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1958-03-12 第28回国会 参議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月十二日(水曜日)    午前十一時三十分開会   —————————————   委員の異動 本日委員千田正君辞任につき、その補 欠として竹中恒夫君を議長において指 名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     泉山 三六君    理事            伊能 芳雄君            小幡 治和君            剱木 亨弘君            迫水 久常君            高橋進太郎君            佐多 忠隆君            松澤 兼人君            森 八三一君    委員            青柳 秀夫君            石坂 豊一君            大川 光一君            木島 虎藏君            古池 信三君            後藤 義隆君            佐藤清一郎君            塩見 俊二君            館  哲二君            鶴見 祐輔君            苫米地義三君            苫米地英俊君            一松 定吉君            本多 市郎君            三浦 義男君            亀田 得治君            鈴木  強君            曾祢  益君            高田なほ子君            戸叶  武君            藤原 道子君            矢嶋 三義君            加賀山之雄君            市川 房枝君   国務大臣    厚 生 大 臣 堀木 鎌三君   事務局側    常任委員会専門    員       正木 千冬君   公述人    大阪市立大学商    学部長     近藤 文二君    東京銀行常務取    締役      神野 正雄君    日本労働組合総   評議会事務局長  岩井  章君    東京大学教授  川野 重任君    早稲田大学大学    院学生     佐々木敏明君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和三十三年度一般会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十三年度特別会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十三年度政府関係機関予算  (内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 泉山三六

    委員長泉山三六君) ただいまから公聴会を開会いたします。  まず、委員の変更について御報告いたします。本日、千田正君が辞任せられ、その補欠として竹中恒夫君が選任されました。   —————————————
  3. 泉山三六

    委員長泉山三六君) この際、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御遠方を、また、御多忙中わざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。公聴会の議題は、昭和三十三年度予算でございます。公述人は、大体三十分程度で御意見をお述べ願いたいと存じます。  では、大阪市立大学商学部長近藤文二君から御公述をお願いいたします。
  4. 近藤文二

    公述人近藤文二君) それでは、ただいまから、社会保障制度を一歩でも前進させたいと日ごろから考えておりまする一学究としての立場から、今回の予算に関しまして、二、三の所見を申し述べて御参考に供したいと存じます。  最初に、今回の予算を拝見いたしますと、旧軍人遺族等に対する恩給などについての措置といたされまして、前年度に比べて増加いたしました六十七億八千七百万円のうち、三十七億五千万円が文官恩給との不均衡を是正するという理由のために計上されているのでございます。問題は、この数字が将来どのように伸びていくかという点でございまして、一般に、平年度に直しますと、これは三百億円の増加になるといわれているのでございますが、もしそうであるといたしますと、若年停止解除その他による自然増と合せまして、三十四年度以後は一千百億円を上回ることは明らかと考えなければなりませんし、文官恩給を合せますと、優に千三百億円をこえると考えなければならないのであります。しかし、この千三百億円が一体いつのころになれば減少するであろうか、恩給法改正を主張されました方々の御意見を承わりますと、旧軍人の方は今後その数を減じていく、遺族の方もそうであるから、この金額は次第に減っていくのだというお話でございますが、果して、おっしゃる通りにこの予算はなるのでありましょうか。私は、この公聴会に前々回も出席させていただいたのでございますが、わが国の予算が毎年々々考えられておるだけで、長期の計画的な予算になっていない点を遺憾に思うと申し上げたのでございますが、五年、十年先のことを考えて国の財政計画は立てるべきではないかと思うのであります。そういう意味におきまして、この恩給費用がどう伸びるかということに重大な関心を持つのでありますが、これらの中で、まず最初に、若年停止者がどのぐらい今後その停止解除されて年金をもらわれるようになるかと、軍恩全連の御調査数字を拝見いたしましても、昭和五十年ごろになりますと、三十二年の受給者の約倍、金額においても大体倍になるという数字をお出しになっております。軍人恩給関係で、そういう改正を強く主張された方々でさえも、この点につきましては、明らかにふえることをお認めになっているのであります。それでは、遺族の方の公務扶助料は一体どうなるかという問題でございまするが、これにつきましては、遺族のための公務扶助料というものの内容を少し検討してみる必要があるのではないかと思います。遺族年金とか遺族扶助料とか申しますと、いかにも遺族の方の生活を保障する年金というふうに考えられるのでございますが、恩給の場合の扶助料厚生年金保険における遺族年金などとは少し性質が違っているのではないかと思います。たとえば厚生年金保険の場合は、遺族である妻が年金をもらう場合には五十五才になってないといけない。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんの場合においてもそういう年令の制限がある。ところが、恩給の場合はそういう制限はないのであります。それから、もう一つ重要な点は、かりに一家の中から三人の戦死者をお出しになったお気の毒な家庭があるといたします。そういたしますと、その三人の方の遺族扶助料がその家庭に入ってくる建前になっております。つまり恩給という性格からいって当然のことであるかと思うのでございますけれども、退職年金的な性格が、あるいはさらに突っ込んでいえば、退職金的な性格が強いのでありまして、遺族がどういう形にあるかということを問わずに、当然賃金のあと払いのような考え方でそういうものが支給される点は、厚生年金保険の場合なんかとはいささか違つているわけであります。  その意味におきまして、今回政府の方でお出しになりました恩給法改正案を拝見いたしますと、今回の措置遺族たる妻、子及び六十才以上の父母または祖父母でないと、公務扶助料増額をしないという建前をおとりになっておるのでありまして、これはそういう意味におきましては、一歩遺族年金的性格に近づいた考え方をおとりになっておると思うのでございますが、この考え方をもう一歩お進めになって、社会保障的な見地から問題を解決される考えがなぜなかったのか。現に一月三十一日の衆議院会議において、水谷先生の質問に岸総理大臣はこのように答えられております。「恩給の問題を全部含めて国民年金等社会保障制度に切りかえたらどうだという御意見に対しましては、私もその御意見には賛成であります」、こういう御答弁をなすっておるのでございます。それならば、なぜ急いで旧軍人恩給法改正を今回なされる必要があったのか、もうしばらく一年でもお待ちになれば、この御趣意に沿うたような改正が全般的に行い得たのではないかと思うのであります。しかし、一年も待てないとおっしゃる方もおありでしょう。また公務扶助料というものは今後減っていくのだ、だからそう心配する必要はないという御意見も出てくるでございましょう。そのような主張をなされます方は、公務扶助料は四十六年までに対象人員が半減し、五十二年には三分の一になる。こうおっしゃるのでございますが、転給、それから増加恩給受給者遺族の問題、さらに遺族平均寿命というものが著しく延びておる、老人の方が非常にふえてきておるという形においてもよくわかりますように、平均寿命が延びておるという点を考えますと、そういったことを主張されるほど失権者が多いかどうかは問題だと思います。これは恩給局の方が人口問題研究所調査を依頼して、どのくらい減って参るかということをお調べになったことがあるというふうにも聞いておるのでございますが、ここ十年、二十年程度、そう簡単に減るものとは思われないのでございます。そういたしますと、先ほどの普通恩給若年停止解除方々と合せまして、今後恩給予算総額は逆に伸びていくのではないかという懸念さえも出て参りますし、もしまた、将来ベース・アップが行われ、さらに倍率改訂等が行われるというようなことになりますと、ゆゆしき大事になるのではないかとさえ考えられるのであります。  旧軍人恩給につきましては、このほか大将の遺族公務扶助料が二十万五千七百円であるのに対して、今回の改訂によって兵の遺族の方の公務扶助料が五万三千二百円に引き上げられた。この点はけっこうなことだと思いますけれども、それにいたしましても、なお二十万五千七百円と五万三千二百円という開きがございます。それからよく文官とのバランス関係倍率が問題になるようでございますけれども、警察官の方を中心にした文官の方の六千人程度倍率を、百五十万人もの遺族の方にそのまま当てはめてバランスをとるという考え方は、一体正しい考え方かどうかという疑問も、率直に申しますと出て参るのでありまして、いろいろこの点については社会保障制度前進を念願しておる者としては遺憾な点が多いのでございます。特に問題は、岸総理が政治的な取扱いとして、三百億円平年度数字で申しますと増になるというワク最初におきめになって、そのワクの中で公務扶助料をどうする、傷病恩給をどうするというような計算をされたというやり方は、これは予算を立てるという上において実に不可解きわまるところのやり方でありまして、まず公務扶助料をどうする、傷病恩給をどうするということから計算して、その総額が幾らになるというふうに合理的に、一国の予算というものは計上さるべきものではないかと思うのであります。この辺がどうも頭の悪いわれわれには了解できないとともに、国民の一人としてまことに遺憾だと申さざるを得ないのでございます。  私はかつて、旧軍人恩給が復活いたします当時、衆議院公聴会に参りまして公述する機会を与えられたのでございますが、そのときも私は復活その事自体には反対いたしません。しかし、復活するとしても、それは社会保障の線に沿うて復活していただきたい。階級差はできるだけ少くお考え願いたいということを申し上げたのでございますけれども、おとり入れにならなかったとともに、その当時私がひそかに案じておりましたことが今回具体的な数字となって現われて参ったのでございまして、これは新聞その他の世論を皆さんお読みになっておると存じますが、すべて私と意見を一致しておると申しても過言でないような形になっておりますのでございますから、一つこの際当参議院におきましては、慎重な態度でこれに関する予算を御検討願いたいと、はなはだ僣越でございますけれども、希望する次第でございます。  次に、予算の中で社会保障関係費といたしまして百二億円の増額が計上されております。この百二億円の増額中心に、その中身について私の考えを多少述べさしていただきたいと存じます。まず第一に、国民健康保険の問題でございますが、これはいよいよ全面的な国民健康保険法改正法案が今回の国会に上程されることに決定したようでございますが、それと関連いたしまして、給付費補助として十八億七千五百万円の増額が計上されておるようでございます。この十八億七千五百万円の増額の中で、十一億円ほどは国民保険計画の実施に伴う四百万人の被保険者増に対する負担増ということになりますので、残るところは八億円程度のものになるわけでございますが、これは受診率の上昇と診療報酬合理化による費用増に充てられるものらしく思われます。特にその中の六億二千八百万円がいわゆる合理化のための費用だということでございますが、かりに三十二年度療養給付費国庫補助金から逆算いたしまして四百三十四億円と見、その半額保険負担するといたしまして二百十七億円、これの八・五%増しで合理化が行われますとすると、十八億五千万円となります。その半年分は九億二千万円程度でございますから、四百万人の増を入れますと、十億三千万円くらいが合理化のために要る数字となるのではないかと思いますが、予算上は六億三千万円でございますから、ざっと四億円ほど被保険者みずから負担せなければならないという形になっておるのはどうかと存じます。  それから、今回財政調整交付金十三億八千二百万円というものをお作りになりましたのはけっこうでございますが、これは現実に要った費用の百分の五ではなく、その見込額の百分の五であるというのでございますから、決算で余ればこれは返さなければならないという、まことにさもしい考え方財政調整交付金ではないかと思います。この辺大蔵当局はなかなかそろばんがこまかい、大阪商人のような考え方だという感じをもたざるを得ないのでございます。  それから事務費国庫負担でございますが、たとえば大阪府の黒字財政都市を例にとってみましても、事務費は被保険者一人当り百二十一円要っておりますし、赤字町村になりますと二百八十五円も要っておるのでありますが、なるほど単価は八十五円から九十円にお上げになったのはけっこうでありますけれども、かりに五万以上の人口都市は現在八十三円三十五銭の単価ですが、これが五円上ったとして、八十八円三十五銭といたしましても、非常な不足が生ずるのではないか。しかも国民保険対象大都市であります。転出入が非常に多い該当者の把握が想像以上に困難な大都市であります。そのような所では当然に膨大な事務費が要るのでありますが、このような単価でもって果して事務費がうまくまかなわれるでありましょうか、事務費全額がまかなわれないということは、法律義務制にされましても、大都市本気になってこういうことをやろうとしないおそれを起すのではないかと思います。大都市義務制をしきましても、大都市がもし国民健康保険をやらなかったら、大都市をどういうふうに処罰されるのか、おそらくこれは、罰則適用というふうなことはできないと思うのであります。こういうふうな抜け穴がここにありますので、もし、国民健康保険を通じて国民保険本気でやろうというならば、喜んで大都市国民健康保険をやるような態勢を整え、同時に法律で強制していくという方向をとらなければならないと思います。そのためには、かねがね社会保障制度審議会が要望しておりますところの、五割給付を七割給付まで引き上げ、今すぐにというのでなくとも、引き上げる方向でもっと具体的な努力を示していただきたいと思うのでありまして、前述の財政調整交付金は、そういったような意味を含んでおるとも承わっておるのでありますが、そういう点をもっとはっきりと出していただく必要があるとともに、そのためには、この財政調整交付金というものをもっとふやしていただく必要がどうしてもあるんじゃないかと思います。五分をせめて一割程度までふやしていただくことができたならば、もう少し政府は熱意があると国民考えるのではないかと思います。そうでございませんと、下手をいたしますと、戦争中の国民保険のように、形だけは皆保険でございますが、内容は伴わない、開店休業保険というようなことになるおそれがありはせぬかと思うのであります。国民保険国民健康保険法改正、この問題につきましては、いろいろ問題がございます。私はこの問題については、医療関係者協力がなかったならば、実質的に皆保険にたらないと思います。そのためには、医療制度をどうするとか、あるいは無医村解消するためにはどういう措置をとるとか、診療報酬支払い方式をどうするとかいうことの謙虚な研究が必要であるのでございますが、今回の予算には、無医村解消予算も出ていないようでございます。診療報酬支払い方式についても、混乱混乱を重ねておるような形の健康保険方式をそのまま採用されようとしておるのは、少しどうかと思われるのでございます。  ことに、問題は、結核対策でございます。これがうまくいきませんと、国民保険有名無実になると思います。なるほど、今回の予算を拝見いたしますと、健康診断、これにつきましてはいろいろと新しい手をお打ちになっており、そのための費用を計上されております。また、各種検査公費負担対象の中に入れておられます。しかし、医療費公費負担の率は、依然として現状のままでございます。三十一年十一月に社会保障制度審議会が行いました勧告は、紙くず同様に取り扱われておるのでございます。まことに私はその委員の一人として遺憾千万と申し上げざるを得ないのでございまして、結核公費負担率の引き上げに手を触れずに、国民保険が果してできるのかどうか。しかも、今回の国民健康保険法改正では、われわれが答申案において要望いたしましたところの、三年で打ち切るというようなことはやめてもらったらどうかという、その点が三年で打ち切るのが、原則としてはっきりとお示しになっておるようでございますが、三年間だけ国民健康保険から治療費半額出してもらって、そのあと保険料だけ出して何にも給付を受けないという結核患者の方が出てくるわけでございますが、それは一体どうするのか。公費負担半額であるという問題、行く先は生活保護法医療扶助しかないというような点、さらに、農村におきます老齢人口増加に伴う老人慢性病、これに対して三年という打ち切りは果してどういう意味を持つか。で、国民保険は、皆保険でございますから、抜けておる皆保険というのはちょっと私にはわからないのでございます。そういう意味におきまして、厚生当局は転帰までやりたいとお考えになったんでしょうが、大蔵省との関係等があって御遠慮されておると思いますので、一つ御遠慮なく大蔵省に、皆保険は皆保険だからという形で、予算計上を再考慮していただくようにお考え願うとともに、そういう方向にいけるように先生方の御審議をぜひお願いいたしたいと思います。ことに、結核問題は、最初は金がかかりますけれども、一ぺんこれがすべり出せば、将来は財政的に非常に負担を軽くするものであるということを、特にこの際お考え願いたいと存じます。  また、無医村解消のためには、直営診療所等新設についての補助金といったような考え方法案には出ておるようでございますが、直営診療所を設けるのも一つの方法でございます。しかし、開業医が喜んで僻地無医村に行くために、開業医にもその診療所を作る費用の一部を国が補助するというふうな考え方も、この際ぜひとっていただく必要があるのではないかと思います。医療保険医療従事者との協力がございませんと、形だけの医療になるおそれがあるのでございますから、この点につきまして、ぜひとも慎重なる御考慮を促すとともに、予算面におきまして協力ができるような措置をぜひお取り上げ願いたいと思います。  なお、日雇い労働者健康保険等につきましても、国庫負担医療給付に対する一割五分を二割五分に引き上げられており、しかも、これを答申案の線に沿われまして、法文に明記されておるのはまことにけっこうでございますが、傷病手当金出産手当金新設に伴う三分の一の国庫負担は、三分の一以内というちょっと気に食わない字がついておるのであります。この「以内」を取りはずすことができないのか、ということを私は皆さん一つ御判断願いたいと思います。  それから、健康保険その他の医療保険に対する診療報酬をめぐる合理化の問題でございますが、日雇い労働者健康保険の場合は、一億四千三百万円というものが中に見積られておると承わるのでございます。従いまして、先ほど申しました国民健康保険の六億二千八百万円と、結核の一億一千六百万円、これらを合せますもののほかに、生活保護におきまする七億六千三百万円、合計して十六億五千万円が合理化費用ということになるのではないかと思いますが、健康保険につきましては、全然これが計上されていないようであります。もっとも健康保険組合につきましては、暫定措置として二億円、給付費臨時補助金というのが計上されておりますが、これは収支の悪い組合に対する補助金なのか、それとも診療報酬合理化に伴う弱小組合に対する補助金なのか、少し明確を欠いておるようでございます。もしこれが、弱小組合に対する合理化のための国庫負担であるといたしますならば、結局健康保険については、すべて合理化保険料でやれ、被保険者負担でやれという御方針のように考えざるを得ないのでございます。合理化を被保険者負担でやる、保険料でやるという考え方は、政府管掌健康保険の場合はもっとはっきり出ております。三十億円あった国庫からのお金が十億に減ってしまっております。この点から見ても、合理化については、国は横を向いておる格好でございます。元来、三十億が十億に減ってしまったというのは、健康保険財政がよくなったからだそうでございますが、私は三十億円が問題になりましたときに、あの国庫から出される金は赤字対策ではないということをしばしば聞かされておったのであります。国会においても池田大蔵大臣がしばしばそういうことを言明しておられるということにも聞いておるのでございますが、その言明は、大臣がかわられると霧のごとく消え去ってしまうのかと、私はあぜんとしておる次第でございます。もし健康保険黒字であるならば、なぜこの黒字を使って問題の五人未満人たちに対する健康保険前進をおやりにならないのか。国民健康保険でこういった人たちをまかなうという考え方は、五百四十七万人の零細企業労働者とその家族七百十九万人が少しも希望していない点であります。これらの人たちの希望しているのは、傷病手当金のある、そして本人が全額保険で見てもらえるところの健康保険であります。最近厚生省はこういった人たちに対しましても、任意包括の線で、従来のように報酬が低いからお断わりするというそういうけしからぬ態度をおとりやめになったということでございまして、これはまことにけっこうなことだと思うのでありますが、さらにそれを一歩、あるいは二歩、三歩前進させるために、この黒字をなぜお使いにならないのかという点、どうも不可解千万だと言わざるを得ないのでございます。  そのほか失業保険の問題につきましては、五人未満の零細な労働者方々にできるだけ任意包括をしようという線を出しておられ、その方向こそむしろ健康保険もとるべき方向であるのに、どうして失業保険だけそういうような積極策をとっておられるのか、これも問題の一つだと思うのでございます。  その他社会保険関係につきまして申し上げたいこともいろいろございますけれども、最後に二、三私の特に申し上げたいと思いますのは、今回の国会農林省予算としておそらく計上されているのではないかと思いますが、金額はわずかに一千万円と聞いております。事務費としてわずかな一千万円でございますけれども、その結果できて参ります農林漁業関係職員共済組合というものが実現するといたしましたならば、これは厚生年金空中分解であるということをとくと頭の中に入れて御検討願いたいと思うのであります。社会保障制度審議会の方では、厚生年金保険のフラット分の上に積み重ねたような形のものであるならば、という意見が答申されておるのでありますが、厚生年金保険は別にして、そのほかに退職年金の共済組合をお作りになるのならばけっこうでございますけれども、厚生年金の方の積立金を持っていく、その積立金を持っていく計算が一体できるのか、厚生年金の今日の積立金は保険料の資金になっておりますけれども、ほんとうはその通りの計算でやっておりません。整理資金も考えていない点がございますし、私の荒っぽい考え方では積立金は保険料計算の半分しかないと言っても言い過ぎではないと思うのでありますが、一体どういう形でもっていかれるのか。農林関係の団体の方の福祉を考えます場合、いろいろな点から私はかえって危険だと思います。現在は勤務年数が八年どまりのようでございますが、こういうものができれば、そういう方は長く在職されます。長く在職するということは、それだけよけい年金が要るということになりますが、そういう場合に一体どうするつもりでおられるのか、またその共済組合をやめて普通の会社にお勤めになったときに、厚生年金保険最初から始まるというような不合理なことになるのでございます。しかも、こういう共済組合は最終報酬を基礎にいたしまして年金額をきめますから、やめるときに最終報酬を引き上げるという点がややともすれば行われる、非常に危険な要素を含んでおるのでございますから、ちょっとしろうとが考えると、これはうまいぞと考えますけれども、よくよくくろうとが考えると、これは困るぞというのが今回の職員共済組合法の内容であるのではないか、と思うのであります。  それからもう一つ、これはどうなるかわからぬようでございますが、大蔵当局の御希望で恩給を共済組合に切りかえてしまうという御提案が出かかっておるようでございます。私は恩給というものを共済組合方式に変える、つまり保険やり方に変えるということにつきましては大賛成でございます。今日の恩給国庫納付金もよくよく考えてみますと、相当なものに実はあれはなっておるのでございまして、この際、保険方式に変えることはけっこうだと思うのでございますが、保険に変えるのが目的なのか、保険に変えた積立金を自分で使いたいというのが目的なのか、というところに問題があるのであります。国が責任をもってやる、こういったものを各省の共済組合がてんでんばらばらにその積立金を持って、自由に使えるということは果して許されるべきことであるかどうか。私は保険方式に変えることは賛成でございますが、その積立金はきちっと……。何もこれを大蔵省が持つとか恩給局が持つとかという問題でなしに、国の責任のもとに積み立てて運用すべきものではないかと思います。大蔵省がいろいろなたとえば厚生年金保険とか簡易保険の積立金なんかを自分の方で一括して積み立てることをいろいろな面から進めておられながら、共済組合については、その積立金を共済組合にてんでんばらばらに渡してしまうという考え方は一体どこから出てきておるのか。そういう意味におきまして、この法案がもし国会に出るようでございましたならば、慎重に御討議願いたいと思います。これは直接予算方面には姿を現わさないかもわかりませんが、こういう予算面に姿を現わさないところの隠れたる予算こそ、国民が最も懸念する予算でございまして、金額が大きいものだけを問題にしておっては間違いでございます。国民はよくその年度金額が少いからと安心しておりますと、その次の年から平年度となって、それが数倍になるというあの魔術のような予算の作り方に対して非常に疑問を持っておるということを最後に申し上げて、私のはなはだ失礼きわまるところの公述を終りたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  5. 泉山三六

