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1959-03-06 第31回国会 衆議院 内閣委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月六日(金曜日)     午前十時四十九分開議  出席委員    委員長 内海 安吉君    理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君    理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君    理事 受田 新吉君 理事 木原津與志君       今松 治郎君    植木庚子郎君       小金 義照君    纐纈 彌三君       始関 伊平君    田中 龍夫君       富田 健治君    橋本 正之君       船田  中君    保科善四郎君      茜ケ久保重光君    石山 權作君       中原 健次君    西村 力弥君       八木  昇君  出席政府委員         法制局次長   高辻 正巳君         総理府総務長官 松野 頼三君         総理府総理副長         官       佐藤 朝生君         総理府事務官         (特別地域連絡 石井 通則君         局長)         宮内庁次長   瓜生 順良君         経済企画政務次         官       河本 敏夫君         大蔵政務次官  佐野  廣君         大蔵事務官         (大臣官房長) 石野 信一君  委員外出席者         大蔵事務官         (大臣官房財務 大月  高君         調査官)         専  門  員 安倍 三郎君     ————————————— 三月六日  委員柏正男辞任につき、その補欠として西村  力弥君が議長指名委員に選任された。 同 日  委員西村力弥辞任につき、その補欠として柏  正男君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  総理府設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第七〇号)  経済企画庁設置法の一部を改正する法律案(内  閣提出第七一号)  大蔵省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第七二号)  厚生省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第一二九号)  南方同胞援護会法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一三七号)  日本国憲法第八条の規定による議決案内閣提  出、憲議第一号)      ————◇—————
  2. 内海安吉

    内海委員長 これより会議を開きます。  大蔵省設省法の一部を改正する法律案経済企画庁設置法の一部を改正する法律案南方同胞援護会法の一部を改正する法律案日本国憲法第八条の規定による議決案総理府設置法の一部を改正する改律案の各案を一括議題として審査を進めます。  経済企画庁設置法の一部を改正する法律案に対し、平井義一君より修正案提出されております。この際本修正案議題とし、提出者よりその趣旨説明を求めます。平井義一君。     —————————————
  3. 平井義一

    平井委員 経済企画庁設置法の一部を改正する法律案に対しまして、修正案提出いたしたいと思います。  案文の内容はお手元にお配りしておりますが、朗読いたしますと、    経済企画庁設置法の一部を改正する法律案に対する修正案   経済企画庁設置法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。   第十四条第一項の表の改正規定九州地方開発審議会の項を削る。 というものであります。  その理由は、国土総合開発特別委員会において、小澤佐重喜君外六十二名提出にかかる九州地方開発促進法がすでに議決されておりまして、本案中の関係条項である九州地方開発審議会を削除することが適当であると認められたからであります。
  4. 内海安吉

    内海委員長 原案及び修正案について御質疑はありませんか。——質疑がなければ、これにて原案及び修正案についての質疑は終了いたしました。  これより経済企画庁設置法の一部を改正する法律案及び修正案を一括して討論に入るのでありますが、別に討論の申し出もありませんので、直ちに採決いたします。  まず平井義一提出修正案について採決いたします。本修正案賛成諸君起立を求めます。     〔総員起立
  5. 内海安吉

    内海委員長 起立総員。よって平井委員提出修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除く原案について採決いたします。これに賛成諸君起立を求めます。     〔総員起立
  6. 内海安吉

    内海委員長 起立総員。よって修正部分を除いては原案の通り決しました。  これにて経済企画庁設置法の一部を改正する法律案は修正議決いたしました。  引き続き各案につきまして質疑を許します。八木昇君。
  7. 八木昇

    八木(昇)委員 あとで同僚委員からも質問がございますので、総理府設置法の一部を改正する法律案のうちで、主として皇居造営審議会に関する部分について若干御質問をいたしたいと思います。  私三、四日前にこちらの委員会の方から、皇居内を若干視察をさせていただいたわけであります。そこでいろいろと感ずることもございました。しかしその際二、三伺いをいたしました点から私の感じとして受け取りました点は、今回の皇居造営審議会を設けられるについて大体の政府当局大筋の概念というか、そういうものがあまり確立されていないのではないかという感じが実はしたのであります。といいますのは、たとえばここに審議会を設けまして、委員を二十五人選び出して皇居造営についての審議をしてくれというふうに野放しに問題を投げ出してみたところで、たとえば政府は一体幾ばくの予算を出し得るのであるかという問題一つとらえましても、それは莫大な金をかければ理想的なりっぱなものができるのでありましょうし、また予算の規模について非常に小規模な限界内であるとすれば、またそれに相応するような一つ構想というものが出てくるでありましょうし、要するにここで審議会を設置しようというからには、大体それを提案した政府当局一つの大幅な、根本的な構想といいますか、そういうものの概略がほぼ示されないと、私どもとしては非常に審議しにくいわけです。もちろん選出せられた委員人たちだってやはり困るだろうと思います。そこで大体の根本的な大筋考え方について長官あるいは宮内庁、両者からまず大要御説明を願いたい、こう思います。
  8. 松野頼三

    松野政府委員 皇居造営審議会で今回いかなる皇居造営するかということは、おそらく非常に大きな新しい問題でありますと同時に、構想といって も、その構想八木委員御承知のごとく、実はなかなかむずかしい問題であります。私個人としてどうだというならば、私も一応提案者としてある程度構想は持っておりますが、どの程度で、予算幾らだと言われると、なかなかこれは申し上げにくいほど多くの問題が残っております。概略的に申しまして、諸外国の例をとり、また日本の今日の立場考えて、それに相応するものを作るべきだということは常識的におわかりだと存じます。そのために過去二年間諸外国のいわゆる皇居に匹敵するような宮殿の実情を調査に参ったわけであります。同時に日本の過去におきます皇居というものの伝統も、当然日本国民として考えなければなりません。従って外国の模倣をするということにならずして、しかも日本伝統を生かした一つ構想考えて参りますと、相当大きなものになると私は考えております。軽薄なものをただいたずらに、諸外国の例がこうだからという、その例ばかりにたよるわけにも参りませんし、といってあまり時代的なものを作るわけにも参りません。そういう考え単価幾らで、どの程度予算かということは、これは計算をしなければわかりませんが、私は相当りっぱなもので相当大きなものになるという考えを持っておりますが、それでは大きいといって何千万ということにするのか、これも膨大な予算国民感情も一応考えなければなりませんので、皇居として、おそらく今日の日本財政事情考えて質素なものにという御意見も出ておりますか、それと私のいう国民感情もあわせりっぱなものを作りたい、こういう考えでおりますが、さて予算単価となると、品物にもよりますし、使い方にもよりますし、数字は申し上げられない。しかし私はこの際りっぱなものを作りたいという考えで、その意味審議会の方に案を出し、審議会の方に委嘱したい。と申しましても、千億なんという、日本財政から考えて十年も二十年もかかるようでは、これは間に合わない。さしあたり五年くらいの間には造営可能であり、予算財政すべてにおいて可能だという常識的な考えで私は考えております。五年程度で完成をみたい。予算も五年間の間には財政の消化ができる限度にしたい。そうしてその中に内容を盛って充実させたいという構想を私は持っております。その単価数字というものは、これは今日の場合申し上げるまでにはとても至っておりません。なお申し添えることがありますれば、宮内庁からも御答弁をお願いいたします。
  9. 瓜生順良

    瓜生政府委員 皇居造営審議会ができますれば、その審議会宮内庁事務当局でまずいろいろ調べました素案を出しまして、それについていろいろ御批判も聞くというようなこともやろうと思っております。その素案は今作っている最中でありまして、審議会が発足するまでには何とかまとめたいと思っております。従ってその場合に大きさはこれくらい、こういう部屋がこうこうになる、あるいはその建築様式もこういうものがいいのではないか、あるいはこの費用は、材料にはこういうものを使うとこれくらいになるということで、大体のめども一応のお話をすることができるようになろうかと思っております。
  10. 八木昇

    八木(昇)委員 大体大筋のお考えは一応明らかにせられたわけであります。しかし皇居は戦時中戦災を受けまして灰じんに帰し、その後十数年間一部の営繕を施しただけで今日に至っている。そこでこの際皇居造営しようということに今や政府としてお考えを持つに至られたという以上は、やはり先ほど申されたように、相当りっぱな、あるいは本格的な、相当大きな建築ということを構想せられることは、一応その経過にかんがみてもっともだと思うのですけれども、しかしそうだとしますれば、わずか一カ年間の期限を区切って、そうしてこの審議会予算としても九十七万円ですか、その意味からはまことに少い予算だと思うのですが、こういうことで本格的な審議というものができ得るかということについては相当疑いを持つわけであります。  そこでこの際一番問題になる点は、今総務長官からおっしゃられたように、国は一体この際どの程度国家支出ができるかという財政問題がございます。それからもう一つは、今回の皇太子御成婚を機として相当広範に民意が盛り上ってきておって、その民意の中の一つに、この際一つ皇室民主日本の象徴として相当積極的に民主化の方に向ってもらいたい。それがためには皇居国民一般ともっと親しみ深い、接近した位置に、しかも建築様式やその他についても、そういった国民希望に沿うような形でしてもらいたい、それからまた実際に東京都の交通問題やその他の面からしても、あの広大な旧江戸城というものをあの形のままにしておくことで、この際開放したらどうか、やはりこういう相当強い民意も盛り上ってきている、こういう状態になっているのでありますから、この辺とのからみ合いにおいて一体どういう考えをお持ちになって、これを進めていこうとされるのであるか、その点を一つ明らかにしておきたい。
  11. 松野頼三

    松野政府委員 皇居造営と申しますと、皇居というものがいかなる用途に多く使われるか、もちろん皇室の御住居というよりも、ある場合にはいわゆる儀礼的な儀式が行われるためにどの程度坪数が要るか、そういうことを考えますとおのずからある程度坪数が出て参ります。従って一万坪という数字が一応標準として出てくると私は存じます。これは何千人かの客を呼ぶためには、この程度坪数が必要ではないか。そういう儀礼的なものと逆に用途の方からいいますならば、一応一万坪という程度のものが念頭に浮ぶのは常識だと私は考えております。これを標準に、この一万坪はここがもう少し削れるのじゃないか、ここはこうしたらいいじゃないか、あるいは建築様式によっては建築坪数がより以上効果的に節約できるのじゃないかという、いろいろな議論が今後出てくると存じますが、今日外国の使臣あるいは何千人という儀礼的な国民祝賀会、あるいは祝賀をされるためには、相当坪数が要ることは常識的に出てくると思います。ですからそういうことが一つの設計の基準になることは、これは常識的に確実だと存じます。それに応じて予算というものがおのずから出てくる。あるいは建築様式だとか、あるいは使用いたします材料によってきまる。もちろん国産のものを主として使うといたしましても、相当な年月が要るのではなかろうか。諸外国あるいは国民一つの権威を持つためにも、すべての調度品というものは国産にするにしても、いずれにしても相当な時間がかかるのではなかろうか。それで私は建築期限は、五年程度で何とか完成したいという基準を申し上げたわけであります。坪数はおのずから一万坪というものが基準になって、それに応じた前後が出てくるだろうと私は想像いたします。  なお場所につきましてもいろいろ議論がございますが、今日どこでなければいけないというように断定すべきものではなし、ことに今日の憲法においては、国民とともにあるべきだという感じは、確かに私は尊重すべきものだと存じます。しかしさてそれでは他の地域を選定いたしますにも、これは容易ならぬことで、交通の整備から相当坪数から、しかも国民のシンボルとしての一つの格式を持った造営をしなければならないと思いますので、そう簡単に他の場面といっても、ただ交通上だけでこれを議論するにはあまり軽々過ぎはしないか。といって、交通がどんなに混雑してもかまわないのだというのも暴論でありますから、両々待ちながらある程度今日の皇居位置考えて、造営というものをまず第一案として考えるのが妥当だと考えておりますので、今の皇居位置をまず一応は第一次案とし、さらにそれに応じた造営方式というものを考えるべきだ。もちろん審議の途中において国民すべてから、あそこの場所は非常に困るという感じが出たときには、これは別です。今日の場合はまだあの今日の皇居位置を第一次案ときめてまず審議を進めることが妥当だ、交通の話とか、あるいは国民一般にどう開放するかということはおのずから第二次的に出てくるものだ、こう考えてこの審議会法案提案いたしております。
  12. 八木昇

