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参考人(土居明夫君) 私は、初めに私の世界情勢の分析からお話しをし、次いで戦争あるいは原子国防という
ような問題について
意見を申し述べ、次いで、
憲法と自衛隊の問題について、次いで、日本の防衛の骨幹の
一つのことについて、次いで、自衛隊は役に立たぬという問題について、次いで、一万名増員、こういう順序でお話をしたいと思います。
私は今日の世界情勢を
判断をして、世界は逐次平和に近づいておる、平和勢力が強い、世界は宇宙時代になったから戦争はできない、こういう話には、これは非常な
政治的、謀略的宣伝があると断じております。事実、第二次大戦後の終戦処理さえまだできておりません。ドイツは三つに分れ、朝鮮は二つに分れ、また東ヨーロッパの五、六カ国は、終戦のときのむりやりな政権によって、今日まだ維持されておる。また、アジア、アフリカの後進諸国は、急速に民族
独立、民族の発展を願う、こういうことから、いろいろの抗争の種をまいております。世界はちっとも平和の方に向っておりません。ことに、アメリカも自由民主という思想を絶対捨てない。ソ連も共産主義思想を絶対捨てない。フルシチョフは平和政策を言いながら思想には平和共存はないと断言しております。勝つか負けるか、世界において逐次社会主義、共産主義が勝っていく、勝たせる、こういう信念で戦うのだと、これが去年の十一月の十二カ国、ソ連を先頭とした、ソ連を頭に仰いだ十二カ国の共産国の宣言であり、六十四カ国の共産党の宣言であります。こういうふうな思想、これらは絶対相いれないというなら、平和に向っているとはおくびにも言えない。いわんや、これに伴う経済戦はますます熾烈をきわめると思います。だから世界が平和に向っているとか、平和勢力が強いとか、そういうことは、おのおののこの陣営におけるところの勝手な熱である。私は、従って原水爆戦争をやれば人類は絶滅する。水爆一発で日本は壊滅する、こういうことは私は謀略宣伝の
一つの型である、決して人類が絶滅する
ような水爆戦争はやらぬと思う。決して日本は一発の水爆で日本が壊滅する
ような戦争はしかけないと思う。まあこの点は次の問題になりますから譲りますが、とりあえず、とにかく原水爆戦争というものは容易に起らぬ。しかし小戦、局地戦争、制限戦争あるいはいわゆる間接侵略という
ようなものは至るところに起る。決して平和の方に向っていないという情勢分析であります。
次の、世界の軍事、国防、戦争という問題でありますが、今やわれわれは、戦争とか、国防とか、軍事とかいうことを根本的に見直さなければいかぬ時代に入ったと私は思う。軍事は、簡単に言えばミサイル核兵器の時代に入っておる。ミサイル核兵器、もっと大きく言えばICBMであり、人工衛星、これを含んだミサイル核兵器時代に入った。一体原爆禁止は日本政府の方針でもあり、国連にも提訴しております。政策としては私はけっこうである。しかし現実はそうでありません。アメリカも原子装備をした集団にどんどん切りかえております。NATO諸国も原子装備をすると、けさの新聞にもあります。三十個師団にNATO諸国の軍隊を増員するけれ
ども、その装備は核装備だということを原則に認めております。ソ連も原爆禁止の宣伝は大いにやりますが、無通告で、今日まで、ことしも九回実験をしておる、核実験を。また、ソ連もこの四、五年前から核装備に切りかえております。だからスエズのときにイギリスやフランスをおどす、あるいはフルシチョフは再三再四にわたって、世界中どこへも打ち込めるミサイルと核兵器を持っているというおどしをかけている。日本にもアメリカの基地がある限り、日本はたたかれるぞ、壊滅するぞというおどしをかけてきておる、去年の十二月には、ソ連も戦術的な核兵器を軍隊に装備をさせつつあります。だから、これはもう世界のだんだん軍事界の常識になりつつある。一方だは、政策として原爆禁止政策、外交術として原爆禁止、これを唱えますが、しかし現実はどんどん進んでおります。イギリスのごときは、ミサイル、核兵器に切りかえて陸海空三軍をほとんど縮小し
ようとしておる。これはもうイギリスの白書ではっきりしている、しかし、一方から言いますと、平和利用はこれはどんどん進むでしょう。平和利用、原子力の平和利用が進めば、原子力の開発かできて、そうして現在の
ような人間に放射能の害があるという
