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1959-02-27 第31回国会 衆議院 文教委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年二月二十七日(金曜日)     午前十時五十二分開議  出席委員    委員長 臼井 莊一君    理事 加藤 精三君 理事 木村 武雄君    理事 永山 忠則君 理事 原田  憲君    理事 小牧 次生君 理事 櫻井 奎夫君       木村 守江君    鈴木 正吾君       竹下  登君    中村 寅太君       八木 徹雄君    山本 勝市君       西村 力弥君    長谷川 保君  出席国務大臣         文 部 大 臣 橋本 龍伍君  出席政府委員         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    齋藤  正君         文部事務官         (大臣官房会計         参事官)    天城  勲君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君         文部事務官         (管理局長)  小林 行雄君  委員外出席者         議     員 小牧 次生君         文部事務官         (初等中等教育         局財務課長)  安嶋  弥君         文部事務官         (監理局助成課         長)      今村 武俊君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 二月二十六日  委員長谷川保辞任につき、その補欠として西  村榮一君が議長指名委員に選任された。 同日  委員西村榮一辞任につき、その補欠として長  谷川保君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  就学困難な児童及び生徒のための教科用図書の  給与に対する国の補助に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第七七号)  学校教育法の一部を改正する法律案小牧次生  君外二名提出衆法第三一号)  文教の基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 臼井莊一

    臼井委員長 これより会議を開きます。  まず学校教育法の一部を改正する法律案議題とし、提案者より趣旨弁明を聴取いたします。小牧次生君。     —————————————
  3. 小牧次生

    小牧次生君 ただいま議題となりました学校教育法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由を御説明申し上げます。  御承知通り昭和三十三年四月学校保健法が制定され、保健管理について規定ができ、全国水準を維持し、向上して児童生徒学生幼児及び職員の健康に対する基礎的意識をつちかい、健康増進をはかるため、これらの実際面の遂行に当り、学校の中に、養護教諭を置くことはきわめて重要であり、その必要性は疑いをいれないところであります。このことは、法律的にも明らかでありまして、教育基本法の第一条に、「教育心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とあり、なお、学校保健法制定により改正された学校教育法第十二条に「学校においては、別に法律で定めるところにより、学生生徒児童及び幼児並びに職員の健康の保持増進を図るため、健康診断を行い、その他その保健に必要な措置を講じなければならない。」と規定されています。  そして、同法第二十八条におきましても、小学校には養護教諭を置かなければならないとされており、この規定は第四十条におきまして、中学校に準用されております。ところが、附則第百三条では養護教諭は当分のうちこれを置かないことができるとなっており、せっかく本則必置のものとされているのにもかかわらず、この附則によって、置いても置かなくともよいということになっております。  そのため、全国学校数の中、小学校三〇・七%、中学校一三・〇%、盲学校ろう学校合せて九三・二%、高等学校五八・八%、平均二七・二%に養護教諭が置かれているにすぎない現状であります。これを詳しく申しますと、養護教諭が最も多く配置されている県は、小学校では佐賀の八六%、東京の八三%、中学校では福岡の四五・一%、高等学校では大阪の一〇〇%でございますが、最も少い県では、小学校で栃木の六・八%、島根の三・七%、中学校養護教諭が一人も配置されていない県が、山梨、島根、岡山三県で、高等学校でも福島、岐阜、滋賀、山口と四県あります。  このような実態は、地方公共団体財政的貧困ということもありますが、その主たる原因義務設置になっていない点にあると思います。従って学校教育法本則にうたわれておりますように、義務教育立場からも、養護教諭をぜひ置かなければならないのであります。  以上申し上げましたように当分の間、置かなくてもよいとする附則はこれを削除し、もって、学校保健制度の確立をはからなければならないと考えるのでありますが、なお、国及び地方公共団体財政事情及びこれに伴い必要とされる養護教諭の養成に多少の時日を必要とする点等考えあわせますと、一挙に整備することは、事実上不可能であろうかとも存じますので、本案におきましては、昭和三十四年度から、三カ年計画を定め、これによって年々財政措置、その他の必要な措置をとり、順次、整備を行なっていかなければならないことといたした次第であります。  次に高等学校養護教諭に関してでありますが、現在高等学校におきましては、養護教諭必置とされてはおりません。しかし、生徒養護に当る教諭必要性は小、中学校と何ら異ならず、現に高等学校の方が養護教諭を置いてある学校割合が高いということも、その現われであるということができるのであります。そこで本案におきましては、第五十条の規定改正し、高等学校につきましても養護教諭を必ず置かなければならないものといたしました。しかし、この場合におきましても、先程申し上げましたような事情により、直ちにその完全な実施を求めることは、問題があろうかと存じますので、小・中学校の場合と同じように昭和三十七年度から完全な実施を求めることといたし、年々整備をはかることとした次第であります。  次に、事務職員に関し、御説明申し上げます。  御承知通り戦後わが国の教育制度は根本的に改善され、ようやくにしてその基盤が整いつつあります。以前はそれほど問題にされなかった学校事務も今日では教育の機能を十分に発揮せしめる背後の推進力として不可欠の要素となって参りました。しかしながら学校事務を担当する職員の置かれていない学校では教師複雑多岐かつ膨大な学校事務を、児童生徒指導という重責を果しつつ、分担処理しなければならない状況であり、義務制学校の教職員過重負担は他の社会人の想像に余るものがあります。  専門的な事務陣容を持つ高等学校以上の学校に比べて、小学校中学校は、県教育庁県出張所地方教育事務所地方教育委員会市町村役場管理を受けるために事務量は決して少くないのでありますが、事務を処理する(専門的機関がなく)専門的な事務職員配置されていないので学校教師学校事務まで分担処理することは不可能であります。  現在の義務制学校事務職員配置状況全国学校三万四千三百八十五校に対し、八千八百三十五名にすぎません。このことは地方公共団体財政的貧困ということもありますが、主たる原因義務設置になっていない点にあります。かくのごとき状態では、教師保健児童教育建前からも、正常な学校運営は不可能であります。従って、学校教育法根本精神からも学校の正常な運営を行う上からも全国小学校中学校には事務職員をぜひ置かなければならないと思うのであります。  学校教育法第二十八条に「小学校には、校長、教諭養護教諭及び事務職員を置かなければならない。但し、特別の事情のあるときは、事務職員を置かないことができる。」となっておりますが、以上申し上げました理由により同法第二十八条のただし書きを削除して事務職員義務設置し、学校運営の万全を期したいと考えるのであります。  なお、国及び地方公共団体財政事情考えまして、一挙に配置することは事実上不可能であろうかと存じますので、本案におきましては、国及び地方公共団体はその実施のため昭和三十四年度から三カ年計画を定め、これによって年々財政措置その他必要な措置をとり順次配置を行なっていかなければならないことといたした次第であります。  以上が、この法律案提案理由及び内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、御賛成下さるようお願い申し上げます。(拍手)
  4. 臼井莊一

    臼井委員長 本案に対する質疑は追って行うことといたします。     —————————————
  5. 臼井莊一

    臼井委員長 次に、就学困難な児童及び生徒のための教科用図書給与に対する国の補助に関する法律の一部を改正する法律案議題とし、審査を進めます。  質疑を許します。櫻井奎夫君
  6. 櫻井奎夫

    櫻井委員 ただいま議題となっております就学困難な児童及び生徒のための教科用図書給与に対する国の補助に関する法律の一部を改正する法律案、この内容について私は二、三、質問いたしたいと思うのでございます。  このたび政府が、就学困難な児童生徒教科用図書だけでなく、さらに範囲を広げまして、こういう貧困児童修学旅行費用補助をなさるということは、一歩前進した措置でございまして、そのような措置に対しては私どもは決して反対をいたすものではないのであります。そこでこの法案の通過に当りまして、私は二、三、確かめておきたい点がございますので、御質問申し上げる次第でございます。  今次の改正案の第一条「この法律は、経済的理由によって就学困難な児童及び生徒のため教科用図書及び修学旅行費給与を行う地方公共団体に対し、国が必要な援助を与えることとし、もって小学校及び中学校における義務教育の円滑な実施に資することを目的とする。」この第一条の中の、「教科用図書及び修学旅行費給与を行う地方団体に対し、」ということは、地方団体給与をやっていないところについては補助をしない、こういう意味ですか。その点を確かめておきたいと思います。
  7. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 さようでございます。
  8. 櫻井奎夫

    櫻井委員 そうすると、たとえば市町村修学旅行費用を出さない、これはほとんど今出していないと思うのです。そういう市町村の小、中学校に対しては補助はしないんだ、こういうことになりますか。
  9. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 御説の通りでございますが、学校教育法第二十五条に「経済的理由によって、就学困難と認められる学齢児童保護者に対しては、市町村は、必要な援助を与えなければならない。」という義務が課せられておりますので、この学校教育法二十五条を受けまして、国は市町村が出した場合に二分の一の補助を出す、こういう意味でございます。
  10. 櫻井奎夫

    櫻井委員 法の体系はそういうふうに流れてきておると思いますが、現実の問題としては修学旅行旅費補助しておる市町村はきわめて少いと思います。これは、やっておる市町村等について御調査になっておりますか。調査があったら概数だけでも御報告を願いたい。
  11. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 中学校においては実施校の約一八%が市町村援助を受けております。小学校につきましては非常に金額が少いもので、私ども調査でもまだ明確になっておりません。
  12. 櫻井奎夫

    櫻井委員 そういたしますと、今回のこの修学旅行補助費小学校六年が四百四十円、中学校三年が千六百二十円ですね。これの半額を補助するということになるわけでございますか、その要保護児童数及び準要保護児童及び生徒数ですね。これの算定はどういうふうな数ではじかれたものですか。
  13. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 小学校の場合は最終学年である六年、中学校は同様に三年をとりまして、生活保護法の適用を受けております保護児童が二・五%、さらに準保護児童二%、合せて四・五%を見込みまして、小、中合せて約十九万でございます。
  14. 櫻井奎夫

    櫻井委員 今の点もう一度お聞かせ願いたいのですか、要保護児童小学校の全生徒数児童数の二・五%を要保護児童と見られたわけですか。
  15. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 さようでございます。
  16. 櫻井奎夫

    櫻井委員 同じく準保護児童、これも小学校中学校の全児童数の二%を準保護児童及び生徒数、こういうふうに算定されたわけですね。
  17. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 さようでございます。
  18. 櫻井奎夫

