教育されないのでしょうか。学校教育ではありませんよ。学校教育ではありませんが、これによって教育されるのですよ。これを社会教育というのでしょう。これを教育というのでしょう。社会教育の中に——「図書・記録・視聴覚教育資料を公衆の利用に供する事業又は資料展示会若しくは展覧会の開催」ということがありますけれども、こういうことをやることを社会教育というのでしょう。そうして教育する者と教育される者とちゃんとあるのでょう。しかも何をやろうかという計画をされておるのでしょう。そしてこれによって教育されていく。そうしてこういうものに国の金を出して、国の政治的な意図のもとに持っていってはいけない、ことに権力支配に持っていってはいけないというところから、こういうものに公けの金を出してはいけないということになっているのです。戦時中のことをごらんなさい。こういうことで、みなずっと引きずっていっているじゃないですか。国の当時者の権力支配というものを実現する、これを目的にしたではありませんか。ですから、そういうことでは民主主義のほんとうの教育はできないのだ、個人の自主的な人格を形成していくようなことはできないのだ。そういう危険があるからこれはいけませんよ、というのが八十九条なんじゃないですか。そうじゃないですか。
  204. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 今おあげになりました、図書・記録を公衆の利用に供する事業、こういうものは教育であろう、こういうお尋ねでございますが、まさにそれは社会教育法でいっております教育であるかもしれませんし、またそのあと競技会、体育大会、こういうものにつきましても、それは社会教育法の教育かもわかりません。それから社会教育法におきまして、従来こういう社会教育の事業というものが今仰せの通り権力支配に服する、こういう考え方から、それは公金を出してはならないというふうに今までは規定があったわけでありまして、そして今回これを改正されようとなさっておると思いますが、こういう憲法と離れて申しますと、教育のこういうものについてそういう金を出すということは差し控えた方がよかろうという考え方も、それはあり得ないことではない。これはあくまでも立法施策の問題で、今お話のようにそういう考え方もそれは成り立たないこともない。しかしながら憲法八十九条にいっております教育の事業に、それでは抵触するかどうか。公共の性質上抵触するかどうかといいますと、今のような教育の事業についてはそれは教育の性質上当らないだろうということを、るる従来から申し上げておるわけでございます。
  205. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 だから、あなたが抵触しないだろうということをおっしゃるときには、それには筋道が立っていなければならぬわけです。だけれども、今のあなたのおっしゃることを聞いておると、筋道は立っておらないのですよ。なるほど、そういうこともあるでしょう。なるほど、そういうふうな教育的なものになる、あるいは国の権力がそれを支配する道具に使う教育の仕事になることがあるでしょう。あるでしょうなら、やってはいけないのですよ。あるでしょう、しかし今までるる述べておりますように、それは憲法八十九条に抵触しないものと思います。思いますならば、思いますについてのわれわれを納得させるだけの筋道が立っておらなければなりません。ところが、あなたの申し上げることは筋道は立っておらないのですよ。     〔木村(武)委員長代理退席、委員長着席〕
  206. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 私の申し上げることは自分では筋道が立っておるつもりでありまして、今の教育の事業、こういうものを考えた場合に、それは立法施策として、そういうものに金を出すということはよろしくないだろうという考え方と、もう一つは憲法にいう八十九条の禁止している支出、これに抵触するから出さないという考え方、これは二つあります。従って、この憲法八十九条に抵触するような公金の支出、これは立法で許されないのであります。ところがこれに触れないものについては、あくまでも立法施策の問題である。そういうものに公金を出すことはよろしくないという考え方もございましょう。またそういうものに出しても、ほかの監督をしないというような制約をつければ、出してもよかろうという考え方もまた成り立たない問題でもないと思います。これはあくまでも立法施策の問題であります。それについて、国会で十分御審議になる問題かと思います。
  207. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 それでは、「単に人の知識を豊富にしたり、その関心をたかめたりすることを目的とするだけの事業であって、教育される者について、その精神的又は肉体的な育成を図るべき目標があって計画的にその達成を図るのでないものは、」云々とありますけれども、今申し上げましたここに掲げておりますもので、単に人の知識を豊富にしたり、人の関心を高めたりするということで、教育にならないということで、展覧会その他をやるというようなことはあるのでしょうか。それから単に知識を豊富にするということと、教育するということと、あるいは教育されるということとどう違うのでしょうか。
