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1959-03-16 第31回国会 衆議院 社会労働委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月十六日(月曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 園田  直君    理事 大石 武一君 理事 田中 正巳君    理事 八田 貞義君 理事 藤本 捨助君    理事 滝井 義高君       秋山 大助君    亀山 孝一君       木倉和一郎君    藏内 修治君       齋藤 邦吉君    田中 龍夫君       二階堂 進君    福永 一臣君       柳谷清三郎君    亘  四郎君       赤松  勇君    伊藤よし子君       多賀谷真稔君    八木 一男君       吉川 兼光君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 坂田 道太君  出席政府委員         総理府事務官         (経済企画庁総         合計画局長)  大來佐武郎君         厚生政務次官  池田 清志君         厚生事務官         (大臣官房長) 森本  潔君         厚生事務官         (大臣官房審議         官)      小山進次郎君  委員外出席者         厚 生 技 官         (大臣官房参事         官)      坂中 善治君         専  門  員 川井 章知君     ————————————— 三月十三日  委員田邉國男辞任につき、その補欠として星  島二郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員星島二郎辞任につき、その補欠として田  邉國男君が議長指名委員に選任された。 同月十六日  委員川崎秀二君、谷川和穗古川丈吉君及び山  下春江辞任につき、その補欠として田中龍夫  君、秋田大助君、福永一臣君及び木倉和一郎君  が議長指名委員に選任された。 同日  委員秋田大助君、木倉和一郎君、川中龍夫君及  び福永一臣辞任につき、その補欠として谷川  和穗君、山下春江君、川崎秀二君及び古川丈吉  君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  派遣委員より報告聴取  国民年金法案内閣提出第一二三号)  国民年金法案八木一男君外十四名提出衆法  第一七号)  国民年金法施行及び国民年金と他の年金等と  の調整に関する法律案八木一男君十四名提出  衆法第二六号)      ————◇—————
  2. 園田直

    園田委員長 これより会議を聞きます。  内閣提出国民年金法案並びに八木一男君外十四名提出国民年金法案、及び国民年金法施行及び国民年金と他の年金等との調整に関する法律案、以上を一括議題として審査を進めます。  去る十三日より三日間にわたり、国民年金関係法案審査のため新潟大阪福岡の三市に委員を派遣いたしたのでありますが、この際各班の派遣委員より順次その報告を承わることにいたします。第一班新海市、二階堂進君。
  3. 二階堂進

    二階堂委員 内閣提出国民年金法案八木一男君外十四名提出国民年金法案、並びに八木一男君外十四名提出国民年金法施行及び国民年金と他の年金等との調整に関する法律案新潟地方意見聴取会は、十四日午前九時半から新潟市町村会館で開かれ、二階堂山下多賀谷、中村の四委員が派遣され、意見陳述者として県議高橋重雄農業新潟市議坂井ヨシ君、以上自由民主党推薦県議小栗久一郎農業新潟医療協会常務理事梅沢三代司君、以上社会党推薦、が出席されました。  以上四君よりは熱心な意見陳述が行われ、高橋坂井両君は、年金法案内容については多少不満もあるが、国民待望の年令という画期的な制度を一日も早く確立してほしいとのことであり、小栗梅沢両君は、政府案給付額など内容に乏しいから社会党案に近い修正を行うべきであるとのことでした。  まず高橋重雄君は、国民年金法案審議に当り地方意見を述べる機会が与えられたことはまことに時宜に適した措置であると述べ、年金制度拠出制中心国家財政を考慮の上発足するのが当然で、従って政府案給付額はやや少額に過ぎ、救貧のきらいはあるが、現段階ではやむを得ない。国民待望のこの制度を一日も早く発足させるべきである。政府案国民年金制度を円滑に運営するためには年金事務を実際に取り扱う市町村の協力が必要であり、事務費に対しては国が責任をもって全額負担すべきである。また積立金運用については将来地方還元を十分考慮すべきであると述べられました。  小栗久一郎君は、政府案現行公約年金適用者を除外し、既存各種年金通算も直ちに行われないことは内容のない看板だけのものといわなければならない。政府案の無拠出老齢年金支給開始は七十才で、その金額もわずかに月千円であるが、農民は重労働のため五十才でも老衰する者が多い。この農民実情を全く考慮していないし、支給額の千円はあまりにも少額である。また拠出制老齢年金も四十年の長期にわたり、六十五才で月額三千五百円では老後に対する不安はおおうべくもない。その点社会党案現実に即したものというべきである。政府案では保険料も画一的な方法徴収されるが、農民立場からその徴収方法にも疑問がある。政府案についてはさらに検討し、社会党案に近づく修正が望ましい、と述べられました。  次に坂井ヨシ君は、政府案では母子援護年金は二十五才以上の子がいる母子世帯には支給されないが、母子世帯実情からこの点十分考慮して、ほしい。その他援護年金所得制限は相当きびしいが、もう少し緩和していただきたい。政府案については必ずしも満足すべきものではないが、国の財政ともにらみ合せて今後手直ししていくこととし、とにかくこの制度を発足させることが何よりも重要な意義がある。社会党案理想案で、財源の点から実現は困難ではなかろうか、との意見でした。  最後梅沢三代司君は、政府案保険料百円から百五十円はどのような資料が基礎になってきめられたものであるか疑わしい。現在の労働者賃金では老後掛金などはとてもできない相談である。ことに四十年後の三千五百万円の給付額では生活の安定は望めないし、農村の大家族世帯では相当額に上る保険料は果して支払い可能であろうか、むしろ保険料負担農民にとって迷惑となるのではあるまいか。また政府案障害年金において内部疾患を除いているのは手落ちである。私は社会党員ではないが、社会党案政府案に比べて、社会保障制度という立場から見ても現実的であり、財源政府がやる気になれば方法はあるのではあるまいか、との意見が述べられました。  引き続き意見陳述者に対して、派遣委員よりそれぞれ質疑が行われました。  以上御報告いたします。
  4. 園田直

    園田委員長 第二班大阪市、旧中正巳君。
  5. 田中正巳

    田中(正)委員 内閣提出国民年金法案並びに八木一男君外十四名提出国民年金法案国民年金法施行及び国民年金と他の年金等との調整に関する法律案、以上三法案に関し、田中正巳河野孝子滝井義高堤ツルヨの四委員大阪市に派遣せられ、一昨十四日大阪教育会館において、大阪社会福祉協議会常務理事神崎広君、大阪未亡人協議会会長西本そとの君、大阪市立大学教授近藤文二君、高槻温心寮長塚本茂藏君、以上四名の、意見陳述者より意見を聴取いたしました。以下その概要を御報告いたします。  まず神崎広君は、政府及び日本社会党とも具体案提出し、近く本制度の発足を見るに至ったことは無上の喜びであると前提しつつ、社会党案について、一、年金税において所得による差等を設けたことはよいが、確実なる所得把握は至難であり、これがために徴収事務は複雑化せられ、年金税徴収経費五十二億円程度では到底処理し得ないであろう。二、特別年金支給要件としての所得制限が過酷過ぎる。三、初年度の費用は約千二百億円であるが、この財源調達は容易なものではない等の諸点をあげて、将来あるべき理想的の姿ではあるが、国家財政の現状よりしては、政府案の方が現実的であるとし、政府案に対しては、一、適用対象公的年金制度の適用されている被用者以外の一般国民のみに限定されていることは狭過ぎるものであって、国民年金の名に値しないのではないか。時に配偶者を原則として除外し、任意加入としていることは不満である。二、無拠出年金支給制限がきびし過ぎる等の点をあげて将来の改善を期待し、なお、一、市町村長委託事務を処理する費用を実質的に国庫が完全に補償すること。二、本制度趣旨内容聞知徹底に遺憾なきを期すること。三、生活保護と実質的に併給すること等を要望されたのであります。  次に近藤文二君は社会党案について、一、養老年金支給要件としての所得制限世帯三十六万円はきびし過ぎること。二、一般国民年金労働者年金正との二本建は妥当であるが、後者家族一般国民年金に入れていることは賛成できない。三、財源について年金税として賦課方式をとったことには敬意を表するが、一般国民年金税所得比例方式をとるには困難があり、特に月平均百六十六円の金額については負担能力の点において疑問があり、免除の範囲料率等についてなおこまかい検討が必要である等の諸点をあげて、社会保障制度としてりっぱなものではあるが、国家財政国民年金だけに歳出の一三%も使用することは、医療その他の社会保障制度との関係上、実現性の点においてやや問題があると結論され、さらに政府案に対しては、一、拠出制基本としたことは賛成であるが、無拠出制を経過的補完的にのみ認めていることは、七十才以上の老齢者には無拠出年金を認めた社会保障制度審議会の答申を軽視したものである。二、国庫負担を二分の一まで踏み切ったことはけっこうであるが、整理資源対象になっていないから、実際には三分の一くらいになる。三、被保険者範囲について、配偶者と学生を任意加入としたことは疑問がある。四、保険料はできるだけ低くして、負担できる人を多くすることが望ましい。なお徴収具体的方法は大幅に市町村にまかせること。五、援護年金の名称はよろしくない。六、附加年金実施には十分検討を要する等の意見を述べられた後、要望として、一、既存公的年金制度との通算調整と関連して、厚生年金保険法をすみやかに改正すること。二、生活保護との関係併給よりも加算制がよい。三、市町村事務費を完全に国が補償すること。四、積立金運用方並びに五年目ごとの再検討に際して賦課方式についても考慮すること等を述べられたのであります。  次に西本そとの君は、未亡人立場から意見を述べられたのでありますが、政府案賛成であるが、今年十一月一日から必ず実施を望むとの前提のもとに、一、適用範囲は将来拡張すること。二、拠出制基本は当然であるが、無拠出制は経過的だけでなく、併存させる必要があること。三、保険料については国民健康保険料の例を見ても、百円ないし百五十円の負担もなかなかなか困難であること。四、母子援護年金の額を二千円とし、第一子から加算制を採用すること。加算額は原案二百円より増額されたきこと。五、死別だけでなく、生別や遺棄の場合も対象とすること等を述べられました。  最後塚本重藏君は、社会事業施設経営者立場から、一、無拠出年金額日本社会党案の線にまで引き上げること。二、その支給制限はきびし過ぎること。三、生活保護との併給を認めること等の意見を述べられたのであります。  引き続いて、意見陳述者に対して派遣委員より、主として年金額給付制限事務機構年金財政等の諸問題を中心として質疑が行われたのであります。  なおオブザーバーとして中山マサ委員が現地出席せられましたことを付加いたしておきます。  以上、簡単ながら御報告申し上げる次第でございます。
  6. 園田直

    園田委員長 第三班、福岡市、柳谷清三郎君。
  7. 柳谷清三郎

    柳谷委員 内閣提出国民年金法案並びに八木一男君外十四名提出国民年金法案、及び国民年金法施行及び国民年金法と他の年金等との調整に関する法律案に関する審査のため、福岡市に派遣されました私ども大坪保雄柳谷清三郎八木一男小林進の各委員は、三月十四日、右三案に関する地方意見聴取会を行い、各層を代表する、福岡県議会議員田中政志君、九州大学助教授奥田八二君、福岡児童福祉審議会委員縄田養造君、福岡商店街市場連盟会会長磯田秀雄君、及び福岡母子福祉連盟会会長谷妙子君、以上正五名の意見陳述者より、その意見を聴取いたしましたが、それぞれの意見の要旨を御報告いたしますと次の通りであります。  まず田中政志君は、政府案社会党案を比較して、支給金額があまりにもかけ離れている。前者が社会保険主義であるのに対し、後者社会保障を建前としている。このことは、政府案中流階層以上を対象としているのに反し、社会党案貧困階層対象としているところに根本的相違がある。特に老齢年金支給開始年齢は、今後予想される定年制度の問題と関連して考慮してほしい。また政府案現行年金制度適用者を除外した国民対象としているが、社会党案は全国民対象としている。政府案積立方式を採用すのに対し、社会党案積立方式のほかに賦課方式をとっている。以上の点で国民福祉に大きく貢献すると思われる社会党案賛成する旨の開陳がありました。  次に、奥田八二君は、憲法第二十五条に規定する国民の権利と政府の役務との関係の理念を説いた後、年金制度根本的考え方として、政府国民に対する義務の観念が薄い、もう少し積極的態度が望ましいと述べ、この意味で、政府案社会保険的考え方が濃厚である。掛金に応じあるいはみずからの力によるという政府考え方は、憲法に規定する保障義務とは相違する。社会党案は、財源をいかにするかが問題である。高額支給が必ずしも望ましいというものではないが、受給者国民は、やはり受給条件のよい方を望むと思う。また生活保護費併給すべきであり、積立金の利用については慎重に考慮してほしいとの陳述の後、受給者としての国民立場から、社会党案賛成意思表示が行われたのであります。  次に、縄田養造君は、両案を比較すれば、社会党案理想案であるが、実現性に乏しく、既存年金制度を全部含めるということも無理と思う。政府案によります実施した後に漸次内容改善が望ましい。なお、でき得れば身体障害者内部疾患を認めること、あるいは母子援護年金支給条件である子の年齢を十八才米満とすること等、政府案の中へ社会党案を織り込んではしい。政府案による保険料は、年齢別に二段階に分け、社会党案所得割としているが、高額所得者低額所得者の二段階にすれば、老齢年金額をもう少し増額しても、増額分保険料でまかなえると思う。また積立金は、農村、漁村の更生資金として還元融資してほしいと述べられました。  続いて磯田秀雄君は、両案を比較すると、財政的措置の差が余りにもかけ離れている。政府案給付内容が乏しく、社会党案実現性が乏しい。この点は、両党で慎重に話し合い、よりよいものを作ってほしい。政府案程度内容なれば、強制加入でなく任意加入が望ましい。老齢年金支給は四十年後となっているが、掛金と四十年後の貨幣価値をどうスライドさせるかが大きな不安である。現在でも毎年ベース・アップ等によって物価年平均一割程度上昇しているが、この調子では四十年後には十六倍となる。このように考えれば、月額三千五百円の老齢年金等は、実質的には百七十円程度である。また支給額は、物価にスライドさせるとしても、どの程度スライドするのか全く不明であって、一般国民から見れば大した魅力がない。むしろ減税の断行や税外負担減少措置を講ずることが望ましいと述べられたのであります。  最後に、谷妙子君は、援護年金所得制限額として、政府案は十三万円、社会党案は十八万円となっているが、これを二十万円まで引き上げてほしい。母子援護年金支給要件として、政府案は十六才未満の子を有する母子家庭とし、社会党案は、二十才未満母子家庭としているが、児童福祉法に規定する十八才未満まで引き上げることが望ましい。また母子援護年金支給対象は、夫と死別した母子家庭となっているが、夫と生別した母子家庭もぜひ考慮してほしいと述べられたのであります。  以上のごとき意見陳述に対し、各委員よりそれぞれ質疑を行い、意見聴取会を終了いたしたのでございます。  以上御報告申し上げます。
  8. 園田直

    園田委員長 以上の報告に関連をして八木委員から発言の通告があります。これを許します。八木一男君。
  9. 八木一男

    八木一男委員 第三班の報告にちょっとつけ加えさせていただきたいと思います。それは委員質疑に対する各参考人答弁の件でございますが、非常に多岐にわたりますので、その中で一番大事な点、一点だけについて報告をいたします。  それは委員から貨幣価値変動に対してのスライドの問題についていろいろと説明があって、それに対して五人の参考人から答弁を求めたわけであります。その中において田中奥田参考人は、はっきりと物価変動の割合に応じて年金額を改定しなければならないという条文を入れるべきである、さらに生活状態その他について変動があった場合には、年金額増額あるいは年金制度を向上というような積極面のみの変動を指向する抽象的文句を入れるべきであるという御答弁がございました。あと三名の参考人の方も、非常にあいまいな表現を使った方はございますが、その二参考人答弁とほとんど同趣旨意思表示をいろいろ直接間接になさったわけであります。  以上報告いたします。
  10. 園田直

    園田委員長 これで名地に派遣された委員報告は終了いたします。派遣された委員の諸君の御努力によりまして、国民年金関係法案審査のため非常な成果を上げましたことを、委員長つつしんで御礼を申し上げます。     —————————————
  11. 園田直

    園田委員長 次に三案について質疑を行います。滝井義高君。
  12. 滝井義高

    滝井委員 先日年金事務機構について政府の見解を承わったのですが、きょうは総論から、幾分前の八木委員堤委員と重複するところがあるかもしれませんが、丁寧に答えていただきたいと思います。  総論的なところから参りますが、最近におけるこの老人人口生活保障の問題が、非常に急速な勢いで国民世論となってきているということは、これは一つ社会近代化された現われだと思うのです。同時にその近代化の現われは、今までのような安易な老人の地位というものが一つの大きな変化をその反面来たしている、こういうことだろうと思うのです。お互いに老人になってから、楢山節考のおりんばあさんのように悟りを開くことができれば、これは非常にけっこうでざごいますが、凡夫のはかなさでなかなかそうなれないのが現実です。従ってそこに大きな政治上の問題としてこれが登場することになるだろうと思うのです。実は最近週刊誌に載っていろいろのアンケートを見てみたのですが、それによりますと、老後が不安定だという人たちが、どの世論調査を見ても大体五割をこえているようでございます。それからやや不安定というのが一割三分くらいになっております。そうしますと、不安定というのが六割三分くらいになるわけですが、六割以上の者は老後は大体不安定だ。四十才以下の壮年層を見ても、四割七分くらいはやはり非常に不安感を持っている。安定感を持っている者は三割五、六分程度である。その中でもやや安定というのが二割ちょっとで、安定感に浸っているというか、十分安定したというのは一割五分そこそこである。従ってそれらのアンケートを通じて、不安定の原因を調べてみますと、大体において、退職金年金があるけれどもその額が少いというのが非常に大きな不安定な原因になっている。これらの約五割九分ないし六割程度は、そういう退職金やあるいは年金というようなものがあるにもかかわらず生活が不安定だということは、結局それらの額が非常に少いということをこれは意味していると思うのです。しかももう一つ原因は、今ついている職業、今現実自分が担当している職業というものだけでは、自分生活を十分ささえるだけの俸給がもらえぬ。だから一つでき得べくんば他の職業に変りたい、他の新しい働き口を見つけたいという、こういう者が、不安定感の五割の中で三割くらいいる、こういうことなんです。こういう状態考えてみると、すでに現在の国民の中に、百人のうちの三十二人が、いわば公的な年金やあるいは老後保障する制度があるにもかかわらず、それらの三十二人の中にもきわめて額が少いということで不安定感を持っているということがわかるのです。さらに日経連が三十三年七月に三百四十九社について調査をしておりますが、それによると五十五才の定年制をしいておるものが七割一分程度あり、六十才の定年制というものは四六%程度にすぎない。こうみてみると、日本における職場では、われわれ政治家は四十、五十ははなたれ盛りというけれども、そのはなたれ盛りになると、もはや退職をしなければならぬという、こういう実態があるということです。こういう二つの面から考えてみても、年金問題というものについては、相当やはり根本的な検討というものをやらなければならぬのじゃないかという感じがするのです。こういう社会的な世論なり現実から見て、どうも今度出た政府案というものは、そういう現実とはるかに遊離をした案だという感じがしてならないのですが、こういう点についてあなた方は、世論なりあるいはこういう日経連等の、現実の、公的な年金なりあるいは退職制度があるところにおいても、そういうように五十五で職場からおっぽり出される人が非常に多いという、こういう現実を、今度の年金法をお作りになるときに、具体的にどういう工合参考になったのか、どういう工合にそういう点の対策をお考えになったのか、この点をまず総論的な第一点としてお聞きしたい。
  13. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま滝井先生がおっしゃいましたことが、おそらく年金問題を考える場合に当然持たるべき問題意識であろうとは思いますが、今回御検討願っておりまする国民年金制度の場合におきましては、そういうような問題を意識しつつも、そのうちにおのずからやはり緩急順序があろう、そういう点から見ます場合には、何といっても現在いかなる年金制度にも守られていない人をまず守るということが第一に取り上げられ、行われなければならぬことであろう——次に、ただいまいろいろ御指摘になったような点の充実整備をはかっていく、いずれにいたしましても、年金制度はかねがね御指摘をいただいておりますように、国の経済力の発展とにらみ合った、つり合いのとれたものでなければなりませんので、ただいま御指摘をいただいたようなことを意識しつつ、逐次充実をはかっていこう、こういう考えで立案されておるのでございます。
  14. 滝井義高

    滝井委員 今の小山さんの御答弁で、緩急順序がある、従って政府としては、老後なり、重度の負傷を受けて、それらの非常に悲惨な、生活の守られていない面から守る案を作った、こういうことでございますが、私はやはり年金制度というものの起らなければならない、いわゆる近代社会の非常に急速な様相の変化というものをやはりその根底にはっきり把握しておく必要があろうと思うのです。まず第一に、われわれがすぐ気づく点は、近代社会においては、われわれが封建的な昔から一家団らんの、家族的な、いわば昔は大家族主義的な生活を持っておりました。しかるに最近の交通機関の発達、あるいはそのほか大都市への人口の集中というような、こういう現象から、いわば家族とか世帯というようなものが職業的に見ても地理的に見ても、いわばちりぢりばらばらになる形が急速に出て参りました。いわば分散化の傾向が起ってきております。そして同時に、もう一つ大事なことは、今までのわれわれの社会においては老人の知識というか、経験というようなものが非常に高く価値づけられておりました。現在その片鱗が日本農村にも残っておると思う。日本農村において残っておるのは、いつかも述べたことがあるのですが、今から二百年前に大原幽学が、あの田植えのときの正条植えを発見しました。その後それを普及しましたが、現実農村においては、なおその正条植えというものがずっと行われております。すなわち生産手段や生産方法が二百年前の大原幽学の時代と大して変っておらない。そこにおいては生産方式に大きな変革がない。脱穀調製の面では、ある程度の変革、機械化されてありますけれども、生産の面では依然として両手労働、われわれの両手で働く労働というものが支配的である。従って上でうまく田のあぜ道を立てるのも、長い老人の経験と勘というものが非常に権威を持っております。従って、そこにおいては老人の知識と経験が高く評価せられて、一番権威のある者は老人であり、その次に権威のあるのは父であり、そして一番権威のないのは孫である、こういう形が日本になお一つ残っております。しかし、それは農村に前近代的な形として残っておるだけであって、戦争前まではその農村の形態、すなわち日本の水田様式、アジア的な生産様式というものが同時に日本の生産機構を支配して、貴族院における平均年令が七十二才である、こういう形が出ておりました。しかし、すでに参議院に全国区ができ、衆議院の激しい選挙戦を戦って出るということになると、もはやそこにはだんだん老人が権威を失うという形が出てきております。たとえばこの国会においても、二十五年以上勤続した人には額がかけられるという形で出ておりますが、今の激しい選挙戦のもとにおいては、もはや二十五年国会議員を勤め得るという御老人などはだんたん少くなってきつつあるということが、これは端的に日本社会の変革を示すと同時に、日本の生産機構すなわち農村を基盤とした生産機構と、そしてそれが反映した政治機構が大きく近代的な政治機構に変りつつある様相だと思う。そういう意味から、今度これをもっと小さな家庭的な面に目を移して見るならば、すなわち一家の食卓でお互いがお互いの意見を交換し、そうしてそこにおける一番の権威者の、父なり老人意見に従っておった。そうして老人が病気になれば、われわれがそれを看病するという形があったのですが、最近の地理的な職業的な分散は、もはや老人とわれわれとが食卓を同じくしなくても、金を送ればよい、いわば送金、仕送りというようなことから、だんだんと一家団らんの姿から、単に金で負担をすればよい、こういうものの考え方に変ってきたということです。これは小さな変り方のようでございますが、そのことは同時に生産様式の大きな変革がその底流にひそんでおり、それは同時に日本政治機構への変革の道を開いておるということです。ここに私は、われわれが長期の所得保障する年金問題を考える場合に、どうしても着目しておかなければならない一つの大きな点があろうかと思います。もう一つは、資本主義の基底をなしておったところの状態が非常に変って参りました。日本でいえば新しい民法の制定で、家督相続、長子が相続するということでなくて、財産を均分に分ける、こういうことが出て参りました。そのことは一体何を意味するかというと、結局世帯の小規模化を意味するわけです。世帯が小規模化し、そしてわれわれの職業が分散をし、地域的な分散が職分の分散とともに行われるということになると、その場合における老人は一体いかなることになるかというと、結局老人はいわば家庭の秩序の破壊者といってはおかしいけれども、いわば小さな家庭の秩序の侵入者というか闖入者というか、何かじゃま者扱いされるというような傾向が出てくるわけです。同時に一方においては、近代の小規模の家庭における経済的な収入というものが、もはや一家に老人があることによってその経済的な、自己の家庭的な、小規模家庭の秩序を保っていくことができないという状態が同時にでてきておる。というのは、これは近代の賃金構造が、特に日本のような二重賃金の構造がそれを決定的にしたということです。もう一つの面は、これは政府の住宅政策にもよると思うのです。戦後におけるいわゆる団地住宅というのが、四畳半か六畳の小さな団地の住宅政策をとっており、そのためにそこにわれわれを育ててくれた老人を迎えて昔のような一家団らんの食卓を通じて、いわば老人の権威を保たしていくというような関係というものが、一方住宅政策から断ち切られるという状態が出て参りました。同時にそれらのものに拍車をかけたものは戦後のインフレです。こういうようなもろもろの要素というものをわれわれが考えてみると、非常に老人問題というものは、やはり政府が相当の財政的な負担を思い切って出してやる以外には、もはやここに抜本的に老人問題を解決するということがほとんど不可能だという状態が出てきておることはもう明らかです。だんだんオートメーション化されて、近代化が進めば進むほどその傾向は拍車をかけられる。従ってどうもこういういろいろの点を考えてみ、同時に日本の虚業構造、いわゆる小山さんが先般来年金の基礎的な条件は一体何なのかという私の質問に対してそれは日本の産業構造だと言ったのだが、その産業構造、そして日本における人口構成の非常な——昭和二十五年、むしろさかのぼれば大正九年ですが、大正九年以来の日本人口構造の変化というものが老人問題というものをもはや決定的な抜き差しのならない、個人的な方ではどうにも解決できない点に追い込んでおると思うのです。こういうような客観的ないろいろの条件を考え、冒頭に申し上げました日本における雇用というものが五十五才で定年になるというような状態から考えると、これはよほどの腹がまえをしなければ、今度政府が出したように単に守られていないものを守るため、現実老後や重度の障害やあるいは夫と死別をした貧しい母子の家庭が守られていないので、それらのものをまず守ることが先だというそのことはわかるのですが、それだけでは日本のいわばこの大きな経済の変化の底流に現われつつある老人の問題というものは解決できないのじゃないかという気がするのです。そこでこういう点について、やはり根本的なものの考え方政府は今後どういう工合に解決していくのか、それをまず御答弁を願い、同時にそれらの変化に対して経済企画庁は一体どういう工合に対処していくつもりなのか、経済的な観点から、財政的な観点から、経済企画庁の御見解もあわせて伺いたいと思います。
  15. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 この年金を始めます場合に、やはり今滝井委員が御指摘になりましたように、わが国の人口構造の変化ということを頭に置いて考えなければならないことは当然だと思うのでございます。御承知のようにわが国の人口が最近だんだん量的にもふえて参りますけれども、この問題のとらえ方というのは、量的な問題もさることながら、その質的な変化、言いかえますならば、具体的に申し上げまするならば、昭和三十年から四十年までに総人口が大体七百万人くらいしか増加しないのに、同じ期間内に総人口の内部では、十五才から六十四才の人口は千三百万人近い増加が起きる可能性がある、つまりこれらの働く人口というものが非常に高くなってきておるという、こういう質的な変化というものをやはりわれわれとしては考えていかなければならないのではないか、つまりまた同時に老齢人口というものがふえていく、またこれを扶養するところの人口というものがふえていく、こういうことだろうと思うのでございます。従いまして各国におきまして所得保障の中核ともいうべきいわゆる年金制度を打ち立てる場合におきましても、やはりその国その国に応じた一つの問題がとらえられるのではなかろうかと思うのでございまして、たとえばフランスのごときは、御承知のように年々人口が非常に減少してきた、こういうような観点から、何とかして人口をある程度維持していかなければ、民族としてもあるいは国家としても、あるいは社会的な産業構造の面からいっても、そういうアンバランスはよくないというようなことからして、老齢扶養、老齢保障というところよりも、むしろ家族手当といいますか、そういった形においての所得保障というものに重点が置かれておるというように聞いております。そういうような観点もあってフランスの年金制度ができておる。あるいはまた日本のような場合においては御指摘のように、この老齢人口をどうするか、あるいは働く人口の増加にどう対処するかというようなことを頭の中に置いて考えていかなければならない。そういうようなことから、おそらく社会保障制度審議会の御答申におきましても、どちらかというならば、むしろこの老齢人口というものに少しウエートを置いて御答申になったのではないかというふうにも私は考えるわけでございます。しかしながらさしよりの問題といたしまして、われわれはやはりこれに加うるに母子、障害等の緊急の度合というものを加味いたしまして、今日の年金制度を組み立てたような次第であるわけでございます。われわれといたしましては、これらのいわゆる将来予想されるところの質的人口の構造の変化というようなものに応じた年金制度を打ち立てていかなければならないということにつきましては、全く滝井委員の御指摘になる点だと私どもは考えておるわけでございます。
  16. 大來佐武郎

