○本島
委員 私は日本社会党を代表し、
学校教育法等の一部を改正する
法律案及び
学校教育法等の一部を改正する
法律の
施行に伴う
関係法律の
整理等に関する
法律案に対する日本社会党の態度を明らかにするものであります。
そもそも今般の
法律案が国会上程を見るに至るまでには、戦後の新しい
教育は長い期間を経過しています。すなわち、日本国憲法及び
教育基本法に明示された国民
教育の大道に沿って、昭和二十二年三月三十一日、
法律第二十六号として
学校教育法が制定され、六、三、三、四制に基く
学校教育制度が確立されて以来、国民はその完成のため全力をあげて
努力してきました。義務
教育の充実は当然のこと、高等
学校、大学の完成のため、国民の払った
努力はなみなみならぬものがあるのであります。特にこの中にあって、高等
学校定時制の普及と拡充によって、勤労青少年に対し、
学校教育による全人
教育を保障することかできましたことは、新しい
教育に対する全国民の
努力の中心点となっており、画期的なことといわざるを得ません。大学
教育を広く青少年に開放し、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と
協力によって、文化の創造と発展に貢献する
人々を大量に育成し得たことも、
皆さんがひとしく御承知のところであります。私
どもは、
学校教育法等の一部を改正する
法律案及び
学校教育法等の一部を改正する
法律の
施行に伴う
関係法律の
整理等に関する
法律案に対し、その態度を表明するに当り、この国民の
努力と期待を尊重しなければならないのであります。このことはあらためてお互いが確認しなければならないことだと存じます。
今般二法案による
学校教育法の改正においては、専科大学制度の創設と、勤労青少年の
教育制度に対する改革に重点が置かれており、
学校教育制度に抜本的な変革を加えるものであることは、提案
趣旨及び
法律案の
条文中にこまかに現われています。これか国民の注視の的になっていることも、当然でありましょう。以下その問題点を指摘したいと思います。
法律案は
学校教育法等の一部を改正する
法律案——以下改正法案と申します。その第一条、
学校教育法の一部改正において、百九条第一項にただし書きを加えることにより、現行第五十二条「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」及び現行附則第百九条「大学の修業年限は、当分の間、第五十五条第一項の
規定にかかわらず、文部
大臣の認可を受けて、二年又は三年とすることができる。」ことになっている大学、いわゆる短期大学については、昭和三十四年四月一日以降の新設を抑止することを
規定しています。このことは短期大学の普及により、大学
教育を広く国民に開放することができたのであり、なかんずく女子に対し大学
教育の機会均等を実現させたことの功績を無視するものであり、この短期大学の成果を基礎として四年制大学に拡充強化し、広範な国民をして学芸の深奥をきわめさせ、民主的な社会人にふさわしい知的道徳的能力を展開することを抑圧、制限するものであります。またこのことは、他面私学経営の自由をも抑止するものであって、国民世論のひとしく容認し得ないところであります。
新制度創設が意図されている専科大学は改正法案第一条中の第二節専科大学、第七十条の二「専科大学は、深く専門の学芸を教授研究し、必要があるときはあわせて高等
学校に準ずる
教育を施し、職業又は実際生活に必要な能力を育成することを目的とする。」とあることは、現行第五十二条に
規定する大学及び短期大学と質を異にし、目的を異にするものであり、大学にあらざるものであります。このことは、四年制大学へ短期大学が自然に拡充移行さるべきであると予定されたものとは、全く性格を異にするものであります。そればかりでなく、第七十条の三「専科大学の学科に関する事項は、前条の
規定に従い、監督庁が、これを定める。」とあって、現行第四十三条「高等
学校の学科及び教科に関する事項は、前二条の
規定に従い、監督庁が、これを定める。」と類似の
規定であり、現行第五十三条に範をとり、「専科大学には、数個の学科を置くことを常例とする。但し、特別の必要がある場合においては、単に一個の学科を置くものを専科大学とすることができる」と
規定していないことに見られるように、大学ではなく、高等
