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参考人(
三城晃雄君) 先ほど
政府代表飼手
審議官からお話がありましたので、大体において簡にして要を尽しておると思うのであります。大してそうつけ加えることもありませんが、第一番の
ILOの
活動状況につきましては、私からちょっとつけ加えさしていただきますならば、一九一九年に
ILOが創設されて以来、大体において
ILOは、国際的立法と申しますか、あるいは
国内立法の基礎となるところの
条約を作るということが主体であったというふうに
了解いたしております。第二次大戦後も、フィラデルフィア宣言以来、必ずしも規則あるいは
基準をきめるということでなくて、この
基準あるいは規則というものを実行し得るような
世界の経済状態を向上させるということに
ILOがもう少し着目しなければならぬという方向に動いていると私は
了解いたしております。御
承知の、フィラデルフィア宣言をした中に、いろいろ
ILOの基本的な問題を掲げてありますが、その後に、すべてこれらの基本的な問題というものは、あるいは
基準と申しますか、これは、各国の経済状態に応じて、あるいは社会的発展の
度合いに応じて、しかるべき順を追って実現されるべきものであるということをつけ加えてあります。そういう
関係で、最近
ILOの
活動というものは、ただいたずらに
基準を設けるということでなくて、各国のいろいろの、経済あるいは
技術、そういう
方面の向上に力を貸す、先ほど
政府代表からも述べられたように、
技術援助という
方面に努力を払うという方向に進んでおるように
了解しております。それからまた、私
どもの
関係しております
理事会あるいは
総会においての各国
代表の
発言にいたしましても、いたずらに書類を積み上げることよりは、いかにしてこれを徹底するかという、基本的なことを
考えなければならぬということが力説されております。
それからいま
一つ、第二の
ILO加盟国の
責任及び
任務に
関連しますが、
ILOというものをあたかも何か国家
機関であるかのごとく誤解をしている面がありますが、そういうものではなくて、これは、国家間の合意に基いた
一つの
国際機関であります。その
構成員が自由にしてかつ独立した
立場から
意見を出し、そうして総合された方向に持っていくということであります。従いまして、
ILOというものは、あたかも
日本政府の主権を制約し、あるいは
日本政府を支配するというようなお
考えを持っておられる筋がありましたら、それは誤まりであると私は思うのであります。よく、何でも問題を
ILOに持っていけば、あたかも最高裁判所が判定するがごとく、それが非常に権威を持ってわが国に押しつけられるというような誤解があるかもわからないと思います。これは、あまりに
ILOに期待するところが大きいと思います。
それから、三番目の
ILO加盟諸国の国際
労働条約批准の状況並びに
勧告、
決議の
実施状況、こういう問題について、
政府代表のお話は、そのまま全然同感でありますが、なお、私から少し補足的に申し上げることをお許し願いますならば、当時
ILOの
条約の表決であるとか、
総会における表決数であるとか、あるいは
批准の数であるとか、そういうふうなものが
数字的に現われているものと実際はだいぶ違うということを申し上げたいのであります。どういうことかと申しますと、たとえて申しますならば、今問題になっております八十七号の
条約な
ども、南米のある国などは、すでにその当時、今から何年前になりますか、十年前にこれに対して
賛成投票をいたしております。
政府代表が。しかるに、実情はまだ
批准しておらないのみならず、
国内法の
関係で当分
批准はできないというようなことを、この間の
理事会でも言明いたしております。一国の
代表が
賛成投票をして、しかもなお、十
年間もそれが
国内において
批准ができないということになりますと、この
賛成投票なるものの価値というものが非常に私は疑
わしいと思う。そういう実例がかなりたくさんあります。
総会においては非常に
賛成が多くて、
反対が少い。これは
一つには、
総会における
政府代表の
国内における権限の問題に
関連すると思いますが、これは、
批准する
機関が必ずしも
総会代表につながっていないということが原因でありましょう。それもありますけれ
ども、ああいう場所で何となく、
反対するということは、自分の国の現存の実情からして
反対してしかるべきと思うような国の
代表も、ああいう場所に出るとなかなか
反対しにくい。これは、人情のしからしむるところでありますし、また、一面からいえば、
ILOの
条約などというものは、
一つの国際的
基準であって、その国
個々に必ず適用されるものだという
考え方に若干の誤まりがある。