ようなことかだんだん減ってくると思う。科学技術の力で平和利用は各国とも猛烈にやるのですから、日本でもやらなければいかぬ。そうすると、科学技術の進歩は現在の
ような害を防ぐ、害の少いものがどんどんできる。平和利用はいかに原爆を禁止しても禁止することはできません。しかも、平和利用が進んで、きれいな核兵器というものかすべて小型化し、これがまた平和利用から、いつでも転換ができるというなら、禁止をして、どれだけの価値があるでしょう、禁止はほとんどできないでしょう。いわんや、近ごろのソ連、アメリカ、NATOの軍隊を見ますと、大砲はだんだん原子砲弾の大砲に変えます。ロケットは原子砲弾のロケットに変えます。昔の大砲百個中隊で今日原子砲一門、それよりもっと力が強いでしょう。そうすると、そういうことにだんだん小型化し、そうして普遍化して、ジューコフはこの間追放されましたが、ジューコフが国防
大臣のときに、次の大戦は原子戦争になる、ロケットミサイル、核兵器の戦争になる。戦争というものはそのときの最強最大な武器が使われる。死ぬか生きるかなんだから、もう持っておるところの最強最大のものを無意識に使うのだ、こういう言い方をしておる。だからふだん禁止しておいても、それはいざという場合には、ジューコフが言っておる
通り、この前の大戦で毒ガスか使われなかったのは、毒ガスかまだ最強最大の兵器でなかったからだ。あれは補助兵器であって、あんなものを使わぬでも主兵器があった。ところが今度の核兵器、これは主兵器だ。普通の兵器に取りかわりつつある。だから、これはたくさん使う、何をソ連がぐずぐずしているのか、われわれもこれによってやらなければならぬ。だから彼らの訓示を見ると、演習場はもちろん、兵営の中でも核兵器のもとにおける訓練というものを、兵営の中でもやれというのがお達しなんです。私
ども中共へ行って南京の高級歩兵学校を見ました。そのときの議題は、核兵器の戦闘下における連隊本部、大隊本部の防衛体制というので、日本の人は核兵器と言ったら、もう虫ずが走るくらいしゃくにさわるのです。しかし列国の装備は着々政策とは違って、そういうふうに進んでおります。また、フランス、ドイツがサハラ砂漠で今度は核兵器の実験をやるというのが、けさの新聞には載っているのです。フランスは去年の十二月、国連総会において、米ソが核兵器を持って、われわれが持てぬというのは不公平である。フランスはプルトニウムから今核兵器を作りつつあるということをはっきり言っておる。ネールは、核兵器を大国が持って、ほかのものに持たさぬというのは、大国の原子力帝国主義であると、こうまでネールは言っております。ネールはまた、中共は二、三年後、核兵器を持つだろう、そうすると、国連に入れなければならない、少くも軍縮会議には入れぬというと、これは大
へんなことになるとまで言っている。中共は最近五千キロワットの原子力発電所の完成を
報告しております。これはもう三年前から建設に着手して、五千キロワットの原子力発電所というものが完成をした。これから先き、中共かどういうふうにこの原子力開発をやるか知りませんが、おそらくは中共も、英、米、ソ、フランスぐらいが核兵器を持つなら、おれだってイギリスを追い越すのだから当然持つ、こうなるでしょう。アメリカも、小国が持てば、これは大
へんなことになるから、早く核兵器を持つやつを制限しなければならぬ。しかし平和利用がどんどん進めば、これは当然平和利用からだんだん小国も核兵器を持つということになるのです。それは欧米の研究者が言うております。これから二十年後においては、おそらく二十の国が核兵器を持ち得るだろう。だから日本人が核兵器や、そんなもの持ったら、もう
ほんとうに何と言いますか、地獄のさただと思うけれ
ども、そんなものではないのです。
次に戦争という問題で私の
意見を申し上げますと、戦争をやったら日本は壊滅する、水爆一発で壊滅するとか、あるいは日本はみな殺しになるとか、そんなことを申すが、戦争というものは、そんなものではないと思う。一億玉砕というものは戦争ではない。一億玉砕の覚悟で戦争して勝たなければならぬというだけであって、一億玉砕で戦争の目的を達するか。戦争には目的かある。正義の目的を達成しなければいかぬ。その正義の目的を、日本を壊滅するという目的なんかはどこの国だってとらぬ。アメリカだってソ連を壊滅する、一億一千万のロシヤ人をみな殺しにするという戦争目的、