    委員長泉山三六君) 公述人に対して質疑のある方は御発言を願います。
  6. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 近藤先生の御意見を二つ承わりたいと思うのです。それは先ほど軍人恩給についてお聞かせいただいたわけでありますが、私伺いたいことは、今の恩給法の中に含まれている軍人恩給、この現行恩給法ワク内で考えても、私は職業軍人の特権意識ですね、それから反省というものを今求めるべきではないか、それが当然ではないかということを伺いたいのです。実は私は適当な機関に、将官級で普通恩給をもらっている人、それから扶助料を受けている人、これがどのくらいの数になって、またその中に辞退者がどのくらいあるかということを調べてもらったのですが、恩給局の方でも辞退者がどのくらいあるか教えてくれない。受けている数だけはわかりました。普通恩給増加恩給及び傷病年金等を受けている人が二千二百九十人あるのですが、扶助料を受けている人が二千四百九十五人ある。辞退者が幾らあるかということを教えてくれない。あなたがもし持っておったら、それを教えてもらいたいのですが、実は先般の新聞に、戦争に行って死なないで、命だけ助かって帰ったことはありがたいことだ。それで第一項症の恩給を自治体に寄付して、自治体にぜひ道路を直してほしいと申し出たということが新聞に報ぜられ、私は感激したわけですが、上級の将官級軍人に非常に特権意識があり、その反省が足りないということは、最も私は大きな問題じゃないか。具体的にあなたに御意見を承わりたい点は、ちょうど厚生大臣もおるから聞いてもらいたいのですが、たとえば二十才の青年がちょうど軍籍にあった、それから一方は学徒動員令という法律に基いて工場に働かされておった。今後の戦争というものは、あってはならないのですが、あった場合は、前線も銃後もない。完全にこれは全体が基地になってしまうわけでして、第二次大戦の末期においても、これは銃後ということはなかったと思う。たとえば原爆一つ考えてもおわかりと思うのですが、今たとえば二十の青年が軍籍にあったということで一項症になりますと、一年軍籍にあっただけで普通恩給をもらいます。増加恩給をもらいます。もし妻子があれば、妻子の手当をもらう、鉄道の無料パスをもらう、NHKの聴取料は二分の一控除、さらに厚生医療まで支給になります。そうして二十三万円受けるのですね。ところがその二十才の青年が学徒動員令ということで、同じ軍人と一緒に原爆なら原爆でけがをして、工場に働いた青年は同じ一項症の待遇として恩給法を適用しないで、援護法でいきますから、八万五千五百円しかもらえない、半分以下です。しかも鉄道無料パスも受けません。医療費もなければ、厚生医療も何もない、これだけ差があるわけです。ところがたとえば大将は戦争指導者として責任があると思う。こういう人は、金鵄勲章をもらったでしょう。私どもは、そういう人たちの前に土下座させられておると思うのです。戦時中において、国民がなめられなかった砂糖をたっぷりなめたり、御飯も食べた。ところが戦争に負けた今日、依然としてもと大将だったから、重要な任務にあったからという特権意識を持って、政治家がそういうまなこをもって見るということは、大きな私は間違いだと思う。一枚の赤紙で召集された人は別ですが、職業軍人を問題にしておる。これは上級の軍人ですね。その大将が生き長らえて、そしてけがも何もしていない人が、一年間二十八万円の金をもらうのですからね。こういうのが、私は、戦争に勝ってれば別ですよ、負けた今日、新憲法下において、わが国としては、非常に反省が足りないと思うのです。これは現行の恩給法ワク内で考えて、共済組合云々は別にして、ワク内で考えても、こういう私は、戦争に対する反省という立場から、政治家はこれを処理すべきであるし、職業軍人、特に将官級というのは、戦争の指導的立場にあった人は、その特権意識というものを払拭すべきである。反省すべきであると、こういうことを考えると同時に、今度の国会に、援護法の一部で、学徒動員令によって犠牲になった学徒の援護が、先ほど一部申されたのですが、これらの大きなアンバランスですね、こういうものは、新憲法下においては是正さるべきではないかと、こういう見解を持っておるのですが、御所見を承わっておきたいと思います。
  7. 近藤文二

    公述人近藤文二君) 非常にむずかしい御質問なんで、ことに辞退されておられます方の人数ということは、先生でもお調べになってわからぬくらいでございますから、私のようなものが調べても、なかなか教えてもらえない数字でございます。しかし確かに重要な問題だと思うのですが、ただ、辞退されます方が、生活にお困りになっておったら、これは辞退できないと思うのです。ことに辞退される前に、私の考えを率直に申し述べますと、社会保障的な、あるいは援護的な考え方で、旧軍人恩給が復活しておるならば、そういう方には出ないはずです。つまり所得が相当ある方は、辞退をするのでなくして、差し上げないというようにやるのが当然だ。この間も、国民年金のいろいろな案を考えておりましたときに、すべて無醵出で七十才以上の人に月千円あげる、これは恩給をもらっておる方でございますけれども、吉田茂さんもそれをあげるのかという話が出た。それは当然あげなければいけない。もらいに来なかったら違反だというふうな意見も出ておったのですが、辞退というのでなしに、やはりそういうものは差し上げないという建前をとるべきではないか。よく文官とのバランスの問題が出ますけれども、文官恩給も、貨幣価値の変化から考えてみますと、戦後新しく国庫納付金を出して、そしてああいう保険を作っているのだという考え方もできると思うのです。退職手当的なものと保険的なものと組み合わされて恩給ができておるわけなんでございますから、戦前の文官の方の積立金というものは、あまりないわけでありますから、そこらの計算をどうするかということを考えてみます場合に、旧軍人というものがなくなっておるのですから、そういう方に対して、軍人であったからどうのこうのと、階級がこうだからああのなんという考え方でなしに、やはり一般的に、今おっしゃったように、学徒動員の方も含めまして、すべて国民が、あの当時は軍人であったわけでございますから、そういう方の犠牲者には、ひとしき国が援護をするならばするという建前をとらなければならないので、そうなってくると、大へんなお金が要るわけですから、差しあたって、非常に必要な方だけ差し上げるという方向にいくべきであり、あの復活のときに、私はそういう見地から意見を申し上げたのでございますけれども、お取り入れなかったのでございます。さらにずっとさかのぼって考えれば、司令部が考えたときのあれは、サステンドという字を使っておりまして、中止でなく廃止のはずなんであります。それを翻訳をうまいことごまかしていたために復活した。やめてしまったものなので復活ということ自体がおかしかったのですが、いろいろな情勢からああいうことになりましたために、今日すでにもう手のつけられぬような関係になっております、既得権の問題もそこにございますから。ただそういう方の考えは、大将がよけいもらうのは、退職手当的な性格であるから、よけいもらうのだというおそらく御理解であろうと思います。そこを思い切って、そういうようなものはもう全部もらわなくてもいいのだというふうに言おうなれば、傷痍軍人の団体の方がお動きになったらそれは大かっさいやると思います。しかし困っている方がおられますから、困っている方には別の方法でこれこそ社会保障的なやり方で、生活の安定をはかるべきだ。社会保障というと何か乞食扱いにするのだという考えも何かあるようでございますが、生活保護法ができました当時のいきさつは、私の聞いている範囲では、あれは軍人恩給の廃止に対する身がわりのものとして、司令部はああいうものをこちらに勧めたという事情もございますので、乞食扱いということは非常に感情化しているようでございます。しかし社会保障というものは、そういうものではないというふうに御理解願いまして、旧軍人の方も国民もみな同じように、犠牲になったものは犠牲になったものとして、国から援護を受けるなり援護を受けようという気分になられるとちょっと変ると思うのですが、もう時すでにおそしと私は考えます。私よりもお力を持っておられます先生方が、何とかしていただけませんと、そのために、きょう出てきたわけなんでありますから、よろしくどうぞお願いします。
  8. 亀田得治

    ○亀田得治君 社会保障の立場で、軍人恩給に関して、私も当然そういう立場で考えておりますが、ちょっと今先生もお述べになったように、既得権との関係ですね。これに対するあなたの個人的な見解なり、それから社会保障制度審議会の中でも、そういう点についての考え方などは、若干の意見を交換されているだろうと思うのですが、まあ、結論的なものでなくていいのですから、考え方についてですね、私どもとしては何とかそういう既得権的なものの考え方を実はこわしたいと思っている、憲法上あるいは法律上。そういう余地があるかないか、一つ率直なことを伺いたい。
  9. 近藤文二

    公述人近藤文二君) 私、法律専門でございませんので、法律的な見解はわかりませんが既得権と期待権と二つあると思うのです。それで既得権ということは、普通の建前では、それをやめるということはなかなかむずかしいのじゃないか。期待権の方は、やはり多少考え方によっては何とかできるのじゃないかというふうに、私個人で考えております。それから旧軍人恩給の場合は、前にそういう旧軍人というものがなくなったというふうに解釈すれば、既得権というものは実はなかったわけなんです。復活したときに新しく権利が発生しているというふうに解釈しなければいけませんので、復活してしまったときにすでに問題があったというふうに理解せざるを得ないと思います。で、社会保障制度審議会の中では、やはりいつも日本人というものは、一ぺんとったら絶対に返さぬというふうに、既得権々々々ということをやかましく言っている。その既得権もよく考えてみると、ほんとうの既得権のほかに、期待権まで既得権と考えて、そうして期待権を既得権と考えるものだから、一ぺんきまったら最後とどのつまりまでもらえるのだ、大体日本人というものは、もらうことばかり考えて、実はそのもらうにはだれからもらっているかということを考えておらない。だからさし上げてもらっているのですから、そういう点、先生の方でよく御研究願って、法律論として法律学者はいろいろ言うでしょうが、国会におきましては、その既得権というものはもう少し幅のある形でお取り扱いができるのじゃないか。場合によれば憲法改正してもいいのじゃないかというのは、個人的な意見でありますが、率直に私の考えを申し上げるとなれば、そういうふうになります。
  10. 藤原道子

    ○藤原道子君 ちょっと結核の問題でお伺いしたいのですが、私は今近藤さんが公述されましたことは全面的に大賛成なんです。今日本で結核問題をそのままにしておいていったならば、とても保険においてもどの面においても効果は期待できない。私ども社会党といたしましては、結核問題はすべて予防から治療から後保護まで、一連のものにしなければいけない。この費用としましては、全額国庫負担すべきである、こうすることによって、一時は費用が出ましょうとも、結局将来におきまして急速にこの費用は減ってゆくものでありますから、これはどうしてもそうしたいというのがわれわれの主張でございますが、先ほど結核問題にはお触れになりましたが、その御構想については伺うことができなかったわけなんです。この点について先生がどのようにお考えになっているか。それから結核予算政府は相当出している、出していると宣伝するのですけれども、国立の療養所の収入が約八十億ばかりあるわけです。これなんかもぶち込んでの結核対策で、ずいぶん政府はごまかしていると思う。この結核に対して特に大事な後保護療法というものがほとんど今日皆無といってもいいと思うのです。生活保護の人だけが適用を受けられる若干のものがございますが、これは生活保護適用者以外は後保護療法を受けられない今日の状態で、この点でも再発とか何かということで、非常に予算のむだづかいをされてると思うのです。この点についての先生の御意見を伺いたいと思います。
  11. 近藤文二

    公述人近藤文二君) 私その問題を省略いたしましたのは、御承知のように三十一年に医療保障制度に関する勧告というのを社会保障制度でやっております。あの勧告を案として作りますときに、いろいろ参画いたしました関係で、あの勧告はいささか理想的なものも入ってはおりますけれども、予算面においても実現可能であるという線でいろんな数字もお示ししてございます。藤原先生もよく御承知だろうと思うのでございますが、その中の考え方公費負担全額国庫で持つか、あるいは八割国庫で持って地方で二割くらい負担をする。ただし地方二割負担は必ずひもつきにする。これはまあ法律上むずかしい問題があるかと思うのですが、実質的に全額国庫負担で、公費負担でやる以外に結核を根本的に克服する方法はない。ことに結核につきましては、私しろうとでわかりませんが、早期発見、早期治療をやりますならば、最初費用がかかっても必ずうまくいくんだ、ところが日本のやり方は、検査をされて検査をしっぱなしのような格好になっているのです。検査を早くして、早く処置をするというその処置の方が、現在のような公費負担制度でありますために十分行われていない、半分出すくらいならば全部出さぬ方がいいのではないかというふうに極論すればなるくらいです。出すならば全部出してあげるというやり方でないと解決しない、どうも結核問題についていつも予算を拝見しますと、少しずつ前進しているような格好になっておりますけれども、根本的な前進がございませんので、お砂糖をねぶっているか、サッカリンをねぶっているかわからぬと、私も藤原先生と同様に思いますのでございますが、きょう詳しい数字を申し上げる必要がございましたら申し上げますが、大体のところは同じような考えでおりますから。
  12. 泉山三六

    委員長泉山三六君) それではありがとうございました。  午後は公述人の方に定刻においでを願っておる事情もありますので、午後一時に再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時二十四分休憩    —————・—————    午後一時三十一分開会
  13. 泉山三六

    委員長泉山三六君) ただいまから公聴会を再開いたします。  この際、公述人の方に一言ごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙の中をわざわざ御来臨をいただきまして、まことにありがとうございました。公聴会の議題は昭和三十三年度予算でございます。公述人の方は大体三十分程度で御意見の御開陳を願いたいと存じます。  では、東京銀行常務取締役、神野正雄君。
  14. 神野正雄

