○
加藤(精)
委員 ちょっと関連して……。第十三条の改正は
社会教育法の今次の改正のうちで最も重要なる条項だろうと
考えるのでございまして、われわれもきわめて重大視しているのでございます。憲法八十九条との
関係についてでございますが、憲法八十九条が宗教
団体等につきましては、他の慈善に関する
事業とかあるいは教育に関する
事業等よりも非常に厳密に規定しているという
趣旨は、他の
事業につきましては、それほどな厳密さを
要求しないというふうに、私
たちはまずかりに
考えるのでございます。これから私の
考え方の思想を展開しますにつきまして、(「
関連質問でそんな長い
質問はだめだぞ」と呼ぶ者あり)
社会党の御主張にも非常に触れるのでございますから、厳密に検討するために、がまんをお
願いしたいのでございますが、教育に関する
事業という言葉のうちには、
学校事業と、
社会教育
事業の二つが理論的にあると
考えるのでございます。
学校教育法に規定した
事業が
学校事業で、それ以外のものが全部
社会教育
事業だというふうに大体論理構成からするとなると思うのでございます。そうしますと、結局それはまた
学校とはどういうものかということになる。結局われわれの
考えるところは、かつて慶応の川合教授が示された、
学校というのは狭義の教育のことだという
一つの
考え方がある。武部欽一
先生の「教育
行政法」には、
学校というものは一定の教科課程を備えておって、おのおの教科課程に相当時数を配当し、一定の期間継続してそして、規律節制のもとに教育、教授をする人的、物的の
施設をいうとしてございます。そういう
意味におきまして、教育
事業というものを
考えますれば、いわゆる世間の人が教育
事業というふうに
社会的に認識する
程度の
事業は、これを講習会というのと区別するためにも重要だと思うのでございますが、狭義の教育と、
組織された教育と、
程度の高い教育
事業というものは、これは
学校事業の概念に入るのではないかと
考えるのでございます。そうしますと、先ほど申し上げた武部
先生の定義のうちで、重要なる事項を
一つ落しましたが、さっき申しました条件のほかに、特定した多数人に対して教育、教授を行うということがあるのであります。そういう
意味におきまして、この講習を受ける者を特定しました場合、そういう場合は実質的にはこれを
学校と呼ぶか呼ばないかにかかわらず、一種の
学校教育とみるという論理構成を私がしているのでございます。そうしませんと、単に法制局の
考えておりますように、ここに
一つの身体的あるいは精神的育成の到達目標を備えまして、それに向って継続的に
組織的に教育、教授をするのが教育
事業だというような面の見方からすれば、たとえば非常に人格の高い郷党の君子がありまして、そこへ継続して村の子供が習いに行くというよう場合は、これは教育する者と教育される者という
関係からいえば、確かに教育する者、教育される者という
立場は成り立つと思うのでございます。ドイツの教育哲学者のケルシェン・シュタイガーとかシュプランガーとかいう博士が、人格の非常に高い、成熟した人間が、その固有の哲学的な教育権を持っている。従ってそれが
社会をよくする非常に大きな
一つの作用を持つから、それで自由な教育が行われるという自由教育学説というものがある点から鼻ますれば、これは教育者、被教育者という
関係からだけは律しられないのではないか、こういうふうに
考えるのでございます。そうしますと、結局は憲法八十九条の教育
事業というのは
学校事業だけをさすようにも解釈できるのじゃないかと私は
考えるのでございますが、そうすると、
社会教育法という
法律は
立法に当って駐留軍等の指導によって強制された
法律と
考えるのでございます。しかしながら
国会を通った
法律であるから大
部分は
国民の
意思によってできた
法律ということでございますが、若干の誤差があるのじゃないか。しかも
社会教育団体にこれを適用するに当っては、
社会教育法の中に
社会教育団体というものの定義をしておる。その本文によれば、「この
法律で「
社会教育
関係団体」とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で
社会教育に関する
事業を行うことを主たる
目的とするものをいう。」と書いてございますがゆえに、主たる
目的と従たる
目的をあわせて行うことができることを予想しておるのでございます。そこがこの間の参議院の公聴会において公述人になられました慶応の山本教授とそれから参議院の
委員さん
たちとの間の
質問応答で論議になったところでございますが、こう広く解釈したら、
社会教育
関係団体というものに対して、八十九条を基礎にしましてこの補助の禁止をする必要はない。むしろ私立
学校のような、憲法でおそらく予想しているであろうところの教育
事業すなわち狭義の教育に対して補助することはこれは行き過ぎが起る、こういうようなことを予想しての禁止規定と解釈して、
