○秋山長造君 この点はただいま大臣のおっしゃった
通りに一つ今後、まあ国会は明日で事実上終るわけです。私
どもはもうしばらく大臣にも
局長にもお目にかかれないわけです。ただしかし、文部行政というものはずっと続くわけです。だから大臣におかれては、あくまで今後の全国的な事態というものを円満に話し合いで処理していく、いやしくも警察権を行使して、そうしてこの警察力がこういう問題に対して不当介入をやるというようなことのないように、また、そういう誤解や印象を与えるようなことの万々ないように厳に戒めていただきたい。この点を強くお願いをしておきます。
それから立ったついでにもう一点、私もう最後ですからこの際お伺いしておきたいのですが、それは今度の
道徳時間の
特設という問題の
文部省通達に拘束力があるとかないとかいうその問題は、一応別問題といたしましての質問ですが、一体
文部省としては、大臣なり
局長なりの御説明では、今までやっておらなかったことを今新らしくやるのでなしに、今までこの名目は何であろうとも、今までいろいろな科目でやっておったことを一まとめにしたにすぎないので、ちっとも今までとは
方針が変ったわけでも何でもないのだ、こういうきわめてあっさりした説明をしてきておられるわけです。そこで、私は少しさかのぼって、この際確かめておきたいと思うのですが、数年前に、ちょうど
吉田内閣の時代だと思うのです。あのころにやはり
道徳教育云々ということが、ひとしきり論議されまして、そして戦後ずっとやって参りましたこの社会科、まあ全
教科でやるには違いないけれ
ども、特にこの社会科を中心にして、そして
道徳教育なるものをやるという
方針があったわけです。その点についていろいろ議論が出て、そうして、この
道徳教育というものをいかにすべきかということが二十七年の暮れに岡野文相から
教育課程審議会に諮問があったわけです。そして、その諮問に対して、翌年の二十八年の夏に答申が出て、やはり今まで
通り社会科中心でやるべきものだ、ただしかし、そのためには社会科の
内容というものを少し変えなければいかぬ、こういうことで改訂社会科という問題になってきたと思うのです。そして、その結果を教材等
調査研究会でいろいろ研究をされて、そしてそれに二年余り日にちをかけられて、三十年の暮れに小
学校、また三十一年の二月に中
学校の社会科の
指導要領ができたわけです。そうして三十一年度からそれが
実施されたはずであります。で、あくまで社会科は改訂されましたけれ
ども、しかし社会科で
道徳教育というものを主としてやるという大筋は変えるべきではないという結論が出ておったですね、ところが、それが三十一年度からですから、三十一年の四月から一年間
実施されて、三十二年、去年の春になったら、もう
文部省の方では根本的に
方針を変更して、今度
道徳時間の
特設だとか、あるいは修身科の復活だとかいうようなことを考えられるようになった。一体二十七年から三十年、三十一年の春まで前後四年近くもかかって、そうして
文部省の
教育課程審議会において練りに練って、練り上げられたこの新しい
方針というものが、一体一年間
実施して、もうすでにこれを根本的にまた変えなければならぬというようなことになったのは、どうも問題が
教育問題であるだけに、なおさら私
どもはふに落ちない。何かそれは別の力がこれに加わってそういうことになったのじゃないかというような疑問を持たざるを得ないのです。しかも、今度の、昨年の九月に新しい
教育課程審議会に対して、今度諮問される場合には、ただ
道徳教育をどうするかというような
教育課程審議会の自主性、自由の幅を認めた諮問の仕方でなしに、今度は初めからちゃんと文部当局の手で
道徳時間を
特設したいと思うがどうかと、初めから
教育課程審議会の審議するもの、
内容というものにワクをはめてしまって、そうして諮るという、いわば結論を先に出して、そうしてそれをいやおうなしに押しつけて、そしてそれに持っていくという形でやっておられる、これは否定できないと思う。で、しかもそうやって出てきた結論は今までのと何ら変りのないものだ、そう別のことをやろうとするのじゃないのだ、今まで
通り全
教科を通じて、特に社会科を中心にして
道徳教育ということはやるのだというようなことの説明を一方では聞くんですね。その点でどうも私はのみ込めない。そののみ込めないもう一つの具体的な理由は「日本」という雑誌があります。「日本」という雑誌の五月号に、
内藤局長に対して十一の質問がなされておる。それに対して一つ一つ
内藤局長が答弁されておる。その第一の質問に、「
現行の社会科には不満があるそうですね」と、こういう記者が質問をしておる。それに対して
内藤局長の答えは、「今の社会科は、社会改造の意識が濃厚だ。こんな社会では困るとかもっといい世の中にしょうなんて、子供にわかるはずがない。なんでも政治の貧困に帰してしまえばいいという考えは困る。だいたい自分の責任を果さない人間にかぎってそういうことをいう。世の中のどこが悪いというようなマセた子供はきらいだ。子供はおとなしくして、もっと勉強すればいい。」、まあ、こういう回答が載っておるのですね。で、まあこれが事実であるとすれば、私は今度の、この
道徳時間の特徴によって、何ら今までの
方針を変更するものではない。ただ今までやってきたことを少しまとめただけだという説明はまっかなうそだと思う。この
内藤局長の社会科というものに対する考え方というものは、全くそっくりそのまま裏返せば戦前の修身科につながる考え方です、これは。(「そうだ」と呼ぶ者あり)同時にまた、「いまの社会科は」といって、その今の社会科というのは、
文部省自身が作って、そうして
文部省自身が
指導要領で
指導して、検定をやってそうして出しておられるのですから、だから全く私はこれは天に向ってつばを吐くような発言だと思う。社会科というものを、今後
文部省はこういうような見方をしていかれるのかどうか。もしそういうことだったら、私はもう社会科というものは、実質的には骨抜きにしてやっていって、そうしてそのうちに社会科というものは抹殺してしまう。戦前のやはり
教育体系というものに持っていこうという、これはもう下心が露骨に現われておると断言せざるを得ない。それらの点について大臣の責任のある
方針を私は明確にしておいていただきたい。非常にこれは重大な発言だと思う。