    八木(昇)委員 ここでやる以上はどうせ相当本格的な建築になるだろうと思うのです。そうすれば、こういった皇居というものは、一たびでき上りますと、だんだん年数がたつにつれてどうしても伝統を重んずることになりますから、やはり五十年、百年あるいは二百年これを使用することが望ましいということになっている。そうすると東京都の交通というのは、これから十年先を考えてさえ大へんなことではないかと思うのだけれども、それへ持ってきて相当本格的な建物ができることになりますと、それを十年先にまた取りつぶすとかあるいは変更するとかいうことは、非常に困難だろうと思う。われわれは何も単に交通面だけを強調するつもりはありませんけれども……。  そこで私考えますのに、六日ばかり前に皇居に参りましても、天皇のお住居は西のはるかかなたの方にある。それから現在の仮宮殿は、今度はまたずっと手前の方にある。何がしかの建物があっちこっち飛び飛びにわずかずつ散在しておる、こういう実は格好なんですね。こういう状態は実際皇居そのものとしても非常に不合理なような印象を受けます。それはそれといたしまして、今度の場合、一年の期間を区切って、そしてさっさと何らかの結論を得ようという以上は、どうも従来ありました皇居位置、すなわち戦災で焼けたその位置にさしあたってまあまあ何とか格好のつく程度のものを作る、こういう、言葉は必ずしも適切でありませんが便宜主義的な、当面のというような考え方で、この審議会提案をなされておるような印象を受ける。これは特に宮内庁御自体としてはどういうお考えをお持ちであるか、お伺いをしておきたいと思います。
  13. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この皇居造営審議会期間を一年間というふうに一応考えましたのは、一応の素案を示しまして、それに対するいろいろ広範な御意見を聞くのにまず一年間あればいいのじゃないかという考え方であったのです。これはしかしいろいろ御審議の過程において、それではどうも不十分だということであれば、さらに延長をすることもできるのではないか。最初の事務案には年限は書いてなかったのでありますが、いろいろな審議会を作って無制限にしておくと、用事があるかないかわからないようになっても、そのまま依然として残っている審議会もあるのだから、一応のめどをつけて期限をきめるようにという関係機関の方面からの御注意がございまして、それでは一年というふうにしたので、絶対一年以上延ばせないという趣旨ではございません。
  14. 八木昇

    八木(昇)委員 それではもう一点確かめておきたいのですが、先ほどの総務長官の御答弁に関連をいたしますが、今後審議会において、たとえば現在の宮城は開放すべきであるとか、あるいは全部開放ができなくても、その相当部分を開放すべきであるとか、そういう常に抜本的な意見の開陳がなされ、そういうような結論が出るというような場合もあり得ると思うのです。そういった論議も全部ひっくるめての皇居造営審議会であるかという点を、総務長官にちょっと確かめておきたいと思います。
  15. 松野頼三

    松野政府委員 その問題と造営審議会とは関係ございません。ただ場所の問題をお聞きになって、そのときに交通の問題を一つの例としておとりになったから、それは私はこういう考えを持っております、造営問題はそういう議論は別にして、第一次案としては現在の位置考えることが妥当でございます、こう申し上げたわけで、この造営審議会がすべての皇居問題を取り扱うことはございません。これはあくまで皇居造営だけをこの審議会に諮るつもりでございます。
  16. 八木昇

    八木(昇)委員 皇居といえば、今の宮城の広い中の一角の従来皇居があった位置、ここへ皇居造営するというような問題にからんで、やはりどうしても宮城全体の問題というものが必然的にからみ合ってくる、当然そういうことになると思うだのがどうかと聞いておるのです。
  17. 松野頼三

    松野政府委員 私の答弁が多少言葉が足りませんでした。もちろん建物の付属として庭園とか門とか、あるいは施設一般を含めて造営の計画に入れます。もちろん庭園も入れば門も入るし、あるいはいわゆる建物そのものにあらずして周辺も含めて、この造営というものは審議会に諮られるものでございます。
  18. 八木昇

    八木(昇)委員 そこでこれはどうしても相当政治的な判断というものもからみ合ってくるし、それから国の予算という問題にも関連してくる、こういうふうに思いますので、この委員選び方というものは非常にむずかしいと思う。そこで一体どういう委員の構成にされるおつもりでございましょうか。
  19. 松野頼三

    松野政府委員 もちろん皇居というのは位置から申しましても、また地位から申しましても、日本の最高のものであります。国民すべての意向をここに含めたいというのが当然この問題の大きな根本でありますから、国民代表的地位にあられる方及び技術的、学術的に経験のある方を選びたいという意味で、私の今日の構想では国民代表者という意味で、国会ももちろんこれに参画していただきたい、こう考えてております。
  20. 八木昇

    八木(昇)委員 いわゆる学識経験者というよな格好でなくて、いわゆる国民各界代表、こういう形にしたいという意味ですか。
  21. 松野頼三

    松野政府委員 各界代表と言われても、なかなかその各界が選びにくいものですから、いわゆる国民総体的な意味において国民代表という意味で、国会というものがその機関でありますから、そういう意味各界——これは何だかんだと国民の層を作らずに、各界というといろいろ誤解を招きますが、いわゆる国民総体代表という意味で申し上げたわけで、もちろん政府代表も入らなければなりませんし、各界というよりも国民すべての代表という意味で御理解いただいた方が妥当ではないかと思います。
  22. 八木昇

    八木(昇)委員 私も大体その意見には賛成なのでございますが、従来学識経験者とかなんとかいうような名目で政府がお選びになる委員というのは、どうしても何か一定の幅がありまして、必ずしも国民総意を反映していないといううらみがある、私はこう思う。そういう意味で、やはり国民各層代表というものを選んでもらいたいし、国会議員というのはどういう形でこの二十五名の中にどういう人数、どういう形で選ぶという構想でございましょう。
  23. 松野頼三

    松野政府委員 国会議員の中で、どういうふうに割り振りをするかということは、まだきめておりません。二十五名の中で、相当数国会代表として入っていただくことが妥当だと考えておりますが、衆議院、参議院をどう割り振るか、どういうふうに党派別に割るのだというところまでは、具体的にまだ準備をいたしておりません。法案が通って実行のときにはきめなければならないと存じますけれども、今日はまだそこまではきめておりません。いずれ他の学識経験者選び方とも関連いたしますので、国会代表という意味で今日は御理解願いたいと存じます。
  24. 八木昇

    八木(昇)委員 少しくこまかい問題をもう一つ二つだけ、せっかくの機会でありますから、聞いておきたいと思います。この経費は、あくまでも国家予算の中でまかなうという考えだと思いますが、あるいは国民寄付とか、特に寄付を求めなくても、自発的に——先般も皇太子のお住居について必ずしもおもしろくないこがございました。そういうこともございますので、自発的な寄付というようなことがいろいろな業者その他から行われたりということも、こういう場合には十分考えられる。それからそういうのは物的寄付でありますけれども、現金による造営費寄付あるいは国民による勤労奉仕、こういういろいろな問題なども考えられるのですが、それらについての考え方を明らかにしてもらいたい。
  25. 松野頼三

    松野政府委員 これはあくまで寄付とかそういう行為は一切いたさず、全部国のものとしてやりたい。またそれはやはり大蔵省管理財産になりますので、皇室個人のものという意味ではございません。国としての行いでありますから、国に対する寄付制限がある以上に、こういう問題に対しては寄付制限を厳格にいたしたいと存じます。ただある地方において自分のところの特産の石をぜひ使ってくれ、自分のところの苗木を使ってくれ、あるいは自分のところのかわらを一つでもいいから使ってくれ、そういう国民的な非常に熱意のある希望は、あるいは多少出てくるかもしれませんが、いわゆる金銭的なものは一切行いがたいし、あるいは今日の国の財政から申しましても、皇室の今日の地位から申しましても、そういう特殊な感情、特別な意味における寄付はあるべきでないし、またお断わりするのが妥当だと考えております。ただ私の申しましたように国民の非常な熱意で、自分のところの芝を使っていただきたいとか、一本の苗木を献上したい、こういう非常に純真なものについて、これは絶対いけないのだということはどうかという、その辺のことはまだ厳正にきめておりませんが、いわゆる価格のある物的寄付というのは、一切この問題には介入すべきでない、こう考えております。
  26. 八木昇

    八木(昇)委員 そこで問題が少しく振り出しに戻るようなことで恐縮ですが、二、三点確かめておきたいと思います。現憲法下における天皇制ということについて、総務長官並びに宮内庁としてのお考えをただしておきたいと思うのです。われわれが国民立場から見ておりますと、皇室に対する扱い方は、ここ数年来、昔とまではいきませんけれども、漸次昔型のにおいが感ずるような気が何となしにする。また三、四年前ですか、三笠宮殿下がお書きになった本なんかを見ましても、最近そういう意味で逆コース的になってきておる。自分たちとしては、これはきわめて迷惑なことであると明確にお書きになっている。そこで度今御成婚もあるわけなんですけれども、せっかく民間から皇太子妃殿下になられ——将来皇后陛下になられるわけですけれども、せっかくそうなりましても、その方が皇居の奥深く入って国民の目から隠れてしまう、こういうようなことについては相当批判があるのではないかと思うのです。そこでそういった今後のあり方について根本的にどういう信念をお持ちであるか。特に総務長官から御答弁をいただくと同時に、一部に、宮内庁の頭は依然として古い、こういう表現で新聞その他にときどき書かれていることは御承知の通りでありますが、その辺の信念を伺いたい。
  27. 松野頼三

    松野政府委員 皇室のことでありますから宮内庁から答弁していただきます。ただ私の感じとしては、いろいろな意見が出ますけれども、自由な意見が出ること自身どちらかといえば国民の中に皇室が入ってこられた、昔は意見も出なかったときは皇室はほんとうに奥深かった。八木委員のおっしゃるようにいろいろの意見が出ること自身、国民の中に皇室が溶け込んでこられたという感じの上に、なおそれ以上こうあるべきだ、こうあるべきだという議論が出ましょうが、昔のように議論の出なかった時代から見るならば、皇室というものが国民の中に溶け込んでおられると考えます。あとは宮内庁から答弁をいたします。
  28. 瓜生順良

    瓜生政府委員 いわゆる逆コースになっているではないかとか、あるいは頭がかた過ぎてというようなことはないかということでございますが、われわれ皇室のお世話をしている者といたしましては、常に時代の流れを見ながら、皇室国民の総意に基いておられますので、国民の総意が那辺にあるかというようなことを真剣に検討しながら、そのお世話のいたし方を研究いたしておるつもりでございます。それでこの古いいろいろの伝統そのものをそのまま維持されるということが、かえって国民の総意に合わない場合においては、また新しい時代に合せるようにいたす。しかし伝統を軽視しては皇室皇室たるゆえんが失われるおそれもございますので、やはり伝統についても国民の総意、こういう点昔のようであった方がよいという点は、その部分をそのまま時代に即応するように翻訳して参りますけれども、尊重しながらやっておるわけでありまして、それによって一般の国民の方から皇室が敬愛をされて、それが国民統合の象徴として日本民族の精神的な団結のお役を果して参られるだろうと考え、すでにそういう点を研究しながらやっているつもりであります。
  29. 八木昇

