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1958-09-11 第29回国会 衆議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年九月十一日(木曜日)     午前十時二十七分開議  出席委員    委員長 坂田 道太君    理事 稻葉  修君 理事 臼井 莊一君    理事 木村 武雄君 理事 永山 忠則君    理事 原田  憲君 理事 小牧 次生君    理事 櫻井 奎夫君 理事 辻原 弘市君       加藤 精三君    清瀬 一郎君       鈴木 正吾君    徳安 實藏君       松永  東君    増田甲子七君       八木 徹雄君    山本 勝市君       西村 力弥君    野口 忠夫君       長谷川 保君    原   彪君       堀  昌雄君    松前 重義君       本島百合子君    山崎 始男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 灘尾 弘吉君  委員外出席者         法制局参事官         (第一部長)  亀岡 康夫君         警察庁長官   柏村 信雄君         警  視  監         (警察庁警備局         長)      江口 俊男君         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君         法務事務官         (人権擁護局         長)      鈴木 才藏君         検     事         (公安調査庁次         長)      関   之君         文部政務次官  高見 三郎君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤誉三郎君         文部事務官         (大学学術局         長)      緒方 信一君         労働事務官         (労政局長)  亀井  光君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 八月二十九日  委員西村力弥辞任につき、その補欠として神  田大作君が議長指名委員に選任された。 同日  委員神田大作辞任につき、その補欠として西  村力弥君が議長指名委員に選任された。 九月四日  委員加藤精三辞任につき、その補欠として金  子岩三君が議長指名委員に選任された。 同月五日  委員金子岩三辞任につき、その補欠として加  藤精三君が議長指名委員に選任された。 同月八日  委員加藤精三辞任につき、その補欠として一  萬田尚登君が議長指名委員に選任された。 同月九日  委員萬田尚登辞任につき、その補欠として  加藤精三君が議長指名委員に選任された。 同月十一日  永山忠則君が理事補欠当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の互選  学校教育に関する件  社会教育に関する件      ————◇—————
  2. 坂田道太

    坂田委員長 これより会議を開きます。  去る八月二十八日当委員会におきまして、教職員勤務評定に関して熱心なる討議が重ねられました。御承知のごとく、世論はあげて勤務評定問題を重視して、これが動向を注視いたしておる現状であります。教育問題は政治問題へと重大な関心事を引き起しておるのでありまして、当委員会は今後の文教行政考えますとき、きわめてその使命の大なることを痛感いたすものであります。そのため、国会閉会中ではありますが、各位の御出席を願い、来たる十五日の勤務評定反対闘争日を控えまして、委員会を開会いたした次第であります。国会を通じてこの問題を究明し、国民の前に明らかにしていただきたいと念願するものであります。  それでは学校教育に関する件、社会教育に関する件につきまして調査を進めます。本件に関し、教職員勤務評定に関し質疑の申し出があります。これを順次許します。稻葉修君。
  3. 稻葉修

    稻葉委員 私は文部大臣のほかに労働大臣警察庁長官自治庁長官公安委員長、並びに法務大臣人権擁護局長等出席を要求してあるはずであります。まだお見えになりませんが、どういうわけですか。
  4. 坂田道太

    坂田委員長 稻葉委員にお答えいたしますが、国家公安委員長は、午前中は公安委員会等が開かれておりまして、出席できない旨通知がございました。ただし午後になりましたならば出席できるというようなお話でございます。労働大臣は、ただいま申し入れをしておるわけであります。法務大臣も、今申し入れしております。まず文部大臣からお始めをいただいて……。
  5. 稻葉修

    稻葉委員 警察庁長官はいかがですか。
  6. 坂田道太

    坂田委員長 警察庁長官は見えます。
  7. 稻葉修

    稻葉委員 それでは、出席されておる文部大臣にまずお尋ねをいたします。  去る九月六日から行われました道徳教育指導者講習会は比較的に事なきを得て済んだというように聞いております。しかしながらこれは初めお茶の水大学でやるというのを、途中で会場を変更して上野へ持っていって、それを阻止しようという連中に肩すかしを食わしたのであるというようなふうに聞いておりますが、いやしくも道徳教育という場合には、肩すかしを食わせたりうそをつくようなことをしてはならないのであります。どうも何かこそこそ悪いことでもしているような、たとえば去る何日か、エリコンの陸揚げのときに、悪いものでも運ぶかのごとく、そんな危険なものなら持ってこない方がいい、国防上必要だというなら堂々と運んだらいいことを、どうも近ごろの政府のやることは姑息因循で、集団的暴力行動に脅かされてそういう態度をとっているかのごときは、道徳的に正々堂々たる態度ではありません。あたかもお茶の水大学で行うがごとく見せかけて、さっとバスか何かで受講者を運んで、裏側から抜き打ちみたいなことをやって、何が道徳教育指導者講習会ということになりますか。この点どういうふうにお考えになっておるか、文部大臣の所見をただします。
  8. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 政府計画いたしております道徳教育講習会を開くにつきまして、まことに理解に苦しむところでございますけれども、前々からこれを阻止するということが伝えられておるわけであります。まただんだんとその実行計画も進んでおるようにわれわれは承知いたしたのであります。今回の道徳教育講習会会場につきましては、一々新聞に発表いたしたわけでもございませんけれども、さような状態のもとにありますので、万一開催が不能になるというようなことがあっては、せっかく地方から上京して参っておられます熱心な受講者にもお気の毒であり、われわれといたしましても講習会の目的を達する上において、非常に遺憾なことでありますので、実は会場を二ヵ所予定いたしておったのであります。まず第一に考えましたのは、第一の予定の場所としましてお茶の水考えておりました。それができないような状態であるならば第二会場をと、こういうような準備をいたしておっ たのであります。決して急に変えたとかなんとかいうわけではございません。前の日になりましていろいろ情報を伺っておりますと、かなり大がかりな妨害戦術計画しておるということであります。そういうようなことになりますと、なるほどこれを突き抜けてお茶の水学校でやることもやってやれないことはないと思いますけれども、しかし場所学校であります。お茶の水大学に対しましても非常に御迷惑をかける。同時にまた交通のひんぱんなところであります。そういうふうなところでいたずらにもみ合いへし合いして、せっかくの講習会を台なしにしてしまうということはわれわれの忍びないところであります。そこで、さような状態であるならば、むしろお茶の水に行って激突するよりも、第二の候補といたしておりましたところの上野の博物館の講堂にしようということで、前日から実はそのつもりでおったわけであります。講習員を一カ所に集めまして、これに対して警官の警戒をわずらわしまして参りましたというようなことは、今日の日本といたしまして、白昼公然と、東京でさような政府の主催する講習会妨害するというような事実があるということは、まことに遺憾千万なことであります。しかしながらわれわれといたしましては、道徳講習会というものはやる必要があるということでこの計画を立てておるわけでありますので、これはあくまでも遂行したい。同時にできるだけ講習生に迷惑をかけないように、世間にも迷惑をかけないように、こういうようなつもりで実は上野を選びました次第であります。従って上野で始めまして以来最後まで上野でやりましたような次第であります。
  9. 稻葉修

    稻葉委員 伝えられるところによりますれば、日教組では去る八月二十三日、二十四日両日、東京において全国代表者会議を開きまして、九月十五日に実施する第一次全国統一行動について具体策を討議し、この会議の決定に基いて八月二十七日中央執行委員長名義で各都道府県日教組委員長あて指令第二号を発したと聞いております。これを秋季闘争速報第十四号と呼んでいるそうでありますが、その内容は、九月十五日の正午授業打ち切り闘争や、文部省主催の、ただいまも質問を申し上げましたブロック別道徳教育伝達講習会拒否闘争を強力に戦うよう指令しておるのであります。どうもこうなりますと、われわれの切に望んでおる教育界の平和はまさに危殆に瀕していると思いますが、この秋季闘争速報第十四号の要求する事項は、第一に、勤評実施の中止、管理職手当の廃止、第二に、教育課程改悪反対、第三に、一律二千円ベース・アップ、最低賃金制獲得、一〇〇%昇給、第四、教育予算大幅増額、第五、労働三法の完全適用、すなわち職員組合ではなくて完全なる労働組合として扱えという要求、第六は、官憲及び行政当局による不当処分反対、これを実行するためにすわり込みを含む強力な交渉を、九月十五日を目標として統一行動を展開せよ、こういうのが大体の要領と聞いております。そこで、この第一、勤評反対闘争の具体的な内容として、どういう行動をとれとこの秋闘速報第十四号は指令しているのか、おわかりならばその点を明らかにしていただきたい。
  10. 内藤誉三郎

    内藤説明員 教育関係につきましては、最低十五日を期して正午授業打ち切りと、もう一つは登校拒否指令しておるのでございます。
  11. 稻葉修

    稻葉委員 そういうきわめて抽象的、簡単なものでございますか。もっと相当に強烈な実行行動に移るようなことになっていると聞いておりますが。
  12. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私どもはその指令の実物をまだ手に入れておりませんので、新聞報道によりますと、さように述べられておるのであります。
  13. 稻葉修

    稻葉委員 それでは私の方から具体的に質問をいたします。  この休暇闘争を軸とする統一行動のほかに、本務外勤務拒否闘争日当直とか、そういうことの拒否闘争雑務拒否教育委員会側の招集による諸会合の拒否校長勤務評定を提出するという義務、すなわち勤評義務存在確認請求行政訴訟闘争とあわせ用いよ、機会あるごとに校長に対しては圧力をかけて、説得して勤評を出さないように働きかけよという指令を出しておるそうでありますが、ほんとうですか、うそですか。
  14. 内藤誉三郎

    内藤説明員 今お尋ねの件につきまして、私どもも出しておるというふうに聞いておりますけれども、詳細につきましては的確な資料は入手いたしておりません。
  15. 稻葉修

    稻葉委員 道徳指導者講習会出席をした受講者に対しては、受講してはいかぬというので、汽車の中にも乗り込んできて、日教組組合員が一人に一人、あるいは二人ついてこれを阻止するという、そういう説得方法をやったという報告はありませんか。
  16. 内藤誉三郎

    内藤説明員 いろいろな妨害が加えられたように伺っておるのであります。特に宿泊所には電報その他で出席拒否するように、あるいは宿屋に参りまして面会を求めたり、あるいはお尋ねのような車中の件もあったかと思うのでありますが、いろいろな方法によって妨害が加えられたことは事実でございます。
  17. 稻葉修

    稻葉委員 そこで、この点について、人権擁護立場から人権擁護局長お尋ねを申し上げます。  去る八月二十八日のこの委員会臼井委員原田委員等から事例をあげまして、従来、教員組合員教育委員や、あるいは教育長や、あるいは闘争に参加することをちゅうちょする教員に対して、種々なる人権じゅうりん的圧力を加えたという事例をあげました。三重県四日市教育長自殺事件高知県のバケツに小用を足さしたというような事件和歌山雑賀崎における教員圧迫事件というようなものをあげられまして、人権擁護局としてはこれらの人権じゅうりんの疑いのある事柄について、現地からの報告を徴したというが、どうもその調査方がずさんではないか、もう一ぺんよく調べろというような要望があったはずであって、そのときの局長答弁は、なおよく調査しましていずれお答えをいたします。こう言っておられたのですが、その後の調査の結果の御答弁を承わりたいのであります。
  18. 鈴木才藏

    鈴木説明員 実は四日市事件雑賀崎事件高知における事件は、ある程度の取り調べをいたしましたけれども事件の性質上その真相をつかむことが非常に困難をきわめておりまして、私といたしまして、今ここに人権擁護上の結論は出すまでに至っておりませんことはまことに遺憾でございますが、近く皆様に御報告できます段階になると思います。
  19. 稻葉修

    稻葉委員 調査が遅々として進行しないようで、はなはだ遺憾でありますが、今回の日教組中央指令に基く大規模な闘争では、おそらく勤務評定提出義務を、校長にいろいろな手段で圧力をかけ、あるいは教育委員会に対しても、団体交渉と称して大勢が少数をとり囲んで、長時間談合すると称して、ほとんど幽閉に近いような人権じゅうりんが行われることが予想されるのであります。私は、従来のこれらの明確なる事例をあげて質問された事項に対し、人権擁護局長調査をするといっておられながら、いまだにその報告ができないような状態ではまことに将来が危ぶまれる次第であって、あとで法務大臣が来たら、この答弁では満足しないゆえんを訴えて、明確なる答弁を得たいと思います。ただいまのところは先へ進行いたします。  この指令の中には、全学連との連絡共同闘争指令しておるのであります。共闘ということを強く打ち出しておるのであります。第十七回日教組大会全学連から出したメッセージの中には、全学連決議としては、勤務評定反対闘争を強力に展開するから、日教組もしっかりやれというメッセージを送っておって、日教組大会ではこれを非常な拍手をもって歓迎しておる、そもそも全学連共産党さえもてこずらすような極左分子の集まりであるというが、その実体はどうなのか、去る四日の道徳教育指導者講習会において動員された高等学校生徒などがありますが、これは全学連によって動かされたといわれておる。いやしくも未成年者、まだ高等学校生徒でございます。これをこういう政治的な実践闘争にかり立てておるというのは、いかにもむごい行き過ぎたやり方ではないかと私は思うのであります。一体全学連実体というものはどういうことになっているのか。公安調査庁の御答弁を承わりたい。
  20. 関之

    関説明員 お答えいたします。全学連全国約百数十の大学程度学校学生自治会連合会ということに相なっておるわけであります。ところでその構成員は現在約三十万近く、二十九万くらいかと思うのであります。ところがこの全学連はなるほどそういうふうな学生の多くのものの集まったものでありますが、実はその中に私ども共産党員が約二千ほどいると推定しております。しかもこの二千の共産党員がきわめて矯激な思想の持主であるという点に特徴があるわけであります。しかもこの全学連の中枢の三十人の執行委員がおりますが、そのほとんど大部分が共産党員によって占められておる、こういう事情に相なっておるわけであります。それでこの全学連二十九万を率いるところの二千ばかりの共産党員考え方でありますが、これはわれわれ学生はきわめて社会の動きに敏感である、しかも行動はきわめて敏捷活発にできる、こういうようなことによって、われわれはプロレタリア階級との提携強化、そしてその先頭に立って革命運動を推進するというような規定づけをみずからの使命にいたしておるのであります。そういうような考え方をもちまして、この全学連が今度の勤評闘争のまことに矯激な運動を展開しておるわけであります。それで、この勤評闘争におきましては、本年の四月ごろ全日本青年学生共闘会議というものが結成されました。この中には民主青年同盟全学連、そして総評あるいは社会党の青年部等の者が参加いたしまして、当初は選挙運動とかいろいろな問題について活動いたしたのでありますが、これがこの勤評闘争に全力をあげて参加して参っているわけであります。これらの背後には、今申し上げたような矯激な党員がおりまして、しかもこれらの党員は、お話通り共産党さえてこずっておる党員でありまして、共産党はこれを称してトロツキストとののしっております。実は六月一日に、学生党員派閥闘争の解消のために共産党代々木本部に呼びまして、話し合いをいたさせようといたしましたところが、かえって本部が占拠されて乱闘が起って、共産党でもかつて見ないような乱闘が起きたというようなことを申している。それほど矯激な連中がいるわけであります。それらの者は、共産党でも困りまして、除名その他の処置をとったのでありますが、これらはれっきとした共産党員であり、委員長香山健一、副委員長小島弘書記長小野寺正臣、あるいは中央執行委員志水速夫等々の連中は、共産党でもてこずるところの矯激な分子なのであります。いわば共産党でも共産主義の中の極左というような立場になっておるわけであります。そのような者がこの勤評闘争にも踏み込んで参りまして、具体的な実例としては、例の和歌山県の事件であります。和歌山県の事件におきましては、例の七者共闘というものが結成されたのであります。これは和歌山県の和教組県高教組、あるいは教育庁の職組を中心にして、その中に和歌山大学自治会が入っております。実は全学連はこの七者共闘の中に入っておりませんが、その和歌山大学自治会を通じて、全学連がこれに強力な圧力をかけたり、本部ないしはその付近の大学、あるいは、京都、大阪等の各大学から、あのときは数十人、あるいは百数十人の応援隊をかり出しまして、これを強硬に推し進めた。例の十六日の問題のごときは、やはりこの全学連の強硬な分子の言動なり活動力というものが、相当のウエートをもってこれを指導し、あるいは強行したものであろうと判断がなされるわけであります。  なお、今の御質問の中に、この数日来新聞に出ておりまする高等学校学生デモというものが登場しておりまするが、それについて続いて若干御説明しておきたいと思うのであります。この問題は、もう新聞によって大体御承知のことと思うのでありますが、九月三日、数十名の高等学校学生デモをかけたということであります。さてそのデモをかけたのは一体どういうような団体によって行われたものであるか。そのデモを行なった団体は、勤評反対高校生行動委員会、こういう団体によって行われておるわけであります。さらにその団体背後にあるものとして原水爆禁止高校生徒会連絡協議会というものがありまして、どうもこれが母体になっているようであります。これを原水高協と呼んでおりますが、この原水爆禁止高校生連絡協議会背後に何があるかと申しますと、社会主義学生同盟社学同というものがあるのであります。この社学同とは何であるかと申しますと、これは学生分子の中における活動分子集団、特に共産主義的活動分子集団、こうわれわれは考えているわけでありまして、その構成員は約千八百、この中における共産党員約一千、大体こういうふうに想定されるわけであります。これは全国の多数の高校支部があり、しかも、たとえば東京でありますと日比谷、西高、新宿、青山を初めとして、全国二十五の高校にこの支部が結成されているわけでありまして、高校分野は、学生運動立場から申しますと、まだこれからの未開拓の分野でありまして、今の民主青年同盟、そして全学連と今の社会主義学生同盟等が、今高校分野に向って触手を伸ばしつつあるのが現状であります。そういうふうにどんどん下の方に矯激な組織が浸透してきたというのが現状であります。これらの社学同学生、特に共産党さえてこずるような矯激なものを持っているところの共産分子学生に指導されたものが、どうもこの間の高校生デモ関係があるであろう、こういうふうに大体判断される次第であります。
  21. 稻葉修

    稻葉委員 そうなると事はまことに重大である。文部大臣お尋ねいたしますが、高等学校生徒というか、まだ未成年であるそういう者までも動員することを阻止するには、何らか文部大臣としての職務権限内で処置できないものであろうかと思うのでありますが、高等学校の教師は、一体これらの未成年生徒政治闘争、これをいかにしっかり補導を行なっているのであろうか。行なっていないとすれば、あるいは県の教育委員会がそういうことをしっかりやらないとすれば、地方教育行政組織及び運営に関する法律に基いて、大臣職務として、都道府県教育委員会に対し、よく補導するように指導勧告処置をとられる意思はないか、お尋ねいたします。
  22. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先日の東京都内における高校生デモの問題でございますが、私、今さらながら実は非常に驚いたようなわけでございます。がく然としたと申し上げてよろしいと思います。同時に、いわば心身の発育盛りと申しますか、さような状態にある高校生のあの状況を見まして、教育をお預かりいたしております者として、まことに国民の皆さんに申しわけないことと私は思っております。何とかこの状態を改善しなければならぬことは申すまでもないことでございます。事件の実態あるいはその背後関係、平素の高校教育の実情というふうなものにつきまして、さらに一段と精査を遂げまして、必要な措置を講じて参りたいと存じます。
  23. 稻葉修

    稻葉委員 先般勤評問題がこういうふうになってきますや、高等学校生徒に対して組合刷りものを渡されまして、私の子供も、日比谷高等学校でこういうものを渡されたと言って持ってきたものを見ました。それには、勤務評定を実施すると戦争になると書いてある。どういう原因、結果となってそういう結論が出るのか。昔私ども穗積重遠先生時代法律の講話には、風が吹けばおけ屋がもうかるということを言う、原因結果、原因結果をたどっていくと風が吹けばおけ屋がもうかるということになるそうです。それと似たような、それならばまだ理屈になるけれども勤務評定を実施すると必ず戦争になるのだ、こういうことをまだ批判力もひよわい高等学校生徒に渡すのでは、そうか、戦争になるようなことじゃ、命を投げ出してもこれは阻止しなければならぬという気持に、単純な生徒はなるでしょう。勤務評定をやれば戦争になるというならほんとうにわしらも阻止する。どういう理由があるのか、その辺の事情をお知りになりましたら、無理かもしれぬが、お答え願いたいと思う。
  24. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私も実は高校生、これは夜間の高校生でありますが、学校ガリ版刷りのものをもらってきたのにつきまして見ました。今お話のように、われわれから考えますと、一体論理というものがどこにあるかということがわからないようなものが出ておるわけであります。何ともはや理解に苦しむところでございます。これは私は、必ずしも個々の先生がさような考えを持っておるとは思いません。これに対して十分な批判力を持っておる人がたくさんあると思うのであります。いかんせん組合組織という名のもとに、組合上層部から流されてくるものをそのままに伝えておる先生が多いのじゃないか、こういうふうに実は考えまして、切に教職員諸君の自覚と勇気を期待いたしておる次第であります。日教組といたしましては、しばしば新聞その他でわれわれも見ておりますように、また大会の宣言、決議等で見ておりますように、現在の政治戦争につながる、勤務評定戦争を準備するものである、こういうふうなことを公然と申しておるわけでございますので、かような趣旨のものがだんだん下に回っていくものと考えるのであります。まことに遺憾千万なことであります。
  25. 坂田道太

