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参考人(
植松正君)
刑法の一部
改正法律案の方の、前の方から順次重点的に申し上げようと存じます。
まず、百五条ノ二という
条文であります。すなわち刑事
事件に関する
強談威迫を取り締ろうとする
規定でありますが、これは
法務当局から出た資料を特に当
委員会からちょうだいいたしまして、数字的な統計上の問題を見てみますと、やはり
相当取締りの必要があるということをよく理解することができます。で、
立法の必要があるものと考えます。ことに私の身近なものの経験から申しましても、著名な
事件の鑑定人が、いろいろ脅迫とかあるいはこの種の
行為を受けたということを聞知いたしておりますので、そういう面から考えましても
立法の必要を感じます。
構成要件の立て方としては、刑事被告
事件の捜査、審判ということに限っておりますので、まずまず私は
労働争議等に悪用される危険はあまり考えられないというふうに思いますので、この点の心配は、本条に関しては持っておりません。
その次に、第二といたしまして、百八十条の第二項の
規定を新設することであります。すなわち、輪姦その他の
行為につきまして、これを非
親告罪にするという
改正点であります。元来、
親告罪というものを設けました
理由は、大体
二つに分けることができると思うのでありますが、その
一つは言うまでもなく、訴追によりまして
被害者がかえって迷惑をする、こういう場合、迷惑をするおそれがあるというときに
被害者の意思を尊重しようという
立法理由によるものであります。
強姦罪等は、この
理由によっておることは申すまでもありません。第二は、後に出て参ります
器物損壊等に関する場合なんですが、これはまあ事犯が軽微であるとか、
犯罪の性質上違法性があまり強くない、要するに、軽微な事犯だから
被害者の意思に従ってそれを大いに尊重しようという考えによって
親告罪としたものであると思います。こういう二種類を考えるときに、
強姦罪等は第一の種類に属しますのですが、第一の種類、すなわち訴追により
被害者が迷惑するかどうかという点を考慮するという点から申しますと、これは世人一般に
権利意識というものがどの
程度に高まってきておるかということに大いに
関係があると思うのですが、これからの
立法としては、漸次そういう種類の
親告罪は減らして、いやしくも侵害を受けたならば法の保護を受け、そして同種の
犯罪のなくなるように、いわゆる泣き寝入り的な
行為はなくなる方向にもっていくのがいいのではないかと考えております。もとより、だからといって
強姦罪全部について
親告罪をなくしてしまうということは、現状においては行き過ぎでありますが、この
法案にありますような場合を考慮に入れますと、
親告罪の範囲をある
程度狭めていくという
立法の方向は正しいものを持っているように思います。これは申すまでもなく、
強姦罪も致傷、致死等になれば、現在でも非
親告罪になるのでありますから、その被害が
相当大きくなって、
被害者の意思というものよりも公安の維持の方により重きを置かなければならないという場合には、当然
親告罪を
親告罪でなくすという方向にいくべきだと思います。この
意味では本条の
立法において、大体において賛意を表していいものと思うのであります。
次に、大きな問題であるいわゆる
あっせん収賄罪、
法案の百九十七条ノ四という
条文についてであります。これはもう非常に世上にいろいろ論議もされておることでありますので、私は多少違った面、今まであまり言わなかった面とか、そういうような点を考えてみて申し上げようと思うのですが、根本的に申せば、
理想からははなはだ遠いということなんで、その
意味では決してこの
程度で満足すべき気持は持たないのであります。では、この
規定を置いた方がいいであろうか、置かない方がかえっていいだろうかということが次に問題になると思うのですが、これは当局の説明によれば、といいますか、正式のところの説明ではないかもしれませんが、私が伝聞するところによれば、今後の
立法上、もっと
あっせん収賄罪を厳重に取り締る
立法をする上の
一つの橋頭堡になるのではなかろうか、こういうようなことが世上にいわれております。そういう役をするとすれば、まあこの
程度でいくより仕方がないのかもしれない、この