  208. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 これは今おあげになりました文書にもあります通りに、単にその知識を豊富にしたり、その関心を高めたりするということ、こういうことだけを目的にしているということでは教育にならないだろう。教育というものはもっと高尚なもの、もっと程度の高いものと申しますか、よく私は十分に表現できないのでありますが、この用語を使いますれば、教育される者について、その精神的または肉体的な育成をはかるべき目標があって、計画的にその達成をはかるもの、こういうのが教育の事業、そういうものでなければこれは教育の事業でないだろうということを言っておるわけであります。
  209. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 だから「図書・記録・視聴覚教育資料を公衆の利用に供する事業又は資料展示会若しくは展覧会の開催」こういうものは、何といっても確かに知識を広めますよ。知識を広めるのでありますが、そのこと自体が教育じゃないのですか。社会教育はそういうことを含んでいるのじゃないですか。そのほかにもたくさんありますけれども、社会教育にはそういうものを含んでいるのじゃないですか。そういうことを含んでおるが、憲法八十九条には抵触しないという論拠が私にはわかりません。たとえば展覧会がある。そうすれば、何のために展覧会をやるかという計画がありますね。その計画をした人もありますね。展覧会を見に行って、ははあ、大したものだという人がありますね。それは教育する人と教育される人とあるわけですね。そこには計画もあるわけですね。だからそういうものが、何ゆえに憲法八十九条に抵触しないところの教育といえるのか私にはわからない。憲法八十九条はこういう教育でなければ抵触をしないとは書いてない。教育という言葉で書いてあるのですよ。だから、教育という言葉で書いてある以上は、今のようにこのこと自体を見ましても、確かにこの人は知識をふやし教育をされているわけですよ。それだからそれが憲法八十九条に抵触しない教育であると断定して参りまするその根拠が、私にはわからない。
  210. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お答え申し上げます。今の図書・記録・視聴覚教育の資料を公衆の利用に供する事業、これは社会教育といわれると思います。こういう事業については確かに社会教育であるかもしらないけれども、それは人を教え導くという概念にはまる事業ではないだろう、こういうことを申し上げておるわけであります。それではなぜ憲法八十九条の教育の事業というものをそういうふうに解釈しなければならないか、どこにも定義がないじゃないか、こういうお尋ねかと思いますが、八十九条にいっております趣旨は、先ほど申しました通り純粋に私的なそういう教育の事業、これについては公けの金を出すことによって干渉してはならないという一つのねらい、それからまた逆に、そういう事業に金を出すことによって国の経費が乱費されてはならないというのが憲法八十九条の趣旨でありまして、八十九条でいっているのは、非常に純粋な人の心の中にあるものを導いていくというか、お互いに相対しまして人の心の中にあるものを引き出していくという非常に純粋な概念が八十九条にはあるのです。こういう意味で八十九条にいっている教育というものと、社会教育法でいっている社会教育というものとは違うんじゃないか、こういうふうに申し上げておるわけであります。
  211. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私は展覧会を見に行って非常に高尚な心を導き出されるんです。それは博物館でも——私は外国旅行をするたびに博物館をことに一生懸命に見て歩くのであります。あるいは美術館でも、あるいはその他の展覧会でも私はできるだけ顔を出すのでありますけれども、そこで非常に高尚なものを導き出されるのです。そういうようなものだから、公けの機関に属しないものは、そこに金を出して権力支配を行うということになってはいけないから、これを私は禁じていると思う。やはり憲法はすなおに読まなければいかぬと思う。なるほどたとえば青年団や婦人会に金を出すという問題が出て参りますね。諸君はいろいろな社会教育をやっているということで金を出すということが出てくるかもしれませんね。そのときに現にすでに地域婦人会のごとき非常にいやしいものになっていっているところがたくさんあるんです。そして時の政府にだけ従っていけばいいというようなものになってくるのです。そこではほんとうの民主主義的な人格が陶冶されて、そうして民主的な社会をみんなが形成していくような人格でないものが作られつつあるんです。現にそういうことになっている。それだから私は、今あなたのおっしゃった非常に高尚なものであって、計画的にあるいは長い期間ある場所等を使ってやるものだけが教育であって、そのほかのものはそうでないんだ、こう言うけれども、そうではないのであって、展覧会に行って私どもが実に感嘆をして帰ってくる。それだから、あなたの言う何ゆえに八十九条に抗触しないかということが、どうしてもふに落ちない。この点については私ども委員長に申し上げますけれども、どうも最近の法制局のあり方を見ていると、曲学阿世的な考え方をする。時の権力に従い右顧左眄していく傾向が見えるように思います。そういうことではいけないのであって、先ほど同僚委員が申しましたように、法制局はほんとうに純粋に法律を守ってもらいたい。  そこで問題は、この補助金を出すのよしあしはともかくといたしまして、純粋に憲法を解釈するというか、何といっても私は法制局の解釈は無理があると思う。でありますから、この点はわれわれが立法者として、また行政当局を監督する任務を国民から負託されているという重大な任務を考えて、十分な権威のある学者諸君に来てもらって、この問題に対する参考意見を聞くように計らっていただきたいと思います。