    ○大來政府委員 ただいまの滝井先生の御質問にお答え申し上げます。実は私ども昭和三十七年までの経済計画を一応持っておりますが、より長期の見通しについては目下いろいろ試算の準備中でございまして、まだ具体的な計数を申し上げる段階に参っておりませんのです。この雇用と人口問題、特に年令構成別の変化というのが非常な転換期といいますか、大きな変革期を迎えておるということは御指摘の通りでございます。五年計画程度の期間あるいは今後約十年の間は総人口の伸びは少くなりますが、労働人口あるいは生産年令人口の伸びが非常に高いわけでございます。つまり働き手がふえる、これに対して経済の長期的な考え方といたしましては、なるべく高い成長率を実現することによって職場をふやす、そのほかいろいろその所得の分配や内部的な調整は必要でございますが、経済政策としてできるだけ成長率を高めるということになるかと思うのでございます。その後になりますと、十五年ないし二十年先になりますと、労働力人口の伸びはかなり急激に緩慢化して参ります。ある意味ではより低い成長率で間に合うということになりますが、同時に年寄りの数が非常に大きくなって参るわけでございます。少し長い期間の基本的な考え方といたしましては、この十年ないし二十年の期間は、できるだけ成長率を高める。そのためにはできるだけ生産的な資本投資といいますか、資本蓄積率を高く維持して経済の成長率を高くする。これは大体において投資の規模に比例して経済の拡大が行われるわけでございますので、この期間はできるだけこの資本供給のための蓄積も高くしなければならないと考えるわけでございます。その先に参りますれば、今のような人口の動態からいって、働く年令人口の伸びが緩慢になって参りますので、ある程度成長率が低くなっても、それほどむずかしくない。さらに老人に対する社会的な救済といいますか、社会保障というものがもちろんますます重要度を加えて参ると思いますが、そういう長期的な見通しからいたしますと、現在の段階では、やはり経済力をなるべく資本の蓄積を維持するという観点、これをあまり大きく引き下げるような結果にならないような考え方が、長い目で見て、今後の日本人口動態に対応する行き方になるのじゃないか。まあいろいろと計数的にも今後作業を予定しておりますのですが、今の段階考えておりますことは、大体そういった方向でございます。
  17. 滝井義高

    滝井委員 今の大來さんの結論ではっきりしてきたのですが、いわゆる日本社会保障政策、社会政策と経済政策との関係ですが、厚生白書によれは、経済政策と社会保障政策とは有機的な連関をもってというような形になっている。ところが重点を、今大來さんの言われたように、日本経済の成長をはかっていくためには、ある程度資本の蓄積というものが優先をするということになりますと、どうしてもそこに社会保障というものは限界が出てこざるを得ない。社会保障につぎ込む金というものは資本蓄積に回す分によって大きくチェックされることは明らかなんです。そこで、この点の見解を少し承わりたいのですが、日本においては、昭和三十一年では、六十五才以上の老齢人口が四百八十三万、これが三十三年になると、六十五才以上が五百八万になるのですね。その四百八十三万の人が各所得層の世帯数に比例してそれぞれの所得層に分れて含まれておる。こうなると、年所得が三十万円以下の所得層は、大体七割程度老人を持っています。そうすると、五百八万ならば三百五十万程度のものがそこの老人に含まれておるわけです。従って、それらの家庭というものの状態を見ると、老人に対する支出というものがそれだけふえておることになる。医療費もふえるだろうし、それから世帯員全体の健康を守る経費のつぎ込みというものが、その老人分だけ少くなる。そうすると、それは同時に、もっと大きな目で、高い見地から見るならば、労働力の順当な再生産にも支障が起ってくるというようなこと、一人あるいは二人、一家に老人がおることによって、非常に経済的な負担というものが増してくるということが、はっきりするわけです。そうしますと老人の扶養というものをやるそれぞれの家庭、世帯というものは、大きくやはり国民経済全体の能率から見ると、それらの家庭の貢献をする状態というものは、非常に低下をしてくる。そうしてそれは同時にもっと大きな見地から見るならば、近代社会の進化というものを妨げる、こういう形が出てくる。特にそれが中以上の家庭では大きく目につかないかもしれないけれども、中以下の家庭においては特にそれが顕著になって現われてくるいう点です。そこでそういう状態があるということで、近代の資本主義というものが進展をしていくにつれて、そこに今までの地域的なあるいは血縁的なこの連帯意識がさらにこの法案を出し、第一条ですか、国民の共同連帯によって防止し、」といえような、こういう社会的ないわば共同連帯意識によって、何とかお互いの破壊された地域的なあるいは血縁的な連帯意識を補わなければならぬということで、こういう新しいものがそれにかわって復活してきたと私は思うのです。そういう状態の中で、いわば近代社会保障というものが、まず社会保険が当面の病気を守ろうということで急激に伸びてきておる。この社会保険は御存じの通り、雇用労働者を対象にして始められた。ところがさいぜん小山さんの御説明にあった通り、そこに社会保険というもののワクの外におっぽり出されて、何ら対策が講ぜられていないものがたくさん出てきておる。こうなるとそれらのものを何か考えなければいかぬということで、国民健康保険ができ、そして最後にこの老齢保障国民年金ができてきたことになるのだろうと思うのです。ところがそれを貫いておる精神というものはあくまでも保険主義なんですね。いわゆる日本の資本主義の発展とともに、昭和二年できた健康保険法が労務政策、慈恵政策としてできたにもかかわらず、それが依然としてやっぱり労働者も半分の保険料を納めるし、事業主も半分納める。慈恵政策、あるいは労務政策としてそれを利用してきたその伝統というものがやはり一貫をして、保険主義というもので今度の国民年金にも端的に現われてきたわけです。ところが保険主義を貫く限りにおいては、日本における雇用構造なり経済の構造からして、低所得層というものの保険料がかけ得ないという現実にはっきりした面が出てきたわけです。そうするともしこれを全国民対象とするというのならば、当然理論的にはそういう零細な所得階層があるというこの現実、二百四十六万世帯千百十三万人、一昨年暮れに出た厚生白書ではそういうことがいわゆる低所得層の数として出てきておるが、これは決して減ってはいない。依然停滞をし、むしろ増加する傾向にある。そうするとそれらの約一千万に及ぶ低所得階層、九人に一人の割合で国民の中におる低所得階層というものが、この保険主義を貫く限りにおいては、この制度の恩典というものを十分受け得るかいなかということの疑問が出てくる。そうするとこの疑問を解決しようとするならば、当然年金が全国民的なものであるような賦課方式あるいは無拠出方式というものがとられなければならぬと言わざるを得ないのです。ところがここに積立方式が採用され、それを採用せざるを得なかったということは、結局日本における資本主義の、いわば社会保障の限界というものが、長期の莫大な財政的な負担を要するこの年金問題において、はしなくも現われてきたのじゃないかという感じがするのですが、その点についてはあなたの方は一体どう考えておるのかということなのです。
  18. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 大体今滝井委員の御指摘になった点をここで聞いておりますと、実はそのようないわゆる低所得者層に対して、あるいはその低所得者層というものの生活水準が漸次高まるようにしていくということ、あるいはそういう低所得者層に転落するところの人たちというものを防止するためにこそ、実はこの国民皆保険と同時に所得保障のこの年金法案提出されておるというふうに私どもは考えておるわけなのでございまして、この二百四十万世帯のボーダー・ライン層というものがありまするけれども、われわれは国民皆保険の制度と、また会度御審議をわずらわしておりますところの所得保障というものをやって参りまする過程におきまして、それらの数というものが漸次少くなっていく。少くとも理想といたしましてはそういうようなボーダー・ライン層というものをなくしていく、こういうようなことに実は意義があるわけでございまして、おそらく金額にいたしましても、援議年金という形でございまするけれども、本年度にいたしましても百億、あるいはまた平年度化しまするならば、これが三百億というような金が、少くともそれらの老人の方なり障害の方なり、あるいは母子の方なりに入っていくということは、それだけ生活水準というものを会までよりも高めていくという結果になっていくというふうに私は思いますし、同時に一面におきましては、ただいま経済企画庁あたりから御説明がございましたように、経済の漸次発展に伴うところの一般的な生活水準の向上というようなことからいたしまして、その所得がふえていくということでございますると、私はやはりこのような拠出制度を基本とし、そしてまたその経過的な、あるいは補完的な意味において所得保障の援護年金制度を打ち立てていくということは現在の日本としては必要であるし、またこれがいいのではないか、こういうふうに考えてこの法案提出いたしておるようなわけでございまして、実は今御指摘になられた点にこたえる意味において今度の法案が組まれておる、こういうふうに御理解をいただきたいと思うわけでございます。それじゃ果してこのわれわれの資本主義社会においてそれが可能であるかどうかという問題は、一応問題点としてはあるかと思います。議論の余地はあると思いますけれども、少くともわれわれはこれは解決できるものだという考え方から、これをやっておるわけでございます。私の記憶によりますると、たとえばイギリスにおいてもたしか貧乏調査と申しますか、低所得者層の調査をヨーク・シティでありますか、あそこで一九三六年にバスケット方式による調査をやりまして、一体貧乏世帯というものはどのくらいあるかということを調べたところが、これが一七・何パーセントかであった。ところが一九四五、六年に例の社会保障が打ち立てられまして、そうしてそれが国民に及んでいった一九五〇年に、同じヨーク・シティにおいてやはり同じ方式で調査をいたしましたところが、その貧乏世帯というものが一・七%に下ってきておる。こういうにとから考えまするならば、私は資本主義社会におきましてもその為政者なり、あるいはやり方等を考えるならば、そういった貧乏退治というものができるのではなかろうか、こういうような考え方から、われわれ内閣といたしましては特に日本において貧乏追放という旗じるしのもとに、そういう高遠なる理想のもとに努力して参って、少くとも皆保険とともに所得保障一つの大きな柱でございまする年金法案を実は提出したようなわけでございまして、大体御了解をいただけるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  19. 滝井義高

    滝井委員 大臣、少し考え違いをしていると思うのですが、私は今、少し歴史的に述べてきておるのですが、御存じの通り日本では社会政策として社会保険が用いられてきました。一方生活困窮者を救うために、公的な扶助が用いられた。ところがその社会保険ではもはや日本における低所得階層というものを、社会保険の精神を貫く限りにおいては救うことができないということがはっきりしてきたわけで。昭和十三年に国民健康保険ができて以来、もはや国民健康保険が今の姿では農村の中以下の、いわゆる五反百姓と言われる諸君を救うことができないことははっきりしてきている、そこで、それはなぜかというと、掛金イコール給付になるからです。掛金を掛け得られないものは給付を受け得られないのです。ここに問題がある。従ってそれだけではいけないので、さらに進んで救貧政策として、あなな方がこの第一条に掲げておる、日本憲法第二十五条に規定する理念に基いて、老齢や廃疾や死亡に対して、国民共同の連帯意識によって救おう、こういうことなんです。     〔委員長退席、田中(正)委員長代理着席〕 そうしますと、このあなた方のお出しになった国民年金も、昨年十二月われわれが不承々々通したところのあの国民健康保険法も、もはや日本の低所得階層には大きなささえとなっていないというこの現実なんです、そこで私は、掛金が即給付を決定するというこの制度、すなわち保険主義を貫く制度というものは、日本の資本主義の社会保障の限界を、実ははしなくもり年金というものがはっきり今度の形で示した、と申しますのはなぜかというと、結局その年金をもらった額だけでは憲法二十五条の最低の生活保障できないからなんです。すなわち中途半端にならざるを得ない、こういうことなんです。この点を一体どう考えるかということなんです。資本主義における限界とお考えになるのか、それともなおさらにあなた方は、数でいえば貧しい一千万になんなんとする低所得階層が、保険料を払わなくても六十五才になったら、七十才になったら最低生活保障してくれるという制度に、昭和三十六年にこの制度が発足するとき、いわゆる拠出が発足するときまでになりましたならば、この法案を変えてそこまで前進し、踏み切ることができるかどうかということなんです。もしそれができ得ないとするならば、私が言うように、保険主義を貫く限りは、そこに大きな層というものが、最も年金を必要とする層が年金から放置されたままで残りはしないか、こういうことなのです。それであなたの今の御答弁では、そういう者を救うために、国民年令なり国民皆保険を出したと、こうおっしゃるが、それは私は受け取れない、こういうことなのです。
  20. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 あるいは私の言葉が少し足りなかったかと思うのでありますけれども、私どもの考え方といたしましては、この年金法なりあるいは皆保険というものを出して、その年からすべての人たちを満足さす、あるいはその人たちに全部健康にして文化的な最小限度の生活保障するという考えではございません。そういう目標をもって、この年金法なりあるいは皆保険というものをやっておりまするけれども、これが日本の経済の成長と相待ちまして、われわれの不断の努力によっては十年後あるいは十五年後におきまして、漸次それらの方々に健康にして文化的な生活のささえになっていく、こういうような考え方でございまして、これを実施する三十六年に、それじゃそういうボーダー・ラィン層が一挙になくなるというふうには考えませんけれども、しかしながらそれを、不断のわれわれの努力によってはなし得る、こういうような考え方から所得保障年金法案を出した、こういう考え方なのでございまして、そう考えは違わないのではないかというふうに私どもは思っております。
  21. 滝井義高

    滝井委員 その点はもう少し先にいってだんだん政府の態度を明確にさしてもらいたいと思うのです。もう少し先に進んでいきますが、とにかくわれわれの健康保険の三十年をこえる経験と国民健康保険の二十年の経験というものは、保険主義を貫く限りにおいては、日本の低所得階層は現実に救われていないということは大体はっきりしている。それを今後一体具体的どういう工合に救っていくかということは、われわれが今後の日本社会保障制後を推進していく上に非常に重要なところです。しかも資本主義のワクを破ってそれを実現するか、あるいは資本主義のワク内でそれをやるとすれば具体的に一体どうするのかということを十分お考えになって、だんだん質問していきますから、その過程で御答弁を願いたいと思います。  そこで次は、年金支給の年令はその国の平均寿命によって決定されなければならぬと私は思うのです。あなた方は今回七十才を御決定になり、あるいは拠出年金は六十五才ですか、お考えになった。その理論的な根拠はどういうところから出てきたんですか。
  22. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 今回の年金支給年令をきめます場合には、おそらく滝井先生はたとえば生理学的にどういう根拠があるかというような意味での根拠をお求めになっているのだろうと思いますけれども、私どもが考えましたのは、そういうふうな考え方ではなくて、いわば社会的な根拠とでもいうべきものをもとにしたものでございます。申し上げるまでもなく、現在行われておりまする被用者の年金制度におきましては、六十才で年金支給開始ということを原則にしているものが多うございます。それとのつり合いから見まして自営業者等、より経済活動が一般的に長いと思われておりまする今回の国民年金制度対象の場合には、もう少しあとでもよいであろう。なおこの点については将来経済の基本的な体制に大変革が起るようなことがありますれば、八木先生がかねがね仰せのようなことを考える時期があるいは参るかとも思うのでありますが、現在のところでは世界の大勢はどちらかというと年金年令は逐次上りつつある。イギリスにおきましても女子六十ということで行なって参っておりますものを、何とかして六十二才に引き上げようじゃないかということが正式の委員会においても真剣に討議されている、こういうような事情でございますので、六十五才という社会保障制度審議会の答申をそのまま受け入れて立案をした、こういう次第でございます。
  23. 滝井義高

    滝井委員 私は生理学的なことではなくて、今あなたが言われた通り、将来われわれが通産の問題その他を考える場合に、被用者年金が六十才である、しかも日本現実の会社の定年というものは、国家公務員もひっくるめて、大体五十五才が限界だ。そうしますと五十五才で定年になって、そして厚生年金が六十だということ、五年のブランクができてくるわけです。この間は少くとも被用者であるならば、今後国民年金が進展をすれば救われるかもしれませんが、今までは会社をやめれば保険もない、といって厚生年金までにはまだ五年もある、こういう形が出てきて、非常に悲惨な状態が出るわけです。そのころになると子供は食い盛り、学費の要り盛り、いわば成長盛りになる。こういう形で非常に困っておることはお互いの経験しているところなんです。そうなりますと、そういう被用者年金との関係からも考えなければならぬ。ところがあなたは今、自営業というものは一般に経済的な活動が長いとおっしゃいますけれども、そのことはさいぜん僕が冒頭に申し上げました通り、いわゆる日本近代化というものはだんだん老人の権威を失墜しておる。失墜していないのはわずかに農村だけです。しかも十万分の一ミリというような目盛りを見なければならぬようないわゆる近代的な機械工業においては、老眼にかかり始めるとその人間の権威を失っててくる。三十五、六か、少くとも四十までが限界です。その工場において権威を保つためには、どんどん新しい学問と新しい知識を必要とする。だから最近の日本の大企業の内部におけそヒューマン・リレーションズというものが大きく変って、労務管理も変えなければならぬという状態がきておることは、大臣にしても小山さんにしても御存じの通りです。もはや駸々乎として企業内部にも、われわれの肉体の中の細胞が日々新陳代謝し、交代しつつあるがごとく、企業内容も変りつつあるということです。そういう中で七十才というような援護年金とか六十五才というものは一応考え直してみる必要があるのではないか。もっと先になって、昭和四十五年も過ぎて、日本の経済が、さいぜんも大來さんも言われたように、いわゆる資本の蓄積というものはもはや今までのように一生懸命にやらなくてもいいんだ、資本の蓄積は徐々でよろしい、社会保障なり、老人問題なりに金がつぎ込めるという段階がきたならば、そのときにイギリスのように考えていいと思う、こういうことですが、しかし現在の日本の平均寿命は、おそらく今年か来年の初めには七十才になるかもしれません。特に婦人については。しかし現実の問題としては、まだ男性は六十四才です。ことしあたり六十五才くらいになるかもしれませんが、女性は六十八才でしょう。そうなりますと六十五、六までですよ。一体あなた方は七十才の余命率と、いうものを幾らに見ているのですか
  24. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 七十才の平均余命は昭想三十二年の簡易生命表によりますと、男子で八・三一年、女子が九・六五年ということになっております。
  25. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと七十才以上の御老人方で、あの三段階か四段階給付制限の網をくぐった者は八年ないし九年は援護年金をもらえる、こういうことになるわけですが、とにかく七十才や六十五才というものについては、やはりある程度考えなければならないのではないか。もちろん世界の状態を見ると、一般に雇用水準の低いところほど年金支給年令というものはずっと引き下げられておる。しかしそれはある程度財政問題等との関連で、大体六十才から七十才の間に落ちついてきておる。そうしますとあなた方はこの七十才、特に無急拠出援護年金七十才あるいは六十五才を、社会党案のように六十才とか六十五才に引き上げてこられる考えがありますか。今の状態を七十才、七十五才に下げるというようなお考えなんですか。その辺はコンスタントに動かさぬものにコンクリートされてしまうのですか。
  26. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 六十五才の年金支給の開始年令をどうするかという問題については、先ほど申し上げましたように、現在の状態でございますならば、これを引き上げるということはなかなか理論がむずかしい、かように考えております。  それから七十の援護年金支給開始年令は、かねがね申し上げておりますように、多分に現在のいろいろな社会的なあるいは経済的な、財政的な事情を考慮してきめられておりますので、これが動く動かぬという議論は将来の事情によって十分あり得る。もちろん将来の方向としてこれをさらに引き上げるというような方向は出て参るまい、かように考えております。
  27. 滝井義高

