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1958-04-24 第28回国会 参議院 文教委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年四月二十四日(木曜日)    午前十時四十一分開会   —————————————   委員異動 四月二十三日委員吉田萬次君及び川村 松助君辞任につき、その補欠として紅 露みつ君及び川口爲之助君を議長にお いて指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     湯山  勇君    理事            野本 品吉君            三浦 義男君            竹中 勝男君            常岡 一郎君    委員           大野木秀次郎君            苫米地義三君            林屋亀次郎君            秋山 長造君            高田なほ子君            松永 忠二君            大和 与一君            吉田 法晴君   国務大臣    文 部 大 臣 松永  東君   政府委員    文部大臣官房総    務参事官    齋藤  正君    文部省初等中等    教育局長    内藤譽三郎君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   法制局側    法 務 局 長 斎藤 朔郎君    参     事    (第四部長)  腰原  仁君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○継続調査要求の件 ○教育文化及び学術に関する調査の  件  (道徳教育実施に関する件) ○公立義務教育施設費半額国庫負担制  度確立に関する請願(第三五号)  (第三六号)(第三七号)(第三八  号)(第三九号)(第四〇号)(第  四一号)(第四二号)(第四三号)  (第四四号)(第四五号)(第四六  号)(第四七号)(第四八号)(第  四九号)(第五〇号)(第九七号)  (第一四五号)(第一四六号)(第  一四七号)(第一四八号)(第一九  七号)(第一九八号)(第二四六  号)(第二四七号)(第二八四号)  (第二九九号)(第三一六号)(第  三四三号)(第三六七号)(第三八  九号)(第四〇九号)(第四二一  号)(第四四六号)(第四五七号)  (第四九二号)(第五四六号)(第  五六二号)(第五八四号)(第六五  〇号)(第六七六号)(第六七七  号)(第六七八号)(第一二八八  号) ○公立学校文教施設補助制度改善に関  する請願(第七号) ○義務教育施設等国庫負担制度確立  に関する請願(第二〇〇号) ○義務教育学校施設費国庫負担の恒  久立法化に関する請願(第二八五  号) ○義務教育施設総合的国庫負担制度  確立等に関する請願(第六三〇号) ○へき地教育振興法の一部改正に関す  る請願(第六三八号)(第九九四  号)(第九九六号)(第一〇一三  号)(第一〇一五号)(第一〇一六  号)(第一〇一七号)(第一〇一八  号)(第一〇一九号)(第一〇二〇  号)(第一〇二一号)(第一〇二二  号)(第一〇二三号)(第一〇二四  号)(第一〇二五号)(第一〇二六  号)(第一〇二七号)(第一〇二八  号)(第一〇二九号)(第一〇五一  号)(第一〇五二号)(第一〇八二  号)(第一〇八三号)(第一〇八四  号)(第一〇八五号)(第一〇八六  号)(第一〇八七号)(第一〇八八  号)(第一〇八九号)(第一〇九〇  号)(第一〇九一号)(第一〇九二  号)(第一〇九三号)(第一〇九四  号)(第一〇九五号)(第一〇九七  号)(第一一〇四号)(第一一〇五  号)(第一一一三号)(第一一一四  号)(第一一三三号)(第一二二六  号)(第一二二七号)(第一二四〇  号)(第一二五一号)(第一二九一  号)(第一二九三号)(第一四四八  号)(第一四七二号) ○義務教育学校学級編成基準等に関  する請願(第九八号)(第三七四  号)(第四一〇号)(第四一一号)  (第四七〇号)(第五〇一号)(第  五五二号)(第五八五号)(第六七  五号)(第一一三四号) ○義務教育学校教員配置基準等に関  する請願(第一九九号) ○公立義務教育学校学級編成及び  教職員定数の標準に関する法律案反  対等に関する請願(第一二四二号)  (第一二六六号)(第一二六七号)  (第一二八六号)(第一二八七号)  (第一三〇二号)(第一三一四号)  (第一三一五号)(第一三一六号)  (第一三七三号)(第一四一六号)  (第一五三六号)(第一五六九号)  (第一五七〇号)(第一六三三号) ○学校保健法制化等に関する請願  (第一四四号)(第二三二号)(第  二五七号)(第二八六号)(第三四  一号)(第四〇八号)(第六七九  号)(第一〇三一号)(第一一三五  号)(第一一九六号)(第一二四一  号)(第一二四三号)(第一二六二  号) ○建国記念日制定に関する請願(第九  五号)(第九六号)(第一八八号)  (第二四八号)(第二八二号)(第  三一一号)(第三三〇号)(第三三  八号)(第三三九号)(第三五七  号)(第三五八号)(第三六八号)  (第四一二号一一第四一三号)(第  四三一号)(第四三二号)(第四四  八号)(第四六八号)(第四七三  号)(第五〇〇号)(第五一一号)  (第五四七号)(第五五九号)(第  五六〇号)(第五六一号)(第五六  九号)(第五八六号)(第五八七  号)(第五八八号)(第五八九号)  (第五九七号)(第六〇五号)(第  六三九号)(第六四〇号)(第六六  〇号)(第六六二号)(第六六三  号)(第六八〇号)(第六八一号)  (第六八二号)(第六八三号)(第  六八四号)(第六八五号)(第六八  六号)(第六八七号)(第六八八  号)(第六九七号)(第六九八号)  (第六九九号)(第七〇〇号)(第  七〇一号)(第七〇二号)(第七〇  三号)(第七〇四号)(第七一四  号)(第七一八号)(第七一九号)  (第七二〇号)(第七二一号)(第  七二二号)(第七二四号)(第七二  六号)(第七二七号)(第七三七  号)(第七三八号)(第七三九号)  (第七四九号)(第七五〇号)(第  七五一号)(第七六五号)(第七六  九号)(第七七〇号)(第七七一  号)(第七七二号)(第八〇四号)  (第八一三号)(第八一四号)(第  八五六号)(第八五七号)(第八五  八号)(第八五九号)(第八六〇  号)(第八六三号)(第八七二号)  (第八七七号)(第八七八号)(第  八七九号)(第八九八号)(第九〇  八号)(第九〇九号)(第九二七  号)(第九二八号)(第九五九号)  (第九六〇号)(第九六七号)(第  九九二号)(第九九五号)(第一〇  三二号)(第一〇三三号)(第一一  〇三号)(第一一二〇号)(第一一  二一号)(第一一二二号)(第一一  八九号)(第一二〇六号)(第一二  〇七号)(第一二〇八号)(第一二  〇九号)(第一二二四号)(第一二  二五号)(第一二四九号)(第一二  五〇号)(第一一七九号)(第一三  七一号)(第一四一四号)(第一四  七三号)(第一四八一号)(第一六  〇六号)(第一六五二号)(第一六  八六号)(第一八〇三号) ○建国記念日制定反対に関する請願  (第一〇一四号)(第一二五二号)  (第一二六三号)(第一二六四号)  (第一二八二号)(第一三七二号)  (第一四八三号)(第一五二六号)  (第一五二七号)(第一五三九号)  (第一五四〇号)(第一五四一号)  (第一五六七号)(第一五六八号)  (第一五九八号)(第一六三四号)  (第一六三五号)(第一六三六号)  (第一六三七号) ○学校教育法第二十八条改正に関する  請願(第一二八四号)(第一六一〇  号) ○養護教諭増員配置に関する請願  (第七六八号)(第八四〇号)(第  一一三六号) ○養護教諭増員配置等に関する請願  (第一三六二号)(第一四一三号) ○学校教育法第百三条改正に関する請  願(第一一三二号)(第一二六五  号)(第一二八三号)(第一五二五  号)(第一五三八号)(第一五九九  号)(第一六五一号)(第一六七五  号) ○学校教育法の一部改正に関する請願  (第一二八五号)(第一三〇一号)  (第一四〇一号)(第一四一五号)  (第一五〇三号)(第一五二〇号)  (第一五三七号)(第一五七一号)  (第一五七二号)(第一五七三号) ○実業高等学校実習助手身分等改善  に関する請願(第一〇三四号) ○栃木県宇都宮市所在航空自衛隊第二  操縦学校周辺小中学校防音装置に  関する請願(第二八三号) ○軍事基地周辺学校教育対策に関す  る請願(第三四五号) ○軍事基地等周辺学校防音施設完備  促進に関する請願(第一一九四号) ○義務教育費国庫負担法に基く教材費  国庫補助増額等に関する請願(第六  号) ○滋賀甲西中学校体育館建設に関す  る請願(第一八二六号) ○香川県林田中学校体育館建設に関す  る請願(第一八四九号) ○学校施設烈風被害に対し公立学校  施設費国庫負担法適用請願(第九  七二号) ○高等学校定時制教育及び通信教育  の予算に関する請願(第六七四号) ○高等学校科学教育予算増額等に関  する請願(第五九一号) ○東北地方科学技術教育振興等に関  する請願(第三二四号)(第四五三  号) ○教科書末端販売機構改革に関する  請願(第六四一号) ○小学校理科教科書誤り訂正に関す  る請願(第六〇九号) ○小中学校音楽科授業時数増加に関  する請願(第二二〇号) ○義務教育毛筆習字独立教科とす  るの請願(第九二六号) ○学校給食法の一部改正等に関する請  願(第三四二号) ○学校給食費国庫補助増額に関する請  願(第一一九五号) ○児童、生徒の災害補償立法化促進  に関する請願(第三四〇号) ○滋賀常楽寺国宝重要文化財防災  施設費国庫補助に関する請願(第一  二〇五号) ○国旗記念日制定に関する請願(第七  六七号) ○教職員勤務評定反対に関する請願  (第一三〇三号) ○愛知学芸大学名古屋分校後期課程  設置反対請願(第二四四号) ○国立劇場建設に関する請願(第一八  四八号) ○靖国神社の国家管掌に関する請願  (第八〇五号)(第一四四九号) ○義務教育費国庫負担増額等に関する  請願(第三四四号)(第一〇三〇  号)   —————————————
  2. 湯山勇

    委員長湯山勇君) これより文教委員会開会いたします。  委員異動について報告いたします。昨日吉田萬次君、川村松助君が辞任され、補欠として紅露みつ君、川口爲之助君が選任されました。   —————————————
  3. 湯山勇

    委員長湯山勇君) まず、継続調査についてお諮りいたします。本委員会においては今期国会開会以来、教育文化及び学術に関し調査を行なって参りましたが、問題が広範多岐にわたり、いまだ完了するに至っておりません。従って、今期国会が閉会して後も、継続して調査を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 御異議ないと認めます。  つきましては、本院規則第五十三条により、議長に提出いたします継続調査承認要求書については、その作成及び手続等、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 御異議ないと認めます。  ちょっと速記をとめて下さい。    〔速記中止
  6. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記をつけて下さい。   —————————————
  7. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 引き続きまして、道徳教育実施に関する件を議題といたします。質疑のある方は、順次御発言を願います。
  8. 松永忠二

    松永忠二君 簡単にお答えをいただいて、要点を一つまとめて参りたいと思うわけであります。「道徳」の時間の実施に関する法的規拠についてというプリントをいただいたわけでありますが、まず、この学習指導要領というものが、どういう性格を持っているかということについて、三月四日の内藤局長の答弁で「教育課程学習指導要領基準によると、こういうふうに規定されておるのでございます。ですから、教育課程基本に関するものは文部大臣がきめ得ると、かように考えております。」それから「法的には文部大臣が作成したところの教育基本方針である。こういうふうに考えていただいたらけっこうかと思います。」こういうふうに説明されているのですが、これで、局長はこういう性格だというふうに説明されておるのだが、別にこれで御異議はないと思うのですが、どうなんですか。
  9. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) さように心得ております。
  10. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、そういう学習指導要領教育基本だというお話が確認されると、その次に教育委員会権限については、二に、「教育委員会は、同法第二十五条の規定により、法令に基かなければならないのでありますから」ということがあるので、教育委員会法令に基かなければ管理権を発動できないというふうに解釈できると思うのですが、これはその通りでいいと思うのですが、いかがですか。
  11. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) さようでございます。
  12. 松永忠二

    松永忠二君 そういうふうになりますと、教育基本文部省が定め、それが学習指導要領である。しかも、その教育委員会は、法令に基いてそういう権限を持っているということになると、この学習指導要領にある教育基本を逸脱するようなことを、教育委員会としては、管理権として発動できないと思うのですが、それはどうなん外すか。
  13. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) さようでございます。
  14. 松永忠二

    松永忠二君 そういうふうになれば、学習指導要領という中に、そこのプリントにあるように、「教科以外の活動として、どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれにあてるかは、学校長教師児童がその必要に応じて定めるべきことである。」というふうに規定されていることから考えてみるならば、このことを逸脱した管理権教育委員会は持っているわけはないと思うのですが、どうなんですか。
  15. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) お尋ねの点につきましては、文部省から道徳教育指導通達を出しましたのは、学習指導要領一般編におきますところの教科以外の活動の中で行う道徳教育という項がございますので、この教科以外の道徳教育を行う場合の指導助言かいたしたわけでございます。御指摘の通り、その中でどのようなものを選び、どのくらいの時間をこれに当てるかは、学校長教師及び児童が、その必要に応じてきめるべきことでございます。これはただいまのお説の通りでございます。しかしながら、地方教育行政組織及び運営に関する法律規定によりまして、教育課程編制権そのもの教育委員会にございますので、教育委員会は一般的な指示権はあるわけであります。その指示権範囲内において、具体的にどれをどういうふうにするかということは、学校長や、教師児童がその必要に応じてきめる、こういうふうに解釈しておるのであります。
  16. 松永忠二

