○長谷川(保)
委員 先ほどちょっと申しました矢内原先生の文章がちょうどここにございます。「「法で定めてあることを行うのは行政の任務である」と
文部大臣や内藤
局長は言ったが、法と行政の間に「
政治」というものがある。民法や刑事法については、法の
適用は司法権にあるが、行政法規については、実行の
程度や
方法や時期をきめるのは、
政治問題であることが少なくない。
政治を通して、初めて技術的な行政面に出てくるのである。」前後は長いのでありますが、こういう文章であります。私はやはりこれは傾聴すべき文章だと思う。だから泥沼から脱する
方法といって、どうも日教組が改めてくるよりほかにないんだというような
お話でございますが、それではあまり芸がないというものだと私は思うのです。どうも
政治家の言うべきことではないように、失礼ながら私には
考えられる。行政の事務官ならともかくだから
局長、
課長さんの言うべきことであって、大臣としてはやはり大所高所からこの泥沼をどうやって脱するかということについて、まだまだただいま矢内原先生のおっしゃるような
配慮をすべきではないか。もう一方的に、どうしても日教組が悪いんだから、日教組の
指導者は
一つ考え直してこいということだけで解決するものなら、今日解決しております。けれ
ども、様相はいよいよ私は険悪だと思う。なるほど多くの県がすでに勤評を
提出したとか、勤評のやり方をきめたとかいうような
お話も、このごろよく伺いました。しかしそれは決して教員は納得したんじゃないんです。そのことを私
どもはよく
考えておかなければならぬ。問題は
教育の能率を上げ、効果を上げることですから、
地方自治体の運営の能率を上げ、民主的な運営をさせるということですから、権力で上からおどした、刑事罰、行政罰だということで屈服しても、それは少しも民主的なものとして解決したのではない。でありますから、大臣としては、私
ども率直に歯にきぬを着せずにいえば、そこがいけないのじゃないか。これも大へん失礼な言葉でお気にさわると思いますけれ
ども、きょう私はできるだけまず
文部大臣と私
どもの話し合いの場を作りたいと思いますから、穏やかに申し上げるのでありますけれ
ども、しかし大へんここにはきつい言葉がありまして、お気にさわるかもしれません。十七日の朝日の天声人語に、「神奈川県の
教育界が編み出した
教育活動に関する記録の自主的、話し合い的評定方式は、
教育の庭に最も大切な明るい人間
関係に道を開いたものと思われるのだが、
文部省はこれを
法律に違反するものとして排撃している。そういう石頭では、
教育上の混乱は救えない。今日の
教育界に何よりもまず緊要なことは、子供本位の明るい人間
関係の復活である。」こういうように書いております。今のお答えを伺っていると、どうも失礼だが、やはり石頭だという感じがするのであります。それでは
政治家ではない。もう
政治界の大長老でありますから、私は
灘尾さんはやはりもっと
政治的な
配慮というものをこの際とるべきじゃないか。あるいは自民党さん、あるいは
文部省の官僚諸君から突き上げられるのかもしれませんけれ
ども、この間の星島前
議長が、ほんとうにやるべきことをやらなんだ、たとい監禁されても断固としてあそこで命をかけなんだというところにあの悲劇が大きく広がっていった。そして星島君の、ある
意味では——私は同信の友でございますけれ
ども、星島君の
政治家としての地位は全く失われたというような形になった。その轍を大臣は踏まれてはいけないと思います。やはりこういう問題をどこで収拾するか、どうして
教育をほんとうに本来の静かなる、子供たちにとってほんとうに幸いなる
教育に戻すかということについて、今こそ全力を尽すべきときである。今こそ一切を忘れてそれに熱中すべきときであって、単に日教組にやめてこいといったって、日教組でもそうなればやめられるものでもないでしょう。そういうことではなくて、お互いにここを話し合いの場として——国会だけではない、日本の天下全体が正常化していく必要がある、
教育界が正常化していく必要がある。天声人語に「そういう石頭では、」とこういわれておる。大変失礼な言葉でありますけれ
ども、今の
お話を承わっておると、まことに申しわけないことでありますけれ
