○
加藤(精)
委員 文部
予算の
説明を拝聴いたしますと、いかに文部省の仕事が広範な
事項にわたるかということを痛感するものでございまして、それほど広範でございますので、個々の問題につきまして非常に掘り下げて、突っ込んでそれについての政策を研究するということが、いかに超人的な大臣でございましても、また秀才の官僚でございましても、困難なことをしみじみと感ずるものでございます。
〔原田
委員長代理退席、
委員長着席〕
それで思い切って、われらが選挙した国会が作り上げた政府に対しまして、国民は協力しなければならないということを痛感するものでございまして、ことごとに政府の説に反対々々といって、反対のみに終結しましてこれを妨害するということは、国家の能率に非常に影響するということを感ずるものでございまして、正しき意味におきましての正当な意見、ためにするための反対じゃない、ほんとうの国民の声を代表した反対とか質問とか、そういうものはもとより民主主義的に尊重せらるべきものでございますけれども、妨害のための妨害というようなことがあるような感じがするのでございます。(発言する者あり)発言は国
会議員の自由でございます。かれこれそれをも妨害し、あるいは暴力を加える等のごときは国
会議員の本分に反するものでございまして、何も徳目
教育をやるわけじゃないのでありますけれども、その点十分に御了解を願います。
質問の内容であります。いかに文部行政がやりにくいか、いかに歴代の文部大臣が実績を上げにくいかということでございまして、われわれは当面差し迫ったたくさんの
教育緊急問題があると思いますが、われわれの信任して選出したる内閣、選出したる各国務大臣に思う存分手腕を振わせるというイギリスの議会制度のごとき、そういうふうな美しい情景を日本の国の政治にも私は期待するものであります。そういう意味におきまして、広範なる文部行政の中におきまして、なおもわれわれは与党、野党とも政府にいろいろな意見を反映して、こうやって育て上げたりっぱな
昭和三十四
年度予算と思いますけれども、なおもそれにつきまして、われわれが編成協力後いろいろな感想を持つことは当然でございます。
それにつきまして、いささか
予算の内容そのものにははずれるかもしれませんけれども、そしてまた間接には相当
予算の内容とも関係する問題で、学童の安全の問題を
一つ取り上げて、新しき大臣の新しきアイデアをお伺いしたいものでございます。全国に約五万数千の鉄道踏み切りがあるということを聞いております。しかも鉄道にあらざる大都会の電車、自動車等の非常にひんぱんに往復するところの踏み切り、すなわち
児童横断路というものが数多くあるということを聞いております。手近の東京都につきましても、数千の横断路があるということを聞いておりますが、特に改善を要する横断路ですら数百を数えるということを聞いております。われわれ毎朝国会に通勤いたしますにいたしましても、近時自動車交通の激増から見まして、この学童の危険につきましては憂慮にたえないのでございます。最近の新聞、ラジオ等によりましても、学童がしばしば東京都におきましてもハイヤー、トラック等によりましてはねられて重傷をいたし、また死亡をいたしているのでございます。私考えますのに、国家の行政は国民の生命、身体の尊重ということに最も
重点があると考えているのであります。この個々の動物的、肉体的生存の上に、あるいは種々な精神的な要素が加わり、そこに思想、文化も花が咲くのでございまして、個々の活存、生活というものを守るということはこれは国家問題の基礎じゃないか。それより非常に進化した段階におきまして、あるいは芸術を楽しみあるいは宗教を楽しむということになりますれば、あるいはこれは国家問題を超越しまして、世界共通の、価値の世界を追求するという面になるかもしれませんが、そのどこまでが国家問題であるかということは、これは私よくわかりませんが、哲学の世界で考究すべきものと考えるのでございますが、さしあたり
児童の生命を守るということは、国家として最も重要な問題になると思うのでございます。そういう意味におきまして、この鉄道踏み切り及び都会における学童横断路の問題、これは
児童教育上重大な問題でないか。先ごろ私ラジオで承わりますと、ある区に
児童横断路がございまして、そこで停止信号があって安心しておったところが、そこヘトラックがとまらないでやってきてひかれてしまった、その子供の言うことに、自分はもはや大人を信じられない、それから標識を信じられないと言うたということでございます。これを聞きました東京都の当該係官は、繊断路という場所において、生活に即して、実際に即して安全
教育をやるべきだということを言うているのでございます。私は
教育学の専門家でもございませんけれども、知能の低い、まだ幼稚である
児童生徒に対して、そういう危険な場所で安全
教育をやるということは、果してトラックの乗組員あるいはハイヤーの操縦者が非常に良質の注意心を持っているか持っておらないか。あるいは性質粗暴であるかどうか。あるいはそのときにどれくらいの車両が錯綜しているか、そういうふうな非常に複雑な条件の中で、そうしてその中において安全を守っていこうというそういうむずかしい環境の中に、危険な環境の中において、安全
教育をしていくことを
学校と
