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1958-03-25 第28回国会 参議院 社会労働委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月二十五日(火曜日)    午前十時五十分開会     —————————————  出席者は左の通り。    委員長     阿具根 登君    理事            勝俣  稔君            木島 虎藏君            山下 義信君            中山 福藏君    委員            有馬 英二君            草葉 隆圓君            鈴木 万平君            西岡 ハル君            横山 フク君            片岡 文重君            木下 友敬君            藤田藤太郎君            松澤 靖介君            山本 經勝君            竹中 恒夫君   衆議院議員            八田 貞義君            中山 マサ君   政府委員    厚生政務次官  米田 吉盛君    厚生省公衆衛生    局長      山口 正義君    厚生省医務局長 小澤  龍君    厚生省社会局長 安田  巌君   事務局側    常任委員会専門    員       増本 甲吉君   説明員    法務省刑事局刑    事課長     河井信太郎君     —————————————  本日の会議に付した案件 ○衛生検査技師法案衆議院提出) ○社会福祉事業法の一部を改正する法  律案内閣提出) ○角膜移植に関する法律案衆議院提  出)(第二十七回国会継続)     —————————————
  2. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 開会いたします。  衛生検査技師法案議題といたします。発議者から提案理由説明を願います。衆議院議員八田貞義君。
  3. 八田貞義

    衆議院議員八田貞義君) ただいま議題となりました衛生検査技師法案につきまして、提案理由とその要旨を御説明申し上げます。  現在のわが国におきまして、保健衛生上の危害防止のためにも、医師診断業務のためにも重要な基礎資料を提供するものは、衛生検査技術者でありまして、近時、その需要は年ごとに増加し、その役割はますます重要性を加えてきております。  しかるに、これらの技術者につきましては、現在何らの身分上の法的規制が加えられておらず、正規の職業教育を経た者も少数でありまして、その資質向上は、心ある識者によって強く要望されております。  このような状態にかんがみ、衛生検査技師資格を定めることによりその資質向上させ、もって公衆衛生向上に寄与しようとするのがこの法案提案いたしました理由であります。  次に、その要旨を御説明申し上げます。  まず第一に、この法案では、衛生検査技師とは、都道府県知事免許を受け、衛生検査技師の名称を用い、医師指導監督のもとに、細菌学的検査血清学的検査血液学的検査病理組織学的検査、原虫・寄生虫学的検査その他の政令で定める検査を行うことを業とする者をいうことといたしております。  第二に、衛生検査技師免許は、厚生大臣の行う試験に合格した者等につき、都道府県知事が与えることといたしております。  第三に、衛生検査技師試験は、高等学校卒業者等であって、厚生大臣の指定した養成所等において二年以上衛生検査技師として必要な知識及び技能を修得したもの等につき、厚生大臣が、毎年、少くとも一回、行うことといたしております。  以上が、この法案提案いたしました理由及びそのおもな要旨でありますが、何とぞ、慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。
  4. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 本案の質疑は、次回以後に譲りたいと存じますが、御異議ございませんか。  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。     —————————————
  6. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、社会福祉事業法の一部を改正する法律案議題といたします。質疑を願います。
  7. 山下義信

    山下義信君 この社会福祉事業法の一部を改正する法律案は、政府におかれましては、一昨年以来懸案としておられたところでありまして、当時若干の御意見を申し上げた経緯もありまして、今回の改正案を見ますと、政府でも再検討をされまして、大体におきまして、私どもといたしましても、反対しなければならぬという点も少いように思うのでありますが、一、二伺いたいと思いますのは、今回の改正点が数点ございますが、その中の一つで、今回福祉事務所を増設のできるように規定を改めておられますが、それに関連いたしまして、まず、社会福祉主事現状というものを一つ承わりたいと思います。  資料を拝見いたしますと、社会福祉事務所の現在の数は九百六十七カ所でありますか、資料にお示しに相なっておりますが、この社会福祉主事定員並びに充足の模様、すなわち、欠員等がどういうふうになっておりましょうか、どういうわけで欠員があるのでありましょうか、そういう点を、社会福祉主事現況につきまして御説明を願いたいと思います。
  8. 安田巌

    政府委員安田巌君) 社会福祉主事定員は、大体御承知のように、法律で、市部にありましては、被保護世帯八について一人、郡部福祉事務所におきましては、被保護世帯六十五世帯について一人ということになっております。お尋ねの、現在どの程度充足しているかということでございますが、指導員と、それからいわゆる現業員に分けてみますと、指導員の方は、六八・五%の充足率でございます。それから現業員の方は八七・七%でございまして、大体平均いたしまして八〇%くらいのところが現況でございます。
  9. 山下義信

    山下義信君 指導員というのは、何をしているのでありましょうか、それから、現業員というのは、この今の市部郡部一定定員の基準は、これは現業員についてでありますか、指導員充足状況が、現業員と比較いたしますと、二〇%くらい悪いのでありますが、ともかくも、いずれにいたしましても、定員に満ちておりませんので、こういう欠員を生じております理由はどういうわけでございましょうか。
  10. 安田巌

    政府委員安田巌君) 私の説明が足りない点があったのでございますけれども、今の法律できめておりますのは、お話通り現業員だけで、つまりケースワーカーでございまして、これは、八七・七%までになっているわけでございます。ただ、福祉事務所一つ福祉地区中心といたしまして仕事をいたします場合に、現業員の上に査察指導員というものを置いておりまして、そうして現実現業員がいろいろと仕事をいたしたものを査察指導員が十分指導監督をする。そうしてそれが一つのチームになって福祉事務所仕事をやるというふうな考え方がございましたために、査察指導員と、そうして現業員というものを置くように指導いたしておるわけであります。査察指導員の方の充足率が悪いということにつきましては、いろいろあると思いますけれども、こういったものに対する府県なり市の方の認識の足りないという点もございましょうし、現実にまた人を得るということがなかなかむずかしかったということがあるかもしれませんが、いろいろ私どもも、そういった点につきましてできるだけ充足し、また資格のある者を使うように督励をいたしておるような次第でございます。
  11. 山下義信

    山下義信君 私が社会福祉主事のことを第一番に伺いますのは、これは、指導員充足率が悪いのですけれども現業員が八七%という程度でありますから、欠員が、一割余りでありますから、さほど心配することはありませんが、この定員充足率が一時途中において悪いような状態がございましたから、どうなっておったかと、最近の様子を聞いたのですけれども、この程度心配いたすことはありませんが、私が心配いたしますのは、近ごろの様子を知りませんが、社会福祉主事の適当な人を得ることがら、なかなかむずかしいのではないかということを心配いたしておるであります。まあ局長がなかなか適当な人がない、指導員においてもですが、ということをおっしゃっておられますが、これは私の邪推かもわかりませんが、この社会福祉主事というものを、どこの県でも、市におきましても、大体においてはりっぱな人に当っていただいて、この種の仕事努力していただいておるのでありますが、どうかすると、比較的役所で、何と申しますか、役所の方の何は存じませんけれども、本流でなしで、どうかいたしますと冷飯組といいますか、要らないような人を敬遠して、そうして地方事務所のこの社会福祉事務所に置いた、つまりそういうふうな、有能な人を充てないで、役所においては長い年数をかかって勤めておるけれども、まあまあ、ややもいたしますというと、私は言いにくいのですけれども、この種の人事に、新進有為な人を充てたり人格のあるような人を充てない、そういう人選の傾きがあるような気がするのでありまして、社会福祉主事の質というものについて非常に懸念いたしますので、そういうあれがどうなっておろうかということを伺いたいと思ったのです。どうでございましょうか、近ごろ、質の改善といいますかね。
  12. 安田巌

    政府委員安田巌君) お話のように、社会福祉主事仕事は、これは、人に接する仕事でございますから、もうこれは、何よりもいい人を置くということが第一の要件であると思います。私どもも、実はその点を心配いたしたのでありますが、現在は、社会福祉主事に対しまして、一定資格要件を定めておるわけであります。で、お話の御心配のような点は確かにございまして、それは数字で申し上げますというと、先ほど申しました八七・七%の充足率社会福祉主事のうちで、資格を持っておりますのが六八・七%でございますから、今御指摘のようなことは、数字にはっきり現われておるわけでございます。私どもといたしましては、できるだけそういう状態をなくすために、中央研修会を開きまして、大体年に四回開いておるのでありますが、各府県から職員を集めまして、訓練をいたしておる。それから、なおまた、各県ごとに、厚生大臣が認定をいたしました講習会を開きまして、そうしてそれによって資格を与えるというふうな措置も実はとっておるわけであります。各府県、最近いろいろ人員をふやすということにつきましては、非常に消極的でございますけれども、たとえば、まあ学校出て、初めからこの方の仕事に働きたいというふうな資格を持ったものが入っていく余地が少いという点もございます。そういった点、それから、なおまた、先ほどお話のような、私どもなるべくこういう席に長くおってもらいたいと思うのでありますけれども府県人事都合等によりまして、早く転任せしめられるというふうなこともございます。いろいろ御心配のような点があることも事実でございますが、最近は、だんだんよくなってきたような気がいたします。特に、これは少し御質問の範囲をこえるかもしれませんけれども、各府県生活保護指導職員を置いておりまして、これが約五百八名おるのでありますから、大体十人くらいおるわけでありまするが、これは全額の国庫補助で、私どものいろいろと相談を受けて置く職員になっておりますので、そういう点からも、第一線職員の質もだんだんよくなっていく傾向も見える次第でございますが、今後も、御指摘のような点については十分注意し、努力を重ねていきたいと思います。
  13. 山下義信

    山下義信君 私は、社会事業大学とか、あるいは各大学のそういった方面学校等を卒業いたしました新進有為諸君がこの方面仕事にだんだんつくようになりますと、質の改善が期待できるであろうと思うのでありますが、今の生活保護関係で、各県に最近お置きになりましたこの指導職員の人は、この社会福祉主事仕事につきましては指導監督をなされるのですか。これはただ、生活保護法関係や、またあなたの方の御所管の、いろいろ、世帯構成とかあるいは医療貸付とかいったようなお仕事の適正な扱い方を御監督なさるのですか。あるいはこの社会福祉主事仕事監督なさるのでしょうか、どうなっておりますか。
  14. 安田巌

    政府委員安田巌君) 今申し上げました指導職員というのは、予算の建前から申しますというと、生活保護指導職員ということになっております。これはまあ、生活保護というものが国の事務だということで、それについて重大な関心を持っているという意味も入っておるわけでありますが、しかし、実際問題といたしますというと、府県におきますところのそういう厚生行政中心になります人物がこの職員になりますから、今お話のような、第一線地方福祉事務所における主事についてのいろいろな行政についての指導も行われておるのが現状だと思います。
  15. 山下義信

    山下義信君 だいぶわかって参りました。それで、社会福祉主事監督をするものが大体おるわけなんで、国費の職員が置かれておるという形、私がこの社会福祉主事のことを第一番に思いましたのは、古いことですけれども、昨年でありましたか、高崎で、社会福祉主事が、生活保護をいたしておりまする被保護世帯少女を犯して、そしてその子供を東京都に連れ出して、荒川堤で惨殺をしたという事件がありました。これは昨年の、多分九月か十月ごろのことであったろうと思う。私は、この事件を見まして、もう戦慄を感じたのです。政府当局心配されたことだろうと思うが、一応は、表向きは、府県あるいは福祉事務所を設置しておる都市の事務ということになっております。しかしながら、仕事は国の仕事をするのであります。その仕事に当る者が、生活保護をしておる貧困な世帯少女を、扶助を与えることに籍口して、これは強要して犯して、しかも、その少女東京に連れ出して、惨殺するという事件を発生させた。これは、何千という社会福祉主事の中のあいるは一人であるかもしらぬ。しかしながら、一事をもって天下の悪を知るのであります。この、端を見て、一体社会福祉主事というものは、どういう人間が当っておるのであろうかということを心配せざるを得ないのであります。しかも、社会福祉事業法におきまして、社会福祉主事資格は、御承知のごとく、法律で、この主事たるや、人格が高潔で、思慮が円熟して、社会福祉の増進に熱意がある者で、かつ左記の各号の学校等教育を受けたる者という資格法律上要請されておる。私は、そういう点を心配いたすのでありまして、一体この事件が起きましたときに、当局は、全国社会福祉主事に対してどういう警告を発せられたか。厚生省の直接の出先機関の役人ではありませんけれども、あなたの方の仕事、国の仕事をされる、府県に託してあるこの責任者、私は、こういう大事件はあいるは一例であるかもしれぬ。しかしながら、種々福祉事務に従事し、しかも決定権を持つような事務所仕事に当る者が、そういうことで、弱い者に弱味に乗じていかがわしいことをするようなことがあったということになりますと、この制度の全体に、非常に大きな疑惑をもたなければならない。制度はできておりましても、運用は人でありますから、そういう点について、一体どの程度厚生省監督を厳にしているのであろうか。こういう事件が起きたときには、一体どれだけの注意と、将来に対する考慮を払うのであろうかということが気になりますので、政府当局の方では、どういうふうにされましたかということをお聞きいたしたいと思うのです。
  16. 安田巌

    政府委員安田巌君) 今お話事件は、まことに遺憾千万なことでございまして、深くおわび申し上げなければならないと思っております。これが起きましたのが、昨年の九月の二十日でございますが、私どもといたしましては、すぐに実情を調査し、ちょうど東京で起きた事件でございますので、荒川署の方に留置されて、いろいろ取り調べをされておったようでありますので、こちらの方でもいろいろ実情を調べました。直接のそれに対する対策といたしましては、群馬県当局に対しましては、特にこのことを強く申したのでありますが、たまたま私ども全国福祉事務所会議をブロックで、それからしばらくして行なっておりましたので、その席上におきまして、この問題を取り上げまして、特に福祉主事のそういった面につきましては、今後十分監督を厳にするようにということにつきましては、熱々と話をいたしたような次第でございます。今後も、これは単なる資格の問題だけでなく、いろいろと指導監督上の問題もありますので、そういった面でさらに注意を続けていきまして、再びこういう不詳事件が起らぬように努力いたしたいと考えております。
  17. 山下義信

