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参考人(岡十万男君) 私、岡でございます。重複を避けまして、私は、別な角度から今度の
協会法案を客観的にながめてみたいと思います。
言うまでもありませんけれども、近代的な社会あるいは国家で、
労使関係がその中心的問題だと
考えますが、その間には、むろん法的な体系も社会的な機能もいろいろ変化があり、歴史的に見ますと、かなり大きな推移というものが
考えられると思うのです。そういう
意味で、社会的に、あるいは歴史的にこの問題を見てみたい、こういうふうに
考えておるわけです。
今度の
労働協会法案の作成される前に、自民党の方では、たとえば戦前の協調会のような、そういう
教育機関が要るということを述べられているそうですが、確かに、そういう
意味で、歴史的に
日本の
労使関係を回顧してみますと、協調会の運動と今度の
労働協会法案をめぐる一連の
動きというものの中には、かなり共通したものがあるように思います。むろん、歴史は同じことを二度と繰り返すわけはないのですが、同時に、地方的にいえば、かなり同じような局面も出てくると思うのです。そういう
意味から、この問題をながめる前に、協調運動の成立とその変化、その客観的な役割といったようなものについて、今度の
協会法案とそれを生み出してくる情勢との間の関連を探ってみたいと思うわけです。
御存じの
通りに、協調会が結成されたのは大正八年の末ごろですが、その当時の情勢は、第一次
世界大戦の直後で、
日本の資本主義も、戦争中非常に発展しまして、経済的にも、近代的な姿で発展しまして、最近神武景気という言葉がありますが、その当時も、成金景気といった
時代が続いて、それが直ちに戦後恐慌に陥っていく。こういう過程で、国際的にはロシア革命が行われる、国内的には米騒動が起る。
労働運動も非常に先鋭な形で登場してくるというような
時代だったと思うのです。こういう資本主義の発達とその矛盾の中で、
労働問題の達成を何らかの形で受けとめる、こういう
意味で、いわゆる社会政策の問題が大きく取り上げられまして、
労使関係の新しい理念として、いわゆる協調主義が登場してきたわけです。協調会の当初
発表された宣言によれば、協調主義の精神は、階級闘争を否認すると同時に、階級の調和、融合をはからんとするにある、こういうようなふれ込みになっておりますが、むろん、この当時の情勢と今日とは、相当大きな変化があるわけです。ただ、
世界的な情勢その他を
考えましても、アメリカのブロックとソ連のブロックとの対抗
関係の中で、
日本の政治が両岸といわれるような動揺を繰り返しておる。特に、
労働協会法案の出る直接的な
一つの理由とされておる昨年の総評を中心にする春季闘争、これが相当強くて、その収拾には
労使双方困難しましたが、その中で、こういう
労働組合運動の台頭といったようなものを何とかして回避するという
意味、特に総評が日刊新聞を出すといったようなことで、これに対する対抗というような
関係から
協会法案が
考えられた。こういうような話も伝わっておりますが、そういうふうな
一つの大きな内外の政治、経済情勢というものを背景にしてこれが登場してくる。こういう点は、私はやはりある程度の共通性を持っておると思うのです。最近においても、神武景気から不況局面へ、こういう時期のもとに
協会法案がやはり選ばれておるということに注目しておきたいと思うわけです。むろん、戦前における協調主義、こういう言葉は、最近ではあまり使われておりませんが、そのかわりに、たとえば公共の福祉、第二者的、こういうふうな表現で、実質的には協調主義と目していいような
考えが現に行われておる。この
協会法案にも、理念上の問題は、文字としてあまり強くうたわれておりませんが、実質的には、明らかにそういう
考えが貫かれておる。
政府の出す原案ですから、当然そういうふうな
性格を持っておるものだと
考えます。戦前の協調主義運動の具体的な
一つの表現は、たとえば、協調会の
発表した
労働組合法、正確には
労働委員会法と呼ばれておりますが、こういうふうなものは、戦後の
日本の
労働組合が、いろいろの組織的な弱点を持ちながらも、いわゆる企業内の組織として、そういう連合体としての
労働運動という形になっておりますが、そういうものの中にも、すでに戦前の協調運動の理念が組織問題としても