    公述人(神野正雄君) ただいま御紹介にあずかりました神野でございます。金融、貿易、為替というような面を中心といたしましてお話をさせていただきたいと思います。    〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕  今回の予算予算といいますものは、大体方々の要望の最大公約数でございますから、ある角度から見れば、それはいろいろ注文もありましょうし、物足らない点もあるかと思いますけれども、大体の面においては予算の編成方針は、国際的には国際収支の継続的の改善、それから国内的には国内経済の安定的の発展ということに目標を置かれます限り、非常にけっこうなことだと存じます。ただそのような両サイドの面を同時に達成する一つのきめ手として輸出の増強、大蔵大臣財政演説の中にも輸出の増進にすべての努力を集中するということを言っておいでになりますけれども、この予算の案を拝見いたしますと、すべての努力が果して集中されておりますかどうか、大体六億、七億程度の各種貿易振興対策の予算増加されておりますし、あるいはジェトロの出資金二十億、東南アジア開発基金ですか、これが五十億、こういうものが加わっておりますけれども、全体のウエートはむしろ少いのじゃないかと思うんです。大体の三十一億五千万というその輸出の目標が果して達成できるかどうか、これはわれわれとしては非常に心配しております。御承知の通り世界経済はああいう状態であります。それからドル不足も緩和しておりません。世界の貿易は一時は年率で千億をこえておりましたけれども、最近は千億を割っている。保護貿易、ナショナリズム、そういうものも非常に強くなっておりますから、こういう場合になかなか貿易もむずかしい。  それから三十三年度の輸出の増加率が大体一一・三くらい。そこへもってきて輸出価格の値下りが一〇%であります。大体二割近くの増強をしなければならない。これは容易ならざることだと考えております。  それから御承知の通り、長期国内景気、消費性向が非常に強い。われわれが商売の面から見ておりますると、輸出すればよさそうなものも、国内に売った方がもうかるので、輸出に対する意欲が少い。たとえばウイスキーであるとか、このごろは非常に青年までがウイスキーを飲み出したというようなことが新聞にありますけれども、こういうものも日本のウイスキーは非常にいいですから、これは輸出できるのでありますけれども、何を好んでめんどうな輸出をするよりも、むしろ国内で売った方がいい、これに類するものは非常に多い。ですからこの輸出消費の性向がこれ以上刺激されますと、かえって輸出に障害になる。それから輸出に対してきめ手がないんです。昔は生糸がありました。つい先ごろまでは繊維というものがありましたけれども、戦後昭和九年から十一年の平均で昨年度を見ますと、大体繊維は六五%程度に落ちております。一番ふえました機械が三五〇%くらいになっておりますけれども、この機械の輸出の内容に別にきめ手があるわけではない。従って戦後の日本は輸出産業の構造に筋金になるものがいまだにないのであります。今年度もそういう筋金がないままに輸出増強に臨まなければならぬ、こういう状態になっている次第です。それから、価格がどんどん下り、値段が下れば一見いいようでありますけれども、値段が下る途中では、だれも食いついてこない、海外の注文が起って参りません。ですから、早く価格を安定して、底入れをして、これ以上下らぬという態勢にしないと、輸出というものはなかなか伸びない。こういういろいろな面があります上に、今度の予算でもジェトロの強化、こういうものがありますけれども、それが非常に運用よろしきを得たとしても、それが効果を表わすのはずっと先のことじゃないか。ですから、三十三年度に輸出を伸ばすというだけの即効薬がない。むしろどうしても三十三年度に三十一億五千万というものを達成しなければならぬならば、むしろ輸出保険の料率を下げるとか、輸出貿手の金利を思い切って安くするとか、中小貿易商に対する補助を増すとか、何かコンマーシャルベースに輸出が乗るような即効薬的の対策がこれに伴わないといかぬのじゃないか。そういうふうに考える次第でございます。何よりも輸出のマインドといいますか、国民の全部をあげて輸出をしなきゃいかぬ、輸出が達成できなければ国民の一人々々に影響が及んでくるのだという観念がない。この点はイギリス、ドイツとは非常に違うのでありまして、すべてのものが、そういうすべてのものを犠牲にしても輸出優先でやるということになれば、あまりこまかい数字を申し上げなくても輸出は一億や二億は伸びるはずなんです。現に努力をしているものは輸出が非常に伸びております。たとえば不思議なものが最近輸出されている。これはよく話に出ますのですけれども、仏壇の位はいが輸出されている。ウルシで塗って外を金ぴかにしたあれですけれども、これを何にするのだというと、アメリカでも会議全盛で、立てまして会議の名札にする。これが輸出されている。それから氷イチゴをかく機械、これは日本にいるアメリカ人が世界中で一番涼しい飲み物は氷イチゴだ、それで氷イチゴの機械をアメリカへ持ってきて、そしてそれで氷をかく、そういうアイデアでいろいろ注文がある。あるホテルでは、すべてのファーニチュアとか食器を全部輸出向きにして、外人が泊ると、これはいい、これは買おうというふうにしむけるようにしている。そういうきめのこまかい努力で相当輸出は伸びる余地があるのでありますから、この輸出マインドにすべての国民が官民ともになるならば、そう一億や二億の輸出の点では心配がないんじゃないか。以上のように考えますと、三十三年度の上期には、月大体二億四千五百万、半期全体として十四億五千万ぐらい、それから下期には月二億六千五百万、十五億九千万、合計して三十億四千万ぐらいの輸出はできるだろう。そうしますと、あと一億の追い込みでありますけれども、これがその輸出マインドのいかんにかかっているんじゃないか、これは多少楽観的だといわれる節もありますけれども、まあその程度ではないかと思っております。  最近の貿易の特色というのは、御承知の通り世界がブロック経済的になっております。欧州共同体であるとか、それからアラブ諸国であるとか、ラテンアメリカが今共同体をもくろんであります。東南アジアでも大体将来そういう傾向に進むのではないかと思います。こういうブロック経済的の貿易態勢になってくるときに、日本は一体どうしたらいいか。それからもう一つは、従来のような直接の売買だけでは済まされない。ここに経済協力といいますか、資本援助であるとか、あるいは技術導入、その他開発的の協力、そういうものが伴わないと、直接売買であるところの輸出入もうまくいかないという傾向が非常に強い。こういうものに対して、今でも経済協力ということは非常に言われておりますけれども、具体的にどういうふうに手を打っていくかということが問題になろうと思います。東南アジア諸国でも今開発計画が非常に多くて、大体百九十六億ドルぐらい東南アジア各国の開発計画に金が要る。そのうちで、二割外国資本に仰ぐといたしましても、大体三十九億から四十億近くの外国資本が必要だ、こういう場合に、日本はどれだけそれに食い込むか、そこに食い込まないと、日本の直接の輸出入貿易も思うようにいかない。こういうのが最近の特色なんでありまして、これをどういうふうに方針を立てていくかということも一つの問題じゃないかと思います。今お話いたしましたように、輸出は三十一億五千万を達成しないとしても、輸入の需要があまりありませんから、来年度も国際収支は黒字であるということはほぼ疑いない。大体二億から二億五千万ぐらいの黒字になろうかと思いますけれども、あまり輸入の話をいたします時間がありませんけれども、輸入に対してもいろいろまだ問題はございます。たとえば外貨予算、こういう外貨予算を今まで通りしてよろしいか。この外貨予算というのは、外国に向って、いつ、どういうものを幾ら買いますということをあらかじめ示すのでありますから、相手に手の内を先に知らせて、値切る材料を与えるようなものである。そういうやり方でいいかどうか。それから国内生産過剰に対して、原材料輸入をどういう方針にするか。それから従来日本は浅瀬経済でありますので、高買い、安売りをやっていた、これで非常に損をしている。これをどういうふうに是正をすべきであるか。それからさっきお話しましたような経済協力、あるいはプラント輸出であるとか、そういうもの、あるいは外資導入、あるいは海外投資、こういうものに対して、日本の国民経済全体から、今後どういうふうにこれを持っていくかというような根本の方針を、もう一ぺん寄り合って相談するべき時期ではないかと思っております。  昭和二十九年と三十二年、これは金融面から見ますと、同じような傾向の年であります。これは両年とも金融引き締めの年であります。予金も貸し出しも、それから日銀券も、大体初期から期末まで、坂を下るように、だんだん増加はして行っても、増加率が減っておりました。そうして二十九年も三十二年も、国際収支の赤字解消というのに全力を注いだのでありますけれども、ともに目的を達した年であります。しかし二十九年は輸出が非常に伸びたために、悠々と国際収支の黒字が達成できて、そうして当分輸出は、これは伸びるという見通しを立てていた年でありますから、三十年には積極的に金融緩和に持っていかれた。ところが三十二年の国際収支の黒字回復は、極端に輸入を押えた、輸出は多少伸びましたけれども、大したことはない。輸入を押えたために黒字が達成されたのでありますから、従って三十年のように、金融緩和にどうしても積極的になり得ない。これがもう少したちまして、輸出は大体多少落ちても目標近くいく、輸入の需要は当分出てこない、あるいは出ても大したことはないという見通しがつけば、やや安心をして金融緩和に持っていけるんじゃないかと思います。金融面におきましては、何といっても非常にデフレのやはり自律作用といいますか、こういうものがだんだんひどくなっているような感じを私どもとしては受ける。最初は流通部門にきていたものが、目下は生産部門になっておる。そこへもってきて滞貨金融はいかぬ、赤字輸出はいかぬ、こういうふうに追い込みますと、どうしても雇用の部門にしわが寄りつつある。こういうふうになると、これは非常に問題じゃないか。雇用、それは社会問題に追い込むことになりますので、これはやはり上手にある程度調整しなければならぬのじゃないかと思われるのでありますけれども、三十三年度は、大体国庫資金の払超が千二百億、昨年度揚超が二千四百億で、上下合計して三千六百億というディファレンスが出ますから、総体的には、これは放っておいても、金融は四月以後相当緩漫になり、緩和されることは確かでありますけれども、金融は緩和しても、貸し出しが楽になるというところまでにはなかなかいかない。何となれば、いまだに設備資金需要は非常に多い。それから各銀行の日銀借入金は六千億に達しております。これは金融正常化の建前からして、これを返していかなければならぬ。予金は六千億くらいふえる建前でありますけれども、貸し出しは相当まだ設備資金その他で出さなければいかぬ。そこへもってきて日銀借り入れば返さなければならぬということになりますと、総体的に金融は緩漫になっても、銀行の手元は必ずしもゆるくならぬということになりますから、ここで世界経済にも関係がありますけれども、当分の間は、日本の国内の景気の建て直りということは、そう期待できないんじゃないか。ただ財政資金の出方と、それから租税、税金の吸い上げ方、こういうものによって金融は非常に上下されるのであります。われわれが非常に心配しますことは、財政資金であるものが出ても、それに民間資金がしわ寄せしてついていかない、こういうことになりますと、非常に民間資金がディスターブされる。それから税金の吸い上げでありますけれども、今の国庫やり方からいうと、税金は銀行の手元へ吸い上げて、それをすぐ国庫へ納めなければならぬ。これをもう少し、国庫規定でも変えて、長く民間に滞留するということになると、金融面に及ぼすこの衝撃というものは非常に緩和されて、少くなる。金融というものは、非常にこの振幅の過大なのが一番禁物なのでありまして、これを締めるにも、ゆるめるにも、なるべくその幅をゆるくしないといかぬ。こういう点を考えますと、今後の税金の取り立てということでも、もう少しゆとりをもって、民間に滞留させるということにすると、一般民間の資金面でだいぶゆとりが出てくるのじゃないかと、そういうふうに思う次第であります。今回の予算案は大体景気に対しては中立性だということを言われておりますけれども、まあ多少の刺激的なものもないではないのでありますけれども、問題は、むしろ今後の景気、デフレの自律作用というものが一方にある。そこへもってきて、消費性向なんかを押えても、多少刺激されるという面もありますので、この両面を見て、予算というものの運用面において、いかに円滑に潤滑油的の働きをさせるかということが結局のコツじゃないかと、そういうふうに思われる次第であります。  それからもう一つ、外貨の面でございますけれども、この国際収支が、予算案の眼目からみますと、大体年間一億五千万程度黒字というものを見込まれておりますけれども、大体それ以上の黒字が出るのじゃないか。それではもっと金融をゆるめるとか、あるいは外貨を使ったらどうだろうかというような議論も出るわけでありますけれども、今大体日本の外貨が十億、そのうちで即座に使える金が四億程度です。まあそういうふうに計算してきますと、必ずしも外貨は今十分であるとは言えない。戦前にどれくらい外貨を持っていたかというと、大体これは昭和の初めごろの、大体そのときのドル換算にして、十億程度であります。これは、あるいは外債の募集であるとか、外銀の利用等で、極度にセーブをして使われたためであるのでありますけれども、それからみますと、経済規模も戦前にまだ回復していない現在、十億程度あればいいということも言えますのですけれども、何分にも貿易のやり方が違っていた。昔は生糸を輸入して、綿花を輸入するという、大きな一つの一年中でサークルを描いて、金繰りが非常に楽であった。今はそういうふうにはいきません。それから為替銀行の力が、まだ非常に戦前ほどに達しておりませんから、外銀に対して借り入れ能力も少い。そういう面で、今のところは実は外貨の保有というのは幾らあったらいいかというようなことを論ずるまあ段階は早いのじゃないか。むしろせっせともう少しため込んで、そうしてこれをいかにしてうまく使うかということを考える段階でありまして、大体十五億ドル以上に達してから初めてそれを考えたらいいという段階ではないかと、そういうふうに思われます。従って大蔵大臣財政演説の中にも、この外貨の問題には触れてありますけれども、現在は国際収支の赤字を食いとめて、これを本格的に継続的に黒字にさせるということに努力する段階でありまして、外貨は一体幾らあったらいいかということは、理論的にもなかなか出ない問題であります。積み上げ方式とか、いろいろな方式があって、計算はできますけれども、理論的にはなかなかむずかしい問題ではないかと思います。ただ貿易を振興させます上において一番必要なことは、向うのサイド、海を越えた向うのサイドで外貨をいかにうまく使うかということが要点なのであります。日本の円の面だけでいかにやっても、なかなか完全ではない。海を渡った向うで、たとえばアメリカならアメリカで日本のためたドル貨をいかにして有効に使うか、まあいかにしてドルの借り入れをうまくするか。大体今日本が貿易に使っている金というものは、これは外銀借り入れユーザンス、そういうものを合せますと大体六億七千万程度。六億七千万程度の外貨を使って、日本の貿易をまかなっているというのが現状であります。この全体はもちろん日本の外貨を使っているわけではなく、借り入れでありますとか、綿花クレジットとか、そういうものを全部合した金額でありますけれども、これをもっと上手に使って、そしてこれを十億程度の、いつでも貿易のために使える金というものを有効にプリペアーするということが貿易を伸ばす一つの目的なんじゃないか、こういうふうに考える次第でございます。  それから為替の問題でありますけれども、為替の自由化が行われておりますけれども、まだ本格的な自由化とは言えない。形ばかりの自由化でありますから、これは今後世界経済に伍していくためには、どうしてももう少し本格的の自由化に持っていって、そして輸出振興、輸出振興と言いながら、ああいうふうに輸出に対して利益でないようなレートを組まざるを得ないというような状態をやはり改めなきゃならぬじゃないか。まあ為替の面でも、貿易の面でも、それから商社の面でも、日本が国際経済に勝つためには、やはり何といいますか、優秀な選手制度にしないと、これはやはり競争でありますから、勝てないのであります。今日本はちょうどマラソン競争みたいで、ほかの国というものは優秀なる選手を数人出している。ところが日本では大して優秀じゃない、ドングリの背比べみたいな者を数十人出していて、お互いにその選手の足がからみ合って、勝つどころの話じゃない、走るのがやっとだというのが今の貿易為替の現状なんでありまして、これをうまく整理するということも今後の日本の一つの問題ではないかと思う次第であります。  非常に取りとめのないことを雑然として申し上げましたけれども、私の公述はこの辺で終らせていただきます。(拍手)
  15. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) ありがとうございました。  公述人に対して質疑のある人は御発言を願います。別に御発言もなければ、ありがとうございました。
  16. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 一つだけ伺いたいと思いますが、お宅の方は世界各国に店を持っておられるから、案外情報をはっきりキャッチしていると思って伺うのですが、それは日本の貿易と関連がある意匠の問題ですね。これは昨年一カ年間の調査をしてみますと、二十六件問題を起しているのですね。ずいぶん日本の業者は他国の意匠を盗用する、盗んで用いるというので、場合には外国新聞などから相当たたかれているわけですが、また一部には、他国の業者からこの意匠を盗用して一つ作って、そうして輸出してほしいという、半ば強制されてやる場合もあるのでありますが、その場合と、純然と日本の業者が盗用して国際問題を起す場合との区別が、どうも通産あたり聞いてもはっきりしないのですが、東京銀行から各国に出店を持たれて、そういう点も私は関心を持たれているであろうと思うのですが、もし御存じなら、そういう実情とその対策をお教えいただきたいと思うのです。
  17. 神野正雄

    公述人(神野正雄君) どの程度こっちが積極的に盗用したか、あるいは向うから押し付けられた、大体感じでございますけれども最近はまあ向うからサンプルが来るわけです。サンプルが来て、この通り作れ、あるいはこういうマークを入れろ、こういう注文が非常に多いわけです。そうすると、ことに日本の輸出は非常に中小の輸出が多いわけでして、それで、向うにどういう登録された意匠があるか、そういうものは一向に御存じないものですから、ああそうかというので、そのまま作って出したが、それが問題になるというケースも相当あるのであります。これは、中小輸出の場合に多いわけです。ですから、そういうケースも非常に多いし、それからむしろ、意匠の盗用と申しますけれども、まあ似たものを作るのが悪いといえば悪いのですけれども、相当違っているのですね。ですから、向うでけちをつけられるほどにも当らないような場合も相当ある。向うが非常に悪質であって、それで、日本の商品の品質を妨害しようというようなときに、こいつがどこが似ておるというようなことを、けちをつける場合もあるのであります。ただ、御質問のように、どういうケース、どの程度がこっちが悪く、どの程度向うが悪いということは、ちょっと申し上げられないのでございますけれども、まあ意匠盗用の問題は多々ありますですけれども、今後日本としても、御承知の通り、意匠センターを作るとか、それから、イギリスの場合なんかの例になりますと、よく会議をして打ち合せる、そういうシステムもできて参りましたから、今後はだんだん減るのじゃないかと、そういうふうに思っております。
  18. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 私はちょっとおくれて来て、お話を伺えなかったので、大へん残念ですが、東京銀行には、非常に優秀な方が海外のおもな支店におられるように思いますが、そういう方を通じて、日本の財界の交換なり、あるいはジェトロというような方の向うの経済事情の把握なり、あるいはマーケットの調査なり、そういうことに対して、活動ぶりですね。そういうことについて何か御感想なりお考えがあったら、承わりたいと思います。
  19. 神野正雄

    公述人(神野正雄君) お答え申します。私の方は、海外に大体三十三カ所行っております。定期的に経済その他時事問題で報告を取っております。それで、それを集めているわけでありますけれども、各現地の出張員がことごとく言ってくることは、現地の出先の外務省とかそういうもののもう少し経済問題ですね。それに関心を深めた方が、あるいはそれにトレーニングされた方をふやした方がいいのじゃないか。たとえば、昔の商務官とか、そういうようなものが今まだ完備されておらない。それで、外務関係の方は、外交とかその他いろいろ精力をさかれますし、なかなか専門的に出ていけない。そういうもので、これは東京銀行の出先だけやりましても力が足りませんけれども、外務省方面でも、それとタイ・アップしてやったらどうだ、これが一つであります。  それから、ジェトロの強化されます機会に、ぜひお願いしておきたいことは、それが、ジェトロが商売本位になり、とかく今までは必ずしもその点で完璧でない。ジェトロに出した見本品が案外どこかへ行ってしまったとか、あるいはかえっていろいろな手数が起る、こういうものもあって、ジェトロの活躍に非常に期待しておりますけれども、このジェトロの活躍そのものにもう少し民間のあれを入れて、そうして商売的の活躍をしたらどうだろうか。  それから、第三には、現地の財界人とのコネクションが非常に薄いわけです。どうしてもお役所の言うことと、それから、そういうものの情報は盛んに来るのでありますが、日本でもそうでありますけれども、現地の財界人のボイスというのは、とかくリポートされておらない、われわれも、その現地の出張員には、極力そういうものと接触を保ってそうして現地の財界の声というのを送れ、こういうことを言うているのでありますが、この点がまだ非常に遺憾だと思っております。
  20. 藤原道子

    ○藤原道子君 ちょっとお伺いしたいんですが、私もお宅の出先機関の方にだいぶお世話になってきまして、いろいろ話し合ってきておりますが、どうも外地に出ているメーカー同志が値段の点で競争して、下げていくという傾向が非常に強くて困る。お互い同志がお互いの値段をつり下げることによって、お得意を取ろうとして競争することが、かえって非常に損をしているのだ、向うにつけ入られる結果になるし、かえって不信を招く結果になる。華僑なんかは、値段はぴしっとできていて、サービスの面で競争する。どうしてこれが日本人にできないだろうかといって、お宅のある所でもそんな話をしておりました。外人にそういうことがあるのに、日本人はその点が違うというようなことを言われるのですが、そういうことについてお聞き及びになったこととか、そういうことに対してどうしたらいいかというようなことについてのお考えはないですか。
  21. 神野正雄

    公述人(神野正雄君) 今御質問のようなことは、もう毎日のように聞いているのでございます。これはどうしたらいいかとおっしゃいますけれども、今のところは処置なしです。それで、これはもう何か、日本の国民性によるのじゃないかと思いますけれども、とにかく人口は多いし、あらゆる商売が競争であります。それで、一つのいいものを出す、そうすると、もうわれもわれもとそれを出すわけであります。たとえば、竹細工がいいといいますとそのいい竹細工だけ出していればいいのだけれども、アウトサイダーが非常に模造品みたいなものを、安物を出して、カビのはえたものを出して、そうして名声を一挙に失する。それで、向うで入札をいたしましても、入札で落ちたものがまた裏へ回って、そうして実はこれはこのくらい安くできるのだからということで、その値をくずし、商社、メーカーともにそういう競争はもう非常に多くて、そうしてそのために、日本は非常に損をしている。それで、雑貨なんかでも、たとえば、一つの買上げ機関を作って、そうしてそれを通さないと輸出できぬというようにでも、一種の公団的なもの、公団の欠点というものも出てくるわけであります。けれども、アウトサイダーのそういう過当競争を防ぐためには、何か公団的なものでも作って、雑貨くらいに関しては……、そうしてこっちの売買の窓口を一つにしたらどうかというような考えもあるわけであります。それから御承知のように繊維については、PQS、地域別の割当制、これを作って、今そういう競争を極力防いでいる。これも、ある程度効果はあるのでありますけれども、これをやりますと、今度は量的に伸びないという欠点がある。皆割当がきまっておりますから……。  しゃにむに出ていって量的に伸びたというのが、貿易の今までの特徴だったんでありますけれども、その特徴はもう失われるわけであります。輸出の平均のマージン、利潤でございますね。これはむしろそれで確保できる。こういうふうにして、おいおい制度的にもお互いに話し合って、そうして自粛していくよりほかに今のところは仕方がないじゃないか、そういうふうに考えております。
  22. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) ありがとうございました。   —————————————
  23. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) それでは次に、日本労働組合総評議会事務局長岩井章君にお願いいたします。
  24. 岩井章