    山下義信君 この社会福祉主事職員の給与に関しまする予算、これに対しまして、国は若干の補助をいたしておりますか、どの程度地方交付税交付金の中に算入されておりますか。全然入っていないのか。あいるはまた、将来これはでき得れば、われわれは、この種の職員はよき人を得たいために、待遇も改善しなくちゃなりませんし、国の費用の職員に、将来はこの制度を十分強化拡充しようとしますと、職員身分も、国庫補助職員にすべきだと思いますが、方針としては、どういう方針を持っておられましょうか。
  18. 安田巌

    政府委員安田巌君) 今の御質問は、非常に大事な問題でございまして、私ども、常々その点について考えておるのでありますが、現状は、所長について幾ら、それから福祉主事について幾らという、大体平均給ぐらいのものが交付税交付金に見込んであるわけでございます。御承知のように、交付税交付金というものは、別にひもがついておるわけではございませんから、そういった点につきまして、先ほどの話に返りますというと、福祉主事充足等にも大きな関係があるわけでございます。過去二回ばかり実はこれを五割の補助金に切りかえようという努力を、予算の際いたしたことがあるのでございますけれども、何分交付税交付金というものの性質が、ちょうどこういった人件費が典型的な例になるわけでありまして、こういうものをのけると、自治庁といたしますというと、交付金を置いておく理由がなくなるぐらいの気持を持っておるわけであります。現在のところでは、依然として交付税交付金制度によっております。しかし、大へん大きな問題でございますので、将来もこういう問題について、もう少し検討していきたいと思っております。
  19. 山下義信

    山下義信君 社会福祉主事の問題はこの程度にいたしておきまして、次は、今回隣保事業社会福祉事業の上に新しくお加えになった。これは、最近わが党といたしましても、同和事業につきましては強い要望を持っておる関係もあり、注目すべき改正であると思うのでありますが、今、厚生省でやっておられまする同和事業関係施策は、大体現状はどういうふうになっておりまょうか。また、三十三年度では、どういう施策を行われますか、大体でよろしゅうございますから、お示しを願いたいと思います。
  20. 安田巌

    政府委員安田巌君) 昭和二十八年から、地方改善事業といたしまして、隣保館についての国の補助予算に計上いたしたのであります。三十三年度とまぜて、二十二カ所が設けられておるわけでございます。その事業内容は、いろいろの地区状況によりまして、一様ではございませんけれども診療でありますとか、保育、授産、それから各種の相談事業集会所講習会等事業中心になっておるわけであります。経済的にも、また衛生、文化の方の面におきましても劣った状態にありますし、また、社会福祉施設にも恩まれておりません同和地区にありまして、隣保館が住民の生活改善向上のために果しておる役割は大きいのではないかと思っておるわけであります。現在、非常に各府県からこの要望が強いわけであります。来年度におきましては、隣保館が七カ所と、それから共同浴場が十カ所、予算額は二千四百四十万円でございます。
  21. 山下義信

    山下義信君 これは、もう申すまでもなく、ただ厚生省一省のみの仕事ではありませんが、しかし、主として厚生省が担当すべきであることは、言うまでもないことでありますが、率直に申し上げまして、これだけを十分やるというわけにもいきますまいけれども、最近の世論や、政府のお持ちになった御熱意から見ますと、三十三年度のこの計画予算等も、きわめて少額です。これは、昨年の予算編成当時の御計画でもあったと思いますが、将来の計画とされましては、この隣保館等地方改善のセンターといいますか、施策といいますか、これ一つのみじゃございませんけれども、かりに一つこれをとるといたしましても、全国的には、およそどのくらいこの種の隣保事業が必要であるか。また、それをやろうとすれば、およそ何年間ぐらいの計画でやれば、一応この種の事業としては、大体要求に充足できるのじゃないかと、そういうような見通し等につきましては、どういうお考えございましょうか。
  22. 安田巌

    政府委員安田巌君) 現在やっておりますのは、隣保館共同浴場でございますけれども、一応の私どもの現在の計画といたしましては、隣保館は、同和部落のうちで、四百世帯以上の密集部落に設けていきたいと思っておるわけでありますが、それが六十二地区あるわけでございます。現在二十二地区ございまして、さらにまた七地区ございますので、まあ、このままでゆきますと、当分かかるわけでありますが、しかし私ども、また明年度はもっとたくさんのものを要求いたしたいと思っております。  それから、共同浴場につきましては、大体二百世帯以上を持っております地区を目標にいたしたいと思っておりますが、これが百五十地区ございます。で、すでにできましたのが十地区でございますので、残りが約百四十地区ございます。これもやはり今後、明年度また十地区でございますけれども、さらにして参りたいと思っております。で、計画といたしまして、私どもなるべく早くこういうものをやりたいと思うのでございますが、今ここで申し上げましても、予算のこともございますので、われわれとしては、できるだけ早くそういった予算をたくさん取りまして、実現をいたしたいと思います。
  23. 山下義信

    山下義信君 私も、若干のこの同和部落諸君と、足かけ三十年ばかりおつき合いをしまして、この実情も若干は存じておりまするが、できるだけ一つ努力を願いまして、設備も相当な設備が私は要ると思うのですね。小さい設備や粗末な設備意味をなさぬもので、あの密集地区に、しっかりした一つの文化的な、診療所であろうと、隣保館であろうと、浴場であろうと、建てますということは、全体の状況改善し、この部落を改めてゆく上におきましては、その施策もやはり、都心部に負けないような、しっかりした完備した施設をするということが、その先端を切ってゆく上において、大きな影響をなし大きな意議を持ちますので、十分一つ努力を願いたいと思う。  それから次は、私は簡単に済ませますが、次の改正点の主要な点は、この社会福祉法人監督を、従来は厚生大臣だけでしておられたのを、今度は都道府県知事にも監督権の一部を持たせるということ、この点につきましては、今回の改正点は、厚生省の方でも十分お考えいただいたので、私としても異議はないのであります。しかしこれを、私はここで社会局長と御相談しておきたいと思うのでありますが、ただ監督便宜に、手続上十分な監督を加えるために、中央厚生大臣じゃ手が届かないから、都道府県知事に一部権限を持たせた方が、すぐ直接にこの社会福祉法人指導監督第一線でできてよろしいという、この監督取締りの、取締りと言うと語弊がありますが、便宜主義で、私は、それだけで改正したというのでは意義がないと思うのです。というのは、この種の仕事の国と地方との関係、これは民間の施設でありますから、直ちに国の行政ではありませんが、国の行政の委託を受けている施設なんです。だんだん探っていきますというと、国の福祉行政公的扶助行政、そのものに関係してくる、内容がですね。それで、いつもわれわれが論争いたしますのは、公的扶助では問題がありませんけれども、その他の福祉行政につきましては、国と地方との責任の分野、国と地方とのこの種の福祉仕事に対しての、何と申しますか、持ち前の仕事としての考え方というものは、常に論争を続けてきたところなんですね。具体的には、予算編成のつど、これが大きな争点となってくる。それで、国が主としてめんどうを見てゆくべきか、地方が主としてこれのめんどうを見るべきかということは、これは、長い間政府当局間におかれても論争を続けてきたところなんです。そこで、第五十四条の改正は、一般的監督について、厚生大臣の権限を知事に一部持たせるという、このことでありますが、これを、ただ単に手続的な改正を考えないで、一体この種の福祉仕事について、今回のこの改正が、だんだん地方に主導権が移るのである、国と地方との関係においては、地方にウエートが移ってゆくのだという考え方改正するのか、いや、そうういうことは考えていないのだ、あくまでも国の方で、福祉三法に関する限りは、ぐっと元締めを握っているのだという従来の考え方を貫くのかということは、ここで一つ意義を持たしておかなければならぬと私は思うのですね。そういたしませんと、今回の改正の運用に伴い、何というても直接には知事の監督下にすべて社会福祉法人が置かれるという事態は、国との間が、次第にそういうようなものの考え方が変っていく私は心配があると思うのです。どちらがいいか、どちらが悪いかということは、論争のあるところでありますから、にわかに判じがたいが、しかし、今日までわれわれが努力してきたことは、日本における社会福祉仕事は、十分国が責任を持って、何も中央集権的な考えじゃないけれども、十分国がうしろを見てやらなければ、日本の社会情勢や、この段階においては、これを地方に委任するわけにいかない。まだまだそういうわけにいかないのだということで、今日まで考えてきたわけですね。福祉三法も、そういう精神にずっとなってきておる。もうここまで発達してきたのだから、社会福祉関係のことは地方にみんなまかせていいのだ、国は遠くから監督を大所高所からしていればいいのだという情勢判断をするかしないかということにもなってくるわけです。ここに私は、監督のやり方について、都道府県に対しても、一部権限を移譲するのであるけれども、しかし、もっと深く考察を加えて、これらの点についても、私はこの際当局の考えを明確にしておくのがいいのじゃないかと思いますので、社会局長の御所見を承わっておきたいと思います。
  24. 安田巌

    政府委員安田巌君) 大へんごもっともなお考えでございまして、社会福祉法人という特別なものを作りましたのも、まさに御意見のような理由から設けたわけでございます。ただ、現在社会福祉法人の数が千四法人でございますか、最近は千をこえるに至ったわけでございます。実際問題といたしまして、厚生大臣が一切のことを監督をしていくということはなかなか困難なことでございます。一方、都道府県知事も、社会福祉事業法の六十五条によりまして、実際の事業についての報告を求めるとか、あるいは検査をするとか、調査をするという権限は実はあるわけでございます。ところが、社会福祉法人そのものについて、それが定款に違反するとか、法令がどうとかということになりますと、知事の方にその権限がないということで、そこで、今回の改正も、知事に、報告を求めるとか調査をする、検査をするという権限は与えますけれども、しかしそれは、そういう報告を求め、検査をしまして問題点を発見いたしましたならば、その後の処置につきましては、これは、解散等につきましては、もちろん厚生大臣が権限を保留しておるわけでございますので、お話のような趣旨で今回の改正をやったわけではないわけでございます。しかし、今後知事がそういった検査なり、あるいは報告を求める等につきまして、その運用の面につきましては、御趣旨の点が十分徹底するように措置を講じなければならぬ、こういうふうに思っております。
  25. 山下義信

    山下義信君 今局長の御答弁の後段に、この本法の運用に当っては、私どもの希望するところを誤解のないように指導するということでありましたが、あわせまして希望いたしておきますことは、何と申しましても、この社会福祉事業をやっておりまするものは、いろいろの面におきまして弱い立場のものでありまして、ことに国の補助を受けますとか、また二割は府県補助を受けるという形で、監督官庁に対して非常に弱い立場にある。実は知事の権限にこれを一部移譲するといったって、実際この事務を行使するものは民生部長であり、あるいは厚生課長であり、あるいは指導課長であり、あるいは厚生課員であり、社会課員であり、指導課員であり、実際はお互いに、まあ、良識のあるものがこれらの処理をするとよろしゅうございますけれども、だんだん下級吏員がこの権限を行使するに当りましては、この権利があるがために、社会福祉法人のその立場の弱いことに相対しまして、あるいは無理なことが行われ、いろいろなことが強要されることがありますというと、これを訴える道がない。この実情を明らかにして、そうして地方の県庁あたりからいろいろの行き過ぎの扱いを受けておることを訴える道がない。世間にいろいろ各種の団体があります。各種の法人があります。各種の事業がありますが、この福祉事業をしているものほど性格が弱く、意思が弱いと申しますか、おとなしいと申しますか、そういう立場の人は他に例を見ないのであります。従って、この種の行政は、これは主として指導をすることが建前であって、これを取締り、あるいは処罰し、厳罰をもって臨むというようなことは第二義、第三義でありまして、これはもう最後の手段でなくちゃならない。いわゆる伝家の宝刀でなくちゃならない。そういうような運営その他において適正でないような社会福祉法人を作り、それを改めさせることできなかったものの方にこそ責任があるのである。そういうような不適当な社会福祉法人に対して、これを十分に指導することができなかった責任はたな上げしておいて、悪かったからといって、すぐに頭をたたくというようなことをし、そういうことに流れやすいような地方府県指導振りになってくるということになりますというと、この社会福祉事業関係者が非常に萎縮いたしまして、伸びなくなってくる。伸びなくなってくるばかりじゃない、その地方監督官庁に対して常にこびへつらい、そうしてこれに頭を下げ、ごきげん取りをいつもしていなければ、いついじめられるかわからぬというような形に置きますことは、これは避くべきであろう、私は、こういうような世間の弱い対象者に向って国の委託を受けつつ社会福祉仕事をしておる人たちは、実に縁の下の力持ちで仕事をしておるのだから、この社会の各階層のいずれの人たちに比べてもずっと高く評価し、深く尊敬すべき仕事の人である。しかるに取扱い方というものは、実情は、これを非常に、何と申しますか、軽んじまして、そうして社会的にもちっとも処遇しない。そうして地方吏員の末端のしがない人たちが、心にもなくその人たちに威圧を加え、以前の封建的な官僚的な態度で臨むというような弊というものは、今日なお厳として存在しておる。それで私は、実は厚生大臣の権限等はいかようにこれを拡大強化いたしましても、何といいましても、中央政府は人材も諸君のごとくそろっておりますし、何といいましても、世間の目もきびしゅうございまして、行政が脱線するというようなことは少うございますけれども、まだまだ地方政治は、その点にいきますというと低いものがある。そこで、ぜひ今回の改正につきましては、この運用に当りまして、十分そういうような弊害のないように御留意を願って、その趣旨の御徹底を願いたいと思いますが、社会局長の御意見はいかがでございますか。
  26. 安田巌

