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滝井委員 実は
精神薄弱者とそれから教護院に行く不良との相関
関係というものは、私は非常に密接な
関係があると思う。たとえば売春婦は知能テストの低い者が多くて、ほとんど
精神薄弱者というものが習慣的に売春をやる者が相当にあるということは、これは皆さん御存じの通りです。そうしますと、これらの関連というものを十分に考慮しなければならぬのですが、それについてもやはります
乳幼児の
精神薄弱的な
施設、これは未熟児の時代からいろいろな
施設があるわけですが、未熟児というのは、肉体的にも
精神的にもやはり弱いところがあるから未熟児だと思うのですが、そういうときから今までの十八才
未満の
施設、それから今度のおとなの
施設、こういうものはやはり何か系統的に一貫したものがなくてはならないと思うのです。どうも
厚生省の
行政を見ると、そのときどきにそういう形が出ておって、何かそこに一貫したものがない。私はこの前ここで指摘いたしましたが、
結核対策をやるのに、
文部省は
文部省の道を歩いている、
厚生省は
厚生省の道を歩いているというのではいかぬのではないか、やはり一個の人間が
子供からおとなの過程に育っていくについては、これはやはり一個の人間であることには変りはないのだから、
厚生行政というものも一貫した筋を通していってもらわなければ困る。さいぜんこの
精神薄弱児の
調査の方法が出ました。実は私もいつかまるや三角を切らして、それが
精神薄弱児であるという診断の上に
一つの誤まりを来たしているということを
中山さんと同じように、多分
日本経済か朝日か、新聞であったと記憶しておりますが、読んだのですが、そういう面からいっても、
精神薄弱者である
児童その他
乳幼児もひっくるめた全国的な
調査というものは、やはり大々的にやってもらう。そのやるについては
児童委員なり、民生
委員なり、あるいは
社会福祉主事なり、
児童福祉主事という末端機関があります。同時に
社会福祉の協議会というようなものもあるわけです。そうして県の
所管する
児童相談所というものが心理学に経験のある者を置いているわけですから、私は軽い者はまずまずとして、
収容をして相当精力的な
教育と治療を施さなければならぬ者の把握というものは、これはしろうとが見てもわかると思うのです。そして最終的なふるいというものを
児童相談所でかけていったらいいと思う。
児童相談所は大体保健所のあるところには一カ所ずつあります。それから県には割合権威のある県の
児童相談所というものがある。最近こういう
児童相談所というようなものに対する
予算のつぎ込みというものが非常に少くなってき始めました。私の知っている大学教授で相談所の所長になっている人がおりますが、どうも最近待遇が悪くて進展をしないので、昔の大学教授に返りたいというのがいるのです。そういうようにこの
精神薄弱の問題に対する施策の比重の置き方というものがだんだん軽くなりつつある。初期においてはこれらのものには各県とも相当金もつぎ込んだし、りっぱな
施設も作りました。ところが最近は行ってみると閑古鳥が鳴く
状態で、だんだん待遇が悪くなる。これは地方自治体の赤字のかげんもあるかもしれません。同時にその
児童相談所の手足となって働く
社会福祉主事、あるいは
児童福祉主事というような末端の人的な構成が充足されていない。これは私がここで言うまでもなく、保健所における充足率と同じで、六割か七割です。従ってあなた方が科学的な
調査をやろうとしても、そこに専門家がいない。これは
社会福祉主事ならば、少くとも心理学をおさめたり、何かそういう経験がなくては主事の免許というか、とにかく資格ができないのです。ところがそういうものが六割か七割の充足奉で、貧しければ貧しい自治体ほど実際にはそういう者がいないのです。さいぜん
児童局長が言われたように、貧しいところほど
社会的な交流が少いために、血族結婚が多くて
精神薄弱児なり
精神病が多い、これは明らかです。皇族でさえも、皇后陛下に
民間の人を迎えて、皇族の血の清浄化をはかろうという時代になったのですから、これは私は
日本における
一つの転機だと思うのです。
日本の一番の象徴がそういう方針をとり始めて、
民間の毛並みのいい優秀な方を入れて、皇族の優秀化といいますか、血の清浄化をはかろう、こういうことなんですから、こういう時代はいいときだと思うのです。こういう
