○高見
公述人 私は一個の作家でございましてこういう
場所へは非常になれない
人間でございますので、私の申しますことが不適当ないしは不穏当な場合がございましてもお許しを願いたいと思います。中河さんのように場なれたことはとてもできません。
なお最初にお断わりしておかねばなりませんが、新聞を見ますと私は社会党推薦ということになっておりまして、社会党から御推薦いただきましたことは身に余る光栄でございますが、私は社会党とは何の
関係もない
人間でございます。社会党だけでなく、特定の政党には文士といたしまして政治的関与という
意味では絶対に
関係をいたしておらない、市井の一文士でございます。ただ私が今日申し上げたいことは、さような市井に住んでおります一文士が、
国民の一人として今回提出されました
改正法案に対しまして
国民たちはどういう気持を持っておるか、そういう市井に住んでおります人々と一番接触の多い文士の一人のそういう声を、ちょっとお聞き願いたいと思って参ったわけでございます。(
拍手)
ただ、私の場合は
関係しております結社と申しますか、昔で申しますと結社が全然ないわけではございませんので、ただいま中河さんも申されましたようにペン・クラブと、それから私たち作家の職業団体でございます
日本文芸家協会、その二つの団体に
関係しております。
日本文芸家協会は御存じのように作家の職業団体でございまして、これは一種の主義主張を持つ、何かそういう多少とも政治的な
発言をする団体ではないのでございまして、作家の利益を相互に守りたいという団体でございます。この文芸家協会は御承知のように吉川英治さんを初めして、ほかに若い作家に至るまで六百名以上の、平たく言えば大体筆で食べております——そうでない方もございますが、作家が入っておりますが、これの中の
理事会というものがございまして、私も
理事の一員でございますが、この
理事会は今回の警職法の
改正案に対しまして
反対を表明しておるのでございます。(
拍手)ですから職業団体として
反対をしておるのでございます。
それからもう
一つ私が
関係しております団体はペン・クラブというものでございますが、これは御承知のように世界じゅうの国でもってペンを持っております人たち、従いまして作家とか劇作家とかそれだけではなくて、新聞記者の方たちも編集者の人たちも入りまして、各国が組織しております。イギリスならイギリスのイギリス・ペン・センターというのがございます。これは世界じゅうが入っておるわけではございませんので、ソ連とか中共というところにはペン・センターはございませんが、
日本にもそういう団体がございまして、そこに私は最近会長からのあれで専務
理事というのをさせられておるのでございます。これの
理事会がやはり今回の
改正案に対しまして
反対を表明いたしたのでございます。(
拍手)御承知のように去年の九月に非常に晴れがましい国際ペン大会というものを催しまして、世界じゅうのペン・マンが——新聞で御存じだと思いますが、ある
意味では不当にはなばなしく報道されたのでございますが、世界じゅうのペンの人が来まして、
日本の大会が非常にすばらしいということをあとで書いてきましたが、あの大会に際しましては、あのようにはなばなしくできましたことは、
政府からの多大の御援助がございましたので、本来ならば
政府が提出されました
改正案に対しまして、ペン・クラブの常任
理事といたしましては、何か賛成を部分でもいいからしておらなければ筋が立たないようなものでございますけれども、これは公私混同でございまして、やはり私ども筆で立っている
人間といたしまして、そういうものの集まりといたしましては、これに
反対せざるを得ないということはまことに残念な次第でございます。
最初にそういう
関係をいたしております団体が、なぜ
反対をしているかということをちょっと申し上げまして、それから私が最初に申し上げました
国民の一人として、市井に住む一作家、一文士としての気持を申し上げたいと思うのでございますが、両団体の
理事会が今回の
改正案に対しまして
反対声明をいたしましたのは、もうすでに説明の要がないことでございますが、周知のごとくでございますけれども、これは言論の自由ということに抵触しはしないか。言論の自由を著しく迫害、阻害されるおそれあるものと私どもは
解釈いたしたのでございます。これは
条文の中にございます
公共の安全と
秩序というところに対する、これは私どものあるいは拡大
解釈かもしれないのでございますけれども、言論の自由というものが阻害されはしないかというおそれがあるという点でもって