    公述人(岩井章君) 総評の岩井であります。私は、労働組合の仕事をしている者でありますから、主として労働者関係のあることについて述べたいと思っていますが、しかしながら、労働者は、全国至るところで、あらゆる勤労に従事いたしていますから、予算面については、予算全体にも同時にきわめて密接な関係を持ち、きわめて熱心に注目いたしております。従いまして、私の公述も、勢い労働者に直接関係のある事柄から、さらに広く予算に関連して、労働者階級の関心のある問題について及んでいくようになることをあらかじめ御了承いただきたいと思うのであります。  さて、本論に入りますが、率直に申して、私たちは、この三十三年度予算案にきわめて強い不満を持っています。不満と申しますよりは、むしろ憤りと申しました方がより適切であるかもしれません。  私たちは、かねてから、早期解散を行なって、現内閣は信を国民に問うべきであると、強く希望いたして参りましたが、いまだにこれが実現いたしておりません。そうして政府が最近における解散をいたさない理由としてあげていることは、かねがね岸総理大臣が言明いたしておられましたように、国民生活のために、予算を通すことが最も緊急の仕事だということであります。ところが、その国民生活のためになるべきはずの予算案を見て参りますと、全く期待を裏切られてしまいました。こんなことになるならば、国民生活のためという理由は迷惑なことである。むしろよりりっぱな予算を作ってもらうためには、早く解散をしてもらった方がよい。一ヵ月や二ヵ月暫定予算でも私たちはかまわないとさえ思えるのであります。以下、その理由について申し上げたいと思います。  言うまでもなく、私は、予算というものは、国の内外の情勢が正しく分析され、日本の国民が何を要望しているかということが的確に把握され、その基礎の上に立って、日本国民の要望する日本の独立、平和、国民生活の安定向上という道が差し示されるという具体的な裏づけとなるものでなければならないと確信をいたします。この点、この予算はきわめて逆な方向を差し示していると言わざるを得ません。  まず第一に、依然として防衛費がきわめて多額に計上され、このために民生安定費が非常に少いということであります。また、防衛関係費については、それが単にしわ寄せを民生安定費に寄せているということだけでなく、国際情勢の正確な検討が果して政府になされていたかということを疑わざるを得ません。こまかい数字をあげて防衛問題について言及することは、またしかるべき専門家によってなされることと思いますが、私は、ICBMや人工衛星の出現した今日、果して陸上自衛隊を一万名ふやすというようなことを根幹とする防衛関係費の増額がどれだけの意義を持っているかということについては、全く疑問であると断ぜざるを得ません。これは、国民生活を圧迫するのみならず、いたずらに近隣のアジア諸国を刺激し、むしろ国際関係を緊張させ、国民の平和への願望に逆行する結果となっていると言わなければならないと思います。もちろん、私の非難したいことは、単にこの防衛関係費の千四百六十一億円、すなわち前年度に比べて五十億円ふえ、予算総額に占める割合が一一%にも達しているという防衛関係費だけではありません。予算編成に当って、その利己主義的な態度で、最も国民の非難を浴びた恩給費や、昨年の神武景気のときにまさるとも劣らぬ巨額の財政投融資計画、あるいは税金の取り過ぎともいうべき自然増収分を減税によって国民に返すということをしないやり口などに対しましても、まことに名状することのできない不満を持つものであります。一つ一つあげることは、ここでは避けたいと思います。  このように、この予算案は、「財政金融事情」の一月二十七日号がいっていますように、この予算案全体としては、昨年九月ごろに予想されたきびしい予算の姿とは打って変った膨張財政となり、その内容は、特殊生産部門を中心とする大企業には積極、保守政党の選挙地盤と結びついたプレッシュアー・グループに放漫という、特徴的な性格を持っているものでありますから、一般国民に対しては、きわめて緊縮、耐乏を要求する悪い予算案となっています。私たちは、きわめて薄情な取扱いしか受けていない社会保障費を初め、労働、農業、中小企業、住宅、文教、科学技術、貿易、地方財政等の関係費すべてに対して非常な関心を払い、同時に不満を表明いたしたいと思うものであります。これも、時間の関係もありまして、ここでは特に私の立場上、社会保障関係しつつ、労働関係費について意見を述べてみたいと思います。  三十三年度の労働省所管予算総額は三百八十八億五千五百万円で、前年度三百三十五億五千万円に対し約五十三億円増となっています。増となったおもな項目は、失業対策費と失業保険負担金くらいなもので、他はほとんど前年度並みもしくは多少の増減がある程度で岸内閣が労働政策を重点対策の一つとして取り上げたにいたしましては、いささか宣伝倒れの感を免れません。  このうち最も大きいものは失業対策費でありますが、これは、総額二百十億四千八百万円で、前年度に比べ四十八億円増ということになっています。この四十八億円の内容は、一般失対関係が二十二億八千五百万円、失業保険関係が二十三億千九百万円、政府職員退職金一億六百万円となっています。これを見てもわかる通り、特失、臨就関係は昨年並み、わずかに一般失対だけが二万五千人分だけ増加したにすぎません。一体この程度増額では、ことしの六月までに約七万人の首切りが予想される駐留軍労務者のことだけのみを考えても、全く不十分なものと言わざるを得ません。ましてや、現在不況ということを口実にした経営者の首切り策は、非常な勢いで進められつつあり、その数は膨大なものになると予想されています。これらの人に対していかなる策を政府考えているものでありましょうか。労働省の予算要求でも、三十万人を吸収人員としていきたいと言っています。また、就労日数も、二十一日から二十五日、また、ベース・アップも、普通事業の現行三百六円を三百十六円に、選定事業は三百三十九円という要求を労働省は行なっていたと聞いていますが、すべて大蔵省によって一蹴され、現行通りになっているわけであります。私は、このようなあり方は、全く矛盾に満ちたものだと考えます。  岸首相は、三悪追放を大きく公約しその中で、貧乏をなくすと言っておりますが、一体一日三百円程度で、しかも、就労日数が二十一日、これで人間並みの生活ができるとでも考えているものでありましょうか。また、二十五万人くらいの予算の吸収人員では、この程度の収入さえ確保できない人が多数残るということは、あまりにも明らかなことではありませんか。現在の完全失業者は、この一月急激に増加し、約十万一挙にふえまして、五十五万と政府統計でも発表しています。しかし、問題はこれだけではなく、不安定な職についている人は、約一千万人近くはいるだろうということを多くの人々が指摘しています。衆議院の二月十四日の予算委員会において、政府の大島説明員は、みずからが答えているところをみても、「現実に求職活動——安定所に参りますとか、あるいは新聞広告をいたしますとか、そういう求職活動をいたしております者の数を調べたことがございますが、これによりますと、大体二百数十万という数字が出ております。」ということになっています。石田労働大臣は、公共企業体労働者のスト権については、憲法は労働基本権を認めているが、一方それは、公共の福祉に反しない限りという制約を憲法はつけているからと、一方的な解釈を強調しておられますけれども、同じ憲法には、健康で文化的な最低限度の生活を行う権利をも国民は持っていて、政府はその責任があることを規定しているものでありますから、石田労働大臣自身が言っておられますように、憲法全体の精神をよくつかんで、予算に対する考え方を徹底してもらわなければ、国民は全く困ると思います。不完全失業者約一千万人がこの狭い国土の中にひしめいている現状の中で、さしたる雇用政策も持ち合せず、口に完全雇用を唱えるだけで、失業対策の現状がこの通りということになれば、操短の深刻化ともからんで、どのような社会問題に発展するか、けだし憂慮にたえないものがあると思います。  結局この失業対策は、単に失対吸収人員が二万五千名ふえただけで、今日の失業状態、さらに今後の失業発生に対する見通しも全く無視したもので、失業者救済の方法をもっぱら失業保険に肩がわりしていくという無責任きわまるものであると言わなければなりません。この点について、本年一月二十一日の朝日新聞は、皮肉な見方をすれば、今度の予算案に現われた限り、岸首相の貧乏追放政策とは、さしずめ失業者や生活保護を受ける貧乏人がふえるので、それにわずかばかりの手当を加えるという救貧の意味とも受け取れないことはないといっていますが、まことに当を得た批判であると思います。  次に私が指摘したいことは、大蔵省所管として計上されている日本労働協会設置費十五億円についてであります。私は、一言でいえば、民主的でかつ公正な労働教育の指導に当ったり、そういう労働組合の育成強化に当ったりするという建前のこの協会を設置することに、国民の税金のうちから十五億円を使うことに反対するものであります。労働組合に対して、公正とか民主的とかいう名前で、今まで実に多くの圧迫が行われて参ったことは事実であります。私たちは、そのつどこれに反撥し、労使対等の正常な労働慣行を作ることに鋭意努めて参りましたけれども、いつもこれに水をかけ、不当な労使関係を無理じいに強制され、また根本的な理由は、政府の権力介入があったからであります。石田労働大臣は、総評を批判し、全労を支持すると声明いたしました。私は、石田労働大臣のこの発言が、労働者にどういうふうに受け取られたかについて語るつもりはありません。しかしながら、石田労働大臣が組織労働者の圧倒的多数を擁している総評を批判し、少数の全労を支持しているということは、労働者の意向を正常に考慮しなければならない労働省の担当大臣としては、非民主的なあり方だと思うのであります。衆議院の二月十四日の予算委員会でも、自民党の小川予算委員は、亀井政府委員の労働協会の説明、答弁に対して、「お役人の常として、そういう工合にお答えしなければならぬだろうと思いますが、要するに総評よりも全労の方が公正にして民主的な労働組合である、ああいうふうに持っていきたいという、おそらく腹の中はあるだろうと思うのですが、しかしそれはしいて私は追及いたしません。」と、はっきり割り切っています。つまりこれが労働協会の意図する方向であることは、明らかなことであろうと思います。私は、第三者であるべき政府が、このように組織労働者の多数を無視し、自分に都合のよい方向にのみ、権力によって労働組合を導こうというやり方に対しましては、一切反対せざるを得ません。ほんとうに公正にして民主的な労働組合運動の発展は、何ものにも介入されない労働者自身の総意だけに期待し得るものでありますから、多数の労働者の意向を無視して、このようなものだけに十五億円も計上することには、根本から反対せざるを得ません。  次に、職業訓練費についても、大々的に職業訓練の必要を宣伝し、大いに乗出す格好は、いやというほど今まで示されて参りました。このための法案さえ提出されてあるほどでありますけれども、それの予算措置になると、一般会計で五億六千七百万円で、前年に比べて、わずかに五千七百二十一万円増にとどまつています。最近における職業補導所の絶対的不足、その内容の貧困という現状を考えるとき、一体これで何ができると、寒心にたえないものがあります。予算措置はこのように貧困きわまるものですが、職業訓練法だけは着実に提出して、職業訓練を政府の統制下に置こうという意図を示しています。すなわち、従来の労働基準法では、技能者の養成に際して行政官庁が発する命令は、技能者養成審議会に諮問して発せられなければならないとされ、その技能者養成審議会の委員は、労働者、使用者、公益各同数の三者構成たることが定められていますけれども、今度の職業訓練法は、こうした制度及びその中を貫く民主主義の精神は、一切無視されているように思います。名前だけの中央及び地方の職業訓練審議会がありますけれども、これは、単なる調査審議の機関にすぎず、しかも、一方的に労働大臣が、役人や学識経験者の中から委員を任命することとなっています。職業訓練に対しましては、必要な予算措置をとらず、このような法律だけを強行していくことには賛同いたしかねるところであります。  次に、駐留軍離職者対策費は、現下の雇用、失業の問題中最も関心のあることでありますけれども、この予算措置は、全くお話になりません。わずかに五百十六万円ですが、七万人に上るという離職者に対して、これで一体どうするつもりでありましようか。私自身が委員をいたしております雇用審議会でも、特にこの駐留軍離職者の問題については、問題の性質上、政府の直接的な責任がきわめて大きいということが強調され、従って、他の民間失業者と同日に論ずべきでないという趣旨の答弁がなされたはずであります。この答申はもちろん、政府自身が閣議決定した駐留軍離職者対策でさえも、一顧も与えず踏みにじってしまったことは、国民を欺瞞するもはなはだしいと言わなければなりません。  さらに、最低賃金制度実施費については、最低賃金審議会費、実態調査費として一千万円を認めただけであります。当初の労働省の要求は、二億三千万円であったのでありますが、それが実に二十三分の一に削られてしまつています。石田労働大臣は、日本の全般的低賃金構造には口を減し、口を開けば、大企業労働者と中小企業労働者の賃金格差を、すなわち大企業労働者は中小企業労働者に比べて賃金が高過ぎる、中小企業労働者はかわいそうだと強調していますが、このために、最低賃金制がどうしても必要だと、盛んに宣伝しておるところであります。低賃金にあえぐ中小企業労働者の反感を大企業労働者に向けようと、努力いたしておると思いますけれども、その真意のほどは、この予算措置にはっきりと現われているものと指摘いたしたいと思います。中小企業労働者のためと石田労働大臣が称する最低賃金法は、実は最高賃金を決定するものであることになる。この点は、ここで詳しくは私は触れませんけれども、いずれにいたしましても、最低賃金制度実施費が二十三分の一に削られ、わずか一千万円しか計上されていないという実態の中には、最低賃金制実施については、実は何らの誠意もないという政府の真意がはっきり表明されているものだ、と断定して差しつかえないものだと思います。  以上、三十三年度予算で特に労働省が重点として取り上げた施策について考えましたけれども、重点施策がこの通りでありますから、他は推して知るべきであります。婦人年少者保護対策費の約一億一千万円を初め、労働基準監督行政運営改善費、港湾労働者対策費、新規労働力雇用対策費、身体障害者等職業援護対策費等、全く見るべきものがありません。これを要するに、石田労働大臣は、今日の労働省関係予算は、大幅に増額され、きわめて満足すべきものである、と断ずる新聞談話を発表いたしておりますけれども、実態としては、労働省の失業対策事業費四百九十五億五千七百万円の要求額が、半分以下の二百十億四千八百万円に削減されたのを初めといたしまして、労働省が労働者のために最も力を入れなければならない問題の予算措置がすべてなおざりにされ、一方、労働協会法案等の提案を試みている、労働者敵視、労働組合弾圧、分裂政策のいわゆる岸内閣の労働政策、石田労政と表裏一体の関係のある貧困予算である、と言わなければならないと思うものであります。労働者に寄せられてきた結果が、このような予算を組んだものと言わなければならないものと思います。以上、私の所見を申し述べまして公述を終る次第であります。(拍手)
  25. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) ありがとうございました。  公述人に対して質疑のある方は、御発言を願います。
  26. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 二点について岩井さんにお伺いいたしたいと思います。  その一つは、ただいま労組に対する分裂政策という言葉がちょっと出たわけですが、よく政府は労使協調というようなことを言われているんですね。私は、政府は労働組合と十分話し合って、お互いに理解の上で物事を進めていくというような形態になれば好ましいと思うんですが、どうも今、分裂政策という言葉を聞いて、私が平素から心配していることが思い出されるわけで、具体的に承わるんですが、石田労政ですね、これは、末端において、労組の分裂のために、労組を健全に育成するというのでなしに、労組にくさびを打ち込んで自己の労働政策を推し進めよう、というような傾向は見えていないかどうかということですね。どうして私こういうことを伺うかというと、実は私は総括質問にもちょっと質問したんですが、詳しいことは分科会で質疑するように保留しているんですけれども、政府の報償費を検討したんですがね。この報償費について、大蔵大臣の説明では、高度の機密に属する場合に使う。これは領収証がなくて使うわけですが、たとえば、文部省には報償費はないのに、労働省には三百八十九万二千円という報償費がある。そうして、交際費は、大蔵省並みに労働省は百五十五万六千円あるのですね。それ以外に謝金というのが三百三十二万八千円という予算がある。したがって、私は、この労働省の高度の機密に使う報償費三百八十九万円、さらに交際費、謝金というのはちょっと性格が違うのですが、これらの使途には重大な関心を持っているのですが、これらの金が、労組が一致団結して健全に日本の労働組合が発展するようにという立場でなくて、やはりくさびをこの金で打ち込んで石田労政を進めようということが、末端に暗に現れているのじゃないかと心配しているのですが、どういう情勢か、あなたの感じでよろしゅうございますから、率直にお答え願いたい、それが一つ。  それからもう一点は、西ドイツがよく復興したと言われますが、私も三年ほど前西ドイツへ行っていろいろ聞いた場合に、西独の政府当局並びに資本家も、西独の経済が復興するまでは、たとえば、株主は株主配当を遠慮した、生産設備の改善近代化と、労働者の労働条件がよくなるように努力して、株主が株主配当も遠慮した。そうしてある程度経済が復興した後に株主も若干の株主配当を受けるようになったし、その段階に達するまでは、労働者も、資本家がそういう立場であるから協力して、復興すると同時に猛烈なる賃金引き上げを要求していった。それが西独の経済の比較的興隆の一つの大きな要素になっているということを聞いて、私は、なるほどうまいなあという感じがしたわけなんです。そこで、私は、翻ってわが国の状況を見るときに、末端では日本の労働者はどういう感じを持っているかということを聞くわけです。それは、ともかく、憲法を初め各法律を解釈運用する場合に、最近政府は非常に自分の都合のいい面だけを、百パーセントあるいはこれを拡大解釈して法の運用をやって、その場合には権力を使う。そうして都合の悪いのは法を七十パーセント、ひどい場合には五十パーセントも施行しないところがある。そうしてたとえば最近陳情行動というものについても、直ちに警察権を必要以上にも発動してすぐ検束とか何とか弾圧行動に出る。こういう状況を私は一、二聞いているわけですが、全国的にどういう状況か、それがあなた方にどういうふうに入っておるか。私は、これが非常に激化して参ると、非常に悲しいことですけれども、国家権力を背景とする政府と、日本の六百万有余の労働者が、血みどろの対決をするというようなことが招来されると事重大だと思いますので、そういう点で末端にはどういうふうに現われて、日本の労働者はどういう感じでいるかということを、あなたの知っている範囲内で率直にお教えおき願いたいと思います。  以上であります。
  27. 岩井章