政治目的はとらぬ。いわゆる無条件降服、戦犯
処罰、こんなのは外道であって、第二次大戦以後、こういうことは絶対私は起らぬと思う。戦争が
政治目的の達成の
一つの手段であるならば、これは
政治目的を制限すればいい。はっきりすればいい。そうして、この目的で妥協するということにはっきりすればいい。しかし人は言います。クラウゼヴィッツは、戦争は理知の産物ではない、感情のほとばしるところ、とことんまで行く、とどめを知らぬ。原水爆戦争になったら、小さい戦術的原子兵器を使うとすると、だんだんとどめを知らぬことになって、大きくなって、世界戦争になって人類が絶滅する。これは講談師がやるならいいですよ。大体こういうのは戦争恐怖感を与え、戦争嫌悪感を与える謀略宣伝です。そんなのは戦争というものの中には入らない。だから私は理知の発達した今日においては、苦の
ように感情で戦争を抑制し得ないなんということはだんだんなくなると思う。それは私も思いますよ。現在米ソの持っている二万個の原爆が一ぺんに破裂したら、人類は
ほんとうに参ってしまうかもしれない。しかし、そんなものは私は絶対起らぬと思う。いかにアメリカやソ連でも、そんなばかなことはやらないですよ。やはり昔より、クラウゼヴイッツのときよりも理性が感情を支配する力が強い。いわんや集団防衛、集団戦争ということになりますから、それは昔よりやっぱり抑えがきく。それはとにかくとして、私はそこにおいて制限戦争というものはある。地域局地戦争というものはあり得る。たとえば、局地戦争はアメリカとソ連か加わらない。そうすると、アメリカとソ連が加わらないから局地戦争。そうすると、
政治目的というものは非常に小さいのです。国境をこういうふうに変え
ようとか、あるいはあの島はおれのところへよこせとか、そういう小さいものです。そんな小さい
政治目的で局地戦争が起ったときに、どっちか知らぬが、ソ連か、アメリカからもらった戦術的原爆を使ったとしても、それかだんだん大きくなって、米ソの世界戦争になって人類は絶滅する、絶対そんなことはない。そんなちっぽけな
政治目的のために、アメリカもソ連も、その本国が壊滅する
ような戦争はやらないです。だから朝鮮戦争でも、あそこまで行っておさまったのです。だから戦術的核兵器を同地戦で使っても、これはそれがだんだん大戦争になって、人類絶滅戦争になるなんて謀略宣伝、戦争恐怖感を与えるものに過ぎない。それから制限戦争については、地域的の制限戦争もありますが、時間的の制限もある。たとえば、米ソかどうしても
政治目的のために戦争をやらなければならぬ場合に、私はこれは時間的制限をやると思うのです。
政治目的を非常に限定をして、そうして原水爆、ICBMで打ち合うでしょう。これは非常に制限をして、それで結局どっちが勝つかということは、とことんまでやらぬでもすぐわかるのです。ICBMに対する防備が下手であった、ICBMの能力と数が少かったという方が……、これはこれ以上やったならば、アメリカも壊滅するが、世界も大
へんなことになる。それではあの
政治目的も妥協し
よう。だから昔の戦争の
ように無条件降伏だとか、とことんまで戦わなければいかぬ、そういう今は時代ではないのです。それで、私はやはり戦争のあり方、戦争というものの本質、こういうものを今や原水爆時代において再検討せなければいかぬ。クラウゼヴイッツを後生大事にかかえて、戦争というのは悪いのだ、こういうのは今や時代おくれだ。だから今や戦争のあり方、やり方ということを世界が暗中模索、今
考え中である、こう私は思う。その
一つに東洋兵学というのがあります。最近、中共の孫子、呉子の兵法を、新しい
解釈に基く孫子、呉子というので出版しております。ソ連は革命以前から、ロシアには孫子のロシア版がある。革命後は孫子、呉子のああいう六韜三略のやり方は非常に共産主義のやり方に似ているから、これはいいというので、ずいぶんわれわれがモスクワにおりましたときも
質問を受けた。これは戦わずして勝つのか一番いいのだ。刀は抜かずして刀の用をたせばいい。それからまた敵を乱してとる。敵の内部を混乱さして乱してとる。あるいは上兵は謀を討つ、次は交を討つ、三番目が軍隊を討つ、四番目の一番いくさの下手なやつが城を攻めるなんということがちゃんとある。ソ連と中共はそれを今一番研究している。だから水爆の投げ合いというものが容易にできないということになると、こういうことにだんだん持ってきます。経済戦、思想戦にはますます持ってこいなんです。だから戦争というもののあり方を