これはこの間のお話で明日というようになっておりましたが、不信任案を出すために、われわれの党としてはそれに参加することを禁ぜられておるわけです。明日は一切の委員会を開いてはいけないということになっておるわけであります。けれども、私どもはそういうようないろいろな事情がありますけれども、この問題をおろそかにして過ごしますならば、後に非常な悪い影響を残すと思います。これは必ずしも今自民党が政府を作ってるからというだけでなくて、私どもが政府を作りましても、ほんとうの民主主義の発展のために不幸なことをしないとは限りません。権力を握る者はとかくそうなりやすい。で、私はこの問題は日本の将来に大きな問題を残すと思いますから、この点について十分権威ある学者の意見を聞く機会を、両党において、後の理事会におきまして十分御検討になって、必ず与えられるように要望をして、私は非常にこれは不満であります、ただいまの御答弁は全然私は了承しませんが、一応、これは関連質問でありますから、終ります。
  212. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 野口委員の御質問が非常にたびたび政府当局に対して繰り返されたのでございますが、それと同趣旨に近い御質問が長谷川委員よりしばしばあったのでございます。野口委員の御質問の間に私関連質問をいたしたかったのでございますが、要するに、野口委員は、大臣自身も社会教育法第十二条で想定されたような事情が起り得る場合があることを認めておるならば、第十三条は必要じゃないかという御議論でありまして、これはきわめて簡単な問題である。野口委員の感情をそこねないために、あまり丁寧に遠まわしに政府委員が御答弁になっておられるのでありますけれども、これはたとえば牛乳を飲んで、おなかをこわして下痢をすることがあるから、牛乳は飲ませない方がいいじゃないか、かぜのときに薬を飲ませると副作用でひどい目にあうことがあるから、かぜの薬は飲ませない方がいじいやないか、そういうことを言うておられるのでありまして、これはとうてい議論にならぬ議論だと私は思うのでございます。その点をまず申し上げておきたいと思います。政府御当局は私のような解釈をおとりになっているのじゃないか、あまり御遠慮なさって御答弁になっているように思いましたけれども、大臣は、社会教育法十二条のような事態が発生する場合があるから、社会教育法第十二条という規定があるのだ……。(橋本国務大臣「そんなことは言いませんよ」と呼ぶ)待って下さい。今大臣から御訂正がありましたからね。野口委員の御解釈によれば、まあ補助金を出して弊害があるような場合があるから、十二条という条文が存在するのだ。そういうことであるならば、そういうおそれが若干あることを大臣がお認めになるならば、十三条は必要じゃないか、こうおっしゃったと考えるのでございます。そうでございますと、牛乳を飲むと腹下しをすることがあるから牛乳を飲まないようにする、牛乳を飲むことを法律をもって禁止したらいいんじゃないかという議論であって、どうもきわめておかしな議論だと私は思うのでございますが、そういうふうにおかしいということを政府委員はお考えにならないかということが一つです。それから長谷川先生の御質問に対して私の考えているところを申し上げますれば、法制局の担当官はすでに憲法第八十九条は一つには政教分離、教育と政治を分離するという一つの趣旨と、それからもう一つは財政の乱費をおそれるというような目的のためにできているのであって、そしてそれ以外に必要な場合はこれを禁止する法意じゃないのだというふうに御解釈をしているように、私たちはその答弁を拝聴しているのです。そんなことは言いませんよと言われるかもしれないが、それは私たちの解釈です。そうしますと、私は国家の政治に携わったのは最近でございますけれども、市町村自治体の仕事等に非常に長く携わっておりますが、たとえば自分の町で青年たちあるいは婦人会あるいは少年たちが集まって、奉仕的にあるいは自発的にあるいは修養のためにたくさんの仕事をやる。それはその村の将来のためにも、その村の風教をよくするためにも、またその村の将来の産業の振興の下地を作る上にも非常にいいことである場合がある。そういう場合にそれをだんだん育成して、そうしてその村作りの基礎を作ることがどこが悪いのかという問題なんです。それからまたたとえばウィーン少年合唱団等が参りまして、そして非常にいい演奏をやる。そして少年たちがそれに対して聞きにくいことを熱望しましたときに、それに少年たちが行くことが、非常にがさがさした自動車、汽車の騒音に明け暮れているような地帯のある自治体が、東京も近いものだから、それに助成を出して、そしてその音楽を聞かせて情操を肥やそう、それが将来はその自治体の青年の心に潤いを与えていい農村建設の夢を抱かせる、そういうことがどこが悪いか。そうした場合に、もちろんそういう熱意があって少年たちが貯金をして、それを一生懸命聞きにいこうと思った場合、それは決して公けの支配に属せられておるところの事業じゃないのです。そういうような自治権を、限りなく未来性を包蔵し、限りなく自由を包蔵しておる地方自治体の固有事務というものを、自治権を制限しないというのが原則なんです。憲法八十九条は非常な弊害を除くためにごく狭い範囲で地方団体の自治権を制限していると見ている。非常に狭い範囲で解釈すべきだ。そういうことでございますから、地方団体の自治の自由と固有の事務を遂行するための無限の自由というのが大原則で、憲法八十九条はこれに対する例外規定ですから、例外規定は狭きに解釈するというのがほんとうなんです。そういう意味から長谷川先生の御見解はちょっと本末転倒しているのではないかということを考えますので、加藤精三委員の考え方のようなのはどうですかということをお伺いいたします。
  213. 橋本龍伍