    公述人(岩井章君) 労働省の予算の中の機密費的なものがどう使われるか、具体的には私も知りません。しかし、少くとも私が先ほど、従来の内閣に見られない今度の内閣の中の労働行政、それを規定づけるものとして極端な分裂政策をやり過ぎているのじゃないか。こういうことを申し上げたのは、二つの意味があります。一つは、従来の内閣でも、従来の政府でも、時によれば国家権力が組合運動に介入をしてきたことはありますけれども、今度の内閣ほど全国至るところに、また問題の大小にかかわらず、ちょっとしたことに国家権力が直接介入するという性格を持っている内閣というものは、歴代の内閣でも今度の内閣が初めてではないか。つまり、弾圧と申し上げやした一つの点がそこにあるわけであります。  それからもう一つの点は、これはむしろ職場に向けて今の労働行政が手を打っていることでありますが、たとえば、昇給問題というようなことにそのことが非常に強く現われています。ちょうど今神風タクシーで能率給の問題と固定給の問題がかなり大きく論議されていますけれども、それと同じような問題が労働者の昇給という問題に現われて参りました。私は二つの例をここで申し上げるのですが、一つは国鉄労働者の場合、一つは教育労働者の場合。国鉄労働者の場合に、ほかの国家公務員あるいは公共企業体職員と違った昇給の形態をとっているのでありますが、それは、御存じの通り例の九〇%昇給というのがやはりこの予算の中に含まれているわけであります。九〇%昇給というのは、世間ではよく仕事をしない人としている者を区別つけるのは当り前ではないか、こういうことを世間というか、新聞なんかでもよく書かれるし、えてして常識的にそういうことを言われがちなんです。ところが実際に仕事をしている、いないということをどういうところで区別つけるか、これはなかなかむずかしいことですけれども、実際には組合と経営者当局とが、たとえば破廉恥罪を犯したような労働者については、これは昇給の時期がきていても、最初から昇給をしなくてよろしい、というふうに労働協約の中で結んでおる。そうすると、そういう人を除いて、普通でいうならばまじめな、まあ大して腕はよくなくてもまじめに働いておるような部分を含めて、あとは当然私は全員時期がくれば上げるということが普通だろうと思うのです。ところがそのあとの部分について十人のうち一人を昇給から落す、これはどういうことをねらっているかというと、私は今、首ですが、鉄道に二十年も勤めた者でありますが、やはり直接の職制、現場長、そういう人たちに忠実な者だけが、当時ボーナスは五十二、三円でありましたけれども、一円違うとか、三円違うとかいうことをやったのであります。今は組合の力がまだそこまで落ちぶれておりませんから、そこまではいっておりませんけれども、ねらいとしては私はやはり職制に忠実な者を仕上げていこう、こういう考え方がこの昇給制度の問題に現われた。  それから愛媛県の教師の場合にも問題の性質は全く同じだと思います。結局ABCDのランクをつけるということは、教育上についてもおもしろくないことであります。しかしながら、教育上の問題のみならず、結局は昇給において差別をつけるということは、最後には文部省の方針に忠実な教師を養成することになる。時の政府の方針に忠実な教育者だけを昇給させていくというような道を開くやり方じゃないか。私は教育問題について別に専門家ではありませんけれども、そういうふうな職場の中で一通りまじめに働いている者まで、これは昇給させる、これは昇給させないというふうな区別をつけるということは、私から見るとまことに納得がいかない。そういうやり方をすればするほど、今矢嶋委員からは西ドイツの話がありましたけれども、経営者に対する不信感というものは増大する以外にはない。そうでなくても、大へんどうも言葉が悪くて失敬ですけれども、経営者側の皆さんが比較的お金を持っているとすぐおめかけを作ったり、そういうふうな個人的な不信感がある際に、そういうべらぼうな職場の中の区別をつけるようなことをするから、一そう経営者、労働者の間の不信感というものが増大するだけじゃないか。だからもちろん能率を上げてよく働かしたいということは、私は経営者の立場からいえばあると思う。しかしそれはやはりやる方法なりやる時期というものについて、もっと慎重に考えなければいかぬのじゃないか。権力的に区別を労働者の中に強引に押しつけようというところに、私は少し無理があるんじゃないかという感じがいたしているところです。  西ドイツの話がありましたが、私もそう外国の事情に詳しいわけではありませんが、私どもが西ドイツの問題について一つのデマで非常にいつも苦々しく思うことは、西ドイツの繁栄というものは、労働者のストライキがないために繁栄したのだということが日本では非常に行きわたっておるのです。ところが私どもが国際自由労連の西ドイツの組織の方からいろいろ情報を聞いておる限りは、実際はそんなことは少しもない。もちろんある程度、賃金が日本の数倍ぐらいいっていますから、ストライキの数は決して多くはないでしょうけれども、やはりストライキをやれば根本的な大きな闘争に発展しているというような事情は、われわれが知っているところなんです。だから今御意見としてもっと違うところに問題があるんじゃないかというお話でありましたけれども、詳しいことは、私にもわかりませんけれども、その問題一つだけは私は日ごろ何かの機会に委員各位の御了承をいただきたいと思っていたところですから、その点だけ私の考え方、見方としてお答えをしておきたいと思います。
  28. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 今お話を承わりまして、御意見はよくわかりました。で、私がまず聞きたいことは、あなたが不満どころではない、怒りを感ずるという、その怒りを消すためにどれだけの金額があったらできるのでしょう、総額で。
  29. 岩井章

    公述人(岩井章君) 一つの例として最低賃金制の問題についてお答えをしたいのです。
  30. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 いやちょっとあなた不満をたくさん述べられたけれども、それを一々消していくというと国家予算の規模はどのくらいになるのかと聞いている。
  31. 岩井章

    公述人(岩井章君) だから今それをお答えするわけです。今労働者の中で一番問題にしておることは、また国今議員各位でも知っていただきたいと思いますことは、同じ労働者の中でも下積みの労働者をどうするかということが、何といっても一番の問題なんです。私が、ほかにも一ぱい課題がありましたけれども、きょう委員各位に申し上げたのは主としてその部分を申し上げたわけです。その部分というのは概算すると、先ほども公述いたしましたように約一千万人が労働者の中でも下積みの連中です。そうしてその連中はどういう仕事に従事しておるかというと、もちろん失業者は仕事を持っておりませんが、失業者、それから中小企業に働く労働者、それからこれは国家公務員の中にもいますし、民間にもいますところの臨時労働者、こういう層が約一千万人の層になるわけであります。賃金はどのくらい取っておるかというと、月収八千円以下の部分が、この一千万人の中で約六百万人というものは月収八千円以下の生活をしておるわけです。そこで私たちは御存じの通り、最低賃金制というものによって、今私が述べた不満の多くの部分の解決をするわけであります。その最低賃金制というものが、今度出された政府のやつは私は残念ながら最低賃金制だとは思っておりませんが、その最低賃金制をかりに八千円というものにすれば一年にどのくらい要るかというと、概算九百億必要であります。これを暫定的に、六千円のところまで、現状三千円、四千円クラスの人を上げるためには年額約六百億必要であります。これをどうするかというところまでは、御質問になりませんから、お答えの限りではないと思いますけれども、私は今の条件の中でこれを直ちにひねり出すことは決して楽だとは思っておりません。しかし同時に私たちが主張いたしておることは、今の政府予算の全体のあり方の中にも、企業特に中小企業でありますけれども、企業が支払い能力をつけられるような予算というものを組んでいただきたかった。それは政府のお話を聞いておると、中小企業対策費というものをかなり宣伝いたしますけれども、この予算の中に示されておるものは、私は必ずしも中小企業にまだ力を与えるほどの予算案の内容だとは思われません。だから私たち労働者は中小企業に力を与える、そういう努力をしていただくと同時に、片方で最低賃金制全体が施行でき得るような方法というものをとっていただきたい。もちろん私は、直ちにこの六百億なり九百億というものをひねり出すことができるならば、もちろん直ちにそうしていただきたいのでありますけれども、これはなかなか御異論もあると思うので、とにかく今現実的に進めようとしておることは、この二つのことを今度の国会にもまた次の国会にもお願いしていこう、かように思っておるわけであります。
  32. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 今のお話は失業者だけのことで、あなたそのほかに不満をたくさん述べられておる。その不満の全部をなくす、怒りをなくすためには国家予算総額はどのくらいと見積っておるかと聞いておるのです。
  33. 岩井章

    公述人(岩井章君) だからそれを今お答えしたのですけれども、不満の大部分というものは下積みの連中の生活を人並みの生活にしてもらいたい。ここに不満の大部分がある。あとは、労働運動をやっておるときに、国家権力が直接乗り出してこないというようなことは、費用はかからない、むしろおまわりさんは動かない方が、大へんどうも失敬なことを申しますけれども、費用は私はかからないと思うのです。だからお話のことはよくわかるのですけれども、大部分の不満を金で換算すれば、今私が言いましたように、最低賃金制を大きな部分とすれば、六百億か九百億というものが考えられる。私は、その裏の御質問として、おそらく予算規模全体というお話があるのだろうと思うけれども、詳しいことは私にはわかりませんけれども、この予算全体の中で、できるだけインフレ的な要素というものにさせずに、そういう下の部分を満足さしていくという方向ぐらいは、私は打ち出すことは決してできないことはない、かように考えているわけです。
  34. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 そのお話を承わるというと、最低賃金制にしぼられておる。そのほかの不満は、一応不満は述べたけれども、手当はしなくてもよろしい、こういうことなんですね。(笑声)そうでしょう。
  35. 岩井章

    公述人(岩井章君) やりとりになってどうも恐縮ですけれども、そのその他の不満というのは、むしろ労働行政のあり方とか、そういうところに実はあるのですね。だから、私は費用はむしろかからないというふうに先ほどから言っているのです。
  36. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 それはおかしいですよ。中小企業に対して政府はいろいろやっているけれども、あんなものじゃどうにもならないというならば、中小企業が成り立つようにするためには、もうあと幾らふやしたらいいか、こういうお伺いをしたい。
  37. 岩井章

    公述人(岩井章君) それは、私、率直に言って専門家でないから、そういうことはなかなかわかりませんけれども、少くとも私は、中小企業問題にとって一番不満に思っておることは、税制なり金融のあり方を、もっと大企業と対等にするということが、少くとも必要だと思います。そういうことは、私は大して国全体の予算の中から出費しなくても、できることじゃないかと思うのですが、これは、専門家じゃないから、あまり詳しく申し上げられません。(「議事進行について」と呼ぶ者あり)
  38. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 それがわからないでそういうことを要求されても、大蔵省は国全体のことを考えているのですから、やはり切るということは当然ございます。それから余ったお金は減税にしろと、私も賛成です。賛成ですけれども、そういうことは私も考えておりますが、取り過ぎたものは国民に返すということは当然ですけれども、その返し方が悪いと、ただでさえ消費性向の強い今、物価が上って輸出はとまる。(「討論をしておるのか」と呼ぶ者あり)そうして労働者も困る、一般国民も困るということになるので、そこのところを、あなたはどういうふうに——税制改革していこうとしていないから満足しないのですか。
  39. 岩井章

    公述人(岩井章君) 税制の問題にしぼってのお話なんですけれども、税制の中で、これはまあ委員各位御存じだと思うのですけれども、一番重いのは勤労所得税だということは明確です。その勤労所得税の中に、実は今度の取り過ぎた自然増収分の大部分は、私はあると思うのです。もちろん法人税の方からも自然増収分というものはありますけれども、私は、何といっても勤労所得税を重点的に減らしていただきたい。御存じでしょうが、昭和十年、九年くらいには、国税として勤労所得税を納めていた人はおそらく七、八十万以下の数字だと思うのです。今日では、昨年たしか国会で所得税の改正をやりましたけれども、依然として、私は、納めている層は一千百万くらいの数字だろうと思うのです、正確に覚えておりませんが。こういうふうに末広がりといいますか、税金を取る対象をうんと広げているというところに、私は、どうしても問題を感ずるわけです。だから、税制の改革の方向としては、ぜひとも下の部分の方をできるだけ、言うならば、免税点の引き上げということでありましょうか、そういう部分に力を入れてやっていただきたい。それから、そのことが同時に消費傾向を強めやせぬかというお話ですが、これは私は、言うまでもなく学者じゃありませんから、正確なことはわかりませんけれども、私たちが今各工場の在庫の状況などを見れば、この際、かえって若干の消費力を与えることの方が必要なのじゃないか、こういう感じを持つわけです。これはしかし、皆さん方の方がむしろ専門家だから、私はこれ以上のことは言いませんけれども、だから、もちろんインフレになることは私は決して望んでいるものでもありませんが、今のところ、何せもっと労働者仲間でも一番下のところのことを、この国会が重点的に取り上げていただきたい。その意味においては最賃もあるだろうし、今御指摘になりました税金のこともあるでありましょうし、そういうことに深い御配慮をいただきたい、かように私はお願いをするわけです。
  40. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 議事進行について。  私は、申し上げるまでもなく公聴会というのは、御迷惑ながらも公述人の方に国会においで願って、そうしてその御意見を承わる機会で、その不明な点だけ述べられ、狭い範囲内でお伺いするわけで、その公述人意見がいいか悪いかということは、お互いが判断すべきことで、質疑に限度があると思う。決して討論の場でないのですから、政府委員でもないのですから、だから委員長初めお互いは、この公聴会の運営については、誤まりなきを期さなければならぬ、かように私は思いますので、(苫米地英俊君「僕は討論はしておりません」と述ぶ)発言中、発言中。(「興奮しないでください」と呼ぶ者あり、苫米地英俊君「討論はしておりません」と述ぶ)お互いに(「落着いて下さい」と呼ぶ者あり)質疑にも限度があると思うのです。だから、常識をもって誤まりのないような運営をしていただくように、委員長に要請いたします。
  41. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) 委員長から申し上げます。  矢嶋委員の発言につきましては、よく了承しました。つきましては、お諮り申し上げますが、岩井公述人は実は三時までと、要件があるので、お約束しておりましたので、これで御退席をお願いしたいと思います。——まだございますか。
  42. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 私は討論しておらないのですよ。内容的な話をしているのです。
  43. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) 委員長から申し上げます。私は討論をしているとは申し上げておりません。ただ、矢嶋君の言われたような気持で一つお願いします、時間がございませんので。
  44. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 基本的な質問をしておかないと……。
  45. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) まだ発言をしておりません。発言をする場合は一つしてください。発言はまだ許しておりませんから。発言をしておりませんから、発言を求めてからしてください。
  46. 苫米地英俊

    苫米地英俊君 だから、私が発言を継続しておるのに、切って言ったでしょう。発言中に議事進行というのはありませんよ。発言が済んだところで議事進行は……。
  47. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) 苫米地君に申し上げます。私は苫米地君の発言中に矢嶋君の発言を許したのではございません。岩井君の答弁を終りましてから、矢嶋君に発言を許しました。(笑声)  加賀山君、簡単にお願いします。
  48. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 岩井さんに伺いたいのだけれども、あなたの書かれたものはときどき拝見しているのですが、私どうしても納得できないので、直接事情を伺いたいと思うのです。  それは、生産性向上についてお伺いしたい。総評がかねて非常なまっこうから無条件に反対しているということについて、あなたのお考えを簡単でいいのですが、これは形式的なお言葉を私は伺わないので、一つ腹からあなたのお気持をお伺いします。
  49. 岩井章

    公述人(岩井章君) これは、簡単に言うのですけれども、なかなかむずかしいのですが、総評の掲げている方針は、労働者に実害があるかないかということを、やはり一番重点として見ているわけです。それで、運動方針ですから、当然、なぜ実害が起きているかというようなことは、戦後の分析はもちろんあるわけですけれども、一番生産性それ自体についてずばり答えれば、実害があるから反対をする、こういうふうに御理解いただいていいと思います。そうすると、しばしば私なんかやりとりされるところですけれども、実害がないやつがあるかということになるのです。しかし私は、今の日本の実際進めている姿を見れば、やはり労働者に実害を与える方向をとっている。とっているという抽象論よりは、現実は、やはり相当労働強化を与えたり、あるいは人間の数を減らしたり、そういう面で実害というものがある、こういうふうに考えるわけです。だからよく世間で、資本主義、社会主義という角度から総評は反対しているだろうというふうに、よく新聞なんかが書きますけれども、それは私は、ほめ過ぎだということを言うのです。だから今総評の、総評というよりは総評に集まる労働者階級全体が、社会主義になったら実害があつてもいいし、資本主義のうちは実害があっちゃいかぬというふうに、イデオロギー的にそうすっぱり全員がみんな理解しているのじゃない。現実起きている事態が、実害があるかどうかというこの角度から見て、実害がある、やはり実害があるということになると、もちろん資本主義社会というものについてまでの批判に及びますけれども、労働運動ですから、その角度からやはり態度をきめている。こういうふうにお答えを申し上げることができると思います。
  50. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 実害、実益——利益も僕は出てくると思うのだが、そういうことはもちろん比較考量されて、実害の方が多いと、こういう見地に立っておられると、こういうふうに解釈してよろしゅうございますか。
  51. 岩井章

    公述人(岩井章君) それは生産性本部といいますか、実際やっている運動の中に、いろいろ変遷があつて、われわれとしても捕捉しがたいところがずいぶんありますが、生産性本部というのが、三年か四年ほど前に発足した際には、三つの原則というものを、平等に三つに分けるのだ、労働者国民、経営、そういう形であったやつが、私たちの理解に間違いがなければ、ここ一、二年は、一、二年というよりは一年くらいのうちに、変化の起きていることだと思うのですが、日本の経営者の大部分の意向は、生産性は上っても賃金は上げないという態度に変っている。こういうふうに見るわけです。だから、昨年十一月でしたか、日本経営者団体連盟の総会の決議文を見ても、それからたしか生産性本部と日経連と社会党政審のやりとりなんかを見ても、だんだんもうけはもうけるけれども、労働者には賃上げは回さないという方向に変っている。こういうふうに、発足した以後の何といいましょうか、変化というものを見るわけです。だから、現実よく賃上げを私たちが要求をすると、生産性の上った分全部を君たちにやるわけにはいかないというふうに答えがなされるのです。しかし私たち総評は、上ったもの全部をよこせというようなことを言ったことはない。現に今、春の賃上げをやっておるところですけれども、私の理解に間違いがなければ、ここ半年くらいのうちに生産性も二〇%は上っていると思う。それにもかかわらず、賃金の方はゼロ、こういう回答は御存じの通りなんです。だからそこに、どうしても労働者が、経営者側の皆さんが一応方針として示しているものと現実と違うじゃないか、片方どんどん繰短による首切りが行われ、特に繊維なんかはこういう皮肉が現場に起きている。生産性を上げれば上げるほど、われわれが首になるのじゃないか。つまりこれは、現象だけの問題としても、生産性を上げれば上げるほど繰業短縮、従って一時帰休というふうなことが生まれてくる。こういうことが、今下部の方では深刻なやはり不満として出ている。こういう実情じゃないかと思います。
  52. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) ありがとうございました。   —————————————
  53. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) それでは次に、東京大学教授川野重任君にお願いします。
  54. 川野重任