    滝井委員 七十才はそれを六十五才程度に引き上げて無拠出の援護年金をやる考えはないが、六十五才の拠出年金については、将来考える余地があるというような御答弁でございます。実は諸外国と日本とにおける男女の性別、年令、階級別の経済活動状態というものを見てみますと、いかに日本老人が働いておるかということがよくわかる。私はやはり年金制度を作るとするならば、単に年令だけという狭い視野、針の穴から天をのぞいたり、井戸の中のカエルのようなものの考え方ではいかぬと思う。やはり日本の経済全体、日本人口問題全体、日本の雇用問題全体——あとで雇用問題は質問しますが、雇用全体の中からその年令の位置づけというものが決定されなければならぬと思う。いわゆる性別、年令、階級別の経済活動状態を見てみると、日本状態は二つの特徴が現われておる。これはもう端的に日本の貧しさを示しておるのですが、日本においては老人が非常に働いておる。もちろん十五才から十九才ぐらいの青少年で働いておる者が少いことは、日本義務教育というものが諸外国に比べて非常に侵透しておることを示して、私はこの点は喜ばしいと思います。たとえばアメリカが十五才から十九才までの働いておるものは、一九五〇年で古いのですが、四四・九です。ところが西欧は、西ドイツが八四・七、イギリスが八二・九、日本は五三・七、フランスが五九・二ですから、大体フランスと日本とはほとんど変らないくらいで、西ドイツやイギリスに比べると日本の青少年というものはぐんと働いていない。これは義務教育の点で非常に喜ばしい点だと思います。ところが、この老人になりますと、西ドイツは二六・八、イギリスは三二・〇、日本は六一・五、これは女子について見ると、西ドイツが、九・七、イギリスが五・三ですが、日本はその六倍の三一・三です。これで見ると、日本の六十五才以上の老人というものはもはや働かなければ、いわゆる若い夫婦と一緒にはおれないという姿が出ているということでしょう。同時にこれは、もはや老人が働かなければ日本の小規模家庭では老人を食わせるだけの余力がないということを示している。このように、老人人口の労働力化率というものが非常に高いという点は、一体日本の生産性の向上の点から見ていいことか悪いことか、あるいは日本の経済と政治近代化のためにいいことか悪いことかという点です。なるはど私たちも、余っておる老人の余剰的な労働力というものを大いに活用しなければならぬと思うのです。しかし、今の百三十万も新しい労働人口がぐんぐんふえている日本段階では、まず別個にやはり老人問題というものを考えることが必要じゃないかという感じがするのです。そうなりますと、今あなた方が七十才からちゃちな千円のお金をお出しになるというものの考え方は、こういう雇用の状態から考えて、この際年金で金はたくさん出せないとするならば、社会的な厚生施設、老人ホームのようなものを作って、そしてその安い年金の金があればそこへ入って一生暮せるというような政策をあわせ持たなければ、これは日本の資本主義の限界の中でその解決というものは行き詰まる。日本の資本主義の限界の中で老人問題を解決しようとするならば、やはり老人が安い金で、少くとももらった金でその老人ホームに入れるというような、そういう施設を全国的に相当金をぶち込んで作らなければどうも解決できぬものじゃないかという感じがするのですが、こういう点をどうお考えになっておりますか。
  28. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 先ほど滝井先生の御理解の点、おそらくちょっと思い違いだったと思いますが、七十才を七十五才なんかにする考えはないということを出し上げたのです。それから六十五才というものは、単に経済的な意味でなくて、ちゃんとした理由で六十五才ということをきめましたということを小山審議官から申し上げたのです。  確かに老人問題は大きな問題で、将来老人ホーム等を作り、そうして老齢年金をもらうような人たちがそういうような福利施設等に入って余生を楽しめるということは、今後われわれといたしましては考えていかなければならない問題だと考えます。しかし、それじゃ老人ホームですべてを解決するかと言われれば、私どもの考え方といたしましては、一面におきまして、先ほど滝井委員も御指摘になりましたように、やはり一家団らん一つの家庭的な雰囲気と申しますか、血縁的な関係において、楽しく、健康的な、文化的な生活を営むということが、日本の伝統から考えても望ましい姿ではないかというふうに私は考えているわけであります。たとえばスエーデンあるいはアメリカ等に参りましても、相当老人ホーム等の施設は完備しておりながら、何かしらさびしそうな、生きている人間として何かつまらないというような感じも一面に持つことは御承知の通りでございます。     〔田中(正)委員長代理退席、委員長着席〕 私はやはり理想といたしましては、一家団らん家族的な血縁関係において、相当の所得を持って、そうして楽しく、健康的な、文化的な生活を営めるようにしていかなければならない、しかしながら一面においてそういうようなことがどうしてもできないというような状態にあられる老人の方々に対しましては、今おっしゃられるような老人ホーム等を将来作っていくということが、また私たちの目標でなければならないというふうに考えております。
  29. 滝井義高

    滝井委員 七十才の年齢はなかなか動かすことはできないそうでありますから、次に移ります。  なお、残っているいわゆる老人の労働力を一体どういう工合に活用するかという問題は、老人の増加の状態から考えて、やはり非常に重要な問題だと私は思うのです。ところが、一方生産年令人口が非常な勢いで増加をするというこの間の調整の問題です。これを一体どういう工合調整をしていくかということです。幸い諸外国に比べて十五才から十九才までの青少年の労働力化率というものは日本は低いんですが、老人が多いということになると、この調整の問題を——雇用構造の近代化を将来はかっていかなければならぬのですが、その過程で政府は一体どういう工合にこの問題を解決していくかということです。これは当然特殊の人たちには年金が行くでしょう。しかし、その年金をもらってもなお働かなければ食っていけないという層には、老人の雇用とか、職業訓練というような問題が当然問題になってくるんです。これは日本の経済の中ではむしろ矛盾です。大臣がさいぜん言われたフランスのように、社会保障一つの大きな柱として家族手当というようなものを出して、子供をうんとこの際作ってもらって、そうしてフランスの共産力を上げていこうというような国とは幾分そこらあたりは違ってきていると思う。そうしますと、そこらの矛盾の解決というものをこの際年金問題とともにわれわれは考えておかなければならぬ。これは厚生大臣の問題というよりか、労働大臣の問題だと思うのですが、すべてそれらの老人というものは多く定年退職をした後の余剰労働力でございますから、必然的にこれらの者の行く場所は第一次産業かあるいは第三次産業に行かざるを得ないということです。そうしてそのことは同時に日本の低賃金に悪循環を来たして、拍車をかけるという矛盾がそこに現われてくるわけです。そのことは回り回って、結局年金なり保険が健康保険なり国民健康保険が掛金というものを伴う限りにおいては、ますます日本社会保障というものは保険主義で貫かれて、そしてそれが貧弱な社会保障にとどまらざるを得ないという悪循環というものの一つの動因をなすということなのです。この悪循環というものを、やはりこの際老人問題を解決する年金問題のときに、老人の雇用問題というものを解決しておかなければならぬと思うのです。これを、年金を担当する厚生大臣としては、その悪循環というものを、どういう工合に解決していくかということです。
  30. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 先ほど来滝井委員が、たとえばアメリカであるとか、フランスであるとか、イギリスであるとか、西ドイツであるとかいうような例を引かれまして、日本の老齢人口は、なおかつ相当な数が働いておるということを御指摘になりますが、これも私はやはり望ましい姿ではない、異常な姿である、やはりこの点は解決していかなければならない、この点に目を向けていかなければならないということは、お説の通りだと思います。しかしながら私は、この方々に対して、所得のある方もそれから全然所得のない人も同様に国が見ていく、まるまる見ていくというような考え方はとらないのでございますし、また同時にこれらの方々の中にも、老齢であってもほんと、うに働く力を持ち、働く能力を持っておられる方は、やはりどんどん働いていただくという考え方に立っておるわけでございます。しかしながらどうしても働くことのできない方々に対しては、これはわれわれといたしましては、このような所得保障の道において、あるいはそれをめぐるところの施設等の完備において、あるいはまた個々的に申し上げまするならば、経済政策の伸長の過程において、これらの方々にその保障の道を考えていかなければならないのではないかというふうに考えております。
  31. 滝井義高

    滝井委員 どうもあまり納得がいかないのですが、時間がありませんし、午前中はこれで区切りがいいから結論に入りますが、実は年金問題というものは、昨年十二月、皆保険政策ができて、また現実に公的年金の恩恵を受ける人が千三百万もおる。こういうような国民年金が非常に急激に起った一つの理由としては、そういう制度的な先行するものが一つの導火線になっておると思うのです。それからもう一つは、戦後の社会事情が急激に変って、家族制度が崩壊をしたり、人口の老齢化現象があったり、もう一つわれわれが考えなければならない点は恩給問題です。一昨年三百億の金を出したいわゆる軍人恩給というものが、やはり大きく年金問題に点火をしていく導火線になったと思うのです。そのほか民間の退職金制度があったり、あるいは厚土年金の中から農協の職員の年金が抜けたり、地方公共団体の慰労年金みたいなものを年に二千円やったり、月に三百円やったりするようなところもある。あるいは多いところは五百円とるところもあると思うのですけれども、こういうものができた。私はこういうことで年金問題の背景というものは政治的には非常に盛り上ったと思うのです。年金問題が今日この日ほど政治的に盛り上った時代はないと思うのです。いわば日本社会保障史に特筆大書すべき状態盛り上っておると思うのです。ところが一方、そういう工合年金問題というものは非常に盛り上ったけれども、一たびこれを財政問題あるいは経済問題、雇用問題の角度から年金問題を見てみますと、恒久的に年金制度日本に築き上げていく何らの体制ができていないということです。私は、問題はここにあると思うのです。これを一体坂田さんがどうして盛り上げていくかという点です。もはや客観的な政治情勢というものは盛り上ったのです。しかしその政治情勢の盛り上りにタイ・アップをしていく財政的な盛り上りと申しますか、あるいは雇用問題の基礎になるのですが、そういう盛り上りがないというところに大きな問題がある。この点を私は経済企画庁なり大蔵大臣なり総理に聞きたいところなのですが、あなたは一体こつの政治的な盛り上りにタイ・アップする経済的な盛り上りというものを、どうしてお作りになっていくかという点です。これは経済的な盛り上りというものは実に貧弱です。当時あなた方が、初め厚生省でささやかな案だといってお作りになったときの予算総額は、多分五百七十億程度じゃなかろうかと思うのです。ところがそれが二百十九億に削られて、さらにそれが百十億になったんです。この一貫した過程を考え社会党はその上の千二百億を出しておるのですが、あなた方の案は社会党の十分の一だということは、幾ら社会党が夢を描く政党であり、理想を唱える政党であるといっても、その自民党の十二倍の夢は描いてないと思う。もう少し経済的、財政的な盛り上りというものを考えないと大へんなことになると私は思う。国民はもう絵にかいたもちは飽いておる。もちは小さくても、やはり本物をもらいたいという気持があると思う。そういう意味で、私はちょうど区切りのいいところに来ましたので午前中の質問はこれで終りたいと思いますが、恒久的な年金を築き上げていくための経済的、財政的雇用問題はあとにしまして、経済的、財政的な体制というものがない。これをあなたは一体どうして今後日本財政の中からお作りになっていくのかということです。実は科学的な御答弁というか、こういうことだということを示してもらわないと、あとで示しますが、年金というものは計数を基礎にした議論でないとナンセンスになるのです。だからそういう点で経済的な盛り上りというものをどうするかという点です。あなたの方が数字ができぬならば、小山審議官でもあとで補足してもらいたいと思います。
  32. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 あとで小山審議官から詳しく数字的にお話を申し上げると思いますが、われわれといたしましても年金を打ち出しました以上は、ほんとうにこれが国民のふところの中に入り、そうしてその生活のささえになるという意味においてこれを提出いたしたわけでございまして、これが紙にかいたもちであってはならないということで、もちはもちでもやはり実のあるもちであるという考え方から、実は非常に手がたく盛り上げたようなわけでございます。従いましてあるいは相当御批判の点もあろうかと思いますけれども、今の日本の経済状態から、そしてこれを現実的に実行するにはこの程度をもって御満足をしていただかなければならないというふうなつもりでやったわけでございます。確かに御指摘の通りわが国におきましても、終戦後次第に社会保障というものが国民の間に御理解をいただけるようになって参りましたことはまことに喜ばしいことでございます。また最近この二、三年の間におきまして、与野党ともその問題に関心を示すことになったこともまたともに喜ぶべきことだと思うわけでございます。そういう意味において、政治的な盛り上りというものが相当強く出てきたということは私も認めるのにやぶさかではございませんけれども、しかしながらこれに対する経済的な裏づけのないような、いわば政治的な意味における盛り上りというものはさほどでもないと私は理解しておるのであります。やはり政治的な一つの発言として、あるいは理想として、案として出てくる以上は、それに裏づけるところのはっきりした、実行可能な財政経済というものを裏づけしたところのものでなければならないというふうに考えまして、その点におきましては、いまだ私はそう十分に政治的な盛り上りを示しておらないのではなかろうかというふうに自分自身では考えております。従いまして私がこの担当の厚生大臣に任ぜられました以上は、この年金法案をほんとうに実のあるものにしていくために大いに勢力をいたしたいわけでございます。弁解がましいことは言ってはいかぬとおっしゃいましたからこれ以上は申しませんけれども、しかし私はこの法案で満足をしているものではございません。今後の日本の経済の発展とともにこれを十分充実をして、目標に向って、あるいは理想に向って進まなければならないというふうに考えておるわけでございます。昭和三十五年度等の予算編成に当りましては大いに努力をしてみたいというふうに考えておるような次第でございます。
  33. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 数字にわたる点についてつけ加えてお答え申し上げます。  ただいま大臣が申し上げた通りの考えでございますが、さしあたって日本社会保障の規模をどのくらいにするかということを財政的に考えます場合においては、これはもうかねがね滝井先生も言っておられることでございますけれども、来年から昭和四十年ないし四十五年ぐらいまでの間にどのくらいのものを社会保障費につぎ込むようにするかということが何といっても一つの山だろうと思います。申すまでもなくこの期間には軍人恩給の額を中心といたしまして、恩給費は非常に膨脹いたしまするし、また国民皆保険の進展に伴う医療保障費も相当つぎ込まなくちゃいかぬ、こういうような状態でございますので、まずこの一番大切な状態においてこの年金制度にどのくらいのものをつぎ込むかということが今回の立案に当って私どもが関心を持った一つの点でございます。これは大体昭和四十年ごろをとりますと、無拠出でおよそ三百十三億程度、拠出で百四十八億、合せて四百六十一億というものを国からこれにつぎ込む、この点はすでに政府としては決心をしておるわけでございます。自後若干ずつふえまして、昭和五十年には拠出制、無拠出制を合せまして約五百二十億程度の国費が国民年金のためにつぎ込まれる。まず第一段階としてこれだけのものがつぎ込まれるような態勢であるならば、自後の発展はそのときの各種の経済的な条件のもとにおいては相当順調に成立し得る、かように考えておるのであります。 それから先ほど来お話がありました年金制度基本的にどういう役割を持たせるかという点つきましては、滝井先生御自身で分析されましたようなことが当然念頭に置かれるべきものだと思いますが、ただその場合に、当面この年金制度でそれを非常にかき立てていくか、つまり過度に促進的な役割をこれに持たせるようにするか、あるいは大勢としてはそういう役割をになうという意識を持ちつつ逐次それをになっていくようにさせるか、どちらが国民経済の発展のためにいいか、こういう点についての考え方が、おそらく政府案とそれから先生の御議論になっておる点と違っておるのだろうと思いますが、政府案はその点、逐次そういうふうな役割を増大させていきたい、かように考えておるわけでございます。
  34. 滝井義高

    滝井委員 これで一応切りが来ましたから、昼からあとを続けます。     —————————————
  35. 園田直

    園田委員長 この際、参考人出頭に関する件についてお諮りいたします。来たる十九日当委員会において、中小企業退職金共済法案について参考人より意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  36. 園田直

    園田委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  なお参考人の人選及び手続に関しましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  37. 園田直

    園田委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  午後二時まで休憩いたします。     午後零時四十五分休憩      ————◇—————     午後二時二十五分開議
  38. 田中正巳

    田中(正)委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  国民年金三案についての質疑を継続いたします。滝井義高石。
  39. 滝井義高

    滝井委員 午前中は年金の総括的な質問をいたしたのですが、今から少しその内容の質問をさしていただきたいと思うのです。今度政府の出した国民年金は、年金というその基本にある非常な特殊性のほかに、国民年金そのものの特殊性、こういうものが加わってきておると思うので。私はこの国民年金というものは、われわれが今まで考えておった公的な雇用関係にある人々を中心とする年金よりか、さらにむずかしい問題がたくさん出てくるだろう、こう考えざるを行ないわけです。われわれが年金考える場合に、年金は一定の金額を長期に、しかも死ぬまで支給するものなんです。いわば継続的な債権債務の関係がそこに起ってくるわけです。従って終身お金を支給する、こういうことになると、現在すでに国家財政に非常に大きな負担になっておるいわば天皇の官吏としての恩給というようなものが、もはや日本財政に手かせ足かせをはめて動きのとれないものにしておると同じ状態が、いわば既得権としてこの年金が発足すれば出てくることになるわけです。こういう特徴がありますが、同時にその既得権というものが老人人口の増加ということによって、年金実施せられるならば雪だるまのようにふくれてくる、こういう特殊性があります。しかもそのほかに、そういう特殊性があるばかりでなくて、同時に莫大な財政の規模が、長期にわたる債権債務の裏づけとして必然的に必要になって参ります。そのことは同時に一国の国民経済なりあるいは国民所得なり、国家財政というものに対して非常な大きな影響を与える、すなわち国家財政の中における大きな比重となって現われて参ります。現在すでにわれわれの持っております公的な年金だけでもその保険料が六百億円をこえているし、給付の総額は二百億前後、積立金は将来ピークになれば現在われわれが持っているものだけでも二兆になり、さらに今度の国民年金がこれに加わっていくとそのほかに三兆程度——ある人は四兆とも言っておりますが、ピークには三兆前後の積立金ができてくる、こういう非常に国民経済なり国家財政に大きな比重が占められるという状態が出てくるわけです。それからさらにそれらの債権債務と、国家財政に大きな比重を占めるその因民年金、あるいは公的な年金、そういう年金というものは、同時に高度な数理計算を必要とする、いわゆる数理構造というものがその中に一貫をして貫かれておらなくてはならぬ、こういうことです。しかも掛金、拠出金と給付との関係あるいは積立金の造成と運用関係、これらのものが数理的な推計によって貫かれ、その数理的な推計がうまくいくかいかないかによってその年金制度というものが死命を制せられる、こういう形があるわけです。そういう年金制度の特殊性に加えて、今度政府が提案をしたこの国民年金によりますと、まずその対象となる人口というものが、日本においては非常な特殊性を持っておるということです。政府が三十年の歴史を持つ健康保険さえもいまだかつて適用ができなかった五人未満の事業場に働く労働者諸君というものが、これの対象にもなる。しかも最近における日本農業というものは、非常に兼業が振興し始めた。そして農村における労働力のにない手が脆弱なるところの婦人と老人労働によって占められるという、それらの人たちをこの年金の主たる対象にしなければならぬということ。しかも自営業者がその対象者になる。従って政府の案によると大体二千三百万から二千五百万程度のものがその対象者になっておる。そしてその業態も、生活の実態も、きわめてバラエティに富んでおる。多種多様である。所得も非常に凹凸があり、しかも低い者が多い。従ってそれらの捕捉がきわめて困難になってくる。こういう、いわば今までわれわれが経験をした公的な年金の上に、この国民年金というものは全く新しい、われわれがかつて経験したことのない、われわれが経験を持っておった社会保険さえもがよくなし得なかったものを、これからやろうとする。今後われわれは国民年金の中にそういう特殊性を持った対象を包括するという困難が加わってきております。  もう一つは、それらの階層をこの国民年金に含めて、そしてすでに戦争のさなかに発足をしておるもろもろの公的な年金——あるいは恩給、あるいは厚生年金、あるいは今度恩給が変っていく国家公務員の共済年金というようなものとの間の調整の問題をも同時にここ二年以内に片づけなければならない。いわば各制度内容、特に財政の個別制というものが非常に強い各制度の非常に特徴的な性格というものを、それらのものがそれらの歴史と伝統に従ってになっておる。その歴史と伝統をになっておる既存制度と新しい制度との技術的な調整の問題というむずかしい問題を同時にかかえておる。こういうように、現在の年金というものに対する非常なむずかしい問題点のほかに、この年金が今まで日本が経験をしたことがない新しい要素というものを加えておる。こういうことをいろいろ考えて見ていきますと、どうも年金問題というものは、政府がいうように簡単には片づかないという感じがますますしてくるのです。まあ、年金ノイローゼと申しますか、考えれば考えるほどそういう病気にかかりそうな感じがするのです。坂田さんや小山さんがそういう病気にかからない心臓の強さに、むしろ私の方が驚くくらいなんですが、そういう病気にかかるような感じがする。年金ノイローゼ病というのがあるかどうか知りませんが、まあとりあえず八木さんと私なんかがそういう病気にかかっておる部類なのかしれませんけれども、とにかくそういうノイローゼにならざるを得ない。  そこで、政府に私は具体的にいろいろな問題をこれから尋ねていくことになる。そういう非常に困難な特殊性のある年金制度が発足をすることになるのですが、当然私たちはその場合に、国家財政とか、年金の額とか、拠出者の負担能力という、これらのものの均衡の上に、初めてこの国民年金制度というものは打ち立てられると思うのです。そこでその均衡というものをどういう工合政府がとってきたかということなんです。まず大ざっぱでよろしいので、あなた方の勘と申しますか、そういうところを一つ御説明になってみてくれませんか。
  40. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先ほど来滝井先生がいろいろお述べ下さいましたことは、まさしく私ども今までも悩んで参り、また今後も悩んでいかなければならぬ問題でございまして、そのことのゆえに、今回御審議を願っております国民年金法案がかなり控え目なものになっているわけでございまして、一挙に最終のポーズまで示し、段階的にこうするのだというふうな議論をることは、物事を実際に即して考えれば考えるほど無理だ。やはり大まかな方向と、それから段階的に、まずこの段階までは確実にいける、次の段階はこう、こういうふうに実際問題としては議論をこなしていかざるを得ない、かように考えている点でございまして、今後ともいろいろ御指導いただいて、間違いなく進めていきたいと思っている点でございます。  それから滝井先生が仰せられましたのは、おそらく国家財政の額からいって、国民年金にどのくらいのものを割り当てて考えるということが適当か、そのめどについておよそどういうような予想を持って考えたのかということが、お尋ねの問題の一つであろうと思います。この点につきましては、午前中最後に申し上げましたように、さしあたり十五年程度のところでは、まず国の負担四百五十億ないし五百億という程度の規模のものとして考えて参ることが現状では一番適当であろう、こういうような考え方で終始しているのでございます。無拠出年金の部分についていろいろの議論はございましたけれども、規模といたしましては、大体平年度におきまして三百五十億をやや上回るか下回るかということが、私ども事務当局のみならず、与党の中でも論議されておりました議論の幅でございまして、いろいろ推察をされますように、そんなに大きい幅があったわけではございません。  それから拠出の部分につきましては、保険料の半額負担ということは終始私ども考えておった点でございますので、対象が任意適用に相当部分が移ったというようなことに伴う若干の減少はございますけれども、大体見当といたしまして、二百億から二百五十億ぐらいのところまででさしあたりのところはとどめるようにいたしたい、こういうような見当で考えて参ったわけでございます。こういう考え方をとりましたのは、各種の公的年金制度についての手当は手当といたしまして、これを除いた人々を対象とする年金制度ということで考える前提に立つならば、まあ大体このくらいのところが適当であろう、かように考えたからでございます。なおこの考慮の中には、当然、かねがね御指摘になっている通り、現在このときにおいて年金制度を大規模にかつ本格的に発足いたしますことは非常に望ましいことでもあり、けっこうなことでございますけれども、これは当然医療保障について今までやって参りましたことをさらにスピード・アップして内容充実さしていくということと伴って行われなければならぬのだ、こういうような根本的な考え方関係者の間にあったからでございます。  それから第二の点としては、おそらく、一体保険の仕組みというものをとっていく限りにおいては保険料なり、あるいは保険の形をとらなくとも、実質上何らかの意味において、財源のある部分を国民に一般の税と別に負担させるとするならば、保険料もしくは保険税というものをとらなくちゃならぬことになるけれども、これをきめるについてどのようなめどを持ったか、こういうような点が御議論になった点かと思うのでございます。この点につきましては、まず原則的な考え方といたしましては、前回も申し上げましたように、滝井先生かねがね仰せになっている、いわゆるボーダー・ライン階層というものを絶えず頭に置いて考えなくちゃいかぬ、ともすれば、この問題を考える場合に保険料を納め得る者と納め得ない者との区別を単純な線として考える傾向が一部にございまするし、前回も申し上げましたように、私どもが基準にいたしました社会保障制度審議会の答申の中には、ややそういうにおいが現われているのでございますが、これはやはり私どもは線と考えることは適当じゃない、やはり相当の幅を持ったものと考えなくちゃいくまい、かように考えたのであります。そういう考え方からいたしまして、いろいろ現状について当りました結果、やはり大まかなめどとしては、市町村住民税の均等割を納めている、あるいは納めていないというようなものの実態をつかむことによりまして、およそそのあたりを一つのめどに考えていくことが適当であろう、こういうような考え方保険料の納入を強制しても求める人々と、それから実情に応じて免除すべき人々との扱いをきめたのでございます。なお詳細な点については、さらにお尋ねがありました場合にお答え出し上げることといたしまして、そういうようなめどを立てまして実数に当りました結果、およそさ二割五分から三割程度見込めば大体これに対処し得る、かように考えた次第でございます。
  41. 滝井義高

    滝井委員 だいぶん問題の核心に入って参りましたが、今小山さんの方から、特に保険料徴収に当って、いわゆる拠出者の負担能力というものをどういう工合に見ていくかという点についての御説明があったのですが、それに関連をして具体的の問題に入っていくのですが、問題はその拠出の方式ですね。私たちが少くとも年金というものを所得の再配分に役立て、しかも年金額政府のように月額二千円とか三千五百円ということよりもっと上にしようとするならば、やはり所得比例の拠出方式というものがとられなければならぬと思うのです。社会党はある程度そういうものを加味して、国民健康保険と同じように、いわゆる応益の原則と応納の原則を、それぞれ五、五と五割ずつ持っていってやっておるわけですが、一体政府はその所得比例の拠出方式をとらずに、定額拠出方式をなぜとらなければならなかったのかという点です。この点に対する具体的な御説明をしていただきたいと思うんです。
  42. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいまの問題は、前々から御指摘をいただいておった問題でございますが、その際にも大臣及び私どもから申し上げております通り、でき得るならば報酬比例というものを取り入れていきたい、この点は御所見と全く同じに考えておるのでございます。ただ現状では、全国的な規模においてこれをとるだけの用意がない。しからば何で国民健康保険においてそれをとっているのか、こういう点が問題になるわけでございますが、この点は、実情の問題といたしまして、申し上げるまでもなく国民健康保険は市町村実施の単位になっております。従って、それぞれの市町村内において、大体において市町村民相互の間でまあまあという程度の納得がつく程度のことでありまするならば、所得比例のやり方その他につきまして、若干乱暴な点がありましても、あるいは言葉は適当でございませんが、やや荒っぽい点がありましても、まあまあやっていけるという点があるのでございます。ところが年金ということになりますと、これは全国を単位にして行いますので、やり方はよほどきめをこまかくしたものにせざるを得ないわけでございます。そういうような事情を考慮いたしますと、全国的な規模においてこれを実施する、つまりそれぞれの市町村相互の違いというものを十分反映して、全国的な水準において間違いないというような基礎でやるには、まだ何としても条件が十分整っていない。こういうようなことが今回フラット制をとり、報酬比例制をとらなかった事情でございます。  なお、御議論の際に特にその点強くお触れにはならなかったのでございますが、そういう富める者と貧しい者との間の報酬比例につきましては、しばらく条件が熟するまで研究を続けるといたしまして、いわば世代間と申しますか、年をとっている人々と若い人たもとの間のある程度の再配分という要素は、現在の政府案にもあるわけでございます。これは、年令二十才の人が完全に保険料を初めから納めたとし、五分五厘の利率を見、さらに予定しただけの国の負担を入れて、そのことだけで考えますならば、現在の年金額はさらにふやし得る余地が将来出て参るのでありますけれども、それだけのものがやや年をとった人たちのために振り向けられている。かような意味合いにおける所得再配分の効果だけは現在の案でも出て参る、少くともそれだけはやはり年金制度である以上はやりたいということで、かように調整したのでございます。
  43. 滝井義高