精神薄弱をなくすために、皇族がその範をたれているという
一つの問題もあると思うのです。そういう点で、上の方は
政策はこういう
政策ができておるけれ
ども、末端がだめなんです。そういうものを科学的に見ていく力がない。そして力がある人はりょうりょうたるものであるという実態ではいかぬと思うのです。やはり上の
政策がこういうように進展をするならば、その末端に働く人間がやはり充足されておるという姿、これがとられなければならぬと思う。いろいろ中央で
予算がついても、末端にいった場合に、この前の辺陣地に保健所のかわりにできる母子センターについても、私はそういう点で異議があった。それができてもそこに人がこないという点です。もう
一つはこういう
精神薄弱ができる非常に大きな原因であるいわゆる
産児調節の問題、
家族計画の問題についても
予算が消化しきれないので、本年は千八百万も削られなければならない、こういう実態なんです。結局これはなぜなのかというと、そういう具体的な
家族計画を、ほんとうに
家族計画の
精神に基いて普及する人がいないのです。人がおったらやれますよ。ところがその人がいないからという結果になってくる。これを
公衆衛生局から
児童局に移しても私は同じだと思う。
児童局は末端の手足というもの——たよるところはどこかというと、これは移しても
児童局はたよるところはないですよ。一体
児童局はどこにたよるか、
社会福祉事務所にたよるといったって、
社会福祉事務所には御存じの通り
児童福祉司もよういないという
状態です。民生
委員と
児童福祉
委員をほとんど兼ねている。こういうことになると、どうも私は、この
精神薄弱というものは、やはり末端の人間の整備というものがまず第一に先行されなければならぬ、こう思うのです。一方
生活保護の部面を見ると、
結核と
精神病というものが非常に金を食う、こういう面が出てきておるわけです。従ってそれを金を食わせないようにするためには、やはり軽いうちに、
子供のうちに訓練をして、その
精神薄弱の
状態を脱却せしめる。そういう
精神薄弱の者が都市に出てくれば、この複雑な都市の
生活状態の中からいわゆる
精神病として不良化してくる。薄弱が今度は不良に転化するということです。そうしてそれは同時に、最終的には、こういう狂暴なやつは
精神病だという認定で
精神病院に入れられなければならぬ、こういうことにもなり得るのです。あるいはそれが結婚すれば、今度は質の悪い者同士の結婚のために、また新しい
精神病者を拡大再生産をしていくということになる。何かそこらあたりの末端の機構の問題というものについて、一体
厚生省はどういう工合に考えてこういう施策をして、のしていくかということです。上台がはっきりしないところに、上だけいろいろ
施設を作っても、これは動かない。その証処は、婦人相談所が閑古鳥が鳴いているということをこの前ここで指摘しました。ことしはたぶん婦人相談所も
予算を削られているんじゃないかと思いますが、そうだとするならば、ああいうところに余っている人間というものをむしろこういうところに回して活躍をしていただく。婦人相談所の人も、みんな人間を取り扱っているのだから心理学の経験がありますよ。そういう点では何か
厚生省の施策というものは一貫したものを欠いておるし、それから上告がしっかりしていないのです。だからその土台としては、福祉事務所なり
児童相談所というようなところを強化しなければ、これは
予算をつけてもらってもとても末端で消化されない。消化しきれないというか、いわゆる血となし肉となすことができないという意味なんです。そしてせっかく
局長さんの努力で
予算がついて
施設ができるが、さて
施設は閑古鳥が鳴く。できた
あとには一、二年すると閑古鳥が鳴くという、こういう流行病みたいな形で、一、二年すると忘れられるということでは困ると思うのです。そういう点について一体あなた方は、今私が指摘したような
家族計画の問題にしても婦人相談の問題にしても、あるいは今作ろうとしておるこういう十八才以上の
精神薄弱者の
施設の問題にしても、どういう観念で、どういう
計画とどういう人的要素をそろえてこれを拡大強化していかれるのかということです。同時にそれは
生活保護における
精神病の
医療費というものにつながってくる。それを減らす
一つのてこにもなると思う。そういう点、
行政というものが
計画的に、総合的にどういう工合に立てられていくかを御答弁願いたいと思うのです。