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1959-03-24 第31回国会 衆議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月二十四日(火曜日)     午前十時五十三分開議  出席委員    委員長 臼井 莊一君    理事 加藤 精三君 理事 木村 武雄君    理事 永山 忠則君 理事 小牧 次生君    理事 櫻井 奎夫君 理事 西村 力弥君       木村 守江君    鈴木 正吾君       高橋 英吉君    竹下  登君       灘尾 弘吉君    松永  東君       八木 徹雄君    野口 忠夫君       長谷川 保君    本島百合子君  出席政府委員         文部政務次官  高見 三郎君         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    齋藤  正君         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君         文部事務官         (体育局長)  清水 康平君  委員外出席者         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 三月二十日  定時制高等学校夜間勤務手的支給法律制定に  関する請願淡谷悠藏紹介)(第二六一五  号)  同(野口忠夫紹介)(第二六一六号)  山形県下のへき地教育振興に関する請願淡谷  悠藏紹介)(第二六一七号)  同(西村力弥紹介)(第二七二七号)  同(野口忠夫紹介)(第二七二八号)  広島県下のへき地教育振興に関する請願(大原  亨君紹介)(第三六一八号)  教職員の研修費制度化に関する請願外一件(石  山權作君紹介)(第二六二二号)  同外二件(栗林三郎紹介)(第二六二三号)  同外二件(鈴木一紹介)(第二六二四号)  同外三件(鈴木一紹介)(第二七二五号)  同外三件(栗林三郎紹介)(第二七二六号)  養護教諭各校必置に関する請願岡本隆一君  紹介)(第二六二五号)  同外十件(辻寛一紹介)(第二六二六号)  同外二件(山本幸一紹介)(第二六二七号)  同外五十七件(伊藤よし子紹介)(第二七二  ○号)  同(加賀田進紹介)(第二七二一号)  同外十二件(佐藤觀次郎紹介)(第二七二二  号)  同(穗積七郎紹介)(第二七二三号)  同外十七件(横山利秋紹介)(第二七二四  号)  同外二十八件(中垣國男紹介)(第二七六三  号)  同外五十二件(伊藤よし子紹介)(第二八〇  ○号)  重要文化財防災施設建設費国庫補助に関する請  願(長谷川峻紹介)(第二七二九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  社会教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第二八号)(参議院送付)  日本学校安全会法案内閣提出第一二一号)      ————◇—————
  2. 臼井莊一

    臼井委員長 これより会議を開きます。  社会教育法等の一部を改正する法律案日本学校安全会法案並びに国立及び公立の義務教育学校児童及び生徒災害補償に関する法律案の三案を一括議題として審議を進めます。質疑の通告がありますので、順次これを許します。西村力弥君。
  3. 西村力弥

    西村(力)委員 この学校安全会法案については、与党の方から、何か修正がなされる、だからしばらく審議を待ってもらいたいという話がございましたが、今度これに入るようになったそのいきさつが私たちとしましてはどうもはっきりしないのです。そういう点について文部省当局は一体どう考えるのか。与党側としては、法の不備指摘してこれを修正しよう、こういう意向が明瞭に理事会において出されておる。ところが今原案のまま審議に入ろうとしておるわけですが、その点に関して文部省の見解をお聞きいたしたい。
  4. 高見三郎

    高見政府委員 私どもは、この法律案提案いたしましたときに、私ども責任において、これが十全のものである、かような考え方提案をいたしております。党の方でいろいろ御意見がありますことは、審議過程においての問題でありまして、これは文部省の関知するところではございません。その点ははっきり、私どもとしてはこの法案でよろしいと考え提案を申し上げたものであるということを御了承いただきたいと思います。
  5. 西村力弥

    西村(力)委員 その御答弁は、この法律案は、法的にあるいは学校安全会設立目的上からも現在ほとんど欠点というものはない、これでよろしいのだ、そういう確信のもとに文部省がこの審議に入ることを要請しておる、こういう工合考えるのでありますが、将来修正になった場合において、その修正がこの法案の法的な不備というものを指摘しての修正のような場合、そういう事態が発生した場合においては、一体文部省はその責任をどうするかということを質問したい。普通の場合ですと、私はそういうことを言わないのですが、この前の理事会における与党側発言は、法的にまだ十分に練れてない点がたくさんある、それを整理し、また修正しなければならないのだ、だからしばらく審議を見送っていただきたい、こういうことであったのですから、その点を私は言うのです。そういう場合においては、政府は一応与党側のそういう意向というものを予想しなければならぬと思うのです。ですから、その点現実に発生した場合にはその責任をどうするか、こういうことをまずお聞きしなければならぬと思うのです。
  6. 高見三郎

    高見政府委員 私どもはこの原案をこれでよろしいと考えております。もちろん安全保障の問題につきましては、根本的にはいろいろな問題があるであろうと思いまするけれども財政事情等関係上、現在の段階においてはこの程度でなければならぬ。そこで、将来修正を受けたら政府はどうするかという御質問のようでありまするが、私は、議会政治においては、国会意思というものをできるだけ尊重いたさなければならぬと思う。国会審議過程におきまして、いろいろな形において修正が行われる、それが、政府法律提案をいたしました基本方針に逆らわない限りは、できるだけ国会の御意思を尊重するということは当然のことではないかと思う。従ってこれにつきましては、私は責任云々の問題ではなく、私ども国会の御意思をできるだけ尊重していきたいが、しかしそれには限界がありまして、法律提案の精神を生かす範囲においての限度において、かようにお答えを申し上げるほかにないのであります。
  7. 西村力弥

    西村(力)委員 普通の場合においてはその通りであろう、私もそれを否定しようとはしないのであります。ただこの法律の各所において法的に欠陥があるということを理由として、修正をはかろうということを与党側がいわれておるのですから、法的な不備だとすれば、これは議会意思よりも先に、この法案提出した提出者側において責任をとらなければならぬ問題である、こう思うのです。この法案のある個所法律的に全然不備だということが発見された場合においては、これは修正した議会意思を尊重するという工合に一般論的な言い方ではのがれることはできない。やはりこれは提出者責任という工合になると私は思う。数々のスタッフをもって、責任をもって出したその法律が、法律的に不備であるということになれば、それは提出者責任という工合になる、こういうことは言うを待たないところであると思うのです。しかしその点はその程度にとどめておきます。  次に、私が、審議に入る前にまずお願いをしておきたいことは、この法律をずっと見ますると、政令あるいは省令というものに委任する個所がまことに多い。その政令省令内容を見なければこの法案の正体というものは見分けることができない、こういう状態にあるのです。(「ノーノー」と呼ぶ者あり)ノーノーという不規則発言がありますが、神がかり的な加藤委員であるとそれがわかるかもしれませんけれども、われわれとしてはちょっとその点は理解しかねるのです。  それでまず委員長にお願いしなければならぬのは、この政令の骨子だけはこの委員会に提示して、そうして審議資料にしていただかなければこの審議は続けられないと私は思うのです。これは早急にお取り計らい願わなければならぬと思うのです。委員長よろしいですか。
  8. 臼井莊一

    臼井委員長 今の西村委員資料要求でございますが、政令に関しての一々の資料は従来の前例がないそうでございますので、できるだけ前例を尊重して参りたい、かように考えております。
  9. 西村力弥

    西村(力)委員 もちろん政令はこの法律のワク内においてきめられるわけでありますから、それは委任事項としてかまわないようでありますけれども、これほど政令委任ばかりずっとあったのでは、やはり私たちとしてはそれを知らなければこの実態というものは把握できない。できないとすれば、この法案を無責任に通すこともできないということになるのです。もしそういう資料が出せないとするならば、これは一々について納得のいくまで、いかなる政令考えておるかということを質問してやっていかなければならない。そういうことは審議の能率から見てむしろ不得策であると思うのです。ですから私は要求をしているのでございまして、前例云々もございましょうけれども、これは審議をスムーズにするためにはどうしてもそういう措置をとられた方がよろしいという立場で私は要求しているわけなんです。委員長は今そう仰せられますが、今の私の考えから、文部省側要求趣旨というものを話し合って、そうして何とか出すようにしてもらわなければならぬと思うのですが、御答弁は先ほどと変りございませんか。
  10. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君の御質問にお答えいたしますが、委員長考えは前にお答え申し上げた通りです。なおその内容につきましてのいろいろの御質疑の点は、本案の審議質疑応答を通じて十分問いただしを願いたいと存じます。
  11. 西村力弥

    西村(力)委員 それではその趣旨でございますので、いろいろ大綱的なそういう点を質問しながら、個々の政令委任個所については煩瑣になりまするけれども、私たち納得のいくまで審議をさせていただかなければならぬ、これを一つ当然のこととして了承していただかなければならぬと思う。  まず加藤委員関連質問のようでありますので、私少し想をまとめますから、その間関連質問をお願いしたいと思います。
  12. 加藤精三

    加藤(精)委員 関連質問西村委員から特に政令委任事項につきましていろいろ発言がありましたけれども法律を読むとおわかりになりまするように、今度の日本学校安全会法案の中には、その児童災害補償の機構、運営、方針目的すべてが法律事項で決定してあるのでございまして、政令に委任したる部分はそのごく少部分にすぎないのでございます。あたかも政令でほとんど全部がきまるような法案の立て方であるかのごとき誤まった観察をされますのは、私は原案を非常に誤まるものだと思っているのでございます。なおこうした関係法律案は、かの非常勤消防災害共済のようなものでございまして、全国の都道府県の三分の一とか五分の二とかいうふうな工合に自然発生的にそういう仕組みができ上っておりまする行政を勘案して立法考えるのでございまして、そういうふうな立法沿革的根拠からいたしましても、この法案の出現によって全国各地のすでに盛り上って自然発生的にできておりまする組織の当事者、あるいは組織構成員意向というものも相当考える必要があるだろう、そういう問題は国会審議の経緯を流して、そうして全国的に考えていただいて、それが政令の中に盛り込まれるということによって民主主義的な立法がでまるものだと考えるのございます。相当な国費の投入の時期、量、質等の問題も考える必要があるだろうと思うのでございます。そうした深い顧慮のもとに、また地方財政と国の財政との関連事項を考慮いたしまして、また府県市町村のこの法案に対する動向等を了察いたしまして、適当なあるべき姿を保たせるということが非常に必要ではないかと考えるのでございます。そういうふうに理解するのでございますが、そういう無理のない民主主義に基いた考え方が神がかりの考え方であるというような御非難をいただいたことは、まことに本員のおもしろくないところであります。本日のラジオによりますと、東京から集団で修学旅行に参りまするところの「ひので」号が試運転をいたしているということでございますが、これらの修学旅行関係災害事故等がわれわれの心を曇らせる全国民の憂いの一つになっておりまするが、修学旅行特別列車等によりまして、あるいは東京—大阪間の運転時間を三時間くらい短縮いたして、疲労を少くし、また修学旅行特別列車運転期間中、児童を外部に出さないから、その運転台から振り落されるというような事故もなくなる。また隣の車両に参りまするのに、安全に通行ができるというふうなことで、非常に事故防止されました上に、きわめてまれなる場合において事故が発生いたしましても、その負傷等はこれを全額安全会支弁によりまして負担してもらえるというようなことは、民心の安定のため非常に寄与することであるのでございまして、かかる本筋において社会党さんは全力をあげて、すみやかにこの法律案成立を御希望なすっていらっしゃるその真意はよくわかるのでございます。しかもこの盛り上る国民願いは、東京都でいえば、東京修学旅行委員会というものができまして、そして受け入れ側京都なり、奈良等旅館組合観光協会等におきましては、あらゆる旅館階段とか、非常口とか、そういうものにつきましても、きわめて詳細な資料を、送り先側旅行関係学校方面に、そういう委員会を通じて連絡し、なおその食物の量、質等につきましても、これを東京大阪奈良の場合におきましては、ある栄養に関する短期大学におきまして、詳細に京都方面奈良方面調査いたしまして、そしてこの栄養食料関係、ごちそうの関係調査いたしまして、そしてこれを東京都の児童生徒に選択せしめまして、その嗜好をも全部調査する、これによって冷蔵庫に三日間も入れて置くような、新鮮さを失った食料を食べさせないということによりまして、食中毒や死亡等を予防する、それに加えまして、今度は各省もこれに協力して諸種の便宜をはかるということで、すべて一つ方向に向って国民のこの児童安全の願いに集中されて参るということでございまして、そういう意味におきまして、政府が、修学旅行児童生徒補助金、また修学旅行に往々にして起りまするところの児童災害防止補償についての今回の学校安全会法立法、こういうものを高く掲げましたことは、非常に大きな意味を有するのでございます。  およそ社会党はヒューマニズムに立脚したる政党でございます。そういう意味におきまして、自民党とほとんど大差ないのであります。しかるがゆえに、われわれは社会党もイデオロギーを越えて、この法律案にはきん然として参加し、二、三日中に成案として衆議院において可決して下さることを確信するものでございますが、それらの立案の経過提出経過審議経過等においての小さな問題等は、これは天下国家国民の安危を念頭に置いておられるところの社会党さん側の方におきましては、そういう小さなところに目もくれないで、そうして熱心に御討議の上、すみやかに成案を得せしめられるごとくおはかりをいただきたいのでございます。  学校安全の問題は、単に学校先生学校自治会、あるいはクラスの自治会等学校関係だけで努力すべきことではない。国民の中の父兄や、それから社会全体がその気持になって、これを実践に移すというところが大事なのでございまして、本日のラジオにありますように、国鉄は学校修学旅行事故を少くするために、特にこの児童安全の趣旨のきわめて徹底したる修学旅行特別列車を作るとか、あるいは、さきにも申しましたように、この両地域の間の族館組合観光協会とそれから修学旅行委員会との間のきわめて密接な連絡、それに各省がこの目的に協力する、また栄養短期大学まで、中毒事故防止のために、自費でもってこれに協力する、こうしたうるわしい情景を描き出しているのでございますが、これも学校安全法なる法案が出現することによって、この社会の親心が導き出されているという、そうした動機が非常に多いものであるということを考えますときに、われわれは日本社会の親の心を代表いたしまして、すみやかにこの法律案成立に導いていただくということが必要じゃないかと思うのでございます。こうした点につきまして御当局は、この学校安全会学校安全に関する安全教育の方途といたしまして、現在の社会にすでに存在しておりますところの各種の団体等といかに御交渉になられるかということを、関連して御質問申し上げる次第でございます。これは政府委員のうちの体育局長に、諸般の事情一つ打ち解けて、平易な言葉で御回答いただきたいと存ずるのでございます。
  13. 清水康平

