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1958-09-11 第29回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年九月十一日(木曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長代理 理事 前田 正男君    理事 赤澤 正道君 理事 中曽根康弘君    理事 原   茂君       天野 公義君    小坂善太郎君       小平 久雄君    佐々木盛雄君       始関 伊平君    丹羽喬四郎君       内海  清君    辻原 弘市君       松前 重義君  委員外出席者         原子力委員   有沢 広巳君         科学技術政務次         官       石井  桂君         総理府事務官         (科学技術事務         次官)     篠原  登君         総理府事務官         (科学技術庁原         子力局長)   佐々木義武君         総理府技官         (科学技術庁原         子力局次長)  法貴 四郎君         厚 生 技 官         (公衆衛生局         長)      尾村 偉久君         海上保安庁長官 島居辰次郎君         海上保安官         (海上保安庁水         路部長)    須田 皖次君         海上保安庁講師         (水路部医師) 速水清治郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  科学技術振興対策に関する件      ————◇—————
  2. 前田正男

    前田(正)委員長代理 これより会議を開きます。  小金委員長は、ただいま海外旅行中でありますので、委員長の御指名により、私が委員長の職務を行いますから御了承を願います。  これより科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。まず、海上保安庁測量船拓洋」及び同巡視船さつま」の放射能汚染に関して、関係当局より説明を聴取することにいたします。海上保安庁長官島居君。
  3. 島居辰次郎

    島居説明員 海上保安庁では、国際地球観測年計画によります海洋部門観測として、赤道海域における海洋調査を行うために、七月三日に測量船拓洋」を、同八日に巡視船さつま」を南太平洋赤道海域に出動させたのであります。  「拓洋」は、出航以来毎日放射能調査実施していたのでありますが、七月十三日までには放射能の最高値は千百七十五カウント程度であったのであります。しかるに、七月十四日十一時三十分、北緯十四度十六分、東経百五十三度四十四分、ちようどこれはエニウエトク環礁から西方約五百海里の地点にありますが、そこにおいて、後部甲板上より放射能三千七百カウントを検出いたしまして、なお漸増の傾向がありましたので、危険を感じまして警戒航行に入つたのであります。十二時三十分、諸般の事情を勘案して、状況の好転するまで南下することにしたのであります。二十時エニウエトク環礁米国が設定した原水爆実験に関する危険区域西側境界線から西方百六十海里の地点、これは北緯十二度四十五分、東経百五十三度二十三分でありますが、そこを南下中、雨水より一リットル当り毎分十万カウント放射能を検出したので、この危険な海域から早急に離脱するため、海洋観測を一たん中止いたしまして、急遽南下したのであります。当時「さつま」は危険区域から西方三百海里の地点にありまして、降雨には遭遇しなかったのでありますが、ともに急遽南下したのであります。  この事態の発生に伴いまして、十五日、海上保安庁では、これが対策を協議するため緊急会議を開催いたしまして、次のようなことを両船に指示したのであります。その一は、観測を中止し、ラバウルに直航すること、なお、身体、被服の洗浄、海水の使用禁止及び糧食庫汚染防止等放射能による汚染防止実施に万全を期すること。二、入港まで清水による船体洗浄実施。三、健康管理——これは尿、血液の採取、検査でありますが、これの実施。四、一時間ごとの船体各部放射能測定。以上であります。  次に、一方一般船舶に対しましては、十五日、海上保安庁無線電信航路告示第六百七十二号をもちまして、「拓洋」は十四日二十時、マーシャル諸島エニウエトク環礁西方約五百二十海里の地点において、雨水より毎分十万カウント放射能測定したということを全船舶に通報いたしました。なお関係事項は、その後航路告示三十三年三十号項外四百四十三号として関係先へ配付したのであります。  次に、両船船体洗浄放射能測定及び乗組員血液検査等実施しつつ、十九日七時ラバウル入港いたしました。次に、また七月十五日及び十八日、船内で「拓洋乗組員の十八名について血液検査実施した結果、臨床的な異常は認められなかったのでありますが、白血球数最高四千九百、最低二千という結果で、全般的に低下しているということが認められました。そこで海上保安庁は、十九日、放射能関係専門家及び関係官庁とも連絡協議いたしまして、両船にはもちろん医師が乗り組んでいるのでありますが、ラバウル入港後、直ちに現地病院において総員診察を受けさせその結果により根本的な措置を考えることといたしまして、とりあえず、次のような措置をとつたのであります。その一は、なるべく汚染船舶から離れるため、両船乗組員陸上宿泊については、外務省を通じ交渉するが、現地においても極力交渉すること。二、たまたまラバウル日本の「千歳丸」が在泊しておりまして同船には約二十五名の収容能力があるので、必要に応じ、これを利用すること。三、医師の指示により早急に手当を必要とする者は、入院について現地交渉をはかること。四、血液検査船体洗浄を続行すること。五、乗組員に対する食事、衣料、休養等に関しての適切なる応急措置及び手当実施すること。こういうことであります。  次に、七月二十一日、ラバウル病院にて全員検血の結果は、白血球数四千台以下の者が「拓洋」に四名ありましたので、七月二十二日、海上保安庁関係官庁及び放射能関係権威者の参集を求めまして、当日までに得ました放射能測定結果、白血球数測定結果等の資料もと対策を協議いたしました。