考えるとともに、その本質、やり方というものも、また
考え直されつつあるのです。そこで防衛庁と言いますか、自衛隊と言いますか、この方面におかれても、もっともっと新しい時代における戦争とか、国防とかということを広く検討され、ことにアメリカはガラス張りでわかりますが、ソ連、中共の戦争に対する
考え方、やり方をもっともっと深刻に御研究になる方がいいのじゃないかと思います。
第三段目の
憲法と自衛隊の問題ですが、私は
憲法は、これはやはり先ほど言われました
ように、国際間の紛争の処理のために戦争や武力行為を用いないとか、威嚇しないとか、あるいは軍隊を持てないとかいうのであって、自己防衛は、これはこの
憲法の禁止外であると、こう思うのです。人間は敵が来たらば無意識にこれを防御するというのが本能です。犬でもネコでも、たたかれそうになったら逃げます、あるいは抵抗します。自己防衛は動物の本能です。人間の本能なのです。国家は個人の集まりです。国家がなぐられたら、もうしょうがない、なぐられっぱなし、そんなことは動物の本能からおかしいのです。そんなものを
憲法で禁止しておるわけではないと思う。
憲法学者はいろいろ言われるのですか、これは自己防衛は動物の本能なのですから、
憲法で自己防衛を禁止するなんというのはもってのほかなんです。これはまあそういう政党もあるかもしれませんが、これは自分が政権をとるための
一つの手段としか思われない。自分か政権をとったら、ものすごくやりますよ、自己防衛を。しかし、これはわしが言うばかりでない。ソ連が言うておる。サンフランシスコの対日平和条約で、ソ連の代表は日本の軍備についてこう言っている。日本は自衛の必要の限度に軍備を持たす、自衛の必要の限度において持たす。このときソ連は日本の
憲法をちゃんと知っていますよ、日本の
憲法を知っている。知っとって、自衛の必要限度に日本には軍備を持たすと、こういっている。あとで言いたいと思いましたが、陸上兵力十五万、海軍七万五千、飛行機三百五十、戦車三百台です、彼が提案したのは。だからソ連でも自衛の軍備は許す、持たねばならぬというのに、日本の中には、そんなものは要らぬというのは、これはどういうことか、頭が狂っとりゃせぬかと、私はこう思うのです。
それから国連の問題でありますが、先ほど今村
参考人からお話がありましたが、私もそれに同意です。われわれは国連に入って、国連が平和を維持してくれる。しかし、やはり国連の中でわれわれは世界平和の維持の任務を達せねばならぬ。だからどうしても、日本がすき間があって、非常にいたずらされた、それで世界の平和を乱した、こういうことのない
ようにするのが国連における日本の
義務じゃないか。日本は無手勝流で何もしない、そのときにいたずらをして来た、はね返すこともできない、あるいは防ぐこともできない、それで国連にすぐおぶさる、そうしてそれがだんだんいろいろな国に迷惑をかける、これでは
義務を果したとは言えないのです。国連に入って、権利ばかり主張して
義務を果さないというのは、これはどうも工合が悪いと思います。
それからもう
一つは、
憲法を
制定した当時の世界情勢、戦争というものとの関連が今とはだいぶ違うのです。われわれは日本の防衛を安保条約にもよっておりますが、国連にも依存している。そうすると、国連がもし国際警察軍という
ようなものを編成をして、いろいろ世界の治安を維持し
ようというそのときに、これは国際紛争の処理のために武力これを用いることになる、ぼんぽんやるかどうかわからぬが、とにかく武力、軍隊を派遣することになる。そういう場合に、日本は、
憲法にあるからおれのところは行わぬ、これはどうも国連にわれわれはやはり国の安全を託しておる部分があるのですから、われわれは、もう少し
憲法もこの点を
考えて作り直さなきゃいかぬのじゃないか。
そのくらいにしまして、次に、日本の防衛の骨幹は、これは何としましても国連と日米安保条約であります。おそらく終戦のときは、もしソ連軍が来て、アメリカ軍が一部であって、アメリカ軍が帰ってソ連圏内に入っておったならば、日ソ共同防衛というものの中に入るでしょう。しかしわれわれはアメリカの中に入った。だからアメリカの協力によって防衛をやり、その次は国連の庇護下に防衛をやる。しかし私はここで言いたいのは、いつまでも、集団防衛とは言いながら、アメリカの軍隊におってもらい、アメリカの基地をふだんから置いておかなければ、日本が危いという
