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後藤参考人 南
樺太に現在どのくらいの
日本人が残っておるかということについての確実なものは、おそらく何もわからないだろうと思います。もちろん私も、実はそれについて申し上げることはできません。それはほとんどの者が相互に孤立しておりまして、それぞれの職場についておる者、同じ町でありましても違った職場についておりますと、とんと連絡がないというようなわけでありまして、たとえば私のごときは農場の方の仕事をやっておったのですが、仕事の性質上ほとんど町の方にも出ない。日曜日も出ない。友だちの方にもたずねていかない。若干の知り合いがあるのですが、たまに会う
程度でして、どこにどういうふうな
日本人がおるかということは、私自身も非常に狭い範囲しか知らないわけであります。しかしみな
真岡に集まりまして、それから船の上で、もうこちらの方で大体お調べになったと思いますが、ただ聞き取りだけでも、各地方に相当な
人たち、かなりの人数がおるということがわかったわけであります。これらの
人々はほとんど朝鮮の人と結婚をした人でありまして、ですから
日本人としては女の人が多いわけであります。ごくわずかの
部分が
日本人の男というようなことになっておると思います。これらの
人々がどうしてまだ帰ってこられないかということについても、これはいろいろな想像では申し上げられますが、確実には申し上げられないような
実情であります。というのは、いろいろの方法で帰るということについて
嘆願書を出しますが、その
嘆願書だけでは効果のある場合もあるし、またない場合もある。出したけれどもだめだ、何の返事もこない、それから
引き揚げの発表があるけれども自分は載っていない、それでまた行って聞いてみると、お前は
朝鮮人になっておる、
日本人であるという証明がなければこちらの方ではそれを確認するわけにはいかないのだというような話を聞く。それで中には急いで
日本の方に自分の知り合いやら親戚の者に手紙を出す、その返事をもらってそれを向うの方に示す、それでようやくそれならばということで、向うの方の居住証明書、
パスポートと言っておりますが、その切りかえが行われる。その上で、それではお前は帰るとするならば帰るような
手続をとるがいい、こういうような形をとって帰りたい者はだんだん帰るという方向に進んでくるわけです。ところが現在残っておる者の中で、そういう
手続をとっておらない者がだいぶあるのではないかと思われる節がございます。それは、ある職場に働いておってザヤウレニー——ザヤウレニーというのは
嘆願書というような意味にも使われるのですが、それを書くにもどこに出していいかわからない。あるいは地方の
警察、あるいは何と申しますか、セリソビエト、地方の村役場、あるいは市長、
日本で言うと市長ということになりましょうか、ライスポリコームと申しますが、そちらの方に出してもそこではすぐには解決がつかないので、一応それでは何らかの方法をとってあげるからというただの口頭の約束で引き下ってしまう。結局
引き揚げの問題などは、
最後的に
樺太において
決定されるのは、州の——何と申したらいいでしょうか、われわれは普通これをかしら文字だけをとってオビルと申しますが、実はこれは、私ははなはだ申しわけないのですが、どういう名称の組織であるかは申し上げられません。いずれにしても、これは主として南鮮系の
朝鮮人及び
日本人などに対するところのいろいろの問題を取り扱っている州の
警察の方に属する部であろうと思われますが、そこにおいて
決定されるようです。
引き揚げがある場合などは、そこで一応大体名簿を作りましてその名簿によって各
日本人の方に連絡されるという形をとっておりますから、ここで大体
決定されるのであろうと思います。もちろんこれはモスクワの指令に基くことでしょうが、大体そういう形をとっているわけでございます。ただそこまで行って
手続をとらない者がたくさんおる。いろいろな
事情がございまして、職場の方では、一つの例でございますから全部がそういうような形でいるということは申し上げませんが、現場に働いておりますと、その職場に人が非常に足りない。これは全体においてそういう形でございますが、職場には人が余るということはありませんから、そこに働いておる人が動くことをきわめて警戒する。あるいは何らかの形で引きとめようとすることが行われます。たとえば、ある工場で、本人は