    政府委員安田巌君) 大へんごもっともな御意見でございまして、先ほども申しましたけれども、運用に当りましては、そういう点も十分気をつけて参りたいと思います。
  27. 山下義信

    山下義信君 大体私の質疑は、この程度で終ることにいたしますが、いま一つ、直接本法の改正点ではございませんけれども、伺っておきたいと思いますのは、何でもこの秋には、国際社会事業会議を開かれるということです。それで、三十三年度予算には六百万円ですか、この予算が計上されてあります。しかし、聞くところによりますと、実際の費用は、四千万円か五千万円要るということなんです。先般国際ペンクラブが開かれましたときは、政府は五千万円出したのです。その他最近の国際会議や文化的の国際会議については、本年度の予算でも、数千万円出ている事例がある。この国際社会事業会議というのは、一体だれがするのですか。私の聞くところによりますと、何年前かトロントで、第八回でありますか、会議が開かれたときに、日本の政府代表として出ていった委員は、現在の厚生次官の田邊君ではないかと思うのですが、出ている。次の第九回の国際社会事業会議は、日本でぜひ開かせていただきたいという招請をしたとか、発言をしたとかいうことである。何も政府責任とは言いませんが、そういう、責任をもってすでに招請状を各国に発しているということなんです。その招請状は、だれの名で発送してあるのかということも、この際明らかにしていただきたい。そういうような、日本で国際社会事業会議を開かれることは、おそらく今秋のこの会議が初めてでしょう。そういう会議を開くのに、わずかに六百万円しか国としての予算を出さない。あとはいろいろ資金カンパをやるのでしょう、寄付金その他でできますとなればそれまででありますが、いかにしても政府熱意が足りない。これはどういうことになっておりますか。この際事態を明らかにして、この委員会にその状況その他を報告していただきたいと思います。また、一体この秋の国際社会事業会議で討議するテーマは何ですかということも紹介していただいて、この委員会の諸君にわかるように、この際していただきたいと思います。
  28. 安田巌

    政府委員安田巌君) 国際、社会事業会議につきましては、会議の主体は、やはり国際社会事業会議が主体になるわけでございまして、事務局がこっちへ乗り込んできてやるわけでありますけれども、しかし、従来の慣例からいいまして、そういった場合の費用の負担その他におきまして、開催地の国内委員会がそういった仕事を手伝うということになっているわけであります。経費につきましては、何分大きな会議でございまして、外国からも相当数の人が来る予定でございますので、大体今お話のような、四千万円から四千五百万円かかるという見込みで実は経費を組んでいるわけであります。それをやりますのは、国内委員会が実は現在やっておるわけであります。政府からの予算は、補助といたしましては六千万円でございます。ペンクラブのときは、たしか予算の方から大体五百万円出まして、そのほか外務省の援助が若干あったようでございますが、そういうふうに実は承知いたしているわけであります。それから招請は、もちろん正式には国際社会事業会議事務局からいたすわけでありますが、従来の慣例といたしまして、主催国の外務大臣から勧誘といいますか、招待というような形をとって、各国の関係方面に送るような手続になっているわけであります。それから、主たる議題は、社会的ニードに対する資源の動員ということになっております。
  29. 山下義信

    山下義信君 私は、社会局長にお願いしておきたいと思うのは、それは、今回いろいろ社会福祉事業監督する規定もお入れになったわけでありますが、今後一つ社会局で御研究いただいて、優良な社会福祉事業の経営者といいますか、あるいは隠れたる町のボランティアと申しますか、社会福祉に熱心な諸君、そういう人々に対する国としての敬意といいますか、感謝といいますか、また、社会福祉事業の奨励のためにも、この種の会合を催される機会には、案内といいますか、招待といいますか、そういうお取り扱いを願いたい。これは、国際社会事業会議ばかりでございませんで、それぞれ開かれますいろいろの、社会事業大会とか、すべてのそういう公けの会議におきまして、できるだけ一つそれらの諸君の出席を案内せられるようにされまして、その志に報いるようにお取り計らいを願いたいと思う。これは、言うまでもなく、従来開かれますところの社会事業大会におかれまして、優良社会事業家の表彰等もされます。しかし、これは別でございます。これは二十年、あるいは三十年と、長くその業に従事されました施設あるいは従業員の表彰でございまして、そういう形でなくして、私は、一つ民間社会福祉事業関係する主として篤志奉仕家等は、努めてこれらの政府筋の開催されます大会等には招請されまして、そして社会福祉事業の発展、興隆のための一助として御配慮を賜わりたいと思う。皆さん御承知のごとく、つい最近のことでありますが、十五歳でございましたかの少年が、病院に入っている父親を見舞いますために、かよわい弟と力を合わせて牛乳配達をしたり、新聞配達をして、粒々辛苦してためた七千五百円の金を持って東京に来て、途中でスリにとられて、警察に泣き込んだ。板橋警察署でありましたか、署長がこれを記者団に告げた。この事件の反響を、これは委員長のお許しを得て、専門室で調査しまして、資料を収集をいたしましたから、当委員会でごらんを願えると思いますが、この少年のいじらしい心根、また心ないスリの無情さ等に対しまする社会の世人の反響というものが、御承知のごとく、非常にこの事件に注がれまして、そして激励と同情の雨がこの少年に降り注ぎましたことは、御承知通りです。私も、数日後に板橋警察署に署長をたずねまして、状況を聞きましたのでございますが、まあ金のことを申してはおかしゅうございますけれども、すでに五十万円近い金が届けられてあるわけです。私は、この事件を見ましたときに、今日の世相ではありまするけれども、社会の善意というものは実に健在しておるということを痛感したのです。つまり言いかえますと、人々の胸を打つような事柄に対しては、決して社会の意識は混濁していない、冷酷無情にはなりきっていない。隣人を愛するという良識は、日本の国民の心の中に健在しておるということを私は痛感したのです。それに関連いたしてみますると、政府指導下にやっておりまするこの社会福祉関係仕事、それに対する国民の共鳴の仕方、あるいは共同募金等がだんだん冷却されていく工合、そして郵政省あたりから批判されて、お年玉葉書のあの益金も、郵政省が主導権をとるようになっていくというこの行き方、いろいろのことを見ますると、私は非常に考えなければならぬものがあると思う。社会福祉事務所であるとか、社会福祉主事であるとか、この制度もいいと思う、この制度の運用もよろしいのでありますが、まだまだ篤志家のそういったような民間の協力を得るということについては、非常に私は考えるべき余地があると思うのです。従いまして、政府当局におかれましても、いろいろお考えがありましょうが、私どもも、国の機関や制度や組織等につきましては、言うまでもなく慈善や恩恵を排除するのでありますが、そういうことでなしに、民間の協力というものは、これは別でございます。そういう点につきまして、将来とも十分一つ、この社会福祉の今後のコースというものについては、これは御検討相なりまして、いろんな制度の活用、機関の能率の高揚等につきましても、社会局長としては十分一つ、新たな検討を加えていただきたいと私は思うのであります。局長の御所見を一つ承わっておきたいと思うのです。
  30. 安田巌

    政府委員安田巌君) いろいろお話がございましたけれども、御趣旨につきましては全く同感でございまして、今後とも、それらの点につきまして研究を続けて参りたいと思います。
  31. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私も、一、二点伺っておきたいと思うのですが、第一の点は、結核回復者後保護施設、アフター・ケアですね。結核回復者に対する作業療法やアフター・ケアの処置があるわけですけれども、ここで、民間の方もいて、事業としてここにも委託するような形で今度改正が出ておるわけです。私たちが現地視察をしたときに、アフター・ケアの問題なんですが、アフター・ケアの一年間というのは、少し無理があるような気がわれわれが現地を見ましてするわけです。今、まあ一年間に限られておるのですけれども、ちょっと作業を身につけかけたら、期限が来てしまうということで、その点について、厚生省はどういう工合にお考えになっておりますか、ちょっと聞いておきたいと思います。
  32. 安田巌

    政府委員安田巌君) 結核回復者がアフター・ケアに入りまして、その施設に在院する期間のお尋ねでございますけれども、現在のところは、一応一年というのを目標にいたしております。これは、いろいろなケースによってよほど違うのじゃないか、入ってくる人につきましては、いろいろ療養所等における身体の条件等をよく調べまして入れるわけでございますけれども、やはり中には、施設によりますというと、まだ少し早いというようなのが入ってくる場合もありますし、それから、もうすでに一度出て、病院から家に帰りましてから相当たって入ってくる人もいるわけでありまして、一概に言えないと思います。例外的な取扱いはもちろんあると思います。が、大体今の回転状況というのは、十一カ月ぐらいで回転いたしておる、これが現状でございます。特別なケースがございます場合には、もちろん長く延びても差しつかえないわけでございますが、目標といたしましては、一年の目標にいたしまして、なるべく回転をよくしまして、入所希望者の要請にこたえているというのが現在の指導方針でございます。
  33. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は、岡山のアフター・ケアを訪れたときに、入っている人が、一年では困るから、何とか二年くらいにしてもらえないかという希望が非常に多かったわけですから、実情に応じて、一年という形じゃなしに——それじゃ実情に応じて、その時限については考慮するということですね。
  34. 安田巌

    政府委員安田巌君) 私が申し上げましたのは、一年が基準でございますから、大体一年で仕上るような人が入ってくるわけでございますが、しかし、ケースによりまして、実情と申しますのは、ケースによりまして、一年では退院できなくなる人もあるかと思います。ですから、そういう場合の特別な処置というのは、これは県にまかせなければならぬと、こういうふうに思っております。
  35. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 隣保事業隣保館等施設を設けるということで、先ほどお話がありました。この事業は、これと似たといいますか、ぴったり合うかどうか知らないけれども、セッルメントというような形で、府県で行われておるところがあるわけですね。このところとの関係をどういう工合に見ておられますか。
  36. 安田巌

    政府委員安田巌君) 社会福祉事業法の前にやりました、社会事業法というのがあったわけでございますが、これにはやはりセッルメントがあったわけでございます。日本の社会事業の発展の上において、今申されましたセッルメントというのが非常に貢献したということは、これはもう、見のがすことのできない事業でございまして、私どもの今度考えました隣保館というのも、実はセッルメントのことでございます。現在のところ、善隣館というところもございまして、社会館というところもございまして、現在いろいろなものを入れますと、百ぐらいあるのではないかと思っております。しかし、今度の法律にぴたりと合うのはどのくらいかということは、一々に当ってみなければわかりませんけれども、大体半分くらいはそれに該当するのではないかと、そういうようなことを考えております。
  37. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それで、今度の予算はこうなんで、将来この事業を拡大していく、こういう考え方ですね。
  38. 安田巌

    政府委員安田巌君) この予算といたしましては、先ほど山下委員の御質問に対してお答えしたような、同和関係だけなんでございまして、一般的な隣保館につきましても、そういう点を考えたと思いますけれども、なかなか、現在のところでは、いろいろな関係でむずかしいという状況でございまして、そういう点が一つと、それから、現実に社会の要請によりまして、もうすでにそういうものがあるわけでございますから、これにやはり、社会福祉事業としての裏づけを与え、また必要な特典も与え、監督もするという考え方が今度の法律改正理由になっております。
  39. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 いや、同和関係の問題でおやりになったというけれども、今日の同和関係の中で、私の見る目では、先ほど申されたようなことではまだまだ少い。だから、そこに対象をしぼってみたところで、もっと進まなければいかぬのではないかと思いますので、お尋ねしておるわけです。
  40. 安田巌

    政府委員安田巌君) そういう意味でございましたら、私ども今後も続けて参りたいと思いますし、先ほどから申し上げましたように、私どもといたしましては、できるだけ計画を早く遂行できるような予算を計上するつもりでおります。
  41. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 もう一つ聞いておきたいのですが、五大都市の特例という問題が、いつもこういう法を成立させるときに問題になるわけです。この前の環境衛生のときには入れたが、今度は入っていないということなんですけれども、衆議院ではもとに返ったわけですけれども、今度の五大市ですね、この特例について、厚生省一つ見解を承わっておきたい。どういう工合に見ておられるか。
  42. 安田巌

    政府委員安田巌君) これは、大へんむずかしい問題でございまして、前回指定都市とすることにつきましても、あれだけもめたような事情がございまして、私どもといたしますれば、大体ああいうふうに、指定都市という形で一応の解決をされたのでございますから、まあその線に沿ってなるべく私どもの方の仕事もやっていきたい、私の方から積極的に今そういた、市と府県の権限の調整というものを新たな角度から検討するということは、現在のところでは考えていない次第でございます。
  43. 山本經勝

    ○山本經勝君 隣保館のことですが、先ほど局長さんのお話を伺っているというと、隣保館を設置する予定は、大体四百世帯ですかを対象にして一カ所、あいるは共同浴場の問題は、二百世帯を単位にして一カ所、こういうことなんですが、それは、今まで社会局所管の隣保館というのがあったのですが、補助あるいは特別経費を出して運営されている分がそれで、これらはいずれも、この四百世帯という単位を基礎にしてなっているのですか。
  44. 安田巌

    政府委員安田巌君) そういうことでやっております。そうしてさらに、そこにおける保護世帯の数であるとか、あるいは疾病の率であるとか、その部落における貧困の度合いであるとか、そういったようなものを考慮しまして、きめておる次第でございます。
  45. 山本經勝

    ○山本經勝君 もう一点伺っておきたいのですが、そうすると、同和部落といいますか、こういうところが、四百世帯を単位にして、全国では何カ所くらいになりますか。
  46. 安田巌