    坂田委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  26. 坂田道太

    坂田委員長 速記を始めて。長谷川保君。
  27. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 いよいよ十五日も近づいて、日本の教育史上いまだかつてない段階に立ち至っているわけであります。私はこの際、何とかしてこれを打開する道を求めたい、何とかしてこの教育史上類例のない重大な段階を切り開いていく道はないであろうか、その道を求めて、きょうここに質問に立ったわけであります。  質問の本論に入るに先だって、私はまず一つのことを聞いておきたい。それは文部省のやり方等を見てみると、今度の危機を意識的にか無意識的にか、ことさらに増大しているという傾向が私には考えられる。まず第一に、これは国民諸君もその関係もあって混乱していると思うのでありますが、十五日に半日休む、東京都などは実際においては小学校は午後はやらないのですから、何ら影響はない。半日休むとまあ二、三時間であります。そのこと自体私は大した問題じゃないと思う。まずこのことを文部省はどう考えておるか、あまりヒステリックにそれにしがみついておるのじゃないか、こう思うのであります。大臣、どうお考えですか。
  28. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私はこの十五日に半日休むということがそれほど簡単なこととは思っておりません。平常の場合にときどきそういうこともあるということはよく承知いたしております。学校の都合でいろいろそういう場合もありましょう。しかし学校にはそれぞれの先生に対する勤務なり執務のことは計画がある。その計画なりを破ってあえて休むということになりますと、これは穏やかでない。ことに今回の場合におきましては、勤務評定反対運動を貫徹いたしますために、学校の方針に反して休む、そういうふうなことになるといたしますならば、これはきわめて重大であると申さざるを得ないのであります。さようなことのないことを私はひたすら願っておる次第であります。
  29. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 だから今のお話にもあるように、二、三時間休むこと自体は幾らでもやっておることで、振りかえ授業でも何でもできることである。こんなことは一年中幾らもやっておることで、やっさもっさやっている。そら講習だといって先生は休む。二、三時間くらい休むことは何でもない。それからおそらく大臣もそうだったろうと思うが、よく国から大臣が出ると旗行列、日の丸の旗を持って迎えに出る。実際よく小学校、中学校先生たちを動員して教育委員会が歓迎させる。そんなことでよくつぶれる。僕の地元では太田何がしという代議士がそういうことをやった。だからその休むこと自体は何でもないと思うんだ。それをいかにも大げさに考える。国民諸君は自分の子供のことだからそれにつかまってしまうということで、そこに非常に混乱があると思う。問題は二、三時間休むことなどは何でもないので、そんなことは休んでも休まなくても、振りかえは幾らでもできる。問題は、そのうしろにある政治的な対立、それが問題だと思うんだ。休むこと自体は大した問題じゃない。私はどうも今度のことを見ると、文部省は知恵がないと思うのですよ。二、三時間休むなら休んでもいい。君たち教育のことは重大に考えておるだろうから、教員諸君は休んで十分討議してもいい。振りかえ授業もやりなさい、教室でも何でも貸してやるという態度に出て、文部省がもう少し教職員に対する愛情を示せば、これほど問題にならぬ。万事が万事そうだ。それがいかにもそうでない。僕は対立という問題は今日実に重大であると思う。一体文部省はこの事件が起ると、始めから終りまで厳罰だ、厳罰だと、ばかの一つ覚えのように言っておる。教育なんというものは、罰でできるものじゃないでしょう。私はそんなものじゃないと思うのだ。納得と話し合いが基礎だと思うのです。だから、そういうばかの一つ覚えのようなことを言っているけれども、そういうことが問題だ。今度の事件で、あなた方は日教組の悪口ばかり言って歩いているけれども、どこが一体悪いのか。まず今度の事件を通して、あなた方が考えていることを明確に簡単に個条書きにして言ってもらいたい。
  30. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 長谷川君はきわめて手軽におっしゃるのですが、私は今度の反対闘争はそんな手軽なものとは実は考えておりません。御承知のようにたくさんの個条はございません。御承知のように勤務評定を今日地方教育委員会において実施いたしておるわけであります。また実施の過程にあるわけであります。これに対しまして公務員が反対闘争をするということは、許されないことであります。これをあえていたしておるのでございまして、私はかような事態はぜひ一つ反省して、ないようにしてもらいたいということが、衷心からの願いでございます。ただいま文部省はすぐに罰するということを仰せられましたけれども、これはわれわれいささか迷惑しております。何かというと、報道関係の諸君もいらっしゃいますが、報道関係の諸君はそういうことをおもしろがって書き立てる。こうなったらどうなるか、こうなったらどうなるかという質問をしばしば受けるのであります。そういう場合に、法律上はこうなるというお答えをしますと、直ちにこれが、文部省は大だんびらを振り上げた、こういうような報道となって現われてくるわけでありますが、われわれの本旨とするところではございません。私どもといたしましては、さような間違った考え方をやめて、本来の正しい先生の姿に戻ってもらいたい。このことのみをひたすら希望いたしておるわけであります。この十九日の事態に対しましても、今もって私はこの希望を捨てていない。ぜひ一つ反省していただきたい。このことを衷心から願っております。
  31. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私は文部大臣ほんとうに将来を願っておるなら、道はあると思います。道はあると思うのだが、今の話で争議行為の禁止、いわゆる地公法三十七条、あるいは任命権者の勤務評定というような問題、つまり四十条、こういうような問題を問題にしておられると思うのだけれども、その問題だけならば解決の道はあります。争議まで持っていかなくても道はありますよ。問題は文部省がそういう態度になっておらぬのだ。ただ最も非教育的なむちをもって当るという態度、そこに私は問題があると思うのだ。  時間も、ほかの諸君もおるし、あまりありませんから、話を進めたいと思うのですけれども、まず、この問題を解くのに、第一に注意しなければならないのは、そして日本の教育の危機を持ち来たした最大の原因として第一にあげらるべきものは、この教育が政争に巻き込まれたということです。この重大な勤評問題の発端は、一昨年の愛媛の勤評です。昨年それが非常に大きな問題になった。私は当時の文教委員長として責任を感じて、現地調査を行ったのです。現地調査に行ってみると、この問題の大争議の背景がわかった。いわば、今日からいえば歴史的背景、それがわかった。現地調査に行ってわかったことは、愛媛の勤評がどこから起ったかというと、これは率直に言って、歯に衣を着せずに言いますが、これは愛媛県におきまする参議院選挙の敗戦、自民党の敗戦です。このときに、死んだ砂田重政君が御存じのように自民党の全国組織委員長をしておられた。そうして三回参議院選挙をやって、二回社会党に負けた。それをどうやってひっくり返したかというのが、この勤評の背景です。ですから現地に行ってみると、よく事情がわかるのです。その目標は教組です。ですから現地に行って事情をよく調べてみると、知事は、そう言っては悪いけれども、昼あんどんだ。それから大西教育長というのは、あやつり人形だ。だれが実力者かといって調べてみると、これは当時の県会議長——今もやっているかどうか知りませんが、白石何がしという男、この白石何がしが実力者だということがわかったから、私はぜひとも彼に会って話したいと思って彼を探したけれども、どうしても見つからぬ。そのときに新聞記者の人がやってきて、委員長、白石君に会おうと思えば会えますよ。━━━━━━━━━━━━━━━━それは大倉屋という旅館です。そこに電話をかけてみなさい。委員長そこまで行きますかと言うので、━━━━━━━━━━━━━━━━━電話をかけさせた。そうすると確かに彼がおる。電話口で女中さんが、議長さん電話ですよと大きな声で呼んでおる。私は後にこの人と会いましたが、確かにこれが実力者だ。学校先生が私のところに来て言うのに、━━━━━━━━━━この校長は飛ばしてしまえ、この教師はどこかに移せというようなことを言っておるのだ、そんな者の言うことに私ども従えますかと言っておる。まことに私は残念きわまるものだと思っておる。そうして私は当時現地で文教委員長の声明を出した。教育は一切の不純な政治的支配の外に立っておらなければならない、教育は純粋に教育として守られなければならない、一切の党派は紛争から手を引けという意味の声明を私は出した。これは朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も現地の新聞はみなそれを主張した。そのとき御承知のように衆議院の方では、私はびっくりしたのでありますが、私を懲罰に付するということで自民党さんが右往左往した。ここに問題があると思う。私は実際愛媛県の勤評を見て、こういう自民党の政治的な教育支配というものが原因をなしておった、真に教育を守ろうとするならば、ほんとう政治家はこういう不当な政治的な圧力というものをやめなければいけないということを切に思うのであります。私は愛媛県の勤評の実情を見て、むしろ教組こそが憲法における主権在民、絶対平和主義、個人の尊厳を守ろとするものである、教育基本法第十条の、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」ということを守り抜こうとしておるのだということを、私は事実見たのであります。あの義務教育学校における教育政治的中立の確保に関する臨時措置法の第一条の、「教育を党派的勢力の不当な影響又は支配から守り、もって義務教育政治的中立を確保するとともに、これに従事する教育職員の自主性を擁護する」、こういうことに今日問題を持っていかないと、問題の解決はできないと私は思うのであります。しかるに今日の実情を見ておると、今の愛媛の問題でも、ただ教職員を圧迫し罰しておる。内藤君や木田課長が白石君と組んでこの教員諸君を圧迫し罰するということだけに専念しておるじゃありませんか。こういうこを根本的に改めなければだめだと私は思います。文部大臣は一体どう思いますか。
  32. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 愛媛県でどういう具体的な事実がありましたか私は存じません。ただ教育に対して不当な勢力が介入するということはよろしくない、これは申すまでもないことだと思います。また教育政治的中立ということが大事であるということも明々白々の事実であります。その点につきましては、私は長谷川君と全く同じ考え方に立っておるわけであります。ただ、この勤評の問題でありますが、この勤評問題の根本の要点はどこにあるか、われわれが問題にしておる要点は一体どこにあるかということは、いろいろございましょうが、特に大切だと思いますることは、日教組の諸君が五十万の組合員を代表すると称して、法律の施行に対してあらゆる手段に訴え、いかなる方法に訴えても実力をもってこれを阻止する、このところに私はあると思うのであります。ことに公務員であります。その公務員がそういう態度に出るということが、私の一番心配する問題でございます。こういうふうな問題、つまり法の施行に関する問題につきましては、おそらく社会党さんも十分に御関心をお持ちになっていらっしゃると思う。自民党といえども同様であります。皆さんがお作りになった法律が施行されるのかされないのかというふうな問題は、議会政治のもとにおきましては、各政治団体の最も大きな関心事でなければならぬと思うのであります。従って、こういうふうな問題について自由党の諸君がかれこれ申すとか、あるいはまた社会党の皆さんが何とか言われるということは、私は無理からぬことだと思うのです。これは直ちに教育の中立性云々という問題にはなってこないと思うのです。ただ私まことに残念に思いますことは、今長谷川君はさように仰せられましたけれども、今日、日本の教育に対して不当な勢力が確かに介入しておるのであります。それは何か、まず第一に日教組であります。日教組といえども日本の教育の中立性を妨げる資格はない、権利もないと思う。同時にまたこれを助ける各種の団体であります。今日このいわゆる勤務評定実施に関する政治闘争、このものに対しまして最も力コブを入れておるのがどなたかということを静かにお考えを願いたいと思うのであります。各種の勢力がこれを支持し、あるいは共闘するとおっしゃっている。はなはだ失礼でありますけれども、私はただいまのようなお言葉を長谷川君から伺うということは、実に意外であります。選挙がどうとかこうとかおっしゃいましたけれども、われわれが新聞承知するところによりますれば、この政治闘争を通じて社会党は選挙を有利に導くようにというふうな意味のことを決定していらっしゃるじゃありませんか。私どもはまことに心外千万であります。少くとも社会党の諸君は、事のよし悪しはともかくといたしまして、法律の施行に対しては御協力願えるものだ、こういうふうに考えておったわけでありますけれども、どうもそうでないようであります。まことに残念でございます。願わくばどうぞこの点だけは一つ御協力を願いたいと思います。
  33. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 今、日教組が非常に教育に介入しておる。あるいはその他の団体がこれに協力してふとどきだ、法律を施行させないというお話があった。私は反問したい。今日の教育の危機を招いたのは、政府並びに文部省の政治的偏向だ、私の見解からすればですよ。まさに法律違反を文部省自体がやっている。当時昭和二十九年のいわゆる教育二法、これから政府政治的偏向が始まっている。当時われわれはこれを阻止するために、国会において非常手段に訴えたのであります。このとき以来文部省がいかに政治的偏向を示したか、これは私の独断ではありません。三十一年の三月に、地方教育行政組織及び運営に関する法律案、これこそが今日の教育の危機を招いた直接の原因であると私は思っていますけれども、すなわち教員の任命制をやった。この方針に対して当時世論がどんなにきびしかったか、あなたは思い出すことができるでしょう。たとえば矢内原東大総長、あるいは南原前東大総長、大内法大総長、大浜早大総長、安倍学習院院長、内田東京大学長、こういうような十名の諸君が文教政策の傾向に関する声明を発表しております。参考のためにこれを読んでみましょう。「文教政策の傾向に関する声明、教育は時の政治の動向によって左右されてはならず、教育の制度と方針は政争の外において安定させるべきだが、最近、文教政策の傾向はこの原則をあやうくするように思われる。たとえば教育委員会について、あるいはまた教科書制度について、そのいわゆる改正案をみると、いずれも部分的改正ではなく民主的教育制度を根本的に変えるようなものであり、ことに教育に対する国家統制の復活をうながす傾向がはっきりしているのは、容易ならぬことといわねばならない。こうした傾向はやがて言論・思想の自由の原則をおびやかすおそれのあるものである。戦後、民主的な教育の制度と方針が創始されて未だ年月も浅く、各部面にわたって改善を要する点はあるとしても、その根本原則は堅持しなければならない。」さらにこう言っています。「ようやくにして健全に育成されつつある国民教育の前途を思い憂慮にたえず、ここに有志相はかって声明を行い、政府国会の反省をうながし、世論のいっそうの興起を期待する。」こういうものが発表されておるさらにこの前後の事情を見ると、そればかりではありません。たとえば国会の方では、三月十三日には、この地方教育行政組織並びに運営に関する法律が本会議に上程され、三月十六日には、かの悪名高かった小選挙区ゲリマンダー法案が提案され、さらに矢内原総長らの声明が出された。三月二十日には、教科書法案が提案されておるのであります。たまりかねて全国の良心的な分子が立ち上って政府の反省を求めた。すなわち三月十九日には、あのペスタロッチ研究の権威者である長田新教授らの教育学会は痛烈な批判書を政府に渡しておる。三月二十七日には、東大の勝田守一教授は、全国六百十七名の教授が署名する反対抗議文を衆議院文教委員長に提出されておる。また当時の全国教育委員会全国協議会は、総辞職の決意を披瀝して政府の反省を求めたのであります。かくまで多くの日本の良識に指摘されながら、大臣はなお文部省は政治的偏向をしておらない、日教組だけが政治的偏向しておるのである、かように言うのであるが、まさに政府こそが憲法と教育基本法その他の教育諸立法を犯しているのであって、罪すべきは日教組にあらずして文部省にある。大臣の良心的答弁を伺いたい。
  34. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 文部省は、御承知の通りに行政の機関であります。国会で御決定になりました法律を忠実に執行するのが文部省の責務でございます。従いまして、今日文部省が皆様のおきめになりました法律について忠実に執行することについて、偏向であるとか偏向でないとかいうことは当らないと私は思います。なお長谷川君は、文部省が偏向であるとか何とかおっしゃいましたけれども、これはお考えの基礎が違えばあるいはそういうことになるかもしれません。ただわれわれが記憶いたしておりますことは、大達文相当時の教育二法案にいたしましても、清瀬文相当時の教育委員会に関する制度の改革にいたしましても、われわれはすべて教育政治的中立を確保するためにこの法律を提出し、またこれが可決せられたものと信じております。当時いろいろの意見がございましたけれども、それらの人たちの意見というものは、それぞれその人たちのお考えによってくるものと思います。これは当時の国民の大多数の意見を代表するものとは、われわれは考えておりません。
  35. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 そういう考え方に根本的な間違いがありますよ。あのときに少くとも国民の三分の一を代表する社会党が、民主勢力と一緒になってこれをあくまで阻止しようとした。それを力で押し切った。力で押し切れば押し切られると思うところに、私は教育を担当する価値はないと思う。力ではだめです。力で押し切ったって、そんなことで国民が納得するものじゃない。ことに教育の問題はそういうものじゃない。ほんとうに全部が納得していかなければならぬ。国民の三分の一が反対しているのに、力で押し切るとは何だ。そういうようなことで教育ができるはずがないじゃないか。そこに今日大きな問題を起した原因があるのです。  それじゃ、今日文部省は政治的偏向をしておらない、こう言うのであれば、さらに今日の問題をとらえて議論してみたいと思います。きょうの新聞を見てもそうだけれども国民は、文部省も日教組も、どっちもどっちだという考え方が、客観的に立っておる国民の多くの人の考え方ですよ。言いかえますれば、それはいろいろ議論があるけれども、少くとも文部省は、政治ではなくて政争に巻き込まれておるというのが、今日の良識あるすべての国民の認定ですよ。あなたは読売新聞の「勤評闘争を現地に見て」という記事をお読みになったでしょう。この連日の現地調査を私は興味深く、益あるものとして読むのであります。尾崎士郎氏は、勤評闘争は理論を越えて政治的対立だと称している。池田潔氏は、勤評闘争は根深い自民党対日教組の対立だと評しておる。そして次のように言っております。」だが、この勤評問題の本質はそんな純然たる教育問題ではなく、教育問題の形を借りた政治問題であり、勤評という道具を使っての、自民党、政府、文部官僚、教育委員会日教組、総評、全学連社会党、共産党、言葉を変えて大ざっぱに言えば、保守対革新、すなわちイデオロギーの対立なのである。」と評しておる。また小野清一郎氏は「あまりにも政治勤評のあり方を反省しよう」と叫んでおる。本多顕彰法大教授のを見れば、これは御存じのように「政治家よ手を引け」「闘争で傷つくのは教育だ」と叫んでおる。文部省だけ正しいなどと思ったら大きな間違いですよ。国民はそんなことは考えておらぬ。日教組にもあるいは責任があろう、社会党にもあるいは責任があるでありましょう。しかし教育を純粋に教育として守り、不当な政治的偏向や圧迫から守らねばならぬ、そういう最高の責任を持っておる文部省自身が、この政争の渦中に巻き込まれてどうするのだ。一体、文部省は文教行政の最高責任者じゃないか。それが政治じゃない、政争に巻き込まれておる。そこに問題がある。私はこの際徹底的に文部省は反省しなければだめだと思う。
  36. 坂田道太

    坂田委員長 長谷川君に申し上げますが、大体お約束の時間も迫っておりますから結論をお願い申し上げます。
  37. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私は次の点について伺わなければならぬと思っております。何だか私の知らない間にやはりお約束があるそうです。後にさらに時間をいただいて徹底的に質問したいと思う。  一体、文部省は考えなければだめですよ。今日の朝日新聞に書かれているあの社説をごらんになりましたか。あるいは金森徳次郎氏の「教育の中立性確保ということ」という論文をお読みになりましたか。文部省は自分だけいい気になっていてはだめですよ。国民はそんなことは考えていません。率直にいえば、私は国民の客観的な立場に立っておられる方、この問題に直接関係しておらない方はどっちもどっちだ、ばかやろう、手を引け、これは私は率直にいってそうだと思う。文部省は考えなければいけませんよ。文部省の責任ですよ。日教組の責任なら追及してもいいでしょうが、文部省自身が反省すべきです。文部省自身が何とかしてこの危機を切り抜けるために一歩退け。一歩退かなければだめだ。一歩退いて、そうして問題を解決しようという、ほんとう教育に対する愛情、教育の第一線に立っている教職員諸君に対する深いおもんばかりというものを考えるなら、そこをきっかけとして問題は解決しますよ。社会党が主張しておるような審議会を特別に作りなさい。それで話し合いをする場を作ろうじゃないか、こういうことが何で受け入れられないのですか。この危機を招いて全国民の父母の非常な悩み、先生たちの悩み、教育委員会諸君の悩み、この大きな悩みを、なぜ文部省は受け入れられないのですか。一体どうなんです。一歩退くつもりはないのか。
  38. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 非常に激しい語調での御質問でありますが、文部省といたしましては、この問題についてはきわめて冷静な態度をとっているつもりでございます。われわれは、ただ国会でおきめになりましたところの法律を施行しようというのであります。われわれの責務を果そうといたしておるのであります。これに対しまして、一体だれがこれを政争の道具にしたのかというところを一つお考え願いたいと思う。問題は教育行政の問題でございます。この問題をここまでめんどうな、むずかしい、あなたのいわゆる政争の渦中の問題といたしましたのは、一体だれであるかというところを静かに私はお考えをいただきたいと思うのでございます。われわれは決してかようなものをもって政争の具に供しようとは思っておりません。忠実に国会法律を施行しようというのであります。政争の具に供したものはだれであるかということを十分お考えの上で一つ御批判をいただきたい、私はさように思うのでございます。決してがんこ一徹で、わけのわからないことを申しておるのではございません。また国民の皆さん方の批評というものを知らないわけでもございません。しかし私は日本の政治、日本の行政をやって参ります上において、議会政治は尊重いたしたいと思うのであります。議会政治のもとにわれわれは働かしていただきたいと思っておるのであります。そういう意味合いにおいて、皆さんのお作りになる法律国民諸君はぜひ尊重してもらいたいと思うのでございます。もしその下において働きますわれわれの行政措置が間違っておる、行政措置がよろしくないというならば、いつでも私はその責任を引き受けるつもりでやっておりますので、御了承願いたいと思います。
  39. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私はなお重要な勤務評定に対する理論及び実際私がアメリカに行って二ヵ月の間調べて参りました実際の問題等をあげて文部省当局の反省を促さなければならぬと思いますけれども、お約束の時間があるそうですから、後ほどまたこれを伺うことにして、質問は保留しておきます。
  40. 坂田道太

    坂田委員長 関連して八木君。
  41. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 ただいまの長谷川議員の発言の中に非常に不穏当な個所が私はあると思うのであります。愛媛の勤評を推進した責任者、首謀者は当時の白石議長である、こういう発言がある。人身攻撃的なお話があった。私は当時白石君とともに県会議員をいたしておったものでございますので、よく承知いたしておりますが、白石君は当時議長はいたしておりません。幹事長であります。このことだけでも、いかに長谷川氏の発言が間違っておるかということが立証されますが、同僚として許せない問題だと思います。取り消しを要求いたしたいと思います。
  42. 坂田道太

    坂田委員長 後ほど速記を見まして、委員長において御相談申し上げて善処をいたしたいと思います。  稻葉修君。
  43. 稻葉修

    稻葉委員 質問を続行いたします。先ほど申し述べた日教組指令の中には、地域住民の民主教育確立に対する具体的諸要求と勤評闘争との結びつき、労働者階級の諸要求と勤評闘争との結合をはかり、一体のものとして戦いを組み、独占資本岸内閣との対決の戦いとして発展せしめる、こういうことを指令しておりますが、これは明瞭な倒閣運動ではないか、五十万人の教職員をかり立て倒閣政治運動をやらせる指令ではないか、こう思いますが、文部省はどうお考えですか。
  44. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 日教組の五十万の組合員諸君がどうであるかということになりますれば、私のお答えはよほど変るのであります。しかし日教組の幹部の諸君がどういう指導精神のもとに、どういう方向に向っておるかということを考えますときには、私は岸内閣といわず、いわゆる保守の勢力に対して対決をするという考え方のもとに進んでおるもののように承知いたしております。
  45. 稻葉修

    稻葉委員 この指令内容や、後ほど質問しようという教師の倫理綱領の内容等をつぶさに見て参りますと、どうも日教組の諸君の教育に対する考え方は、教育行政をも含めて、すべて教育権は組合にあるという考えのようである。教育の人民管理までいくことが、そうすることのみが民主教育の擁護になるのである、こういう結論に私はなると思うのですが、大臣はどうお考えですか。
  46. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 日教組の諸君の思想を的確に私は把握しておるわけではございませんけれども、近ごろの日教組の動き、少くとも日教組の指導者の考え方、動き等を見ておりますと、あるいは教育組合で管理しようかというふうな考えでもあるのじゃなかろうかと想像せしむるような事態であると考えております。
  47. 稻葉修

    稻葉委員 それでは私は、教師の倫理綱領の偏向性をとらえて質問したい。教組は、あらゆる文部省の出してくる法律、省令、行政処分、これに対してはすべて反対立場をとっておる。そういう激烈な偏向性の出てくる根源は、どうも私は教師の倫理綱領にあると思うのであります。たとえばこの綱領の第三項には、教師は平和を守る——われわれも平和を守る立場でありますが、その教師の平和を守る具体的な方法は無武装、永世中立、これ以外にはないと書いてある。平和は万人の要望するところであって、ただ単に教師のみが平和を守るものではないが、教師も平和を守ってもらいたい。しかしその方法が無武装、永世中立のみが正しい方法であるとはにわかに断定できないと思う。こういう点が一つ。第五項に、教師は自由を守らなければならない、自由の侵害を許さない、こういう項目があって、その中には忍耐であるとか従順であるとか、そういうことは封建的な悪徳である、こう書いてあるのです。すべて政府のやり方に反抗しこれをあおるような、そういうことが進歩的な新しい教師の実践行動の基準、倫理であるという解説がついておりますが、この点が第二。第六項に、教師の政治的中立を否定しております。先ほど大臣も長谷川委員も、教育政治的に中立でなければならぬ、こんなことはわかり切ったことで当然のことだと言っておる。ところが倫理綱領にはそうは書いてない。教師は正しい政治を求めるという項目の中の解説には、教育再建のためなら政治的には何でもやるという積極的な立場に団結しなければならない、教員組合は戦後全国のすべての教師に政治行動の意義を教えた、そしてその政治行動の自由は次々に望ましい教育環境を作り上げた、政治的中立なんということを言っていてはいかぬ、政治的にはどんどん行動せいと書いてあるのです。大臣、あなたは先ほど教育政治的に中立でなければならぬということを強く言われましたけれども、そしてその点は教員の諸君も同様であろうというようにおっしゃったようでありますけれども、あにはからんやそうじゃない。教師の倫理綱領は明確に、政治的中立なんという美名に隠れて消極的で従順で姑息的であってはならない、こう教えてある。第四番目に、第八項目に、教師は賃金労働者であると書いてある。一体労働者とかアルバイターという観念は、やはり産業界、経済界における術語、テクニックであって、教育界などに、ただ働く者という意味で、労働者というテクニックをそのまま持ってくるべきものではないと私は思うのであります。これはいろいろ人によって学説の異なるところかもしれないけれども、少くとも私はそういうように解釈しておる。第一次産業革命で家内労働が工場労働になって、資本に圧迫されて労働者は搾取されるから、団結権、団体交渉権、ときには罷業権を与えて、資本と対等な形において労働者を保護するという沿革から、労働者という観念は生まれたのです。ただ働く者というなら、家庭の主婦なんというものは非常によく働くのだから、これは労働者か。これを労働者だといったらおかしいでしょう。おかしいはずです。そういうテクニックだからおかしく感ずるのであります。ところで教師は、あるいは勤労者とか、あるいは働く者とかいう概念には当るかもしれないけれども、それと区別すべき経済的なテクニックである労働者であるということを断定しておるのは、少しく独善ではないかと私は思う。この前の二項か第三項のところに、教師は科学的根拠に立って行動すると書いてある。こういう非科学的な独断をやっておって、どうして科学的な根拠に立つことができるか。第九番目に、生活権擁護のためには遠慮なくやれ、これは昔月給のことなど口にするのは教師のとるべき態度でないというようなことは誤まっておる。——多少そういう点はあるかもしれない。正当な勤労に対して正当な俸給を要求する、これはいい、けっこうだ。けっこうだが、ここの解説にゆゆしいことが書いてあるのは、生活権を守るためにはかつて二・一ゼネストの闘いに教員が加わったときに、ある県でどうしてもそのストライキに加わらない教員が出てきた。理由は、教師が俸給のことで政府当局を相手にして闘うばかりか、教壇まで放棄するのはどうしてもたえがたいといって参加しなかった。そうしたところが、このストライキは、そう言っては、生命の保障さえもできない労働者もいるのだ、われわれのストライキはそういう結果を作った政治に対する抗議であって、教育が聖職だというなら、このストライキも社会正義を打ち立てる意味からは十分とうとい仕事であると、二・一ゼネストを是認し、そしてついにこの教員を無理やりに参加せしめておる。それは生活権を守るのはいいけれど、二・一ゼネストは正しい、非常に崇高な活動であって、これに教師が参加するのは当然のことであるというような解説をつけるのは、少しこれは中立を逸脱していやしませんかと私は思う。——大いに逸脱しておると私は思う。第十番目に、教師は団結するという項目の中に、教師は教員組合運動を通じて世界の教師と結合し、全労働者と手を握る。団結こそは教師の最高の倫理であると書いてある。何だか聞いたふうな文句である。万国の労働者よ団結せよという共産党宣言の焼き直しではないか。こういう点が多々あるのであって、こういう中から今日の勤評反対闘争のごとく、他の労働階級との共闘全学連との共闘、そうして岸内閣の倒閣というところへ飛躍していく根源があるのではないか、こういうことが、変態的な、民主主義破壊的な、実践的な、そういう暴力行為が生まれてくる原因だと思うのでありますが、この点は文部当局はいかがにお考えでしょうか。
  48. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御引用になりました教師の倫理綱領、私も一読したことがあります。お話になりましたような事項が詳細に書かれておるわけであります。そういう倫理綱領等を見ますと、なかなかいい文章で書いておられると思いますけれども、その思想が那辺にありやということはだれにもわかることであります。もしお読みになっていない方がいらっしゃるならぜひ御一読を願いたいと思います。お話になりましたような事項を通じてわれわれが考えますことは、倫理綱領は社会の再建という名において、社会の変革を目ざしておると読み取ることができると思います。しかもその社会の変革について、教師が最も重要な任務をになうべきである、こういうような思想が流れておるように私は考えております。さらに進んでいえば、学校教育を通じて社会変革を試みようとしておる考え方ではないかと思うのであります。それは一つの思想であります。政治思想であるとか、あるいは社会思想であるとかいうふうな思想を表わしておるものと私は考えるのでありますが、その思想たるや、いわゆる憲法の思想の自由、表現の自由という、その自由のもとにおいて、憲法破壊の思想を持っておるのではないか、むしろ私はこういうふうに考えている次第でございます。しかし思想について今私はとやかく申しません。しかし、もしこれが現実に教育の場において現われてくるということになりますれば、先ほど来お話のありましたように、教育の中立性を明らかに阻害するもので、政府といたしましては、これに対しましても必要の措置は怠らないつもりでおります。また先ほど私の申しましたことについて言及がありましたが、私は先ほど、今日教育政治的中立を阻害する最も大きな勢力は日教組であるということを申し上げたのであります。
  49. 稻葉修

    稻葉委員 この中には、たとえば労働者階級を中心とする勤労者大衆の力によってのみ新しい社会の建設や、新しい教育制度の再建が行われるということや、あるいは個人として自由な存在でなければならないと同時に、個人ではその自由を獲得できない場合、団結して社会体制を変革し、改められた働く者を中心とする社会体制の中で、初めてよく真の自由の保障を獲得できるというようなことを書いてありますのは、これは政治的には労働者階級の独裁政治を夢みているのではないか、私はこれを虚心たんかいにずっと読んで、第一には哲学的な立場は唯物弁証法であることは明白であると思う。第二に経済学的には余剰価値説をとっております、第三に、政治的、社会的なそういう立場、階級闘争主義、労働者階級、プロレタリア独裁主義、こういうことに帰着するのでありますが、かくのごとき立場も思想としてありましょう。しかしそれのみが教師の倫理綱領であると規定しているところに問題があると思う。他の立場もお互いに彼比対照して認め合うというところに学問の進歩や科学的な真理性の容認の立場があると思いますが、どうもこういう点について、地方教育委員会あるいは教員自身も無関心な人もあるように思いますが、この辺は、日教組のああいう指令が出るたびごとに、こういうことがそのままに放置されておるのであるからして、ああいういろいろな激烈な指令が出ていって、今日の勤評問題のごとき重大な、教育史上始まって以来のばかげたことが行われるのではないかと思いますが、どうでしょうか。
  50. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほどお答え申し上げましたように、思想について私自身の考え方とは全く違っております。違っておりますけれども、この思想について、今とやかく言おうとは思いません。しかしこの思想に基いて現実に教育の場にいろいろな行動が現われてくる、そうして教育の中立性を阻害する、こういうことになりますれば、文部省としては放置するわけには参らぬのであります。これに対しましては適切な措置を講じて参りたい、かように申し上げた次第であります。
  51. 稻葉修

    稻葉委員 私は今回の勤評闘争について新聞、ラジオあるいはテレビの解説等で、ときに傾聴すべき議論もあるようでありますけれども、ときにははなはだ公平のごとく見えて誤まっておる議論もあるように私は思うのであります。それらの二、三の点について大臣質問申し上げます。  第一にけんか両成敗をすべきだという奇妙な議論がある。一体勤務評定は単に法律に書いてあるのだからやるのだというだけではなくて、正当な公平な人事管理をやる上に必要だということから法律に規定し、その法律をやるのだ、こういうことになると思うのですが、そういう民主政治下における正当な行政行動に対して、一方は集団的な暴力をもってこれを実力をもって阻止するという立場のものと平等に並べて、けんか両成敗をして両方とも手を引けというがごとき、先ほどの長谷川君の御意見にも多少そういう意味のことを含んだ御発言があったように思いますが、私はこれは間違っておると思う。しかもこの暴力行為に対して警察が社会の静ひつを保つために、実力をもってこれを鎮圧するという行動を、警察の暴力だと称して先般の委員会においては辻原君の激烈なる質問があった、門司君の激烈なる質問があった、しかしこの法律に基き正当な人事管理をやろうという正当な行政処置を、実力をもって、集団の力をもってこれを阻止するということは、これはモッブじゃありませんか。そういう集団暴力は、単に委員長の首を締めるとか、そういう個人の暴力もあるけれども……(「まじめにやれ」と呼ぶ者あり)この個人的な、委員会の秩序を撹乱するようなそういう国会議員の暴力以上の……。     〔発言する者あり〕
  52. 坂田道太

    坂田委員長 お静かに願います。
  53. 稻葉修

    稻葉委員 そんな暴力とは比較にならないほどの大暴力であると思うわけであります。(「まじめだ、まじめにやれ」と呼ぶ者あり)この社会撹乱の大暴力を鎮圧するに警察権力を用いる、これは国家の治安当局の当然の任務ではないかと私は思う。こういう点が一つ。(「国会議員の品位を重んじろ」と呼ぶ者あり)  第二に、第三者の調停を望むという世論があるようであります。何を調停せんとするのであるか。——国会の品位を尊重しまして暴力をなるべくなくしたいと思ってまじめに発言をしておるのであります。いやしくも委員会において委員長に飛びかかっていって、首を締めるような許すべからざることをやっておるのである。第三者の調停を望むという点について、何を調停せんとするのであるか。日教組と文部省や教育委員会教育行政に関する職務行為との間に調停ということがあろうか。資本家と労働者との利害が対立してついに話し合いがもつれて労働争議になった、こういう場合に調停とか仲裁とか、そういうことはあろうけれども、今日の日教組のやり方に対してはこれを労働争議とひとしく見て、第三者がこの中に入って調停などをすべき性質のものとははなはだこれを異にすると思うのであります。国法違反者に対しては、そういう暴動者に対しては、鎮圧のみであって、第三者の調停の余地はないと思うが大臣の所見はどうでありますか。
  54. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 勤務評定の問題をめぐりましての反対闘争がなかなか激しい、ことにこの十五日を期して大々的な反対闘争をやるということが伝えられておるわけであります。われわれもさような事態のなからぬことを心から望むものであります。また世間の、ことに子供さんを持っておられる親御たちが、この問題に対しまして非常に心配せられるということは、ごもっともなことであります。だれしも心配する問題であります。そういうふうな関係からいたしまして、何とかこの事態を回避する方法はないか、何かその前にうまい解決の方法はないかというようなこともまた各方面において心配しておられるわけでありまして、またさような声が新聞その他にもしばしば現われておることは、私どもよく拝見をいたしております。この事柄について、私は皆様はもちろんよく御了解いただいておると思うのでございますが、国民の皆さんにもよくわかっていただきたいと思うのであります。勤務評定を実施する。勤務評定ということは、およそいかなる社会においても私は行われておると思う。何がしかの勤務評定が行われていないところはない。(発言する者あり)同時に……。
  55. 坂田道太

    坂田委員長 お静かに願います。
  56. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 現在の勤務評定は、しばしば申し上げます通りに、だいぶ前に制定せられたものである。そうして国家公務員、地方公務員等にだんだんと実施せられてきておる問題であります。教育公務員について一部ではすでにある程度のものが実施せられておりますけれども、全面的に実施というところに至っていなかった。これを全国的に実施しようというのが今回の動きでございます。その内容につきましても、関係当事者はそれぞれいろいろな材料を調べ、経験に徴して、これでいける、必ずやっていけるというものを出しておるわけでありまして、これに対していろいろな御批評があるわけです。御批評はもちろん御自由であります。また御反対も、これも御自由であります。それをかれこれ私は申しておるのじゃありません。しかしながら反対をするのなら反対の筋道を立てておやりになったらよろしい。もしこれが制度に対する反対でありまするならば、勤評制度は無用であるということでありますならば、法律の改廃についての反対運動をおやりになったらよろしい、内容についての御反対でありまするならば、具体的に、建設的にここをこうして、あすこをああしてという穏かな意見の開陳があり、これを教育委員会におきましても虚心に聞いて、とるべきものはとっていく。そしてある段階において決定してこれを実行に移す、こういう姿でなければならぬと思うのであります。私は勤評内容云云の問題につきまして、これは団体交渉の目的ではないと思っております。団体交渉をこの問題について職員団体が行う少くとも法律上の権利はないと思う。話し合いをなさることもけっこうであります。これを拒否するものでもない。しかしながら闘争であってはならぬ。行政をやっておるのでありますから、これに対しましてそれぞれ、われわれはこう思う、ここをこうしてほしいと要望をお出しになることは御自由であります。それをよく聞いて、とるべきものはとってやっていくということが一番望ましいと思う。しかし今日までの経過に徴しますのに、日教組の諸君はこの勤評制度の実施それ自体に反対しておられる。また地方におかれましてもいろいろ話し合いとかなんとかやっておりますけれども、その多くは、あるいはつるし上げであり、面会強要であり、カン詰であり、すわり込みであります。そして内容的に、われわれのところには、ここはこうしてもらいたいというような話し合いというものはほとんど行われない。また教育委員会において、学校先生方にこの内容を説明しようとして説明会を開こうとしましても、これを妨害いたしておるのであります。こういうような状態で一体スムーズな話し合いが行われるものかどうか、これは一つお考えをいただきたいと思うのであります。政府といたしましてはこの勤評の実施は地方教育委員会がやることであります。政府のもっぱら主としての関心事は、実施するかしないかということであります。地方教育委員会に対しましてわれわれは実施してほしいと要望いたしております。また各地方教育委員会は、これが実施の線に向って努力をして今日まで参っておるのであります。これに対しましてあくまでもあらゆる手段に訴えて、そうして違法である手段にまで訴えて、いわゆる実力をもってこれを阻止しようというのが今日の日教組の指導方針であります。これを支持いたしておりますのが共産党であり、全学連であり、総評であり、はなはだ遺憾ながら社会党の諸君であります。私はかような事態はまことに残念に思っておるのであります。いやしくも国の法律を施行することに対しまして、実力をもって阻止するという事態は、私は容認するわけに参りません。この問題についていろいろ御心配の向きが、あるいは第三者に調停をゆだねたらどうかとか、審議会を作ったらどうかとか、いろいろ御親切な忠告もありますけれども法律を実施するかしないか、この問題はすでに国会において決定しておる問題であります。従いましてわれわれはその線に向ってわれわれの任務を果して参りたいと思います。この遂行に伴いまして、あるいは多少の混乱も起るかと思いますが、私は全国教育者諸君の良識と自覚に待ちたいと思います。最後の、十五日なら十五日のそのぎりぎりまで、私は全国教育者諸君の自覚と反省を促してやまないものであります。また同時に勇気をふるい起してもらいたい。順法精神に立ち上ってもらいたいと実は思っております。そういうふうなことでありまして、万一かような問題につきまして、いわゆる実力闘争が行われ、それによって安寧秩序が乱されるというようなことになりますならば、私は日本のわれわれの信頼するそれぞれの当局において、善処していただけると信じておる次第でございます。
  57. 稻葉修