    松永忠二君 今御説明のあったようであるから、従って学習指導要領、その教育基準であり、法的にもそういう基準性格を持っておる学習指導要領の中に「教科以外の活動として、どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれにあてるかは、学校長教師児童がその必要に応じて定める」と規定されておるわけでありますので、従ってそういう学習指導要領、いわゆるこの権限、こういう内容以外の管理権教育委員会が発動することは違法であるというふうに考えなければいけないわけです。あなたは教科以外の活動の中に、時間の特設をして一週に一時間、こういう実施要領にしてやれというようなことについては、これは今の学習指導要領のそれと違っておるのですから、学習指導要領に違っておることであるから、従って今あなたがおっしゃっているように、教科以外の活動の中で道徳教育をどうするかということを指導しただけだ、あるいはそういうことを、管理権を発動しただけだということを言うけれども、そういう管理権の発動の仕方というものは、ここにちゃんと規定されておるわけなんですね。従って学習指導要領というものが変らない以上は、あなたのおっしゃるような教科以外の活動の中で、そういう管理権を発動することはできないと思うのです。その通りだと思うのですが、どうなんですか。
  17. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 現行学習指導要領によりますと、教科の中でも、道徳教育を行うことになっておりますし、教科以外の活動の中においても道徳教育をやるように、こういうふうに指示されておるのであります。特に二十ページ、あるいは九十五ページには明確に指示されておると思います。それで、この場合にそれをどういうふうにしたらいいかという点で、現行学習指導要領の趣旨を実現するのに、私どもは時間の特設が望ましいことであるという通達を出したのでございます。ですからこの場合に、それをどういうふうに具体的に選ぶかというようなことは、これは学校長や、教師や、児童がきめるので、これはあくまで具体的であって、私どもがお示ししたのは、一般的な方針でございます。教育委員会文部省のその道徳教育に関する一般的方針に基いて、この一般的方針はもちろん、学習指導要領運営基準に関する一つの解釈規定とお考えいただきたいと思うのです。ですから学習指導要領の一部に当るものだというふうに御理解いただいて、その一般的な方針に基いて教育委員会が措置したわけでございます。具体的には、ここに明示されておりますように、たとえば低学年の場合に、とても一時間が無理だというような場合には、これを十五分ずつに分けるとか、あるいは三十分ずつに分けるとかいうようなことは、これはけっこうだと考えております。
  18. 松永忠二

    松永忠二君 私の言っているところを一つ的確に……。あなたの意見や、いろんなことを言うのでなしに、どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれに充てるということになる。どのようなものを選ぶということになるけれども、どのようなものも選ばれないように、ちゃんと実施要領がきまっているのじゃありませんか。一週間にどのくらいの時間を選びたくても、一週間に一時間それをやれというふうになっているのじゃありませんか。そういうふうに、一体都道府県の教育委員会が、そういうふうなことまで管理権を発動できるのは、こういうふうに学習指導要領が変化してから後であって、今あなたのおっしゃるような時間の特設ということになれば、一週に一時間やれということと、どういうふうにやるかということは、この実施要綱によってやっていくということにきまっているのですから、ちゃんともう規定されているのじゃありませんか。だからそういうふうに定規した内容で、規定した時間でやるということについては、学習指導要領では、そういうふうに書いてないし、きめてない。きめてないことを教育委員会管理権を発動して、教育委員会がきめたから、すぐやらなくちゃいけないというようなことを言うことは、これは法的に違っているのじゃありませんかと、そういうことを私は言っているのですよ。
  19. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私どもの出した指導要領は、これは現行学習指導要領の一部を補ったように考えているのでございます。それに基いて一般的な管理権教育委員会がやられることは、これは差しつかえないのではなかろうか。その一般的管理権に基いて、具体的に何をどうするかというようなことになりますれば、これは学校長や、教師や、児童がきめるべきものである、こういうふうに考えているのでございます。
  20. 松永忠二

    松永忠二君 そういう詭弁、通らない詭弁を弄しても仕方がないじゃありませんか。学習指導要領の、それを補うような意味で出したと言う。補いじゃないんじゃないですか。どのようなものを選ぶということの規定をこういうふうに規定してある。どのくらいな時間というのは、一週に一時間と、こういうふうに規定しておきながら……、これは学習指導要領を補うということじゃないんじゃないですか。学習指導要領には、そうでなしに、どのくらいのものを選び、どのくらいの時間にするということを、学校長や、教師や、児童がきめるというのだから、従ってあなたが、極端なことを言えば、指導要領が出たといったって、どのくらいな時間、どういうものを選ぶのも勝手だろう。一時間だからといっても、そんなことはどのくらいの時間を選ぶということを、それは勝手なことだ、こういうふうにちゃんとなっているのです。ただ試案として、参考の案として出していくというなら別だけれども、このようにやりなさいということを教育委員会決定をしたとするなら、しかもどのくらいのものを選んだり、どのくらいの内容を選ぶということが許されないようなことを地方教委決定をしたとするならば、これは今の指導要領の、つまり指導の補足だとか、何とかということは、地方教委としてやることはできないじゃありませんか、どうですか。
  21. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私もたびたび申し上げておりますように、たとえばそこに例がございますように、修学旅行実施計画は、学校長なり教師児童立案するものでございます。それをどういうふうにきめるかということは、学校にまかせておりますが、教育委員会から宿泊日数とか、あるいは旅費などの制限を一般的に指示することは、これは一向差しつかえないと思うのです。で、修学旅行教科以外の活動の一部分でございます。同様に道徳教育につきましても、教科以外の活動の中における道徳教育のあり方についてお示しすることは、これは差しつかえないと考えます。
  22. 松永忠二

    松永忠二君 そんなばかな話はないですよ。一体例としてそこに出ているその修学旅行のことと、この道徳時間の問題とを比較するなどというようなことも、こっけいな話し、それから実施計画学校長教師児童立案をする、立案をするということと定めるということとは、定めるべきことであるとかいうことは、全然内容は違うのです。立案をする以上は、その通り旅費などの制限まで指示されることはこれは当りまえのことなんです。しかもそんなことはどこに……。一体学習指導要領というものは法的な基準を持っているのじゃないですか。そんなこととこれとを比較して、それでいいのだというようなことは全くこっけいな話しだと思うのですが、やはりそれは同じことなんですか。
  23. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 学習指導要領の二十二ページによりますと、「民主的組織のもとに、学校全体の児童学校の経営や活動に協力参加する活動」の一部として児童会とか、あるいは児童の種々な委員会、あるいは児童集会、それから奉仕活動学級を単位としての活動の中には、学級会、それからいろいろな委員会クラブ活動等があげられておりまして、この中にクラブ活動、それからそのほかにさらに「教科以外の活動が、適切に指導されるならば、児童を望ましい社会的行動に導くことができ、道徳教育として目ざすものの多くをも、実践を通じて体得させることができるであろう。」以下二十五ページに相当詳細に道徳教育の目標を掲げられておるわけでございます。そこで、私どもは具体的に学校計画をされる場合には、これは学校長教師児童が必要に応じて定めるということと、一般的な教育委員会管理権を指示することは、少しも矛盾しないと考えておるのであります。
  24. 松永忠二

    松永忠二君 それはいろいろなことをこういうこともある、こういうこともあるというふうに書いてあるのであって、その範囲でその学校長教師立案をしていくというようなことは、当りまえなことです。しかし、この道徳教育教科以外の活動については、明確にはっきりこういうふうに定めるべきことであるというふうに規定をしていることなんです。しかも、あなた、道徳時間特設ということについては、これとは全然違うことなんでしょう。どのようなものを選びじゃなくて、こういうふうなものを選んでやりなさい、どのくらいの時間でなくて、こういうふうにやりなさい、しかもこれはきめた以上、それよりも違ったことをやったならば、あなたはこれは違反だと、こう言っているじゃないですか。
  25. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私どもの示したのも、あそこに小学校三十六の指導目標が出ており、そして中学校二十一の指導目標が出ております。その中で低学年にはどういう目標がいいのか、それをどういうふうにその中から選ばれるのか、また、どういうふうな時間を充てるのがいいのか、一時間が私どもは適当であるということを指示しておりますけれども、低学年というような場合には、一時間は長過ぎるから、これを三十分ずつに区切ることも必要かと思います。あるいは二十分ずつ三回にやることも必要かと思います。ですからどういうふうなものを選び、どういうものをどの程度に充てるかということは、これは教師学校長に、あるいは児童の心身の発達状況を考慮して、必要に応じて定められると、こういうことで私は矛盾しないと考えているわけです。
  26. 松永忠二

    松永忠二君 それだから、私は学習指導実施要綱というものの中から、学校長が随意にその中のものを選んでいくということであればいいと、こう言っているのです。一時間というふうに規定してあるけれども、それには拘束されないで三十分でやっていくとか、そういうふうに自分が定めていけば、それでもいい。だから一時間やりなさいということは、おかしいだろうと言っているのです。それを一時間を三十分と三十分に分けるということについてはいいけれども、一時間というものをそれでは十分にしたら、三十分にしたら悪いということを言ったならば、これはおかしいじゃないですか、そういうことを言っているのです。だからあなたがおっしゃったその教育委員会がこの実施要綱の中から適当に選んで内容を選びなさい、一時間ということであるけれども、一時間を希望するけれども、そのやり方は三十分、三十分にするか、あるいは一時間はもうやれないから三十分にしちゃうのだという随意のつまりどのくらいの時間を選んでいくかということは勝手なんだと、そういうふうに今規定されておるのだから、そういうやり方で地方教委決定をするならば間違いじゃないけれども地方教委がこの実施要綱通り、しかも一週間に一時間はやれということを決定したとしても、その決定に従うことは学校教師としては、今のところ法的に何ら拘束されるべきものではないということを言っておるのです。どうなふですか、それは。
  27. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) ですから私の申し上げておりますように、どういうものを、あの指導目標の中から、具体的に低学年にはどういうものがいいか、高等学年にはどういうものがいいか。で目標も三十六原則を重点的にどういうものをしぼっていったら、この学校に一番いいか、子供たちの心身の発達の上から考えてどういうものがいいかということは、これは学校長教師児童がその必要に応じてきめるべきものである。時間も私ども教科以外の活動が大体三時間でございますので、その中から一時間を充てるようにと申しましたのは、従来生活指導で一時間やっておりますので、一時間が望ましいということを指示したわけでございます。そこで、この場合に私ども指導方針といたしましても、低学年等で三十分ずつに分けた方がいいということであれば、それもけっこうですと、こういうふうに申し上げておりますので、これをどのくらいの時間を充てたらいいか、あるいは一時間が足らないから二時間にされるということもあり得るだろうし、あるいは一時間を二つに分けることも、これもけっこうだと思います。こういうことはすべて学校長や、教師や、児童がやはりその必要に応じておきめいただきたいと思います。
  28. 松永忠二

    松永忠二君 そこで、私が申し上げたいのは、そういうことであるから、都道府県の教育委員会がかりにこの通り実施要綱通りやれ、一週間一時間でなければできないということを、規制をすることを決定したからといって、それを拘束する権利は、今のところないということを私は言っておるのです。それはどうなんですか。
  29. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) その通りでございます。ですから私ども指導助言を申し上げておるわけでございます。
  30. 松永忠二

    松永忠二君 文部省のことを言っておるのではありませんよ、文部省のことを。先ほどからあなたいろいろ言っておるんじゃないですか。文部省のことを言っておるのではないことは、わかっておるでしょう。今のことは教育委員会といえども、やはりそうであることには間違いありませんな。
  31. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 地方教育委員会決定にまかせてあります。
  32. 松永忠二

    松永忠二君 地方教育委員会といえども文部省が言われておるような限度で決定していくということはいいとしても、一週一時間この指導要領に必ずやれというやり方を決定するということは、今の法的な意味からいえばできないということを解釈しているのですがね。
  33. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) できないというよりは、地方教育委員会が自主的な判断に基いて、あの指導要領も相当弾力性がございますので、この指導要領に準拠してやるということを地教委が決定になるもこれも自由でございます。また、これは少し困るから多少変更していくとか、そういうふうにおきめになるのも、これも自由でございます。
  34. 松永忠二

    松永忠二君 同じことをただあなたはいろいろに言っておるだけのことであるので……。ちょうど文部省が地方の県の教育委員会にやはりこの実施要綱に基いて大体一時間くらいのところをやってほしいという指導助言する権利は当然あるので、その指導助言に基いて都道府県教育委員会がやはりそういうふうな意味で、このきめた実施要綱に基いて大体これくらいの時間で実施をしてほしいという指導助言は、府県の教育委員会はできると私は思うのですが、ただしかし、府県教育委員会道徳時間の特設は一時間でなけれげできない、そうしてこの教育委員会決定した実施要綱通りにやれというとは、今の学習指導要領の改められたい現段階においては、これは法律的に行き過ぎだということを私は言っておるのです。その点を明確にはっきり答弁して下さい。
  35. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私は教育委員会教育課程の編制権を持っておりますので、教育委員会としては、いかなる決定も私はできると思います。この文部省指導通達が学習指導要綱の範囲外ならお説のような私は見解が成り立つと思いますけれども、私ども文部省指導通達というものは、学習指導要領一般編におきます運用基準を示したものと、かように考えておりますので、指導要領の中だという解釈をとっておるのでございます。
  36. 松永忠二

    松永忠二君 指導要領の中だということなら、これを聞くんですよ。指導要領にはどういうようなものを選び、どのくらいの時間をそれに充てるかということについては、教師児童がその必要において定むべきことであると書いてあるじゃないですか。それを指導要領はこうだ、そしてまた、時間は一時間だというふうに規定し得るということは、この指導要領内容じゃないでしょう。内容以外じゃないですか。それでも内容の中だとおっしゃるのですか、どうです。
  37. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 道徳教育指導目標につきましては、指導要領の二十五ページに詳細に出ております。ですからこういう中からどういうものを具体的に選ぶか、どのぐらいの時間を充てるかということは、私どもは一般的水準として一時間が望ましいというふうに思っておりますが、これを具体的にどの程度にするかということは、これは学校長教師児童が、必要によってきめるのだということでございますので、私は矛盾がないと思っております。教育委員会がそういう文部省指導通達に準じてやるという決定をされるなら、これは一向に違反ではないと考えております。
  38. 松永忠二

    松永忠二君 文部大臣にお聞きいたします。こういうふうに、一体いろいろ言っていて、それをいろいろ何か裏返したいろんな言い方をしていて、そうして外部の者がまたこの速記録を調べて、これは明らかにどう考えてみても、局長の誤まりだというふうに判断をしてきた場合には、どうするのですか。そしてまた、もう一つは、一体こういうふうなことが追及できないし、またはっきりされないということなら、どうして一体この問題を明確にすることかできるのですか、私はやはりこういう論議の中で今私の申し上げておることは、それほど私は間違ったことを言っておるのじゃないと思うのですよ。これは反対の立場の方がお聞きになっても、ただ一つの法的な理論でありますから、繰り返して申し上げますが、文部省が今の学習指導要領に基いてこういう実施要綱で大体一時間ぐらいのものを作ってやってもらいたいということを指導助言することは、権限にあり得ると、しかしまた、都道府県の教育委員会がその指導助言に響いてこういうものは、道徳時間を、実施要綱に速いてこのぐらいの時間をやってほしいというようなことについては、やはり指導助言はできる。ただしかし、これに歩いてこういうことの内容で一時間必ずやれということは、今の学習指導要領のこの文面の中からは、どうしても出てこないということを私は音っているのです。この中でも出てくると大臣お考えになりますか。私はどんな学者、どんな言語の学者に見せたって、そういう判断は出てこないと思う。また、そういうことを学者に附かなければ判断できないということではなくて、常識的に考えてみてそうだということはおわかりになると思うのです。どうですか大臣、あまり強引な言い方じゃないですかね。
  39. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) これは私はさっきから松永委員のお話のことを承わって、それと内藤局長の言っておることは、一つも違っておらぬ。(「うそだよ」そんなことない」と呼ぶ者あり)ちょっとお待ち下さい。だって、あなた何でしょう。文部省通達をしましたわな、教育委員会通達をする、それは拘束力がない、学習指導要領が改まって出るまでは、その通達でいくのだ、それは拘束力がない。しかしながら、地教委がその通達に基いて学校長あたりに道徳時間を一時間なら一時間特設してやれと、こういう命令をしたとします。しかし、命令をしたけれども、その一時間の中でそれを三十分にしようとか、あるいはその中のどんなものを一つ道徳教育の中から教材として選ぶかというようなこととか、あるいはどのくらいの時間をそれに充てるとかいうようなことは、それは学校長教師児童あたりが、その必要に応じてきめる、こういうことでしょう。ですからそれは教育委員会、地教委か出したことについては拘束力があるけれども、しかしその出したことの中で時間の点は、ちっともやらぬというわけにはいきませんよ。しかし、そのうちを三十分にするとか、あるいは二十分にするというような権限はそれは校長並びに教師児童にまかせてある、こういうふうに解釈するのがほんとうじゃないでしょうか。
  40. 松永忠二