    清水政府委員 ただいま加藤先生から学校安全の重要性について、いろいろ御意見を拝聴いたしたのでございますが、学校安全は御承知のごとく、今までは学校保健の一翼としてやられておったわけでございますけれども、過去数年間の調査を見ますると、大体〇・八%ぐらいの災害が出ておるのでございます。全国的に見ますると十五万を突破いたしておるのでございます。学校といたしましては、校長先生を初め教員の方々が、日夜安全教育安全管理にあらゆる努力をしておるにもかかわりませず、不慮の、不可抗力と申しますか、突発的な災害が出て参っておるのでございます。その内容を見ますると、災害の一番多く発生いたしますのは休みの時間でございます。これはもちろん学校教育管理下にわれわれは入れておるわけでございますが、死亡の面を申しますと、昭和三十二年の例を見ますと、義務教育学校だけで二百二十八人学校教育管理下において死亡をいたしております。その死亡の大部分は、児童生徒登校下校の際に交通事故その他によって受けるものでございます。それを考え、これを思いますときに、学校設置者あるいは具体的には学校先生方の日夜の御努力だけでは不十分でございまして、教育委員会を初め、文部省といたしましても、警察、消防はもちろんのこと、厚生、建設その他あらゆる方面連絡をとりまして、今後ますます安全教育安全管理努力邁進していかなければならぬと思っておる次第でございます。  先般加藤先生から、全国交通事故その他児童生徒学校管理下における災害はもちろんのこと、それ以外においても、非常に災害が多い電車の踏み切りの準備がないとか、いろいろあるが、その点をどうするつもりであるかというような御指摘がございまして、その後私ども大臣の命を受けまして、関係局と、ただいま学校安全の事業と並行いたしまして全国的に調査をいたし、ますます学校安全の強化をはかって参りたいと思っておる次第でございます。それで、先ほど申しましたように、学校だけではだめだ、どうしても父兄それから設置者あるいは社会一般のそれぞれの機関の御協力がなければならぬという意味合いから、この安全会法は、将来発展すべき姿は一応描くといたしましても、学校設置者保護者と国がそれぞれの立場で資金を出し合いまして、そうして学校管理下において発生いたします不慮災害に対しまして、教育的配慮をもって設置せられました日本学校安全会をしてその災害給付を行わしむると同時に、日本学校安全会のもう一つ事業であります学校安全の普及充実の仕事をあわせて行わせようという趣旨でございます。以上でございます。
  14. 加藤精三

    加藤(精)委員 簡単にやりますが、私は、この災害事故というものが、私の経験によりますと、大体疲労から起きておるものだと考えるのでございます。私の郷里は米どころでございますが、修学旅行に行くとき、重い米をリュックサックに入れて、それを比較的屈強な生徒が背負っていきます。これらにつきましては、特に全国食糧公団等連絡をとって、この疲労を少くするために、現地々々で米の調達ができるような工合にしたらどうかというようなことを考えるのでございますが、食糧庁におきましてはこれに何らかの特配をするような意図があるやにも聞いておりますが、文部省当局がこういう方面の御折衝をしておられるかどうか、そういうことをお聞きしたいのです。なお、この事故防止のためには、何といいましても列車のエンジンのところ、あるいは昇降台のところが一番危いと思います。これは列車がとまったとき以外には、開かないような開閉装置のドアにすることが必要だと思うのであります。そうした学校児童安全性を保つような修学旅行車を普及させて、そして階段において振り落される事故あるいは飛び乗り飛びおり等の危険のない装置にいたしますように、そういう特別の構造の列車を、単に東京京都奈良間だけでなしに、全国にすみやかに普及さしていただくよう、そういうことを御折衝になられる御意思はないか。また、それらのことを扱います全国的団体の名前と、そのやっております事業等もあわせて聞かせていただきたいのでございます。修学旅行に関する災害防止ということは、これを一つ研究課目といたしましても、重要な安全教育の一部をなすものだ、そういうふうに考えるのでございます。なお、鉄道の第一種踏み切りから第四種踏み切りまでの事故防止という問題、また、東京都の約一千個所以上の学童横断路危害防止等地方団体及び国の予算に関する問題でございますが、人命のとうとさは、なかなか経済価値に換算はできないのでございますから、市町村財政窮乏の際、国庫でできるだけの支出をいたしまして、こういうものの解消に資していただきたい。現在東京では、学童横断踏み切り位置標識設備を完成するのに相当の金がかかる結果、東京都二千億円くらいの予算では、一カ年に四カ所くらいしか設備ができないということを聞いております。これではわれわれ東京都において児童を持っております父兄の心配は絶えないのでございます。これらにつきまして十分御考究をいただきますと同時に、抜本的には、学校位置の決定の際に——これは私の郷里で実際あったことでございますが、学校位置争いの結果、広い地域中間に設定されましたので、八割くらいの生徒が非常に危険な踏み切り鉄道のブリッジを通過して学校へ行かなければならぬことになったのでございます。それから私たち郷里東北海岸線のところでございますが、村の中間客貨車の数がふえて参りますので、将来を予測しましてきわめて不適当な位置だと私たち考えましたが、地方財政窮乏その他から、結局そういう危険な場所を選択したこともございます。かかる際におきまして、官僚的なにおいのないよき指導助言をして、市町村議会等にも反省を求めるような機会がございますれば、学童危害防止上非常に幸いだと存ずるのでございます。そうした学童の安全を守るための大所高所に立った、また科学的な観察のもとに、十年、二十年、三十年の遠き将来を見通した安全指導というものは非常にとうといものだと思うのであります。私たち市町村行政等を長年見ておりますと、まことに拙速をたっとび、そして遠い将来の施設の適否ということを考えないでものを決定するような場合も多いのでございます。こういう場合に国家的な権威を持った、学者、技術者等をも網羅した一つ指導網を持つことが、非常に大切じゃないかということを考えるのでございますが、これらにつきまして、学校安全会法目的の第一に掲げられておりますところの安全教育について、文部省はいかなる方向をお考えになっておられるか、大体の方針政務次官から承わることができますれば、大へんありがたいと存じます。
  15. 高見三郎

    高見政府委員 いろいろ適切な御意見を承わりました。食糧の問題につきましては御指摘通りでありまするが、これは私は東北等農村の特殊な事情から出発しておる問題の方が重点を占めておるのではないか、かように考えますのは、東京団体旅館の経営は東北学童のおかげで成り立っておった時代があるのであります。そういう実情は、農村事情から申しますると、現金を持ち出すよりは、目先にある米を持ち出す方が楽だ、従って、米のない地域の子供たちは手ぶらで来るわけでありますが、東北、北陸の子供は米を持ってくるわけであります。これが一番の上得意であった時代があるのであります。今日では食糧の問題は非常に緩和されて参っておりますので、この問題についてはそう大きな問題はないのじゃないか、ただ今配給されておりまする米だけでは、米食地帯の米を食いなれております子供には足りないという面につきましては、これは農林省の方でもその計画を持っておるようにも伺っておりまするが、ある程度修学旅行期間中の子供に対する増配というものを考えてみたい、かように考えております。  それから汽車の設計の問題につきましては、まことに適切な御意見でございまするので、私どもの方も十分研究いたしまして、鉄道当局と話し合いを進めてみたいと考えております。  学校位置決定の問題でありまするが、私は教育の問題は、設備にいたしましても、教育内容にいたしましても、何はおいても子供を中心に考えなきゃならぬ、それが町村住民の住民感情によって左右されるということはまことに嘆かわしい姿であると考えます。安全会が発足いたしますならば、一つこの面につきましても、安全教育の普及徹底という一つ事業の面を通じまして、極力そうした安全思想というものを植えつけていくということに努力いたして参りたいと考えております。
  16. 西村力弥

    西村(力)委員 だんだんの加藤委員の御質問でありますが、大へん傾聴すべき点もあります。また冗漫に過ぎる点もあります。ただ、画期的な法案と仰せられまするが、一言私たちとして申しておかなければならぬ点がある。それはこの法案が出る前に、社会党の方から、かかる趣旨を早急に法制化すべきであるというわけで、児童災害補償法というものが出ておるはずです。その方はほとんど審議をなされないでおって、本日日本学校安全会法案というものが出されて、これが画期的なものとしてクローズ・アップされておるのであるが、これは社会党が出したからというので私がけちをつけるという趣旨ではなくて、お互い議員同士として、議員立法の評価というものがもっと上っていかなければならぬのじゃないかと思う。議員立法として出されたものが全然無視せられ、そうして政府の出したものを、突然ここに生れたがごとく画期的なものとして賞讃される、こういう発言は議員みずからの立場を低下せしめる発言であると私は思う。その点だけは一言しておかなければならぬし、文部当局においても、児童災害補償法、それはなかなか実施は困難だというでしょうけれども、あの法案が生れたことが非常にこういう安全会法立法のために寄与するところが多かった、こういう認識に立って審議をわれわれに求める、こういう立場に立ってもらわなければならぬと思う。政務次官、どうですか。
  17. 高見三郎

    高見政府委員 安全教育の問題は、私は当然社会要求であると考えております。従って社会党さんが先ごろから主張いたしておられます災害補償法案、これも骨子において私ども全面的に賛成を申し上げるところであります。遺憾ながら国家財政事情もありますし、今すぐそのままを実施するというわけにも参りません。西村委員のお説まことに傾聴するところがありまするが、私どもは何も社会党さんからお出しになったからこの法律案を出したというのじゃありませんけれども社会全体の要求が今この方向に進んでおるという意味においては、社会党さんの先べんをつけられました御努力に対しまして敬意を払うことにやぶさかなものでは決してございません。この点をはっきり申し上げておきます。いろいろありがとうございました。
  18. 西村力弥

    西村(力)委員 それはわれわれの党の方で出したから云々というのじゃなくて、議員立法というものの評価をもう少し高めなければならぬ、これはお互いの一つの仕事であるのだという立場で申したのです。そういう立場に立ちますと、委員長、議員立法がたくさん出されておりまするが、これが毎日公報にずっと並べられておるだけであって、実質的に審議されることがほとんどないのですが、これを何とか格好つけていかなければやはりいかぬことだと思う。議員立法というものは、いつでもただ公報に列記されるだけであって、一顧も与えられないままに放置されるということは、まことにわれわれ議員として遺憾だと思う。ですから、今出されておる議員法についての審議をどう進めるかという点についての、委員長の確たる御返答を一ついただきたいと思う。
  19. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君にお答え申し上げます。社会党さんの御提案のごとき議員立法についても、逐次審議を進めて参りたいと存じます。
  20. 西村力弥

    西村(力)委員 それではこの学校安全会という名前は付さないにしても、児童災害に対する共済の措置を今まで相当の県がやっておる、あるいは準備中のものも相当ある、こういうことでございましたが、その実態はどういう工合になっておるか、事務当局から一つ答弁願いたいと思います。
  21. 清水康平