程度に私は結論的には考えております。こまかい点について、若干御
参考になることを申し上げるといたしますと、根本的には、私は今回の
法案のような法文よりは、
昭和十六年第七十六帝国議会に
提出された
法律案の本条に
相当する
条文のような
立法を非常に望んでおるのであります。この
公務員がその
地位を利用しというようなところに問題があるようですが、一応それを除きましてはほとんど無制限であります。
改正刑法の仮案にあるのよりもこの
昭和十六年の案の方がより厳格であるということになるでありましょう。その
昭和十六年の案が、今まで出た案では一番いい、これに近いものを私としては望んでおるわけであります。それを念頭に置きまして、今回の
法案の
内容を少しく検討いたしてみますというと、これは世上一般にいわれておりますように、
請託という点、これはもちろん不作為、なさしめざるという
意味も含めて簡単に不正
行為と私は申しておきますが、不正
行為という点、それから第三に
報酬という点、この三つの点に大きな穴があるといわれております。これはまことにその
通りだと思うのですが、この法文そのものを見て、配付いただきました書類による説明とは違ったことを私は
一つ感じますので、それを御
参考に供したいのですが、それは
請託の
内容についてであります。それは立案当局の御
意見として、私が配付書類から理解するところによりますと、
請託の
内容は、不正なことをしてくれということを必要としないのだ、そうでない場合でもいいという御趣旨のように理解しておりますが、どうも私がこの
条文を読みますと、そういうふうに読めない。私のように感ずる人もたくさんおるであろう。してみますと、将来これが
法律となりました場合には、
法律は立案者と無
関係に独走いたします。独立の生きものとして
解釈されることになりますので、私のような
解釈も出てきはしないか、出てきはしないかでなくて、私とすれば、私だけの個人の
意見とすれば、そういう
解釈になるのだと言いたくなるのです。これはもちろん
反対の御
意見もあろうと思うのですが、私の読み方というのはこんなふうに読むのですが、この「
公務員請託ヲ受ケ」というのが結局「不正ノ
行為ヲ為サシメ又ハ
相当ノ
行為ヲ為サザラシム可ク斡旋ヲ為スコト」こういうふうにひっかかってくるので、
現行法の百九十七条の後段にあるような、単純な場合とは違って、
請託の
内容が当然その「
行為ヲ為サザラシム可ク」というのに
関係してくる、そっちからはね返って影響を受けてくると思われる。従って、不正
行為をさせるような
請託がなければ本条の罪が成立しないと、私はまあ読みたくなるわけなのです。そこで、おそらく従来、ここに配付の
判例にもありますが、
最高裁判所の
判例あるいは
大審院だったかと思いますが、とにかくわが国の
最高裁判所の
判例の示すところでは、これは
現行法の百九十七条の一項の後段というものの
解釈でありますから、
あとに不正
行為をさせるというような要件がついておりません
関係上、その
請託というのは別段特別な制限はない、こういうことに
判例はなっておる、それでけっこうだと思うのですが、この新しい
法案の
条文では、云々の「
行為ヲ為サザラシム可ク」あるいは「幹旋」をするというようにかかって参りますので、
請託ということの
内容がおのずから制限を受けて、何か不正なことをやってくれという
請託でなければならないようにどうしても読める。その結果は、配付いただいた書類の説明よりは、もっと制限的に、不正の
行為をしてくれという
請託がなければ成立しないということに私の
解釈ではなってくるように思う。その点御研究をいただきたいと思う。それでいいものかどうか。私は、根本的には、立案当局のような
解釈としても
理想ではないので、もっと厳重に罰したいという考えだった、おそらく立案当局も厳重に罰したいけれども、いろいろなことを考慮してこうなすったことだと思いますが、そういうわけでありますから、あまり制限されたくない、しかるに私のような読み方をすると、大へん百九十七条ノ四が制限的になって参りまして、ますますざるの穴が大きくなるということになりやしないかと、こう思うのであります。でこの
請託が全部かかってくるので、
請託だけがあるというならそれほど重大なことではないのですが、不正
行為、
報酬とか、そういう点にかかってくるというところに問題があるように思うのであります。また、