    松永忠二君 そうではないので、あなた方が、文部省指導助盲の範囲を越えることができないのは、学習指導要領を改めなければできないということなんです。そういうことはお認めですね。そこでその学習指導要領というものは法的に全部文部省も県の教育委員会も拘束している法的な基準なんです。教育基本だとこう言っているじゃないですか。だからそれが変らなければ、文部省も拘束できないように、県の教育委員会も実は拘束ができないのですよ。それは指導助冒の範囲で、拘束はできない、そういうことを私は申し上げているのです。もし、文部省指導助言範囲で拘束力がないけれども教育委員会指導助言範囲を越えて拘束力があるということになるなら、今」こで話したように、教育委員会法律に基いてでなければやれないという基準がぐらついてくるじゃありませんか。だから、私の申し上げておるのは、文部省が現在の学習指導要領を改めなければ指導助言ができないように、県の教育委員会もまた、学習指導要領が改まってこなければ、これを指導助言範囲を越えることはできないということを認めるか認めないか、ここだけなんです。
  41. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) ただいまお尋ねのその問題ですが、これはなるほどいろいろ研究の仕方によって、議論もあることとは思いますけれども、しかし、地方教育委員会は一般的の教育課程管理権を持っておることは御承知の通りであります。その管理権に基いて文部省通達に従って学校校長に指令を出した、その指令に従ってやるということは、これは法律違反でもなければ何でもない。たとえば今のホーム・ルームの時間で一時間なら一時間、それを道徳教育教科をやれ、そういうことの指導要領内容です。だから指導要領に反しているものとは認められない。けだし、今申し上げた通り教育課程一般的管理権を持っているのですから、その管理権に基いて地方へは出すことができる、そういう命令をすることができる、こういうふうに解釈するのが当然ではないかと思います。
  42. 松永忠二

    松永忠二君 管理権に基くというお話ですが、管理権法律によらなければてきないということは、地方行政の法律にちゃんと書いてありますよ。そういうことをおっしゃるけれども、ここに教育委員会権限というものはそこにちゃんと出ているのです。ここに第二十三条に「教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務で」と書いてある。法律またはこれに基く政令によって、その権限に属する事務をやることができると書いてある、ちゃんとここへ出した解釈の中にも、教育委員会は「同法第二十五条の規定により、法令に基かなければならないのでありますから、」と書いてある。第二十五条にも教育委員会及び地方公共団体の長は、法令……というようなことをちゃんと書いてある、自分でも書いているじゃありませんか、それは間違いないでしょうか。
  43. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) これは今の仰せになりました地方教育行政組織及び運営に関する法律、この二十三条に「教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務で、次の各号に掲げるものを管理し、及び執行する。」と、こうして一、二、三、四とありまして、五に「学校組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。」これにあてはまる。従って教育課程のことも、それの指導をやることも、やはり教育委員会権限に属する。従ってその指導要領の今やろうとしているので、さらに文部省通達をしたことは指導要領の補足なんてす。補充なんですから、ですから指導要領に反しているわけでもなければ、何でもない。ですからもっと補充をして、そして道徳教育の強化をしようということで、法律に違反したわけでも何でもないんです。
  44. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記をとめて。    〔速記中止
  45. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記をつけて。
  46. 松永忠二

    松永忠二君 教育課程の編制の権利があるといっても、それは法律、政令に基くものでなければできないとちゃんと書いてある。その法律、政令に基くというのは、さっきから——文部大臣、私の言うことを聞いていて下さい、法律、政令に基かなければできない、そういうものに基いて管理権があるのであって、それに基いて教育課程や、あるいはいろいろな権利があるわけなんで、そこで法律、政令に基くということになると、ほかの法律で御承知のように教育課程学習指導要領基準によるというような明確なものがある。そういう学習指導要領基準があるので、その学習指導要領を変えなければ、今言う通り文部大臣権限を発動できない、指導助言をするのだ、その法律がずっと拘束力を、学習指導要領基準によるという法律の規則の拘束力がずっと文部省にもかかっているし、県の教育委員会にもかかっているわけなんだから、その中でつまりやらなければできない。それじゃその中でやるのは、先ほど学習指導要領のあれに補足したのだということをおっしゃるけれども学習指導要領にはどのくらいのものを選び、どのくらいの時間をするかということは、教師学校が定むるべきだと書いてある。だからこのことが改まってこない以上は、現場の学校、そうしてまた教師は、幾ら県の教育委員会といえどもこういう内容でこの時間をやれということは、この学習指導要領の補足ではない。そうして法律的な権限の逸脱だと、こう言っているのです。
  47. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 御指摘になりました二十三条「当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務」というのは、権限範囲規定したわけであります。ですから他の法律教育委員会がたとえば保健衛生のことをやれと書いてあれば、保健衛生のことが法の二十三条以外のことでも教育委員会権限に属せしめられるわけです。ですからこの二十三条は、あくまでも権限範囲規定したもので、それから権限の行使につきましては、これは先ほどお尋ねになりましたように、学校教育法に基きまして、二十条に基いて、学校教育法施行規則二十四条、二十五条が出てくるわけです。二十四条に教科が出てき、二十五条に「教育課程については、学習指導要領基準による。」こういうふうになっているわけでございます。そこで、今お尋ねの点は指導要領の、私どもはこの指導要領に相当いろいろ書いてありますが、この中で教科以外の活動の中で道徳教育をやるように指示しております。このやり方について、補足的に文部省は説明したわけでございます。その補足的な説明に基きまして具体的にこれを各学校でどうやるかということは、これは教育課程の今お読みになりましたように、どういうものを選んで、たとえば三十六の項目の中から三つとか五つとかというものを重点的に選ぶとか、そしてまた、学年によってその指導目標も違ってくると思うのです。それからどのくらいな時間をそれに当てるかということも、私どもは一時間を望ましいとしておりますが、教科以外の活動の中に、大体三時間程度でございますから、その中で必要があれば、一時間半なり、あるいは一時間を二回に区切る場合もあるだろうし、いろいろあると思います。そういうことは具体的には教育委員会に……、校長と教師児童が必要によってきめる、こういうふうに私どもは解釈しております。
  48. 松永忠二

    松永忠二君 ここにそういうことが書いてありますよ。第四十九条に基準の設定ということが出ている。「都道府県委員会は、法令に違反しない限り、市町村委員会の所管に属する学校その他の教育機関の組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営基本的事項について、教育委員会規則で、教育の水準の維持向上のため必要な基準を設けることができる。」と書いてある。教育課程基準というものは、教育編制の基準というものは、この「法令に違反しない限り」できると、こういうことが書いてある、「法令に違反しない限り。」だから「法令に違反しない限り」ということになれば、この学習指導要領は、この学習指導要領というものは法令に基く教育基準だ。で、その学習指導要領の中には、どういうものを選び、どのくらいの時間をやるかということは、学校長や、教師や、生徒が、必要に応じて定むべきものだと書いてある。従って、この現在の学習指導要領が法的に根拠を持っている以上は、幾ら教育委員会基準を定めようが、この第四十九条における基準は、この学習指導要領を逸脱した基準を出すことはできない点が、はっきりしているじゃありませんか。それだからこの学習指導要領に基かないで、このように、この時間にやれということを決定することは、これは第四十九条の基準決定の違反になるということを言っているのですが、どうですか。
  49. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私は、学習指導要領一般編について、補足的な説明を、道徳教育を充実するという意味から、補充的な説明をしているのであります。ですから、これが私どもは、指導要領、今までの指導要領法令に違反していない、従って地方教育委員会文部省指導通達に基いておやりになることは、法令に違反しないと、こう解釈しているのであります。
  50. 松永忠二

    松永忠二君 それじゃ内藤局長に、この今あげてある学習指導要領が、このあなたの、ここに出ている、どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれに充てるかということは、学校長や、教師や、児童がその必要に応じて定むべきことであるということと、実施要領通り一時間にやれということとは、どういうわけで補足的な説明がでぎるのですか。どういうふうに補足的だというのですか。
  51. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私ども指導通達は、一般的な……。
  52. 松永忠二

    松永忠二君 私どものことを言っているのじゃないですよ。
  53. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) いや、文部省指導通達は一般的な基準であり、その一般的基準を、教育委員会教育課程編制権の一環として一般的基準を採用されている。具体的に各課程をどうするかということは、学校長や、教師や、児童がその必要によって定めるということは、私どもは矛盾していないと考えます。
  54. 松永忠二

    松永忠二君 それはあなたは話を限っていますよ、文部省の話をしているのじゃないのですから、文部省のことを言っているのじゃないのですから。県の教育委員会がですよ。県の教育委員会が、こういう実施要領に基いてこの時間やらなければできないということを決定していくということについては、この学習指導要領の補足になるのか、補充になるのか、指導になるのか、それとも違うのかということを言ってもらいたいのであります。
  55. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) これはこの学習指導要領の補充でございます。
  56. 湯山勇

    委員長湯山勇君) ちょっと私はおかしいと思う。(「そこの理由を言いなさいと言うのだ」「それを説明しなさい」と呼ぶ者あり)私は学習指導要領の中にあるのだとすれば、拘束力があるでしょう。学習指導要領の中なら、文部省だって拘束力を持つわけでしょう。文部省に拘束力がないというのは、学習指導要領が変らないから拘束力がないと、こういう説明でしょう。それでは、あなたの言うように、この学習指導要領の中だと、それの補充だということの説明だとおかしいし、それからまだあるのですよ。あなたの出した資料の中にも、都道府県教育委員会が第二十五条の規定によってやる場合にも、この学習指導要領に基くことは当然であると、ちゃんと書いてあるのです。そうすると、学習指導要領に基いてやることが当然だとすれば、一体文部省といえども教育委員会といえども、この時間はどれだけの時間をこれに充てる、それから何を選ぶかということは校長や、教員や、児童にまかされているのだから、これを侵してはならない、教育委員会といえども文部省といえども。だからこれを侵すような決定教育委員会がすれば、それは違法だと、こういうことになるでしょう。
  57. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) これは、ですから一般的な方針について、文部省が、この学習指導要領に基いて、この指導要領の趣旨をさらに徹底させるために指導通達を出したわけでございます。だからこの私ども文部省指導通達は、学習指導要領と背馳していない、違反していないということが第一の前提でございます。(「仮説じゃないか、それは」と呼ぶ者あり)それに基いて教育委員会一般的方針学校に指示される。で、お話しのように、具体的に教育課程をこまかに編制する場合に、学校長や、教師や、児童がその必要によって定めるという権限を束縛しているものではございませんが、一般的方針として示したのであって、具体的にきめる権限を拘束している、こういうわけではないのでございます。
  58. 湯山勇

    委員長湯山勇君) だから拘束するような決定はできないということは言えますね。地方教育委員会といえども学習指導要領に示された、校長、教員、児童、そういうもののきめるという権限を侵すような決定をしてはならならない、これは言えるでしょう。
  59. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) この具体的に——その私が申し上げているのは、具体的に……。
  60. 湯山勇

    委員長湯山勇君) いや、私の言うことだけに答えて下さい。
  61. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) いや、ちょっと誤解を招くといけませんので、具体的に申しますと、お話しのように学校長や、教師や、児童がその必要に応じてきめるのであって、この権限教育委員会は拘束することはできない。しかし、教育委員会自身は、一般的教育課程の編制権がございますので、道徳教育を強化する、あるいは徹底するという趣旨から、文部省指導通達によるということをきめるということも、これも差しつかえないと思っております。
  62. 吉田法晴

    吉田法晴君 ちょっと議事進行。この文部省から教育委員会について出した通達については拘束力はない。ところが、教育委員会と、それからその学校の間については、その拘束力のない通達が拘束力があると、こう言っている。それから指導要領と、それから通達とが矛盾するか、矛盾しないかというところで、これは常識的に考えてきわめて明らかだと思うのだけれども、強弁をいつまでも続けると、これは質疑をする方と、それから文部省と、見解が違って、まあ同じ質問をし、答弁を繰り返すということになりますからね。これは法律問題だから、常識でわかると思うのですが、参議院の法制局長なり、参議院の法制局を呼んで、一つ意見を聞くことを私は提案をいたします。(「賛成だな」「賛成」と呼ぶ者あり)きょうお取り計らい願いたいと思います。
  63. 湯山勇

    委員長湯山勇君) これは提案でなくして、質問者が要求されれば呼びます。
  64. 吉田法晴

    吉田法晴君 ああそう。それじゃ松永さんに御提案したいのですが、御本人も賛成ですか。
  65. 松永忠二

    松永忠二君 賛成です。
  66. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 要求されますか。
  67. 松永忠二

    松永忠二君 今の吉田委員の意見に賛成です。
  68. 湯山勇

    委員長湯山勇君) それじゃ呼んで下さい。じゃちょっと速記とめて。    〔速記中止
  69. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記つけて。
  70. 松永忠二

