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三鍋委員 ただいま
政務次官から、
当局の御
苦心になった詳細なる御
答弁を願ったのでありますが、私は、それではどうしても満足ができないのであります。この
土地収用法の第二条によりますと、「
土地の
利用上適正且つ合理的であるときは、」こういううたい方をしておるのであります。その適正であり合理的であるということをどのようにして判断したかということを、私はやはり疑問に思うのであります。これは略図でありますから、このままの印象で判断することはやはりいけないと思うのでありますが、ここに原図を持っておるのでありますが、これを見ましても、ちょうど
クモの巣を張ったようになっておるじゃありませんか。そこにまた一本架設するということが、果して適正かつ合理的な
考え方であるか、これは、だれが見たってこれほど不合理、不適切な
やり方はないと思うのであります。これは、今さらこんなことを言ったって仕方がないのであって、
自由主義、
資本主義経済、弱肉強食のこの
経済下におきましては、やむを得ない、とにかくやったもの勝ち、その
権力のもとに泣いておるのは
農民である。こういう姿は、何も
高圧線の問題だけでなく、あらゆる
建設事業を推進していく上において、至るところに出てきておるのであります。そこで、やはり
公共の
法益と
個人の
法益の問題が微妙な姿となって現われてくるのであります。
そこで、もう
一つの
事業認定の要件、二十条の第三号を見ましても、「
事業計画が
土地の適正且つ合理的な
利用に寄与するものであること。」というようにうたってあるわけであります。これらを見ますと、
農民がどうしても納得できないのは当然だと思うのです。しかし、ただいまの
政務次官の御
答弁によりますと、大体において
了解を得ておられるようであります。私の手に入れた資料によりましても、百三十六人中二十七人のまだ
了解を得ていない
程度でありまして、大体において
了解を得ておるのでありますが、これは、やはり私は
法解釈の問題があると思うのです。やはり
民主主義的法治理念に立ったときには、法の拘束というものは、
権力者にあるのである。今までの
法解釈は、
権力者が
国民を拘束した、こういう
理念に立っておったと思います。新しい
憲法下におきましては、やはり
法治理念というものは、
主権者であるところの
国民が
権力者に対して、お前、これ以上のことをやってはいけない、
拡大解釈をしてはいけない、これが近代の
民主主義的法治理念の
根本精神だと思うのであります。そういう点から考えましても、どうも
権力が弱い者に大きな力で押しつけておる、おおいかぶさってくる、
国民自体にそういう
気持があるのです。やはりお上のやられることには間違いないのだ、私
たちは泣き寝入りするのが運命なんだ、こういう
考え方が、やはり
国民のどこかにまだあるのです。だからこそ、大
部分の人がおかしいな
あと思いながら、心ならずもこれに承諾した人があるのじゃないかと思うのです。もちろん中には、ああそれでけっこうです、公けのためにけっこうですといった
気持で賛成された方もあるでしょう。しかし大
部分の人は、上の方からそう言われるのだったら仕方がないのだ、やむを得ないのだ、こう言って、腹の中で何かすっきりしないものを持ちながら、泣き寝入りしている人が
相当にあるのじゃないかと思います。現にこの
高圧線が通ることによって
——大体ここら辺は、
先ほど政務次官も
お話しになりましたように、ここは
市街地になるのです。これは私実際見て参りました。実によい
土地なんです。
宅地としてどれだけ使えるかという制限も、もちろんあることは知っておりますが、これは、年がたてばたつほど地代がずっと上っていくのです。ところが
高圧線が架設されることによりまして、これはもう全然死んでしまうのです。大体今七千円から一万円くらいの
土地価格だと思いますが、ここに
高圧線が引かれたならば、四千円
程度で買いたたかれてしまうのであります。私
たちは
政治をやるときには、やはりその人の身になって考える、これが一番大事だと思うのです。その人の身になってこれを考えてあける、こういう
立場に立たないと、
ほんとうの
政治ではないと私は思うのです。今までは二、三千円の、あるいはもっと安いたんぼじゃないか、畑じゃないか、それが一万円にも一万五千円にも売れたならばけっこうじゃないか、何をそれ以上欲ばったことを言うのか、こういう
考え方をしてはいけないと思うのであります。事実、これは
先ほど申し上げましたように、何年か後には、
ほおっておけば
ほおっておくだけ、どんどんと上っていくのです。それを、こういう
公益の名のもとに、ここに
高圧線が通ることによりまして、地面が永久に死んでしまうのであります。そうすれば、
事業費がかりに高くつこうとも、ただいまの
お話では、高架線では三千万円、
地下ケーブルにすると一億、こういうような
お話がありました。これは大きな
事業費の差額があります。ありますけれ
ども、これを
地下に入れてあげることによって、だれにも
影響を与えないのです。つまり三千万円と一億と、七千万円の違いです。これだけを
営利事業——電気事業は
営利事業とはいえないかもしれない、
公益事業でありますが、これを負担することによって、その
住民に永遠に不安なく安心した生活をさせることができれば、私は七千万円はそんなに大きなむだな金ではない、こう思うのであります。私は、今さらこの
事業認可されたものを取り消せとか、そういうことは言いませんけれ
ども、こうやって泣き寝入りしていく
人々を
権力によって、あるいは
利益の大きな追求によって、むざむざと顧みないで
ほおっておいていいものかどうか。
認定されるときには、やはり
建設省独自の
立場に立って、きぜんとした
態度をとってもらいたいと思うのです。何と考えてみましても、これは、皆さんのお
手元にお渡ししてありますが、
クモの巣みたいになっているではありませんか。
自分は、この
高圧線の下に住居を持っておる、また何がしかの
土地を持っておる、その
立場になってみれば、おのずからこれは真剣にならざるを得ないし、十分に考えてあげなければならぬ問題であることははっきりしている。それをあえてやられたところが、私はどうも納得がいかない。
農民の
気持がわかるような気がするのでありますが、これに対するところの
政務次官の御
所見を、もう一ぺん
一つお承わりしたいと思います。