    八木(昇)委員 現憲法下における天皇制の解釈について、学者の見解をいろいろ読んで検討してみますと、結論的には大体次のように一致していると思う。というのは、今の憲法が作られるについては、純粋な民主主義の徹底というのがその根底になっておる。その原理というものは、ほんとうを言えば国民主権という原理、それから基本的人権の原理、こういうので貫かれておる以上は、これを純粋に原理的に考えていけば、天皇制とはどうしても相いれないものであるというのが、やはり現憲法の根底の原理である、こう思うのです。しかし占領軍当局や、その当時のいろいろな政府高官の人たちの政治的な配慮から、過去の戦前の憲法においてあった天皇制というものとの間に、ある種の妥協というものを試みて、そして国家と国民の象徴という形において天皇というものを一応残した、こういうことに大体学者の見解は一致しておる。そうだとするならば、現憲法下天皇というものは非常にデリケートな立場になっている。昔は天皇というものは絶対でございましたけれども、現在の憲法では、御承知の通りに国民の総意に基くものであります。でありますから、国民の総意というものが天皇の存在を認めないという気持になってきた場合には、憲法九十六条のいわゆる改正の手続によって憲法を改正すれば、国民の総意に基いて天皇制をなくし得るというのが現在の憲法である。そうだとするなら、やはりこれは扱い方についてよほど注意を要する。皇居造営の問題にいたしましても、ただ皇居建物そのものという観点だけで問題を判断してはいけない。諸外国あたりを——私は一度しか行っておりませんが、ヨーロッパあたりを六、七ヵ国見ましても、昔の十八世紀ごろまの戦争のために必要であったお城の宮殿、こういう形のものはほとんどない。そもそも王室というものが残っておる国が非常に少いのですけれども、残っておる国においてもいわゆる宮殿という形になってきて、一般国民と非常に接触がしやすい形になっておる。自分宮殿のベランダに出れば、すぐその前に民衆がずっと来られるような形になっている。こういうことによって、いわゆる民主的な王室制というものをやはり続けて、国家と国民の統一の象徴としてこれを役立て、国全体が繁栄をしていっている、こういう形をとっておると思う。そういう点からいきますると、今度の皇居造営問題についても、そういうところまで十分考えて処置をせられなければならぬ、こう思うのですが、総務長官、お考えをちょっと述べていただきたいと思います。
  30. 松野頼三

    松野政府委員 もちろん憲法論議はいろいろな御議論がございます。もちろん憲法天皇地位が保障されております以上、憲法が最も基本であることには間違いございません。憲法改正という声も出ておりまするが、あえて皇室の条文にあらざる他の部門におきましても、憲法の改正あるいは擁護ということは、まだまだ国民の中で熟しておらない面もたくさんございますし、ことに皇室の問題を議論されたことは、今のところはまだございませんので、かりに憲法改正論者がおりましても、おそらく皇室の問題に触れた改正論者は国民の中にはほとんどなかろう、こう考えておりますので、今後かりに憲法の一部改正があろうとなかろうと、皇室というものは国民感情すべての中に浸透しているものだと私は信じております。これ以外は議論ですからあえて申しませんが、私はそういう考えで今日憲法の問題における皇室を取り扱っておるわけであります。  なお、ただいまの位置の問題ですけれども、もちろん国民のすべてのことを抜きにして皇室問題を議論するわけには参りません。同時にただいたずらに皇室問題だけを議論して皇居位置考えるわけにも参りません。両々相待って考えて参りますと、私は第一案としては、今日のただいまの場所がよかろう、こう考えただけで、これだけは絶対いけないのだ、そういうふうな強い盲信的な意味で申し上げているのではありませんが、さてとなると、なかなかこれは容易な場所にはできない。やはり国民のすべてが、御趣旨のように、身近に皇室に行かれる場所ということになると、やはり都心ということを考えないと、これがずっと離れたところでは、かえって国民から非常に遊離された皇室を作ってしまう。やはり身近に皇居に行ける場所というと、そう都心から離れたところを考えるわけには参りませんので、国民感情からいってなるべく身近に皇室を置くというならば、なるべく身近な場所、しかも相当な面積と相当建物の必要がある場合、やはり東京近郊で探そうと思いましてもなかなかよい案が私どもには出て参りませんし、今日の場所がまず最善だというのが私の議論結論であります。もちろん今度作ります宮殿にしましても、今さらお城を作るという議論——これは審議会を開かなければわかりませんが、おそらく造営審議会におきましても、今さら江戸城を作ろうという議論は出るまい。そのために諸外国の例をずっと今まで二年間調査いたしておりますから、諸外国の例として、諸外国のお城ばかり見てきた学者もおりますまいし、おのずから諸外国宮殿を見、あるいは諸外国のそういうものを見て今日参考にいたします以上は、そう時代的なものはできまい、こう考えまして、今さら江戸城を再建しようというような案はおそらく出て参りますまい。今日の近代的な国民感情に合い、諸外国の例にならって、よりよいものが原案として出てくると私は考えておりますので、まずそういうものは出て参りますまい。民主化した宮殿という案が出てくるだろう、こう信じております。この審議会の答申で、逆に江戸城再建のような案が出たら別ですが、そういう案は出て参りますまい、こういう考えで私は今日この問題を取り扱っております。
  31. 八木昇

    八木(昇)委員 江戸城再建なんということはだれも言いはしないし、そんなことは問題にならないのです。そこで最後に要望いたしまして質疑を終りたいと思いますが、私の申したいことは、少くとも現在の憲法の精神というものは、先ほど申し上げたような点にあるのであって、現在の国民天皇制はもう無用だと思っておるなどという論を言っておるわけではないのです。現在の憲法の精神というものに忠実になって、そうしてそういう形での天皇制というものを今後もずっと発展させていくという観点に立って、十分に意を配ってもらいたい。それは私が今さら言うまでもないのですが、戦前の憲法天皇に主権があった。しかも天皇地位というものは皇統連綿たる万世一系の皇室というところにその資格があった。従って神勅にまでさかのぼった。従って天皇のあり方については、これが勢い神格化されておる、こういうような形になっておったのですが、今の憲法というものは全くその逆で、第一は国民主権である。それから第二は、天皇の資格というものは国民がきめるのだ、国民の総意によってこれの存廃さえもきめられ得るのだ。従って三番目というものは、民主的な人間天皇として国民大衆の中に入ってくる、こういうことになっておる。そういう観点というものを十分腹の中に入れて、皇居造営の問題についても慎重に対処してもらいたい、この点を要望いたしまして一応質問を終ります。
  32. 内海安吉

  33. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 八木君の質問で私のお尋ねしようとした点にだいぶ触れられたようでありますが、二、三お聞きしたいのは、日本民主化と申しますか、そういうものがやや進んでおります過程において、最近いろいろな方面から逆コースの点が出ておることを感ずるのであります。そういった意味で、いわゆる皇居造営ということが持ち上った機会に、やはり天皇一家の立場から考えることも必要でありましょうけれども、天皇一家と国民関係から、国民の生活並びに国民感情といった点からも、この際やはり考えておく必要があるのじゃないかと思います。私も先般ちょっと皇居の中を拝見したのでありますが、非常に由緒ある江戸城のなごりもある反面、非常に荒廃している面もあるようであります。私はあの皇居内があのような状態でいいとは思いませんし、また反面三十数万坪という膨大な土地が東京都のまん中に存在している。しかもほとんど国民の大部分の者が近寄ることもできない存在だというようなことを考えますと、この辺で国としても思い切った考え方をしなければいかぬのじゃないか。これは私は先般の予算委員会の分科会でも申し上げたのでありますが、今八木君が国民の中の天皇に対する考え方が変ってくるのじゃないかということを言っておりますが、これは現実に変っております。その点は、おそらく松野さんにも子供さんがあると思いますが、今の大学生以下の子供たちの天皇に対する考え方は非常に変っております。私は革新政党に属しておるから、私の周囲におる子供たちがそうであると言うのではなくて、どんな学生にどういう立場から聞きましても、もう私どもの青少年時代に考え天皇という観念はございません。従っておそらくここ十年か二十年しますと、日本国民の中には、今総務長官ないし総務長官を中心とした政府当局者の考えておること、並びに宮内庁の指導者の諸君のお考えになっていることとは、非常に違ったものが生まれてくると思うのだ。そういうことを考えまして、私はそういう皇居造営という一つの転機を機会に、いわゆる思い切った今の皇居の内部に対する考え方を持ったらいいのじゃないかということを考える。それは国民のためにも、また天皇一家のためにも非常に大事じゃないかと思う。そこでお伺いしていると、皇居造営審議会は、あの皇居内に作るということを前提にして、ただその構造なり規模なりないしは内部のいろいろな模様等についての御審議をなさっているということでありますが、私はむしろもう一歩出て、皇居位置——説明を聞くと位置ということもありますが、位置というのは、総務長官の御答弁では今の皇居内においての位置ということであって、皇居ということは一応既成概念になっている。私もあの皇居から宮殿を外に出すということはあえて固執しません。宮殿というものがいわゆる天皇が国事を行う公的な存在であるということであれば、これは場所も必要です。ただしかし天皇住居ということになると、また別な観点が出て参るのでありますが、今のところでは、国事を行う公的な場所と、それからお住居とがおそらく同じ場所にあるという考え方があると思う。そうでありますならば、あえて私は今の皇居内からどこか遠方に移すということには拘泥しませんけれども、あの三十数万坪にわたる膨大な、都心に存在する現在の皇居というものに対して、国民のだれもが自由に入れると申しますか、あるいは通過するというか、とにかく今はあの堀を境に特別な参観者ないしは勤労奉仕者といった人、さらに宮内庁関係のある人しか出入りできない。一般の国民にとっては二重橋からはるかに雲の上というような感じでながめるにしかすぎない存在、そういう存在でなくて、だれでも通過するとかあるいは入れるとかいったようなことを考えることが必要じゃないかと思う。そのことが、私どもの立場から考えましても国民皇室というか、天皇一家、こういったことの考え方を結びつける大きな柱になるのじゃないかと思うのでありますが、総務長官はせっかく皇居造営ということをお考えになった機会に、そういった点まで掘り下げて考える必要があるのではないかと思うのでありますが、政府側の考えをお伺いしたいと思います。
  34. 松野頼三