    政府委員安田巌君) 先ほど申しましたように、四百世帯以上と申しますと、六十二部落になっております。もちろん、おそらくそういう機械的な基準というのはおかしいじゃないかという御議論があると思うのであります。もっと小さい部落におきましても隣保館が必要であり、もっと小さい部落におきましても共同浴場が必要である場合もあり得ると思うのでありまして、できるだけそういうものを早く充実させていくために一応の計画を立てまして、それによりまして大蔵省と折衝いたしておるわけでありますが、しかしこれは、終局の目標がそこにあるというわけではございませんで、できるだけ早くこういったような状態をなくしていって、早く次の段階に移りたい、こういうふうに思っております。
  47. 山本經勝

    ○山本經勝君 四百世帯というと、よほど大きな部落だと思うのです。ですから、これは従来も、おそらくそういうところには、それぞれ最小限度の施設はあったのではないかと思うのです。ですから、これは、今の局長お話でわかりますが、将来の問題としては、もっと予算を増額することによってそれらはもっと、二百世帯あいるは百世帯、一番困っているのはそういうクラスではなかろうかと思うので、その点一つ、御考慮を願っておきたいと思うのです。
  48. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記やめて下さい。   〔速記中止〕
  49. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記を起して下さい。  休憩いたします。再開は、一時半にお願いいたします。    午後零時四分休憩      —————・—————    午後一時五十五分開会
  50. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 再開いたします。  午前に引き続き、社会福祉事業法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑を願います。——御発言もございませんようですから、質疑は尽きたものと認めることに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のおありの方は、賛否を明らかにしてお述べを願います。  なお、修正意見等おありの方は、討論中にお述べを願います。
  52. 勝俣稔

    ○勝俣稔君 私は、この法案改正に賛成するものであります。  ただ、政府としては、十分御注意を下さらなければならないことは、結核回復患者の保護施設を今回加えることにいたしたのでございまするが、御承知のように、結核は、なおったというて再発する者が非常に多い。最近、木下委員からもお話のありましたように、アフター・ケアのところから発病する者が相当多い。こういうことは、学問上これは肯定すべきことであると私は思うので、この施設の運営ということは、非常に医学的見地から考えねばならない。単なる社会事業だけと見るのはどうかと思う。しかしこれを、厚生当局といたしましても、公衆衛生局の方の結核担当の方と十分な連絡をお持ちになり、また施設についても、アフター・ケアの方々のために十分なる施設をお考えにならねばならぬ。また、アフター・ケアの作業療法の場合においても、それぞれの回復程度によっては、おのずからその作業も異なることじゃなかろうか、こういう意味合いからしまして、私は医学的監視というものを徹底的にやっていただきたい。それでなければ、せっかく回復した人がまた逆戻りをするというようなことがありゃしないか。せっかくの社会施設が再び療養所に転落するようなことになりゃしないか、こういうことを私は憂えるものでありまするので、政府においては、この医学的監視、管理を十分にやっていただきたいということをつけ加えまして、私はこの法案に賛成するものであります。
  53. 山下義信

    山下義信君 私は、日本社会党を代表いたしまして、本案に対して賛成の意を表するものでございます。  ただいま勝俣委員からお述べになりましたアフター・ケアにつきましては、われわれといたしましても、勝俣委員の御意見に賛成でございまして、すでにわが党の藤田委員等からも指摘いたしました通りに、なお、木下委員からも、先般他の機会でるる御開陳がありましたように、あくまで本施設は医療を中心とすべきでありまして、医療保障の手を離れないように十分な御留意を願いたい点は、全く勝俣委員の御意見と同感でございます。ことにこの入所者の期間等につきましても、一年そこそこの短期間で軽々に打ち切らないように、十分実情に沿うように通常をせられていただきたいのであります。元来このアフター・ケアが社会福祉事業の中に加えられ、言いかえれば、社会局の仕事としてお取り上げになったということは、一部におきましては、もしこれを医療保障の体系のもとに、つまり公衆衛生の立場でこの施設をするということになれば非常に費用を要する、単なる一つ社会福祉的な仕事という形にすれば、比較的予算措置その他も安上りに済むというようなことで、少し無理ではあるが、こちらの方に加えたのだというような説があります。そういうことの弊のないように、十分御留意を願いたいと思います。なお、同和事業につきましては、今後十分これに力を尽くしていただきたいと同時に、その事業の一環でありまする隣保事業を今回社会福祉事業の中に加えたのでございますが、どうか十分積極的にこれらの施策を御推進に相なり議して、わが国の数百年来のこの大きな問題の解決の上にお力添えを願いたいと思うのでございます。社会福祉主事定員充足の問題、あるいはその質の向上の問題等につきましては、質疑応答の中で十分指摘して、意見の開陳をいたしておきましたので、今後とも当局におかれましては、これらの人的状態改善につきましては、十分徹底的に一つ努力を願いたい。研修等につきましては、一つ相当な大規模で御実施願うように、深く要望をいたしておきます。  なおこの機会に、われわれといたしましては、この種の公的扶助仕事社会福祉仕事等につきましては、強く政府側に要望申し上げたいと思います点は、わが国の社会保障制度現状というものは、言うまでもなく、種々財政等の都合によりまして、政府のなされまするところは、要するところ十分でないことは、争うことのできない事実であります。このわが国社会保障制度の運用につきましては、実はかつて、今の社会保障制度審議会の会長の大内先生は、こういうことを申されました。日本の社会保障制度の運用については、実はその財源等も不如意であるので、これは結局、薄く広くやるよりほかには仕方がないので、できるだけ全国に行き届くように公平にやりたいということを言われたことがあります。こういう考え方で、こういう状態がずっと来ておるのでありますが、そこで、貧困階層の救助、低額所得層に対する福祉の諸施策も、実は俗にいう薄いのでありまして、不十分であることは言うまでもありません。その上に、先般藤田委員が要求いたしまして、当局からお出しになりました生活保護現状等の資料を拝見いたしましても、これらの諸制度の運用というものが非常に複雑でございまして、なかなかその能率がどうかと思われる点があるのでございます。他言を要するまでもなく、低額所得層に対する福祉の対策、貧困階層に対します公的扶助施策等は、迅速にこれをいたしますることが私は要諦の一つであろうかと思うのです。それが非常に手続を踏みまして、民生委員の門をくぐり、あるいは社会福祉主事の門をくぐり、社会福祉事務所の門をくぐりましても、あるいは受付係から面接員、面接員から地区担当員、地区担当員から他の機関との連絡、それが済んで、地区担当員と本人との数回繰り返される面接その他の往復、そして訪問調査が終って、書類が作成されて、書類の申達となり、地区担当員と指導員との交渉となり、指導員から保護課長へ、保護課長から決定書の起案となって、決定書類が申達されて、福祉事務所長の決裁を仰ぐというような複雑な手続をとられております。これらの運用の面につきましても、十分一つ御検討を加えられまして、換言いたしますと、社会福祉主事の能率、あるいはその仕事の基準等がどういうふうになっているかわかりませんが、できるだけこれら援護の手が迅速に対象者に届きまするよう、一大改善を加えていただきたい。この社会福祉主事制度は、申すまでもなく、占領軍の残しました置きみやげの一つ制度でございますが、十分一つ御検討を加えられまして、冷酷無情な運用のないように、実情に即するように、一大改善を加えられんことを切に要望いたしまして、私の討論といたす次第でございます。
  54. 中山福藏

    中山福藏君 私は、緑風会を代表いたしまして、本法案に賛成の意を表するものであります。  ただいま勝俣、山下委員によりまして、要点はすでに述べられた通りでありますが、私が療養所へ参りまして、結核患者が回復したというので、そこを退所する人々をいろいろと検討してみましたところが、中には、このくらいであったら差しつかえなかろうという、なかろう主義で相当の人が出されております。でありますから、退所した後に再び結核に冒されて、それが頭をもたげてくるというようなことがしばしばあるのを見受けているのであります。アフター・ケアという問題がここに起っておりますが、どうか政府におかれましては、十分その回復したかどうかということを確認するという方向にもう少し力を入れていただきたい。これを第一にお願いしておきたい。  それから第二は、隣保事業関係でありますが、先ほども山下委員から、まことに適切な一例をあげられまして、少女の強姦殺人事件というものを例に引かれたのでありますが、私は、この主事の選定ということはもう少し力を入れて、一つ政府が十分人物を見きわめるということが何より必要じゃないか、ただ単に学歴とか、推薦する人があったからこの人がよかろうというくらいの、よかろう主義では、こういう社会事業のほんとうの目的というものは遂行できないと私は考えております。どうかそういう点にももう少しお力をお入れになることを要望いたしまして、本案に賛成の意を表します。
  55. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 他に御意見もないようでございますから、討論は終局したものと認めることに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  56. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより社会福祉事業法の一部を改正する法律案について採決いたします。本案を原案通り可決することに賛成の方は、御挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  57. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 全会一致でございます。よって本案は、全会一致をもって、原案通り可決すべきものと決定いたしました。  なお、本会議における口頭報告の内容、議長に提出する報告書の作成、その他の手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  58. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  それから、報告書には、多数意見者の署名を付することになっておりますから、本案を可とされた方は、順次御署名を願います。   多数意見者署名    山下 義信  藤田藤太郎    木下 友敬  鈴木 万平    横山 フク  片岡 文重    竹中 恒夫  山本 經勝    中山 福藏  勝俣  稔    木島 虎藏  有馬 英二    西岡 ハル  松澤 靖介
  59. 米田吉盛