報酬というようなことも、これも一応いろいろな
機会に御説明を伺ったところでは、どうも正当な実費までももらえないというのでは困るというのが、かような文言を置いた
理由のように承知しております。御承知のごとく、現在の
刑法百九十七条の、通常のごく一般的な収賄罪におきましては、何らの要件もおかれていないわけであります。もとより
あっせん収賄は一般の収賄よりは特別の場合であるから、何かもう少し
条件をつけて、罰する場合を狭くしようというお考えが出てくることもよくわかるのでありますけれども、しかしながら、あまり制限をつけると取締りの実効が上らないということになるわけであります。で、むしろ
昭和十六年の案
程度がいいというのは、現在の一般の収賄罪には何も制限はつけていない、つまり
報酬としてもらうというようなことは要件ではないわけであります。どんな実質のものであっても、わいろといえる
程度のものであってはいけない、これが一般の収賄罪についての
規定であります。そういうふうにしておくことが、訴訟の上の立証上容易であるばかりでなく、取締りの上で非常に明瞭であります。また、法を守る上からいっても明瞭であります。
報酬以外の何か実費ならもらってもいいということが、私は政治の実際行動にうといのでよくわかりませんが、そういうことならもらってもいいとすることが大へん弊害を招くのではないかと思うので、そういう制限が何もないように、要するに、
公務員たるものがその廉潔性を保持していくためには、わいろのような利益を受けてはならないと、こういう思想を端的に現わす
規定であることの方が望ましい、こういうことは言えると思うのであります。私としてはさような感じを抱いておるわけであります。しかし、結論的には、いわゆるこれが橋頭堡になるようであれば、まあなきにまさるとして置くこともよいと思うが、しかし、果してなきにまさるかということについては、私も自信はございません。
もう
一つ、
あっせん収賄に関しては、諸国の
立法例におきましては、そう厳重に罰しておりませんし、収賄罪全体として、わが国の
規定は諸外国よりかなり厳重であります。こんなに厳重なんだから、もうこれ以上厳重にする必要はないだろうという御
意見もあろうかと思うのですが、
立法というものは、その国の社会生活の実情というものに合うように行わなければならないものであります。たとえば、大へん妙な例でありますが、近親相姦であるとか、動物に対する姦淫的
行為であるとかいうようなものは、わが国ではずっと以前から
処罰しておりませんが、これを罰している
立法例は諸国に多い。それは日本ではそういうものを罰しなくとも、そういう心配がないという実情にあるということからいって、決して諸外国が
立法しておるから
立法すべきだとは考えられないのであります。
反対に収賄罪のごときは、とかく東洋の諸国におきましては、情実にからんだ
行為が多いために、わが国について申せば、浪花節的という
言葉がよく言われますが、いわゆる義理人情、ごく低い
意味の義理人情あるいは親分、顔といったものがものを言う生活環境にありますので、かようなところでは、わいろ罪のごときも
相当厳重に取り締る
立法を置くことが社会の実情に沿う、こういう
意味において、諸外国の
立法例に比べれば、現在においてすら
相当厳重でありますが、もっと厳重にすることがよりよいものと考えます。
次に、二百八条ノ二、
持凶器集合罪というべき
条文でありますが、これにつきましては、私として大体賛成であります。ただいま森長さんがおっしゃったような
労働運動についての御異論も伺ってみればしごくごもっともと思うのですが、
労働運動等につきましても、これはつまりいやしくも
暴力を用いることは許さぬということが根本原則にあるという考えから申しますと、まあそこには限度があるのであって、この
程度の
立法をすることを、根本的な思想としては私は賛成であります。これに自由が列挙されていない、法益として生命、身体、財産というのがあって、自由があがっていない、たとえば逮捕監禁というようなことは、どうも普通は身体に対する罪とは言えないので、自由に対する罪でありますから、それは除かれる御趣旨であろうかと思うのですが、私はむしろ自由なども入れた方がいいのじゃないか。そういたしますと、それこそ
労働運動にからんで困るのじゃないかということが
反対論として考えられるのですが、しかし、
労働争議におきまして逮捕監禁に近いような、あるいは