一つの国際的の理想という
考え方を持っておる人もあると思う。その国を離れて、こういうことが人類社会として望ましい
基準であるというような
考え方からすれば、まず、本国に持って帰って直ちにこれがどうこうということはかりにできないでも、一応
賛成してしかるべきだ、こういう
考え方も働いておる。そこで、
ILOの
条約が非常にたくさん
賛成者が多いから、それは直ちに各国の国情に適応すべきものだというふうにもしいくならば、これはやや飛躍であると私は申し上げたい。
それから、
批准をしながらその国の
法律や制度を変えない国もあります。一番極端な例は、一九一九年の婦人の深夜業廃止の
条約を一九二四年かに
批准した国があります、南米に。その国が今日に至るまで、三十
年間その国の
法律は変っていない。なぜ
批准したかということに対して、はなはだ疑問があるわけでありますが、なぜそれじゃ本国において
法律を変えて実施しないかといえば、わが国の国情は、これのレベルにまだ達していないのだという
説明であります。それならば
批准する必要もたければ、また
総会においても
反対してもしかるべきであったと思われる。こういう例がまだかなりあると私は思っております。今一々それをあげる
用意も私はありません。
それから、八十七号
結社の自由に関する今の
条約に対しましても、ソ連がさっそくこれを
批准しております。ソ逃のような、自由がないことを特色としている国ですら、
結社の自由の
条約をいち早く
批准して、大いにこれを自慢しております。従いまして、この現実と、あるいは
賛成投票、あるいは
批准といい、あるいは
法律改正といい、なかなかこの現実に即していないのでありますから、われわれは、これを見る場合に、よほど客観的に、現実に即して判断しなくちゃならぬということを
考えております。少し長くなりますので、この辺でこの問題は打ち切っておきます。
それから、第四番目の
結社の自由及び
団結権の
擁護に関する
条約、これらに関する先日の
理事会の模様を
原口副
理事からお話しになりましたが、これについて私の名前も出ましたので、ちょっと申し上げておきますが、これは私、
発言の
最初に申し上げるべきことであったかと思いますが、私がきょう出頭しておりますのは、日経連の
代表という
立場でなくて、
ILO理事会の副
理事という資格において参っております。私の
発言は、直ちに日経連の
意見あるいは日経連の訓令に基いて申し上げているというふうに御
了解にならぬように願いたい。同様のことが
ILOの
理事会においても適用される。私は、
ILOの
使用者側の副
理事という
立場に立っておりますが、これは、日経連の使用者
代表という
立場では全然ないのであります。御
承知とは思いますけれ
ども、
ILOの
理事会においては、各国の使用者
代表が集まって、三年に一ぺん選挙をするのであります。それは互選であります。従いまして、私が
ILOの副
理事という資格を持っておりますのは、
ILOに出てきました各国の使用者
代表から選出される。選挙の母体は使用者
代表である。だから、
日本の経営者あるいは日経連が私を選挙しているわけじゃない。全然それはつながりがない。極端に申しますならば、私は、
ILOの
理事会においては、日経連とは何ら
関係なく
発言できることになっております。従いまして、私の
発言なりボートなりは、日経連を束縛しないというふうに御理解願います。
それで、本論に帰りますと、例の
結社の自由に関する
条約批准に関するボートがありましたときに、私は
賛成投票いたしましたが、これは、
日本の使用者を
代表して
賛成したのではなくて、
理事会における使用者グループというのがありまして、その使用者グループの総意で、満場一致、使用者
代表団はこれに
賛成しようというので、それに基いて私はこれに投票いたしました。それも、なお詳しく申し上げますならば、私は、副
理事という資格で、本来はボートがないのであります。
意見を
発表する資格はありますけれ
ども、ボートする資格はない。ところが、正
理事十名のうちたまたまボートで欠席した人があったときは、副
理事が順位でずり上って、正
理事の資格を獲得して投票する。私は、たまたま副
理事の中で最右翼でありますが、そのとき正
理事のだれかが欠席をしたので、私が順送りでボートをした。従いまして、このボートは、代理のボートと言った方がいいくらいであります。そういう
立場から、私がグループの決定に従った事情はおわかりだと思います。なお、これはあまり形式論でありますが、実質論から申し上げますと、私が個人として
考えましたのは、
日本政府は、この
条約に対して
批准の
可能性を研究するという
意見を
発表しております。前後いたしますが、ちょっと事態を明瞭にするために、なお
説明いたしますが、
政府代表というものは、
理事会においてはその国の
政府を