その結果は、一、乗組員放射能による障害については、資料が不十分で確実なことは言えないが、これをもとにして判断すれば、現在までのところ、まず障害はないと考えられる。二、しかし、内部照射については不明であるし、乗組員も相当精神的な衝撃を受けていると思われるので、右事情を考慮し、一日も早く帰港させ、精密検査を受けることが適当と考えられる。三、さしあたり治療を要する者は、なるべく休養に努めさせること。なお、要治療者のみならず、全員できるだけ栄養を摂取するよう努めること。四、「拓洋船内には一般疾病患者が六名いるが、これは放射能に直接関係があるとは思われないという結論を得ましたので、できるだけ早く出港、帰国するよう指令したのであります。  次に、今回の「拓洋」及び「さつま」の放射能汚染事件につきましては、米国側よりラバウル医師及び放射能専門家を派遣し、診察その他必要な援助を提供する用意がある旨の申し出がありまして、当庁といたしましても、これを了承しましたので、二十五日午後、米軍用機によって係官五名が参りまして、乗組員身体検査及び船内各部放射能測定実施したのであります。この結果につきまして、二十七日係官から、放射能を受けてより二週間を経過した現在、両船検査の結果は乗組員健康状態おおむね良好であり、白血球数のこれ以上の減少はないであろう、かつ、船内放射能もきわめて少量であるので、出港は差しつかえないという趣旨の所見を得たのであります。  そこで、両船は二十八日ラバウル出港いたしまして、グワムアプラ港経由で帰国することになつたのでありますが、乗組員の精神的な衝撃並びに一般疾病者状況等も勘案の上、東京の方から巡視船むろと」に応援要員十五名及び必要な寝具、衣類、医薬品、検査器具等を搭載いたしまして、グワムアプラ港において両船と会合するように手配して、二十八日九時横浜港を出港させたのであります。  次に、三船は八月二日早朝、グワムアプラ港に入港いたしました。応援要員及び補給物品の移載等の要務を終えた上、同日十三時同港を出港、七日早朝、「むろと」は横浜港に、「拓洋」及び「さつま」は東京港に入港したのであります。  これよりさき、海上保安庁は、両船乗組員受け入れ態勢につきまして厚生省と協議いたしました結果、八月五日には原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会総括部会が、そうして翌六日には環境衛生部会食品衛生部会及び医学部会がそれぞれ開催されまして、「拓洋」、「さつま」帰還後の善後措置につきまして、次のような決定がされたのであります。その一は、乗組員健康診断についてでありますが、一般検査を八日及び九日の両日にわたり国立東京第一病院東大付属病院及び日赤中央病院において乗組員全員百十三名について実施し、その結果、精密検査を要する者についてはあらためて検診する。なお、船内各部調査でありますが、環境衛生部会及び食品衛生部会において、両船入港直後に、船体、船具及び食品につき放射能調査を行う。以上であります。  そこで、八月十一日、医学部会環境衛生部会及び食品衛生部会が開催されまして、両船について実施された放射能調査及び一般身体検査の結果を総合検討の上、次のような所見が述べられたのであります。その一は、医学部会でありますが、イ、「拓洋」、「さつま」の乗組員百十三名について八月八、九日の両日にわたって一般身体検査及び血液等検査をした結果、放射線障害があるという所見は得られなかった。ロ、環境衛生部会結論をも考慮して、放射線障害に関しての精密検査の必要はないと思われる。ただし、今回の検査でたまたま他の疾患を発見された者もあるので、関係方面連絡とつて適当な措置をすることになりました。二の環境衛生部会では、イ、「拓洋」、「さつま」が航海中に行なつた測定資料と、われわれが両船について行なつた放射能調査の結果との解析から、両船乗組員航海中に受けた線量は、百ミリレントゲンを越えない。ロ、両船に残存している放射能汚染は、海上保安庁措置乗組員措置が適切であったため、現在きわめて軽微で、居住性に支障はない。こういうことであります。  次に、さらに八月二十七日及び二十八日の両日にわたりまして、健康管理の万全を期するため、従来白血球数の比較的不安定な者及び現地において要注意とされた者のうちから必要と認められる者十五名につきまして、一般検査をそれぞれの病院実施いたしましたが、その結果、異常と認められる者はなかったのであります。  最後に申し上げたいのは、両船ラバウル入港期間中、現地官憲はきわめて友好かつ協力的でございまして、一般に、船舶は港内在泊中は無線使用は禁止されているのでありますが、現地政庁は、特に夜間——これは二十三時から翌朝の午前三時まででありますが、海上保安庁との交信を許可してくれましたので、東京海上保安庁現地両船との直接交信が可能となりまして、十分連絡がとれたことは非常に感謝にたえないのであります。また、検疫官病院医師も終始協力的で、乗組員全員血液検査その他健康診断には協力を惜しまなかったような状況であります。また、本問題の処理を通じまして、米国側関係者もきわめて好意的で、非常に協力的であったことをつけ加えさしていただきたいと思うのであります。
  4. 前田正男

    前田(正)委員長代理 次に、厚生省公衆衛生局長尾村君から説明を聴取いたします。
  5. 尾村偉久

    ○尾村説明員 今回の「拓洋」、「さつま」の事件が起りまして、七月十五日に直ちに海上保安庁から、国民の健康問題を所管しております厚生省にいろいろな御相談がございまして、われわれの方といたしましては、さきに数年前のビキニ原爆実験の際、漁船乗組員の問題でいろいろ措置をいたしましたが、その際、こういうような問題は、非常に学術的な、専門的な知識によって正確に処置する必要があるということで、それ以来、閣議決定によりまして、先ほど長官から御説明のありました原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会というものを設けまして——これは幾つかの専門部会を持っておりますが、これに常に諮問をいたしまして意見をまとめる、こういうことで適切にやつてきておりますので、直ちにこれらの参加部員と非公式に、あるいは先ほどから御説明がありましたように公式の会を開き、これによりまして学術的な研究に基く措置をもって御協力申し上げた次第でございまして、幸い、前のビキニのような非常な被害がなくて、一時的な、軽微なことで済んだことを厚生省としては非常に喜んでおるのであります。今後もそのような問題がないように、われわれの方としては、できるだけの経験と、知識並びに今の学術研究者意見を十分活用いたしまして、国民のこの種の被害が起らないように、こういうことで各省に十分御協力申し上げたい、こういう立場で今進んでおる次第でございます。  以上でございます。