    ○橋本国務大臣 先ほどの私の答弁が引き合いに出ておりましたから私はっきり申し上げておきます。私の申し上げたのは、国または地方公共団体が補助金を交付いたします場合には、社会教育法第一条で引いておりまする教育基本法の精神にのっとってやりまするし、社会教育法第十二条の規定にのっとってやりまするので、妙な御心配はないということをはっきり申し上げたのでございます。
  214. 野口忠夫

    ○野口委員 長谷川委員からこの点についてはまた専門的な方にお話を聞いてはどうかということがあったわけですけれども、やはり私どうしても明瞭でないわけです。そういう点で一つお聞きしたいのですが、法制局見解としては、教育という事業の中に公けの支配に属する教育というものはあるとお考えになるのですかね。先ほどからの御答弁を聞いていると私はあるというふうに解釈しないと、つまり補助金ができて国の交付金が支給できるものは公けの支配に属するものでなければならないということになってくると思うのですが、そういう教育事業というもの、これは一体あるのかどうかを法制局ではどう思っていらっしゃるか。
  215. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 憲法八十九条で禁止いたしておりますのは、公けの支配に属さない教育の事業、こういうものに交付金を出してはいけない、こういうことをいっておるわけでございます。そこで公けの支配に属する教育の事業というものについては、ここで何もいっていないわけでございます。ここで公けの支配に属する教育の事業というものはあるかというお尋ねでございますが、これは国なり地方公共団体なりがたとえば学校の教育の事業をやるということになれば、それはまさに公けの支配に属している。それからまた私立学校でありましても、それが法律制度上監督と申しますか、いろいろな面において国の干渉を受けるというようなことになりますと、公けの支配に属するということになると思います。
  216. 野口忠夫