    清水政府委員 御承知と思いますが、この各県にありまする学校安全会は、最初にできましたのは三十一年の秋でございます。大分、島根、愛知、岐阜の四県においてできたのでございますが、その後各県におきましては児童生徒災害につきまして一日も早く立法措置をしてもらいたいという要望がずっとあったのでございまするけれども、なかなかいきません。それではわれわれが自主的に暫定的に臨時的にそれができるまで作ろうというわけで、ただいままで全国二十県にわたりまして何々県学校安全会というものがございます。これらの安全会はほとんどすべてが小学校、中学校、高等学校、幼稚園を対象にしておるわけでございます。そのほか二県だったと思いますが、保育所も入れている県があったと記憶しております。  それでこの各県の学校安全会は事務所をどこに置いたかと申しますと、ほとんどが各県の教育委員会の事務局に置いてございます。大体保健体育課あるいは体育課あるいは体育保健課というところに置いてございます。  事業といたしましてはいずれも児童生徒学校生活における安全に関しての普及啓発事業のほかに、災害が発生した場合に、これに対して援護を行なっておるわけでございます。各県のこれらの財団法人はそれぞれの知事によって認可されたものでございまして、理事、監事の役員がおりますが、この人たちは全部他に本職がございまして非常勤でございます。私ども調査によりますと専任が一人だけいるようになっております。それならば専任の職員は何人くらいかと申しますと、これは大体二人くらい置いております。と申しますのは、これは一定の基準がございますから、事務的、機械的にやっておる関係でございますか、大体二人くらい置いておるようでございます。  それでその資金関係はどうなっておるかということになるわけでございますが、これは率直に申しますと、もうほとんどPTAが中心となりまして、それぞれの学校種別々に寄付目標額というものをきめまして、そして保護者の寄付によってこれをまかなっておるというのが現状でございます。県によって違いますが、児童生徒一人当りの寄付目標額は十五円から二十五円くらいにまでなっております。高等学校は三十円程度になっております。ただこの中に、大部分父兄の寄付金ということになっておりますが、山口県だけは公費で負担しております。  それからこの援護事業、言いかえれば災害共済給付の内容はどうなっているかと申しますと、これもやはり県によって多少違いますが、療養見舞金、廃疾見舞金、それに死亡に対する見舞金というものが出されておるようでございます。
  22. 西村力弥

    西村(力)委員 各県の事情の概要はそれで大体わかりましたが、この点私たち考えるのでありますが、せっかくこういう工合に自然発生的に出まして、まだ内容がいろいろ雑多であり、また整備されていない点も多々あるでございましょうけれども、この安全会法のような考え方でいくならば、すなわちこの給付を行う資金が地方公共団体とそれに保護者という人々の拠出ということになっておるとするならば、今申されましたような自然発生的な形をそのまま移していったものとほとんど変らないだろうと思うのです。ですからそうであるとするならば、この自然発生的に生まれたものを基礎にして、今回の日本安全会を形作っていったらよかったのではなかろうか。すなわち中央で一本にしぼるのではなくて、各県のそういう安全会の連合組織にする、あるいはまた農業共済のような工合に各県のものを中央において再保険する、こういう形に持ってくるのが自然の形ではないかと思うのです。そういう点の考え方は一体どういう工合になされたのか、その点を私はお聞きしたいと思うわけです。
  23. 清水康平

    清水政府委員 先ほど申し上げましたが、大分初め四県にできました当時、最初は財団法人ではなかったのです。学校の教育の管理下不慮災害を発生した場合の救済方法がどうなるかということについては、実は盲点であったろうと私は思うのです。それで島根だったと思いますが、応急的に任意団体を作りまして、お互いに金を出し合いまして保険的なものをやったわけであります。ところがこれもお聞き及びと思いますが、保険業法との関係が出て参りまして、保険業法違反ではないかという問題になりました。しかしやっておる事業がきわめて大切であり、公共的なものでありますので、将来法律で作るのを待つとして、その間財団法人を組織していったらどうであろうかということで、法的措置ができるまで応急的措置として任意団体から財団法人、それを臨時的なものとして認められてきたわけであります。従って一日も早く法制的措置をとってもらいたいという要望が強くなり、その線に沿うてこの法案ができた次第であります。ただいま西村先生から各県のものをそのまま法案にしたらいいではないかというお話がありましたが、一応その辺も私どもは検討いたしたわけでございます。ところがその内容を検討いたして参りますと、全国で千八百五十万人、全国強制加入になりますと、大体十五万余の災害者が、統計によりまして〇・八三と出て参りますが、もしそういうふうになりますと、各県の財団法人は任意制でありますので、大体八割が加入するといたしまして、十二万人ぐらいの学校管理下における災害が出てくるのではないだろうか。そうしますと、その事業費は大体一億八千万円程度になるわけでございます。これを一都道府県に割ってみますと、大体災害共済給付を受ける対象児童が二千六百人ぐらいいて、事業費は四百万程度でございます。従いまして、各都道府県ごとに法律でもって特殊法人を設立して、専任の理事あるいは監事というような者を置くほどの事業ではないのではないだろうかという点が一つあるわけでございます。しかも事務職員は二人程度でやっていけるということが一応検討された措置でございます。それから、そういたしますと、連合会というようなものがあるわけでございますが、連合会になりますと、中央に一つ連合会を置きますと、重要な事項は一々連合会にかけて、そして地方から旅費を使って審議をするということになると、金がかかるばかりでなくて、ますます複雑になり、支払いも遅延するのではないだろうかということが一つ考えられるわけでございます。  それからもう一つは、各県に独立した特殊法人を法律で作りました場合に、掛金の問題はもちろんのこと、同じ種類、同じ程度災害が発生した場合に、給付内容が各県によって違っては困る、同一種類の災害が発生したならば同じ給付内容でなければならぬという考え方考えられたわけであります。  それからもう一つは、やはり原則といたしまして、なるべく多くの人が一緒に固まってやった方が掛金も安くなる、こういうものは広くなればなるほど、加入する人が多くなればなるほど公平に、そして安くなるというような諸点から考えまして、この法案ができたわけでございます。
  24. 西村力弥

    西村(力)委員 いろいろの事情もあると思うのですが、しかしこれを制定した経過それ自体から考えまして、やはり各県が自然発生的に生まれたもの、それを整備して、それを基礎にした行き方が僕らとしては正しかったのではなかろうか、こう思うのです。その点はまだ研究しなければならぬ問題ではあると思うのですが、私自身もそれをはっきりそうすべきであるという根拠も十分でありませんし、また仰せられることも一つ一つ理屈のあることでございまいますから、この程度にとどめますが、ただその際に、現在設立されておるところの各県の安全会の財産の帰属というものはどうなるのか、こういうことなんです。それぞれの徴収方法である程度の財産を持っておるのではないだろうかと思うのです。それについてはどういう方法で処理するか。法的な立場からいうと、当然安全会に吸収されるという工合になるのではなかろうかとも思うのですが、それはどういう工合考えていらっしゃるのか。
  25. 清水康平

    清水政府委員 現在あります各県の財団法人の今後の問題でございますが、それぞれの財団法人の寄付行為によって処置されるわけでございますが、私ども各県の財団法人の寄付行為を見ますると、大体解散する場合は理事会と評議委員会のそれぞれの四分の三以上の決議によって、教育委員会の許可を得てやる、そしてそれを類似している目的を有する公益法人に寄付するものというようになっておるのでございますが、この点につきましては、各県の財団法人、各県の学校安全会の人たちも、一日も早くこの日本学校安全会を発足させて、そうして私どもは私ども立場でもって適当にこれを考えて解散いたしたい、こう言っておられるのでございます。それで、その場合、残余財産はそれぞれの財団法人の寄付行為によって処理するのでありますが、その処理せられる方法として、日本学校安全会に寄付するのか、あるいはその他それぞれの県に寄付せられるのか、それはそれぞれの各財団法人によって自主的におきめいただけるのではないかと思っている次第であります。
  26. 西村力弥

    西村(力)委員 同じ種類のものに寄付するということになると、この特殊法人が出れば、これが最も種類の同じものということになる。ここに寄付するという工合に無理なくきまればいいですが、その他の事業に寄付する場合も今予想されているような御答弁でありまするが、その他に寄付するというとどういう場合があるか、これはどうでしょうか。
  27. 清水康平

    清水政府委員 御承知と思いますが、各県に財団法人学校保健会というようなものがございます。そういうようなものもやはり学校保健学校安全と密接な関係がございますので、類似の目的を有する公益法人と見て差しつかえないと思いますが、どういうふうにどういうところへ寄付するかということについては、財団法人の自主的な判断にまかせたいと思う次第であります。
  28. 西村力弥

    西村(力)委員 学校安全会に寄付いたしまして、それの一般財源というような工合になりまして、基礎が固まりますればそれでいいですけれども、そうしますと、残余財産のあるところからは吸い上げられる、また、未設置あるいは残余財産が全然ないというようなところは出さない、こういうようなことになると、全国的に見ればよく安全会に寄与したところと全然しないところと、簡単に言えばやはり不均衡が出て参るわけですが、そういうことですから、むしろこの際は学校安全会に吸い上げるということを一切やめて、そうしてその県の似たような、今申された学校保健会ならば学校保健会の方にその財産を帰属せしめる、こういう方法をとったらよかろうではないか、こう思うのです。そういう際に、もちろんそれは独自な立場理事会で決定するのでしょうから、どうこうということはないにしましても、この法案を出した趣旨からいいますと、文部省はどうしても学校安全会の方に寄付を願いたいという気持があるのではないか、こう推察するのですが、そうすると全国的アンバランスができるから、むしろその県に保留せしめるような方法がとられるべきであるという考え方、そういう考え方にはなられませんですか。
  29. 清水康平

    清水政府委員 私どもといたしましては、発展的解消と申しますか、各県の財団法人が解散する場合の残余財産を処分する問題につきまして、日本学校安全会がそれをもらうだろうという期待を持ってこれを計画しておらないのでございます。今いろいろと御意見がございましたが、学校保健会とかいろいろございますので、御意見について検討いたしてみたいと思っております。
  30. 西村力弥

    西村(力)委員 その点はそれでわかりました。次に役員の選任でありますが、役員は文部大臣が任命する、こういう工合になっておりますが、文部大臣が任命するという工合に踏み切れる基礎というものは一体どこにあるんだろう、私はそれを非常に疑問に思うわけです。そもそもこの安全会の資金というものは、国と地方公共団体が出して、父兄負担というものをゼロにすべき性質のものであると私は思う。父兄が出し合って、お気の毒な人々に助け合いの仕事をやるのだということでまことにうるわしいけれども、この仕事それ自体から見まして、義務教育その他文部省の管轄指導下における教育行事の中における一つの事項でありますので、これはやはり父兄の負担ということを一切やめて、そうして国と地方公共団体がその資金をまかなう、こういう工合にいかなければならぬと思うんです。そうするならば、文部大臣が役員を任命するという掌握の仕方も一応の基礎が出てくる、こう思うんですが、しかし今回の予算を見ますると、文部省は事務費を出す。事務費を出すというのは、今までいろいろな方面に出されておるわけですが、それはやはり一つ事業の補助的な役割、事務費だけを補助するという役割、そういう趣旨でいろいろな例があるわけです。今回も安全会に対しては、文部省はその事務費を負担する、こういう程度にとどまっておる、国はそういう程度にとどまっておる。それでありますので、そういう行き方からすると、役員を文部大臣が任命するということは少し行き過ぎではないか、こういう工合考えられるわけです。今農林中金なんかも、盛んに農林大臣が役員を選任することをやめて、自主的に選任する方向に切りかえていかなければならぬ、こういう意向が相当強く出ております。そういうことも結局、その資金それ自体は自前であり、自分たちのものとして運営するという、こういう建前をとるべきものに対して、国家がそれに制肘を加える、役員選任というのは一番大きい制肘であると私は思う。それをやるにはやれるだけの基礎がなければならぬ。その基礎は何であるかというと、国が事務費以上に、やはりこの会の中心である給付というところに国家の資金というものを出さなければならない。それを一文も出さないで、そうして文部大臣が役員だけを任命する、こういう権限を行使しようとするのは、これはまことに不可解である、私はそう思う。この点について次官はどうお考えですか。
  31. 高見三郎

    高見政府委員 これはいろいろ考え方があるだろうと思いまするが、御承知のように、安全会は特殊法人でございます。この安全会の仕事は給付の仕事を中心といたします関係上、安全会の公共性というものに重点を置きまして、他の特殊法人と同様に、文部大臣が任命する、主管大臣が任命するという建前をとったわけであります。考え方は、西村委員のおっしゃるようにいろいろな考え方が私はあり得ると思いまするけれども、私ども安全会の公共性というものに非常な重点を置きまして、主管大臣が任命するという従来の建前を踏襲いたしたわけであります。
  32. 西村力弥

