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国立国会図書館長(
金森徳次郎君)
図書館がのんべんだらりであるということは、まことにざんきの至りにたえません。しかし、このできました当初の
考え方というものは、やはりどうしても
仕事が中立性を持つという、それだけは守らなければ、
図書館はつぶれてしまう、こういうことでは有害であって、無益であるということになろうかと思います。そういう無色透明の中立性を守るという
考えだけを堅持しつつ、
あとは勉強をいたしまして、あらゆる方面からの御批判あるいは御非難を受けるということは当然でございまして、それが十分いっていない。
人間のやることはなかなか思うようにはいきませんけれ
ども、それは大いに責任を感ずる次第でございます。
そこで、今までの経過を申し上げますると、今日はだいぶ
図書館を御支持下さることで、まことに自分ながら安心をしたいい
気持と申しまするか、よきときになってきたとこう思っておりまするが、従来は――従来といっても二、三年前までは、何だか支持せられるところの面が非常に弱かったわけでございます。従って、それが顕著に現われましたのけ、この
図書館建築の問題でございます。
図書館建築が、何か政治の
関係、今、一番大きなのは、私に政治力がないというところに落ちつくのでございますけれ
ども、そのほかに、何か組織の上において、どこが
中心になってこの
建築について全責任を負うかということになりまして、何しろ膨大なる
国会の
一般的な監督を受けておりまするので、あまり底が大き過ぎて、実際に
図書館のために親身になってお骨を折って下さるという方が少かったのでございまして、それに問題は、今こそ骨が建ちまして、何やら格好がついておりますけれ
ども、初めはどこに作るか、どういう着想で作るかというようなことにつきましては、とても一万坪の土地を
国会に近い所で得るという道もございませんので、まあ
あすこを、ドイツ大使館に席を譲ってもらったというような形になるのでございますが、そこまで行くのにもずいぶん手間がかかりましたし、何か賠償ではございませんけれ
ども、かわりの土地を見つけなければならぬというようなことやら、そんなことやら……、それに、いま
一つは、私
ども建築ということについての知能をあまり持っておりませんので、何しろ小さい役所で、人員から申しますと、そういう点は非常に規模が小さいわけでありまして、あれやこれや知恵を出す上にも、非常に不便を感じて、いろいろ回り道をしたわけでございまして、やっと今日に至りまして、形だけは、骨が建ちまして、先ほ
ども申し上げましたように、これは、これから三年たちますると、
建築それ自身は完備するというように持っていきたいものであるという着想で、大体、
衆参両院のこういうことに
関係をお持ちになる方々の御了解を得ておりまして、それで御支持がまず得られそうである、その
方向に御支持が得られるであろうと近ごろは確信を持ってきておるわけでございますが、全体がおそくなりましたということは、何とも申しわけございませんで、これは主として私自身の無能の責任であると思っておりますが……。
そこでその次に、
仕事のやりぶりにおきまして、あまりにも無風地帯にあるのじゃないか、その御非難はあるいは御批評は当然であって、常にそういう非難を受けないように実は
努力しておるのでございまするが、今日いろいろ結果がそううまく行っていないということは、これは実情でございます。
そこで先ほどの、受け身であって、外から質問があると、それに応じて答える、そういうことだけではないか、これではだんだん沈滞していくのではなかろうかと、これは一面において正しい御批判だと思っておりますけれ
ども、大体この
図書館の本来の
性質というものが、一種の、
国会その他の知恵袋みたいな役をしておりますので、自分が
活動をして、こういうふうに政治を動かしていったらいいかどうかということになりますと、これは政治自体に非常に触れてくる問題でありまして、それがいいか悪いかということは非常に問題でございまして、今の
国会図書館法はそういう
方向には向かない、人が聞いたら答えよう、自分は中立をあくまで守るべきものである、こういうふうにきめられているように存じます。これは過去の規定がそういうふうにできておりまして、少くとも政治的に中立性であり、また、政策につきましては、いわば行