    松野政府委員 ただいまの御意見については、十分私も参考にいたしながらその実現に尽したいと思います。ただ今日、だれも国民を入れないというわけでもございません。郷里から来られてぜひ皇居を見たいという方には、毎日時間を区切って参観し得る便利をはかっております。ただ建物の中の敷地を荒さないように、ある程度の人数の制限はしておりますけれども、これに資格を与えたりどうだということでなしに、一般の国民の中から毎日参観を許されておると私は存じております。なお二重橋の問題は、保存の意味もありますので、これはあえて皇居ばかりではありません。どこの造営物を見ましても、京都御所におきましても参観者については自由に許すが、真夜中でもだれでも自由に入っていいぞというわけにいかない建物もありますので、これはあえて皇居の例ばかりではなしに、やはり一つ建物の保存とその維持、管理のために、宮殿以外にも、文化財においてもあるいは京都の御所においても、ある程度一般に公開はしておるが、人数、時間の制限をしておるものもございますので、今日皇居だけが非常にかたいのだ、もちろん一番厳格にはしておりますけれども、全然国民に窓を閉ざしておるというわけではございません。なお一そう国民が自由に中に入れるように、より以上の便宜をはかるようにいたしたい。実は私その意見賛成でございます。  同時に場所の問題でいろいろ御議論がありましたが、皇居位置が、審議会が開くまでに絶対あそこでなければいかぬのだという、そういう意味にあらずして、私は第一案としては今日の皇居位置考える、そういう意味で申し上げたわけで、ことに今日皇室という問題は、憲法第一条に大きく書いてありますような立場でございますので、国民と遊離したりしてはあるべからざるものだ、国民とともに皇室というものはあるべきだという考えで、なるべく国民の身近なところに、あまり都心から何十里も離れてはいけないということで、第一案としては今日皇居位置考えるのでありまして、どうぞ言葉の足りなかった点は御理解をいただいて、この案に御賛成いただきたいと思います。
  35. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 松野総務長官は事務官僚でないのでありますから、御答弁はもっとさっぱりしていただきたいと思うのであります。と申しますのは、皇居はだれも制限はしていない、参観したい者には参観さしておるとはおっしゃいますけれども、非常にめんどうな手続も必要ですし、だれか上京して参りまして、天皇がおられる皇居にも入りたいと思うとき、隣の家に行くようなさっぱりした気持で国民が行けることが大事なんです。軽い気持で行けるところに意義があると思うのです。私もこの間初めて入ってみましたけれども、そこに問題があるのです。ただシャット・アウトしていないのだということではないと思うのです。一の問題についてはこれ以上触れませんけれども、私はまだまだ今の政府の頭の中には、天皇を特別な扱いをしている点があると思う。私が国会に来て一番不思議に思ったのは、正面の玄関、あそこが立ち入り禁止なんであります。国会議事堂は国民のものなんですよ。国民のものであるのに国民がだれも入っていけない。正面の一番大事な玄関が立ち入り禁止なんです。代議士も入れない。何をするのかと思ったら、天皇が開会式に来るだけなんです。天皇は主権者じゃありません。主権者は国民なんです。国民のすべての者を裏口から身体検査をして暗いところを上らしておいて、天皇だけが国会の正面玄関から一人入る。今ごろこんなばかげたことはありませんよ。私はこれを不思議に思って、ずいぶん議運なんかで言ったけれども、なかなか直らない。こういうこと自体がおかしいと思うのです。作ったときには天皇主権でしたから、ああいうばかげた天皇の御座所のあるのもやむを得ないでしょう。しかし今日国会の正面の玄関から天皇しか入らぬというばかげたことはないと思うのです。これは改革できないものか。私は議員が入るか、あるいは一般国民が正面から入って、この国会議事堂を参観するのが正しとい思う。民主化された国会というところに厳としてそういうことがあること自体、国会自身もおかしいし、政府もおかしいと思う。これはあなたに今改正しろと言っても仕方がないけれども、一つの例であります。これが依然としてどうにもならずにあるということ自体の中に、天皇に対するいわゆる現在の支配と申しますか、政治力であるところの政府なりあなた方の考えの中に、やはり天皇を特別扱いにしているという消すべからざる思想があると思う。これは私は、やはり皇居造営とかあるいはいろいろなことに反映して、今八木君も心配したように、国民を押えるに一番都合のいいのは天皇です、天皇というものを昔のところに引き戻せば一番やりやすいのです。天皇の御命令でみんな死んでおるのです。私なんかも天皇という名前で四年も刑務所に連れられた。昔は天皇が一番大きいのです。今の為政者の中には、岸総理を初め天皇を利用した昔のあれが非常に多分に残っておる。そこで私どもがこの皇居造営ということに対してこれほど熱心にお聞きするのは、そういうことが再現したのでは天皇自身も不幸であるし、またまして国民が非常な不幸に再会する危険があるから、こういう機会でないと私どもこういうことは言えないから、はっきり申し上げるのです。松野総務長官は聡明な方であるし、少くとも新しい空気も多分に吸っていらっしゃるだろうから、あなた自身はそういう気持はないかもしらぬけれども、あなたのバックにある政治権力はそういうものに大きな郷愁を持っていると思う。それは開会式における総理大臣以下がモーニングをつけて、天皇があそこに見える。何もこういう態度をしなくてもいいのです。もっとさっぱりしたらいい。何か非常にうやうやしい態度を見ると私は非常に不愉快なんです。国の総理大臣以下全国会議員が、あの参議院の本会議場でああいう行事をすること自体がおかしいと思う。そういうところにいろいろな問題があると思うのです。そこで、この際時間がないそうですからやめますが、そういうものがだんだん復活する危険を感じますので、ぜひそういう点も十分に勘案していただきませんと、せっかくりっぱな宮殿を作っておる反面に、国民を不幸に陥れる一つのきざしが生まれたのでは困る。そういうわけで、総務長官、これはぜひあなたの聡明さによって、そういったものが生まれる可能性をぜひつみ取っていただいて、ほんとうに私どもが喜べるようなものにしてもらいたい。こういうことを要望いたします。
  36. 内海安吉

  37. 西村力弥

    西村(力)委員 私は四月十日に行われる皇太子と正田さんの結婚式の問題について、きのう木原委員質問したそうですが、一応お尋ねをしたいと思うのです。まず第一に、この結婚式を天皇の国事行為、こういう工合に閣議で決定せられた根拠を一つお聞かせが願いたい。
  38. 松野頼三

    松野政府委員 憲法の第二条に「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」その中に入りますから、皇太子の場合は、この第二条の世襲という条文の言葉に入るという意味で国事行為というわけでございます。
  39. 西村力弥

    西村(力)委員 その解釈はちょっと便宜主義のようにとれるのです。法制局もいらっしゃっておりますが、成年男女の結婚というものは、両性の合意ということになっておる。皇子とか立后、そういう場合には皇族会議の議を経なければならぬということで一応の制限はありますけれども、両性が合意で行う、こういうことになっておるので、その結婚というものは一体だれが行うのか。これを憲法第七条の儀式を行うという天皇の国事行為とする、そういう解釈を立てれば、この結婚式は天皇が行うのだ、こういう解釈になってくるのです。そういう工合にすると、成年男女の結婚に対して相当ゆがめた憲法上の解釈になってくるではないか、こういう工合に考えられるが、法制局の見解はいかん。
  40. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答え申し上げますが、ただいま御質疑の中にありましたように、婚姻そのものが両性の合意に基いて行われるという面があることは申すまでもないことでございまして、従って皇太子殿下の御婚姻についても、御婚姻そのものがそういう一般的な性格を持っておることは当然のことだと思います。しかしながらこの御婚姻にまつわる結婚の儀とか、あるいは朝見の儀とか、あるいはそのほかの儀がございますが、そういう儀のうちの主要なものにつきまして、皇太子殿下の御婚姻を中核として、それにまつわるそういう儀式そのものを国の国事行為といたしまして挙行されること、これは、その中核的なものが皇太子殿下の御婚姻という普通の両性の合意に基く性格を持つものでありましても、皇太子殿下の国法上における地位にかんがみまして、国民的関心がそれに集まることは、社会一般の事象でもございますし、当然に合理的であると認められますので、それを中核とするいろいろな儀式そのものを国事とすることは、別に差しつかえないのではないかというふうに考えておるわけでございます。
  41. 西村力弥

    西村(力)委員 それは天皇の国事行為、こういうことになるですね。この結婚式なるものを天皇が主宰する、こういう工合にならないと、これは憲法上問題になってくるだろうと思うのですが、しかし成年の男女が結婚をする、それに伴う儀式を行うということが、その親権者の主宰によって行われなければならぬというようなことがもしありとするならば、それはもう成年に達した男女がその点に関して無能力だ、こういう解釈になってくるのではないか、こう思うのです。そうすると、一般人ですと結婚式をやり、それに伴ういろいろな式をやるということは自前でやる、自分の責任でやる、こういうことになるが、これを天皇の主宰する国事行為とすれば、皇太子はその件に関しては無能力だ、成年とはなられておりまするけれども、結婚式に関しては無能力だ、こういう判定が下されてしまう。まことにこれは危険なことだと私は思っておるのですが、理屈をいろいろ並べられて早口に言われると、どうも僕もその法的な問題については何だかかんだか、ちょっと混迷してくるのですが、一つ一つぴしぴしと割り切って考えてみると、なかなか危険な問題を含んでおるのではないか、こう思うのです。天皇の行うそういう儀式はいろいろあるでしょうが、プライベートなものとしてその儀式を国事としないものもたくさんあるはずです。そういうことからいって、憲法第七条にいう天皇の行う儀式というものの範疇というものははっきり制限があるのじゃないか、こう思うのです。あの憲法七条の儀式というものの制限天皇の行い得る範疇、そういうものはどういう工合になるのでしょうか。また私の、少し脆弁のような、皇太子は無能力となるような解釈がいったら大へんなことになってしまうのじゃないか。そういう点についての解明を一つ願いたいと思います。
  42. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 御質問のうちの御危惧になっている点はよくわかると思うのです。今御質疑がありましたような観点から、一般の青年の結婚というようなことに照らし合せて申し上げれば、これもゆっくり申し上げますが、たとえば一般の庶民における結婚というものが、その根源におきまして両性の合意によってやられるということは、これはもとより申すまでもないことで、その限りむろん合意の意思能力を持ち、そこで成立するというのが当然のことでございますけれども、その婚姻ということとそれから結婚の儀式というものとは、実は本質的に全く同じものであるというふうにはやはり言えないのであって、本人同士が婚姻の意思を決定して合意をするということ自身が、両性の本質的平等に基く合意によってなるということと、それからそれは本人にとっての一生の重大事であるから、それを何といいますか、大いに印象的ないろいろな儀式でもって行なっていくというそのこととは、実は二つの事柄であるわけでございます。まあ簡単に申し上げますれば、たとえば婚姻をした、その結果を皆さんに御披露するというようなこと、これは親がやるからといって、本人の意思能力とかあるいは本人が能力がないとかいうことにはならないのではないかというふうに考えるわけでございます。皇太子殿下の御婚姻の場合にも、その理は同じことでございますので、そのうち特に皇太子殿下というものは、いわゆる憲法上における皇位の世襲性からくる特異のものとして、それ相応の取扱いがなされてしかるべきだということになることは、これは明白なところだと思いますが、そういう関係からそれにまつわる儀式そのものを国事とすることは、差しつかえないのだろうというふうに考えるわけでございます。
  43. 西村力弥