  6. 前田正男

    前田(正)委員長代理 これにて説明を終りました。何か御質疑はございませんか。——それでは御質疑がないようでありますので、この問題はこのくらいにいたします。     —————————————
  7. 前田正男

    前田(正)委員長代理 次に、欧米における最近の原子力情勢について、原子力委員会委員有沢広巳君より説明を聴取いたすことにいたしたいと思います。有沢君。
  8. 有沢広巳

    有沢説明員 私、三月二十六に日本を出発いたしまして、六月の十九日に帰って参りましたが、その間、約六週間は、生産性本部アメリカ経済視察団の団長としてアメリカに滞在いたしましたから、これは別のお話といたしまして、このチームが五月七日に解散いたしまして、翌日の五月八日から原子力視察に任務を切りかえまして、アメリカワシントン、それからピッツバーグのシッピングポートニューヨークの付近のブルックヘヴンの三カ所を視察いたしました。元来、原子力委員として原子力事情視察に当りましては、一つは、欧米原子力施設視察するということ、それから第二には、原子力災害に対する補償問題が、どういうふうに各国において規定されておるか、この補償問題につきまして調査をするということ、それから第三には、英米はともかくといたしまして、主としてヨーロッパ諸国燃料供給対策といいましようか、燃料対策はどういうふうに考えておるか、それから最後に、ヨーロッパ諸国原子力平和利用開発方針としてどういうふうな考え方をしておるか、この問題につきまして主として調べてくるという目的で参つたわけであります。  アメリカにおきましては、アメリカ原子力委員会オフィスニューヨークにありますが、そのニューヨークオフィスをおたずねいたしまして、ヴァンスという委員にお目にかかりました。この方は法律の専門家でありまして、ヴァンスさんと一時間半くらいお話をいたしましたが、いろいろ話が出ましたけれども、私の記憶に非常に強く残つておりますのは二つの点であります。一つは、アメリカ産業会議で、同じく委員デーヴィスさんが、それより数カ月前に、アメリカ原子炉は一九六二年ないし六五年ごろになって初めて在来発電とコストの上からいってコンパラブルになるだろう、こういうふうなことを申しておったのでありますから、一体この見解アメリカ原子力委員会見解か、それともデーヴィスさん個人の御意見かということを尋ねたのであります。ヴァンスさんは、私の質問に対して直接にはお答えにならなかったのですが、いろいろ話としましては、これを要約いたしますと、デーヴィスさんはそう言っているけれども、しかし、それよりももっと早く在来発電コンパラブルになるというふうに考えている人々も大勢おるということを知っていてもらいたい、ということを申したことであります。それからもう一つの点と申しますのは、ウラン精鉱、イエロー・ケーキをコマーシャルベースで何か入手するような方法は近き将来考えられないだろうかという質問に対しましては、これは非常に明確に、近い将来に必ずそういうことになるだろう、もっとも、その際においても協定に基くライセンスを必要とすることはやむを得ないけれども、コマーシャルベースで入手することはじき近い将来必ず実現する、こういう非常に断定的なことを申しました。そして、事実これは私がまだヨーロッパにおる時分に、この手続がとられたと思います。そういう点。それから、あとはいろいろ雑談をいたしましたが、それは興味のある点もありますけれども省略いたしまして、アメリカでは、意見をいろいろ聞きただしたという点におきましては、AECヴァンスさんからのみでありまして、あとブルックヘヴンAPPR——これは動かすことのできる可搬式の原子炉であります。これを視察いたしまして、このときも、その主任のラフールという方から大へん親切な説明をいろいろしていただきました。それからシッピングポートに参りまして、AECのフリンズさんとウェスチングハウスのレンゲルさんの二人の案内で、あそこの炉の構造とか、燃料生産の過程であるとかいうものにつきまして、非常に詳しく説明をしていただきました。それより前に、生産性本部チームとして、サンフランシスコの近くにありますGEのサンノセの工場とヴァレシトスの炉と、それからオークリッジの工場を見、さらにシッピングポートの炉を見てみまして私が非常に強く感じましたのは、原子物理の原理に基いていよいよ核分裂を平和的に利用するということになりますと、非常に複雑な、そして非常にデリケートな工学関係技術が要るんだということを強く感じたのであります。帰って参りまして、このことを工学関係方々に聞いてみますと、日本でもそれだけの技術は十分に工学技術として発達しておるから心配は要らない、こういう話でございましたが、私自身には、工学関係技術が非常に複雑で、かつむずかしい問題を含んでいるように思われたのであります。  それから、もう一つブルックヘヴン、ここは御承知のように、アメリカ東部の九つの大学がスポンサーシップをとりまして、AECと協約を結んで共同研究を行なっておる研究所でございますが、ここでは、次長のデープさんから、この研究所機構につきまして午前中詳しく話を聞きました。後にヨーロッパへ参りまして、フランスサクレー研究所、それからジュネーヴに参りましてセルンの研究所を見ましてその機構の話を聞きましたことによりまして私の感じました点は、こういう共同研究の体制を運営するということは、なかなかむずかしい問題がある、その点では、ブルックヘヴンは大へんうまくいっているのではないかという印象を受けました。またサクレーセルンともにうまくいっているように感じました。それぞれ特徴はありますけれども、共同研究を組織化して経営していくという点には、なかなかむずかしい問題がある。たとえば、施設利用の仕方におきましても、施設をフルに利用する。それにはどういうふうにしたらいいかというふうな、マネージメントといいましようか、研究所マネージメントについては、日本においても、従来のように研究所をただばく然と動かしているというふうなことでは実はいけないんじゃないか、マネージメントについてもよほど研究を進めていかなくてはならないということを感じたことを、つけ加えておきたいと思います。  