政府の権能をかわりに行うようなことがないようにやっていく、こういうふうにできておりまするから、自然立法調査の
仕事というものは、受け身であり、問われたならば、迅速に、正確に、公平に答える、こういう建前になっております。そうすると、先ほど御指摘になりましたように、受け身でやっておったら、
一つも積極的ないい働きはできないではないか、これはまことにごもっともでございまして、私
どもは、その点をいかにせば補正し得るかということに苦労をしておるのでございまするが、その
一つの形は、
国会と接触――
国会の
委員会等の議事と接触を緊密にする、これが一点でございます。なお、議論というものは、その議論だけ聞いておっても、その全体の様子がわからないと、
ほんとうの接触になりません。それで私
どもの方の
専門調査員は、各
委員会に手分けをしていって、そこでいろいろな議論の行き道を心の中に刻み込んで帰ってくる、そうしてその記録を作っておる、こういう道をとっております。なるほど記録は作りますけれ
ども、その記録はすぐどこに持ち出そうというわけじゃございません。やはり消極的な注意深い中立性を守る
立場でございます。
それから次に、大よそ
国会の動きを察しておりまして、今はまだお尋ねはないけれ
ども、しかし、こういう
方向に将来問題が起るかもしれないというと、そのときに手をこまぬいて答えられぬというのでは困ります。その面におきまして、
人間としての力を養っておかなければならぬということで、おのおのの人が、主たる
仕事は質問に応ずるのでございまするが、余力があれば、常に基本的な調査をする、こういう
立場でやりておりまして、それの
一つの例は、世界の憲法の成文を翻訳するというようなことは、これは私の方ばかりでやっておるわけではございませんけれ
ども、やはりこういうことはきっと問題になる、だから、平素からこれはやっておくべきものであるということでございまするし、それから外国のいろんな新しい情報の資料、
つまり新聞、雑誌でございまするが、そういうものもなるべく手っとり早く
日本に持ってきておくようにする、あるいは東南アジアのいろいろな事情につきましても、いろいろな資料を整備をする、こういうことをやっております。これは受け身といえば受け身でございますけれ
ども、いつでも必要に応じて
活動し得るようにするようにするという積極的
要素を備えた消極的態度をとっております。それを一歩出るようになると、どうも
国会図書館はたたきつぶされる、要するに、政治のある部門の手足じゃないかということでつぶされるのではないかというような気がするのでございますが、ここのところは、初めから実は苦労して、最も注意深くやっておるところでございます。その結果においてなまけるということは、どうもこれは
ほんとうに痛い……、ものの両面をうまくやるということは困難でございますが、しかし、そんなになまけてはおりませんので、リファレンスにときどき出ておって、ごらんになったかもしれませんけれ
ども、内輪からひいき分に批評したのでございますが、かなりかたいむずかしいことが書いてございますが、あれを見ておりますると、
相当成長しつつあるという気がいたしまして、まあ
幾らか安心をしておりまするが、そこでそのなまけるということは、これはどうもよほどよく気をつけて反省しないと防ぎ得ませんので、私はみずからその非難を受けるということはよく理解しております。だからして、一生懸命勉励いたしまして、そういうことの起らぬようにしたいと思っております。それから、そのなまけるのを防ぐというのを、よそに力を求めるというのは、まことに卑怯なようでございまするが、元来がお尋ねを受けて答えるということでございまするから、お尋ねがうんとあれば、それはもうなまける余地も何もございません。精も根も尽きて、ただ命からがらに調査をやる、こういうところにいきましたらそれは理想的であろうと思います。で、実際に調査の御依頼、露骨にはお客がつくと世間の言葉で言うのですが、これは、ふえればふえるほど中の機能はよく充実して動いてくるわけでございまして、いつもそれを
念願しており、いろいろな手を尽して、なるべく、いわゆるめんどうでもかまいません、そういう調査の御依頼を受けて、正確なお答えを出すという方にも
努力しておりまするが、まだどうも少し余力が残っておるようでありまして、その点は、かつ反省し、かつまた、よろしくお願いをしたいと思っております。