    松永忠二君 そこで私はもう一点、一つお聞かせをいただきたい点があるのですが、その問題は別として、あとから少し話を聞くことにして、このところにはまあ「「道徳」の時間を「教科以外の活動」から切り離し、なるべく早い機会に、学校教育法施行規則、学習指導要領等に所要の改正を加え、国の教育課程基準として明確に位置づけ、これを実施するように措置いたす所存であります」と、ここに書いてある。それからまあ「一種特別の教科と考えております」ということが出ておるのですが、これについて私はこういうことを言っているのですがね。日高氏等が、この問題について私たちの呼んだ参考人の意見を聴取をしたときに、こういうことを日高さんが言われたのですよ。「いわゆる学科課程との中の一つとして道徳科というものを設けるのではなくして、小学校においては教科活動、中学校においては特別教育活動のうちで、特にこのごろ実施されておりますホーム・ルーム等において、道徳教育に関する中心的な役割を果させたらどうか。こういうことで道徳教育についての基本的な方針をきめたわけであります。」そうすると、これはいわゆる学科課程の中の一つとして道徳科というものを設けるのではなくて、小学校においては教科活動、中学校においては特別教育活動のうちでと書いてある、その中でこういうものを作るのだということが方針だというふうに日高さん言われている。それから同じくやはり参考人の村上さんもこういうことを言われている。「特定の教科時間の特設を通じて道徳教育をやるやり方は、われわれは修身科において苦い経験を持っているわけであります。その危険を十分に体験したわけでありますから、従ってわれわれとしてはそういう危険を伴いやすい、十分にはらんでいる教科特設することについては、十分にこれを警戒をしなければならぬと思います。そこで、今回の教育課程改正は、道徳教育教科として扱わないで、時間の特設にこれをとどめた理由もそこにあるものと想像されるのであります。」と、こうある。特に日高さんの言われたところは、要するに特別教育活動の中でこれを考えるというふうにするのが方針だと、こういうのだが、それを教科以外の活動から切り離していくということになると、この日高さんの言われたことと違っていると思うのですが、これは大臣一つ今のことはどうですか。
  71. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 法律論の問題と実際論の問題と混同されているように思うのでございますが、ここで申し上げているのは、純法律的な立場から、どうこれを解釈するかということでございます。今現在施行規則も改正いたしておりませんし、現行学習指導要領の中でやる場合には、小学校教科以外になって、中学校は特別教育活動の中でやる以外に方法はないのでございます。そこで、時間の私ども特設という問題は、これは一体どういう性格を持っているのかということですが、法理論的に申しますと、教育課程審議会の答申を見ていただきますと、従来の教科がずっとございます。国語、算数、何がしとありまして、その次に二重の棒が入っているのです。道徳というものが二重の棒が入っている。それからその次に教科外の活動が今度は入ってくる、こういう格好になるわけです。これを法理論的にどう解明するかという問題になると思うのです。そこで、従来の教科とはこれは明らかに違っております。たとえば教科書も使いませんし、教員の免許状も使わない、また従来のような評価もしない。たとえば五、四、三、二、一あるいは優、良、可というような成績評価はしないのだ、生徒の行動記録をとつていくのだというわけで、特殊なものだ、特殊なものだが、これは一体教科なのか教科でないのかという議論になってくるわけであります。そこで、私どもは一体教科とはじゃしからば何であるかという問題になってくるわけなんです。教科書を使えば教科というのか、あるいは教員が免許状があれば教科というのかということになりますと、教科ということの定義にもよると思うのでございますけれども、一つの継続的な教育活動計画的な、継続的な教育活動というふうに解釈しますと、これはやはり教科ではなかろうか。ですから教科活動教科活動と二つに分けますれば、どちらかといえば、教科活動に近いものだ、一つの継続的な、計画的な教育活動を営んでいるんですから、そういう意味で私は特殊な教科、こういうふうに申し上げたわけでございます。
  72. 松永忠二

    松永忠二君 私申し上げているのは、日高さんが言われた意見、述べられたことを言っているんですが、ここにも何か特別教育活動について書いてないんですけれども、備考の3のところにちゃんと書いてある。「特別教育活動は、本表に掲げる指導時間数のほかに、時間を設けて行うものとする。」、しかし、これが時間が自由に、幅があるので、ここえは書かなかったので、だから特別教育活動については明確に位置づけをしてある。そこで特別教育活動というものの時間規制がないので、道徳というものを一つここに書いただけであって、この日高さんの意見から言うと、もっと言うならば、教科活動の中で、特にこのごろ実施されているものをやる、こういうんですから、そういう意味から言えば、これは特別活動の中に規定した一時間として道徳応問があるというふうに解釈するのが、これは当りまえであると思うんです。そこに『「道徳」の時間は、毎学年、毎週一時間以上とし、従来の意味における教科としては取り扱わないこと。』というようなことを書かれているのだが、これは独断的に解釈して、従来の意味の教科じゃないんですから、特別教科だというようなことを言われているんですがね。私たちから、この参考人の意見を聞き、明確に今度の答申したものは今までの特別教科活動と特別教育活動のうちでやるのだということになると、こういうふうに書いたのはですね。要するに特別教育活動が、指導時間については各自できめるので、そこできまっている道徳時間だけをここに書いたのであって、教科として取り扱うが、特別教科などにするというようなことを意図して書いたものじゃないと思うんですよ。それをあなたの方では勝手にそういうふうに考えて、しかも、なるべく早い期間にそういうことをやるということについては、これは明らかに私たちから言うと、審議会の意向と違ったことをおやりになるんじゃないか、あなたは答弁の中でも、教育課程については文部大臣が勝手にやれない、独断的にやれないのだ、答申を受けなければだめだということをはっきり言われているので、そうなってくると、答申の内容というものは特別な教科を作る趣旨の建前であるのか、特別教育活動の中で、考えて、特定の時間を一時間区切る、そういう意味でこの時間配当の中へ道徳だけを入れるというふうに考えていくのが私は自然だと思うんですが、あなた方は、なるべく早い時間にこういうことをやるということは、私はあれと違っていると思うんですが、どうですか、その点は。
  73. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) これはこの前の教育課程の答申案を詳細にごらんいただけば御理解いただけると思うんですが、この中で、今御指摘になりましたように、道徳教育は従来の意味における教科ではないということが第一点でございます。それから特別教育活動の中にないんじゃないかという御質問でございますが、特別活動につきましては、明らかにかくかくのものが特別教育活動という、こういう定義をつけております。それから道徳という時間につきましては、その従来の教科と特別教育活動のまん中に二本のラインを引いて、特にこれを別にして、そうして道徳に関する一般的な方針及び道徳教育の扱いについての時間の特設及び指導方法等が教育課程審議会から答申されているわけです。ですから、全体をごらんいただけば私どもはそう解釈せざるを得ないと思っております。
  74. 松永忠二

    松永忠二君 その点もやはりはっきり違うので、前々から文部省の説明されていることは、教科以外の活動、特別教育活動の中で一時間設けるということを言われているでしょう。そうしてそういうふうに答申されているのですから、この表をあなたは二つ線が引いてあって、こっちに道徳と書いているから違うということを盛んに言われるけれども、なぜこうしたかといえば、備考の方に、特別教育活動というものについては「本表に掲げる指導時間数のほかに、時間を設けて行うものとする。」と書いてあるので、これは幅があるので、ここへ書かないだけである。それでなければあなた方の考えているように、特別教育活動と、それから教科のまん中に徳道が所属するというような言い方は、特別活動の中で道徳時間を特設するということとは違ってくるじゃありませんか。
  75. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私ども現行学校教育法施行規則及び学習指道要領の中で実施する場合には、教科以外の活動、中学の場合には、特別教育活動の時間の中でやる。つまり現行指導要領を補充した意味でございます。それから新しい意味におきましては、先ほど来私から申し上げておりますように、特別の教科である、かように私どもは解釈いたしておるのであります。
  76. 松永忠二

    松永忠二君 もう一点、あなた方が学習指導要領を改めることについては、答申に基いて改めていくということなんでしょう。従って答申が特別教育活動の中で考えるというものであれば、特別教育活動以外でそれを考えるということはおかしいと私は言っているのです。
  77. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私どもは答申の線を尊重していくつもりでございます。答申そのものが、特別教育活動と別に道徳を考えております。
  78. 松永忠二

    松永忠二君 別ということは、特別教育活動の中で別に考えるということであって、特別教育活動とは全然はずしたものとして考えていくということではないと、これはあなたがおっしゃっておるのはここに答弁の中で、そういうことを説明の中で言われているのです。いわゆる学科課程の中の一つとして道徳科というものを設けるのではなくて、小学校においては教科活動、中学校においては特別教育活動のうちで特にそのものを実施しておりまするホーム・ルーム等によって、道徳教育に関する中心的な役割を果させたらどうか、こういうことで道徳教育について基本的な方針をきめたわけでありますと書いてあるので、私たちはその言葉、この内容についてはいろいろ説明を聞いておらぬので、こういうこまかいことを、つまり日高さんがおっしゃったので、やはり私たちはそういうものだというふうに考えているわけです。それを学習指導要領が今の状態だからそうなんだけれども、改めればそれがいいのだということになりますと、答申の内容は一体どう判断すべきかというところに問題が来る。そこ、で、私たちは答申をした人たちの意見を聞いたみた。そういう意味では、大なたのおっしゃることと答申の解釈に相違ということになると思うので“が、こういう点については一歩進んで、一体特殊な教科というものがあるかどうかということの議論になると思うのです。これについては、いろいろあなたの方が教科書を使わないというような、評価をしないとか、いろいろだお話がある、免許状を持たないという管話があるけれども、そういうことが工合よくとっととできていくということになると、これも少しおかしな話だと、私たちも思っておるのです。これについては相当大きな見解の開きがあると思うのですが、もう一つの点は、教科書に準じて使用させる図書については、検定するというようなことを考えたいということが出ておるのですが、検定については御承知のように、教科用図書検定規則というものがあって、調査官等が調査をしていかなければ、あなたたちが勝手に検定に準ずる行為をするということは、できないと思うのですが、これはどうですか。
  79. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) さようでございます。
  80. 松永忠二

    松永忠二君 それだから、だいぶこの前のときに、いろいろ各委員からお話があったように、いろいろの説明をされるときに、簡単にこれで工合が悪ければ、すぐ教科書にするとかというようなことは、少し私は行き過ぎでけないか、将来教科書を作る意思はないけれども、将来それを検定することも問題になるということを言われていますけれども、今の副読本というか、使用されて参考されているものを検定していくということになれば、御承知のように昭和三十六年、昭和三十七年まで待つべきが当然だ。それをどうも教育委員会の承認がうまくいかなければ、検定してしまうというようなことを言うのも、少し先ばしった言い方だと私たちは思うのですがね。
  81. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私はこういうふうに申したのです。道徳教育では、本来あまり教科書を使いたくないというのは、教科書を使いますと、戦前の修身のようなものになるおそれもあるので、なるべくなら教科書にたよらないように、教師の説話とか、伝記物とか、あるいは物語とか、文芸作品のような読みものを通じていくとか、あるいは映画とか、スライドとか、紙芝居、あるいはラジオとか、テレビというような視聴覚に訴えていくとか、なるべく子供たちの心情に訴えて道徳的な判断力を養って、道徳的実践に導くように、いろいろ方法がある。そうして子供たちの作業だとか、あるいは研究事業とか、あるいは子供たちがいろいろ話し合ってきめていく、あるいは日常の新聞やラジオに出てくる出来事を中心に話を展開していく、そういうふうにいろいろな方法を、ことに子供たちの経験の中から話題を引き出すようにする、こういう趣旨で教科書等については私たちは賛成しないのです。教科書に準じたような副読本が最近非常にはんらんしておって、弊害が大きいと聞いておりますので、この場合には教育委員会の承認にかわらしめる、これはむしろ制限する趣旨でございます。それで私どもは十分であると確信しております。だけれども、今後なおかつ弊害が起きたらどうかという御質問がありましたので、そういう場合には副読本の検定ということも考えられるということを言ったのでありまして、別にやるとかやらぬとかということを申し上げたわけではないのであります。
  82. 松永忠二

    松永忠二君 私大体三つの点についてお伺いしたいと思ったので、文部大臣に一つお伺いをしたいのですが、私たちはこれについていろいろ追及していることについては、道徳教育をどう充実さしていくかということについて判断しているわけではないのです。しかし、やり方として、たとえば私は、前に灘尾文部大臣が、道徳教育の指定校をこしらえて、一年間実施の状況を見て研究をしたいということを言われておったのです。そういうふうなことは、新しくなって、すぐなくなってしまった。そうして早急にこういう方向が出てきた。しかも出てきて、今私たちと特に局長との間にははっきりした意見というよりも、見解の相違が出てきているのです。そういうふうな中で実施要綱とか、あるいは時間を押しつけていくというようなやり方、それよりもむしろ一つの案として、またこういうふうな時間を充実さしていくという意図のもとに、現行の法規に基いて自由にそれを取り入れて充実さしていくという方が、非常に自然に行われるし、また、効果も上っていくと思うのです。特に内藤局長はこういうことを言っているのですがね……。
  83. 湯山勇

    委員長湯山勇君) ちょっと、発言中ですが……。速記をとめて。    〔速記中止
  84. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記つけて。
  85. 松永忠二

    松永忠二君 現在の法律によれば、県の教育委員会というものの権限は、法律とか政令に基いてその範囲内でいわゆる権限を持っていると思うんですが、そういう点はどうなんですか。
  86. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) 地方教育委員会権限は、もちろん法令に基いて行われなければならないものと思います。
  87. 松永忠二

    松永忠二君 そこで、「教育課程については、学習指導要領基準による。」という学校教育法の施行規則、これはやはり県の教育委員会をも拘束するところのいわゆる規則であると思うんですが、それはどうなんですか。
  88. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) 学校教育法施行規則第二十五条に、「小学校教育課程については、学習指導要領基準による。」と書いてございます。そしてこれは省令でございますので、もちろん、県の教育委員会を拘束するものと思います。
  89. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、学習指導要領にこういうことが書いてあるんですが、こういうことというよりも、文部省は、学習指導要領を改めなければ県の教育委員会を拘束する権限というものは、法律的な拘束力はないというふうに説明をされているんですが、そういうふうになりますと、そういう文部省が県の教育委員会を拘束する権利のないものは、県の教育委員会でもまた同時に、学校やあるいは教師を法的に拘束する権利はないと思う。それはどうなんですか。
  90. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) ちょっと今の御質問がよくわからないのでございますが……。
  91. 松永忠二

    松永忠二君 もう一度言います。ちょっと待って下さい。学習指導要領のその規則に基いて文部省はこれを改めなければ、いわゆる県の教育委員会を拘束する力がない、その「学習指導要領基準による。」というようなことから、学習指導要領の今の内容を改めていかなければ拘束力はないというふうに言っている事柄については、いずれの事柄についてもいいんですが、そういう事柄については、やはり県の教育委員会といえども、その拘束力を逸脱したことはできないと思うが、それについてはどうですか。
  92. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) もちろん、学校教育課程につきましては、地方教育行政組織及び運営に関する法律二十三条五号並びに四十九条に基きまして、教育課程につきましての教育委員会権限が揚げでございます。そのときに、「法令に違反しない限り。」と書いてありますので、法令をもってそういう教育課程につきましてきめたならば、それに従わなければならないということになっております。
  93. 松永忠二