    稻葉委員 調停すべき第三者としてあるいは茅東大学長、南原前総長、矢内原前総長、大内兵衛法大学長、安倍能成氏、そういう人たちがうわさに上っておりますが、先ほど長谷川委員の御質問の中にもありましたが、かつて地方教育行政組織運営に関する法律、教科書法案等が提出されたときに、十大学長声明というものがあった、私もこういう人たちの声明については尊重すべきことは知っておりますけれども、元来大学の研究の成果というものは、時の政府にとって不都合な結論が出ることも間々あります。そういう場合に、世の進歩のためにむしろこれを是認できる、権力で圧倒するのではなくて、政治的な行動の方を研究の成果に近づける努力をこそすべきものであるぐらいなことは知っておる。どこの国でもそういうことは通例になっておる。ボン大学の四百年祭のときに、私も出席したが、大学の総長が並みいるブリュッヘル以下政府の要路者を前にしてそういう演説をして、それは当然のことだという顔をして何の波紋もない、しかしドイツにおける大学総長連たちが、しかも連合して十人も時の政治問題について声明を発するがごとき場合にはきわめて慎重なものです。いやしくもその結果はどういう事態を引き起すか。あの当時あの声明にあおられて参議院ではついに暴動が起きた。こういう結果を軽率な発表は招くのであるということを警告しなければならぬ今日の段階であると思う。今日の第三者の調停に再びこういう方方はお立ちになるかどうか。私はこういう調停というものは、労働争議の対等者の立場にあってそれを調停するならともかくも、おかしいと思いましたから、けさは茅先生にも南原先生にも電話をかけて、そういうお考えですかと言ったら、そんな意思はないと言われた。当然だろうと思う。  私は次にもう一つの世論について大臣の所見を伺いたい。冷却期間を設けてこの勤務評定の実施を延期してはどうかという世論もあるようです。私は、こういう集団的な圧力は非常に困るから、実施すべきことを途中でやめてしまうというような事態になりますと、やはり世論は暴力行為の方が正しいように、暴力行為容認、そういう法治主義否定の思想が起って参りまして、議会できめた法律でも、多数の暴力ですわり込みをやれば、その実施の阻止はできるんだという、反法治主義的な国家に日本はなると思う。そういうことはゆゆしい問題であって、この際冷却期間を設けるがごとき俗論に大臣は耳をかすべきでないと思うのであります。しかも日教組のこの指令には、修正妥協などということはあり得ない、こう断言しているのであって、冷却期間を設ければ彼らの頭は冷却するかというと、そうではないのです。そういう点もあわせ考慮をいたしまして、この際冷却期間を設けるという諸説に対しては私は反対なんですが、大臣はいかがですか。
  58. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 勤務評定の問題は、これから一年も前のことならどうか知りませんけれども、今日すでに実施に移っておるわけであります。東京都のごときも、すでに八割以上も評定票の提出を見ておる、こういうようにいわれておるのであって、大多数の府県におきましてはすでに実施中なのです。そういう際に、今お話のように冷却期間を置いてしばらく実施を延期して、ゆっくり研究したらどうか、こういうような御親切な御忠告もあるわけでございます。お心持はわかるのでありますけれども、ただいま申しましたように、この問題はすでに実施中でございます。われわれ行政の任にある者といたしましては、われわれの手かげんでどうにでもなるという問題なら、またそれだけの仕事のしようもあろうと思います。あるいはまた周囲の情勢であるとか、世論であるとかいうふうなことに謙虚に耳を傾けて、これを尊重して、従来やって参りましたことについて変更するということもあり得ると思うのであります。決して私はかたくなな考えを持っておるわけではございません。しかしながらこの勤務評定の問題につきましては、国法を行政機機関が実施しようとするのを、是非にかかわらずこれをあくまでも阻止しようという実力闘争が行われておるわけであります。私は日本の議会政治、民主政治の建前からいたしましても、かような実力闘争の前に屈するわけには参りません。従いまして、既定の方針はどこまでもやって参るつもりでおるわけであります。いわゆる冷却期間というふうなことも、この段階において考慮の余地はないと考えております。
  59. 稻葉修

    稻葉委員 国民の中には、勤務評定試案、すなわち昭和三十二年十二月都道府県教育長協議会の作りました試案の内容を見ますと、評定の内容が非常に専門的でむずかしくて、今日の校長の能力ではできないとする反対の理由があるようであり、地方PTAのなどの中には、そういうふうに理解をして、もう少し内容をわかりやすく単純化することはできないものかという議論があるようであります。この点につきましても、たびたび質問もあったし、答弁としては、むずかしくはない。——ただ単にそういう答弁だけでは、納得のできかねる点も私どもにはあるのです、そういう点、勤務評定内容をもう少しわかりやすく単純化する御意思はないか、なければその理由をもう少し内容的に説明していただきたい。
  60. 内藤誉三郎

    内藤説明員 ただいまお尋ねの都道府県教育長協議会の勤務評定試案についてでございますが、これは昨年の十二月二十日に発表されたものでございます。この趣旨が世上必ずしも理解されていない点もあろうかと思うのであります。これは要するに、教員の勤務状況の方から見る行き方と、もう一つは教職員の特性・能力の二つの面から見ておるのであります。これは人事院の勧告等におきましても、大体勤務の状況と特性・能力、この二つの要素で見るのが適当であろうかと思うのであります。その勤務の状況につきましては、現段階では、試案では、教員について申しますと、学級経営と子供たちの学習指導、それから教科以外の活動であるところの生活指導、それからどういうふうに評価をするかという、生徒の評価の問題、あるいは教職員の研究・修養、それからいろいろ校務分担がございますので、その校務の処理、この六つになっておるのであります。この六つの項目いずれを見ましても、私どもはしごく明確であると思います。その次の特性・能力につきましては、七つの項目が出ておるのであります。すなわち教育愛、指導力、誠実、責任感、公正——公正と申しますのは、えこひいきをしないということであります。寛容・協力、品位、この七つの項目でございまして、都合十三の項目が出ておるのであります。この十三の項目は、ところによって若干減らしておるところもあるようでございますが、この十三の項目だけが評価の内容になるわけでございまして、これを見まして、大体五段階に分けるか三段階に分けるか、つまりよい者、悪い者、それからそのあとは普通になる。よい者と悪い者と普通。普通の中で、やや上の者とやや悪い者に分ければ、これは五段階になる、こういう仕組みでございます。三段階にするか五段階にするかは、各府県の事情によるわけでございます。この試案そのものが、これでなければならぬという意味ではなくて、大体こういう方向で御研究をいただきたいというのが、この案のねらいでございまして、ただ、この学級経営とかあるいは学習指導とか、指導力、誠実というような場合に、先生方、特に校長がいろいろ観察に不便な点もあろうかというわけで、観察内容がそれぞれの項目について出ております。これは全国三、四万ございます校長さんたちの頭をそろえるという意味でありまして、評定の要素自体としては十三の項目でございまして、私どもは、そんなに複雑ではなく、大体適切であろうと考えております。特にこの点について従来問題になりましたように、aが一割だとかbが二割だとかいうふうに、正常分配曲線があったわけであります。国家公務員、地方公務員については、ほとんどその正常分配曲線があるわけでありますが、この試案におきましては、aが一割、bが二割というような評価はしない。いい者は、大体だれが見てもいいというふうに、絶対評価の建前をとっておるのであります。もちろん私どもは、教育の現場を考えて、むしろ非常に進歩しておると考えておるのであります。改善されておるというふうに考えるのでありまして、この程度のものができないということになれば、むしろその校長さんの適格性を疑わざるを得ないと思うのであります。すでに東京都におきましては、八割以上のものが提出されておりますので、この試案が現在の段階ではまず適切であろうかと私どもは思いますが、将来やってみまして不都合な点があれば、今後改善するのにやぶさかではないと思うのであります。
  61. 稻葉修

    稻葉委員 どうも少しくむずかしいようには思いますけれども、それならそれのように、かりにいいとして、もう少し世論の誤解を解く、そういう努力の点が足らないように思うのですが、この点はその内容を、初中局長は担当の責任者でありますから、世論の誤解のないように周知徹底せしめるように御努力願いたいということを申し上げまして、結論的な質問に移ります。  今回の秋闘速報十四号に現われた指令、すなわち十五日は正午授業打ち切り、そして大会に集まるという、そういう休めという職場放棄は、地方公務員法第三十七条第一項後段にいわゆる「何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない。」という規定に触れるのであるかどうか。触れるとすれば犯罪になるのか、それは犯罪だとすれば六十一条によって処罰の対象になると思うかどうか。これに関連して、総評幹部でも同断であるのかどうか、全学連中央執行委員会の決定も同断であるのかどうか、法務大臣並びに文部大臣の御見解を承わりたい。
  62. 竹内壽平

    ○竹内説明員 十五日を期して授業を一斉に放棄するように、まあその放棄の仕方は、休暇をもらってということでありましても、その休暇を与えないというのにかかわらず、それを押して休暇をとってと称して一斉に授業を拒否するという指令を出した場合に、その指令がすなわちあおり、そそのかしの行為に当るかどうかという御質問でございますならば、それは法律論といたしましては、その指令そのものがあおり、そそのかしの行為に当るかどうかということは、これは一がいには言えないわけでございますが、しかしそれは同時にあおり、そそのかしの行為であるかもしれない、これはその他諸般の事情によりまして認定さるべき事柄でございます。
  63. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいま法務省の刑事局長からお答えいたしました通りと私ども心得ておる次第であります。従ってあおり、そそのかしの問題等につきましても、いわゆる何人といえどもということになっておりまして、これに該当する者はどなたであろうと罰則に触れます。
  64. 稻葉修

    稻葉委員 しからば第二に、休めという指令に基いて、休暇許可権者であるところの校長が休暇の許可を与えて休ませる、職場放棄を許すという、罷業行為参加、怠業参加を容認することは、この違法な教唆扇動行為の共犯になるのであるかどうか、単に業務命令違反だけにとどまるのであるかどうか、教育委員会の休みを与えてはならないという業務命令の違反に問われるだけであるのかどうか、その点はいかがでありますか。
  65. 竹内壽平

    ○竹内説明員 お尋ねのような場合にも、内容を分析いたしますといろいろあろうかと思いますが、一般的に申しまして、業務命令に違背して、何でもかんでもその指令に従って休暇を与えるというような行為は、やはり教職員同調のそのような行為に対しましては、その校長に対するそのような指令、そういうものはやはりあおり、そそのかし行為になる場合がある、かように考えております。
  66. 稻葉修

    稻葉委員 第三に、この組合指令と、校長の許可あるとなしとにかかわらず、職場放棄をした教員は争議行為参加者となるのであるかどうか、なるとすれば、行政上の賃金カットの処分であるとか、あるいは地方公務員法第三十七条違反の犯罪者として処罰の対象になるのであるかどうか、この点はいかがですか。
  67. 竹内壽平

    ○竹内説明員 その許可を受けて休んだ教員が果して争議行為となるかどうかという点でございますが、争議行為と認められます場合におきましては、行政処分として賃金カットの対象になりますほか、行政処分を受けることはもちろんでございますが、刑罰の点につきましては、争議行為に参加した者を罰するという規定はないのでございまして、そのような争議行為を共謀し、あおりそそのかし、またはその行為を企てた、かような指導的な立場の者のみが罰せられることに相なっております。
  68. 稻葉修

    稻葉委員 そういう事態を引き起して処罰者を出すということは、教育上決して結果のいいことではないのであるが、そういう違反行為をあえて知らないでやろうとしておる人もあるかもしれない。文部当局はこの点地方教育委員会等を通じてよく周知徹底せしめられまして、いやしくも軽挙盲動して犯罪に問われることのないように未然に防止していただきたいということを切に要望いたしまして、私の質問を終る次第であります。
  69. 坂田道太

    坂田委員長 長谷川保君。
  70. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 私は何としてでもこの危機を切り開く道を求め、収拾策をつけなければならぬと思う。罰するなんということはどうでもいい。そんなことは問題外です。そうでなくて、この日本の危機をどう切り開くかということが問題だと思いまして、前に引き続いて質問をしたいと思います。  今日の日本の教育界の悲劇は、本来一体であるべき教職員諸君と文部当局との相互不信である。ここに非常な悲劇があると私は思うのであります。またこれが今日の教育の危機を持ち来たしている一つの大きな原因だと思うのであります。小さな学校においてさえも教育というものは全職員が一体にならなければできるものではない。また教職員生徒が一体にならなければできるものではないにかかわらず、今日のように日教組は文部当局を信用しない。文部当局はまた日教組を犯罪人扱いにする。何という悲劇であろうかと思うほど実に大きな不幸だと思うのであります。文部当局や保守党の諸君は、先ほどの質問を聞いておっても、日教組はさも共産党と何かの関連があるかのように、そして国民共産主義をいやがるから、そこに何とかくっつけるように質問の趣旨が聞えるのでありますけれども、私はこのようなことを言う諸君に言わなければならぬ。諸君は一度でも日教組教育研究集会においでになったことがあるか。私は前後三回日教組の教研集会を傍聴した。その純粋に民主教育を守り抜こう、これを発展させんとする真摯な研修態度に打たれた。それ以来日教組を赤呼ばわりするのは見当違いの独断であると確信するに至った。日教組はあくまで憲法を守り、平和を守り、民主主義を守り、六、三、三制を守ろうとするのである。どこが一体悪いか、教育が中立であるかいなかということを判定するのは何か、それは憲法を守るか守らないかということです、憲法に立っておるかいないかということです。憲法に立っておるものが教育の中立を守っておる。これをよそにやって、憲法以外のところに教育を持っていこうとするものが、教育政治的偏向をしているものである。一体今日、戦力は保持しない、国の交戦権は認めないという平和憲法、これを無視してあの戦力なき軍隊という奇妙きてれつな言葉から始まった日本の自衛隊、これはすでにあの軍国日本が持っていた最大の陸軍、あのときよりも大きな軍隊となっている。これを憲法を無視して作り上げている。先般の金門島や馬和島をめぐっての中共対米国の対立が、一つ間違ったらこの日本が原水爆戦の中にほうり込まれるということは、だれでも予見することができた。どうやら話し合いがついたので国民はほっとした、これは真実だと思うのです。天孫民族や木口小平や勇敢なる水兵、軍国へ軍国へと教育をひん曲げていったあの明治、大正、昭和の日本教育史の悲劇、その中では真に教育を愛する教師や学者が実に血の弾圧と迫害を受けてきた。そうしてその最後があの「聞けわだつみのこえ」というような戦没学生となり、また再び帰りこなかった教え子である、あの敗戦のどん底の荒れ果てた学校と栄養失調の子供である。この経験を持っている教師諸君が、今日憲法違反を多数の力で平気でやって、アメリカ一辺倒の再軍備をして、核兵器の日本への持ち込みさえ許しかねまじき政府文教行政を信じないのは当然じゃありませんか、大臣は一体どう思いますか。私は憲法を守っているのは日教組であり、憲法を守っていないのは諸君だと思います。中立をじゅうりんしておるのは諸君であると思います。
  71. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 いろいろ平和教育であるとか民主教育あるいは憲法というような御議論で、まことに抽象的なお話でございまして、具体的にわれわれ保守政府は一体憲法違反の何をやっているかということをお示し願いたいと思います。さような事実はございません。きわめて抽象的なことで攻撃せられるということは、私受け取りかねるのであります。日教組共産党云々ということでございました。日教組共産党そのものが一つであるということは、私は考えておりません。もちろん日教組組合員である大多数の諸君は、私は健全なりと思っております。問題は日教組の指導者の諸君の行動いかんということでございます。先ほど来お話が出ておりましたが、今日なお倫理綱領というものがあり、あるいはまた新しく組合員になる方にいろいろなことを教えておられるようでありますが、そういうふうなものを見ますと、現在の日本の法律秩序、社会秩序というものを破壊いたしまして、そうして新しい社会を建設するために日教組は努力しなければならぬ、各学校先生はその重要な責務のにない手にならなければならぬというような思想が、私ははっきり現われておるようにも思うのであります。さらに進んで言えば、結局学校という教育の場を通じまして社会変革の方角へ向って努力をしていこうという考え方をしておられるのではないかというふうに私どもには察せられるのでありまして、もしこれが事実といたしますならば、われわれといたしましては、明らかに思想的に違っております。しかし思想が違っておるということを今ここで論議をしようとは思いません。しかしもしもそういう考えのもとに現実に教育が行われるとするならば、これはゆゆしい問題であると私は考えるのであります。教育政治的中立を守るという言葉は、お互いに申しておるわけであります。われわれも政治的中立を守るというつもりでやっております。日教組の諸君のいわゆる政治的中立とは何であるかということを静かに私はお考えいただきたいと思うのであります。われわれは今日日本の憲法のもとに行動をいたしておるつもりであります。今日、日教組の諸君があらゆる手段に訴えて、勤評実施の阻止闘争をいたしております。その事実は、私は少くとも憲法の大精神を破壊するものではないかというふうに考えざるを得ないのであります。まことに残念に思っております。多くの教員がこれらの点について思いをいたされまして、ほんとう教職員としてこの自覚、教職員としての誇り、教職員としての任務というものを十分考えて、いろいろの事態において善処せられんことを切に私は祈っておるものであります。
  72. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 先ほど言ったように、憲法を守っているか守っていないかということについては、いかなる人も常識をもってみれば、憲法九条の「戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」というような立場が今日守られているか守られていないかは、常識のある者はだれでも判断することができる。けれどもそれを今ここで論じても水かけ論でしょう、あなた方はそれを守っていると言うでしょう。しかし日教組はあなたの言うように、社会を変革しようと言うのではありません、本来の平和憲法に立った日本を作りたいと思っている。それが守られてないからそれを守りたいと考えておるのです。しかしこういうことは、あなたと私とは水かけ論になりますが、私は日教組が今日の文部省の文教政策を信用できない、これに従っていかれないというのは、非常に不幸な、またもっともな意見でもあると思うのです。  それで今申しましたことのほかに、実に不幸なことに、今日の総理大臣岸君は、戦争を起した直接責任者である、灘尾さんあなたもまた戦争責任者である内務官僚だ、稻田次官もまた御承知のように内務官僚だ、そして当面の責任者である内藤局長は、戦争教育の本山である東京高等師範学校の出身者である。いいですか、君たちはある意味で前科者なんだ、教師を罰する側ではありません。その資格はありません。深く慎しむべきです。深く慎しんで自分たちの過去にやってきた、あの戦争へ、戦争へと持っていった日本の文教行政、それらをもう二度とそうしないようにあらゆる努力をなさらなければならぬ。そういうほんとうの真心があれば、今日日教組があくまで平和憲法を守るといって戦っておるこの態度に対して、深い同情ができるはずです。その同情ができないということは、私はここに日教組の諸君が本気になってこれらの諸君と争うということの一つの原因があると思う。私はこういう点は、やはり文部省としては深く日教組の諸君の立場をも同情をもって聞いて、平和憲法はあくまでも守り抜こうという態度に対して共感を持たなければいかぬと思う。それができていけば、こういう互いの不信という問題はないと思うのです。私は諸君がただいま申しましたようなことからいって、その地位を去れとは言いません。その地位を去れとは言わぬが、そういうことであればであるほど、私は日教組の諸君が言うところの、平和憲法を守ろうということに対して、今のような御発言はないと思う。もっと深い同情とそして共感を持って、お互いに戦争をしない教育をあくまでやろうということをほんとうにうたってごらんなさい、そうしたら日教組の諸君は、諸君に対して深い信頼を持ちますよ。そういう態度がとられずただ罰する、こういうことは深く慎しむべきじゃありませんか。罰する資格がありませんよ、どうですか、大臣
  73. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私についてのいろいろの御批評でございます。なるほど、私は戦前におきまして内務省の官吏でございました。日本の運命を決するこの戦争のために、私は全力をあげてこれに協力をいたしました。このことは私は否定するものでも何でもございません。戦後私は追放が解除となり、私の余生を日本の政治のためにささげたいと考えたのでございます。その私の信念を選挙区の諸君に訴えたのであります。選挙区の諸君が私を当選させてくれたのであります。私はこの選挙区の諸君の期待にそむかないように、私の所信をあくまで貫いて参りたいと考えておる次第であります。戦争に負けました以上、われわれといたしましてももとよりその責任は痛感いたしております。また決して私は倨傲、尊大な気持をもって、今日自分の生活を処しておるとは考えておりません。あくまでも謙虚に物事をやっていきたい、もし足らざるところがあれば、長谷川委員の御忠告のように、私はあくまでも自分を反省することにやぶさかではございませんので、できるだけの反省をし、まじめに自分の生活を貫いて参りたいと考えておる次第でございます。その点は一つ御了承願いたいと思います。同時に、今何か罰則をもって臨むというようなお話でございましたけれども、もちろん文部省といたしまして、子供さんと先生と父兄の方とあるいはわれわれ教育に携わる者と、ほんとうに一体となって子供さんのために、次の日本を背負う青少年のために懸命の努力をするのが、私は今日最大の要務だと考えるのであります。不幸にして今日の事態は、御指摘の通りに教育の場は混乱いたしております。つまらないことでいがみ合っておるというような事実もございます。まことに私は残念に思います。しかしこの問題については、私に対する御批評もけっこうでございますけれども、同時に一つ公平に冷静に、日教組の幹部の諸君が、平常いかなる精神によっていかなる指導をしておるかということを、一つよくお考えをいただきたいと思うのであります。願わくば倫理綱領その他につきましても御熟読を願いたいと私は思うのであります。
  74. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 時間もありませんから、話をさらに進めましょう。そして私はさらに今日の教育の危機をもたらした原因を探してみたいと思います。  私が第三にあげる今日の教育の危機をもたらした原因は、地方教育行政組織及び運営に関する法律自体にあると思うのです。先ほども申し上げたように、この法律によって、従来直接選挙によった地方教育委員は任命制となった。その結果、今日ほとんどの教育長教育委員も、自民党さんや知事や政府一辺倒という形になった。教育政治的中立というものは非常にそこなわれてきた。ここに大きな危機があります。どうしても教育の危機を打開しようとすれば、私はこの法律をもう一度改正して、教育委員の任命を公選制にし、教育の真の政治からの独立を実現しなければならないと思うのであります。昭和二十三年に教育委員会法が国会に提案をせられた。その第一条に、皆さん御承知のように、この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意による教育行政を行うために教育委員会を設けるという法目的が書いてあります。不当な支配に服することなくということについて、当時の国会の応答を調べてみますと、当時の森戸文相は、この点の質問に答えまして次のように答えております。日本の過去の教育において、ことに戦前、戦時中の教育におきましては、日本の教育がいろいろな力で影響されております。他面では中央集権的な文部行政における官僚の影響もあります。他面では軍部等の支配が強く教育の上に及んだということは申すまでもないことであります。なお、内務官僚の教育に及ぼした影響も非常に大きいのであります。これらのことは教育の自主性、自立性が非常に傷つけられ、こういう不当な支配から教育は脱しなければならぬ、この森戸文相の説明を聞いておりますと、まるで最近の政治教育支配そのままであるような感じがする。こういう不当な支配をなくするために、教育委員の公選制が生まれたのです。これをもう一度復活する必要がある。  私は最近二ヵ月にわたり米国を旅行し、主として勤務評定等を中心とする合衆国の教育事情調査してきましたけれども、米国においては教育は全く政治から独立している。その根本は、全米の教育委員会の九〇%が直接選挙によって行われているところにある。さらに米国の伝統は、人民も政府政治家も、教育政治からの完全な独立を当然なこととして守っております。カリフォルニア州では教育予算をステート・タックスの目的税によることとした。この教育予算は、知事も議会も手をつけることができないようにして、一九一九年には州憲法を改正してまでも教育費の優先性を確立して、教育を政争から全く切り離している。今日わが国の教育を政争の外に置くことは急務中の急務だと思う。幾ら罰したってだめです。文部省はしきりにそんなことばかり言っているけれども、そのこと自体が文部省の非教育性を暴露している。私はこの際、前申しました教育委員会に関する制度を、法律を改正して公選制にする、そして政争の外に教育を置かなければだめだと思う。大臣、そういう意思はないか。
  75. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 教育委員会に関する制度は、今さら申すまでもなく千古不易の方式でも何でもございません。教育行政の上において適当な制度をとるべきものであることは申すまでもないのであります。先般の教育委員会法の改正は、当時の教育委員会の状況から見まして、教育の中立性を保持する上から申しまして不適当であるという考え方のもとに、改正が行われたわけでございます。改正法施行後まだ日も浅いことであります。あるいは教育委員会のやっておりますことについても不十分な点もあろうかと申いますが、私どもといたしましては、この教育委員会の制度をできるだけ育て上げていってりっぱなものにいたしたいという考え方のもとに、今日やっておるわけでございます。これを直ちにまた元のような公選制に変えるような考えは今のところ持ち合せておりません。
  76. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 昭和三十一年に今お話地方教委の選挙制度をやめて任命制にしたことは、何と理屈をつけようとも、人民の選挙ではいけない、任命制にするということは、私は人民を信用しない結果そういうようになっていると思う。人民を信用するならば直接の選挙が当然ですよ。だから何と理屈をつけようと、これは民主主義の後退である。人民は信用しないで、そして支配階級やその手先が人民に君臨する、これが選挙制度をやめて任命制にした何とごまかそうとも事実だと思うのです。これは私は今後の日本の教育ほんとうに民主化していく、そして政争から独立さしていく非常に重大なかなめだと思うから、もう一度伺いたい。何とかこれを改正する意思はないのですか。三十一年から今日まで二年やってみて、この大きな教育界の不祥事が起ってきたのでしょう。あなたはこの教育委員会法は施行後まだ日が浅いから改正することはできないとおっしゃるが、そんなばかなことはない。これだけ大きな悪い結果が起きているのに、まだ日が浅いからやめない、そんなばかなことがありますか。こんな実績が現われている。今日教育の危機が来ているじゃありませんか。それなのにまだ日が浅いから変えないというそんなばかな話はない。この問題を真剣に検討すべきだと思う。
  77. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 日本は民主政治の国であります。民意を尊重し、また民衆に信頼を置くということは当然のことであります。これは国の建前で、この建前は動かすべからざるものでありまして、そのもとにおいていろいろな行政の仕組みなり制度なりを考えて参りますときには、実際に適するような制度でなければいけないと私は思うのであります。先般の改正は、国会において、当時の教育委員会の状況からいたしまして、これを任命にする方が適当であるということで、この法律は改正せられたのであります。これが民主主義に反するとかなんとかいう問題には決して私はならぬと思うのであります。  なおまた、ただいまの新しい教育委員会が日なお浅いと申しましたのは、その通りであります。けれどもこれを育成強化していくのがあの法律制定の趣旨に沿うものと私は考えておる次第であります。今日日なお浅い教育委員会は非常な苦労をいたしておる、非常に努力をいたしておる、涙ぐましい努力をいたしておるのであります。この勤務評定の実施をめぐりまして、三重県の四日市教育長がついに自殺を遂げるような痛わしい事態になっております。だれがそうさしたかということを静かにお考え願いたい。今日日教組の幹部の諸君が、本来の教職員団体の姿に返り、本来の教師の心持ちを持ってこの問題を考えていただければ、問題は一ぺんに解決すると私は思います。そうでなくて、かようなむずかしい問題をしでかしておいて、教育委員会がどうのこうのとおっしゃることは、私は受け取りにくいのであります。
  78. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 今は責任呼ばわりをしておったところがしようがないのですよ。そうでなくて、どうやって解決するか、従って今日の日本の教育に支障を来たした原因がどこにあるかということを調べなければならない。その真因を追及して、勇敢にお互いに力を合せて突破しなければいかぬと思う。それを単に日教組を責めるだけではだめです。今は日教組の悪口など言わないで、文部省自体が何をなすべきか真剣に考えるときですよ。それだからあなた方に望むことは、まず自分のことを深く考えなければだめだと思うのです。今いろいろお話があったけれども、私はどれもこれもあなたの議論に承服するわけにいきません。まことに遺憾であります。これだけの大きな教育上の危機が来ておって、まだ現状を変えようとしない。文部省側がやらなければならぬことをやろうとしない。これは法律できまっていることだ、いかにも形式きわまることです。なぜその法律ほんとうに生かしていく態度が出てこないのか、私は非常に残念に思う。けれども先へ進みましょう。  今日の教育の危機を持ち来たしている第四の原因は、教育という事業の特殊性からして不可能である勤務評定を、文部省が強行しようとするところにある。私が調査したところによると、米国では一九一〇年から一九三三年まで教員勤務評定をやったが、その結果は全部失敗してやめてしまった。それは先生の士気が沮喪して教育効果が上らなくなってしまったからだ。戦後教育費がかさんで、地方自治体の予算の六五%もが教育費に使われ、さらにその七〇%が人件費であるところから、これを節約するために教員勤務評定をやるべきだとの意見があちこちに出てきた。たとえばニューヨーク州のごとき一九四七年にその法律を作ったが、どうしてもうまくいかないで一九五三年改正をした。それでもどうしてもうまくいかないので、一九五六年に廃止してしまった。米国全国で十三の市が試みに今日やっておりますけれども、そして四つの教育地区を除いては、米国全国で全くやっておらない。しかもこれすらうまくいっているものは一つもない。ユタ州では一九五三年から何とかして法律を作ろうとして、あらゆる努力をしておる。調査員を任命してやっておるが、いまだにそれができない。それほど長い期間かけて研究してもうまくいかないのです。先日内藤局長勤評をやるななどと言えば外国に笑われるという記事を何かで見たけれども、私は米国に行って各地の大学をたずね、また教員組合や全米教育協会をたずね、多数の専門家に会って、日本の勤評のやり方を示して、これが可能かどうか意見を聞いたが、すべての学者、専門家は、そんなものはできるものではないと、逆に笑われてきました。ハワイ大学の数名の教授たちは言下に、そんなことは不可能である。われわれはやっていないと言った。スタンフォード大学のガルシア教授は、教育行政専門の人でありますけれども、この人が、米国で教師の評価をすることをいろいろやってみたが、成功したためしは一つもない、よい教師か悪い教師かを決定する基準はないのだ、たとえば生徒の学力を上げる教師が有能な教師だとしても、これを道徳的、政治的、知的にはかる基準はない、教員組合も正しい評定はできないと言っておる、間違った評定は教師の地位を不安定にするとの理由で、ついにカリフォルニアでは評定はしていない。こういうようにガルシア教授は言っていました。ミシガン大学のビーチ教授は、勤務評定の問題は現在ないし将来もあり得ない、教育の仕事はあまりに複雑で、未知の要素が多い、六・三制学校では教室での仕事が大部分であるが、教え方はきわめて多様なのである。この教師が効果を上げた方法で他の教師が他の教室で教えても、必ずしも効果を上げ得るものではない。われわれはこう教えればこうなるだろうとの一つの仮定の上に立って教えてはいるが、これが真実だと証明することはできない、先生生徒との関連性について、あまりにも未知のものが多いのだ、六・三制学校の教師の勤務評定の歴史は明らかに失敗している。そうして現在新しい理論はないのだ、日本の教職員組合の主張に賛成する、こういうように言われました。さらにハーバード大学のガルニー教授は、生徒三千人の高等学校校長を二十年もやった人でありますけれども、そうして現在大学教育学を担当しておる教授でありますが、ロチェスター、レキシントンその他の事例をあげたのちに、校長が教師の勤務評定をして推薦するとすれば、教師が創造的な態度教育を熱心にやらなくなる、勤評は三十年前にやったが、今は全くやめた、結局教師の給料は学歴と勤続年数によることになったのだと言われたし、また同大学のハンナー教授、この人は初等教育の担当で、カリフォルニアのスタンフォード大学の人であって、あなた方御承知でしょう、文部省へも東京大学へもしばしば来ると言っておった。この人がこういうふうに言っておる。この教授は私が米国で会った多数の教授のうちで、ただ一人勤評は可能であろうと言った人でありますが、その話を十分に伺っていくと、小・中学校では困難だが、できないことはない、校長本人それから同僚の教師、監督者、こういう人たち、さらに生徒や両親、こういうものを一体として共同でやればできないことはなかろう。しかしその結果は五年後に生徒がどのくらいできるようになったか、十年後にその生徒がどういうような人になったかということを調べて評定すべきだ、こう言われています。一体こんなことができますか。今日の勤務評定で五年も十年も調べなければ評定できない、こう言うのです。米国でもって最も進んでおるといわれるカリフォルニアの教職員組合の研究報告がここにございます。時間が長くなりますから読みませんけれども、あるいはまた、米国の勤務評定の決定版、これはカリフォルニアの研究であります。さらにこれは初めミシガン大学で、これはぜひもらっておけと言うので、わざわざワシントンまで行って米国教育協会の本部でドクター・スミスからもらってきたのです。ここに米国の勤務評定の決定版があります。文部省でもお聞きだろうと思う。こういうものをお調べになっておるかどうか。この初めの論文を三つ四つ読みましても、どんなに勤務評定が困難で、できないものかということが明確に書いてある。こういう御研究をなされておるかどうか存じませんけれども、こういうふうな深い研究をして後にこの問題に手をつけるならわかります。あらゆるところに行って、どこに行っても——大学教授は別ですよ。大学教授は勤務評定することはできるかもしれない。しかし六・三制の学校先生勤評することはできないのだ、こう至るところで言われておる。ミシガン大学でスタートン副総長に会ったとき、この人も、また日本の六・三制を実施するために非常に働いた。同じミシガン大学のアンダーソン教授、あるいは高等教育部長のヘンダーソン教授は、日本の勤務評定に全都反対です。そんなことはできやせぬ。全米教育協会も反対だし、ことにミシガン大学のビーチ教授は、最後に次のごとく申しました。いずれにしても教員勤務評定は、教育の効果をあげるものでなければならない、そうだとすれば、これは教師が喜んで受け入れるものでなければ、その効果があがらないことは明瞭である、教師が受け入れない勤務評定を強行する日本の文部省や教育委員会は、真に教育の能率をあげようと純粋に考えているのであろうか。まことに真をうがった言葉である。大臣一体これをどう思います。あなたの方でお調べになったものと私の方で調べたものと違っているかもしれませんが、私が真剣にこの問題を憂えてアメリカで調べた結果はこういう結果なんです。日本の勤務評定が学問的にいって、あるいは実証的にいって、可能だという人は一人もいない。これでもなおこの十五日の危機を前にどうしてもやらなければならぬのか。私はこの研究が果して文部省にできているのかどうか、それさえも疑わざるを得ない。これでもこの危機を侵してもどうしても勤評をやらなければならぬのかどうか、このことを伺いたい。
  79. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 勤評に関する非常に熱心な御研究のお話を伺いましたが、これにつきましては私は敬意を表します。いろいろ御心配のあまりに、外国にまでおいでになって御研究をされたことには深く敬意を表する次第でありますが、私どもはただ今日の日本の勤評というものが、これが最善のものであるかどうかというようなことになりますれば、いろいろ御意見もございましょう。しかし不可能なことをあえてしようといたそうとは考えておりません。現に御承知の通りに地方の小学校長はどんどん出しておるではありませんか。不可能なことをやっているわけではないのであります。勤評内容その他について、もし不可能だとおっしゃるんなら、日教組の諸君は今日まで一回でも、ここのところを変えたらいいとか、こうしたらやれるとかいうふうな建設的な意見をもたらされたことがあるか、一度もないのであります。頭から勤評制度は権力の教育支配であるとか、あるいは軍備につながるものであるとか、あるいは平和教育の何であるとかいうふうなことで、そういうふうなことからの反対ばかりしておられるのでありまして、内容的にどうのこうのというのではない、建設的な御意見というものを伺ったことは一度もないのであります。そういうふうな事態のままに今日推移いたしておるわけであります。関係の当事者はもちろん実行可能と考え、その案を作ったことと思いますが、人間のやったことであります。決して完全とは言いにくいところもあるかもしれない。しかしそういう問題を一ぺんやったら永劫変えられないものではありません。実施の経過に徴して直すべきところがあったら直していってよろしい、私はその程度の問題と考えておるのであります。  ただ私が一番今真剣に心配しておりますことは、勤評内容を直すとか直さないとかいうことよりも、制度を実施することを認めるか認めないか、この点でございます。この点についてあくまでも制度の実施を認めない、こういうふうな態度は、私は日本においては容認できない行動ではないかと考えておるのであります。私は民主政治、議会政治の筋道だけはあくまでも貫いて参りたい、この所信のもとに進んでおるわけでございますので、おっしゃる通りに十五日どういう事態が起るかわかりません。私は必ずしも皆さんの御心配になるような大へんな事態が起るというふうにも考えませんけれども、しかしとにかくこれは心配な問題でございます。できるだけそういうことのないように、そういう意味におきまして地方教育委員会等に対しましても、事前の指導を一つ十分にやってほしいということを申し上げ、またあらゆる機会に教員諸君の自覚と反省を促し、教職員としての正しい態度を堅持してもらいたい、こういうことを訴えておる次第でございます。事の起ることを決して望むものではございませんけれども、これほどみんなが心配しておるにもかかわらず、あえて反民主的な、いわば暴力行動というべき手段にまで訴えようとする。この問題を一つ重視していただきたい、ぜひお願いしたいと思うのであります。
  80. 内藤誉三郎

