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1958-04-21 第28回国会 参議院 社会労働委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年四月二十一日(月曜日)    午前十一時七分開会   ―――――――――――――   委員異動 四月十九日委員田中一辞任につき、 その補欠として木下友敬君を議長にお いて指名した。 本日委員西田信一君、西岡ハル君及び 横田フク辞任につき、その補欠とし て塩見俊二君、植竹春彦君及び井上清 一君を議長において指名した。   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     阿具根 登君    理事            勝俣  稔君            木島 虎藏君            山下 義信君    委員            有馬 英二君            井上 清一君            斎藤  昇君            塩見 俊二君            谷口弥三郎君            寺本 広作君            片岡 文重君            藤田藤太郎君            松澤 靖介君            山本 經勝君            田村 文吉君   国務大臣    労 働 大 臣 石田 博英君   政府委員    労働政務次官  二階堂 進君    労働大臣官房長 澁谷 直藏君    労働省労政局長 亀井  光君    労働省労働基準    局長      堀  秀夫君    労働省職業安定    局長      百田 正弘君   事務局側    常任委員会専門    員       増本 甲吉君   説明員    労働省労働基準   局労働衛生課長  加藤 光徳君   参考人    明治大学教授  松岡 三郎君    国立国会図書館    長       金森徳次郎君    労働経済評論家 岡 十万男君    読売新聞論説委    員       樋口 弘其君    慶應義塾大学教    授       藤森 敬三君    早稲田大学教授 野村 平爾君   ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○日本労働協会法案内閣提出、衆議  院送付) ○けい肺及び外傷性せき髄障害に関す  る特別保護法の一部を改正する法律  案(大矢正君外六名発議) ○労働基準法等の一部を改正する法律  案(藤田藤太郎君外六名発議) ○職業訓練法案内閣提出、衆議院送  付)   ―――――――――――――
  2. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ただいまより社会労働委員会を開きます。  委員異動を報告いたします。  四月十九日付をもって田中一君が辞任され、その補欠として木下友敬君が選任されました。   ―――――――――――――
  3. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 日本労働協会法案を議題といたします。  本日は、本案審査上の参考に資するため、参考人の御出席を願い、御意見を拝聴することになっております。  参考人各位には、お忙しいところ出席下さいまして、まことにありがとうございました。当委員会においては、日本労働協会法案審査中でございますが、その参考に資するため、各位の御出席をお願いして、御意見を拝聴いたすことになりました。法案内容等につきましては、お手元に御送付申し上げておきました通りでございますが、時間の関係もございますので、重点的に御意見発表をお願いいたしまして、次に、各委員会質疑にお答え願いたいと存じます。なお、御発表の時間は、お一人十五分以内でお願いいたします。御了承をお順いいたします。  次に、委員各位にお諮りいたします。議事進行都合上、参考人全部の意見発表が済んでから質疑を願うということにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と、呼ぶ者あり〕
  4. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと存じます。なお、野村参考人及び藤林参考人方々は、御都合により午後零時ごろ御出席の予定でございます。御報告申し上げておきます。
  5. 石田博英

    国務大臣石田博英君) 参考人の皆さんにちょっとごあいさつ申しあげます。  本日は、御多忙中のところ、まげて御出席をいただきまして、まことに御苦労様に存じます。どうか忌憚のない御意見をお聞かせ願いまして、審議参考に供したいと存じます。  私も、本来拝聴いたさなければならないところでございますが、他院審議関係がございますから、これで失礼はいたしますが、役所の関係責任者出席させておきますから、その方から御意見の由を承わりまして、十分参考にいたしたいと存じます。  簡単でございますが、ちょっとお礼のごあいさつを申し上げます。
  6. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) それでは、参考人各位から順次御意見発表を願います。  まず、明治大学教授松岡三郎君にお願いいたします。
  7. 松岡三郎

    参考人松岡三郎君) 私、松岡です。わずか十五分でありますから、簡単に私の見解を述べさしていただきます。  結論から言いますと、この法案性格が、調査機関であると同時に、教育機関である。まあ教育といっても、広い意味教育機関でありますが、しかも、その機関は、政府代表者であります労働大臣事業並びに人事についてもすべて強い発言権を持っているわけです。ですから、結論的に言いますと、政府支配下にありますある調査機関であると同時に、教育機関であるということがこの法案のねらっている趣旨だと思うのです。  これに対して私の見解を申し上げますと、ます第一にせいぜい調査機関にとどめるべき考えで、教育機関たる性格はなくすべきであるというように思います。  それから第二に、調査機関であるとしても、政府との強い権力支配関係というものは削除すべきだというように考えるわけです。ただ、この趣旨に対して賛成反対かと言われるなら、条件的に賛成だというように言っていいのでありますが、おそらくこの法案立案者が、そうでなく、これは教育機関でなくてはならぬ、それから、もう権力支配関係のもとに置いておかなくてはならぬということでありますなら、私は、全面的に反対だというように受け取られてもけっこうだと思います。  それでは、なぜ広い意味教育をなすべきではないかということについて、私の見解を述べてみたいと思いますが、元来、日本労働問題に対して教育宣伝に乗り出したのは、終戦直後、占領下時代であります。理論的に言いますと、労働問題の解決労使の自主的な解決、これが出発点でありますにもかかわらず、教育宣伝に乗り出したのは、やはり日本が新しい民主的なおい立ちというものの地盤を作るためにこういうような措置をとったのです。よくいわれておりますように、もう戦後ではないといわれるなら、その占領時代に作られてやられておりました教育宣伝は、もうやるべきではないというように思うのです。現在世界文明国状態を見ますと、たとえば、カナダでもアメリカでもフランスでもイギリスでも、大ざっぱな見方からいいますと、ほとんどこういった教育宣伝をやっていません。あるいは、やっていませんと言いますと、ここではあるぞというふうにあげ足をとられるかもしれませんが、あっても、それは非常に影の薄いものであります。こう言いますと、いや、それは、それらの国の労働組合使用者おとななんだ、日本子供なんだというふうな反駁論があるかもしれません。私、この点について、日本組合使用者というものは子供であって、よその国がおとなだというような大ざっぱな見解には必ずしも賛成はいたしませんが、あるいはそういう表現が説得力があるとしますと、この点について私はさらに言いたいのです。そういう国々でも、初めからおとなになったわけではなくて、子供時代もあったわけです。そういう子供時代教育宣伝をやったかといいますと、そういうようなことはやりませんでした。一口にいいますと、労働組合教育労働組合にまかせる、使用者の方の教育使用者の自覚にまかせるということであります。なぜそういうことをやらなかったかといいますと、そういうことをやってもむだだからです。  労働問題を解決するには、よくこれはどの本にも書いてあることでありますが、そのトラブルの起る原因をなくすることが、起る根を絶つことが一番大事なのです。その根を絶つことをしないで、その現象だけを追って、それがいいとか悪いとかというようなことを言っても、私は、物事の本質的な解明にはならないのです。おそらく今の政府方々がこの案を思い立たれたのは、昨年の春闘で、一般にいわれる法律違反ストライキとか、そういったような、あるいはスケジュール闘争とか、あるいはちょっと一見よその国から見るとおかしいようなストライキを問題にしておるので、これを何とかして教育の力でぜひ解決しようというふうに思われるのでしょうが、私は、こういうことを解決するのは、教育の力ではなくて、そういうことをなくするには、根をやはり絶ち切ることが大切だというように思うのです。  たとえば、イギリス労働組合子供であった時代、一八六〇年時代のことです。これは、労使関係が荒れに荒れて、あちらこちらで暴力事件が頻発いたしました。これを何とかしなくてはならないということは、やはり政治家としての任務だろうと思います。そうして国会では、一八七六年の無力を調査するための委員会、あちらでは王室委員会、ロイアル・コミッションといっておりますが、それを作って、暴力調査を始めたのです。そういたしますと、暴力が起る原因は何であるかといいますと、結局は、団結団体行動に対してブレーキで抑えているためだということを委員会の諸公が発見いたしたのです。そこでこれは、暴力をなくするには、やはり団結団体行動を抑えている法律をなくなさなければならないということに気づきまして、イギリスの最初の、一八七一年の労働組合法が作られたのです。このように考えますと、子供であった時代イギリス労働組合労使関係に対しては、教育ではなくて、そういう暴力をなくするため、その原因を追及し、その根を絶ったからです。日本の場合にこういうことを当てはめてみますと、昨年起った法律違反の問題がありますが、非常に、おそらく政府方々は、乱暴だと言われますが、世界常識的な見地から照らしますと、やはり法律違反ストライキが起った、これはけしからぬということになれば、その法律をなくすればいいじゃないか、なくすれば、法律違反という状悪は起らないのです。これは、乱暴だと思われるかもしれませんが、こういうことが世界常識だと思うのです。たとえば、戦後、イギリスで一九二年法がなくなりました。それから、イギリスの最後のストライキ禁止法だといわれております一九四〇年法がなくなったのです。この状態をずっと調べてみますと、一九四〇年法の法律違反があちらこちらにどうしても起っている。これを何とかしなければならないということを考えておりましたが、遂に一九五一年にその四〇年法がなくなったわけです。このときに、イギリス労働雑誌を初めとして、これは、日本労働省の一九五三年月刊労働の九月号でも報告されておりますが、これでイギリスの違法のストライキがなくなったといって報告をされています。つまり、違法のストライキをなくするには教育ではない、その法律をなくすれば簡単だ、これが世界常識だと思うのでありますが、しかし、今の政府は、そこまでは行かないのです。そこまでやれるなら非常に簡単だと思われるでしょうが、私は、もう世界常識に従って、そこまでやっていいと思うのでありますが、日本の場合には、考えてみますと、そこまでやらなくても、やれることもたくさんあったのです。たとえば、昨年春闘が荒れたときに、おそらくこの春闘がいろいろな教育の問題の基礎になっていると思われるので申し上げますが、春闘が起りましたが、この春闘解決したものは何かというと、今石田さんがおられませんが、石田さんが仲裁裁定というものの実施ということをされたわけです。この点では、今年の全逓を初めとする実力闘争の場合も同じです。春闘解決したものは仲裁裁定実施です。といいますのは、おそらく政府は、教育啓蒙のために、昨年公労法に関する統一解釈をやられまして、そういうことを出されてもことしの全逓は平気で職場闘争実力闘争をやったのです。それからさらに、ことしは、全逓に対して郵便法でもって警察力を発効しました。それにもかかわらず、全逓実力闘争をやりました。ところが、ことし全逓がその実力闘争をやめたのは、仲裁裁定実施するということを言ったからです。これは、ストライキ権の裏づけになっている仲裁裁定ということをやらなければ、当然公労関係の職員は救われないという状態なんです。そうだとしますと、この場合は、教育啓蒙ということは何の意味もなさない。まあ警察力も、大きな警察力を発効すれば少しは役に立つでありましょうが、その根を断ち切ることが一番大事だと払は思いますので、この教育啓蒙というものはあまり意味をなさないだけではなくて、あとから時間があれば申し上げたい点がありますが、非常に邪道、いろいろなトラブル、弊害を起す根源になると思います。私は、この法案を提案されたのは、教育行政の一環でありますから、教育行政としての提案を説明されたことについて、私、意見を述べたのであります、ところで、そう考えてみますと、私、この目的についての政府説明を見ますと、どうしてこの法案を出されたかと申しますと、一部には、労働組合運動を頭から否定してかかる使用者もあるんだ、その反面労働組合側の行き過ぎもあるんだ、さらに、国民一般労働問題に対する理解の足りない面があるのだというような考え、悪いのは組合使用者国民一般だということでありますが、私から言わせると、一番悪そうなのは政府ではないか。だから、一番教育に価するのは政府であって、使用者労働組合国民をしかりつけて、何とかしろというのは一つの問題なので、政府教育機関だというようなことならまだ話がわいるのでありますが、しかし、実はそういうことがこの大きな任務になるのですが、そういうことができないようにこの協会はなっているのです。まあこの労働教育行政という点については、それだけにいたします。  その次に、今度バトンを渡されたあと協会がやられるところの教育一般について、簡単に申し上げてみたいと思いますが、この協会がなす行為というものは、教育行政ではなくして、教育そのものです。で、教育そのものの場合にやはり一番大事なのは、何としても自主性です。教育行政なら、これが権力支配に入ることは考えられますが、権力支配下に入る教育というものは考えられない。これはまあ、どぎつい条文憲法とか教育法とか、その他一々一般的な常識ということをここで持ち出すまでもないと思うのでありますが、ところで、この教育自主性というものを担保する法的保障というもの、この保障があるかといいますと、私はこの条文をずっとにらんでみて、全くないのです。で、一つたとえば自主性で一番大事なのは、どういう事業をやるかということの自由、それからもう一つ大切なのは人事面です。どういう事業をやるかということについては、これは二十七条でしたか、毎年毎年事業計画を作成し、この事業計画についても、非常にこまかいことについてまで労働大臣が認可しますが、だれだれがどこで講演するとか、それから、だれだれがどういう論文を書くとか、実はそういうことはやらないだろう、腹の大きな労働大臣でありますから、全部部下にまかせることになるのでございますが、しかし、法律的には、そこまで介入しても何ら不思議はない。しかも、この結果、どういうように変な事業が行われたというように――変ではないのですが、労働大臣から見て、これは変だと思われるときには、それに対して干渉ができるというのが三十五条の三項です。三項は、「協会の業務の運営の自主性に不当に干渉するものであってはならない。」と書いてありますが、逆に言うと、正当な交渉は許されるということです。だから、不当な交渉はいけない、正当な干渉は許される。正当であっても、とにかく干渉が許されるということは、これは大きな自主性に対する侵害だということになるのです。  それから、人事について申し上げますならば、これは、もうおそらくほかのところでも議論されたのだと思いますが、会長、監事、理事評議員というものは、十三条一項と二十三条で、それぞれ完全に労働大臣腹一つということになっているのです。  こういうように、事業とそれから人事面で、教育旧主性を担保するに一番大切な事業自主性人事自主性保障がないということが、これが私、法律家としては一番心配なのです。そうでありますから、これは、今のイギリスや、ヨーロッパのどこでも同じでありますが、労働運動が荒れた背後には、あるいはまた、非常に大きなストライキが起って、国民に迷惑をかけた背後には、これは、政府の非常にまずい行政があるわけです。その行政を洗って、これを教育宣伝するということは不可能でしょう。このストライキ政府責任で起きたんだというようなことを教育宣伝するということは、この協会ではやれないことになる。そうだとすると、この点について、イギリスなんかのたとえば一九五二年のペトロリュームのストライキが起きたときに、まさに地下鉄がとまろうとしたときに、チャーチル首相はラジオの前に立って、そうして軍隊から石油を借りて、地下鉄をとめることを防いだことがあります。これなんか、日本でやりますと、大きなストライキが起ったというときは、これは組合はけしからん、組合の首を切れ、使用者も八百長がありと、その使用者責任を一々何する、一番いいのは政府だということになっているんですが、これあたりも、政府のまずいことが一番大きな原因になっているんですが、それを教育啓蒙するということのできる担保がないということ、私、この点について申し上げたいのですが、いずれにしても教育面ということは、広い意味教育ということは、私が絶対に反対したいのです。  それから、残った調査の面でありますが、この調査という面でも、今申し上げましたように、完全に権力支配下にある調査ということはなかなかやりにくいのだというように思います。たとえば、電話ストライキが禁止せられておりますが、電話ストライキやなんか禁じられているのは、世界でおそらく日本ぐらいなことでしょう。そうしてそれは、迷惑という名前で禁じられておりますが、電話の数は、世界日本は二十何番目かです。一番数の多い、一番、二番、三番のところは禁じられていない。だから、一番、二番、三番のところでストライキをやったら、非常な迷惑があるはずです。それにもかかわらず、そこではストライキが禁じられていないのです。これあたりは、一体どうしてそういうことが行われているかということの調査を始める。そうすると、この場合に、やはり世界並みストライキを解放しようではないかというような研究が行われることに対して、それに反対政府がその研究を許すかどうか、私は、ひもつきでなければ許すはずはないと思う。そうだとしますと、調査というものも、やはり客観的な調査というものは、今の政府権力支配下から解放されるということで、今の教育内容と同じなのです。官立大学教授が、政府から俸給をもらいながら、政府にたてつく権利、これが学問の自由、憲法保障している自由なんです。そういうような建前が、やはり調査研究としてきわめて大事なことなのでありますが、これが完全に失われている状態です。そうだとしますと、もしこの法案に対して、私は私の気持からしますと、何か十五億の金というものが労働の面に残るということは、私も労働行政に携わった一員として何か愛着があるのでありますが、今のような、私が申し上げたような教育調査機関にとどめる、しかも、それも政府支配下を断ち切るということであるなら、私は何とかして残したいと思いますが、そうでなければ絶対に反対したいというのが私の要点であります。
  8. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) どうもありがとうございました。   ―――――――――――――
  9. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、国立国会図書館長金森徳次郎君にお願いいたします。
  10. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 金森でございます。私は、労働ということにつきまして、非常に深い研究をしておるわけではございません。どっちかといえば、労働問題については比較的軽い地位におって、まあ外からながめておるというのでございます。しかし、他の一面におきまして、一体一国が動いていくのは、権力や政策では必ずしもなくて、根本は、日本の国が自然にそちらに向いていくということであろうということは、平素仕事関係からして、つくづくと思っているわけでございます。この事柄は、具体的にはあまりよく存じません。けれども、全般方向としてどういう道がいいかということにつきまして、平素から苦心しておるところでございます。  大体の答えとしましては、私は、日本労働に関する紛糾及び紛糾以前の労働の姿というものが、決して思わしい姿ではないと確信をしております。しかし、思わしい姿ではないけれども、これをどうしていったらば一番いいかということにつきましては、先ほど申しました門外漢であるがゆえに、深き確信を持って言うことはできませんけれども、しかし、次第に労働紛糾は激しくなってくる、期間も長くなってくる、一国の多くの活動をも害するようになっている。しかし、これをぴしゃりと整理していくきめ手はございませんので、これはもう、かような大きな問題は、多くの人々の良識が結集して、それによってよき道が発見されていくというほかに道はない。私は、世の中の動きを力の動きとして見る。もとよりこれは、経験的には見まするけれども、しかしそればかりではない。ほんとうは、われわれは良識を持っている。従って、良識によって真理を発見する。でございまするから、真理が終局の勝利者であると、ちょっと格言みたいで恐縮でございますが、これは図書館格言でございまして、つまりは、そういう気持でもって多くのものの根本を批判しようと、こう思っておるのでございまするが、現在の、現に動いている労働問題の多数のものが、果して真実によって動くという方向に進んでおるであろうか。この解決労働問題をうまく解きほごせるのは、むしろ力解決ということが大きな力を持っておって、その背後にだんだん良識ができてくれば、力と良識のうまいかけ合いができるもんだと、こう思っております。そうすると、私の小さな所見、それは、今急にこしらえた所見ではございませんが、いろんな手段がこの解決には必要であるけれども、しかし、その重要なる一つは、人間を賢くするということであろうと、それがためには、つまり各人の良識をしっかりとさしていくということでございますが、しかし、この労働問題というのは、日本国民良識の中にはあまり深い根をおろしておりません。だから、そのままにほうっておいたら、この急角度に起ってきた新しい問題を、多くの人が知ることができないわけでございます。でございまするから、だから、その良識を養うに便利な施設を作るべきものであるということはつとに考えておりました。若干の所見も、ある機会に述べたこともございまするが、そこで、今日のこの問題でございまする労働協会というものが、労働争議に関しまする、あるいは労働問題全般に関しまする良識を高めていくところの公正なる手段であるということであれば、まあいわば長期計画である、すぐの役には立たないかもしれませんけれども、こういうものがなくてはならぬのじゃないかと、ひそかに思っておるわけでございます。でございまするから、全体の傾向としては、私は決して反対ではございません。むしろこれなくんば、しばしば起ってくる労働争議等も、いわば腰だめによって、そのときの風向きによって解決するよりほか道がないという危険があると、こう信じております。  そこで、この具体的に現われました労働協会法の中味は、果していいものであるかどうか、この点につきましては、私は、こまかいところまで判断をする能力はございませんけれども、一、二、問題の所在を感じます。というのは、先ほどもお話がございましたが、一体労働協会というものは何をするのであるかというときに、これを定めておりまする法案の第一条は、大体において賛成だと思っております。けれども、これの裏づけをなしまするような具体的なことをきめておりまする第二十五条のいろいろの項目を書いてあるところへ行きますると、多少と前うしろとの食い違いがあるのじゃないかと、いわば、衣の下によろいの袖が見えるというような危険性がしいて言えばあり得るような気もするわけでございます。しかし、これは、しいて言うからそうであって、もしも非常に善人――善人と申しますか、お人よしの立場においてこれを見ていきますれば、ある程度の説明がつかないことはございません。そのうちでも、先ほどから、この機関労働に関する教育機関であるというような意味が言われておりましたが、私、教育機関ということの意味もよく存じませんので、果してこの法律がそれを目的としているかどうかということについて深く研究をしておりませんが、どうもこの全体に、そんなに教育ということをふれ出しておるようではございませんので、いわば第二次的な意味において、せっかく研究したものがマスコミュニケーションでパブリックに流れていくということを予想して、「出版及び放送を行うこと」「講座を開設すること」、まあこういうような文字となって現われておるかと思います。ここが問題でございまして、もしも積極的に、ある意図を持って、ある方向を心に抱きつつ、出版、放送及び講座を開設するというところに行けば、それはいいかもしれません。その中味の問題によっていいかもしれませんけれども、手放しにこれをいいということはできないのでございます。そういう問題を調節する何らかの考慮が必要でなかろうかと思っております。  それから、「研究及び資料の整備を行うこと」というのは、これは、大体においてよき事柄だと思います。というのは、何のために研究及び貸料の整備を行うかといえば、使う人が自主的に選択するということでございまして、人を強制するという意味が非常に薄いのでございます。われわれは、いろいろなことを研究したいのでありまして、日本労働問題を考えまするときには、労働の実情に関する知識を持たなければなりませんけれども、急にこれを求めようとしても、普通人ではとうてい得られませんので、まあ一、二の年鑑の類等もございますけれども、これは、甲のところで作った年鑑と乙のところで、たとえば、大原研究所で作った年鑑というものを比べてみますると、やはり長所、短所、取捨しなければならぬのであり、直ちにどちらを特に信ずるというわけにもいきませんので、一口に言えば、われわれは、客観的に信頼し得るに足る研究、それから、その研究の基礎になる資料というものは、どこにも容易には得られぬということになります。もちろん、労働を担任しておられる官庁にそういう資料があるかもしれませんが、おそらくある程度はございましょうけれども、しかし、これはいわば官製の資料、悪い言葉ではございまするが、客観的なものとぴったり裏表になっているというだけの信頼感が持てません。で、何か大きなしかけによって研究及び資料の整備をはかって、今後労働問題を論議する者が、腰だめによって論議したり相争ったりするのではなくて、常に確実なるファクトによるべきものであるという道が開かれるということは、一番好ましいことと思うわけであります。だから、私の一番欲するのは、資料を整備するというところに第一の重点を置いています。研究というのは、それをもとにして研究をするのであり、従って、研究する人の主観が相当加わってくる危険性もあるのでありまして、しかし、主観というものを無視するわけにもいきませんので、まあそこのやり方が問題になりましょうが、とにかく資料第一、研究第二と、こういうふうであるならば、非常に好ましい機関であるということになりましょう。  それから、「出版及び放送を行うこと」及び「講座を開設すること」ということは、これは、言葉だけでは問題の解決にはなりません、これは形をとらえておりますから。もし、そのことに世間でよく非難をいたしまするように、一つの目的を植え付ける、方便的に人の思想に考えの種を入れることであり、イノシシを養って豚にするように、そういう人間の考えを改造するような意味を持っておるということになりますると、これは相当警戒をしなければならぬと思います。で、こういうことは、まあなるべくなら何かの安全弁を作らなければならぬと思います。  それから、「労働組合及び使用者団体等の行う労働教育活動に対して援助を行うこと」、これは、ある程度の注意を施して行えば、弊害がなく、実益のあることだと思っております。  以上、申しました部分について、一つの結論を出しますると、この協会がいわば無色透明と申しますか、四方八方に対して公平であって、しかも、実質的に適切にものを進めていく、こういうものでございまするならば、非常にいいことと思うわけであります。ただ、これを全然無色にして、全く精神活動を含まないような、単に資料だけを集めるということになりますると、これは実際役に立たぬものになるかもしれませんのです。よく世間で、いわばこれは官庁的な設備である、官庁的な設備に入っておるものはすべて官僚的である、すべて官僚的なるものは、政府の鼻息をうかがって、研究であれ資料の整備であれ、それは的確ではない、まあこういうようなふうの議論をいたします。公式論の一部としては、もちろん是認できますけれども、私、ひそかに思いまするのに、こういう考え方が正しくないのであろうという気がいたします。国の手足となるもの、国の役人となるものというものは、そんなに簡単に人の鼻息をうかがうものではございませんのです。今日、人事制度は相当確実になってきておる。それからまた、身分の保障もある程度までできておる。のみならず、こういう調査あるいは事務的団体に入る人は、その人一人が一人ずつに、必ず何らか学問的な良心を持っておるのでございまして、いわば職務上の独立ということに関する希望を持っておるに相違ございませんのです。裁判官が、国から月給をもらっても、必ずしも不公正なる裁判をしないと同じように、こういう研究機関というものは、いくらかいい目で見ますれば、職務上の独立意識が強くて、仕事はするけれども、一方的な奉仕はしないという魂が漸次育成せられてきておるので、昔多少の弊害があったかもしれぬ、それが先人主となりまして、どんな機関をこしらえても、すべて言いなりになる人ばかりだ、こう思うことは、まあ私の希望意見かもしれませんが、賛成しないのであります。この判断を適切に改善しない限りは、今後よき国家的な公正な研究機関調査機関というものは生まれる道がふさがってしまうわけだろうかと思っております。で、これはやってみて、よくこれを導くようにすれば、そんなにあらかじめ悪魔を祈り出して心配するという必要はないのじゃないかという気がしております。  そこで次に、人間構成の問題でございます。労働大臣が任命するか、それともどこかの推薦によるかという問題でございまするがこれは、実際むずかしいわけであります。だれがやったって、そんなにうまい道はございません。甲の道をとれば甲の弊害があり、乙の道をとれば乙の弊害がある。それは、まあ大きな目で調節していくよりほかにしょうがございませんです。  第一の、会長を労働大臣が任命する。これはまあ、国の行政機構の公式的形式であるというのでございましょう。その道をはずして、ほかになかなかいい方法は考えられませんので、やれば有効ではないという心配もございまするので、まあこういう道を公式的なふうに考えて、しばらくこれを是認して、もしもこれに不公正なるやり方、不十分なるやり方があれば、他の方法でこれを規制するということが実際的ではなかろうかという気がいたします。  それから次に、かような機関を国家機関そのものとするか、それとも一種の法人として、国家の直接の機能の外に置くかということは、これは私は、大した議論ではないと思います。国家がやったって、国家が責任を負う。国家がまたかような特殊法人にやらしたからといって、国家がその責任を免れることはできませんので、もしも職務上の独立ということを尊重していくならば、それが直接の公務員であろうと、間接の準公務員であろうと、やることに間違いはないという気がいたします。そういうところをあまり懸念をいたしますると、国家のよき制度は生まれる道がふさがってしまう。まあこれをよき制度と思いまするならば、そういう気がいたします。  そこで次に、会長のほかに理事数人というようなところに、いろいろ監督規定がございます。これは、はなはだうるさい規定である。私ども、行政の制度を考えてみまするときに、かような監督の規定というものは大体有名無実に近いものであり、煩瑣であり、従って、途中を経由する機関発言権が強くなり、いろいろなことになるということを懸念しておりまするけれども、これとても人間世界の制度でございまするために、どこかの冒険は必要になってくるのでありまして、理事を会長が任命するというようなことは、実際にはそんなに弊害は起らないのではないかと言う気がいたします。それは、近ごろのこういう公務員の制度が、公務員にとって相当独立性ができておりまして、能力の是非ということの判断は、事によると狂うかもしれぬ。しかし、その人が公正に行うかどうかというところの判断は、これは、全体の公務員制度というものが保障されておりまするから、そう懸念する必要はない。ただ、具体的に不適当なる人があったときには、これをどうするか。これは、むしろ今日としては政治の問題でありまして、公正な社会における政治力というものが批判をして、そうしてある程度の方向に追い込んでいくということはこれはいいことであって、どうも現実の問題は、公式だけでは解き切れないという気がいたします。  評議員会というものがございまするが、どうもこれはどういうものだか、私もよく存じませんが、何となくこの規定を見ておりますると、この評議員会は、普通の公法人の評議員会とは少しく違うように見えるのでありまして、普通の評議員会というものは、何か奥に隠れておって団体のかじをとっていく、理事のもう一つ奥にあるような、そういう傾向がございまするが、ここの評議員会は、ちょっと中を読んでみますると、諮問機関であって、確定不動な権力を持っておりませんので、ただ諮問機関として意見を述べる、そしてこれが外に現われてくるに従って外部から批判を受ける、この批判によってこのものが動いていくという性質を持っておりまするが、この評議員会というものは、ある程度勇敢に各方面の意見を包容していくわけでございまして、もしも労働問題が社会のいろいろな面に響いていく、その各方面の経験者の意見を反映させる必要があるならば、この評議員のところに――三者構成というようなふうにはいかぬかもしれませんが、とにかく各方面の識見者を網羅する、それが矛盾しても、これは仕方がない、またそれが、やがてある人から見て行き過ぎるようなことがあってもしようがないというぐらいの雅量を持ちまして、これをうまく取り入れ、その考えによってこの協会が始終新しき生命を持っていく、こういう構想は予想しておられるのかもしれませんが、そういう構想は、この法律のもとに不可能ではないので、そこをほんとうに考えていけば、破綻のないものが生まれてくるのではないかという気がいたします。私、あまり長く申しまして恐縮でございますが、要するに、これは調査機関及び調査の資料を整備する機関であるというところに重点を置いて、あとの働きは多少用心をして取り扱っていく、用心をするということは、あまりラジオや何かの活動に行ぎ過ぎの起らないように始終かじをとっていく、それから、そのほかのところに厳重な目で批判をして、評議員等の意見によって相当これに第二次の批判を加える、この法人の活動に批判を加える、こんなふうな工合にいきますれば、ないよりましである。いや、はなはだ失言でございます。ある方がましである。なければならぬということが一番いいことであります。これは、多少の疑いを加えて話をしておりまするから、そういう消極的な言葉が出ましたけれども、あった方がいいのじゃないか。もしこの団体が、よく懸念されますように、一種の考え方の代行機関になって、これが独自性を持たないというようなことになりますればはなはだけしからぬのでございますが、これは、この作り方は恒久性の団体にできておりまして、たとえば、甲の時代に人選ができても、それが任期はございますけれども、方針としては、自然にここで固まってくる、そうすると、これが、地球の外に人工衛星があるように、政府の外に一つの独自な性質を持つものが非常な働きを持ってくることになるであろう。それを盛り立てていくことによって、力のみで動く今の労働運動が、合理性によって動く労働運動のたよりになっていくのではなかろうかとひそかに思っております。条件につき賛成と申しますか、運用の上にいろいろと注文をしたいという条件のもとに、大体の行き道は、これはよろしいと存じておるわけであります。これをもって私は終ることにいたします。
  11. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ありがとうございました。   ―――――――――――――
  12. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、労働経済評論家岡十万男参考人にお願いいたします。
  13. 岡十万男