    滝井委員 どうも今の理由だけでは政府が定額拠出方式をとらなければならなかった理由としては、少し薄弱な感じがするのです。と申しますのは、でき得べくんば将来報酬比例にしたいとおっしやいますけれども、将来これに報酬比例制を加えるということになると、根本的にあとで触れていきますが、計算というものがやはり違ってこなければならぬ。財政の上からいっても、いろいろの問題を考えても、違ってこなければならぬ。そうしますと、定額で発足をしたものが、途中で報酬比例に切りかえていくということになると、年金制度の特殊性から考えても、これはやはり問題が出てくるだろうと思うのです。あとは、市町村単位に国保はやる、これは全国的な規模だとおっしゃいますが、私は、むしろ定額拠出方式をとらざるを得なかったということは、結局日本国民年金に加入をする——私がさいぜん申し述べましたように、五人未満の事業場に働く労働昔や、零細な農民や、中小企業者がその大宗であって、そして所行能力が非常に低いというところから結局定額方式というものをとらざるを得なかったということになるんじゃないかという感じがするのです。同時にまた所得比例方式というようなものをもっていくと、きわめて徴収がむずかしくなってくる。徴収を容易にして、まあまあ年金もやっておるんだという気晴らしというか、申しわけというか、そういうことのためには、まあまあ定額がいいのじゃないかという感じがしてならないのです。どうも今の、頭脳明晰な小山さんの答弁としては、ちょっと受け取りかねるところがあるのですが、理由というのは、所得が少いし、従って所得の捕捉が困難だ、徴収が容易でないということの方がフラット制にいかざるを得なかった理由になるんじゃないかという感じがするのですがその点どうですか。
  44. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 この点は、かねがね申し上げておりますように、決して言葉のあやとして申し上げておるわけではなく、やはり私ども当局におきましても、できるなら報酬比例が望ましい、かように考えておるわけでございます。これは先生方の方と全く、その点の事実判断については、同じ考え方を持っておるのでございます。  それじゃ一体どういう条件ができたならば報酬比例に移せるのかということでございますが、あるいは前に申し上げたかと思いますが、私どもは地方税法が改正をされまして、現存オプション・ワンからいろいろに分れておりますあの複雑な課税方式が統一されまして、地方税を課します場合に、それぞれの市町村当局が市町村民のなまの所得を直後につかむという方式に踏み切ってくれるときが、報酬比例を国民年金に取り入れ得る条件が整うときだ、かように考えているのでございます。この時期も、人によっていろいろ言われておるようでございますが、私どもがいろいろのところから承知しておりますところでは、そう先々のことではない、かように聞いているのでございます。
  45. 滝井義高

    滝井委員 だんだん議論が合ってき始めたのですが、私も実はそういうところだと思うのです。従って問題は、社長が部長を怒った、最後にネコが障子を破る。風が吹けばおけ屋がもうかるというあれではありませんが、私はそこは小山さんよりかもっと違った見通しを持っておるのです。あなたはなまのままで市町村自治体が、オプションワン、オプション・ツーというような地方税の課税の仕方ではない、なまでつかみ得る時期というようなものは早くくるということですが、私は今の保守党の政府のもとにおいて、憲法にいう、名実ともに地方に自主的な財源を与えて、自主的な徴税方式をとる、いわゆる地方分権を確立するときは近くないと見ている。ないと見ておるがゆえに、実はこれから議論をすることになるのです。  そこで、その議論にはあとで入っていきますが、まず国民年金国民健康保険との関係です。この問題は、私は少くとも今度の年金法政府実施する場合に、やはり一応考えておいてもらわなければならぬ問題点だと思う。そこで国民健康保険と今度の国民年金との対象者というものがほとんど相似形にあるということ、同じだということです。この点は、将来われわれが事務機構考える場合も、市町村国民健康保険の末端の事務機構であるということです。しかも、この前のあなたの御答弁でも明白なように、少くともこの年金の事務をやる部局は、民生関係あるいは社会関係だ、こういうとです。これは国民健康保険も今同じです。民生局、民生部あるいは社会裸、こういうような名前によって呼ばれておる所管であるということです。そこで対象者の同じものが、一方は応能と応益の二原則によって、いわば所得、資産、均等、世帯という四本立でとられていくわけです。ところがこちらの方は、いわばフラット一本立、こういうことになる。その基礎にはいろいろの要素が考慮はされております。所得十三万円とか——数字だけでいえば、十三万円とか二十一万円とか五十万円というような、それぞれの所得のワクがはめられておりますが、とにかく対象者は同じだというにとです。そういうことを考えてみると、どうもあなた方のものの考え方が、まず第一に年金オンリーで、ものを考えておるというような感じがする。やはりもう少し眼界を広くする必要があるのじゃないか。まず開くとびらは、国民健康保険のとびらをまず開いてみる必要がある。もっとそのほかに、あなたの今言われたように、地方税法のとびらを開いてみる必要がありますが、そこらあたりの関係というものを、まず政府はどのように考えておるか。もちろん異なる点は、給付が片一方は短期保険で、片一方が長期保険であるという点は異なっております。こういう点は異なっておるけれども、事務機構の問題や対象者というようなものを考えると、今フラット制一本というプリンシプルで国民年金制度が貫かれていくということは、どうもこの制度が早く行き詰まるような気がしてならない。やはり将来われわれが事務費を節約して、そしてこの保険料徴収を非常に能率的にやるためには、やはりこれらのものは一つの場所でとられることの方がいいと思う。それはすでにわれわれが、現在政府管掌の健康保険とか失業保険とか日雇いの保険とかいういろいろの保険がばらばらにあって、実に事務機構が複雑で、事務の繁雑、冗費が多いというような点を指摘をしております。幸い今度は政府みずからがそれに気ついたかどうか知りませんが、船員保険法の一部を改正する法律案というものをああいう形で出してきたということは、やはり政府のどこかすみの方にでも幾分そういう反省があったという一つの証拠じゃないかと思う。そういう点で国民年金国民健康保険というものが、一方が右の道を行き、一方が左の道を行くということでは、やはり問題があると思う。そういう点では、すでに国民健康保険において、保険料徴収で毎月きちんきちんと収入が入らずに、農業の生産物ができたときに集中的に、ある季節に片寄って収入があるという場合に、国民健康保険に保険料徴収を考慮したと同じような考慮というものが、同時に年金にも加えられなければならない。ところが、それが加えられていないということなんですね。多分加えられていなかったと思うのですが……。
  46. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 あります。
  47. 滝井義高

    滝井委員 ありますか。九十二条以下、保険料の納付方法という、「厚生省令で定める場合を除いて、」ということになっておるようでありますが、そういうことからいきますと、私が考慮をされていないというのは私の考えておるのはスタンプ方式でこれがいくということなんです。そうしますと、その場合に、定期的に金が入るということでなくて、一つの季節に片寄って金が入る、こういうことになると、やはりそこに、一本のスタンプ方式ということではなくて、たとえば農協の振替とか、あるいは国民健康保険との抱き合せでとっていくとか、あるいはスタンプ制もとるところがあるだろうし、あるいは納入告知書でとるというような、いろいろ、それぞれの地域の特殊性にまかせたとり方でいいんじゃないかという感じもしてくるのです。こういうような国民健康保険と年金とのからまりというものを、あなた方は一体どう考えておるのかということです。これはそっくりそのまま、国民健康保険とのつながりというものを深く考えれば考えるほど、定額方式というものがやはり問題になって、比例報酬というものがいいかな、こういう考えにならざるを得ない。これはだんだんあとで、その理由を解明していきますが、そういう点について、あなた方はどういう考慮を——具体的に現実の第一線の市町村の機関が、この拠出制年金と取り組むという場会合になったときに、どう考えていくかということですね。
  48. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま滝井先生が具体的な事例としておあげになりましたことは、私どもも全く仰せの通りだと思っております。その点については、そういうようなことを実際上考慮していきたいということで、法律の上におきましても、(滝井委員「何条ですか」と呼ぶ)たとえば九十二条とか、あるいは保険料の前納の問題については九十三条というようなところに、それぞれそういうふうなことを考え得る条項を置いておるのでございます。内容は、お触れになりましたように、ある種の場合においては、スタンプ方式によらないほかの納入方式を取り入れていく、また納期限につきましては出来秋等に一括して納めるという便宜の方法も考慮していく、こういうようなことが考えられておるわけでございます。  なお、最初に仰せになりました国民健康保険とこれとをどういう関係に置くかという問題は、先生仰せのように、まことにこれは基本的な問題でございまして、この点がおそらく明年度以降、社会保障制度審議会審議等を、通じまして、大きくもう一回議論をしてもらわなければならぬ点だと思います。先生仰せのように、実施の便宜ということを考えますと、国民健康保険と今回の国民年金制度というようなものとを結びつけるという方向に、一段と徹底させるということが、いろいろな点で便宜なのでございます。しかし、そのことは、また別の観点から見ますと、医療保険なりあるいは年金制度というものを、被用者としからざる者とに分けるというこの分け方をある程度固定させる傾向を伴いがちなのでございまして、そうでなくても、ともすれば医療保険の面においてある程度の違いが出てきている、こういうようなことを将来固定させる傾向がないではない。一面から見ますならば、やはり医療については、被用者であろうとしからざる者であろうと、機会均等、同等の医療保障を受けるという方向に調整していくにとが必要だという考えからいたしまして、なるべく医療保険についてはそういう格差が生まれにくいようにまとめ上げていく。年金については事情は医療とやや異なると思いますが、大筋としては年金相互の調整ということを考えると、そういう観点からまとてめいくという考え方もあり得るわけでございまして、この点は確かに仰せの通り、今後においてどちらの道により、徹底させるかということを論議すべき問題だと心得ております。
  49. 滝井義高

    滝井委員 国民健康保険と国民年金との関係は将来の問題だとおっしゃいますが、私はこれはやはりこういう大事な法案を出す段階においては、政府は十分財政負担その他を考慮して出さなければならぬので、やはりある程度その見通しいうものを制度審議会に諮問を前もってされて、出してくるのが私は筋じゃないかと思うのです。今から出していくということになると、これはやはり相当時日がかかって、そのものの考え方が違ってくると、いろいろのところに違った考え方が出てこざるを得ない。従って今のあなたの答弁の中で、国民健康保険と健康保険との関係において、雇用者とそうでない者、いわゆる一般の独立自営業者との間にだんだん格差ができる、これらのものが分けてあると、その固定化する傾向が出て参る、こういうことですが、問題は、これらにも根本的な問題が宿っている思うのです。われわれ社会党の案は御存じの通り、雇用労働者と、雇用労働者でない一般のいわゆる中小企業なり農民の諸君と、この二本建ての制度を確立しようとするのがわれわれの主張なんです。あくまでも雇用労働者は健康保険に一本にしていく、政府管掌と組合とは一本にするのだ、年金も従って被用者の年金というものをきちっと作ていく、一万独立自営の諸君には一般の国民年金、被用者以外の年金と、こういうようにはっきりっ社会党は二本建にしていこうとしておる。そうしてそれらの間における給付の内容その他については、いわゆる収入を得る形態というものが、片っ方は雇用であり、しかも労使の関係というものが別にある。片っ方は独立自営業者で全く性格が違うのだから、これはもう別にしよう。しかしその医療の給付の内容というものは一つでなければならぬ、こういうものの考え方なんです。そうしますと、今の小山さんのは、雇用者と一般国民との間に今格差があるのだが、それが固定化をするから、どうもその点については、という御答弁だったのだが、そうすると一体政府の将来の日本における所得保障医療保障というものはいかなる体系を持つのかということなんですよ。私たちはもうはっきりしておる。この日本社会党の年金分類表というのがあって、国民年金は普通年金と特別年金、普通年金には一般国民年金と労働者年金、特別年金養老年金と母子年金身体障害者年金、これと同じ形態が医療保障社会保険にも出てきておる、こういうことなんです。そうすると政府は、将来は被用者年金も今のいわゆる厚生年金とか恩給、共済金と国民年金とを一本にしてしまう。保険は全部一本にしてしまう、そういうものの考え方ですか。
  50. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 私が申し上げた趣旨は、今の根本問題については、もうしばらく国民的な規模において論議をする必要があるし、また論議した上できめらるべきものだということを強調したかったのであります。ともすれば被用者は被用者だけで、しからざる国民はしからざる国民だけ、あたかもこれが初めに与えられた前提のごとく論議される傾向があるわけでございますが、これが非常に強まりますと、先ほど滝井先生が例をあげてお述べになりましたように、農業に従事している人々の実態といたしましても、兼業形態が非常にふえてきている。いわば被用者と自営業者という単純な分類だけでどうにもならぬという混合形態が、望ましくはないにしても、ある程度ふえてきているというような状態考えますと、これは一体どういうふうに整備することが一番矛盾なく処理できるか。おそらく私どももかねがね出し上げていますように、大筋としては被用者の系統と、しからざる系統というふうに大くくりにすることが適当であろうと思っておりますけれども、ただその仕方についてはもう少しいろいろのことを考えてみたい。たとえば被用者にあらざる者ということで国民健康保険と今回提出しております政府案国民年金との関係考えてみます場合におきましても、国民健康保険の経営規模の市町村単位になっているという点を、それではどういうふうに将来考えていったらいいかというようなこともなおきわめる必要がある。こういうふうなことといろいろなことを頭に置いて、もうしばらく議論をしてみる必要がある。こういうことを申し上げたわけでございます。
  51. 滝井義高

    滝井委員 国民健康保険の議論じゃないので、国民健康保険の運営の主体を市町村にしたままで放置しておくのか、それとも県で持っていくのかというような点は、ここで論議をいたしませんが、私たちはやはりそういう段階になれば、運営主体は県に持っていくべきだと思う。今のように保険料がそれぞれの地方財政によってアンバランスで、そして零細な、住民の少い、財政力の弱いところに住む住民が多くの保険料を払わなければ国民健康保険の運営ができないという不合理は、やはり是正されなければならぬと思っおります。が、それはもうやめにしまして、そういうように国民健康保険と年金というものはどうしてもこの制度発足当時においてわれわれが真剣に討議をしておかなければならない問題点であることは明きらかでございます。  そこで、一九五六年、昭和三十一年、ちょっと統計が古いのですが、この国民健康保険の実態調査によると、所得が七万円未満世帯層が二六・九%、約二割七分を占めておることは、これは厚生省の統計の示す通りです。しかも十万円以下が一五%、一割五分です。その額は、七万円未満が保料調定額一世帯当たり千二百八十二円、十万円未満が千六百四円。そして改納率は七万円未満の層では七八・三%、十万円未満では八二・五%そうしますと一世帯当たり昭和三十四年では三千六百九十円くらいになるといわれておりますが、政府案でいっても、一世帯に一人そういう年金加入者が、おるということになると、これに千二百円ないし千八百円が加わってくるわけです。それが二人、三人おるともっとふえるということになるわけです。そうすると、これで五十円ちょとしたものが一世帯当りの国民健康保険と国民年金保険料になる。最近は収納率が九割くらいに上りつつありますけれども、これは皆保険が、三十五年度末までに全国的な規模になると、必ずしも九割なんという収納率は、これはとても及びもつかないだろう、そういう好成績はおさめ得ない、こういうことになると思う。そこで今回そういう困難な中で、政府は拠出の負担限度というものは百円、百五十円とこう分けておるわけですが、実は制度審議会があなた方に答申をされたのは、有業者が百円と無業者が五十円、平均七十五円が限度であると、こうされたわけです。そしてその七十五円は何かというと、国民健康保険が大体これくらいだから一人当り七十五円くらいが限度でしょう、こういうことなんですね。そうしますと政府が百円にされたその理由なんです、私たちが百六十六円なり二百円にしたというのは、私たちはいわば年金だけをぽつっと出したのではなくして、いわゆるMSAに挑戦をする経済五ヵ年計画を立てて、そして日本経済の伸び、日本の輸出、輸入の貿易の状態、雇用の状態、これらのものを勘案をして、平均百六十六円ならばいき得るだろう、こういことを考えて出したわけです。ところが資本主義政党のもとにおいて有能な制度審議会の昏さん方が、七十五円が日本経済のもとにおいては限界であるといって、これは賛否両論があったと思いますが、そういう工合に出してきた。そうするとそれを二十五円上回りあるいはば倍額になる百五十円というものをお出しになった。その理論的な根拠というものは、一体とういうように制度審議会とは違った日本経済の見方をしたために倍のものが出てきたか、あるいは二十五円多いものが出てきたのか、これを一つ御説明をしてもらいたいと思います。
  52. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま滝井先生がお触れになった問題が、今回の国民年金制度における一番むずかしい問題の一つであることは仰せの通りだと思います。それでまず、何ゆえに社会保障制度審議会の示した案をそのままとらなかったかりということを申し上げたいと思います。  それはただいまも先生が例を引いてお述べになりましたように、社会保障制度審議会で御議論になった際において、非常にこの問題はむずかしい、従ってどのくらいにきめたらいいだろうかというところでいろいろ当られた結果、先ほど引用されましたところのかつての厚生省保険局で行いました国民健康保険の実態調査から、一番低い所得階層の国民健康保険の負担額を伸ばしていくとこのくらいになるから、こういうことできめられたわけなのでございます。実は突っ込んで考えてみますと、そのことにはあまり理論的根拠はないのでございます。現在それだけのものを負担しておるからというだけの理由で、もう一つ同じ程度の額を負担し得るというようなことはあり得ないわけであります。従って私どもとしてはそれ以外に、何かいわば絶対的な立場から積み上げて、このくらいの負担ならばでき得るというようなものがあり得るかどうかということを検討したのでございますが、遺憾ながらこれはどうも現在日本にまありますいろいろな資料を検討しましても、そういうような角度から論議を固めて参りまして、これだけの額ならば納められるというような資料はございません。     〔田中(正)委員長代理退席、委員長着席〕 わずかに、大体世帯所得が年間二十万程度でありますならば、相当程度の税及び保険料負担にたえ得るということを、やや科学的、学問的に立証しようと思えばできる。しかしそれ以下の部分についてそういうふうな論議を固めることができるかということになると、これは非常にむずかしい。ただ、ここで申し上げる二十万というのは、先ほど御引用になりました国民健康保険における所得七万とかなんとかというのと、若干とり方が違いますのでなにでございますが、一般にいっている二十万でございます。そこで私どもといたしましては、この問題を考えるに当っては、結局間接的に固めて参るよりいたし方がないということで考えましたのが、次に申し上げるようなことであったわけであります。一つは、すでに申し上げたと思いますけれども、昨年の三月に、全国約三千九百人の人々につきまして、内閣の審議室におきまして、保険料の拠出能力の調査を行なったことがあるのでございます。この調べ方は、それぞれの所得を調べるというやり方ではなくして、相手方に対して、これくらいの保険料ならば納められさますかということを質問して、それに答えてもらうことによって、それを整理したものでございます。それによりますと、いろいろ条件を示して答えました人々について整理いたしますと、百円程度ならば納めることができる、ぜひそういうことで年金制度をやってほしい、こういう趣旨の回答を寄せました人が、全体の九四%ございました。それから百五十円以上納めることができる、そのかわり年金の額は高くしてほしい、こういう答えをされました人が、全体の八〇%でございました。これは年金の額と相関的に考えての答えでありますので、それ以外に、では一般論としてどのくらいの保険料ならば納められますかという質問をしたのでございますが、それに対する回答を見ますと、百円までならば納めることができますという答えをしましたものが全体の九〇%、それから百五十円まで納めることができますということを答えましたのが七四%あったのでございます。それで結局この保険料の拠出能力の問題は、確かに本質的には拠出能力の問題ではありますが、同時に一面においては、拠出意欲の問題である、従って納めるに値するというふうに国民感じますならば、保険料は納めてくれ得るはずだ、こういうような見当を一つつけたのでございます。次にそういうような予想を持ちまして、現在市町村で行なっておりまする均等割の納付状況等について当りました結果、先ほど来申し上げました通り、大体二割五分から、安全を見ると三割程度の人については、どうも百円、百五十円という保険料の納入を強制することは、今の段階においては若干考慮しなければならぬ、かような見当をつけるようになりましたので、三割程度の人々については保険料の納入を免除する、こういうことにいたしたのでございます。
  53. 滝井義高

    滝井委員 今の厚生省の見方ですね、いわゆる世帯所得が二十万円程度ならば、科学的に、あるいは学問的に見ても大体拠出能力があるだろうという、こういう見方なんですが、こういう厚生省の見方に対して、大來さんの方の見方はどうでしょうか。日本国民の中で、この年金をやった場合に相当に脱落者が出る、三割程度出るというのが厚生省の見方ですが、あなたの方の経済の専門家から見て、日本の経済の所得構成、就業構造等から見て、今度の政府案のようなものを実施した場合に、どうお考えになっておりますか。国民の拠出の能力ですね。
  54. 大來佐武郎

    ○大來政府委員 ただいまの御質問でございますが、一応私どもの担当官を通じて、計数的な問題について厚生省の方と打ち合せいたしておるわけでございますが、ただいま小山審議官からの御説明がありましたところで、私ども特別に批判するところはない、その程度行くだろう。私どもも非常にその点をつかむことに困難を感ずるわけでございますが、ただ長期的な立場から考えますれば、所得が大体年にこの五年くらいは、六ないし六・五%くらいで上って参りますし、人口は一%以下の増加になりますので、平均的には今の長期計画でも三八%の家計収入の増大というものを見込んでおります。これの分配関係がそれほど変らないといたしますれば、ますます、払い得る、二十万円以上の所得を持つ家計というものがふえていくというふうに見ておるわけでございます。長期計画に階層別の所得というものをはじいておりませんので、あまり具体的に検討する力を持っておらないわけでありますが、大体の判断といたしましては、ただいまの小山審議官の申されたところで妥当だと考えております。
  55. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、今のような御説明で、ここ五年くらいは、日本国民所得が六ないし六・五%ずつ伸びていく、それから人口が一%以下の増加だから、従って家計費の伸びが三割八分くらい増加する、こうなりますと、五年目にはすでに、四条によって政府は、国民生活水準その他の諸事情に著しい変動が起った場合には、これを是正しなければならぬことになるわけです。そうすると、国民の家計の所得が三割八分も増加をするということになれば、当然年金額調整が必要になってくるんですが、一体この場合、国民生活水準というものがどの程度上ったら年金額を変えることになるのか、それから、その他の著しい事情というのは一体どういうことなのか、今の長期経済の見通しにおいても、経済企画庁は家計収入が三制八分の増加だ、こういうことをおっしゃってるわけですが、国民所得があなた方の伸びよりかいい。六ないし六・五%ですから、幾分多いようにも思います。われわれも五くらいじゃないかと思っております。しかし経済企画庁は六ないし六・五とおっしゃっている。そうすると国民生活水準が、三割八分の家計収入がそっくりそのまま水準の増加にならぬにしても、相当の増加になることは明らかなんです。社会党案は、所得の伸びが一割だったら再検討することになっている。だからこれは国民生活水準とその他の事情の変動という場合を、どの程度に見るかということなんです。これは一番大事なところですよ。今後この法案が通った場合に、直ちにあなた方は変動後の諸事情に応ずる調整を加えなければならぬが、国民所得が伸びていくということも、一つ変動です。国民生活水準がどの程度上ったら、一体保険料負担に伴う法律による年金額というものが変えられるのか。その場合は当然年金額は変えられるので、法律における保険料負担の割合も変らなければならぬことは当然です。一体どの程度のワクの幅を持っているのですか。
  56. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 お答えする前に若干補正をさしていただきたいと思います。私、先ほど二十万程度所得というふうに申したと思いますが、これは二十万程度の消費水準と言うつもりでうっかり申しましたので、この点はおそらく、ただいまのお話をお聞きすると、滝井先生はもう御承知の上でお聞き下さっておったようでありますが、消費水準というふうに御訂正を願います。  それからただいまの御質問でございますけれども、五年目にどの程度状態になったならば年金額調整を考慮するか、これは確かに非常に大きい問題でございます。それでただいま先生が例としておあげになるような生活水準が今と比べて格段に上っているというようなことになりますならば、おそらくそのときは保険料の問題とあわせて検討されるであろうと思います。ただその際に、なおほかの制度との関係があって、どういうふうな引き上げをするか、あるいは保険料関係もあって、その次にまとめてするようにするかというようなことは、そのときの事情によって論議される。しかし一般的な考え方といたしましては、生活水準が非常に上るというようなことがあれば、当然それに応じた年金額検討が行われるべきものだ、かような考えでございます。それから生活水準の上昇以外にどういうようなことが出てくるかということでございますが、おそらく結果的には生活水準の上昇に現われざるを得ないとは思いますけれども、たとえばほかの制度年金額というものがその間に非常に引き上げられる、こういうようなことがありますならば、当然そういうこととこの関連において年金額検討するという必要が出て参ると思います。
  57. 滝井義高