反対をいたしたのでございます。これは私ども文士がもっとエロなものを書きたい、もっと商売になるようなエロ・シーンのようなものを書きたい、もっと勝手ほうだいなことを書きたい、そうして書かせてくれ、そういうような
意味での言論の自由でもってそれが阻害されるというので、私ども文士どもがどうも困る、商売の妨げになるということで
反対しているのではないのでございます。今日はちょうど文化の日に当っているのでございますけれども、こんなことを私ども文士などが申し上げてはおこがましい次第でございますけれども、一般に国の文化というもののためには、この言論
活動というものの伸びやかな発表なり
表現なりというものの自由がなくては、国の文化というものは育たないというような
意味から、言論の自由ということを申し上げております。
なお言論の自由ということ、この自由が迫害されるのではないか、事実迫害されるという工合に私どもが
解釈いたしましたのは、ただ自由が迫害されるということでなくて、言論そのものも迫害され、束縛を受けるのではないかというおそれが多分にあるという工合に私どもは
解釈したのでございます。言論そのものに、何か
国民の言論の
表現並びに言論
活動に阻害がありますことが、国にとっていかに危険であるかということは、私ども戦争中身にしみて知っていることでございます。私は今回の戦争に対しましては、いろいろな
意見もございますけれども、私は必ずしもあれに対して否定的なことを申している
人間ではないのでございます。私の文芸春秋に発表されました「終戦日記」というものをお読み下さればわかると思うのでございますが、私は考え方としてはかなり保守的な考え方で、
日本があのような悲しい敗戦に導かれた、
日本が敗れねばならなかったということには、涙のとまらなかった一人でございます。いまだに同じような気持の
人間でございます。あのような戦争を引き起した、どうしたということではございません。あのような悲惨な戦争に終らなければならなかったということの
一つの原因は、やはり
反対意見——どうしたらあの戦争をあんな悲惨ではなくて終らせることができるかというような
国民の言論、そういうものを当時圧迫され、封殺されておった、一方的な言論しか通用しなかったというところに、あのような私どもがなめねばならなかった悲惨な悲しい敗戦というものを私どもから考えてみますと我田引水でなく、やはり言論というものの大切さが感ぜられるのでございます。今度の
改正案は、私どもは拡大
解釈かもしれません。拡大
解釈でないということを後に申し上げたいのでございますが、ただいまのは拡大
解釈かもしれませんけれども、そのようにお考えになるかもしれませんが、拡大
解釈してあれをただいま中河さんがおっしゃったように、女の子の何か公然わいせつ罪に匹敵するようなことを取り締ってくれたり、あるいは
警察官の方が自分の
生命を賭して凶悪
犯罪に立ち向って下さる努力に対して、私どもは哀心から感謝をいたしておるのでございます。そのことに対して私ども
反対いたしておるわけではございません。ただああいうような
法案がもし出ますというと、法の
性質上自然やはり言論の自由、そして言論
活動そのものが圧殺されるという、何か悲しい運命を必然的に持ってくるのではないかということで、今回の
改正案に対して遺憾ながら
反対せざるを得ないのでございます。
次に、私のつまり一文士として、
国民の一人としてのことを——非常に上ってしまいましたので、いろいろ申し上げたいことがここにたくさんございますけれども、どんどん抜かしてしまっておるようでございます。三十分というので、(「ゆっくりやれ」と呼ぶ者あり)あまりいろいろなことを言うとかえって逆効果になるといけませんので……。次に、私は終始一貫市井に住んでおります者として、官というようなところ、国会というようなところへきょう初めて参ったのでございますが、こういう多少とも——これは社会党の皆さんをも含めてでございますが、多少とも
権力というようなもののところに近づいたことのない、学校を出まして終始一貫市井に住んでおります
国民の一人として申し上げるわけでございますが、ついこの間も、私の非常に親しくしております漫画家がございますが、これがやはり市井に住んでおります
人間の一人としまして、電車に乗り合せましたところが、今度の警職法
改正案というようなものが、現在凶悪
犯罪があったり、青
少年のいろいろな不良化の問題があったり、それから一部の行き過ぎというようなことがあってまことに困る、現在の世相には困るけれども、あれが通るとやはり高見君、昔みたいなことになるのじゃないかね。——その人は何の政治的