    内藤説明員 ただいまアメリカの勤務評定を調べたことがあるかというお尋ねでございました。いろいろ学者の意見をお述べになりましたが、アメリカにも賛成の学者もあるし反対の学者もある。ちょうど日本におきましても、学者の中には反対の方もたくさんあります。また賛成の方もございます。現実にアメリカでやっておるところの実態を見てみますと、大体大都市におきましては八、九〇%が現在実施しておるのであります。小さな教育委員会においては、御指摘のように実施していないところもございます。その目的は、アメリカでは御承知の通り教職員の勤務年限が一定の期限で切れておりますので、契約期間がございますので、その契約の期間ごとにある程度の評定があるのであります。それからもう一つは、研修のために使っておるのでございます。こういう意味におきまして、アメリカにおいても大都市におきましては大部分が実施しておるという報告が参っております。
  81. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 そんな研究じゃだめですよ。あなた方は形式的におそらく調べていると思う。ここにもデータが載っておりますけれども、ノー・ユースというのがたくさんある。(「そんなことをしているから、アメリカはソ連に勝てないのだ」と呼ぶ者あり)使ってないのです。そういうことをみなやっておると思っているでしょうが、大きな間違いです。ノー・ユース、ノー・ユースとたくさんあるのです。さっき言ったように、三十年前やったけれどもだめだ、やらない、戦後やってみたがだめだ、やらない、ノー・ユースがたくさんあるのです。おそらくあなたは教育区のことを言っておるのでしょう。教育区は御承知のようにカリフォルニヤだけでも三、四百あります。その教育区のことを言っているのでありましようけれども、よく調べてごらんなさい。そんなことはありませんよ。大学はやっております。アメリカの大学ではライセンスがない。同時にこれは著書と研究が必要なのです。研究を公表する客観的なものとして著書というものが出てくる。だから大学の名声が上ったかどうか、その先生がどのくらいの力があるかということは学長にわかる。勤務評定大学先生はやっておりますよ。それと間違えておるのじゃありませんか。しかしこれらのことは時間もありませんから、いずれまた十分議論することにいたしましょう。  しかし今の大臣答弁はがまんならぬ。いいですか。今の重大な問題は、制度を守るかどうかということではありませんよ。制度なんか犬に食われてしまえ、制度が何だ。問題は日本国民の幸福を守るかどうかということです。日本のほんとうの民主主義の教育を守るかどうか、制度なんかどうだっていい。制度や大臣の三人、五人はどうなってもいいのです。問題は日本国民の幸福をほんとうに守るかどうかということなんです。それを守るために、今日の教育危機をどうやって突破するか。制度なんかどうだっていいですよ。そうじゃなしに、今どうやって日本国民の幸福を守るか、日本の民主教育を守るかということが根本なんです。そこに立たなければこの葛藤を解く道はないのですよ。文部省は制度を守るというのだが、日教組の方は、法律違反だ、あくまで平和憲法に従ってやるのだ、平和憲法を守るのだ、民主教育を守るのだ、これでは葛藤を解く道はないじゃないですか。どこを土台にするかといえば、日本国民全区体の幸福をどうやって守るか、日本の子供たちの教育をどうやって守るかというところを土台にして、今までの一切のいきさつを捨てて、虚心たんかいにこの重大な段階に対処する。そうでなければ、これを解く道はないにきまっておるじゃありませんか。私はそういう立場から今の答弁に全く不満です。そういう気持でいるから、教育の危機がきている。これは根本的に考え直さなければならぬ。  もう一歩私は退いてさらに考えたい。それは今日の教育の危機を持ち来たしている原因として、あげられるのは、文部省があまりにも日教組との対立に急で、あるいはあなた方から言わせれば、それを逆に言うかもしれない。しかしいずれにしても文部省があまりにも日教組との対立に急で、日教組との共通の広場を重んじ、これを拡大していくという努力が見られない。これではどこまでもけんかですよ。なぜ教育の広場をもっとお互いに尊重して、文部省は共通の広場を広げていくのに努力しないのか。それを広げていくなら、そこに解決の道がある。今日まできたみたいなひどい対立はこなかったと思う。あまりに対立ばかりに急であって、共通の広場を求めようとしないのではないか。共通の広場は私があげるまでもなく幾らでもありますよ。あなたの方で言っているすし詰教室の解消、日教組もすし詰め教室の解消と言っている。あなた方は今日法律を守れと言っているけれども、ある学校教育法施行規則の十八条には、一つのクラスの定員は五十人以下を基準とするとありますが、守られていないじゃないか。私はアメリカに行ってネアの大会に出てみました。クリーヴランドのネアの大会出席したのですが、そこで決議されたものは、一クラス三十人の教育ではだめだ、先ほど永山さんかが言ったように、これではとてもソ連に勝てない。どうしても二十五人にしなければだめだという決議をしていますよ。三十五人の教育をしなければだめだ。今六十人も六十五人もいて道徳教育もへちまもありますか。ここに高見政務次官もおられますが、ついこの間もあなたの静岡県では六十四名ですか、そんなことで教育ができますか。問題はまずそれを少くとも三十人以下にするということが、あらゆる教育の根本ですよ。それならば日教組は一生懸命やるでしょうし、あくまでも協力するでしょう。なぜそれをやらないか。わずかに五十人にするなんてとんでもない。そんなことで文部省がなまけておってどうします。そういう問題こそ文部省が中心となって大蔵省を説いて突破していく、こういうことができなくて教育も何もあったもんじゃない。今度新教育で五十五人も六十人もかかえて、何で教育ができますか。あなた方のうちで教師をした人がありますか。文部省の役人で先生をやった人があるでしょう。こんなことができるかできないか、だれが考えてもわかる。私は昨年も静岡県の奥地の僻地教育をたびはだしで四十数校歩いて見た。そこの僻地教育がいかにひどいものか、あなた方歩いたことがあるか。私は足にまめを作って幾日も歩いてみた。僻地教育がいかにひどいか。僻地教育をりっぱなものにしようというならば、日教組も一生懸命やるでしょう。そういう問題を一つもやっておらぬ。育英制度の拡充にしてもそうです。教育の機会均等は、教育基本法の第三条に明記してあるじゃありませんか。その育英制度の拡充——おれはやっているというかもしれぬけれども、今の日本でやっている程度のものをやっていると思ったら大間違いですよ。教育の機会均等というものはここでやらなければならぬ。私はアメリカのミシガン大学で、十人ばかりの教授と一編に飯を食って大いに話をしようといって話をした。そのとき私は質問した。米国の今日の繁栄と国民の生活水準が高まってきたその最も大きな原動力となったものは何ですかと聞いてみた。そのほかに私は多勢の知名の人と会うたびに一々聞いてみた。多くの意見はありますが、その最大のものは、さっき申しましたミシガン大学の副総長スタートンという人が私に明確に言ったことは、第一にあげるべきことは教育の機会均等、米国は経済的な理由によって、高等教育ができないというようなことをあくまでなくするという立場を、今日も建国以来とってきておる。大学教育は、能力さえあればだれでも受けられるように、経済的な理由によって決して受けられないことがないようにしてきた。これが今日の米国の繁栄の根本の原動力である、こう言いました。今日の教育は、実際能力があっても大学にいけないでしょう。大学にいけないどころではない。あの入学難は一体どうするんです。私はあの入学難の解決の道があるのかどうかと思って、米国でいろいろ探してみたが、米国ではりっぱにやっている。なるほどアメリカは金があるというでしょう。金があるとかないとかいうのじゃなくて、政治家の心がまえです。あるいは行政当局の心がまえです。米国でも金があり余っているわけではない。ほんとうにそういうことがなされなければならぬ。そういう一人でも経済的な制約によって大学にいけないというものがないというようにしていけば、日教組ほんとうに喜ぶでしょう。なぜこういう問題をやらないか。社会教育施設の充実にしても、あるいはまた義務教育学校の充実にしても、危険校舎の改築にしても、あるいはまた大学の理科教育の施設の充実にしても、やらなければならぬことは一ぱいある。そうして日教組が喜んで一緒にやろうということは幾らでもある。教育テレビの問題でも、私は昨年教育テレビの問題を非常に心配した。しかし残念ながら日本の資本家どもに、教育テレビを持っていかれてしまった。今日ほんとうに文部省がやろうとしたって、教育テレビのネットワークはできないでしょう。そういう仕儀になってしまっている。アメリカでもこれを調べてみた。今残っておるUHFなんという電波では教育テレビはできないのです。そういうような将来の教育を決するような教育テレビをどうするか、電波をどうするかというようなことを、うかうかと資本家どもにもぎとられてしまって、文部省は何もやっていない。こういう問題をやれば、日教組も幾らでもできることがある。こういう共通の場を拡張して、違いの方は時間をかけて解決するようにあとに残しておいて、そうして共通の場をずっと広げていくという努力をすれば、日教組は一生懸命やりますよ。そういう態度が文部省にないじゃありませんか。なぜそういうことができないか。私は今日の教育の危機を打開するその大きな問題は、そういうことで、違うことはしばらくおいて、それはあとでゆっくり話をしてまた解決するとしてむしろ共通の場をあくまで真剣に広げていく、これがなされなければならぬことだと思う。こういう問題についてどう思われますか。これは私が言うわけじゃありません。七月六日の朝日新聞に森戸辰男先生がそういう点をやはり強く指摘しております。お読みになったと思う。あなたはどう思いますか。
  82. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 まず最初に、だいぶおしかりをこうむりましたが、国民の幸福を守るということが政治の大本であるということは、これはもう申すまでもない。国民の幸福を守るという見地に立ちました場合に、私は国の秩序というものはどこまでも保っていかなければならないと思うので、かようなことを申しますと、すぐお前は内務官僚だ、法律論ばかりやっておる、こういうような御批判もありますけれども、しかしお互いの社会生活を幸福にやりますためには、やはり法律秩序、社会秩序というものはどこまでも守っていかなくちゃならぬ、かように私は考えるのであります。今回の日教組の諸君の行動というものは、その意味におきまして私がむしろがまんがならぬのでありまして、ぜひ一つ社会秩序、法律秩序の尊重ということは心がけてもらわなくちゃならぬと思うのであります。この点を私はむしろ重視いたしておるのであります。従って先ほど来たびたび申しますけれども、この議会政治、民主政治のもとにおいて、お互いに法律は尊重しようという気持はぜひ持ってもらいたいと考えるのであります。これを無視して、正当な行政をやっていこうというときに、実力をもって阻害するというふうなことがひんぴんと行われるということになりましたら、一体どうなるでありましょう。私はその点を心配するのであります。ことに教育界におきましてぜひとも秩序ある行動を私はとってもらいたいと心から念願をいたしておりまするがゆえに、今日までかような主張をいたしておるわけでございます。国民の幸福を守るゆえんもまたそこにあると私は信じておる次第でございます。  なお日教組との間に対立ばかりあって共通の広場がないじゃないか、御指摘の通りであります。私もまことに残念に思っております。ねがわくはお互いに胸襟を開いて日本の文教のことについて静かに意見を交換するとか、ともどもに努力するとか、こういうふうな姿であってほしいと心から念願をいたしております。不幸にして日教組の諸君はそういう問題に重点を置いておられない。たとえて申しますれば、岸内閣は反動内閣である、独占資本の手先である、アメリカに従属しておる、平和を脅かすものである、軍備への準備をやっておるじゃないか、こういうふうな方面にのみ力を入れられまして、あることないことを言ってめちゃくちゃな行動をしておるのが今日の日教組であります。私といたしましても、文教行政を担当いたしまする以上、何とかして日本の文教というものをもっと充実したい、もっと改善したい、このために懸命の努力を払いたい。これがためには、日教組の諸君また国民の皆さんの御協力も得て、ぜひやって参りたいという念願に燃えておりますけれども、不幸にして私のさような努力を妨げておるのは、残念ながら日教組であると申さざるを得ないのであります。
  83. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 そういうかたき呼ばわりをしていてはだめですよ。そうでなしに、文部省がほんとうに真剣になってこの危機を突破するために、まず自分を省みなければだめですよ。もうじき終れという指令が参りましたから、これ以上あまり長くできませんけれども、今日、勤評をやれという人も確かにあります。しかし勤評をやるべきだという人の意見の大部分は、教育という事業の特殊性というものが、勤評というものを不可欠としているという事実を十分に気をつけない人々である。また教育について理解ある人で勤評をやるべきだと言う人も確かにございます。しかしその人々が一様に言っておりますことは、今回の勤評の様式はいけない、こう言っておるのであります。これは、私は十分耳を傾けなければいかぬと思います。先ほど大臣も、やってみて工合悪ければ変えてみていい——これもずいぶんひどい話だと思う。これだけの騒動を起しておるのに、やってみて変えればいいというような未熟な話を押しつけるということはとんでもない話だ。そんなものは急いでやる必要はないと思うのでありますけれども、とにかく私はもう一歩退いて、勤評をやるべきだという人の意見というものにも耳を傾けてみる必要があると思う。八月三十日の朝日新聞の社説「勤評解決の糸口をここに求めよ」こういう大へんいい社説が載っておったが、大臣はこれをお読みになりましたか。お読みになったのなら、読んでどういう御感想をお持ちになりましたか。
  84. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 どういう内容のものであったか、記憶いたしておりません。
  85. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 たくさんの仕事があることだから、それもやむを得ないことと思います。それじゃ私ここでその要旨を申し上げますと、こういうことです。「昨年来文部当局にも、教育委員会にも、内容の公表と社会的批判の時間の余裕を求めてきたのであるが、いわゆる教育正長協議会案」なるものを見て、これを強行しようとする当局のやり方には、少なからず疑問を持たないではおられなかったのである。」「われわれが問題と考えるのは、Aの(二)「特性、能力」の項と最後のD「総評」についてである。」「(二)の「特性、能力」の項には、たしかに問題がある。これが、教育愛、指導力、誠実、責任感、公正、寛容・協力、品位の七項目に分れ、その一つ一つについて「評定要素」が四つから七つまでの細かい「観察内容」に分けられている。「教育愛」については、「教育に対する正しい信念をもっているか」とか、「誠実」については「正直で良心的であるか」とか、「公正」では「判断にかたよりがないか」、「品位」では「身体や服装が清潔であるか」といったことがならべてある。こういったことは、大ざっぱに言って、人間の持って生れた性格にもかかわることで、それから一歩深入りすると、ものの考え方、思想のことにも関連する恐れさえあるだろうこのようなことを五段階法で採点するという行き方は、場合によっては有害でさえあると言いたい。さらに「総評」のところで、絶対評価と相対評価を区別し、同じ職場の教師たちを五点と一点の間に位置づけることが要求されている。すべての教師が優秀だと考えても、校長は最下等の一点教師を何人かつくらなければならないのである。これは明らかに穏当でないし、無用のことである。」このほか勤務成績のうち三の勤務状況、調査等々のことも書いてありますが、いずれにいたしましても、結論的には「これを要するに、双方ともにいきり立っていては、ことは少しも前に進まないのだ。それこそ社会的に、常識的に、比較的無理が少ないというところで、教育委員会と府県教組、文部省と日教組がもう一度最後的に話合うことが絶対必要である。」こういうように社説は言っておるのです。私は傾聴すべき議論だと思う。どう思います文部大臣
  86. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 新聞その他におきましていろいろな御批評が行われておるわけでございます。ただいま御指摘の論説は、私不注意で読んでおりませんでしたが、一つのお考えであろうと思っております。勤務評定を実施すべしという線に乗ってのお話ならば、われわれ決してがんこなことを申すわけではございませんが、しかし御承知のように、これに対しまして今のような折衷的な御意見もありますし、頭からいけないというふうな御議論もありますし、中にはまた一体あれでいいじゃないかというふうな御議論もございます。いろいろの御批評があり、御議論があるということを別に私はかれこれ申しておるわけではありません。ただ行政当局といたしましては、十分相談の上で一つの案を作って、これをそれぞれ責任のある地方教育委員会において今日実施に移しておるわけであります。何かの新聞にもあったと思いますけれども、よく馬は中流にすでに乗り入れておるという言葉がありますが、中流どころかすでに上陸しておるものもある、そういうふうな段階になっているわけであります。同時にまたこれを実施しております責任者である地方教育委員会の諸君におきましては、やはり必ずしも教育長教育委員会等で作りました基準通りにもやっておらないようであります。それぞれの考えで実施計画を定めて実施に移っておるわけでございます。そういうふうなことでございますので、御批判をなさる向きから申しますると、いろいろ難点もあり、あるいはまた改善すべき点があるかもしれません。けれども、当事者はとにかくこれでよかろうという判断のもとに今日行政を進めておるわけでございますから、これは一つお認め願う、同時にまた御批判についても、もちろん謙虚に耳を傾けまして、改善すべき点があれば将来これらの点についてはよく検討していくとか、あるいは実施の成績を見まして考え足りなかった点があれば、そういうふうなものについてもさらに考えていくというふうなことは私はあり得ることと思うのでありますが、ともかくこの段階においていろいろな御批評はございますけれども、私はこの実施に向って進んでいくということはぜひお認め願い、御協力をいただきたいものと念願しておる次第であります。
  87. 坂田道太

    坂田委員長 時間もありませんから、一つ結論的にお願いしたいと思います。
  88. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 それを言っておったのでは絶対解決しないのですよ。あなたは法律にあるから、制度であるからやると言うけれども、しかし法律をよく読んでみれば、必ずしもあなたの言うようではないと私は思う。たとえば今勤務評定をやるというのは、これはあなたも言うように、人事院規則十章の二というところに出てきているわけです。これが一番もとです。これを受けて地方公務員法ができているわけです。この人事院規則には何と書いてあるか。あらかじめ試験的な実施その他の調査を行なって、評定の結果に識別力、信頼性、妥当性及び実施が容易であることを確かめたものでなくてはならない、こう書いてある。一体文部省はどこで試験的な実施をやって、調査をしっかりやってそれで信頼性、妥当性というようなものが出てきたのか、その実施が容易であるということが出てきたのか、それを確かめたのか、それを一つ聞きたい。
  89. 内藤誉三郎

    内藤説明員 すでに国立学校におきましては、昭和二十七年からやっております。(「地方公務員とは違うぞ」と呼ぶ者あり)これは教員ですから同じであります。国立学校につきましては静岡県その他十県が実施し、小中学校におきましては富山県、愛知県等においてすでに実施されております。なお、愛媛県におかれましても実施されておりますので、そういう状態をすべて調査を行いまして、なお国家公務員、地方公務員、民間企業等も検討いたしまして、これでできる。必要な調査を行なって、そして信頼性、識別力、妥当性を十分検討して、かつ容易にできるという自信を持ったわけであります。
  90. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 もう事実が明瞭じゃありませんか。そんなものを、妥当性も信頼性も実施が容易だなんというものはありゃしないじゃありませんか。今お話の静岡県でやっておるというのは、勤務状況調査というものはやりましたけれども勤評はやっておりませんよ。そればかりじゃありません。静岡県の人事委員会は三十年の六月に除外例を作って、勤評はやらぬでいいという除外例の四の中に、教育公務員と明確に書いておりますよ。できないからやらぬでいいというのだ。人事委員会がちゃんとそういうふうに言って静岡の議会に報告しておりますよ。それだから、あなたもずいぶんいいかげんじゃありませんか。だれが考えたって容易にこれができる。妥当性があり、信頼性があるというならば、何もこんな騒ぎなんか起りませんよ。だから国立学校でやっておるというお話だったけれども、なるほど国立の付属学校ではやっているでしょうが、地方公務員ではやっていないじゃないですか。大げんかしてやって、いやおうなしに権力に屈して校長は出している。さっき文部大臣から、いかにも校長が喜んでやっているように聞えるお言葉があったのでありますが、どんなに校長が苦しんでいるか、死ぬ苦しみ、先ほどお話がありました教育長だって、自殺するというほどの苦しみ方をして、文部省の権力の前に彼らは全くどうにもならぬでやっているんでしょう。そんなことではだめですよ。文部省自身、正確にいえば人事院規則に違反していると思う。きょうはそのほかにも法律論を展開したいと思ったが、時間がありませんから、ほかの諸君に譲って、私は遠慮しますけれども、実際法律論からいってもずいぶん危いものですよ。だからそんなようなもので、しかもこれからやってみて変えるかもしれぬということで、何でこんな大きな騒ぎをする必要がありますか。何でこの危機を持ち出す必要がありますか。それを十分に、何年かかってもいいじゃありませんか。一年冷却期間を置いて、そこで考えてみる。そうしてできなかったらまた一年やってみる。何年かかったって、この大きな教育の危機を乗り切る方法があるなら待ったっていいじゃありませんか。きょうも朝日新聞の社説がまたいっています。きょうこの勤評をやらなければ日本の教育がつぶれるというものでもあるまい。だから文部省も一度考え直したらどうかと、きょうの朝日新聞の社説でいっています。どうですか。一体この大きな教育の危機を突破するために、どうしてもこれをやらなければならぬというものじゃないでしよう。制度を守ることばかりが政治じゃないのです。制度は人民の幸福のためにできた制度なんです。人民の幸福を守るということが根本なんです。それをやらないのですよ。制度だということは法律家の法律知らずであり、法は法なきをもって目的とするという法の大原則を知らぬから、そういうことになる。だめですよ。この大きな危機を突破するために、それくらいのことが文部省でできないでどうしますか。十五日までに間があるから、よろしくもう一歩考えて——文部省がこれで引っ込めたって、文部省はなっておらぬと言うような人は日本中にだれもありません。文部省はよくやったとむしろ言いますよ。そうしてこの教育の危機を突破するために面子を捨てて実を取ったとおそらく国民は言うでしょう。だから十五日まで日があるから、もう一度考えて何とかしてこの教育の危機を突破するために、諸君は日本の文教の責任を持っている責任者として、当然この危機を突破する責任があるのだから、もう一度考え直しなさい、こういうこれを要求して、私は質問を終ります。
  91. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御要求でございましたが、ただ非常に声を大きくして教育の危機、教育の危機と仰せられたのでありますが、今日の教育は危機は一体どこにあるかというところを私はお考えいただきたいと思うのであります。先ほど来、長谷川君の御質問を通じて考えまするのに、日教組に対する御批判というものは、少しもない。ただ政府だけが何か悪いことをしておるような攻撃ばかりなさっておるのでありますが、私は今日あなたのおっしゃるいわゆる教育の危機なるものはだれが招いたかということをお考えいただきたいと思うのでございます。社会党の皆さん、ことに長谷川君が、あの日教組のむちゃくちゃな行動を是認せられるということは私には納得できかねるのであります。これらの点につきましては、おそらく皆さんの間にもいろいろ御議論のあることと思うのでございますが、少くともどちらの立場が正しい立場に立っておるかということについては、正確な御判断をいただきたいと思うのであります。皆さんの、いわば国会の御委任に基いて政府は仕事をしておる。国民諸君、国会に対して責任を持って仕事をいたしておるわけでございます。国会において私の責任を御追及になるということは、私は少しも回避するものではございません。どうぞ御自由にお願いを申し上げたいと思いますが、われわれは行政をやっているのであります。それに対しまして国民の一部、それらの諸君が実力をもってこれを阻止しようといたしておるのが今日の事態でございます。この点を一つ根本的にお考えをいただいて、それから御議論をお願い申し上げたいと私は思うのであります。私に対する御忠告につきましては、もちろん私も反省すべき点は反省して参りたいと考えておりますけれども、議論の基礎をどこに求めていらっしゃるか、私はその点に納得のいきかねるものがあるのであります。どうぞそこらの点はお互に議会を守り民主政治を守る、この立場において御判断をいただきたい。制度を守る、制度を墨守して国民を殺してはならぬ。お話はよくわかるのであります。わかりますが、今日の場合におきまして、私はこの問題はやはり政治、行政の筋道を立て通すということが日本の幸福をもたらすゆえんではないかと固く信じておりますので、ただいまのような行動をとっておるわけでございます。さよう御承知を願います。     —————————————
  92. 坂田道太