    公述人(川野重任君) 御紹介にあずかりました川野ですが、農業問題について意見を述べろということでございます。  二点ほどお断りしておきたいと思いますが、第一に、私が利害関係者ではございませんので、あまりこまかい議論はできないかと思いますが、その点を一つ御了承願いたい。第二には、すでに組まれた予算について意見を述べろということでありますると、勢い消極的な形でしか意見が述べられない。積極的にかくあるべしという提案がなされにくい、この点をなすについては、多くの専門的な検討を必要とするということから、私にその準備がない、こういう二点でございます。  まず、全体の印象から申しますると、本年度予算につきましては、経済成長に恵まれ、自然的な災害がないということに恵まれまして、その財政上の余裕を、どちらかと申しますると、社会安定あるいは経済安定と申しますか、という面に力を注ぎ、積極的な経済成長という点については、必ずしも強くその主張を打ち出してはいないのではないかというような感じがいたします。従いまして、これを逆に言いますると、もしあとで、私申し上げまするような観点からいたしまして、その必要性があるということになるとすれば、もっと経済成長の面に力を尽し得る余地もあるのではないか、これは感想でございますが、最初に申し上げておきます。  第二に、農業につきましては、全体といたしましては予算ワクが非常にふえておるということが一般に言われておりまするし、また、中身につきましては、たとえば農業生産性の基盤の拡充あるいは畑作の振興あるいは畜産の振興、こういう諸点等が重点的に打ち出されて、それぞれ予算措置が講じられております。この方向につきましても、私は別に異論を申し立てる筋はない、大いに賛成でございます。特に一の農業生産基盤の拡充につきましては、主として重点的に特定の地区に対する灌漑排水あるいは開拓の遂行、こういった方の措置がなされておりますが、これは、その結果が全体としての食糧の自給の強化になるという点において、また第二には、これを通じて進歩した技術が取り入れられるという点において、賛成でございます。特にこれにつきましては、かなり短期に、集中的にこれを実行しようという御計画のようでありますが、これは従来、ともすると事業が継続的になされないという結果、一夜にして数百万の耕地が水に洗い流されるという事態もしばしばあったのでありますが、こういうことがないことを期待いたしまして、この趣旨には賛成でございます。それから第二に、畜産の振興につきましては、特にマーケットの拡大という点についてあるいは学童給食用の牛乳もしくはバターに対する政府補助という措置が講ぜられておりますが、これも、これから伸びていこうという畜産という産業にとりましては、一種の誘い水として大いにけっこうなことだと思いますが、同時にこれは、あるいは厚生省あるいは文部省の所管になるかと思いまするけれども、これが暫定的な市場拡大という措置でなしに、もっと恒久的な対策としてこれを考えてしかるべきものではないかというふうに考えるのであります。  それから第三に、特別会計といたしましては、食管会計の中身の分離ということをやっておりますが、これも、それ自体が進歩というよりは、むしろそれによって問題の所在が一そうはっきりし、しかるべき手が打たれるという意味におきまして、改善の前提として、これも私は大いにけっこうなことだと、こういうふうに考えるわけであります。ただし問題は、それによって明らかになった諸点を、どのように措置するかというところに問題が残されておるのではないかというように感ずるのでございます。以上のようにいたしまして全般的には、日本の農業が、国内における需要の伸びというものが、いわゆるエネルギー食糧から保健食糧と申しますか、ビタミンあるいは脂肪、蛋白質というものに重点を置いたいわゆる高級食糧にその需要が変ってきておるということを基礎にして、このような農業の高度化を考えておるという点において、方向として、私は全く異論ないのであります。しかしながら、この予算が全体として何を特に強く打ち出そうとしておるかという点につきましては、私は多少疑念を感ぜざるを得ないのであります。御存じのように、現在の日本の農業問題というのは、これを農産物という点から考えますと、一言で言いますと過剰という形であります。たとえば、今申し上げました食糧管理特別会計の収支の決算にいたしましても、国内麦については国際的に高いというだけでなしに、逆さやだという現象が国内的に現われている。また米につきましては赤字という現象が現われておる。その他の農産物につきましても、たとえば、農産物価格安定法によりまする農産物については、しばしば政府が滞貨を持つという形になっておる。言ってみますれば、現在の価格を前提にする限り、農産物がその需要を見出し得ないという形になっておる。これが実態であります。そこへもってきて、食糧の増産の措置を講ずるということについては、おのずからその問題にこたえるということがなければ、矛盾するという批判を受けてもいたし方ないのではないか。    〔理事剱木亨弘君退席、委員長着席〕  この点に一体どのような解決の方途を見出しておるのであろうか、これが私どもが一番疑問になる点であります。たとえば、八郎潟の干拓によりまして、あるいはその他の大規模灌漑排水によりまして、食糧の増産は私はできると思うのでありますが、そのできたものは、確かに国際収支の改善という点からいたしますると、それは一も二もなく肯定されてしかるべきかと思います。けれども、価格面から考えますると今言ったような問題がある。この問題が一体どうなるのか、ということを伺いたいわけであります。  で、私の感じからいたしますると、結局これは農業の生産性が低いということに尽きるわけでありますが、これをこまかく申しますると、この価格でなければ、つまり現在政府が設定しておるような価格でなければ、農家の従来の所得水準が維持できないというところに基本的な原因がある。その基礎には結局コストが高いということがあるわけであります。そのコストをもっと引き下げる、という合理化措置を講ずることなくしては、問題は解けないのではないか。予算もまさにそこに焦点を置いて組まるべきでないか、また組まれておるであろうということを期待もしておるのでありますが、そういうような感じもいたすのであります。  それでは技術水準の基礎は一体どこにあるか。私は三つほど条件をあげたいのでありますが、第一には、農家で適用されておりまする農業技術の水準が低い。これについては、結局一つは技術研究の陣容がはなはだ薄弱であるということであります。私は驚いたのでありますが、現在澱粉につきましては、三十一年、三十二年に政府が農産物価格安定法によりまして買い入れた数量が、ほとんど全部市場を見出し得ずに政府のかかえ込みとなっておる。約四千万貫と聞いておりますが、その原因はどこにあるのかと申しますと、一つには、やはりこのカンショあるいはバレイショの生産のコストが高いということにその原因がある。しかもこれを当然澱粉として政府が買うわけでありますから、イモは澱粉によって評価されるということであるべきでありますが、実際のイモというのは、あるいは焼イモであったり、あるいは目方ではかるというようなことで、非常に不合理な取引がなされておる。つまり澱粉を対象として、澱粉を本位にしたマーケットというものがまだ確立していない。こういうことでありますが、その結果、イモについての品種改良という点も非常におくれておる。西ドイツ等に比べまして、澱粉の含有率がはなはだしく低いということが指摘されております。それでは一体それに対してどのくらいの技術研究の措置がなされておるか。カンショにつきましては、品種改良に従事している研究員がわずかに全国十人足らず、バレイショにつきましても十人足らず、その研究の事業費がそれぞれ二百万円足らず、こういうことを聞いておるのであります。こういうイモを全国の農地約三十五万町歩というものが生産をやっておる。これは従来の日本の農業というものが、米麦、特に米に中心をおいてこの品種改良を顧みなかったというところに中心的な理由がある。大豆にいたしましても百万トンの輸入をする、これはもっぱら満州の大豆に依存するようになってから、かの地におきましては積極的な技術研究が推進された。日本においてはまったくそれが放置されたと、こういう事態があったかと思いますが、それが今日まで尾を引いておると、こういうふうに考えてよろしいかと思います。そうなりますと、当然この技術そのものを高度に合理化するということが必要になってくるわけでありますが、これはむしろ国家がなすべきことであると思うのであります。  御参考までにアメリカの場合を申し上げておきますが、一般に農業技術の進歩というものは、これはもうあらゆる技術の進歩がそうでありますが、最終的にはすべてこれは生産者でなしに、消費者にその利益が帰する。その程度が特に農産物の場合においては高い。つまり農業技術が一ぺん合理化されますると、それが簡単に一般の農家の間に広がるということから、特定の農家だけがもうけることができない。それによってコストが下れば同時に価格も下る。こういうふうな仕組みになっておりまする関係上、世界各国、あるいは古今を通じまして、時の政治権力というものが、この研究を担当しているわけであります。アメリカにおきまして、その技術研究並びに普及の利益がどういうものであるかということを計算したのでございまするが、一九一〇年から一九五〇年までの間に、年平均、技術研究に対しまして一億ドルの費用を投ずる、普及に対しまして七千五百万ドルの費用を投ずると、こういうことをやっております。そこで一九一〇年当時の技術をもって、一九五〇年の農業生産を上げるとすれば、現実に一九五〇年に必要としたコストより半分くらいよけいかかると、こういう計算をいたしておりまするが、その計算をいたしたところによりますると、見積りのいかんによって違って参りまするけれども、最低九十億ドル、最高百六十億ドルと、こういう経費の節減が技術研究の結果によってなされている、こういう結論を出しております。言いかえますならば、過去四十年間に投じました技術研究の費用、普及のための費用というものが、一年間にして完全に回収されている、こういうことであります。私は、こういうことが今日のアメリカの技術振興をやはりもたらしていると思うわけでありますがそういう観点からいたしまして、いわば置きざりにされた農業技術の研究に、さらに画期的な努力を払うことが必要ではないか、こういうふうに考えるわけであります。  それから第二点でありますが、これは受け取り価格の低さということであります。最近果樹、園芸等に、あるいは畜産に生産を切りかえると、それにしてもその結果が生産地における価格の低落となり、中間のマージンは非常に大きいが、最終消費者の価格は必ずしも下らない。従って生産者におきましても、この転換への刺激に乏しい。こういうことが言われておりまするが、これも私はこの問題は特に考えるべき点ではないかと思うのであります。それというのは、特に生鮮農産物においてそうなんでありますが、どちらかと申しますると、これは従来ぜいたく品という性格が非常に強かった。従いまして集中的に消費されるということが少なかった関係上、勢いその卸、小売の取引も小規模のものにとどまっている場合が非常に多い。しかもそれが地域的な独占性をもっているということから、なかなか合理化されがたい。ミルクその他によって御存じの通りであります。ミルクは毎年一六、七%生産が伸びておりますが、その結果この数年来産地の生産者価格は下がる、けれども消費者価格は下らないどころか、むしろ新しい規格によりまして高いミルクが現われておる。こういう事態になっておりますが、要するにそれは中間の配給組織というものが小規模で合理化されないという点と、もう一つは宣伝等によりまして新しい規格品を作り出すだけの資本力を持っている。この二点がその原因になっている、こういうふうに考えるのであります。これに対しましてはあとで申し上げまするような、たとえば酪農振興基金等に関連しての取引改善の問題もありますが、同時にこれはあるいは運輸省等の所管に属することかと思いますけれども、輸送の手段についてもっと国家が積極的な手を打つことが必要ではないか。北海道のミルクにいたしましても、輸送がきかないというために、大半が加工原料として使われている。その結果もし輸送がきくならば、東京初め大都市におきましては、もっと安いミルクが飲めるという関係になるはずでありますけれども、それがそうならない。これに対しましては、タンカーによるミルクの合理的な輸送というがごときが考えられるべきでありましょうし、さらに肉等につきまして、地方での屠殺された肉がそこなわれずに大都市にどんどん入ってくる、こういう措置等が当然考えらるべきじゃないか。農業が伸びる場合におきましては、やはりその市場機構を合理化しなければいけないし、またそれに対しましては交通、運輸等の政策も変っていかなければならないのじゃないか。道路の拡充が取り上げられておりますが、これはおそらくその面におきましては、はからずしてそれにささえになるような役割を果すかと思いますが、さらに意識して今申しましたような措置が講ぜられるということが必要かと思うのであります。  それからちょっと順序が逆になりましたのですが、先ほどの技術の問題に関連いたしまして、技術普及の点について補足いたしたいと思います。それは新しい予算におきましても、畜産あるいは果樹園芸に重点をおいた、特殊の技能を持った特技普及員という制度を考えたいということで、五百人くらい予定しておるようであります。これは確かにそれとしては私はいいことだと思うのでありますが、他面におきましてこの農業改良資金、つまり生産者が新しい技術を取り入れるについて金融上のささえ、そのささえになる改良資金という制度について、その補助率が切り下げられているという事態が同時に指摘される。これはどうも私は、技術の普及ということを一面においてうたいながら、他面において否定することになるのじゃないか。どういう関係において一面肯定され、他面否定されるのか、これがもっと検討されてしかるべきじゃないかという感じがいたします。さらにいわゆる新農村建設の関係予算にいたしましても、予算の規模がふえておりますけれども、これは単に指定村がふえたということに伴う、いわば自然的な予算の増大ということにすぎない。中身の点におきまして何ら新しいものがないということを注意しなければならないと思います。これは私はかつても注文したことがあるのでございますけれども、農業技術の進歩につきましては、金がないということが基本的な原因じゃない、むしろどういう技術を取り入れたらどういうことになるのだ、それにはどのくらい金がかかるのだ、つまり金を使えばどうなるのだという見通しがないというところに、技術進歩の大きな隘路がある。そういうことからいたしまして、思い切つて一村に何千万円というのでなしに、一億ぐらいのものを使ってそういう実験をやっていく、それによって金を使えばこうなるのだ、従って予算措置さえすればおのずから技術は進歩するのだ、こういう見通しが得られれば、初めて私は農業政策は具体的のものになるのではないか、こういうことを申し上げたわけでありますが、その基調は相変らず当初出発のままの形のようであります。この点も何を目的にするかということについての反省が、さらに必要とされるのではないかと考えるわけであります。  それから流通につきましては、先ほどの問題に加えまして、特に酪農振興基金五億円というものが政府から出され、民間から同じく五億円を出し、十億円で基金を作る。これは酪農農業経営の合理化に資すると同時に、間接にその取引の合理化に資しょうというねらいのようであります。これはだいぶいろいろな関係からいたしまして、各種の論を生んでいるようであります。私はこの措置はむろんけっこうだと思いますけれども、少くとも当初の計画通りにこれを進めていただきたい。ただこれにつきまして、単に金融的措置を通じて間接にその取引の改善を考えるというだけでなしに、もっとこれに直結し、あるいは独立でもよろしいかと思いますが、紛争調停の機能を持つ委員会というものを、今後考えることの必要があるのではないかという感じがするのでございます。これはあえて酪農の場合だけでありませんが、現存の農業の当面する一つの問題は、農業は地域的に固定性を持っている。それからこれから伸びようというものは、果実等を含めまして生鮮食料品という性格を持っている。つまり保存がきかない、地域的に独占的であり、保存がきかないということになりますと、逆にその地域に独占的に乗り込んでいる加工業者というものに、ある場合におきましては、有無を言わせずそれを買い取られるということにもなりかねない、そこに非常な弱さがあるのであります。この点につきましては、言ってみますると、労働者と企業者との関係に似ている点があろうと思うのであります。つまり一定の職場において固定的に結ばれている。けれどもその強さは一方の方が強いものがある。こういう関係からいたしますと、この取引の合理化につきましては、一方がその調停を申し出れば、おのずからそれに対して第三者による調停がなされる、こういうようなシステムを考えることが必要ではないか。むろんこれによりまして、価格が非常に固定化するということについては警戒しなでればいけないと思いますけれども、今までの価格の動きから見ますると、かような措置を講ずることが、いわば今後の農政の基本方向としてどうしても必要ではないか、こういうふうに考えるわけであります。  それから第三点といたしましては、農業の経営の規模が非常に小さすぎるということが大きな原因であります。と言いますのは、大と申しましても十町歩というものはほとんどないくらい、全体としては小さいわけでありますが、だんだん小さくなって三反歩の農家もなおかつ農家としてあげられているような状態であります。それがコスト計算をやりますと、零細の場合が非常に高い。その結果、たとえば限界生産費というようなことになりますと、非常に高い価格というものを保証しなければいけない、こういうことになります。生産性の高さは大体において経営の規模に相照応している。経営の規模の大きいものは、合理的な方法もとっておるし、合理的な機械も導入しておる、こういうことになりますが零細なものにおきましては、極度に能率が低い結果、コストとしては非常に高い。これを前提にする限りは、当然高い価格を支持するということにならざるを得ないのじゃないか。そうしますると、経営の規模を能率の高いところに集めていくということが当然考えられてしかるべきじゃないか。その点についての措置が私はどうも全体としてないのではないかというふうな感じがするわけであります。  むろん、これは農業外における雇用の機会というものが、いろいろな摩擦がありまして、十分に拡大されないわけでありまするから、簡単には問題の解決はできないと思いますけれども、農業の中の条件として、これをはばんでいるものと考えられる一つの条件を私は指摘したいのであります。それは、農地改革によりまして土地が均分化され、それから小作料というものが低く抑制される、これは経営者の立場から考えますると大きな進歩と言わなければならないと思うのでありますが、やや長期に考えますると、この点に一つの問題を含んでおるのではないか。現在の農地政策が、どちらかと申しますると、自作農の維持安定ということに重点を置いておる、土地を失う者について土地を失わしめないように努力をするということに重点を置いておりまするが、逆に、むしろ離農したい者については積極的に離農を勧めるという措置を講ずることが考えられないであろうか。私もこれは本で読んだことでありまするので、詳しく実態を知りませんが、ヨーロッパのある国におきましては、離農しようという農家からは比較的高く農地を買って、それを優先的にその隣の農民に分けてやるということによって、経営の規模を大きくしてやるということをやっているそうでありますが、これのごときは私は当然考えてしかるべきじゃないか。一定の人口を一定の土地の上に押し込めて、それで技術の改良と言ったところで、おのずからこれには限度がある。農地の集団化はもとよりでありますけれども、農場を作り上げるということについて、離農しようという者については積極的にそのような措置を講じてやるということが考えられてしかるべきじゃないか。  要するに、私の申し上げたいことは、現状維持主義的な観点からの農政でなしに、経済の伸びを、あるいはそれに応じての全体の農業の伸びに応ずるような技術の革新、さらに技術の普及、さらにそれを具体化する場としての農業経営の拡大というものについて、一貫した見通しがあるかどうか、その観点からこの予算を検討することが必要ではないか、こういう観点から考えますと、私はどうもはなはだ物足りない点が多い。ここに申し上げることは、先ほど申しましたように、相時の時間と、さらに準備も必要といたしまするので、申し上げることはできませんが、いわばこれを批判する観点として以上の点を持つということを申し上げまして、私の公述を終りたいと存じます。(拍手)
  55. 泉山三六

    委員長泉山三六君) 公述人に対しまして質疑のある方は、御発言を願います。
  56. 戸叶武

    戸叶武君 今、日本の農業で当面している問題は、やはり食糧が二〇%足りなくて、米麦四百六十万トン、金額にして二千億円からの輸入食糧を仰がなければならない、これにどうこたえるかという重点政策が日本の農政でとられていない、余剰農作物に依存して日本の食糧自給体制というものを本格的に確立していないところにあると思います。農林大臣は畜産と畑地振興ということに重点を置くと言っておりますが、それは、あなたの指摘しているように、それほど重点も置かれているようにも見えないのですが、あなたが問題にしているところの問題は、これはやはり流通の面に非常に欠陥が暴露しておるのでありまして、畜産を奨励して牛乳が多くなっても、値段が非常にたたかれる、農民は押しつぶされていく。しかもえさは高い。都会の消費地において、牛乳をわれわれは十二、三円で飲んでいる。農家においては四円九十銭か四円六十銭ぐらいに一合がたたかれている。この問の中間の幅が非常に多い。こういう問題に対して政府も回答していないのですけれども、農政学者としてのあなたはどういうふうに、具体的にこの問題をどうお考えになるかどうかということを、お聞きしたいと思います。
  57. 川野重任

    公述人(川野重任君) 少し問題がそれまして、私個人の意見になる点は御了承願いたいと思いますが、私は結局、消費におきましても大規模消費の形を進めることがこの中心ではないかと考えます。従って、従来、ミルクにしましても、病人などが飲んでおる場合には一合びんでよかったのですが、今は家族が毎日何本も飲むという場合には、その配達の基準のごときも、たとえば二合びん単位にするというようなこと。これは、金はむろん、設備改善の費用なども相当要る。それからあるいは業者間の提携というものは必要でありますが、そういう点で政府が介入するということが一つ。それから一般的な条件としては、先ほど申し上げましたように、タンカーその他の設備を準備するということによって、さらに大規模の地域にわたる流通が可能になる、こういうことを考えられてしかるべきじゃないか。学童への補助金というものは、これは全体としての需要をふやすことにはなるけれども、その消費の流通の規模を変えることには必ずしもならない。学校へ配達する限りにおいては、これは大規模消費になりますけれども、連中が家庭に入って需要を規整する場合においては、その流通の機構を合理化する措置がもっと必要じゃないか。こういうふうに考えます。
  58. 戸叶武

    戸叶武君 生産性の高さというものを考えるときに、大規模農業の方向へ移行しなければならないという御指摘があったようですが、現実において西ドイツなどではそれを推進しておりまして、昨年ハノーバーを訪れたとか、あの辺はラインの沿岸と違つて大規模農業が一番行き渡つておる所です。そこでもやはり占領軍の圧力のもとに土地のことが問題になった。そのとき英国人に対して、土地を持っている人ちが連合して必要な土地は分けてやったが、機械的な土地の細分化というものは行われなかった。それはドイツの食糧をまかなうための生産性を低めないためにやっておるものであるというような意見で、事実上成果を上げておるようで、ロシアでも革命後土地分割が行われたけれども、コルホーズとソホーズによって、集団農場の方へ持って行って生産性を高めたのですが、日本ではこの問題に対して真剣に取り組んでいない。結局、兼業農家が六百十万戸の中の六五%になってきたという状態である。それから五反百姓、五反以下の者は二百万、それから一町以下の者が二百万というふうに、零細農民が非常に多い。で、そういう点については政府は回避して、三割農政とい程度の富裕、富農にしか手を差し伸べておらない。その上、それ以前の者は相手にできないと、この間赤城さんも告白しておったが、そういう問題に対してはどういうふうな御見解をお持ちですか。
  59. 川野重任