    参考人(岡十万男君) 私、岡でございます。重複を避けまして、私は、別な角度から今度の協会法案を客観的にながめてみたいと思います。  言うまでもありませんけれども、近代的な社会あるいは国家で、労使関係がその中心的問題だと考えますが、その間には、むろん法的な体系も社会的な機能もいろいろ変化があり、歴史的に見ますと、かなり大きな推移というものが考えられると思うのです。そういう意味で、社会的に、あるいは歴史的にこの問題を見てみたい、こういうふうに考えておるわけです。  今度の労働協会法案の作成される前に、自民党の方では、たとえば戦前の協調会のような、そういう教育機関が要るということを述べられているそうですが、確かに、そういう意味で、歴史的に日本労使関係を回顧してみますと、協調会の運動と今度の労働協会法案をめぐる一連の動きというものの中には、かなり共通したものがあるように思います。むろん、歴史は同じことを二度と繰り返すわけはないのですが、同時に、地方的にいえば、かなり同じような局面も出てくると思うのです。そういう意味から、この問題をながめる前に、協調運動の成立とその変化、その客観的な役割といったようなものについて、今度の協会法案とそれを生み出してくる情勢との間の関連を探ってみたいと思うわけです。  御存じの通りに、協調会が結成されたのは大正八年の末ごろですが、その当時の情勢は、第一次世界大戦の直後で、日本の資本主義も、戦争中非常に発展しまして、経済的にも、近代的な姿で発展しまして、最近神武景気という言葉がありますが、その当時も、成金景気といった時代が続いて、それが直ちに戦後恐慌に陥っていく。こういう過程で、国際的にはロシア革命が行われる、国内的には米騒動が起る。労働運動も非常に先鋭な形で登場してくるというような時代だったと思うのです。こういう資本主義の発達とその矛盾の中で、労働問題の達成を何らかの形で受けとめる、こういう意味で、いわゆる社会政策の問題が大きく取り上げられまして、労使関係の新しい理念として、いわゆる協調主義が登場してきたわけです。協調会の当初発表された宣言によれば、協調主義の精神は、階級闘争を否認すると同時に、階級の調和、融合をはからんとするにある、こういうようなふれ込みになっておりますが、むろん、この当時の情勢と今日とは、相当大きな変化があるわけです。ただ、世界的な情勢その他を考えましても、アメリカのブロックとソ連のブロックとの対抗関係の中で、日本の政治が両岸といわれるような動揺を繰り返しておる。特に、労働協会法案の出る直接的な一つの理由とされておる昨年の総評を中心にする春季闘争、これが相当強くて、その収拾には労使双方困難しましたが、その中で、こういう労働組合運動の台頭といったようなものを何とかして回避するという意味、特に総評が日刊新聞を出すといったようなことで、これに対する対抗というような関係から協会法案考えられた。こういうような話も伝わっておりますが、そういうふうな一つの大きな内外の政治、経済情勢というものを背景にしてこれが登場してくる。こういう点は、私はやはりある程度の共通性を持っておると思うのです。最近においても、神武景気から不況局面へ、こういう時期のもとに協会法案がやはり選ばれておるということに注目しておきたいと思うわけです。むろん、戦前における協調主義、こういう言葉は、最近ではあまり使われておりませんが、そのかわりに、たとえば公共の福祉、第二者的、こういうふうな表現で、実質的には協調主義と目していいような考えが現に行われておる。この協会法案にも、理念上の問題は、文字としてあまり強くうたわれておりませんが、実質的には、明らかにそういう考えが貫かれておる。政府の出す原案ですから、当然そういうふうな性格を持っておるものだと考えます。戦前の協調主義運動の具体的な一つの表現は、たとえば、協調会の発表した労働組合法、正確には労働委員会法と呼ばれておりますが、こういうふうなものは、戦後の日本労働組合が、いろいろの組織的な弱点を持ちながらも、いわゆる企業内の組織として、そういう連合体としての労働運動という形になっておりますが、そういうものの中にも、すでに戦前の協調運動の理念が組織問題としても労働運動の中に影響を残している。こういう事実から考えても、この問題は、協調主義運動の影響というものが、それが決して過去の一時期のものでなくして、戦後にも深い連関を持っておる。こういう面もあわせて注目したいと思うわけです。協調運動の、協調会の仕事の事業内容は、知られている通りに、調査研究や政策立案の問題、そういうものも出発点になっておりますが、この点は、今度の協会法案に盛られているものとやや同じであります。そして第二に、教育、宣伝、あるいは講座、講演会の開催、こういう部分、あるいは一部学校の開催、この部分が、ちょうど戦後の今日われわれが直面している労働協会法案の内容とするところとマッチしております。そのほか産業能率の研究、これはおそらく、今では生産性本部の仕事とダブるでしょう。そのほかあっせん調停、この問題は、今日の労働委員会の仕事に引き継がれておると思いますが、総じて戦前の協調主義運動の中で考えられていたことが、全体としては、今日の労働省の担当しておる仕事の中に相当大きな影響を持っている。そういうつながりの中でわれわれは労働協会法案をながめなければならない、こういうように考えるわけです。たとえば、戦前のような学校の開催等の問題は、今日で言えば、職業訓練法の問題に当るでしようし、まあこういうような主体の構造から見れば、非常に似通ったところがありますが、さらに財政と協調会の組織形体、この問題についても、かなり似通った点があると思います。当初協調会の発足に当っては、当時のお金で二百万円政府が負担しております。予算によれば、さらに二百万円を民間の事業会社が負担し、合せて四百万円で年間の運営を行うものであります。これはフアンドでありまして、それによる利子によって運営を行う。この点は、協会法案の財政措置とはなはだしく似ておるわけてす。ただ、民間の基金を集めるということは、今度の協会法案条文にはないけれども、大臣のお話によれば、寄付を仰ぐというようなことを言われるそうですが、こういう点からいえば、今日の生産性本部の財政的な運営と、今度の協会法案の運営とは、やはり戦前の協調運動のタイプをそのまま引き継いでいる、こういうふうに見てよいと思うわけです。しかも、協調会ができましたのは、財界では渋沢栄一氏が音頭取りですが、当時の原内閣、これは最初のいわゆる政党内閣、リベラルな内閣というふうに歴史的にはいわれておりますが、しかもこの内閣は、普通選挙を拒否した内閣でありますし、内務大臣である床次竹二郎氏は、古い方は御存じの通り、浪花節大臣といわれるような、義理人情の社会を愛した人ですが、この人が、一方では国粋会というような、その後労働運動で直接流血の惨を加えた暴力団を結成し育成した大臣であるし、しかも、この人自身が、一方には原内閣の内務大臣として、熱心にこの協調会の結成と運動を進め、金を出す、こういう関係があると思う。つまり、時の内閣の政策は、一方では協調遺勅を進め、一方では暴力団を育成する。むろん、労働組合法等の叫びはその当時あったわけですが、ついに政府は最後まで、取締り法だけは国会を通しましたけれども、その前に出ておるいわゆる組合法、これも、実質は戦後の組合法と比べることもできないほどひどい組合法でありますが、そういうものさえも否決して、ついに戦争前には労働組合の成立を見なかったわけです。この内閣というものは、今の内閣とはむろん違いますが、常に一方には極端な乱雄な弾圧政治を行いながら、一方では協調運動といったものをあわせて行う、そういう二面性を持っておるのが、少くとも労働組合の立場からみれば、そういう二面性がいつも加えられておる。こういう点については、今度の場合にも、むろん、その角度や強さや、内容にも形にも変化はありますけれども、そういう関係が作用しておるということについては、やはり無視することはできない、こういうふうに考えるわけです。  協調運動の発足は、日本労働者の自覚的な運動がまだきわめて低い水準にあった、そういう時期に、たとえばセツルメントの運動とか、客観的な調査とか、すぐれたりっぱな仕事が残されたように私も考えております。おそらくそういう仕事は、今日労働省の仕事に限らず、戦後の日本にある程度の影響を残すいい仕事をした、こういうふうに考えますけれども、しかし、そういう進歩性や、公正な、よい部分というものが協調運動では踏み台になって、今言ったような、時の政府の弾圧と融和の一面的政策の中の足場にされていたんではなかろうか。こういうことは、特に協調運動が戦争段階に入って産業報国会の運動に転換していくという課程を歴史的にわれわれが考えると、こういう二面的性格の中に進歩性が部分的にあっても、その部分性のゆえに、進歩的だからといって、全体として、協調主義運動、こういうようなものを歓迎するわけにいかないように考えるわけです。むろん、協調運動は、労使の間における協調のみならず、広く社会に訴えていく、国の財政的な援助、あるいは内務省社会局の援助のもとに国民運動を展開していく、こういうふうな形で、この問題は、ただいまの協会法案においても、ほぼ同じようなねらいが出ていると思うんです。社会的に協調速効の示した機能は、そういう点に特にある程度の影響を残しておると思いますが、直接的に今日問題にした方がいいと考えられることは、この協調主義運動が、労働運動の全面的な正常な形での発展というものをチェックした作用が大きかった。その二つは、協調運動であるがゆえに、労働組合運動の中における協調的思想、協調的組織というものがおのずからブロックを形成し、そうしてこのブロックを形成することによって、他の部分との間に対抗関係を激化させる、こういうことです。現在の労働大臣の政策でもしばしば、最賃法について、総評と全労との見解の食い違いの中に、全労の案を採用するかのような口ぶりが漏らされておりますが、こういうことは、善意をもってなされても、客観的には、全体としての労働運動に対して分裂の作用を持つわけです。こういう分裂政策、言いかえれば、直接と間接とを問わず、干渉の政策というものが協調運動の一つの特徴であったということは、歴史的事実として解明したいと思うのです。  むろん、協調運動のほかに、さっき言いましたように、一方には抑圧の、直接的な抑圧の政策があったわけですから、この組合運動の中における協調運動の浸透、こういうこと、あるいは、その思想を社会的に広めることによって、労働運動の孤立化とか、あるいは内的分裂、全体としての抑圧、こういうふうな関係を、戦前の日本労働運動には、政府が協調会を使うことによってそういう体形を押し進めた。しかもその後、一般的にわれわれが考えておる協調運動の段階から満州事変以降におけるいわゆる産業平和運動、それから支那事変の段階、大東亜戦争の段階、こういう段階の進むにつれて、協調会自体の中から、従来の協調主義運動を脱皮して、別個の、つまり戦争に協力する、当時の軍部、官僚、そういう部分に協力するような新しい動きが台頭してきたと思うのです。直接的には、時局対策委員会が協調会にできて、従来民間を中心にして行われた運動に官僚が、また軍部が直接関与していったと思うのです。そういう中で、労働運動の中にも愛国労働運動が発生し、そうしてこれが、産業報国会の運動に協調会が乗り出してくるにつれて、続々と、分断された労働運動の左から左からつぶされて、最後には、最も穏健で協力的であった総同盟さえも、労働組合としての組織の存立を許されないという状況に陥って、むろん、総同盟のほかのすべての労働組合はことごとく否定されるという事態に陥ったと思うのです。この問題は、ナチ・ドイツや、ファシズム・イタリアの行き方と同じような、また、事実ナチズムを学んできて、協調会がそういうふうな弊害を行いました。むろん、日本的な思想も背景にあったと思いますが、いずれにしてもそういう形で、協調運動というものは、歴史的に見れば、戦争期には、その当初の穏やかなふれこみから戦争協力の大きな部隊、労働者の大部分や、あるいは組合の指導者を協調運動に巻き込むことによって、これをちょうどエスカレーターに乗せて戦争の終局点に持っていくような、そういう客観的な役割を果したということが今日では冷静に批判されなければ、戦後の労働運動や、戦後の労使関係を正しくとらえることは私はできないと思います。今日の段階では、やはり世界の鋭い対立なり、日本の運命なり、しかも、日本の中でも、労使関係が客観的にいえば鋭い形で続いている、労働組合一つの争議、そういうふうな問題だけでなしに、やはり資本もなかなか強く、労働も頑強にストライキを継続している、こういうふうな事態というものを見るにも、そういう歴史的過程というもの、その影響というものを無視することはできないように思うわけです。必ずしもイギリスやアメリカを引き合いに出すわけではありませんが、少くとも今度の第二次世界大戦において勝利した国々では、日本のように、ドイツのように、労働組合を全く否定して、挙国一致の体制を作った国に比べて、それぞれの国では、イギリスやアメリカでは、戦争中といえどもストライキが行われている、こういう国柄だった。労使関係というものはそういう姿を持っておったと思うのです。にもかかわらず、そういう国の方が勝利したということは、今後の歴史関係を、労使の歴史関係を見るのにも、一つのよりどころとして反省の材料になるかと思うわけです。直接今度の労働協会法案に限らず、最近の動きは、全体として、協会法案に盛られているような思想や考え方が共通しておりますが、この法案だけについて言えば、ごく大ざっぱに、個々の条文その他について申し上げる時間はありませんが、その第一は、この協会法案の中に規定されている通りに、「経済基盤強化のための資金」というふうになっております。「経済基盤の強化」ということは、言葉としては何でもないようですが、実際的には、現在の日本の現況の中では、資本主義の強化という要素の方がはるかに強く出る可能性があると思うのです。そういう意味から、国のお金で、しかも、資本の側により傾いた形で金が使われる、こういうことは、やはり正当とは言えないと思います。  労働者の教育の問題は、これは、戦後の一般的通念としても、世界労使関係における通念としても、現実に自主的なものとして理解される、こういうものとして社会的にも受け取られていく、これは当りまえのことで、ことさら論議する必要もないと思いますが、こういう自主性に対して、協会法案はむしろむだな存在だ、自主的な労働者自身の教育というようなものを破壊する危険性さえ濃厚にあると思います。憲法によれば、団結権の規定は枢要なその内容をなしておりますが、当然労働者のみずからの教育は、団結権の思想と同じ考え方で理解されてしかるべきものだ。役所あるいは役所の一種の外郭的組織によってそういうふうなことが行われるのは、本来の教育のあり方として正しくないように思うわけです。人事における労働大臣の任命権や監督権の問題についても、これもすでに衆議院その他で論議されており、あるいはこれの改善方法として、たとえば、三者構成による推薦機関とか、いろいろのことが考えられると思いますが、そういうふうな今日までに出されておる協会法案に対する修正的な意見、批判、こういうようなものが、私は相当あらためて考慮されていいと思いますが、そのことは、修正だけでこの協会法案がよくなる、こういうふうな筋道にはないように私は思っているわけです。というのは、今申しあげた通りに、歴史的な経過から、また、今日の労使関係の実態から、あるいは今日及び今後における社会情勢の中での日本の生きていく姿を作っていく、こういう面からも、こういう協会法案は、基本的には、私は間違った者え方の上に組まれている、そういうふうに考えられるからです。もし、そういうふうな、私どもが大まかに、しかも基本的な、日本の運命とともに考えなければならぬほどの意義をこの協会法案の背景に認めている、こういう立場からすれば、ここ数日の国会審議の中で、しゃにむにこういう法案を通さなければならぬと……国民の直接的な生活に結びつく法案でない、こういう法案であるので、できることなら、そういう歴史的な問題や将来的な問題をわれわれ考えて、慎重に、今日まで出ている修正案や批判を取り入れて、率直に考え直してみる、こういうふうなことを期待したいと私は考えるわけです。言われているような部分的なよさというものは、この協会法案の中にもあるだろうと私は思います。生かしておきたいと思う部分もあると思いますが、すべて言葉の上からいえば、あるいはこの法律の案件にしても、悪いことばかり書いている法律なんてあろうはずはないので、部分的には必ずいいことがあるけれども、部分的にいいからといって、全体となる基本的な間違いを許すということはできないと思う。  そういう点で、私は、この法案については反対意見を申し述べて、種々現実の条件の中では問題もあろうと思いますが、そういうものは他の方法によって解決していくように考えられてしかるべきではないか、こういうふうに考えているわけです。終ります。
  14. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) どうもありが  とうございました。   ―――――――――――――
  15. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、読売新聞論説委員樋口参考人にお願いいたします。
  16. 樋口弘其