労働運動の中に影響を残している。こういう事実から
考えても、この問題は、協調主義運動の影響というものが、それが決して過去の一時期のものでなくして、戦後にも深い連関を持っておる。こういう面もあわせて注目したいと思うわけです。協調運動の、協調会の仕事の
事業内容は、知られている
通りに、
調査研究や政策立案の問題、そういうものも
出発点になっておりますが、この点は、今度の
協会法案に盛られているものとやや同じであります。そして第二に、
教育、宣伝、あるいは講座、講演会の開催、こういう部分、あるいは一部学校の開催、この部分が、ちょうど戦後の今日われわれが直面している
労働協会法案の
内容とするところとマッチしております。そのほか産業能率の
研究、これはおそらく、今では生産性本部の仕事とダブるでしょう。そのほかあっせん調停、この問題は、今日の
労働委員会の仕事に引き継がれておると思いますが、総じて戦前の協調主義運動の中で
考えられていたことが、全体としては、今日の
労働省の担当しておる仕事の中に相当大きな影響を持っている。そういうつながりの中でわれわれは
労働協会法案をながめなければならない、こういうように
考えるわけです。たとえば、戦前のような学校の開催等の問題は、今日で言えば、職業訓練法の問題に当るでしようし、まあこういうような主体の構造から見れば、非常に似通ったところがありますが、さらに財政と協調会の組織形体、この問題についても、かなり似通った点があると思います。当初協調会の発足に当っては、当時のお金で二百万円
政府が負担しております。予算によれば、さらに二百万円を民間の
事業会社が負担し、合せて四百万円で年間の運営を行うものであります。これはフアンドでありまして、それによる利子によって運営を行う。この点は、
協会法案の財政措置とはなはだしく似ておるわけてす。ただ、民間の基金を集めるということは、今度の
協会法案の
条文にはないけれども、大臣のお話によれば、寄付を仰ぐというようなことを言われるそうですが、こういう点からいえば、今日の生産性本部の財政的な運営と、今度の
協会法案の運営とは、やはり戦前の協調運動のタイプをそのまま引き継いでいる、こういうふうに見てよいと思うわけです。しかも、協調会ができましたのは、財界では渋沢栄一氏が音頭取りですが、当時の原内閣、これは最初のいわゆる政党内閣、リベラルな内閣というふうに歴史的にはいわれておりますが、しかもこの内閣は、普通選挙を拒否した内閣でありますし、内務大臣である床次竹二郎氏は、古い方は御存じの
通り、浪花節大臣といわれるような、義理人情の社会を愛した人ですが、この人が、一方では国粋会というような、その後
労働運動で直接流血の惨を加えた
暴力団を結成し育成した大臣であるし、しかも、この人自身が、一方には原内閣の内務大臣として、熱心にこの協調会の結成と運動を進め、金を出す、こういう
関係があると思う。つまり、時の内閣の政策は、一方では協調遺勅を進め、一方では
暴力団を育成する。むろん、
労働組合法等の叫びはその当時あったわけですが、ついに
政府は最後まで、取締り法だけは
国会を通しましたけれども、その前に出ておるいわゆる
組合法、これも、実質は戦後の
組合法と比べることもできないほどひどい
組合法でありますが、そういうものさえも否決して、ついに戦争前には
労働組合の成立を見なかったわけです。この内閣というものは、今の内閣とはむろん違いますが、常に一方には極端な乱雄な弾圧政治を行いながら、一方では協調運動といったものをあわせて行う、そういう二面性を持っておるのが、少くとも
労働組合の立場からみれば、そういう二面性がいつも加えられておる。こういう点については、今度の場合にも、むろん、その角度や強さや、
内容にも形にも変化はありますけれども、そういう
関係が作用しておるということについては、やはり無視することはできない、こういうふうに
考えるわけです。
協調運動の発足は、
日本の
労働者の自覚的な運動がまだきわめて低い水準にあった、そういう時期に、たとえばセツルメントの運動とか、客観的な
調査とか、すぐれたりっぱな仕事が残されたように私も
考えております。おそらくそういう仕事は、今日
労働省の仕事に限らず、戦後の
日本にある程度の影響を残すいい仕事をした、こういうふうに
考えますけれども、しかし、そういう進歩性や、公正な、よい部分というものが協調運動では踏み台になって、今言ったような、時の