    西村(力)委員 今の政治の非常に危険な点の一つとして、公共の福祉という名をかりて、国家権力というものが、いろいろな個人の権利やあるいは民主的な団体の権限というものを上回ってそれを押えていく、こういう傾向が非常に強い。今高見次官の答弁によりますると、この会の公共性に基いて文部大臣が任命権を持つんだ、こう言いますが、その言い方は、やはり現在の政治の一つ方向、われわれからいうと逆コース的な危機的な方向をとっていると申し上げなければならない。公共性のあるものはもちろん監督官庁はいろいろな点でこれを監督していかなければならぬことは当然であります。当然でありまするが、何も役員を任命する権限を持たなければ、その公共性を監督官庁として監視するわけにはいかないというようなことはないはずなんであります。いろいろな方法でその公共性を逸脱しないように監督、管理する方法はあると思うのです。ですから、公共性があるから役員任命権者を大臣にしたんだというような言い方では、われわれとしてはとうていこれは納得できない。  それで私が言いたいことは、これは大臣ではなく、次官でもいいから、大臣の意を体してお答え願いたい。私が当初申し上げましたように、この会の中心は災害に対する給付なんだから、その給付の資金というものを将来は国で当然考えるんだ、こういう発言があれば、私はこれを了承したいと思う。そうでなければ、ただ公共性云々だけで国家権力というものは役員の任命もみなできるんだという工合になってくると、これはまことに危険しごくである。その点について明確なる答弁をいただかなければ、私たちは了承できない。
  33. 高見三郎

    高見政府委員 御意見ごもっともだと思います。私どもも実は予算折衝過程におきましては西村委員と同じような考え方で進んだのであります。国の財政の現状が許さない、給付の面にまで手が届きませんから、将来皆様方の格別の御支援を得まして、この給付は国が負担するというようなことにぜひ持ち込んでいきたいものである。その気持については私どもの気持も皆さんの気持もおそらく同じであろうと考えております。
  34. 西村力弥

    西村(力)委員 文部当局努力方向だけは明示せられました。今までも努力せられたのでありますが、事は財政に関する問題ですから、やはり大蔵大臣においでを願ってこの点に関しては明確にしていかなければならぬと私は思うのです。その点はさようにしていただきたい。委員長よろしゅうございますか。(加藤(精)委員「関連々々」と呼ぶ)首を下げただけではだめですよ。大蔵大臣を呼んでこの点を明確にしていただかなければならぬと思いますので、呼んでいただきたいと思う。
  35. 臼井莊一

    臼井委員長 大蔵大臣の御都合を伺って、都合のつく範囲においてできるだけ御希望に沿いたいと思います。
  36. 西村力弥

    西村(力)委員 大蔵大臣もなかなか忙しいからむずかしいでしょうけれども、いやしくも国会委員長が、御都合を伺ってできるだけ努力しますというような、そういう権威のない答弁ではいかぬと思う。これは当然呼んできて、短時間でありまするから、これはやってもらわなければならないと思うのです。(「大蔵大臣なんか呼ばなくてもいい、反対々々」と呼ぶ者あり)そんな努力しますなんて、大委員長がなんです。委員長を責めるわけではない。そういう工合にしていかなければ、国会審議というものは権威を持つことはできないと思う。
  37. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君の御期待にできるだけ沿うようにいたします。
  38. 西村力弥

    西村(力)委員 できるだけそういうふうにいたしますというのは、委員長は、ある特定の最悪の場合を予想して、たとえば大蔵大臣が突如として病気になられたかとか、外国に行かれたとか、そういう場合もなきにしもあらずというために、そう言われるのかもしれませんけれども、それはもうはっきり呼ぶようにします。そういう発言をなされて、しかも事情によって呼べない場合はわれわれも了承する場合もなきにしもあらずですから、はっきりそういうふうにやってもらわなければいかぬと思うのです。(「理事会でやればいい」と呼ぶ者あり)理事会で相談すべき筋合いのものではない。政府委員を呼ぶのに理事会で相談する、そんなべらぼうなことがあるか。
  39. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に重ねてお答えいたしますが、ただいま参議院で予算のまだ審議中でもありますので、大蔵大臣の都合等を聞いて、できるだけ繰り合せて御期待に沿うように一ついたしたいと存じます。
  40. 加藤精三

    加藤(精)委員 実は議事進行についてでございますが、これは本案の審議運営上非常に重要なことでございまして、まあありていに申し上げますれば、全国の府県中まだ三分の一ぐらいしかこの安全会ができていないのです。それでも地方団体でも、全体のうちのある特定の一部分のものにだけ大きな国費を出すということは、これはやはり公平の原則に反すると私は思うのです。そういう意味でもって、現に非常勤消防団員が全国各地でそれぞれ拠出をして自然発生的に、全国の約三分の一くらいに非常勤消防団員の共済を作った。それを今度法制化するときに、自然発生的に発達した現状にかんがみて最初三年間は事務費のほかはごく一部分しか国費を放出してない。西村理事の説は、政府との間の御問答は、いかにも事務費以外には国費は出していないような誤解を与えるのです。法案を丁寧に読んでいただきますと、貧困なる学童保護者に対しては拠出を免除して、そうして国費が二分の一出るということが書いてある。そういうことから見て、全然国費が出てないのでというのは誤まりであって、そしてそれは国家として一種の均等な福祉を与えるための措置はしてあるわけです。そしてこれも次第に、この学校安全会というものが全国に加入者がふえて参りますれば、従って国費も自然と多くを投入しなければならぬのです。そういう意味で、あまりに当初より安全保障のための、あるいは災害補償のための金額を、国の教育だから全部出せという形で財務当局に迫ることは、かえって将来の操作の上に円滑を欠くものがあり、いかぬ、こう思う。それは国会のわれわれの文教常任委員会の方が次第に財務当局納得さして、これは何もイデオロギーのある問題ではないのですから、スムーズに明年度、明後年度と次第に国庫負担率をふやしていくというふうな方式でいきたいということをわれわれは考えているのでございまして、社会党の御同意を得まして、政府もその気になっていただくことができればどうか、こういう私の考えでございます。委員長もそういうふうな方向委員長の御意思決定をしていただくことができるかどうかということは、(「議事進行じゃない」と呼ぶ者あり)これは一種の質問でございますので、そういうふうに一つ御了承をいただきたい、こう考えます。
  41. 西村力弥

    西村(力)委員 今の加藤委員の御発言でありまするが、そういう出方をされると、私はこの審議を進めるわけには参らぬのです。大蔵大臣を呼んでそういう点を明確にしよう。趣旨そのものは悪くないのだからあなた方はすぐ上げてくれ、こう言いますけれども趣旨に賛成であればあるほど私たち審議を慎重にやらなければならぬ。それは当然のことであると思います。そういう慎重にしようというときに、大蔵大臣を呼ぶことをけしからぬ、やめておけ、こういうような発言をされたのじゃ、どうも審議を進めるわけには参らぬということになる。しかもその点だけではなくて、そのほかの点についてもやはりただしたい点があるわけなんです。たとえば一時借入金、こういうようなものをやる場合に、大蔵省があっせんをするなり、あるいはことによったら創業等においては資金運用部の金でもそれに回しておく、貸し付けておく、こういうような方法でもとって事業運営が軌道に乗ることを望むということも考えられる。これは学校給食の場合もその通りだ。運転資金というものがないために、非常に資金運転のために苦しんでおる。そうして高利の金を借らざるを得ないということになると、学校給食用にする粉乳ですか、ああいうものの値段が高くなってくるということになる。そういう点だっても、やはり大蔵省はもう少しこういうものの運営に理解を寄せられていけば、この安全会も一時借り入れをする場合に文部大臣の許可を受けてやれる、こういう工合にありまするが、そういう場合には当然大蔵省が理解の度を示せばまずもって格好がつくまではこの金を使っておれということもできるだろうし、まためんどうくさくなく資金のあっせんもできるだろう。そういう点についても私たちは大蔵省当局意見をただしておかなければならぬと思うのです。それ一つだけには限らない。限る、限らないだけの問題ではない。そういう必要からわれわれは呼ぼうとする、それを呼ばない方がいいという、そういう公式の発言をされると、われわれとしてはこの審議をここでやめておこう、こう言わざるを得ない。そういうことではちょっと困ると思う。ですから、委員長は先ほど努力する、呼んでくる、こういうようなことでございましたが、そのことを信じて一応私の質問はここで保留をして、そうして八木君の質問に移っていただいてもかまわぬと思います。ただその点、今の加藤委員の議事進行の発言がありましたが、そういうことでは私たち審議はストップします、せざるを得ないという工合に申し上げておくわけであります。どうか一つ委員長は賢明な処置を願いたい。
  42. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、御発言の点は後ほど理事会において御協議の上善処いたしたいと存じますので御了承願います。  次に八木徹雄君。
  43. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 私は社会教育法の一部改正について、御質問をいたしたいと思います。  まず初めに、今回の改正案の中の一つの大きな柱であると思われます社会教育主事及び社会教育主事補の必要制の問題、いわゆる九条の二についてお伺いいたしたいと思います。  九条の二は、前段で必置制を説いて、後段で「但し、町村の教育委員会の事務局には、社会教育主事補を置かないことができる。」と少し緩和的な表現をいたしておるのでございます。そこで最初に、置かないことができるという町村は、あるいは財政規模の問題であるとか、あるいは人口の問題であるとか、あるいは社会教育諸施設の有無の問題であるとか、いろいろそういったようなことが問題になってくるのではなかろうかと思いますけれども社会教育局長は、これに対してどういうふうなところに置かぬという心組みであられるか、これを伺いたい。
  44. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいまの御質問でございますが、お述べになりましたように現行法におきましては、九条の二の二項でございますが、「市町村教育委員会の事務局に社会教育主事及び社会教育主事補を置くことができる。」こういうような建前になっております。これは第一項の方が、都道府県の教育委員会の事務局には主事及び主事補を置くというように、都道府県の方は必置制になっておりますが、市町村の方におきましては、ごらんのようにこれは任意設置でございます。この任意設置にいたしました趣旨は、やはり主事あるいは主事補というものの必要を認めながら、町村の財政その他各般の事情を考慮いたしまして、そうして市町村の方で主事、主事補を置く必要を認めた場合にはもちろん進んで置いてもらう、こういうような趣旨であろうと思います。しかしながら法の建前はそれにいたしましても、現実の場合におきましては、私どもいろいろ町村の実情を聞いて参りますと、何と申しましても、あまり小さい町村は別でありますけれども、大体普通の市町村におきましては、財政等の事情が、置かない最大の理由になっておるのじゃないか、こういうように考えております。
  45. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 そうすると、財政事情が許さないような弱小な町村には置かないことができる。こういうふうに認識ができるわけなんでございますが、それは市町村意思にまかすのか、あるいは県の教育委員会といったようなところで、この程度のものは置かなくても仕方がないといった、そういう了解事項で了解をするのか、そこらは一方的に町村の意思にまかすのかどうか、これを伺いたい。
  46. 福田繁

    ○福田政府委員 現行法におきましては、これは市町村意思にまかしております。従って県の方において特別に、この町村は置いた方がよろしいというような、そういう指導はしていないと思います。
  47. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 いや、これからの問題についてどうされるつもりでおられるか。
  48. 福田繁

    ○福田政府委員 失礼いたしました。第九条の二の改正規定におきましては、建前上、従前の都道府県と全く同じように、市町村教育委員会の事務局にまで社会教育主事を全部必置制にするわけでございます。しかしながら私どもの計画では、全部の町村にまで画一的に一ぺんに主事を必置制にするということは、やはり実情に沿いません。従ってこの附則の方に経過規定を設けております。ごらんをいただきますと、附則の第二項でありますが、「この法律の施行の際、現に社会教育主事の置かれていない市町村にあっては社会教育主事を、現に社会教育主事補の置かれていない市にあっては社会教育主事補を、この法律による改正後の社会教育法第九条の二の規定にかかわらず、市にあっては昭和三十七年三月三十一日までの間、町村にあっては政令で定めるところにより、政令で定める間、それぞれ置かないことができる。」こういうような猶予期間を設けておるのでございます。従って市におきましては、昭和三十七年三月三十一日までは猶予期間がございますが、それまでに置いていただくということでございます。社会教育主事補も置いていただくということでございますが、町村にありましては、政令できめまして、大体人口一万五千以上の町村は、市と同様に昭和三十七年三月三十一日までの間に、主事を必置する。人口一万五千以下の町村にありましては、これはやはり実情を見て今後設置していくということの方がより適切と思われますので、当分の間置かないことができる、こういうような運用的な規定を政令でもってきめていきたい、こういうように考えております。
  49. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 附則の猶予規定のことは私も承知いたしておるのでございますが、今の局長の答弁によると、結論的には、政令でどのように定めるかは別といたしまして、最終的にはすべての町村に必ず置く、こういうふうにとれるのでございますけれども、そういうふうに認識していいのかどうか。それであるならば、ただし書きというのが、ただし当分の間とか、政令で定める間とか、置かないことができるという表現の方が適当ではないかと思いますが、その点どうでございますか。
  50. 福田繁