学校に近い性格を持ったものであることは明らかであります。このことは、専科大学卒業者の四年制大学編入に当り、第五十五条の二「専科大学を卒業した者が大学に入学する場合においては、監督庁の定めるところにより、その卒業した専科大学における、修業年限(前期の課程の年数を除く。)を入学した大学の修業年限に通算することができる。」と
規定し、現行附則第百十条のように「文部
大臣の定める基準により、」通算する基準尺度が設定できないことを暴露した点からも確認できるのであります。短期大学が大学にあらざる専科大学に強制切りかえが準備されておることは、大学の格下げとみなければなりません。さらに学生の
立場に立つとき、専科大学卒業者の大学進学の自由が大幅に制限されることも明らかであり、
教育を自由に受ける権利に対する侵害といわなければなりません。
そればかりではありません。改正法案附則第三条、
文部省設置法の一部改正に専科大学における
教育を大学
教育に含めていることは、専科大学をあたかも大学のごとく見せた欺瞞あります。大学
関係者がこのことと第七十条の三とをあわせ考慮し、学問と思想の自由、大学にとっては欠くことのできない研究と
教育の自由と自治に対する重大な制限と干渉と感ずるのも、至って自然なことであります。十月二十四日日本学術
会議の発した声明と警告もこれを憂慮したことは明らかであります。私
どもは改正法案が大学の格下げと大学制度の破壊の第一歩であり、国民への大学開放を抑圧するものであることを指摘しなければなりません。
第七十条の五「専科大学の修業年限は、二年又は三年とし、あわせて高等
学校に準ずる
教育を施す必要があるときは、五年又は六年とすることができる。修業年限を五年又は六年とする専科大学の課程は、三年の前期の課程と二年又は三年の後期の課程とする。夜間の課程については、その修業年限及び前期又は後期の課程の年数は、前二項に
規定する年数をこえるものとすることができる。」及び第七十条の六「前期の課程においては、高等
学校に準ずる
教育を施し、後期の課程に進学するために必要な知識技能を授けるものとする。前期の課程の教科に関する事項は、第七十条の二及び前項の
規定に従い、監督庁が、これを定める。」と
規定しています。このことは、六・三・三・四制の精神とは相異なる学制の創設を目ざしているものであり、それ自身完成
教育である高等
学校教育を専科大学の予科
教育として従属させ、他方では、大学
教育の教科に関し国家基準を強め、監督庁の権限を拡大し、教科課程、内容、程度について介入の道を開くものであります。さらに、専科大学において学生、生徒の教科履修の方法が、単位制によらず、学年制によるものであることを考慮するとき、私
どもは、
教育基本法の目ざす、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希望する人間の育成、普遍的にして個性豊かな文化創造を目ざし、自主的精神に満ちた国民の育成とは、明らかに反する
教育が企てられていることを意味していると思います。前期課程修了者の大学への進学も制限されており、中学卒にして、一生の職業選択と進学コースが固定され、片寄った
教育発生の起因となることも明らかであります。専科大学設置基準の案またはその大綱が示めされておらず、制度の創設と専科大学設置の基準の内示とを切り離し、法運用が大幅に
行政機関にまかされていることは、
行政機関の権限強化をきわめて意図的に行なっていると
考えざるを得ません。警察官
職務執行法改悪と同じく、末端官僚に至るまで国家権力を振りかざし、
学校教育の権力支配をはかるものといわなければなりません。
改正法案第一条、
学校教育法の一部改正において、第四十五条の二「高等
学校の定時制の課程又は通信
教育の課程に在学する生徒が、技能
教育のための施設で文部
大臣の指定するものにおいて
教育を受けているときは、
校長は、文部
大臣の定めるところにより、当該施設における学習を当該高等
学校における教科の一部の履修とみなすことができる。前項の施設の指定に関し必要な事項は、政令で、これを定める。」という
規定を設けています。このことは、
学校教育法に基く組織
運営が行われていない施設におきます技能修得を、教科の一部履修とみなすことであり、高等
学校におきます自主的な
学校運営を阻害し、定時制高校の性格が職業中心の形に変革されることであります。高等
学校学習指導要領にも
明記されている全日制、定時制、通信
教育が、ともに