    櫻井委員 そういたしますと、これはこの前堀委員から詳細な数字をあげて質問があったわけでありますが、一体どこに準保護世帯と申しますか、これの基準を置くか、こういう問題点が出てくるわけでありますが、一体文部省としては準保護世帯生計費、こういうものはどういうところに線を引いておられるのですか。
  19. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 準保護世帯をどの程度に引くかということは困難な問題でございます。別に法律的な規制もございません。ですから保護児童数に対しましてどの程度割合が妥当かという点については、私ども実態調査をいたしましていろいろ検討しておりますが、先般申し上げましたように、大体生活保護収入面で五割程度を見ますならば、この層か大体四%くらいに当っておるように思われますが、これは厳密な意味調査でございません、非常にラフなものでございます。そこで私どもはとりあえずその半分である二%分に対して準保護児童予算上のワクときめたわけでございます。この二%が妥当かどうかについては非常に御議論があろうかと思います。実際二%支給しましてなお非常に困る者が出てきますれば、さらにこれは改善いたしたいと考えておるのでございます。
  20. 櫻井奎夫

    櫻井委員 これはことし初めての実施でございますので、いろいろ基礎調査等についてもまだ局長のおっしゃるように十分な調査がないということもあろうかと思います。しかしそういうことはなお今後の研究に待たなければなりませんし、また私どももこの範囲をもっと拡大するということを強く要望をいたしておきます。  次に大体先ほど述べられた数字によって算定された金額補助をなさる、そういう場合半分はやはり市町村負担になるわけでございますが、その場合に市町村の方には地方財政計画の中にそれが組み込まれておるかどうか、これが組み込まれていなければ文部省が幾ら二分の一の補助金を計上いたしましても、実際には生徒の手に渡らない、こういうことになりますので、地方財政計画にこの二分の一が組み込まれておるかどうか、その点をお尋ねいたします。
  21. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この点につきましてはすでに地方財政計画に織り込んでございます。
  22. 櫻井奎夫

    櫻井委員 もう一点。そうするとこれは交付金でいくものと思いますが、地方交付税の税法の改正が近く行われるということでございますが、この場合この修学旅行費の二分の一というものが単位費用として算定されておるかどうか、この点も一つお聞かせ願いたい。
  23. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 もちろんこれも単位費用の中に算定されております。
  24. 櫻井奎夫

    櫻井委員 次に小学校六年生が四百四十円、それから中学校三年が千六百二十円、これは平均ですか、それともたとえば鹿児島県の生徒児童修学旅行東京方面に出てくる、こういうときと、東京近郊子供東京及び鎌倉方面に行く、こういう場合、実際旅費の額というものは相当異ってくると思うわけでありますが、これは一律に四百四十円で算定されるのか、そういう幅を、各県あるいはその修学旅行費の額に応じた伸縮性のあるものであるのかどうか、そういうふうな距離とか費用の著しい差異に対してどのような考え方を持っておるか。
  25. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 従来の実績を見て参りますと、九州の場合には大体九州一円が主でございまして、私ども修学旅行の適正な運営といたしまして、小、中学校において一回宿泊旅行するように、小学校は日帰り、中学校は大体二泊三日程度基準としておりますので、そういう点から申しますと、大体九州の場合は九州一円、それから関西地区京都中心、それから東京地区東京中心、北海道は大体道内が中心のようでございます。そこで、私どもの算定いたしました資料の基礎になるものは、これは実態調査に基きましてそれの全国平均をとりましたので、今回これを配分するに当りましても各県の実情をそれぞれ考慮するのは非常にむずかしいかと思いますので、やはり全国平均で一応国の補助を出しまして、それより上回る分は市町村で見ていただければと思っておるのでございます。
  26. 櫻井奎夫

    櫻井委員 僻地複式学級の場合、これは実際においては五年生、六年生が出るようであります。そうすると五年生は二回行く、六年になってもまた行く。これは特殊の事情でありますが、複式学級僻地の人数の少い特殊性としてそういうことが実際においてあるわけです。そういう場合はやはり五年生というものも対象になさるのかどうか。たとえばこれは非常に数が少いわけです、五十人くらいで五、六年が旅行に出る。そういう場合その五十人のうちの六年の二十五人にだけはやって、五年には何も補助しない、こういうことになりますか。それとも出るのが五年生でもこれは出す、こういうことになりますか。これは実際問題として出てくる問題でありますから、お考えを承わっておきたい。
  27. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 おっしゃるように僻地におきますと、団体割引関係から二年に一ぺんくらいやっておるようです。ですから毎年じゃなくて二、三を一ぺん出す、ことしは休んでさらに二、三、こういうのが通例のようでございます。そこでこの場合に法律の上では最高学年になっておりますから、最高学年補助を受けるのは当然でございます。そうでなく二年の生徒補助を受ける点はどうかというお尋ねだと思いますが、この点につきましてはできるだけ御期待に沿うように今検討いたしております。法律の面だけでなくて予算補助として出し得るように目下検討いたしております。
  28. 櫻井奎夫

    櫻井委員 二年に一度というような話でございましたが、実際はそうではないのです。やはり修学旅行というのは学校子供たちにとっても年中行事でありまして、ことしはやって来年はやらないということは実際はない、毎年出ておる、そういう場合に法の狭い解釈の上に立ってせっかく出る生徒小学校の場合は六年生だけ、中学の場合は三年だけ、こういう区別をなされないで、もう少し大きな幅をもって、これは数はあまりないと思うのです、複式学級としては。しかし実際問題としてそういうことが起り得るのでありますから、今の局長さんの御答弁のように五年生あるいは二年生を削除するということなく、そういう者にもやはりこの修学旅行というものの教育上の立場から補助をつけていくというような処置を私どもは望みます。  それと、今日修学旅行というものはもちろん単に物見遊山のものではないし、学校教育の一部であって、特に生活指導の面において私は重要な意義のある教育活動だと思う。そういう意味から見まして、さらにこの制度を拡充されて将来はやはり全校の修学旅行というものに対して貧困子供たち補助を与える、こういうふうに、距離の遠いところに出るのは最高学年でございますが、中学の一、二年にしてもやはり修学旅行はやっておる、小学校の五年あたりにしても、近距離ではあっても修学旅行をやっておる、そのつどやはり問題になってくるのは就学困難な貧困世帯子供の問題が大きく出てくるわけでありますから、そういう見地に立って将来せっかくここまで踏み切られたのでありますから、範囲を拡大されて、この子供たち教育活動、こういうものに支障のないような措置をとられることが私は大切なことであろうと思うのでありますが、この点について文部大臣の御所見を承わっておきたいのであります。
  29. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 現在のところでは修学旅行自体最高学年を目標にしてこれはぜひやるように指導いたしておるわけであります。この修学旅行と申しますと相当経費もかかりまするし、あるいはまたいろいろな危険も伴いますし、またそれだけ効果を上げるためには平素相当程度に知識もなければいかぬと思いますので、ただいま指導いたしております最高学年だけに修学旅行をやるということ、旅行機会は一般的に広くするということはけっこうではありますが、修学旅行というものをもう少し広げるかどうか、これは御趣旨も体しまして、必ずしも経費だけの問題ではないと思います。教育をよくするという意味において、御趣旨を体して検討してみたいと思います。
  30. 臼井莊一

  31. 加藤精三

    加藤(精)委員 大体櫻井委員からの質問で尽きたようでございますので、私からは遠慮しようと思ったのでございますが、私の考えは、小学校中学校というものは、昔の教育制度のような複線型でなしに単線型で、すべての小学校卒業生中学校に行くということになりますと、修学旅行に行って、楽しむという方は別ですけれども、非常にためになるという面からいいますれば、そうした社会事象にぶつかって、そして教育的な有意義なものを修得し、体験していくという意味からいえば、小学校より中学校の方が効果が大きくはないか。それで中学校に行って固めてやる方が、同じ経費を使うならば有効じゃないかと思う。そこでまあ地理とか歴史とか、そういうものにもいろいろ関係するわけでございますが、教科課程修学旅行実施する年次との関係について、教育的に——教育的というか、教育学的というか、御研究になったものかございましたら教えていただきたい。それから小学校最終学年中学校最終学年対象として一応きめたことについては、どういう根拠があったのか承わりたい。  それから第二には、修学旅行というのは生徒のためにも先生のためにも、よくも活用できるし、悪くも活用できると思う。かってどこかの都市の駅の売店で、集団的に生徒がどろぼうして問題になったことがございます。また先生たちも、修学旅行の際に生徒をほったらかして、旅館が先生だけを優遇し、特別のごちそうや接待を受けて、どうもあまりよろしくないような状態を私も見たこともありますし、そういうことが問題になったこともございます。われわれの修学旅行に行った当時のことを回想いたしますと、現在の修学旅行は綿密な事前教育をいたしまして、事後にそれをつづり方によって発表するとか、反省会をやるとか、そういうふうないろいろなことも行われているようでございまして、非常に昔と違ってきたとは思っておりまするが、なおこういう国家的に修学旅行制度を取り上げて、教育に役立たせようという御意図でございますならば、それ自身非常に明るいことでございますし、それをもっと有意義ならしめるため、文部省ないし文部省の周囲にあるような団体が、どういうふうにそれを指導していっているが、そういう状況を承わりたいのでございます。
  32. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 修学旅行教育的意義のお話が出ましたが、私どもとしても学校で学んだ成果というものを、直接目で見、耳で聞いてこれを確めていくことは、どれだけ教育効果の向上に役立つかわからないと思います。昔から百聞は一見にしかずと申しますが、こういう点を考慮して、できるだけ学校学習効果をさらに高めるという意味から、修学旅行意義を強調して、小、中学校宿泊を要するような、そういう高い意味修学旅行は大体一回、こういう原則をきめております。そのうち小学校では宿泊旅行はしない、中学校最終の段階において宿泊旅行をするという建前をとっているわけでございます。  そこで今お尋ねのございましたように、事前に各学校は十分周到な教育計画を立てていく。この場合に子供たちが積極的に関与いたしまして、修学旅行事前計画をする。まず事前計画がしっかりできておることが大事だと思います。それから、やはり平素教育訓練成果というものが、旅に出るとおのずから現われがちでございますので、いろいろ不祥事件が起きておりますが、これは平素教育訓練がゆるんでおるかと思いますので、こういう点には特に注意をいたしております。できるだけ子供たちに、せっかく教育効果を高める機会でございますので、旅行する場合にも、できるだけ教育的にしたいというので、先般来移動教室計画が進められております。これは学生だけの特別列車でございまして、東京から大阪へ、大阪から東京へ、こういうコースでございまして、これは相当大規模に特別列車が出るわけでございます。この場合は学校の教室の延長のようなものでございまして、旅行子供たちにいやな思いをさせないし、また非常に快的な旅をさせていきたい、中で十分教育ができるように、こういう一応の試みが行われておるのであります。これによります輸送人員というものは、相当大規模なものでございます。毎日大体一千人くらいが東京に来、東京から大阪に行くという計画になっております。  さらに宿泊の問題でございますが、一般の宿屋においては、いろいろと問題も起きておりますので、できるだけ教育的な環境のもとにおいて宿泊施設を整備したいというので、実は修学旅行協会が専属の修学旅行会館を建てたり、あるいは日本学生協会が修学旅行専門の宿泊施設を使いまして、できるだけ教育的環境のもとにおいて宿泊を行なっていきたいというようなことで、最近ぼつぼつと修学旅行の環境をよくするという意味宿泊施設が生まれて参りましたことは、大へんけっこうなことだと思っております。
  33. 加藤精三