    ○福田政府委員 これは先ほど申しましたように、市におきましては、社会教育主事と主事補の両方を必置制にしようということでございますが、町村の場合におきましては、主事補までを必置制にしなくて、主事だけを必置制にする、こういうことでございますので、この書き方といたしましては、ここのただし書きのところは、町村の教育委員会の事務局には主事補を置かないことができるということを書いてありません。逆に主事は置かなければならない、こういう建前を書いてございます。従って建前の方はあくまで町村全部に必置制でございます。経過規定でもって、政令で若干の猶予期間を置く、こういう建前にいたしておるのでございます。
  51. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 よくわかりました。  それでは今の経過規定のことについて伺いたいと思うのでございますが、市にあっては三十七年三月三十一日までの間、それからまた町村にあっても一万五千以上の町村についてはそれまでの間に設けさすようにしたい、こういうようなことでございます。そこで一万五千以下の町村でも、社会教育に非常に熱心な町村というものは、現実にあり得ると思うのでございます。そういうみずから自主的に置こうというような町村に対してはこれを認め、それに対しては何か別の資料に基きますと、三十四年度にはとにかく交付税によって三億円ばかり見込んでおるというような説明がついておるようでございますけれども、その三億円の中にはそういう町村に対しても財政的配慮ができるような仕組みになっておるのかどうか、これを一つお尋ねしたい。
  52. 福田繁

    ○福田政府委員 これは最初申し上げましたように、社会教育主事を町村までそれぞれ全部必置制にいたしますと、相当経費も莫大に上るわけでございます。従って私どもといたしましては町村が社会教育主事を置きやすいように、これに対する財源措置を考えなければならないと思いますが、現状非常に社会教育主事の設置数が少いわけでございます。従って、政令でもって一定の段階を設けながら漸進的にいくことになれば、この交付税の財源措置が非常にしやすいということでございます。私どもといたしましては全体の計画をにらみながら、三十四年度には交付税でもって大体五百八十八人の主事の新規設置に対して財源措置をする金額といたしましては、約二億八千万円の交付税の財源措置をいたすことにしております。従って三十四年度の新規の二億八千万円の交付税の財源措置は市に対するものでございまして、町村にはこれは向けられません。しかしながら、おっしゃるように町村といたしましても、みずから進んで社会教育主事を置きたいというところがございますれば、これはもちろん置いてもらって差しつかえないと思います。それに対する新規の財源措置としては考えてないので、これは従来の一般財源の中でやりくりをして置いていただくというより仕方がないと思います。
  53. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 それでは角度を変えてお伺いいたしますが、現在すでに社会教育主事を置いておる市がどの程度あるか。というよりも、置いてない市というのがあるのかどうか、どの程度あるのか、これを伺いたい。
  54. 福田繁

    ○福田政府委員 個々の市につきましては、今資料を持ち合せておりませんけれども調査によりますと、市区町村において現状主事が大体四百四十二名、それから主事補が百五十八名、合せまして六百人という数になります。これは本務者だけでございます。兼務者はそのほかに若干おります。
  55. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 今のは全部市でしょう。
  56. 福田繁

    ○福田政府委員 これは大体市町村全部でありますけれども、その大部分は市と考えていただいてもけっこうだと思うのでございます。
  57. 加藤精三

    加藤(精)委員 関連して。今度の社会教育法改正の最も大きな眼目の一つは、社会教育主事の必置制ということだろうと考えているのでございますが、この社会教育法の改正の趣旨全国に放送され、新聞等で伝えられますと、意外な反響を呼びまして、従来社会教育事業というものにあまり目ざめていなかった日本の津々浦々の市町村に至るまで、社会教育のわが国進展のために寄与する大きい任務に目ざめまして、ある山間の一万五千も人口のない村におきましても、今度法律ができるから、自分の村では三十四年度から社会教育主事を設置するのだというて、われわれにも伝えてきた山中の村があるくらいでございます。従来わが国の教育は、学校教育社会教育とを並行して実施して参ったのでございまして、明治の初年の教育令におきましても、当時の制度創始に尽力した文教の先覚者は、これを並行して進めようという意図がすでにございまして、あるいは博物館、あるいは図書館、あるいはこれに併設した通俗教育その他のことに努力して参ったのでございますが、それより以後八十年に至るまで、学校教育の面につきましては、どんな僻陬の町村でも、専任で学校教育を担当する職員が二、三十名いないところはないのでございますけれども、従来わが国の社会教育の部面におきましては、専任に社会教育を担当する職員が一人もいないところがあるというのが、今回の社会教育法改正によってみごとにその欠陥が補われまして、必置制になったことは喜ばしい限りでございます。この現状が——私が生まれて育ったところは、町村合併によって人口八万九千になりました。その市におきましても現在正規の、資格のある社会教育主事というものを設置していないのであります。もっとも合併前は四万三千の人口にすぎなかったのでございます。しかるに、そこから遠く離れた山中の村ですら、今度の社会教育法改正によりまして、三十四年度から社会教育主事の正規な、有資格の者を設置したいから、人を世話してくれと言ってきておるのです。これはわが国の社会教育においての大変革であります。先ほど局長さんから、地方交付税の予算を配当する云々のお話がございましたけれども、この地方行政と教育行政との関連はもっと大きく考えるべきでございまして、地方交付税の基準財政需要と基準財政収入の関係は、御承知のように標準税率だけで問題で、自由財源を三割とっているので、その自由財源の世界が相当あるのでございます。それで市町村理事者と議会が相談をして、この村を興すのは青年の力だ、この村を興すのは成人教育の力だというような熾烈なる希望がある村もたくさんあるのでございます。そこで社会教育ということがいかにその地方の振興のために、また国家興隆のために必要であるかという自覚があった場合におきしては、これは附則の猶余規定にもよらず、どんどん設置してくれるような機運を文部省で醸成されまして——それが個々の町村の財政に適合するかしないかは、それは町村が判断することであります。もっと勇敢に当局が、この社会教育の振興にかけ声を出していただくことをお願いいたしたいのであります。御当局の御意思もまた、御答弁は控え目であるけれども、実際はそういう気持に変りがないことだろうと思いますが、その点を政務次官にお尋ねいたしたいのでございます。
  58. 高見三郎

    高見政府委員 お答えいたします。熱烈な御希望でございますが、私どももその御意見には全く賛成であります。ただ問題は、全体の町村財政のにらみ合せの問題でございますが、現に私どもは自治庁とこの問題については年次的な計画に基いて折衝を続けておるのでございます。御希望に沿うように極力努力いたしたいということをお答え申し上げておきます。
  59. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 今御答弁によりますと、現実に市町村で主事並びに主事補を置いておるのが六百人というふうに言われた。ところが先ほどの局長の答弁によりますと、今回の二億八千万円の財政措置というものは五百八十八人分を予定しておる、こういうことなのであります。さようにいたしますと、現実には現在おる人以上には措置をしないというふうに見える、これは一つの問題ではないかと思います。そういう意味合いでいろいろ今ここでお伺いいたしたいことは、今まで市が置いておりました主事に対して財政的なものはどういうことをしておったのか。二億八千万円というのは今までと比べてどのくらい多いのか。これを一つ伺いたいのと、いま一つの問題は、町村が自主的にこれから本年度置こうというそういう積極的な町村に対しては一般財源でそれをやらすのだ、ことしは財源措置をしていないのだからこれは仕方がないのだ、そういう答弁だと思うのでございますけれども、すきでやるのだから勝手にやらしておくという態度は決しておもしろい状況ではないと思います。これらについては、たとえば補正予算において特に考慮するという心組みがあるとか、ことし一年は財源措置ができなくても、本年度置いたところは三十五年度には必ず町村といえども財源措置をしてやるのだといったような積極的な配慮が望ましいのではないかと思いますが、以上について文部省の見解を伺いたいと思います。
  60. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいまの御質問でございますが、御承知のように従来の交付税でもってこういう職員の経費は地方財政計画の中に織り込まれておったのでございます。その総額は、市町村合わせますと、大体従来の交付税の中で見込まれておりました経費としては約十一億余りでございます。ところが現実の場合におきますと、この十一億余りの職員の経費というものは市町村全般についてでございまして、やはり何と申しましても他の緊要な経費の方にこれが振り向けられるという心配があったのであります。従って現実にはそういう財源措置があるにかかわらず、やはり任意設置のためにそういった職員が置かれないといううらみがございました。従ってこの際必置制をとる以上は、そういった財政措置を十分してやる必要がありますので、従来の交付税による財源措置以上に新しい財源措置というものを考えなければならないということであります。全体を置くといたしますれば、三十四年度だけを考えましても約十四億近くの経費が要るわけであります。従って従来の交付税で見込まれました十一億余りの経費にプラス二億八千万円という程度の交付税を増額いたしまして、さしあたり市の方の新規増員分に対して財源措置をするということでございます。それ以外のものにつきましては、たとえば三十五年以降におきまして人口一万五千以上の市町村に対してさらに自治庁が財源措置をする、あるいは三十六年、七年におきまして人口一万五千以下のある段階までの町村にこれを設置していく、こういうような関係からそれに必要な財源措置を逐次年々やって参りまして、そうして必要な行政もあわせて行い、それによって町村が社会教育主事を置きやすくしていく、こういうようにいたしたいのでありまして、そういった点につきましては単に文部省だけではできませんので、先ほど加藤委員からございましたように、私どもといたしましては自治庁と十分緊密な連携を保ちまして、そういう財源措置を一方進めていきながら、自治庁と両方でそういう必要な勧奨をやって参りたい、こういうようなつもりでございます。
  61. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 よくわかりました。そこでそれは地方財政計画の基準財政需要額の中に入るということを意味しておるのだと思いますが、その基準財政需要額の単価というものは画一的なものであるか、それは俸給によって差があるのか、そのところを一つ御説明願いたい。
  62. 福田繁

    ○福田政府委員 私どもさしあたり考えておりますのは、市におきまして来年度二億八千万円の財源措置をする場合におきましては、これは甲吏員でございます。甲乙丙に分れておりますが、その最高給の甲吏員、従って大体この単価といたしましては四十四万四千七百四十一円というような計算上の単価になっております。
  63. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 次に第九条の四の四号に「前各号に掲げる者に相当する教養と経験があると都道府県の教育委員会が認定したもの」「相当する教養と経験」というふうな表現をいたしておるのでございますが、その認定をされる都道府県の教育委員会の認定基準といったものがあるのかどうか、これを一つ伺いたい。
  64. 福田繁

    ○福田政府委員 この認定する場合の基準でございますが、これは私どもといたしましては、できるだけやはりこういった法律によって認定するようになりますれば、一地方だけのことではなくて、全国的なレベルというものを考えなければなりませんので、そういった基準につきましては各都道府県でこの際一応基準となり得るようなものを通達等によりまして各都道府県に参考に流したいと考えております。この場合に「相当する教養と経験」というふうに法律上書いてございますが、この意味は、第九条の四の現行法によりますれば、たとえば第一号におきましては「大学に二年以上在学して、六十二単位以上を修得し、且つ、三年以上社会教育主事補の職又は官公署若しくは社会教育関係団体における文部大臣の指定する社会教育に関係のある職にあった者で、」とこういうふうに三段がまえになっております。従ってその次の二号でも「教育職員の普通免許状を有し、且つ、五年以上文部大臣の指定する教育に関する職にあった者」こういうふうになっておりまして、非常に資格が厳格で、二年以上在学するか、あるいは教育職員の免許状を持っておるということが必須条件になっておるわけであります。そこでここで申しております「前各号に掲げる者に相当する教養と経験」というのは、この法におきましては、そういった大学を出ないでも、あるいは教育職員の普通免許状を持っていないでも、できるだけそれに近いような教養と経験のある者を作っていくということが趣旨でございますので、大学を出ないでも、独学によっていろいろ勉強した、しかもまたそういう独学によって勉強した方々が社会教育関係の実務を長年勤めたとか、そういった人たちにこれに対する資格を認めていこうというものでございます。あるいはまた学校等におきましては教師としての免許状を持っていなくてもいろいろりっぱな職員もおります。そういった人たちに対してそういう門戸を開いていこう。こういう趣旨でございます。
  65. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 それでは次に移りますが、一つの大きな問題点になりました九条の五の講習の問題でございます。先般も永山委員質問に対して文部大臣から、文部大臣自身としては参議院の修正条項よりも原案の方がより望ましいのではあるけれども、諸般の事情でやむを得ないといったような意味の御答弁がありました。私も画一的な講習であるよりも、幅広い講習がより望ましいと思う一人なのでございますけれども、ただ文部大臣の講習あるいは都道府県の教育委員会が行う講習というものが、幅広くやればやるほどいわゆる国家権力が多過ぎる、そういうような意味で心配される向きがあるのではないかと思います。ただどの資料を見ましても非常に残念に思いますことは、文部大臣なり府県の教育委員会が行う講習についての具体的な講習のあり方というものが一切説明されてないように思われます。そのことがかえって誤解を生んでおるのではないかと思いますので、これを立案した当時、局長としては文部大臣の行う講習というもののあり方はこういうものである、あるいは府県の教育委員会が行う講習のあり方というものはこういうものを想定しておったのだということを率直に、具体的に述べられておったならば、参議院における審議というものも変った方向に向いたのではなかろうか、このように思うのでございますけれども、返らぬぐちかもわかりませんが、この際その当時の皆さんが考えておったことをお聞かせ願ったら幸いだと思うのでございます。
  66. 福田繁