ども、私にもどうもそういう感じがする。多分天下万人そういう感じがすると思うのであります。でありますから、私はここでもう一度お
考え直しを願わなければならぬと思うのであります。今の
お話では、日教組が悪いのだからもう一度悔い改めて出てこい、その主張を下げてやってこい、こういうことでだれが解決すると思っておりますか。きょうは自民党の諸君だれもおりませんけれ
ども、自民党の諸君でもおそらく——おそらくそうはお
考えにならぬ。だれでも今の
お話で解決するなんということは思いませんよ。だから今の
お話は、私が
お尋ね申しました、どうやって泥沼から脱却するつもりだということのお答えになっておらぬのです。しかし時間もあることでありますから、少し先へ進んでいきましょう。また後ほどそれらの点についてさらに論議をいたしましょう。
私は、
文部省は少し勘違いをしていると思う。それは、
国民は教職員の勤評に賛成だ——この数日の
お話を承わりましても、また前国会の
お話を承わりましても、どうもそういうふうに勘違いをしておる。
国民は、そうじゃありませんよ。
国民は教組が休校をする、
学校を休むということに対して反対をしました。これは、大部分の
国民が反対をしました。私は賛成しましたけれ
ども。私は、私の子供は
学校へやりませんでした。わずか一日や二日のことで、日本の
教育の大
方針が変な方へ曲っては困ると思ったから、子供はやりませんでした。よく話をして、子供は納得して、行きませんでした。けれ
ども、
国民の大多数は、事の重大性ということを十分にお
考えになったかならないか知りませんけれ
ども、ともかくも教組が
学校を休む指令を出したことに対して、これに対して反対しました。これはまさしくあなた方のおっしゃっている通り
国民大多数は反対しました。そのことを
勤務評定に賛成したと思ったら大きな間違いです。
勤務評定に対しましては、すべきである、すべきでないという論議はまだまだ不十分だと私は見ております。私自身は、
国民全体としてはまだ不十分だと思う。不十分のうちにこれが非常な泥沼闘争に入ったところに、教組が非常に苦境に落ちた原因があったと思います。もし教員の
勤務評定は
一般の
勤務評定と本質的に違うのだということ、本質的にはできないのだということ、そういうことが十分
国民の中にPRされて参りますならば、また事態は違って参ります。
国民が反対をしましたのは、
学校を休むということです。それを、
文部省ではさも
国民が勤評に賛成したというようにお
考えになっておるように、このごろの御答弁を伺っておると感ずるのでありますが、そうでないのです。
国民がこれらの問題につきまして十分な理解をもって勤評に賛成しているなんて思ったら大間違いだ。教職員諸君は、今日決して納得しておりません。全体として決して納得いたしておらぬ。大多数が納得しておらぬ。ともかくも多くの県において、教組がある
程度ほこをおさめておりますのは、
一つは、
教育の混乱を避けたいという彼らの純粋な
教育に対する愛情です。何とかして
教育の混乱を避けたい。第二は、行政罰や刑事罰を受けたくない、ことに刑事罰を受ければ教職員はできない。こういうことからして、多くの
地方において一応ある
程度ほこをおさめておりますけれ
ども、決して納得していないのです。これをもしあくまで
文部省の言うことに従ったの、だ、権力に屈服したのだと思うかどうか、そう思ったら大きな間違いです。従ってこういうことで収拾して
教育が成果をあげる、能率をあげると思ったら大きな間違いだと思う。
私はきょうは議論のために議論をするのじゃない。どうやってこの問題を収拾するかという
意味で議論申し上げているのであります。従って良心に従ってほんとうに議論したいと思うのです。
文部大臣は一部勤評反対のほこをある
程度おさめたのを納得しておさめたと思っていらっしゃいますか。教員は納得してそれに従ったと思っていますか。この点良心に従って——ごまかしても何にもならない。お互いに議論に勝っても何にもならない。議論に負ける勝つよりも、どうやって問題を解決するかが大事なんですから。きょうは与党とか野党とかいうことじゃないんです。私は一国
会議員として問題を憂えて
質問しているわけです。ですから、ほんとうに教員は納得しておらぬと思うのでありますが、大臣はどうお
考えになりますか。