    参考人(樋口弘其君) 樋口です。ます最初にお断わり申し上げておきますが、これから私が述べますことは、あくまで私個人の意見であります。私の所属する読売新聞の代表的な意見ではないということを念頭に開いてお聞き下さるようにお願いいたします。  先ほどから、各方面の方々が、歴史的にあるいは法律の面からいろいろ意見を述べておられますが、確かにこの日本労働協会法案には、今後どうなるかわからないといったような問題点が多いと存じますが、私は、この法案が、今のわが国の労働問題のあり方、労使間の実情というような面から見て、一体どのような意義を持つものだろうかという点に触れていきたいと存じます。  その点で、この労働協会法案は、今の労使関係の改善に役立つか否か、特に一般労働者に対してこれが役に立つものかどうか、こういうことがまず問題になります。この法案は、その点を第一条の目的の中で、「労働問題について研究を行うとともに、広く労働者及び使用者並びに国民一般労働問題に関する理解と良識をつちかう」としております。一般的に言いまして、戦後の労働組合運動の進歩発展は、きわめて驚くべきものがあります。従って、この運動の飛躍的な発展に歩調を合せていくためには、政府労使関係者はもちろんのこと、一般国民も、労働問題に対して、法律の上でも、あるいは賃金などの実際問題についても、相当な勉強が必要であります。ところが、実際には、労働問題に対する勉強不足といいますか、知識の不足のために、無理解な、あるいは当を得ない、問題に対する批判が行われがちであります。これは、合皮の労働組合のいわゆる春季闘争といわれるものの中にもしはしばあることであります。そしてそのために、いたずらに労使の紛争が長引いたり、あるいは無理解から来る悲劇が起ったりすることが多いと思われます。そこで、こういう欠陥を補う意味から言えば、労働協会が作られて、法律の目的のような活動をいたしますことは、大いに意義のあることになります。政府の手になるものとはいいますものの、労働組合自体の力がまだ労働協会のような機関を待つ段階に至っていない今日におきましては、この法案は、使用者側よりもむしろ労働組合の利益になると考えられるものであります。と申しますのは、一般の人々、特に古い順で労働問題を考えておられる企業の経営者などに対しては、こうした法律国会に提出されるというそのこと自体が非常に大きな反響を呼ぶ問題であります。つまり、今の労働問題は、昔のような考え方でなくて、もっと新しい立場で理解していかなければならないものだと、こういう印象を与えるものであります。その点で、専門家が考えておられるよりは、この法案が持つ啓蒙的な効果が大きいわけであります。これは、おくれた労使関係を持つわが国の場合、見のがし得ないものであります。その意味におきまして、この法案は、協会の役員の人事あるいは今後の運用等が適切であるならば、やはりこれからのわが国の労使関係にプラスになる面が多いと考えられる性質のものであります。  そこで、次に、この法案の問題点について若干私の考え方を申し述べます。  まず第一は、この協会政府が政治的に運営し、組合に対してその自主性を失わせるような御用教育をやる危険がありそうだという点であります。確かにこの協会は、特殊法人という形をとっておりますが、政府出資の十五億円の基金で運営するものでありますから、人事、財政などの面において政府の強い統制を受けます。従って、やり方によっては、一方的な調査や、労働教育などを官僚的に押しつける危険もあるわけであります。しかし、そうした危険は、協会人事と運営について十分に民主的な考慮がなされるならば、私は、危険を取り除くことが可能であると考えられます。この点で、法案は、協会の役員である会長は労働大臣が任命し、理事は、労働大臣の認可を受けて会長が任命することを明らかにしております。従って、この役員、特に会長の任に当る人に公正な人を得ることがきわめて大切なことになってくると思います。従来、この種の特別法人を作った場合の役員人というものは、名誉職的な人が政治的に選任される、こういう例が多いようであります。そうして、その結果といたしまして、関係官庁の役人がその仕事の一切を牛耳る、こういうのが通例であります。しかし、この労働協会の場合は、あくまでも役員にまかせずに、実際に理事会を運営して業務を行う実力のある人、いわば労働問題がすきで、これに情熱を持っている人を選ぶことができれば、公正な運営も可能になるわけであります。その意味では、役員人事は、内閣がかわったら協会長がかわるというようなことのないようにすべきであると考えます。  次に、第二番目の問題は、協会の運営の基本的な考え方と業務内容の問題であります。協会の運営の基本的な考え方は、今申し上げました人事とからんでおりますので、なかなかむずかしいところがありますが、やはり普通の政府機関とは違う民主的なものだという新しい感覚を持った考え方がその根本にあることが非常に大切なことだと思われます。この点、労働問題の専門の協会機関になるわけでありますが、形式的にはまあ三者構成でないといたしましても、実際の運営に当っては、労使中立といった二者の意見がうまく反映するようにしなければいけないと思います。特にその点では、世論を反映する意味において、評議員会の人選を思い切り幅の広いものにする。そうしてそこに労働組合の代表なども参加させるような道を開く必要があると思われます。そうすれば、実際問題として、政府の一方的な運営ができなくなるわけであります。それから、こうした運営の基本的な考え方に基きまして、実際の仕事をどうすべきかという点がありますが、これは調査研究を主とするか、あるいは教育啓蒙を主とするかなど、いろいろな意見が分れておりますが、私は、さしあたって、今度の労働協会は、形式的な労働教育を主とするよりも、調査研究に重点を置くことが適当であると考えます。この点で、法案の第二十五条には、労働問題に関する出版及び放送を行うことがきめられておりますが、放送などは、あくまでも争議の当事者を刺激するというようなやり方をやめて、今の労使関係における基本的な問題を主として扱うということが望ましいのであります。個々の労使紛争を解決したり、調停あっせんをしたりする、そういう調整面の機関といたしましては、すでに中央労働委員会、公共企業体等労働委員会などがあるのですから、この面におきましては、あくまでもそういった既存の機関参考になる下仕事をする、こういったやり方が望ましいわけであります。その点でこの協会が行き過ぎないことがきわめて必要であろうかと存じます。そこで、その基本的な問題を申しますのは、たとえば、今問題になっておる最低賃金の問題の各国の実情あるいは外国の労働事情、あるいは、日本の場合には、労働基準法などの運営の実態がどうなっておるか、働く者を守る法律にはどのようなものがあるか、そういった、だれでも労働常識として知っていなければならない問題から手をつけていってほしいと思います。これを、あまりに政府機関だというような意識から、速成の労働教育に使うというようなことになりますと、労働組合品はもちろん、経営者も、一般国民も、協会そのものを信用しなくなり、協会が無用の長物となる危険があるわけであります。その意味で、わが国の場合、労働関係調査研究機関は、労使の当事者はもちろんのこと、学界などからもその必要性が痛感されておりながら、今満足すべきものがないのが実情であります。たとえば、今度の私鉄の争議のような場合、中労委で、一般の人々にわかるようないい賃金資料を出せるかというと、残念ながら、今の予算あるいは機構では、それができないのが実情であります。従って、こういった場合に、この労働協会が、労使とも納得するような賃金調査の資料などを出すことが大切であります。その意味で、この協会調査研究機関としての活動が期待されるわけであります。もちろん、労働教育の問題も重要でありますが、労働教育ということに関しては、その内容、やり方についていろいろ問題があるわけでありますから、その成果をあせっても仕方のない問題であります。従って、こういった調査研究などの活動を前提にして、気長に教育の成果を、教育の実をあげる、こういう心がけが大切であると思います。  さらに、この労働協会が実際活動をする場合に、注意をしなければならないもう一つの問題があります。つまり、既存の経済関係あるいは労働関係の団体との仕事の調整をはかることが、これが非常に大切な点であると思います。これがなければ、いたずらに国民の税金を使って、屋上屋を重ねる結果になります。すでに広い意味労働出題の啓蒙、教育活動を行っている民間の機関といたしましては、日本生産性本部、産業訓練協会、ILO協会など、いろいろな団体があります。これらはみな、それぞれ性格は違っておりますが、この労働協会と仕事の面で競合する場合が多いのであります。特に日本生産性本部などは、技術革新に伴う労使間のいろいろな問題を取り上げて、活発に現在仕事をしております。従って、これらとの競合関係をどう調整するかという点について、もっと現場の労使の立場に立って再検討するということが必要であると存じます。この点については、今まで衆議院の論戦などにおきましても若干触れられておりますが、しかし、さらに徹底的に審議をしておかないと、いたずらに今後に問題を残すような結果になろうかと存じます。  以上、いろいろな問題について申し上げましたが、この法案は、今の国民経済の実情や、その中における労使関係の実態というものから見まして、基本的には、労働運動の健全な発展に役立つものであると考える次第であります。
  17. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) どうもありがとうございました。   ―――――――――――――
  18. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、慶応義塾大学教授藤林参考人にお願いいたします。
  19. 藤森敬三

    参考人(藤森敬三君) 私がこれから申し上げます意見に先立ちまして、結論的に、先に私の意見を申しますと、私は、この法案に対しては賛成でございます。賛成をいたします理由を若干これから申し上げてみたいと存じます。  一つは、現在わが国の労使関係は、必ずしもまだ十分成熟しておるとも考えられないのでございまして、従いまして、このような状態の中では、やはり労使関係が将来に向ってもう少し成熟、成長を遂げていきますためには、各方面の批判なり、指導成り、いろいろな意見が出てしかるべきであると私は考えるのでございます。ただしかし、現状におきましても、各方面のいろいろな意見が出ていることは事実でございますが、ただ、この労働協会のような機関が、今日腰をすえて各方面の事情調査なり研究なり、そうしてそれらに基いて資料の提供なり意見の開陳なりというようなことが行われておりませんことが、一つに、わが国全体から見ますと、重要な欠陥でもあると思われるのでございまして、そういう欠陥をこの協会の成立によって満たされることができれば、私は、その意味におきまして、非常にプラスであると考えるのでございます。ただ、労使双方は、今日、さすが戦後すでに十年以上の労使関係の経験の中で、たとえば日経連においては、調査部を通し相当の平素からの調査研究をし、新聞や雑誌を発行し、また、特定の印刷物にその研究業績を発表するというようなことをしておりますし、また、ときどきの労使関係の問題については、意見を世の中に公表するということもやっております。これに対しまして労働組合側におきましても、たとえば総評にしろ、全方にしろ、総同盟にしろ、また、個々の労働組合にいたしましても、もちろん相当の金を費し、新聞や雑誌を独自に発行し、また、特定の特殊の印刷物を発行、配布することによって、労働組合側調査研究なり、意見の開陳なりを盛んにやっておられます。私は、この労使双方の出されます新聞や雑誌、あるいは特定の印刷物などをときどき拝見をしているものの一人でございますが、ことに問題が平常の問題ではなくて、たとえば、今年の春季闘争のような問題になりますと、おのおのの立場でものを言われる傾向が非常に強いために、これだけでは、世間一般としても、いずれに旗を上げていいのか、いずれの意見賛成をしていいのかというような問題も多分に私はあると思います。当事者は利害対立しておりますから、いろいろな利害対立の立場でものをおっしゃることは当然でありますし、また、現実問題については、事実の違い、産業闘争の争議の場面であれば、ことさらそうであることは、これは必然であり、やむを得ないことと私も存じます。しかし、やはりそういうさなかに、こういう独自の協会のようなものが平素からいろいろ問題の調査研究をし、その結果を公表しているということになりますと、いわば三つどもえのように意見が述べられるということは、お互いに切瑳琢磨するような結果がそこにもたらされて、全体として、おのおのの側にそれなりに私はプラスするものが当然あると考えるのでございます。そういう意味におきまして、この労働協会の成立に対しましては、双手を上げて賛成をいたしたいと思っているのでございます。  しかし、この労働協会の成立の企画に対しましては、すでに世間にはいろいろな疑惑がありなどすることも、私はちらほら伺って知っているのでございますが、その疑惑のうちに、たとえば、調査研究及びその結果の公表などはいいが、労働教育あるいは講座の開設というようなことについては、この協会がやることはどうかというような見解もあるやに伺っております。しかし私は、もとより労働教育については、労働組合側がおやりになることが本筋であると了解しております。また、将来はそのようになっていくことが当然であるし、またそうであるべきである。私は、この問題につきましては、戦争直後以来からも、大労働組合は、やはり今日において一日も早く自分たちの選手を養成するための機関をみずからの手において作るべきであるということをかねて主張して参りました一人でございます。もちろん労働組合においても、おのおのの企画に従って、今までいろいろな同志の教育については相当の苦心をし、努力をしてきておられることも事実のようでございます。しかしまだ、何と申しましても、どちらかというと、この非常に重要な問題に関して、今日わが国の労働組合がそれほどの努力をしておられるかどうかということについては、まだまだ努力の足りないと思われる面も多分にある。その足りないと思われる面を、中央官庁である労働省なりあるいは府県労政課のいわばお役所の手を通して、労働者と同町に、またお役所がやる場合は、労働者ばかりでございません。使用者側に対しても同様でございますが、同時に教育活動的のことをおやりになっていらっしゃって、そうしてそれが幾らかそういう方面の欠けておるところを補っておるというのが現状かと存じますが、これは、今日このような状態であることは、本来の姿からいうと、これはおそらく好ましくないとも言えるかもしれない。従って、てき得べくんば、かくのごとき事柄がだんだん消えてなくなるがよろしいと私ども思っております。しかし、まだ今の段階は、そのような段階でなくてこのような官庁側のおやりになる講座とか教育とかいうようなことも若干の意義を持っていることは、これを否定することができないというのが今日の実情ではなかろうか。それは必ずしも好ましくはないのだが、今日の実情上ある程度必要ではなかろうかというように私は考えるのでございます。従いまして、この協会が講座を設置するとか、あるいは労使双方の団体でおやりになる労働教育活動に対しては援助を与えるということが法案の第二十五条に見えておりますが、これらをいわば一括して、教育活動の面は、私は、今の段階では、そのような意味において若干の必要性もあり、従って直接お役所でなく、こういう団体がおやりになるということになると、なおさら好ましいわけでございますから、まだまだそういう団体がおやりになる余地はあるのではなかろうか。従って、こういう必要がなくなるように、労使双方がおのおのの側で、おのおの十分にこういう教育活動をおやりになるという時期がくるならば、何も協会はそういう方面におせっかいな労をとる必要もなくなるし、また私は、一日も早くそういうことになることを期待するのでございます。そういう意味におきましては、そうしてまた別に言えば、協会がそういう活動をなさることについては、労使双方が多分に批判の目をもって見られることでございましょうから、これは遠慮なく批判なさるがよろしい。そうしてお互いにお互いの立場を明らかにし、お互いのやることを明らかにすることによって先ほど申し上げました研究活動の場合、調査活動の場合にも同様でございますが、私は、まだまだ日本の今日の段階では、各方面のそういう努力がせり合うような格好になることが全体の状況を推進する一つの役割を持っておる。こういう意味で、この部分については、必ずしも百パーセント不賛成ではないのでございます。  ただしかし、ここで一つ申し上げたいのは、先ほど来金森さんもおっしゃいましたし、樋口さんもおっしゃいましたが、また一般に、世の中に、すでに多くの人々によって言われておりますことは、協会の成立に対して政府が今後おとりになる指導監督の事実と、それから、協会がどのように運用されるかという問題については、すでに世間に若干の疑念のある見解が述べられておりますので、私は、これだけ意見が述べられますと、成立した場合には、政府も、また協会も、このことを十分知った上で、世の中の疑惑に十分こたえて、すっきりした存在を示されるようになることと期待をいたしておるのでございますが、ぜひそのようにしていただきたいと存じます。  最後に、先ほど岡さんは、この協会を過去の協調会に比較をして、反対意見をお述べになりました。私は、協調会を弁護しようとは思っておりませんけれども、協調会の存在につきましては、若干見方を異にいたしておりますので、その点を付け加えまして、私の言葉を終りたいと思いますか、協調会を創立する場合には、というより、協調会創立の当初の意見は、財界におきましても、政府筋におきましても、でき上った協調会のようなものではなくて、むしろ労使協調、労使一体という考え方が支配的であったようでございますがしかし、幸いにいたしまして、その指導的な役割を演じました澁澤榮一氏は、珍しくも、当時財界の巨頭であったにもかかわらず、労働組合の存在をまっこうから認めていこうという見解の持主でございまして、労働組合を否定するような方向労使協調、労使一体というような考え方をとることは不賛成であるという見解を明らかに述べている人物でございます。こういう方が協調会の首になられまして、副会長ではございますが、実際にはかなり縁の下の力持ちで、この会の成立のための努力をなさったようでございますが、そしてしばしば時の内務大臣である床次竹二郎氏に会って、意見を率直に述べておられるのは事実のようでございます。その結果、財界の期待にもかかわらず、協調会発足の宣言は、明らかに労使対等であるという、いわばデモクラシーの原則を認めた上で、協調会というものは発足をいたしております。事実、協調会発足に当りましては、職業紹介事業であるとか、あるいは労使紛争の調停事項であるとかいうような仕事、今日になってみますと、お役所ないし労働委員会のやっているような仕事が協調会に課せられた、期待された具体的の仕事の一、二であったようでございます。それは、そのあとでやがて公けの機関の手に移るようになりまして、協調会の手をわずらわすことはあまり多くなかったようでございます。そして結局、協調会は調査研究研究結果の公表と、そして労働教育活動を行なって、具体的に申しますと、調査研究と、それから最も重要なのは、社会政策時報という月刊雑誌を大正九年に発行したのでございます。一方、社会政策学院というものを開設いたしまして、労働教育を行なって参りました。この学院の卒業生の中には、やはり労働運動の方面においてかなりの業績を戦前に残された人々もあるのではないかと私は思っておりますが、このように、主として三つの活動を協調会はいたしました。そこで、当時澁澤さんは、何とかして、協調会の成立に際して、労働組合側代表者をメンバーに加えたいということで、鈴木文治氏に話しかけられたようであります。鈴木さんは、すでに協調会成立当時のいきさつを知っておられただけに、下手するとこのような妙なことになる団体には関係したくないというので、はっきりお断わりになっておられます。なっておられますが、鈴木さん自身が後にお書きになったものを見ますと、自分は当時反対したけれども、協調会はその後発足をして、やっておることを見ると、大体自分が考え、かつ希望したことをほぼ満たしてくれているようである。すなわち、調査研究活動に主点を置き、その結果の公表と、それから社会政策学院というものを開設することによって労働教育をやっておる。こういう点では、自分はわが意を得たりと言わざるを得ないという意見すらも後に述べておられるのでございまして、初めからそういう事実がはっきりしておれば、おそらく鈴木文治氏のごときは、もう少しやはり協調会にも当初以来御関係があり得たのではないかと私は考える次第でございます。今、岡さんのお話では、戦争が始まりますと、産報運動の本体が協調会の中から生まれたではないかというお話でございますが、なるほどその通りでございます。その通りではございますが、しかし、産報運動に走る人は協調会から離れて参りまして、協調会そのものは産報運動とはむしろ異質的な状況、と言うのは少し言い過ぎかとも思いますが、協調会は、本来の労使対等関係という立場を守ってそのまま存続をいたし、従って戦時中は、はなはだ形の薄い存在になりつつ、ようやく命脈を保ちましたというのがその事実でございます。従いまして、ここで言えますことは、岡さんのような御見解のあることも、私は重々御承知はいたしておりますが、われわれの場合に非常に大事なことは、協調会がその出発当初以来労使対等関係であるという、インダストリアル・デモクラシーのアイデアを十分に持って、そうしてある意味においては、協調会は最後まで踏みとどまったと実は言えないこともない、そういう見方も成り立たないわけではないと私は実は思う。協調という言葉は、なるほど警戒をしなければならぬ言葉ではございますが、とにかくアイデアそのものは、もともとインダストリアルデモクラシーのアイデアがあった。そうしてこの部分にもしわれわれが徹しておれば、また、日本国民全体が徹していたならば、今度の戦争のような不幸もなかったかもしれぬというような、懐古的なことも言えないことではございません。まあそれはともかくといたしまして、やはり何か、そういう骨ばったものがそこにあり得なかったというところに一つの難点があったのではないか。従いまして、私は、協調会のこういう面を今度の労働協会が遂行されることに対して、大いに期待をかけざるを得ない次第でございます。しばしば労働協会はかつての協調会に比較されるようでございますが、私は、そういう意味の比較をし、こういう点について労働協会の将来に期待をかけたい。  それから、もう一言つけ加えさせていただきますと、かつての協会が「社会政策時報」なる月刊雑誌を大正九年以後発行いたしまして、終戦時に及んだわけでございます。これは、大学ではおのおの、法科にしろ、経済学関係にいたしましても、大きな大学では機関雑誌を持っておりますが、    〔委員長退席、理事山下義信君着席〕 そういう大学の機関雑誌に関しますと、若干アカデミズムの点では違った点もなきにしもあらずでございますけれども、しかし、「社会政策時報」の大正期から昭和へかけて存続をいたしましたものは、あと労働問題に関する研究調査及び一般の知見を広めましたことにつきましては、多大の功績あるものと私は認めざるを得ないのでありまして、従いまして、協調会にもし比較をするとすれば、かつての協調会がこのような業績を残しましたことを再びここで、新たなる時代、新たなる立場で、もとより言うまでもなく、今日の時代の雰囲気の中ば誕生いたしまする協会のことでございまするから、それ以上の、協調会以上の業績を残されるような努力がここで生まれてくれば、これまた非常にわれわれの幸いであると言わなければならぬという意味におきまして、私は、最初申し上げましたように、この協会の成立に対しましては賛成でございます。
  20. 山下義信