ようなことは、これはやっぱりだんだん少くしたい、なくしたい。イギリスはなるほどアメリカの基地を置いてありますが、いずれはあれもなくしたいと思っているでしょう。スピード時代になったから、あっと言う間に、百秒戦争で片づくなんと言う評論家もありますから、なかなかむずかしいのですが、しかし、まあやっぱり自力自衛というか、自衛中立というか、そういうことになるのは、スイスとか、スエーデンとか、ああいうふうにならなければいかぬという話ですが、そういうことになるのは、その前にやっぱり集団防衛のワク内で
一つの条約を結んでおいて、ふだんはおらないが、いざという場合には機を失せず来てもらうということにすれば非常にうまいのです。これはまあすぐはできません。将来、漸次日本の国民の心持あるいは自衛隊の強化によりまして、私はそういうことになりはせぬか、それを理想とします。最後の理想は自衛中立ですが、これはちょっとやそっとではできないから、まず第一の目標をそこに置いてあると、こう
考えております。
その次には、自衛隊は役に立っております。役に立たぬというのは、それはやっぱりおかしな話で、まあこれも私は私の感じを述べますが、水爆
四つで日本は壊滅する、ちゃちな軍隊を持つなという
ようなのか電信柱にあっちこっちに張られておったことがありますが、一体ちゃちな軍隊を持たぬ方がいいというなら、イスラエルあるいはハンガリー、あるいはもっと小さい国々は軍隊なんか持っちゃいかぬわけなのです。日本より小さいのは、西ドイツもイギリスも小さい、トルコもハンガリーも小さい、こういうものは持つちゃいかぬということになるのです。これは非常に論理の飛躍である。それから今の自衛隊が役に立っておるということは、やはりほかの国、どこといわずほかの国、ことに強国が野心を起していたずらをしたり、すきをねらっていろいろなことをすることを防いでいるだけでも
相当の価値がある。フィンランド、あるいはエストニア、ラトヴィア、リトワニアという三国がソ連に合併をされたあのときに、私はモスクワにおってつくづく、小国でも、負けるいくさでもやって、民族国家の名誉を保っていけば、いつかは復興するということをつぶさに見たのすで。エストニア、ラトヴィア、リトワニアはどうせ負けるいくさだから、ソ連のために一人でも国民を殺すのはむだだ、ですからみんな手をあげたのです。ソ連の進駐要求に対して。最後通牒です。そのおかげで今日は国が
一つもない、ソ連の一州なんです。ところがフィンランドは負けるいくさであっても、民族国家の名誉にかけて戦わなければならぬといって戦った。それで今日
独立を保ち世界の尊敬を受けておる。だからちゃちな軍隊であろうが、何であろうが、そんなに言われても、とにかく相応のものを持つということによって国の名誉も維持も保っておる。またそういうすき、いたずらを防いでおると私は思うのです。早い話が、国際間の力というものを
考えますと、日本では自衛隊があるから日本の国威が、国威というか、日本の評価が違っているということがよくわからない。ところが一歩外へ出ると、やはり日本の自衛隊というものの戦力、力によって日本の力はやはり上っておるのです。外交もおそらくはそれで少しずつ、何と言うか、日本に有利になっている。一体今の国際間は力しかありません。そんな
憲法に書いてある
ような公正と信義に信頼してなんという、それで国がうまくいくなんてとんでもない。神様の世界じゃないのです。これは欲の皮の突っぱった人間の世界なんです。利己心の多い人間の世界なんです。ですから、これは列国が、やはり日本の自衛隊というものが伸びていって、そうしてだんだんと力を持ってきたということに対して、尊敬と評価を与えておる。国内の人は、あんなちゃちな自衛隊はつぶしてしまえ、こう言うけれ
ども、ほかの国はそう思っていない。だから私は自衛隊は、そりゃ文句はあります、私も。いろいろ今の自衛隊のあり方あるいは
内容、いろいろのことについて進言もありますし、批判もありますが、総体的に見れば、とにかく軍隊に反対する、戦争に反対するという空気が婦人層や、あるいは青年層に
相当多い中に、よくもここまでがんはって作って成長させていただいたと感謝しております。
その次には、一万名増員でありますが、これは日本の国家、