    坂田委員長 理事補欠選挙を行います。永山忠則君が一時委員辞任され、再び委員に選任されました。この際、先例により委員長において指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  93. 坂田道太

    坂田委員長 御異議なしと認めます。それでは永山忠則君を理事指名いたします。  午前中の会議はこの程度とし、午後二時三十分より再開いたします。暫時休憩いたします。     午後一時三十六分休憩      ————◇—————     午後三時二分開議
  94. 坂田道太

    坂田委員長 休憩前に引き続き会議を続行いたします。鈴木正吾君。
  95. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 今回の勤務評定反対全国統一運動において社会党がリーダーシップを握らず、事実はどうかわからぬけれど、よそ目にはよろめきつつこれに追随したというふうに見えますことは、日本の民主政治のためにまことに残念なことと思うのであります。もし、議会を通してその政治的意図を達成することを表看板としておる社会党が、この運動の主導権を握っておったなら、この運動はもっと平和的に、もっと民主的に推進せられたであろうと惜しまれてなりません。今度の勤評反対闘争が、ゼネストによる革命への予行演習ではないかと見られるような険悪な様相を呈するに至ったのは、総評がその子弟の登校を阻止するという非常手段に訴えて、日教組運動を支持することを打ち出したことから始まっておると思います。そこで私が当局にお尋ねいたしたい一点は、勤評運動における総評の立場、それからその総評の幹部組織、その総評に共産党がいかなる影響力を持っておったかというような点について、具体的にできるだけ詳細な御説明が願いたいと思います。
  96. 関之

    関説明員 お尋ねの要旨は、要するに総評、もちろん日教組も含めての問題でありますが、今度の闘争などを契機として、その中における共産党の動き、その勢力はどういうふうになっているか、そしてその活動はどうなっているかというようなお尋ねだと思うのであります。  それでそういうような観点からお答えいたしたいと思うのであります。総評三百三十万ほどの勢力の中に日共の党員がどのくらいいるかと申しますと、およそ八千人前後の者がいるであろう、こういう疑いを持っておるわけであります。これは御承知のごとくに総評は、多くの組合がそこに結成されている連合体でありまして、それらの八千人の者がそれぞれの各単産の中に所属しておるわけであります。その中で日教組の勢力五十万、その中における共産党の勢力はおよそ二千前後と私どもは踏んでおるわけであります。そこでこの二千前後の共産党は、もちろん日教組の中央から各県教組の中に分散しているわけでありまして、それらがどういうふうに現実に分散しているかと申しますと、たとえば東京には日教組組織員数が約四万ほどあると思うのでありますが、その中における共産党は約百三十人、また大阪は三万余ありますが、その中で約百人ほど、京都は一万一千ほどの構成員の中に約六、七十、和歌山は約六千余りの構成員の中で四十、高知は約七千ほどの構成員の中で百近く、こういうふうなことになっておるわけであります。そしてこれらがどういうようなポストにいるか。もちろん数としてはそう多いものではありませんけれども、それがどういうポストにいるかと申しますと、それらの共産党員は、大体といたしまして県教組の段階の執行委員の中にはおよそ一割五分程度の者がいると思います。またその書記局の系統には二割前後の者が共産党員として入っておる、こういうところの布陣をもって共産党は総評内にたんたんとしてその勢力の増強を今はかっておる、こういうのが現在の段階なのであります。
  97. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 今の私がお尋ねしたのは、総評の中に共産党員がどのくらいおって、それがいかなる地位において、今度の勤評反対運動においていかなる役割を演じたか、あるいはどの程度の影響力を持っておったかというようなことをお伺いしたいと思ったのです。
  98. 関之

    関説明員 総評内における共産党の勢力は、ただいまのような状況に相なっておるわけであります。さて、そこで共産党の全勢力は約四万、そしてその周囲にあるこれに同調し支持する者が全体で百万ほど国民の各層におるわけであります。これらを総合して、今日の闘争共産党が各種の活動をいたしているわけであります。今日において共産党は、要するにこの勤評闘争は、その勢力を拡充し、またその終局的な目的達成のために、きわめて格好な条件を備えた闘争である、こういうふうに評価いたしまして、そしてこの勤評闘争をさらに全般的に盛り上げ、他の、たとえば日中国交回復であるとか、あるいは基地問題であるとか、あるいは原水爆実験禁止の問題とか、各種の闘争とこね合せて、さらにこれを大がかりな階級闘争に盛り上げる、こういうような方針を堅持しているわけであります。その方針を実現する手段といたしまして、党中央におきましては、アカハタその他の文書活動を盛んにいたしまして、連日のごとくにこの運動の拡大化、階級闘争の進化ということをあおりそそっておるわけであります。また現実の問題といたしまして、地方においてはそれぞれの地区においての地区共闘会議の結成という方向に持っていけ、こういう指令を出しまして、今の総評傘下の各単産の中における自己の党員を指揮いたしまして、盛んにその組織活動及び階級闘争の進化の線に向ってやっているわけであります。  そこで一、二の例を申し上げてみますと、かの和歌山の例でありますが、和歌山闘争においては、例の七者共闘会議というものがあるわけであります。これは和教組に高教組、地評、それから和大自治会及び県教員職組、こういうようなものがここに参加いたしまして、いわゆる七者共闘というものを作っているわけであります。この七者共闘は総評の傘下である地評が一応主軸となってやっておりますが、この七者共闘の七者の組織の中に共産党員が約六、七十名いるものである、こういうふうに判断されるのであります。これらを共産党はいかに利用したか。表面的には共産党はこの七者共闘に参加いたしておりませんが、この各単産の中にあるところの共産党を県委員会がリードし、さらに県委員会は大阪地方における共産党組織ないし本部連絡をとって、この闘争の打ち出しの各種の戦略戦術をこまかくきめて、各共闘会議における大勢のリードを行なっているわけであります。漸次このような共産党の作戦が功を奏しまして、あとにおいては、この共闘会議を利用しての共産党の裏面における作戦が功を奏していった、こういうように判断される状況にあるわけであります。また次の問題として、兵庫県に起っている事例でありますが、兵庫県には今日各地において共闘組織というものができ上っているわけであります。この共闘組織と申しますのは、総評系の各種組織あるいは全学連あるいは民主青年同盟、あるいは農民組合あるいは民商連等の各種の団体が参加いたしまして、この勤務評定反対闘争に共同統一戦線をもって当る、こういう考え方のようであります。この組織を作れということを、党中央は去る八月二十五日の通達第一号をもって全下部組織指令いたしまして、これによって全国共産党が音頭をとって共闘組織を作りつつある状況が見えておりまして、その具体的な実例としまして、兵庫地方ではかなり共産党の指導下に各地に共闘組織ができ上って、共産党はまさにこれを称して大成功であるという評価を与えている実情のようであります。総じて全総評傘下の労働者の皆さんやあるいは特に日教組の一般の先生方が革命を目的としての暴力主義の運動考えておらないと思うのであります。さりながら共産党は最近の第七回党大会を終えまして、ようやく党内のトラブルを一応結末をつけて前進態勢に移り、今やその前進態勢のもとに格好なこの勤務評定反対闘争というものをきわめて巧妙にここに利用し、各地に統一戦線、統一組織を作り上げて、その上における党組織の拡大と、そして党の影響力、その指導力の強化という線に向って今非常に活発なる活動をしている。そうしてどうもそういうような方向において成功しつつある。こう申しますと、この勤務評定闘争というものの中に赤い水が流れ込んで、それが漸次拡大していきつつある、こういう状況に考えてよろしいかと思うのであります。
  99. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 ただいまのお話で、今度の勤評反対運動の指導的立場をとっておるものが共産党だということが概念的にはわかるわけなのですけれども、しかし指導的立場をとっておるといいましても、言葉の先だけで、それじゃどういうふうな指令が飛んで、それが具体的にどう表われた、たとえば総評が総評傘下の子供を当日は学校を休ませるというようなことがきまったという場合に、共産党の勢力がどういうふうに具体的に働きかけたか、影響したかということは当局にはわからないのですか。
  100. 関之

    関説明員 ただいまのお尋ねのような指令は、これは共産党でなく、総評あるいは日教組などの指令の中に出ているようなのであります。もちろん共産党はそれらを全幅的に支持いたしまして、各地方組織を通じ、さらに程度の高い方向において闘争するという方向に導きつつあるように思うのであります。
  101. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 お尋ねする焦点がぼけておるのかもしれませんが、もっと具体的に言えば、今日の総評の幹部組織、いわゆるそういう指令を発するときの指令の製造元というか、その製造元に共産党員としていかなる人が名前を連ねておるのかというようなことで承われば、もっとはっきりするだろうと思う、
  102. 関之

    関説明員 総評中央組織に若干の共産党員の存在の疑いはあるわけであります。これらの者がやはりこれらの指令の作成にある種の影響を与えておるであろうと思うのであります。氏名の点はちょっとここでは申し上げかねる次第であります。
  103. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 そうすると、現在の公安調査庁の仕事としては、あるいはそれが将来の日本の革命の原動力になるかもしれぬというような中心の動一に対してその真実をつかんでいないのですか。つかんでおるけれども、発表ができぬ、こういうのですか。
  104. 関之

    関説明員 破防法に基く調査の上から、これは冷静に考えてみまして、今日のわが日本におきまして暴力を肯定する共産主義革命を目的とするものはもちろん日本共産党のみであります。またこれを支持するものといたしましては、二、三の団体があるのでありまして、さりながら今の段階において暴力を肯定する団体が、たとえば総評がどうかというようなお尋ねかと思いますが、そこまでは私はいっていないと思う。一般の総評傘下、日教組傘下の多数の先生方はそこまでは考えておらない、そこまでは私としてはとうてい考えられない。要するに共産党を中心とする動き、日本の暴力革命の発展がどうなるか、それがどう伸びていくのかというのが今日の一番問題であろう、こういうふうに私は考えております。
  105. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 私は実はきょう御質問申し上げたのは、そういうことをはっきりしたい。国民がもし今日の勤務評定反対運動共産党によって指導せられておるのだということをはっきり知ったら、私は世論の動向も変ってくるのじゃないか、この問題を好転させる材料になりはしないか、こういうふうに思って聞いたわけです。ところが今のお話を聞いて、具体的には、ただ指導しておる、働きかけておるというだけなので、どうも私もはっきりつかむことができないのですけれども、それではこういう質問を私は試みに出してみます。たとえば和歌山とか愛媛とか高知とか、総評の勤評反対運動の猛烈に展開した個所における県の、つまり県単位の日教組の幹部の中で共産党員が指導しておるところにそういう猛烈な反対運動が起っておるのか、あるいはそういうところには共産党党員として正式に党籍を持っておる日教組の幹部はいないのかどうか、そういうことを承わりたい。
  106. 関之

    関説明員 お尋ねの点はなかなかむずかしい問題でございまして、どうも一がいに申し上げかねる点でありますが、たとえば高知のごときは、かなり矯激な運動がそこに展開されておる。そうすると、その事実として、どうも高知教職員の県教組内における共産党員の数、そしてその共産党員が県教組の執行委員とかあるいは書記局において占める数は多いようであります。ですから、それをもってすべてを推すことはなかなかむずかしいかと思いますが、やはり共産党員のウエートが多いところは、どうも行動が矯激に流れるのではないか、こういう疑いを持っておるのであります。
  107. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 各地の、勤評反対運動の激しい闘争の行われたところには、全学連の先鋭分子が強く動いておったというようなことは、先ほど稲葉君の御質問に対するお答えの中にもちょっとあったように思うのですけれども、たとえば高知とか愛媛とかいうようなときに、全学連の先鋭分子と思われる人間が現地に行ったとか行かぬとか、そういうことはおわかりになるだろうと思いますが、行ったとすればどういう——人の名前はやはり言うことはできぬというなら、何人くらいそこへ繰り込んでおるのか、それを一つ……。
  108. 関之

    関説明員 現実の例といたしましては、和歌山の問題があるわけであります。和歌山の問題では全学連は十五日、十六日両日とも参っております。参っておりますが、全学連は御承知のごとくその中に約二千名前後の共産党員、しかもこれはきわめて飛び上った矯激な思想を持った学生党員でありまして、これら関西を中心として全国各地の大学から出た者約百数十名が和歌山闘争に参加した。そして十六日の例の血を見た不幸な事件の惹起にも、相当この全学連系統の矯激な者の影響があった、こういうふうに考えている次第でございます。
  109. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 要するに共産党系統の先鋭分子運動の中で重要な役割を務めておるらしいというのですからね。務めておるというふうにはお答えになっておらぬのですが、らしいという観測の出る根拠をもう少し教えてもらうわけにいかぬですか。
  110. 関之

    関説明員 たとえて申しますと、和歌山闘争でありますが、この闘争は先ほど申し上げたように、七者共闘会議決議という形で、各種の毎日の闘争が組まれていたわけであります。そうすると、きょうはどうする、あすはどうするというふうにやる。その決議の出るもとを調べてみますと、どうも各組合組織内におけるところの共産党員が、うしろでもって特別な会議を持って連絡する。その共産党員会議には背後共産党員の県委員会があって指導する、県委員会背後には、党中央ないしは関西地方委員会の幹部がいて指導をする、そしてこういうふうな案を出せ、ああいうふうな案を出せと、そういうふうな織り込み方をして、それを各共闘会議に出させる、そういうことで共産党員の指導というものが出ていると私は思うのであります。
  111. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 今のお話は、こういうふうにやれ、ああいうふうにやれということが中央の共産党からだんだん流れておるというのだけれども、そういうことは想像なんですか、流れておるという事実をつかんでおっしゃっておるのですか。
  112. 関之

    関説明員 今のお話は、やはり一応の指令ないしは会合の事実を一応キャッチしてのお答えなのであります。
  113. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 私は大体聞きたいと思うことがほんとうには聞かれなかったといううらみを感じますけれども、今の段階においてそれ以上の具体的な発表ができぬとおっしゃるなら、やむを得ないのであります。私はこれは日教組のためにもはっきりしてもらいたいという気持なんですけれども日教組は俗にいわゆる丹頂ヅルだという。赤いのは頭の方が少し赤いだけで、あとは全部白だ、こう言うのであります。私も過去三年、地方の中小学校先生たちと接触する機会をたくさん持っておった職におりました。そこでたくさんの教員に会っておりますけれども、私どもが接触した限りにおいて、地方の中小学校先生などというものは、決して赤いなどとは私には思えない人なんです。そういう人たちがいざとなると結局巻き込まれるというか、今度の闘争などというものは、何といっても法律の施行を実力によって妨害しようというのですから、これは容易ならぬことだと思うけれども、それを容易ならぬことだというふうな認識を持たずに引きずられていくということは、一体今の師範教育というか、教員を養成する教育の上に何らかの欠点があるのじゃないのか。いわゆるりっぱな民主主義の人間のように自分で思いながら、そういう自分の意思と反した方向、あるいは自分の意思の思わぬ方向に少数の人によって引きずられる。民主政治というものは多数決が原則というが、その弊害は、少数の人間が多数の名において実行するというのが大体民主政治の一番の弊害だと思うのですけれども、その場合において、自分の意思によって、これはいかぬと思ったらいかぬと言い切れるような先生を作らなければ、次代の国民を作ることも困難だと思うのです。今のように、自分の意思にはないけれども、まあ上から指令を発せられたからそれに引きずられていくというのなら、軍国主義はなやかなりしころの東条の指令に引きずられて動いたときと何ら異なることはない。こういうような教員を持っておるということは、今の教員養成の仕組みの上において何かそこに欠陥があるとお思いになりませんか。もっと道徳的の勇気というか、自分の是と信ずるところは一人といえども行こうという道徳的勇気を持つような教員がおらなければ、将来何か起ったときに、一人の指導者によってわっと騒がれれば、それに引きずられて戦争でもおっ始めた国民と同じような国民を作ることになりはしないか。私はそれを心配するのですが、その点について文部大臣の見解を伺いたい。
  114. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お話にもございましたように、今日日教組五十数万といわれる教師の諸君が、その思想等において危険な人であるとか赤い人であるとかいうふうに私は考えません。大多数の諸君は、私もかなり地方の諸君との接触もございますけれども、そういうふうな人はほとんどいないと申し上げてよろしいと思うのであります。しかるに今お話になりましたように、何か指令でも出ますと、この指令にはかなり忠実に動いていくように見受けられるのであります。その指令がどういう指令であるか、どういう内容のものであるかというふうなことについての是非善悪の弁別といいますか、判断というものが比較的おろそかにせられて、簡単に上からの指令だというようなことでついていく向きが多いのではないか、こういうふうに見受けられます。これはまことに残念なことであります。何とかそこらのところは、ほんとうに民主的な、自主的な判断のもとにそれぞれの行動をやってもらいたいものと、私は希望するわけでございますけれども、事実は必ずしもそう行っていない。そこで鈴木さんのおっしゃるように、あるいは現在の教育に欠陥があるのではないか、こういう御疑問もごもっともな点もあると思います。ただ現在さような状態で動いております教職員の大多数の方が、必ずしも今の大学で養成されたんでもないわけです。古くからやっておられる人もかなりそういうふうに簡単に動いておる方がおられる、こう見受けられるのでありまして、おそらく全体を通じて、もっと物事の判断というものについて自己に忠実にやってもらいたい、そして必要があれば勇気を出してそれぞれの行動をとってもらいたいということを、私は絶えず希望いたしておるわけであります。しかしながら一般的に申し上げまして、現在の教員養成の制度が果してこれで十分であるかどうかということになれば、私もやはり問題があると思います。これは大学における養成制度ないしは免許制度等に関係してくる問題と思うのでありますが、この養成という問題について何か特殊な工夫を必要とするのではないか、かように考えまして、前に大臣として在任いたしておりました当時に、中央教育審議会に諮問いたしました。その答申を先刻いただいているわけであります。この答申を基準といたしまして、今後十分一つ実地に即して検討を重ねていき、現在の教員養成制度に何らかの改善を加えて参りたい、こういうふうな考え方をいたしておる次第であります。要は学識においても、また教授の力におきましても、人格におきましても、ほんとう先生らしい人をもっともっとたくさん作っていくことが必要なのでありまして、同時にまた現在教職についておられる方に対しましても、やはり研修教育その他の方法を講じまして、絶えず自己をみがいていくということについてわれわれも大いに便宜を与えなくてはならぬのではないか、かような考え方のもとに事務を取り扱っている次第であります。
  115. 鈴木正吾

    鈴木(正)委員 上の方から一本の指令が来れば、それに無批判についていくという事態が、結局革命を欲しない人々が、革命にいく道程を助けているような行動にさえ無批判についていく。そういう先生に導かれた子供は、やはり昔の、上の指令一本で戦争にも飛び込んでいくような人間ができると思う。これは勤務評定以上の大問題だと思う。教師がもっと独立した自己批判の力を持って、自分がこうと信じたことに対しては上の指令でも言うことをきかない。一人でも自分の是を信ずるところを守り抜く、そういう教師を作らねば何をやったってほんとう教育にはならぬと思います。幸い文部大臣は、ただいま諮問機関に諮問をして、その答申に基いて教員をそういうふうに教育することに尽力されるように聞きますから、ぜひそれを一つやってもらいたい。上から来る指令にいやいやながらでもついていくということは、結局民主教育に反する。言葉の上で民主教育、民主教育といわれても、今までだいぶ社会党の方々も民主教育、民主教育といわれるけれども教育の本質、教員の本質、そういう点をほんとうにたたき上げていかなければ問題にもならぬと思うので、これは単に文部大臣だけではないですけれども政治の全面において、そういう教員を作り上げるように努力していただきたいということをお願い申し上げて、私の質問を終ります。
  116. 坂田道太

    坂田委員長 次に堀昌雄君。
  117. 堀昌雄

    ○堀委員 亀岡法制局第一部長に少し法律についてお伺いしたいと思います。  本日朝からの審議におきましては、文部大臣は、ともかく法律があるからこれを実施すると、この一点張りでただいままでおいでになっている。そこでこの法律についてもやはりもう少し検討してみる部分があるのではないかというふうに私自身としては疑義を持っておりますので、これについて少しお伺いをいたしたいと思います。  まず第一に、地方自治法の二百八十一条に「都の区は、これを特別区という。特別区は、左に掲げる公共事務及び行政事務で、国又は都に属しないものを、法律又はこれに基く政令の定めるところにより処理する。一小学校、中学校、幼稚園及び各種学校を設置し及び管理し並びにこれらに関する教育事務を管理し及び執行すること。但し、教育職員の任用その他の身分取扱、」云々「その他政令で定めるものを除く。」こういうふうに書かれておりますけれども勤務評定というのはこの中の身分取扱いというものの中に含まれておりますかどうか、お伺いいたしたい。
  118. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申し上げます。準備をいたしておりませんので何ですが、ただいまの御質問地方自治法の二百八十一条第二項ただし書きの、教育職員の任用その他身分取扱いに勤務評定が入るかどうかという御質問に承わったわけでございます。一応その条文の字句から見まして、身分取扱いということに勤務評定が入るかどうかということは、一応入るように考えております。
  119. 堀昌雄

    ○堀委員 次に地公法の五十五条には「登録を受けた職員団体は、条例で定める条件又は事情の下において、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、当該地方公共団体の当局と交渉することができる。」こういう一項があるわけですけれども、ただいまの身分取扱いとの関連において見るならば、当然これらのことは勤務条件の中に含まれてくる。こういうふうに思うわけですけれども、これはどうでしょう。
  120. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申し上げます。ただいまお尋ねになりましたのは地方公務員法第五十五条の、職員団体が当局と交渉することができる事項の範囲に勤務評定が入るかどうか、こういう御質問かと承わったわけであります。ここにありますのは、「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件」こうございますので、最後にございます勤務条件、これに勤務評定という事項が入ってくるかどうかということに帰着するかと存じますが、一般に勤務条件といわれておりますのは、労働者がある事務に携わる場合に、その与えられた条件をいかようにつかんでおるか、こういうことでございますので、勤務評定については入らないというふうに一応考えられるわけであります。
  121. 堀昌雄

    ○堀委員 私が伺ったのは、あなたは最終的にそう御理解なすったと思いますが、勤務条件と身分取扱いとの関係を伺ったわけです。
  122. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 ちょっと御質問の御趣旨がよく理解できないのでありますが、身分取扱いに勤務評定が入ればこの勤務条件の中にも入ってくる、こういう御質問なのでございますか。お言葉を返しまして非常に恐縮でございますが……。
  123. 堀昌雄

    ○堀委員 要するに勤務条件というものの中には、たとえば給与の問題とか、あるいは勤務時間の問題とか、こういうものと同時に、身分の取扱いの問題も入ると私は思うのです。身分の取扱いの全然ない勤務条件というものはあり得ないと思うのです。そこで、私は勤務条件の中には身分の取扱いという項目が含まれるものだ。こういうふうに理解しておるが、そこはどうか伺っておるわけであります。
  124. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほど私が地方自治法の関係で身分取扱いに入ると申し上げたのでありますが、しからば勤務評定がそういう身分取扱いに入るから、勤務条件にかかってくるのではないか、こういうことでございますが、それは直ちにそうは言えないので、勤務評定ということは別個の見地から考えらるべき事項、すなわち勤務条件それ自身ではないわけでありまして、勤務条件をどういうふうに定めるかというような事柄には、かかわりはないというふうに考えるわけであります。
  125. 堀昌雄

    ○堀委員 「勤務条件に関し、」ということなんですから、私は今直接勤務評定まではまだ伺っていないのです。勤務条件と身分取扱いという問題のところを伺っておるのであって、それが含まれるとか含まれないとかいうことであれば、その次にはやはり問題があろうと思うのですが、今勤務評定は身分取扱いの中に入るのだというふうにあなたはお答えになっておるし、その次にここにあります。いろいろな項目、たとえば職員の給与とかあるいは勤務時間とか、こういうことは勤務条件の中の一つであると思うわけであります。ここには「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件」こういうふうに書かれておるわけでありますから「その他の勤務条件」というものの中には、身分の取扱いも入るであろうということを私は伺っておるのであって、勤務評定についてはまだ伺っていないのですから、そこをはっきり一つお答えを願いたいと思います。
  126. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 身分取扱いという事柄でございますが、身分取扱いという事柄は、勤務条件との関係で見ますと、勤務条件が一応前提ということにはなると思いますが、身分取扱いという概念とは考えられない、こういうふうに考えられるわけであります。
  127. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、関係はあるということでございますね。
  128. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほど申しました通りに、勤務条件ということと身分取扱いということとは、観点が違うのでありますから、ある事柄についてそれがどういう観点から見られるかということにおいて、関係があるということは言えるかもわかりませんが、事柄としては勤務条件というものと身分取扱いというものとは別の事柄ではないか、こういう考え方であります。
  129. 堀昌雄

    ○堀委員 そこまで参りますと、見解の相違ということになるかもしれませんけれども、私はこの条文をすなおに読みますと、「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、」ということは、身分の取扱いを全然除外しておるものではないというふうに私は理解をするわけなんですが、身分取扱いに関しては完全に除外さるべきものだ、こういうふうに法制局では解釈をされる、こういうことでございましょうか。
  130. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 ただいまお話になりましたように、身分取扱いということでこの五十五条をお考えになりました場合には、入らない、こういうふうに考えるわけであります。
  131. 堀昌雄

    ○堀委員 これはここまでにいたしておきます。  次に、地方教育行政組織及び運営に関する法律の中で、事務という言葉がしばしば出て参るわけでありますが、この事務という言葉の法律的な性格といいますか、範囲といいますか、私の考えによりますと、事務というものは、責任の伴わないようなものだ、機械的に処理される形態のものでありまして、事務自体の中には決定権が含まれるとかそういうふうなものはないのじゃないかと私は理解しておるわけですが、法制局としてはこういう事務という言葉はそういう性格のものかどうか。命ぜられたことの範囲内で処理を機械的にする事項といいますか、そういうものが事務だというふうに私は理解をするのでありますけれども、それについての御見解を承わりたい。
  132. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 地方教育行政組織及び運営に関する法律で、事務と言っておる場合に、その事務というのは、単に与えられた事柄を処理するということに考えられるかどうか、こういう御質問に承わったわけでございますが、この事務と言っております場合に、その事務が、権限を与えられた場合におけるその事務を処理するというようなもの、また単に日常の行為を行う、こういう事務がいろいろあると思いますので、一がいに今お尋ねになりましたような事務について結論は出せないというふうに考えております。
  133. 堀昌雄

    ○堀委員 権限を委任された事務ということになりますと、そこにやはり権限というものが引用されておるということでありますから、私もさように考えますが、それは権限を委任されたということが事務の頭についておるわけですから、そういう言葉がなくして、単独で表現されておる事務というものには権限は委任されておらぬ、そういうふうに理解をしたい、私はそう解釈をしておるわけですが、その点はいかがでしょうか。
  134. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これは法律の表現の仕方によりまして、たとい権限の与えられた事務でありましても、事務であるとか職務であるとか、そういう用語を使う場合もございまして、その法律の規定の仕方によりまして判断すべきじゃなかろうか、こういうふうに考えております。
  135. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると法律の解釈というものは事務に限りませんが、ケース・バイ・ケースで非常にいろいろな意味を含むということになりますと、私は法律というものはきわめて拡張解釈をされてくるというふうに思うのですが、やはりそういうふうに事務の問題についてはケース・バイ・ケースということでございますか。
  136. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 そういう意味で申し上げておるわけではございませんので、ある法律の規定で事務と使っております場合に、その法律の規定から合理的に判断をいたしまして、その事務が果して事実上の行為に含まれるかどうか、また権限に属するかどうかということは、ケース・バイ・ケースで判断するということでなくて、その規定の客観的に現われておる合理性から判断すべきものであって、法律の解釈がまちまちになるという性質のものではないと思います。
  137. 堀昌雄

    ○堀委員 地方教育行政組織及び運営に関する法律の四十六条に、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」こういうふうな規定があるわけであります。そこで私疑義がございますのは、東京都の場合でございます。東京都の場合には、先ほどの地方自治法の二百八十一条では、特別区を規定した中で、今御質問をいたしました身分取扱いの中に勤務評定が入るそうですから、これは除く、都の方に権限がある、こういうふうに地方自治法の二百八十一条の第二章からは解釈ができます。ところがこの地方教育行政組織及び運営に関する法律の第二条には「都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)町村及び第二十三条に規定する事務の全部又は一部を共同処理する市町村の組合教育委員会を置く。」こういうふうになっておるわけです。そこで地方教育行政組織及び運営に関する法律というものは地方自治法に対する特別法であるというふうに考えますから、一応私は地方自治法よりも地方教育行政組織及び運営に関する法律の方が優先をするのではないか、こういうふうに思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  138. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これもまた非常にむずかしい御質問かと存じます。地方自治法二百八十一条の第二項第一号の事務と、地方教育行政組織及び運営に関する法律第四十六条の事務、この事務を、二つ法律をかみ合せまして区の委員会がやるか、都の委員会がやるかという問題にからんでくるかと思いますが、非常にむずかしい問題で、考え方としては地方教育行政組織及び運営に関する法律が特別法であるという考え方、それからまた地方自治法二百八十一条第二項第一号の事務、ここからはずしておるという建前から見て、これが優先するのだという考え方、いろいろございまして、この際どちらがどうであるかということはいささか検討させていただきたいと思う次第であります。
  139. 堀昌雄

    ○堀委員 ちょっとその前に、ではいつ御返答がいただけるかを伺いたいのですが……。
  140. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 実はこの問題は、文部省からも相談を受けておりまして、文部省でも御意見のあるようにも承わっておりますので……(堀委員「文部省の意見を聞くのではない、私は法制局の見解を伺っておる。」と呼ぶ)おっしゃる通りでございますが、一応もとの主管省である文部省がどういう考え方をしておるかということを聞きました上で、それにとらわれるわけではございませんが、その結果法律の解釈として、その法律の解釈が正しいという判断をしていきたいと思います。
  141. 堀昌雄