    加藤(精)委員 ただいまのお答えの中で、小学校の六年とそれから中学校の三年というものに補助対象をきめた、その教育学的根拠というか、その点は視学官か何かがお答えになることかもしれませんけれども、もしある程度わかりましたら……。
  34. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 小学校の六年は、これは一応小学校の課程を終えますので、いわば締めくくりでございます。同様に中学校義務教育最終段階でございまして、義務教育を完成するという意味で締めくくりの段階でございます。こういう意味で、やはり小学校の六年と中学校の三年というのは、各学校のそれぞれの締めくくりをするという意味におきまして、小学校中学校において学んだ地理とか、歴史とか、文化とか、その他もろもろの事柄につきまして、子供たちがさらに最終的にこれを確認して、そして次の学校に進む、こういう意味教育的にも非常に意義がある、かように考え最終学年を選んだわけでございます。
  35. 加藤精三

    加藤(精)委員 どうも私はよくわからないのですが、小学校教育というものに一つピリオドを打って、そこで一つまとめて、それから中学校にいって義務教育を修了して、そこでピリオドを打って一まとめにするということですが、小学校を卒業した者は逃げも隠れもしないのですから、修学旅行としての学習効果をつけるのには、より体も丈夫になり、知能も熟してからの、中学段階でやってもいいのではないか、むしろ中学の二年や三年で修学旅行を毎年続けてやった方が、効果が上るのではないかというような気がするのです。私は前から考えておるのですが、そんならお前は小学校教育というものと中学校教育というものを同質のものと思っているか、中学三年は小学九年でもいいのかと言われると、私も疑問があるのです。けれども、いずれも義務教育であって、そして小学校教育を卒業したものは逃げも隠れもしないでみんな中学校にいくのですから、これは同じように思うのですが、そこがわからないのでして、何か小学校の五年、六年で初めて地理を教えるとか、歴史を教えるとか、そういうことでやられるのか、それとも小学校教育というものと中学校教育というものは、片方は完全なる幼児教育で、片方は職業に向けて教育するという低い程度の完成教育の場だというようなことで、何かそこに質的な差があって、それで小学校教育として一まとめにする、中学校教育として一まとめにするために、六年と三年に予定した、こういうようなのか。非常な簡単なことですが、それだけ教えていただきたい。
  36. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この点は質的な相違でございまして、小学校は御承知通り学級担任で教えておりまして、その中で理科にしても、地理にしても、社会科の中で地理的なものも歴史的なものもやはり一通りは教えておりまして、一応小学校としてのまとまりのある教育をしておるわけです。そういう意味で、中学校に参りますと、相当教科別に専門的に入ってくるわけでありまして、たとえば社会科をとりましても一年では社会科の地理をやり、二年では歴史をやり、三年では公民をやる、こういうふうに相当内容を掘り下げておりますので、小学校中学校の九カ年ということは、もちろん十分な連絡はございますけれども、まとまりとして質的な差があるので、そこで締めくくったわけでございます。
  37. 西村力弥

    西村(力)委員 生活保護法対象が二・五%、準保護が二%という押え方ですが、私たちは普通準保護のボーダー・ライン層を含めた数は全国民中に一千万くらいおる、こういう見方をやっておるわけです。この四・五%という押え方でいきますと、総人口九千万人とすると大体四百万程度、こういう工合になっていくわけですが、それでは実態を正確に抑えていないではないかと思われるのです。橋本大臣は厚生大臣であってその方面の権威でいらっしゃいますが、こういう押え方が正当であるかどうか、厚生省当局としても文部省が答弁されるような工合に正確な押え方はなかなか困難だ、むしろその押え方は予算のワクからくる無理な押え方になっておる。こういう工合に私は思うのです。その予算の押え方からくる無理な押え方の正当づけ、そういうことでなく、純然たる厚生行政をやるという場合に、準保護の家庭を含めた層を現在どのくらいに押えなければならないか。これは大臣としてではなく、行政というものの真の意味をはっきりするためにやる場合には、やはりボーダー・ラインを含めた四百万程度の押え方では実態に合わないではないか。母子家庭だけでも七十万程度もある。母子家庭全部が保護家庭だというような工合には参りませんけれども、相当層はそうなんで、それだけでも七十万ある。その平均家族構成を四人とするならば、それだけでも二百八十万ほどあるのです。ですからボーダー・ラインを含めた四百万程度の押え方ではほんとうのそういう厚生行政としての正しいあり方ではない、今やむを得ずそういう段階に踏みとどまっているのだ、やむを得ずそうしているんだ、こういうならわかりますが、これで正しいんだということはいえないのじゃないかと思う。大臣の見解をお伺いしたい。
  38. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 厚生省の方でも昨年保護基準をある程度引き上げました。これも厚生省で思ったほども上らなかったのでありますが、一般の保護基準を引き上げますと同時に、世帯更生資金としていろいろの貸付金の対象になりますボーダー・ライン層の見方につきましても、それぞれかなりこまかく地域によりまた人数により、生活状態によって考えておるわけであります。今回出しました修学旅行の問題、要保護世帯の問題についても御指摘のございましたように、どうもこのままで非常によく対象をつかんでおるかどうかということについては、多少私は心配の点がなきにしもあらずだと率直に思うのであります。それで二%という数字もきまった数字として私実は受け取っていないわけであります。ただいまお話のございましたようなことを体しまして、今後文部省考え対象としても二%でいいのか悪いのか、またあるいは文部省考えた抽象的な対象範囲でいいのかどうかということにつきましてももう少し十分に検討して参りたいと思います。今年度の予算はこれで一つ御了承願いたいと思います。
  39. 西村力弥

    西村(力)委員 それから補助金額でございますが、私も私の県のあちこちの中学その他について調べてみましたが、小学校は大体五、六百円程度でおさまっておるようですが、中学はお米二升持っていって、千七百円ないし二千円かかるのですから、抑え方が少し低いと思うのです。そればかりでなく、修学旅行に出ると、やっぱり服装に相当の金がかかるのです。服装をよくして行きたいというのは、人間の自然であり、親としてもそうなんです。事実私なんかも、みんな上等の服を着て行くときに、小倉の服を着て、ズボンにひざ当てをつけた修繕した服を着て行った経験がある。そうすると、やっぱり一緒に歩くのをきらう。これはまことに困ったことですが、そういう体験を私自身が持っておるのです。それで親たちとしてもどうしてもよくしてやりたいというので、相当の金がかかるのです。ですからそれまで見るということはなかなか困難でしょうが、もう少し実費の額の算定は引き上げらるべきじゃなかろうかと思う。何を基礎にしてこう算定されたかわからぬが、大よその旅行規模からくる積算がこういう工合になるのではないかと思う。その点を考えていかなければならぬのじゃないかと思うのです。それは希望としてだけ申し上げておきます。  そこで、こういう工合にやりまして、対象範囲をなるべくしぼって、金額をしぼっていきますと、結局文部省から見てもらえる範囲以外のものについても、大蔵当局もしくはPTAあるいは学級の共同行動ということで、そのワク外にはずれたものに対してはどうしても見ていかなければならぬのじゃないかと思う。そういうことになりますと、この基本的な考え方がくずれてくるんじゃないだろうか。そういうものは学校教育法の二十五条で市町村が見るべきだ。今までは学級の共同行動なんかで友愛、愛情でもって何とか金を生み出して連れていく、これが美談とされておった。山びこ学校なんかもそうですが、同級生がみんな一緒に共同作業をやって子供たちを連れていく、これはやはり一つの共同行動として大へん美談とされているわけですが、そういうやり方よりも、これは当然のものとして、市町村当局が学習の一環としてみんなが修学旅行ができるようにする、それが正しいのだという考え方に立っておる。美談や何かで物事が全部解決されることは悪いことではなけれども、それよりもやっぱりやるべきところでやるのか当然だという考え方になっているわけです。ところがそれであっても全部がそういうふうにされないで、それぞれのワク外に出て、友情とか愛とかあるいはPTAとかでやらなければならぬとすると、せっかくのあなた方の今回の施策が効果的にならないんじゃないか。やろうと思った、ところが当然やるべきところを全部やらないから、それじゃこうやるんだという工合になって、むしろそういう点から効果がそがれるんじゃないだろうかという心配を持つわけなんです。だから一つの貫く方向としては、当然やるべきところは全面的にやるんだという立場で、もう少し検討せらるべきではないかと考えるわけであります。その点はどうでしょうか。
  40. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 この金額につきましては従来の実積に従いまして算定いたしましたもので、特に削ったりふやしたりしたものではないのでございます。支給の範囲については今お話のありましたように、十分考えていかなければならぬ点があると思います。なおこの算定等につきまして政府委員からさらに補足して説明をいたさせます。
  41. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 今単価の点が問題になっているようでございますが、単価は中学校の場合千六百二十円、これが低いんじゃないかというお尋ねでございますが、これは今日までの実態調査の結果に基きまして全国平均基礎にいたしましたので、多少低いようにも見受けられますけれども、そういう趣旨でございまして、これで実施可能な旅行計画を立ててみますと、小学校ではバスによる日帰り旅行で大体四百円、見学料四十円を見込みまして四百四十円、中学校の場合は鉄道片道四百キロで七百八十円、宿泊費が二日で七百円、バス及び見学料百四十円、これを見込んで千六百二十円という一応の目途は立っておるのでございます。もちろん今後実施いたしましてなおかつこの額か低いようでございますれば、増額についてもさらに検討いたしたいと考えております。
  42. 西村力弥