地方教育行政の組織及び
運営に関する
法律に定められた地方
教育委員会の権限を侵す
文部省の越権であり、高等
学校における自主的な
学校運営を侵害するばかりでなく、
学校教育法二十八条に定められた
教諭の
教育権をないがしろにするものであり、新しい
教育の精神を踏みにじるものであるといわざるをえません。またこれは、
学校教育法に基かない施設におきます教科を
学校内に持ち込むことによって、
学校教育を混乱させるばかりでなく、定時制高等
学校か使命とする
一般教育を、単なる技能養成と同一視し、
学校教育法四十二条に定めます
教育目的を軽視し、「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。」という重要な事項を、有名無実にするものであるといわざるをえません。そればかりでなく、
文部省が
学習指導要領に
明記した、全日制、定時制、通信
教育が、ともに高等
学校としては同一目的、同一目標を持つ
教育基本法の真髄を破壊するものであります。これは、同様のことを全日制の通常課程においても適用することにした場合、どのような反響が予想されるかを
考えてみれば、定時制軽視の具体的な証左であることが明らかであると思います。これは生徒の二重負担を軽減し、中途脱落を防ぐという美名に籍口して、定時制高校の
教育を、技能者養成を通じて企業に従属させようとし、
学校教育全体に重大な
影響を及ぼすものといわざるを得ません。
第七十条の十の第三項「第四十五条の二の
規定は、夜間の課程又は通信
教育の課程の前期の課程に、これを準用する。」という
規定により、専科大学にも拡大適用されることは明らかであり、専科大学制度の創設が、財界、実業界の差しあたりのきわめて無
計画な要求から提案されたことの一端を明示しているところであります。第四十五条の二は
学校教育の特質を失わせ、この
運営のため、
文部省、都道府県
教育委員会、技能
教育施設、高校の四者から成る機関を設け、これに必要な事項一切を決定する権限を与えることが当然予想され、
学校教育へ企業が介入する道を大幅に開くものと
考えられるのであります。このことは、労働時間の短縮、便宜の提供によって、企業及び国家が、勤労青少年の高等
学校就学による全人完成
教育を施す責任を回避するものとして、私
どもは厳重な警告を発しなければなりません。
改正法案第一条、
学校教育法の一部改正において、第二十八条第二項中「
助教諭」の下に「、
養護助教諭、
講師」を加え、同条に次の二項「
養護助教諭は、
養護教諭の
職務を助ける。」「
講師は、
教諭又は
助教諭に準ずる
職務に従事する。」を加える改正を施しています。ここで
講師を事新しく取り上げたことは、技能
教育施設、企業等の
職員を
教員として任用する道を開き、他方では、仮任用方式による臨時
教員の採用により、
教員定員の不足を糊塗しようというきわめて
学校教育を軽視する
考えが秘められていると思います。さらに専科大学にもこの
規定が準用されることが明らかにされています。五年または六年を修学年限とする専科大学にあっては、このため、後期課程教官が前期課程教官と兼務することが強制され、研究の機会は抑圧され、労働強化と、専科大学の
教育内容の質的低下を生ずることは明瞭であります。
条文整理法案第十六条三項は、このことを具体的に
規定しています。そればかりではありません。専科大学後期課程において
一般教育は圧縮され、非常勤
講師による
教育にまかされ、全人
教育は無視され、短期大学の専科大学への切りかえに当り、
一般教育教官の出血が予想されることも火を見るより明らかであります。これこそ
教育の質向上を口にし、安上りの職人
教育を目ざしている明らかな現われであります。
以上要約しますれば、二
法律案は、一、大学制度の破壊、二、高校制度の多線化による崩壊、三、大学、高校への文部
大臣の権力浸透と国家基準の強化、四、企業内実習、職業
教育への
学校教育の従属、五、大学への
教育課程の導入と大学自治の破壊、
教員養成制度改悪の布石を目ざしたものであり、日経連の意を受け、
教育の権力支配をねらうものであることは明らかであります。
私は以上の
理由によりまして、日本社会党を代表し、民主
教育を守るため、
学校教育法等の一部を改正する
法律案及び
学校教育法等の一部を改正する
法律の
施行に伴う
関係法律の
整理等に関する
法律案に反対を表明するものであります。