    理事(山下義信君) ありがとうございました。   ―――――――――――――
  21. 山下義信

    理事(山下義信君) それでは次に、早稲田大学教授野村平爾君にお願いいたします。
  22. 野村平爾

    参考人野村平爾君) 私は、この問題につきましては、必ずしもそれほど楽観的に考えることができないように考えております。それは、大体この法案の底を流れる考え方が、一つの公正な労働問題に対する良識なり何なりをつちかっていこうと、こういうような考え方に出ているわけでございますけれども、こういう問題についての公正さというものは、これは、よほど十分な技術的な配慮と、それから、人を得るということがないとできないということであります。それは、たとえば、使用者側が公正だと考えることを他の政党が必ずしも公正だとは考えない。学者の中にも、専門的、科学的な知識をもって意見を述べておりながら、なおかつ、意見に大きな差異が見られる。こういうようなことを考えますと、この公正さということは非常に困難だということ、特にこの問題が労働問題に対しますと、その点がひどいように考えられるわけであります。大体この法案は、御承知のことではありますが、たとえば、道路公団とか、それから住宅公団というような法律と非常に似通った形をとって規定が作られております。ところが、道路がほしいとか、あるいは家屋がほしいとかという問題については、これはもうほとんど争いの余地のない国民一般の要望になっておる。ですから、こういう問題について大体公正なやり方をするということは、多くの知識、衆知を集めれば、大体において実現する可能性というものが強いわけであります。ところが、残念ながら労使問題ということは、賃金一つの問題を取り上げてみても、労働者が考える公正さというものと、経営者側で考える公正さというものは、必ずしも同じではない。そこで、こういうような団体ができましたときに、それを運営していく、あるいは指導監督していくというような力が何らの制限なしに行われるということになりますと、これはどうも、時と場合によっては非常に望ましくない結果に発展してくるということが大体予測し得るのではないだろうかというふうに私は思うわけです。それで、はなはだ自分のことを申し上げて恐縮でございますが、しかし、私の体験談の一つになりますので、お聞きいただきたいと思いますが、数年前、私はかつて労働省労働教育課から委嘱をされまして、労働教育運営センターの運営委員というのに委嘱されたことがございます。そのときに、私に話しに参りましたのは、これは労働教育のことであって、やはり労働者の希望するというようなことも加味をして、そして大体良識的なところでもって労働者の教育実施していきたいと思うので、協力をしてほしいと、こういうような話であったわけです。そこで私は、それに参加をいたしまして、一回、二回、私はそれで務めたわけでございます。ところが、私は若干、ときとして政府の政策を、労働政策を批判したりいたしますせいでありますか、運営委員でもって運営委員会にかけるという規約であったにもかかわらず、いつのまにか、私に対しては案内がなくなってくると、そのうちに、講座の講師の中からオミットされてしまう。こういうような体験をして、非常に不愉快な思いをした経験がございます。そこで、こういうことを考えてみますと、やはりこれは、そのときどきの政府の力が直接に及ぶような形で労働教育実施するというようなことは、よほど考えなければいけない問題じゃなかろうか。あるいは、他に私の欠点があったのかもしれませんが、私もそういうことに必ずしも適任者であるかどうかは、これは他の批判を受けなければならない問題でありますから、何も私が入らなかったからといって、それをとかく不平を持ったりなどしていることではないことは、御了承を得たいのですが、何か手続的にも、やり方の上にも、どうも独裁的なやり方が強いのだ、そうしてそういうことはけしからんじゃないかと言って持って出ても、どうにもしようがないような形の中に追い込まれてしまう。けれども、そのときあとでその人が参りまして、どうも君にあんなことをして、案内もしないで、非常に失礼なことをしたが、今度はもう一度協力してもらいたいと言って、二度目そんなことになるのかと思ったら、それもお話があったままに消えてしまいましたが、こんな体験を持っておるわけです。  そこで、労働問題ということについて、労使考え方の間にかなりのへだたりがある。そこで、そのへだたりを埋めるというようなことをあまり積極的に考えて工作をするということは、どうも労働教育を一方的ならしめる弊害を持つのだ、こういうふうに痛感しておるわけであります。そこで、この法律案を私ちょつと拝見いたしますと、特に会長は労働大臣の任命になっておる。そうして会長は、理事五人をそのまま指名することができる形になりますし、また評議員も、一方的に指名することができる。そうしてその下に職員機構をもっていくというような形でございますから、大体合議制でもってスタートをするような形では作られておらないわけです。そういうことに対する制度的な保障というものがどうも欠けている。そうすると、こういう意見方々があるかもしれませんが、たとえば、道路公団や住宅公団などについては、また国有鉄道なんかについても、これはみんな同じような形をとっているのではないか。そこで、先ほど申しましたが、こういうふうな、国民全体が交通機関を必要とし、あるいは道路を必要とし、あるいは住宅を必要とするというような、こういう種類の問題ですと、大体それでもある程度法の精神を貰いていくということも、運営をある程度気をつけさえすればできるということがあるわけであります。ところが、こういうふうな出題については非常に困難である。そこで、たとえば日本放送協会を見てみますと、放送の公共性のゆえに、特に総理大臣が任命する場合には、国会の承認を得るというふうな形がとられておるわけです。事情が放送のような、国民一般に関することについては、たとえば両議院の決議によるところの承認というような形が出るということは、これは私は、単独で会長を任命する、総裁を任命するということよりは、はるかにすぐれたやり方であるというふうに考えられるわけですが、ここで、労働協会でもってやります仕事の性質は、どちらかというと、専門的な調査研究というようなことに力点がまた置かれなければならないという意見が先ほどからも出ておりますが、もしそういうような点に力点を置いていくのだとすれば、専門分野について、専門のことに関する今のような研究調査等の事業を遂行していくのにだれが適任であるかということについては、たとえば学界というようなもの、あるいは学術会議のような機関、こういうようなものについて意見を聞いてきめていくというようなやり方をとるならば、私は、ある程度そういう弊害は除かれるかもしれないと思うのですが、この法案にありますような形でいきますと、もちろん、任命された人が専門的な科学的な知識を持っており、またそういう研究に従事する人でありますならば、運営の面についても十分公正ということを考えるに違いありませんけれども、しかし、まだ一まつの不安というものが、そういう点に残されないわけではない、こういうように考えるのであります。同じような問題は、任命権のみならず、解任の問題についてもありますし、監督の点にもあるわけでありますが、たとえば、この任命のみならず、解任の問題についても同じようなことが考えられるというようなことになりますと、人事に対する公正というようなものは、ある程度確保できるでしょうが……。  それから、仕事の性質でありますけれども、どうも大体労使考え方というものの上に、必ずしも同じ結論が出てこないという現状なのでありますから、一つ教育講座等を開設し、あるいは主張をしていくというような仕事は、なるべくこういうふうな団体ではならない方がよろしいのではないか。それをやはり制度的な意味で、ある程度法文の上に締めくくっておくということであるならば、これは、その弊害がある程度防げるというふうにも考えられるのであります。私は、こういうような協会というようなものができたときに、それが今から十年、二十年をたった将来を考えてみて、果して歴史的にどういう役割を果してくるのかということについては、今からそれほどはっきりと予測することは困難だと思いますけれども、ただ、教育ということあるいは協調ということだけを第一の主眼点としてこういうものが運営され、それから出発するということになりますと、どうしても現在の労働組合や何かが持っている考え方からこれは離れた線というものが現われてくるに違いない。そこで、そういうような離れた線が出てくるということになりますと、せっかく労働教育をやろうという場合に、労働組合がこれに対して信頼をしないということになったのでは、たくさんの財源を使ってやった仕事というものが意味をなさなくなってくる、こういうふうに考えられるわけです。  ですから、幾つか代表的な点を申し上げてみたわけなんですが、私としましては、法案がこの形において出るということについては、決して楽観的な評価を与えることができない、こういうふうに結論していいのではないかというふうに考えております。以上であります。
  23. 山下義信

    理事(山下義信君) ありがとうございました。以上で、参考人の力の陳述は終りました。   ―――――――――――――
  24. 山下義信

    理事(山下義信君) これより委員各位の御質疑をお願いするわけでございますが、藤林、野村参考人の方は、初めから一時までというお約束でございましたので、やむを得ず先に御退出になりましたので、御了承願います。その他の方々も、大へんお忙しい中をお繰り合せ御出席願っておりますので、あらかじめ、委員方々の御質疑はなるべく簡単に、かつまた、議事も早く終了したいと存じますので、お含みの上で御質疑を願いたいと存じます。
  25. 片岡文重

    ○片岡文重君 金森先生と樋口さんにちょっとお伺いしたいのですが、最初に先生の方にお伺いするのは、今も野村平爾先生から、御自分の体験を通してお話がございましたが、金森先生のお話の中にも、人事関係のことについては、しばらく是認するより仕方がないではないか、そうして将来の公正を期するより仕方がないではないかというようにお話しいただいたかと存じますが、政府の意図するところは、公正に労使教育をし、国民の関心を深めていこうとして考えられても、やはりそこに主観ということがあるわけですから、あまりにも委嘱した役員等が政府の政策や方針に沿わない、背馳するというようなことになってくると、どうしても今野村さんもおっしゃったようなことにならないとは言えないと思うのですが、特にこの法案で見ますと、会長と監事は労働大臣が任命をし、理事の任免は会長が行うということになっておりますが、この場合、理事の任免も、会長は独断ではなし得ないのであって、大臣の認可が必要ということになっております。それで一方、理事会の諮問機関である評議員会の構成である評議員も、大臣が任命をするということになっております。従って、諮問をする者もされる者も、運営する者も、ことごとくが労働大臣の任命ということになっておって、これらの点は、ほかのこれに類似の法人等にもこういう例があるやにほかの先生からお話があったようですけれども、こんなに、もうすべてが労働大臣によって任命をされるというものは、ほかにはあまりないのじゃないか、こう思うのですが、こういう制度のもとで果して公正な運営が、少くとも三者から見て公正だと思われるような運営が果して将来できるだろうかどうかということが私どもには懸念されるのですけれども、これに対して先生は、どういうふうにお考えになられましょうか。    〔理事山下義信君退席、委員長着席〕
  26. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) ただいまの点は、実に困難な問題でございます。だからして、直ちにこういう構造が完全であるということの断言はできません。ところが、一方から申しますると、こういう組織を動かしていくときには、どうしてもどこかに形を整えて、いわば法律上の権能ではっきり処置していく者がいることは、これまたやむを得ませんので、そこで、こういう恒久機関になりますと、なかなか適当な任命の方法がまず実際上見つからないものじゃないかと思うわけであります。これをあまり厳重にいたしますと、そこの機関が動かなくなってしまって、たとえば、最初の人選のときにいろいろな反対意見で、こまかいところに着眼をして、この人はいけない、こう言ってけ飛ばされますると、値打のすべてを総合判断することができなくて、ある人々のたまたま気に食わぬということがあると、これが除外されてしまうということになりますと、総合的によき人を選ぶということのじゃまになるわけであります。さればといって、それも困る、そういう目分量で勝手なことをやられては困るということで、まあこういうことを一つの方法で簡単に解決することはできませんので、いろいろ複雑なしかけでもって、この任命及びあとの監督が出てくると思っておりますが、普通の行政部局では――多分これは、性質上からいえば行政部局に近いもの、つまり、評議員会は別といたしまして、あとは事務機関のようなものだと思います。従ってそれは、これから先はどうも私の独断に近くなりまするけれども、いまの公務員とは違うけれども、身分の保障がある程度あるわけであります。やっておりますうちに、その人の良識によって、職務上の良識というものが、自分は単に使われておるわけではない。任命は、それは順序としてある人から任命せられるけれども、仕事は、この法律の目的のために仕事をしておる、もっと大きく言えば、国全体のために、あるいは国民の輿望のために仕事をしておるのだ、こういう誇りが出てきますから、実際はそう変ったことをする人がないので、もしそれが何か筋をこわしますると、それは、どこか激しい外部からの批判が出てくるからして、あとで自動調節的に結局は排除されてしまうということになりまして、私どもが事務的な仕事ばかりをやってきておったせいかもしれませんけれども、大体その方針で人事を慎しんでいけば、そんなにおひげのちりばかりを払う者ばかり出てこないというような気がいたします。これは、私の体験でもございまするし、官僚生活の中におって、しばしば見ておるわけでございまして、そう弊害はないと思いますが、ただ、これよりももっといい方法があればどうだろうかということになると、それはあるでありましょうけれども、よくわかりません。  先ほど私が申し上げましたように、このうちで一番自由な――自由といいますか、意思を作る上において広い範囲からとれるのは、評議員だけでございまして、多分この評議員会は、初めよき慣例を作りさえすれば、世間のいろいろな要素、資本家の方からも、労働者の方からも、学術研究家の方からも、あるいはもっと広い一般の社会生活を考えている人からも任命せられまして、それに重点がおかれますと、この評議員会というものは非常に強くなりまして、人事等もそう無視するわけにいかぬ。任命は、大臣が任命するということになっておりますが、これは、私どもの目で見ていると、こういうところにいきますと、大臣はやはりほかの事務的な系統に支配されますから、そう自由勝手なことはできぬということになる。論理的に言えば、公正を確保するに不完全な点もございますけれども、できてしまったら、そうむやみに悪い結果を出すものじゃないのではないか。実際これは、役人じゃございませんが、役人のようなものは、一ぺん初め考えて作ると、あとでどうにもこうにも普通の力じゃ動かぬものでございまして……。私の楽観説は、そういうところに根底を置きます。
  27. 片岡文重

    ○片岡文重君 樋口さんにお尋ねしたいのは、これは、私がもしき聞違いならば訂正いたしますが、先ほどのお話の中に、放送等については、基本的なものに限るべきであって、現に紛争を起しているような問題についての放送等は避けるべきである、特にあっせんとか調停というようなものは、労働委員会等の機関もあることであるから、そういうところにまかせて、この労働協会は、それの下仕事のようなことにとどめるべきである、こういうような御意見があったと思うのですが、労働協会の意図しているところは、この労働委員会等の委員会等で資料が使われるか使われないかというようなことじゃなくて、むしろ結果からいえば、できるかどうかは別として、実際に公正だと考え、作られた資料ができ上るならば、これを労使の紛争を仲裁しあるいは調停する労働委員会等において使われることは、双方がそれに従うかどうかは別として、少くとも第三者の理解を深める上にはよろしいと思いますが、しかし、この労働協会でやる調査とか研究というものは、そういう労働委員会等の下仕事のようなつもりで進められるものと御理解なさっておられるのか、そうじゃなくて、そういうものとは全然少くとも関係なしに、労使の問題に関して調査をし、研究をし、そうしてそれらの資料をいつまでも公開するということで、むしろ労使の紛争等にはこの際は無関係にいくのがこの労働協会の本旨とするところではないかと思うのですが、こういう点について、どういうふうにお考えになっておられるのか。もう一度御説明いただきたいと思います。
  28. 樋口弘其

    参考人(樋口弘其君) 今お尋ねになった点なんですが、この労働協会の仕事が本来そういうきわもの的なものに利用されるというようなことは慎しんだ方がいいというのが私の見解であります。しかし、やはり、このきわもの的なものを避けるとはいいますものの、実際問題として利用価値のある客観的な資料を出すということが必要だろうと思います。それは、今例にあげました中労委のいろいろな調停、あっせんをやるような場合にも、官庁資料である労働省の資料というようなものが不完全であって、かつまた、民間側の資料も不完全なものが多くて、なかなかいい、国民を説得できるようなりっぱな基礎になる客観的な正しい資料が出ていない。そういうような場合には、この協会が皆を納得させるような客観的な資料を出すことができれば、その資料を大いに使うことによって、その資料に基いて中労委などが判断を下されることができれば、これは大へんにいいことだろうというわけであります。
  29. 山本經勝