    西村(力)委員 そういう算定はなさったんだろうと思うのですが、それでもせっかくの対象のワク外にはずれた者の処置は、やはり自前でやるということになってくると、当然やるべきところがやるんだという考え方が疑われて、中途半端になるんじゃないか、こういう考え方なんです。一歩前進である点はよかろうという工合に簡単に割り切れない。もちろん私たちは反対ではないんです。  それから教職員旅費はことしは財政需要額に一体どのくらい見ていますか。
  43. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 年間一人大体四千円でございます。
  44. 西村力弥

    西村(力)委員 それは赴任料を含めてだろうと思うのですがね。この修学旅行学校授業として、またこういう法律も出して充実させようとするわけですが、学校教師としては、生徒がうんと喜ぶ修学旅行が実際いうと一番いやなんです。これはけがをさせたり、死んだりする、全生徒を預かっているのですから、いやだと言っては悪いですが、それは大きな責任を感じて気が重いのです。そういう際にだけでも正当旅費を支給するという計算を立てていかなければいかぬと思う。全責任を負って、一人でも子供を殺したら自分も死ぬというような気持になる。加藤君がさっき宿屋で一ぱい飲んでいいきげんになっていると言われましたが、そういう例もなきにしもあらずでございましょう。しかしそんなことはほんの一例ですよ。そんで気持でだれも生徒を連れて行きませんよ。(加藤(精)委員「そんな例があるということですよ。」と呼ぶ。)そんな例があるけれども、ないとは言わぬけれども、そんなものではないですよ。そういうところにだけは正当な旅費も完全に支給できる、あとのところは正当の旅費でできると言ったって、ちょっと望み得ないかも知れない。赴任料とか修学旅行のつき添い旅費というものは完全なる正当旅費で支給する、こういう建前で相当の旅費を計上なさるべきである。四千円という工合にはじかれているそうですが、その基礎はどういう工合になっているか。赴任料、正当旅費と計算して、他は実費という工合になさっているのか。もしそうであるならば、修学旅行のつき添い旅費というものは正当旅費で計算をする、こういう工合にはじき方を引き上げていただきたいと思う。その点はどうなさっておりますか。
  45. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 旅費につきましては、一応地方財政計画の中では四千円を見込んでおります。実績は大体三千八百円程度でござまして、予算面ではまだ余裕があるような状況でございまして、国の方は御承知通り実績負担でございますので、地方が出されれば出されただけの半分は必ず精算で負担しているような建前でございます。ですからできるだけ私ども修学旅行等につきましては、正当旅費が支給できるように希望しておるのでございます。予算範囲内でできるだけそういう措置の講ぜられるようにお願いしたいと思っております。
  46. 西村力弥

    西村(力)委員 それは実績交付になるでしょうけれども、財政需要額を見積る場合はそういう工合にしなくてもいいはずなんです。市町村の財政需要額を見積ります場合には、実績に基いて見積るなんということはしなくてもいい。それだったら教育上の実績を見積ったらいいじゃないですか。そういうことでなく、やはりこちらの方の立場に立った必要経費として需要額を見積るのが当然なんです。
  47. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 旅費というのは、原則として大体私どもとしても実績を基礎にして正当額を出さなければならない。ですから地方財政計画には、実績は三千八百円ですから四千円を計上しているわけです。国庫負担金が実績の精算負担だ、こう申し上げたわけであります。
  48. 西村力弥

    西村(力)委員 それじゃ実績についてお聞きしますが、正当旅費を支給されているのはどういう旅行の場合、出張の場合、それはどういう内容になっておりますか。
  49. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 正当旅費を支給する場合もあるだろうし、あるいは実費弁償でやるような場合もあるでしょうし、いろいろ各県の事情があろうかと思います。ここでどういう場合かと、一律になかなか申し上げかねると思います。
  50. 西村力弥

    西村(力)委員 それでは文部省立場としては手放しだということになる。向うでどんな内容で支給しているかわからないけれども、三千八百円支給しているから四千円というのでは手放しです。やはり一つの方向づけというものを文部省がやるならば——この内容において赴任旅費だけは正当旅費の支給になっている、少くとも修学旅行も正当旅費で支給されるべきであるというようなかまえをもって財政需要の算定にあたって要求を出して、そういう算定に引き上げていくというような工合に努力されるのが当然じゃないか。
  51. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私どもの方で旅費の支給にあたって、このような実費弁償あるいは減額支給してよろしいということは言えないと思います。本来、旅費というものは旅費支給規則があって、正当旅費を出すのが建前なんです。予算上やむを得ない場合に減額旅費をするのですから、私はこの場合は減額旅費をしていいのだという指導はしたくないと思います。
  52. 西村力弥

    西村(力)委員 それはその通りでしょう。それだったなら、今の答弁によると必要なものは全部正当旅費を支給すべきである、財政需要を見積るべきであるという建前で自治庁に交渉しているのですか。それはやらぬで、実績が三千八百円だから四千円にして二百円だけ上げているのだ、そんなものはこちらの基本的な方向も何もない実績主義、手放しじゃないですか。もちろん減額してほしいということは言えやしない。減額はよろしくないけれども、四千円の内容を見ると、これこれは正当旅費を出せるけれども、あとは全部実費だ、それでは困るからもう少し実費を上げてくれとか、そういう折衝があるわけです。減額してよろしいなどと言わないでも、そういう工合にできるはずです。
  53. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 たとえば事業官庁のようにある事業があって、講習会があるので何人出張するという場合は非常に明確に出るわけです。しかし学校で出張計画を立てる場合に、どういう規模で出張させるのか、研修がどのように、どのくらいを見込むとか、いろいろ複雑な事情がある。しかし全部の学校先生が出張するということはないわけですから、一人当り四千円のワク内でどの程度の出張計画ができるのかという計画を十分立てていただきたいと思っております。なるべく正当旅費を支給していただきたいと思っております。
  54. 西村力弥

    西村(力)委員 なるべく正当旅費を支給してもらいたいということは、実態を知らないもはなはだしいのです。どんな工合に支給されておるのかという実情に対して何らの調査もなさらずに、なるべく正当旅費を支給してもらいたいというような希望を言われたって話にならぬじゃないですか。実態を全然調べていない。私は減額してよろしいなどとは言えないということはあなたと考えは同じですか、しかし減額どころの騒ぎじゃない、ぎりぎりの旅費で行動をさせられておる状況から、修学旅行のこういう一段と進んだ法案を出される際においては、つき添いの旅費だけでも正当旅費に算定されるような工合にもっと引き上げらるべきである、こういう考え方なんです。一つ旅費支給の実態を早急に調査せられることを私は望みます。  もう一つは大臣に申し上げたいのですが、修学旅行のつき添いだけは正当支給できるような財政需要額を旅費として見積るというような考え方で折衝せられることを望むのですが、いかがですか。
  55. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 十分検討してみたいと思います。
  56. 西村力弥

    西村(力)委員 検討だけではなくて——これは自治庁の長官がやるのだ、そういうことを言いますが、財政需要額の算定に当ってその基礎資料を出すのは文部省ではないか。だから文部省が自分たちの希望を申し述べることは当然ではないか。向うにまかせ切りだなんていったら、実績主義ということでそのまま計上するに違いない。それで文部省が実績主義でよろしゅうございます。それでおさまっているならば文部省としての価値がない。
  57. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 これはもう私ざっくばらんに申し上げるのでありますが、私も実はそう詳しくございません。ただ実績が三千八百円だそうでありますが、それを実績通りではいかぬというので奮発して四千円ということでやっているそうであります。ただ実際問題といたしまして、御指摘のようにそれでも不十分なんで、もっともっと多くを要求して自治庁の長官と話をせにゃならぬものかどうか、ただいま申し上げましたように、十分誠意をもって私検討してみたいと思います。当面のところで三千八百円、四千円というものが実際その職責を果しているゆえんになるのかならぬのかということについて、私もちょっと自信がありませんので、御趣旨の点を十分くんで検討してみたいと思います。
  58. 西村力弥

    西村(力)委員 それでは局長に言いますが、私が希望した早急に実情を調査して、そして近い機会にその実情をわれわれに報告していただかなければならぬと思いますが、よろしゅうございますか。  最後に、今文部省は道徳教育を進められているわけですが、この法律基礎になる理念というものは、平ったく私が先ほど言うた言葉では、出さなければならぬところは出すのだ、見なければならぬところは見るのだ、こういう考え方に立っているわけですが、いわば共同体の理念というか、そういうようなところからくるのかどうか。それに対して旧来のいわゆる友情を持って助け合うとか、隣人を助け合うとか、そういう道徳、こういう点については道徳教育をやるときにはどういう工合に調和されていくのかというようなことなんです。そういう点はどう考えるか。行政官としては、視学官ではないのでちょっと御返答に困るかどうかわかりませんけれども、道徳教育をやる場合にそういう二つの立場をどうするか、その点については一つ該博なる局長の御答弁を願いたい。
  59. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この法律建前は、御承知通り経済的理由で就学が困難な者に対してできるだけ修学を容易にしようというので、教科書、給食費、治療費と相並んで修学旅行を容易ならしめる、こういう趣旨でございまして、義務教育でございますから全部の者が修学できるようにという理想を持っているわけであります。それからお話の助け合うということ、あるいはみんなで共同し合う、非常にけっこうなことでございます。これは修学旅行の期間を通じて集団行動いたしますので、その機会にいろいろと教えられることが多いと思うのであります。この集団の行動についてはお互いに助け合ってお互いに秩序を守っていかなければならぬ、こういうような点で私どもは非常に道徳教育の面からも有益であろう、かように考えておるのであります。
  60. 西村力弥

    西村(力)委員 それではこれで終りますが、局長から私が要求しました旅費支給の実態調査とその報告、それに対する御答弁がありません。それだけをお願いして私は終ります。
  61. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 できるだけすみやかに実態調査いたしまして御報告申し上げたいと思います。
  62. 臼井莊一

    臼井委員長 以上をもちまして本案に対する質疑は終りました。  これより討論に入ります。別に討論の通告がございませんので、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  63. 臼井莊一

    臼井委員長 御異議なしと認め、採決いたします。本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を願います。     〔総員起立〕
  64. 臼井莊一

    臼井委員長 起立総員。よって本案は原案の通り可決すべきものと決しました。  ただいまの決議に伴う委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  65. 臼井莊一