児童に要求することはきわめて困難であろうと思うのであります。鉄道踏み切りにつきましては、第一種から第四種まであるそうでございまして、第一種は踏切番の小屋がございまして、そこに踏切番がいて、遮断機の上げ下げをそこで操作する、そういう周到な鉄道踏み切りであるそうでございます。それからあるいは自動警笛とかあるいは交通巡査と学童との共同でやるところ、あるいはもっと細部に言えば、特に登校、下校の時間、そういうときだけ警察官が警戒する、指導するというような各種の種類があると思うのでありますが、どうしても自動警戒装置の必要な場所におきまして、それを一個
設置するのに相当な
金額がかかる、東京都のそういうふうな学童横断路の危険を排除するためには、数十億に上る
経費を要する、それで、そういうふうな学童横断路の災害予防装置をいたしますためには、現在の東京都の
予算では、年に二カ所くらいしか
設備できないということをラジオで言うておったのでございます。こういうようなことは、
経費の不足ということではとうてい看過できない問題じゃないか。特にこういう問題につきましては地方債の公募債でもいいから認めて——その公募債は大都市の必然性からくるのでございまして、また大都市の財政は比較的伸張力があるのでございますから、大きくこの起債を認めて、思う存分な解決を一両年の間にやってしまうことが先決じゃないか。これをわれわれ
文教委員や文部省が、大都市に向って、何とかしてこれは決議でもって要求するというようなことに進んでいただくわけにはいかぬかということを考えるのでございます。
学校教育というものは、もともと
生徒の幸福を増進すべきために存在しているものだと考えるのであります。ところが
学校教育の環境
整備が、もし安全という見地から見まして非常に有害なものであるならば、かえって
学校があるために
生徒は不幸になるのだ。私、若いときに、教室に結核の子供が非常にたくさんできる、しかも教室の前列から向って二番目の列と三番目の列に一番結核の子供ができる、それは
学校の先生が結核であって、その飛沫が二列目と三列目に一番飛ぶ、そこで、そこに濃厚感染が発生したということを聞いたことがございます。また有名なリューベック事件というのは、水道の水に結核菌が入りまして、その
学校の
生徒が大量に結核になったという世界的な事件があったそうでございます。そういう例をとりますれば、
学校というものの存在が、健康的な幸福な子供をたくさん集めてきて、そこで結核菌をまき散らすことによって学童を不幸にするということになるのであります。それと同時に自動車交通、汽車の交通、そういう交通が学童を危険な状態に陥らしめて、
バスと電車とトラックと、そういうものの中に子どもがはさまれて重傷を負う、生命を失うというような関係がある場合に、そういうところを通らせるということは、すなわち幸福な
児童を連れてきて、そして危険な目にあわせるということに、結果におきましては、
学校の機能がなるわけであります。
学校というのは
教育を授ける場所であるばかりでなくて、子供の順調なる健康の成長というような問題、あるいは社会
事業的に、社会政策的に子供の生活を援助するというような、単に
教育事業としてだけでなしに、より社会的な有意義な機関でなければならぬということを痛感するものであります。そういう意味におきまして、もしある
市町村がその
市町村の議会の議決を経て、自動車交通の非常にひんぱんな国道の周囲に
学校を建てまして、そして大多数の、七、八割の
児童が跨線橋とか危険な魔の踏み切りとかいうところを通ってその
学校へ通わなければならぬというようなことになるならば、それは
学校の位置そのものが学童の身体生命の危険性を激増させるものでございます。現在の
小学校、
中学校配置の現状におきましては、また
市町村の行政の実際におきましては、われわれも六年数カ月
市町村の
学校の
配置その他について苦労して参りましたが、なかなか敷地の購入が困難でございまして、そうした踏み切りとか跨線橋とか、自動車交通、汽車交通の錯綜地帯とか、そういうものを避けると
学校建築の好適な敷地を見つけることができなというような場合が非常にあるのでございまして、その結果安きにつきやすいのであります。そこで
学校整備はこれから五カ年間に画期的に行われるのでございますが、その場合、
町村合併の成果ともにらみ合せまして、
危険校舎を
改築移転する場合もありましょう、また新しく敷地を求めて
統合して
小中学校を作る場合もありましょう、そういう場合に文部省はこの安全
教育の見地から、また最終的には
学校の目的である
児童の生命身体の危険防止という面から、こういう五カ年
計画の当初においてこそ、画期的な御
施策があってしかるべきものだと考えておるのでございます。私たち、事
文教に従う国
会議員は、ラジオや新聞におきまして学童の踏み切り事故や横断歩道の事件を見聞きしますときに、また警視庁の前その他で、きょうは交通事故でどれだけ死亡した、重軽傷が何名あったということを見ますときに、一日も早く、学童の身に迫る危険を何とかして防止しよう、こういう非常に強い、そして何とも言えない、やむにやまれないような改善の要請に胸が一ぱいになるのでございます。われわれは、事
文教に関しては社会党、自民党というような区別をあまり重要視しておりません。われわれは同じようにヒューマニズムに立ちまして、わが国の学童の幸福を願うものでございます。こうした通学路における鉄道踏み切り、都会地の学童横断路の危害予防、安全
教育、これに対しましての行政、財政
措置というような面につきまして、新しい大臣の御抱負を承わりたいと思いまして、きわめて尽さない質問を申し上げるわけであります。