政府の弾圧と融和の一面的政策の中の足場にされていたんではなかろうか。こういうことは、特に協調運動が戦争段階に入って産業報
国会の運動に転換していくという課程を歴史的にわれわれが
考えると、こういう二面的
性格の中に進歩性が部分的にあっても、その部分性のゆえに、進歩的だからといって、全体として、協調主義運動、こういうようなものを歓迎するわけにいかないように
考えるわけです。むろん、協調運動は、
労使の間における協調のみならず、広く社会に訴えていく、国の財政的な援助、あるいは内務省社会局の援助のもとに
国民運動を展開していく、こういうふうな形で、この問題は、ただいまの
協会法案においても、ほぼ同じようなねらいが出ていると思うんです。社会的に協調速効の示した機能は、そういう点に特にある程度の影響を残しておると思いますが、直接的に今日問題にした方がいいと
考えられることは、この協調主義運動が、
労働運動の全面的な正常な形での発展というものをチェックした作用が大きかった。その二つは、協調運動であるがゆえに、
労働組合運動の中における協調的思想、協調的組織というものがおのずからブロックを形成し、そうしてこのブロックを形成することによって、他の部分との間に対抗
関係を激化させる、こういうことです。現在の
労働大臣の政策でもしばしば、最賃法について、総評と全労との
見解の食い違いの中に、全労の案を採用するかのような口ぶりが漏らされておりますが、こういうことは、善意をもってなされても、客観的には、全体としての
労働運動に対して分裂の作用を持つわけです。こういう分裂政策、言いかえれば、直接と間接とを問わず、
干渉の政策というものが協調運動の
一つの特徴であったということは、歴史的事実として解明したいと思うのです。
むろん、協調運動のほかに、さっき言いましたように、一方には抑圧の、直接的な抑圧の政策があったわけですから、この
組合運動の中における協調運動の浸透、こういうこと、あるいは、その思想を社会的に広めることによって、
労働運動の孤立化とか、あるいは内的分裂、全体としての抑圧、こういうふうな
関係を、戦前の
日本の
労働運動には、
政府が協調会を使うことによってそういう体形を押し進めた。しかもその後、
一般的にわれわれが
考えておる協調運動の段階から満州事変以降におけるいわゆる産業平和運動、それから支那事変の段階、大東亜戦争の段階、こういう段階の進むにつれて、協調会自体の中から、従来の協調主義運動を脱皮して、別個の、つまり戦争に協力する、当時の軍部、官僚、そういう部分に協力するような新しい
動きが台頭してきたと思うのです。直接的には、時局対策
委員会が協調会にできて、従来民間を中心にして行われた運動に官僚が、また軍部が直接関与していったと思うのです。そういう中で、
労働運動の中にも愛国
労働運動が発生し、そうしてこれが、産業報
国会の運動に協調会が乗り出してくるにつれて、続々と、分断された
労働運動の左から左からつぶされて、最後には、最も穏健で協力的であった総同盟さえも、
労働組合としての組織の存立を許されないという状況に陥って、むろん、総同盟のほかのすべての
労働組合はことごとく否定されるという事態に陥ったと思うのです。この問題は、ナチ・ドイツや、ファシズム・イタリアの行き方と同じような、また、事実ナチズムを学んできて、協調会がそういうふうな弊害を行いました。むろん、
日本的な思想も背景にあったと思いますが、いずれにしてもそういう形で、協調運動というものは、歴史的に見れば、戦争期には、その当初の穏やかなふれこみから戦争協力の大きな部隊、
労働者の大部分や、あるいは
組合の指導者を協調運動に巻き込むことによって、これをちょうどエスカレーターに乗せて戦争の終局点に持っていくような、そういう客観的な役割を果したということが今日では冷静に批判されなければ、戦後の
労働運動や、戦後の
労使関係を正しくとらえることは私はできないと思います。今日の段階では、やはり
世界の鋭い対立なり、
日本の運命なり、しかも、
日本の中でも、
労使関係が客観的にいえば鋭い形で続いている、
労働組合の
一つの争議、そういうふうな問題だけでなしに、やはり資本もなかなか強く、
労働も頑強に
ストライキを継続している、こういうふうな事態というものを見るにも、そういう歴史的過程というもの、その影響というものを無視することはできないように思うわけです。必ずしも