    臼井委員長 御異議なしと認め、さよう取り計らいます。     —————————————
  66. 臼井莊一

    臼井委員長 次に文教の基本政策に関し調査に進めます。質疑の通告があります。長谷川保君。
  67. 長谷川保

    長谷川(保)委員 この際橋本文部大臣の文教行政に対する基本的なお考えについて伺ってみたいと思うのであります。  先般の当委員会におきまして、大臣は、文教行政は全体として大事だが、義務教育の充実が最重点だ、また科学教育をことに重んじていくというお話がある、さらに四つの重点施策をあげられ、すし詰め教室の解消、科学技術の振興、理科教育の充実、青少年教育、体育スポーツの振興、特殊教育僻地教育、準要保護児童教育、こういうことに重点的に施策をなさるというお話でございました。私はこの義務教育に最重点を置くという御方針対しましては、これは正しいと思うのであります。しかしどうもこういうような大臣の重点施策、これに専念なさるということはまことにもっともしごくなことだと思うのでありますけれども、どうも最近の文部省の文教行政のあり方を見ておると、必ずしもそういうところに大きな重点を置いていらっしゃらないのじゃないか。教育基本法の第十条教育行政というところを見れば、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」こういう教育行政のあり方が書いてございますが、どうもそういう点が少しずれているような気がするのであります。そこで以下時間の許します限ります事態を明らかにしながら、私の心配するところを伺ってみたいと思うのであります。  先般来すし詰め教室を解消するという五カ年計画がある。いや、それは計画ではない、目標だというようないろいろな、委員とのやりとりがありました。私はもっと根本的に問題を考えまして、どうも文部省の御意見を伺っておりますと、五カ年計画中学校小学校の一学級の定員を五十人にするのだ、これがすし詰め教室の解消だとおっしゃるのだが、私は、五十人それ自体がすし詰め教室ではないか、五十人なんというものは、もちろん五十人以下にするというのでございますけれども、これは最近のどこの国の教育を見ても、義務教育の諸学校が五十人なんというところはありません。私はないと思う。私の知る限りにおいては、そういうような国は、ずっとおくれた国なら別でありますけれども、世界の文明国といわれる国では私はないと思う。五十人以下にするということは、これは申すまでもなく学校教育法の施行規則の第二十条に「五十人以下を標準とする。」ということが小学校では書いてある。こうするのは当然でありますけれども、しかし五十人、それ以下ということを書いてあるが、五十人ということを目標にして今五カ年計画でやっていかれるという、そのこと自体がすし詰めじゃないか。だから、そうすることはすし詰め教室の解消だとお考えになっておるなら、これはとんでもない間違いではないか、こういうふうに私は思うのでありますが、この点については大臣が最重点の施策として取り上げられました義務教育の充実と、こういうお考えは根本的に違うと思うのだが、的がはずれていると思うのだが、この点はいかがでございましょうか。まず五十人を目標とする五カ年計画は根本的に誤まりではないか、こう思うのでありますが、大臣の御意見はいかがでありましょうか。
  68. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 世界の相当な国の施設の行き届いておりますところ等を見ますと、大体やはり一学級四十人ぐらいが多い例であり、またその辺を目標にしてやっておるようであります。イギリスあたりでも実例においてはかなり何かの事情で多いところもあるようですが、私はやはり教育に目を行き届けて参りますという点からいきましても、将来の理想として四十人ぐらいを目標にしていくのがいいと思います。当面の問題といたしましては義務教育の問題といたしましても、ただいまおあげになりましたすし詰め教室の解消の問題にいたしましても、あるいはまたこの科学教育の振興の問題でありますとか、あるいはまた特殊児童に対する義務教育施設といったような点からいきましても、いろいろな問題があるわけであります。従いまして、現在全国で見ました場合に五十人以上の学級が約三割ぐらいあるかと思うのでありますが、当面の問題といたしましてはやはり一学級五十人といったようなことを目標にして、そうしてこれは国費としても相当骨が折れるわけでありますが、それをまず五カ年計画で解消してかかるということは、私は適当な施策だと考えております。ただ未来永劫義務教育の一学級における生徒数として五十人が理想かどうかということについては、これはむしろやはり一段落五十人をめどにいたしましてすし詰め教室の解消をやり、それから引き続いてさらに次の五年計画なり、何年計画なりによりまして五十人をさらに低下していく方向にやはり最重点を置くか、一あたりそれでこの事態を充実させながら、あるいはほかのいろいろな問題、給食の問題とか、特殊児童の問題とかいろいろございますが、そういう問題にいくかということは、私は年次を追いながら、皆さん方の御意見も伺いながら、重点のあんばいを考えていきたい、当面の問題としては一段落として、せめて五十人まではこれをやってしまう、わき目も振らずとにかくやってしまうということは、私は適切じゃないかと思う。それができ上ったとたんにおいて、やはりそこが最重点だから、この法律を六年目に変えて、あるいは四十五人なり、四十人なりにして、これを最重点にやっていくか、あるいは、とりあえず一わたりそこで足踏みをしながら、ほかの問題に、当面の次の三年なり、五年なりをいくかということは、その際に私は考えてみたいと考えております。ただ、将来の長い理想として、五十人のままで置くということは、私はあまりけっこうじゃない、やはり理想としては、世界じゅうを見ましても、一学級四十人くらいにするのが、教育としては目が行き届くのじゃないかと考えております。
  69. 長谷川保

    長谷川(保)委員 当面の問題として五十人以上のものを五十人にするということは私もいいと思うのです。ただ問題は、すし詰め教室解消五カ年計画という看板を与党はおかけになっておる、解消じゃないと私は考える。五十人というところを目標として、五カ年でおやりになっても——当面の問題としては私はいいと思いますよ。私はおやりになるのに大賛成です。解消じゃないということを十分考えて、文教行政の基本的な立場というものをお立てにならぬといけない。これでは教育が非常に世界の各国に比べておくれてしまうと思うのです。試みに私は伺いたいのだが、米国その他の西欧自由主義諸国、及びソ連その他東欧の共産主義諸国の一クラスの定員は幾らですか。
  70. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 イギリス、ソ連、ドイツ、フランスは大体四十人でございます。それから実際、イギリスあたりで、四分の一、二八%程度が四十人をこしております。アメリカは比較的条件がいいのでございまして、三十から三十五ぐらいがアメリカの標準になっております。ただ、ここで申し上げておりますのは、日本の行き方と違いまして、アメリカもイギリスも、先生生徒の比率をとっております。いわゆるピュープル・ティーチャー・レーシオというものを使っておる。ですから、必ずしもこの学級がどうかということはわからない。その比率で、日本がアメリカやイギリスと同じように先生生徒の比率をとってみますと、日本の場合、小学校は三十七人ぐらいになっておる。これは級外教員等が入るので……。それから、中学校の場合は約三十人になっておるのでございまして、こういう点もあわせて考えなければならぬかと考えます。
  71. 長谷川保