    ○福田政府委員 これはお言葉でありまするので率直に申し上げますが、私どもといたしましては、この前も当委員会で申し上げましたように、社会教育主事の講習を実施する場合におきまして、実際過去においていろいろな経験をいたしたわけでありますが、講習の、行う単位そのものが現在は省令できまっております。従いまして各社会教育主事の講習に必要な科目単位というものを実施します際に、その内容からいたしまして、従来は単に教育学部等を有する一学部、二学部の大学だけでは十分でないというように考えておったのでございまして、大学にもいろいろございますけれども、とにかく従来の経験からいたしますと、社会教育主事の講習の場合当該大学の先生のみでまかない得るという単位は割合に少く、むしろ半分くらいだと申してもいいくらいでございますが、そういった意味で他から講師を仰がなければならぬ、あるいはまた文部省関係の人も出ていかなければならぬ、あるいはまた都道府県の教育委員会の職員もこれに参与する、こういうようなことでお互いに協力して参ったのでございます。ところが従来におきましてもそういう欠点がございましたが、今後社会教育主事が広い教養とまたいろいろな新しい知識を身につけて、りっぱな主事としてこれを養成するためには、従来のような単位あるいは科目だけでよろしいかどうかということ、それは若干検討を要する余地があると存ずるのでございます。たとえば職業教育というものが非常に重要視されて参りました現今におきましては、職業教育的な科目をある程度拡充するとか、あるいは科学教育に関する科目の単位数をふやすとか、そういうことも必要でございまするし、あるいはまたマスコミの発達いたしました最近におきましては、テレビ、ラジオ等の放送に関する教養というものがなくては、社会教育主事がほとんど勤まらないというような状況であります。そういった意味で、将来現在の社会教育主事の講習の内容をなしております科目については、ある程度やはり改正が必要ではないかと考えております。従ってそういうことを考えました際におきましては、やはり従来の教育学部を有する大学のみでは職業教育におきましても不十分だし、あるいはまたそういった実際の実務におきましても不十分じゃないか、こう考えましたので、私どもといたしましては全部文部大臣がやるということでなくて、文部省にもいろいろそういった専門的な職務を扱っているところはございますので、そういった専門的な職務を扱っている職員がそういう講習を担当する、あるいはまた従来のような教育、行財政につきましては、文部省の職員が関係したことが多いのでありますが、そういった教育、行財政等についてもこれをはっきり文部省の職員でやれるようにする、あるいはまたいろいろのそういった実際の演習等につきましても、やはり必要な事項は行政に従事しております職員をもって充てることが必要な場合もございます。そういった意味をはっきりするということと、それからもう一つ、率直に申し上げますと、都道府県の教育委員会におきましては、そういった講習を実施します場合に、やはり管内の職員のレベルを上げるとか、あるいは養成数をふやすとかいうことにつきましては、これは非常に積極的に熱望するのでございまして、そういった意味から都道府県教育委員会では養成講習に対して熱心なところは相当の経費を予算的に組むわけでございます。そういった場合に、やはり都道府県の教育委員会が主催するという立場をとった方が経費も組みやすいし、また講習の実施についても非常にやりやすいという点がございます。そういった意味でこれは文部省なりあるいは都道府県の教育委員会なりあるいは従来の教育学部を持っている大学なり、教育学部を持っていない大学も、必要な大学はみな協力してこの趣旨の講習の実施に当りまして、よりよい、高い主事を養成する必要があるのだ、こういうような考え方で私どもはこの立案に当ったのでございます。
  67. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 ちょっと関連して……。私社会教育というものが大事なことはよくわかっているつもりですが、その社会教育の中に政治教育というものをもう少し重点的に扱ってもらいたいということを絶えず思っておるのです。民主社会を作るとか民主政治を巧みに運用するというような基本の問題に、政治教育というものがほんとうに行き渡っていない。今主事の講習内容というようなことを聞きましたけれども、もう少しそういうものの中に政治教育、選挙教育といいますか、今のような選挙を続けていく限り日本の民主社会なんてうまくいかぬのはきまっているので、そういうように政治教育にもう少し重点を置こう、そういうことに力を注ごうという気持は文部省当局にはあるのですか、ないのですか。
  68. 福田繁

    ○福田政府委員 おっしゃるように社会教育につきましては政治的な教養というものが非常に大事なことは私どもよく存じております。あるいは青年学級の開設の場合取り上げる問題といたしまして、あるいは婦人学級開設の場合におきましても、同様青年婦人に対する政治的な教養というものを身につけていただき、あるいはまたみずから勉強するという意味においてそういう問題を広く取り上げております。従ってそういった関連におきまして、やはり社会教育主事なり主事補というものが、そういう具体的な指導をいたします場合に、必要な限度におきましては当然おっしゃるような政治的な教養というものを重要視しなければならないと思います。ただいろいろ政治的な教養をやります場合におきましては、やはり非常にむずかしい問題もありますので、十分その点は注意しなければならぬと思います。私どもといたしましては、研修なりあるいは講習の中におきまして、十分注意をしながらそういった点を取り上げて参りたいと考えております。
  69. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 実際問題として、青年学級や婦人学級などで普及をする場合に、政治教育というものをむしろ避ける傾きがあると思います。適当な講師がないという意味もありましょうから、そこでさわらぬ神にたたりなしという気持からかもしらぬけれども社会教育主事というような人々も、なるべく政治教育なんというものには触れぬ方が安全だという気持があるんじゃないかと思います。そういう意味から、社会教育主事の講習などに臨んで、もっと政治教育に重点を置くように指導するというか、そういう科目をふやすというか、あるいは適当な講師というものは——われわれが行くと、自分たちの仲間の宣伝をするようにとられて悪い点があろうと思いますけれども、不偏不党の立場において国民に政治教育、選挙教育というようなものをもっと普及させないと、日本はよくならぬと常々思っておりますので、この機会に文部省の一考をわずらわしたい、こう思って申し上げたわけなのです。
  70. 福田繁

    ○福田政府委員 十分研究いたしまして、御趣旨に沿うようにいたしたいと思います。
  71. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは午前の会議はこの程度とし、午後一時四十分に再開いたします。  休憩いたします。     午後一時二分休憩      ————◇—————     午後二時十五分開議
  72. 臼井莊一

    臼井委員長 これより会議を再開いたします。  質議を続行いたします。八木徹雄君。
  73. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 次に問題の十三条についてお伺いをいたしたいと思います。今回の一部改正につきましても、やはり一番問題になる個所はここでないかと思います。それは一つは憲法に抵触するのではなかろうかという問題、いま一つは、補助金を出すということにすることにおいて、いわゆる団体の自主性が失われるのではなかろうかという問題、この二つにかかってくるのではなかろうかと思うのでございます。  そこで最初に憲法問題について伺いたいと思うのでございます。憲法八十九条に公けの支配に属しない教育の事業に対し、公金その他の公けの財産を支出し、またはその用に供してはならない、こういうふうに明快にうたっておるわけでございます。そこで教育の事業という解釈、それと教育関係団体に対して補助金を与えることが、教育事業にどういうふうに関係をしていないかということについて伺わなければならぬかと思うのであります。この点につきましては、すでに福田局長は法制局の方に問いただしまして、別途の資料をいただいております。そこで法制局第一部長からの回答があるわけでございますが、この回答の中で法制局自体も、一の(イ)の1、2、3、4、うにつきましては、これは教育事業に該当しないものと解していいであろう。こういうふうにいっておるわけでございます。この1からうの問題につきましては、私も同様の見解を持つものでございまして、あえて問題にしようとは思わないのでございますが、ただ、6、7の問題と、次の(ロ)の問題につきましては、個々のケースに従ってそれを判断しなければならない、こういうふうにいっておるのでございます。  そこで最初に伺いたいことは、局長はこういうような質問をして法制局の意見を聴取するということは、現実の問題といたしまして実際に補助金を出そうとする場合に、ここに質問を提示したような状況についてのみ補助金を出そうという意図を持って質問をされたのであるかどうか。これ以外のことについては補助金を出す意思はないというふうに認識していいのかどうか、この点をまずもって伺いたいと思うのであります。
  74. 福田繁

    ○福田政府委員 お尋ねの点でございますが、従来、憲法と社会教育法十三条との関係につきましては、いろい研究がなされておったのでありますが、憲法八十九条のいわゆる教育の事業と申しますのは、一体どういう事業かということにつきましては、すでに昭和二十四年でございましたか、四年ごろから法制局の見解があるのであります。すなわち、言いかえますと、教育の事業という範疇に入るものは、憲法ではやはり教育される者と教育する者と両者がありまして、一定の教育目標があり、しかもその一定の目標に従った計画に従ってそれを達成すべく行いますのが教育の事業であります。従って、平たく申しますと、学校教育あるいはそれに類似するような教育というものが憲法八十九条にいいますところの教育の事業だ、こういうように教育をされてきておるわけでございます。ところでこの社会教育という場合におきまして、社会教育法の第二条に掲げておりますように、社会教育の定義は非常に広いのでございまして、そういった事業以外にいろいろな事業がございます。そういった憲法八十九条の教育の事業に該当しないような事業としても、たとえば体育あるいはレクリェーションに関するような事業、あるいはまた芸術関係の文化的な事業というようなものもいろいろございます。従って八十九条のこの教育の事業というものによりまして、社会教育の事業を押えて団体に支出してはならないというように書いてはないのです。ところが社会教育法の第十三条におきましては、これはいかなる事業でありましょうとも団体に対して支出を禁止している、こういうような関係になっておるわけであります。従って私ども今申し上げましたように、社会教育団体が社会教育に関するいろいろな事業を行います場合に、憲法八十九条の趣旨事業よりも広いものがあるとすれば、もし十三条が撤廃された暁におきましては、そういう憲法八十九条の教育事業以外の事業に対しては出すべきでないか、こういうように考えたのであります。従ってそういった観点から社会教育を振興いたしますためには社会教育関係団体にある程度の助成ができるような道を開きたい、こういう趣旨でございます。従って法制局に私の名前をもって照会いたしましたのは、大体そういった事業社会教育関係のいろいろな団体において行われておりますので、それに対する明確な回答をいただけば大体足りると考えまして出したのであります。従ってあるいはまだそれと関連するようなものがあるかも存じませんけれども、一応そういった法制局の見解に示されたような事業補助金が出し得るといたしますれば、支障はないだろうと考えております。ただこれは先ほど申しましたように、参議院でも違憲ではないかというような御質問もございましたけれども社会教育法十三条は削除いたしましても、憲法はそのまま厳然と存在するわけでございます。従って私は違憲の問題はないと考えておる次第でございます。
  75. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 よくわかりました。この亀岡部長の回答の中にも研究会、読書会、鑑賞会、講演会または講習会の開催、または社会教育に必要な専門的、技術的指導者の養成の問題、これらは個々のケースについて判定しなければならない、こういうふうにいっておるのでございます。実際問題といたしましては、やはりこれらの研究会その他の問題につきましては補助金等をほしがる向きも当然ありましょうし、これによってこのように質問をするということは、文部省自身といたしましては、でき得べくんば出してやりたいという配慮があるのではなかろうかと思います。ところが個々の判定をするという場合に、その判定はだれがどのような基準に従って判定するというのであるか、それに対する見解を一つ承わりたいと思うのであります。
  76. 福田繁

    ○福田政府委員 この判定の機関でございますが、私どもといたしましてはこの法制局の見解に示されております明瞭なる事項については、これは疑いないと思いますが、個々のケースに関して具体的に判断をしなければならないというような場合におきましては一応行政機関といたしましては、やはり政府の最高の責任を持っております内閣法制局の見解をただしてこれをきめていきたい、かように考えております。
  77. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 そうすればやはり個個のケースについてそのつど法制局の見解をただして実施する、こう認識していいわけですか。
  78. 福田繁

    ○福田政府委員 これは個々のケースについて非常に疑問の多いような場合には、やはり法制局の見解をただした方がいいと思いますが、しかしながら法制局の見解におきまして個々のケースについて判断をしろというのは、その講習会その他いろいろな具体的な事業内容が、やはり最初に書いておりますように、憲法の教育の事業というその解釈の内容に該当するかどうかという点であります。従って一定の教育計画をもって、しかも教えられる者と教える者とがあって、それに基いた一定の教育事業がなされるという場合におきましては、これは名称のいかんを問わず疑問があるといっておりますけれども、そういう内容でないものについては、これは法制局の見解を待つまでもなく、疑問はないところだと私ども考えております。従って非常にむずかしい問題は法制局の見解をただしたいと考えますけれども、個々の問題については一々全部たださなければならぬようなことはないと思います。
  79. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 次に先般参議院において十三条に対する修正案が出ております。これはもちろん文部省当局においては予期しないところであったわけでございますけれども、ただここでちょっと私の疑問に感ずる点があるので伺いたいと存じます。その修正案によりますと、「地方公共団体にあっては教育委員会社会教育委員会議意見を聞いて行わなければならない。」、こういうようにいっておるのであります。これはあとで私は伺いたいと思っておるわけでございますけれども、いわゆる団体の自主性というものをできるだけ阻害しないように考えてこの修正案は出たものだと思いますが、ただ社会教育委員会議意見を聞かなければ補助金が出せぬというふうにこれでははっきりきめられたような格好でございます。ところが第十五条において、「市町村社会教育委員を置くことができる。」こういうふうになっておるのであります。社会教育委員は任意設置制だと思うのです。この修正案を厳密に履行しようとする場合には、この十五条との摩擦と申しましょうか、相矛盾するところのものができるのではないか。どうしてもその修正案を生かすということでありますならば、十五条の社会教育委員を必置制にしておかなければならない、そういうふうにうたわなければ十三条の修正案は生きてこないのじゃないかというふうに考えるのでありますけれども、それに対する局長の解釈を一つ承わりたいと思います。
  80. 福田繁