    ○山本經勝君 樋口さんにもう一点お伺いをしたいのですが、先ほど公述をいただいた際に、評議員会の構成にちょっとお触れになったように思うのですが、それで、評議員会に少くとも労使、つまり事労働問題に関する直接の関係者といえば、一応労働者、使用者ということに、これは当事者としてなるわけですが、この評議員会がこの協会の運営に関する、あるいはその他非常に重要な事項について諮問にこたえて協議をしたり、意見を述べたりするわけなのですが、ですから、労使関係の当事者間の意見が十分に反映するように運営されるべきである、こういうまあお話だったと思う。そうしますと、この構成については、一歩踏み込んで考えますと、一応この大臣がいわゆる学識経験者の中から任命をするということになっていますが、そういうような形でなくて、かりに今のお話のような考え方からいぎますと、直接これらの関係者の中で十分経験を積んだ学識者もおるわけなのであって、そうした人々の中から選ぶということになっていけば、反映をするという理論も成り立つと思いますがね。これはやはり、直接理解をし、納得をして、合理的に運営されるためには、この労使の団体等から推薦を求めて、いわゆる三者構成のような評議員会にしたら、これは適確ないわゆる意見の反映ができる、こういうふうに考えるのですが、こういう点は、どうお考えになりますか。
  30. 樋口弘其

    参考人(樋口弘其君) その点は、今お尋ねのあったようなことを私申し上げたつもりなのですが、評議員は、大臣ないしは労働省の権限というものがかなり評議員に対しては及ばないと思いますから、その点で、官僚的な立場からというよりも、むしろそこの協会自体の自主性に基いて、今言ったような立場から、この労使の代表的な団体から代表を推薦させるというようなことがあり得れば、それでうまく運営ができるならば、これは非常にけっこうなことだ。そしてその労使の立場をそれぞれ代表する者と、いわゆる学識経験者というものからなるいわゆるこの評議員会が、当面のいろいろな問題を論議し合って、その中から最大公約数で出てきた問題について労働協会が仕事をやっていくというような形がとられれば、比較的に一方に偏するということがなくなるのではないかというように考えるわけであります。
  31. 山本經勝

    ○山本經勝君 金森さんにもう一点お伺いを申し上げたいのですが、この会長の任命の方法、これは、お話がありましたように、なかなか、私どもも若干の経験があるのですが、困難なものなのです。ところが、この会長がすべてこの会を代表し、あるいは統理して参るわけですから、結局中心になると思うのですが、その場合に、任命の方法が非常に困難である。困難ではありますが、いわゆる大臣の任命という方式をとらなくても、他にできる方法がないものであろうか。これは、労働委員会は、御承知のように、三者構成になっておって、その会長は、要するに地方では都道府県の知事あるいは中央では労働大臣ですかの任命ということに最終的にはなるのですが、その推薦の過程は、一応労使あるいは公益委員を通じて、公益委員の中からという限定はありますけれども、労使委員が同意をして大体推薦をする、こういうような実際になっておるわけなのです。ですから、かりに、今申し上げたように、評議員会が労使両方の代表者によって選ばれて、そしてそれが構成をされる。あるいは公益を加えて、適当な数の決定がなされる。十五人なら十五人という数でもよろしいと思うのですが、そういう数の評議員会があるのですから、この評議員会に諮問をして、大臣がそこへ推薦を求める。あるいはもっと徹底した方法でやれば、評議員会で選挙をするという方法もあろうかと思う。そういうような方法をとって、その決定を経たものを大臣が任命をするというようなふうにすれば、性格的にももう少し、大臣のいわゆる思想なりあるいは施策の推進と直結した形にならないで、運営の面でも自主性が発揮できるのではないかという考えもあるのですが、先生の御見解は、この点についてどうでしょう。
  32. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) お説のような考え方を決して悪いとは私は思いませんのです。ただ、実際うまくいくであろうかというところに懸念を持っておりまして、それは、この評議員というのは、各方面から人をとって参りますからして、おのおの立場の違う人が集まられることと思います。そういう方々は、批評をするときにはいいんでありまして、一つ意見に固定しないように、各種各様の意見がある。それをじっと聞いておって、まあどこかで間違いなきを期するということは非常にいいと思いますが、実際事務の中心となってやっていくときにどういう方法がいいだろうかと、まあこういうことに問題が移っていくわけでございまして、そこに一つの問題、批評機関、執行機関というものについては、やはり作ることについて、何か特別の差別をしなければならないのではないかというのでございまして、まあ私、思い出しましたけれども、たとえば今の憲法のできまするときに、国務大臣というものは、一人々々国会の議決を経て、そして国務大臣に任命する、あるいは何かそんなような意味の、一人一人国会の承認を得るというふうでございましたが、そのときに国会側の方が、それは困る。そんなことをやったら話がまとまらないからして、総理大臣だけは議決で作るが、あとはそういう窮屈な制限を置かないでおいた方がいいということで、とどのつまり、国務大臣の過半数は両院議員でなければならぬということでおさまったんでございますが、その気持を尋ねていきますると、やっぱり執行機関というものは、ある程度直截簡明に執行する権能を持っていないと工合が悪いからして、あまりこれに制約を加えると、かえってまずいんじゃないか。してみれば、そういうときにはまあ何か方法はほしいですけれどもね。たとえば諮問して行うというようなふうにして、あまり人選の最後のかぎを評議員会が持たないで、もっと軽い形で評議員意見を述べて、それを任命権者がおよそ自分の頭で判断して、そうして取捨選択をする。そういうふうにしておきますれば、任命権者が少し無理をすれば、そのことが客観的に広まりきってしまいまするからして、それは実際上できぬと思います。しかし、そこに判断を加える余地が残る。この行政機構というものは、なかなか神経質なものでございまするから、何かそういう、まあ煮え切らぬといえば煮え切らぬですが、偶然の一人二人の多数決で運命をきめるよりも、諮問して、是非善悪をもう一ぺんほんとうに責任者が考えてやるということが何か考えられそうな気がしますが、お説を決して反対するわけではございませんが、少し実行上思わぬ結果が出てくる心配があろうと思っております。
  33. 山本經勝

    ○山本經勝君 もう一点、今のお話は、困難性というところに重点を置いてお考えになっておるようですが、これは、なるほど、大臣が自分の意中の人をぽんと持ってきて任命するということは、これは事務的にも一番簡単な方法でしょうが、しかしこれは、先ほど樋口さんのお話のように考えて参りますと、これはやはり、三者構成によらなければ意味をなさぬのですから、しかも、労使双方が直接関係者ですから、国民とともにこの機関を利用してこそ、適確に法の目的が達成できるのですから、そういう意味では、意見の反映ということは非常に重大な問題です。そうしますと、そこに意見が会長によって集約されて、執行されて参りますから、そこでトラブルが起きてはうまくないと思うのです。先ほど申し上げたように、労働委員会等で、相当会長の選任等に非常に難儀をした例があります。私どもも経験があるのですが、しかしながら、公益委員から出すという、選択をして、一応きまっておっても、労使双方の意見が全然一致して必ずしもそれはよろしいということにはいかぬ場合があるわけです。一たびそうして推薦されたものが知事あるいは大臣によって任命されますと、代表者のもとで、みんなが協力して、機関を有効に運営するという努力をしていくと思うのです。ですから、多少の困難性はあるかもわかりませんが、しかし、もし評議員会を三者構成にして、さらにその三者構成で評議員会に諮問をして、推薦を求めて、そうして大臣が任命をするとか何とか、もう少しやはり機関と機能との統一的な、民主的な運営ができるようなふうにしていかないと、せっかくの法律そのものも、将来の運営で相当行き詰りが起るというようなことも考えられるような気がするのですが、そういう点はどうでしょうか。
  34. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) だんだん伺っておりますと、そういう工夫の余地があり得るように思うのでございますけれども、私の率直な気持からいうと、先にできておいて、そして評議員会の承諾を求めるとかいう、評議員会の働らきを少し従たる、会長選択についての主導的地位でなくて、あとで批判をして、なるたけ意見を言う、その承諾を得なければ仕方がございませんと、こういうふうに、主従の関係でも作っておけば、これは、実際問題はそうしているわけでございますけれども、かえってなだらかにいくのじゃなかろうか。会長も、評議員がみな反対では、とてもやれることではありませんから、理屈抜きに、そういうところでうまく精神の調和を得るようにすればいいんで、お説に別に反対をしているわけではないのです。ただ、やるときにいろいろやりくりがむずかしいのではないかと思っております。
  35. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は、まず第一に、松岡さんに質問したいのですけれども、三十五条の二項ですね。「労働大臣は、この法律の適正な施行を確保するため特に必要があると認めるときは、協会に対して、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。」あと自主性云々と書いてありますけれども、しかし、この人事の問題にしましても、それから続いて業務の問題についても、その時の権力といいますか、政治的な支配というものがこういうところに現われてくると思うのですけれども、今までに、これに類似したようなもので、先ほど野村先生は一つの例をおあげになりましたけれども、何か体験された例がございましたら、お話しをいただきたいと思います。
  36. 松岡三郎

    参考人松岡三郎君) 私個人は、今野村参考人が言われたような経験はやったことがありません。法律的に言いますと、私、三十五条の三項によって、そういうことがやれないという法的保障はない、そのことは確実に言えると思います。
  37. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そうすると、そのたとえば一つの現実の法規の例、これとは全く一致じゃないのですけれども、これはやる方なんです。しかし、法律で、たとえば基準法の二十八条から三十条に掲げている最低賃金を、必要なときには最低賃金をきめると書いてありますが、必要なときにはできると書いてあるけれども、最低賃金をきめたことがない。都合の悪いところはそういう工合にやっている。ちょっとでも法律にかかわりがあったら、それによって政治干渉を行う。こういうのが私は今の状態にたくさんの例を見ているのじゃないかと、こう思っているわけなんてす。だから、そういう面から見て、法律的に二項を三項が十分にカバーするのだというのは、今、松岡先生が、それは、法律的に解釈して、カバーするものじゃないという工合におっしやるのですが、そう認識してようございますか。
  38. 松岡三郎

    参考人松岡三郎君) 私、けっこうだと思います。もっとも、法律的にいいますと、三十五条第三項で、自主性に不当に干渉するということに対して、法律的に救済方法がない。これに対して、行政事件訴訟特例法で干渉を拒否させる方法もありませんし、民事訴訟的な方法もない。そういうふうに、法律的に救済方法がない。ただ考えられるのは、そんなに運用をよくする――おれを信用してくれという、信用だけの問題です。信用だけの問題は、私は法規行政ではないと思います。最後の最後まで法律的な担保がなければ信用できないということだと思うのです。今の人はいいですけれども、十年の後に非常にひどい人が労働大臣になって、自主性に不当に干渉した場合に、全く手がないということです。
  39. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 きょうの参考人としてお見えになりました方々の多くの意見は、この問題に対する主要点、調査研究というものと教育との関係について、教育の問題に対するこのような機構の危険性というものを、大なり小なりお述べになったと思うのですが、問題は、それに関連して、人事と運営という問題がやはり問題点として、私たち十分このたび聞かしていただいたと思うのですが、そこで、私たちの一番懸念している問題は、まず、この協会がどのように運営されていくか。その基礎になるものは運営する人事の問題、そこにやっぱり一番の大きな問題がある。あわせてその次に今のような問題、権力支配という問題に引っかかって参りますと、これは必要だと言われるお方の中においても、やはりその人事の次には運営だから、このような状態だから、十分にその問題が排除できなければ、調査研究にとどめるべきじゃないかという工合に、賛成と言われる先生方にもそういう御意見があるようであり、非常に重要な問題だと私たちは考えておるわけです。今、人事の問題の民主的運営の問題で、金森先生、樋口先生にお尋ねがありましたから、私は、その問題についてお聞きいたしませんけれども、ただ、樋口さんに一つだけお聞きしておきたいのですが、国民に対して労使関係労働問題を認識さすというのは、ちょっとおこがましいけれども、してもらうという、またしてもらいたいという、この意欲的な立場から、今の法案のような人事権、それから、それにつながる運営という格好で、労働者の主張と、それから使用者の主張というのは、何かきわものは困るとおっしゃいましたが、その通りでございましょうが、一つの問題をとらえても、やはり自分本位になってやっている面が多いと思う。たとえば、一つの例をとりますと、生産性向上運動という問題には、いろいろ意見のあるところでございますけれども、しかし、合理化運動と違って、国の経済への生産性運動という言い方、それから次には、国の経済の繁栄の中における、上った利益について三分主義ということが唱えられて、そして具体的な事例によって相当な利益が上ってくると、労働者の生活の問題についてはストップされる。生産性向上運動は、使用者ばかりじゃございませんけれども、具体的にその活動の中から出てくる労働者の生活という問題になってくると、ぴしゃっとストップしてしまう。そうしてそのような宣伝活動というものが、主張というものが行われる。まあこういう状態で、それに対する反撃、議論というものが行われておるのが今日の労使関係ではないか。これは一つの例でございます、ほかにもたくさんありますが。そういうことでありますと、この協会で、今のような人事、運営というものが予想され、それで調査研究、それが発展して、今度は教育というように発展するところにおいてですね。労働者にはプラスであるという工合におっしゃったと思うので、そこらあたりの辺が少し私は――その状態の中に運営されるのでは、労働者側にむしろプラスであるとおっしゃった、そこのところあたりの話を少しお聞きしておきたい。
  40. 樋口弘其

    参考人(樋口弘其君) ただいま御質問のありました点ですが、これは非常にむずかしいところですが、先ほども例に出ましたけれども、現在国の予算で直接まあ労働関係の仕事をやっておる中労委のような機関、あるいは、労働省の婦人少年局のような機関がありますが、このような、直接行政的な仕事をする機関の運営も、その婦人少年局長ないしは中労委の委員、会長というものに人を得た場合には、労働者側にとってマイナスの面ばかりではなくて、プラスの面が多い活動をしておるということは、これはやはり、客観的に認めなければならないことだと思います。その意味におきまして、そういった国の直接の行政機関的なものでも、その運用によって、ないしは人を得ることによって、ある程度成果を上げることができるわけでありますから、特殊法人である労働協会ができた場合には、今言ったいろいろな危険性はありますけれども、労働者側にとってかなり、現在の労使関係からいって、プラスになるというまあ予想が成り立つ、推測がなされるわけであります。と申しますのは、この現在の日本労使関係の実情を見ますと、やはりこの労働組合の指導的な幹部とか、あるいは学者とか、そういった一部の専門的な人々の意見は別といたしまして、やはり現実には、労働問題に対しては、これに触れたがらないというか、労働問題ということすら口にすることをはばかるといったような気風がまだ残っておる。それだけ日本労使関係というものはおくれておる。こういう実情があると思います。そういう意味におきまして、一般的な労使関係の問題に関する認識を深める作用をこの労働協会が果すということは、これはまあ言い得ることだと思います。特にまあおくれた経営者や、あるいは組織されない労働者――一般の中小企業や何かに働いておる人たちに対する影響力というものを考えます場合には、やはりこの労働協会というような協会ができて、国がそこに十五億というような金を出して、そして活動しているのだということは、その及ぼす影響というものは、必ずしもマイナスの面ばかりでなくして、非常にプラスの面があるというふうに私は考えるわけであります。
  41. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 わかりました。それで、やはり問題は、中労委は三者構成ですね。一つの調整機構の役割を持っている。少年婦人を今例にあげられましたが、少年婦人に対する考え方というものは、戦後非常に変ってきておりますから、その面では、マイナスばかりじゃなくて、プラスの面もあるという御意見に対して、そうだと思いますが、ただ、今のこの理事六人、会長を含めて六人、監事、評議員を全部今の政府の大臣の任命という形で、それをわれわれはなし得るかどうかという縣念が第一にある。だから、樋口さんも、そういうやはり人事の問題や運営の問題の公正化ということの前提のもとにおっしゃっていることだと思いますので、払も、そういう工合に理解をしたいと思っております。そうでないと、たとえば、中労委が三者構成である、そういうものの中で事が行われて、やはりマイナスばかりじゃない、プラスの面が出てきているというものに通じるという工合に理解してよろしゅうございますか。
  42. 樋口弘其

    参考人(樋口弘其君) まあ多少言葉のニュアンスの違いはありますけれども、大体そういうことだと思います。
  43. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 いや、ありがとうございました。
  44. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 参考人方々に対する質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  45. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  参考人各位には、長時間にわたり、貴重なる御意見をお聞かせ下さいまして、まことにありがとうございました、この機会に、委員会を代表いたしまして、厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。  本法案に対する本日の審査は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  休憩いたします。    午後一時四十六分休憩    ―――――・―――――    午後三時一分開会
  47. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 再開いたします。  委員異動を報告いたします。四月二十一日付をもって西田信一君、西岡ハル君、横山フク君が辞任され、その補欠として、塩見俊二君、植竹春彦君、井上清一君が選任されました。   ―――――――――――――
  48. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法の一部を改正する法律案、労働基準法等の一部を改正する法律案、右二案を一括議題といたします。質疑を願います。
  49. 山本經勝

    ○山本經勝君 前回委員会で御質疑申し上げた中で、資料の食い違いがありまして、一応再度御提出いただいたのでございますが、それに基いて御質問申し上げたいと思います。そこで出されました資料の、けい肺法改正案による所要経費内訳という資料ですが、これはまず順序を追っていきますならば、今回問題になっておる一部改正案に対する、労働省として積算をされた経費の見積りの内容、初年度転換給付について見ますと、人員にして五百七十五名が出、そして金額にいたしまして四千七百万円ということになっておる。さらにこれを平年度に直しますと、人員にして一千三十四名、金額にいたしまして八千五百万円、こういうふうに非常に人数も多ければ、従って金額も増大をしておるわけです。ところが、このような状態であることを少し掘り下げて考えてみますと、現在ここで初年度に当るのは昭和三十三年度であると思う。そこで現在昭和三十三年度の予算内訳を見ますと、転換につきましては対象人員が三十三年度ではわずかに七十五名、けい肺に関する労働省の出された三十三年度予算の中には七十五人と出ている。これは予定数になると思うのですが。そこで、三十二年度は今お話があるように五十四名というのをはっきり御説明になっている。そうすると、三十三年度が一応ここでは初年度に引き当てられるとするならば、五百七十五人という多数の人員は、社会党提案の法案による積算によればこういうふうになる、こういうようなことなんでしょうか。あれでは非常に私は理解に苦しむ。三十二年度における勧告が五十四名であって、これはすでに勧告がなされている。これは当然転換の対象人員と考えられる。すると、三十三年度になりますとこの人員がかく飛躍的に増大する、こういうふうには考えられぬと私は思うのです。この点、局長はどういうふうにお考えになっておるか。
  50. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 転換給付の勧告の実施につきましては、先日の委員会で御説明申し上げましたように、勧告を実施する前に労使意見を聞きまして、それで労使とも勧告をしてもらってけっこうである、このような意見が出ましたときに勧告を実施するようにしておるわけでございます。その原因はいろいろございますが、やはり何と申しましても転換後の賃金が減額する、というのが一つの理由ではないかと思うわけであります。そこで、今回の社会党の提出されました法案によりますると、転換後減額した賃金の差額を三〇%を限度として補給する、このようなことになっておりまするので、われわれの方の見込みといたしましては、大体第三症度に該当するものの二割程度が勧告の対象になるのではないか。このように考えまして、四百三十七名の勧告を受ける者が出てくるのではないか。これに加えまして、事業主の実施します健康診断の結果、第三症度と判明しましたものについても、やはりその二割程度がなるのではないか。これに既存の約五十名の転換済みのものを加えますると、五百七十五名の数字になる、このように推定した次第でございます。
  51. 山本經勝

    ○山本經勝君 実態としては、早期に発見をし早期に転換をすることによって、症状の進行を阻止するということが、基本的にはこの立法の精神ではないかと思うのですが、その点は局長はどう解釈しますか。
  52. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) そのように考えております。
  53. 山本經勝

    ○山本經勝君 そうしますならば、これは局長が今おっしゃったように、少くとも所要の人員は、最小限度に見積っても五百七十五人転換によって保護すべきである、ということだと思うのですが、それは違いますか。
  54. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) このような措置を講じまして、転換の勧告をいたす、このようなことになりますれば、やはりわれわれとしては、二割程度は勧告を実施する事態が出てくるのではないか、かように考えます。
  55. 山本經勝