    長谷川(保)委員 この前も私は当委員会で申し上げたことがあると思うのですけれども、昨年六月、私は米国の全米教育協会、ネアの大会に出た。そのときその大会では、米国で一クラスの定員が三十人である。けれども、それでは、今日の進んだ教育はできない。ソ連は二十五人である、だから、ソ連同様にこれをするために二十五人にせよという大会決議が出され、私のいる前で決議された。その大会の決議が政府提出されておる。どうも文部省のほかの資料を見ても違うと思うのだが、今のお話でもだいぶ違うと思うのです。さらに、私がほかから入手しているところによりますと、たとえばポーランドにおきまする理科教室のごときは十七人、それ以上ならば、教師はこれを拒否するというようなほかの資料も私は持っておる。だから、今の話とだいぶ違うのです。私のいる目の前で、ネアの大会で決議されました、ただいま申しましたようなこと、こういうことなどを考えて参りますと、ただいまの話とだいぶ違っておって、ソ連が二十五人だから、二十五人に定員をせよという大会の決議がなされておる。その大会決議はおそらく文部省も手に入れていらっしゃると思うのであります。だからだいぶ違うのですよ。今日の進んだ教育というものはもうそんなに大ぜいではできない、こういうことになっているわけだが、だいぶん今のお話と違うが、その点どうなんでしょう。
  72. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私どもの資料が古いせいか、その点はさらに検討を要しますけれども、ソ連については四十名、一教師当りの生徒数は四十二人をこえてはならないという規定がございます。実際問題として、アメリカの考え方は級外教員を置いていない。ですから日本のように級外教員を置いているところと事情か違うわけです。それからアメリカでも小さい僻地学校ではやはり二十人とか二十五人というのがあるわけです。大きなところですと、三十人あるいは三十五人をこえてはならぬという規則がある。それで級外の制度を廃止して全部学級担任にいたしますれば、日本の場合でも私は四十人以下に下ると思うので、こういう点もあわせて検討しなければならぬと思うのでございます。それからイギリスその他につきましては四十人ということになっております。アメリカでは非常に地域が広うございまして、全米統一した基準というものはございません。ですから大体小学校の場合が三十から三十五、セカンダリー、中等学校に参りますと二十五人に一人、こういうような状況でありまして、日本でも中等学校高等学校に参りますと、大体二十五、もっと下っておるかと思うのでございます。
  73. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私が別に持っている資料でも、ソ連は二十五人ということがありますが、しかしきょうは時間もありませんから、その点についてはまた別の機会に討議するといたしまして、いずれにいたしましても、五十人というようなことでもってすし詰めが解消になったというようなお考えだと根本的に違うということをどうかお考えになっていただきたい。もっともっと日本の教育の水準を世界的に進めるためには、まだまだその点を少くしなければだめだと思うのであります。  次に文相の重要施策には科学技術の振興、理化教育設備の充実ということがございます。ついこのごろでございますが、二月二十四日の朝日新聞、これは静岡県で見た朝日新聞でありますが、これに名古屋管区行政監察局が愛知、静岡、岐阜、富山四県下の小、中、高等学校の理科教育実態を調べた結果が発表されております。これによりますと、計画がきわめて不十分だ、理振法の三条では、理科教育振興に関する総合計画を立てることになっているが、各県市町村とも総合計画を持っているものはほとんどない、熱意と関心は低い、文部省も何らの指導奨励をせず、法の規定は空文化している。こういうように書かれておる。施設設備につきましても、理科室が整備されておらぬということが書かれておりまして、理科室、準備室などの施設やガス水道、電気、実験机などの付属設備は不十分だ。特に小学校はすし詰め教室の解消、危険校舎の改築に追われて、理科施設、付属設備の整備まで手が回らない。さらにまた国庫補助金の配分がよくない。国庫補助金を配分するのに単に学校数児童生徒数によって配分する。そのために生徒数の多い市町村が有利となっておる。このために二度目の配分を受けているところがある半面、一度も配分されない町村もあり、アンバランスが解消するどころか、むしろ助長されている面がある、こういうように書かれている。また教材費も市町村の自己負担というものが非常に少い。四県の合計で、小学校高等学校がそれぞれ二〇%、中学校か二二・一%にすぎない。御承知のように、理振法は二十八年に制定されて、二十九年に施行されておる。もうすでにことしは三十四年、今日までたってこんなことではしょうがないと思う。ここには実に鋭く、文部省も何らの指導奨励をせず、法の規定は空文化している、こういうふうに表現しております。こういう実態を見ると、先ほど文部大臣が第二の重点施策として当委員会において言われましたものとははなはだしく違っているではないか。文部省はまことに怠慢であり、先ほど申しました教育行政の目的であるところの教育の条件を整備確保するということをやっておらぬじゃないか、こういうように考えられるのであります。この点大臣の御所感はいかがでございますか。
  74. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 最初に私申し上げておきたいと思いますが、義務教育の振興の重点として科学教育考えております。同時に、ただいまお話のございましたような基礎的な科学知識の教育のことも含めまして、私は科学研究自体を促進するということを非常に大きく考えているわけであります。ただに小、中学校等におきまする理科教育の問題のみならず、大学の基礎研究の問題も非常に大きく考えておるということをついでに申し上げておきます。ただ、お話もございましたように、大学を中心にいたしまする科学の基礎研究の充実ということのほかに、やはり国民全般の科学的水準が上って参らなければほんとうに国の科学というものは進んで参りません。少数の英才だけで国の科学水準は進みませんから、私ただいま御指摘のございましたような点にも十分心して参るつもりでございます。ただ現実の理科教育振興法等の具体的な適用がどの程度になっておるかということはあまりつまびらかにいたさないのでございますが、御指摘のございました具体的な事情については政府委員から答弁させることといたしまして、私といたしましてはそういう点も十分にさらに掘り下げて検討いたしまして、願わくは、できるだけの充実をはかって参りたいと思います。
  75. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 理科教育の振興に対してのお尋ねでございますが、実は理科教育審議会からも強い答申が出ておりまして、まず第一に教育内容を改善しろという点でございます。この点につきましては、先般学習指導要領を公布いたしまして、できるだけ実験、観察に重点を置いていく、それから日常生活や経験の中から基本的、原則的なものをできるだけ精選して、重点的に学習を強化して、やさしいものからむずかしいものへと、学習しやすいようにしよう、こういう点で小、中学の理科の全面的改訂を行なったのであります。それから同時に、科学技術教育としては、中学校の場合には技術、家庭科の新設をいたしまして、男には工作関係の技術を、女子には衣食住等の家庭科的技術を中心に技術を推進する、こういうような点で、教育内容の面から、できるだけ実験観察を中心にしながら改善を加えていきたい、これが一点でございます。  次に施設設備の点でございますが、施設につきましては、これは、今特別教室のお話がございましたが、文部省の五カ年計画か進むにつれましておいおい改善されるだろうと思います。それから設備につきましては本年度約五億の予算を確保しまして、地方負担と合せて約十億でございます。三十三年度現在までに三分の一が大体設備充足をいたしたわけでありまして、御指摘のように学校数あるいは児童数で配分するのが適当かどうかという点については、これは私どもも今後検討いたしたいと思っております。今日までともかく小、中は三割、三分の一が充足をいたしましたので、残りにつきましてもすみやかに充足していきたい。ただ配分の仕方については今御意見もございましたので、こういう点は私どもももう少し検討いたしましてもっと実質的な推進をはかって参りたいと思います。  それから次に、一番大事なのは、学校の設備ももちろん大事でございますけれども、何と申しましても理科の先生なんです。理科の先生が、最近は産業界がなかなか景気がいいもので、そちらの方に転出される方が非常に多いのであります。理科教員の資質が低いという点が、理科教育振興の一つの隘路になっております。この資質向上のために、昨年から理科の実験実習講座を開設いたしまして、小学校では十分の一、中学校では理科教員の大体半数の教員を五カ年間で全部再教育しようというので、文部省でも手引きを作りまして、講習会を行なっております。今年はすでに第二年度でございまして、予算八百数十万円を計上して着々やっております。この再教育を重視していきたい。残った問題は教員養成の問題になろうかと思う。この教員養成の問題につきましては、全般的改正とあわせて理科教員の資質の向上に十分努力をしたいと考えております。
  76. 長谷川保

    長谷川(保)委員 先ほどの名古屋管区行政監察局の発表でも、このような静岡、愛知というような非常に富裕な県を入れまして、小学校で理科教室の設備を持っているのは三九・一%、今のお話の、三分の一はどうやら作った。理科教室さえもないというのでは、理科教育の振興は意味をなさぬと思う。普通教室で実験などをさして、危険が起る。ほとんど教室内の実験だけに終っておる。今大臣のお話のように、日本の科学技術の研究というものを非常に大切にしたいという、それならばすそ野でありますところの高等学校、中等学校小学校の全体の理科教育が重視されなければ、そんなことができるはずのものではない。お話のように、予算書を拝見しますと、このことのために国は五億円とってある。二分の一ですから全部で十億円だ。そんなことで一体できるのか。もちろんこの予算を使う道はたくさんございまして、申すまでもなくあっちもこっちも使わなければならぬからなかなか回らぬのだということはよくわかるけれども、しかし五億円で一体どういうものをやるか。教室のない学校というのは、今回申しましたように、非常にたくさんあるわけです。特別教室のない学校は非常にたくさんある。その校数から割って見て五億円、二倍にして十億円でありますけれども、十億円で一体どれだけできるのか、ことしどれだけできるというお考えなのか、具体的な内容は一体どうなっているのか、ちょっと伺いたい。
  77. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 お話のように五億円では非常に足りません。この五億円程度で参りますと、基準まで達するのに大体十年以上かかるだろうと思います。今日のような日進月歩の激しい時代でございますので、私どもも五カ年くらいに縮める計画をもって努力いたしましたけれども、いろいろ予算関係もございまして十年計画くらいになっておることは大へん遺憾でございますが、今後増額いたしましてすみやかに基準の充足をいたしたいと考えております。
  78. 長谷川保

    長谷川(保)委員 だから言わぬこっちゃないでしょう。教育長の給料を上げたとか、校長の管理手当に何億も使うということよりも先にしなければならぬことが一ぱいある。それだのにこういう基準に達するのに十年かかるというようなことで、今お話しの通り日進月歩の世界で間に合うものではない。ことに理科、科学の教育の振興ということは理振法ができてもう五年にもなる。そしてそのことにつきましては前の松永文相もずいぶん熱意を入れられておった。灘尾さんも同様である。かけ声ばかりで実態の把握が何もできておらぬじゃないかというように私には考えられる。これは産業教育の問題でもそうです。これは予算を見ますと、中学校産業教育の指定校の補助金が一億三千万円としてある。一体これでどれだけの仕事をやるつもりか。まるでつめのあかというか何というか、こんなことでほんとうにできぐるのかどうか、ほんとうにまじめにやるつもりなのかどうか。ただ形式だけあれをやった、これをやったということで、ただわずかのものを小間物屋のように並べ立てているというように私には感ぜられるのであります。一体一億三千万円でどれだけの具体的なものをやろうとするのか、これを伺いたい。
  79. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これも前年度予算の五割増しになっておりまして、実は中学校の指定校につきましては当時六千万円から本年度が九千万円、さらに一億三千万円、だいぶ努力しているつもりなのですが、とても御期待に沿わないところです。そこで一億三千万円で何をやるかというお話でありますが、大体九百校を目標にしておるのです。九百校ないし千校程度がこれによって設備されるだろうと期待しておるのでございます。
  80. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そうすると未設備校があとどのくらい残りますか。
  81. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 すでに二千数百校に及んでおりますので、残りが六、七千になろうかと思っております。
  82. 長谷川保

    長谷川(保)委員 だからこういう問題を考えましても問題にならぬと私は思うのです。こういう教育の条件をもっと整備拡充するために文部省は専念すべきだ。先般も同僚諸君からいろいろお話がありましたが、ろう盲の教育も、この間大臣自身がびっくりなさいましたように、盲人の義務教育の就学率が四〇%なんというひどい盲児の状態であるわけでありますが、そのほかに肢体不自由児とが精薄児というような気の毒な、特別に保護しなければならぬ人々がありますが、一体肢体不自由児あるいは精薄児という気の毒な子供たちの就学率はどのくらいになっていますか。
  83. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 肢体不自由児は程度にもよりますので、相当就学の猶予または免除を受けておりますので、正確には捕捉できませんが、現在のところ特別学級におるか、さもなければ普通の学級におるのでございます。普通の学級におりますと学習の効果の上から考えまして本人のためにも他の児童のためにもよくないと思いますので、実は特別学級を拡充いたしまして、今日までここ数年のうちに相当飛躍的にふえて参りましたが、まだ千八百学級程度でございます。今後来年度予算にも設備費の増額をいたしておりますので、今後もふやして参りたいと思っております。ただ今お尋ねの何パーセントかというようなことになりますと、正確な調査がございませんので、遺憾ながら申し上げられないのございます。
  84. 長谷川保

    長谷川(保)委員 時間もありませんから、この点も後にまた討議することにいたしましょう。しかし私かやはり予算書を調べていってどうもがまんできないのは、特殊学級の施設費の補助が千五百五十二万円しか見積っておらないのですね。これもまた実にひどいと思うのだが、これで一体何にしようとするのですか。
  85. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この点は先ほどの中学校研究指定校も同じでございますけれども、実は中学校研究指定校千校をやるのにむしろ私ども大へん苦労して地方にお願いしてやっておるのです。今回のこれも同様に二百校分の予算を一応計上しておりますけれども、二百校消化するのにむしろ非常に苦労をして消化していただいておりますので、地方の御熱意もさることなから、私どもも非常に苦労しておりますので、一ぺんに予算がふえたから全部消化できるというわけではございません。昨年百校であったものを本年二倍にしたというので、私どもはできるだけ趣旨を徹底して、地方の協力を仰いでいきたいと思っておるのでございます。
  86. 長谷川保