    滝井委員 私はきわめて具体的に言っておるわけですが、とにかくここ五年くらいは所得というものは六ないし六・五%の上昇を続けていく、人口はそれに比較して一%以下の増加なんだ、だから家計の収入というものは三割八分は増加をしていくだろうということは、おそらく五年後に三割八分増加するということだろうと思うのです。そうしますと、国民生活の水準というものは、何もこれは五年たってから——「五年ごとに」と書いてありますけれども、インフレーションが来年起ったならば、当然これはやらなければ処置ないでしょう。修正しなければ処置なくなるのです。それは年金計算がどうにもならなくなる。五年後にそれをためておってやるというわけにはいかないのです。食いだめはできないのです、年金というものは。そのときそのとき処理していかなくてはならぬ。従って大きなインフレーションが起れば、あるいはデフレーションがやってきたときには、当然それは直ちにやってもらわぬことには、国民はついていきません。その次の年から年金保険料が集まらないでしょう。だから国民生活水準というものが、今の御説明のように、大來さんと違っておればあとで直してもらいますが、三割八分の家計収入の増大があるというようなことは、非常に大きな見通しですよ、長期日本経済の見通しとしては。そうした場合に一体あなた方は、これは仮定としてもよろしいが、三割八分水準が上った場合に、国民生活水準の変動と見るのか見ないのかということなんですよ、私の言いたいのは。三割八分を変動だと見るならば、一体その基準は幾らですかということなんです。それをこの際示してもらわぬと、こういう法文を出されておって、このままここを切り抜けようとしたってむずかしいでしょう。ここらあたりが一番重要なとにろですからね。めくらの竜では困る。日本列島は長いですから、目をあけておいてもらわぬと困るのです。だから一つ目を入れて下さい。
  58. 大來佐武郎

    ○大來政府委員 一点だけちょっと明確にいたしておきたいのでありますが、三割八分は長期計画の数字で、三十一年基準で三十七年になっておりますので、六年間で三割八分ということであります。
  59. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 国民所得水準がその間に上るようなことがありましても、それが貯蓄水準に回る部分が非常に大きいというようなことであれば、必ずしも国民の消費水準は上って参りませんので、そういうようなことでなく、上っただけ全部実生活が引き上げられていく、こういうような前提でおそらく先生は問題を出しておられるものだと思いますけれども、そういうような内容で、たとえば制度発足のときに比べて五割も上るというようなことになりますならば、当然それはそのときに年金額調整するということに相なろうと思います。
  60. 滝井義高

    滝井委員 そういう抽象的なことでなくて、国民生活水準が一体どの程度変動したならば保険料なり年金額調整をやるかという、ここが一番大事なところなんですよ。これをあなた方が答え切れずにこの法案を出しておるとすれば、これは拠出について国民は信用できないのです。社会党は間違いなく一割を出しておるのですよ。だからとにかくこの法案にその数字を入れてないというところに、私流に言わしむれば目がないんですよ。日本列島というのは長いですから、九州から北海道まで海竜が上っていくのに、目がなかったら太平洋か日本海に行ってしまいますよ。あれが一番大事なところです。だから社会党の案でも「厚生大臣は、生計費その他の諸事情の変化により、年金の額を百分の十以上増減する必要があると認めるときは、国民年金審議会の意見を聞いて、その変更に関し必要な手続をとらなければならない。」とずっと書いておるんですよ。だから幾らに上げるかはどこか諮問機関でやったらいいです。しかし日本経済の成長のテンポというものは、経済企画庁で御説明になっておる通り少くとも六ないし六・五%です。これより低く見てもかまいません。それはあなた方がもっと確実に見るために、あるいは制度審議会のように一・五%でもかまいません。社会党のように四%でもかまいませんよ。ところが現実に経済を担当しておる企画庁、同じ政府の中で、六ないし六・五%、人口は一%、そうして三十七年には少くとも三割八分上りますと言っているのだ。だからその半分に見ても一割九分上るわけなんですよ。だから二割上った場合にはやりますかと、こう私は質問してもいいのです。ここらであなた方が答え切れぬとすればこの法律はちょっと上げられません。一番大事なところじゃないですか。だからこれは一体どういうことなのか。きょう経済企画庁の大來さんに来てもらったのはそういうことなんです。一体経済企画庁が日本経済の伸びや国民所得の伸び、増加をどういうように見ておるかということが、あなた方の年金の基礎、土台にならなければならぬ。あなた方はあなた方のものの見方をし、経済企画庁は経済企画庁のものの見方をしていくならば、何も政府は長期計画を立てる必要はないです。さいぜんから私はわざわざるる下らぬ演説だと思ってしてきたのは、結局年金の特殊性、その上に国民年金の特殊性が加わるということなら、それは長期の債権債務になるのだ、長期の財政計画を必要としますということはわかっておるから言ってきた。その長期の経済計画なり財政計画が見合って、国民所得が三八%伸びならば、三割八分伸びたときにはあなた方は一体どのくらい上げますか。このくらいのことに答弁ができぬというのはおかしいです。これは現実に具体的にすぐ五年の後に起る。そのときになって答えますでは、これは国民は信用できないのです。だからここは私はそう正確にどうだとは言いません。しかしこれは医療費の単価の問題のときもあなたはおっしゃっておる。いわゆる十円なり十一円五十銭というものは、十円に下げたために経済的な要素がなくなったのだ。そうすると一体この十円を動かすことがあるのかないのかという質問をしたら、あなたは、それは全然経済的な要素はなくなっている、十円を動かすことはある、それは国民生活水準が上れば、事実上げなければならない、その場合に、全面的に点数を動かすというような不合理が起るときには、単価を上げた方が早いのだと御答弁になったことがあるのです。そのときだって国民生活の水準というものは、これはまだ私は聞いておりませんが、これは短期のものだから、そのときそのときで絵がかいていけるのです。ところがこれは短期でない。長期なんです。長期であるがゆえに、長期の見通しが出たならば、三割八分も上ったならば、そのときは今百円の保険料は百二十円にします。そのかわりに二十五年で二万四千円、月額二千円をそのときには二千五百円程度にやりますという答えが出てこなければうそですよ。そうでなければ、これは幾らあなた方が統計資料を出して長期の見通しだと言っても、それはちょっと私納得できない。もうすでに具体的なものが経済企画庁によって出されたのだから、出されたものの上に立って、国民生活水準が幾ら上ったらどういうことになるのだという試算はやっていらっしゃるでしょう。それを全然やっていなくて、われわれのところに国民年金法案参考資料だけをくれたというのじゃおかしいのです。これを見ると、日本経済の投資から何から全部あるのですよ。これはあなた方相当勉強されておるのです。四十五ページを見ると、産業設備資金の調達実績というようなものまで、三十二年までずっと書いていらっしゃる。これは何もそれまでしなくても、三十二年だけを出してくれたらいい。ところが昭和二十七年以来、あなた方が六年間にわたってそれぞれこの産業設備資金の調達実績というものを調べたのは、これはいわゆる五・五%の資金運用、いわゆる予定利率と密接な関係があるのですよ。いわゆる利回りが上になるか下になるかということは、これは密接な関係がある。この産業設備資金の調達状況が、自己資金で全部やるか、仏入金でやるかによって利回りは違ってきます。そういうことはあなた方お考えになってここまで書いておられる。それから先、三十三年、二十四年、三十五年は書いておりませんが、それについては大卒さんの方で、途中は抜けておっても、大体やっていらっしゃる。石炭だって、エネルギー政策は三十七年まで全部数字が出ていますよ。だからそういう点でどうですか、そこらあたりをはっきり答弁ができなければ、二、三日余裕を与えてもかまいません。これは一番大事なところです。国民生活水準が一体どの程度変動した場合に、保険料なり年金額を変えるかということです。これはあなた方に答弁できなければ、大蔵大臣か岸総理でもこの次に来てもらってもかまわないのですよ。
  61. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先ほどかなり間接に、具体的なお答えを申し上げておったつもりでありますが、先ほど来申し上げておりますことは、大体五年目の再計算というのが年金額調整について検討するめどになりますということでございます。そのことは、言いかえますならば、多くの場合そのときにおいて年金額の引き上げというものが、自然の勢いとして論議されることになるでしょうという前提を含めて言っておるわけでございます。従って、先生がおあげになったようなはなはだしい生活水準の上昇というものがあれば、おそらくそういう場合には当然検討されるであろう、こういうことを申し上げたつもりであります。  なお、しからば何パーセントだったならばやるのか、これをはっきりしろという点が一つ問題でございますが、この点はなかなか数字をもっては言いがたいのでございまして、現に先生が先ほど御朗読になりました先生方の法案におきましても、きわめて賢明にも、「厚生大臣は、生計費その他の諸事情の変化により、年金の額を百分の十以上増減する必要があると認めるときは、」といって、すぐにはやはり物価変動をおかけになっていない。これはそれだけの慎重さが必要な性質のもので、そうなさっているわけでございますが、私どももそういうふうに考えたわけでございます。
  62. 滝井義高

    滝井委員 今具体的な数字を経済企画庁が出してくれたわけです。社会党はまだ具体的なものは出しておらぬが、しかし百分の十動いた場合は必ずやるのだ、こういうことをきめておるのです。だからあなた方もここに、百分の十動いたらと、こうしてくれれは割合はっきりしてくるのですよ。ところが今企画庁の方ではっきり、長期経済計画のもとにおいては三割八分の家計の収入が増加するということを出してきている。しかも伸びは六ないし六・五%と、制度審議会の一・五%よりかはるかに、四倍も国民所得が伸びていくという見方なんです。そして人口は一%増です。こうなりますと、所得水準というもつのが三割八分伸びたのだという数字が与えられておって、その場合に一体年金額をどうするかという答えが出ないはずはない。社会党でも、これだけのものがあったら計算すれば出る。だからその点をもう少しはっきりしてくれませんかね。きょう答えることができなければ、どうせ次会に総理に来てもらいますから、そのときに一つお開かせ願うし、あなた方ももう少し考えて——八木さんは一晩寝て考えてくれと言いましたが、一晩でなくてもよろしい。一日二日考えてきて下さい。経済企画庁からいい説明をしてもらいましたから、それからあとはあなた方の宿題にしておきます。  次は、あなた方はどうして二十才から三十四才までは百円で、三十五才から五十九才までは百五十円と二段階にしたかということです。これは理由がわからない。さいぜんるる小山さんが御説明になりました通り、制度審議会はまずまず七十五円だということだけれども、世論調査をやった結果、とにかく百円程度ならば納めることができる、年金をやれというのが九割四分なんです。百五十円以上納めることができるという人は八割になってきて、二割下っているのです。だから確率を選ぼうとするならば、あなた方のその世論調査を基礎にするということになれば、やはり九割以上の人の線というものが妥当になってこざるを得ない。ところが、それをわざわざ九割グループと八割グループの両方をとって、百円と百五十円という二段階にした理由というもの、それは一体どういう理由によるのか、もう一つは、二十五才から五十四才まで、三十年間と制度審議会は答申をしておったものを、わざわざ二十五才を二十才に繰り上げ、五十四才を五十九才に繰り下げて、そして長期の四十年をどうしておとりになったのか。社会党の案は理想案だとか何とかいろいろ批判はありますが、社会党は三十五年にしているわけです。それよりか長いものをお用いになった理由なんです。ILOのときなんか、答申案を尊重しなければならぬ、こう政府はおっしゃるのだが、こういうときになると、十年も答申を踏みはずしたのです。そして額はほとんど二倍にしてしまった。この二つの理由、なぜ二つに分けたのか、そして制度審議会の答申を五年繰り上げ、五年繰り下げるということをなぜやらなければならなかったのか。
  63. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先はど申し上げたように、保険料百五十円ならば納められるという者が八〇%程度あったのでございますが、この八〇%と一〇〇%の差、つまり二〇%程度の者は、この間から常に論議に出て参っておりまするボーダー・ライン階層と認めらるべき人々が占めているパーセンテージでございます。たとえば市町村民税の均頭割の免除を受けております者等を実際上当って参りますと二四%程度になっておるわけでございます。従ってまず日本の現状においてものを考えます場合におきましては、この程度の者についてはまず保険料徴収を強制しないという態度で臨まざるを得ないであろう、こういうような前提をとったわけでございます。  それからなぜ三十五を境にして百円と百五十円にしたかという点でございますが、これはならしますと百二十円の保険料を納めてもらう、こういうことになるわけでございます。この百二十円の保険料を納めてもらいます場合に、一生を通じて同じ額を納めてもらうというのも一つ考え方ではございますが、先ほど来申し上げましたように、一面においては拠出能力のことを考えなければなりませんが、地面においては絶えず拠出意欲というものを頭に置いて考えなくちゃいかぬ。そういうことを考えますと、やはり三十五くらいになって、妻子もでき、やがて老後のことも少しは考えておかなければいかぬという、こういう気持の方が、やはり何といっても人間の情として、保険料は納めやすい気持になるわけでございます。そういうような事情からいたしまして、まずおれは集金なんかに縁がないと考えがちな若いときには多少低い保険料でスタートをする、年をとってから引き上げる、かようにしたわけでございます。     〔委員長退席、田中(正)委員長代理着席〕  それから被保険者範囲を二十才から五十九才までにいたしましたのは、先般八木先生の御質問に対して大臣がお答え申し上げたのでございますが、二十才になれば日本人の大部分は所得活動に入っている、そのときに所得活動に入ってないという人々は大体大学に入っている人々でございます。従ってそういうようなことを考えるならば、やはり二十才から被保険者にするということをしても決して無理はない、かような考え方でございます。それから終期を五十五才ではなくて五十九才にいたしましたのは、年金支給開始年令が六十五才になっておりますので、保険料の納入を終えて、年金支給を受けるまで十年というのは少し間があき過ぎる。さりとてイギリスのように年金をもらう直前まで納めているようにするというのも無理がある。それから一般論といたしまして、これは逆の議論になるわけでございますが、いかに引き上げてみても、日本人の現状で、保険料の納入を求めます年令を六十以上に持っていくということは何といっても無理である、このあたりがぎりぎりであるということで五十九にいたしたわけでございます。かくすることによりまして、半面保険料負担というものをより下げることができ、世代間の負担調整というものをもう少しやりやすくすることができる、こういうような結果になったわけでございます。
  64. 滝井義高

    滝井委員 科学的な数理計算を基礎とするものの中に、拠出意欲というような感情的な、精神的なものをあまり高く評価し過ぎると、先になってとんだ間違いが起ってくる可能性があるのですね。どうも今のところは、三十五才くらいになってくると、子供も小学校に行くようになるし、なかなかあちこち金も要るということにもなりまして、公聴会等に行って聞いてみても、一体厚生省は、われわれが三十五才をこえたならば、より多い財産家にでもなると考えておるのだろうかというような趣旨のこともありました。しかし、すでに厚生省がそういう二つに分けられたということについての理論的な根拠は、今の答弁だけでは、どうも薄弱なようでございます。そこで、それならば、さいぜんからいろいろと御説明になりました、いわゆる拠出能力の有無の判定の基準ですね、これを一体どうしてきめるかということなのです。実は御存じの通り現在日本におきまして三十四年度の予算で、新しい税制改革もひっくるめまして、所得税を納めることになる人は大体千百十三万です。ちょうど税金を納める人と低所得階層とが同じなのです。千百十三万の低所得階層がおりますが、所得税を納めておる者も千百十三万です。そこで日本における源泉徴収は千百十三万の中で九百十一万八千です。千以下は省いて九百十一万。申告所得は二百一万四千です。あなた方の、いわゆる年金対象で拠出可能だという人々は、二千三百万そこそこでしょう。七割と見て二千三百万そこそこだったと思う。国民年金適用者三千三百六十万の七割と見て二千三百万そこそこですね、七割が所得税を納めて——ともかく二千万は納めていないということです。そうすると納めていない二千万というものは、何によって拠出能力があるないという基準をつけていくか、こういうことになると、もう市民税以外にはないのです。市民税以外になくなる。ところがその市民税は、さいぜんあなたが賢明にも御指摘になったように、オプション・ワン、オプション・ツー、オプション・スリーと、アンバランスです。そうして市民税のとり方も、それぞれの市町村財政事情によって全部違っております。そうしますと、全国民的な規模で行う年金というものが、市町村民税というそれぞれの市町村の特殊性によって、法律は一本かもしらぬけれども、徴税の方法市町村の特異性によって全部違ってきておる。判定も違います。評定も違います。いわゆる所得をあの人はどの程度持っておるかという把握の仕方が、その市町村状態によって違う。たとえば東京におれば私たち代議士は七万八千か何ぼの給料をもらっておりますが、そんな者どこにおるかわからぬのです。ところがわれわれが一たびいなかに帰れば、村一番の住民税の納入者になります。そのように東京といなかとは違う。年金に対するものの考え方も、もういなかと東京とはがらっと逢う。それはおそらく農民の公述と学識経験者の公述、あるいは勤労者の代表の公述、未亡人の公述ががらっと違うのと同じです。そのように都会は都会の年金に対する考え方がある。都会では三千五百円くらいもらったって間代にもならぬではないか、もっと上げなければいかぬとおっしゃる。農村に行ってごらんなさい。とても四十年間、百円とか百五十円の金は納め切れませんと言う。そういうふうにものの考え方は違うのです。その違うものに、しかもオプション・ワン、オプション・ツーとある、その地方税の、市町村民税の納め方も違う。一体どんな基準でこれを、あなたは援護年金の資格者、あなたは無資格者、こういうような決定がやれることになるかということなんです。この点を一つ具体的に、こういう基準を持って拠出能力の判定をやるということが、納得のいくように御説明願いたい。
  65. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま先生が仰せになった問題は二つあるわけでございまして、一つ保険料の拠出を免除する場合の基準及び運用をどうするかという問題でございます。それからもう一つ援護年金支給の際に没けられているいろいろの所得制限で示めされている基準を、実際上いかように運用していくか、こういうことでございます。  まず前段の、保険料の拠出を免除して参りますものをどういう基準で把握するのかということでございますが、これはすでに申し上げておりまするように、一応原則として市町村住民税の均等割の納付を免除されている者をこの該当者として取り扱っていくようにいたしたい、かように考えておるのでございます。確かに先生御指摘の通り、現在の市町村民税の賦課の上にある程度のアンバランスはございますけれども、それは所得割について見られるのでございまして、均等割につきましては最低の線としておおむねつり合いのとれた賦課をしているのでございます。先ほど先生が、おれは東京で納めていないというふうに仰せられましたがおそらく先生はお国の方で納められているに違いないのでございまして、向うでお納めになっておるわけでございます。それでそういうような事情がございまして、まず均等割についてはあまりアンバランスはない。問題は均等割を免除されるというようなものが、一体どの程度の水準にあるのかということでございますが、これも先ほど来申し上げましたように、大体ちょうどボーダー・ライン階層を除いた程度の人が、均等割の納入を求められている。ボーダー・ライン階層に当るというふうに考えられる人々は、大体免除されているというのが、私どもが実態調査等をした場合の結論でございます。大数的に申し上げましても、昭和三十二年自治庁調査によりますと、均等割を納めました者の数が二千四百六十六万人おりますけれども、この者は二十才以上の人で仕事を主にしている就業者の約八二%に当っております。仕事を主にしている二十才以上の就業者というのは、それによって生活をしている人々でありますから、その者の八割に当るというこの均等割納付義務者というのは、まずボーダー・ライン階層の上にある人々と見てよろしい。逆に言いますならば、そこにいかない人々がボーダー・ライン階層に該当する者、かように考えておるのでございます。それから中身の方から出しますと、学生それから生活扶助を受けている者、身体障害者で十三万円以下の所得の者、それから未婚の女子で所得のない者、寡婦で十三万円以下の所得しかない者、前年度所得のなかった者、こういうふうなものが内訳になるわけでございますので、これらの人々について調整をして参ればこの把握ができる、かように考えているわけでございます。ただしかような推論をいたし、また実際上の調査もしてはおりますけれども、さらにこれを実務の上に結びつけますために、もう少しこまかい基準をきめたい、かように考えておりまして、この点は明年度予算にも若干の費用を計上いたしまして、それを調査をして固める、こういうことにいたしているわけでございます。  それから第二の援護年金所得制限の基準としてのいろいろな金額をどういうふうに把握するかという問題でございますが、この十三万円という金額は、実のところ現在の制度上ぴたりとそれにはまるものでございません。従って二段に分けて行いたい、かように考えております、現在均等割を免除されているような人々は、これは無条件にあの所得制限に該当しないわけでございますが、均等の納入を求められている人々の中にも、所得が十三万円に達せず、あるいは子供が何人かおって、一人について一万五千円ずつ加えるとその額に達しないというものがあるはずでございます。そういうような人々については、それぞれの市町村当局の税務関係に申し出をさせまして、そこで証明をつけてもらうことによりまして、十三万円に達しなければこれは所得制限にひっかからないものとする、かようなことで取扱いをしていきたいというように考えておるのでございます。なおこういうふうなことで該当するものの数が非常に多ければ別でございますが、実は私どもがいろいろな資料から当りましたところでは、あの十三万円という所得制限に該当することによりまして、年金支給が受けられないという人はそれほど多くないのでございます。従って実務上十分できる、かように考えております。  それから配偶者所得及び世帯所得につきましては、配偶者所得は、配偶者所得税を納付しているという人々でありますから、これは現在の税制上当然簡単に証明がつきます。また世帯所得五十万円という分は、これは世帯の扶養親族の違いに応じ得るように税額で表示する予定でおりますので、これも所得税をリンクさせることによって簡単に証明がつく、大体かように処理いたしたいと考えております。
  66. 滝井義高

    滝井委員 拠出能力の判定を、保険料の免税の基準と援護年金支給の基準と、二つに分けて御説明をいただきました。そこで勤労者の妻というものは、一体この人たち年金に加入した場合にこれは所得があると見るのですか、ないと見るのですか。     〔田中(正)委員長代理退席、委員長着席〕
  67. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 この点につきましては、法文の第九十条にありまするように、おそらく一般論といたしましては、勤労者の無業の妻は本人は所得を持っていない。おそらくただし書きの、世帯主または配偶者にこれを納付するについて、著しい困難がないと認められるかどうかということによって、保険料の納入を求められるか、あるいは免除されるかという扱いがきまることになると思います。なお、申し上げるまでもないことでございますが、勤労者は大部分が厚生年金その他の公的年金に入っておりますので、特に本人が申請をしない限り、当然保険料の強制納入をさせられることはない、これは被保険者になりませんので、当然さようになるわけでございます。
  68. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、勤労者の妻は夫が無業でない限りは、結局所得があるとみなすのですか。
  69. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 一番あり得る場合をとって申しますならば、当人には所得がない、しかし夫に所得がある、そういうことになろうと思います。
  70. 滝井義高

    滝井委員 農家の妻、これはどういうことになるのですか。所得があるとみなしますか。
  71. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 農家のいろいろな所得を、実際上働いているだれにどのように帰属させるかというのは、これはいわば理論上の問題と実際上の取扱いの問題との間にかなり大きな開きがありますので、一がいには申し上げにくいと思いますけれども、農家の妻が夫と一緒に働いているということになりますならば、その限度において当然妻もある程度所得を受け取るべき立場にある、かように考えるべきものだと思いますけれども、実際上の扱いとしては、おそらく妻は所得なし、その所得は夫なりあるいは世帯主に帰属する、こういうような扱いになっていることが多いだろうと思います。
  72. 滝井義高