    ○野口委員 先ほど言うた公けの支配に属しない教育というのは、純粋な教育だとおっしゃったのですね。この憲法解釈はこれはどういう点から生まれてくるのですか。これが純粋の狭い教育なんだ。教育というものの仕事をそう狭く解釈なさるという根拠、これは何かやはり筋立てたものでなければ出てこないと思うのです。その点どうですか。
  217. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 その点につきましても、八十九条の解釈は今おっしゃられた通りでありまして、八十九条の趣旨は、結局ここにありますように、公けの支配に属しない教育の事業というものについては公金を出してはならないということでありますから、こういう事業というものはまさに私的で行われる場合、いわゆる公けの支配に関係ないということでありますが、私的の教育の事業というものにつきましては、あくまで干渉を排して純粋に教育として行なっていかなければならない、こういう意味であります。従ってそういう教育というものについては、これはいささかでも公金を出すことによって支配してはならないということになりますから、その教育というものは、すなわちそういう純粋なもの、こういうものでなければやはりいけないのではないかというふうに、八十九条からは解釈されると思います。
  218. 野口忠夫

    ○野口委員 純粋な教育と純粋でない教育という区別の仕方ですが、文部省設置法の第五条の十二に、「教育(学校教育及び社会教育)」こう書いてあるわけです。この教育というものの中で、純粋な教育と不純な教育とあるということの解釈ですが。
  219. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お尋ねの文部省設置法の第五条十二に、「教育(学校教育及び社会教育)」こうございます。これはあくまで文部省設置法という法律の規定しておるところでありまして、これは直ちに憲法でいっている教育であるかどうかということには結びつかない。それから先ほど、最初にお話になりました純粋にというのはどういう意味か。これは最初からるる申し上げておりますように、教える者と教えられる者というものがあって、そしてその間に教え導くという関係があるものでなければ教育の事業にはならないだろうということを、純粋にという言葉をかりて申し上げたわけであります。
  220. 野口忠夫

    ○野口委員 どうも部長答弁によると、社会教育というのはあまり純粋でなくて、学校教育というものだけは純粋なもののように言いますが、教育というものを私たち考える場合は、学校、家庭、社会、この三つの中に行われている一つの機能、この中から教育というものが生まれてくるのでありまして、社会教育としてやっているものの中で、あなたに本をかしてやるぞと言って、個人的な貸与関係などで本をやった場合にはいいんだけれども、社会教育として一つの場を求めて、研究会をやったり図書展示をやったり、ここの中の社会というものの教育が、特殊的な立場において行われているものの教育は、対象もなければ系統もないからというようなことで、この二つを分けなければならないというものの考え方ですね。教育というものを一つの、そういう学校、家庭、社会の中において一つずつ積み重ねていくのが一つの教育の作業であり、その間に働き、その機能的なものが教育というものの言葉になると私は思う。そのことを達成するために行われる事業というものの中に、何か特定の人が、社会教育団体が社会教育としてやっておる事業の中に、あなたのおっしゃるような純粋なもの、不純なものだということは、それは系統的に教える者と教えられる者とがいる場合においてのみ考えるのだ、これが憲法でいう教育だと解釈してくることになりますと、社会教育という面は非常に統制支配の手がぐんと伸びやすいということがいわれる。学校の中においてやるよりはばらばらになっている大衆を相手にして、その階層の中にそういう統制や支配が及ぶようなことが、憲法上やはり解釈されるようなものは社会教育なんだという、こういう見解は僕は社会教育というものについて非常に疑義を感ずるけれども、御説明を願います。
  221. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 おあげになりました社会教育、家庭教育、学校教育、いずれも教育でございまして、りっぱな高尚な事業であります。ところで先ほど私が純粋なと申し上げたことは、これらの社会教育なり家庭教育というものが不純なものであるというふうなことは決して申し上げていないのでありまして、これらの教育の事業であってもまさに高尚な事業には違いないと思います。ところで憲法でいっております八十九条の教育の事業というものはこういうものであるということをるる先ほどから御説明申し上げておるわけでありまして、そうでないものは不純であるとかそうでないとか、そういうことは決して申し上げていないわけであります。
  222. 堀昌雄

    堀委員 そういうふうなことであれば伺いますが、要するに、教育という言葉がこっちの法律ではこういうふうだ、あっちはこういうふうだ。そういうふうに皆さんの方は便宜上一々法律によって解釈が異なることがあるんですか。もしある一つの言葉がここの法律ではこういうことをいっているが、同じ字がこっちでは違うんだということがあっては、これから法律案を審議するときに一々一字ずつ言葉の字句から皆さんに来てもらってここで解明しなければ論議できないと思うのです。教育という言葉は、最初から伺っておるように、ある一つの日本における通念があるわけです。英語でいえばエデュケーションというものをさすのはこれです。アメリカなりイギリスにおいてはエデュケーションというものはある範囲のものをさしているわけです。それはあなたのおっしゃるように、あなたの表現をかりれば、憲法はここで学校教育と書かなかったらいけないことになるんですよ。ところが残念ながら憲法には教育と書かれている。英文の訳もエデュケーションとなっている。エデュケーションということは必ずしも学校教育ということを英語でもいわないし、日本語でも教育ということは学校教育だとはいわない。文部省設置法にもやはり教育として書かれている。文部省設置法のうしろの方を見ると、いろいろそういうふうにあるのでありますが、「「社会教育」とは、公民教育、青少年教育、婦人教育、労働者教育等の社会人に対する教育」と書いてある。そうすると社会人に対する教育というものはあなたの言う教育じゃないんだ、純粋な教育じゃないんだ、こういうことになりますか。
  223. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お言葉を返してはなはだ恐縮でございますが、私は憲法八十九条の教育について学校の教育と、こういうことは決して申し上げていないのでありまして、社会教育でありましても、社会人を相手にいたしましても、究研会とか読書会とかそういうもので、教える者と教えられる者がありまして、そこに教育の概念が入ってくれば、憲法にいう教育でしょう。ただ社会教育と一般的にこの法律でいっているのは、憲法八十九条の教育にはそのままならないということをるる申し上げておるわけであります。
  224. 堀昌雄

