○
石山委員 私は社会党を代表いたしまして、
防衛庁設置法の一部改正、それと
自衛隊法の一部を改正する二
法案について反対をいたします。
自民党
政府諸君が、今さらのごとく国家の自衛権云々を口にしているありさまを見ますと、そこに何らの進歩がない。依然として人類創始時代のアダム、イブの裸体時代の本能論を展開しているにすぎない。しかもなぐられたらなぐり返す、じゃまものは殺さなければ安心できないという軍備論だから、現代人としては幼稚きわまるものです。われわれのごとく近代科学と文化を考えているものから見れば、何ゆえに自民党や
政府諸君はなぐってくる相手に対して身をかわすことのできるという工夫をしないだろうか。なぐられる以前の仲よしクラブの結成などをなぜ考えないだろうか。軍事的中立を国是として平和産業育成を経済の支柱とすることをなぜ考えないだろうか。軍事的中立地帯を設けるということも一考すべきであろう。ソ連、中共、北鮮、北ベトナムを含め、アジアの利害
関係を持つ米英仏との話し合いと、またはアジアの集団安全保障などをなぜ考えないだろうか。しかるに
政府は、人間本能の自衛権に事かりて、
政府の統一見解を本
委員会に出したが、その言葉にいわく、座して自滅を待つということは
憲法の趣旨ではなかろうなどという、殺されるときは
防衛上どんな手段も許されるのだということでしょう。こんなことは国会
論議以前のことでございます。
憲法論や
法律論ではございません。国政を
論議し、国家の将来を憂える政治家の言葉ではないでしょう。どこに
国民を指向する高さというものがあるでございましょうか。国の政治に
責任を持つものの言葉ではないです。むしろ皆さんは、
核兵器の惨禍を説明し、
核兵器を持たねば戦いに敗北するなど脅迫しているではありませんか。よく
防衛することはよく攻めることにありと昔からいわれているが、これは戦争行為の
基本として
政府は大事にしていると見えます。
自衛力は相対的なもので、四囲の情勢、環境に支配されると答弁をしておりますが、これは戦術情勢論でございましょう。政治論であって、
憲法の解釈ではございません。戦争はしないのだという大前提の中から生まれた
憲法なのでございますが、その中で許された
日本の自衛権であるはずでございます。
日本人の自衛権は、敗戦により弱者の弱きから生まれたものではございません。われわれの自衛権という、それに伴うところの
自衛力は、戦争から学んだとうとい教訓として、
日本国民の生活の安定と世界平和に貢献するという念願でございます。それを戦争準備の拡大解釈を行なっていこうとするところは、まことにおそるべきものがあると感じられるのでございます。
政府の言う
自衛力は相対的だという。これは世間でいうところの攻撃力というもの、一方的な破壊力を持つもののみに通ずるということでございましょうか。
政府の
自衛力は四囲の情勢に支配されるというが、世上にいわれている攻撃力は、四囲の情勢を抜きにする強力な戦闘力を持つもののみを言うのでございましょうか。だから
政府の言う最小の
自衛力というものは、相対的と四囲の情勢によって、それにプラス・アルフアという恐怖観念から、最小の
自衛力というものは最小の攻撃力と発展をし、最大の破壊力を持つ
武器を有さなければ安心ができないという道を探しているようでございます。
このごとくに
政府は
憲法を正当に解釈せずして、表面に対座をして論じてはおりません。小手先において、言葉のあやでごまかそうとしております。
憲法と
日米安保条約は異質なものであるから、
憲法は犯されていないのだなどというしかし
安保条約、
日米行政協定を見てみますると、
日本在住の米軍の姿を見てみますと、
憲法がいかに無視されているかということは、これは異質などという一片の言葉では片つけられない問題だと私
たちは思っております。
憲法と
安保条約は異質であるからなどといって詭弁を弄して、てんとして恥じない自民党あるいは
政府の諸君の言い分は、世上ではこれを三百代言と申しております。私
たちはこういう連中は隣組では相手にしないのですが、国政の場合はかかるごまかしを許すことは、
国民の権利、経済にすぐ響き、また生命と財産にも影響する重大な問題でございますから、三百代言などといってただ侮蔑したのみではいけないのであります。これは厳重にある意味では規制をしなければならないことだと私
たちは考えているのでございます。
国民の税金は大切なのでございますから、有効適切に使用しなければならないのでございます。今回は