意見も持たない、普通のおもしろい漫画をかいておる方でございますが、それで、昔のようになるって君どうしたと聞きましたところ、その方は九州の方で、昔東京へ絵を勉強に参って、そうして年に何回か九州へ帰省しておったそうでございますが、絵かきのことでございますので髪床代を倹約いたしまして、やはり少し安寧
秩序を乱すおそれのあるような格好をしておりましたものですから、ほんとうは安寧
秩序を守っている方の一市民であるにかかわらず、帰省中必ず「お前ちょっと来い」——僕は何も悪いことをしていないのだ、こそこそ不審な点があるのなら別ですが、「おいこら、お前商売は何だ」「絵かきです」「絵かきだ、それでは絵をかいてみろ」、絵かきでございますので持っておるものでかくと、なるほどうまくかきますので、「なるほどよしょし」、これは漫画家にとっては何でもない、つまらない
経験でございますが、若いときに心に植え付けられました屈辱感といいますか、自分は何もしてないにもかかわらず、何かしたという証拠が出た場合には
犯罪人扱いされることはいたし方がないけれども、何もしてないのに、おいこらでもって初めから
犯罪者扱いされるという悲しさは、
日本という法治国に住みながらどういうことであろうかという、若い時分に植え付けられた暗い思い出というものはいまだに忘れられない。ああいうものがもう一ぺんよみがえるおそれがあるのだったら、どうしてもこれは
反対せざるを得ない。(
拍手)今の若い人たちに、自分たちがなめたような、向うから
警察官が来ると、自分は何もしていないのに、何か、ああいけねえというような、法治国でもってああいう暗い日々を送らなければならないような、そういう目に今の伸び伸びと言ってきた学生——悪い学生だけでなく、いい学生もいる、そういう人にああいう目をもう一ぺん味わせたくないということを申しておったのでございます。(
拍手)
なぜそういう憂いを持たせるかというと、後ほど申し上げたいと思いますけれども、この
公共の安全と
秩序という言葉でございます。この「虞のある者」、すでに
犯罪を犯しておるという証拠があった場合に
犯罪人扱いするのではなくて、ただ単におそれあるという工合に一方的に認めた場合に、これは
国民全体を
犯罪人扱いせねばならぬようなこの
改正案に対しては、漫画家も、そして一文士も、やはり何か心穏やかならぬものがあるのでございます。これは昔治安
警察法というのでございましたか、私は文科出で
法律のことはちっともわかりませんので不調法でございますが、ただいま申しましたこの安寧を大急ぎで引いて参ったのでございますが、安寧
秩序を乱すおそれある者と認めたる場合には——どうも
公共の安全と
秩序というのは、昔私どもがおいこらとやられました安寧
秩序を乱すおそれあると認めたる場合、これは
警察官の認めた場合でございますけれども、そういうことが思い出されて、まことにこわいのでございます。
これはつまり過去の話であって現在と過去とはとんでもない大違いで、
憲法も違うし情勢も変ってきているのだから、過去の例でもって現在そんなことになるとおびえるのはとんでもない話だというような声を身辺で聞く場合もございます。おでん屋なんか行っていると、職人さんやなんか、そういうことを言う人がございます。そういう投書としまして、きのうの新聞に、そんなことのおそれはないかということで、こういうことが書いてございました。それは、
警察の方から午前九時までにやってこいという通知がありましたので、何事だろうと思って行ってみると刑事室に呼び込まれ、過日お前が質屋に入れた女物の和服——女物の和服を質に入れたらしいのですが、それは宮城県の山田弘行という方でございます。お前の家ではあのような着物を着る人がいないが、一体だれの品物を持ってきたか、窃盗の
疑いがあったわけでございます。そうすると、ここに書いてございますが、「私は失業しているので、離れて住んでいる母の着物を借りてきて、質屋から、それで一万円を借りたものであることを話したところ「コラッ、うそをいうな。
警察ではちゃんと調べてあるんだ。正直に話したらどうだ」と語勢も強く、まるで私が盗んできたかのような言葉をあびせ、犯人のような取扱いであった。母の品であることをくり返しのべると「そこで待っておれ」といって、刑事は碁を打ちはじめた。昼食も食べずに待っていると、母の品と確かめたのか午後三時ごろ帰された。」そうです。あとで、今度
改正案が通った場合には、大きなふろしき包みを持っていただけで警官に連行されることがあるような気がして心配でならないということを書いております。(