    滝井委員 どうも頭が悪いせいかしらぬが、答弁がよくわからないのです。九十条の関係をごらんになると、「世帯主又は配偶者にこれを納付するについて著しい困難がないと認められるときは、この限りでない。」のであって、そのほかに、まず第一に所得がないということ、それが一号です。三号は、「地方税法に定める障害者であって、年間の所得が十三万円以下であるとき。」それから、そのほかの地方税法のものは、寡婦が四号にあるわけですね。そのほかは何もないのですね。だから「所得がないとき。」で、妻は普通所得税を納めないのですね。地方税法や所得税法を基礎にしてものが考えられておるときに、何か農村だけに変なものを持ってくるというわけにはいかぬのです。これは農村の妻だけではありません。農村のむすこも同じです。それらのものは一体どうして所得の認定をやるかということなのです。これは無拠出の援護年金にも関係してくるのですが、まず十三万円以下は均等割を納めていないということで、全部免除になります。これはもうはっきりしてくるのです。ところが十三万から、今度の税法の改正で二十一万までの間、いわゆる配偶者が税を納めるというのは二十一万ですね。十三万から二十一万までの把握が問題なんですよ。そうすると、今度の標準世帯では三十二万くらい無税になるのですか。三十三万ですか。     〔委員長退席、大石委員長代理着席〕 そうすると夫婦と子供一人くらいというと二十二、三万から二十四、五万くらいになるでしょう。そうすると十三万から二十二万までを一体どうして把握していくかということです。これはもう所得税ではだめです。把握の方法はありません。さいぜん申しましたように、所得税を納入する者は、ことしの独立営業者の中で二百二万人しかいないのですから、そうしますとあとは市町村民税にたよる以外にない、市町村の税務当局にまかせる以外にないのです。その一切の権限を市町村の税務出張所におまかせになるかならぬかということです。その判定を社会保険の出張所がおやりになるなんということは、木によって魚を求むるたぐいになってしまう。これはなかなかむずかしいです。そこで社会保険出張所のものの考え方と、市町村の認定の仕方とに違いが出た場合という問題も起ってくるわけです。まず事務機構を見ると、徴収関係事務のうち、保険料徴収停止の最終的決定及び保険料強制徴収の最終的処理は都道府県すなわち社会保険出張所がやることになるわけなのです。さいぜんのあなたの御答弁では市町村の税務当局にまかせるというようなことだったので、ここで食い違ってくるのです。もし市町村に全部おまかせになるということになると、一人当り五十円ではどうにもならぬということになる。いわんや都道府県も公選、市町村も公選ということになれば、自分のところに年金をうんとふりまく方がいいのです。だから十三万二千か三千のものならば全部十三万以下にしてやります。というと語弊がありますが、そういう可能性も出てくるということです。問題はあなた方が十三万円から二十一万円の把握を一体どうするかということなのです。この認定は市町村で今までまちまちにやっておるわけなのですから、財政が苦しければやはり相当そこらあたりの弾力をもって、下までいわゆる均等割を取るのですね。私が言ったのは、小山さんちょっと誤解しておったのですが、たとえば代議士が東京におって七万八千円の給料をとっておるといったって大して目立たない、市民税は下の万です。ところがいなかの村に帰ると市民税は第一等というのですよ。私の言うのは、そういうふうに都会といなかでは市民税に対する考え方が違うということ。年金に対する考え方も、都会では三千五百円もらったって、なんだ間代にもならぬじゃないかとばかにする。しかしいなかに省けば、三千五百円もらうのにおれらは四十年間も百円か百五十円納める、これは大へんだ、こうなるというのです。そういうふうに市民税に対する考え方年金に対する考え方も違ってきておるときに、十三万から二十一万のワクの中の認定をよほどびしびしとやっていかないと、必ずアン・バランスが出て問題が出るのです。隣の村では太郎兵衛さんは年金をもらっておるけれども、こららの町、では同じような春しをしておる人が年金をもらえないという問題がすぐに出てくるのです。それは今の市町村民税というのが、その村なり町なりの財政によって相当左右されておるからです。今ボーダー・ライン層と申しましたが、そのボーダー・ライン層がふくれるか縮むかということは、すでに生活保護法でそれが行われておる。ある村では生活保護適用者でも、隣の村では同じような者がならないということはあり得るわけです。それは市の財政のわずかに二割の負担がそれを決定的なものにしているのです。生活保護は市と県ですが、しかし村によってもいろいろと吏員を置いて福祉事務をやらなければいかぬから、そういう点について少ければ事務費が少くて済むという関係もある。小山さんの答弁をちょっと開いておると、なかなか合理的でうまくいきそうであるけれども、こういう認定を、今のような三千九百余の、十人十色の生活を持っておる市町村で一体どういう工合にやっていくか。拠出のことは先だから、それはそのときにもう一ぺん議論してよろしいが、今年の十一月から始まる援護年金というものは、この法案が通れば、ここ半年くらいで結着しなければならないのです。だからそこらあたりの十三万から二十一万の人々の所得の具体的な把握調査、これが全国的に不公平のない、合理的な公平な決定がなされなければならぬと思うのです。こういう点はどうお考えになっておりますか。
  73. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 私の申し上げたのが多少ごてごてしておりましたので滝井先生に御理解をいただけなかったようでありますが、無拠出年金について申し上げますと、現在の地方税法の規定上十三万円に所得が達しない老人、それから子供をかかえている寡婦及び身体障害者市町村民税を免除されます。従ってことしの十一月分から支給をいたします無拠出年金に限ってみます限りにおいては、まず市町村住民税を免除される人は無条件に年金を差し上げる、まず第一にこういうことになります。この点は運用上まぎれの入る余地はございません。ところがそこに一つだけすぐに利用できないという問題が出て参ったのでありますが、それはそれらの人々にもしも十六才未満の子供がおります場合には、十三万円に一万五千円とその子供の数をかけたものを加えたものとその人の所得とを比べて、その人の所得がそれに達しなければ、たとい十三万円をこえておっても年金は差し上げる、こういう仕組みにしたこととすぐ結びつく税法上の取扱いが現在ないということになるわけです。それでその点につきましては子供が何人あり、その子供が幾つであるかということは、その市町村住民については戸籍上直ちにわかるわけでございます。従ってそれを二つ結びつければ、その認定を税務当局にまかせても自動的にできる。従ってすぐには結びつくものはないけれども、ちょっとかげんすれば結びつく、こういうことを申し上げたつもりだったのでありますが、ごてごてしたので御理解をいただけなかったわけであります。  それから配偶者家族所得の分につきましては、これはすべて所得税額幾ら幾らということで表わしますので、それは現在の税法とそのまま結びつく、こういうことで援護年金に関します限りは、所得制限の線のきめ方と現在市町村が税法の上で行なっておりますことが大体において結びつく、かようになっているわけでございます。
  74. 滝井義高

    滝井委員 その場合に私が言いたいのは、近代年金制度というものは、本来世帯とか配偶者所得というものの否定の上に立てられた旧思想なのです。ところが財政上の問題でやむなくそういうものに持ってこなければならぬというところに日本の悲劇があると思うのです。こういうように世帯所得とか配偶者所得というものを年金にかぶせてしまうと、これは年令の発展の芽というものはこれで大体つまれちゃうのです。実は社会党でもそういうものをかぶせたくなかったのですが、われわれが計算してみると、老人年金だけでも何千億も要ることがわかったので、泣きの涙でかぶせたというのが実際ですよ。だから年金制度というものを、ほんとうに援護年金国民年金にまで発展をしていこうとするならば、そういうものは実はかぶせてはいけないということは、あなた方は同感でしょうね。
  75. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 その点は全く同感でございます。
  76. 滝井義高

    滝井委員 基本的な気持さえはっきりしておいてもらえばいいと思うのです。  時間がないので次に移りますが、次は年金額のきめ方です。年金額日本の場合を考えれば当然国家の財政負担一つの限界、ワクというものがあると思うし、それからもう一つは最低生活費をどういう工合にきめるかということも、年金をわれわれがきめる場合に非常に重要なものになってくると思うのです。そこであなた方がこの年金額を決定される場合にどういう点を基準にして、援護年金の方の千円や千五百円はともかくとして、月二千円や三千五百円をおきめになったかということなんです。     〔大石委員長代理退席、委員長着席〕  まず制度審議会の方は、生活扶助基準が住宅扶助や冬期加算等を加えて月額が二千円程度になる。三十年間拠出をして、そうして十年据え置いて四十年の後に支給を開始すれば、日本経済の伸びというものが年率一・五%程度である。そうすると月二千円が四十年の後には三千五百円程度になる。この額を六十五才から支給する。これが拠出による老齢年金の額になっておる。この場合に年金の水準を最低生活保障するものにするのか、それとも家計補助的なものにするのか、それとも何かほかに基準があってああいうものをおきめになったのか、この点が一つ知りたい。  ついでにもう一つ援護年金の方は生活保障論というか、最低生活保障するものでいくのか、それともたばこ銭、あめ代論といいますか、そういう額は幾らでもいいのだ、たばこ銭かあめ代をやっておればいいのだということにするのか、それとも老人生活設計の足しにするものとしてやるのか。これは援護年金拠出年金とは幾分違うと思いますが、それぞれあなた方がおきめになった基準を御説明願いたいと思います。
  77. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 拠出制年金額をどういう考えできめたかという問題でございますが、これは先生が分類して家計補助的なものと生活保障的なものをあげられて、そのどれかというふうにお尋ねになったわけでございますが、性質を出しますならば、ちょうどその中間の家計支持的なものとでも申しますか、重なる家計補助ではない。しかしその額で生活重要の全部を満たすという性質のものでもない。やはり生活設計を立てる上においてささえになる程度の有力なものでなくちゃならぬ、こういう考え方できめたわけでございます。  援護年金の方はそういう趣旨できめられました担出制の年金との関係と、それから国家財政の都合というような考慮と、両者をあわせてきめたという事情でございます。
  78. 滝井義高

    滝井委員 私は寡聞にして、年金というものはまあ最低生活保障するものか家計補助的なものか、どっちかだろうと思っておったが、第三の範疇である家計支持的なものというなかなかいい言葉を今発明をしてくれたのですが、御存じの通り厚生年金を見ても、先般公述人もそういうことを述べておりましたが、最低受給期間二十年に達する者は男子で五割五分程度、それからその他各種の共済制度では二十年を卒業できる人は二割以下、あるいはそのほか一割以下のところもあるのですね。こうなって参ると、これは年金額が少い上に通算がないということだから、大へんなことになると私は思うのです。  それから一方現在問題になっている厚生年金は、私冒頭に申し上げました通り、世論調査をやってみても、五割前後の人は現在退職金年金があるけれども、その額が少いのだということが言われておる。三十三年四月までの厚生年金の実績を見ると、老齢年金の一人当りの支給額は年額四万一千四百九十三円なんですね。月額が三千四百五十円です。一体今定年になって会社をやめてほかに収入がなかったら、毎月三千四百五十円もらっておって食っていけるかということです。食っていけませんよ。こういうところに、五割の人が年金退職金があるけれども、老後は不安ですという理由がある。  最近の総理府の統計によりますと、勤労者世帯一人当りの生計費は七千九百九十九円です。そうすると長い保険料をかけて厚生年金は、七千九百九十九円という必要な額の二分の一しかもらえないということなんです。これでは日本老人が再就職を希望して、だんだんそれが悪循環になって日本の低賃金の一つの大きな導火線になるということはもっともなことなんです。昭和二十九年われわれがあの厚生年金の改正をやったときでも、勤労者世帯一人当りの生計費は六千六百二十一円だった。今度あなた方が厚生年金の改正をおやりになって、操準報酬三千円から一万八千円のものを最高三万六千円にお引き上げになり、そして平均標準報酬の千分の五を千分の六に引き上げるのですか、そうすると二十年で三万円の標準報酬のものになると、今度の改正では大体月六千円になります。三十年になりますと七千八百円になるのです。あなた方は将来この法案にも通算をお考えになっておる。通算をお考えになっておるのに、一方厚生年金の改正案を出される場合には、そういうように六千円とか七千円とかいうものが二十年、三十年ですよ。いわゆる二十年で六千円ということは、国民年金の半分程度の年限を出せば国民年金のいわば二倍半ないし三倍の金をもらえるということなんです。一体これとの関係はあなた方はどうお考えになっておるのかということです。同じ国会に、将来は通算をやりますという法律を一方においては出しておって、通算をやる相手方というものはすでに二倍の給付をやり、掛金は半分の期間でいいという法律を一方でお出しになる。こういうことは、省が違うならばまあまあ少しは目をつぶりたいと思うのですが、同じ坂田さんの所管のものなんです。これじゃ犬が東に向けば尾が西を向くというように、厚生省の年金局が東に向いておるけれども、保険局は西を向いておるということじゃ困るのです。やはりお互いが背中合せではなしに、顔が向き合っておらなければ困る。握手ができなければ困る。こういう点。  それからもう一つは、生活保穫を基準にされたとおっしゃるが、生活保護も昭和三十二年の統計では、生活保護法の適用を受ける世帯一人当りの生計費は二千八百九十七円、すでに制度審議会がしたときよりもずっと上ってきておるわけです。今度さらに三・一%の引上げをやったために、都市の標準世帯は一万円を上回った。この一万円を上回った生活保護はいわゆる一般的な都市の勤労者の生活水準の三割六分、まさに野犬よりも悪い生活をしている、こう言っておる。しかも生活保護は二千八百九十七円現実にくれているものを、二十五年から四十年の保険料をしし営々としてかけて、それが月額二千円から三千五百円で、生活保護費よりも低くなるということでは、これは幾ら何といったってどうも私は納得がいかない。だからあなたの同じ所管の中で厚生年金通算した、いわば国民年金の最も隣り合せにすわっている一方の厚生年金においては今度非常に上っていく。しかし片一方は元の厚生年金の二十九年のときと同じくらいだ。歴史は進んでおる。進む歴史に逆行するようなことでは困るので、やはりある程度意欲の問題だとおっしゃったが、いわゆるわれわれ国民大衆に意欲を要望するからには、政府みずからもやろうという意欲を出さなければならぬ。政府にやろうという意欲がなくて、国民だけに三十五才になったら百五十円納める意欲がありますと、いうようなことは、そのままのしをつけて政府に返上したい。国民年金区と厚生年金生活保護との関係を一体どういう工合いにお考えになったのか。制度審議会の資料というものはもう古い。歴史は進んでいる。物価水準は上っている。毎日太陽は東から上って西に沈んではおりますけれども、しかし変っておるのだから、変ったものについては、二千円というものをお出しになったら、変った数字を基礎にして今度は、三十四年度の法案というものはお出しにならなければいかぬと思う。こういう点、どうお考えになりますか。
  79. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 厚生年金との関係でいろいろ考えなければならぬ問題がありますことは御指摘の通りでございますが、先生のおあげになっております厚生年金では二十年でもらえるけれども、国民年金ではという問題は、これは申し上げるまでもなくバランスはとってあるのでございまして、厚生年金では二十年を資格期間と考え国民年金では老齢年金支給開始年齢が五才だけおくれておりますので、二十五年を資格期間というふうに考えて整備をしておるのでございます。  それから年金額の点については、これはすでに滝井先生の補ほかに御意見もありましたように、やはり年金に将来依存しなくちゃならぬ産合いは、何といっても賃金生活者の方が多いだろうと思います。その意味合いにおきまして、厚生年金年金額はさらに引き上げていかなくちゃならぬ、元来日本の厚生年金の額は低過ぎるのでございまして、額が低いと同時に保険料が低過ぎる、今額の低さと保険料率の低さにおいてはまさにこれは世界的なものでございますので、いずれにしても、逐次両者を引き上げていく、こういうふうに考えるべものだというお考えだろうと思いますが、その点は私どもも将来はそういうふうにすべきものだと考えております。
  80. 滝井義高

    滝井委員 年金の額の問題というものは、初めてできるのだから、そう私たちも高いことを要請しようとは思いません。思いませんけれど、既存制度というものが相当の額を出しておるときに、やはり四十年の先の問題としてはあまりに低いということになると魅力がなくなって、私は保険料が集まらぬという問題が必ず出てくると思うのです。われわれがこの年金のバランス・シートを考える場合には、当然既存年金との調整の問題を考えなければならぬし、調整の問題を考えるならば、一体この国民年金通算の過程でどういう工合に補強工作をやっていくかということが当然問題になってくるわけです。その場合に、すでに厚生年金というものがずうっと先の方に進んでおるならば、これはなるほど四十年、五十年のマラソン競争みたいなものだから、追いつけるかもしれませんが、その制度の恩典を受ける国民というものはかなわぬです。マラソンで四十年先にかけていったけれども、年金の方がもう百里先に行っておったというのではかなわぬと思うのです。だからすみやかに既存制度との調整をやるためには、この制度の補強工作というものがやられていかなければならぬ。ところが、四十年間のうちに、これは八回か九回の補強工作と申しますか、両計算が行われることになるわけですね。  そこで、今度は尋ねることになるのですが、私はこの法案を読んでみて、一体あなた方は年金というものを長期のものと考えておるのかどうかということが疑わしくなるのです。少くとも年金は、もしこれが発足するならば、国家の存在する限り、未来永遠にわたってあるものであり、可能な限りのもろもろの条件、制約、それをどういう工合に断ち切っていくかという認識、深い洞祭カ、そういうものがなくちゃならぬ。そういうものがあるときに初めてこの国民年金というものは、長期の、われわれの老後をささえる制度として、われわれが納得し、国民がついていけると思うのです。ところが、これをいろいろ裏を返し表を返して読んでみても、さいぜん申しました大事な生活水準とかその他のもろもろの事情とかいうようなところになると、どうもはっきりしないし、五年ごとにやられるということにはなっておりますが、さあ具体的にそれをどういう基準、ものさしで改定をしていくかということになるとさっぱりわからぬ、こういうことなんです。しかし、とにかく国民の約四分の一程度のものは、この中に確実に包含をせられていく。そうなりますと、あなたの方では、この年金法案を出すについては、当然年金計画の基礎的な数字というものが明白に作られておると思うのです。将来の日本の見通し、少くとも経済企画庁が三十一年から三十七年までの見通しというものをお作りになっているのと同じように、あなた方も、年金の長期の計画というものがその基礎になければ、こういう法案は出せないと思うのです。私はその長期の計画を少し聞かしてもらいたいのです。  まず年令別の人口の分布というものは現在与えられておる。これは人口問題の研究所が厚生省にあって、資料がたくさん出ております。そうすると、その年令別の人口分布が現存与えられておるが、それが将来どういう変化をしていくかということです。将来どういう変化をしていくかによってこの年金というものが違ってくる。同時に、さいぜんそこで、始まる前に話しておったように、放射性の降下物やら廃棄物が多くなってくるということになると、寿命も違ってくるかもしれません。原子力の時代になるのだから違ってくるかもしれませんが、とにかく二十世紀の後半における日本の経済と社会と文化のもとにおいて、一体どういうように年令別の人口分布が変ってくるか、同時にその中の年金加入者の、特に死亡と脱退とがどういうように変ってくるか、これは受給資格の問題に関係してくる。やはりここらのはっきりした数字を一つ教えてもらいたいと思うのです。もちろん制度審議会はこの廃疾生残表といいますか、そういうふうなものをもって計算をしておるようでありますが、あなた方はそういうところをどういうふうに見通されておるのか。これは資料がここにあればそれによってもいいし、もしあなた方が今それを説明するのに非常に時間がかかるとすれば、あすでもあさってでもいいからその資料を一つ出してもらいたい、こういうことなんです。
  81. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 お手元に差し上げてある国民年金法案参考資料というのがございますが、これに、先生が今おっしゃったような問題が包含されておるのでございます。特に先生が例をあげてお尋ねになりましたのは、八ページの第五表でございます。これでごらんいただきますように、三十二年十月の年令階級別人口をとらえますと、以降新たに二十万となる人口については、右にある通りのものを取り上げている。ここに表われておりまする人々は、一年動くごとにそれぞれの平均寿命を用いまして人数を調整する、こういうふうにして積み上げて参ったものでございます。その際に用いましたいろいろな諸表は、第七表残存表、それから第八表計算基礎諸表、それからこれには母子残存率も掲げておりますが、こういうものを使ったのであります。
  82. 滝井義高

    滝井委員 今、年令別人口の方の推計はこれに出ておるそうですが、そのほかに疾病率やら年金受給者の消長率ですか、消滅率といいますか、そういうものが全都出てこなければならぬわけですね。ところが、日本は御存じの通り国民年金をやったことがない国ですから、統計資料がないわけでしょう。あなた方は何をそういうものの基礎にしておやりになったかということです。
  83. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま滝井先生が御指摘になりましたようなおもな点について、この作成をいたしました坂中参事官から説明させることにいたします。
  84. 坂中善治

    ○坂中説明員 それでは御説明申し上げます。  御存じのように、これらの基礎になりますところの死亡率とか廃疾力等、いろいろな正確な資料はございません。そのためにこそ五年ごとの再計算ということも規定されておるわけでございまして、今回の計算に用いましたものは、死亡率につきましては、厚生省の統計調査部で作成いたしました局九度の修正表を用いました。それから廃疾力につきましては、わが国には適当な資料がございませんので、厚生年金の資料を用いてございます。それから障害年金受給者の消滅率、これも同じく厚生年金保険の実績を用いております。それから母子の発生率は統計調査部の昭和三十一年度の有配偶の女子の死別率を用いてございます。これに対しまして、さらに有子率を考える場合に、有子率は同じく厚生年金保険の実績を用いてございます。それから、寡婦になります率でございますが、これは一般死亡率を用いてございます。大体これらのものを用いますと、先ほど申しました今後の収支の計画が立つわけでございます。これらの率はもちろん年々変化して参りますから、今後いろいろ確実な資料を集めまして、五年ごと再計算においては、さらに確実な資料の基礎に立って収支計算をやり直すことになっております。
  85. 滝井義高

    滝井委員 問題は、私は今のところにあると思うんです。厚生年金の実績やら、あるいは厚生省の統計調査部のものやら、あるいは寡婦率等は一般の死亡率というようなものを持ってきておるわけです。従って統計をとる基礎が、それぞれ間に合せ的にそこにあるものを多く持ってきている。ところが今度われわれが取り扱うところの国民年金法対象者は、全くそれらの雇用労働者、特に国民厚生年金対象となる雇用労働者とは、生活環境もそれから働く経済活動の場所も違った層ですね。いわゆる農民とか中小企業者というものは全く違うのです。いわゆる労働者、農民の死亡、出生、罹病率の推移と、近代的な労働階級の罹病、出生、人口の消長というものは非常に違う。最近における日本の都市の姿を見ても、たとえば、今までは若い者がいなかから東京に新しい労働力として出てきておった。ところが、最近においては都市はみずからの労働力をみずから作り出しておる。いなかから新しい労働力が来る必要はない。こういうような違った要素も出てきておるわけです。そうしますと、今までの厚生年金の経験と実績でもってやった統計というものが、一体日本の新しいこの政策に当てはまるかどうかというと、これは当てはまりませんよ。農村には農村医学があり、そうして工場なり鉱山にはそれぞれの新しい医学が考えられている。農村には新らしい農村的な疾患があり、都市には都市的な疾患がある。同じようなことがやはり一つの特徴とな、っこれらのものに現われてきているのですよ。だから厚生年令等のものをもって、自営業者や農民やその家族対象とするということについては非常に問題があると思う。当面これはやむを得ないと思いますが、私たちがこれに確実な計数的な基礎を持つためには、やはり何といっても最小限四回の更新と申しますか、二十五年か二十年の最初に拠出年金の二千円もらう段階になると、五年々々と、五年ごとにやらないとうまくいかないのじゃないかと思うのです。そういう点に対する政府の見解ですね。問題は、あなた方のこの資料が間違うということは、一切の土台が狂って、おかしな話ですけれども、下手な大工が家を建てると戸が立たぬようになる。戸は別にさしもの大工に作らせておる、家は家を建てる大工が作った、ところが、尺を同じにして作ったはずの戸が家に立たぬということがあり得るわけなんです。ここらあたり、いわゆる脱退残存表のところが間違ってくると全都が間違う。この点に対する自信と見解をひとつ。
  86. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 滝井先生が前段に仰せになりましたことは、まったくその通りでありまして、そういう性質のものとして考えていくべきものだと思っております。ただし私どもは、あれでやりまして間違いが出るとは考えておりません。おそらくあれに将来ある種の片寄りが出てくる可能性があります。その片寄りを将来とらえるということによって、確実な見通しを立てるように直していきたい、かように考えておるわけでございます。期間として四回の更新を考えなければいけまいというお話、私どもも四回と見れば大丈夫だと思っております。現在日本でやっております年金制度も、厚生年金保険の場合は、せいぜい二回くらいというような状態で現在見通しを立てておりますので、二十年間と見ればまず相当確実、これで間違いがないというふうに言い切れるのが十年くらい、かように考えております。  なお片寄りが将来どういう方向に出てくるか。発足のときはずいぶん確実だという話だったが、動き出してみたらがたがたじゃないかという意味での片寄りが出るかどうかというにとでございますが、私どもは、それほど大きい狂いは出まい、かように考えております。
  87. 坂中善治

    ○坂中説明員 先ほどの御説明を補足させていただきます。今度の脱退残存の表で、一番大きいのは死亡率でございます。厚生年金と公的年金適用者は、一般死亡率に比べて約三割程度低いわけであります。従ってそれを除きました残りは一般死亡率より割増しをしなければならぬわけでありますが、最近の死亡率の改正を見越しまして一般死亡率をそのまま用いたわけでございます。従ってある程度の死亡率の改正というものは、今回もある程度考慮してございます。それだけ申し添え
  88. 滝井義高