    政府委員(米田吉盛君) ただいま御決裁をいただきました社会福祉事業法の一部を改正する法律案につきましては、御審議に当り、だんだん適切な御意見を賜わりまして、この法律の施行に当りましては、十分御意見を尊重いたしまして、運営の全きを期したいと存じております。     —————————————
  60. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 次に、角膜移植に関する法律案議題といたします。  提案者のほかに、法務省から河井刑事課長も見えておりますので、お含みの上質疑を願います。速記をとめて。   〔速記中止〕
  61. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記を起して下さい。
  62. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 提案者に対しまして、二、三質問を申し上げたいと思いますが、この身体障害者、ことに目の障害者に対しまして、この法案は非常に私は非常に有益なものと思いますので、この提案者に対しまして敬意を表するものでありまするが、まず、その提案者といいますか、ちょっと質問がはずれるかもしれませんが、あるいは問題は専門的な問題にもなるかもしれませんが、それについて御答弁ができなかったら、できないでもよろしゅうございますが、ここにありまするところの、第一条にある、いわゆる角膜移植術を受ける者に疾病を伝染させる、そういういわゆる伝染病を起す危険のある場合に対しましてのいわゆる伝染病というそのものについて御質問を申し上げたいと思いますが、この問題は、要するに、伝染病にも急性と慢性の二つがあると思います。この場合に、急性のものであっても、伝染性の危険のないものもあるでしょう。慢性のものであっても、危険のおそれの、心配のないものもあるかと思いますが、これらの問題は、要するに血行性の伝染かいなかということも相当重要な要素かと考えますが、これらについて、どういう伝染病が伝染の危険があるかどうか、そういう点をお聞かせいただきたいと思います。
  63. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) 私がちょっとお答えいたしまして、専門的にわたりまする点につきましては、当局政府委員から足らないところを補っていただくことにいたしたいと思います。私ども衆議院の委員会におきまして、東大の専門の先生方に参考人という立場で御出席いただきまして、いろいろ拝聴いたしましたところによりますると、この角膜に伝染病というものは大して関係がない。ただ、この目のガンというものがあるそうでございまするが、それだけがこの障害になる、いろんなこの伝染病というものは、大して角膜には影響はないのだというお説を衆議院では拝聴いたしまして、この点も明快に回答を得たということになっておりまするので、この点をお答え申し上げまして、なお足らないところは、当局から御説明をいたさせたいと思います。
  64. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 実は、目の方に関しましては、私どもしろうとの方なんでございますが、しかし、常識的に、私どもは、たとえば梅毒、結核などが、伝染のおそれある代表的なものだと心得ていいかと思います。ただいま中山議員から申されたごとく、先般の参考人の御意見では、御承知のごとくに、角膜は、血管がきわめて乏しいといいますか、ない組織でございまするので、そういった伝染病を起させるおそれは非常に少いというふうに考えております。しかし、きわめてまれな例でありますけれども、網膜膠腫と申しますか、ああいう悪性腫瘍が伝播されたという例がかってあったことがあるという御注意をいただいたわけでございます。しかしながら、もしもこの法案が、御審議をいただき、決定いたすならば、われわれ行政当局といたしましては、角膜それ自体は何でもなくとも、その眼球全体を取り扱う、あるいは患者の肉体そのものに入れるものでございまするので、伝染性の疾患がむしろ角膜それ自体になくて、その周囲の臓器にあって、それから、健康者の方に移行する場合があるということで、いわゆる一般的に伝染性疾患のものからの移植というものは、できるだけ避けていただくような方向に指導して参らなきゃならぬ。かように考えておる次第でございます。
  65. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 今、中山議員からお話しになったように、伝染の危険というものは、ほとんどないというようなお話、また、政府委員からお聞きしますれば、万全を期して、こういうのを条文にといいますか、そういうことになったようなお話のようでありますが、やはりそういう意味において、注意注意を重ねてやるべきであるというような意味で、かような条文をお書きになったのですか。
  66. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) これを私の方でいろいろ研究を一年余りいたしておりまする際に、そういうおそれがないかもしれないけれども、万全を有するために、こういうように書いておいたらどうだという御意見が相当出ましたものでございまするから、こういうふうにいたしして、伝染病のおそれがあるようなものの場合には、これをいただかないことにするというようになりました次第でございます。
  67. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 伝染病に、角膜移植されたものがなった場合に、あるいはまた、ガンでありましても、そのようなことになった場合でも、私は二通りあると思います。やはりその角膜が移植されたためになる場合と、そうでない、偶然といいますか、もうすでに伝染病ならば伝染病にかかって、潜伏期というような状態にあるものとの二つの場合があると思いますが、そういう場合は、やはり潜伏期の場合に移植をした。その場合に、移植したために伝染病が起ったというようなことに言われることがあると思いますが、そういうような場合において、これはもちろん、法律上の問題になるかとも思いますが、そういう場合における結局は大家の判定といいますか、そういうことになると思いますが、この場合にはどういう処置といいますか、お考えをお持ちですか。たとえば、注射をした、もう危篤の場合に注射した、あいるは危篤でなくても、注射した場合において、すでに心臓が弱くなっておった。そういう場合に、注射したために死んだのではなくて、偶然に死とその注射が一致したというようなことが臨床的にはあるのであります。そういう場合が、いわゆる伝染病の場合にもないとも限らないと思います。それは要するところ、迷惑するのはそれをやった医者であって、非常に困る場合が起ることじゃないかと思いますが、そういう場合におきましての処置といいますか……。
  68. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) ただいまの御質問は、まことに適切な御質問であると思いますが、たとえばペニシリン・ショックというようなものも、そういうからだの特殊性というものがあるのでございまするから、一般には、ペニシリンによりましていわゆる肺炎から助かるとか、あるいはほかの化膿性疾患から助かるというような、ありがたい面もございまするけれども、その患者の体質によりまして、そういうペニシリン・ショックというようなこともあり得るのでございまするから、これは、いかにお医者様が御注意をしていただきましても、あいるはそういう不幸な場合が全然ないという断言はできませんでございましょうが、そこはお医者様の技術を信頼申し上げまして、万全を期していただきたい、そういうことがないようにお願いをいたしたいのでございまするが、万が一にもそういう場合がございましたときには、それは、人力の及ばないところであろうかと思いまして、そのときはまた、いろいろな問題が起りましても、これは裁判所において争うこともございましょうし、いろいろな究明する方法もあろうかと思いまするが、そういうことがないように、万全を期してやっていただきたいということを希望する次第でございます。
  69. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 何ゆえにそういうことを申し上げるかといいますと、問題が起きた場合に困るのは、やはりやった方の医者であって、そのために今までの信頼といいますか、せっかくこういうりっぱな行為が、そのために今後皆さんが危険視してやらないようになるというようなことがあっては大へんだということから申し上げるのですが、やはりこういう場合においては、不可抗力ということにおいて、必ずしも医者の責任ではないということになるべきと思うのですが、その点については、はっきり御答弁を願います。
  70. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) まあたとえば、大手術をいたします場合には、入院いたしました者に対しまして、医師が懸命なる努力によって大手術をなさいました場合に、いわゆる人力の及ばない、非常な造詣の深いお医者様にいたしましても、どうにもならない場合もあることは、考えておかなきゃならないということを病院当局はお考えになりまして、手術の際、万が一にもその病人が死ぬというようなことがあっても不服を言わないというような一札をお取りになるということも、これは常識になっておるように思いまするから、私、提案者といたしましては、そういうこともまたこの委員の、御質問していただいておりまする先生の御心配がございますれば、そういうこともまた考えることもできるのじゃないかと、こう私はしろうととして考えるわけでございます。それじゃ一つ専門家から……。
  71. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) ただいま御指摘のような場合は、単に角膜移植だけでなくて、医師の診断中に当ってときどき起る問題だと存じます。医師が全知全能を傾けて、良心的にいたしまして、なおかつ及ばなかったというような場合におきましては、もちろんこの角膜移植に際しても同様でございますけれども、これは、行政上は、やむを得ない結果である、かように考えるのでございます。刑法上の取扱いは、刑事課長からお答えあると存じまするけれども、行政府には、これはいわゆる不可抗力と申しますか、やむを得ないものである、こう考えます。万一医者の不注意等によってその事故が発生した場合におきましては、これはもちろん、行政上の処分の対象になると思います。
  72. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 今、中山議員のおっしゃった、いわゆる手術とか、その場合に誓約書といいますか、そういうものを取ってやればいいじゃないかというようなお話ですが、私は、ああいうようなものは法的な何らの意味のない、価値のないものと思いますが、その点をあわせて、刑事課長の御答弁を願います。
  73. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) お答え申し上げます。法律上の責任といたしましては、民法上の責任と刑事上の責任と、二つあるわけでございます。まず刑事上の責任の点を申し上げますと、刑法二百十一条で、いわゆる業務上の過失責任というのを認めております。医者としての業務上の注意義務を欠いた場合において、その刑事責任が発生するという場合が起って参るわけでございます。従いまして、お尋のような場合に、伝染病を持っているかどうかというようなことを、医師注意力をもってすれば当然発見し得えたのにかかわらず、これを発見することが何らかの過失によってできなかったということで、伝染病が伝染したというふうな場合には、業務上の過失責任というものが起る場合がございます。それは、先ほども引用されましたペニシリンのショック死とか、あいるは輸血の場合の梅毒の感染をしておる者の血液であるとかいうふうな問題につきまして、すでに今までもしばしば事例がございますので、医師としての業務上の注意義務を果しておる限りは責任はないと、こういうふうに考えております。
  74. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 この角膜の移植の場合に、血液型というものは関係ありませんでしょうか。
  75. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 私どもが学者から承知した範囲におきましては、無関係だということを聞いております。
  76. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 私はちょっとお聞きしたいのですが、死の認定といいますか、あいるは死の経過時間といいますか、これは非常なむずかしい問題だと思います。私もずいぶん死体解剖をやりまして、法医学的にやったことがありますが、死後の経過時間というものは非常にむずかしいので、大体はぼんやりしたものであって、ある人は十時間で、ある人は二日だというので、ある程度わからない。ちょっと、いわばでたらめと申しますか、これは、今の科学的な判定というものは、非常にむずかしいように思われるわけであります。この場合において、死というものの確認というものが非常に問題となろうと思いますが、その場合に、やはり一つの問題は、仮死という状態があるのであって、果して死か、または仮死の状態かというような場合において、もしも仮死の状態といいますか、そういう場合にやった場合において、刑事上といいますか、あるいはまた問題が起るようなことはないでしょうか、そういう点、愚問かもしれませんが……。
  77. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) ただいまの御質問は、決して愚問ではないと私は思っております。なぜならば、衆議院におきまして、東大の上野先生とおっしゃいましたか、法医学の大家におでましを願いまして、この問題をお尋ねなさいました委員がいらっしゃいましたが、その先生が、すでに息は絶えておるという認定のもとに解剖した。そうしたところが、解剖してみたところが、その心臓はまだことことと動いておったというお話をなさいまして、私どももあぜんといたしましたような次第でございまするがこの死の状態の認定というものは、非常に私はデリケートなものであると考えるのでございます。それで、そこはお医様方のほんとうにはっきりした御認定をいただかなければ軽々に御決定いただきましたのでは、目をちょうだいして、あと生き上って、この人が目がなかったというようなことになりましたのでは、大へんなことになるのでございますから、ここは、私どもが相当に先生のその技倆というものに信頼を持ち得る状態において、こういうことが行われなければならないと確認いたした次第でございます。
  78. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 なお伺いしますが、この移植する場合に、眼球から角膜を剥離するのだと思いますが、剥離して、そうして移植するのだと思いますが、その剥離したものがどれくらいの保存の時間といいますか、期間まで保存力があるものかどうか、そういう点を……。
  79. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 実は、早ければ早いほどいい。患者が死亡して、死体から眼球を取る角膜を剥離すると、死亡時間から考えまして、七十二時間以上、三昼夜たったものは移植しても効果がない。できるならば、二十四時間以内でも四十八時間以内でも、早ければ早いほどいいということが眼科学界の定説になっておるそうでございます。
  80. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 今は、眼球そのもののお話のようにお聞きしたのですが、そうでなく、眼球を取って、早くなら早く取りましても、今度移植する場合に、それを保存し、別な人にやろうというような場合に、保存する力というか、時間というか、どのくらいあるかということをお聞きしたのです。
  81. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) ただいま申し上げましたように、死後から計算いたしまして、三昼夜以上保存したものは、移植いたしましても視力を回復する力がない。従って、三昼夜以内に移植を終らなければいけない。それも、三昼夜以内も、早ければ早い方がいいということでございます。
  82. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 それは、保存の仕方というものに関係ありませんですか。生理的に、食塩水とか、あるいはまた弱らないような処置といいますか、そういうのを施した場合においても、今申されたような時間的関係があるのですか。
  83. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 保存するに当っては、どこでも冷蔵庫で保存いたします。冷蔵庫の温度も、零度以下であっては、角膜を凍らしてしまってはだめになります。できるだけ低い温度で、角膜が凍らない程度、すなわち、二度か三度の程度で角膜を保存することが最も理想であると、こういうふうにいわれております。その最適な保存方法を用いて、なおかつ時間的に、ただいま私が申し上げましたように制約がございます。
  84. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 角膜は、死後大体二時間ぐらいたちますと、混濁が起ってくると思いますが、その混濁が起ったものでも差しつかえないかどうか。
  85. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) その点、私まだ学者に確かめてございませんけれども、できるだけ早く剥離いたしまして、そうして最適の保存方法で保存することが望ましいのではないかと存じます。
  86. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 大体それぐらいにいたしまして、なお、社会保険のその角膜の点数といいますか、材料の点数はどのくらいなんですか。
  87. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 点数の、実はものを持ってきておりませんので、はっきりお答えできませんけれども、百点ないし二百点の間ではなかったかと思います。
  88. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 百点、二百点と、はっきりしたそれは数字ですか。百点、二百点というのは、あまり開き過ぎるのじゃないかと思います。
  89. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) ちょっと今調べてもらいますから。
  90. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 要するに、せっかくそれらの不幸の人たちのために、自分の目を自分の死後提供しようということなんですから死体というものは、非常にこれは尊厳なものであって、損傷すべきものでないというような思想は、これは当然なわれわれ人間として持つべきものと思いますが、それを不幸な人のために自分の目を提供するというようなことになったならば、その自分のふところに入らなくても、その目の代価というものは、百点、二百点というものよりもう少し多くあって、少くとも花輪代ぐらいとか、それ以上になるくらいに丁重といいますか、もう少し厚くすべきじゃないかと思いますが、これは私は、手術料ではなくて、手術料は四百点ですか、その手術料ではなくて、いわゆる血液銀行などに血液を輸血する場合に払われるような、そういうものが社会保険ではきまっておりますな。それと同じような、いわゆる材料代といいますか、眼球代といいますか……。
  91. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) 伝え聞くところによりますると、今やみでやっているところがあるそうでございますが、それは、この法律が通っておりませんので……。それが大体十万から二十万の間だということが伝えられておるのでございます。それで、今問題になっておりまするのは、結局私が明白にそうだとまでは申し上げかねまするけれども、目をはぐその手術料、それから今度は、それを移植する手術料、これは二本立になっていると記憶いたしております。それで総合的に、お金でいえば、五千円ぐらいのものがお医者様の手に入るというように、私はうろ覚えに覚えておるのでございますが、しかし、家族の人に対しましては、別にここではそういう謝礼をするというようなことを考えないで、今まで、提供してあげたいという申し込みをなさいました方は、ほんとうにヒューマニティという立場から、何のお礼も要求しないで提供している人たちが、目の衛生協会のところに申し込みの方があるわけでございます。この間の下村海南先生もその通りでございまして、あの方は、国立公園の会長として、日本中をかけめぐって、いろいろな面を見通して、あの高齢まで社会的活動をなすったお方の目を、これは片一方ずつ二人に移植されたそうで、これは成功をいたしておると伝え聞いておりまするが、ああいう偉い人の目をもらった人は、ますます見通しがよくなるのじゃないかと私は思ったりいたしておりますが、そういうわけで、私が聞きましたただ一つは、死んだら目を上げるから、先払いで二十万よこせと言ってきたおばさんがあるということだけしか聞いておりません。あとは皆さん無料で、いわゆる奉仕したいという、結局、自分が死んで焼かれたならば一代ものだ、これを二代使うことができたら、社会に貢献するからというような、まことに尊厳な、何と申しますか、ヒューマニティの心からお出しになった方の話だけしか、私はまだ一つのケース以外には聞いておりません。
  92. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) さいぜんは、非常にでたらめを申し上げて恐縮でございます。角膜移植術は、医者の取り高でございますが、四百点ということになっております。これは、私が保険局の当事者に尋ねたところでは、摘出、剥離、移植という、そういう一連の操作を通じまして四百点、さように聞いております。それから、角膜代というものは、全然保険では考えておらぬそうでございます。従来は、非常な好意によって、たとえば、中山先生のおっしゃったような、ヒューマニティによる授受が行われたということがあったわけでございます。将来もそういうあり方でありたいと考えております。
  93. 松澤靖介