拍手)
これはやはり一市民の声として、私は実感として非常によくわかるのでございます。昔おいこらとやられた。それは昔の話だ、現在はそんなことはない……。なお後に申し上げたいと思いますけれども、今度の
改正案の提出者側では、乱用は絶対にしない、厳に戒めているとおっしゃっております。その
通りならまことにありがたいのでございますが、昔の思い出というものには
現実性がないとおっしゃる方が、むしろ
現実性がないので、十分やはりある。
現実にこういうことがある。それからなお私が今回ここへ来るために資料としていただきました人権擁護局というところへ提出されておりますいろいろな人権じゅうりん事件の中に、
現実にやはりかなりのものが存在しておるということは、拡大
解釈、乱用される
可能性だけではなく、
現実性がここにすでにあるということを考えたいのでございます。それゆえにこの
改正案というものは、何としてもやめてもらわないと、何だか心配でしょうがないという気持でございます。
よく今まで、こういう場合に治安
警察法でなくて治安維持法を例に出されておりまして、この治安維持法というのも、何かものの本を読みますと、歴史的な未曽有の悪法であるなどということが書いてありますが、私、治安維持法というものを、法科でありませんので実際読んだことがございません。ところが今度読んでみますと、これははっきり国体の変革を企てた結社、それの
関係者というものを罰するというだけの悪法、まあ悪法かもしれませんけれども、私としては、そんなに歴史的な悪法というような感じは
条文の中には何にも出ておりません。ところが
現実にこれが未曽有の悪法であるということは、もう皆さん御承知のように私ども——私も明治四十年生まれでございますが、私どもの年令でございますと、何か知らぬがこの治安維持法みたいなものであれされる。私どもはありませんけれども、身辺の学者、作家などが拷問で殺されたりした例もございますけれども、こういうものは拷問で殺してもいいという
条文があるなら希代の悪法ですが、
条文にはそんな殺してもいいということは書いてない。学者が学問的研究のために社会科学というものを勉強したというかどだけでもって、ひつくくられて牢屋に入れられたのですけれども、これはやはり希代の悪法だから、社会科学というようなものを学者が勉強するということが違法であるという工合に書いてあるかというと、
条文には何にも書いてないのでございます。
条文に書いてございますのは、あの時分よく目遂とか言っておりましたが、結社の
目的遂行のためにする
行為をなした者というので、たとえば私の友だちなどで、学生時分に——
昭和の初めでございますけれども、労働運動がすでにそのころは、何か大へん危なかった。ところが労働運動の方へ、まあ青年血気にはやるか、あるいは理想主義的な気持でもって、私どもの友だちで入ったのがおります。そうすると、親からの仕送りがないために非常に苦しくて、貧乏しておりますので、私の友人が
個人的に、非常にかわいそうだからお金を恵む、あるいは、ちょっと飯を食わせてやったりしたわけであります。そうすると、ただその人が
個人的に助けただけでも、彼がやっておりますその
目的遂行に援助したということでもって私の友人も豚箱に入れられまして、そうして拘留されてしまう。そうすると、住所不定というようなところへ——友だちから聞いたのでございますが、不定というところへ判こを押させる。不定じゃない、自分は現在こうこうこういう下宿屋にいますと言いますと、いや、お前は下宿屋にいても、現在は住所不定じゃないかというので、住所不定というところに判こを押させられた。そうすると、治安維持法というものでもって拘留したのじゃなくて、これは、つまり拘留処分の方は
警察犯処罰令、これも廃止になっておりますが、
警察犯処罰令の中でもって、「一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方二徘徊スル者」、これが三十日未満の拘留に処することができるわけでございます。そうすると、そういう学生は生業がないということ、それから住所不定ということでもって「諸方二徘徊スル者」こういうことでもって、その友だちがやられてしまう。つまり
法律自身が、
条文だけ見ますと何にも拡大
解釈のおそれがないかのごとくに見えましても、それの適用いかんによりましては、いろいろな
法律をこうやって持ってくると、たちまちふんづかまってそのために会社の人などは会社を首になったり、若い学生の場合には、とんでもないことから一生をふいにしてしまったり、あるいはそのためにからだを悪くした例が前にたくさんあったのじゃないか。そういう過去の例を見ますと、今度の