日本に帰りたいという意思をかりに上の方に伝えたとします。そうすると、それは帰った方がいいというようなことはほとんど言われない。お前なぜ
日本に帰るか、ここで働いてもいいじゃないかというような工合ですね。そういうわけで、よほど意思強固に持っていないと、その言葉で、それじゃこの職場で働こうかというふうな気分に変るようになりまして、
手続などもそうですけれども、向うの方から積極的にやれと親切に言って手伝ってくれる職場は、まずないと言っていいわけです。そういう
人たちが、結局そこでそうしたいろいろなことをやらずに、ずるずると過ぎてきておる。こうした
人たちは、もちろん
日本人のだれかと連絡をとっております場合は、その人がもし帰るということが
決定した場合、どういう方法で帰ることができるかということがはっきりしますから、自分もそういう方法をとる。こういうふうに自分も積極的に踏み出すような気持になるのですが、それが全然連絡のないような場合、たとえばずっと離れておる工場に働いておる
人たちとか、ずっと山の中の造材の方の仕事をしておる
人たちであるとか、そういうごく袋のすみの方に残っておるような
人たちは、全然
手続も何もとっておらない。自分の意思表示すら、一応小さな範囲でやっておるけれども、公けの意思表示はやっておらないという形になって残っておるという大体の推察ですし、私もそう思っております。こういうことで、いまだにずるずるに残っておるのが
実情だと思います。
それで、これは一応私のお願いになるわけでありますが、私などの考えでは、こちらの方の方々がきわめていろいろな努力を重ねられて、ソビエトの方に交渉されておるということを、かなり具体的に私は知ったわけでありますが、モスクワの方に、ただ
日本人のこれこれが
樺太におるから帰せというような形だけでは——もちろんモスクワでは、これを
樺太州の方の執行
委員会にかりに命令が出たとしても、本人を探し出すことは非常に困難なわけでして、もしこういう方法がとられれば、全部
日本人の所在が明らかになるのじゃないか、同時にまたそれらの
人たちも、こちらに帰ることが早くできるのじゃないかと思われます。というのは、こちらの方でもしモスクワの方にそういう交渉をとられるような場合、こまかくこちらの方で現在の住所がわかっておる場合は、もちろんそれを書いていただければそれだけでいいのでありますが、わかっていない方は、現在
日本人で老人でない限り、それから未成年でない限り、職場に属しておらない者は一人もないわけであります。何らかの形の上で、いずれかの職場に属しております。これは職場に属しておらなければ、ごくまれにそういう事例があるかもしれませんが、属しておりますから、州の執行
委員会の方に、迫って書のような形で、各職場について一応
日本人もしくは
日本人と思われるものについて全部
調査をした上で、このことを徹底させるようにというふうな、こちらの方でモスクワの
政府に対して指示するというとおかしい形になるかもしれませんが、そこまでモスクワの
政府に言えば、モスクワの
政府の方ではおそらく詳しいことはわからないですから、
日本政府の方からそういうふうな形の文句があるとすれば、モスクワの方でオブラスチの方にそういう指示がつけ加えられるであろうと思うわけであります。それは私自身が州の執行
委員会の方に行って、このことについてちょっと話をした場合に、どこにどういう
日本人がおるかわからないということを言うておったわけです。その場合、もしモスクワの方で、めんどうだけれども、それじゃ各職場ごとに
日本人をはっきりさせろ、あるいは
朝鮮人の国籍になっておる者でも、
日本人ということについてあらためて確認するように努力しろというような命令がモスクワの方から出れば、もちろんそれだけの時間をかけても、各職場の方では出すことができる。言いかえれば、各職場では仕事の方に忙しいですから、いろいろな余分な集会等を開くということについては、できるだけ避けようとしておるということであります。これを実は私お願いしたいのであります。そうすれば帰還が
促進されるんじゃないか、かように考えております。