    西村(力)委員 一応儀式と結婚それ自体とを区別していらっしゃるようでございますが、一般庶民でいいますと、普通われわれは三々九度の杯をやって、そして契りを固めて初めて社会的な合法性というか、そういうものが出てくるわけなんで、あなたが言うように結婚を立てられるならば、賢所の前で行われる結婚式の儀式、それは結婚それ自体と切り離せない。あなたの言う論拠でいえば、そうすればその儀は国事とすべきではない、こういう結論になってくるのです。そしてまた一般の人々はすべて結婚の儀式も自分でやる能力を持ち、またそれをやることも認められておるが、この儀式を国事とすることによって、皇太子自体はこの儀式そのものをできないという工合に制限を加えられてきているわけです。国事に移してしまえば、これは天皇の国事行為ですから皇太子はこの限りにおいては自前でやってはならないのです。こういう工合に制限を加えられてくる。そのことはとにかくとしまして、この儀式というもの、賢所の前でやる結婚式の儀は、結婚と二つに切り離すことはできないものだと私は思うのです。そういう工合になってくると、これは結婚式の儀は国事とすることはできない、こういう工合にはっきりしなければならぬと思うのですが、その点は法制局の意見とともに、宮内庁からは国事として何々を見込まれるか、具体的な計画をあなたの方で立てているということになっておりますが、どういう計画を持っていらっしゃるか、朝見の儀とかさまざまなものがありますが、あれの中のどれどれを国事とするか、法制局の答弁から先に聞きましょう。
  44. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 前段の問題は、実は当初御質疑になりましたそのことでございますので、実は今まで御説明したことで御納得いただけないのは残念でございますが、簡単にもう一度申し上げますと、要するに当人同士の合意に基く婚姻そのものと、それからその婚姻を意義あらしめるというか、盛大にやるというか、そういう意味の儀式というものは、これは離しては、実は両方、婚姻があるから実は結婚の儀があることは、これは当然でございますけれども、その中身の中核体である婚姻そのものとそれからそれにまつわる諸儀式、たとえば朝見の儀にせよ、それから宮中の何と申しますのか、いろいろ各界の人々を呼んで御披露的なことをなさる、そういうこと、そのこと等はやはり別なことでございまして、それ自身を国事行為とすることは、そうだからといって婚姻が無能力者扱いになるということにはならぬのだろうというふうに思うのであります。それからもう一つ、御質疑の中の根本は、憲法七条の十号に「儀式を行うこと。」ということはあるけれども、儀式を行うということは果していかなるものを言うのかというふうなあれには制限があるのじゃないかというようなお尋ねもあったかと存じますが、これにも触れてお答えを申し上げますが、なるほど憲法規定は国事行為というものを非常に制限しておりまして、七条に列挙されたこと、厳密にいえばそのほかにも六条の任命行為というようなことがございますが、七条の関係だけに限ってみますと、あそこにありますことはしぼったものでありますから、その意味相当限定的に解さなければならぬことは、これまた言うまでもないと思いますけれども、儀式を行うことというのは、一体いかなるものを国事行為としての儀式と考えるかと仰せになれば、それはやはり国家機関としての天皇がそれをするにふさわしいものとして合理的に考えられるようなものなら、いわゆる儀式を行うことということのうちの儀式に入れてよかろうというふうに考えられるわけであります。その例といたしましては、立太子の礼とか、成年式の御蔵とか、そういうものが前例としてはあるわけでございまして、今回の結婚の儀をそれらと別にして国事行為としないというのもいかがかというふうに考えられるわけであります。
  45. 瓜生順良

    瓜生政府委員 皇太子殿下の御結婚関係の儀式のうちで国事として行われまするのは、結婚の儀と朝見の儀と宮中祝宴の儀、これだけでありまするが、皇室の私事として行われまするものは、済んだ分で申しますると納采の儀、それからあとの分でこの結婚の儀のあとに皇霊殿、神殿に閲するの儀、皇霊殿に閲するの儀というのは皇室の御先祖の霊に御奉告なさる。神殿に閲するの儀の神殿というのは天地の神々であります。これは皇室の私事として行われます。それが済んでから東宮仮御所で供膳の儀、三箇夜餅の儀というのがございます。供膳の儀というのは、お二人が最初に食事をなさるという儀であります。三箇夜餅の儀というのは昔からありまして、お祝いのお餅をお部屋に持っていくのですが、ずっと平安朝時代からある。これも皇室の私事として行われます。それからその後に伊勢神宮に奉告参拝においでになります。これも私事。それから畝傍御陵、神武天皇の御陵に参拝されます。先帝、先后、大正天皇、貞明皇后のみささぎに参拝されます。これも皇室の私事として行われます。国事として行われまするのは、これは憲法に、天皇国民のため内閣の助言と承認によって左の国事行為を行う、これを読んでみますると、儀式の関係はやはり国民のために天皇が行われるということで、この結婚の儀を考えますると、結婚の誓いをなさいまする部分はお二人だけの誓いの部分でありますが、普通の場合はほんの身内の方だけがそれに出ておられて、ほかの方はそこへ行かれないで済ませるという場合が多いのでしょうが、今の皇室国民の中にあって、国民とともにあられるというようなことで、こういう大事な場合にはその他のいろいろの代表国民代表の方もそこに参列されて立ち会ってなさる、そういう儀式を行なった方が国民のためにもなる、国民の関心から見ても、そのことが望まれているだろうというようなことも考えられて、こういうものは国民のための儀式として国事というふうにする方が適当である。根本論から言いますると、先ほどの法制局次長の言われた点がありますので、その点は省略いたしたいと思います。その他の朝見の儀は、これは天皇、皇后両陛下にお二人が初めて正式にお会いになって、そうして両陛下の方からお言葉があります。お祝いとともに将来の戒めのようなお言葉がある。それから皇太子殿下の方からはお礼のお言葉と将来の覚悟などを述べられる。そこで誓いを固められるというのがありますが、これも将来の皇位継承権者として天皇陛下との誓いを固められるという、やはり国家的の意義があります。それから宮中祝宴の儀は披露でありますが、これは御結婚になったということを国内及び国外の方に披露される。これもやはり国民のために行われる。宮中の内輪だけでやられるということではないものと考えた方がよかろう。宮中の内輪だけで行われる御内宴というのがあります。これは、四月十二日は日曜日でございますが、日曜日ですから国事を行われるには適当でないというので、その日があいておりますから、日曜日のお昼には御親戚関係だけの披露がありますが、これは皇室の私事として行われます。そういうふうに区別してわれわれは考えておる次第でございます。
  46. 西村力弥

    西村(力)委員 法制局にお尋ねしますが、結婚の合意、こういう心理的なというか何というか、気持の問題として、両性の合意というのはその点に限局されるのだ、あとは結婚を盛大ならしめるための形の上の儀式だ、こういう工合に分割されておりますが、しかし結婚は両性の気持が合っただけでは、やはり社会的には結婚と認証されないではないか。やはり一つの儀式を経て初めてその合意というものが具体化する。だから、そこまでは両性の合意というものの規定の範囲に入るべきではないか。両性の合意だけで、気持が、気合いが合ったからといって儀式を経ないでやるということは、日本の社会的な事情からいうと、それは野合ということで、それだけで結婚を具体的に事実としてやれば野合という工合に社会的に非難がある。やはりそこには一つの簡単ではあろうと、仏式であろうと神式であろうと、儀式を経ることによって社会的に認めていくのです。だから結婚の儀まではやはり国事とすべきではないか。こういう工合に私たちは解釈する。あなたは特別に盛大ならしめるための儀式として朝見の儀とか、あるいは何の儀とかいうようなことをあげられたが、意図的に結婚の儀を例証的にあげられなかった。そういう工合に考えられるのですが、その点はどうでしょうか。
  47. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 婚姻というものは両性の合意のみに基づいて成立するということは、憲法二十四条を引くまでもなく御承知のことだと思います。これには立法上婚姻の届出を必要とすることを排斥する意味ではむろんございませんけれども、要するに両性の合意というものが本質的な部分であるということは疑いのないことだと思うのであります。従ってかりにそういう結婚式といわれるようなものをしないからといって、両性の合意があり、これはまた法律上の届出というようなことがありますれば、それで婚姻は成立するということは、法律論としては当然言えることだと思うのであります。ただ仰せのように一般には婚姻ということがありますと、それに結婚式、いろいろ御披露宴とかいうようなことがあるわけでございますが、その部分がやはり皇太子殿下の御婚姻に基づくものであるという意味で、先ほど宮内庁次長も仰せになりましたように、やはり皇太子殿下の御地位等にかんがみ、またその象徴たる天皇国民のために行うというものとするにふさわしいものであるというふうに考えるのであります。それがふさわしいか、ふさわしくないかという問題は、あるいはあろうかと思いますけれども、それはやはり皇太子の御地位なり、また天皇の皇位世襲制というようなことからいいまして、それは国事行為とするにふさわしいものであると一応私どもは考えておるわけであります。
  48. 西村力弥

    西村(力)委員 松野さんにお尋ねしますが、あなたは国事とせられたその根拠として、皇位は世襲である、こういうことを仰せられた。その仰せられる範囲においては、立太子式を国事とする、こういうことですと私たちは了承できるのですが、それを越えて、御結婚なさる、そのことまで国事とするというようなことはあまり適当ではないと考える。世襲であるから結婚式も国事である。立太子式はもう次に国民の象徴になる地位につく式ですから、あるいは国事にすることも了承できるかもしれませんけれども、その人が結婚なさることまで国事とするようなことは、あまり拡大し過ぎるのではなかろうか、こういう考えを持つのです。そう言いますと、いや結婚してその次の世襲の子供を生んでいただくためにやるのだから、これはやはり国事のうちに入るというようなことも言えるかもしれませんけれども、そういう言い方をしていくと——そう言われるかどうかわかりませんが、そうすると正田さんが懐妊の能力を持つという証明が前提になってくるわけなのです。私はそういう疑点を持つのですが、立太子式は国事とすることにはあまり反対はしないつもりですが——もう済んだことですけれども、しかしその人が結婚することが世襲であるからなんという理由で、国事になるということには相当な疑点を持つのですが、いかがですか。
  49. 松野頼三

    松野政府委員 立太子式も実は国事行為——もちろん皇太子としてその地位につかれることは、当然憲法第二条の世襲の継承権を受けつがれる方でありますから、国事行為といたしたわけであります。今回の場合はなおそれ以上に、婚姻ということになられ、しかも正田美智子さんが今後は皇室に入られるということは、これは当然世襲の一番大きな行為であるし、同時に次の時代の大事な世襲行為の一つの出発点でもありますので、私どもは立太子式も国事行為、今回も国事行為としてやることが妥当だと考えております。
  50. 内海安吉

    内海委員長 西村さんにちょっと申し上げますが、他に質疑もありますし、時間もだいぶ過ぎておりますからきわめて簡単にお願いします。
  51. 西村力弥

    西村(力)委員 それではその点については私は十分に疑点が晴れませんけれども、それだけにとどめておきます。  次に結婚式の儀を賢所の前で行われる、その他の儀式も行われますが、これは何式で行われるのか。明らかに神式であると思う。これはどうです。
  52. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この結婚の儀は賢所で行われまするが、結婚の儀そのものは神式ではないわけです。しかしながらその中心になりまする皇太子と妃殿下になられる方が結婚の誓いを固められる、それは神式の形式で行う、これは御本人の御信仰ということでございます。
  53. 西村力弥

    西村(力)委員 その誓いを固められるというか、結婚式の儀というのは賢所の前で行われる、そこに切り離せない意義があると思うのです。あなたは賢所の前で行うけれども、ただ誓いだけは神式によってやるのだという。賢所の前で行う結婚式というものは、これはやはり総体として神式によって行われるのだ、こういう工合に申さなければならないと思うのですが、それはどうですか。
  54. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 先ほど来のお話に続くわけでありますが、婚姻というものが両性の合意に基く。それは何よりも先にそのこと自身が御本恣意である、こういう面があることは当然であると申し上げました。その点について恣意である面につきまして御本人の欲する祭式といいますか、そういうもので誓い合う、その誓い合うそのことについてたとえば神の前で誓う、そういう面における御宗旨を何によってやるかということは、御本人同士でやるということでありますならば、むしろ神式でなさるのが、いわゆる基本的人権からいいましてもそれは妨げないものだし、またそれを妨げるのは、ある意味ではまた別の憲法上の問題も生じてくるであろうというふうに思うわけであります。
  55. 西村力弥