    ○福田政府委員 この点はおっしゃる通りでございまして、十五条は「社会教育委員を置くことができる。」、これは任意設置でございます。従って全部の市町村社会教育委員が置かれておるとは限らないのであります。置かれてない町村もございます。しかしながらまた一面町村におきまして社会教育関係団体に補助金を出そうという町村も、全部の町村が一斉に出そうというものでなく、これは必要に応じて町村が出されるわけでありますから、その社会教育委員を置かれておる町村とあるいは出そうという町村が食い違いがあるかもわかりません。そういう具体的な場合につきまして今おっしゃるようなことが起きると思います。従ってこういう修正がありました以上は、必置制にしなくとも、私どもは現在の条項を生かしまして、社会教育委員をまず置いて、そしてその委員会議意見を聞いた上で補助金を出せるように、これは指導によってやりたいというふうに考えております。
  81. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 それでけっこうだと思うのでございますが、結局文部省の見解といたしましては、この行政指導によって、補助金というものを出そうという市町村については、社会教育委員会を置かすように指導していく、現実の問題においては矛盾しないようにしていこうということと認識いたしたいと思います。  次に、いわゆる社会教育団体の自主性がそこなわれるのではなかろうかという心配であります。補助金を出すことにおいて、いわゆる国家権力なり、あるいはまた府県の理事者の支配力というものが、団体に推し進められていくのではなかろうかというような心配をされる向きがあるわけでございます。もちろん社会教育団体の健全なる育成をはかっていくためには、その自主性が当然に尊重されなければならぬと思うのでございますけれども、そこで現実に補助金を団体に流していこうという流し方の問題が問題になってくるのではないか、このように思うのであります。今までのところは、十三条の規定がありますがゆえに、補助金というものは流せない。しかし現実の社会教育のいろいろな問題につきまして、あるいは府県との共催であるとか、あるいは町村との共催であるといったような形で、実際問題といたしましては、社会教育を推進していくいろいろの方策というものが立てられておった。それをこの際明らかに補助金を出すという形で、何だかうしろ暗いといいますか、日陰の花であったような出し方というものを明快にやろうということになろうかと思うのでございますけれども、しかしその出し方というものは、いろいろな点で問題が出てくるのではなかろうかと思うのであります。私は愛媛県でございますけれども、愛媛県におきましても、県の連合青年団の大会に、県の教育委員会と連合青年団の共催という形で問題が起ったのは御承知の通りでございます。これについてはいろいろな誤まった情報も伝わっておるようでございますが、実際問題といたしましては、連合青年団がこの大会を開くに当りまして、たとえばいろいろのテーマを与えて分科会を持って、それに対する討議をするというようなことはどこでもやることだと思うのであります。ところがその分科会の討議にアドバイサーといいますか、そういう人が当然予定されるのでありますが、そのアドバイサーになる人というのは、連合青年団の一部の幹部の方々の要請に基きまして、通常の場合日教組講師団といったような方々がこれに参画するというのが愛媛県の場合でも多いのであります。そういう場合に、もちろん日教組の講師団といえども、その発言がいわゆる教育の中立性にのっとった線に従ってりっぱなアドバイスをしていくということであるならば、これは問題がないのでございますけれども、なかなかそうは参らぬのであります。そこで共催をする立場に立つ者が、そういうふうに一方に偏したアドバイスをするということは、実際の社会教育的見地に従ってこれを眺めた場合に適当ではないというようなことで、そういう人は遠慮してもらった方がいいのではないか、もっと中立的な人を入れた方がいいのではないかというような勧告といいますか、要請といいますか、そういうことは責任ある県の教育委員会立場とするならば当然のことだと思う。ところがこれをもっていわゆる団の自主性を損傷するものであるというような表現が往往にして起るのであります。私は愛媛県の現象をとらえて、その実態がどうである、こうであるというような議論をしようとは思っておりませんが、実際問題としてそういうようなことはどこにも起りやすいものであると思います。そこで補助金を出すという場合にそれらの社会教育団体の自主性にまかして補助金を出そうということに重点が置かれます場合においては、今言ったようなことが十分に起り得る可能性がある。それを自主性を尊重し、誤まりのない指導をしていこうという場合には、この補助金を出そうというときに、どういうようにそれを解決していくか、これは大きな問題であると思う。少くとも自由民主党といたしましては、そのことに関しては一つ大いに注目しておかなければならぬことだと思うのであります。そういう意味合いで、補助金の流し方ということについて、この十三条を削除することによって、社会教育局長といたしましては具体的にどういうふうにされるつもりであられるか、この点を一つ伺いたいと思うのであります。
  82. 福田繁

    ○福田政府委員 この社会教育法の十三条に関連しまして、十三条を削除いたしまして補助金を出した場合にはいわゆる関係団体の自主性をそこなうおそれがあるということを言われる向きもあるようでありますが、私どもといたしましては、社会教育法の十二条をごらんいただきますと、国及び地方公共団体との関係を規定いたしておりまして、「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない。」という条文がございますが、この条文を厳正に履行する限りにおきましては、関係団体の自主性をそこなう心配はないというふうに考えておるわけであります。従って補助金を出す場合におきましては、その団体の事業なり、あるいは団体の振興をはかっていこうという趣旨から出すのでございますから、補助金を出すことによって、その団体が直ちにひもつきになったり、あるいは自主性がそこなわれるというようには私ども考えていない。むしろ今後この十三条を削除いたしまして、従来のような共催とかあるいはいろいろな形で実質的な援助を与いておりましたのを、正規の予算として組み、都道府県あるいは市町村議会の議決を経て合理的に補助金が出し得るという点を、私どもは非常に重要視するものでございます。従ってそういった予算に具体的な団体なりあるいは事業に対しての補助金を計上するというようなやり方の方が適切であるという考え方に立っておるわけでございます。  ただいまお述べになりました愛媛県の青年団の問題でございますが、これは単に愛媛県だけにとどまらず他の府県にもいろいろあるかと存じますけれども、私の知っておる限りにおきましては、この愛媛県の青年団につきましては、県の教育委員会と共催で従来いろいろ青年集会をやって参ったのでありますが、ことしは話し合いがつかなくて、どうやら共催ということはできなかったように聞いております。ところがそういった場合に、従来は十三条というものが存在いたしておりましたために、やむを得ず共催というようなことで、県の教育委員会は共催費の支出という形をとって参ったのでございます。ところが青年団としては、研究集会を実施いたします場合に、自分の方のいろいろな注文もあると思います。しかしながら連合青年団と県の教育委員会が共催という立場をとる限りにおきましては、やはり共催者の意思というものはそこに当然入ってくるわけであります。そこで県の教育委員会考え方もございましょうし、県の青年団の考え方もございましょうし、両者が一致して初めて集会というものは開けるわけであります。従っておっしゃるような点があるかと思いますが、他の県ではそれほどこういう問題についてトラブルはございません。愛媛県の場合は多少特別な事情があったように聞いております。私どもは共催でなくなって今後補助金をどういう形で出すかということになりますと、国もあるいは都道府県も同様だと思いますが、これは政府予算に計上いたしまして、そして議決を経た補助金を出すということになりますので、やはり市町村あるいは都道府県の理事者というものは、その団体の事業内容なり計画というものを十分調査いたしまして、これが適切であるかどうかというふうなことをよく見て、それによって補助金考えるということになると思います。従って直ちにこの補助金の出し方として個々の事業なりあるいは個個の団体の事情というものを十分調査しておく必要があるんじゃないかと思います。先ほどお述べになりましたように、社会教育委員会の議に付する、意見を聞くということは、そういった点においてもいろいろな公平にこれが扱われるというふうな考え方に基くものだと思います。
  83. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 補助金の流し方について、今具体的に私承わりたいと思っておったのでございますが、その事業に対して補助金を出そうということなんであります。それを字義通り解釈するならば、社会教育諸事業というものが市町村から全部あがってきて補助に値いするか値いしないか、それを取捨選択して適宜配分するといったふうにとれるのですけれども、理屈でそういうことは言えるとしましても、実際問題としてはそうなかなかいかない。いわゆる文部省当局といたしましてはどうしても一応府県割当をする。そうしてその府県割当をしたら府県の教育委員会がこの社会教育委員会などと相談して具体的に配分するといったようなことをせざるを得ないのではないかと思うのでございますが、その補助金の流し方というものを具体的にどういうふうにお考えになっておるか、何か基準があってその基準に従って配分するということなのか。それとも個々の事業というものを取り上げてそれによって配分されようとするのであるか、そこらを一つお伺いしたいと思います。
  84. 福田繁

    ○福田政府委員 国の場合におきましても、具体的に事業というものと、その補助金を受ける団体というものがはっきりきまっております。従って予算に計上する場合には、どういう団体のどういう事業ということがあらかじめきまっておりまして予算というものは組まれるわけであります。従って今おっしゃるような市町村から何でもかんでもあがってきて、それを全部対象にするということでなく、やはり青年団なら青年団のこういった事業、特定の青年団のこういった事業、あるいは婦人会のこういった事業というように、団体事業というものが明瞭になってきたと考えております。従ってプールしたような補助金をあちらにもこちらにも分けるというものではなかろうと私は考えております。  先ほど私のお答え申し上げました中に、あるいは市町村、都道府県といったように申し上げたかもしれませんが、これはすべて教育委員会意味でございますので、誤解のないように訂正いたしておきます。
  85. 加藤精三