社会教育法の十三条のごときは少し行き過ぎだというふうにも
考えられないことがないと思うのでございます。そういう面から見まして、この私立
学校こそ八十九条によって補助を禁止さるべきものでございますが、これに対しては
東京大学の宮沢教授が特に
東京の朝日新聞でございましたか、何か大きな新聞にえらいページをさきましてこれを論じて、
社会教育法第十三条は憲法違反の疑いがあるけれ
ども、私立
学校についてはすでに脱法行為だと思われるけれ
どもこういう措置がしてあるというのでございます。脱法行為でやれば補助をしてもいい、正当の行為では補助をしてはいかぬということは、
東京大学の教授の学説としてはこれはきわめて明確を欠き、また学者の学説としては価値なきものと私は判断するのでございます。そういう面から見まして、
社会教育法の十三条は相当問題でございまして、もし
社会教育法の十三条に関連して教育
事業ということを厳密に
考えていく場合におきましては、これは憲法八十九条との
関係ではどうも過剰な制限であり、同時にこれを私がただいま展開したような論理からいえば、
社会教育法という
法律によってわが国の
社会教育
事業も相当交通整理されていることを
考えますれば、しかも憲法八十九条の教育
事業という性質が希薄なものでございましたならば、全体的に法制局が留保する以上に、そう大きな留保なしに直ちに撤廃していいものじゃないか、そういうふうに私は
考えるのでございます。この点に関しまして参議院公聴会において山本教授は、
社会教育団体も
社会教育以外にいろいろそれについての研究等もやる、その研究について補助を出すことは八十九条違反にならぬという説を証言されたのでございます。そこへ元日教組の
委員長であられました荒木
委員から非常な憤りを持った
発言がございまして、そしてその訂正を
要求されましたのに対しまして、しばらくの間しどろもどろの
答弁をしておられましたが、結局において、
社会教育
関係団体に、その
社会教育の部面以外の
事業に対して補助することもとるべきじゃない、十三条全体は生かすべきであるという
答弁に説を変更されたのであります。私は東大の憲法の主任教授の宮沢教授とかあるいは慶応大学の山本教授とかいう人をもし
社会党で参考人にお呼び下さるならば、
日本の学者の真の御
意思が、私には今のようにとられて非常に遺憾なのでございますが、なおその深い御
意見を、学者として学者らしくお持ちかどうか、それを問いただしたいのでございます。
私が申しますのは、私立
学校といえ
ども一つの
学校という名前がつけば国家的なものでありまして、国家的なもの、公共的なものは国の方で補助したって一向差しつかえないものじゃないかという考を持っておるのです。前の文部次官の沢柳政太郎
先生は、
学校という名前がつけば私立
学校でも特殊
学校でもすべて国家的なものだと言うておられるのでございます。日教組はそういう公共性がなく、一部階級のために実際やっておるような
考え方を持っております。といいますのは、日教組は
市町村立、公立の
学校そのものをも日教組立の
学校くらいに
考えておりまして、しかも日教組立
学校はまた同時に生活つづり方
学校とも言われておりますが、しかも毎年定期に相当時間を配当しまして、相当な分科会を設けて教授をしておるのです。それこそ教研集会というようなものは一種の私の
学校事業だと私は
考えているのであります。かかるものを存在させて、国の
行政の秩序を紊乱文教することは非常な誤まりじゃないかと
考えておるのでございます。そういうふうな
考え方から見て、
市町村というものは大体渾然たる有機体でございまして、そこに民主的に構成された
教育委員会というものがあるのでございます。民主的に構成されております
教育委員会というものを無視して、その
教育委員会があたかも不当なる支配でもするかのように
考えられる
考え方それ自身が、戦前の
日本のやや封健的なきらいのあった状態と現在の民主化された
日本の状態とを混同しているものであります。そういう
意味から私
たちはこの十三条の解釈につきましても、
社会党が
社会事実をすなおにとって、そうして相当な広い範囲におきまして公けの
補助金等を支出することを認めて下さる方が正しいのであって、それについての無理な反対論は論理にかなわないものだということを自覚していただけると思うのでございますが、それらの点につきまして、特にこの憲法八十九条の教育
事業というのは狭義の教育いわば
学校事業とほとんど同意義だ。それで現在私立
学校ですら私立
学校法というものがあるために、この八十九条を全然のがれておる、制限を離れておるわけでありますから、まして現在のわが国の各地方で行われておりまする
社会教育
事業等は、当然これは憲法の八十九条の予定している教育
事業じゃないというかたい信念を私は持っておりますが、これらに関しての御
当局の批判を、これは非常に重要なことでございますので、大所高所に立ちまして
政務次官より意御見を承わりたいと思います。