    西村(力)委員 そこにいきますと皇太子さんの御希望によってそれは神式でやるのだと言われますが、結婚式の儀は天皇の行う国事行為だこれに疑義はない、こういう工合にあなたは仰せられておる。だからたとい皇太子さんの御希望によって行なったにしても、それを主宰される天皇の行為です。だから天皇の行為というものが神式によって儀式を行う、こういうことにはっきりなってくるのです。確かに結婚式の儀は本人の希望によって神式で行うのだ、こう言いましたが、行う主体は天皇です。天皇の国事行為ですから、天皇が神式という一つの特定された方式でもって国事行為を行う、こういうことになるのです。これはどういうことですか。
  56. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 婚姻ということは御本人同士の合意だ、その合意のいわゆる誓いを立てるということでありますが、その誓いを立てることに接着する部分におきまして、本人の御希望かどうかは別といたしまして、要するにそれにあずかる方の御意思によって誓いを立てられる、その誓いを立てる対象といいますが、そういうものを何を選ぶかということは、結婚の儀が国事行為としてなされようとも、その部分について御本人同士の婚姻の誓いを立てられる、そのことをある特定の神の前で誓いたいということを無視することは、やはりある意味ではまた宗教の自由というような点から申しまして問題ではないかというふうに考えるわけであります。従前も国事行為ではございませんけれども、いろいろそれに類似をしたことはございました。たとえばたしか幣原さんもそうだったと思いますし、尾崎さんもそうだったと思いますが、衆議院葬をおやりになった。衆議院葬というものは、やはり国の機関としては衆議院が一定の援助を与えてその葬儀が行われるわけでございますが、その際はたしか仏式によって行われたと思いますが、これまた御本人の宗旨を重んじて行われたことだと思います。それについては何も世人で怪しんだ者はなかったと思います。理屈は同じではないかというふうに考えております。
  57. 西村力弥

    西村(力)委員 尾崎さんのなにが仏式で築地本願寺で行われましたが、それまで例をとられております。しかし天皇が行う国事行為というものが、今仰せられたようにはっきり天皇が主宰されるということを是認せられておるのですから、天皇一つの特定の宗教に基いて行事をやるというようなことは、本人の希望がどうあろうとも、これはやはり問題をはらむことであると私たちは思うのです。それで賢所の前で神式によって天皇が主宰してやるのだということが認められると、賢所には私たち昔習ったことによりますと三種の神器のうちの鏡でございましたか、あれの分身が祭られている。ところが御本体というものは伊勢神宮に祭られている。だから、そういう立場からいいますと、伊勢神宮を天皇みずから祭るというそのことも認められてくる危険性を持つ。伊勢神宮の親祭ということもできる。そうすると、伊勢神道というものが国教になって、かつての日本のあり方と変らないようになってくる。だから、変な理屈をあまりつけて、そういう大事な点をくずしてはならないと私は考えております。天皇が特定の神道の儀式を主宰するというようなことは、発展すれば伊勢神宮を親祭することができるということになってくる。伊勢神道は国家神道になり国家宗教になる。これはかつての道と同じだと思う。それは御本人が神道であろうと何であろうと、私たちは皇太子が結婚なさることは喜んでやります。どなたでも結婚なさることは大へんおめでたいことでけっこうなことだと喜んでおりますよ。おりますが、そういうわれわれの気持とくずしてはならない一線というのは——皇太子の結婚だからにぎやかにそうして荘重にやってやりたい、こういう気持を持つことはいいけれども、くずせない限界というものはやはり画然として区別しておかなければばならぬのじゃないかと思うのです。きょうは官房長官に来てもらおうと思ったが、法制局のそういう御解釈だけ聞いておっても、あなた自身自分の唱えておる法理論に右往左往しているし、また宮内庁宮内庁として具体的に政府の決定を実現するだけだから、答弁もそれだけの限りにおいてしかできないだろうと思いますからね。これは相当危険性を持つものだと思っております。伊勢神宮は宗教法人になっているのですからね。そこのところが、賢所前で、御本体のあるところで天皇みずから主宰して儀式を行うことも不可能でないという結論に必ずなってくる。そうすれば、宗教法人をはずして、伊勢神宮は宗教とは関係ないものにしていこう、国家宗教だ、特定の宗教ではないという解釈を立ててこなければならない。その点一つ答弁はどうです。
  58. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 仰せになりましたように、政教分離ということは憲法上の一つの原理でございますから、その点は厳密に考えていかなければならぬ問題だということは私どももともと思っております。現に私どもがいろいろなものを処理する場合に、そこのところは非常に神経質にものを考え立場をとっております。それにいたしましても、私が申し上げたことは実はぐらぐらしているというのではなくて、終始一貫同じ立場で御答弁申し上げていると思っておりますけれども、いずれにしても今仰せになりましたようなそのお気持の限界に厳として限りまして、それ以上にわたって御懸念のようなことが生じることは絶対にあるべきことではないというふうに思っております。いろいろ御質疑の中にありますように、だんだんそういうことになってくるととどのつまりは、そんなことになりはせぬかという御危慎でありますが、その御危惧そのことは、十分に神聖な御危惧としてあると思いますので、その辺は十分な限界を画して考えていかなければならぬ問題であることはもちろんであろうというふうに考えます。
  59. 内海安吉

    内海委員長 なるべく簡単にお願いします。
  60. 西村力弥

    西村(力)委員 時間もありませんし、あなたの仰せられることですから、この程度にとどめたいと思いますが、これはやはり法制局の見解だけではどうもおさまらない。ですから、やはり政府当局、官房長官にでも来ていただいて、これはよほど厳密にただし、かつ警告しておかなければならぬ問題であると思う。きょうは時間もないということでありますし、幾ら論議しましても進まないようでありますから、この程度にとどめたいと思いますが、法制局においても、そういう危惧を十分前提として、法解釈をそのときそのときに応ずる解釈を立てる通弊を持っておりますから、そういうことのないように一つお願をしなければならぬと思う。以上で一応打ち切ります。
  61. 内海安吉

    内海委員長 受田新吉君。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 それではきょう今から最終の結論を出す法案について残余の質疑をちょっとばかりしておきます。  大蔵省の問題で、今度の改正案のうち、こまかいようでございまするが醸造の醸の字をひらがなから漢字に直された理由を一つお答え願いたい。
  63. 石野信一

    ○石野政府委員 御指摘に相なりました醸造の醸を漢字にいたしましたが、これは実はもとのひらがなにいたしましたのが間違いでございまして、間違えて申しわけないと思うのでございますが、漢字がございまして、漢字を使う方が正しいということで形式的に直した。実体的関係はありません。形式的に直しただけということでございます。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 法案に間違いをどんどん作られることは、われわれ国会でも念を入れて審査しますが、間違いをしばらく通用さしておくということは間違いなんで、大蔵省という頭のいい人がそろった役所としてはそつがあったものですね。当用漢字があるのにひらがなを今まで不用意に使われておったということが間違いなんで、こういうことはあまり感心した問題ではないわけです。御注意を願いたいと思います。  それと同時に、大蔵省という言葉そのものに問題がある。大蔵という言葉の語源はどこから出てきておるのか、それからどういう意味で今ごろ陳腐な旧時代な大蔵という言葉がそのまま残っておるのか、ちょっとお答え願いたい。
  65. 石野信一

    ○石野政府委員 私もあまりそういう点詳しくはございませんが、古くから国庫という意味において大蔵卿というような言葉が使われまして、国の財政というものは国庫が一番主たる仕事になるという点から、この大蔵という言葉を使ったものと思うのでございますが、そういう慣例に基いて使ってきておるものと考えます。それが実態と合っておるかどうかという問題、これは確かにございますけれども、一応そういう名前が使われておりますと、実態がある程度広がって参りますとか、名前と直接合わなくても、その名前によって実態が理解されるということもございますので、今なお大蔵という名前が使われておる、こういうふうに私は考えます。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 明治初年に大蔵卿とかいうようなものがおられたようですが、そういう昔の、旧時代的な名称で新時代に残っておるというそのものに奇異を感ずるわけです。大蔵省に長くおられると、お役の大蔵省になれておられると思うのですけれども、今、時代はどんどん進んでおるときに、蔵が今ごろあるというのは、これはよほど古い旧家であって、普通は金庫その他で用を足しておる。そういうときに、蔵は蔵でも大きい蔵、大蔵などという言葉がまだ残っておることは、日本は何だかまだ生まれ変っていないという印象を与えるわけです。従って財政省とか財務省とかいうような適当な言葉があるはずなんです。こういうときに大蔵省は、国の財政を握っているなどといって、厳と控えておられるよりは、ちゃんと脱皮されて、大蔵官僚という特権官僚の構成を誇るよりも、むしろ率直に大衆の中へ溶け込んで、財政省とか財務省、そういうところに、大衆の中に溶け込んだお役所という意味で新規まき直しされる。大蔵省設置法改正案の中に、大蔵の名を財政省とか財務省にされるとか、そういう踏み切りはできませんか。これはかりそめの問題ではないと思います。もう脱皮されるいい時期だと思うのですが、いかがでしょう。
  67. 石野信一

    ○石野政府委員 御質問のお気持は十分にわかるのでございますが、ただしかし私ども大蔵という名前というものにこだわって、大蔵官僚であるとか、そういうような気持を持っていばるとかいうようなことはございませんで、またそういうことはあるべきでございません。そういう意味で名前のいかんにかかわらず、あくまで謙虚な、公けに奉仕する人間として事務を処理していくべきである、こういうふうに常に戒心して参りたいと思います。そういう観点から、名前を変えれば実体が変るというわけのものでもございません。むしろ実体の方が問題でございますので、そういう御注意の点は十分体しまして、みんなで戒心して参りたいと思います。名前をどうするということは今考えておりません。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 古来、名は体を表わすという言葉がある。大蔵という言葉を持っておれば、何だか大蔵の陰から幽霊が出そうな旧屋敷の印象があるわけです。これは昔の名前が用いられておるから、変える必要はないと言うけれども、看板を変えれば、人間は清新な感覚になるのです。それを古い感覚の仮面をかぶっていつまでも控えておると、日のささない古い大蔵の陰に幽霊が出るという印象を与える。従ってむしろ財政省とか財務省とかにぱっと切りかえたらいい。名は体を表わす。大蔵の陰に暗い影がある。財政、財務と、明るい影がさすような形に看板を塗り変えるように脱皮すればいいと思う。おそらく与党の諸君の中にも、良心的に共鳴してくれる人があると思うのですが、何分にも研究をされるには大事なときだから、せっかく設置法が出ておるときですから、そういうことで一つどうですか、御検討されませんか。
  69. 佐野廣