    ○山本經勝君 その点がちょつとどうも私おかしいと思うのですよ。少くともこの法は、特別保護法とうたっておるように、しかもこの法律を制定する当時から問題になったのは御承知の通りなんでして、少くとも一度かかって、これが全快をするという見込みは非常に薄いのだ、あるいはないのだという状態であるから、それで特別に保護をしようという人道上の見地に立ったと言われた。そうしますと、その転換によって給付が低下して、そうしてしかも生活に困窮するというような状態ではいかぬので、少くともその点の改善をして、転換を希望する者、あるいは必要とする者については、もっと大ぜい転換をしていかなければならぬ。つまり今までの検診の実績を見ましても、千六百数十名という多数の人がすでに対象の人員に一応なっておるわけです。ですからほとんどそのすべてを包含してそうして転換をさせ、そうして症度の進行を阻止することによって、一日でも長く生きてもらうというのが、私は本来の姿であり精神であると思う。ところがそういうようなものはほおかぶりをしておいて、そうして三十三年度の予算には七十五人の対象人員として、予算額にしまして百三十六万一千円という、まことに哀れな状態の予算が組んである。これは少くともこのことがあればこそ、何べんも繰り返して言うのですが、あの制定時の付帯決議をごらんになれば、第一項に出ておるのは、こういうことを予想しておったからこそ、これは全会一致をもって付帯決議が認められた。そうしますと、そういうものについては、けい肺審議会に諮って目下審議中でありますといって、しかもけい肺審議会はまともに開かれておらない状態。しかも小委員会に付託してあると言われますが、小委員会が最近開かれたような実情は聞いておらぬ。そういうようにずらずらべったりに引っぱり延ばすことで、法本来の精神を殺しよるものは、あるいは法の趣旨を抹殺しようと試みておるものは、むしろ労働省当局であり、特に基準局の所管の部局における怠慢ではないかと私は思うのですが、この点どう考えるか。
  56. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) この点につきましては、これも今まで申し上げております通りけい肺審議会においてこの問題を検討しておるわけでございます。それで現行法のもとにおきまして、転換の勧告を実施する前には、労使双方の意見を聞いた上で勧告を実施してもらいたい。こういう審議会の御意見であります。そこでそれによりまして現在勧告を実施する前に、労使双方の御意見を伺ってやっておるわけでございます。その結果は、ただいま申し上げましたように、転換給付の額が現在は一月の一時金というようなことになっております関係上、他のその後の毎月の賃金の差額等を考慮いたしますると、労働者個人も喜ばれない場合があるわけでございまして、現行法のもとにおきましては、今のようなやり方を行うのが適当である。このような審議会の意見に基いて実施しておるわけでございます。今回の法案によりますれば、転換給付につきましては条件が向上するわけでございますから、従って、今回の法案実施いたします場合には、第三症度の中で転換を行うものが相当率がふえるのではないか。それを二割と見込んだわけでございます。
  57. 山本經勝

    ○山本經勝君 局長、私は、そういうような現行法上の事務手続の問題を伺っているのではない。法本来の精神にのっとってみれば、もう一ぺん申し上げますが、この法は気の毒な、回復することのないと言われておるこの病気にかかった、しかも職業上の問題として生活につながると同時に、生産につながる実態の中で、やむにやまれず病気にかかって、しかもなおらないのだという状態にあればこそ、特別保護法という法律の精神にのっとって、人道的に解決したいというのが立法精神である。ところがその立法精神とはこの事実は合わんのではないですか、ということを伺っている。決して、現行法上の事務手続あるいは労使意見を徴して、というようなことを私は伺っているのではない。本法本来の姿において、目的において合致しない取扱いが行われておるという状態は遺憾であるし、しかも、制定当時にはこのことがあらかじめ審議の過程で明らかになったので付帯決議がついておる。付帯決議の第一項にはこのことが取り上げられておる。それを手続上審議会に諮っておりますからというので延ばしていくという行き方は、あまりにも法そのものを無視した、法の精神を抹殺した労働省のやり方ではないか。しかも、それを直接所管しているのは基準局であるから、局長さんは怠慢でなかったかということを、私は悪い言葉でいえば責めているわけです、それに対する法本来の精神にのっとってどうあるべきか、という所信ぐらいは表明されていいと思う。少くとも私はそういう事務手続の問題をどうかこうか、こういうことを申し上げているのではない。もう一度よくその点をはっきりしてもらいたい。
  58. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 転換給付をこのように増額いたしますることになりますれば、その見地からけい肺に罹患しておる労働者の保護は向上するものである。このように私はもとより考えております。
  59. 山本經勝

    ○山本經勝君 その保護を向上さすというのが法の目的ですね。そうしますと、今の給付が不十分なために、転換することを好まない状態に放置される、ということに逆になるのですよ、現行法でいけば。ですからこそこの改正案が出ているわけです。そうしますと、むしろ労働省としては進んで法改正をし、あるいはこうして出た状態で転換給付が低下するために生活に支障がくるから、というような心配をなくするようにして、進んで、千六百数十名に上る多数の検診の結果、第三症度ないしその他の人々に対する予防といいますか、予防の一環となると思うのでありますが、少くとも症度の進行を阻止して長生きをしてもらう、という人道的見地の精神が生かされるのではないか。そういう点がなぜやれないのか。この点は局長さんからよく解明していただきませんとわかりませんのです。
  60. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これも前から申し上げておりますように、この点につきましては、けい肺保護法の立法のときにも、すでにこの問題あったと思うのでございます。しかしながらこの法律によりますると、成立いたしました法律においては、一ヵ月の転換給付ということで成立いたしたわけでございます。ただそれに付帯決議がつきまして、この増額について考慮を行うべきである。このようなことになりますが、これはもとより法律を改正しなければならない問題であります。そこでけい肺保護法の改正等の重要な問題については、けい肺審議会の議を経る。このように法文にも書いてありまするので、われわれとしてはこの法の条章に基いて、けい肺審議会の意見を伺っておったわけでありますが、遺憾ながら今日までそれがまとまるに至らなかった。これが実情でございます。
  61. 山本經勝

    ○山本經勝君 この事務的な経過はたびたびお話伺っているんですが、私はどうも当局側が怠慢にしておられるという印象を受けてならぬ。怠慢ではないのだということがあるなれば、その点を御解明願いたいのですが、それに合せて、平年度の千三十四名という対象人員が生れる、という算出の基礎はどういうところにあるのか。それも合せて御説明をいただきたい。
  62. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) この点につきましては、ただいま怠慢ではないかというお叱りを受けましたが、われわれの方といたしましては、けい肺審議会にお願いいたしまして、一日も早くこの成案を得るように諮問をしておったわけでありまして、私も昨年の七月着任以来、われわれ事務当局といたしましては、従来よりもけい肺審議会の開催日数は活発に開催いたしました。特に昨年の十一月以来は相当活発な御審議をいただいておる状況でありまして、われわれとしてもこれに対しまして積極的に開催を行うように努めておるわけでございまして、まあ、結果は労使中立の意見がまとまらないために結論が出ておりませんが、われわれとしてはできるだけの努力をいたしておる所存でございます。  それから次に、平年度の千三十四名と申しまする数字は、これは大体従来の実績に徴しまして、政府実施した健康診断の結果、第三症度にありましたものの二割程度が、この転換を実施することになるのではないか。このよのに考えておるわけでございまして、それが結局初年度におきまして政府実施する健康診断の結果、転換を実施するというものが四百三十七名、それから事業主の実施する健康診断に基くものが八十七名、それに従来まで転換済みのもの約五十名を合せまして、初年度は五百七十五人になるわけでございます。それがその後におきまして、政府実施した健康診断に基くものの四百三十七名のうち、毎年五%程度はあるいは第四症度へ進行し、あるいは死亡される方もあります。あるいに自己退職される方もあります。それから事業場配置がえによって抜けられる方もあると思いますが、このような転帰率を毎年五%と推定いたしまして、この四百三十七人に毎年少しずつ、五%ずつ逓減して参る、このように推算いたしました。
  63. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 関連。ちょっと途中ですけれども、局長いろいろ説明してくれるのはいいけれども、資料をけさ渡すというのが、資料がわれわれはないんだから、資料をくれてから……。
  64. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 資料は、この資料を差し上げてございます。その資料の御説明をしておるわけです。  そこで、今のような計算方法を用いたわけでございます。  それから事業主が実施されます健康診断につきましては、これは大体初年度八十七名と推定いたしました。これも大体二割が健康診断の結果転換の対象となる。このように考えまして、これは毎年逓増して参るわけでございます。それからすでに転換済みの方の五十名はそれにプラスされる。このような形で参りまして、平年度と申しまするのは、これは現在の第三症度の発病年令を平均四十三才、これは従来の大体実績をとっておりまするが、四十三才といたします。それに対しまして、これが五十五才まで支給するということになっておりまするので、大体十二年度目が平年度になる。このようにいたしまして計算をいたしますると、以上のようなものを合せまして十二年度は一千三十四名になる、このように推算したわけでございます。
  65. 山本經勝

    ○山本經勝君 皆さんの方には、私の手元にあるような資料はないわけですよ。これじゃあわからない。予算やそれから検診の実態、こういうものがないから、やはり困ると思うのですね。
  66. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ちょっと速記やめて。    〔速記中止〕
  67. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記始めて。
  68. 山本經勝

    ○山本經勝君 そこで、もう少し、これは同じ問題ですから一結に検討をしたいのですが、四症度で療養をする、その療養給付の対象人員が五百八十七名、そうして金額にして七千八百万円、こういう数字が出ておって、これが平年度になりますと七千三百十六名の人員で十二億三千万円という予算になっている。まことに飛躍的に増大をしているわけですが、この積算の基礎というものは一体どういうものなのか、局長さんの方から御説明をいただきたい。
  69. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これにつきましては、毎年の新患者を一応一定と仮定いたしまして、従来三十二年度末におきまして、けい肺法による保護を受けておった者の人員の二分の一を、毎年発生者と推定したら適当ではないか。このような見地から、三十二年度末のけい肺保護法による受給者を八百六十八名といたしまして、それを二分の一にいたしますると、四百二十四名でございます。それから脊髄損傷の患者につきましては、同じく三十二年度末の保護を受けておる患者を三百七十二名といたしまして、それの二分の一、百八十六名、これが毎年発生すると、このように推定いたしたわけでございます。それから以上のような推定に基きまして毎年、初年度、二年度、三年度という工合にふえてくるわけでありまするが、平年度と申しまするのは、けい肺患者におきましては、けい肺の平均余命年令これを十年といたしましては、それから脊髄損傷の患者につきましては、余命年令を十六年といたしました。これは従来のけい肺患者の死亡率、及びイギリスにおきまするけい肺結核の資料等を参考といたしました。イギリスにおけるけい肺結核の資料は、平均余命年令数を九三年といたしておるわけでございます。これは三、四年前の数字でございまするので、結局その以後の医学の発達等を考えますると、まず十年といたすのが適当ではないか、このように思ったわけでございます。結局そのようにいたしますると、平年度と申しまするのはけい肺におきましては十年目、脊髄損傷については十六年目になるわけでございます。そうして、そのけい肺について十年目、脊髄損傷について十六年目、これが平年度になるわけでございますが、その際におきまするけい肺の患者であって、この療養給付を受けます者は、平年度におきまして平均四千三百四十名、それから脊髄損傷の療養給付を受けまする人員は、十六年目におきましては平均二千九百七十六名、このようなことになります。以上を合計いたしますると、七千三百十六名になるわけでございます。これが平年度に要する給付人員である。このように一応推定したわけでございます。
  70. 山本經勝

    ○山本經勝君 三十三年度のいわゆる療養給付の対象人員は何名になっておりますか。
  71. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 三十三年度でございますか、初年度でございますか。
  72. 山本經勝

    ○山本經勝君 初年度というよりも、この法によるのじゃなく、現行予算の中でいわれているもの。
  73. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 三十三年度の予算におきましては、けい肺患者に対しましては九百五十四名を予定いたしております。それから脊髄損傷の患者に対しましては三百五十一名、このような予算措置を講じております。
  74. 山本經勝

    ○山本經勝君 そうしますと、その計算でいきますと、平年度になるとどういうことになりますか。
  75. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 平年度におきましては、この実績を基礎にして延長するわけでございまするが、ただいまのお尋ねは、おそらく、この現行法のままのもとで実施すれば、平年度がどのくらいになるか、こういうお尋ねだと思いまするが、これはまだそこは計算したものが手元にございませんけれども、大体これと同じ人員が平年度になるだろう、このように思っておりまするが、許しくは、なお積算をいたした上でお答え申し上げたいと思います。
  76. 山本經勝

    ○山本經勝君 今局長の方から説明をいただいたのですが、三症度から四症度へ、あるいは一症度から二症度へ、二症度から三症度へという進行状況が、これは非常に必要なんですが、その状況を一つ説明願っておきたいと思います。
  77. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これについては、大体におきまして、五年くらいを一つの転帰といたしまして症状が一度ずつ上っていくのではないか、このように推定しております。
  78. 山本經勝

    ○山本經勝君 いや、そういうことを聞いているんじゃなくて、現に三十年度以降において検診をしてあるいはその前に、すでに羅病あるいは患者で療養中の者もあったのでしょうが、とにかく進行した実態というものはないのですか。一症度から二症度へ、あるいは三症度から四症度へというふうに、より症度の悪化したという具体的な事例。
  79. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) その点につきましては、まだ資料は手元にございません。
  80. 山本經勝

    ○山本經勝君 そうすると、たとえば療養給付の対象人員を五百八十七名というのは、今出して審議中の法案を対象にして一応ここに上げられておる。こういうことなんですが、そうすると、三十三年度予算の対象人員というのは九百何ぼ、千何ぼということになるのですね、千何十名ということに。三十三年度の労働省の予算の中に出ておる対象人員というのは、これはどういう関係になっておるのか、そこをちょっと理説明いただきたい。
  81. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 先ほど申し上げました五百八十七名と申しまするのは、結局三十二年度末におきまするけい肺の第四症度といたしまして、療養給付を受けておりまする患者が八百六十八名でございまするので、これが二年間で累積いたしましたので、二で割りまして四百三十四名、このようにいたしましたわけでございます。そこで、初年度におきまする、年度当初の受給者二百十七名と四百三十四名をプラスいたしまして、六百五十一名が年度末におけるけい肺の療養給付を受けるものと、このように推算いたしたわけでございます。そうしまして、この二百十七名が年度初め、年度末が六百五十一名でございまするので、これを合計いたしまして平均いたしますると、四百二十四名になりますので、これを初年度におけるけい肺の療施給付を受ける患者数と推定いたしました。  次に背損の患者につきましては、これも昭和三十二年末におきまする背損患者で療養給付を受けておりまするものの数、三百七十二名を二で割りますと百八十六名になるわけでございますので、これが従来の療養終了者六十人をプラスいたしますると、二百四十六名になりまして、そこで年度初めにおきましては六十名、年度末におきましては二百四十六名、以上のものを平均いたしますと百五十三名になるわけでございます。  そこで、このけい肺の療養を必要とする人員四百三十四名に、背損の療養を必要とする百五十三名をプラスいたしますると五百八十七名になりまするので、五百八十七名がこのけい肺及び脊損患者で、初年度において療養給付の必要がある人員である、このように推算いたしたわけでございます。
  82. 山本經勝

    ○山本經勝君 平年度の場合の算出に当って、けい肺患者の余命年数を十年、しかもこれは英国の例を参考にされたと、それで、脊髄骨折等の脊髄傷害に対しては、十六年という余命年数が見られる。これは、大体医学的には根本的な明瞭な基礎はないのですか。
  83. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これにつきましては、実はなかなか推定が困難なわけでございまするが、一応われわれが、現段階におきまして、信頼し得る数字としまして、二つのものをとったわけでございます。すなわち一つは、従来の最近の資料におきまするけい肺患者の年間の死亡率、それからもう一は、他に例がありませんの、でイギリスけい肺結核の資料を参考といたしました。そこでまず第一に、最近の資料によりましてけい肺の年間の死亡率を見ますと、大体療養者の五%ということになっております。この死亡率から推算いたしますると、けい肺患者の余命年数は十年となるわけでございます。一方におきまして、イギリスにおきますけい肺結核の資料、これは数年前のものでございまするが、これを一応参考にいたしますると、その平均余命年数は九三年となっております。以上のようなことを対比して考えますると、一応十年というふうに平均余命年数を仮定することが適当ではないか、このように考えたわけでございます。  なお次に脊髄患者につきましては、やはりこれは最近の資料によりまして、その年間の死亡率を見ますと大体療養者の三%になっておりますので、この死亡率から推算いたしますると、平均余命年数は十六年ということになるわけであります。これを根拠といたしまして十六年と推算いたしました次第でございます。
  84. 山本經勝

    ○山本經勝君 しろうとですからよくわかりませんがね、脊髄傷害等の場合に、現にあるけい肺の場合も何様だと思うのですが、この患者で、そうしてそれが実際年間死亡率が何%かと言われましたが、そういうようなものが比例になって、この余命年数というものがはっきりつかめるかどうか、非常に疑問があるのじゃないかと思うのですが、そこら辺はどうなんですか。
  85. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これはやはり死亡率から逆に推算いたしますると、一応以上のようなことも推算されるのじゃないかと思うわけでございます。  ただそれからなお申し落しましたが、これにつきましては、そのけい肺の患者の発病年令は平均四十八才でございます。それから現行のけい肺法の終了するものの平均年令が五十三才でございます。この時期におきまする生命保険等を使いまして、その統計として使われておりまする常人の平均余命年数を見ますと、この場合には約二十年になるわけでございます。それから脊損患者におきましては、発病年令が若い人もあるわけでございますが、平均三十二才、現行のけい肺法の終了いたしましたものの平均が三十七才でございます。これを基礎にいたしまして、やはり保険表等によりまして、平均余命を常任のものついて見ますと、三十二・五年と、このような数字になっております。それと、今の最近の資料によります、おのおのの患者の年間の死亡率というものを使用いたし、それからイギリスにおきますけい肺結核の資料、これを見てやりますと、大体この辺のところが出てくるわけでございます。むろんこれは今後におきまする医学の進歩、治療方法の変化、その他いろいろな要素を加味しなければなりませんので、これが絶対正確であるとこのようにはむろん申せませんけれども、一応現段階において推定してみるということになりますれば、大体今の程度のところが推定できるのではないか、このように考えている次第であります。
  86. 山本經勝

    ○山本經勝君 そうしますと、初めにちょっと帰りますが、転換給付の問題、それから療養給付の問題、あるいは休業給付の人員は、一応対象人員は同数になりますが、こういうような状態で、検診の結果、この前も申し上げたのですが、第三症度で三十一年の累計が千六百二十八名という多数が出ている。さらに第四症度で千二百三十名が出ている。このような多数のけい肺患者が出ているわけですが、それを今度は現に療養の場合には、すでに療養期間の二年が切れて、そうして死を持つばかりと、しかも生活の方法はないと、こういう状態に追い詰められる。それからさらにそういう破局に追い詰めないようにするために、作業転換を奨励して、そうしてそれによって症度の進行を阻止するということが、先ほども申し上げた根本的なこの法の精神だと思う。それでありますれば、当然基準局として、この現行の状態では不十分であることは先ほどお認めになった。また怠慢ではなかったが、結果的には十分にいっておらぬ。こういうことですから、当然そこら辺の改善がなされることが必要なわけですが、これは早急に今三十三年度予算についてどうこう言っても仕方がないのですが、やるという熱意があるなれば、私はできる問題であったと思う。遺憾ながらそれがやられないところに、今回の提案者による法改正が提案されて論議になった。こういうことなんですが、そこで局長によくお伺いをしておきたいのは、少くともこの発議者によって提案されている法案の通過によって、今の一番困っている問題は、やはり療養期限が切れて、そうしてあとどうするかという問題と、それからそういう状態に追い詰めなくて、少くとも転換を推進することによって症度の進行を阻止するという手もある。この二つとも幸いにここで一部改正が論議されているのであるから、それを基準局長としては、当面の責任者として推進なさるお考えがあるのかどうか。あるいは反対に、すでに言われておりますように今年度の、三十三年度の予算、現行法に基く予算の中に出されておるように、七十二名という転換で押え、そうして療養期限の切れた者は仕方がない、こういうような見てくれのお考えなのか、そこら辺を一つ根本問題ですからお伺いしておきたい。
  87. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 療養給付の問題につきましては、ただいま御指摘のように、実際問題といたしまして、けい肺保護法による療養期限が切れた、しかも、実際これを継続させなければならず、かつ、実際に気の毒な状態にある患者の方があるわけでございまして、これにつきましては、私も、御指摘の通り人道上の見地から、ぜひこれを事実療養を継続させることは最低限としても必要ではないか、このように思っております。その意味におきまして、事実上の療養を継続させる措置については検討いたしておりまして、これにつきましては、もとより善処いたすつもりでございます。  なお、それと並びまして、さらにこれよりも現有のけい肺保護法におきまするもろもろの保護措置、救護措置をさらに向上させる、このような問題につきましては、これはけい肺患者、せき髄損傷患者の保護の見地からはまことにけっこうなことであると私は思っております。ただこの問題が、これも先日の委員会において御説明申し上げました通り、予算的にどのようなことになるか、それからこれを現在御承知のように国庫と使用者の二分の一ずつの負担にしておりまするが、この負担金及び予算が増額することになりまするので、この点をいかに解決するか、それから他の労災保険による補償との均衡をどのように考えるか、このようなことを総合的に考えなければならぬと思っておるわけでございまして、以上のようなことにつきまして、事務的にはけい肺審議会の御意見等を伺いまして、なるべくすみやかな機会にけい肺患者の保護も全うされ、かつ、他の給付との均衡もとれ、それから国庫負担、使用者負担の問題につきましても、円滑な措置が講ぜられまするように、われわれとしてはなるべくすみやかにそのような措置がとられることを期待しておるものでございます。
  88. 山本經勝