    長谷川(保)委員 その通りなんです。問題はそれほど地方の財政も窮迫をしておるということなんですね。もちろん地方行政を受け持っておる諸君が、今日の教育に対する考え方に、ある意味では不熱心ということを私はあえて言うのでありますが、これは教育に対する考え方というものを根本的に変えてもらわなければならない。目先のことばかり考えておって、そういうほんとうに国の将来を決するような、そして国民一人々々の基本人権をほんとうに守っていくという重要なことに金を使わないで、つまらないことに金を使うというような政治のやり方は考え直してもらわなければならぬと常々思っておるのでございますけれども、今のような特殊学級の設備費の補助二百校を消化することができないという、いかに地方の教育費用というものが、地方財政が困難をし、ことに教育に使う金に困難をしておるかということを現わしているものです。従ってここでも私はさっきの話ができる。ばからしい変な管理職手当などやらないで、なぜこういうものに力を入れないか、文部省指導方針が違っていると思うのです。  ついででありますから、肢体不自由児のスクール・バス三百万円を今度計上してあります。まあないよりはいいに違いないのですが、三百万円でこれまた一体何ができるのか、一体これはどこで使う予定であるか、おそらく都会に近いところに使うのだと思う。そうするといなかの肢体不自由児についてはこういうものを将来見積っていく意思があるのか、こういう点はずいぶん問題であると思うのですが、一体三百万円で何をしようというのでしょうか。
  87. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 三百万円で何をするかというお尋ねでありますが、これはスクール・バス三台、二分の一補助でございます。養護学校が現在二十八校ございますが、そのうち肢体不自由が十校でございます。ですから肢体不自由の学校子供たちが通うのに楽にさせたい、こういう意味でことし三台を入れたわけでございます。十校に対して三台でございますから、そう少いというほどでもないと思うので、私どもとしては地方からのお申し出がございますれば、できるだけ来年度予算でも増額いたしまして、御期待に沿いたいと思います。  それから地方財政が非常に困難な中にもかかわりませず、大へん日本の教育に対する御努力は大きいと思う。世界の国民所得一人当りをとってみまして、日本が一番教育費に使っているように記憶しておるのでございます。
  88. 長谷川保

    長谷川(保)委員 国民所得を見て日本が一番教育費に使っておるというか、国民所得が非常に少いのです。日本の国民所得は文明国の中では問題にならぬほど少いのです。なるほど義務教育はよく普及しております。文盲のないという点では世界的に誇り得ることは御承知通りでありますけれども、そんなことで満足しておったのでは問題にならぬと私は思うのです。  僻地教育その他のは問題についてさらに十分伺いたいと思いますが、時間がありませんからこれは次の機会に譲りまして、今日の義務教育あるいは理科教育等の問題、特殊教育の問題等々はどうにもがまんのできないようなあり方なんです。先ほどの名古屋の行監の発表でもわかりますように、これはちょっとがまんができない程度のものであります。こういうようなときに、私は文部省がばかに勤評でけんかをする。むしろ積極的に文部省かけんかを売るというように私には見える。本来教育基本法によってきめられておりますえる「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」というのに、ただいまのようなわずかなものをあげただけでも、がまんのならないような教育の条件であります。この中で私はそういうことを確立するために、文部省は全力をあげるべきである。しかるにそうでない。教育基本法に示されておるものからむしろ逆にそれている。文部省に言わせれば、いやそれも教育の諸条件を整備確立するためのものだ、こう言うのでありましょうけれども、しかし私は本来なさるべき教育の条件というもの、基礎的な条件というものが、かくのごとくに不十分であって、一体勤務評定などにけんかするということはおこがましいと思う。  この際大臣に私が伺いたいことは、御承知のように、戦後断行されました教育革命というものの基本的な最も重要な点は、日本の教育界七十年の長きにわたって支配して参りました教育の中央集権主義、教育課程行政における強引な国家的な強制主義、これをやめて民主主義国家として一般化しておりますところの、それぞれの学校教師の自主的な教育方針というものを重んじて、政府がこれを支持する。つまり法律の文書の言葉をもってすれば、文部省指導、助言、援助をする。指導、助言、援助するという立場を、教育行政の組織、運営法律にはっきり書いてある。そういう指導、助言、援助をするという立場をすでに離れて、逆にこれを支配するという気がまえができておる。こういうことは根本的な間違いである。これは民主主義国家の教育方針として許しがたい行き方だと思うんです。今日文部省のあり方というものを見ておると、そういう非常な間違いを今しつつある、こういうように私は考えられるのである。今日戦後いわゆる民主教育として方針を立てられ、そうして教育行政の基本方針として立てられましたそういう民主的なやり方というもの、文部省は支配するのじゃなくて、指導、助言、援助するにとどまる。そうして先生の自主的な、教育委員会の自主的なあり方を立てていくというこの教育基本の方針、これに対して大臣はどういうお気持であるか。それをまず貫くべきであると思う。けれども、今日のあり方というものは明らかにずれていると私は考えられるのでありますけれども、この点について大臣はどういう方針をもって、つまり戦後立てられたこの教育革命の方針を貫こうとされるのか、それともまた別の方針でいかれようとされるのか、この基本方針について承わりたい。
  89. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 私は戦後まず憲法の基本が変りまして、天皇の大権にゆだねられている問題が非常に多かったのが、今日すべての問題について国民主権になったというこの新憲法の精神というものを私は深く、十分に心して参っているつもりであります。教育についてもそれが一番の基本でございます。戦後教育問題についてもいろいろ議論が行われて参りましたが、戦後ずっといろいろな経過を経まして、今日文部省が、政府教育について指導、助言、援助をいたす。そうして実施に当りましては、今日公選によって選挙をせられました市町村長が推薦をし、市町村会でこれをきめ、選任せられましたところの教育委員会というものが、この教育実施に当って参るというこの制度というものを、私は本式に活用して参らなければならないと思う。ただ私は、ただいまお話のありました中にも、あるいは私の聞き違いでありましたならば、これはお許しを願いたいのでありますが、教育の基本方針というものは、国民、社会みずからの中で生まれ出、そうしてそれが行われていかなければならぬという憲法の基本精神というものが、何か教育というものは昔のような、要するに天皇大権のもとにおける中央集権の文部省がやってはならない、教育はすべて教員だけでやるべきものであるかのごとき印象があるとすれば、これは私は間違いだと思う。私自身は、ただいま御指摘のございましたように、指導、助言、援助政府でする、しかし政府自身はあくまでも民主主義的な原則に立ちまして、衆参両院とも選挙のたびに厳重な国民の目をくぐって出てくる、その上に選ばれた議院内閣制による政府指導、助言、援助をする。そうして教育実施というものは、ただいま私が申しましたような、やはり公選の市町村長、市町村議会というものを経て選ばれた教育委員会がやるという制度は、私はぜひ守って参りたいと思うのであります。  ただ私はその制度を実践する上において、今日までの間というものは、ある場合には、あるいはこれは言葉が過ぎて文部省が出過ぎているということがあったかもしれませんが、むしろ文部省自身が妙に遠慮しすぎておった点があるのじゃないかとすら私は思っておるのであります。明治憲法下と違った今日の新憲法下における政府は、少くとも与えられた指導、助言、援助という点においては積極的に文部省は責任を持ってやっていくということを考えてしかるべきものだと思いまして、私はそのつもりでやって参るつもりであります。ただいま申しました教育の筋というものはそういう点にあるのでありまして、この新憲法の精神がそこにあるからということで、何かしら教育というものは文部省教育委員会もタッチをしないで、教員とPTAだけで教育方針が左右されるような考え方を持っている人はないと思うのですが、もしあるとすれば、これは今日の憲法上の制度としても私は間違った考え方だと思う。あくまでも文部省指導、助言、援助をする、教育委員会が実施に当るという建前でそれぞれ責任を負うてやりながら、その間においてもちろん教育の実践に当っております先生方の意見であるとか、あるいは子供を持っておりまする父兄の意見というものは十二分に耳を傾けて聞いていかなければなりませんけれども、責任者はあくまでも先ほど御指摘のございましたような立場における文部省及び教育委員会というものがしっかりやっていかなければならぬと思うのであります。私はそれが今日の日本における教育のあり方だと思いまするし、その教育のあり方につきましては私十分心して参るつもりでございます。
  90. 長谷川保