代表しておる。これが
政府代表。グループを
代表しないで
日本代表、
日本政府を
代表しておる。従って、その
発言が
日本政府の意向と思っていい。その点で、
使用者側と
労働者側と、民間
代表と、
理事会において根本的に
立場が違うということを申し上げておきます。その
政府代表から、これは
総会において、
批准の
可能性について労使の
意見も聞いて、しかるべく措置すると言明された。それに基いて、現在
労働問題懇談会において
審議されておる。これは、明らかに
批准を可能ならしめるところの
一つのステップをとっておられるというふうに私は解釈する。今度の
理事会における
決議は、
批准を促進するということでなくして、
批准に必要な措置をとれということであります。従って、
日本政府の現在やっておることとそっくりでありまして、何らこの
決議に基いて
日本政府は束縛を受けないだろうと思います。
政府代表の解釈は違うかもしれませんが、私はそう解釈いたします。従いまして、私が使用者
代表団の中に入ってボートした、
賛成したということは、何ら
日本政府に新しい負担をかけるものではないというふうに実費的にはなっておるのであります。
それからもう
一つ、その点について申し上げておきます。今度の
決議は、今申し上げたように、必要なる措置をとるという、これは、先ほど
政府代表からもお話がありましたように、
ILO憲章において、
条約に対してはしかるべく措置をとるということがちゃんと書いてある。今度の
決議は、それをリピートしただけです。繰り返しただけであります。
理事会は、
憲章以上の権限を各国
政府に対して
義務を賦課する権利はない。あたかも
日本では左側通行という規則があるのに、非常に混雑した場所に行ったら、左側通行という札がかけてある。何ら新しいことではない。ただ注意を喚起しただけであります。だから、この
決議にあることは、
憲章にあるものをちょっと抽出してやった、注意を喚起をした
程度の、何らそれ以上のものでないと私は
考えます。ただ、御参考までに、小し長くなりますかわかりませんが、こういうふうに、
ILOの
条約が百七つかありまして、その中から、特にある特定の
条約を
理事会が抽出して、これの
批准を促進云々という問題を取り上げれば、これは、順々に百幾つの
条約を取り上げなければならない羽目に陥るのじゃないか、これは
理事会のとるべき処置ではないのじゃないかということを、私は
使用者側の内輪の相談のとき言ったこともあります。私は、
理事会として、
個々の
条約を差別待遇して、特に取り上げるということについては、個人として若干の疑問を持っているということを御参考に申し添えておきたいと思います。
それから第五番目の問題でございますが、
政府代表のお話のように、
ILOの資料というものは外国語でできているから、
国内においては不便だ、これはごもっともでありまして、これが
普及しにくい非常な障害になっておりますが、この点につきましては、私
どもとしましては、これは個人の
意見でありますが、
日本政府の方で、特に
政府として御考慮になってしかるべき問題じゃないかと思っております。たまたま、これは完全に私の個人の
意見でありますが、近く
日本、
労働協会ですか、そういうものが法案に出ておるということも私は聞いておりますが、膨大なら予算も組むということでありまして、こういうところで誤まりのない翻訳というものを、
責任を持ってお出しになるということがしかるべきだ。とかくいろいろのところで順々にやりましても、翻訳に誤まりが非常に多かったり、あるいはそれに便乗して、いささか宣伝が行われて、やや歪曲した宣伝が含まれるというようなことになりますと、かえってこれは弊害があります。この点においては、
政府方面でおそらく御考慮になっていることだろうと思います。それからこれは、
理事会の
使用者側グループで、
国内の
ILO教育をいかにすべきかという問題が起りました。このときに
ILOにおいては、
政府と労使、それぞれ独立の
立場をとっておるから、その
立場からくる
意見の相違というものはあり得るのだ、従って、経営者に関する限り、経営者の
ILO教育というものは経営者
団体がとるべきものである、他人に依存してはいかぬということに満場一致決定しました。従いまして、こういう教育
機関というようなものを、各国においてあるいは二
者構成あるいは
三者構成というようなことでやるということは、各国
使用者側の
理事グループも
賛成できない。もしそういう動きがあれば、お互いにそういう動きは阻止しようじゃないかという申し合せが数年前にありました。それと日経連が
ILOを脱退したということは直接
関係がありませんが、国際的な使用者のつながりという場面において、そういうふうな
意見があったということを御参考に申し上げて、私の
説明はこの
程度にいたします。