    公述人(川野重任君) 零細な兼業農家が非常に多いということにつきましては、御指摘の通りのことでありますし、その結果も、これは言い方によって誤解も受けるし、ちょっと注意しなければなりませんが、ほんとうの農家というものは三割か四割しかないと、あとは半分兼業に首を突っ込んだ農家だと。技術研究、技術普及の措置を講じても、その兼業農家はあるいは隠居をした人がやっておる、あるいは妻君がやっているということで、なかなか能率が上らない。これの実態をさして私は三割農政と言ったものだろうと思う。しかし、むしろ残された六割のものについて手が打たれない。これはあえて農政に限らず、むしろ社会問題的な角度から扱うべきではないかという感じがするのですが、それが農業問題として、押しつけられたというのは言い過ぎですが、というような点について一番深刻な問題がありはしないかと私は考えます。従って、これはなぜかとおっしゃると困りますが、とにかく自給米をまかなうくらいの土地を与えて、あとはこづかい銭をぼつぼつ稼ぐ、こういうようなやり方は、ある意味におきましては私は安定していいと思います。もしこれをほんとうに農業経営らしい経営を作り出すとしますと、相当農業外で、雇用の機会を考えてやらなければならないというような点から、これは政府が大いに苦労されると私は実は思う。そういう意味におきまして、あるいは積極的にお触れにならないのではないかというふうにも、ひがんでも考えられるのですが、まあこれは皆さん一つ御研究いただきたい、こう考えます。
  60. 戸叶武

    戸叶武君 川野教授は技術の革新普及ということに非常に重点を置かれましたが、しかし、今日の農民が一番悩んでおる問題は、やはり農作物価格の安定がとれていないことと、それから流通過程における矛盾といったものがひどく露呈していることで、世界各国の農政の最近の傾向というものは、やはり価格政策に重点が置かれていると思う。このままの形において、価格政策に解答を持たないで、そうして生産性を増大しようという形に、農業における矛盾と混乱が増大する危険性があるのではないかというように考えますが、そういう問題についてどうですか。
  61. 川野重任

    公述人(川野重任君) これも正確に御理解いただきたいと思うのですが、私は価格政策は確かに経営の安定、合理化の前提だと思いますけれども、それはどちらかと申しますると、短期のものであつて、長期にはやはり技術の改善によって価格そのものが変っていくということでなければ、問題の矛盾がそれこそうっせきするのではないかという感じかいたします。そういう点で、現在食糧管理特別会計で持っておりまする赤字にいたしましても、これは私は当面の安定というようなところから考えますと、やむを得ないと思いますし、これは認めなければならぬ。けれども、それを単に、それの解消について手を打つことなくして、単にそれをただ野放しに認めているということでは、なかなか問題は解決しないのじゃないかという感じがいたします。そういう点で、価格政策はもちろん必要でありますけれども、その裏の措置として私はやはり技術の改善、規模の拡大ということを申し上げたのです。
  62. 戸叶武

    戸叶武君 教授は、政府が農業生産性を高めていくための土地改良その他に対する投資を怠っているという点を指摘されましたが、そのことは事実で特に現在はそういう問題にからんで起きておりますところのいろいろな諸問題、共済関係の腐敗堕落、土地改良の補助の問題のごまかしということが指摘されましたが、大体日本の農民が、土地改革以後において零細農民が多くて、資本の蓄積がなくて、自分からの土地改革に対する負担能力というものがない。そういうところの基盤を中心として、農村ボスの暗躍というものが行われるし、それから政府のそういう施策がきわめて不徹底だということで、中途半端なところに今日の農村におけるところのもろもろの悲劇が起きておるわけですが、今多くの経済評論家というものにおきましても、農村におけるいろいろの投資がむだだというようなことで、その根本的な問題を突かないで、現象面に現われた面だけを突いておるのですが、そういう点に対して川野先生はどういう御見解をお持ちですか。
  63. 川野重任

    公述人(川野重任君) 農業投資の生産性については、先ほども申し上げましたように、アメリカあたりでは一応検討なさっておりますが、日本ではまだ十分に検討がされていない。たまたまその過程に入る各種の雑音からいたしまして、御指摘のような批判が出てきたかと思いまするが、私どもといたしましても、その点については、各種の資料をそろえ、資料等の整備もはかって検討すべき問題ではないか。これから残された問題で、まだ結論が十分出にくい点じゃないかというような感じを持っております。
  64. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私は、川野先生の申された技術革新という立場から、一つ意見を承わりたいと思う。それは、たとえば北海道において寒冷農法を研究した。その成果というものを九州の団地の寒冷地の人が教わって、非常に食糧増産に成功しているのですね。それからまた、北海道の泥炭地の問題を取り上げましても、この研究が今ぼつぼつ続けられておりますが、これらがより以上成功し、それに政策が伴うと、国内の食糧問題もずいぶん、私はよほど変わってくると思うのです。その立場から、私この技術革新というものは軽視できないと思っているのですが、最近わが国においては科学技術の振興ということが言われており、岸内閣はこれを打ち出しているわけですが、理工系と広義でいえば農も入るのでしょうけれども、具体的にはやはり農というものは軽視されて、入っていない形で推し進められていると思うのです。それでいいのかどうかということと、  それから私はあなたに学者として承わりたいのは、理工学部、狭義の理工学部を考えた場合に、今の世界の進展に即応するためには、今の四年制大学ではだめだと思う。大学院を量的に質的に充実し、ということは申し上げるまでもなく、非常に高度の精密度を要求するところの数字の計算、天文学的な数字の計算等行われるわけですが、きわめて高度の精密な機械の操作をするわけでして、今の六・三・三・四を出ただけでは、とても世界の進歩についていけないと思う。従って、理工学部では明確に大学院の量的、質的な充実ということが言えると思うのですが、そこで農学部の方ですね、この大学院等に入る状況を見ていると、四年制の大学に入るときは、農学部は理工学部より志願者が少いのですが、大学院に入るときには、農学部関係は理工学部に比べると割によけいに大学院に入っている。この現象をどう考えられておるかということと、やはり農業技術の革新という立場から、今の六・三・三・四の程度ではだめだ、やはり農学部も理工系と同じように、大学院の充実ということが非常に要請されるのかどうか。  それとあわせて、私は二、三年前欧米先進国の農学部とか研究所を見たときに、これは工業学校かなと思うように理化学の実験室等がずらつと並んでいる。ところが、日本の農学部というのは、東大とか九大の農学部あたりはまあいいですが、ことに例をあげれば、佐賀の農学部では牛と豚とちょっと草がはえているくらいで、先進国のそれに比べれば比較にならない状況だ。しかも、科学技術の振興と言われているけれども、ほとんど農学部というものは軽視されているという、こういう状況について、先生はどういう御見解を持っておられるか。  以上申し述べた点を総括してお教え願いたい。
  65. 川野重任

    公述人(川野重任君) 非常に大きな問題で、あるいは文教委員会の問題になるのじゃないかという感じがしますが、あえて求められますままに私見を申し上げますが、大学院の拡充はむろん私は必要だと思いまするが、農業の場合大事なことは、大学院の拡充だけでは実は有能な研究者は集まらない。なぜかならば、理工系の者でありますると、いい研究をした者は高いサラリーでかかえてくれるという大企業がありますが、農業の場合にはない。なまじっか二年、三年そこで研究していたために、就職の機会を逸するというようなことになりまして、現に研究している人も前途に不安を持ち、従って、十分の研究もできにくいということであります。そういう意味におきまして、やはり国家で、先ほど申し上げましたようなやはり基本的な研究の態勢を拡充するということが私は先決じゃないか。そういう点におきまして、まあ工学部と見間違うぐらいの設備を持つということも大学でむろんほしいところでありますけれども、まず、それを最終的に雇用する側において、それができればおのずからそちらの方もそれにつれてでき上ってくるのではないか、そんな感じがいたします。  なお、先ほどのお言葉でありましたので、一つ私の私見を申しますと、工学部と見間違うぐらいの各種の機械設備があったというお話ですが、私も全くそうあるべきだと、農業は季節生産であって、自然に存する一年に一ぺんしか研究ができないというのは、自然に存するからできないのでありまして実験室や設備を作れば、私は一年三百六十五日の、一月元旦を作り、三月十日を作れるのではないか、そういうような感じがするのであります。そういうような意味におきまして、ともすると非常に、自然決定論的な考え方が強いのでありますが、これもわれわれが少し空想的な考え方でありますけれども、一にそれが産業としてもうからないというところからくる結果でありまして、別に宿命的な農業の私は負っておる運命でないと、こういうふうに考えます。
  66. 戸叶武

    戸叶武君 技術革新の問題で、これは政府の怠慢だが、もう一つは、日本の研究所や大学の学者というものの頭を切りかえなければいけないのじゃないかと思うのですが、それは私は、カナダの農業団体に誘われまして、イリノイ、ミシガン、インディアナの各大学における、主として農業関係の研究機関を訪れたことがありますけれども、それはカナダにおいて、農民たちが一時間に対して一ドルずつの金を集めて、そして農閑期には大学へ行って自分たちの体験を報告するし、大学の方には研究の注文を出しているし、大学の方では大学の付属農場において、今まで農民たちの要請したことと取つ組んで、それをどういうふうな形において結果が出たか、農民はどういうそれに対する結論を持っているか、そういうことを大学の広い農場の中に、農民たちがバスで来て、それで大学のトラックで案内されて、大学の教授だとか、助手だとか、みんな農民と同じ服を着て、そうして泥だらけになって、そこでこの畑でトラックの上に乗つて、そこで皆、大学の方のレポート、報告書も農民に渡され、そこで討論をしている、そういう情景が日本の一体大学や研究機関にあるか。私はやはり研究というものが、一つの生産農民と結びついて、そういう圧力を通じて、国会にも、それから政府にでもこれは向っていくというような方向へ行かないと、今までの高踏的な大学のあり方それから研究所のあり方、研究費がないからやれない、それから、政府がかまわないからやれないのだ、そういう逃げ口上だけでもって、やらんかなの迫力というものが私はないと思う。民衆との結びつきがないと思う。そういう点において、学者としてのあなたから、今のこの大学のあり方、研究所のあり方について、どういう点を反省しなければならないか、どういう点を政府なり何なりに援助してもらわなければならないか、そういうことを率直にお答え願いたいと思います。
  67. 川野重任

    公述人(川野重任君) まあお教えいただきまして、私もなるほどと思うのでありますが、結局切れば血の出るような仕事というものは、その成果が一々テストされるということによって初めてできるのではないかと思うのですが、その点、やはり基本的には、農業が産業として成り立つといったような条件を作ることが先決じゃないかという感じがします。同じ農業技術にいたしましても、高度の園芸地帯におきましては、むしろ教えるわれわれの、質問を受ける方の研究者がたじたじするという場合がしばしばあります。そういう場合には、今度は負けてはならぬということで、大いに奮気して勉強するということになるわけですね。ところが、そうでない——まあ一般の場合はそうなんですが、場合においては、どうもやはり遊離しがちになるというこの実態を申し上げ、むしろ政治家としての各位の御判断にお願いいたしたいと、こう思うのです。  ただ、誤解のないように申し上げたい点は、先ほど、もうからぬからということを私申し上げましたけれども、これは個別企業としてもうからないということなんでして、決して国民経済的にこれは不利だということは毫もない。国民経済的にはむしろコストが安く上って、安い農産物ができるということが経済成長の大前提であるという点からしますと、企業的観点からの収支計算をやって、それでどうこうというのは私は間違いだ、その点に注目されながら産業の生産性ということをお考えいただいたらいいんじゃないか、こういうふうに考えます。
  68. 泉山三六