    ○松澤靖介君 やはり輸血の場合に輸血代というものがあると同じように、これはある程度取って、そういう特殊の場合の、何ですか、香典というか、そういうことにしておやりになられるように、提案者側でも、この際、社会保険の点数の改正の場合でも、そういうのをつけ加えて下さるように、一つ社会保険局の方にでも申された方が非常にいいのじゃないかと思います。  なお御質問申し上げたいのですが、先ほどお話の中に、要するに、第七条に関係すると思いますが、業として、あっせん業をなさるような場合において、今までのような、非常な暴利を得ようというような変な考えの人がないとも限りませんので、この点に対しましては、十分なる取締りといいますか、そういう点をお考えになっておると思いますが、これにつきましても、提案者並びに刑事課長さんからお伺いしたいと思います。
  94. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) 今の御指摘の個条は、衆議院の方には入っていなかったのでございます。それで、衆議院の方で、いろいろ委員の方々が御心配になりまして、万が一にも、そういう、業として、それによって利益を占めよう、たとえば病院に入院している人たちが、面会謝絶だとか、あるいは危篤を伝えられる場合に、おたくの人がなくなったら、目を売ってくれというようなことを言うて歩くような悪質の人が出た場合にはどうするのだという御心配が出まして、それでは一つ、こういうものを入れておいて、厚生省におまかせをして、ある場合には、たとえば一年なら一年で切りかえることにして、もし、そういうふうな悪質の傾向を見る人があったならば、厚生大臣がこれをまた再び許可をしないということにするべきであるという御意見の尊重によりまして、これが入りまして、厚生大臣の方におまかせをするということに改正されたわけでございます。
  95. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) 七条の規定は、九条で罰則にかかっておりますので、「業として死体の眼球の提供のあっせんをしようとするときは、厚生省令の定めるところにより、厚生大臣の許可を受けなければならない。」必ずしもこの条文からは、どういう犯罪の形態かということは、省令が定まりませんと、明白になりませんですが、「業として死体の提供のあっせんをしよう」、こういうことになりますと、予想されますのは、無許可で、いわゆるもぐりの周旋業者というものが一応考えられるわけでございます。厚生省で許可されていないものが、そういうものをブローカー的にやるという場合が考えられると思うのでございますが、そういうものにつきましては、十分取締りを厳にいたす考えでございます。
  96. 木下友敬

    ○木下友敬君 今、松澤委員からお尋ねになっていました、業とする問題がさっそく出てくるわけでありますが、血液銀行のような場合は、業として成り立っておりますが、一体、現在、角膜移植をすれば目が見えるようになるという対象が、現在どれくらいあるかということと、毎年どれくらいずつ発生してきているかということを、これを一つお聞きしたいと思うのです。
  97. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 実は、ただいまの御質問に関する全国的な調査はないのでございます。数年前に、慶応義塾大学の医学部の眼科教室におきまして、神奈川県の全保健所とタイ・アップいたしまして、県下の視覚障害者の全数調査をやったことがあるのでございますが、目の悪い人は、見えない人は保健所へ来て下さい、どこそこへ来て下さいということでやったことがあるのであります。神奈川県におきます結果を見ますというと、目の病気の人が、全部で三千七百眼——人間じゃございません、目の数でございまして、三千七百眼。その中で視力障害の目が二千八百眼。その中で角膜移植をやったらば成功するであろうと想定されるものが、二百六あったのでございます。つまり視力障害者の七・二%に、この角膜移植の適応患者があったということでございます。これを全国的に、全国数字に引き延ばすというのは、ちょっと乱暴でございまが、全国数字に引き延ばしますというと、大体一万眼弱であろうと、こう推定と申しますか、想像と申しますか、そういうふうに考えられます。従いまして、輸血のごとく、毎日々々大きな手術が行われ、毎日のように大量の血液を必要とするものではないのでございまして、ある程度角膜移植が進行いたしまするならば、その適応者は非常に減ってくる。どれくらい新発生があるかという点は、実は私ども存じておりませんけれども、おそらくは、ただいま申し上げました数字から申しましても、年間の適応患者の発生数というものは、きわめて微々たるものではなかろうか、かように考えておる次第であります。
  98. 木下友敬

    ○木下友敬君 そうすると、そういう手術のできるお医者さんは全国に普及しておるかどうか、そういう機関が普及しておるかどうかということと、それから、角膜を移植すれば、どれくらい持つか、遠隔成績ですね、十年も二十年もその目はそのまま見えていくのか、あるいは途中で濁ってきて、また見えなくなってもう一ぺん十万円、二十万円出して目を買わなければならぬようになるのか。それから手術の成功率、手術はほとんど百パーセントに近い、九十何パーセントという成績であるのか、あるいは、実は半分ぐらいしか成功しないのか、その辺のところを一つ説明を願っておきます。
  99. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) ただいま御質問の点は、角膜移植を実施するに当って、きわめて重要な点でございますので、私どもといたしましても、在京の眼科の専門の方にお尋ねしたのでございますが、率直に申しまして、はっきりした答えは得られなかったのでございます。一般的に申しまして、角膜移植が成功したかしないかということは大体手術後六カ月でもって判定するのがいい、移植した当時は、かなりよく見えるのだそうでございます。しかし、だんだん視力がまた減退していく、半年たつと、もとのもくあみになってしまう例が案外多い。従って、角膜移植が成功したかしないかということは、医学的には、六カ月後に判定することが適当であろうというのが一つ、それから先、どれくらい視力の回復が継続するか、この遠隔成績につきましては、実ははっきりしたデータは世界中にないそうでございまして、なぜないかと申しますと、見えない方はもうあきらめて、あれだけの手術をしてもらって見えないのだから、しようがないといってお医者さんに来ない、少くとも前のお医者さんのところには来ない。従って、ほんとうの意味の遠隔成績はわからないのだ、わからないと言った方が正直なんだというお答えでございます。  さて、大体六カ月後の判定を基準といたしまして、どれくらいの成功率があるかと申しますと、これは、世界的なものはございませんけれども、アメリカあたりでは、相当優秀な眼科教室あたりの報告では、四〇%ぐらいまで回復したという例があるそうでございます。アメリカの四〇%ぐらいの成功率というのは、一番いい成績でございまして、ロシヤなどでは、二〇%から四〇%の間ぐらいである。日本の学者は、非常に評価がまちまちでございます。しかし、大体、東大とか慶応大学にお伺いいたしますというと、まずもって、相当適応症をよく選ぶ、確かにこれならよくなるに違いないといったような適応症を選んで、新鮮ないい材料を使って、まずまず二〇%ぐらいではなかろうか。従いまして、この法案が通ることによって、目の見えない人が、だれでもかれでも目があくというように誤解して、頼られるようなことがあっては大へんなことになるのじゃないかという点を、私どもとして心配する次第でございます。  それから、全国角膜移植のできる医者が何人おるかという点につきましては、実は、お医者さんの能力検査というものをやっておりませんので、私からお答え申し上げることはできないのでございます。ただ、申し上げられますことは、眼科の専門病院が、単科病院でございますが、これが全国に三十六カ所ございます。この三十六の単科病院のお医者さんは、それぞれすぐれた眼科の専門医であろうと考えております。それから、一般病院の中で、眼科を併設してあるのは全国で千百九十六、これはたしか一昨年の暮れの調査だったと存じますけれども、一千百九十六でございます。その相当数の方がやはり移植術をおやりになる方ではなかろうか、しかし、何パーセントぐらいあるかと申しますというと、これはちょっと、私どもの方としては、材料を持っておりません。それから、眼科の専門を標榜している診療所は約二千ございます。やはり眼科だけをやっておられる方は、相当のお方ではないかと存ずるのであります。大体現在の病院、診療所の数だけを御参考までに申し上げておきます。
  100. 木下友敬

    ○木下友敬君 これも、先ほど松澤委員質問にあったことですが、それに対する中山議員からの御答弁の中で、解剖をしかかったらば、心臓が動いておった例がある。これは皆さんお笑いになったようですが、笑う問題じゃないと思うのです。非常に重大な問題だと思うのです。一例でもそういうことがあるということは、非常に大へんなことですが、これからだんだん医学が進んでいきますと、おそらく今の状態では、目だけではない、ほかの部分もこれは移植ができるようになると思うのです。たとえば、指にしましても、腕にしましても、あるいはこう丸とかというようなところでも、移植可能ということが見えてきている。こういう状態下において、手術をしたら蘇生してきたというようなことがないとも限らないし、そうすると、第一番目に、こういう角膜移植という法律を作るときに、取られた人に対する保護とか補償というものについても、手当をしておくべきだと思う。一体目をくり取られて息をふき返したとき泣き寝入り、あるいは医者が間違えたのだから、医者から損害賠償や、医者に訴えればいいのだとか、そういうようなことで、政府当局責任を医者だけに負わせるということはいけないので、少くも法律を作るならば、これに対する責任をはっきりしておく必要がある、保護の責任があると思うが、御見解を承わっておきたいと思います。
  101. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) 私ども衆議院におきまして、その問題が出まして、今、先生のお話になりましたように、動脈瘤で、死んだお方の動脈もまた摘出して、そしてそれも使用できる。それから、じん臓もまたそういうふうに利用することができる、男女両性の生殖器に関するところの機関もまたそういうことができるというお話が参考人のお答えから出ましたので、社会党の滝井委員よりありまして、厚生省には、そういうものをぜひ一つ立体的に、角膜だけでなしに、今後そういう可能な部分品の取りかえと申しましょうか、(笑声)人間の部分を取りかえることもできるようなものを、一つ総合的なものを出してくれという御要望がございまして、まことにこれも貴重な御意見であると、私も拝承しておりましたのでございまするが、しかも、心臓がことことしておったという話を聞きまして、実は非常に心配をいたしておるものの一人でございまするが、絶対にそういうことがございませんようにいたしたいと思います。また、今の御意見をもう一つ厚生省の方から御尊重願いまして、御所見を私もぜひ御発表願いたいと思っております。
  102. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 本案の第二条には、「医師は、死体から眼球を摘出することができる。」その失態について、先ほど来、仮死の者から取るというような場合はどうするかというふうな御質問なり御意見であろうと思いますが、これは非常に大きな問題だと思うのであります。確かに東大の上野教授が、そういう事例があったことを申されたのでございますけれども、私どもといたしましては、これはもうきわめて稀有な例かと思います。元来死体という定義は、これは、二度と再び生き返らないということを医師が確認したものをもって死体としておるのでありまして、従って、心臓まで完全に停止する、若干時間の経過を見て、二度と再び絶対に生き返らないのだ、もちろん身体の各種の細胞は部分的に生きておるでしょう。生きておるでしょうけれども、生命そのものを見た場合に、二度と再び生き返らないのだということを医師責任のもとに確認したもの、これが死体であると、こういうふうに考えておりますので、この角膜移植に当りましても、すべてのお医者さんがそういう考えのもとに、さような前提のもとに、十分仮死でないことを、生き返ることのないことを確認した上で移植なさるべきである、さようにしていただきたいと、かように考えておる次第であります。
  103. 木下友敬

    ○木下友敬君 たとえば、医師が死亡したと認めてから火葬に付するまでの時間は、二十四時間ということになっておると思いますが、それでは、二十四時間以内であれば、二十四時間を境として、蘇生してきたというような報告ですね。そういうデータがどれくらいあるか。あるいは二十四時間過ぎてから蘇生したというデータがどれくらい、これも、医学の進歩で、非常に問題になってくると思いますが、睡眠剤を非常に用いて、仮死の状態と死亡の状態との境がわからぬようになってくるということもだんだん考えられるし、これは、数できめるよりしょうがない、非常にまれだといっても、実際今までのデータがどうなっているか、二十四時間前後で蘇生した例がどうなっておるか。
  104. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 実は、医師がほんとうに死んだのだと思って後に、二十四時間以内に蘇生した、つまり死んだのではなくて、仮死の状態にあったのだといった例がどれくらいあるかというお尋ねでございますけれども、さような資料は、実はまだ持ち合せてございません。必要があれば、できるだけ早い機会に、大学病院等に照会してやりたいと思っております。
  105. 木下友敬

    ○木下友敬君 それは、非常に危ないことです。わずかな例かもしれませんけれども法律としてこういうものを出す以上は、必要があればでなくて、必要があると思う。それは、法律を出す方でですよ。一体二十四時間内に火葬することは、現在ではありません。ありませんけれども、死んだと思ったら生き返ったということは、ないでもないようです。ただ、僕らも実例をつかまえていないが、棺に入れたら、ことことして動いておったり、あるいはぎゃっと言ったり、ほんとではないかもしれませんが、ないではない。やはり統計的なそういう例があれば、必要があれば調べるというのではなくて、私は、調べておくべきだと思いますが、そう法律化することは急がぬでもいいから、例が少いからというのでほうっておくというのは困ると思います。これは希望しておきます。  それからもう一つ、さっきのお話の中に、今、目の玉の眼球の値段が十万円、二十万円とかの報酬で取り扱われているというようなうわさでございますが、これについては、やはり先ほど松灘君か言ったように、一定の標準価格というものを設けておかなければならない。と申しますのは、これも、私も正確に統計を知りませんけれども、眼病というのは下層階級に多い。上層階級よりも下層階級に多いということです。先ほど言われましたけれども一つの県で二千何百人とか、パーセンテージは七・六%と言われましたけれども、これは、大多数は貧民、農山漁村、ことに漁村などに眼病が多いということになっているから、これが十万、三十万という値段でないといけないということになってくると、これは、法律まで作ってこういうことをやっても、実際は問題にならない。やはり健康保険にせよ何にせよ、標準の価格は作っておくべきだと思います。これに対する御見解を一つ伺いたい。
  106. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) これは、ちょうど衆議院を通過いたしました夜であったかと私は記憶しておりますが、テレビに、白衣を召されましたお医者様がお出ましになりまして、今まではこういう法律がないので、やみでやったことがある。しかし、衆議院は通った。これが参議院の方も通れば、こういうやみの値段は消えてしまう。これは喜ばしいと、堂々とやることができるようになったという御発言でございましたので、今までの値段が十万が円とか二十万円とかであったが、今後はそういうことはないかと思います。それで、今のお話のように、漁村だとか農村だとか、割方こういうものをほしがっている階層を、テレビに出てきたのによって見ましても、やはりそういう階層ではないかと思います。与える人は、裕福な人か、あるいは裕福でない人かということは、まだ見きわめておりませんけれども、今まで与えた人は、全然お金を要求しないで与えている人であって、やみでやっている人がそういうことをしていたのですから、今後はそういう憂いがなくなると思っております。
  107. 木下友敬