構成要件としてはぴったりそれに当てはまるような
行為が、これはもう
労働争議そのものの性質上違法でも何でもない、当然に起ってくるということも私よくわかります。わかりますが、それはそういう
程度のものであれば、いわゆる正当
行為としてもっと大きな理論で許されるわけでありますから、理論的には、自由というものをこれに加えましても心配はないと考えます。ただ、
運用の上でどうも不当な
運用が行われるのじゃないかという御心配があるならば、それはまた格別でありますが、
法律家としてのただ理論からいえば自由を入れたい、こう考えるわけであります。
それから同条の第二項でありますが、第二項につきましては……第二項に入ります前に、ちょっと申しますと、第一項のさっき
凶器の問題について森長さんのおっしゃったことですが、これはごもっともなんで、どうも
凶器の観念が
ばく然としている、あまり広く
解釈されると困るということは私も感じます。私は通常
凶器を用法上の
凶器というのと、性質上の
凶器というふうに分けて考えておりますが、性質上の
凶器、人を殺傷するために作られたものというようなものは当然これに入れるべきだと思うのですが、用法上の
凶器にまで行くということになると、手ぬぐい一本も人の首をくくれるわけですし、さっきおっしゃった
ステッキなども問題になるわけですから、一体そこまでこれを厳重に持っていく必要があるだろうかということについて疑問を持ちますので若干しぼりをかけたい、こういう感じを抱きます。
さて第二項につきまして、これはよけいな疑問かもしれないのですが、ちょっと
字句の上で気になりますのは、第二項の「人ヲ
集合セシメタル者」という
言葉なんですが、御趣旨はよくわかるのですが、この
言葉だけにこだわって考えてみますと、たとえばこういう
行為を、つまり第一項のような
行為を教唆するというのはやはり
集合せしめるということになるのじゃないか。そうすると、教唆の中に、たとえば親分が子分に集まれと命じたような教唆であれば、それは刑を加重するという事由が
相当にあるのですが、本来教唆というものは、一般的には、
刑法では正犯に準ずとはなっておりますけれども、それは法定刑が準ずるというだけのことであって、実際の
裁判では、多くの場合、教唆は実行よりも軽い情状であると考えられておるわけであります。で、その方が重くなるということになると少し困りはしないか、「
集合セシメタル」という
言葉にはどうもそれまで入れて読むことも可能であるという点に多少こだわりを感じます。もう少し進めば、幇助でも、「セシメル」ということに当ると言えないこともなさそうな感じもしてくるというような点で、何かこの「セシメタル」という
言葉が刑の重いこととからんで考えますと、少し気になる
言葉であるということを申し上げたいと思います。
それからその次の、二百六十三条の次に一項を加えるという、つまり私
文書毀棄、
器物損壊等が
親告罪でなくなるように
改正しようということでありますが、これは先ほど
親告罪の二種類ということを申し上げましたのですが、その第二の種類、つまり被害が軽微である、
犯罪の性質上違法性があまり強くない、こういう種類の
行為であるがために
親告罪になっている場合だと考えます。従って、このような場合には、しいてこれを非
親告罪にすることには必ずしも賛成できない。
被害者の意思ということを
相当尊重する
立法の方が、私としては原則的には望ましいと思うのであります。しかしながら、当局の御説明にあるようないろいろな事案を考慮に入れますと、これを非
親告罪にしてもっと取り締ろうというお考えもしごくもっともかと存じますので、必ずしも、どうしても
反対だというほどではない、まあ割り切っていえばどちらでもよかろうということになりましょうか、その
程度に考えるものであります。
次に、
刑事訴訟法の問題でありますが、すでに時間を超過しておりますしいたしますので、ごく簡単に一言だけ申し上げますが、これにつきましては、私は大体
判例の考えておるような考え方で考えますので、今回の立案された
法案は
憲法上の問題は大体たくみに避けていると考えていいんじゃないか、従って、この
通りの
改正を行うことに賛成していいものと思うのであります。
超過いたしましたことをおわびいたします。
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