    長谷川(保)委員 今の文部大臣の御発言に私は不安を感ずるんです。どうも地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四十八条、ここに今のお話の通り文部省の役割が書いてある。文部大臣の役割が書いてある。指導、助言、援助ですよ。支配ではありませんよ。そこになすべきことがずっと並列的に書いてございます。それが私は戦後の日本の教育の基本だと思う。教育をだれがやるかということになれば、もちろんこれは国民です。憲法の主権もそうでありますが、これは国民です。国民が選んだ教育委員会、直接選んだものがやるというのが私は理想だと長い間考えて参りましたし、本国会にもこの法案を提出する予定になっておりますけれども、それがわれわれの非常な反対を押し切って任命制になった。任命制になさって、その結果、ほんとうに今大臣のお話のような、市町村長あるいは県知事というものが選んだ、つまり選挙によって選ばれた県知事その他が選んだものだから、いわば間接に選挙権を持っている国民がこれを選んだんだ。従って、選挙権を持っておりますいわば父兄と申しますか、その人々が教育委員を選んで、教育委員はそれらの人たちの代表として教育をつかさどっているのである。こういうように今の発言だと考えられるのでありますけれども、事実はそうなっておらぬ。どうしてなっておらぬかと申しますと、これは私は文部省にもごく最近の統計があるから伺ってもいいのでありますが、時間がありませんから私の方から申し上げますが、私の持っております資料によりますと、こういうことになっておる。今の任命制によって選ばれました都道府県の教育委員、この職業別の調べです。これは三十二年の十二月調べの資料でありますが、これによりますと、都道府県の教育委員の職業別は会社重役二八%、大学職員、高、中、小学校長、これは元という意味でしょう。学校経営者などが二〇%、僧侶、医師、弁護士、著作業などの自由業が一八%、商業が二%、製造業が一%、無職六%、このうちのほとんど全部は女性、奥さんでありましょう。おそらく会社重役の奥さんというたぐいだと私は思うのです。こういうようになっておる。国民の四一%を占めまする農林業の人はわずか八%、国民の五〇%以上を占めまする労働者の代表は一人もおらぬ。こういうような職業別で、どうして一体この任命制の教育委員が、国民の間接選挙的なものだと言えますか。こういう事実ははっきりしている。任命制になって何が行われるか。都道府県の教育委員会は義務教育の教員の任命をするところである。そうして今回の勤評の中心になっておる。この中に労働者の代表というべきものが全然入っておらぬというような、こういうものを日本の新興階級である労働者階級がいただけますか。こういうものによって勤評が行われるとするならば、そういうものをいただけますか。われわれが非常な反対をして、国会で乱闘までいたしました教委の任命制という問題。なぜわれわれがやったんだ、それはほんとうにわれわれの大事な子供教育する、日本の将来を決する教育をつかさどるところのものが、国民のほんとうの代表という形で行われない、ある一部の教育支配という形でここに出てくるということを、われわれは日本の教育の危機と感じて、われわれはなすべきでないところの乱闘までここでやった。最近行われまする文部省の一連の行政というものは、そういう気配が私は全部に見られる。それだから、もしほんとうに教育委員会というものが教育をちゃんとつかさどっていくのだ、こういう体制をしいようとするならば、われわれはもう一度この都道府県の教育委員会その他の教育要員を直接選挙に返せ、こう思うのであります。われわれはこの法案を今国会に提出しますよ。そうしなければ、今日の教育の現場の混乱の根本は直らないのではないか。これを直して、国民のほんとうの代表が教育をつかさどるという教育委員会になり、そしてこれが文部省指導、助言、援助という範囲を越えないという体制ができるときに、初めて教育の混乱というものが私は防げると思う。そこまで直さない限り、今日の教育の混乱というものは私は直せないと思う。大臣はこの点どう思いますか。
  91. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 ただいまお話のございました点について、私の所見を申し上げます。少しく長谷川委員の御意見の趣旨と違うところもあるようでありますから、私の意見をよくお聞きを願いたいと思うのであります。  教育委員会の公選制の問題につきましては、これが一度公選制が行われて廃止された経緯は御承知通りでありますけれども、これはいろいろな御意見があると思いますが、私はあの当時におきまして、教育委員の公選制度というものを現実にやって参りました結果として、非常に関心が低い。現実に行われますについては、ほとんど軒並みに投票率五割以下であります。ひどいところになると、二割、三割というようなところがある。しかも一人、二人の改選に何千万円という経費をかけながら、非常に低い投票率で、片寄った投票率で投票されるというようなことでございまして、こういうふうないき方でいくよりも、むしろ今日においては、ほんとうに国民主権で地方自治も行われておるわけでありますから、この公選によりまする市町村長が推選されまする委員会が承認をするといういき方が、ほんとうに国民に根を持った教育委員を選ぶゆえんであるという考え方で、今日の制度になっておるわけであります。諸外国の例で見ましても、公選を行なっていないところの方が多いようでありますが、私はそういういろいろな諸般の点を考えてみまして、今日の教育委員の選任方法は適当であるとしんから信じております。ただいま御指摘のございました職業別の問題、これにつきましては、会社重役という形で仰せになりましたけれども、このごろやはりいなかで仕事をいたしますのにも、会社という形で仕事をする点がたくさんございまするから、あるいは農林産物の取扱い等についても、会社という形のものがございまするので、国民の多数を占めている農林業出身者が一つもないというお話でございましたが、おそらくこの地方の会社重役の中には入っているんじゃないかと私は思うのであります。その方の会社重役という中にも私は農林業の代表者が入っちゃおらんかと思いますが、しかしいずれにいたしましても、それは要するに統計の配分の方法でございましょう。私は今日の事態において、公選されました市町村長が選んで、公選された市町村議会がこれを承認するという形で教育委員が出て参る。もちろんこれは時代の進運によりまして、いろいろな社会状態の変化等によりまして、おのずからそこに出てこられる方々の顔ぶれも変って参る。しかし今日われわれが民主主義の政治を行なって参ります限りにおいて、出てくる結果というものは、それぞれの時代においてお互いが尊重していかなければ、自分の好きな顔ぶれが出てくるまでの間、自分は信頼しないのだという形でいったのでは、私はやはり政治というものはうまくいかないと思うのであります。今日の仕組みのもとにおいて、これはいかに国民主権といいましても、八千五百万人がみんなでわいわい言って政治ができるものでもないし、教育行政ができるわけでもないのでありますから、その一つの仕組みの上に出てくる結果というものはときどきに尊重しながら、そしてお互いに意見を言い、お互いの意見をできるだけ尊重しながら、最後の決は現在与えられた制度によってやっていくというのが、私は当然なければならないところだと考えておるのであります。そういう趣旨におきまして、私は長谷川委員の御意見と違うかもしれませんけれども、今日の時代において長谷川さんの希望しておられるような形に出ておらないから、文部大臣が与えられた職権を行使するのに遠慮しいしいやれというようなことでもないかと思いますけれども、そういうふうな意味だったら、私はいささか所見を異にするのでありまして、そういう意味において、私自身が衆議院議員としても選挙のたびに国民の厳重な監督を受けていると思うし、内閣全体としてもそうでありますので、私は与えられた制度のもとにおいて指導、助言、援助をいたして参りますこと、そして教育委員会においていろいろな実施をお願いいたしますことにつきましては、もう良心を持って、自分の時の判断で適正だと思った場合には、百パーセント、フルに努力をいたして参りたいと考えております。どうかその点は多少は御意見は違うかもしれませんけれども、私の考えておりますところだけは御了承願いたいと思います。
  92. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は、何も遠慮してやれというわけじゃない。率直に申しますと、私は橋本大臣に対しましては非常に敬意を払っておる。それはあなたがこの前厚生大臣として、例の遺族の弔慰金の問題について、職をなげうってお戦いになったということについて、事のよしあしはとにかくとして、あれだけの腹を持っていらっしゃるあなたに対して、私は非常な敬意を表しております。また文部大臣になられましてからのあなたのいろいろな御説明、御答弁等に対しましても、さっきもここで、なかなか頭のいい人だなとささやいたのでありますが、私は大いに敬意を表しております。これはおだてるのでも何でもありません。ただ法律に従ってやってもらいたい。指導、助言、援助というのが、文部省法律にきめられた立場です。支配をするというようなことではありません。統制をするというようなことではありません。法律に従ってやってもらいたい。その点においてはあくまでも努力して、先ほど来のわずかな質問においても明らかにされておりますように、今日の教育の諸条件というものは問題にならぬほど不整備である。これに全力をあげてもらいたい。ただ問題は、教育委員の問題で考えてみると、都道府県の教育委員会——今大臣は、これは非常に不熱心だったというお話がありましたが、私どもの地方などでは教育委員を選ぶのに非常に熱心でした。少くとも直接選挙におきましては、労働者の諸君も自分たちの代表にふさわしい人を選ぶことができた。けれども先ほど来のお話のように、職業別に見ていくと、いわゆる労働者代表というものは一人もいないじゃないか、こういうのは国民としてもいただけないのじゃないか。そうして一々文部省のやって参りますことが指導、助言、援助範囲を逸脱して支配をしようとしておる。教科書の法案にいたしましても、この教育委員会の問題にいたしましても、あるいは今度の勤評の問題にいたしましても、その他万般のことがそういうにおいが一ぱいする。私はにおいのするのは当りまえだと思うのです。文部省の企図しているところは、これは大臣の発言の一斑にもうかがうことができますけれども、要するに日教組によって日本の教育のいろいろな方針というものがきめられるような情勢にある、これを事実においてそういう形になっていくような情勢にあると判断なさっている。私はこの判断は間違っていると思いますけれども、判断なさって、それをもう一度文部省に取り返そうというのが大きな目的であり、また事実そういうような意味において日本の教育文部省が支配するようにしよう、もっと露骨に言えば、今日の政権を握っている自民党が支配しようとしていなさる。そこに今日の教育の現場の混乱の根本の原因があるというように考えられるのであります。だからそういうにおいのするのは当りまえで、事実それをねらっておる、やろうとしておる。——それはともかくとして、次に地方行政の委員会があるそうで、一時までにここをあけろという今あれがきておりますから、私も徳義を重んじて、まだ私の質問は四分の一にも達しておりませんけれども次会に譲りますが、少くとも任命制になった結果、都道府県の教育委員会の委員の中に労働者の代表というものが入っておらぬ。何と抗弁しましょうとも、直接選挙によります教育委員の選挙に対して国民の関心が薄かったからこうしたのだとおっしゃっても、国民の五 〇%以上を占めておる、いなおそらく、六〇%も七〇%も占めるといってもよろしかろう、この農民及び労働者——農民を入れますと九〇%以上になると思いますが、少くとも五〇%以上を占めます労働者の代表が入っておらない今日の日本の教育委員制度の態勢というものが不備だということは、これは何と抗弁しましょうとも言えるわけであります。だから文部省指導、助言を一生懸命になさる、ことに教育委員会に対しては、なかなか力強い指導、助言をなさる。私どもはこれは指導、助言じゃないと考えるのだが、きのうの新聞を見ましても、勤評問題その他についてなかなか強い御指示をなさっていらっしゃる。特別昇給から任免権の強化から教組の専従員の対策まで、なかなか強い御指示をなさるように思われる。そういうほどの指導、助言、援助をなさるならば、少くとも県の教育委員には労働者の代表を二分の一以上入れろ、こういうような指導、助言をなさるべきだと思うのです、国民の数から申しまして。そこまで私は今日言おうとは思いませんが、少くとも都道府県の教育委員の任命に当っては、労働者代表を相当数入れることが望ましいというくらいの指導、助言は当然なさるべきだと思うのです。これをなさらないならば、文部省教育を支配しようとしておるのだと言われても、これは言いわけ立ちますまい。国民の大多数である母語%以上のものの代表が入っておらないというこの事実、こういう重要な欠陥というものは、職業別に調べてみればすぐわかる。教育長の問題でも私は言わなければなりませんが、これはこの次にいたしますけれども、少くともそれだけの指導、助言はなさるべきだと思う。労働者の代表を都道府県の教育委員に入れるべし、入れることが望ましいというだけの少くとも指導、助言をなさる御意思があるかどうか、それを承わっておきたい。
  93. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 教育委員の選任に当りましては、これはもうほんとうに教育委員としてふさわしい人を当該市町村長なり、あるいはまた市町村会なりで十分考えてもらいたいと考えておるのであります。ただ特定の範疇の方々をぜひこれだけ入れろというふうなことを文部省として申しますことは、私は行き過ぎだと思いまするので、教育委員の問題については、たとえば、婦人の入り方とか、あるいはお話のございました労働組合の代表者の入り方とかいうようなことについては、いろいろの見方が現実にあると私は思います。この上とも、教育委員としてほんとうにふさわしいように十分考えてもらいたいということの一般論としては、文部省としても心して対処して参りたいと思います。しかし、特定の方々に対してもう少しこういう方面をとった方がよかろうというようなところまで申すのは行き過ぎだと考えております。
  94. 臼井莊一

    臼井委員長 本日はこの程度とし、次会は公報をもってお知らせいたします。  これにて散会いたします。     午後一時十二分散会      ————◇—————