    ○堀委員 それならば、法律の問題に関して法制局の権威と文部省の権威とはいずれが優先するのですか。
  142. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 もちろん法制局の職掌にありますように、私の方でやっております仕事は、各省から法律問題について相談を受けました場合に、その問題について法律上の見解を申し上げる、こういう建前になっております。もちろんその場合に各省でとられておる見解にとらわれることは毛頭なしに、内閣として公正に客観的に判断する。これは仰せの通りであると思います。ただ問題が私の方で取り上げておる場合ではないので、文部省の方からこういう問題があるが、いかが考えるが、こういう段階でございますので、いましばらく時間をかしていただきたい、こう申し上げておるわけであります。
  143. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、文部省からどう考えるかという問題と、私が質問をいたしておる場合と、一体どちらが重要になるのですか。
  144. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 御質問になっておりますことについては、政府側として忠実にお答を申し上げなければならないことは申し上げるまでもないわけでございます。ところで先ほどこれについてどう考えるか、こういう御質問でありましたので、この点については非常にむずかしい問題である、こう申し上げたわけでございます。そうしてその問題を現在文部省から私の方に口頭でございますが、意見照会の形で持ってきておられる、こういう段階でございますので、いましばらく考えさしていただいた上で申し上げたい、こう考えておるわけであります。
  145. 堀昌雄

    ○堀委員 考えていただくことはけっこうでありますから、本委員会の終了までにこの場所でお答えをいただきたい。そういうふうにお願い申し上げます。  次に移ります。それではその次に、ただいまの地方教育行政組織及び運営に関する法律の四十六条に、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」こういうふうにあるのです。そこでこの「計画の下に」という表現はどの程度の範囲を示すものか。要するに都道府県委員会計画をしたもの、そのものを行わなければならないというふうには、私はこの法文からは解釈できないようなわけなんですが、法制局としては、この「計画の下に」というのは、どういう範囲のこと、要するに都道府県委員会の決定と市町村教育委員会のその決定の間に差があることがあり得るというふうに私は思うわけなんですが、その点を一つお答えを願いたい。
  146. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 「都道府県委員会計画の下に」と、こうございますので、一応きめられた計画がある。その計画に基いてそういうことを行うということになりますので、その計画それ自身とそのやったことが直ちに完全に一致するということがない場合も生ずるかと存じます。
  147. 堀昌雄

    ○堀委員 ない場合も生ずるではなくて、なくても差しつかえない、こういうふうに私は理解するのですが、そういうふうな理解でよろしゅうございましょうか。
  148. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 計画のもとに、こうございますので、その計画からはずれた、違ったこと、こういうことであればもちろんそれは許されない。その計画の範囲内で行われる事柄、その事柄がたといその計画通りでなくともという考え方であります。
  149. 堀昌雄

    ○堀委員 そこでちょっと伺いますが、計画というものはそれじゃどこまでを規定するものか。たとえば勤務評定の問題が現実にありますが、九月一日に勤務評定を提出しろとか、こういう日限を限ったりすることが、果してそういう計画の中に入るのかどうかということをちょっとお伺いいたしたい。
  150. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 ただいま具体的におあげになりましたような事柄、これはもちろん入ると思います。
  151. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、その日時が変った場合には、この計画のもとにということではなくなる、こういうことになりますか。
  152. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 さようでございます。
  153. 堀昌雄

    ○堀委員 では、具体的にはそういう表現をとるならば、個々の問題については全部同一でなければならぬということになるのじゃないでしょうか。一つずつ出してさましたら、具体的に一つずつ並列した場合に、これはいいとか悪いということではなく、みんなそういうことでなければならぬということになれば、計画のもとにということでなくて、計画を行うということになるのじゃないですか。
  154. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これは非常に具体的な問題になりますが、計画とありますので、この計画がどこまできめなければならないか。非常に細目まできめてある計画、こういう場合と、そうでなくある大綱をきめておる計画というような、いろいろな計画の場合があると思います。その場合に、非常に細目をきめてあるような計画、そういう場合にその骨子と申しますか、計画のもとにとありますから、そういう場合には若干違う場合も生ずるかもしれないということを先ほど申し上げたわけであります。
  155. 堀昌雄

    ○堀委員 この法律ははっきり、われわれ読みますと、市町村の委員会が行うということが私は基本になっていると思います。その基本の上に、条件として、都道府県委員会計画のもとにという一つの条件を設定しているにすぎない。そうなると、主体は市町村の教育委員会にあるのであって、その市町村の教育委員会がすべてが拘束されるような計画を作るということは、法の趣旨に反しているのじゃないか、私はこういうふうに思いますが、法制局はどうでしょうか。
  156. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 確かにこの規定は市町村委員会が行うものとするとございますので、主体は市町村委員会であることは当然でございます。その場合にどういう方法でやるかということを、別に都道府県委員会計画のもとに、こう規定してございますから、その趣旨に合うように市町村委員会は行わなければならない、こういうことになると思います。
  157. 堀昌雄

    ○堀委員 今私が御質問したのは、主体が市町村教育委員会にあるのなら、都道府県はその主体を破壊するような規制をしてはいかぬのじゃないか。最初におっしゃったように、ある幅のある計画というものを都道府県委員会がきめまして、そしてその幅のある中で自主的に市町村教育委員会がこれを行う、これが私はこの法律の趣旨であると思います。にもかかわらず、現在の東京都が出しておるものは、そういうあなたがさっきお話になったように、最初の原則としては、計画のもとにということには幅があるのだ、要するに都道府県委員会計画というものと、市町村が行う実態というものの間に、差があっても差しつかえないということになるような計画ではなくして、すべてのことが規定されて、おまけにその文章でどういうふうになっているかといいますと、東京都立学校及び区立学校職員の勤務成績の評定に関する規則、昭和三十三年四月二十三日、東京教育委員会規則第九号、第一条、「地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第四十条の規定に基く、東京教育委員会(以下「委員会」という。)の行う東京都立学校(都立大学及び都立短期大学を除く。以下「都立学校」という。)及び特別区の設置する学校(以下「区立学校」という。)に勤務する職員(区立学校の雇員及び傭員を除く。以下「職員」という。)の勤務成績の評定(以下「勤務評定」という。)は、この規則の定めるところによる。」とこういうふうに書いてある。こういうことになると、一体この法律は、都道府県委員会がこの規則の定めるところによるといって何らそこに変化を認めないような規定を許しておるかどうか、こういうことを私はお伺いしたい。
  158. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 都道府県委員会計画のもとにとこうございますので、この計画を作るのは、もちろん都道府県委員会が自主的に計画を作るということはいなめないと思います。従ってこの計画がどこまでどういう内容をきめたものであれば、この市町村委員会の自主性を失うかどうかという判断の問題であります。これはいずれも市町村委員会が行う、同時に都道府県委員会計画を定める、こうなっておりますので、主体は確かに市町村委員会が行うことになるかと存じますが、都道府県委員会が、さればといって、どの程度までの計画しかきめられないものであるということをこの法律上断定するというわけには参らないと思います。
  159. 堀昌雄

    ○堀委員 表側からと裏側からの表現の差があると思うのでありますが、法律の趣旨は何回も申すように、市町村の教育委員会というものに主体性がある。これが最終的なそういう決定をする機関であって、都道府県委員会には私はそういう決定権はないと思う。そういうこまかい細目についての決定権はないと思う。にもかかわらず、東京都の場合においては、勤務評定の種類、時期あるいはもうその他のすべての内容について、あなたの言うような表現に基けば、全然計画そのものを行わなければならぬようなものを出しておるということになれば、これは法律の趣旨に反して一歩踏み越えて、市町村教育委員会のやることを都がやっておるのじゃないか、こういうふうに私は理解せざるを得ない。少くともそうなれば、この法律は、都道府県委員会計画を市町村教育委員が行うものとする、こういうふうに書かれておれば私はそういう疑義を持たないけれども、現実にこの法律はあなたのおっしゃったようにそうは書かれておらぬ。前提条件とそれから主体というものをはっきり区別されておる。その主体を侵すようなことを都が行うということは越権行為じゃないか、法律に違反しているのじゃないかというふうに私は理解するのです。それについてはどうでしょうか。全然越権もなければ違反もない、これはこのままで正しいということでしょうか。
  160. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申し上げます。先ほどお答え申し上げました通り、都道府県委員会計画とこうございますので、その計画をきめるのは都道府県委員会がおきめになる。そうしてそのきまった計画、そうなればその計画のもとに市町村教育委員会が行うということになると思います。
  161. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、もう一ぺん裏返しますが、この東京都のこういう具体的な問題が出ておる場合に、これに一字一句違反してはならぬというふうに、この規則の定めるところによると、都はこういう規制をしておるわけですよ。もしこれと今あなたが言うように、そういう計画だ、しかしこれからはずれたことを市町村がやるという場合に——これは特別区になるかもしれませんが、市町村がやるというふうな場合においては一体どうなるかということなんですよ。法律の趣旨、あなたの解釈からいったら、それをやらなくても差しつかえないのだということになれば、私はそれでよろしいのですよ。
  162. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 何回も同じことをお答えすることになるかと存じますが、この法律の字句通り考えておるわけでありまして、都道府県委員会計画を定める。そうしますと市町村委員会がそれを行う、こういうことになると思います。
  163. 堀昌雄

    ○堀委員 それは法律に書いてある通り言っておるのであって、解釈にならぬのですよ。私が伺っておるのは二つに一つだということなんです。要するに都のこれの方が絶対に優先するということでこの法律があるのか、そうじゃなくて、これはこれでいいけれども、市町村に主体があるというふうに法律に書いてある以上は、市町村がこれをこの通りに行わなくてもいいんだというふうに私は理解するわけです。「計画の下に」ということはそういうことなんだ。だからこの問題は二つあるのだ。要するに都が越権行為を行なっておる。少くとも法律の規定以上の権限を行使して、市町村委員会を自分の思いのままに動かそうというような行き方をしておるということは法律違反じゃないか。こういう問題が一点あるし、もしあなた方が逆の見解で、この場合この計画というものはどこまでこまかく規定してもいいのだということになるならば、この法律の建前からいけば市町村は拘束されぬでもいい。そういうふうな都の越権行為に基いたような、そういう規則には拘束されなくて自由な行動をとってよろしい、こういうことになるのじゃないか。そのいずれか二つじゃないかと私は思うわけです。そこがどういうふうになるかはっきりお答え願います。
  164. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 都道府県委員会計画を定めますと、市町村委員会がその計画に反するような行為ができないことは言うまでもありません。従ってその計画がどういう内容か、その内容がきまっておれば、その内容に従ってその四十六条の行為を行う、こういうことになると思います。
  165. 堀昌雄

    ○堀委員 反するという言葉は非常に問題があると思う。たとえば、ここの場合に定期評定は毎年一回実施するのだ。こういうふうに書いてあるならば、これは私は方針であり計画であっていいと思う。ところが、ここには定期評定は毎年九月一日に実施するものとする。こういうことがあれば、十月一日に出したらこれは反するということに、この建前からいけばなるわけです。しかし計画というものであるならば、要するに評定を一年に一回出せ。いつ出すかということは市町村教育委員会の自由性に待つというようなあり方であるならば、私はそれはそれなりに了解ができると思うけれども、これは一言一句動かすことができないような、そういうものが出されておるということの適法性を私は聞いておるわけです。そういうことをここは規定しておらぬ。もしそれが適法であるというのなら、法律上はそういうふうに書かれておらなければならぬわけですよ。主体は都道府県教育委員会が行う、こういうふうに書かれなければならないのが、そう書かれておらぬということは、ここに事実がある以上、この都の規則はこの法律に違反しておると私は思う。そこまで最終的に規定したということは法律に違反しておると私は思うのですが、それはどうですか。
  166. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 四十六条にはただ計画とございますので、この計画がどういうものでなければならないかということは、何らうたってないわけでありまして、これが大綱だけにとどまるものか、それとも細目まできめるものかということは、計画の定め方の問題で、やはりその計画がある以上、市町村委員会がそれに従って行う、こういうことになると思います。
  167. 堀昌雄

    ○堀委員 それでは細目を規定した場合には、地方の市町村の教育委員会には自主性がなくなるのですか。あなたはなくてもいいと言われるのですか。この法律の条項が生きておるのにそこまで都道府県が細目をきめて、その自主性が奪われてもよろしい、それが法制局の見解でありますか。
  168. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 法律は、四十六条に「市町村委員会が行うものとする。」こうございますので、行う主体は市町村委員会であることは、申すまでもないことでありまして、その行う場合にこういう制限のもとに行う、こうありますので、やはりそれに従わなければならないと思います。
  169. 堀昌雄

    ○堀委員 この制限は、先ほどから私は何回も申し上げておるように、そのものではないというふうに私は理解しておるわけです。計画そのものであるならばあなたのおっしゃる通りでよろしい。都道府県教育委員会計画を市町村委員会が行うものとするというのであれば、それは問題はないのです。「計画の下に」ということは、法律上はそこに一定の幅が設けられておるということじゃないですりか。その幅をゼロにするということは違法だということにならないかということを私は伺っておる。幅をゼロと認めるときには法律の意味が変ってくる、計画そのものを行えということになるのですから。この場合は程度の問題じゃないということです。質の問題ですよ。
  170. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 法律の規定に言っておりますのは、勤務成績の評定は市町村委員会が行う、こうありますので、具体的に勤務成績の評定は市町村委員会が行わなければならない、こういうことは言うまでもないのでありまして、そうして他方都道府県委員会計画を定める。その計画のもとにおいて市町村委員会が行う、こういうことになりますから、その計画が勤務成績の評定それ自身でないことも、これも明らかだと思います。ただその場合に、こういう計画に基いてやる、これだけのことだと思うのです。
  171. 堀昌雄

    ○堀委員 計画勤務評定そのものではないとあなたは今お答えになりましたね。これは重大です。ところが都は勤務評定そのものを出しておる。これはどうですか。
  172. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申します。その問題は、先ほど御質問になりました問題に関連いたしまして、地方自治法の二百八十一条の二項第一号の規定とこの四十六条の規定にどう関連するか、これによって都の委員会がやっているということになりますれば、それはそれ自身正しい、間違いがないことだと思います。
  173. 堀昌雄

    ○堀委員 それはさっき私が保留をしている質問に対するお答えですか。
  174. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほどの御質問については、一応先ほど申し上げました通り、しばらく考えさしてもらいたいということで保留しておりまして、そうしてただいま御質問がありましたので、そうなれば都道府県委員会が行う、都の委員会が行うことになるんじゃないかと申し上げたわけであります。
  175. 堀昌雄

    ○堀委員 それが私が伺ったことの回答になるのですがね。それでよろしいわけですね。今おっしゃったことはこういうことなのでしょう。要するに先ほどの二百八十一条の例外規定にあるから都がやっても差しつかえないんだ、この四十六条とは無関係であるということをあなたはおっしゃりたいわけでしょう、今の場合は。私は今四十六条の話をしておるわけですけれどもね。
  176. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申しましたのは、少し明瞭でなかったかと思いますが、この四十六条の問題を考える場合に、都の委員会については別に考えなければならない、こういうふうに申し上げたわけであります。
  177. 堀昌雄

    ○堀委員 じゃ、私今ここには東京都の勤務評定計画規則しか持っていないので、どこかの県のをいただきたい。都では、非常に都と区で問題がありますから、これは教育長協議会がこういうふうに書いているのでありまして、この規則の定めるところによるというふうに書いてあるので、それをひな形にして出ておるから、たまたま手元にあったからこれを持ってきたのですけれども、文部省の側から、すでにどこか実施されております県のこういう規則を見せていただきたいと思います。  それはそれとして、そこへ戻れば、私はさっきお話した都の問題に返らしてもらおうと思うのですが、あなたの御見解は、そういうことになると、都の場合においては、要するに区というものには勤務評定を行う権限はないんだ、こういうことになるわけですね。要するに地方自治法二百八十一条のただし書きだけが勤務評定に関する法律であって、地方教育行政組織及び運営に関する法律の第二条に明らかに書かれておるところの「都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)」こういうふうになっておる。規定は法律に書いてあるけれども、認める必要はないんだ、こういうことになるかどうかということになるかどうかということは、これは重大な問題です。しかしあなたはそういうふうに今お答えになったんですよ。これは都では区の問題は除外していいんだというふうにお答えになっておるのですから、すでにあなたが今保留された問題は答えられた、こういうことになっておるわけですが、もう一回重ねてお伺いいたします。
  178. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 この問題は別だということをお答え申し上げたのであります。先ほど御質問になりました点は、非常に重大な問題でありますので、しばらく考えさしていただきたいということで保留しているわけでございます。
  179. 堀昌雄

    ○堀委員 どうもあなたのお話が、私わからないんです。ということは、保留はされておるということの中でなら、一応都と区——私は地方教育行政の中だけでものを見たいということになるわけです。地方教育行政の問題の中だけでものを見ていくと、都と区との関係は県と市との関係と何ら異ならないわけです。地方教育行政に関する中で見れば異ならないわけですから、たまたまここに東京都の例があったから私は言っておるので、都を含めた都道府県の法律の中でものを言っているわけです。ところがあなたはすりかえて、都において三百八十一条の規定があるから、都が最終規定を定めても差しつかえないんだ、こういうふうにあなたがお答えになるなら、もうそこでは第二条の規定は無視するということが起るわけです。だからさっきのあなたのお答えはお取り消しにならなければ、あなたはこれについて答えられたと同様になると私は理解するのですが、取り消されますか。
  180. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほどの答弁が非常に不明瞭でありますれば訂正いたしますが、先ほど私が申し上げましたのは、かりにこういうことになりますれば、それはこうなるでしょうというふうに申し上げたつもりなんでありまして、別段先ほどの御質問に対してこうだということをお答え申し上げたのではございませんので、御了承願いたいと思います。
  181. 堀昌雄

    ○堀委員 文部省どうですか。まだすぐはお手元にないのですか。どこか県のやつをいただきたいということは……。それではちょっと時間がかかるそうでありますから、ほかの方の問題についてちょっと触れさしていただきたいと思います。  実は教育委員会という問題は、先ほどからいろいろ論議がされております。私ども勤務評定の問題について、やはりこの委員会というものに問題を感じておるわけなんです。皆さんの方では法律がきめたんだから、多数の国民が選出した自民党の多数の人たちがきめたのだから、これはもうすべて、正しいんだ、こういうふうに先ほどから文部大臣お話しになっておるわけですけれども、そういう委員会の中にまことに驚くような委員会が現実にあったということを、私現実に経験をして参りましたので、この点についてもちょっとお伺いをしてみたいと思います。  それはどういうのかと申しますと、和歌山県の有田郡湯浅町というところで、たった一人の教育委員委員会の権限を行使しておるという事実が、私八月十五日の会合に参加をしたときにわかったわけです。それはどういう事実かと申しますと、六月の六日に教育長代理を任命しておいて、六月の十日に五名おりますところの教育委員のうちで四名が全部辞職をした。それで教育長も辞職をして、一名だけ教育委員が残っておるという委員会があるわけなんです。そこで六月二十日には定例の町議会が開かれて、こういうような非常に教育行政について問題のある点であるから、すみやかに教育委員を補充をしてもらいたい、こういうことを町議会の議員の方から申し入れておるのにかかわらず、町の助役は、当分は特別の事態の起らない限りは、この一人の教育委員でやります、こういうような答弁をしておる。そうして八月十五日に私どもが参りましたときには、会場をともかく一切貸さない、勤務評定に関する反対行動に対しては、どこも貸さないということをこの委員は宣言をしておる。自分が学校教職員に電話をかけて指示をし、自分が張り紙を持ってきて学校に張りつけ、さらにその集合しておる人たちに対して、教育委員会という名前のもとに、どいてくれと、こういうことを言っておるわけなんです。事実私はこの地方教育行政に関する法律を見ますと、一体一人で教育委員会というものが成り立つかどうか、第一私はここに疑義があるわけです。そういうふうな場合には、教育長代理はありますから、教育長代理が一つの専決処分として行うということであるのならば、これはまたそういうような緊急の場合やむを得ないということはあるかもわかりませんが、この事実は六月十日に事態が起って、その後に町議会があったのにもかかわらず、その補充も行わないでおいて、八月五日現在に至っても——もう今日のことはわかりませんけれども、九月当初の状態においては一人の教育委員がこの問題を処理しておる。こういうふうな教育委員にはそういう事務を処理し、教職員その他に対して指令をしたりする権限は私はないと思うけれども、そういう事実を行なっておるような教育委員会がある。これはまことに違法なことが行われておって、そういう教育委員会勤務評定をやるというようなことになれば、まことにおそるべきことが起るのじゃないか、こういうふうに感ずるわけですが、こういう教育委員会があるということを文部当局は御存じかどうか、一つお伺いいたしたい。
  182. 内藤誉三郎

    内藤説明員 先ほどのお尋ね和歌山県の湯浅町の教育委員会だと思います。そういう事実ございます。
  183. 堀昌雄

    ○堀委員 この事実のそういう状態をどのように考えておられるか、一つお伺いいたしたい。その教育委員がいろいろな事務的な処理を行い、指示をし、直接教職員に対して指示をし、あるいはその校庭その他を貸与した場合にはその教職員を処分するということを、直接教育委員が電話をもってその教員に命じておる、こういうふうな状態について、文部当局はどういうふうにお考えになっていますか。
  184. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私どもとしては、教育委員会会議制の機関でございますので、すみやかに補充していただくようにお願いをいたしておるわけであります。ただいまのお尋ねでございますが、その詳細について私も存じませんが、教育委員が一人ででも教育長代理に当然指揮はできると思うのであります。やむを得ない措置として、指揮して、教育長代理から具体的に処理を進めたことと思うのであります。
  185. 堀昌雄

    ○堀委員 私はこの法律に基きますと、なるほど緊急の場合はやむを得ないということはあらゆる法律の場合に言えることだと思います。ところが六月の十日にこの事態が発生して、二ヵ月たって、その間に町議会があるのにもかかわらず、これは緊急の事態というふうにわれわれは考えられない。これが緊急の事態であるならば、勤務評定なんということは緊急事態だからしばらくやめたらいいということになるわけです。そういうふうには私は理解をしないのですが、そういう場合には、そういう委員会などは存在しない。はっきりと存在しないものが権限を行使していることは違法である。私はこういうふうに思うのですが、文部省はこれはどうですか。
  186. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私どもとしても決して望ましい状態ではございませんので、すみやかに補充するようにという指導をいたしておるわけであります。ところが、人選も行われたそうでございますけれども、本人たちの同意が得られなかった。やむを得ない措置として——この事態は私どもはやむを得ない事態だと、かように考えております。
  187. 堀昌雄

    ○堀委員 私が伺っておるのは、やむを得るとかやむを得ないということではないのです。違法であるかどうか。私は従来文部大臣が、行政担当者は法律の定めるところによってものを行わなければならぬということを何べんかおっしゃっておる。耳にたこができるほど聞いておる。その文部当局がこういう事態になったからやむを得ないということであるならば、勤務評定反対するのもやむを得ないということになるのじゃないかとわれわれは思うそこのところをはっきりしてもらいたい。違法であるかどうか。
  188. 内藤誉三郎

    内藤説明員 この事態は、私どももそういう事態を長く放置することは法の趣旨ではございません。ですからすみやかに補充して、完全な委員会の機能を果せるようにということを指示しておるわけでございます。この機関がすみやかに補充されるように私どもも期待しておる。しかしその間において人選も行われ、本人たちの同意が得られないというような事情がございますれば、すみやかに他の人選をするとか、早く処理していただくのが妥当だと考えておるのであります。
  189. 堀昌雄

    ○堀委員 問題を分けて伺いたいと思うのです。今後の対策と、その時点で行われた行為が違法かどうかということと二つあるのです。あなたはその時点で行われた行為の違法であるかどうかということよりも、今後の対策について答えておられるけれども、私どもは対策を聞いているのじゃないのです。その時点において行なっておることは違法ではないか、これを伺っておるのです。違法であるかどうか、それだけ端的にお伺いいたします。
  190. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私は違法でないと考えております。
  191. 堀昌雄

    ○堀委員 違法でないという法律的な根拠を示していただきたい。
  192. 内藤誉三郎

    内藤説明員 教育委員会は、先ほど申しましたように、合議制の機関でございますから、過半数の同意が得られなければ、委員会としての意思は決定することはできないことは御承知の通りであります。しかしながら欠員があった場合は、これはやむを得ないと思うのです。やむを得ない緊急の事態において、委員会委員の発した命令というものは、私は適法だと考えております。
  193. 堀昌雄

    ○堀委員 そういうことになりますと、この法律の中にはそういうふうなことは書いてないのですよ。やむを得ないというようなことは一つもこの法律の中には書いてないし、それは法律を実施する場合の一つの例外として、緊急の場合ということは、例外だということは、これはあらゆる場合に認められておるわけなんですから、それをあなたのように拡張解釈をして、六月十日に起ったことが八月十二日まで二カ月間放置されておる。さらに六月の二十日に湯浅町の町議会が開かれて、ここですみやかに補充をしろということがはっきりと言われておるのに対して補充する意思がないということを助役が言っておるということは、これは法律に違反しておると私は思う緊急の状態が二ヵ月も三ヵ月も続くというのであるならば、よろしいですか、これが肝心ですよ、勤務評定というような状態の中で、法律の実施はあなた方の方はどうしてもやらなければいかぬというけれども国民のいろいろな批判のある中で、私は何も教職員がああいうことを行われることが正しいとは思っておらぬのです、やむを得ずこれをやっておる。あなたがさっきやむを得ず、そういうことであるならば、緊急避難と同様に、これは法律の規定はあるけれども、やむを得ぬというならば、当然勤務評定についても、これだけ国の内外に教育に関して重大な問題が起きておるときに、法律の規定があるけれども、これはやむを得ないということによって延期をされるということは法律に違反しないということに私はなると思う。どちらでもよろしいので、湯浅の教育委員会で違法であるか違法でないか、それに関連して現在の勤務評定の実施に関する問題を考えなければならぬと思うのであります。この湯浅町の教育委員会について重ねてあなたが違法でなければないという見解、それはそれなりでよろしい。しかしそれと他の問題と私は関連して、教育委員会に関する問題だけということの点においては、私は法律の趣旨というものの建前をあなた方の方でそういうふうに曲げるのなら曲げるでよろしい、ちっともかまいません。しかし曲げないのなら曲げないと、どこかで筋道を通してもらいたい。法律を守るということはそういう精神がなければできないことであります。
  194. 内藤誉三郎

    内藤説明員 今の湯浅町の件につきましては、委員の欠員の補充については、委員が辞職後に後任者の人選が行われているけれども、七月に開かれた町会にはまだ人選が固まらない。提案されるに至らなかった。現在のところ人選は行なったけれども、本人の同意が得られない、こういうような事態でございます。従って私どもとしては、この六月十日ですかの件につきましては、委員会の構成には瑕疵がありましたけれども委員が行なった行為は適法である、かように考えるのであります。それと勤務評定の問題とは全然関係ございません。
  195. 堀昌雄

    ○堀委員 私が伺っているのは、勤務評定の問題を伺っているのじゃないのです。法律を守るという問題を伺っているのです。きょう朝来灘尾文部大臣は、長谷川さんがいろいろと条理を尽してお話になっておりますけれども法律がある以上、行政担当者は法律を守らなければならぬ。私はそれはそれなりに正しいと思うのです。私はその問題の背景をなすもの、その問題の持っておる性格とかいうものについては、大きな異議があるけれども、行政担当者として、法律があるからこれを守らなければならぬというのは、それなりに私は正しいと思っておる。ところがあなたは、この場合にくると、行政を守らぬでもいいのだ。その場合には、こういうことになってくるわけです。それは緊急避難ならば私はわかるけれども、努力をする態度がない。あなたはそう言っておるけれども、六月二十日の町議会においては、当分はこのままでいきます。特別の事態の発生がない限りはこのままでいくと言っている。これはあなたの言っておるような条項とは違うのです。町議会は当然この場合はすみやかに人選をいたします。しかし現状ではできませんと答えておるのなら、私もあなたの説に幾らかは考えざるを得ない点があるかと思うのです。しかし町当局は現在はこれでいきます。特別の事態の発生がない限りはこれでいきますということは、少くとも一人でいいんだということを町当局が考えておるという考えは、これは法律を守っておらぬと私は思うのです。この点どうですか。
  196. 内藤誉三郎

    内藤説明員 今御指摘のようなことがありますれば、それは法律を守ったことにはならないと思うのです。しかし私ども報告によれば、七月の町会にもかけようと努力したが、人選が固まらなかった。現在も守ろうと思って努力しておるけれども、本人の同意が得られないという状態である。決して法律を守らぬでいいというような考え方ではないので、この点は私どもはあなたの御調査と多少事情が違うので、一方は一生懸命守ろうと思って努力しておる、勤務評定については初めから絶対反対だ、こういう立場の違いでございまして、私は両者の間に今御指摘のような関係はないと思います。
  197. 堀昌雄

    ○堀委員 私は勤務評定を今言っていない。さっから同じことを繰り返して大へんおかしいと思うのですが、ともかく私は現地に行っておるのです。あなたは東京でいろいろお聞きになっておるのでしょうが、私は現地に行ってそういう事態に直面したから調査をして驚いておるわけなんです。はっきりと違法だというふうに私は考えておるので、もしあなたの言い方を変えますならば、受けそうにない人のところにばかり頼みにいっておれば、いつまでたっても、これはならないわけです。受けそうにない者だけに頼みにいっておるということは、六月二十日の町議会の答弁によってわかることです。この答弁のときに、すみやかに委員は補充しなければならぬと思いますから、いたします、こう答弁されておるのであれば、私はそれはそれなりに理解するわけですが、ここでははっきりと助役は特別の事態の発生がない限りは補充をしないという意思でございます。こういうふうに言い切っておるわけです。こういうふうに言い切っておる範囲において、あなたはなおかつこれが適法であるとおっしゃるかどうかということを伺いたいのです。
  198. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私は今あなたの御指摘になるようなことは、法律の趣旨ではございませんので、すみやかに関係者にさらにただしまして、そういう事態のないように、法を守るように指導助言をいたしたいと思っております。
  199. 堀昌雄