    滝井委員 実は私もその死亡率のとこが気なりますので、今のところを聞いたら、死亡率はすでに厚生年金が低いので一般に補正をしておる、こういうことでございました。  そこで日本の雇用と年全との関係、この問題の把握の仕方をどういう工合に把握するかによって、この国民年金というものは非常に大きな計算違いが出てくるわけです。政府は長期経済計画を立てるに当って、日本の雇用の姿というものを、一挙にイギリス程度までにいかなくても、まあ八割とか九割の雇用労働者ということじゃなくて、できれば独立自営業者、いわゆる自営業主と、そうしてその家族の従業者というものをできるだけ減らして、近代的な雇用関係日本の就業人口を持っていきたいというのが長期経済計画のねらいです。そうしますと、そういうねらいを達成をしていくとどういうことになるかというと、端的に言って国民年金対象者というものがそれだけ減ることになる。一体それをどういう工合に見ておるかということです。国民年金対象者が、あなた方のこれによりますと三千三百六十万程度だった。あるいはこれははかの資料によってきたかと思いますが、三千三百六十万程度で、その七割が拠出可能で二千三百万前後だったと思います。そうしますと一体この二千三百万という数が、今のような、政府は長期経済計画によって新しい転用の近代化を促進する。すなわち「現存、わが国の当面する雇用政策の目標は、増加する新しい労働力の吸収、就業構造、産業構造の近代化の促進、不完全就業状態改善所得水準の上昇等である。しかしこれらの諸目標を計画期間内に完全に達成するためには、きわめて高い経済成長率を必要とし、国際収支の均等と矛盾することはすでにふれた通りである、」という、いわゆる国際収支と矛盾をしてくる、いわゆる成長率を非常に高くしないと雇用が促進をしないということで、国際収支の均衡が破れてくる、こういう問題があるわけです。ある程度どんどん輸入をしてこなければ、日本は原材料がない、こういうことだと思う。それによって見てみますと、大体昭和三十二年から三十七年度におきましては新規雇用希望者数が七百七十二万人、交代補充分が二百九十一万、雇用の純増加者が四百八十一万、年平均増加数が八十万、そしてそれを今度は旅業別及び従業上の地位別就業者構成比で見てみますとどういうことになるかと申しますと、産業別で見ていきますと、第一次産業が昭和三十一年で四〇・七であったものが三十七年度には三五・七に減るわけです。それから第二次産業が三十一年度は二八・七であったものが三十七年度は二九・九にふえるわけです。第三次産業は三十一年咋度が三〇・六であったものが三四・四に増加をしていきます。ところが従業者の地位別就業者を見てみると、業主は三十一年度で二十五・六が二四・三と減ります。ということは年金対象者が減ることを意味します。雇用者は三十一年度四二・〇が四九・五と増加をします。これはむろん第三次産業や第二次正業に主として増加をするということになりますと、最近の傾向は大企業にはたしてふえてないということになるから、これは五人未満の事業場にもふえているかもしれません。いわゆる年金対象者かもしれませんが、まあ常識的にいって厚生年金対象者だと思う。家族従業者は三十一年度三十一・四が二六・二に減るのです。こういうように家旋従業者や業主が減るということは、この国民年金対象者が減るにとを意味しております。その減る層がボーダー・ライン層である、いわゆる三割の免除階層が減るということであれば国民年金は健全主化の方向に向うかもしれません。一体どういう層が減少するのか、そしてそれらの減少の状態というものは——五年ごとに変える、五年の後でけっこうです。三十九年の初めに変えることになると思いますが、そのときの計算というものは雇用がどういう状態になっていくことになるのか、経済企画庁は三十七年度でお出しになっていますね。あなたの方はこれをどういう工合に見られているのか、そうして経済企画庁はこの数字というものが、どういう工合になってきているのか、これはおそらく間違っておると私は見ている。現実はその推計には相当狂いがきておるのではないかと思う。間違っていなければ間違っていないと言ってもらえばいいのですが、どういう工合な数字になっておりますか。
  89. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ものの考え方の根本においては、私ども滝井先生と全く同じ考え方を持っております。そういうような考え方が私どもの基礎にありますので、一部では、この際勇敢に相当賦課方式を取り入れろという議論があるのを承知の上で、少くとも現在のように非常に就業上の地位も動き、産業上の構造も動きつつあるときに、少くとも政府案のような建前を取り入れて、賦課方式をとることは差し控えなくてはいかぬ、かように考えているわけでございます。  なおそういう変動を将来の国民年金の収支の上でどういうふうに見てあるかという問題でございますが、この問題につやましては、そういう動きがありましても影響ないように計算をしております。言いかえますならば、そういうふうな対象の増減がありましても、増減に伴ってもし変動が出て参りますならば、給付もそれに応じて動く、かように調節をしてあるわけでございます。具体的に申しますと、たとえばある人がこの国民年金に五年間いてよそに移っていった、従来の公的年金の場合にはとかく生きてよそへ移っていったという人々の積み立て分は、残っている人々の年金支給財源に使われるのでございますが、その国民年金の収支の場合におきましては、生きてよそへ移って参りました人の部分は全部その人が将来使い得るように、別立てに使えるような計算がしてあります。そういうような用意をしておりますので、さしあたり人数の増減による影響はない。それからどういう人間が移っていくかということについてはいろいろ考え方があろうと思いますけれども、そのことは別といたしまして、どういう人が移っていっても保険財政上の影響は同じ、かような計算になっております。
  90. 大來佐武郎

    ○大來政府委員 ただいまお尋ねのございました長期計画における雇用の見通しでございますが、御指摘の通りでございます。ただ業主が減るということを御指摘になりましたが、これは構成比で減るわけでございまして、絶対数ではこの計画期間では幾分の増加、つまり三十一年度千八十六万から三十七年度千百十九万にふえるというふうな見方をいたしておるわけでございます。この計画等の実績がくずれているんじゃないかという御指摘がございましたが、今までのところ大体この見通しに合っております。農業の方も八十三万でしたか、六年間でその程度の減少を見込んでおりますが、三十二年、三十三年度、の経過はほぼこれに合っております。ただ三次と二次の雇用者の関係でございますが、この計画に引き比べて二次の雇用者の伸びがやや大きく実績に出ております。これは、年々の動きはかなりその年の景気状況によって勅かされますので、まだそれが長期的な傾向としてはずれたものかどうか権かめられないでおりますが、概算して三十一年度から三十三年度までを見ますと、この長期計画の線から労働力の見通し、雇用の見通しはあまりはずれておらないわけでございます。
  91. 滝井義高

    滝井委員 今大來さんから、三十一年から三十三年までの長期経済計画における雇用の見通しははずれていないという御答弁があったのです。そうしてみると、さいぜんから大來さんがここで御説明された家計の伸びが三八%程度になるということが実はだんだん確実になってくるんです。昨日か一昨日、三十三年度の労働情勢報告というのが閣議で多分報告されたと思うのです。閣議だったか労働省から発表されたのか……。そうすると、就業者数を見ると前年より二十四万人増加をしておるが、その増加は非農林業でで八十七万増、農林業は六十三万減です。雇用者は九十六万増加しております。自営業主は二十六万減少をして、家族従業者は四十六万減少しておるのです。これから見ると、いわば経済企画庁の長期経済計画の雇用構造の近代化の方向は、この報告の通り進んでおるわけです。そうすると、今小山さんの説明では、自営業主が減ろうと家族従業者が減ろうと、見通しには変りはないんだとおっしゃるけれども、それはどうも私はちょっと納得がいかないんですがね。もう一回そこらあたりの変らぬ理由を御説明願いたいのです。
  92. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先ほど申し上げました国民年金法案参考資料の一ページの第一表に適用対象人口がございますが、その備考のところに書いてございますように、昭和三十六年の対象考えます場合には、現存のものをそのまま伸ばしてとっております。それ以降の分につきましては、新たに二十才になる者につきましては、男子の場合六〇%、女子の場合九〇%が政府案による国民年金制度対象になる。従いまして、逆に申しますならば、男子四〇%、各十一〇%が雇用者として厚生年金保険その他の年金制度対象になる、こういう推算をもとにして全体の見通しを立てているわけでございます。ところで問題はそういうふうな見通しを立てて計算して参るのに対しまして、男子及び女子両者について、雇用者化する率が年々高まっていくはずだ。その伸びをどういうふうに見ていくかということが滝井先生が御指摘になっている問題であるわけでございます。それについては、先ほど申し上げましたように、いわば機械的に毎年新たに対象になって参ります者の男子四〇%、女子一〇%が対象になる、こういうことで数理計算がしてあるわけでございます。それじゃ実際上の対象と計算上の対象との間に狂いがあったときどうなるのかということが問題になるわけでありますが、これにつきましては、まず政府案による国民年金制度におきましては、拠出額と給付額との間に対応関係がつけてございますので、拠出人口がふえ、拠出割合がふえればそれだけ給付額がふえる、こういう仕組みになっております。逆に申しますと、拠出人口が減り、拠出割合が減って参りますならば、それだけ今度は年金給付額の方が減じて参るということで調整がとれる、こういうことになっているわでございます。  次の問題は、しかしその場合に従来の年金制度によりますと、積み立てておった金のうち、中途脱退者はその相当な部分を残っておる人の年金支給財源に使われておるはずだ、この制度ではどうなっておるかという問題があるわけでございます。もしもこの制度において、従来のほかの制度と同じように、中途脱退者の積み立て分あるいはそれに対応して国が負担すべき分の相当なものを、残っておる人の年金支給財源に使っておりまするならば、これは将来の対象人口がどうなるかという見通しを正確につけますことが非常に大切な問題になるわけでございますが、この制度におきましては、将来における完全通算を前提にしておりますので、そういうふうなことは一切考えないで、中途で脱退した人は後に所属するようになった年金制度との関係で確実に通算を許すようにしよう。そのためには国民年金側としても、その場合にその人の分として提供できる財源をそのまま保有しよう、こういうことで計算をしておりますので、かりにこの見込み人数が違って参るといたしましても狂わない、こういうふうに申し上げたわけでございます。
  93. 滝井義高

    滝井委員 雇用の関係年金は大体わかりましたが、そうしますと、今度は所得関係です。通常の保険は、厚生年金にしても標準報酬という所得がそこにあるわけです。それに保険料率をかけると保険料の収入というものが決定されてくるわけです。従って、保険料の収入をわれわれが正確につかむためには、一体所得がどのようにして推移していくかということが一番大事なところなんですね。だからさいぜん大來さんの方の説明で、大体長期経済計画のもとにおいては所得というものは三割八分家計の収入は増加するんだ。これは非常に事なところだと思う。そういう増加の見適しが大体はっきりすれば、これは一定の率をかけてあとは徴収の問題になってくる。ところが、厚生年金は標準報酬かけるの保険料率できまっていきますが、今度の国民年金は、給付が定額のために拠出が定額だ。従って、どうも定額々々でいくと所得なんというものは問題でないような感じをちょっと受けやすいのです。ところが保険料が一定であっても所得というものが非常に大事になってくることは申すまでもないところだと思うのです。そこで長期にわたって国民一人当りの所得の増に対して、どの程度の収入の増加があるかということは予側しなければならぬことは当然です。それは三十七年は三割八分上るということが出てきた。そうすると今度は、その三割八分というもののその所得の分布です。その分布における拠出可能な階層は、一体最低何万円程度の収入のある者がその所得の中から拠出が可能かということは、さいぜん小山さんが大体二十万円の消費水準で出したのですか、それを所得に直したらどういうことになるかわかりませんから、わかっておれば御説明願いたいと思いますが、とにかく消費水準という形で出てきた。さらに脱退残存表と、同じく世帯別の所得分布の将来の推移ですね。一体それがどういう工合世帯別に変動していくのかということです。この予測をしておかないと、強制というものをこの上にかぶせておるのですから、強制加入を設けるからには保険料が予定の通り——それもはっきりしたいわゆる世帯別の所得の分布の将来の推移というものをある程度把握をしておかぬと、これは強制という制度を設けたからには、順当に保険料徴収ができるかどうかということは見通しがつかない。これは普通の自発的に加入する簡易保険とかそれから生命保険ならいいのです。これは自分が任意にしているのだから、金がないときには、掛け得ないときにはやめたらいいのです。しかし少くとも国家がやって強制という銘を打ったからには、やはりその個人の所得の推移というものをはっきり把握しておいてもらわなければならぬ。今雇用については大体御説明いただきました。一体所得についてはどういう工合に見ていくかということです。さいぜん三八%と御説明をいただいたのです。家計収入の増加は三八%、これは平均です。ところが二千三百万人の拠出可能の層というものの中からどの程度の脱落者が出ていくかということです。それから脱落をしておる三割の中から、どの程度二千三百万の上のグループに上っていくかということです。これがもし差し引きとんとんという見通しなら、これは何も言うことはないのです。しかしこれが大きくゆれ動いてくるということになると、これは重大な問題が出てくる、こういう点です。
  94. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 滝井先生が今具体的におっしゃいましたようなことは、私どもの考え方としてはむしろ現段階で報酬比例というものを国民年金制度でにわかにとりがたい事情にあるように考えているわけでございます。問題は、その三割程度保険料の免除をしてかからなくちゃいくまいというふうに判断をしております。このボーダー・ラインの階層といわれるものの動きが将来ひどく違ってくるかどうか、また違ってくるとすれば、どういう方向に違ってくるのか、こういう問題だろうと思いますが、現在私どもが持っております予測では、逐次これは減少していくだろう。しかしその減少というものを率なりあるいは数でもって把握するということは、少くともここ数年の動きを見ている限りにおいては、まだ時期尚早である。従って逐次減ってはいくだろうけれども、やはり一応将来にわたっても三割程度のものがいわゆるボーダー・ライン階層としてあるものだという考え制度を組み立てておいた方が安全だろう、かように判断をしておるわけでございます。
  95. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、三割程度のものはずっと、ほとんど相当長期にわたって絶えず拠出不能の者がついてくる、あるのだ、こういうものの見方をしておけばいいのだ、こういうことなんですね。そして新しく上から二千三百万の拠出可能の層から落ちてくるやつと下から上ってくるやつは大体いつもバランスがとれている。いろいろこの間に、分子移動じゃないけれども移動がある。移動があるけれども、大体それは三割ぐらいのずっと水準を保っていく、こういう考え方ですか。
  96. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先ほど申し上げましたように、かなりの安全性を見てそういうふうに判断しているわけでございます。従って実際の現われ方としては、まず最初に拠出可能だと見ておる人々のうちで、実際に拠出する人々の率を八五%と見ております。これが逐次動いて参る。八五%が九〇%になる。それよりもう少し上向きになり得る。次に拠出免除ということにしております三割程度の人々が逐次減っては参るだろう。しかしどの程度の割合で減るかということを今の段階で想定して制度の上で予定しますことはやや冒険に類しますので、安全性を見て三割と考えておる。まあ結論はどうも滝井先生のおっしゃっているのと同じようなのですが、どうも滝井先生がおっしゃるように言われると、ちょっとわれわれが立案の際に前提にしている気持とは違うような気がするのですが……。
  97. 滝井義高

    滝井委員 結果は同じですね。
  98. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 どうもそういうことのように思います。
  99. 滝井義高

    滝井委員 そういうように、まあ地下水のように三割程度は絶えず年金の外に置かれる状態がある、こういうものの見方です。経済企画庁の方ではどうでしょうか。年金の拠出可能の層というものは大体消費水準でいえば二十万ぐらいだ。従ってそれ以下の層というものがこの国民年金対象の外になる。三千四、五百万おりますね。その三割程度は絶えずある、こういう見方なんですが、あなた万の経済計画を立てる上にそういうものの見方は成り立ちますか。
  100. 大來佐武郎

    ○大來政府委員 最初に一つ、先ほど滝井先生のおっしゃっておりました三八%の数字でございますが、これは厳密に申しますと所得でございませんで、国民一人当りの平均消費支出でございます。まあ所得と消費の比率が変らなければ、大体所得に比例すると見てよろしいと思いますが、そういうものでございます。  それからただいまお尋ねの点でございますが、平均的に国民一人当りの消費支出の水準が上って参りますと、もしも所得分布曲線が平行移動で上って参りますれば、たとえば固定的な二十万というようなところは、だんだん数が減って参ります。それでただ諸外国の例から見ますと、まわりの生活がよくなりますと、やはりボーダー・ラインで考える最低生活というようなものが、また上っていくという点がございますので、その辺の判断が非常に困難なのでございます。ただ私どもこの前、長期計画作成のときの国民生活部会で出ましたいろいろな議論から判断いたしますと、大体都市生活者の平均の家計支出に比べて生活保護階層が四割弱、この比率を並行的に上げる必要があるかないかという議論がございましたのですけれども、平均的な生活水準が高くなれば、物的な生活と生存というというところから見れば、比率はやや下っても、生活の実質的な内容が上って参りますので、どうにかやっていけるという点で、見方がいろいろございますが、実はその辺の所得階層別分布曲線がございませんので、どうも数量的に区分ができないままで終っておるわけでございます。ただいま小山さんからお答えがありましたように、おそらく厚生省側としてはやや安全率を見込んでおられる。幾分これが三割より減っても、それはこの制度がさらに健全化することになるわけだと思いますので、そういうふうに見ておられると判断しておるわけでございます。
  101. 滝井義高

    滝井委員 時間がだんだん迫りましたから次に移りますが、制度審議会は整理資源考えて、そうして減額年金なんかも主張しておったような記憶があるのですが、整理資源も三千三百四十五億円国庫負担として出しなさい、毎年百七十九億円を……。
  102. 園田直

    園田委員長 ちょっと発言中ですが滝井君に申し上げます。参議院の予算委員会で、厚生大臣を十五分ほど貸していただきたいということです。
  103. 滝井義高

    滝井委員 けっこうです。毎年百七十九億円を年金会計に繰り入れて運用すること、こういう考え方を述べたんですね。新規の加入者のみを年金対象とするならば、それは二十年なり三十年、その保険料と、それから保険料によって出てくる利息収入ですか、そういうものの累積過程と考えたらいいと思うのです。ところが、経過的に入っておる人が出てくる、こういうことになると、整理資源というようなものの考え方は非常に当を得たものになってくると思うのです。今度政府は、三分の一の国の負担、かけた保険料の半分を国が出す、こういうことになっておるわけでずが、その整理資源に対する考え方、これは政府はどういう工合にお考えになっているのか、これを一つ御説明していただきたい。
  104. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 どういう考え方から出発するにいたしましても、年金制度が始まった場合に、積立制を原則として行います場合には、比較的年令の高い人に対して、普通の国庫負担のほかに何らかの特例が必要だという点は、私どもも社会保障制度審議会考え方と全く同様の考え方をしておったのでございます。ただ、社会保障制度審議会の問題の整理の仕方と政府案との違いが出て参りましたのは、社会保障制度審議会は、ただいま先生申されましたように、特に整理資源としてこれを別建にして、この分をはっきり国が別建で国庫負担をするという行き方をとったのでありますが、今回の政府案におきましては、先ほど申し上げましたように、その前に被保険者の間で年令の比較的多い者と若い者との間に相互の調整を行いつつ、その上に国庫負担をよけいに入れる。従いまして、比喩的に申しますならば、保険料の半分の国庫負担というもののもとをなしておりまするものは、保険料の三制程度が共通の国庫負担で、残りの三分三厘程度のものが主として年令の高い人々に集中的に振り向けられる、そういうふうなねらいを持ったものとして、合せて五割の国庫負担ということにいたしたのでございます。
  105. 滝井義高

    滝井委員 次に、無拠出年金と公約扶助、これは概念的にいっても財政的にいっても、一体どこに区別があるかという点です。これを一つ御説明願いたい。
  106. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま滝井先生がお話しになりました問題をどういう考え方で整理するかということについては、これはいろいろの考え方があるようでございます。人によっては、無拠出年金というのは形を変えた公的扶助だというふうに考える人もあるようでありますし、またその反面には、無拠出年金といえどもやはりこれは年金であって、公的扶助とはっきり違うんだ、こういう考え方をとる立場もあるわけであります。前者の考え方は、いずれもそれが公けの費用で全額負担されているという点に着目をして言っているようでございまするし、後者考え方は、たとい財源がいかなる形でまかなわれようとも、実際に持ちまする意味、機能あるいは性質というようなものが公的扶助と年金とでは違うという点に着目をしているようでございます。政府案がどちらの考え方をとっているかということになるわけでございますが、政府案としては、大体後者考え方をもとにして考えております。従って、無拠出年金は公的扶助ではない、やはり国民年金の一部門だ、こういう考え方で整理をしておるのでございます。
  107. 滝井義高

    滝井委員 無拠出年令は公的扶助じゃないことは、生活保護法でうたわれていないからだと思うのです。法律の立て方も違うようであります。しかしいろいろ考えてみると、今から質問しますが、概念的にも財源的にもなかなかどうもはっきりしないような感じがするのです。イギリスでも公的扶助と年金受給者とが百五十万重複しているらしいのです。イギリスのような慎重な国でさえもやはりこの点については十分な考慮が払われていなかったらしい。そのためにやはりいろいろな問題が起ってきている。われわれも、先進国がやっているからといって何もそういう悪いまねをする必要はないと思うのです。年金年金、公的扶助は公的扶助にはっきり区別をしていくことが必要だと思うのですが、この無拠出年金、いわゆる政府援護年金の姿を見ると、所得制限その他の状態から見て、どうも社会保障は慈善事業だというような感じがするのですが、社会保障が慈善事業であってはならぬと思うのです。やはり長期の国の財政計画の一環として、十分その理論的な背骨を持ち、理論的な組み立てというものがそこに行われておらなければならぬと思うのです。一つ一つの構成要素に徹底した精神がどうも躍動していない、社会保障の精神が躍動していないような感じがするのです。というのは、この前からここで、老齢年金の問題、援護年金の問題が出てきたときに、あなた方は生活保護加算制を主張された、加算をするのだということを主張された。そうすると、現在身体障害者に八百円か千円程度の加算があり、母子に五百円程度の加算がある、だから老齢もそれに伴って加算をするというならば、これは生活保護についている加算です。その場合に、年金の問題を論議するときに、加算という形ではおかしいじゃないかという感じもするのですね。私は、ここが一つの問題にしなければならぬところじゃないかと思うのです。あくまでも年金と公的扶助とは違いますとおっしゃるならば、生活保護の加算は加算でまずおやりなさい。そうして、年金の千円については、一体千円でいいのか悪いのかということを別にあとで考えることが必要じゃないでしょうか。それを年金でつつかれて、老人が少いじゃないかとなると、いやそれは別に加算で考えます、こういう答弁なんです。そうなると、年金と公的扶助というものがどうもどこかでクロスしているところがあるような感じがするのですが、それに対する答弁ということが一つと、それから、あなた方が加算をやられる場合はその額は一体幾らにするのかということです。そうしてその援護年金というものは十一月一日から出すのですから、予算の審議が終るまでに、この法案が衆議院を通過する前に当然その額は示してもらわなければならぬ。この二点ですね。
  108. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 第一点でございますが、申し上げるまでもなく、政府案に盛られておりまする援護年金は、七十才になったら支給する、あるいは十六才未満の子供を扶養している母子世帯支給する、もしくは第一級該当の身体障害者支給する、いずれも一定の規格をきめ、規格に該当しますものには無条件に支給をする、こういう建前をとっておりますので、これはやはりりっぱに年金であると思っております。とかく無拠出年金の議論をされる方の中には、必要なところに厚みをつけるというような言葉で御議論なさる方がおありになるのでありますが、老齢なりあるいは身体障害なりあるいは配偶者の喪失という、そのことを必要というふうに考えることから年金制度ができているわけでございますので、そういうふうな点に着目をしてできている政府案援護年金は、その意味におきましてりっぱに年金であるという確信を持っているのでございます。ただ各種の所得制限の中には必ずしも望ましくないものが現在の財政上のもとでは加わらざるを得ない、この点は私どももそういう考え方は持っているわけでございます。  それから第二に、これと生活保護加算制との問題でございますが、関係は、先生がおっしゃるようにこれは別問題だと思います。ただきっかけといたしまして無拠出年金支給いたします場合に、生活保護法の基準におきまして特別な措置が講じられませんと、結果としては実質上上年金をもらえなかったと同じな結果になってしまう、こういうような事情からいたしまして、この際生活保護法の基準につきまして検討を加えて、そういう措置をすることが必要だ、こういう議論になっているわけでございますので、両者の関係をいえば、先生のおっしゃる通り、まず年金年金、それから加算問題は加算問題、こういうふうに別に考えるべきものだと思っております。しかし実際上の問題としては少くとも援護年金支給が行われますときまでには、そういうような措置を講ずることが必要であるというふうに考えているわけでございます。それから加算の額をどうするかという点については、先般大臣が堤先生の御質問に対してお答えを申し上げましたような事情で、大臣自身がしばらく時をかしていただきたい、こういうふうに申し上げている事情でありますにとを御下事願いたいと思います。
  109. 滝井義高

    滝井委員 加算の額に時間をかさなければならない理由がどこかありますか。
  110. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 前会堤先生の御質問に対して大臣がお答え申し上げたのは、やはりこれは現実の問題としては折衝を要するのであって、折衝の効果を上げる意味合いにおいて、もうしばらく時間をかしていただきたい、こういうことを申し上げたわけであります。
  111. 滝井義高

    滝井委員 この案が衆議院を通るまでには一つはっきりしてもらいたいと思うのです。予算が通ったあとから話をするといったって間に合わない。こういう問題は、だから政府は国会で加算をつけますとおっしゃいました以上は、この法律が通れば十一月一日から支給することになる。そこで一体、七十才以上の老人は百九十八万人おります。この百九十八万人の中で生活保護対象になっておる老人は何人ですか。
  112. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 お手元の国民年金法案参考資料の十六ページの十二表にございますように、七十才以上の老人生活保護の適用を受けておりますものが十一万七千人おります。
  113. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと十一万七千人は、百九十八万六千人の今回援護年金対象者の中には含まれていないわけですね。
  114. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 これは百九十八万六千人の中に含まれております。
  115. 滝井義高