自衛隊をば一万二千人増加をいたしまして、
予算も百五十九億八千万を増加をいたしました。しかしこれはジェット機を多く持つ国あるいは原子爆弾を持つ国、弾道弾を持つ国、誘導弾を持つ国から見れば、及びもっかないのでございます。ですから皆さんは言うでございましょう、だから
アメリカが大切なんだと。自己の微力を補うために大国の力を借りなければならないという言いわけをしているのでございます。そして米国の駐留軍をかなりにありがたがっている顔つきでございます。その大国は、思想の自由を看板にしながら、共産主義は人類の敵だと言っております。すると岸
政府と自民党は、オウム返しに反共主義のチャンピオンはおれ
たちだ、こういうふうに言うのであります。大国におもねる余りに、社会党の中立政策も共産主義のためにする言葉であるなどとよく言うのでございますが、もちろんこれは、大国によく思われたいための外交政策や
防衛増強をやるのですから、
国民の平和の願望と貧弱な
国民生活から見た無理押しを通そうとするのですから、その
責任感、自責感から来るところの過労で目の色が変っているから、社会党をたまさか赤く見えるのだろうと思って、われわれは
国民生活の向上のために一生懸命はせ回っていて忙しいのですから、そうかもしらぬというふうにわれわれは気にしなかったが、自民党
政府は大国におもねる余りに、大衆行動や個人の権利や生活を圧迫するところの警職法などを出したが、やつらも苦労しているのだからあやまちを犯すなどといって、同情づけで済ませられないことでございます。
防衛計画と国防費の急増、これは国内的に岸保守政権への反対となりましょう。外交的には反共政策をわが国へ持ち込む大国をば頼みにしているのでございますから、この大国の米国等に対して反対行動を
国民が起すのは当然でございましょう。これを押えるのが警職法なのでございますから、警職法を失敗した岸政権に対しては、米国上層部では信用ががた落ちというが、さもありなんといういうところでございましょう。まことに
日本民族のいい恥さらしをしたものでございます。しかも
与党議員が
自衛隊を
国民の大衆運動に関与さすがごとき誘導尋問を長官にしていることは、まことにおそるべき謀略が含まれていると思います。
自衛隊が保守党権力の代行
機関になることは厳に戒しめなければならないと思います。
国民の意思と
国民生活を無規した
防衛論はあり得ない。
政府与党は国防
関連産業による経済の繁栄を夢みていますが、これは時代錯誤もはなはだしいことであります。これからは、輸出のできないような産業に過大な投資をすることは、
日本経済が
国民生活に寄与するどころか、いたずらに
国民生活を犠牲にするでございましょう。
ここで私は戦闘機の機種問題等を、あるいは天川事件などを論ずる時間のないのは残念でございますが、
防衛庁のような大機構を持ち、
日本の国の中では一番の大きな
予算を持つ
防衛庁が、本職の
研究者がいないのかどうか知りませんが、一野人の
研究家に機械の問題が牛耳られているということ、しかもここに汚職の問題があとを引きまして、森脇氏という人に大言壮語されておる。おれが一言すればそれらの
関係の役人が三十人も首を切られるなどと放言をされながら、何らそれに対して明確な答弁のできないような
防衛庁の
内容は、私はある意味では一新しなければならない、こういうふうに思うのでございます。それが払拭されまして、新しい意味の
日本の
防衛というものを考える時期がくるのではないかと思います。
日本の国防と
防衛隊の増強は、私は
日本の資本主義と保守政権の罪悪と二つ並べられることのないようにしたいものだと考えております。その冷酷な日常が
日本国のためだという、そのことのために身を打ち込んでいる一兵卒に、
国民の敵となるような
立場を与えないようにしたいものでございます。戦場へ行かねば税金をむだ使いしているのだ、だから戦争をというふうな考えを持たせるような教育はしてはいけないのではないか、こういうふうに思います。その点、今回の
予算増額、人員の増加、統幕の
強化、それらに対して、いずれの点から見ましても、
日本の
国民生活の安定と世界平和のために寄与するという面が少しも出ていないのでございます。残念でございますが、極言すれば、税金を浪費をいたしまして、
国民の負託にこたえないというのがこの
防衛二
法案でございますから、私
たちとしては断固として反対せざるを得ないという
立場をば表明して、討論を終る次第でございます。