一つの家ですね、この家にふさわしいだけの国防というものは、これはちょうど家に玄関と便所があると同じなんです。だから家は建てたけれ
ども便所がないというのは、それはおかしいのです。やはり国防というものも国家の中の
一つの機構であり、外国がこれを国力の
一つとして
判断する。そうすると、その家に応じたものを持たれなきゃならぬ。それじゃその家に応じたものはどんなものか、これは少し古いですが、やはり私はソ連の例をあげたい。ソ連がサンフランシスコ条約に、陸軍十五万といった、だからまああのソ連は、日本の軍人、軍隊は全部武装解除して、二十五年間強制労働をやらすということをモスコーの外相会議で、あの終戦の年の十二月に提案しております。そのソ連が十五万の陸軍を持たすというのですから、これは大体評価の最低ですね。だからまあ世界は、やはりあの日本の家であったならば、陸上兵力十五万か二十万ぐらいは、これはまあ大体常識でしょう。まあしかし、先ほ
ども言われた
ように、一万名この際増すよりは、ほかのことをやったらいいというこれは一応うなずけます。これは確かにそういう議論もあるべきである。ただ私は今すぐミサィル、核兵器なんて言ったならば、これはここにおる方もみん反対されるかもしれません。しかし科学国防をやらなきゃいかぬ、どうしても将来は科学国防に踏み切らなきゃいけない。そうすると、今から逐次これはミサイル、核兵器、これらの防御を研究せねばならぬ。これは中共が三年先に核兵器を持ってきて、北鮮に行くにきまっているんです。そうすると、日本としては、これはやはりある
程度防御の研究をやらなきゃならぬ、これは技術本部なんか大いに拡大すべきなんです。今度の一万の増加は、なるほど混成旅団一個とありますが、おもなるものは科学技術実験部隊とかヘリコプターとか、通信とか、いろいろ技術を主とする部隊を新設するというのだから、私もこれは賛成であります。そうして国防というものは今日の国防を
考えるばかりじゃない、やはりそれを訓練して装備するには時間がかかりますから、十年後、十五年後の国防を
考えなきゃならぬ、そうして逐次それを整備し、研究整備して行かなきゃならぬ。そうすると、今技術部隊なんかを作らなければ、十年後も竹やり部隊になりまして時代おくれになるのです。だから、どしどし私は科学本部を作り、そうして科学者を養成してどんどんやらなきゃならぬ。日本の科学国初において一番欠陥は、有名な科学者、物理学者が軍事国防に協力しないという態度をとっております。これが日本の国防の最大の欠陥であると私は思う。だから非常にやりにくいでしょうが、しかし、そんなことを言うてはおれないから、ぜひ
一つその方にやっていただきたい。まあ一万名増加してどうだ、いいか悪いかとかいうこともありますが、先ほどの話もありました
ように、大体、日本の国民には祖国防衛の
義務を負わしてないんです。軍事訓練もやっていないのです。これは中共やソ連から見たら、ものすごい軍事訓練ですよ。学校だって学校配属の将校がおりまして、ばりばりやっております。中共に行ってみると、これはもう中共へ行かれた人、ソ連へ行かれた人、これが日本の国防は要らぬとか、軍事訓練は要らぬとかいうのはおかしいのです。そのかわり中共と同じ
ようなグループに入ったら一ぺんにやりますよ、現に親方がやっているんだから。それはもうアメリカさんだから、まあこれでわれわれはいいけれ
ども、これはソ連、中共のブロックに入ったらものすごい訓練であり、国防強化である、これはもう有無を言わさずやるのですから。だから、やはり日本が今国防の
義務を負っていない、それから軍事訓練はやつていない、このときに際して、やはり仕方がない、まあ少しでも、千名で二千名でも自衛官を増して訓練をして行こうというのが当りまえです。それからまた予備兵力がないということ、あるいは日本が細長いから、張りつけた兵力が足らないということ、これは不経済です。もう飛行機がうんとでき、そうしてちゃんと空中機動が瞬間にできる
ようになれば、少い兵力で防衛もある
程度できるでしょうか、日本みたいな、のろのろした汽車に乗ったり、道路の悪い所を自動車で行ったりしたのでは、これは間に合わないのです。どかんとやられたら一ぺんにおじゃんです。だからどうしてもむだな兵力か要るわけです。そういうことで私もやむを得ないと思います。非常に進んでは賛成はできないか、まあこの辺は大体十五万か、二十万くらいはやむを得ないところだと思います。
最後に私は……。