    松永忠二君 それだから、従って、法令に基いてできているものが変らなければ、文部省は県の教育委員会を拘束する力がない、従っての教育委員会もそういう省令が変ってない限り、同様にやはり拘束力を持つ規則とか、あるいは内容決定することはできないと思うのですが、どうですか。
  94. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) 法令が変らない限りは、法令に書いてないことにつきましては、権限がないと思います。ただ、法令と申しますのは、学校教育施行規則二十五条にございます「学習指導要領基準による。」と、この「基準による。」とありますように、ある程度地方の実情に合致するような形でこの法令が書いてある。すなわち、地方の実情に合うようにある程どまかされたものがあるならば、そのまかされた範囲内においては、地方教育委員会の判断によって行うことも差しつかえないだろうというふうに考えられると思います。
  95. 松永忠二

    松永忠二君 しかし、それはあくまでやはり法令に準拠しなければできたいと思うのですが、どうでしょう。
  96. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) もちろん、その委任された範囲が、根拠は法令に根拠を持つものでなければならないと考えます。
  97. 松永忠二

    松永忠二君 それでは、法令に基いて出ておる学習指導要領の中で、たとえば、「教科以外の活動としては、どのようなものを選び、どのくらいの時間をそれにあてるかは、学校長教師児童がその必要に応じて定めるべきことである。」というふうに書いてふる。従って、基準であって幅があるとはいいながら、その教師児童が定むべきことをこれを違った事柄を決定するということは、押しつけて、定むべきという権限を、そういうことを侵すようなことを決定はできないと思うが、どうなんですか。
  98. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) 今の指導要領でございますが、詳しくこれを見ていませんのでちょっとその点もう少しはっきりさしたいと思いますが、この指導要領は、もちろん府県の、ここにございます二十三条の五号にありますように、教育委員会教育課程に関することというこの五号によりまして、と同時に、四十九条「(基準の設定)」というところがございますが、こういうような条文から見ますと、この学習指導要領基準に基いて教育委員会が、その県の何と申しますか、教育課程の根本をきめまして、さらにそれについての学校長なり各教員のきめるべきことを決めておるというような趣旨に感ぜられますので、指導要領によってすなわちこの施行規則によりまして直ちに教員の権限にまかせたものがあるかどうか、その点はもう少し検討してみなければ、直ちにお話しのような工合になるかどうかは、もう少し考えてみなければならない点があるだろうと思っております。
  99. 松永忠二

    松永忠二君 突然のことですから、お話が、よくわからぬと思うのですが、要するに、学習指導要領基準によるということが、教育課程学習指導要領基準によらなければできない。しかも地方の県の教育委員会は、つまり法律、政令に基いてきめなければできないということだったら、学習指導要領基準という性格については、法的拘束力については、これは県の教育委員会もその拘束を受けると考えなければいけない、これについては前々から文部省は、要するに学習指導要領さえ変れば、現場の職員、県の教育委員会を十分拘束し得る権限があるのだということを言って、その学習指導要領を八月、九月までに作って、それによって法的な拘束力を持たせたい、こう言っておつた。そこで、この学習指導要領の中には、つまり教育委員会を拘束する権限は明確にないということを文部省が認めておった。そういう学習指導要領に基いて法的な拘束力があるようなことを地方教育委員会決定をしたというならば、その決定法律的には違反になると思うのですが、どうでしょう。
  100. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) これは学習指導要領基準によるというこの条文は、施行規則の中にありますので、教育委員会をもちろん先ほど申し上げましたように拘束するものと思われます。ただ、この基準の中におきまして、教育委員会が一応これに基いて一応の原則を定め、さらにこの原則に基いてそれぞれの学校においてまかされたその範囲のことをきめるというようなことは、考えられると思います。
  101. 松永忠二

    松永忠二君 その教育委員会のきめる原則というものは、あくまで学習指導要領の中の原則に基いていなければできないと思うのですが、どうでしょう。
  102. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) それはここにございますように、法令に違反しない限りということでございますから、当然反するようなことはできないと思います。
  103. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、学習指導要領基本になるというその根本的な考え方としてどのようなものを選び、どのくらいの時間をそれに充てるかということは、学校長教師児童がその必要に応じて定むべきものであるという、こういうことは基本的な考え方だと思うのですが、その点はどうですか。
  104. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) それは学習指導要領を何といいますか、調べまして、そういうことになれば、そういうような結論になると思いますが、この学習指導要領というものが一般の法律法令なり、あるいはまた、特別な教育というこまかいむずかしいことを扱う関係上、法律に基きまして、この施行規則がそこまでこまかいものをきめておるかどうか、おそらくこの学習指導要領の根本でありますこの内容は、地方教育行政組織運営に関する法律の二十三条、あるいは四十九条というものをあわせて考えますと、その県におきまして一応の原則を基準指導要領に基きましてきめ、さらにその細部を小学校、中学校においてきめるというようなことが考えられるだろうと思います。で、なお学習指導要領全般を通じてでなければ、直ちに学習指導要領のこの根拠であります省令に基いて学校長にそれだけの権限を与えられておるものがどうか、もう少し調べてみたいと思っております。
  105. 松永忠二

    松永忠二君 そこで、最後に、そうすると学習指導要領の原則的なものとして、もしかりに、学校長教師児童が、その必要に応じて実施内容とか時間は定むべきものだということが学習指導要領の原則だとすれば、その原則は当然県の教育委員会をも拘束するものだというふうに考えていいわけですね。原則だとすれば、当然それは拘束力を持つたものだと考えていいと思うのですが、どうですか。
  106. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) かりに、この指導要領がそのように厳格に解されるような内容のものであったとしまするならば、もちろん、教育委員会、校長を拘束するものと考えられます。
  107. 松永忠二

    松永忠二君 もちろん、学校長を拘束するのじゃなくて、教育委員会を拘束する権限を持っておる、そういう意味において……。
  108. 腰原仁

    ○法制局参事(腰原仁君) もちろん、教育委員会を拘束すると考えます。
  109. 松永忠二

    松永忠二君 それでわかりました。  そこで、私は内藤局長にお尋ねしたいし、また意見として申し上げたいのは、従って教育委員会の命令があったならば実施しなければならないというような、つまり、この場合、こういうあなたの発言は、こういう教育課程のようなものこそ、教育委員会が十分やはり教師の意見、学校長の意見を聞いて実施をしていかなければできないというような指導をすべきだと思うのです。それを、ここでは教育委員会がきめれば何もかも拘束するのだ、だから教育委員会がもうきめたことについては、教師やなんか発言する権限はないのだというような言い方をされておるのですね。しかし、こういうものこそ権限としては、そうであったとあなたは言っておるけれども、そういうような説明をするとしても、十分にやはりこういうものについては、その命令を実施する場合には、教師の意見とか、あるいは現場の意見を聞いて十分な効果のある実施をしてほしいというようなことを言うべきなのが、あなたの筋合いじゃないですか。そういう考え方は、たとえば勤評の問題についても、勤評の問題については、いろいろと勤務条件にも直接いろいろ関係してくることであるから、十分現場の教師あるいは組合等とも話合いをして了解してやっていってほしいというようなことを言うべきあなたが、これはその条文が別だから、このことについては話し合いをする必要はないなどというような通牒を出すような、こういうことが私は官僚主義であり、命令主義だと思うのです。こういう考え方が今度トラブルを起している勤務評定の問題についても、たとえば道徳教育の問題についても、そうじゃありませんか。この強引さというものについて、あなたは反省すべきだと僕は思うのですが、どうですか。
  110. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) お説の点私ごもっともと思うのですけれども、これは相手のあることだと思うのでございます。ですから、原則的に申しますれば、十分協力と理解を得てやることが正しいと思います。しかしながら、すでに一方の団体が勤務評定絶対反対だという御主張を曲げられず、また道徳教育については時間特設に絶対反対だという立場を堅持していらっしゃる限りにおいては、私どもはこれは立場の相違ではないかと思うのでございます。
  111. 松永忠二

    松永忠二君 そういうことについては、たとえば勤務評定の問題についてもそういうことが明確になって衝突が起きてきたことについて、そういうことをするならまた別ですよ。そういう話し合いが各地で持たれているときに、そういうことを通達するのをやっておるじゃないですか。それからまた、今度道徳教育については逆なんであって、かりに道徳の時間の特設の返上ということを言っているとしても、とにかく現場の教師の意見や校長の意見を十分にくんで、教育委員会においては決定をしていただきたいというようなことぐらいを言うべきだと、僕は思うのです。それでこそ、あなたは、初めて文部省というものは教師指導して、また教師の上に立つべきものだと思う。だから、あなたがおっしゃったようなことは全然逆ですよ。向うがきめたから、こっちだって当りまえのことなんだという言い方なんです。まだきめないうちに、あなたは勤務評定の問題については、そういうことを言っているんじゃないですか。
  112. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 勤務評定につきましては、私どもはできるだけ日教組の方々の御理解をいただき、また御了解も得たいと思っておったのでありますが、実は私は当初、この問題についてお話し合いをいたしましたけれども、これは絶対に反対だという線を一歩も譲らない。ですから、私どもとしては交渉に入れない。これは当初に勤務評定の問題が起きたときに、日教組の諸君から私が面会を求められたときから、ずっとそういう事態でございますので……。それからこれは十二月の二十日か、二十一日でしたか、その日は確実に覚えておりませんが、絶対反対で非常事態宣言をされておりますので、私どもとしてはどうも御理解をいただけないのは大へんに残念だと思いますが、やむを得ないと思います。
  113. 野本品吉

    ○野本品吉君 勤務評定の問題については議題外ですから……。
  114. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 今のは一般的に文部省の態度として取り上げたわけですから……。
  115. 高田なほ子

    高田なほ子君 それは、あなたは教員組合の声明書をお読みになったかどうか知りませんがね。最後まで話し合いを続けるという声明を出しておる。それを話し合いを続けないからやったのだということは、あなたの研究が足りないですよ。それから私は都教組の評定の団交について、しばしば立ち会っていますけれども、絶対反対ということは一ぺんも言っていないですよ。最後まで話し合いを続ける、その過程できのうああいうことを起したのです。だから今のあなたの御答弁はおかしいですよ。一方的だ。そんなのは聞くわけにはいかない。
  116. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私どもはこれは昨日の都もそうですが、大臣も非常に事態を憂慮されまして、いろいろと調停あっせんに乗り出されて、教育長にもお会いになり、都知事にも会って事態の円満解決に努力をされたのですが、都の問題でも、教育長は、少くとも勤務評定をやるという前提を確認してくれれば、中身については十分相談しようという提案までしているのですけれども、勤務評定は絶対反対だ、こういう立場を堅持されている以上は、私どもは遺憾ながらやむを得ないのではなかろうかと思うのであります。
  117. 高田なほ子

    高田なほ子君 内容を十分話し合わない先に確認せよという方が無理でしょう、私はそうだと思う。これは勤務条件の問題ですからね、いろいろと。当然内容を話し合ってしかる後にこれがまずいか、悪いかという結論が出されるものであって、従ってきょうも都教組は臨時大会を開いておりますが、最後までやはり話し合いを続けるということの態度は、なお今日まだ捨ててはいない。それにもかかわらず、内容を話し合わないなんということは、一ぺんも言っていないのでありますから、そういう感覚でもっていつでも厳罰主義と、命令主義とを押しつけようとするあなたの考え方が、事態を混乱に招くべき一番大きな原動力になっていると思う。それは大臣のごあっせんもわかりますけれども、その下にあってすべて円満に教育行政のことを運ぶ任にあるあなたが、初めから命令を守らせる、確認しないからこうだというやり方は、まことに間違った私は考え方だと思う。もう少し相手方の誠意というものを知ってから、私はそういう発言をしてもらいたいと思う。
  118. 湯山勇

    委員長湯山勇君) それでは本問題につきましては、法制局につきましてはなお研究を願うということにいたしますし、文部省の方も、なお先ほど大臣の御言明にもあったように研究をしてもらうということにして、質疑は次回に譲りたいと思いますが、いかがですか。(「研究をして結論が出るまでは、それをとめておかなきゃ、研究は幾らしてもだめですから」と呼ぶ者あり)
  119. 吉田法晴

    吉田法晴君 ちょっと……。局長なり、法制局にきていただくことは、私御提案して賛成を得たんです。これはまあ、松永同僚委員も御賛成になったんですが、そこで腰原部長と質疑が重ねられて、指導要領について研究しよう云々という点が残っておりますので、局長に来ていただきました。常識的な点だけ私一、二聞いておきたいのです。
  120. 湯山勇

    委員長湯山勇君) どうぞ……。
  121. 吉田法晴

    吉田法晴君 質疑の途中からおいでになりましたから、詳しいことはあるいは御存じないかもしれぬと思うのでありますが、一番問題なのは、道徳教育について通達文部省が出しました。その通達については拘束力がない、こういうことを本会議でも大臣ははっきり答弁されております。(「もうきのう半日かかってやったよ」と呼ぶ者あり)まあ黙って…。発言をしているんですから黙って下さい。
  122. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 議事進行を願います。
  123. 吉田法晴

    吉田法晴君 通達の拘束力がないという点は、大臣は本会議でも、それから当委員会でも認めたのですが、教育委員会に対しては拘束力のない通達が、教育委員会から学校への間において、その通達に拘束力があるかのような説明が初中局長から言われているのでありますが、教育委員会に対して拘束力のない通達が、教育委員会学校との間には拘束力があるというような説明は、私は法律上の常識としてできないと見ているのですが、その点はいかがでしょうか。
  124. 斎藤朔郎

    ○法制局長(斎藤朔郎君) 私、文教行政については全然経験もございませんし、ただいまの問題に対して、正確なお答えができるかどうか、十分な自信もございませんけれども文部省が地方の教育委員会には拘束力のない指導をする。そういう指導を受けた教育委員会が、今度は自分の管内の学校に対して、学校と申しますか、教員に対して拘束力のある指示ができるか、こういうお問いだと思います。(吉田法晴君「そうです」と述ぶ)法律論としては、私はできると思いますが……。まあ一番上が文部省で、それから中間に教育委員会、それから末端の学校。一番上と中間とは、確かに拘束力のない指導でありましても、その中間の機関が、上級官庁の指導内容を判断して、それを自分の考えの中に取り入れて、そうして自分の監督をしている下の機関に、拘束力のある通牒を出すということであれば、その中間の機関には、そういう一般的な権限を持っておりさえすれば、その権限をはみ出してない範囲においては、拘束力のある指示ができると思います。だから、その拘束力のある指示をするその原因は、その上級官庁の指導ということが原因、または遠因であったかもしれませんけれども、その指導を手がかりとして、中間機関の判断の中にそれを取り入れて指示をするということは、私は法律的に、これはきわめて形式論でございますけれども法律的には私はそういう理論構成は可能であるというふうに考えます。
  125. 吉田法晴