    ○堀委員 重ねて言いますが、今後の問題を私は伺っているのじゃない。そういうふうな状態の中における八月十五日当日に教育委員会と称してやった行動は違法であるというふうに私は考えておるから、その点について違法かどうかだけをはっきり伺いたい。そういうことを言っておるのです。それは六月二十日町の議会があって、八月十五日というのは、二月たっておるのです。その私が参ったときには、そう言っておる。そうして私が話しに行こうと思えば、その委員は問答無用だ、私が親切丁寧にものの条理を話そうと思っても、もうお前たちとは会わぬ。国会議員であろうと何であろうと、おれがやっていることについて文句をつけることはないといって、専制的な状態のことを思い上った状態でやっておる。そういうことが、現在の民主主義というものが行われておるはずのこの日本の教育行政の中で行われておるということが、私は違法だとはっきり認めておる。しかしそれにもかかわらず、あなたはやはりその時点において合法であった——今後のことはいいですよ。指導その他についは当然されることでありまして、当然なんです。そのことはいいのですが、その時点においては違法であったと私は思う。教育委員自体が指示をしておることも違法なんです。教育長代理に命じて、教育長代理が教職員に向って命令をしておるなら、まだこれはよろしい。まだあなたの言う形で成り立つけれども委員自身が電話をかけたり、自分で紙に書いて学校に張りつけておる行為は違法なんだ。あなたは依然として違法でないと言われますか。
  200. 内藤誉三郎

    内藤説明員 私が伺ったところによりますと、一人の委員教育長代理に指示した、そして今お話のように五人の教育委員がおることが本則でございますけれども、四人が辞職いたしましたので一人になった、その一人になったときの行為が違法であると、これは私そうは申せない。一人の委員でもそういう緊急の場合には委員のとった行動は適法である、かように申し上げたわけでございます。
  201. 堀昌雄

    ○堀委員 どうもピントをぼかしてお話が出ておるので、私はそういうことではまことは困る。これは非常に問題の核心に触れておることなんです。行政をする者は法律に基いてやらなけれいかぬ。この法令を見れば、こういうふうな条項がたくさんあるのです。要するに、教育委員が二名以上ある党派になったら全部やめさせるとか、いろいろな規定があるということは——一人にそういうことをさせてはならぬというのは、これは地方教育行政の趣旨なのです。教育の中立を守るためには一党一派に偏してはならぬという趣旨があるのにもかかわらず、あなたはさっきから盛んに強弁をして、一人でも委員会の権限を行使できる、こういうようなことをもしかりにあなたがこの国会で答えるということになったら、これは今後重大ですよ。ただこの一例だけについての問題じゃありませんよ、どうですか。違法かどうかということを法律的に言ってもらいたい。これはもうはっきりしている。ごまかしたってだめですよ。
  202. 内藤誉三郎

    内藤説明員 お答えいたします。本則はこれは地方教育行政組織及び運営に関する法律に書いてある通りでございます。ですから合議体の機関は合議体でなければ議決することができないわけであります。ところが今のような場合に四人が辞職してしまって後任が補充できないという場合の行為は、これは私はやむを得ない行為として認めざるを得ない、こう申し上げておるわけであります。
  203. 堀昌雄

    ○堀委員 第十七条に「教育長は、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる。」こういうふうにあるわけなんです。だから少くとも教育委員会の権限に属するものは教育委員会の指揮監督のもとに行われなければならぬことになっているのです。一人だから教育委員会じゃないわけなんです。そういう場合をあなたは緊急の場合だというのですけれども、緊急の場合というのは、私は何回も言うように、はっきり言えばやむを得ざる状態でなければいかぬということです。これはやむを得ざる状態でないということをさっきから何回も申し上げている。当分特別の事情が発生しない限りは補充する意思はございません、その通り六月二十日の町議会で答えた通り、八月の十五日になっても補充されておらぬ。こういう事実があるのにあなたはどうしてもこれは緊急の場合だ、こういうふうに解釈すると言われるのですか。
  204. 内藤誉三郎

    内藤説明員 あなたの御質問は二つあるわけであります。一つは六月十日にとった処置の問題、校舎を貸すか貸さぬかというときの問題、それからこの事態を長く放置しておくかどうか、この二つに分けられると思います。私が申し上げましたのも、六月十日に校舎を貸すか貸さぬかというような問題についてとった教育委員態度は、私はやむを得ないことだと思います。しかし今後これを補充しないというようなことは行き過ぎだ、これは私は承認しておるわけではないのです。
  205. 堀昌雄

    ○堀委員 八月十五日に校舎の問題が起っておるのです。問題は六月十日にやめたのです。六月十日にやめて、十日後の六月二十日に定例の町議会が開かれた。その議会で後任をすみやかに補充してもらいたいということが言われておるときに、助役が、特別の事情が発生しない限りは補充しませんと答えておるということと、そのまま八月十五日まで約二ヵ月経過しておるのですよ。その間なおかつこの一人の委員が、委員会だということで権限を行使するというようなことは違法ではないか、私はここではこう理解する。教育長代理が自分の事務処理の範囲においてそういうことをやったというならまだわかるわけなんです。この法律の建前からいったら、委員会がありませんから、委員会がなければやむを得ず教育長または教育長代理が事務の専決処理をしたというのならわかる。この例はそうじゃないのだ。教育長代理はその日にはおらぬのです。八月十五日はお盆でございますといって役場へ行ったっておらぬ、家に探しに行ってもおらぬ。教育長代理がおらぬのに教育委員教育長代理の権限を代行し、教育委員会の権限まで行使しているということは違法ではないか。  それでは一ぺん法制局に聞きましょう。あなたはこういう場合は法律的に違法かどうか、どう解釈しますか。
  206. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 法律論を申し上げますと、委員会でございますから、合議制の機関であることは申すまでもないのでありまして、従ってその意思決定をする場合には過半数の同意がなければならぬ、この場合に一人の委員ないし委員長しかなかったということでございますので、正常の場合においてはそういう委員会は意思決定はできない。しかしながら緊急の場合と申しますか、異常の場合におきましてはやむを得ない措置でありますので、適切な措置をとることはできるだろう、こう考えるわけであります。従って問題は、この場合事実問題として果してそういう事態であったかどうかということできまる問題かと存じます。つまびらかに私の方で承知しておりませんので、私の方からは何分の返事はできないわけであります。
  207. 堀昌雄

    ○堀委員 私が今申している事実、この事実の範囲でお答えいただいたらいいのです。皆さん方の方は調査しておられませんから無理だと思います。しかし私がここで事実を申しております。先ほど申したように六月六日に教育長代理が任命された。そうしておいて六月十日に委員長以下四名の、教育長を含める委員が辞職して一名だけの委員が残った。そこで六月二十日に町の定例議会が開かれた。そのときに勤評問題が非常に重要な時期であるから、すみやかに教育委員を補充してもらいたい、こういうことが町議会で言われたときに、その町の助役が、特別の事態が起らない限り当分補充はいたしません、こういうふうに答えている。この事実の範囲において、八月十五日にその委員が自分でこの学校の使用を禁ずるという張り紙を書き、その学校教職員に自分が貸与することはならぬと言い、もし貸与した場合にはお前を処分するということを口頭で言い、電話をかけて言い、さらにその場所を私どもがそういうものは教育委員としては行い得る権限ではないという解釈のもとに使用しておったら、やってきて教育委員会として認めないことをなぜやるかということをわれわれに言っているわけです。そして私が話し合いをしようとすれば、お前の話は聞かぬ、こういうことになっている。こういう事実の中で違法はたくさん行われているわけです。法律の定めるところでは、そういうことを行える権限は教育長代理ならあるが、委員に行えないという違法が第一にあるわけです。さらにそういうふうな一人の委員に、もし教育長代理がおって、それに命ずることができるかどうかという場合に、命ずることもできないと私は思う。この事実の範囲においてはできないと解釈しているわけです。だからその場合には教育委員が一人おることはおっても、これは権限を行使することはできない。委員がいるだけであって、問題を処理する場合には教育長代理の専決処分で行われなければならぬ事態である、こういうふうに私は考えておるわけであります。そこであなたの法律的な解釈をこの事実に基いて、この範囲内でお答えいただければよろしい。
  208. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 事実関係は承わったのでありますが、この事実に対する判断の問題でありますが、非常にむずかしい問題で、それが直ちに緊急のものであるか、また、そうでなくて、正常の場合に行わるべき形態をとらなければならないかどうかということが事実関係における判断の問題であります。この事実関係がどういう判断を下されるべきものかどうかということを、直ちにこの席でお答え申し上げるということは非常に困難かと思います。
  209. 堀昌雄

    ○堀委員 この事実の範囲でもなお判断しなければならぬ点があるなら、おっしゃっていただいたら私は申し上げたいと思います。判断をしなければならぬ点と困難なところがあるとおっしゃる、その困難はどこにあるかということを一回お話しをいただきたい。
  210. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これは現実の問題でありますので非常にお答えしにくいのでありますが、一応しぼりましてお答え申し上げますと、欠員の補充は行われてない。従って定員の委員会が構成されてないという場合に、それが緊急性があるという事態が生じたということであれば、それは適法な行為である、こう見ざるを得ないと思います。
  211. 堀昌雄

    ○堀委員 どういう事態が緊急の事態か一つお教えを願いたいと思う。この場合、私の事実の範囲内において……。
  212. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これは先ほど申しましたように、この事態をどういうふうに見るか。すなわち緊急性があると見るか、ないと見るかという問題で、非常に困難な問題と思います。従ってそのお示しの事実だけでもって緊急性があるとかないとかということを、ここでお答えするというわけには参らないと思います。
  213. 堀昌雄

    ○堀委員 私は申し上げておる範囲でお答えをいただけばいいのであって、そうなると一種の仮定の事実ということにあなた方は御解釈になるかもしれませんが、これは事実問題を離れて仮定の事実でもいいのです。こういう問題が設定されておるときに、あなた方はそういう法律の問題について何らかの判断をされなければならぬと思う。事実をごまかしているわけではないし、あなたが判断に困る点がどこだとおっしゃれば、その事実をこれは事実問題から離して、仮定の事実であってもいいから、私はそういうふうに申し上げておるのに、さらに判断が困難だ判断が困難だじゃ、これは問題が前に進まないじゃないですか。やはりどこが判断に困難だということをおっしゃれば私がお答えする、そう申しておるのですから、どこが判断に困難なのか、どこが緊急なら緊急の事態かということを、この事実の範囲の中でお答えいただけばいい、こういうふうに私は申し上げておるのです。文部省に遠慮せずに、法制局は独立機関ですから、法律に関して文部省に気がねしていろいろお答えになるとわれわれはちょっと考えざるを得ないのです。さっきの保留の問題についてもそうですが、一つ独立した権威のある見解をお答えいただきたいと思います。
  214. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 おっしゃる通り私の方の職掌としては、これは各省から離れまして、独立的に法律上の意見を申し上げているわけでありまして、文部省とか各省に気がねしているわけでは決してございませんので、その点は御了承願いたいと思います。  ただいまの問題、これはよく一般的に問題になるのでありますが、私の方の職掌といたしましては、事実問題については非常にデリケートでありますので、その問題については仮定と申しますか、相当限定をしまして、そうしてこういう前提に基いてならばこういうことになるだろうということを常に法律上の意見として申し上げておるわけでありまして、ただいまおあげになりましたこの事態について緊急性の問題でありますが、この緊急性の概念と申しますか、それを事実関係に当てはめてどう構成するかということは、これは法律の問題でありまして、非常に重要な問題であるし、困難な問題かと思います。従ってこの緊急性について直ちにおあげになりました事実、これだけでもって判断をするということはできないと思います。
  215. 堀昌雄

    ○堀委員 ではこの場合にどういう前提条件があれば判断できますか。それを一つ……。あなたの方では今おっしゃったように仮定のいろいろな問題を設定した中で判断するのだとおっしゃるから、どういう条件があればできるということをあなたの方でおっしゃっていただきましょうか。私はお聞き下さいというけれども、あなたが聞かないから、あなたは今の私がこう申し上げている中にさらに条件の設定をあなたが任意にされて、この場合なら緊急であるとかないとか言われれば議論は発展しますが、この状態では発展しないわけですね。私は善意に基いて、あなたが判断がしにくい、非常に困難だとおっしゃるから、どこが判断しにくいのか、困難な点はどこか、事実についてもう少し私は詳しく調査している範囲でお答えしようと思っても、どこをどうお話していいか私にはわからない。だからそういう設定条件というものをあなたが任意に設定されて、この場合なら緊急で、この場合なら緊急でないという区別をつけていただいたらけっこうだと思います。
  216. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 これは繰り返すようではなはだ恐縮なんでございますが、法律問題としてということになりますれば、この事実関係をどう見るかというところまで申し上げるのはできないわけで、やはり純粋に申し上げると、緊急性があればそれは適法である、そうでなければそうでないだろう、こういう以外にお答えのしようがないのでありまして、私の方で事件について具体的に判定を下すというようなわけには参らないと思います。
  217. 堀昌雄

    ○堀委員 これは重大なことになるのですが、緊急であるとかないとかということの範囲は、法制局は全然野放しだということですね。あなたの方の考えの外にあることであって、法制局はただ緊急であるとかないとかというだけに基くのだということでございますが、そういう事実問題について立ち入るということには問題があるから、緊急であれば合法であるし、緊急でなければ違法だ、これはあなたにお伺いするまでもなく法律はそうなっておるのです。そんなものが法制局の見解だと私は思わないです。常識なんですね。私が伺っておることは、緊急というものの範囲をどこかで規定をしておかなければ、どれでも緊急になれば、法律というものは成り立たないのではないですか。法制局というものは少くともその範囲を考えずして法律をお書きになるのですか。そういうわけではないと私は思うのです。だから一応この法律について緊急の範囲というものはおのずから私は常識的になろうかと思うわけです。こういうふうな私が申し上げておる事実について、これは常識的に緊急だと認められないと私は見ておるわけですが、あなた方法制局はこういう状態をも含めて、それは緊急と認めてもいいんだとか、あるいはいけないんだとかいう意見を出すことはできないのですか。してはならないのかできないのか、そこらもはっきり伺いたい。
  218. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 もちろん事実関係が具体的に明瞭になりますれば、それは判断はできるわけございますが、ただいま申しましたような範囲におきましてお答え申しますればこういう事態においてやむを得ない措置、そういう構成でとらざるを得ないという場合、こういうものが緊急である、そういう場合においてとられる場合は適法であろう、こういうことを申し上げておるのでありまして、別段われわれの方で事実関係は全然問題にしないというわけのものではないのであります。
  219. 堀昌雄

    ○堀委員 もう一つだけで次に移りますけれども、あなたの今の御答弁については私はまことに不満です。要するに事実をいろいろと設定するのでなければ、法律を書かれるときに、その場合における緊急というものの範囲を頭に置かずして法律が書けるかどうかということなんです。事実を全然度外視し、この場合における緊急という場合の例外というものはどの範囲であるかという考えがなくて、野放しの状態法律を書くなどということは、私はできるはずはないと思う。もしそういう形で法律が書かれるということであるならば、この勤務評定のような問題についても、灘尾文部大臣は朝来法律を守ることを非常にやかましく言われておるけれども、緊急避難というものはどのようにでも解釈できる。それは主観的な判断であって、私どもが判断しあるいは文部大臣が判断される問題以外に、本来やはりそうなればこれは裁判の問題だ。行政担当者の判断が優先するかあるいはわれわれの判断が優先するかというような場合には、最終的にはこれは裁判によって決定しなければならぬという問題になるのじゃないか、そういう状態の中で現在の問題、今度は少し変りますけれども例の教職員の一斉休暇が違法であるかどうかという問題は、やはりこの時点になれば、私は裁判にならなければきまらぬと思うのにかかわらず、次々とこの人たちを違法だと称してひっくくっていくということは、これはあなたが今おっしゃったような状態との関連の中で、こういう状態では法律はあってなきがごとしということになるのではないか、こういうふうに私は感ずるわけなんです。だからもう私はこれ以上時間もありませんから、この点はこの程度にしておきますけれども、もう少し法制局は私は法律というものを基本的な立場に立って、はっきりした問題を提示をしてもらわなければ、朝来灘尾文部大臣がおっしゃるところの、法律は守らなければならぬというその基本に私は問題が生じてくるのではないか。法律を私は守ることに反対はしないけれども、しかしその法律の守り方については、緊急な場合という例外が幾らもあって、それの認め方が、行政担当者の方が、たとえば内藤さんがこれは違法じゃないと言ったら、それで違法でなくなるのだということになるのなら、これは法律を実行するという点においてはまことに私どもは不安な問題が起る。この点について文部大臣はいかがお考えになるか。私は朝来あなたのお話を伺っておりまして、あなたのお話の中に問題が二つあると思う。要するに、先ほど来長谷川さんが、国民の幸福、児童の教育という問題について真剣に考える場合には、そういう問題を中心にして考えるべきではないか、国民立場というものを考えるべきではないかというふうにおっしゃっている中で、やはりそれはそれとして、自分たち行政担当者は法律の定めるところを行わなければならないのだ、こういうふうに一つおっしゃっておるのと、その法律というものはその国民の意思によってできたのだ、多数の議会の民主的なルールによってできたのだ、こういうふうにおっしゃったわけです。そのできた法律の中身の持っておる性格といいますか、そういうものが、ただいまのように緊急という状態が拡張解釈される中でどうにでも曲げられるということになれば、これは法律を実施するといっても問題が起きてくると思います。この点についての文部大臣の御見解を承わりたい。
  220. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 法律の解釈ないし適用につきまして、お述べになりましたような事実について考えます場合に、よほどこれは気をつけなくちゃならぬと考えております。ほしいままに法律を拡張解釈するとか、ほしいままに勝手な解釈のもとに行動するということは、これはいかなる立場にあるにせよ許されぬことだと私は考えております。われわれが行政をあずかる上から申しましても、その辺については十分戒心して参りたいと思います。
  221. 堀昌雄

    ○堀委員 最後にもう一回大臣に——私が今申し上げました事実ともし事実が誤まっておりましたならば、御調査の上で御答弁が変っても私は差しつかえないと思うのですが、私が調査しましたこの範囲において、この一人の教育委員が八月の十五日にとりました二種類の行動ですね、一種類は要するに教育長代理をして行わしめるべきものを自分が行なった。これははっきり違法だと思うのです。もう一つは、教育委員自身が一人で教育委員の行為はできない。湯浅町教育委員という張り紙を張ることはできない。こういう点についての大臣の御見解は、違法であるかどうか、この点についてお答え願いたい。
  222. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほど来非常に緻密な法律論を展開せられたのでありますが、お述べになりましたような事柄について違法であるとか適法であるとかいう御議論はまことに大切なことと存じます。ただその町の教育委員会状態がきわめて異常なものである、まことに正常を欠いておるということは認めなくちゃならぬ、すみやかに正常な状態に返すことにみんなが努力するのは私は当然だと思う。従ってもし何かのあれがあって、役場の当局等が教育委員会の正常化ということを怠っておるということであれば、これはすみやかに一つ考え直してもらわなければならぬ事柄だと私は思うのです。同時に、正常な状態のもとに何か問題があって、その場合に教育委員が一人しかいない、そういうような状態の中に何か教育委員会として問題がありました場合に、私は教育委員会として何かなすべきことがあるような際に、教育委員として何らかの措置をとったということ自体をとって考えますと、これは違法とか適法とかいうことはどうかと思うのです。やむを得ざる行動である、こういうふうな考え方をとっております。同時にまた、その教育委員なら教育委員がやりました行動が果して一体法律上適法とか違法とかいうことでもって片づけなくちゃならぬ性質のものであるかどうかということにも、いろいろな問題があろうかと思うのです。たとえば今、張り紙を張ったとかいうような事例をお用いになりましたが、なるほど教育委員が張り紙を張るということはおかしいじゃないかと言われれば、それまででございますけれども、しかし張り紙を張る必要があったとすれば、これまたやむを得ざることではないかというふうに思うのであります。違法あるいは適法の議論もまことに大切かと存じますけれども、その事態によってやはり判断していく以外にはないのじゃないか。いずれにせよ、かような正常ならざる状態というものはすみやかに回復するようにいたしたいものと私は考えております。
  223. 堀昌雄

    ○堀委員 ちょっとけさほどからの大臣お話の筋と、ただいまのお答えと、私理解できないのです。大臣はやはり法律に定めるところがあるから、いろいろと今勤務評定は問題があるのだ、それはよくおわかりのことだと思うのです。もう新聞も世論もあげて何とかしたらどうかといっている時点で、しかし、法律を守るのだということは、私はそれなりに筋が通っておると思っておるのですよ。決してあなたがおっしゃることを間違っておると言わぬですよ。さっき申し上げておるように、その背景であるとか、いろいろな関連において、私どもは大いに異議がありますよ。異議はありますが、あなたが行政担当者として法律を順守したいのだということは、その限りにおいてわかるけれども、これは私はたまたま湯浅町のことを例に出して言っておりますが、こういうことが違法でないということをあなた方がこの委員会で言い切れないということになった場合における今後の状態を私どもは心配しておる。法律というものはそういうものじゃないと思う。けだし違法であるか違法でないかのけじめをつけることが今後に起る、そういう事態に対してそれを抑制するかどうかということになる性格のものだと考える。当然文部行政の責任者としては今後にそういうことが起きることは望ましいとは思われない、思われないならば、あなたは勇気を持って、そこに書いてある法律条件のワクの中だけで問題を考えなくてもいいのじゃないか。いろいろな客観情勢のもとで問題を考えるというのなら、私ども勤務評定をしばらく延期して、審議会を置いて公正に検討して下さいということをわれわれ日本社会党は言っておるのです。にもかかわらず、あなた方はそういう事実関係に基いての判断はしません、すべては法律の定める範囲において行うと言っておきながら、ここにくると法律の問題ではなくて、事実の状態の中で判断して、今後の問題だけを言って、法律の問題についての適否をきめないということであれば、これはちょっと筋道が通らないと思うのですが、いかがですか。
  224. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほど来お述べになりました和歌山事例と、それから今回の勤務評定をやるかやらぬかというような問題について事例と並べてどうだ、とこういうふうなお尋ねでございますが、私はこれはおあげになりました例が少しどうかと思う。勤務評定の問題につきましても朝来たびたび申し上げましたので、繰り返して申し上げることは避けたいと思いますけれども、私は決してこの社会の秩序、世の中の秩序というものを全然無視して、ただ法律を順守するのだというような神がかりみたいな考え方で物事はやっていないつもりであります。そのことだけを申し上げておきたいと思います。和歌山の事態は何と申しましても非常に異例なことであります。そういうふうなことはちょっと考えられないような事態でございます。とにかく和歌山のその町の教育委員会状態というものはそのままにしては置けない性質のものだと思う。従いまして、町当局において正常な教育委員会の方に直してくることに努力しておらない、しないということなら、これは町当局が怠慢であるといわざるを得ない。従って、すみやかに正常な教育委員会を作るために町当局として努力すべきだ、私はかように考えております。しかしそれは事実問題でございます。幾ら補充しようと思いましても、きょうすぐに補充することができぬということもありましょう。また他の支障がある場合もございましょう。しかしそれは補充するために努力するという態度は、少くともとってもらわなければ私はよくないと思う。そういう意味におきましては、われわれといたしましてもなおよく地方の当局に対しましてわれわれの意のあるところは伝えたいと思います。いかにも怠慢であるということはわれわれとしても看過するわけには参らぬと思います。同時に現実に委員が欠員の状態で、わずかに一人しかおらないというふうな場合に発生しました問題につきまして、委員会として何らかなすべきことがあるというふうな場合に、その委員が何らかの行動をとったということを直ちに違法であるというふうにきめつけるわけには参らぬのじゃなかろうか、こういうふうに私は申し上げておるわけであります。
  225. 堀昌雄

    ○堀委員 これも平行線のようなことですが、まあこの議論は私と文部当局の間の問題ではなくて、国民がありのままの姿で見れば、こういうものが適法かどうかということの判断は常識の問題として国民がされることでありますから、ここで私がどれだけ言っても、見解の相違という問題もありましょうからあれですが、さっきおっしゃった勤務評定法律にあるからどうしても実施するというような、そういう弾力性のないようなことではなくて、事実の問題についても考慮を払っておる、こういうふうにおっしゃいましたね。そこをちょっと表現のニュアンスは違うかもしれませんが、あのおっしゃったところと、私の申し上げておるのは、勤務評定と湯浅問題を並べておるのではなくて、法律というものの、取扱いという立場から見ればどうかということを申し上げたので、事実を比較しておるわけではないのです。法律というものを取り扱う立場としてみれば、行政担当者が法律を守ることは当然であるということは、一つの筋なんです。そうであるならば、当然ほかの問題についても法律をやはり守って、その範囲内でものを処理すべきではないか。こういうことを申し上げただけで、私はあながち勤務評定と湯浅問題をひっかけてものを言っておるわけではありません。原則的なものの考え方を申し上げておるわけです。それはそれでよろしいのでありますが、もう一つ私は、法律のままだということは、事実の考慮をしないことはないのだというふうにお話になったように思いますので、そこをもう一度はっきり伺いたいと思います。
  226. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 今日、勤務評定の問題をめぐりましていろいろな御議論がある。これに反対せられる御議論もあれば、賛成をせられる御議論もある。私は多数の方が賛成だと承知いたしております。そういう状態のもとにある。特にまた日教組を中心といたしまして、力強い反対運動が行われておるという事実は、十分承知いたしております。その事実を承知しておりながら、なおかつ私が勤務評定の実施の線をどこまでも進めて参りたいと申しますのは、朝来申し上げましたような考え方に基くものでございます。私は、いろいろな事実はあるけれども、しかしわれわれといたしましては勤務評定の実施に向って進んでいくべきだ、こういう判断のもとに物事をやっていく、こういう意味で申し上げたわけでございます。
  227. 堀昌雄

    ○堀委員 事実があるけれども、そういう判断のもとに進めておられるということは、私それなりに承わっておきますけれども、そこで今の法律の問題について、また法律論になりますが、法律があるから法律を守らなければならぬ、こういうことはもちろん一つあるわけでございます。しかしその法律が合法的であるという問題以外に、それが現状の時点において正当であるかどうかという問題も、私ども法律を実施します場合においてあわせ考慮していかなければならない点があるのじゃないかと思うのです。  そこで先ほどは憲法の問題が出ましたけれども、私は現在食管法というものは生きておると思うのです。現在のわが国の法律の中では、食管法ははっきり生きておって、罰則もそのままの形で置かれておるわけです。ところがこの食管法の中で、事実はすべてのものがこの法律通りに行われているかどうかというと、なるほど無理な点もあるわけです。現在のいろいろな状態の中で、無理な点もある。そこで私は合法性という問題と同時に問題の正当性という問題があわせ考えられなければならないのじゃないか、こういうふうに私は思うわけです。そこで私はこの前のときにも六月の委員会にも申し上げましたけれども、やはり法律というものを実施するについては、効果をあげるということでなければならないというふうに考えますのに、現実の時点では、いろいろと皆さんの方で、日教組考えは間違っておるとか、いろいろお考えになることは皆さんの立場としてかまわないと思いますけれども、客観的な情勢の中で被害を受けるのは日教組ではないと思うのです。全国の子供なんです。この問題が紛糾をして、学校先生がいろいろと憂うつな状態になって、毎日こういう闘争の中でやっていかなければならぬということになった場合には、現実の被害者は決して教組だととられては困るのです。そこで私は今申し上げておりますことは、やはり文部当局としては、なるほど文部省の行政の問題も私はわかります。行政担当者で、法律を実施しなければいかぬという立場もわかるし、また日本教員組合の人たちが自分たちの過去にとってきた行動があの悲惨な戦争を起した。こういう反省の上に立って、自分たちが再び自分たちの大事な教え子を戦争にやってはならぬという、再びあやまちを繰り返してはならぬという自覚のもとに考えておられることも、その立場になれば私はそれなりに考え方としてあると思う。しかしそういう問題を離れて、実際の被害者はそういう問題に関係ない、全国のこの問題に関係をしない子供の上に振りかかってくるという、ここを私は文部大臣考えていただかなければ困る。教育というものは権力の行使のためにあるわけじゃございません。子供たちをどのようにして教育をするかということが文部行政の中心であって、日教組をどうするかこうするかということだけが教育であるということでは、私どもはまことに子供たちの立場、私自身三人の子供を学校にやっておる親の立場としても、まことに現在の状態は残念な状態である、どうかそういう点に立って法律の合法性という問題のほかに、正当性という問題を、政府立場から考えるのではなくて、子供の立場から正当性という問題を考えて、この法律の実施というものをもう一ぺん静かに考えられてみる余裕はないのかどうか、こういうふうに私は伺いたいわけです。そこはどうでしょうか。
  228. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 また同じようなことをお答えするようになるかもしれぬと思うのでございますが、おっしゃる通りに一番われわれの胸を痛める問題は子供の問題でございます。お互いに学校の子供をりっぱに育て上げていこうというのが念願であります。そういう意味におきまして、今回のこの反対闘争を通じて、私ども一番心配いたしておる問題は、子供の問題ということは、私の立場からもはっきり申し上げることができると思います。その積りでやっておるわけでございます。ただ問題は、けさほど来私ども考え方の筋道を繰り返す必要はないと思いますけれども、ともかくあまりにも不合理な、あまりにも理不尽な反対闘争をしておられるのじゃないか。必ずしも反対の意見を持つことが悪いとかよくないとかいうことを私は申しておるのではございません。反対をなさるならば筋道の通った反対の仕方をなさったらよかろう。われわれと必ずしも意見が一緒にならなくとも、これはやむを得ないことです。また皆さんの立場におかれましては、国会を通じて一つ改正なり廃止なりの手続をお踏みいただいたらけっこうじゃないかと思うのであります。何にせよ、何でもかんでも実力に訴えてじゃまする、あるいは阻止する、この行き方だけはやめていただきたいと思うのです。もしそういうことが常に認められるということになりましたら、日本の政治、日本の行政をやっていく上に非常に私は災いを残すと思うのであります。そういう意味におきまして、われわれの考えております話の筋道をぜひお認めを願い、御協力をいただきたいと思うのであります。日教組の諸君におかれましても、どうしてそこまで一体、そういう方法に訴えてまで反対しなくちゃならぬのかということを私は尋ねたいと思うのであります。この段階におきましても、私は決して十五日が妙な状態になることを望むものじゃございません。何とか一つ先生の諸君も考え直して、同じ反対をするなら筋道の通った反対の仕方でもって反対してもらいたいという気持を捨てていないのであります。
  229. 堀昌雄