    ○木下友敬君 これは、はっきり死体から眼球をくり取るのですが、死体損傷という立場から、法律的な根拠はもちろん考えておると思いますが、この点、説明していただきたい、
  108. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) 刑法の第百九十条だと記憶いたしておりますが、死体損壊罪というものがございまするので、こういう法案が必要になって参りまして、それに触れないようにというところに、この法案の精神があるわけでございます。
  109. 木下友敬

    ○木下友敬君 そうしますと、医師が、実験あるいは治療の目的で、もしこう丸なり卵巣を移植したいと思って、患者、対象の承認を得て、そういう手術を施した場合には、やはり刑法に触れることになりますか。
  110. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) お尋ねの点は、刑法三十五条に、正当業務行為は違法性を阻却するという規定がございまするので、医師が治療行為として身体の一部を障害するというふうなものは、障害罪に該当しない、傷害罪を構成しないということは、学説、判例で一致した見解でございます。
  111. 木下友敬

    ○木下友敬君 そうすると、今の御答弁と中山さんの御答弁とは、ちょっと食い違いがあって、そのおそれがあるからこの法律を作ったのだということと、もし卵巣やこう丸を移植するのが治療の目的であるならば、それは刑法に触れない、こういう考え方との間には、少し違いがある、本質的な違いがあると、こう思うのですが、御見解はどうですか。
  112. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) お尋ねの点の疑問は、まことにごもっともでございまして、眼球摘出のために死体を損壊するということが、死体損壊罪を構成するかどうかということにつきましては、従来、学者の間に二つの見解がございます。その一つは、医師角膜移植のために行うというようなものは、刑法三十五条の医師の正当業務行為に該当するのだから、犯罪を構成しないのだ。それならば、角膜移植法は何のために作るのだ、これは、それを正当業務行為であるということを裏づけるために、確認的な意味をもって、この立法が行われることが望ましいという考え方が第一でございます。第二は、死体損壊罪というのは、単に遺族が承諾したからということで、医師が勝手に他の人のために眼球を摘出するというふうなことは許されないのだ、それは、死体損壊罪の法益が、法律が保護しておるところの法益というのは、単に遺族の自由にし得るものではなくて、公共の利益を保護しておるのだ、いわゆる醇風美俗と申しましょうか、みだりに人の死体を損壊して、眼球を摘出するというようなことは、善良の風俗、醇風美俗に反するのだという点で、やはり取締りがされなければならない、こういう考え方から参りますと、医師の業務行為として行なっても、やはり犯罪を構成するという考え方でございます。この考え方から参りますと、角膜移植法という法律ができて、はじめて正当業務行為として違法性が阻却されるのだと、こういうように、学者の意見は二説ございます。それは、いずれをとるかということは別といたしまして、この法律が成立いたしますれば、そういう点の問題は解決する、こういうふうに考えております。
  113. 木下友敬

    ○木下友敬君 この眼球移植に関する限りは、あなたの言うように、そういう問題は解決するかもわからぬけれども、視力の回復よりも、性欲とかあるいは若返りとかいう問題は、これは、数においてもうんと盛んになってくると思うのです。そうすると、こう丸の移植とか、あるいは卵巣の移植とか、部分的移植とかいうような問題は、これは、醇風美俗をこえてどんどん起ってくるのではないかと思う。そうすると、またそのときは、醇風美俗とか社会福祉とかいう問題をこえて、もう一度、移植法というような一般的な法律でも作るというお考えですか。なぜ、目だけに移植というものを限っておられるか。たとえば、身体一部の移植に関するとかということでもよかったわけなんですが、目だけになぜ限ってあるのか、取締りは一体どうしていくつもりか、卵巣の移植とか、あるいはこう丸の移植が行われても、また、それが高価な値段で行われるようになっても、別に何らの考慮は払わないつもりであるかどうか。
  114. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) 問題は二つあると存ずるのでございますが、お尋ねの第一点の、その一部を摘出することが、死体から行われる場合と、生体から行われる場合とが考えられると存ずるのでございます。第一の、死体から、たとえば心臓を摘出するとか、動脈を摘出して一部移植するというような問題になりますれば、やはり角膜と同じようなことが当然将来予想されると考えられるのでございます。それから、生体から一部移植するというふうなことは、現在も行われておるようでございますが、これにつきましては、医師の治療行為として、どの程度まで、正当業務行為として違法性を阻却するかという点については、学者間に議論がございます。被害者のいわゆる承諾しておる場合には、それが当然犯罪を構成しないかどうかと、こういう問題になるわりでございます。簡単に申し上げますと、命を金で売る、百万円くれれば自分を殺してもよろしいと、こういうものが、かりに被害者が承諾いたしましても、これは犯罪を構成する、こういう点では、承諾殺人罪というのが刑法にあります点からも明白でございます。それならば、傷害ならば、一体どの程度までよろしいかという問題になりますと、事は非常にめんどうで、学者の意見も分れているのでございます。それで、医師の治療行為としてそれが行われる場合に、当然被害者が承諾しておるから違法性が阻却されるということが、いかなる場合にも起って参るか、たとえば、片腕を切り落して、それを他の人の片腕に移植するというようなことが、被害者が承諾しておれば当然許されるかということになりますと、これは、非常にむずかしい問題になると存ずるのでございます。それは結局、程度問題によって、将来解決の道が、いろいろな方面から検討されなければならないのじゃないか、さように考えております。
  115. 木下友敬

    ○木下友敬君 大体はっきりしてきましたが、たとえば、今、私が例にとりました性欲の場合、あるいは若返りというような問題の場合には、これは、普通社会通念としてわれわれが承知しておる治療行為と言っていいかどうかわからない。あなたの御説明では、医師が治療行為として行なった場合には、これは問題外であるというような御説明であったと思いますが、もうしばらく若さを保ちたいとか、あるいは性欲を保ちたいというような希望を満たしてやる行為が、医師の治療行為というものに現在社会的な考え方で治療行為に入るかどうか、この御見解を承わっておきます。
  116. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) 私の御説明が足りなかったかと思いますが、かりに医師の治療行為として行われた場合におきましても、治療行為であるがゆえに、それがすべて正当な業務行為というふうにはならないと存ずるのでございます。その点は、結局、先ほど申し上げましたように、片腕を切り取って他の人の手に移植するというようなことは、かりにもし将来可能であるという時代が参りましても、医師の治療行為として行われて、それが当然許されるかどうかということは、将来の学者の研究に待たなければ、それが当然治療行為であるから正当であるというふうにいえるかという点は、今日の刑法学者の議論としましては、相当議論があるように存じております。  それから、お尋ねのような移植行為というものが将来行われる場合に、問題は、優生保護法とか断種とかという問題につながる事柄であると存じまするので、それが違法性を阻却すると当然いえるかどうか、この点のまあ問題に帰すると思いますので、今資料もございませんし、簡単に結論を申し上げるわけにいかないのでございます。必要があれば、よく検討して参りたいと存じます。
  117. 木下友敬

    ○木下友敬君 これは、今の点にまた続くことですが、第三条に、「疾病を伝染させ、その他危害を与えるおそれのある疾病にかかった者の死体から、眼球」とありますが、これは、目ではありませんが、私は、優生保護などの立場から、今生殖器の問題をお尋ねしておきます。ある精神病、神経病の人から生殖器を、たとえば断種の目的で、こう丸を摘出する。そのこう丸を他の人体に移植していくという場合には、それが優生保護法あるいは断種ということが法律的に認められておる患者から取ったこう丸であるゆえに、「その他危害を与えるおそれのある」という、この疾病の中に加わるものでしょうか。これはいいですけれども、その概念としては、どういうふうにお考えですか。
  118. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) 問題は、刑事責任の面から申しますと、結局過失責任医師の場合でございますれば、業務上過失の責任があるかどうかという問題、あるいは傷害の成立の有無ということに帰すると存ずるのでございます。今の、たとえば生殖器を移植いたしました場合に、その摘出されたものが特別の疾病を持っておったというような場合に、その移植を行う医師注意義務を欠きまして、疾病の保有者であることを発見するこができなくて移植いたしたために疾病にかかった、こういうことになりますれば、当然業務上過失障害等の責任が追及されることになると存じます。それから、その場合に、病気があることを承知して、なおかつやったとすれば、これは傷害、あるいはそのために当然死ぬというふうなことになれば、ときには殺人の責任というふうなものまで追及されるという場合も、これは起ってくると、仮設の例としてはあり得ると存ずるのでございます。
  119. 木下友敬

    ○木下友敬君 今の質問は、先ほど医師が治療の目的のために移植を試みたのは刑法に触れないという御答弁について、私設例したわけですが、精神病者の生殖能力からいえば非常に優秀なこう丸を他の患者に植えるということ、これは、生殖能力においては非常に旺盛な、特にそういう患者から植えるのだから、治療の目的としては非常にこれは有効なんだ。ところが、それがたまたま生殖器のことから、遺伝などの問題が当然起ってくるわけです。そういう問題の間において、これは非常に常識を欠いた行為であるけれども、あるいはそういうことが起ってこないとも限らない。りっぱな青年の身体のいいこう丸を摘出して、これは惜しいじゃないか、非常に能力の少い人にこれを与えてやろうというようなことが起ってきた場合には、それは単に損害賠償とか何とかというようなことで、移植された方の人から責任を問われるたけで済むが、法的に何か制肘が加わってくるかということ、これは、将来そういう移植というような全般的な問題について立法の意思があるかないかということとつながってくる問題ですから、くどいようですが、はっきり御説明願いたい。
  120. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) 精神病患者のこう丸を生殖能力のない人に移植して、つまり生殖力は回復したけれども、結果として精神病の遺伝が伝わったというような場合にはどういうふうな扱い方をするかという問題でございます。これは、学問的にも非常にむずかしい問題でございまして、私ども帰りましてから相当検討いたさなければ、この場では御返事いたしにくいのであります。精神病患者が遺伝性の精神病を持っておりながら、確かに、先生御指摘のごとくに、移植されたこう丸からは、やはり精神病の遺伝というものは可能性があるであろうと考えられます。もしもあるとするならば、それは、一つの医療目的であったかもしれませんが、全体の医療の目的を達していない。かえって悪質遺伝の原因をなしたというので、これは、医療行為であっても、正当な医療行為であるとは判定はできない、こういうふうに思います。
  121. 木下友敬

    ○木下友敬君 第二条の二項に、「医師は、前項の規定により死体から眼球を摘出しようとするときは、あらかじめ、その遺族の承諾を受けなければならない。」こう書いてあります。私がここで考えるのは、遺族も必要であるけれども、本人の意思というものをなぜ尊重しないか。本人は非常にヒューマニストであって、眼球をぜひ他人に上げたいという遺言をし、あるいは正式な法律的な遺言をしなくても、そういう意思を発表した。そういう場合に、家族がこれを拒否するということもあり得る。しかしこの問題は、家族よりも本人の意思というものが、現在の憲法では、あるいは人権という点でも守らるべきであるものを、本人の意思ということをこの条項からは全然くみ取ることができない。また、本人は死体を損傷することは非常にいやなことである。ある宗教的信念から、どうしても自分の身体にはさわってもらいたくないという者からでも、遺族が同意すれば、その死体を損傷するということは、この法律さえできておれば、そういうことは許されるものであるかどうか、この点、私この法律を見ておると、本人の意思というものを全然考えていない点がむしろ不思議に思うのですが、この点、どういうお考えでございましょうか。
  122. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) フランスの例を見ておりますと、遺族の同意を必要としておりませんがイギリスの方では、遺族の同意と、それから死者の同意がなければいかぬというようなことがここに現われておるのでございますが、本来なら、私といたしましては、その御本人の御意思というものを尊重して、御遺族が同意をすればよいと、こう思いますが、衆議院では、本人はすでに死してしまえば、もうその意思というものはそこに継承する必要がないというような御議論がございまして、そうして遺族というものがこの死体を継承するということになっておりますが、この遺族の限界ということが非常に問題であろうかと、私は思うのでございます。すでに御承知と思いますが、盛岡市で起りました事件で、内縁の妻の目を、死後、その遺族と思うて、内縁の夫がこれを献納した。そういたしましたところが、これは、法律上の遺族ではない。内縁関係だから、それでというので、また、こういう法律も通っていないというので、盛岡で、はこれが問題になりまして、そしてそのときの裁判長をしていらっしゃいました千種達夫とおっしゃいますその裁判長のお方が、ここに「角膜移植の承諾権者」という論文をお出しになったのを私は読んだのでございます。この中にもいろいろございまするが、しかし、だれが遺族かということでは、いろいろ今までの裁判の例を見てみますると、その喪主を遺族とするということで、この方は、内縁ではあるけれども、いわゆる喪主という立場から、しかも、その死んだ妻というのは精神病の患者であって、何らの意思をも持ち合せない状態で死んでしまったのだから、ほかにだれもいない、遺族が。だから、この人が喪主としての立場からこれをしたということは、慣習上社会に何の害毒も流さないで、かえって社会に福祉を与えるというところで、このお方が法に問われないで済んだというような例も見えておりますのでございます。下村先生の場合は、御本人の御意思を御遺族が尊重なすったというようになっておりますので、衆議院の方では、もう遺族の了解さえあったらいい、本人は死んでいるのだから、この遺骸というものは物体であるから、それで、それをすなわち継承する人をもって遺族とする。それで、もし遺族が全然ない場合、内縁の関係の者がしたらいかぬというのであるならば、もしそれが財産、いわゆる残った物によりまして、あるいは売り払ってでもそのお金になるようなものでございますれば、これは国庫に納付しなければならない。それであって、死骸というものが、内縁関係がないときには、それならば、国がお葬式でもするかというようなおもしろい問題にもなってくるから、慣習上喪主をもってその遺族と認めてもいいではないかということで落ちついたということがしるされているわけです。
  123. 木下友敬