実はアメリカでは、もう五日ばかりしか日がなかったものでございますから、あまり十分なことはわかりませんでしたが、特に施設に関する視察に多くの時間をさいたものでございますから、最初持っておりました補償の問題、この補償の問題も、もうすでにアメリカではきまつたものがありまして、それに関する資料は、すでに原子力局の方へ十分送つてあるという話でございましたから、私自身は、それ以上はあまり関係者から聞くことをしなかったわけであります。施設に関するこまかいことは、アメリカで私に同行して下さいましたワシントン原子力アタッシェ田中事務官が、同国原子力施設視察報告——私から依頼してありましたが、それを送つてきておりました。こういう資料は、今報告書を準備中でございますから、それにつけまして、いずれ報告書完成の上、皆さんにごらんいただきたいと考えておる次第でございます。  それからヨーロッパに参りましては、イギリスフランス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、これらの諸国を回って、先ほど申しましたように、施設視察、それから原料供給の問題、あるいは補償の問題、パネルの問題というような点を聞いて参りました。イギリスには比較的長く、一週間以上滞在いたしまして、AEA、ハーウェル中央電力庁、コールダーホール、リズレー工業化本部、こういう所、それから原子力保険委員会の会長さんのシルバーサイドさんにもお目にかかりました。イギリスで私が主として問題にしておりました点は、イギリスの炉は、御承知のように天然ウラン黒鉛減速ガス冷却型のものでありますが、イギリスがなぜこれを採用して、これの開発に力を注いでおるかという点でございます。これを聞いてみますと、これは原子力公社方々、それから中央電力庁次長ダックワースさん、そういう方々意見をまとめてお話し申し上げる次第でありますが、それは一つは、イギリスがこの原子力開発、むろん、この場合には軍事的な利用をも含めてのことでございますが、この時分には、技術的な問題として、やはりこの天然ウラン燃料にするということしかできなかった、それから黒鉛減速の場合も、重水を入手することが非常に困難であったので、重水利用するということも避けなければならない、従って、結局技術の問題と材料入手の問題から、天然ウラン黒鉛減速ということになって、ガス冷却使つたということは、実は相当自分たちは重要にこれを考えている、ですから、今後天然ウランの低濃縮燃料に置きかえられるということはあつても、ガス冷却はやはりこれを維持するつもりだといいましようか、これで一貫していきたいということを申しておったのであります。従ってここで問題になりますことは、イギリスでは、あらゆる型の炉を十分比較研究した上で、この型が最もいいというので現在の型に落ちついた、こういうわけではないのであります。技術的な点あるいは経済的な点からいって、たまたま天然ウラン黒鉛減速ガス冷却型に落ちついたということであります。しかし、委員方々の話では、そういうふうに、その点からいいますと、非常に制約された形で出発をしたことでありますけれども、そして、それの開発をずっと進めてきたのでございますけれども、今日の成果を見てみると、決してわれわれは早まつていなかったようにも思うということをつけ加えて力説されております。  それじや、今後どういうふうに、将来はどうだろうかということになりますと、これはダックワースさんなんかは特にそのことをはっきり申されましたが、一九六七年ごろまでは、むろん、このガス・クーリングのものが経済的にいっても、安全性といいましようか、技術的にいっても一等いいと自分は考えている、それから、六五年から七〇年にかけましては、これはイギリス型の炉の改良がさらに行われると考えられるので、その七〇年ごろまでは、まだほかのものと十分競争し得るのだ、それから、七〇年以降になると、これはほかの型の炉、たとえば濃縮ウランの炉がどれほどの発展を遂げるかということを自分はほとんど予測ヂができないので、それから後ははっきりしたことは申し上げることができない、こういうふうな見方をしておるということであります。  それから、次は災害補償の問題でありますが、この問題につきましても、原子力公社それから中央電力庁、それからリズレー工業化本部、それからハーウェルでも聞きましたが、それらを総合して申し上げますと、災害補償は、原子力保険によってこれをカバーする方針である、なぜ保険によってカバーすることがいいとわれわれが結論に達したかというと、それは、やはり国民の心理的な問題が最も重要である、と申しますのは、一つは、初めから原子力災害に対しては保険が十分かけてある、その保険は民間会社の保険で、従って、災害が起ればすぐさま支払いが行われる、民間が事務的にてきぱきと処理してくれるという信頼が国民の間に持てるから、この保険制度が最もいいとわれわれは考えている、これを国家が何かするということになると、なかなかそうてきぱきした賠償といいますか、補償が迅速に行われにくい点があるので、国民がかえつて不安を持つようになるだろうから、従って、保険によるがいい、こういう第一の結論になっている、その原子力保険は、しかし、従来の一般保険とは別個独立の原子力保険とする必要がある、これは災害が非常に大きいということ、あるいはその危険率がはっきりしない等々の理由によりまして、この原子力保険は、これを別個独立の原子力保険として発展させる必要があると思う、その点につきましては、まずロンドンの保険業者の方も、原子力保険委員会というものを設けておりまして、それの会長さんは、ヨークシャー・インシュアランスの会長のシルバーサイドという方でありますが、その会長のもとで、ずっとこの別個独立の原子力保険というものを確立するように今検討を加えておる。  それから、もう一つ政府として考えていかなければならぬのは、その独立の原子力保険をどういうふうにつけさせるかという問題であります。その問題は、事故の責任をだれときめるか、つまり、事故の発生した場合に、いろんなクレームが出るわけでありますが、そのクレームがだれに向つて発せられるかという問題。これもいろいろ議論がされたそうでありますが、結局、議論の結果としましては、それは原子力利用しておるその主体、原子炉の設置者に引き受けてもらうのが合理的であろうということになって、そういう災害補償の体制を考えておる、まだこれは法案にもなっておりませんが、そういう構想が今できておるという話でございました。