    ○佐野政府委員 大蔵官僚ということに大へんおしかりを受けているようでありますが、私はもちろん官僚ではございませんが、今官房長が申しましたように、名前だけでこれが解決するものではないと思います。大蔵大臣も私どももみんなこの問題につきましては十分戒心をいたしまして、将来戒めたいと思います。今こちらからお答えのありましたように、この名前の問題はずいぶん歴史的といいますか、経過というものはなかなか抜け切れないものだと思います。衆議院におきましてはどうか存じませんが、参議院でも郵政省となりました今日でも、逓信部会というのがあるというふうな状況で、これも逓の字が今度問題になっておりますが、これは今御指摘のように、大蔵省というニュアンスが非常に悪いというお言葉でございます。ただいまこれを議論したこともございませんが、将来にわたりまして——各省の名前もそうするといろいろ問題になると思いますので、これは十分私どもの方としても、これがどうも皆さんからよくないということになりますれば、これも一つ研究の議題になると思いますが、十分検討いたしてみたいと思います。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 大蔵、文部、逓信、これはそのほかの役所にはそう問題になるのはありません。しかし大蔵が一番古いのです。逓信という言葉などはむしろ新しい感覚も与えるわけなんですが、大蔵というと、何だか非常な、旧時代の代表のような言葉に、じっと考えてみるとそういう印象を与えるわけですね。しかし国民の中に親しまれておっても、いい時期がくればさっと変えるというようなこと、ちょうど「じょう」の字が今度漢字になっている。こういうところへ心を使われておるほどならば、省名について検討を加えるという時期にきていると思うのであります。そこを一つ考えを願いたいと思います。  もう一つ、保険審議会の問題です。これもせっかく今ある機構を法制化されるわけですが、その際に保険行政というものについてもっと真剣に取っ組んでいただかないといけない面がある。これは大体民間保険と簡易保険とを比較してみると、民間保険にはどこかにまだ封建性がある。たとえば一流の保険会社にしても、保険外務員を盛んにこき使って募集に狂奔させる。その裏の支配する人は別に募集の苦労を知らないから、業務の成績が上らなければ適当に給与を押えるわけです。第一線の外務員は大へんな苦労で、人権侵害もはなはだしい現状にあることは、あなた自身も御承知であろうと思う。それは筆舌を絶する苦労です。日本の民間の保険屋さんが来ると、保険屋が来たというので、むしろ嫌悪の情を感ずるような状況になっている。これは真に保険の必要を認めて、私は保険に加入しますと言って、こっちから保険事務所へ行くくらいでなければだめなんです。第一線の外務員があれだけ苦労して薄給で、もし成績が上らなければ給料を収奪するというようなことになっている。こういう態勢は私は問題があると思う。こういう問題についてはどうなのか。現在の民間保険の募集計画という問題。  もう一つは、相互保険と称して、相互の性格を持たなければならないにかかわらず、保険業者は非常に豊かな暮しをして、大企業とちっとも違わない経営者側の立場に立っている、こういう実情もあるわけです。保険のほんとうの性質を考えるときに、加入者の便益をはかるという意味から、もっと保険会社に対する監督を厳重にして、その横暴をきわめる経営者のような形でやっておられるそういう責任者たちに注意をされて、第一線で苦労されている外務員を十分優遇するような形、同時に、保険加入という仕事は、国民が協力して事務所へどんどん来るような形にしていくような努力を、大蔵省としてはいたされませんか。
  71. 佐野廣

    ○佐野政府委員 ただいまの保険勧誘の問題につきましては、仰せの通り、政府管掌でございましょうと民間会社でございましょうと、そういう弊害が非常に多いということは、私どもも体験いたしているところでございますので、十分注意いたしているところでありますけれども、何分競争の激甚と申しましょうか、その成績を上げることにみな一生懸命になりますため、勧誘員もまたそれを監督している方も一生懸命になります結果、そういう弊害がしばしば出ることは仰せの通りでございます。実は政府のものは私ども直接常に申しておるのでございますが、民間の会社につきましても、第一回に私どもが民間の保険会社と懇談いたしました際にも、大臣も出かけまして、第一回の就任早々の会合の際にもまっ先にこの問題が出まして、お互いに注意をしようということを大臣からも申しましたし、民間の保険会社の社長の人人もこの点につきましては十分戒心をしよう、弊害のないようにしようということを誓い合ったのでございます。そう申しましても、今申し上げましたように、競争の激甚に伴いまして、それでもまだ弊害があるではないかというおしかりを受けると思いますけれども、常にこの問題につきましては、そういうふうに注意を払っておるわけでありまして、これは将来みな誠意を尽してやっていくことによっていたすほかないと思いますので、将来ともこれにつきましては、私どもといたしましても十分戒めあって、弊害のないように努力をいたすことをお誓いいたします。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 もうそれ以上質問しません。事務局側からもお聞きしたいことがありますが、時間も迫っておるからしません。これはそういうあなたのお説の点を十分実行に移してもらって、保険ぎらいの国民を作らないように、外務員の立場を十分考えるように、一つ御注意を願っておきたいと思います。大蔵省はそれで質問を終ります。  一言だけ南方同胞援護会のことについてお尋ねいたします。今度南方同胞援護会のお仕事の中に北方を含むということでございますが、その北方は政令で規定するというのですが、政令というのはどういうようなことを考えておられるのか。
  73. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 政令におきましては、歯舞、色丹、国後、択捉、そのほか総理大臣が指定する北方の地域というような案で今考えております。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 そのほか総理大臣が指定する地域というのは、どういうところが予想されますか。
  75. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 一応現在のところ北千島の方でございますが、今もとの住民の調べをいろいろやっておりますが、この北千島について南千島と同じように取り扱った方がいいかどうかということを検討いたしまして、その上でそういう範囲を必要であれば考えてみたいというふうに今のところ考えております。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 すでに今結論が出ていなければならぬと思うのです。今から検討するということですが、それほど差し迫った問題はなかったわけなんですから、今まで研究が十分できていなければならないと思う。研究不十分なところがまだあるわけですか。
  77. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 不十分ということではございませんが、従来の島民が北海道を中心にいたしまして引き揚げてきておりますので、その点を実態調査をやっております。その上で一つきめたいというふうに考えております。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 それから当分の間置くと書いてありますが、当分というのはどういうことで当分というふうに書かれたのですか。
  79. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 北方に関しましては、御承知のようにまだソ連との条約等もできておりませんので、この北方の取扱い方につきましては、今後さらに検討していく必要があろうと思いまして、さしあたり南方同胞援護会で当分の間やっていけるようにいたしたのでございまして、将来さらにいろいろな諸情勢を判断いたしまして、もっと本格的に考えていきたい、こういうふうに考えております。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 そこで「当分」という言葉がなければ、ここで南方同胞援護会という言葉は、南方でなくて南北同胞援護会、そういうふうにされる。そうすれば、南北を含んだ同胞援護会という構成にされた方が筋が通るのじゃないか。何だか南方だけにかかって、北方はつけたりだという印象を与えることになるのですが、そういうことの御判断はどうなっておるのでございましょうか。
  81. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 私どもも南方同胞援護会の名称まで変えていくようなことも一応十分検討いたしまして、南方同胞援護会が御承知のように自民党、社会党両党で議員提案でできた法律でございますので、理事会等にもいろいろ諮りまして、さしあたり当分の間名前を変えずにやっていって、一つ将来考えようというような意見がございましたので、それを尊重いたしましてこういう原案に達しております。南の方に関しましては御承知のように、アメリカとの関係におきまして潜在主権を持っておるというふうにはっきりいたしておりますので、南方同胞援護会というものができたのでございますから、北方につきましては、そういういろいろ南方の地域というものはまだはっきりいたしておりませんので、今後いろいろ研究と、そういうような意見を聞きまして本格的な取扱いを検討したい、こういうように考えております。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 これで終りますが、南方同胞援護会のそうした新しい地域を広げて、これらの地域におられた人々の問題の解決に努力しようという点においては、われわれ協力にやぶさかではありません。きょうは法案がたくさん上るので、われわれは非常に熱情を持ってまじめに質問してみるのですから、その点をお含みいただき、自民党の委員諸君もまた野党が真剣にやっておるときには、与党は十分協力されるということでやっていただきたい。これで質問を終ります。
  83. 内海安吉

    内海委員長 石山權作君。
  84. 石山權作

    ○石山委員 大蔵省に簡単にお聞きします。ここ四、五日の日銀の帳じりはどのくらいですか。こまかい数字は要らない、千億台ぐらいでいいです。
  85. 大月高

    ○大月説明員 四千億ちょっとこえておると思います。
  86. 石山權作

    ○石山委員 第三次の公定歩合を下げたのですが、それに影響する歩合は四千億とすればどのくらいになりますか。
  87. 大月高

    ○大月説明員 一厘を年歩に換算いたしますと〇・三六五%でございますので、これを掛けますと、大体十億見当かと思います。これは年間であります。
  88. 石山權作

    ○石山委員 そうしますと一厘、日歩だと四百万ですね。そうなりませんか。
  89. 大月高

    ○大月説明員 仰せの通りでございます。
  90. 石山權作

    ○石山委員 私、こういうことを書いたいのです。たとえば公定歩合を引き下げるということは、市中銀行の率も引き下げるのだ、そういうことをねらっておやりになると思うのですが、なかなか市中銀行が下げない。そうすると、公定歩合を一厘引き下げるということは四百万ずつだ。それは市中銀行に利益を与えておるという勘定になって、ねらいがはずれている。ねらいが命中すればこれは四百万——そんなにならぬと思うのですが、最近の金利の動きを見てみますと、大蔵省が意図していることと日銀が意図していることとは、およそかけ離れた格好で動いていっているのではないか。そうしますと、私のように口の悪いのは、何だ、今でさえも市中銀行がもうけているのに、それよりも一日四百万も三百五十万ももうけさる手は、一体どういう意図を持っているのだというふうなことを言いたくなるわけです。しかもこうなんです。標準金利というものを銀行協会でおやりになっていますが、その第一号というのは鉄鋼関係三社だけじゃありませんか。あまり率なんか下げてもらわなくてもゆうゆうとやっていける大会社だけに対してこういう標準金利の——これは富士銀行で第一号をやったようですけれども、せっかく引き下げた公定歩合の価値が、膨大な基幹産業だけに適用されるような格好を大蔵当局が黙って見ているなんというのは、はなはだ意に沿わないと言うと怒られるかもしれませんが、私の意に沿わないやり方だと思う。これはいかがですか。
  91. 大月高

    ○大月説明員 日本銀行の公定歩合が先月の末一厘方引き下げられ、市中金利につきましても、ただいまお話のございましたように標準金利が一厘下りまして、一銭九厘ということになっておるわけでございます。標準金利の制度は、今般の金利引き下げに関連して初めて採用した制度でございます。標準金利の考えと申しますと、公定歩合の上げ下げにスライドして標準金利を上げ下げする、その標準金利の上り下りに応じて一般の金利水準がまた上り下りする、こういうことをねらっておるわけでございます。従いまして今般標準金利を設定し、それが従来の基準に比べて一厘下っておるということは、一般の市中金利の水準が逐次下っていくことを意味するものでございまして、ただいま御質問のございましたように、単にきわめて優良な数個の会社に対する貸し出しの金利が下るという趣旨のものではないわけでございます。  具体的に申しますと、ただいま銀行から一般に貸し出されております貸出金が五兆八千億円くらいございます。これは十二月末の数字でございます。それに対しまして、企業の信用度に応じ、あるいは長い、短かいというような貸出金の性質に応じまして、それぞれの金利がつけられておるわけでございます。現在優良な企業に対して課されております金利は、引き下げ前におきまして大体二銭、公定歩合とほぼ同じ水準になっておるわけでございます。その二銭の金利が適用されております金額は全体のほぼ一八%という数字になっております。従いまして五兆八千億の一八%と申しますと約一兆円程度のものが、二銭の適用を受けておる。この二銭の標準的な優良なる金利が、今般の標準金利の引き下げに伴って一銭九厘程度に下る、こういうことでございまして、必ずしもごく少数の企業に対する貸出金利が下るという性質のものではないわけであります。それではその約二〇%以外のものがどうなるかということでございますが、全体の金利水準を下げるという方針のもとに今般の制度がとられた結果といたしまして、直ちに今のような姿が出るわけではございませんが、逐次新しい貸し出しについて適用があるものでございますので、全体としての金利水準は今の標準金利にスライドして逐次下っていく、こういうことを考えておるわけでございます。
  92. 石山權作

    ○石山委員 あなたに政治的なことをお聞きするのは無理ですから政務次官に伺いますが、的を射るとか射ないとかいうことになりますと、もし日銀が発意して公定歩合を引き下げて、その的がうまく射られなかったとすれば、私は日銀当局が無能だと思うのです。しかし、たとえば大蔵省が最近こういう問題に非常に積極的になって、日銀をチェックする、制肘力を集中するというふうなことをやむを得ずやったとすれば、これは大蔵当局があまりにも政治的に動き過ぎる。この関係はどうだ。第一次、第二次、第三次とやったのですが、今回全く日銀の発意でこの公定歩合の引き下げが行われたものであるかどうか、これをお聞きしたい。
  93. 佐野廣