    ○山本經勝君 それは措置がとられることを期待しておると言われますが、これは局長の方が担当の責任者ですから、そこが、国会に期待されておるのか、あるいはその他に期待されておるのか、そこがよくわからぬ。むしろ期待するのではなくて、この期待は私たちの方がしたいわけなんですが。一同積極的にやっていただかないで期待をこちらにされるというのでは、これは本末転倒の気がするのですが、まあそれもやむを得ぬかもしれぬ。そこで、こういう提案がなされておるということも、言えるでしょう。ですが、私の言っておるのは、お心持は一致しておるような気がするのです。そうすると、せっかく出されたこの法律が生きて役に立って、幸いにけい肺患者の哀れな実情が多少でも救えるということになることが望ましい。この点は私は逆に押しつけるのではありませんが、局長さんも反対ではなかろうと思うのでありますが、そうすればむしろ進んで推進をしていただく役割が基準局に、あるいは局長さんにおありではないかと私は思う。そうしますと、これは積極的に推進するというと、何に期待されておるかわからぬが、ただ期待をされておるというのではこれはずいぶん意味が違うと思う。大臣もそばにおいでになるのですが、大臣からでもいいです、一つその点をはっきりお聞かせ願いたい。
  89. 石田博英

    国務大臣石田博英君) けい肺患者及び外傷性せき髄患者の処置につきましては、しばしば申しております通り、これが労災法あるいはけい肺特別法の給付が切れたからといって、それをそのままに放置すべきものではないと存じておるわけであります。従いまして、政府といたしましても、前のけい肺法通過の際の付帯決議の趣旨もございまするし、また、ただいま申しました人道上の見地もありまするので、けい肺審議会のすみやかな御結論が出ることを希望も期待もいたして参ったわけであります。しかし、なかなか今まで結論が出ないのは非常に遺憾でありますが、これもだんだんと結論を見つつある状態でございます。しかし、それだからと申しまして、すでに現実にけい肺法の対象外に放置されている人も相当数あがっておりますので、それに対して適切な措置が講じられなければならないと存じておるわけであります。政府としても、けい肺審議会の結論が出て、立法措置が講ぜられるまでの間の最小限度の措置について準備はいたしているわけでありますが、なお現在これにつきまして、さらにより効果的な方法が講ぜられるかどうかという点について検討中であります。しかしながら何と申しましても、けい肺法におきましては、重要な事項はけい肺審議会の議を経て行うということになっておりますので、それが政府がみずから進んで立法措置その他の措置を講じます前提になっておる状態でございます。政府としては、そういう法律に規定してあります手続をできるだけすみやかに、急ぎまして、政府自身の措置を講ずる準備中でございます。しかし、ただいまけい肺法改正についての提案がなされておりまするし、それの内容その他につきましても、政府として検討いたしておりますが、政府がみずから進んで積極的にやりますためには、現行けい肺法におきまする手続上の問題が残っていることを御承知いただきたいと存ずるわけであります。
  90. 山本經勝

    ○山本經勝君 むろん審議会の問題は今まで何回か大臣とも言い争ってきたことであって、仰せの通り審議会にかかっていることは私も存じておる。また、その下に小委員会が作られてけい肺法改正に関する意見の検討もなされている、こういうことも聞いているのです。ところが問題は、そういう手続が当然踏まれるべきである、しかも、もっとすみやかに進行すべきであるということなんでして、そこの誠意のほどが疑われるということをわれわれからいえば申し上げておるわけです。そこで、今の大臣の言葉を借りれば、有効な他の方法というものは簡単にはなかなか見つからないと思うのですがね。そこで、現に出されておる一部改正によれば、一応当面の患者の困窮を救済し、満足ではないけれども救済し、あるいは将来の予防措置を相当に強化することができ、さらにまた転換等の、いわゆる障害を排除して、いわゆる症度の進行を阻止するという基本的な問題が推進できるように一応なっておるわけなんです。そうしますと、これはそういうようなものが有効的な、効果的な方法であるわけですが、そういうものを推進していただくことの方がいろいろ論議をするよりもよほど即効になる、即効薬であると、こういうことになると思うのですが、そこら辺はちょっとぼやけておるようですが、有効な他の方法というものは、当面のところは簡単に私は見つからないと思いますが、そこら辺は大臣はどうお考えになりますか。
  91. 石田博英

    国務大臣石田博英君) 政府といたしましても、先ほどから申しました通りけい肺法におきまして、けい肺についての重要事項はけい肺審議会の議を経てこれを行うことになっておりますから、政府として、その結論が出ないものについて、政府自身が法律上その他のことについて、けい肺審議会と別個の行動を直接的にとることは困難でございます。しかし、それでは現実にけい肺法の法対象の年限からはずれた人たちに対して、人道上いろいろなこともあると思いますので、政府として準備はいたしておりますが、それはしかし最小限度のものであります。そこで、今議会に提案せられておりまする改正案についてでございますが、これは政府としていろいろ検討いたしておるところでありますが、まず第一に、財源等の問題、それからあるいは相当部分を民間に負担させなければならないという問題、あるいはまた一時金と休業給付との関係、そのほかいろいろの問題点がなお残っておるのでありまして、このままの形で政府意見を囲われても、このままの形としては賛成をいたすわけにいきませんけれども、諸般の事情を考慮しつつ妥当な案ができることは、私は政府の施策を推進いたします上においてもけっこうなことだと思っておる次第であります。
  92. 山本經勝

    ○山本經勝君 きょういただいた資料もありますし、もう少し検討をしてまた御質問を申し上げたいと思います。  ただ問題は、局長さんの方にもう一つお願いをしておきたいのは、症度のいわゆる進行状態ですね、主として問題になるのは、三症度から四症度への転換だと思う。これなどは、わからないと言われるのが私はわからぬのであって、実際上、三症度になれば勧告がなされるはずなんですね。そうしますと、これは労使意見を聞いてといろいろ言われますが、政府の方に出されている報告に基く一応検討をなさるなれば、当然出てくると思う。それと、この間お願いしておった資料の中にあるかもしれませんが、死亡の状況、それから死亡後の家族の取扱い、生活の実態、こういうようなものをお願いしておるのですが、そういう資料を一応見せてもらった上で、さらに御質問を申し上げたいと思うのですが、私の質問はきょうはこの程度にいたします。
  93. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ちょっと、私から質問するのは何ですが、今の山本君の質問に関連して聞いてみたいのですが、先ほどの局長の答弁では、平年度は四十三から五十五までと見て、十二年後のやつを平年度と見た、こういう御答弁がありましたが、山本委員の質問の中では、余命年令は十年だと言っておる、これはどういうわけですか。十年であって、十二年後に平年度と見るというのはどういうわけですか。
  94. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) その点は、先ほど五十五年までと申し上げましたのは、転換給付でございます。それから療養給付につきましては、これは療養に必要な期間は、要するに、なくなられるまで療養を継続すると、このようになっております。そのような関係で、平年度が違ってくるわけでございます。
  95. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ちょっとわからないのは、四十三でかかって五十五才まで、転換をしたというその余命年令は十年だと言うならば、五十五才まで生きられない。年令を四十三にとられて、そして五十五年を平年度にとったとおっしゃるけれども、説明の中では、四十三でかかった人は五十三ではもう死なにやならぬ、余命は十年しかないのだということを言っておるられる。なぜ十二年後の処置をとらねばならないのか。極端にいえば、十二年後にはもう死んで、おらない人のやつまでどうして考えておかなければならないのか、こういうことなんです、聞いているのは。
  96. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) 転換給付につきましては、三症度の方について転換の勧告を行なって転換を実施させる、そこで、三症度の発病年令は平均四十三才でございます。それから、療養給付の方は、四症度の患者を見ておる。大体四症度のけい肺患者の発病年令は四十八才、それから現行けい肺法による治療終了者は平均五十三才、そういうふうになっておりますので、その点から平年度が違ってくるわけであります。
  97. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 私はそうだと思ったから聞いたのですが、そうすれば、労働省考えておる普通の場合であったならば、三十三年度は七十五人転換をされる、ところが、社会党が出している法案ならば、それにプラス五百人立てて五百七十五人が転換するのだ、こういうふうに言っておられる。そして転換しても、今言われたように言われるならば、三症度から四症度になるのには、転換しておってさえも二年間で四症度に進行するという結論になってくるわけです。そうするならば、転換しない五百人という人は、これはおそらく半年から三カ月に四症度にならなければならない、こういう重大な問題になってくる、これはどういうふうに御理解なさるか。
  98. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) この点につきましては、七十五人という予算措置を講じてありますのは、現行法のもとにおきまして、従来通りの形で転換の勧告を実施する、このような前提に立ってこのような予算措置を講じたわけでございます。もしこの改正法が実施されまして、転換の差額補償等も実施されることになりますれば、その三症度の中で転換の対象となり得る患者の数は増加するものと考えられます。それを二割と見込みまして、以上のような数字にしたわけでございます。
  99. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) その数字はわかるのてすが、先ほども言われたように、転換をしても三症度から四症度になるまでは二年間かかっている。ところが、転換したい人はたくさんおるけれども、給付が低くなるから転換できないということになってくれば、転換して、粉塵のない所で仕事をしてさえも二年後には四症度になるという計算になってくるから、現場におったとするなら、おそらくこの人は直ちに四症度になってくる、そしてこの人の寿命は十年間になってしまう、こういう人道的な問題があるのではございませんか。これが堀局長説明によって、はっきりなってきたのではないかということを私は指摘しておるわけなんです。
  100. 堀秀夫

    政府委員(堀秀夫君) これは御承知のごとく、第一型、第二型、第三型のけい肺の問題があるわけでございまして、それに相当程度の結核が合併いたしましたものが四症度ということになるわけでございます。それから純粋のけい肺の方も、その今までの合併の方を約九八%といたしますると、あと二%くらいあるわけでございまするが、大部分は、ただいま申し上げましたように、第一型、第二型、第三型に結核が合併して四症度となる、このようなことになるものと考えております。
  101. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) それでは、けい肺があるから結核になったとお考えになっておるのか、結核があったからけい肺になったとお考えになっておるか、それによってはこの考え方もずいぶん変ってくると私は思うのですが、その点、いかにお考えになっておりますか。
  102. 加藤光徳

    説明員(加藤光徳君) けい肺がありました場合に、結核がけい肺と直接関係があるかということにつきましては、そうはっきりしたものはわからないと思います。多分けい肺がありまする場合には、結核はかかりやすいであろうというふうなことは考えられると思います。また結核がありました場合に、粉塵を吸い込むことによってそれが悪化する、あるいは、ただ単に結核だけの問題よりは悪いであろうということは推定されると思います。
  103. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 私があまり質問してはまずいですからやめますが、衛生課長がそういう問題に御答弁下さるならば、ほかの職場で結核になっておる率と、それからけい肺が結核になった率を一つ詳細に調べて出していただければ、これは一目瞭然にわかることであって、けい肺になったがために非常に肺の機能が悪くなって結核を引き起しやすい、結核菌に侵されやすいということを、私は鬼怒川の病院に行って、病院長その他専門家の方から十分詳しく聞いてきているつもりです。しかしあなたと私は、あなたは専門家、私はしろうとだから、論争したいとは思いませんが、何か、けい肺は特別な結核を持っておる人につくような、逆なような感じを受けるが、あるいはそういう人がかかりやすいなんというような見解のようでございますから、これはここで論争はいたしませんが、相当問題が残っておるということを申し上げておいて、専門的に研究願いたいと思います。  それから私が先ほどから言っておりますように、転換すれば相当治癒する、あるいは病状が固定していくと思われておるにもかかわらず、私どもが出したこの法案、社会党が出しておる法案についてすら、これだけの大きな数字が出ておる、いわゆる患者が進行するという実例がここに出ておるということになれば、現在皆さんが考えておる七十五人の人、そのほかに五百人の人たちが転換はしたいけれども、職場をかえたいけれども、給料が下って生活ができないために、五百人の人は初年度残っておる、そういう人たちはそのために病状が非常に進行するのだということが当然言い得ると思いますので、その点も研究を願っておきたいと思います。  どなたかないですか。――本案に対する質疑はこの程度にいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  104. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。   ―――――――――――――
  105. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、職業訓練法案を議題といたします。質疑を願います。
  106. 片岡文重

    ○片岡文重君 せんだっての委員会田中一君からだいぶ質問があってなにしたのですが、なるべくダブらないようにして質問したいと思いますけれども、時間がたって忘れておりますから、ダブるかもしれませんが、ダブるところはタブったと言って下さい、けっこうですから。一つお伺いしたいのですが、労働福祉事業団が発足をいたしましてすでに一年近くなっておるわけです。それで十分組織あるいは人的構成等も整備され、運営もほぼ軌道に乗ってきつつあるのではないかと思うのですが、この福祉事業団の運営の方法、またその人的構成といいますか、機構といいましょうか、何課があって、どういう方法で大体やっているのかという大体のことでけっこうですが、ちょっとお知らせをこの機会に願っておきたい。
  107. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 労働福祉事業団の現況の大要を申し上げますると、本部の職員の数が六十二名でございます。労災保険施設、これは御承知の労災病院でございますが、この職員が二千五百二十三名、失業保険施設関係の職員が四百四十六名でございます。それで、施設の数でございますが、労災病院の施設といたしましては、労災病院が十九、それから労災病院附属の准看護学院が二、傷痍者訓練所が二でございます。それから失業保険施設といたしましては、総合職業補導所で現実に動いております施設が十九、簡易宿泊所が十二でございます。なお、総合職業補導所につきましては、現在建設を急いでおるのがこのほかに十二あるわけでございます。それから事業団の資本でございますが、ただいまのところは、国よりの出資額が六十三億でございます。
  108. 片岡文重

    ○片岡文重君 事業のアウトラインはわかりましたが、福祉事業団の本部の構成といいますか、事業団のこれは理事長でしたかね、大体幹部といいますか、本部の構成はどうなっておるのですか。
  109. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 理事長のほかに理事が四名、監事二名それから部局といたしましては総務部、経理部、業務部、施設部それに特別事業部の五部で構成しております。
  110. 片岡文重

    ○片岡文重君 職員の数は大体どのくらいになるのですか。
  111. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 六十二名でございます。
  112. 片岡文重

    ○片岡文重君 私の聞くところでは、この労働福祉事業団の機構も、いわゆる理事長以下役員といいますか、幹部といいますか、そういう人の方が非常に多くて、実際に事務を取り扱い、仕事に携わっておる諸君の方が、つまり手足の方がむしろ少な過ぎるのではないか、頭でっかちになっておって、そのために運営が若干何といいますか、テンポをゆるめておるのではないかということもうわさされておるようですが、そういう点について労働大臣は何か聞いておられないかどうか。で、今の福祉事業団の構成なり、運営が所期した目的に従って大体円満に進んでおられるかどうか、特にこの職業訓練法が成立をいたしますれば、この事業福祉団も相当のやはり任務を負わされるものと考えなければならぬと思いますので、この点について特に大臣から御所見を伺っておきたいと思います。
  113. 石田博英

    国務大臣石田博英君) 理事の定員その他は、ほかのこの種の団体に比べると少いものと思っております。しかしながら、運営をやっております業務あるいは施設、そういうものは手薄を感じますので、特に今度のこの法律の通過とも関係がございますから、三十三年度からは若干増員する予定になっておるわけであります。
  114. 片岡文重

    ○片岡文重君 この法案で見ますと、総合職業訓練所から事業内訓練に対して、施設の貸与あるいは指導員の派遣、資料の提供等々の援助を行うことになっております。しかし、現在の訓練所の実態からいって、こういうことがすぐにできるのかどうか、もしこれが早急にできるような状態にあるならば、むしろこの一般職業訓練所なり、あるいは総合職業訓練所において今のように門戸を狭めないで、むしろ自分自身がもっと門戸を開放して多数の希望者を採用していくようにした方がいいのではないか、みずからが門を閉ざしてその事業内訓練所に手を伸ばす、こういうことは一考を要することではないかと思うのですが、この点いかがですか。
  115. 石田博英

    国務大臣石田博英君) 正直に申しまして、ただいまの能力で事業内の訓練所に、ここの法文に規定しておるような援助はできません。しかし、この法案の通過と相待ちまして、中央職業訓練所の拡充をはかって参りまして、将来そういう能力を付与せられた状態考えて立法しておるわけでございます。    〔委員長退席、理事山下義信君着席〕  それから今までの公共職業補導所、今度の公共職業訓練所、そういうものの門戸を広めていこうということは、できるだけ施設を拡充いたしまして、御要望に沿うように措置いたしたいと考えておるわけでありまして、今度も予算総額では、前年比約三割くらいの増額を見ておりまするので、相当程度対象をふやしていけるのではないかと思っておる次第であります。
  116. 片岡文重

    ○片岡文重君 御所見はわかりましたから、重ねてというのもどうかと思うのでありますけれども、この施設を利用したいというのは、高校にも行かれない、まあ義務教育を終えるのが精一ぱいの子供等が、特に農漁村の子弟に非常に多いわけです。これは労働省としても、十分実情を把握されておると思いますから、むしろ私はできるだけ早く、できるだけ広く門戸を開放して、学資のない、あるいは早く就職をしなければならぬような青少年の救済といいますか、職業訓練に積極的な意欲を示していただきたいということを重ねてお願いをしておくわけです。  その次にお伺いしたいのは、これはまあちょっとと今すぐにどうこうということにはならぬかもしれませんが、前回の委員会でもちょっとお尋ねしましたように、たとえば東京都内などを見ましても、訓練所における職員というのは、臨時とか、あるいは時間講師とかいうものが非常に多い。これはいろいろ経費の問題もありましょうが、何といっても、こういう施設は経済界の景気、不景気に左右されることも大きいでしょうし、従って、多数の職員を俸給をもってかかえておくということは、一体好況に恵まれて、こういう施設に入らなくてもどんどん義務教育を終え、あるいは高校卒業で就職できると、こういうようなことになってくると、こういうような公共施設というものは勢いさびれざるを得ない。そういう点、遠きおもんばかりをもって、現在人件費というものはなるべく拡大したり、固定的なものにしないような方針でやっているのではないかと思われる節がないではない。特に都道府県で行なっておるところの補導所には、こういう傾向が顕著に見えるようです。こういうことでは身の入ったことはできぬのですから、せっかくこの際本法案を提出されて、青少年の職業訓練に熱意ある意欲を示されるならば、この指導に当られる指導職員の諸君に対しても、そういう身分上の不安を与えないで、できる限り固定化して本職員として採用し、積極的にこの訓練に当らせるような方図を講ずべきではないかと思うが、この点についてはいかがですか。
  117. 石田博英

    国務大臣石田博英君) わが国の雇用と就業の関係、あるいは就業構造、産業構造から考えまして、職業訓練所の状態というものが、今おっしゃったように、好況のために応募者がうんと減ってカンコドリが鳴くというようなことは、当分考えられないと思うわけであります。むしろ私ども非常に心を痛めておりますのは、応募者が定員の三倍も四倍もありまして、それを収容できないというところに一番残念に思っております。それを何とかして増加させていきたい。もう一つは、勢いそういう状態でございますから、収容される人が、いわゆる年令の低い層が多い、しかし、実際就職といいますか、就業を希望する、あるいは必要とする人の中には、もっと年令層の高い人があるのですが、なかなか入りにくい、こういう状態でありますので、これはもう将来にわたって拡充の一途をたどるべきものだと思っております。  一方、指導員の問題につきましのは、仰せのように、現在決していい待遇ではありません。そればかりでなく、身分上の地位も不安定であります。従って、いよいよ技術者を必要とし、訓練を必要とするときになればなるほど、指導員がむしろ引き抜かれていくという状態で、指導員の不足が非常に中心的な問題の一つになっておるわけであります。従って、一方において指導員の養成に中央職業訓練所におきまして鋭意努力をいたしますとともに、その待遇及び身分上の安定についても確保をいたして参りたい、その目標は、指導員の質及び待遇ともに高等学校の教員程度にまで引き上げていきたい、こういうことを目標として努力をして参りたいと思っております。
  118. 片岡文重

    ○片岡文重君 十一条でしたか、この手当の問題について、前回山下委員からもお尋ねがあったようでありますが、あの際には、具体的にどの程度の手当を一般の訓練生に支給するかという明示がたしかなかったかと思いますが、前回のときには、一般の者に出す手当の上に身体障害者の分はそうするのだと、こういうお話でありました。身体障害者の手当については、従来と大体変りはないのだと、こういうお話でありましたが、それでは一般の身体障害者以外の訓練生に対する手当はどのくらいお考えになっておられるのか、また予算としてどの程度見込んでおられるのか、お尋ねしたいと思います。
  119. 石田博英