    委員長泉山三六君) ありがとうございました。   —————————————
  69. 泉山三六

    委員長泉山三六君) 次は、早稲田大学大学院学生佐々木敏明君にお願いいたします。
  70. 佐々木敏明

    公述人佐々木敏明君) 佐々木でございます。  一学生といたしまして、本年度予算案に対しまして、若干見解を述べてみたいと思います。  そこで、私のこれから申し述べます部分は二つの部分からなっておりまして、一つは非常にまだこの新しい学制がしかれましてから日が浅い大学院の特別な予算によってこうむる利害に関するものでございまして、もう一つの部分は、私が自分で勉強しておりました範囲で、今年度予算に対しまして疑問を感じました点を述べさしていただきたいと思うのでございます。  そこで、私自身もまだ社会に出たこともございませんし、ずっと学校の中で過してきた人間でございますので、こまかい計数のことになりますとよく覚えていないのでございますが、ただ自分の勉強にとって非常に不審に思われた点について疑問点を出したいと思うのでございます。  そこでまず、一番初めの一つは、大学院のことに関してでございますが、まずこれは二つの点からなっておりまして、一つは育英資金に関する問題なんでございます。それと申しますのは、大体育英資金につきまして、今現在国家が出しております予算の額というものは大体四十四億円未満でございす。ところが、大学に入りまして四年間、非常に家庭が貧困で育英資金の貸与を受けたとなりますと、大体卒業と同時に十四万四千円の金を現実に借金をして出るわけでございます。そこで、毎年々々それには大体一万円見当の金を返していくのでございますが、たまたま結婚——私の先輩などで結婚などをいたしました方がおりまして、奥さんの方も奨学金をもらっていたような場合でございますと、大体年額にいたしまして二万円くらいの金を年々返していくことになります。そうすると、私どもが大学を出ましてもらう初任給と申しますものは大体一万三千円前後でございまして、こういう場合に、独身者には重くなっております所得税の関係からいたしましてかなりの負担なのでございます。  それで、これは学生としての取りとめのない意見であるかもしれませんが、私は教育そのものに対しまして、国家と、それから教育奨学金を受けた者の間に貸借関係のようなものができるのはまことに好ましくないと思います。それで、育英資金に出されます額そのものも考えてみましても、今年の予算の表にございます一兆三千億の額に比べますと、四十四億円という金は、実に割合にして申しますと微々たるものではないかと思います。そこでこのくらいの額でございますと、いっそのこと、むしろ貸与よりも、貸し付けるというよりも、与える方に向く方がむしろ好ましいのではないかと思うのでございます。  それから第二番目は、特に文科系の大学院の学生に関する問題なんでございますが、これは本年度は非常に理工科ブームと申しますか、理工科を振興しなければならないということが言われまして、それで理工科系に対して予算の面でも非常に厚くなってきたような感じがするのでございますが、たとえば一例をあげますと、理工科系大学院の学生に対しましては、特別奨学生としまして一万円の額を貸与するものの人数を六千人ふやしたわけでございます。その財源としまして、文科系の大学院の学生の月額六千円のものを三千円に減らすことによって、それに充当しようということになっております。しかしながら、非常に考えてみましても、大体一つのオートメーションという例を取り上げてみましても、一つの生産技術を向上するというよなことを推し進めていきますれば、当然生産管理とか職場管理とか、あるいは賃金とか、労働条件、いろいろの問題について社会科学の援護を仰がなければならないのでございまして、それだけ推し進めていくということは、あるいは物質文化だけが非常に進んで参りまして、それで精神文化の面そのものが忘れ去られていくということも非常に憂えるものでございます。たとえば一例をあげますと、フォードなどの例をあげますと、彼は非常に能率的なものを推し進めていこうとしたのでございますが、結局最後に彼が到達した問題は、ヒューマン・リレーションという問題でありまして、これについても、理工科系の学問が進んでいくに従って社会科学の面が強調されなければならないのだと思うのでございます。それからたとえば、それにつきまして、社会科学の部面におきましても、最近はオペレーション・リサーチというような新しい経営技術が入って参りまして、その方についてもたとえば電子計算機がなければ学問がなかなかできずらいというふうに非常に進んでおるのでございまして、ここにおきまして、社会科学自身が大体理工科系とのバランスをとるという理由のもとに、ややありがたくない、割合に不要とまでは申さなくても、急ではない学問として軽視される傾向にあるのではないかと思うのでございます。  そこで、その第二点は、博士課程の人に対する問題でございまして、これは私自身まだ一年でございまして、直接の関係はございませんけれども、今年度は博士課程について学位を出すとか出さないとかと非常にもめておりまして、多分ことしは出るのではないかと思うのでございます。しかしながら、その博士課程の売れ行きと申しますのは非常に悪いのでございまして、大体現在就職そのものにつきましてもなかなかうまくいっておらないのでございます。それに非常に困りましたことは、一身を研究に捧げてきた者が博士をもらうことによりまして、学校の助手そのものになりませんと、研究生として学校に残ることになります。そうしますと、この研究生というものは報酬が一銭もないのでございまして、それにつきまして学割その他いろいろな措置というものが、学生として扱われなくなるわけでございます。もちろんもらつておりました育英資金というようなものも打ち切られる運命にあります。そうしますと、たとえば学会において京都へ行くというような場合には、実際旅費その他全部上って参るわけでございまして、それにつれて大学院におります学生に対する報酬というものが何もない以上、結局勉強しても何にもならないというような、宝の持ちぐされになるおそれがあるのでございます。そこでその場合に、大学院の研究生というものがどこに行くかと申しますと、現在大学におきましては、助手というものの採用人員は非常に限られておりまして、たとえば、早稲田大学の場合におきますと、五十人くらいの博士課程の中から、毎年助手になる者は二名ないし三名でございます。そうしますと、実力的にはあまり差がないあとの四十何名という者は地方大学に行くか、あるいは民間会社に就職するかでございます。ところが、地方大学へ行くとか、民間会社へ行きますと、これ自身もう非常に条件が悪い。悪いことになりますと、研究にほとんど精を出さないというようなことになるわけでございます。そこで、これについては一々詳しいことは申し述べませんが、そのような形で、なかなか大学院の博士課程の学生が行くことを妨げておるような実情でございます。そこで私自身が考えますには、このように実力を持ち、研究を積まれた方が、社会に適当な地位を見出し得ないということは非常に遺憾なことでありますし、国家にとっても大きな損失ではないかと思うのでございます。そこで、それはどういうような打開策を講ずるかといいますと、現在私どもが最もいいと考えておりますのは、いわゆる官庁関係の研究所へかりにこれらの人を使うということが必要じゃないかと思うのでございます。そうしますと、たとえば現在の景気動向を予測するというようなことにつきましても、政府の予測はよくはずれます。なお、この景気についての学問の研究が非常に今まで進んでいるとは考えられないのであります。それはどうしてかと申しますと、一つには社会科学的なものは非常に不測要因が入りますものですから、予測がしずらいということは確かにあると思うのでございますが、それにも増して、この方面についての研究が進んでいないということは大いに言えるのではないかと思います。また、それ自身研究を積まれておる人の登用ということがなかなかうまく考えられていないのではないかと思うのでございます。そうしますと、たとえばこれをどういうふうにするかといいますと、研究所に勤めようとしますと、たとえば五年間博士課程におりました人が、今度は一般職と同じ試験を受けるのでございます。そうしますと、これは非常に人文科学、自然科学のあらゆる広い部門にわたって、たとえばケインズという問題が出ますと、イギリスの経済学者で、雇用、利子及び貨幣の一般論を書いたというくらいの浅薄な知識を要求する問題を何百問と出されるわけであります。これは非常に研修が進んでおります学生にとりましては非常につらいことでございます。なかなか通らない原因もそこにあるのではないかと思うのでございます。そこでこの場合に、実は研究職と一般職、研究所に勤める者とあるいは一般職というものとのはっきり試験制度を分離するということが非常に望ましいのではないかと思うのでございます。  それから定員自体につきましても、各研究所をあげたりあるいは各官庁の内部がどうなっているかということにつきましては、よく知りませんが、これに対して受け入れ態勢ができているとは申せないと思うのでございます。でございますから、こういうふうに考えてみますと、打開策は、こういうような博士課程の人々を研究所に使っていくということが、非常に大切になるのではないかと思うのでございます。それにはやはり一般職と研究職につく人は非常に区別をして試験をするということです。  もう一つは、研究所で使う定員というものを拡充していくということが非常に必要ではないかと思うのでございます。このために要する予算というものは、私自身正確に計算したわけではございませんけれども、現在の人員の数からいたしましても、非常にわずかな予算でやれるのではないかと思っております。  そういうふうに考えて参りまして、大学院自身もまだ歴史が浅く、いろいろな問題を残しておりますけれども、中に入っております学生の勉強態度というものは、決して世間で一部誤解があるような浅薄なものではなく、専心研究に打ち込んでいるのでありまして、大体月の消費額から比べましても、書籍費が大体生活費の四割から三割を占めておるような現状でございます。そういうような工合でございますから、たとえばアルバイトの収入がなくなった場合は、書籍費が自分の収入のたとえばバッファーのような役目をなしておる実情でございまして、この場合に育英資金が削られるということになりますと、大学院の学生の勉強というものに大きな支障があるのではないかと思っております。  それからこれは私自身が予算一般について考えました点につきまして、二、三申し述べてみたいと思います。その第一点は、財政規模に関する問題でございまして、これは三十二年度予算に比べまして三十三年度は、二・二%の経済成長の伸びに押えて八兆四千億の線を貫くと言っておられます。しかしながら、考えてみますと、あのデフレの非常にひどかった二十九年ないし三十年においても、国民所得は四%の伸びを示しておるのでございまして、このような低い成長率というものは、理論的に考えれば非常に疑問に思うのでございまして、それならば政府自身に相当思い切った緊縮の線が打ち出されてこなければならないと思ったのでございます。ところが、財政規模そのものはどうかといいますと、昨年度に比べて一五・四%の伸びを示しておるのでございまして、その一五・四%という伸びに従って、一般国民所得に占める財政規模というものは、三十二年の十三・七%から一五・五%に増大しておるのでございます。これは戦後歴代内閣というものは常に公費の節約、冗費の節約ということをうたって参りました。しかし、それが改められたとか、非常によく進んだという印象は全然受け取れなかったのでございます。岸内閣におきましても、公費の節約ということを非常に強調しておられますけれども、それに対して非常に大きな矛盾があるのではないかと思うのでございます。  それからこの十年間国民所得というものは非常によく回復過程にございましたので、非常な高い伸びを示しております。一〇%の伸びというものは非常に高い伸びでございますけれども、それにつきましても昨年の経済白書にございましたように、もはや戦後ではないのでございまして、今度の五ヵ年計画におきましても、国民所得の伸びは六・五%に押えられております。それで今度は、普通の先進国に近い形で正常な伸びのうちに国民経済が運営されていくはずなんでございますけれども、これに対して財政だけは非常に無批判に規模だけが毎年々々一定比率をかけたような形で伸びておるということは、表面的な見方かもしれませんが、今後歳入と歳出とをどういうふうに合わせる道を講じていくのか、私にははなはだ疑問に思われるのでございます。私が非常におそれますことは、今後このような膨張が無批判に続けられますと、たとえば赤字公債とか、増税とかいうような、国民の最もおそれております事態が早く到来するのではないかと思います。そうしますと、またインフレというような苦い経験を持ちます国民にとっては、なかなか納骨できないところではないかと思います。この点について、本年度予算案について政府の明確な答弁があったとは聞いておらないのでございます。  それから、第二番目は、財政投融資に関してでございますが、この財政投融資におきましては、大蔵原案におきましては、電力、石炭の基幹産業及び道路あるいは愛知用水などの総合開発事業に重点が置かれていたはずでございます。しかしながら、政府原案になって参りまして、それを見て参りますと、大体、昨年度財政投融資の規模に、これまた一定比率をかけたような総花的な、重点のない財政投融資計画になっております。たとえば、中小企業金融とか、東北、北海道開発というような割合に、項目が軒並みに復活されまして、その財政規模の膨張というものは、昨年度の実行計画に比べまして四百七十二億円に上っているのであります。そうしますと、今度は重点産業として認められております鉄鋼とか電力、石炭というような産業がおさまらずに、今度はそれなりにまた復活を要求するという形がございまして、これは補正予算のような形で、鉄鋼に対しても電力に対しても、五十億円内外の融資がなされるようだと伝えられております。これは、こういうふうになりますと、実は二・二%の国民所得の伸びに見合うように財政規模を調節するといいながら、財政規模そのものは、国民所得の伸びとは全然無関係に伸びているのでございまして、これは非常におかしなことではないかと思うのでございます。もし、政府自身が緊縮財政というものをはっきり要求するものならば、緊縮財政そのもので貫くべきでありまして、この点について政府のねらいがどこにあるのか、なかなか理解に苦しむところでございます。  それから大体、近代経済理論について教えられたところによりますと、大体、民間投資が減退したときには政府投資が膨張をし、民間投資が非常に縮小する場合には政府投資が膨張するようなことを説いております。しかしながら、日本経済の場合におきましては、この両者が必ずしも補完関係にあるのではなくて、むしろ財政がふくらめば民間投資も大きくふくらむというようなことがあるのでございまして、この点、昨年の例にかんがみましても、またもや国際収支の赤字というような事態が招来するのではないかと思いまして、はなはだ不安なところでございます。そうしまして、またこういうように民間の設備投資がますます拡充されて参りますと、今度下請を通しまして、中小企業への波及というような形で、事態はますます悪化するのではないかと思われます。  それから、その次の点につきましては社会保障に関するものでございますが、この社会保障に関する問題につきまして若干問題点と思われますのは、私自身が非常に不満に思いました一つの点は、健康保険政府補助百三十億が打ち切られたということでございます。これは、昨年度私どもが読んだ範囲では、健康保険の基準率の引き上げに見合いまして、それを補償するという意味で与えられたのでございまして、それが今年度急に、何の理由もなく打ち切られたというのは理解に苦しむところでありまして、これは健康保険を受ける者の側にとりましては、かなり大きな問題ではないかと思うのでございます。  それから、岸内閣におきましては、貧乏追放ということが非常に述べられておりまして、それについて社会保障増額も百二億円増額したことになっております。しかしながら、その社会保障財政全体に比べて規模をとって見ますと、実は昨年度に比べましては、昨年度の一割一厘から九分五厘に減退しているわけでございまして、これでは社会保障に関する限りは、むしろ後退したのではないかという印象を受けるのでございます。  それからその次の点は、国際収支に関する問題でございますが、大蔵省原案、政府予算編成方針におきましては、今年度は国際収支の赤字を取り除いて、国際収支の改善を第一義の目標とするから、厳に内需を抑制して、国際収支の改善を第一義とするという線を非常に強く打ち出しておられたはずでございますけれども、昨年の九月からの下半期の国際収支の動向を見てみますると、非常に改善の跡が見られるのでございます。そうして、国際収支の面につきましてももう少し考えてみますと、たとえば、ドル地域とポンド地域とかいうような地域ごとの多少の変動はございましても、輸出及び輸入は大幅な好調でございまして、国際均衡という点ではむしろもう達成されてしまったのではないかという感じがするのでございます。そうしますと、大体政府が初めに強く打ち出しました、国内均衡を犠牲にして国際均衡をはかるという目的は、もうすでに達成されてしまつたわけでございまして、これについては、それならば国内均衡の達成の方に重点が移らなければならないのではないかと思うのでございます。しかしながら、内需を厳に抑制するという、それを緩和すると申しましても、昨年来の非常に膨張しておりました設備投資の面につきましては、これ以上刺激することは避けなければならないのではないかと思うのでございまして、この点はむしろ消費者に対して、かなり消費需要を喚起するという方向に向ってもいいのではないかというふうに考えます。そこで昨年の、たとえばこの設備投資がどういう方向に向っているかということになりますと、大体、経済企画庁の最近の分析によりましても、経済月報などを見てみましても、もとの、金融引き締めによります金詰まりから、ほんとうに過剰生産による供給の過剰という面に移ってきていると申し述べております。そうしますと、それでは、まあハロルドという経済学者による「機械受注、残高の情勢」を見ても、残高は必ずしも減少をしていない。鉱工業の生産についても九・五%の伸びを示しており、大体、滞貨融資のことがよく叫ばれますように、在庫そのものも非常に潤沢ではないかと思う。国庫収支の在庫投資を見ても、それほど悪化しているようには見えない。そういうふうに考えてみますと、現在の政府の非常に焦点であります国際収支の均衡というものが、焦点が多少ずれたのではないかと思うのでございまして、それにつれて本年度ふえました予算の設備投資に関する面が非常に多い点から、はなはだ疑問点が多いのではないかと思うのでございます。この点につきましてもまだ公述でしゃべったことがございませんので、あまりしゃべれませんでしたが、設備投資がふえたような現在の予算については、何かそういう点がどうもはっきりしない印象を私自身受けたのでございます。  そこで、散漫とした意見になってしまいましたので、ここでまとめてみますと、大体、むしろ政府の国際収支の均衡ということは多少甘過ぎたのではないか、国際収支の均衡ということはすでに達成されたのではないかという意見と、それから、あるいは国民所得の成長率に関する見込みと、それから財政規模の伸びというものはかなり矛盾するのではないかというような問題でございます。それゆえに、たとえば大蔵原案の線まで返すとか、財政投融資にもう一度目を通すということが、非常に必要なのではないかと思うのでございます。  こういうところでしゃべったことがございませんで、思ったことの半分も言えなかったようでございますけれども、大体このようなことでございまして、これで終らせていただきたいと思います。
  71. 泉山三六

    委員長泉山三六君) 公述人に対て質疑のある方は御発言を願います。
  72. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 大変失礼ですけれども、お尋ねする前にですね、あなたの出身県と、今入っている、博士課程修士課程か……。
  73. 佐々木敏明

    公述人佐々木敏明君) 私の出身県は北海道でございます。今、修士課程の一年でございます。
  74. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 それじゃお伺いたしますが、三点お伺いいたしますが、第一点は、育英資金の問題ですが、まあ新聞の投書欄とか、あるいはラジオの声なんかで時折、ほんとうに困っている学生がいるのに、それほど困らない学生が、ちょっと優秀なるがゆえに推選に合格して、育英資金をもらって、それを小づかいに、ときどき喫茶店に行ったりダンスパーティなんかに使っているという、そういう投書とかラジオの声を聞くのですが、あなたの知っている範囲内にそういうような一人あるというようなことは問題になりませんが、若干傾向があるかどうかということと、それから、御承知のごとく、育英資金はこのたび新しい制度が設けられまして、高等学校は一ヵ月三千円、大学は八千円、それを予約する。それで本年は高等学校五千人でスタートするというわけですが、あなたは大学に籍を置かれていますので伺いますが、大学で今マキシマム三千円もらっているわけですね。それで、三千円奨学金をもらう人をアルファとすれば、八千円出すのを三千円ずつ分配すると、三アルファの人がいただけるわけですね。それで一人八千円の新しい制度ですね、ああいう貸与方針を支持するか、それとも三千円の貸与のワクを、人数が約三アルファになるわけですから、そういう制度を支持するか、あなたはどういう御見解かというのが一点。  第二点は、あなたは修士課程に入られているというから、ちょっと無理かと思うのですが、しかし大学の空気として、おわかりと思いますが、博士課程に入っている人ですね。五年間やって博士になればいいのですが、博士になれない大学院浪人というものが相当出てくると思うのですが、そういう大学院の学生はずいぶん不安を持たれているだろうと思うのです。今の大学院の学生、特に博士課程の大学院の学生が、勉強課程でどういう不安を持ち、また、どういうことを将来してもらいたいというような、さっき研究所云々ということがあったんですが、希望を持っているか、それを聞かしていただきたい。  それから第三点は、これで終りですが、あなたは北海道出身と言われるわけですが、北海道には北大という相当りっぱな大学があるわけですが、大学教育機関が日本の青年にとって均等になっていないということですね。均等になっていないということについてどういうお考えを持っているか。具体的に例をあげますと、たとえば、熊本大学の法学部に学生が入れば、幾らがんばったってほとんど皆無です。弁護士にもなれなければ、検事にも判事にもなれないわけですね。ということは、司法試験に通る人という者は、一年に一人あるか、ゼロなのですね。これは教授の構成から大学当局も認めている。刑法の先生なんか日本全国にはいない。補充できないから、ここ五、六年もたたなければ先生がつかまらぬから、司法試験に通るような教育ができぬのだという、こういうわけですね。従って、一つ例をあげましたが、そういう地方の大学に入った人は、法律を学びながら、法律科に入りながら、司法試験に通らぬから弁護士にも検事にも判事にもなれない。これは非常に大学生にとって、大学の教育機関というのは均等でないわけですね。こういう点については今の若い世代の人はどういうお考えを持っているのか、そういう点について私ども政界にいる者として、あまり不満とか反発を若い人から受けないのは不思議に思っているのですが、以上、三点お答え願いたい。
  75. 佐々木敏明

    公述人佐々木敏明君) お答えいたします。まず第一点の育英資金の制度についてでありますけれども、確かに矢嶋さんがおっしゃいましたように、新聞の投書欄でそういうような事例をよく聞くのですが、私のまわりにおきましては、そういうようなことはございません。私自身も、ほかの大学にもよく研究会などで参りますけれども、私自身が——この場合いいますのは、特に早稲田大学についてだけでございますけれども、早稲田大学に関してだけはそういうことはないと考えます。ただ、非常にこの場合、育英資金について考えておかなければならないと申しますのは、たとえば、大学院に入ってほんとうに一年のときから勉強しようという者は、実は大学の教授の勉強だけでなくて、自分でほんとうにテーマを選んで専心掘り下げていくことが必要なのでございます。ところが現在の大学におきましては、大体、一年間三十二単位の単位を修得させることになっております。これにつきましては、一週二時間の授業に対しまして四時間ないし五時間の予習を強要されるわけでございます。そうしますと、その場合に、たとえば先生が非常に老齢の方でありまして、功成り名遂げた、ただノートを読んで授業を終るというような非常に活気のない授業もあるわけでございまして、そういうようなものは、勉強する学生にとっては非常につまらないわけでございます。そうしますと、そういうような先生については、先生について反論を書くとなかなかいい点数がもらえないとか、先生の授業にきちんきちんと出ないといい点数がつかないというようなことで、点数が悪くなるというようなことがございます。しかし、本人自身は、勉強しているという点につきましては、非常に勉強しておるのでございますけれども、育英資金そのものの限度は、学業成績優先主義でございまして、学業成績が少しでも落ちると、それがはなはだしい場合になると育英資金を打ち切られるという場合もございますし、また、その先生の言うことを専心にただ勉強した者、批判力のない、ただ受け身の勉強をした者だけが育英資金をもらえるという弊害が全国的にあるのじゃないかと思います。ただ、そういうふうなことは、ここでおいおい考えていかなければならない問題でございますけれども、育英資金をもらった学生その者が、コーヒー代にするとかいうことはほとんどないと思います。それに回るものは書籍費、飲食費——飲食費と申しましてもいわゆる食費に回るものが多いと思います。  第二点につきましては、博士課程の現状でございますが、博士課程につきましても、修士課程以上に歴史が浅く、非常に問題点がまたまたあると思います。特に初期の段階におきましては、ただ無批判に、就職できない者が博士課程に行ったというようなケースもあったろうと思いますけれども、それは非常にごくまれな例でございまして、博士課程に入りますと、やはり本人は非常に誠心誠意勉強をしておるものでございます。ただその場合に、大学の教授の定員というものが非常に全国的に限られておりまして、それからまたインターカレッジのものもなかなかないわけでございます。そういうような現状でございますから、なかなか大学院の学生が自分の社会の適当な地位というものを見出せない現状なんでございます。私が先ほど研究所ということをあげましたけれども、研究所そのものは一つの試案でございまして、たとえば、地方大学から率先して東京の大学に就職の申し込みをするというような場合だったら、大学院の学生は喜んで行くのだと思います。それがどこの大学で募集しているか、どこの大学で刑法の先生が足らないという部分的な問題になりますと、お互いの知識が乏しく、お互いにばらばらに孤立して研究を続けているという状態ではないかと思います。それを改善するために、やはり大学同士の研究会などを通して、ないものはどしどし、官立大学なり私立大学というものが、そうして中央から先生を招聘するというようなことがあれば、けっこう行く人があるのじゃないかと思います。ただ現在では行くところがないというか、全然知らないというのが、大きな教育の中央集権化といいますか、中央に集中する傾向になっておると思います。  それから第三点は……。
  76. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 機会均等の問題、それから三千円と八千円のあれね。
  77. 佐々木敏明

    公述人佐々木敏明君) 三千円と八千円の例でございますけれども、確かに大学の、これは特に大学院の学生の場合におきますと、大学の生徒や、あるいは高等学校の生徒よりもかかるから、それだけ多くの費用をもらっておるのでございまして、現在の育英制度そのものが必ずしも十分じゃないと思います。と申しますのは、私立大学の場合でございますと、大体二割から三割しかいかないような生徒しか育英資金をもらえない現状でございまして、大体、書籍を買うにいたしましても、原書一冊買うにしましても四千円なり三千円の金は要るのでありまして、大学院となりますと、大体親からの仕送りがなくて生活をする人が多く、私のように親がかりでやっておる者はほとんどないのでございまして、そういうような現状では、大学院自体が絶対的な不足でございますから、この問題はぜひ増額していただく方が望ましいと思います。  それから、大学を地方に散らばすということは、私自身もほんとうに個人的な考え方としては非常によく考えているのでございますけれども、たとえば私が知人がございまして、弘前に行きまして、いろいろなところへ参りますと、地方大学と申しますものは、割合に設備も整っておりませんし、それから研究書類もない、参考書類もないというようなことでございます。そういうふうになりますと、実際、自分が現実的に当面をして参りますと、できる限り大学にとどまり得る可能性があるならば行かないようなこともあるということも、これは全部ではありませんけれども、地方大学に関してはばく然とそういうような気持があるのではないかと思います。だからといって私どもは、地方大学から来てくれないかというような声があれば、非常に行く学生が多いことは事実でございます。ただ、現在潜在意識として、大学院の学生の中に、どうも地方では設備が悪いという、非常に先入観のようなものがございまして、こういうようなものは、大学院内部で大いに改めていかなければならないと思っております。それから、大学院につきましては、たとえば低温科学などをやる場合には北大に行くということが望ましいのでありまして、こういう場合には、受験生心理というものが多分に働きまして、これは一日とか、一朝一夕の問題ではないような気がするのであります。たとえば、早稲田大学の場合ですと、競争率が二十五倍というような、現在非常な競争率になっておりますけれども、そうしますと、ちようど新宿に集まるように、人間がふわっと集まってしまうのでありまして、何か学生を引きつけるというようなことがあるのではないかと思います。  それからもう一つは、地方というのは、やはり地方大学自身が内容を充実いたしませんと、たえば東京に非常に集まつてくるというのは、東京の文化水準が高く、研究施設も整っており、図書館も地方に比べれば驚くほど整っているというような現状でありまして、たとえば著名人の講演を聞くとか、非常に文化的には恵まれ過ぎているわけでございます。だから、受験生としましては、こういうようなところがやはり大きな魅力でございまして、単なる東京に出たいというようなあこがれの心理で出てきているのではないと思います。たとえば、私の場合にも、経済学をやる場合には、北大では新しくて、小樽商大では十分な研究ができませんから、早稲田大学を選んだような次第でありまして、この点についてはもう少し慎重に、官尊民卑の、官民を問わず、考えていきたいものだと思っております。
  78. 泉山三六

    委員長泉山三六君) それではありがとうございました。  他に御質疑はございませんか。——別に御質疑もないようでありますから、これをもって公聴会を閉じることにいたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後四時三十四分散会