    吉田法晴君 一般的な問題として、拘束力のない教育委員会法律範囲内であれば拘束力があると、こういうようなお話しです。問題は教育基本法に基いて施行規則で指導要領というものが出されておる。その指導要領範囲内であるならばお話しのような拘束力も出て参りましょう。ところが、その指導要領と違った通達内容を持っているわけです。で、問題はこれは民主的な教育制度のもとでそういう法律に基いた指導要領、それと違った指導ができるのかどうか、こういう問題、で私は昔の文部行政ならば、それは文部省の思う通りにやれるかもしらぬと思うのでありますが、しかし、教育委員会制度を設け、それから教育委員会が責任をもってやる、それからこれは大臣も認められたが、実際に教育をやっておる当事者である教員の協力と指導ぶなければできない。これは児童についてもそうですけれども、建前はこのそれぞれの機関、あるいは教育をやっておる教職員を含んで、これはほんとうの納得と理解の上で初めて教育がなされ、あるいは教育行政がなされる、こういう場合に、末端の教育をやっている教員は憲法なり、あるいは教育基本法なり、その精神に基いてやっておる。そしてそれを道徳教育のやり方については時間を特設して、抽象的な指導要領で生活指導なり何なりと離れて、まあ修身ではありませんけれども、抽象的なこの道徳項目で指導をやるというようなことをすれば、修身科復活のようなあれになる危険性がある、こうして反対をしておる。そのよっております法律は、憲法なり、あるいは教育基本法なり、それからそれに基いて作られた指導要領、その指導要領と違った通達がなされて、そしてその通達文部大臣教育委員会との間には拘束力はない、こうはっきり言っておる場合に、教育委員会から教師に対しては一方的にやれということで無理にやれるかどうかというとそれは拘束力はない、納得と協力となしにとにかく指導要領に違ったやり方をやれと言っても、それは今の法の建前からいってやれることであるかどうか。これは民主主義の原則、それから民主的な教育のもとでの判断の問題だと思うのですが、局長に御意見を承わりたいと思います。
  126. 斎藤朔郎

    ○法制局長(斎藤朔郎君) 冒頭にもお答えいたしましたように、私は率直に申しまして文部行政につきましては、全然しろうとでございますので、具体的な行政のやり方の批判ということはちょっといたす能力はありませんので、ことに指導要領とか申しますものを、まだ十分に私研究いたしておりませんので、その範囲をはみ出ているとか、はみ出ていないとかいう判断は、ここで軽率にできませんので、その点はなお法制局の内部でもよく研究をさせていただきたいと思います。
  127. 吉田法晴

    吉田法晴君 それではもう少し抽象的なことでお伺いをいたしたいと思いますが、文部省がこうしたい、こういう一方的に方針をきめて、それで今の民主的教育制度のもとでやれるとお考えになりますか。それとも教育委員会にいたしましても、あるいは教師にいたしましても、それぞれ機関なり、機関の権限なり自主的な判断に基いてそれをやるかどうか。戦前のように通達が来れば、何でもかでもその通りやらなければならないものか。そうでなくて自分で判断をして、それが憲法なり教育基本法なり、あるいはそういった法に準拠するかどうかということをやはり判断してやる、あるいは教師についても、それが憲法なり、あるいは教育基本法なりのもとで、あるいは民主的な教育として納得がいかなければ、これは盲従的に服従しなくてもいいものかどうか。そういう原則だけはここで御意見をお述べいただくことができると思うのですが、そのいずれであるか一つ……。
  128. 斎藤朔郎

    ○法制局長(斎藤朔郎君) 抽象的に申しますればやはり憲法を頂点とした法律に基くいろいろの面、そういう国法を根拠にしたものでなければ行政は行えない、さように考えます。
  129. 吉田法晴

    吉田法晴君 教師についてはどうですか。教師について文部省方針がどうであれ、それに従わなければならないものか。それとも憲法なり、教育基本法なりに基いて自分で判断をして、あるいは拒否することもできる、こういうことなのか。教師についても何でもとにかく文部省の言う通り聞かなければならないというのは、私は戦前の教育のやり方だと思うのですが、そうでなしに、自分で判断をして憲法なり教育基本法に反すると思えば、文部省通達といえども、それを拒否することができると、あるいは拒否する自由と権利とがあるとお考えになりますか、どうですか。
  130. 斎藤朔郎

    ○法制局長(斎藤朔郎君) 先ほども申しましたように、抽象論としては法律に基いた行政でなければならないと私は思いますが、命令を受ける人が、当該の命令が法令に違反しておると、だから服従義務がないということを、個人個人で判断をしてやるということは、これは非常な常識的な言い方かもしれませんが混乱に陥ってしまうんじゃないか。だからきわめて、だれが見ても、客観的に違法な命令というようなものがかりにあるといたしますれば、それはその中には拘束力はないと思いますが、だからその拘束力のあるなしということの判断は、個人々々が勝手にやって、みんなそれぞれの行動をやっていいということは、これはちょっと言えないと思います。
  131. 野本品吉

    ○野本品吉君 先ほど法制局長を呼んで問題の究明をされるということで、私もけっこうだと思ったのですが、腰原部長はまだ指導要領その他についての十分な検討はされておらないのであるし、それからまた、斎藤さんは文部行政についての研究は十分でないから自信をもってものが言えないと、そういう段階では、法制局によってこの問題のけりをつけるということはきわめて困難だと思いますから、先ほど委員長の御発言になりましたように、さらに検討を加えるということで、この際議事を進めていただきたいと思います。
  132. 湯山勇

    委員長湯山勇君) ちょっと速記をとめて下さい。    〔速記中止
  133. 湯山勇

    委員長湯山勇君) ちょっと速記をつけて下さい。   —————————————
  134. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 次に、当委員会に付託されております請願第六号外三百二十八件を便宜一括して議題といたします。  審査の順序は、お手元に配付いたしております整理表の順序によることといたします。  なお請願は受理されておりますが、委員会に未付託の請願、すなわち四月十八日以降のものが付託されないままになっております件名を申し上げます。建国記念日制定反対に関する請願学校教育法第二十八条改正等に関する請願学校教育法第百三条改正に関する請願養護教諭増員配置に関する請願、女子教育職員の産前産後の休暇中における学校教育の正常な実施の確保に関する法律の一部を改正する法律案に関する請願文部省に特殊教育課設置の請願、以上六件でございます。  その中で初めの四件は同じ趣旨の請願がすでに付託になっておりまするから、その中で御討議願えることになりますけれども、あとの女子教育職員の産前産後の休暇、文部省に特殊教育課を設置する、この二件につきましては、きわめて重要な請願であると思いますが、遺憾ながら当委員会において審議することができませんので、このことは速記に残しておきたいと存じます。御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  135. 湯山勇

    委員長湯山勇君) それでは請願につきまして順次調査室長から説明を求めます。  速記をとめて下さい。    午後零時五十七分速記中止    —————・—————    午後一時二十二分速記開始
  136. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記をつけて下さい。
  137. 高田なほ子

    高田なほ子君 先ほど二十五日解散というようなことで締め切りの最終日を明記してなかったために、重要な女子教育職員の産前産後の休暇に関する法律案、これは正式に受理できないという形になったわけでありますが、すでに、本院にも法律案が提案されているわけでありますので、請願受理と同様なお考えをもって処理されるように善処していただきたい、これを希望します。
  138. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 高田委員の御発言に対しまして御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  139. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 御異議ないと認めます。   —————————————
  140. 湯山勇

    委員長湯山勇君) ただいまの審査の結果、養護教諭、事務職員及び実習助手に関する請願第千二百八十四号外二十五件。軍事基地周辺学校教育対策に関する請願。第二百八十三号外二件。請願第六号、第六百七十四号、第五百九十一号、第三百二十四号、第四百五十三号、第六百四十一号、第六百九号、第二百二十号、第三百四十二号、第千百九十五号、第三百四十号、第千二百五号、第千八百四十八号、第三百四十四号、第千三十号、以上四十四件の請願は、いずれも議院の会議に付し、内閣に送付を要するものと決定して御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  141. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 御異議ないと認めます。  速記をとめて。    午後一時二十四分速記中止    —————・—————    午後一時五十一分速記開始
  142. 湯山勇

    委員長湯山勇君) 速記をつけて下さい。  この際、委員長から各委員の御了解を得て要望申し上げたいと思います。  重要な道徳教育の問題につきましては、従来本委員会において熱心にかつ慎重に質疑を続けて参りましたが、遺憾ながら、本日の段階におきましてもなお、拘束力の問題、学習指導要領範囲内かどうかというような重要な問題が、未解決のままに残されております。こういう重要な問題が当委員会において完全に解明されなかったことについては、委員会運営の責任者としてまことに遺憾に存じますが、今日の時点に立ちまして、なおこれを引き続き解明することは困難だと思いますので、この道徳教育実施に当っては、ただいまの点等も考慮されまして、文部大臣において十分御研究の上善処されたいと存じますが、文部大臣の御所見を伺いたいと思います。
  143. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 私どもといたしましては、今日まで行動いたしてきた点は、法律には違反していないと確信しておりますけれども、御説もありますことでございますから、今後とも、法令に反しないように、一そう慎重に指導したいと思います。   —————————————
  144. 秋山長造

    ○秋山長造君 ちょっと、私この際、文部大臣に緊急質問を申し上げたいと思うんです。と申しますのは、先般来この委員会でも、あるいは高田委員、あるいは大和委員等から御質問があって、勤評問題その他いずれにいたしましても、教育関係の問題に対して警察権を行使するというようなことは、もってのほかだと、こういう御質問に対して、文部大臣も、また、先般の岸総理大臣も、絶対にさような意思はない。いやしくも事教育問題に関して警察権を行使するというようなことは絶対にいたしません、というこういう御答弁があった。で、昨日岩手県におきましてこの勤評問題について組合と教育委員会とがいろいろ話し合いをやっておったようでありますが、この途中において、警察官が多数出動いたしまして、そしてこの交渉に不当介入をしたという問題が起っておるんです。で、この問題を大臣は御承知かどうか。また、御承知ならば、こういう事態、今日までの総理大臣なり文部大臣なりの繰り返しての御言明を裏切るような事態が起った、起されたということに対して、どういう処置をとられようとするのか。その二点についてお答えをいただきたい。
  145. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 秋山委員の仰せになりました今の岩手県の問題は、私はまだ承わっておりません。けさもう早くから私は家を飛び出しておるもんですから、新聞もまだよく見ておりません。だがしかし、仰せの通り、事教育に関する問題については、警察権の介入とか何とかは好ましくないと私は存じております。しかしながら、教育に関する問題に端を発して、そうしてそれが教育問題から逸脱してそうして社会の秩序を乱し、あるいは違法に走るというようなことがあったときには、これは私どもの所管事項ではありません。それは、警察権の発動がそういうときにあるかもしれません。しかし、私どもは、何とかして教育に関することだけは、円満にそういうことでなしにいきたいというふうに考えております。
  146. 秋山長造

    ○秋山長造君 岩手の問題は、大臣は御存じないそうですから、もう少し具体的にお伺いしますが、この間の二十一日の北部ブロックの教育委員長教育長の協議会が日比谷の図書館で持たれまして、そのときに内藤初中局長がそれに出席をされて、そうして選挙までに必ず勤務評定を強行しろということを言われたとか言われんとかいうような問題があるわけです。これは前回私質問をしたわけでございますが、やはりこの会議とも関連して、そうしてその翌日の二十二日の午後から岩手の教育委員会において教育委員教育長等と組合との間できわめて静かにきわめて平和のうちに話し合いが続けられておったのです。教育委員会の方も、この間の何か決定等にこだわられて非常に急がれた形跡もあるんですが、とにかく平和に話し合いを続けておったにもかかわらず、二十三日の朝に至って突然話し合いを一方的に打ち切って、そうして立ちのいてくれ、そうして立ちのかなければ、ということで警察の出動を要請した。そうしていきなり盛岡の警察署並びに県の警察の機動部隊およそ百五十人が戦闘服を着て入ってきて、そうしてこの詰めかけておった組合員を片っ端しからゴボウ抜にして多へほうり出した、まあこういう問題なんです。ただ、この場合、先ほども言いましたように、きわめて平和のうちに交渉が行われておった関係でもあるし、また、組合員の方も、それに対して何らの抵抗をしなかったと見えまして、負傷者その他出てないようです。しかし、そういうことであるならばなおさら、いきなり警察が入ってきて、そうしてそれを片っ端しから外にほうり出すというこのやり方は、私は、やっぱり、教育という問題を逸脱した場合は所管外だとおっしゃるけれども、その逸脱した場合というような特殊な場合に入らぬのじゃないかと思うのですね。これはやはりこういう問題について、警察がいきなり入ってきて実力行使をやったという例は、私は全国の教育問題に関してはないんじゃないかと思うのですね。今度の勤評の問題なんかについても、まあ、私地元の新聞をいろいろ見たのですけれども、書かれておることはほぼ一致しております。ですからこれはやはり警察の非常な行き過ぎであると思うのですね。それから第一、そういうことで簡単に警察を呼んだり何かする教育委員会教育委員会だと私は思うのです。また、それにすぐ応じて飛び出してくる警察も警察だと思う。同時に、根本的にはやはり国の方針あるいは政府の従来言明を繰り返されてきた方針というものが、私は実際には裏切られておるんじゃないか。この点は大臣のお気持は私もうこの間言明された通りだろうとは思うけれども、しかし、今度のこの勤評問題についての四月十二日の初中局長通達、厳罰主義で臨めというあの問題になった通達ですね。また、今度の東京の問題に関連しての、新聞紙上で伝えられているところの初中局長なり、あるいは木田地方課長なりの非常に強い、私はいささか行き過ぎだと思うのですが、非常に強い言明等から総合的に考えますと、やはり私文部省としてもこの問題はもう話し合いで解決するのでなしに、とにかく一つの力、権力をもって、特に警察という最もむき出しの権力をもってでも、この問題はもうがむしゃらに既定方針通り押しまくろう、こういう考え方が底に流れておるのではないか、また、そういう指導を暗黙のうちにやっておられるのではないか、この間も鶉荘だとか、下田の会議等に文部省の係官が出席されてハッパをかけられたという質問に対して、大臣はそんなこと覚えはない。文部省はあくまでこれはわき役で、主役はそれぞれの府県の委員会だということをおっしゃっておったのですけれども、私ども新聞紙上で承知するところによると、文部省はもう非常にこれに対しては何といいますか主導権を取られて、文部省から現に十班の督励班を編成されて、そうして全国の教育委員会に派遣をされて、とにかく選挙前に何とかやらそうと、こういうようなことが行われておるということも私新聞で承知しておるのです。それらの点について大臣の、これはもうここだけの言明でなしに、もっと実際の行動に裏づけられた、やはりはっきりした方針というものを私はお伺いしておきたい。
  147. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 私は毎度あなた方のお耳を汚しておる通り、私の考え方としては、決して権力を発揮して、そうしてあるいは特に警察権を行使してというような考えは、寸毫も持っておりません。ことに秋山委員は先ほど来、選挙前にやってしまえというような指導をしたとか何とかいうお話しですが、一体選挙前にこれをやってどうなるのですか。選挙とこんがらがって、かえって国民か非常に迷惑に陥るというようなふうに私は考えております。選挙の前にやって、これがわれわれの党派に利益になるとか、国民に利益をもたらすとかいう考えは寸毫も私は持っておらぬ。ですから選挙の前にやるとかやらぬとかいうことは、私にはどうもそういう理屈の出てくることが考えられない。そうして私の部下がいろいろそういうことを鶉荘とか何とかいうところにいって指導したとか何とかいうお話も、これは、この間から毎度承わっております。しかしながら、私が聞くところによると、仰せのようなそうした指導をしたことはないと、こう言っております、私もまたそうした指導をするはずがないというふうに信じておる。だがしかし、何といたしましても、警察権を介入させなければならぬような指導は、これはお互いに避けなければならぬ、事教育に関する限り避けなければならぬことだと思っております。従ってそういうことのないように今後とも一つ善処していきたいと存じます。
  148. 秋山長造