改正案というのも、私こういうものは実に読むのが読めなくて困ったのでございますけれども、一生懸命に読みますと、
条文には何もそういうことが書いてないのは、過去のこういう法令とそっくりでございます。しかしながらこの場合に、もしこれで何かしょうとした場合に、いやだと言ったら、すぐ公務執行妨害というので、今度は刑法上の問題で引っぱられてしまう。今度は——私これはちょっと責任を持って言えない、よく知らないのでございますけれども、破防法の問題だとか、女とアベックでいると売春防止法というようなものが出てきたり何かして、
国民に、私どもみたいな文士にそういう
法律上の危惧を抱かせるような
事態というものは、まことに不幸だという工合に
解釈するのでございます。(
拍手)
さような見地から、文芸家協会の
理事会、ペン・クラブの
理事会、その他御存じだと思いますけれども、学界でも、漫才をやったり落語家のような方でも、それからキリスト教の方でも、大体全部と申しますとしかられるかもしれませんけれども、私の考えますところによりますと、学界、それから文化界の人たち——先ほど声なき声というようなお言葉がありましたようですが、芸能界の方はまた何かやられて人気に差しさわっては困るので言わないけれども、大体のところ文化的の団体はこれに
反対しておるのでございます。ところがこの
反対理由として先ほど申し上げました乱用のおそれがあるから、拡大
解釈のおそれがあるからこわいのだと私ども申しますと、それはそれこそ拡大
解釈じゃないか、絶対に厳に拡大
解釈を、乱用を戒めるということを言明しておるのだから、そのようなことはあり得ないというのでございますけれども、これは文士の勘ぐりということじゃなくて、小説の筋などを考えますと、現在そういうことがありましても、いろいろ筋が進展しないと小説にならない、こういう天性の職業上の一種の習慣からいたしまして、絶対に乱用がされない大へんに仕合せな場合という
一つの筋と、それから不幸にして乱用される場合という次の筋を考える。この乱用された場合どうなるかということを考えるわけでございます。絶対ここでは厳に戒めると提案者側はおっしゃって下すっておりますけれども、小説の筋として考える。しかしこれは小説の筋ということでなくて、
現実にあり得るということを考えておるのでございます。そういたしました場合に言明した
方々は、あなた方現在乱用しないと言ったじゃありませんか、しかし乱用の事実が出てきたじゃありませんかと言った場合に、果してどういうことを言われるかというと、これは昔の
経験でもって私ども骨身にしみておるのでございますけれども、そのときにはもうその方はその立場にいなくなってしまう。どこか非常に出世してしまって、当面の責任者でなくて違う方がおる。そこで私どもうそをついては困るじゃありませんかと言いに行こうとしても、そこのところに行ってもしようがない。今度は係のところに行かなければならぬ。そうすると今度係の者は、この
法案を出したときにもはっきり、社会情勢の著しい変化に伴って
改正案は必要だというように提案者側はおっしゃっておりますが、またあのときとは社会情勢に著しい変化があったから、乱用ではなくて、これは正しい適用であると言われてしまうと、私どもは何にも言いようがございません。それからもう
一つ、それではその方ではだめならば、そのときちゃんと新聞なり何なりに記録がとってございますから、厳に戒めると言われた方のところへ行くと——役目が変っても、私どもが参りました場合に、その方が、自分は乱用を厳に戒めて現在の
法文に書いてある
通り、
条文通りのことをやるつもりであった、ところが人が違ってきたし、いろいろなことでこういうことになってしまったと言われてしまうと、しょうがないわけであります。この場合、私どもといわず、文士というものは大体にお人よしが多いのでございますから、現在乱用を厳に戒めるとおっしゃっておる
方々の言葉は、実はほんとうに信用するのでございます。その善意を信じたいのでございます。信じさせるようにしてほしいのでございます。現在乱用を戒める、そうして乱用は絶対にしないとおっしゃって下さっていらっしゃる
方々の善意を私は信じたいのであります。ところがほかの人がそれを踏みにじったその場合に、私どもが信頼いたしましたその方たちに対しましても、その善意、その
人間そのものをも疑ってかからなければならないような悲劇になるわけでございますので、絶対に乱用をしない、乱用を戒めるというのは、