    ○木下友敬君 遺族については、今のような御説明がございました。あるいは遺産分配などの法律的な例から見て、だれを遺族とするか、遺族とみなすかというようなことは、遺産分配などの法律的な例からでも、これは私は解決の道がつくと思う。しかし、死んだ者の意思というものは、これはどんな法律ででも解決することができない。衆議院の例を引かれて、本人が死ねば、遺族はその意思を継承しないと言われますけれども、実際の遺産の分配というようなことについては、本人の意思を御遺族は継承するのですよ。自分の財産を、死んだ場合に、自分の遺産をどう処理してくれということは、一応法律的に分配の率などはさまっていますけれども、それに先行して、本人の意思というものは認められる。遺族は死んだ人の意思を継承するわけなんです。しかるに、金よりも大事なからだをこれは物体だからといって継承しないという、衆議院でそういう結論であったというのは、少くも参議院では、私はそう継承するわけにいかない。しかも、物体だといってこれを軽視するほか、またこれを物体としても、財産としても、さきのように十万、二十万で売れていくというようなことがとうとうとして行われるようなことになるならば、これは、単なる意思だけではなくして、財産にもなってくるわけです。非常にこれはいやな表現ですけれども、金としての価値も一応考えられる。それだから、今の内縁のような場合に、もうけようと思って、本人の意思でなかったけれども、もうけようと思って、十万、二十万で買い手を見つけて売ったというようなことがあれば、これは大きな問題であるということからいけば、どうしてもここには、本人の意思ということが重要であるし、本人の意思がなければやれないという、そういう偏狭な考え方でなくして、もう一つ、この遺族だけにウェートをおかないで、本人の遺言による本人の意思または遺族の同意というように、並立でもさせて、同じウェートでものを考えるという行き方まで、少くともそこまででも進まないと、全然本人の意思を認めない、継承しないという行き方は、片手落ちだと思う。私は、これは意見を述べる場合には、十分修正の余地があると思いますけれども、今は私の質問程度にしておきますが、委員諸君にもお願いしますが、この法令を出すときに、本人の意思というものをもっと一つ考えてもらいたい。これを通過するまでには、ぜひ皆さん方十分考えて、本人というものを無視してもらわないように私は希望しまして、質問を終ります。
  124. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 今、木下委員の御説のごとくに、角膜がやみで十万円、二十万円の相場が立っているというお話が出ましたが、目が見えない者に光明を与えるのですから、それは、十万円が高いか安いか、これは議論は別だろうと思うわけでありますが、私も、今の木下委員の御説に実は賛成であり、疑義を持っているのであります。先生の御趣旨は、ヒューマニズムに立脚した考え方でこの法律ができていると思う。私どもも、やはりそうありたいと思うのです。しかし、実際の現実社会は、そうでない場合が多いわけです。今までの例は。下村先生のような方の例を引いておられますが、さて、こういう法律ができて、角膜移植ができるのだというようなことが一つの常識的な知識となって、広く国民大衆に伝わっていきますというと、必ずしも、すべての場合に、ヒューマニズム的に問題が解決しないと思う。この立法をする場合には、そこまでの配慮がなければ私はいけないのではないかということがまず第一点であります。  第二点としましてお聞きしたいことは、これは、木下先生と同意見でありますが、この法律は、死人を大切にしなければならない。角膜移植は、その成功率が四〇%とか二〇%とかおっしゃっておりましたが、これは、三昼夜以内でなければならないという、新鮮度を求めなければならない。そうすると、生きた人の角膜を移植するということの方が、移植というこの成功率そのものは高いわけです。また逆に、提供したその生体の方は、角膜を取ることによってのいろいろな障害が起きてくるというようなことのために、生体に対することは考えずに、死体だけについてこの法律はできているように思いますが、やはりそこに問題があると思うのです。たとえば、血液銀行で、自分の血液を、自分の健康をある程度犠牲にしてでも、これを売らなければならないというような貧困な人もあるわけですが、同じような意味合いで、目は二つしかないのだ、二つしかないのだが、角膜の一部を取ることで失明するわけでない。順調に手術がいけば障害がないということになれば、将来角膜というものをやはり血液銀行と同じような形で提供したいという人が、ヒューマニズム以外に、生活の面から出てくる場合も私はあると思う。そういうことも当然配慮しておきませんというと、一たん法律ができますと、そういうことがどんどん出てくるというような懸念を実は私持っております。それに対しましても、どういうような配慮をなさっておられるのか、施行その他で適当なことを考えておられるのか。そういう点も実はお聞きしたい。  もう一点は、やはり同じことなんですが、承諾の問題なんですが、やはり死体を中心にして考えておられるようですが、物として考える衆議院の議論で行きますと、これは明らかに換金ができる一つの物なんですね。そうすると、やはり財産権ということになるのですが、死人をそういう考え方に立脚して、片一方では遺体の尊厳というものを守ろうという意味が現われておりながら、本人の意思を無視して、聞かずに、物として、換金できる一つの財産的な考え方でこれができておる。そこに考え方の矛盾といいますか、誤解が起きやしないかという懸念がございますので、そういった三点について私はお伺いしたいと思います。
  125. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) ちょっともう一ぺん、三点とおっしゃいますと……。
  126. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 一番初めに申し上げましたことは、これは、死んだ人を対象に、死体を対象にしておられますが、手術の成功率から見ますというと、新鮮度を考えれば、当然生体の角膜を移植するということの方が、手術するものの成功率があるわけですね。従いまして、盲人に光明を与えるのだという建前からすれば、もしそういう篤志家があれば、生体の角膜を移植することもできるのだという考え方が、ここには出ておらないわけなんですが、その出ておらない理由は、提供した生体者の方に、手術したあといろいろな弊害があり、手術後の障害があってはいけないということのために、生体をさせないという意思であられるのか。あるいは生体者だけはなぜ除外なさったかということをまず第一点に聞きたいわけです。  第二点は、その本人の意思ということを、この場合においては死体となっておりまするから聞いておりませんが、やはりこれは、換金処分ができるような形になるわけです。換金は、十万円とか二十万円とかなってきますと、そうすると、一方では死体の尊厳ということをうたっておきながら、片一方では物として、金にかえられるような物として扱うといったようなことになっておる矛盾ですね。これが国民に及ぼす国民感情といいますか、感情において私は誤解があると非常に問題だと思うのですが、従って、やはりこれは、本人ないしは遺族の意思というように改めるべきじゃないかと思うのですが、そういった点についての御意見をお聞かせいただきたい、こういうように思うわけであります。  第三点は、関連しておったと思うのですが、生体と死体との関係において、これを普及した場合に、いろいろな弊害が起きてくる。ヒューマニズムな考え方だけで立法されたのでは、あとが非常に困りゃせぬかということをお聞きしているのです。
  127. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) この立法されましたときには、死体から摘出する、それも、その角膜移植を受けたいという希望を持っている人がある場合ということがこれに書いてあるのでございますので、それで、その死体ということだけ考えておりまして、今の先生のお話のように、生体から角膜を摘出するということは、全然考えていないのであります。なぜならば、目というものは、何と申しますか、人間には絶対必要なものでございますから、その生きておる人が角膜をやるであろうなどとは、考え至らなかったのでございます。しかし、先生の御質問を承わっておりまする間に、なるほど、もしそれがやみの値段でもあるといたしますれば、片一方だけを提供して、それで幾らか稼ごうというような人が出てくるということも、なるほど考えられるということを、私今先生の御質問中に考えたのでございまするが、この立法のときには、さようなことは一切考えておりませんでした。これも一つの、まあ先生に光明を与えられたような感じがいたしましてございますが、それで、なるほどそういうことも考えておかなければ、あるいは片手落ちになるかしらんと、今私は考えております。  第二点といたしましては、本人の意思、一番初めには、私の考えでは、本人の意思があった場合に、それに対して遺族の同意というふうに、私は初めは言っておったのでございます。これが提案されまするときには……。それが結局、人が生きている間には、その人の意思というものもあるけれども、死んでしまったならば、それを守るのは遺族であるから、遺族の意思によってそれをやったらいいというようなことになりまして、今現在のような状態になっておりまするが、いろいろの御質問中に私が考えましたように、本人の意思ということも、これはやはり自分の目が取られる。これは笑い話でございますけれども、千葉県でこういう話を聞いたのです。おばあさんが、自分の目を取られたら、三途の川を渡るのに、見えないだろうと言った笑い話が伝わっておりますが、ある、何と言いましょうか、宗教的信仰によって、そういうふうにお考えになる御老人もあるかと私は思うのでございまするが、そういうわけで、本人の意思に反するということは、あまり感心のできないことであろうかと思いまするが、衆議院の大体の御協議によりまして、遺族だけのことにこれはなっておりますのでございます。  第三点は、そういうことから来る弊害というお話でございまするが、これは、「業として死体の眼球の提供のあっせんをしようとするときは、厚生省令の定めるところにより、厚生大臣の許可を受けなければならない。」ということが書いてございますので、弊害は厚生省でもって、それを押えていくところの特例を出していただいたらいいということにいたしております。
  128. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 今の生体の問題、御理解いただいてたいへんけっこうなんですが、事実片一方の目の角膜を取ったからといって、その目がそれで失明すると限らぬですね。両眼とも健全であり得る場合があるのです。それから同時に、もう一つ、母親とか、姉とか、肉身の者が、生体のままで、これは失明覚悟で、最悪の場合は、手術がしくじったら失明してもいいということで、提供する場合があるかもしれない。だから、やはりそういうことを考え合せておかなければならないのではないかということで質問したのです。
  129. 中山マサ

    衆議院議員中山マサ君) それは、愛情から出まして、たとえば、子供がそういう場合になっておりまするときに、母親が自分の片一方の目を子供に移植することによって、子供が目が見えるようになったならば、当分が片目でも、あるいはその一部を取りましてでも、子供の目をあけたいという、ほんとうに愛情以外の何ものもないときには、あるいは生体から移植を希望する場合もあろうかと思いますのでございますが、しかし、これをいたしましたら、その目は失明をいたします。
  130. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 その場合に、死体を中心角膜移植になっておりますから、先ほどの法的な解釈によって、医者からすれば、正当な業務行為ということで、本人が承諾しているかどうかわかりませんが、これを確認するということで、医者がそういうまれな場合もほとんどできぬようにしておくということが当然の措置だろうと思うのですね。
  131. 小澤龍

    政府委員(小澤龍君) この法案法律として成立した場合におきましては、両院の御希望に従いまして、それを基礎として適正に、私ども行政当局といたしまして、適用されなければならないと考えておるでございますが、ただ、ただいま御指摘の、生きた人の角膜を生きた他人に移植していいかどうかの問題でございますが、この問題は、先ほど申し上げましたように、移植しても百パーセント成功するものではない。成功の度合いは、現段階では、二割か、せいぜいいって四割。しかも、視力も、視力一以上に回復することは非常に困難で、せいぜいいって〇・四程度というふうに、医学的の現段階においては、今日の移植能力というものはその程度でございます。かたがた眼球を提供するものは、それはもう角膜を提供することによって失明しない場合も、これはあり得ます。ごくはじっこの、わずかな部分ならあり得るのでございますが、しかしながら、メスを加える仕事でございますからして、そういう場合におきましても、常に失明することを覚悟していなければならない。提供者が失明することを覚悟し、角膜を受ける方の人間は、必ずしも目が十分見えるということは保証されないという今日の医学段階におきましては、生体から生体の角膜を他人に移植するということは、適当な医療行為ではないような実は感じがしておるのでございます。それにいたしましても、国会におけるいろいろの御討議の過程における先生方の御意向に沿いましで、今後も行政指導の全きを期したいとは考えておりますが、ただいまのところは、さようにに考える次第でございます。
  132. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 今の御答弁ですと、この法律をせっかく作りましても、ほとんど効果がないというような響きを受けるんですが、効果が薄いから死体だけでやろう、こういうふうに聞こえるわけですが、医学というものはそういうものじゃないのでして、やはり一応この法律を作って、盲人に光明を与えるという限りは、もう少し積極的な考えを持ってもらいませんと、私、非常に遺憾に思うんです。死体だったら、しくじっても大したことないからということのために、成功率二〇%ということでは、わざわざ法律を作る必要はないと思う、これからの医学の進歩によって、あるいは五〇%以上の成功率を期待して、われわれは将来に対するこれは法律を作っているわけですから。そういう点から言うと、必ずしも今お説のような意味合いで、無条件に生体はいけないんだと割り切るわけにも私はいかないと思う。  その程度で御趣旨はわかりましたから、質問打ち切ります。
  133. 河井信太郎

    説明員河井信太郎君) 今の場合、生体から眼球を摘出するということが医師の治療行為として行われ、本人が承諾しておれば当然適法行為であるかということについては、なお相当検討の余地があると存じます。それは、治療行為であるから当然適法行為ということにはならないのでございまして、本人が眼球を売ったから、そして摘出されることを承知しておるから、医師はそれを摘出して移植するということが、刑法三十五条の正当業務行為ということになるかという点については、相当検討の余地があって、むしろ違法性があるというふうに考える見解の方が強いのじゃないかというふうに考えております。
  134. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 それは、絶対百パーセント失明するのだという前提に立っての議論だと思うのですね。先ほど説明なさったように、片腕を取って片腕に移植できるというような極端な例になってくるわけです。今日、必ずしも角膜の一部を切り取ることによって百パーセント全部失明するのだとは限りませんし、それからまた、両眼あるわけなんですからね。そう簡単に、しろうと目ですべてを割り切ってもらうと困るのです。
  135. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記やめて下さい。   〔速記中止〕
  136. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 速記始めて下さい。  本案に対する本日の質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  137. 阿具根登

    委員長(阿具根登君) 御異議ないと認めます。  本日は、これにて閉会いたします。    午後三時四十四分散会