    堀委員 そうすると、今のお話によると、社会教育の全部は含まないけれども、要するに、ここで出しておられるように含むものもあるのだ。この二月二十二日のを見ますと、「青年団又は婦人会において会員が相互に問題をもちより」云々、これは教育の事業に該当するとお答えになっておりますが、そのうしろにいきますと、ただし、人を教え導く行為とは、必ずしも講義をし、問題を提起し、解答を与えるというような形態によるもののみをいうものでなく、その他の形態によるものであっても、それ自体に教え導くという積極的な意義の認められるものは、これに含まれると解するのを相当すると考えられるからである。こういうふうに書いておられますね。これはそれでいいわけですね。いいわけになると、さっきの長谷川先生の問題とやはり関連が出てくると私は思います。あなたの方では要するに、6番、7番はそういう格好で、6番、7番の事業の中ではそういうものがあり得る。しかし、う番までは憲法八十九条による教育に該当しない、こういうふうに書いておられますね。そうすると、「図書、記録、視聴覚教育資料を公衆の利用に供する事業」という中に、ここにいわれるところのそれ自体に教え導くという積極的な意義が認められるものがあるなれば、これも当然入るのじゃないか。要するに、あなたの言われる1番からう番までの中には、それ自体に教え導くという積極的な意義は全部認められないという解釈に統一をされたわけですか。
  225. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お尋ねの点につきましても、今おあげになりました1からうまでにつきましては、ここにありますように、「人を教える行為の介在を欠き、あるいは、その行為の介在はあっても、教育される者についてその精神的又は肉体的な育成を図るべき目標及びその計画的な達成という要件を欠いているが故に、社会教育関係団体によって行われる場合であっても、いずれも、教育の事業に該当しないものと解してよいであろう。」こう言っておるわけであります。
  226. 堀昌雄

    堀委員 今私が言った後段とは矛盾するのじゃないか。そういうものがあるというのですが、「その他の形態によるものであっても、それ自体に教え導くという積極的な意義の認められるものは、これに含まれると解するのを相当すると考えられるからである。」とあなたは言っておるじゃないか。この中にもこれに相当するものがあり得るのですか。
  227. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 この点につきましても、ここにありましたように青年団、婦人会、こういうものであっても、「それ自体に教え導くという積極的な意義の認められるものは、これに含まれる」こう言っておりまして、まさに仰せの通りだと思います。
  228. 堀昌雄

    堀委員 あなたはここに出ている1からうまでは教育の事業に該当しないと、こういうふうに前段で言っておられますね。そうして今度は青年団または婦人会という問題がありまして、後段へ行きますと、「ただし、人を教え導く行為とは、必ずしも講義をし、問題を提起し、解答を与えるというような形態によるもののみをいうものでなく、その他の形態によるものであっても、それ自体に教え導くという積極的な意義の認められるものは、これに含まれる」要するに教育の事業に含まれるというふうに解するのだとあなたはここで言っておられるわけです。そうすると、今の1からうの中でもこれに該当するものがあるのじゃないか。あなたの方は前段ではないということを言い、後段ではあり得るとここに書かれておるから、この論理は矛盾しないかということを私は伺っている。
  229. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 これはここにございます通りに、(ロ)の方では青年団または婦人会などについて申し上げておりまして、それがここにありますような場合には教育の事業に該当するであろう。ところが1からうにありますような事業については、ここにありますような、そういう要件を欠いておるがゆえに教育の事業に該当しないであろうということでありまして、1からうについて、われわれとしてこういう要件を備えておるというふうには考えていないわけであります。
  230. 堀昌雄

    堀委員 そうするとあとの「それ自体」云々ということは、青年団と婦人会に限るのであって、それ以外には通用しない概念だとおっしゃるわけですか。これはあなたの方の表現を見ますと、前段においては、相互に学習をする活動はこうこうでよいであろう。その他いろいろ目標をあげてやるやつはこれでいいだろう。しかしそれ以外にも、こういう場合にもこれは相当する。あなたの方ではこの中における一つの例外規定というか、こういう趣旨に基く行動については、教育の事業と認めていいのだということを書いておられるのだと私は思うのです。そうなれば後段というものは、一つこれだけを取り出して、青年団あるいは婦人会というものにかからなくとも、これだけはあなたの方の教育事業ということに対する適格要件だと私は理解するのですが、そこはどうですか。
  231. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 仰せになりました点は、この問題の定義の仕方とも関連いたしますが、(ロ)においては、青年団または婦人会等について、教育の事業に該当するのだということを書かれておりますので、それは(ロ)にありますように考えられます。それから青年団、婦人会以外のものについてどう考えるかということでございますが、それについては問題は提起されていない。結局問題を提起されておるのは、(イ)に掲げてある事項でありますので、(イ)の1からうに掲げるものについては教育の事業でないだろう、こういうことを申し上げたわけであります。
  232. 堀昌雄