それじや国家は何もしないのか。国家補償といいましようか、これは御承知のように、アメリカの方では保険もつけます。保険がたしか六千万ドル。しかし、災害がそれ以上に及んだときには、五億ドルの限度で国家がその補償に当るということになっておりますが、イギリスの方は、その国家補償のことについては何も規定がありません。それですから、それじや国家は一体どうするのか、何もしないのか。たとえば、保険金額が五百万ポンドになっております。だから、もし災害が五百万ポンド以上に上つたときには、国家が一体どうするのか、何もしないのかということを尋ねましたところ、われわれの方は、大体保険金額を五百万ポンドにきめたことも、これは大きな保険金額で、そんな大きな災害が起るということはあり得ないのだ、ただ、これはシルバーサイドさんたちの話でも明らかになりましたが、大体五百万ポンドでいいと思う、けれども二百万ポンドでも十分だ、どんな災害が起つても、その災害の範囲は二百万ポンドでおさまると思うが、ただ、イギリス保険プールからいいますと、約一千万ポンドばかりの保険を引き受けるだけの能力があるという話であったので、結局、その両者の間で話し合いの結果、その中をとつたといいましようか、五百万ポンドにした、こういう話でございます。それでありますから、五百方ポンドでももう一ぱいの話で、非常に大きな額なんです。そんな大きな災害が起ることはあり得ない、そのあり得ない災害に対して、それが起つたときに国家がどうするかということは考える必要はないじゃないか、もし万々が一に起り得べからざる災害が起つたということになれば、実際にそういう災害が起つたときにどうするかということを考えればいいんであつて、起り得るとは考えられない問題についてまで今から考えておく必要はなかろう、こういうのが、イギリスで私の会いました方々の御意見を取りまとめると、そういうことになると思います。  それから安全性の問題につきましても、私は技術のことはあまりよくわかりませんし、ことに温度係数のプラスの問題などということは、全然私はその当時聞いていなかったものですから、そういう問題でなく、炉の安全についてはどういうふうに考えるかということを聞いてみました。これにつきましては、原子炉の運転をどういうふうに安全に行うかということ、これが第一だ、災害の問題を考えるにしましても、原子炉の運転をどうして安全に行うかということが第一の問題である、もし災害が起るということになれば、補償の問題、補償の問題というけれども、それよりも民衆に与える心理的影響と、それから政治問題とが最も重要になってくる、実際の災害はそう大きくなくても、それが民衆に与える心理的な影響とか、それに関する責任といいますか、政治問題、そういうものが最も大きな問題になるのだから、従って、われわれとしては補償の問題もさりながら、原子炉の運転をいかにしたら安全に行うことができるかということにもつぱら考慮を払つているんだ。この点につきましては、こういうことも申しました。何しろ原子力利用に関しては、まだわからないところがたくさんある、全部が全部わかつてからでなければ原子力利用をしない、そういう態度も一つあるだろうけれども、しかし、それでは原子力平和利用はずっと将来におくれてしまうだろう、イギリスとしては、原子力平和利用については、むろんわからないところもあるけれども、それこそ一歩々々手探りに経験を積み重ねることによって、安全にこの平和利用を進めているんで、その点において、最も重点を置いているのは、原子炉運転をいかに安全に行うかということである、今度日本アメリカイギリスとが協定を結ぶということになつた後は、一つ原子力公社日本原子力研究所とか、あるいは日本原子力委員会などと、どうしたら原子炉の運転を安全に営んでいくことができるかということについて腹蔵なく意見を戦わして、そしてお互いに協議してやつていこうじゃないか、こういうふうなことを申しておりました。その際、原子炉の安全運転について何が大切かと聞きますと、それは、何といっても必要なスタッフを十分整えるということである、そうしてプロセスの詳細にわたって本部、たとえば中央電力庁なら中央電力庁、あるいはAEAならAEAの本部の方のコントロールが徹底するようにするということ、そうして一人々々の受け持つ範囲がなるべく狭い方がいい、そうして範囲を狭めることによって見のがしをしない、過失を犯さないといいましようか、その担当者が見のがしをしないように持っていくことが必要である、なるべく必要なスタッフを十分持つということ、それからもう一つは、同時に幾つもの原子炉開発計画を持たないこと、ですから、工業化本部でもできるだけ少い数の施設開発研究調査を集中して、一つ調査研究を幾年もの間やつて研究と経験によって安全性を保証するように努めている、それからもう一つの点は、これは原子力災害に対する重要な立法に際して最も重要なことであるがという前置きのもとに話をして下さいましたのは、法律に基いて原子炉安全性検査する熟練した科学技術者をどうして見出すかということである、炉の設計図をチェックできる技術者というものは、イギリスは今日相当たくさん持っておりますが、しかし、実際に運転する原子炉安全性を検討できる専門家となりますと、十分というわけにはいかない、従って、結局原子炉を建設する技術者と、法律に基いてこれを検査する技術者とが同一人になりかねないという問題がある、これはやはりまずい、チェックの関係からいってもまずい、ですから、法律に従って原子炉安全性を検討する技術者、実際に安全に運転する原子炉安全性、それを検査する人と、設計をする人あるいはそれをチェックしていく人は、実は別個の者であることが最も望ましい、こういうことでございました。こういうことは、これからいよいよそういう問題が現実化していくわが国にとりましても、大へん重要な注意点でなかろうかと私感じて参つた次第でございます。  大体イギリスではそういうことでございますが、イギリスの考え方といいましようか、全体を通じての考え方は、イギリスは経験主義に基いて一歩々々前進をしている、こういう感じを受けたのでございます。先ほど言いましたように、そう観念的に先走つてどうのこうのということではなくして、経験に基き、その経験を積み重ねるという形で一歩々々前進をしておる、こういうふうに考えたのでございます。それから、もう一つ気づきました点は、イギリスのいろいろな施設を見ますと、特にハーウェル研究所なんかでもそうでございますが、かなり旧式の機械とか施設が一方ではあります。