    滝井委員 そうしますしと、生活保穫と併給する予算が組まれておるわけですね。生活保護を実際に受けておるのが十一万七千人で、これは生活保護の予算に組まれておる。そうすると今度これが百九十八万六千人の中に含まれておるとすると、年金の百十億の予算の中に含まれておる、そういうことですね。
  116. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 国民年金支給に当りましては、当然この十一万七千人にも援護年金支給するという前提で費用を組んであるわけでございます。
  117. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと生活保証と援護年金併給する、つまり社会党の主張するように併給する、あるいはあなた方の主張のように月千円を加算するといっても差しつかえない予算上の措置はできておるわけですね。
  118. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 予算上は前今申し上げたと思いますけれども、この援護年金が実際に支給されますのは来年の三月でございます。従って生活保護法の運用面でこれがどうなるかということが現われるのは、生活保護支給からいうと四月分から現われるわけです。従って生活保護法と予算との関係は、実際上出て参りますのは明後年の予算ということになるわけでございます。
  119. 滝井義高

    滝井委員 私はそういう技術上の問題でなくて、ことしの三十四年度の予算の中には十一万七千人分の老人生活保護費というものが組まれておりますかと言うと、組まれておる、それからこちらの年金の予算の中に十一万七千人が入っておるかというと、入っておると言う。両方とも入っておるということになると、予算上の措置併給してもよろしい、それは今の生活保護の理論からいえば月千円ずつで一万二千円加えればいいということは当然でしょう。しかしそういうことは別にして、三十四年度の予算は両方に組まれておるということさえ確認しておけばいいのです。
  120. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 予算上生活保護の適用を受けておる人々に援護年金支給することと、それから生活保護の基準において特別加算等が行われた場合に、それが財政上できるような道が開かれておるということを先生がおっしゃっておられるのであるならば、それはやろうと思えばできるようになっておるという事情でございます。
  121. 滝井義高

    滝井委員 早くそう言ってくれればいいのですよ。それでいいのです。そうすればあとはこちらから要求いたしますから。  次は、やることはたくさんあるのですが、大事なところからやっていきますが、援護年金で七十歳から支給しているところは世界どこにもないということは、この前だれか質問をしておったですが、七十歳から援護年金なんという年金をやるところがどこかありますか。これはないですな。
  122. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 具体的な国名は次会に申し上げたいと思いますけれどもございます。
  123. 滝井義高

    滝井委員 それがわかっておれば、どこか教えてくれませんか。七十歳以上から年金をやるところは近代国家の中でどこかありますか。
  124. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 手持ちの資料では、スエーデンが七十に近い六十七歳から出す、こういうことになっております。
  125. 滝井義高

    滝井委員 どうも私の調べたところでは、七十というのはないように思うんですな。スエーデンが六十七歳であるようではあるけれども、ないように思います。従って年金支給対象年令というものがあまり上り過ぎているということは言えるようであります。世界的に初めてやるんだから年金支給年令は非常に繰り上げられて、御老人になってからでなければもらえないし、一方拠出年金は世界の諸国に比べて最低で、食うや食わずで、おかゆを食っても足らぬ額だということははっきりしてきた。  そこで次にお尋ねをしたいのは、離別の妻の問題です。これは公聴会に行っても、各地で非常にやかましく言われた問題です。戦後日本において強くなったものが三つある。一つはバス、一つはストッキング、一つは女性だ、こういうことをだれが言ったんです。女性が強くなったかどうかは知らぬけれども、戦後の日本で、アメリカが来て二つのことが特異な現象として現われてきた。一つは非常に伝染病が少くなったということ、一つは離婚が多くなったということです。昭和三十一年ごろでは夫との死別というのは、戦争の影響を受けて大体七八%程度、三十一年八月に母子家庭百十五万世帯のうち、四十万は十八歳未満の子供を持っておるようでございます。昭和二十八年は八五%だった。それが死別は七八%に減ってきた。ところが今度は逆に、離婚は昭和二十七年は七・六%であったのが、昭和三十一年は一四・六%と増加をした。すなわち戦後十三年ないし十四年経た現段階では、戦争未亡人と遺児の問題から、もはや一般的に見ても、恒久的な母子世帯の問題になってきたということですね。母子世帯の問題がそういう形をとってきておる。しかもだんだん生き別れの状態が多くなってきた。ところがあなたの方の寡婦、遺児、母子、これらの年金というものは、全部死に別れになっておる。死別になっておるわけです。これはどうして死別にしなければならなかったかということなんです。これはどうも行った先々ではなはだ恥をかいてきた問題なんですね。きょうは御婦人の方は一人しかおられぬけれども、こういうふうに恥をかいた問題なんですが、これは少し私たちが未亡人の団体その他に納得のいくような説明のできるあなたの御説明をいただきたいのです。離婚が非常にふえておるということなんですね。
  126. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 離別の問題が最近増加する傾向にあるという点は先生御指摘の通りだと思いますが、年金制度でこれを考えます場合に、離別というような当事者の意思でいかようにも調節できるようなものを事故に入れるということになりますと、制度が全体としてどうにもならなくなるわけでございます。あまりその点を強く申しますと、それだから保険主義はいかぬのだというおしかりを受けることになると思いますけれども、やはり年金制度で保険事故を考える場合には、逆選択というものが当然に出るようなものは、努めて避けなければならぬということになると思いますので、このようにしたわけでございます。
  127. 滝井義高

    滝井委員 政治というものは民に対する信ですね。信なくば政治が立たないはずなんです。それでわれわれが全部未亡人からだまされたと仮定をしても、これは死別も何も全部入れて九十四万世帯——世帯かどうかわかりませんが、とにかく九十四万世帯ある。それをあなた方今度半分の四十万くらいに、十六才というワクをつけて、あるいは二十才以上の者があればだめだというう制限をつけておやりになっておるのだけれども、額にしたらそう大した額ではないのですね。こういうところも少し愛情をきかせるのときかせないのは、ちょうど江戸前のすしにワサビがきいておるかきかぬかくらいのところなんですよ。こういうところがいわば保守党の政治の上手の手から水が漏れるところなんですよ。だからやはりこういうところに保守党の政治の冷酷さが現われてくる。これはいずれ修正するでしょうが、もう少し考えてもらわなければいかぬと思うのです。なるほど逆選択はあります。しかしそれは九牛の一毛ではないかと思うのです。こういう点は公聴会に行って指摘をされるまでもなく、当然十分お考えにならなければならぬところだと思うのです。これはむしろ政治家としての坂田さんや池田さんの勉強不足だ、こういうことにしておきましょう。  次は、二割五分ないし三割の諸君は、さいぜんの御説明にもあったように、日本海溝の底の塩水のように動かないのです。そうしますと。これらの人は年金制度あってなきがごとしということになるのです。もちろんこれは、掛金を何か三年とか五年とか十年とかあなたの方の条件があります。しかしそれもかけていないということになると、結局はよわい七十才になって無拠出に入るということ以外にはしようがないということになると、これは日本には九人に一人の割合でボーダー・ライン層がおるということなんですね。それは三年とか五年とか納めればいいかもしれませんが、しかしスズメの涙ほどの三年や五年納めたところで、無拠出年金援護年金と同じ程度の、それにちょっとプラス・アルファーのついた程度しかもらえないのですから、全部援護年金に行くと考えていいのですね、そういうものは。それではあまりひど過ぎるという感じがするんです。何かこの三割に対して工夫はなかったかということなのです。三割の人々に対してこれを何らかの形で——まあ全部まるまる二十五年なり四十年納めなくても、三千五百円の六割か七割くらいの二、三千円くらいはやるような制度というものを考えてみる必要があるのじゃないかと思うのです。こういう点について、この法案をお作りになる過程で、与党なりあなた方との間に一体どういう論議がかわされたかということなんです。この低所得階層の取扱いについては、適用除外、被保険者とせずに保険料を課さないという考え方、それから被保険者とするが保険料を課さないという考え方、これも、保険料を課さないでも給付は一般被保険者並み、あるいは給付の一部を制限するという考え方、あるいは給付については被保険者考えない、名目的な被保険者とするという考え方、それにまた適用除外者と同様に扱うとか、給付を受けるようになった場合には給付額に加算をするとか、そのほか何かごたごたとあなたの方は検討しておったようでありますが、結局、これらの者に五年とか十年とかの、保険料を納めなければいけないという保険料納入の条件をつけた。そうでない納めてない者は全部援護年金という形に、立て方はなっておるようですね。これは拠出制をおとりになるということになると、ちょっとかわいそうな画が出てくると思うのです。それは医療において、保険料をかけ得なかったものは被保険者でない、そのときには生活保護にお行きなさい、これで片づけられておるわけです。そうすると、これも結局、君は御老人になってめしが食えなくなったら、月千円の援護年金生活扶助、これも一つ考え方かもしれないけれども、生活保護の額というものが何せ一般の勤労者の生計費の三割六分しかないという現実、前は四割だったのが三割六分に切り下げられているという現実から考えて、何かここにもう少し工夫はなかったかという感じがするのです。こういう形にならざるを得なかった理由というのは、どういうことなのですか。
  128. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 この問題は帰着するところ、結局年金実施の場合に、どの程度実施に当る人々にいろいろむずかしい仕事を課することができるかという問題とも関連のある問題でございますが、先生仰せの通り、私どもといたしましても、この問題については、おそらく現在提唱されておりますいろいろな方法はすべて当ってみたつもりでございます。そのうちで一番最後まで、私どもができるならばということで若干の未練を持ちつつ検討いたしました問題は、ただいまのような例にあげられた人々については、自分保険料は納めることができなかった、しかし、納めることができなかったことについて相当の理由があるんだから、その人が納めたならば、それに対応して、国が拠出するはずであったところの国庫負担に見合う分程度年金増額をしていく。これは逆に言って減額と言ってもいいと思いますが、そういうふうな方法考えられないかどうかという点であったのでございます。しかし、これをやろうといたしますと、個々の人々の所得の実態について相当正確な調査をし、相当権威ある手続を経た上でないとできないわけでございまして、現在生活保護法について行われておる方法は、いろいろの批判はありますけれども、こういう場合にとられ得る、納得のされた方法であるわけであります。ところが、年金保険料の免除をする場合にそれだけの手数をかけるということは、現在の国民のものの考え方からいって、とうてい容認されることではないのでございます。それじゃ一つ適当なところでということになりますと、これは何分現在の支給と結びつかない問題でございますから、とかく適当にされる可能性があります。何十年かたったあとに、あまり慎重な手続を経ないできめておったものがもとになって、ある人は非常に有利な支給を受け、他の人は不利な支給を受けるというような場合が出てくるのであります。年金の場合において、とにかく絶対額が多いということはもちろん大切なことでありますが、不公平な扱いも受けないということが非常に大切であるわけでございまして、そういうような面から見まして、どうもそこまでの違いを持たせるということは、現状においては避けなければいかぬというので、今のような形になっておるわけでございます。同じように、先ほどお述べになりました離別の問題にいたしましても、ほんとうにやむを得ざる離別であるかどうかということを、一々たんねんに当って確定するということができれば別でありますが、これもまた容易ならぬことでございまして、いいかげんなやり万でそれをやるということになりますと、結果においては非常に不公平な扱いをする。擬装された離別を多くするということにもなりますので、これもやはり世界の年金の例に従って、死別という、明瞭にしてまた間違いの起きる余地のないものに限定をする、こういうことにいたしたわけでございます。
  129. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、あなた方は一体、年金適用者のうちの七割が拠出可能であるとして、その拠出可能の中の何割が徴収可能とお考えですか。
  130. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 七割のうちの八五%からは、保険料徴収現実にできると見込んであるわけでありますが、制度としては、もちろん三〇%の人について免除をしてかかれば、残る人からは納入が得られるはずだ。ただ実際問題として、どんな税でも百パーセント納税というものはございませんので、市町村住民税等の例を見まして、低くかまえて八五%から出発する、こういうことにいたしておるわけでございます。
  131. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、またここに一つ問題が出てきたわけです。三千三、四百万人の中の七割に当る二千三、四百万の者が拠出可能だ、その中の八割五分程度徴収ができるんだということになりますと、拠出不能と徴収不能とは、究極は同じになってしまう。それは幾分、三年とか五年の納める可能性はあるでしょう。あるかもしれないけれども、これは結局何ということはない、国民年金適用者の中の四割近くのものが今のような姿になるということなんでしょうか。
  132. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 あとの方で申し上げました八五%というのは、保険料徴収率の問題でございます。従って、この場合に、実際上納めない一五%にあたる人々は、保険の給付の上においても特別の措置を受けることがありませんから、二十五年たたないと老齢年金は受けられません。また母子年金障害年金等におきましても、納めなかった期間がありますれば、三年間でも、障害年金や母子年金は受けられない、こういうことになるわけであります。それに対しまして、免除を受けた人々はおおむね母子年金障害年金という不時の事故に対するものに関する限りは、納めた人とほぼ同じ程度において受ける可能性を与えておるのであります。また老齢年金についても十年間納めておれば老齢年金が受けられる。さらに将来になって保険料をさかのぼって納める力ができますならば、そのときに、以前に免除された分を納めることによって完全な保険料拠出に直すという道も与えられておる。こういうふうにいろいろな面において優遇されるような仕組みになっているわけであります。
  133. 滝井義高

    滝井委員 いろいろの面で優遇されることになっておりますが、小山さんは国民年金だけを考えて、他のことはお忘れになっておると思うのです。現在国民健康保険は世帯にして一割ですか、金額にして二割も脱落があるのです。そうしますと納めておる同じ人たちが、今度はこれを、国民年金をかぶってくるのです。ですから五千円をこえるのです。世帯にすれば、二人おれば六千五、六百円から七千円になってしまう。そうしますと、今まで国民年金だけを基礎にして、拠出可能が七割で、徴収可能が八割五分とおっしゃっていましたけれども、あにはからんや国民健康保険というものの上にかぶれば、この率はまだ増加しますよ。これは私の方から予言しておく。徴収可能は五割です。それ以上は絶対取れない。問題は、だから拠出可能の七割と、今度は徴収可能の八割五分というものが重なってきている。その上に今言った国民健康保険が重なる。ですからここらあたりのものの考え方というものを、もう少し正確に、石橋をたたくよりか、もっと鉄の橋をたたくようにしておかないと、これはとても大へんなことになる。七割という拠出可能が、おそらく五割になるのではないかという心配をするのです。それは日本農村が中国の人民公社みたいに、農業法人税も認めてどんどん協同化していく、それから生活協同組合もどんどん認めていくのだということになると、これはちょっと違ってくるのだが、そういうものはみんないやだいやだといって防ぎつつあるのですから、これはとても小山さんの言うように——あなた方は非常に慎重にやってここまできたんだろうと思うのですが、私はどうも七割ないし七割五分というのは少し甘いと思う。しかもこれは任意加入の妻が八百万——三百万ですか、とにかく相当妻とか学生というのが任意加入に入ってきているわけです。こういう層の方がむしろ任意加入であるだけにいいかもしれません。ところがそうでなくて、強制加入になっている農村なり中小企業、特に五人未満の零細企業に働く諸君、これらの者はまだ社会保険の洗礼を受けていない層なんです。そういうものに今から金をどんどん取り立てていく。しかも新しいスタンプ制というものでしょう。まず市町村に行って受け付けてもらう、そして県の保険課が認定をして郵便局に行って、それから今度は市町村へ認定書を返す、それから住民に通知をして、今度は住民が郵便局で金を受け取る、そのかわりにスタンプを買って、判を押してもらわなければならぬ、こういうめんどうくさい問題が起きてくる。これは初めての制度でございますから、今のようなところですぐに——医療保険みたいに利益があるものでさえも、金額にして二割、世帯にして一割も脱落がある。こういうことになると非常に問題だと思う。そこらのことは将来あなた方が実施したときのお手並みを拝見して、それからもう一ぺん文句を言わしてもらいます。  この年金の次には、障害の等級表です。これはあなたの方は一級をおきめになっているのですね。一体年金、労災、厚生年金身体障害者福祉法、恩給、これが全部違います。たとえば目なんかを見ると、両眼の視力の和が〇・〇一以下のものというのが障害程度の一級です。ところがほかの障害の等級を見ると、〇・〇二になったりしているのもある。やはりこういうものは政府の内部で統一する必要があると思います。少くとも一級といったからには、同じ日本国民で恩恵を受ける一級というものが、片一方は目が〇・〇四であって、片一方が〇・〇一だったというのではおかしいと思うのです。ですからこういうものは統一をして、一級といったらこうなんだ、手と足が切れて、目は〇・〇一だ、これが一級なんだ、こういうことは恩給であろうと何であろうとできないことはない。もし違うものがあれば、その級を違えておけばいいのです。一級というものはこういうもの、二級というものはこういうものだということをきめておかなければいかぬですよ。厚生年金の一級になるんだから国民年金の一級になるかなと思っていると、そうでない場合が出てきます。恩給の一級が身体障害者と一体どういう関係があるのかさっぱりわからない。そうしてあるものは内臓の疾患を入れ、あるものは入れない。こういう無統一なことでは私はいかぬと思うのです。従ってこの障害等級表というものは、年金、労災、厚生年金も含めて恩給、身体障害者福祉法、まだこういう表がたくさんあると思うのです。坂田さんどうですか、それらものものを一つこれを契機に労働省その他総理府の恩給局、松野さんですか、一ぺん話し合って、閣議で問題にして一本にしてもらいたいと思うのですが、どうですか。
  134. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 御趣旨は非常に私も同感でございます。ただ運びとしてどういうふうになりまするか、ここではっきり言明はできませんけれども、よく調査をし研究いたしまして、ある機会におきましてはそのようにしなければならないのではないかというふうに考えております。
  135. 滝井義高

    滝井委員 この問題は非常に専門的な知識を必要とします。実は柳田君や私が、かつて恩給制度等の臨時調査会の委員になったときに、作ってくれということを強硬に主張したわけです。ところがこれには整形外科から、眼科から、外科から、総合的な知識を必要とするわけです。ですから坂田さんが音頭をとって、こういう等級表を作る審議会か何かを内閣にお作りになって、厚生省なり労働省なり、関係の技官、事務官も入って、急速に作ることが必要なんです。そうして一級というのはどういうものだ、二級というのはどういうものだという表ができますと、これによって今度はお金が支払われていくわけですから、アンバランスもすぐわかるのです。ところが厚生年金で一級をもらっているのだが、年金では何になるんだろうかと一々見なければわからないというのでは、能率も上らぬし、困ると思うのです。ですからこれはすぐとは申しませんが、少くとも年金が発足して、障害年金その他が支給になるまでにここ半年以上ありますから、ぜひ閣議で発言をされて、そういう検討をやっていただくことを希望しておきます。  次にもう一つは、逐条にはいく時間がありませんが、百条の関係です。これは公聴会でも指摘をされたし、私もこの点はぜひお開きしたいと思っていた点でございますが、「被保険者は、別に法律の定めるところにより、この法律による保険料にあわせて、附加保険料を払い込むことができる。」そしてその附加保険料を払い込んだ者には附加年金がつくわけです。その附加年金がついた人が脱退する場合には、脱退手当金を払うということがあるわけです。こうなると、この制度は生命保険や簡易保険と非常によく似てきた。そこでまず第一にお尋ねいたしたい点は、個人的にはいつか尋ねたことがあるのですが、国民年金制度ができると生命保険や簡易保険というものは一体どういう影響を受けるかということです。
  136. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 この点については、簡易保険を所管しております省も生命保険の運営に当っている人々も、影響を受けない、かように判断しておるようであります。
  137. 滝井義高

    滝井委員 問題は、簡易保険は政府の資金運用部にその金が集まって、郵便貯金とともに財政投融資の非常に大きな支柱となっておるわけです。それから生命保険は、これは任意的にわれわれの遺族を保障することになるわけです。今度国民年金が発足することになって、郵便局を窓口としてその支払いをとり行わせるというのですね。そうしますと、私は簡易保険と年金とが国民の中に一緒にされるのじゃないかという感じがするのです。それは、年金に対する啓蒙宣伝が十分でない。国民は、簡易保険には非常に親しんでおると言ったらいいでしょうか、なじんでおるわけです。そうしますと制度の立て方として、簡易保険も一つの長期保険の形態をとっている、これもそういうものだ、そしてどっちも似たり寄ったりの額だ、また簡易保険も月に百円とか百五十円とか二百円とかという金でいく、これは郵便局の係員がせっせと毎月取りにきてくれます。そうしますと、何かここいらあたりで私は交流してもいいのじゃないかという感じがするのです。現在、国民のどの程度のものが簡易保険にかかっておるか知りません。おわかりになっておれば教えていただきたいのですが、相当の世帯が——農村では各郵便局が競争をして簡易保険なり定期預金、皇太子御成婚定期預金とかといって、大蔵大臣か何かが会長になって盛んに貯蓄奨励運動もおやりになっておりますから、そういう点で非常によく似ている点が多いということがあるわけです。この国民年金ができて簡易保険なり生命保険は影響がないということは、ちょっと考えたときにはそうかなと思うけれども、だんだん長い目で見ると、私は相当出てくるのっじゃないかと思うのです。それは今は額が少いから、こんな政府のものは大して老後の安定にならぬというので二つ入るでしょう。しかしそう三つも四つもは入れぬので、生命保険をやめるか簡易保険をやめるかという形が、片一方が強制であるだけに出てくると思うのです。最近の傾向は、多分郵便貯金の上昇カーブも幾分停滞しているのじゃないかと思うのですが、それから簡易保険もそうじゃないかと思うんです、ちょっと調べておりませんが。しかし生命保険はその利子を下げるという問題が起りつつあることは御存じの通りです。相当の利潤を得つつあります。それでわれわれの党は、かつて医療保障を確実にするためには生命保険というものを国家がある程度管理しようなんという説を主張した人もおりましたが、こういうように、国民年金と簡易保険なり生命保険というものは相当密接な関係がある。特に政府がやる郵政事業の一環である簡易保険の支払いの窓口も郵便局で、一つであるという点から、何かこの二つの制度をあたかも市町村における国民健康保険と国民年金が結びつくように、簡易保険と国民年金とが特にその掛金徴収等において結びつく可能性があるのじゃないかという感じがするのです。こういう点に対するあなた方の検討はどうなっているのか、これを御説明願いたい。
  138. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 滝井先生の予想されておられますことは、おそらくスタンプ制をとるとしたならば、スタンプの販売というようなものをある程度そういう簡易保険の集配を相当する者に委託するというような結びつきはできないか、こういうような予想をもってのお尋ねだと思いますけれども、この点についてはあながちそれに限らず、スタンプの売りさばきをどういう人々に委託するか、市町村に委託するのも一つ考え方としてございますし、特に今有力に考えられておりますのは、農協等にその販売を委託するということもまた考えられているわけでございます。そういうような幾つかあります方法のうちの一つとして、今後与えられた余裕の期間のうちに十分研究をいたしまして、最も効果的な道をとりたい、かように考えております。
  139. 滝井義高

    滝井委員 そういうようにスタンプ、いわゆる国民年金印紙の販売を農協に委託する、こういう形になりますと、郵便局に一人当り三十五円の金というものは農協に振りかえられることになるわけですか。
  140. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 郵便局に支払います一件当り三十五円というのは、援護年金の支払い事務をやってもらうことに対する事務費でございます。ただいま御議論になっております拠出の場合の保険料徴収その他に伴う費用は全然別問題でございまして、これは明年度以降検討されることになっております。
  141. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、一件当り三十五円の基礎は、国民健康保険の事務費九十五円に対して、今度五割程度要るというあの市町村の五十円、あれは無拠出年金だけの事務費である、そうすると、一体拠出になったときの事務費というものはどういうことになるのかということなんです。これは一体どの程度考えているのですか、郵便局と市町村と両方。
  142. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 拠出の場合に郵便局にどういう役割を持ってもらうかという点につきましては、あまり大きい役割を持ってもらうような案を今予想しているわけではございませんので、一括しての議論になりますけれども、とにかく拠出の場合の市町村等に支払います事務費というものは相当かかり得る。ただ額でどのくらいかということをまだ申し上げるほど、政府部内での考え調整されておりません。
  143. 滝井義高

    滝井委員 一番いい例が国民健康保険ですから、国民健康保険よりかよけいになりますか、少くて済みますか。それから農協等に委託をするということでございました。これは非常に注目すべき発言でございますが、農協等に委託をする場合に、一体その金というものは、市町村にいく金が農協に振りかわる、こういうことになるのですか。拠出ですよ。
  144. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 具体的な額がどうなるかは、さらに研究に待ちたいと思いますが、いずれにしても国民健康保険の場合における事務費というものが、いろいろものを考える場合の一つ参考になると思っております。  それから農協等に委託する場合の事務費をどうするかという問題でございますが、これは国民健康保険の事務費等を参考にいたしてきめました事務費のうち、どれだけ分をこういう仕事を委託する場合にどこどこにというふうなきめ方になると思います。
  145. 滝井義高

    滝井委員 事務費は全額国庫負担をすることになっておるし、それに不足が生じた場合には、なお今年度の無拠出の分についても政府は追加その他補正は考えるということは、この前坂田さん御言明になったのです。これはもう少し時間もあるようでありますが、しかし市町村がやはりそれぞれ人的な整備をして、受け入れ態勢を作らなければならぬ。こういうものは、やはり見通しというものが、無拠出をやる段階から拠出へと徐々に移行していくわけですから、無拠出の段階でやはり拠出の態勢というものは徐々に整えていかなければならぬと思うのです。そう一挙に目の中に指を入れるような工合に突如としてやられても、なかなか市町村も態勢ができないと思うのです。一つ早目に決着を出してもらいたい。国民健康保険の事務費中心にして考える、こういうことでございますので、さよう一応了承をいたしておきます。まだありますが、あとは大蔵大臣なり総理に残しておきまして、一応きょうはこれで終らしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
  146. 園田直

    園田委員長 次会は明十七日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十三分散会