    ○秋山長造君 岩手の問題は、大臣の方が実情を何も御承知ないのですから、私の方から一方的に言ってみても、これは具体的な結論は出ないと思いますけれども、しかし、ただいま私が申し上げたようなことは、各新聞に出ておりますから、大体間違いのないことだと思うのです。いずれにしても、こういう問題で、こういう段階において簡単に警察が出動したということは、私はきわめてけしからぬことだと思うのですが、その点大臣はどうお考えになるか。また、なるほど警察権の行使ということは、大臣の直接の管轄じゃないけれども、国務大臣としてまた政府の最高責任者の一人として、どこの場所であろうとも、いやしくもこういうことが行われるということは、所管外だからほうっておいていいという問題ではないと思う。教育委員会に対しても、いろいろな勤務評定の問題について指導助言をやられるならば、こういう問題についてもそういう早まったことはいかぬじゃないか、そういう態度はいかぬじゃないかというくらいの助言はあってしかるべきだと思う、その点どうお考えになりますか。
  149. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 先ほど来申し上げました通り、実はけさの新聞も見ておりません。新聞を見ますばかりでなく、よく実情を調査しまして、そうして善処したいと思っております。
  150. 野本品吉

    ○野本品吉君 ただいまの秋山委員の発言の岩手の問題でありますが、私も非常に遺憾な事態だと思っております。しかし、大臣もその事情について御存じないという、内藤局長もやはり御存じないですか。
  151. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 私どもまだ詳細な報告に接しておりません。ただ新聞で承知しておる程度であります。
  152. 野本品吉

    ○野本品吉君 詳細な報告に接しておらないということですから、私は本日それを求めるというわけではありませんが、事態の状況について詳細御検討の上、適当な機会にここで御発表願いたい。それだけです。
  153. 秋山長造

    ○秋山長造君 この点はただいま大臣のおっしゃった通りに一つ今後、まあ国会は明日で事実上終るわけです。私どもはもうしばらく大臣にも局長にもお目にかかれないわけです。ただしかし、文部行政というものはずっと続くわけです。だから大臣におかれては、あくまで今後の全国的な事態というものを円満に話し合いで処理していく、いやしくも警察権を行使して、そうしてこの警察力がこういう問題に対して不当介入をやるというようなことのないように、また、そういう誤解や印象を与えるようなことの万々ないように厳に戒めていただきたい。この点を強くお願いをしておきます。  それから立ったついでにもう一点、私もう最後ですからこの際お伺いしておきたいのですが、それは今度の道徳時間の特設という問題の文部省通達に拘束力があるとかないとかいうその問題は、一応別問題といたしましての質問ですが、一体文部省としては、大臣なり局長なりの御説明では、今までやっておらなかったことを今新らしくやるのでなしに、今までこの名目は何であろうとも、今までいろいろな科目でやっておったことを一まとめにしたにすぎないので、ちっとも今までとは方針が変ったわけでも何でもないのだ、こういうきわめてあっさりした説明をしてきておられるわけです。そこで、私は少しさかのぼって、この際確かめておきたいと思うのですが、数年前に、ちょうど吉田内閣の時代だと思うのです。あのころにやはり道徳教育云々ということが、ひとしきり論議されまして、そして戦後ずっとやって参りましたこの社会科、まあ全教科でやるには違いないけれども、特にこの社会科を中心にして、そして道徳教育なるものをやるという方針があったわけです。その点についていろいろ議論が出て、そうして、この道徳教育というものをいかにすべきかということが二十七年の暮れに岡野文相から教育課程審議会に諮問があったわけです。そして、その諮問に対して、翌年の二十八年の夏に答申が出て、やはり今まで通り社会科中心でやるべきものだ、ただしかし、そのためには社会科の内容というものを少し変えなければいかぬ、こういうことで改訂社会科という問題になってきたと思うのです。そして、その結果を教材等調査研究会でいろいろ研究をされて、そしてそれに二年余り日にちをかけられて、三十年の暮れに小学校、また三十一年の二月に中学校の社会科の指導要領ができたわけです。そうして三十一年度からそれが実施されたはずであります。で、あくまで社会科は改訂されましたけれども、しかし社会科で道徳教育というものを主としてやるという大筋は変えるべきではないという結論が出ておったですね、ところが、それが三十一年度からですから、三十一年の四月から一年間実施されて、三十二年、去年の春になったら、もう文部省の方では根本的に方針を変更して、今度道徳時間の特設だとか、あるいは修身科の復活だとかいうようなことを考えられるようになった。一体二十七年から三十年、三十一年の春まで前後四年近くもかかって、そうして文部省教育課程審議会において練りに練って、練り上げられたこの新しい方針というものが、一体一年間実施して、もうすでにこれを根本的にまた変えなければならぬというようなことになったのは、どうも問題が教育問題であるだけに、なおさら私どもはふに落ちない。何かそれは別の力がこれに加わってそういうことになったのじゃないかというような疑問を持たざるを得ないのです。しかも、今度の、昨年の九月に新しい教育課程審議会に対して、今度諮問される場合には、ただ道徳教育をどうするかというような教育課程審議会の自主性、自由の幅を認めた諮問の仕方でなしに、今度は初めからちゃんと文部当局の手で道徳時間を特設したいと思うがどうかと、初めから教育課程審議会の審議するもの、内容というものにワクをはめてしまって、そうして諮るという、いわば結論を先に出して、そうしてそれをいやおうなしに押しつけて、そしてそれに持っていくという形でやっておられる、これは否定できないと思う。で、しかもそうやって出てきた結論は今までのと何ら変りのないものだ、そう別のことをやろうとするのじゃないのだ、今まで通り教科を通じて、特に社会科を中心にして道徳教育ということはやるのだというようなことの説明を一方では聞くんですね。その点でどうも私はのみ込めない。そののみ込めないもう一つの具体的な理由は「日本」という雑誌があります。「日本」という雑誌の五月号に、内藤局長に対して十一の質問がなされておる。それに対して一つ一つ内藤局長が答弁されておる。その第一の質問に、「現行の社会科には不満があるそうですね」と、こういう記者が質問をしておる。それに対して内藤局長の答えは、「今の社会科は、社会改造の意識が濃厚だ。こんな社会では困るとかもっといい世の中にしょうなんて、子供にわかるはずがない。なんでも政治の貧困に帰してしまえばいいという考えは困る。だいたい自分の責任を果さない人間にかぎってそういうことをいう。世の中のどこが悪いというようなマセた子供はきらいだ。子供はおとなしくして、もっと勉強すればいい。」、まあ、こういう回答が載っておるのですね。で、まあこれが事実であるとすれば、私は今度の、この道徳時間の特徴によって、何ら今までの方針を変更するものではない。ただ今までやってきたことを少しまとめただけだという説明はまっかなうそだと思う。この内藤局長の社会科というものに対する考え方というものは、全くそっくりそのまま裏返せば戦前の修身科につながる考え方です、これは。(「そうだ」と呼ぶ者あり)同時にまた、「いまの社会科は」といって、その今の社会科というのは、文部省自身が作って、そうして文部省自身が指導要領指導して、検定をやってそうして出しておられるのですから、だから全く私はこれは天に向ってつばを吐くような発言だと思う。社会科というものを、今後文部省はこういうような見方をしていかれるのかどうか。もしそういうことだったら、私はもう社会科というものは、実質的には骨抜きにしてやっていって、そうしてそのうちに社会科というものは抹殺してしまう。戦前のやはり教育体系というものに持っていこうという、これはもう下心が露骨に現われておると断言せざるを得ない。それらの点について大臣の責任のある方針を私は明確にしておいていただきたい。非常にこれは重大な発言だと思う。
  154. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 御指摘の問題では、私はその結論を申し上げますが、決して戦前のいわゆる修身とか、そうした問題に持っていこうという考えは一つもないのです。実を申し上げますと、私も文部大臣になりました当時は、これはもう率直に申し上げますが、今までやっておる、社会科の中で教えておること、これでやっていけるんじゃないか。ことに、すべての学科の中でやはり道徳教育は施しておりますから、それでやっていけるんじゃなかろうかというふうに考えておりました。しかし、任官いたしましてから、いろいろな研究を重ねてみますると、とうていこのままではいかぬ、すなわち全科目の中でやっておるところの道徳教育、これでは中心がつかめなくなる、社会科の中でやっておる道徳教育は、やはり大衆道徳、社会道徳の範疇を出ない。かりにそれが人格の培養になり、人格を形づくっていくというような効果はあるといたしましても、もう一つ掘り下げて、そうしてほんとうにその子供の成長に応じ、知識程度に応じて、やはり徳育の手ほどきをしていく必要があるのじゃないかというふうに考えて、それで時間の特設ということを私は主張したわけなんであります。しかし、それは決して戦前のああした思想に引きずり込もうとか何とかいう考えは一つもありません。さらに、さらにですね、何かの別な力で押しつけられたのじゃないか、決してそんなこともありません。これは道徳教育については、これは、もう率直に申し上げます。もうこれは私最後の答弁かもしれぬから、(笑声)率直に申し上げますが、私は道徳教育の問題なんかについて岸総理あたりと会ったこともありません。議論したこともありません。従って押しつけられようとすることもありません。ことに私はきわめて不精者で、総理のうちなんかの門をたたいたこともほとんどない、去年の暮れにお歳暮に行っただけのもので、ほとんどこういうことで私は話したことはない。ですから、だれからも押しつけられようはずがございません。さらにまた、別な力が動いてきたとか何とかいうことも、断じて私にはございません。私は、なるほど仰せになりました通り文部省道徳教育に関するところの政策も変っております。やり方も変っております。しかし、それがこの時勢に応じてすべての教育をやらなければならぬ、道徳といえどもその通りです。戦後のこの国民の頭の変り方、考え方の変り方、従ってその影響を受けて、環境の影響を受けて、子供たちの頭の変り方も非常に著しくなってきておる。ことに二、三年前から、特に昨年あたりから、もう新聞やラジオに報道せられておるところによりましても、これではいかぬ、こんなことではどうして一体子供たちをりっぱな人間に育て上げられるだろうかというふうな感を強くいたしました。従って、どうしても時間を特設して、そうしてそこで子供をりっぱな人格者に育て上げ、いずれの民族にもひけをとらないような人間に育て上げて、そして私どもの次の時代を背負ってもらわなければならぬ、こういう気持に燃えておる次第なんであります。
  155. 秋山長造

    ○秋山長造君 もちろん時勢が変るのですから、それに応じて、固定した道徳というものは私はないと思う。だから、道徳教育のあり方についても、これは時勢とともにこの形は変るということは、これはあり得ることだと思う。しかし、それにしても二十七年の十月から三十一年の春まで三年半もかかって、しかも文部省自身で教育課定審議会の権威ある学者や有識者を集めて練りに練って練り上げてやったものを、わずか一年やっただけで、もうすでにこの方針を変えてしまうということは、道徳教育というきわめて長い生命を持った問題であるだけに、私はあまりにも変り方が過ぎるということを申し上げておるわけなんです。  それで、社会科の点はどうですか。社会科を今後文部大臣はどうしていかれるのか。
  156. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 先ほど来申し上げた通り、従来やっておりました道徳教育、すなわち全科目の中でやっていくということについては、これは変更いたしません。さらに、今までやっておりました、そうした道徳教育を補充し、深化し、さらに統合して、そうして充実せられた道徳教育を施したいということを念願いたしております。社会科は、今後やはり歴史、地理をその社会科の中には十分教え込んでいきたい。すなわち、われわれ民族の今日までの歴史、生存してきましたところの経緯、それをやはり児童たちに知らしめて一つのプライドを持たせるということも私は必要だと思っております。でありますばかりでなく、地理等ももっと詳細に、占領軍から禁止せられておった時代があったようですがもっと詳細に教え、そうしてお互い同胞のどんなふうに生存しておるか、生活しておるかという実情も周知せしめるということが必要ではないかと思うのです。こうした問題につきましては、すなわち教育課程審議会の答申を十分尊重して、そして私ども実施していきたいというふうに考えております。
  157. 秋山長造