    堀委員 そうすると青年団または婦人会というものは、これからいきますと教育の事業というものに該当する団体ということになりますね。憲法にいうところの教育の事業というものに該当すると私は理解しますが、それでいいですか。
  233. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 これもこの文章をお読みすることになりますが、(ロ)にあります青年団または婦人会といたしまして、たとえば青年団または婦人会が、会員についてその積極的な精神的または肉体的な育成をはかるべき目標を定め、その目標を達成する手段として、自主的な学習活動をする。その計画的に右の目標の達成に資するような事業は、教育の事業に該当するものと解すべきであろう。ただしその要件を考える場合にはこういうことを考えなければならないということを申し上げておるわけです。
  234. 堀昌雄

    堀委員 もちろんそれはここに書いてある通りですが、そうするとある一つの団体が、その団体の中でいろいろな活動をすると思います。その中には、あなたのおっしゃるようなこういう相互的な講習会、読書会、鑑賞会、講演会、こういうこともやるだろう。そうするとそれをやったそのときに限って、それは憲法にいうところの教育の事業になり、その団体がやっておらぬときはそれに該当しないというようなこと、一つの団体というものが、そのときに臨時に成立をして、そのときだけに消えるものならばよろしいよ。ある一つの関連した状態の中で、団体というものがある一つの行動をやっておる中に、もしこういうものを一回でもやることが過去においてあり、将来においてある場合には、その団体というものは厳密な法律解釈からいけば欠格条件を生じてくる。常にやっておるか、やっていないかということではなくて、その団体事業の中にこれが入れば……。そういうことになると、青年団や婦人会が、「6研究会、読書会、鑑賞会、講演会又は講習会の開催7社会教育に必要な専門的、技術的指導者の養成」こういういろいろなことは、逆に言えばやれなくなるのですよ。金をもらおうと思えば、青年団、婦人会の主たる活動の目標になる。そこで金をよけいもらって名前だけあったらそれでいいのか、そういうことに憲法を裏返していきますとなりますよ。いいですか。
  235. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 今のお説でございますが、教育の事業と教育の定義については、先ほどから御説明申し上げた通りでありますが、事業という概念の問題になると思います。事業ということになりますと、その行為がたまたま行われるということではなくて、その行為が継続的にしかも計画的に流れるように行われているというのが事業でありまして、たまたまそういう教へ導くということがあったから、それがすなわち憲法でいっている教育の事業になるかというと、必ずしもそういうことは言えないかと思います。
  236. 堀昌雄

    堀委員 そうするとここのあれはどうなるのですか。青年会または婦人会云々とこういうふうにずっとあって、その時点の行為だけが教育の事業だとすると、その事業主体というものはどうなるかということになりますよ。それは青年団なり婦人会がやっておるので、それをやっておるその時点において憲法違反を起したということになれば、それは前後の関連において、そういう教育の事業をやってないときはいいのだ、その教育の事業をやったときだけが金が出せないのだ、私はそういうふうなものじゃないと思うのですが、あなたはそういうふうにお考えになるのですか。
  237. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 この文書の言っております青年団、婦人会の項目におきましても、先ほど申しました通りでありまして、たまたまそういう教育をやっておるということではなくて、そういう行為がやはり継続的に計画的に行われるというふうに考えなければならないと思います。そういう事業の概念ということまではここで申し上げておりませんけれども、もちろん教育の事業という以上、そういうふうに考えるべきだと思います。
  238. 堀昌雄

    堀委員 要するにそれをそう考えるということになれば、もしこの法律が成立した場合に、青年団、婦人会等に補助金を出したりする場合は、これは憲法違反になるといこうとになりますね。
  239. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 お答えをいたします。今の青年団または婦人会がどういうことをやるかという内容の問題かと思いますが、それは教育の事業もあるでしょう、また教育の事業でない事業もあるでしょう。そういう場合におきまして教育の事業でないそういう事業、こういう面におきましては憲法八十九条の関与するところではありませんので、それは憲法とは問題にならないだろうということでございます。
  240. 堀昌雄