    国務大臣石田博英君) これはこの前にお答えを申し上げたのでありますが、身体障害者につきまして出します手当の性質は、その身体障害者であるということから通勤その他が困難でありまして、寄宿をしたりなにかしなければならぬ事情があります。そういうハンディキャップを埋めるという意味で五十円予算に計上いたしております。しかし、一般の人に対して出します手当の性質は、これは材料と申しますか、教材の購入費の補助とか、あるいは通勤費の補助、こういう意味を持っているわけであります。従って、その両者の性質には違いがございます。後者の、つまり一般の人に出す手当は、これは身体障害者にも及ぶべき性質の手当でございます。しかし、本法案を提出いたしますときは身体障害者だけを対象に考えておりましたのを、衆議院の修正によりまして、他に及ぶことになったわけでございまして、他の一般の人に及ぶべきものについては、本年度予算には計上いたしていないわけであります。これは明年度以降の問題になるわけであります。その金額はまだ決定はいたしておりませんけれども、ただいま申しましたような手当の性質の上から考えたいと、こう思っておる次第であります。
  120. 片岡文重

    ○片岡文重君 本法案提出後に衆議院において修正されたところであるからとおっしゃること、これはまさにおっしゃる通りですが、しかし、一応衆議院において修正せられたものでありますから、当院においてこれはそのまま可決をされるとすれば、当然これは予算措置を講じなければならぬはずだと思う。特に、この法律は六ヵ月以内に施行しなければならぬということに相なっておるわけです。従って、当然年内にこの法による手当の支給というものは開始されることと思うのですが、従っていつから支給するおつもりなのか、それから支給するとすれば――手当の性質については御説明よくわかりました。従って、どの程度のものをしからば見込むのか、いつごろから――いつごろからということは、この法律実施のときになされることですからそれはともかくとして、大よそのやはり見通しというものは、予算措置を講じなければならぬのですから、予備費から出すにしても何にしても、目安だけはおつけにならなければならぬと思うのですが、その点。
  121. 石田博英

    国務大臣石田博英君) これは、この法律の十一条二項に、「手当を支給することができる。」と、こうなっておりまして、それで、この法律からの当然の義務ということは生じないわけであります。しかしながら、身体障害者については、すでに予算措置が講じてあるわけでありまして、これが一般に及ぼす分については、三十四年度において考慮したい、こういう考えで目標に持っておるわけでございますが、しかし、これはできる限り予算折衝その他をやらなければなりませんが、これは現在修正された直後でありまして、直ちに本年度からということは、予算措置上はいたしていないということを御了承いただきたいと思います。
  122. 片岡文重

    ○片岡文重君 そうすると、これは、条文の上では支給することができるということで、しなければならないということではないから、とにかく本年度は支給はせぬ、来年度から考えよう、こういう御答弁のようですが、そう理解してよろしいですか、
  123. 石田博英

    国務大臣石田博英君) その通りでございます。
  124. 片岡文重

    ○片岡文重君 それでは、おそらく修正者の意見というか希望とは違うのじゃないかと思うのですが。
  125. 石田博英

    国務大臣石田博英君) そういう点も十分論議をいたしまして修正を願ったわけでございます。
  126. 片岡文重

    ○片岡文重君 現在市町村で行なっておる職業訓練の実態等については十分調査はされておられると思いますが、これは官房長からでけっこうですが、実態がもしおわかりなら、大ざっぱでけっこうです。
  127. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 現行法のもとにおきましては、公共職業訓練所は、国または都道府展の責任において実施する、こういうことになっております関係上、市町村で職業訓練、専門の職業訓練所を設置して実施している実例はございません。
  128. 片岡文重

    ○片岡文重君 その設置しておる現在の訓練所の実態等については、労働者としてはあまり調査されたことがないのですか。
  129. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) ただいまお答え申しあげましたように、都道府県が責任をもって実施いたします建前になっておりますので、市町村が専門の職業訓練所を設けている実例ではございません。
  130. 片岡文重

    ○片岡文重君 学校教育との重複を避け、かつ密接に行わなければならぬということがこの法案にはあるのですが、また、このために学校教育法の一部改正も行われるという予定のようでありましたが、聞くところによると、学校教育法の一部改正は、本法案関係する部分ではないが、ほかの問題から、今国会における成立ははなはだ見通しが暗いように聞いておるのですが、もしそうなりますと、学校教育法の一部改正ができませんと、せっかくここで勤労青少年のために設けられたこの条文は死文にひとしくなり、空文になるおそれがあるのですが、この場合、この学校教育法の一部改正が行われずに、具体的に申し上げれば、定時制高校生がこの職業訓練所に通っておるというような場合の単位等の措置をどういうふうに救済をされるおつもりになるのか、どういうふうに善処されるか、御所見のほどを伺っておきたいと思います。
  131. 石田博英

    国務大臣石田博英君) まだ日にちもあることでございますから、成立を望むのであります。望むのでございますが、万一不成立等の場合がございましても、文部省では引き続き特別国会に再提出する態度を明らかにしておるわけでございます。それからその法律によって救済せられる事実上の措置を必要とする時期は、先般もお答えを申し上げたのでありますが、かなりあとになりますので、これは事実上の措置としては救済されるものと考えておるわけでございます。
  132. 片岡文重

    ○片岡文重君 かなりあとになりますけれども、しかし、この法案が成立すれば六ヵ月以内に実施しなければならないし、どっちにしても年内にはやらなければならぬということですから、やはり年内に実施できるような措置を講じていただきませんと、現に在所中の者、並びにこれから入る者にとっての不安も解消しなければならぬので、お急ぎいただきたいと思うのですが、今問題になっておるのは定時制高校の諸君だけということになっておるのですけれども、通信教育によって勉強をしておられる青少年諸君の救済はどういうことになりましょうか。
  133. 石田博英

    国務大臣石田博英君) これは私からお答えを申し上げる筋ではないかとも思いますけれども、文部省としては、将来の問題として善処をしたいということを先般の委員会においても明言をせられておりまするし、労働省としても、そういう措置をとっていただきたいと存じております。それから学校教育法の一部改正は、六カ月ございますとこれは間に合うものというこで、一応私どもは確信をいたしております。しかし、万一そうでない場合においても、という意味において申し上げたのでございます、先ほどの御答弁は。
  134. 片岡文重

    ○片岡文重君 従来、労働組合で行なっておりまする職業訓練所に対しまして、政府は特別の補助はしておらなかったというようにたしか御答弁になったと思うのですが、将来職業訓練所を持つような労働組合というものは、そうふえていくことでもないですし、特に公共職業訓練所なるものが充実もし、門戸を開放して――開放というよりもむしろ広げていけば、ますますそういう点につては――そういう点というのは、労働組合等が職業訓練所を持つようなことはあるまいと思う。ただしかし、たとえば、今土建総連のやっておるような訓練所のごとき、これは全く特殊なものであり、特に零細な諸君が出し合ってやっておるような事業ですから、こういうことについては、やはり政府としてできる限りの援助はしてもよろしいのではないか、こう思うのですが、その点について御所見はいかがでしょう。
  135. 石田博英

    国務大臣石田博英君) 具体的に土建総連のやっております職業訓練でございますが、これは労働組合がやっておるという建前で補助はいたしておりませんです。しかしながら、企業の連合体がやっておる、今までの基準法による企業内の技能者養成という建前でやっておるという解釈のもとにこれについては補助をいたしておるわけでございます。従って、本法案についても同様措置をとって参るつもりでございます。
  136. 山下義信

    理事(山下義信君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  137. 山下義信

    理事(山下義信君) 速記を起して。
  138. 片岡文重

    ○片岡文重君 条文ははっきりしませんがね。この修正をされた十二条を見ますると、労働省令の定めるところによって労働大臣の認可を受けたときは、市町村やあるいは法人である労働組合その他の営利を目的としない法人が行うところの職業訓練所において職業訓練を受けた場合は、これは公共職業訓練とみなすと、こういうことになっております。ところが、訓練を受けることについては公共職業訓練とみなすけれども、その市町村等の行う職業訓練所については、これは公共職業訓練所とはみなさない。従って、補助も与えない。こういう建前にこの法律ではなると私は理解するのですが、この点はどうなんでしょう。
  139. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) この第十二条は、衆議院の修正で入りました条文でございますが、先生の御指摘の通りでございまして、市町村、それから民法第三十四条の規定による法人、それから法人である労働組合、このようなものが職業訓練を行う場合においてはこの法律の適用については公共職業訓練とみなすということでございまして、つまり、国または都道府県に準じた公共性を認めようというのが第十二条の第一項の精神ではないかと思うのでございます。それで、経費の補助の点につきましては、この条文については何らの修正もなされておりませんので、この十二条第二項の該当するものにつきましては国からあるいは都道府県からの補助金は出されない。こういうふうになるかと思います。
  140. 片岡文重

    ○片岡文重君 これは衆議院で修正をされてきたのですから、労働省としては関知せずということにもなりましょうし、やむを得ないのだということにもなろうかと思いますが、しかし、この新しく加えられた十二条によって、その訓練生の訓練を公共職業訓練とみなすということになるならば、その施設に対する補助はやはり同町に考えらるべきであって、製品だけが認定をされて、その施設が認定をされない。こういうことでは私は逆だろうと思う。施設は認定されるけれども、そこの製品は認定しがたいということであるならまた理屈のつけようもあると思うのでありますが、製品は認定するけれども、施設はいかんぞということではおかしいと思うですが、これは何らか行政措置等によってこの不備な点を労働省としては補うような方法はできんものでしょうか。
  141. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) この第十二条で規定されました市町村とか、あるいは法人であり労働組合等が公共的な目的をもって職業訓練を行うということ自体はもとより望ましいことでございますので、私どもといたしましては、こういう施設に対しましてもできるだけ経費の面でもめんどうを見ていくということは、私どもも念願しておるところでございます。しかしながら、何分予算を伴う問題でございますので、特にこの第十二条は政府提案には入っておらない条項であったのでございまして、これは将来の問題として善処して参りたい、こういうふうに考えております。
  142. 片岡文重

    ○片岡文重君 将来の問題として善処して下さる御意思があるようですから、それは一つ大いに善処していただくことに御期待を申し上げます。  それから、職業訓練審議会の構成について二、三お伺いしたいのですが、これも原案に衆議院において相当手が加えられたようでございます。そうして、学識経験のある者及び関係行政機関の職員のうちから、労働大臣が任命するところの委員だけであったものを、「関係労働者を代表する者、関係事業主を代表する者」そうして「学識経験のある者」この三者構成にとどめられておったならば、別にお尋ねをする要もなかったのですが、さらに特別委員というものを置くことに修正がされておるようであります。これも衆議院で直したのだからということであれば、また何をか言わんやというところですが、この特別委員は、関係行政機関の職員のうちから、労働大臣が任命することになっております。「関係行政機関の職員」ということであれば、この審議会には関係のある限り当然これは、出席を義務づけられなくとも出席をして諮問をする事項について意見を述べ、関係委員の質問に答えることは、この条文によって義務づけられなくとも私は当然なし得ることであるから、またすべきことであるから、むしろこの審議会の正委員として加えることは好ましくない。たとえ議決に加わることができなくとも、この審議会に加わることは私は好ましくないと思うのであります。特にこの審議会が諮問に応ずることがやはり第一義の仕事でしょうから、場合によれば自分の作った案を自分に諮問するという結果にも特別委員の立場からすればなりかねないわけです。従って、これを政府としてはむしろ辞退をすべきではないかと私は思うのです。  それからいま一つは、機関性格もありますけれども、この職業訓練法案の原案作成に当って、聞くところによれば、各省間において必ずしも終始意見の相違なしにスムーズにこの原案がまとまったとは聞いておらない。やはり各省問にいろいろな意見の相違があって、ようやくここまできたのだということも、真偽のほどはわかりません。真意のほどはわかりませんが、漏れ承わっております。そういう情勢ですから、かりにこの審議会を持って特別委員として参加させるというようなことになって、各省から関係委員が同時出席をされて、この審議会で激論を戦わすということになれば、むしろ審議をはばむようなことがあっても、そう利益になることばかりはないのではないかというようなことも考えられます。この点政府としてはどういうおつもりでこれを受け入れられたのか、御意見を伺いたい。
  143. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) この関係行政機関の職員を特別委員に入れるかどうかという点につきましては、種々御意見がございまして、折衝の問題点になったようでございます。ただ、私どもは原案におきましても、関係行政機関の職員は、その代表としてこの審議会に入ってもらうことが望ましいというふうに考えておったのでございまして、たとえばILOから職業訓練に関する勧告が出ておるわけでございますが、その勧告の中にも第十四項でございますか、この職業訓練審議会の構成については権限のある行政機関というものを劈頭に書いてございます。それでございますから、諸外国の例を見ても、職業訓練の審議会には権限のある関係行政機関の代表が入るということがやはり望ましいとされておるのでございまして、それからわが国の行政通常の実情から申しましても、特に職業訓練のように文部省あるいは通産省という省との間には、非常に密接不可分の関係がございまして、これらの省との円滑な協力がなければ、職業訓練が総合的に進行していくということはとうてい期待できない実情でございます。そういう意味から申しましても、私どもは関係行政機関代表者がこの審議会の中に入って、十分御意見を吐いていただくということが望ましい、こういうふうに考えておるのでございます。
  144. 片岡文重

    ○片岡文重君 御所見は一応ごもっとものようですがね。    〔理事山下義信君退席、委員長着席〕 この審議会において関係行政機関に建議をするような場合のみであるならば、これはおっしゃるようなことも言えないことはないと思うのです。ところが、この審議会は建議をすることよりも、労働大臣の諮問に応じてこの職業訓練計画なり、職業訓練の基準その他職業訓練及び技能検定に関する重要事項を調査審議し、ということになっております。おそらくこれが主であって、みずから発動して建議するというようなことは、おそらく異例のことに属すると思うのです。そうそうないはすだと思うのです。ということになると、この関係行政機関の職員というのは労働省ばかりではなくて、おそらくほかの文部省なり厚生省なりあるいは通産省も入るかもしれぬが、とにかく範囲が広くなってくるでしょうから、全員が全員全部一度にその審議会に参加するということもないでしょうし、またおそらく実際運営をするに当っては、小委員会等も設けられるでしょうから、全部が全部集まって一つの事項で激論をするというようなことは、実際問題としてはあるいはないのかもしれないけれども、しかしそれらの問題を決定するに当っては、総会等によって決定するに違いないのですから、そういう場合に、自分が諮問をしておいた問題に自分が先頭に立って顔を赤くして議論をするというようなことは私はおかしいと思うのですね。これに、議決に加わらないからということで、その点はのがれられるかもしれぬが、少くともその問題に対する説明なり、求められた意見の開陳については私はすべきだと思うけれども、これは関係行政機関の職員として当然なすべきことであって、また審議会が必要ならばこれを招致することができると思うのです。もしできないというのならば、この政令等でこまかい問題は定めるのでしょうから、そこで十分これをうたっておいたらいいと思う。そういうことにすれば、わざわざこの関係行政機関の職員というものをこの審議会の特別委員にすることはむしろ害はあってもさしたる益はないのじゃないかと思うのです。それで、衆議院で修正はされておりますけれども、政府意見としては私はむしろこれは政府みずからの立場からいって、関係行政機関の立場からいって、むしろ参加をしない方が自由な立場においてものが言えるのではないかと思うのですが、重ねて御意見を伺いたい。
  145. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 中央職業訓練審議会に諮問するのは労働大臣でございまして、この審議会としてはおそらく労働大臣の諮問を受けてその答申に当るということが職責の主たることになろうかと思います。従いまして労働省の私どもは、これは労働大臣の部下でございますから当然この審議会と一緒になっていろいろな問題を検討するわけでございますから、労働省の職員が審議会に参加するかどうかということは実質的に大した意味は持たないと思います。ただ私どもがここで考えておりますのは、先ほども申し上げましたように、この行政を推進していくために密接不可分の行政官庁、たとえば文部省あるいは通産省あるいは厚生省といったような行政機関の密接な協力がなければ円滑な職業訓練行政というものは動いていかない。そういう意味において先生も御指摘のように、実際問題として関係の職員を、この審議会に来てもらって意見を聞けばいいではないかという御説もございますけれども、私はただいま申し上げましたような実情からいいまして、むしろ正式な委員として参画して、これで、忌憚のない意見をそこで述べていただくということが、この行政を積極的に伸ばすためにむしろ有益ではないかというふうに考えておる次第でございます。
  146. 片岡文重

    ○片岡文重君 この問題については御説明の点はどうも私には了解できませんけれども、あとは議論になりますから御意見として承わっておきます。  これはちょっと質問がこの前あったかと思うのですが、各種学校に通学しておる生徒、こういう子供たちが訓練所に入ったというような場合に、重複する科目、たとえばその単位も、正規の単位があるというような場合には、この定時制高校と同じように考えられるかどうか。この各種学校の場合はどういうふうにお考えになっておられますか。
  147. 澁谷直藏

    政府委員(澁谷直藏君) 各種学校は御承知のように、学校教育法の規定によりまして、学校教育とは別個の体系に属しておるわけでございます。従ってこの各種学校を卒業しても特別の資格というものも与えられない。それに関連してか、文部省のこれに対するコントロールも比較的ゆるいようにできておるように考えております。従いまして私どもはこの職業訓練との提携の問題、あるいは重複排除の問題を考えるに当りまして、学校教育法による正式な学校教育との関連なりその二重負担の排除の問題は文部省としばしば話し合ったのでございますが、各種学校につきましてはそういう問題は起きないのではないかというふうに考えまして、この本法案からは排除しております。
  148. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 他に御発言もございませんようですから、質疑は尽きたものと認めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  149. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。  御意見のおありの方は、賛否を明らかにしてお述べを願います。  なお、修正意見等おありの方は、討論中にお述べを願います。
  150. 片岡文重

    ○片岡文重君 私は、日本社会党を代表いたしまして、本法案賛成をいたします。  ただし、この法案につきまして拝見をいたしますと、青少年勤労者の就職のために、将来有効な職業訓練を施すために政府が積極的な意欲を持ってこれに当ろうとされることは、上分察知できるのですが、さらにせっかくこういうところに関心を持たれたのですから、一そう積極的に御配慮いただいて、設備の拡充、特に指導職員の待遇の改善、施設の充実等にも力を入れて、せっかくこの施設を利用せんとする青少年諸君が施設の狭隘なために利用できないというようなことのないように可及的すみやかにこの施設の拡充をはかっていただきたいということ。それから事業内訓練等における援助にいたしましても、現行の公共職業訓練の施設、陣容等においては、はなはだ困難であり、法文にうたうだけではその実は上りませんから、これもまた名実ともに本法が有効に実施されるように御配慮をいただきたいと思うのであります。特に青少年勤労者にとって痛手となることは、このような施設を利用しようとする諸君の大多数が義務教育もようようにして終るというような諸君が多いのでありまして、しかも向学の志厚い子供たちが多く、かつまた狭きこの門を排除して入ってくるほどの力を持っておるんですから、当然訓練を受けつつ定時制高校あるいは通信教育等によって、将来のために進学を準備するということも考えられるところでありますから、労働省の所管ではないと言いながら、政府のもとにあって連絡を密にし、十分に意思の疎通をはかるならば、これら青少年の救済は当然私はなし得るものと考えまするので、学校教育法の改正等、所要の手続を早急になされるように特にお願いを申し上げる次第であります。  それで、賛成の討論を終るに当りまして、一つ二つ希望を申し上げたいのは、市町村等の行う施設等についての国の補助等については、なお積極的にやっていただきたいということ、それから、先ほど申し上げました、青少年の勤労しつつ学ぶというこのけなげな志を十分生かすことのできるように御配慮をいただきたいということを、特につけ加えておきたいと思うのであります。  この際、私は付帯決議を本法案の成立に当ってつけていただくようにお願いをいたしたいのであります。で、付帯決議の案を一応読み上げてみます。    付帯決議案   職業訓練の振興を図るためには、学校教育との重複を避けるとともに、密接な関連のもとに行うことが肝要である。特に職業訓練をうける青少年勤労者の学校教育との二重負担を軽減することが必要である。   よって政府は速かに過切な措置を講ずべきである。   右決議する。  以上であります。委員長において適宜お取り計らいをお願いいたします。
  151. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 他に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  152. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより職業訓練法案について採決いたします。本案を原案通り可決することに賛成の方は、挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  153. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 全会一致でございます。よって本案は、全会一致をもって、原案通り可決すべきものと決定いたしました。  次に、討論中に述べられました、片岡君提出の付帯決議案を議題といたします。片岡君提出の付帯決議案を本委員会の決議とすることに賛成の方は、挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  154. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 全会一致と認めます。よって、片岡君提出の付帯決議案は、全会一致をもって、本委員会の決議とすることに決定いたしました。  なお、本会議における口頭報告の内容議長に提出する報告書の作成、その他の手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  155. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それから、報告書には多数意見者の署名を付することになっておりますから、本案を可とされた方は、順次、御署名を願います。   多数意見者署名     木島 虎藏  山下 義信     勝俣  稔  山本 經勝     谷口弥三郎  片岡 文重     有馬 英二  藤田藤太郎     寺本 広作  松澤 靖介     斎藤  昇  塩見 俊二     植竹 春彦
  156. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 本日は、これをもって散会いたします。    午後四時五十八分散会