むろん最新式の施設もありますが、それと並んで、かなり旧式のものがそのまま残つております。たとえばアイソトープのハンドリング・ルームなんかでも、マジック・ハンドでこれを操作する。あの鏡に写してやるのと、直視してやるのとあるのですが、それが両方ともある。それで、どうしてこんな古いものを残しておくのだといって、私、係の人に聞きましたら、しかし、今でもこれは使えるのだよ、こういうのです。このことは、イギリス工場を見ましても、そういう感じを私は受けた。非常に新しい機械もありますが、古い機械もやはり使つておる。使い得る限りは使つておるというのでしょうか、そういう点は、原子力研究施設につきましても同じ考え方でやつておるものと思われた。この点は、私非常に印象深く見て参りました。それから、もう一つ第三の点としては——これは私イギリスに長くいたわけでもなく、またたびたび伺つたわけでもないのですから、ただ感じとしてでありますけれども、AEA、ハーウェルリズレー中央電力庁など、これらのいろいろの組織機関が、原子力平和利用促進を一体になってやつておるという感じを非常に強く受けました。たとえばリズレーで、あそこの比較的若い人々と昼食をいたしまして、このときはかなり腹蔵なく話をした。先方のイギリス人もいろいろ日本に対して非難がましいと申しましょうか、不服といいましようか、そういったものもどんどんぶちまけてくれました。この席上で、あなた方はそう言うが、一ぺん日本事情も見てもらいたい、あるいは注意もサゼスチョンもいただきたいから、日本にあなた方来たらどうか、日本に来る可能性があるだろうかと聞きましたら、それはむろん可能性はあるけれども、それはAEAで聞いて下さいというのでございます。つまり、決して分を越えない、しかし、その分野その分野、自己の引き受けている分野においては一生懸命やつているという感じを受けたのであります。それから、保険の点でシルバーサイドさんに会いました。いろいろな点が多少わかりましたけれども、保険のレートにつきましては、一体どのくらいのレートにするのか、あるいはレートがどういう要因できまつてくるか、別個の、特別の原子力保険というものはレートは一体どういうふうなことできまるか、あるいはその標準がどこにあるだろうかということをいろいろ聞いてみましたけれども、結局、それは今の段階では申し上げることはできないといって、どうしても私は聞き出すことができませんでした。そのほかは、保険のプールをしていく、このプールにはアメリカを入れるとかいろいろありますが、そう大して重要とも思えません。  イギリスは大体その程度にして、あとフランス、ベルギー、ドイツというふうに参りましたが、これらの各原子力庁または原子力委員会に参りましてお話を聞きました点は、一つ燃料をどうするか、災害補償の問題はどうなっているか、それから今後の開発方針はどうかという三点であります。それで、私大体ヨーロッパ大陸の諸国——フランスは多少違つておりましようけれども、それでもイギリス日本ほどの開きはないと思いますので、大体ヨーロッパ大陸諸国においては、日本とおつつかつつに原子力平和利用に関するスタートを切つた。その意味から言うと、いわゆるレッス・ディヴェロープド・カントリー、比較的おくれて発展をしつつある国である。ですから、こういう国々が一体原子燃料をどういうふうに考えておるか。燃料は、フランスを除きますと、ベルギーにもコンゴがございますが、イタリアとかドイツなどにはない。そういう国は燃料をどうするつもりであるかということ、それから開発方針としましてどういうふうに考えておるだろうかということを聞くことが参考になると思いましたので、そういうところに問題を集中いたしまして訪問をして参りました。  最初フランス原子力庁に参りましてその問題を聞きましたが、補償の問題については、まだ十分自分の方では考えていないという話でございます。もっとも、方針としては保険というふうなことになるだろうけれども、まだ十分考えていない、結局、それは民間の会社が炉を持つようになりますのはまだ数年後のことであるから、今そう急いでどうということは考えなくてもいいように思っておるという話でありました。それから燃料は、フランスは自国内で相当できますので、供給政策という問題は大した問題ではない、ただ、濃縮ウラン使用という問題は、今のところはまだ考えてないという話をしておりました。それから、開発方針につきまして特に私フランスで感じましたのは、フランス原子力の、特に動力の開発方式はユーラトムのタームでやっていくのだ、むしろフランスはユーラトムのナショナリティというものが確立されることを非常に希望しておるのだ、こういうことを申しました。これは、私イギリスでもユーラトムとイギリスとの関係につきまして若干話を聞いておりましたが、フランスに参りましてフランス原子力庁の方が、ユーラトムのナショナリティというような言葉を特に使つたのでありますが、このナショナリティということを言われたので、相当びつくりしたのであります。行くまでは、ユーラトムというものは——むろん設立されているということは知っておりましたけれども、そんなにユーラトムの機関というか、組織は活動ができなかろう、あるいはできるにしても、急にはできなかろうというふうに考えておりましたが、フランスでいきなり、このユーラトムのナショナリティで自分たちは動力の開発を進めていくつもりだ、こういうふうに言われたので驚いたわけです。この驚きは、ブラッセルの原子力委員会に行って同様の開発方針を聞いたときも、やはりベルギーの原子力開発はユーラトムのタームで行うつもりだ、そうしてコンゴ領に出る鉱石は一九六〇年になりますと米英との協定が切れるから、それから後は、このコンゴ領の鉱石は全部ユーラトムでこれを処理するつもりだ、こういうふうに申しました。日本ももしユーラトムからの許可を得るならば、コンゴ領でできるイエロー・ケーキを買い取ることもできるだろう、こういうことを申しておりました。私がアメリカからヨーロッパに渡る前日でございましょうか、ちようどニューヨーク・タイムズに出ておりましたアメリカとユーラトムとの原子力平和利用に関する一般協定の、内容じゃないですが、内容はまだ発表されておりませんでしたけれども、夕刊紙にそれの推測記事というよなものが載つておりました。とにかく、そういうものがいよいよアメリカの譲歩によって成立したのだという記事が出ておりました。譲歩した点は査察の点である、インスペクションの点であるということも出ておりました。