    ○佐野政府委員 佐藤大蔵大臣になりまして以来、経済情勢その他につきまして緊密な連絡は始終とっておりますけれども、金利などにつきまして日銀に指図するとかそういうふうなことにつきましては、厳に控えておることを承知いたしておりますし、新聞等でもそういうふうにごらんになっておるのではないか、私はこう存じておりますが、大蔵省としてこの問題につきまして指図するとか、そういうようなことはいたしておりません。自主性にまかしております。
  94. 石山權作

    ○石山委員 オーソドックス的な考え方から金融問題を考えれば、日銀にまかしておくことが一番いいことになると思います。しかし今のように的をはずれるところを見れば、これは日銀にも相当注意をしておく必要があるのではないか、こういうふうに思うわけです。無能呼ばわりなんぞする必要はないと思いますが、私は今までの経緯を見まして、あまり成功していないというふうに判断してよろしいのではないかと思う。  日銀の話が出たのですが、ついでに私が大蔵当局に要望したい点は、たとえば市中銀行が金利を引き下げないということは、結局コストに合わないから引き下げないという言いわけがあるだろうと思います。銀行自体は普通の産業に対してどんなことを言っておるかというと、企業整備をしろとか、首を切れとか、重役を入れろとか、勝手なことを言って支配をする傾向がある。御自分は内部においてコスト切り下げの努力をしておるかというと、あまりしていないように見えるのです。どうですか。たとえば某銀行々々々というような新聞なんかで話題に上っている連中にさえも、大蔵当局はどうにもできないでいるじゃありませんか。株主総会を開くとまた重役陣が入って、また再び同じことを繰り返している傾向が市中にあるのです。それに対してどういうふうな監督権を発動されて、法律的根拠でこれを押え得るような工夫をなさっておるかどうか、説明していただきたいと思います。
  95. 佐野廣

    ○佐野政府委員 地方銀行の問題がお話にございましたが、地方銀行に対しましても、もちろん政府としてどうこうということを申し上げておるわけではございませんが、これとかけ離れたことをされても困ることはおわかりになると思います。従いまして、日銀に対しましてと同様、地方銀行に対しましても具体的にどうこうという指図をするわけではございませんが、協力を得られるような方策と方向を私どもとしては考えなくちゃいけないことと存じております。また地方銀行の重役の問題等につきましても、今御心配の、また御指摘のような弊害のないように、これは十分注意いたさなければなりませんし、注意をいたしております。
  96. 石山權作

    ○石山委員 銀行のおえらい方々が御自分でコストの切り下げに努力しないで、今度コストに合わすために預金金利の引き下げを行う、こういうことをそろそろ言って、大蔵当局はそれに賛成しておると言っておる、事実そうですが。
  97. 佐野廣

    ○佐野政府委員 ただいまのところ預金利子を下げるという方向はとっておりません。
  98. 石山權作

    ○石山委員 私は大蔵当局にこの点だけは強く要望したいと思うのです。各銀行は産業界に対して、企業に対して非常な力をもって臨んでいるわけなんです。しかし公定歩合を日銀が引き下げしても、市中銀行はなかなかこれに応じない。応じたと思ったら大会社にだけ、というような工合です。そうして実際に一銭九厘に該当するものはどのくらいかと思ったら、新聞でも出ているのですが、実に総貸し出しの一%にすぎないと言っているのです。これは結局私が先ほど言ったように、公定歩合の引き下げに便乗して、市中銀行が不当な利益を得ているというような格好にならざるを得ないじゃありませんか。標準金利にまかせておいてはいかぬというのです。それからもう一つは、自分たちがそのくらいの権力を持ちながら、銀行家はちっとも反省しない。自分たちのコスト切り下げを行わない。日銀の公定歩合で利益を得て、そうして今度はコストが合わないというので、預金の利下げをやろうともくろんでいる。それで大蔵省は、そうではないといって言るのだけれども、暗に認めるようなへっぴり腰をして臨んでおる。それでは大蔵当局の銀行を監督する——正常な通貨、金融、経済の安定、こういうようなところからにらみをきかせなければならない大蔵当局が、事銀行の問題になるとだめなんです。黙認しておる。預金の金利の引き下げは行わないというのはほんとうでございますか。それも近い将来ですか。
  99. 佐野廣

    ○佐野政府委員 現在は仰せの通りの方針をとっております。なお、いろいろ御指摘のありました注意すべき事項につきましては、私どもといたしましても十分戒めてやることで御了承願いたいと思います。
  100. 石山權作

    ○石山委員 私、耳が聞えないから——預金者の金利引き下げをやるのかと言ったのですが、もっとはっきり……。
  101. 佐野廣

    ○佐野政府委員 ただいま預金利子を引き下げるという方向はとっておりません。
  102. 石山權作

    ○石山委員 ただいまの時限においてでしょう。あなたのおっしゃっているときだけの話でしょうただいまとか、現段階とか、政治用語でやっておられると思うのですが、そういう意味ではなく、預金者はみんなわずかの金でも大事にして、皆さんの宣伝に応じて、いつ下るか知らぬけれども、定期預金などもやっておるわけでしょう。それを引き下げするかしないかは、やはりみんな真剣に考えておることなんです。たとえば今の段階といっても、一カ月の今の段階なのか。ことしじゅうは行わないというくらいなら話はわかるけれども、ただいまはその方向ではありません、あしたになればあしたの風が吹く。変るのじゃ困ります。あなたの言うただいまは、どのくらいのただいまなんですか。
  103. 佐野廣

    ○佐野政府委員 私はあまり政治的経歴も古くありませんので、政治的用語などというものをあまり存じません。ただいまと申しましたのは、今大蔵省でそういう方向はとらないということを、大臣以下話しております。それに基いての答弁でございまして、そんなかけ引きのある答弁を私今申し上げておらないことを御了承願いたいと思います。
  104. 石山權作

    ○石山委員 誠実な政務次官の答弁として了解いたしました。  それからもう一つ、先ほど私第一号がいみじくも基幹産業の鉄鋼三社に適用されたということを申し上げました。弱小企業が標準金利の場合ともすれば押しやられることは、今までの経緯から見てもわかるわけです。ですから大蔵当局としては、これはたまたま今話があるのですが、中小向けのワクみたいなものを設定しながら指導していただかないと、標準金利で大企業の方へ流れていってしまう可能性があるわけです。これはかなりきつく指導していただかないと、中小企業に回っていかないじゃないか。回してやる方策がありましたら一つお聞かせ願いたい。
  105. 佐野廣

    ○佐野政府委員 予算編成の当時から中小企業の育成につきましては、財政投融資の問題その他から考慮して十分留意をいたしております。これは特別悪く扱おうなどというようなことは私ども毛頭考えておりませんし、そういう方策をとっておらないのであります。いろいろ御心配の向きにつきましては、私どもとしても注意をいたしますけれども、そういう方策は将来にわたりましてもとらないことを申し上げたいと存じます。
  106. 石山權作

    ○石山委員 事務当局から方法論があったならば……。
  107. 大月高

    ○大月説明員 中小金融の問題は非常に重要な問題でございますので、金融の立場から重要な関心を持ちましていろいろな対策を講じておるわけでございます。一つは、政府機関の資産の充実でございまして、今般中小企業金融公庫あるいは国民金融公庫、商工中金等に対しまして、それぞれ政府資金を増額し投入いたしておるということがございます。第二といたしては、信用度の低い企業はとかく金が借りにくい。もちろん中小企業は信用度が低いということではございません。先ほど弱小というお話がございましたが、弱大もございます。強小もある、こういうことでございまして、信用度の低い企業につきましては、とかく全体として金が借りにくい。そういう中でも大きくて弱いというのはやはりそれぞれ特殊の原因があると思います。中小企業はとかく不利な場に立つ。そういう意味からは国の力において信用を補完する、借りられやすくするということがございます。信用保証協会及びこれをバックしております中小企業信用保険公庫、これがその制度でございまして、本年度もやはり十億の国家資金を入れまして、保証の金利を引き下げるとともに、保証の限度額をふやす、こういう対策を講じております。一般の金融におきましても、御存じのように相互銀行、信用金庫あるいは労働金庫、信用組合、そういう中小金融機関がございまして、集まりました資金は中小企業の方へ向いている、こういう制度でございます。最も問題になると思うのは市中銀行であると考えます。現在のところ中小企業へ向いております金額は全体の三五、六%、約三分の一は向いておる。先ほどの五兆八千の三分の一でございますので、相当大きなものが中小企業に流れておる、こういうことでございます。そういう全体の立場において、政府金融機関、市中金融機関、市中金融機関を通じまして、金融機関全般として中小企業に十分金が回るように努力いたしておる次第であります。
  108. 石山權作

    ○石山委員 これは御答弁を求めるというのではなくて、研究していただきたいということですが、労働金庫でございます。労働金庫の預金が最近大へんふえました。その使い道が今の法律ではだいぶ限定されておりまして、ちょっとだぶついていることになっております。市中銀行に預託されている部分が多くて、一般の労働者へそれがとかく還元できないうらみがある。もう少し窓口を広げて、だぶついているお金がただ市中銀行に預託される形でなく、預託される部分が労働者に活用されるようなことが、特に最近必要になってきているのではないかと思いますので、その活用方法を大蔵当局の方から御指導するように願いたいし、法案等もそのために必要ならば一つ御用意を願いたいと思います。
  109. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 瓜生次長に一言お聞きしたいのですが、御物の所有権は、いわゆる国有財産であるか、皇室の私有財産であるか、この点だけお伺いしたい。
  110. 瓜生順良

    瓜生政府委員 世間で御物といわれておるものの中に、国有財産であるのもございます。たとえば正倉院の御物、あれは国有財産でございます。しかし陛下のお身まわりにあります私有物の御物、正確に御物といえばそのものが御物なのであります。正倉院のは国有財産でございます。ですから世の中で御物といっている中に、国有財産の御物とほんとうのお身まわり品の私有財産の部分と二つございます。
  111. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 実は重要文化財とか国宝等について歴史家等がいろいろ研究する場合、御物であるがために非常に困難である場合があるのです。その点御物についてのそうしたはっきりした分類をぜひ一つしてもらいたい。いわゆる国有財産と私有財産をはっきり区別していただきたいということを希望しておきますが、これはまた歴史家の研究についての問題がありますので、後刻お伺いすることにいたします。
  112. 内海安吉

    内海委員長 お諮りいたします。ただいま質疑を行なっております四案中、大蔵省設置法の一部を改正する法律案南方同胞援護会法の一部を改正する法律案及び日本国憲法第八条の規定による議決案の三案についての質疑はこれにて終了いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  113. 内海安吉

    内海委員長 御異議なしと認めます。よって三案についての質疑はこれにて終了いたしました。  ただいまの三案につきましては、別に討論の申し出もありませんので、直ちに採決いたします。大蔵省設置法の一部を改正する法律案南方同胞援護会法の一部を改正する法律案日本国憲法第八条の規定による議決案賛成諸君起立を求めます。     〔総員起立
  114. 内海安吉

    内海委員長 起立総員。よって各案はいずれも原案の通り可決いたしました。  なお、本日採決いたしました各案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任を願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  115. 内海安吉

    内海委員長 御異議なしと認めます。よってそのように決定いたしました。  次会は公報をもってお知らせすることにし、本日はこれにて散会いたします。     午後一時二十四分散会      ————◇—————