個人の方が役目としておっしゃっておることでなくて、
政府がおっしゃっておることであります。この
政府が後に乱用をいたしました場合には、今度は
政府が
国民に対してうそをついたということになります。私どものような市井におります
人間たちに、
国民たちにうそをついてごまかして通しておいて、あとで乱用したという工合の私どもとしては印象になってしまう。そのことを、小説家、文士でもやはり国を憂え、
日本文化を憂えておる
人間でございます。そういう
人間といたしまして、
国民に
政府に対するそのような不信を植え付けるようなことがあっては、これは大へんなことだ、道徳教育も何もへったくれもないことになり得る、かようなわけで、
反対をしておる次第でございます。(
拍手)
なお私が先ほどこの
改正案に対しまして、どうも賛成するわけに参らないということを申しましたときに、今までの言葉の論理から申しますと、この
法律そのものは危険はない。もう一度申し上げます。今回の警職法の
改正案の
条文を見ると、それそのものには何も危険がないけれども、これを乱用された場合には大へんなことになるという工合に私は今申し上げたわけでございます。そういたしますと、この
法律を実際的に運用するのはだれか、この運用する人によってだめになってしまう、悪用されるという工合に論理的に進んで参る。そうすると今度のあれは全部主語といたしまして、「
警察官は、」何々で始まっております。そのときに
警察官のとっさの思いつきと言ってはあげ足をとられると困りますけれども、そうではございません。とっさの判断でもって認定していく。そうするとその場合に、
警察官に対して、実に神のごとき正しい良識をこの
法案というものは押しつけることになると思うのでございます。そういう点、つまり私どもの方では——だんだん疲れてきたのでうまく言えなくなりましたが、私の申したいことは、この
改正案それ
自身には危険はないけれども、運用に危険があるということが正しくないということではございません。直ちにそういうこともある。しかしながらその
改正案そのものの中に、これはだれが言っても、私は現在の
警察官が質が低いとかなんとかいうことではございません。先ほども申し上げましたように、
警察官に対しましては敬意を表しておる者でございますし、学生——やや私の文士的
表現をすると、親のすねかじりの学生が勝手ほうだいなことをしておりましたときに、やはり大学へ入りたかったに違いないにもかかわらず、いろいろな事情から大学に入らずに、
国民の
保護の任に当る
警察官に——普通の巡査の方でございますが、
警察官になられた人たち、私たちの言葉でいえば、日の当っておるところでもっていい気になっております大学生諸君と、同じ年令でありながら日の当らない青春を過して、しかもなお
法律を守るためには死を賭さなければならない人たち、そういう人々の運命というものも学生諸君は思わなければいかぬという文章を私は書いたごとがございます。私は何も
警察官を喜ばせるために書いたわけではございませんけれども、大へん向うで喜ばれまして、
警察新聞に載っかったことがございます。私は何も昔おいこらと言われた
個人的な恨みつらみから、今度またやられるのじゃないかというような
個人的感情でもって、
警察官が運用をしたらこわいと言っているのじゃないのでございます。現在の
警察官の質の問題とか、そういうことじゃない。これは今回だけではございませんが、私どもにも前から送っていただきました提案の説明の中にも、非常にこれを戒めまして、
警察官の質の向上をはかって、真に民主的な
警察にしたいということを誓うものであるという
警察庁からの言葉がありました。それを私は市井の一市民として期待し、また信じるのであります。しかしそのような
警察でも、現在のこの
改正の場合には必ず乱用されるということがこわいのであります。
改正案が乱用されるからこわいというのじゃなくて、
改正案自身の中に、これは現在の警官だけじゃなくて、だれがやっても必ず必然的に乱用へと導かれていくものが内在しているということが、私どもの最大の不安なのでございます。(
拍手)
実はここでいろいろなほかの方への
意見があったのでございますが、時間があまりございませんので省かしていただきますけれども、ちょっと申し上げたいことがございます。それはそのことでございますが、
改正案の乱用がこわいというのじゃない、
改正案そのものが私どもとしてはこわいということ、だからどうしてもこれに
反対せざるを得ませんし、私ども