    加藤(精)委員 ちょっと関連して……。第十三条の改正は社会教育法の今次の改正のうちで最も重要なる条項だろうと考えるのでございまして、われわれもきわめて重大視しているのでございます。憲法八十九条との関係についてでございますが、憲法八十九条が宗教団体等につきましては、他の慈善に関する事業とかあるいは教育に関する事業等よりも非常に厳密に規定しているという趣旨は、他の事業につきましては、それほどな厳密さを要求しないというふうに、私たちはまずかりに考えるのでございます。これから私の考え方の思想を展開しますにつきまして、(「関連質問でそんな長い質問はだめだぞ」と呼ぶ者あり)社会党の御主張にも非常に触れるのでございますから、厳密に検討するために、がまんをお願いしたいのでございますが、教育に関する事業という言葉のうちには、学校事業と、社会教育事業の二つが理論的にあると考えるのでございます。学校教育法に規定した事業学校事業で、それ以外のものが全部社会教育事業だというふうに大体論理構成からするとなると思うのでございます。そうしますと、結局それはまた学校とはどういうものかということになる。結局われわれの考えるところは、かつて慶応の川合教授が示された、学校というのは狭義の教育のことだという一つ考え方がある。武部欽一先生の「教育行政法」には、学校というものは一定の教科課程を備えておって、おのおの教科課程に相当時数を配当し、一定の期間継続してそして、規律節制のもとに教育、教授をする人的、物的の施設をいうとしてございます。そういう意味におきまして、教育事業というものを考えますれば、いわゆる世間の人が教育事業というふうに社会的に認識する程度事業は、これを講習会というのと区別するためにも重要だと思うのでございますが、狭義の教育と、組織された教育と、程度の高い教育事業というものは、これは学校事業の概念に入るのではないかと考えるのでございます。そうしますと、先ほど申し上げた武部先生の定義のうちで、重要なる事項を一つ落しましたが、さっき申しました条件のほかに、特定した多数人に対して教育、教授を行うということがあるのであります。そういう意味におきまして、この講習を受ける者を特定しました場合、そういう場合は実質的にはこれを学校と呼ぶか呼ばないかにかかわらず、一種の学校教育とみるという論理構成を私がしているのでございます。そうしませんと、単に法制局の考えておりますように、ここに一つの身体的あるいは精神的育成の到達目標を備えまして、それに向って継続的に組織的に教育、教授をするのが教育事業だというような面の見方からすれば、たとえば非常に人格の高い郷党の君子がありまして、そこへ継続して村の子供が習いに行くというよう場合は、これは教育する者と教育される者という関係からいえば、確かに教育する者、教育される者という立場は成り立つと思うのでございます。ドイツの教育哲学者のケルシェン・シュタイガーとかシュプランガーとかいう博士が、人格の非常に高い、成熟した人間が、その固有の哲学的な教育権を持っている。従ってそれが社会をよくする非常に大きな一つの作用を持つから、それで自由な教育が行われるという自由教育学説というものがある点から鼻ますれば、これは教育者、被教育者という関係からだけは律しられないのではないか、こういうふうに考えるのでございます。そうしますと、結局は憲法八十九条の教育事業というのは学校事業だけをさすようにも解釈できるのじゃないかと私は考えるのでございますが、そうすると、社会教育法という法律立法に当って駐留軍等の指導によって強制された法律考えるのでございます。しかしながら国会を通った法律であるから大部分国民意思によってできた法律ということでございますが、若干の誤差があるのじゃないか。しかも社会教育団体にこれを適用するに当っては、社会教育法の中に社会教育団体というものの定義をしておる。その本文によれば、「この法律で「社会教育関係団体」とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするものをいう。」と書いてございますがゆえに、主たる目的と従たる目的をあわせて行うことができることを予想しておるのでございます。そこがこの間の参議院の公聴会において公述人になられました慶応の山本教授とそれから参議院の委員さんたちとの間の質問応答で論議になったところでございますが、こう広く解釈したら、社会教育関係団体というものに対して、八十九条を基礎にしましてこの補助の禁止をする必要はない。むしろ私立学校のような、憲法でおそらく予想しているであろうところの教育事業すなわち狭義の教育に対して補助することはこれは行き過ぎが起る、こういうようなことを予想しての禁止規定と解釈して、社会教育法の十三条のごときは少し行き過ぎだというふうにも考えられないことがないと思うのでございます。そういう面から見まして、この私立学校こそ八十九条によって補助を禁止さるべきものでございますが、これに対しては東京大学の宮沢教授が特に東京の朝日新聞でございましたか、何か大きな新聞にえらいページをさきましてこれを論じて、社会教育法第十三条は憲法違反の疑いがあるけれども、私立学校についてはすでに脱法行為だと思われるけれどもこういう措置がしてあるというのでございます。脱法行為でやれば補助をしてもいい、正当の行為では補助をしてはいかぬということは、東京大学の教授の学説としてはこれはきわめて明確を欠き、また学者の学説としては価値なきものと私は判断するのでございます。そういう面から見まして、社会教育法の十三条は相当問題でございまして、もし社会教育法の十三条に関連して教育事業ということを厳密に考えていく場合におきましては、これは憲法八十九条との関係ではどうも過剰な制限であり、同時にこれを私がただいま展開したような論理からいえば、社会教育法という法律によってわが国の社会教育事業も相当交通整理されていることを考えますれば、しかも憲法八十九条の教育事業という性質が希薄なものでございましたならば、全体的に法制局が留保する以上に、そう大きな留保なしに直ちに撤廃していいものじゃないか、そういうふうに私は考えるのでございます。この点に関しまして参議院公聴会において山本教授は、社会教育団体も社会教育以外にいろいろそれについての研究等もやる、その研究について補助を出すことは八十九条違反にならぬという説を証言されたのでございます。そこへ元日教組の委員長であられました荒木委員から非常な憤りを持った発言がございまして、そしてその訂正を要求されましたのに対しまして、しばらくの間しどろもどろの答弁をしておられましたが、結局において、社会教育関係団体に、その社会教育の部面以外の事業に対して補助することもとるべきじゃない、十三条全体は生かすべきであるという答弁に説を変更されたのであります。私は東大の憲法の主任教授の宮沢教授とかあるいは慶応大学の山本教授とかいう人をもし社会党で参考人にお呼び下さるならば、日本の学者の真の御意思が、私には今のようにとられて非常に遺憾なのでございますが、なおその深い御意見を、学者として学者らしくお持ちかどうか、それを問いただしたいのでございます。  私が申しますのは、私立学校といえども一つ学校という名前がつけば国家的なものでありまして、国家的なもの、公共的なものは国の方で補助したって一向差しつかえないものじゃないかという考を持っておるのです。前の文部次官の沢柳政太郎先生は、学校という名前がつけば私立学校でも特殊学校でもすべて国家的なものだと言うておられるのでございます。日教組はそういう公共性がなく、一部階級のために実際やっておるような考え方を持っております。といいますのは、日教組は市町村立、公立の学校そのものをも日教組立の学校くらいに考えておりまして、しかも日教組立学校はまた同時に生活つづり方学校とも言われておりますが、しかも毎年定期に相当時間を配当しまして、相当な分科会を設けて教授をしておるのです。それこそ教研集会というようなものは一種の私の学校事業だと私は考えているのであります。かかるものを存在させて、国の行政の秩序を紊乱文教することは非常な誤まりじゃないかと考えておるのでございます。そういうふうな考え方から見て、市町村というものは大体渾然たる有機体でございまして、そこに民主的に構成された教育委員会というものがあるのでございます。民主的に構成されております教育委員会というものを無視して、その教育委員会があたかも不当なる支配でもするかのように考えられる考え方それ自身が、戦前の日本のやや封健的なきらいのあった状態と現在の民主化された日本の状態とを混同しているものであります。そういう意味から私たちはこの十三条の解釈につきましても、社会党社会事実をすなおにとって、そうして相当な広い範囲におきまして公けの補助金等を支出することを認めて下さる方が正しいのであって、それについての無理な反対論は論理にかなわないものだということを自覚していただけると思うのでございますが、それらの点につきまして、特にこの憲法八十九条の教育事業というのは狭義の教育いわば学校事業とほとんど同意義だ。それで現在私立学校ですら私立学校法というものがあるために、この八十九条を全然のがれておる、制限を離れておるわけでありますから、まして現在のわが国の各地方で行われておりまする社会教育事業等は、当然これは憲法の八十九条の予定している教育事業じゃないというかたい信念を私は持っておりますが、これらに関しての御当局の批判を、これは非常に重要なことでございますので、大所高所に立ちまして政務次官より意御見を承わりたいと思います。
  86. 高見三郎

    高見政府委員 大へん該博な御意見を伺いました。お尋ねの要点をしぼって簡単に申し上げますが、八十九条のいわゆる教育事業という中に、加藤先生の言われておる学校教育だけではないかという御議論は、私どもそういう見解はとっておりません。これは社会教育も入るものだという見解をとっております。この点は御意見は御意見として拝聴いたしますが、お答えを申し上げておきます。  それじゃどうして私立学校に補助をするか、私どもこれは公けの支配に属するものだと考えております。と申しまするのは、私立学校に対しましては文部大臣が許可、認可権を持っておる、こういう観点から公けの支配に属するもの、かように考えておるのです。ただこれが憲法違反になるかならないかという問題になりますると、社会教育団体に補助してはならないという社会教育法十三条の規定は——憲法のいわゆる教育事業補助金を出してはならないという精神は非常に広い解釈を持っておるわけであります。従って十三条は削除しても、憲法八十九条の制限は当然受けるべきものである、従ってこれは憲法違反ではないという解釈に立ってこの法律案提案しておるわけであります。さよう御了承をいただきたいと思います。
  87. 西村力弥

    西村(力)委員 関連して一点だけ明確にしておかなければならぬと思います。八木委員質問は、補助金の流し方という点が中心でありましたが、それが変なところに関連しまして憲法論議の方に行きましたが、私が補助金の流し方について社会教育局長の答弁を聞いてみますと、今まで十三条があったためにいろいろ共催とか無理をしてやっておった。今度十三条を削除すれば非常にスムーズに、むしろ機械的にそういうものに補助金が流れることが可能だというような——そこまで機械的とまでは言いませんけれども、そういう印象を受ける答弁をなさっていらっしゃる。ところがそのあとだんだんと話が進んでいきますと、それが適切であるかいなかということを認定する、こういう一つのワクがはめられてきておるのです。ですから具体例を示して八木委員質問したのは、愛媛県の青年団が日教組講師団というようなものを呼んで行事をやることに対しては、われわれ自民党としては重大なる関心があると言われた。そういう工合にしてことしはその共催というものは愛媛県の教育委員会と愛媛県の青年団とが協議不調になっておる、こういう事実を仰せられておる。ですから結局あなたの答弁をずっと具体化していけば、協議がまとまらない。たとえば青年団が自発的にやったことであっても、今言ったように日教組講師団を頼むというようなことになれば、協議がまとまらない。協議がまとまらないということは、結局愛媛県教育委員会が適切ではないという認定をしたことである。そうなってくると、この十三条を削除することによって、やはり適切でないという判定——そういう工合にはっきりと浮き彫りされてくるのです。そういう場合に補助金は出ないという、これをもらおうとすれば、今の段階では協議がととのわないような条項を全部削除しなければならぬ、これは明瞭になっておる。だからあなたの答弁と八木君の質問とをずっとからみ合せてみると、適切であるかいなかということを認定されるということは、今言ったような内容を持つ場合においては適切ではない。今でも協議がととのわないものは適切ではないという認定が行われるものである。こういうことを八木委員質問に対して肯定された。こういう工合に私たちは了解せざるを得ない。そうでなければ自主的にやったことであって、教育事業とおそらく縁のない宴会とか、例示して言えばそういうふうな行事をやった。そういうようなものであれば出せないけれども、そのほか自主的であって教育的な内容を持つものであるならば機械的に補助金を出すのだ、こういう答弁にならなければならない。だからあなたが先ほど答弁なさったことをずっと言うと、最後には十三条をとることによって楽に出るのだが、しかしそれを出すか出さないかは適切であるかいなかの認定である、こういう工合になっている。その認定は今言ったような工合に重大なる関心をもって、日教組講師団を採用したことに対しては、それはだめだという認定になるのだ。そうなるのかという質問に対して、あなたはずっと抽象的な答弁をしておるが、その答弁内容を見ますとそれを肯定しておる。これは一つ答弁を明確にしていただかなければならぬいかにうまいことを言って憲法論議をやってちょろまかそうとしても、具体的な例を示されての質問に対する答弁が、私が聞き取るところでは、最後の適切であるかいなかが認定されるということによって、そちらの質問意向を肯定せられると断定せざるを得ない。同じことを二へんも三べんも言ったようでありますが、その点を一つはっきりしておいてもらいたい。
  88. 福田繁

    ○福田政府委員 私は先ほど八木委員の御質問に対しましていろいろお答え申し上げましたが、その際に従来青年団等と教育委員会と一般的に共催等の方式でいろいろ事業をやっておるということは申し上げたのでございます。直ちにこれが今後この改正が実施されました際に補助金としてそれが出されるかどうか、これは私もまだ予見できませんけれども、この十三条が撤廃されれば機械的にずっと補助金が出るというふうには申し上げてないつもりであります。これはやはり都道府県の教育委員会なりあるいは市町村教育委員会が団体に対して補助金を出します場合には、申請者から一定の計画をとりまして、その事業内容やその他いろいろと調査いたしまして、その事業が適切で公共の福祉にかなうかどうか、これは税金を使うわけでありますから、そういった観点から、補助金について出すか出さないかをきめる権限は、当然教育委員会なりそういった機関にあると思いますが、ただいまお述べになりました愛媛県の青年団の場合は、その問題とは別個の問題として私は申し上げたつもりでございます。愛媛県の青年団の問題は現在県と共催ができないでいるようでありますが、それは何も講師あるいは助言者について話し合いが合わないという原因ではない、別の理由があったようであります。従ってこの日教組の講師団というようなお話がございましたが、そういったものについて、補助金を出す出さないということを今愛媛県の教育委員会考えておるわけでもないと思います。従ってそういった助言者について、その内容について補助金を出さないというようなことをきめるものではない、やはりその事業が適切であるかどうかというようなことについては教育委員会としては十分関心を持って調査をして決定すべき問題だと考えます。私は一般的に申し上げましたので、あるいはその辺に聞き方によっては誤解を生じたかもしれません。愛媛県の問題は具体的な問題でありますが、これは今後の問題でありまして、今補助金を出すというような問題は起きていないのであります。
  89. 西村力弥

    西村(力)委員 それは局長としては一般的な答弁をなさるでしょうが、これは具体的に示しての質問です。今まで共催というものは補助金を出すことはできないから、そういう名目的な方法をとったというのですが、今度は補助金を出す段階になると、協議がまとまらないくらいなら適切でないという認定をする。だからそういう場合にはやはり補助金を出せないということになってしまう。しかもその内容を講師、助言者の品定めによって行うということに、先ほどの質問からすると結局ならざるを得ない。ですから適切云云の問題については、もう少し明確なむしろ自主性を持った計画であり、ほんとうに教育的な色彩を持ったそういう二つの基礎さえあれば、機械的に出すのだというところまでいかなければ、十三条の削除は社会教育法にももとるし、憲法八十九条にももとってくる。適切という言葉によると、だれが判定しようとすべて適切になる。これでは合理性を持つということにはならない。あなた方は適切であるかいなか判定して出すから間違いないというのなら、その適切というのはどういうふうにしてやるかということをわれわれがはっきり了解できるまで後日答弁を用意しておいで願わなければならぬ。
  90. 臼井莊一

    臼井委員長 本日の会議はこの程度といたし、明日午前十時より会議を開きます。  これにて散会いたします。     午後三時十四分散会