けれども、その案文は全然わかりませんでした。ブラッセルに参りましたときに、大使館の方にそのことを——ユーラトムの仮事務所がブラッセルの郊外にありますので、そこで手に入るまいかと聞きましたら、それは実は数日前に手に入つたので、その案文を外務省の方に送つてあるという話でございました。このことは、一方から申しますと、アメリカはユーラトムというものを国際協定の相手方として認めておるということでございますから、ユーラトムというものも、その意味から申しますと、相当国際協定を結び得る独立の一つの存在をここに持っておるということでございます。これは非常に重要なことであると考えなければなりませんが、それが、ヨーロッパへ行ってみますと、事実フランスもベルギーも、みなユーラトムの条件で開発を進めていく、こういうふうに言っておるわけであります。このことは、ドイツに参りましても、またイタリアに参りましても同様でありました。ドイツでは原子力次長のシュヌアーさんにお目にかかりまして、実はこのシュヌアーさんと午餐をともにいたしたものでありますから、かなりざつくばらんな話をいたしたのでありますが、われわれがアメリカ一般協定について折衝しているときに、あなたの方はあとから出てきて、アメリカの言いなり次第の条件でというか、アメリカのすでにでき上っているパターンをそのままうのみにして米独一般協定を成立さした、それでわれわれとアメリカとの交渉は非常に困つたのだということを申し上げました。一体あなた方はインスペクションの問題をどう考えているのかと聞いてみますと、そのインスペクションの問題が非常に政治問題である、しかし、われわれはこのインスペクションについてもそうであるが、ユーラトムとアメリカとの協定の規定に置きかえるつもりである、米独の間に一般協定ができて、このパターンから申しますと、結局日本アメリカと結んだのと違いないのですが、しかし、ドイツはそのインスペクション等につきましては、ユーラトムとアメリカと結んだ協定に置きかえるつもりだ、こういうのであります。従って、インスペクションは、アメリカのインスペクションを直接受けることなくして、ユーラトムのインスペクションを受ける、もっとも、スタンダードはアメリカとユーラトムとの間できめたスタンダード、まあアメリカの示したスタンダードといってもいい、シュヌアーさんはそう言っておりましたが、そのアメリカのきめたスタンダードを実施する機関としては、ユーラトムが実施するという形で現実のインスペクションが行われるのだ、こういうふうに考えておるので、自分の方にはそういう政治問題はないのだ、こういう話でございました。  さらにイタリアへ参りまして、イタリアの開発方針につきまして先の会長さんの話を聞きましたときにも、また原子力災害の問題を聞きましたときも、すべてユーラトムのシステムで自分のところはいくんだ、だから災害補償め問題も、一国でどうということでなくて、ユーラトムでその問題を考えていくのだ、こういう話でございました。私がヨーロッパを回りまして、六カ国の中でオランダとルクセンブルグは回りませんでしたが、あとの四つの国々の話から申しますと、日本と大体同じ時期にスタートを切つたこれらの諸国は、開発方針としてはユーラトム・システム、ユーラトムの体制で開発を進めていく、また、補償の問題もこのユーラトムで考えていく、こういうような意向が強く現われていたのであります。ですから、その点から申しますと、ヨーロッパ諸国はおくれた出発はしておりますけれども、六カ国がお互いに協力をしてやっていくという体制を整えているのでありまして、また事実、もうアメリカとはユーラトムの名において協定を結ぶことに成功しておるわけです。それでありますから、これらのおくれて出発した国々は手を携えてやっていくことができる、こういうことが一応考えられたわけでありますが、そうしますと、それとほとんど同じ時期にスタートを切つた日本は、一体どうなるのだということを強く感ぜざるを得なかったのであります。  そこで、この日本の問題を考えますと、どうしても国際原子力機関をたよりにすることになるというので、私ウィーンにかなり期待を持って行つたわけであります。ウィーンの国際原子力機関のコールさんがちようどアメリカにお帰りになっておりましたので、直接事務局の方にはお目にかかりませんでしたが、古内公使あるいは藤岡君に会いましていろいろお話を聞きましたところ、原子力機関が急に動き出すということはなかなかむずかしい、むろん徐々に発展はしつつあるけれども、しかし、かなりゆつくりした発展であるということであります。この国際原子力機関に来ておりますオフィサーの中には、国際連合から移つてきておるオフィサーもおるそうであります。これらのオフィサーの考え方は、とにかく国際機関ができて、それが一応の働きを始めるまでにはまず五年はかかると考えてもらわなければならぬ、そういう考えを持っておるそうでありますが、これに反しまして、国際原子力機関の役員といいましようか、メンバーといいましようか、オフィサーになっておる科学者たちは、早く国際原子力機関としての機能を果すようにしなければいかぬというので、かなりあせつておるそうであります。しかし、何といいましても、この機関は国際機関でございまして、各国のいろいろな利益が対立もしておりますれば、なかなかうまく一致しない点もある、従って、このサイエンティストの希望するようには、なかなか事態が急に展開しない、やはり今の国連から来たオフィサーたちの見ておる、徐々に動いていくという動き方をしておると見なければなるまいという話でございました。しかし、それにつきましても、この機関をなるべく早く発展させるためには、この機関に対してある具体的な仕事といいましようか、それを与えることが必要だと思う、ちようど日本からは、私が行くよりも数カ月前でございましょうか、イエロー・ケーキを国際原子力機関から分けてもらえるだろうかということを、まだ正式ではないのですが、内々向うの意向を聞きただす意味で先方に伝えたそうでありますが、そうしますと、コール事務総長初め関係者は非常に喜びまして——イエロー・ケーキを分けてくれという一つの申し出がありますと、その申し出に従ってこの国際原子力機関は何か動きをしなければいかぬ、この原子力機関が動くということになりますと、イエロー・ケーキという燃料材料を分けるにつきましては、やはり一般的な基準、規則とか方針とかいうものを作らなければならぬわけです、個々のケースではありますけれども、個々のケースとして取り扱うわけにはいかない、やはり一般原則を作らなければいけない、そういう一般原則を作ることがこの際非常に必要だ、ことにこの燃料を分けるということは、この機関の非常に大きな使命になっておるわけですが、その使命を果すべく、一つの申し出が現実にあったということになれば、どうしても原子力機関は一般原則を早く作るというふうに動き出さざるを得ない、その意味において、ここに具体的なオファーというか、申し入れがあるということが必要だ、ところが、日本から内意を探るという意味において出てきておつたイエロー・ケーキの申し込みも、いつの間にか立ち消えになつたのは非常に残念である、こういうふうなことを申しておったのでありますが、まあ、この点は私非常にわかると思います。