イギリスやアメリカを引き合いに出すわけではありませんが、少くとも今度の第二次
世界大戦において勝利した国々では、
日本のように、ドイツのように、
労働組合を全く否定して、挙国一致の体制を作った国に比べて、それぞれの国では、
イギリスやアメリカでは、戦争中といえども
ストライキが行われている、こういう国柄だった。
労使関係というものはそういう姿を持っておったと思うのです。にもかかわらず、そういう国の方が勝利したということは、今後の歴史
関係を、
労使の歴史
関係を見るのにも、
一つのよりどころとして反省の材料になるかと思うわけです。直接今度の
労働協会法案に限らず、最近の
動きは、全体として、
協会法案に盛られているような思想や
考え方が共通しておりますが、この
法案だけについて言えば、ごく大ざっぱに、個々の
条文その他について申し上げる時間はありませんが、その第一は、この
協会法案の中に規定されている
通りに、「経済基盤強化のための資金」というふうになっております。「経済基盤の強化」ということは、言葉としては何でもないようですが、実際的には、現在の
日本の現況の中では、資本主義の強化という要素の方がはるかに強く出る可能性があると思うのです。そういう
意味から、国のお金で、しかも、資本の側により傾いた形で金が使われる、こういうことは、やはり正当とは言えないと思います。
労働者の
教育の問題は、これは、戦後の
一般的通念としても、
世界の
労使関係における通念としても、現実に自主的なものとして理解される、こういうものとして社会的にも受け取られていく、これは当りまえのことで、ことさら論議する必要もないと思いますが、こういう
自主性に対して、
協会法案はむしろむだな存在だ、自主的な
労働者自身の
教育というようなものを破壊する危険性さえ濃厚にあると思います。
憲法によれば、
団結権の規定は枢要なその
内容をなしておりますが、当然
労働者のみずからの
教育は、
団結権の思想と同じ
考え方で理解されてしかるべきものだ。役所あるいは役所の一種の外郭的組織によってそういうふうなことが行われるのは、本来の
教育のあり方として正しくないように思うわけです。
人事における
労働大臣の任命権や監督権の問題についても、これもすでに衆議院その他で論議されており、あるいはこれの改善方法として、たとえば、三者構成による推薦
機関とか、いろいろのことが
考えられると思いますが、そういうふうな今日までに出されておる
協会法案に対する修正的な
意見、批判、こういうようなものが、私は相当あらためて考慮されていいと思いますが、そのことは、修正だけでこの
協会法案がよくなる、こういうふうな筋道にはないように私は思っているわけです。というのは、今申しあげた
通りに、歴史的な経過から、また、今日の
労使関係の実態から、あるいは今日及び今後における社会情勢の中での
日本の生きていく姿を作っていく、こういう面からも、こういう
協会法案は、基本的には、私は間違った者え方の上に組まれている、そういうふうに
考えられるからです。もし、そういうふうな、私どもが大まかに、しかも基本的な、
日本の運命とともに
考えなければならぬほどの意義をこの
協会法案の背景に認めている、こういう立場からすれば、ここ数日の
国会の
審議の中で、しゃにむにこういう
法案を通さなければならぬと……
国民の直接的な生活に結びつく
法案でない、こういう
法案であるので、できることなら、そういう歴史的な問題や将来的な問題をわれわれ
考えて、慎重に、今日まで出ている修正案や批判を取り入れて、率直に
考え直してみる、こういうふうなことを期待したいと私は
考えるわけです。言われているような部分的なよさというものは、この
協会法案の中にもあるだろうと私は思います。生かしておきたいと思う部分もあると思いますが、すべて言葉の上からいえば、あるいはこの
法律の案件にしても、悪いことばかり書いている
法律なんてあろうはずはないので、部分的には必ずいいことがあるけれども、部分的にいいからといって、全体となる基本的な間違いを許すということはできないと思う。
そういう点で、私は、この
法案については
反対意見を申し述べて、種々現実の条件の中では問題もあろうと思いますが、そういうものは他の方法によって
解決していくように
考えられてしかるべきではないか、こういうふうに
考えているわけです。終ります。