    ○秋山長造君 まあ、歴史とか地理とかいうようなことが、社会科の内容に含まれることは、これはもうおっしゃる通りだと思う。ただしかし、昔の歴史とか地理とか修身とかいうようにそれぞれ別個に切り離された科目になっておった時代とは違って、やはり歴史とか地理というものはもちろん含まれるけれども、われわれが今生きているこの社会の仕組み、あるいは社会を見る目ですね、そういうものを養っていく、それが民主的な社会人というものを養成していくための一番根本だという考え方で、私は社会科というものができていると思うのですね。にもかかわらず、内藤局長が、これはもう教科課程の指導要領を作られた文部省での責任者だろうと思うのですね。そうして、その指導、責任のもとに作られたこの社会科の指導要領、あるいは一般編等に基いて教科書というものを作られて、そうして検定を受けてやっておるわけでしょう。だから、現在やっておりますこの社会科というものは、占領下とかなんとかおっしゃるけれども、すでに三年幾らの権威ある審議会において年月をかけて、そうして練り上げられた改訂社会科でやっておるわけですよ。それに対して当の責任者の局長自身が、大体今の社会科はけしからぬというような発言ですね。そうしてまた、世の中のどこが悪いというようなませた子供は困る、子供は黙って勉強すればいいのだ。この発言の通りならば、そういう考え方というのは、形はどうあろうと、これは内容的には、精神的には、これは昔の修身教育の盲従主義の教育だ。言わざる、見ざる、聞かざる、そういう子供は黙って勉強しておれば、おとながやっていることについて、子供はとやかく批判力を持つべきじゃない、こういう私は全く昔の封建的な教育と思想においては何ら変りはないと思う。そういう頭でいるから、何かにつけてそれが出てくる。ちょこちょこあちらこちらに頭をもたげてくると思うのです。これは春先の竹の子と同じことですよ。あちらこちらに出ている、竹の子は別々のところに出ているけれども、深くもぐってみればみなつながっている。私は今の文部行政は、こういう内藤局長の発言というものが、精神的にはもとになって動かされていこうとしているのじゃないか。もし、そうだとしたら、今度の道徳時間の特設、そうしてやがてこの指導要領を変えまして、そうして道徳という特殊な科目を設ける、独立した科目を設けるという、この行き方は、これは戦前の修身科ではないのだないのだと言いながら、修身科という名前がつかぬだけで、実質的にはこれは戦前の国民を支配した、動かした思想と同じ指導理念をもって、思想をもって、やはり行われると考えざるを得ない。そこにやはり、われわれれの今度の道徳時間の特設という問題についても、非常なこれは疑問と、そうして危惧の念が起ってくるわけです。それを裏づけておる、内藤発言というものは、一体そういうことを局長は発言されたのかどうか、私は局長のお考えもこの際明確に聞いておきたいと思う。
  158. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 雑誌「日本」の記事は私も拝見しましたが、非常に中にはうそがございますし、私が言うてないようなこともたくさん出ています。事実そうした点がございます。社会科についてはどう思うかというお尋ねに対しましては、社会科というものは大体アメリカにおいて、こういう教育が発達したわけでございまして、欧州では地理、歴史という形でやっております。アメリカでも社会科につきましては、その内容としては地理的なもの、歴史的なもの、公民的なもの、この三つの要素が中心になっております。ですから、今の社会科についてなお改善する余地があれば、それは改善する必要があろうと思う。特に先ほど大臣からお答えがありましたように、今の社会科の中で、地理や歴史というようなものは、もう少し重視する必要があるのではなかろうか、こういうことは私申しましたけれども、それ以外に何かずいぶん妙なことも入っているようでございますので、私が全部そういうことを申し上げたことはございません。
  159. 秋山長造

    ○秋山長造君 これは、ただ言葉の言い違いだとか、聞き違いだとかいう程度で済ます問題じゃないと思うんですよ。これはもう内藤局長にとりましては、実にあなたのものの考え方なり、世界観なり、そういうものを率直に、わずか教カ行の文句の中に表わされておるんですよ。だからこれは、そんなことを一々、言うた通りじゃないという程度で私は片づけるべき問題じゃないと思う。あなたのやっぱり考え方、一々の言葉の使い方その他はともかくとして、こういう全般の、さっき読み上げたこの文章の中から受ける印象、こういう印象というものが私は問題だと思う。だからあなたが、そういう私が今理解しておるような印象を与えるような考え方はしていないというのだったら、これははっきりこれに対して、何らかあなたは責任ある処置をさるべきだと思う。そうでなければ、これはキングが生まれかわって日本になっておるのでしょう。だからずいぶんこれは、講談社の雑誌というものは、全国津々浦々まで行き届いておる。何百万です。何百万の読者が、全部、あれは、文部省局長をやっておられる内藤さんという人はそういう考え方をしておられるのか、それでは今度の道徳教育というものを社会党がいろいろ言っているけれども、これはもっともだということになりますよ。どうされるんですか。
  160. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) ずいぶんうそもたくさん書いてありますので、私が一々、私が非常に不愉快に思っておる部分もたくさんございます。その他新聞記事などでも私非常に、言わないことまで言ったように書かれて、一一私もそのつど抗議は申し上げておりますけれども、相手方のあることだし、なかなか取り消しをしていただけないこともたくさんございます。本件に対しても、私は、編集の方には、事実に相違していることを申し上げております。
  161. 湯山勇

    委員長湯山勇君) もうこれくらいで……。
  162. 秋山長造

    ○秋山長造君 もうやめます。この点は、私、何らかの方法によって、この取り消し記事なり何なり、これは私はおやりになるべきだと思う。もし、今読み上げたことがうそならば、また、あなたの真意でないんなら、取り消して、あるいはさらにあなたの社会科という問題に対する考え方というものを、もう一ぺんこれは言い直されたらいいと思う。これは非常に重大な問題だと思うんですよ、この社会科という問題について、こういうような考え方を当事者がしておるということは。同時に先ほど大臣も、局長もおっしゃるが、この社会科の中では、地理、歴史というものに重点を置いていく、これだったら、結局社会科という名前は、ただこれは抜けがらで、それはもう戦前の地理科、歴史科というものと何ら変りないと思うんですよ。今日の社会科というものは、地理や歴史や、公民というようないろいろなものを各個別々でなしに総合的に盛り込んで、そうして総合的なものを考える場合にも、あるいは地理的な横の広さでも考える、また、歴史的に縦のつながりでも考えていく、しかも現に生きて呼吸をしておるお互いのこの生きた社会というものをも総合的に理解していく、それに対してまた、合理的な批判力を植えつけていこう、そこが社会科のねらいなんですから、社会科というものを、ただ地理と歴史に分けていくというのだったら、もう社会科というものは、文部省は実質的には否定されて、そうして昔のように、地理と歴史と公民というように、別々な科目にしていこうというお考えなんですか。この点は、私は特に念を押しておきたいんです。
  163. 内藤譽三郎

    政府委員内藤譽三郎君) 社会科につきましては、この前の教育課程審議会の答申がございますので、審議会の答申を尊重してやっていくつもりでございます……。
  164. 秋山長造

    ○秋山長造君 文部大臣一つ。
  165. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) ただいま局長が申し上げた通りですが、これは、なんです秋山さん、先ほどから非常に仰せになりますが、これは、戦前のああした思想に復元させようとか何とかいう考えはみじんもありません。だがしかし、私どもは、どうも私が年を取っておるものだから、松永というやつは封建思想の残滓をかじっておるやつだというくらいな悪口を言う人がありますが、心外千万です。年は取っても、頭はまだ若いのであります。ですから、私は、決して御懸念のようなことがあっちゃ大へんだと思って、一生懸命監視しております。ですから、局長あたりに対しても、いつも話すときには、昔のああした修身の復活なんかになったら大へんだから、この点だけは留意してくれということを、しょっちゅう繰り返し言っておるのであります。これから先の教育については、今仰せになりました、あなた方のようないわゆるこの道のエキスパートの意見も十分承わって、さらにまた、教育課程審議会等の答申も尊重して、万全を期していきたいというふうに考えております。
  166. 吉田法晴

    吉田法晴君 あした解散になり、それからまあ総選挙ということですから、岸内閣としては、これは最後の機会だと思いますので、沖繩の教育施政権返還ということについて、一点だけ伺っておきたいと思います。沖繩の施政権返還、あるいは祖国復帰ということは、これは、両院の二回にわたる決議にもなっておると思う。岸内閣は、今まで、沖繩が日本に返ってくること、施政権が全的に日本に返ってくることについては、あらゆる努力をしたい、こういうことを言っておられる。そうして、これは島民、沖繩の八十万県民なり、それからその市長を支持しております日本の国民の側から言ったことじゃない、政府の方から一ぺんに施政権が全的に返ってくるならば、教育施政権の返還からでも考えたいというのは、これは岸内閣あるいは外務大臣もこの間どっかで言われたようですが、いわば、岸内閣の方から言われておる問題です。そこで、それについては、これは、前の岸内閣のときにも、岸内閣と申しましょうか、石橋内閣の続きのとき、補正予算に関連して、沖繩に見舞金を渡すとき、私から質問をして、教育施政権から自由にしたいというならば、たとえば対人主権と申しましょうか、見舞金を出すという点も、それは日本の国民として、日本の国の支出の中から見舞金を出そう、こういうことだから、それは日本の政府からいえば、人事権がある、人事主権がある、こういう見解に立ってやられるんだろうから、やろうと思えば、あるいは教育費あるいは教科書なりの無料配布等方法があるはずなんです。そうしたら、その点については十分考えましょうということでありました。ところが、その後岸内閣になり、あるいは三十三年度予算を見ても、それでは、教育施政権なら教育施政権を、部分的にも実際に実現していきたい、こういう予算は何にも出ていません。そうして沖繩の返還と申しますか、施政権の返還、それから沖繩の祖国復帰について努力すべきじゃないか、こういうお話を申し上げると、それはいたします。しかし、アメリカに行かれたときには、大して努力もされておらぬようですけれども、このごろになって、また教育施政権の返還ということが、外務大臣の口から言われておるようです。教育施政権の返還ということについて、どれだけ真剣に考えてこられたか、あるいは閣議でそういう点について御検討になったか。岸内閣の文部大臣として、これらの点について具体的にどのような相談をしてこられたか、あるいは政策を立てられてきたか、その一点だけを一つ伺いたいと思います。
  167. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 吉田さんの御質問に対して、まことにちょうどいい機会に私の考え方を上申することを許されたことを喜びます。私は実は、文部大臣になりましてから、すぐ沖繩は同じ同胞であるにもかかわらず、しかもそれが幾年か占領政策を甘んじて受けなければならぬのだろうけれども、やがてはまた元のわれわれと一緒に手を組んでいけるのにもかかわらず、これに対する教育を、われわれの手で施すことができないということは、まことに遺憾だというふうに考えまして、いろいろな手を考えております間に、ちょうど外務大臣が去年のたしか九月でしたか、アメリカに行きまして、そのときに、私は懇々と頼みました。さらに口頭で頼んだだけではいかぬと思いまして、文部省から実は文書をもってあなたの仰せられるような、つまり教育施政権だけでも返してもらいたいということを強く主張した文書を渡しました。さらにそのときに、もしどうしてもいかぬならば、教育権をこっちに委任してもらいたい、しかしそれはもう最後の最後であって、教育だけは占領政治とは関係のないものと思うからぜひ返してほしい、その主張を強くやってくれということを頼んだ。ところが、なかなかそれがうまくいかぬという報告を、アメリカから帰って受けまして、その後代議士諸公が向うに行かれる機会のあるごとに、私は特にそういうことを頼んでおきました。そうした関係と関連性があるかないかはこれは別問題ですが、ちょうどマッカーサー大使が私と会いたいというような話がありまして、去年の十月でございましたか、東京会館で会いまして、そのときにも今の教育権の返還を強く頼みました。ところが、これに対して無理もないことですと言われた。それですぐにはOKとか、いかぬとかという御返事はなかったけれども、とにかくそういうことを私は強く申し上げておきました。この問題につきましては、実は私もごく懇意にしておる早稲田の大浜総長とも、大浜総長は御承知の通り沖繩人であります。いろいろ話をしておりましたところが、先々月ですか、向うの、名前は今頭にありませんが、教育長がみえまして、そうして一緒に半日いろいろ向うの教育行政の模様や、さらに教育の状況等についてもよくこまかく話を承わりましたばかりでなく、先方も私と同じ意見で、せめて教育権だけは復活してもらいたいというので、非常な熱意を持っておられた。そこで、そのときにもいろいろ話したことですが、しかし幸いにして沖繩の教育基本法といいますか、これも忘れましたが、その基本法の中には、私はそれを見ましたが、日本国民としての、何という文句でしたかな、信念のもとにとか何とかいうことがやはり入っておりました。そこで占領軍の方でも、やはりこれだけのことは、われわれの熱意をくみとってくれているなと、まあこれは当然なことでありますけれども、そういうふうに考えて、非常によかったなあという気持で語り合ったことがあります。だがしかし、その時分にちょうどこの委員会でもあれば、もう、きょうあすには帰えらなければならぬというときだったものですから、委員会でも開いておられれば、何かの方法でこうした委員会に、非公式にでもかまいませんから、出席してもらって、そうして今の問題についていろいろ申し上げる機会を得たと思いますが、そういうことができなかった。もうあす帰えるという人ですからね。それで実はちょうどわが党の、すなわち自民党の幹部のところへ行きまして、ちょうど文教委員の連中あたりがおりまして、そうしてその人が、委曲漏らさず情勢を報告し、さらにこれから先、社会党あたりとも相談をして、そうして何とかしてやってくれぬかというような話があったように承わっております。私はしまいまでそこにおりませんでしたけれど、非常な熱意をもって、ぜひ一つ教育権だけは復帰するようにしてもらいたいというような熱望を伝えたということをあとで聞いております。私は機会あるごとに、吉田委員仰せのようなことを、ぜひ一つやらなければいかぬ。占領政策に教育問題は何も関係ないのですから、これはわれわれに返すようにしてくれということを強く主張して、今日まできましたが、今後も首がつながれば、ずっとそれを主張し続けていく方法をとりたいと思います。
  168. 吉田法晴

    吉田法晴君 文部大臣の気持はわかりました。文部大臣個人かどうかはわかりませんが……。私、お尋ねしているのは岸内閣、前の岸内閣のときから約束をしておられた。それから教育施政権返還の具体的な問題については、灘尾文部大臣のときに質疑をして、言明をされてきたところもある。あなたの言われるようなことを言われてきた。そこで、その後岸内閣として、あるいは文部省として、その教育施政権の返還という問題について、どういう具体的な話し合い、あるいは省議というか、あるいは閣議かしらぬけれども、具体的に文部省なり、あるいは内閣で相談をしてこられたところがあったら、どういうものがありますか、こういうことをお尋ねしているわけです。
  169. 松永東

    ○国務大臣(松永東君) 先ほど申し上げたその話しの一節の中にありましたが、藤山外務大臣に私はお願いした、そのことを閣議の席で……。それから話しました。そうしてそれはどうしてもそうせなければならぬという異口同音の声によって、私が先ほど申し上げたようなことを、藤山外務大臣の先方に対する行動に出られたということに承知いたしております。
  170. 湯山勇

    委員長湯山勇君) それでは本日はこれにて散会いたします。    午後二時四十八分散会