    ○堀委員 大体朝から伺うと、日教組は絶対反対だから困るのだ、こういうふうにおっしゃっておるんですね。しかし私どもが見ておりますと、文部省も絶対実施なんですね。片方は絶対反対、そうすると文部省も絶対やるのだ。ここには今の状態では条件の入り込む余地はないわけなんです。そうするとすべての場合に、私はこういうふうに考えるのです。日教組の過去から現在に至る経過を私は大臣もお考えを願いたいと思うのですが、日教組というものは初めから今のようなことをする団体ではなかったわけなんです。決して今のようなことをする団体ではなかったのが、なぜこういうようなことをしなければならなくなったかというと、これは決して日教組の方から問題を取り出して、そうして皆さんの方へぶちつけておるのではなくて、過去のけさほど長谷川先生もおっしゃいましたけれども、いろいろな最近戦後における文部行政というものが、教員を次第次第に追い込めていって、先ほどから自民党の方もおっしゃっておるように、五十万教員の中にはまことにまじめなりっぱな先生方がたくさんおられる。しかしそのまじめなりっぱな先生が、やむを得ずこういうことをしなければならなくなったという歴史的な発展の経過というものを、やはり私は考慮していただかなければ困るのじゃないかと思う。一般的に日教組が悪い悪いというけれども、私は日教組の今の姿は文部省の影だと見ておるわけです。文部省が手を上げたときに、その影も手を上げるということなのです。あなたの方で手をおろせば、影は必ず手をおろす。この事件で主体は文部省であって、教組は影だということを皆さんがお考えをいただいて、絶対反対でなくて、よし、そういうことならば一つ審議会を設け、冷却期間を置いて、一ぺん振り上げた手を私もおろす。おろされてみるならば、影は自動的に手をおろす。私は現在の日教組というものを皆さん方がどのように弾圧されても、皆さんが押えれば押えるほど日教組は強くなり、その闘争は激しくなって、国民の願うことと反する方向に全体が流れていくのではないか。父兄の立場として見るならば、そういうことを防ぐ道は、日教組にやめてくれ、影に幾ら手を下げろと言っても、本体が手を上げておる限りは影は手は下げられない。本体が手をまず下げてもらいたい、これが私は国民の真摯なる願いだと思うのです。子供を持つ親としては、文部省の問題や日教組の問題じゃなく、自分の子供をどうしてもらうのかという、この問題をやはり静かに父兄は見ておる。ただ問題は、いろいろな形に発展をしておるから、複雑ですが、そういう点で一つ文部省として、絶対実行ということでなくて、一歩翻って、ここで公正な審議会に一ぺん検討してもらうというような考え方を一回お考えになる余地はもうないのか、どうしても絶対実施かどうかという点を重ねてお伺いしたい。
  230. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私もあまり同じことばかり申し上げて恐縮ですが、この問題につきましては、午前中から申し上げました通りでございまして、別に私の方から事をかまえてかれこれした問題とは考えておりません。その点が堀さんと私のものの考え方があるいは違うのかもしれません。私は、私の方が手を振り上げて日教組を弾圧するというような考えのもとに何らの行動をしてはおらないつもりでございます。それに対してああ反対闘争、私はこれをあえて理不尽な闘争と言いたいような気持がいたしておるのでありまして、なぜ静かにわれわれの行政遂行に対して協力してくれないのか、もしまたその間において意見があるのならば、建設的な意見を出してくれないのか、こう思うのであります。それに対しまして、さような事実は少しもないので、手を上げておられるのは向うさんだと私は申し上げたいのであります。どうもその点になりますと堀さんと所見が違って、まことに遺憾でありますが、少くとも今日私は、現にここまで進んでおりますところの、地方教育委員会でやっております勤務評定の実施ということをストップするとか延期するというような考え方はございません。
  231. 堀昌雄

    ○堀委員 先ほど要求しておきました資料が来ましたか。県の規則です。これだけはどうしてもきょうやっておかないと困るのです。これはもうさっきお話勤務評定の合法性という問題について重大な問題ですから。——法制局の方に、書類が参りましたからもう一回伺いますが、栃木県教育委員会規則第七号、市町村立学校職員の勤務成績の評定に関する規則、これの中に、第一条「地方教育行政組織及び運営に関する法律第四十六条の規定に基く市町村教育委員会の実施する県費負担教職員の勤務成績の評定は、この規則の定めるところによる。」と、今度はこれははっきりしていますよ。これはどうですか、さっきの関連で……。都ははずしましたから栃木県のやつでいきましょう。
  232. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 ただいまおあげになりました栃木県市町村立学校職員の勤務成績の評定に関する規則でございますが、これは教育行政の組織及び運営に関する法律の四十六条の計画として定めているものと考えます。
  233. 堀昌雄

    ○堀委員 この内容を見ますと、第四十六条の規定に基く市村町教育委員会の実施する勤務成績の評定は、この規則の定めるところによる、と今度は東京都のよりもっとはっきりと規定されておるのですよ。こうなると、この規則だけから見れば、これは県がやるということになるのですがね。これならば、もう計画のもとになどというようななまやさしいものじゃない。今度はこちらは、都道府県教育委員会計画のもとに市町村委員会が行うものとすると、さっき何回か申したように、主体は市町村の教育委員会にあるということがはっきり規定されておるのにかかわらず、そのすべてを拘束する規則を栃木県は作っておるのですよ。これはどうですか。この法律に栃木県の教育規則は違反しておる。だれが見ても違反しておる。私はこういうふうに思うのですが、どうですか。法律に違反しておる勤務評定を実施しようとする県がある。
  234. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 その規則の第一条にありますように、法律の四十六条の規定に基く市町村教育委員会の行う県費負担職員の勤務成績の評定は、この規則の定めるところによる、こう書きましても、この規則自身が計画を定めておる、こう見られるのでありますから、従ってこの規則があるから、それが四十六条に違反しておるということにはならないと思います。
  235. 堀昌雄

    ○堀委員 ちょっと途中横道へそれたので、あなたもさっきおっしゃったこととだいぶ変ってきておる点もあるかもしれないのですが、さっきおっしゃったのは、主体は明らかに市町村教育委員会にあるということ、それが主体があるということで、前提条件として計画のもとにという言葉が入れられておる。これは一つの規定をしておる条件にすぎない。その条件は完全に規定をしていない。完全に規定をしておるのなら、これは都道府県委員会計画を市町村委員会が行うものとするとあれば完全に規定しておるわけなんですね。私はそういうふうに思います。計画を何々が実施するものとするというふうにあれば、完全に規定しますが、完全に規定されてないのです、この法律は。計画のもとにということは、完全に規定されていないということがはっきりしておる。ところがこちらは完全に規定しておる。市町村教育委員会の実施するというその実施する内容を規定しておるのですから、これは明らかに越権行為だと私は思う。この法律の趣旨から見て、そこまでを規定する権限はこの県の教育委員会にないと思う。どうですか、さっきおっしゃったこととだいぶ違うのですがね。
  236. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほど私が申しましたのは、四十六条が、市町村委員会が行うものとすると、こうございますので、勤務成績の評定の実施をするのがだれか、結局主体性の問題ですが、主体は市町村委員会でありますと申し上げ、ところで計画はだれが作るのかと申しますと、ここにありますように、都道府県委員会が作る、こういうことを法律にきめてあるのだ、従ってこの計画がきめられるという以上、その計画のもとに実施をする、こういうことになります、こう申し上げたわけであります。
  237. 堀昌雄

    ○堀委員 主体性があるということは、いいですか、あなた主体性があるとおっしゃいましたね。実施についての主体性があるということは、命令されたことを実施するということじゃないのですよ。よろしいですか、実施についての主体性があるということは、ただ実施するということだけだったら主体性がないのです、その場合は。要するに、命令された通りに行わなければならないという場合と、実施についての主体性があるということは、そこに権限があるわけなんです。この法律は市町村委員会に権限があるということがはっきり書かれておるものじゃないのです。ただしその行う内容については計画の方向でやれと書いてあるだけであって、計画そのものをやれとはここには書いてない。そうすると県の方で計画そのものをやれということをきめるということになれば、この法律の市町村委員会の主体性を、権限を侵すことになるのじゃないですか。
  238. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 非常にまたお言葉を返すようでございますが、主体性ということにこだわってと申しますが、重点を置いてお尋ねのようでありますが、主体性と申しましたのは四十六条でいう、こういう行為をやるのは市町村委員会が主体だ、こういう意味で申し上げたわけでございまして、従って主体性があるから、それは何かの自主性とか申しますか、独立権限と申しますか、そういうものがなければならないかどうかということと、この計画の定め方、それとは別の問題で、だれが行うかということをこの法律がきめてあるだけにすぎない。それがどういう権限があるかどうかということは関係がないのじゃないかと思います。
  239. 堀昌雄

    ○堀委員 今あなたが言われるような状態だったら、法律はただその市町村委員会が行うだけになるわけですから、行うだけであれば都道府県委員会計画を市町村委員会が行うものとすると書かれるのじゃないですか。そういうふうにそのものイコールであるということで、あなたは市町村教育委員会には自主性はないというふうにこの法律についておっしゃるようですけれども、私どもは法制局の見解としてこの法律がそうなれば、あとこれをきめるのは最高裁判所になるのかもしれないけれども、この法律の解釈がそういうように便宜的に解釈されるということは、これは重大問題だと思うのですが、この法律はあくまでその「計画の下に」というのは条件でしょう、条件じゃないですか。これが絶対なんですか。要するに計画そのものが絶対だというふうには書かれてないでしょうこの「計画の下に」ということは——計画を実施するというなら絶対なんですね、もう身動きがならないのです。都道府県教育委員会計画を市町村教育委員会が行うものとするならば、これは命じられた通りやらなければならない。そこに書いてあるのはそうは書いてない。ここには市町村教育委員会が行うのだ、それを栃木県のように全部規制して、そのワクから出られないようにするということは少くとも、法律に違反しておるのじゃないですか。
  240. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 お答え申し上げます。今お尋ねになりましたのは、都道府県委員会計画を市町村委員会が行う、こうなっておれば、確かに計画に拘束されるだろう。しかしながら計画のもとにとあるから、そうはならないだろう、こういうようにお伺いしたのでありますが、これは先ほども申しましたように、計画のきめ方の問題で、計画相当大綱的なきめ方になっておりますれば、そこに幅があって、従って市町村委員会がその計画の中で自主的に決定をする、こういうことになると思います。それからまたその幅が非常に狭くなるという場合、この場合にもその計画がある以上、その計画によって市町村委員会が行わなければならない、行うものとするとありますので、この計画に反するような勤務評定はできないということについては、これは変りはないと思います。
  241. 堀昌雄

    ○堀委員 こういうことなんですよ。あなたは量的な問題で質が変るポイントがどうもおわかりになっておらぬのだろうと思います。大体どういうことを書いているかといいますと、あなたが前段に言われたようなことを書いているのですよ。あらましの計画を作れ、その中で市町村教育委員会はその地域の情勢に応じてやりなさいということをこの法律に書かれておる。そのものずばりだと私は思うのです。ところがそれを拡張解釈していくと、だんだんと精密なものを作っていって、極点にきたときには、今度は計画そのものになるのですよ。「計画の下に」というグローブなものがだんだん一条一条規定をして、最終的にこの栃木県のように、この規定の定めるところによるということまでぴしゃっときたら、これは量的な変化じゃないのです。計画がだんだん狭まったのじゃなくて、そのときには計画を実施しなければならぬというところに一ぺんに飛躍するわけです。だからこの法律の書き方からみれば、こういうような規定を作っちゃならぬのです。この法律の建前からすれば、要するに含みのあるものを作って、私が言うように、勤務評定については、一年のうちに定期評定は一回実施をしろとか、そういう形のものができて、それを市町村教育委員会がその自主性に応じて九月に出そうと、十二月に出そうと、そういう問題は市町村教育委員会にゆだねるべきであるということがこの法律の趣旨なんですよ。それをこういうふうに一字一句違ったものを実行できないようなふうに都道府県が作るということは、この法律に反しておるのじゃないか。越権行為だ。ここにあるところの弾力のある幅というものをゼロにするときには、法律の書き方は変らなければならぬと私は言っているのです。どうですか、そこは。
  242. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 何回も申し上げまして非常に恐縮でございますが、この四十六条にいっておりますのは、計画とありますので、その計画がどういうものでなければならないか。非常に大ざっぱなものでなければならないか、それとも細目をきめてはいけないものかどうかということは、この字句、この条文からは出てこない。それが計画であれば、その計画によって実施するだけだと思います。
  243. 堀昌雄

    ○堀委員 私は意見がありますけれども、これはここで保留をいたします。さっき保留をしておる都と特別区の問題について一つお答えを願いたい。
  244. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほど御質問がありましたが、問題が非常に重要なので留保さしていただいたのでありますが、本委員会の終るまでに何分の返事をしろ、こういうことでございますので、一応考えましたところを申し上げますと、地方自治法の二百八十一条の二項第一号、このただし書きについては先ほど申した通りであります。従ってただし書きに該当いたしますれば、どういうことになるかと申しますと、これは特別区の事務に属さない、こういうことになると思います。そこで地方教育行政組織及び運営に関する法律の四十六条の関係でございますが、今申しましたように、区の事務でないということになりますと、この市町村委員会の定義が第二条にございますので、従ってただいま申しましたように、区の事務でないということになりますと、四十六条の市町村委員会それ自身の事務からははずれる。しからばどういうことになるかと申しますと、これは都道府県委員会の事務になる。そうしますと、この根拠はどこにあるかということになるのでありますが、地方教育行政組織及び運営に関する法律の三十七条の任命権者が法できめられておりまして、そうして任命権者が勤務評定を行う、こういうことになりますから、この場合には都の委員会勤務評定を行う、こういうことになるかと思います。
  245. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると第二条はどうなるのですか。これは特別法で地方自治法を規定しておるのじゃないですか。この地方教育行政に関する法律は、地方自治法があって、その後にその中の部分的な部分を規定するために特別法というものを作られておるのだと私は思うのですが、その中でははっきりと第二条に「都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)」第二条にはこうあるのです。だから特別区を含む第二条はあなたも認めないのだ。要するにこの場合は、地方自治法第二百八十一条のただし書きと、それからこの地方教育行政に関する任命権者であるという三十七条だけは利用するけれども地方教育行政組織及び運営に関する法律の第二条の「(特別区を含む。以下同じ。)」ということとの関連においてくれば、第四十六条で当然区が行うということになるのじゃないですか。
  246. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 地方教育行政組織及び運営に関する法律の規定でございますが、ただいま仰せになりましたように、これは特別法と見るべきではないので、やはり地方自治法とこの法律が並行してあって、そして地方自治法二百八十一条二項の第一号のただし書きで除いてある。この規定が働いて、依然として教育行政に関する法律は特別にはならない、こういうふうに考えておるわけでございます。
  247. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると第二条の中の「特別区を含む。」というただし書きは、法制局は法律としては認めぬということですね。いいですか、重大ですよ。法律に書いてあるものを法制局が勝手に認めるとか認めぬとかいうことはできないと私は思うんだ。
  248. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 その点は仰せの通り地方教育行政組織及び運営に関する法律の第二条に「特別区を含む。」とございます。従って、これをかぶります委員会のいろいろな職務権限に関する規定は当然働いてくる、これは当然のことだと思います。
  249. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると東京都の勤務評定については区が行うということにならなければならぬということになりますね。よろしゅうございますか。都の定める計画のもとに区が行うということになるのですね。
  250. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 そうはならないのであります。確かに法律の第二条には「特別区を含む。」とありますので従って、市町村委員会、それを特別区として区の委員会、こういうふうになってくるわけでございます。ところがこの四十六条に関する限り、これについて見てみますと、地方自治法の二百八十一条の二項の第一号ただし書きの規定がある。そういうことを考えなければならないのでありまして、この規定がある以上、この四十六条の「市町村委員会が行う」というこの市町村委員会、この市町村委員会に区が入るかどうかということは申し上げてないので、この「市町村委員会が行う」ということにはならないと思います。すでに四十六条では働かない、こういうふうに申し上げておるわけであります。
  251. 堀昌雄

    ○堀委員 ちょっと詭弁だと思うのです。この法律にはちゃんと「市(特別区を含む。以下同じ。)」と書いてあるのですよ。当然四十六条では——この四十六条には「都道府県委員会」、「都」とはっきり書いてあるのです。もしあなたのおっしゃる通りだと「都」と書く必要はないのです。「都道府県委員会計画の下に、(特別区を含む。)市町村委員会が行うものとする。」と法律には書いてあるのです。これはこっちが特別法であって、地方自治法が規定された後にこの特別法でさらに規制したのではないですか。だから私が最初に伺ったように——あなたのような言い方をすれば、地方自治法が優先して、地方教育行政に関するこの法律はあってなきがごとしだ、それが、法制局の見解であるというならそれでよろしいのですよ。そうなんですか。
  252. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 ただいま仰せになりましたのは、地方教育行政組織及び運営に関する法律が特別法であるから、従って前の地方自治法の規定を排除して、区を含むから、そう読むべきでないか、こういう御意見のように承わったのであります。しかしこれが地方自治法二百八十一条第二項の規定の特別法になるとは必ずしも言えないのでありまして、法律を見てみますと、二百八十一条の第二項の第一号と、この教育行政の運営に関する法律を並べた場合に、それは特別区の職務権限を定めた規定がやはり働いておって、これによって直ちには排除されないという読み方をするのがすなおではないかと思います。
  253. 堀昌雄

    ○堀委員 それではなぜ現実に「都」と書いたのですか。四十六条は、これはあなた方が書いたのでしょう。法制局が法律の原案をやり、修正されて自民党がお出しになった法律だと思うけれども、あなた方が検討してちゃんと「都」と書いてある。前のやつは身分に関する取扱いなんですよ。私はただ身分に関する取扱いの中に入るかどうかということを言ったので、勤務評定を規定しているのじゃないのですよ。二百八十一条の規定は身分の取扱いに関して書いてあるのであって、ここに勤務評定の問題にしぼって書いてある。要するに、あなたのおっしゃることはそれでいいのですか。
  254. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 はなはだどうもまた言葉を返して恐縮でございますが、ここで「都道府県委員会」とありまして、「都」とありましても、この「都」というのは意味がないのじゃないかということにはならないで、区だけでなくてほかの市町村もございますので、やはり四十六条の区以外のところで働く場合は当然考えられる、その通りにしていかなければならないと思います。
  255. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると第二条は四十六条には適用しないのですね。ここには省略してあるだけで——第二条の規定は、「都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)」こういうふうに書いてあることは、特別に書かないけれども市というものと特別区というものを並べて書く煩瑣をここで省略しておるのではないですか。だからここの四十六条は、省略を除いて正規の原文としてはっきりと読むならば、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会計画の下に、市(特別区)、町村委員会が行うものとする。」こうはっきり書かれてあるじゃないですか。省略とかの問題ではない、法律に書いてあるのだから。
  256. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 仰せの通りこの法律の第二条に「市」とありましてカッコして「特別区を含む。」ですから普通の条文を見ます場合に、「市町村委員会」とあった場合にその「市」の中にカッコしまして「区」と入りますから仰せのようになると思います。ところがこの場合におきましては、この規定自身がどう働くかというその前提の問題になるわけで、その場合には地方自治法の二百八十一条の第二項の規定を考慮しなければならない。そうすれば四十六条の規定は、その読み方のいかんを問わず働く余地がないのじゃないか、こう申し上げておるわけであります。
  257. 堀昌雄

    ○堀委員 働く余地がないものをどうしてここに書かなければならないのですか。前段は、二百八十一条というものはそういうことを書いてないのです。「小学校、中学校、幼稚園及び各種学校を設置し及び管理し並びにこれらに関する教育事務を管理し及び執行すること。但し、教育職員の任用その他の身分取扱、教育課程、教材の取扱、教科用図書の採択その他政令で定めるものを除く。」こういうふうにあって、勤務評定だけがここでクローズ・アップされておるような法律ではないのです。身分の取扱いというのは、勤務評定だけではないでしょう、どうですか。あなたがその身分の取扱いの中の勤務評定だけをクローズ・アップして——地方教育行政に関する法律は特別法として規定してあるのですよ。そんなことを言ったら重大問題ですよ。何のためにここに「都」と「特別区を含む。」ということを書き込んだのですか。
  258. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 「都」と書きましたのは、先ほど申しましたように、特別区だけでないからそう書かざるを得ない。それから「市町村委員会」と書いてありますのは、やはり都道府県委員会とありますので、それに対する意味において「市町村委員会」、こう書かざるを得ないということだと思います。
  259. 堀昌雄

    ○堀委員 あなたがそういうことを言うなら、法律はそこに区を除くということを書かなければならないのじゃないですか。この法律は、前段で市というものは全部特別区を含むということをはっきり規定しておるのですよ。この第二条の設置の条項の中で、そういうような規定をしてあることを、あなたがこの部分について、四十六条だけについては区の問題は考えられてないのだと言うことは詭弁ですよ。法律がそんなあいまいなことで書かれるはずはないと思う。「都道府県」と書いたから、うしろに「市町村」と書いたのだ、そうして市の規定の「市(特別区を含む。)」というのは、この場合通用しないのだということは、そういうことが行われるなら、法律というものはまことにいいかげんなごまかしのもので、御都合次第によってどうにでもできるということになるのじゃないですか。法律の解釈は、こういうふうな点で、ちゃんと身分の取扱いというような問題の中で勤務評定というものを取り出して、ここに書き込んで、ちゃんとこの中では都が計画をし、区の教育委員会が行うということが法律に書いてあるのに、それを都が行なっておるという実情は、先ほどから文部大臣がおっしゃったように、行政担当者は法律を守らなければならない。もし法律を守らないとするならば、都の教育委員会は違法を犯しておるのではないですか。どうですか。どうしてもあなたは四十六条の中のこの市町村の市というものは特別区を含むという問題について、これは勤務評定だけにしぼって考えてあるというこの状態の中で、二百八十一条の身分の取扱いだけに固執して、これだけを規定してある。これが法制局の正当な見解ですか。
  260. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 先ほど来申し上げておるのでありますが、地方教育行政組織及び運営に関する法律、この二条で市の中に特別区を含むということでありますから、この法律に規定してあります市町村委員会、それは特別区というのは一応形式的に含まれることは、私は先ほども申し上げておる通りでありまして、この四十六条に関する限り、この市町村委員会は働く余地がないのじゃないか。何となれば地方自治法の二百八十一条の第二項の規定がかぶってくるからであるということを申し上げておるわけです。従って現在都でやっておられますことは違法ではないと考えるわけであります。
  261. 堀昌雄

    ○堀委員 形式的には含まれるとおっしゃいましたね。法律で形式的にきめるというようなことがあるのでしょうか。内容としては含まないけれども、形式的に含まれる。法律の条文というものは書かれた通りに解釈するのじゃないのですか。今あなたは四十六条のこの市町村という市の中には特別区が含まれる、形式的には含まれるが、実際には含まれないのだ。そういうようなことが法律に書かれるのですか。形式で含まれるというのは、何のために形式で書かなければならぬものですか。法律で規定するのは内容を規定したものであって、私は形式を規定したものじゃないと思うのです。
  262. 亀岡康夫

    ○亀岡説明員 この法律は特別区を含むと、こうありますので、従ってこの法律のほかの規定については、これは一々特別区を含むというわけには参りません。従って市町村委員会と、こう書きまして特別区を含めた意味で読ましておるわけであります。ところがこの四十六条に関しましては、この規定自身が働かないのじゃないか。これを形式的に読むかどうかということは別にして、働かないのじゃないか、こう申し上げておるわけなんで、形式的と申しますのは、先ほども申し上げましたように、この条文に確かにありますように特別区を含む、従って市町村委員会といった場合は区の委員会を含む、これはまことに当然のことであります。
  263. 堀昌雄

    ○堀委員 特別法というものは、ある問題の区分を限ってその問題をさらに規定をしておるものだと私は思うのです。そこでもうこれ以上言いませんが、二百八十一条に勤務評定は除くと書いてあるというのだったら、あなたのおっしゃることが私は一応考えられるかもしれないと思うのです。しかしこの部分は身分の取扱いと書いてある。身分取扱いの中に勤務評定が含まれるということは、それはそれなりに私は理解しますけれども、しかし今のこの状態の中では、しぼってその部分だけ、勤務評定だけを身分の取扱いの中から引き出して特別法の中で規定をしたら、私は当然四十六条の方が形式とかなんとかいうことでなくて、勤務評定を規定したのだから、県費負担の教職員勤務評定だけはこっちの方が優先しなければならない。地方自治法の二百八十一条の中からこの勤務評定の部分だけを規定したのだから、二百八十一条よりも地方教育行政組織及び運営に関する法律の四十六条の規定が勤務評定だけは優先をする。そのほかの身分取扱いについてはこの二百八十一条の問題があったらよろしい、私はこう思う。それであなたはそういうふうに二百八十一条の方が優先をして、あとで作った法律などというものは、何らこの場合はもうそれに拘束をされないのだ。特別法というものはそういうふうには作ったのじゃないのだ。これはもうだれが聞いたってナンセンスですよ。率直に言って私は権威のある法制局の部長さんがそういうことをおっしゃるとは思わなかった。これは私は何も法律の専門家じゃありません。医者なんですよ。ただ法律というものを法律として私は読んでおるだけなんです。だから私にわからぬ部分をあなたに伺ったら、あなたの見解はまことに法律の見解と著しく異なっておるという点についてまことに遺憾でありますが、あとの時間もあるようでございますから、ちょっとまだありますけれども、次会にまたやらさしていただきます。
  264. 坂田道太

  265. 西村力弥

    西村(力)委員 私は、きょう外務大臣がいないことは知っておるから次官の方においでを願ったわけですが、出て参らないということはまことに遺憾だと思うのです。これは非難さるべきことだと思う。それでやむを得ないから文部当局にだけ質問をいたします。 事は大臣も御承知と思うのですが、八月の二十三日に琉球の高等弁務官のブース中将が沖縄の通貨をドルに切りかえる、こういう声明をしております。近くそういう手続が運ばれると思うのですが、それでその経済上の問題とか、そういういろいろの問題については他に機会があるわけですから、それは避けますけれども、一体この通貨改革、変更によって沖縄の教育がどういう変貌を来たすか、文部大臣はそれをどう考えておられるか。それを一つお聞きしたい。
  266. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 沖縄の通貨改革によりまして沖縄の教育がどういうふうになるかというお尋ねでございますけれども、私はそれにつきましては今お答えを申し上げるだけの準備も知識も持っていませんので、御了承を願いたいと思います。
  267. 西村力弥

    西村(力)委員 この沖縄の通貨を変更するという問題について、さように簡単に考えられるということは、これは私たちとしては遺憾に思うのです。あそこにおる青少年は、これはやはり日本人なんです。そうして当然日本の教科書で勉強するべき人間なんです。そういう人間が通貨改革に伴って全然変った教科書を使わざるを得ないようになるではないだろうか。これはアメリカが通貨を改革、変更するその理由は、前のムーア高等弁務官が地代の一括払いをやろうとしたところが、沖縄の住民の反撃あるいは内地の本国のわれわれの反撃とか、そういうものによって一応撤回せざるを得ないようになった。そうなった結果、逆に彼らは経済的にはっきりとアメリカの金でお前らは生かしておるのだというふうに見せるために考えて、沖縄の経済のすべてをドル支配に持っていくためにああいう方式を出しておるわけである。それが教育に影響ないと言えない。重大な影響をもたらすものと思う。それに対して何らの検討を行わないなんということは、これは少し不見識じゃないか、私はそう思うのです。この件に関しては外務省も向うのそういう通告に対して何ら異議をはさむことなくそれを了承したかのごとくなっておりますが、この教育の問題について次代を担う青少年がアメリカ式の教科書によって教育を受けざるを得ないという時代が来るときに、あなたは文部大臣としてそれに対して何らの検討と準備を持っていないなんということでは、これは私としては納得できない。勤務評定で頭に上っておる。それで、予測されないということはとんでもないことですが、一体そういう工合に教科書が全部ドルに書きかえられる、アメリカ式の教科書になるわけですが、従前通り日本の教科書を使わせるということを実現する決意を持ちますか。
  268. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は率直に、十分な準備も知識も持たないということを申し上げて恐縮に存じますが、ただ、かりに貨幣制度が変ったからといいましても、現在沖縄でやっておりますところの教育方針が、そのことによって直ちに変るというふうにも私には思われないのであります。私どもといたしましては、従来通り事情の許す限り沖縄の教育については協力もし、援助もして参りたいと思っております。
  269. 西村力弥

    西村(力)委員 そういう決意は大へんけっこうですが、教科書がドルに全部書きかえられる、こういう事態が必ずくるのです。今はB円あるのです。今は円あるいは軍票です。しかしそれは円という日本の通貨を基礎にして、B円というのをやっておるのですよ。ところが全然円と関係のないドルになっていく。そういうときにわれわれ日本の本国の子供たちが使っているそのままの教科書を使わせるということは、ドル切りかえに当って外務省が向うの申し入れを了承する場合には、はっきりその点をあなたは文部大臣として一つのくさびを打っておかなければならぬじゃないかと思う。それをはっきりと、そういう場合に努力する、実現する、あくまで日本の子供として教育する、教科書にせよ、方針にせよ、こういう方針を確実に一つ持ってもらわなければならぬと思う。  それから第二番目は、あの切りかえに伴って、そのドル切りかえの方式を見てみますと、賃金は端数は切り捨て、何セント何分の一という何分の一は切り捨てというふうにして、賃金の方は切り捨てられる。ところが物価の方は何セント何分の一の何分の一は切り上げてしまうわけです。そういうことで沖縄の労働者一般は非常な物価高に置かれる、教職員も同様の状態に置かれる。そういう点についてもあなたとしては努力さるべきだと思いますが、そういう点についてはいかがでしよう。
  270. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 沖縄の問題につきましては、お互いに常に関心を払い、また注意をしていかなければならぬわけでございます。大へん御注意をいただいたわけでございますが、私といたしましても、沖縄の事情につきましてさらによく勉強いたしまして、御趣旨に沿うようにできるだけの努力をいたしたいと思います。
  271. 西村力弥

    西村(力)委員 そのことは大臣お話以上には今のところ出ないようですが、後日努力の結果については明確に示していただくことをお約束いただきたい。
  272. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 今後の推移によってごらんをいただきたいと存じます。
  273. 坂田道太

    坂田委員長 この際一言私からごあいさついたします。本日は長時間にわたり、きわめて御熱心なる質疑応答がなされ、勤評問題に対する有意義な議事を進め得ましたことを、衷心より感謝いたす次第であります。国会における委員各位の御論議は、必ずやこの問題の円満なる解決に資するところ多大なるものがあると信じ、特に各位とともに今後の文教行政の向上、発展を期待いたす次第であります。  本日は暑さの中ありがとうございました。次会は追って御通知いたすこととし、本日はこれにて散会いたします。     午後六時四分散会