○国務大臣(
唐澤俊樹君) これは司法制度についの根本問題でございまして、ただいまだんだんと意見のありました点、私はいかにももっともだと思います。検察権を最も公平に行使させるということのためには、あるいは政党と縁のない者がこの地位におるということが適当かもしれないという御意見はしごくごもっともだと私は思うのであります。しかしながら、一方におきまして、
政府としては検察権のあり方ということについて、やはり最後の責任をとらなければならない立場におるのでございまして、もし法務大臣と検察
当局との間のいわゆる
検察庁法第十四条というものの橋渡しを断ってしまう、あるいは法務大臣そのものが
内閣の指揮を受けない立場のものを置くというようなことになりまして、それが万一あやまってあるいは政党きらいの人がきて、政党であれば何でもびしびし取り締る。あるいはまた、労働
運動ぎらいの人がきて、労働
運動については過当の弾圧を加えるというような、いわゆる検察ファッショ、片寄った検察権を行使するというような場合がありましても、
政府としては、何らこれを制肘する道はないというようことになりましては、これはまた一大事でございまするから、やはり
政府として、検察権の行使について責任を持つ以上は、やはり法務大臣は総理大臣の命令に服し、総理大臣は、一応検察
当局を指揮する権限を持っているという制度にしなければならないと、かように考えるわけでございまして、ただ、従来のように、法務大臣が一々の
事件を、具体的な
事件について、また、個々の検察官に指図をするというようなことでありますると、これはいろいろな弊害があろうかというので、私が御説明いたすまでもなく、今日の
検察庁法第十四条ができて、個々の
事件については、法務大臣はただ検事総長を指揮し得るのみ、検事総長を通じて下の検察官を指揮するという、まあほど合いの規定を作ってあると理解しているのでございます。いわゆる指揮権の発動というようなことが問題になるのでございますが、この指揮権の発動という、この問題につきましては、いわゆる世上でいう指揮権の発動
——つまり検事総長をトップとするところの検察陣営、この陣営で研究をして、そうして検察権の発動について
一つの方針を定める。それが法務大臣の気に入らないからといって、検事総長以下の検察
当局の意見を、これを押える、これを曲げるというようなことがある場合に、世上いわゆる指揮権の発動とまあいうわけでございますが、私が
法務省に参ってからの経験で見ますると、一応法務大臣は、検事総長を通じて検察
当局を指揮するようになっておりまするけれ
ども、検事総長以下検察
当局には、検察事務についての練達堪能の人が一ぱいおります。そうしてその下には、各高検があり、地検があるということでございまして、
事件は、地検からだんだん積み上げ方式で上の方の指揮を待ってくるわけでございまして、衆知を集めて、そうして問題によりましては、最後は検事総長のところで、検察
当局としての意見をきめるわけでございます。で、私は就任以来、もう検察
当局の良識と良心に信頼をいたしまして、全部おまかせをしているわけでございます。一々私に指図を求めては参りません。事項によりましては、決定をしたときに、それを執行する前に、こういうふうな決定をして、いつ幾日執行するというようなことを、事務
当局を通じて私に
報告をしてくれることもございますが、それもきわめて希有の場合でございまして、今の私の経験しているところでは、検察権の発動というものは、今の制度のもとにおきましても、私は厳正に、また、公平に動いていると、かようにまあ考えているわけでございます。
ただ、法務大臣といたしましては、党と言わず、党外のいろいろの人
——党で言えば、私の友人は自分の党はもちろんのこと、社会党にもございます。それから政治家以外の人もございます。で、世上では、あるいは法務大臣に頼めば、法律問題でも、訴訟の問題でも何とか有利になるとか、自由になるとかというようなまあ誤解もありますから、いろいろと頼みに来る人もいささかございますけれ
ども、そういうことで迷うような者は、これはもう法務大臣にしないがよろしいということで、人事の面で厳正公平にやるというような人間をそこに置くと、こういうようなことで、
検察庁法第十四条というものは、依然法務大臣が検察
当局を指揮し得る、ただし、それは個々の
事件について個々の検察官を指揮してはいけない。常に検事総長を通じてのみ行う、こういう制度で、私はこのくらいの制度が
政府との関連においてもきわめて適当な制度ではないか、まあかように考えておるわけでございます。
なお、あっせん収賄罪等についての検察権の発動について、いろいろ御心配があります。いかにもごもっともでありますけれ
ども、しかし、法務大臣に任ずる以上、あっせん収賄罪については、どうも信用がならないということで、制度としてそれはお前の権限ではないぞというような制度を作るということも、これまた私はどうかと思うのでございまして、これから先は、制度の問題と言わんよりは、結局において人間の問題、その人間の問題はひいてはその
内閣の責任、国民がこれをいかに批判するかという、最後は国民の審判によって決するというより仕方ないように思うのでございますが、ただいまだんだん御意見のありましたような、いろいろの心配は多々あるということだけは御意見の
通りだと思うのでございます。