国民としてはやめていただきたい。昔私どもの若いころでございましたが、もち代かせぎという言葉を聞いたことがございます。年末になりますと何だか検挙が多い。何でもない研究団体でも引っぱられて、あいつは赤だというと、
目的遂行のためとかなんとかいうもので、どうも年末になるとやられた。何でというと、あれは警視庁の
警察官のもち代かせぎだという。そのときは私は何げなく聞いておりましたけれども、だんだんと私どもこのくらいの年になりますと、このもち代かせぎということは
警察官だけの心理じゃございません。私など市井におりますと、特にもち代をかせぎたいのでございます。そのもち代かせぎという言葉は非常にいやな言葉でございますけれども、これは
警察官だけが持つ気持ではないということ、つまり私は
警察官だけを糾弾しているのではないということでございます。もち代かせぎという心理はだれにでもあることで、人情でございますので、人情では昔も今も変りがありません。ということは、昔も行われましたことは現在も行われるということでございます。私ども、
人間がどうしてもこういう古い
人間でございますから、
職務に精励というか、
職務に忠実でありたい、
職務というものを忠実にしたいという気持があるわけであります。これは
警察官も特にあるだろうと思うのでございますが、
警察官の場合だけではなくて、だれでも
職務に忠実になりたいということを、ちょっとはずしますと、何か昔の軍隊用語でいうと功績をかせぎたい、成績を上げたいということになります。また一般的にお役所というところは、何かしないと成績が上らないと見られますから、一定の成績を上げるようにさせられておる。自分
自身も
職務に忠実で成績を上げたい、両方でもって、腹背では困ってしまいますが、うしろからと両方から突っつかれます。これは
警察官だけではありません。私たちだれでも——皆さんは違うかもしれませんが、私たちだれでもがもち代をかせぎたいし、成績はよくしたい、
職務に忠実でありたいと思うのでございます。そういたしますと今度の
改正案の中にありますいろいろなことから、初めはこんな小さな釣ざおでも、そのうちには網に、そしてだんだん大きな網の方が成績が上ってくる。これは悪意でも何でもない、
人間の人情としてそうなるのが必然である。そう考えますと、今度は乱用のおそれがあるというだけでなくて、この
改正案そのものの中に、どうしても必然的に乱用せざるを得ない、むしろ積極的に
人間を乱用へとそそのかすようなものが内在されておるというふうにしか、実は考えられないのでございます。(
拍手)
時間がありませんのでもうやめさしていただきますが、一言申し上げたいことは、私一人でもってこんなところに出て、柄にもないことをしておるのは、やはり私ども文士だけでない、
国民たちも、賛成の方もいらっしゃるだろうけれども、今度はこわい、何だかこわいと言って
反対しておる人が非常に多いということを、お心の中に入れていただきたいのでございます。それから特定の昔の年代の戦前の者はみんなこわがっておる。現在の民主
警察を知っておる人はこわがらないというふうに申しておりますけれども、二、三日前にやはり作家の若い戦後派と言われる人たちが集まりまして、今度のは何かこわい、戦前に体験したとしないにかかわらず、
個人的な
経験を越えた重大かつ深刻なものを感ずるといって、やはり若い世代も何か不安を感じておるのでございます。もう
一つそういう場合に言われますことは、拡大
解釈され、そして乱用されることは、先ほどからるる申し上げておる大事なことでございますけれども、過去のことを現在に持ち込んできてそういうことを言う。言いかえれば被害妄想だ、ありもしないことを何かそんなことになりはしないかとおびえておる被害妄想じゃないかと言われるのでございます。これが被害妄想であればこんなにありがたいことはないわけでございます。ただしかし被害妄想でありましても、現在
国民が、これが出たということだけで、何かこわいことになるのじゃないかとこわがっておる。この恐怖感、この不安感というものは、否定すべからざる事実でございます。ただ出ただけで、すでに
国民に暗い影が
現実におおいかぶさっておる。さらにこの
改正案が万一にでも——私は通るとは考えておらないのでございますけれども、万一にでも通った場合に、将来
日本国民の上に何か暗い影が落ちるということだけは
現実に考えられるのでございます。せめてこの暗い影を落さないように、今度の
改正案に対しましては、
国民の一人として絶対に
反対さしてもらわねばならぬというところでございます。長々と御清聴を感謝いたします。(
拍手)