    堀委員 ちょっと時間があれですから、私は関連ですのでこのあとは保留しますが、あなたのこの法律論はもうちょっと詳しく次会にやらせてもらいますが、ちょっと御検討願っておきたいと思うのです。いいですか。ある一つの団体があって、その団体が主催をして、中で事業を行うときと行なってないときがあるでしょう。そのときにその主催をしておるものの全体を含めて、これに対して補助金を出すのだということであるはずであって、それをあるときとないときとに分けてやるということは問題にならぬと思うのです。私はあなたがここで文書を出しておられることに対して、こういう回答でこの問題を処理していけば、当然、私は青年団、婦人会に対しては出せなくなる、憲法違反になるという、ふうに私の意見があるのですが、その点は少し御検討を願っておきたい。答弁は要りません。保留して、私の質問はこれで終ります。
  241. 亀岡康夫

    ○亀岡政府委員 答弁を保留するということでございましたが、今のお話でありますけれども、一つの団体があって、それに対して教育の事業、教育でない事業を営んでおった場合にどうなるかということでございますが、これは金を出すということになりますと、教育の事業には金が出せない、これは明らかなことでございますので、教育でない事業に金を出すという格好になると思います。従って、教育でない事業に金を出す、団体に出すのではなくて、その事業に金を出すという場合には、憲法違反の問題になることはないと思います。
  242. 野口忠夫

    ○野口委員 法制局見解を先ほどからお聞きしたのですけれども、あなたは国会の中で御審議を願いたいというのですが、法制局見解というのは、時の政府における法律的な解釈としては最高の権威であるから、あなたがそう解釈をし、それをいつまでも固執されておる限り、その法解釈というものがそのままずっといってしまいますから、こういう点は、法制局はもう少し明快に答弁ができるようにしてもらいたい。私ども実際聞いておって、この教育内容についての問題がはっきりしないわけなんです。そういう点について、もう少し十分御検討願ってお答え願うように要望いたしまして、私の質問は一応保留いたしておきます。
  243. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 委員長に申し上げますが、この社会教育法の改正案については、われわれはまだ審議すべきことがたくさんあると考えるのでございます。本日で足らなければ連日会議を開催することを要求しておるわけでございますが、本日は、あたかも、委員会を終了して帰られるような支度をしておられる委員もあるように見受けられますので、非常に残念であると思うのでございます。国政の審議のためにはもう少し熱意を持って御審議をいただきたく思いますし、また、先ほど政府の法制局に対しまして、その御説明を正当に理解しないで、納得しないというような強いお言葉もあったようでございますが、これはその答弁が間違っているのか、それに対する評価が間違っているのかと申しますと、私は、答弁をお聞きになる方の側に十分な御研究が足らないのじゃないか、こう思うことが非常に多いのでございまして、たとえば先ほどの純粋問答のごときは、明らかに言葉じりをとらえて当局を困らせるというような一種の御議論ではないか、そういうふうに考えるのでございます。われわれは、この法の意のあるところは、たとえばモナコというばくちの政府があって、その国にペスタロッチの学校のような純粋な学校がある、それにばくちのてら銭を無理に取らせて、そうしてばくちがすきになるような教育をしている、というような場合を禁止するの考え方だ、そういうふうに考えておるのでございます。さらに、この教育という言葉についても、広い意味の教育作用全部を含む考え方と、いやしくも教育事業学校事業というような、事業概念、制度概念で規律せられるところの、そういうような狭義の教育、組織的な教育とを分けることは、これは教育学においての常識なのです。そういう教育学の常識を十二分にも御理解されておる野口委員堀委員が、しかも教職の経験が非常に豊かにあられるにかかわらず、そうした当然常識になっている点について、教育の経験のおそらくないであろうところの法制局の代表の方に、そういう質問者があたかも教職の経験なきがごとくに装って、困らせる質問をなされている傾向があるいはあるのじゃないか、こう思うのでございまして、この点につきまして答弁者の政府委員におかれましては、そういう環境のもとに御答弁になったというふうに考えるのでございます。これにつきましては別に答弁は要りませんが、そういう観察をいたしておりますから御了承をいただきたいのでございます。  なお委員長におかれましては、これだけ重要な法案でございますので、幸い非常に御熱意のある御審議が盛り上っているときを利用しまして、十分に審議の継続をして下さいますようにお願いする次第でございます。
  244. 臼井莊一

    臼井委員長 本日はこの程度とし、委員会散会後理事会を開会いたします。これにて散会いたします。     午後七時十二分散会