ところが、この国際原子力機関に対して現実の申し入れをし得るような国がどこにあるかということを考えてみますと、やはり原子力平和利用がある程度発達した国でなければならぬし、また非常に進んでおる国、英、米、ソというふうな非常に進んでおる国は、むろん申し出をするはずがない。非常におくれておる国も、今はまだ、たとえば燃料を分けてくれというようなことを申し入れる段階ではない。ですから、ある程度発達をしておる国といたしますと、ヨーロッパ諸国日本か、インドも入るかもしれません、そういうふうな国々に限られる。ところがヨーロッパ諸国は、先ほど申しましたように、ユーラトム・システムでやつていこうということになっておりますから、これはちょっと今国際原子力機関に対して申し入れをするほどのことはない。少くともその必要はないように思われます。そうしますと、結局日本かあるいはインドか——インドも入れていいと思いますが、そういうふうな国々から何か具体的に国際原子力機関に申し入れをするというふうなことがなければ、やはり国際原子力機関の活動がそう急速に展開するというふうには考えられないということになるのじゃないかと思うのです。このことは国際原子力機関を日本としましてはたよりにする必要がある点から申しましても、国際原子力機関が一日も早く発展して、その活動を全面的に開始するように希望するわけであります。しかし、それをするのには、この国際原子力機関の発展を促進するような動きを、よほど日本自身が示さなければいかぬじゃないかということであります。ほかの国がやることによって原子力機関がやがて早く発展をするであろう、それを期待して、日本がこの国際原子力機関に対して消極的な態度でいたならば、なかなかこれはそう急速な発展はないだろう、こういうふうに実は考えられたわけであります。まあ、最近日本では、この国際原子力機関に対しまして天然ウランを幾らか分けてほしいというふうな申し入れをしたらどらか、こういう機運も動いてきておるのでありますが、これは大へんけつこうな話じゃないかと私は考えております。  補償の問題は、ヨーロッパ大陸の諸国は、まだ実はその構想も非常にラフな構想で、まだ責任を持ってお話ができるような構想さえもないという話でございましたが、まあしかし、フランスにしても、ドイツにいたしましても、ある程度の構想は持っておるようでありまして、大体がみな原子力保険ということ、またその保険保険プールを作る、そのプールは、先ほど申しましたように、ユーラトムはユーラトム諸国でプールを作る、そのプールの中に、資金の関係保険引き受け能力の関係からいって、やはりイギリスとかアメリカを引き込まなければなるまいというようなことが言われております。それからドイツの方では、保険のほかに、なお国家の補償ということも考えておるという話ですが、シュヌアーさんは、国家の補償ということも必要であろう。それじや、その補償額をどのくらいに考えるかということを聞きますと、冗談だったと思いますが、自分は五億マルクと考えると言うので、五億マルクというのはどうしてはじき出したのかと言いますと、それは、アメリカが五億ドルだからドイツは五億マルクである、こういうふうなことですから、そらまじめにこれを受け取るというわけにも参りません。しかし、国家補償のことを多少考えているということは言えるかと思います。  それからイタリアに最後に参りまして、イタリアではセンの総裁マッティニーさんにお目にかかりました。ちようど国際入札が済んで、これからいよいよそれの審査が始まるという直前に行つたものでありますから、センの総裁マッティニーさんは大へんこれが御自慢でございまして、国際的なエキスパートが集まつた審査会によって、イギリスアメリカ、カナダ、フランスあたりから出てきておるこの発電炉が、今日の段階では経済性と安全性の点からいってどれがいいんだということが、国際的な規模で実はきまるんだ、これは、いわば世界的に重大な決定であるというふうにマッティニーさんは申しました。そして私に向つて、あなたの国ではイギリスの炉を買うようだが、もしこの結果と反するようなことになつたらどうするんだというふうなことを、笑いながらですから、むろん冗談ですが、そういうことを言っております。つまり、それほどこの国際入札に基く炉の決定というものが世界的な意義を持っておるのだということを誇示するというのでしょうか、自慢する意味においてそういうことを言つたと思いますが、そういうふうに、これを非常に大きな問題として考えておつたのであります。  これで一応各国を一わたりいたしたわけですが、結局、視察をしたり、先方のいろいろな人にお目にかかって話を聞いたりした感想は、この原子力平和利用については、基礎的な研究を非常に力強くやつておるということが一つ。それからもう一つは、その平和利用について非常に熱意を持っているといいましようか、これをどうしても促進しなければならぬという考え方をしているということ。この点を非常に強く印象づけられた次第でございます。しかし、それにしましても、これを日本に当てはめて考えてみますと、日本の方は何といいましようか、観念的に少し先走つている。そして推し進めるべきところの推し方が足りないのじゃないか、あるいはそういうふうな感じを非常に強く受けました。こういうことにつきましては、持って帰りました材料等をよく調べまして、そして文書をもって報告書を提出いたしたいと考えております。  大へん長い間時間を費しまして申しわけございません。
  9. 前田正男

    前田(正)委員長代理 どうもありがとうございました。  御質疑はございませんか。——それでは御質疑もないようでありますので、本日はこの程度にいたしまして散会いたします。     午後零時一分散会