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政府委員(
金山政英君) あるいはこの交渉を
日本側が提起いたしました経緯をまず
お話しすることが大事だと思います。この問題は、まずわが方の漁船、特に零細漁民の持っております小漁船が、千島近海及び樺太の南部において、しばしば
ソ連側によって拿捕されて抑留されるという事態が起っておりまして、それに対して
政府はそのたびにこれに抗議をし、その漁夫並びに漁船の返還を要求していた次第であります。こういう事態が続くことははなはだ遺憾であるという建前から、実際上この問題を解決したい、領海の問題、
ソ連側が十二海里を主張しており、わが方は三海里を主張しているというこの事態を、根本的な主張の問題は別にいたしまして、実際上この問題を解決したい、そういう意図から始めたものであるということをまず御了解願いたいと思います。当方がまずこの問題を取り上げましたのは、先ほど大臣が申し上げられましたように、六月の三日でございます。この問題について、なかなか
先方から回答が参らなかった次第でありますが、数次にわたって六月二十一日以来ただびたび督促をいたしましたが、八月十八日に至りまして、
ソビエト側からこういう返事が参っております。これはこの問題に対する
ソビエト側の最初の
意思表示であります。
日本政府の要請を考慮して、かつ日ソ間の善隣
友好関係を発展させることの利益にかんがみて、
日本側の覚書に掲げられている若干の
地域の
ソ連領域における漁獲及び海産物の採取問題について、
日本側と交液に入る用意がある、ということを口上書をもって
先方は回答して参りました。こういう回答が参りましたので、わが方は、さっそくわが方の
日本側としての近海
安全操業に関する
考え方を、書きものにして
先方に通達した次第であります。この期日は八月二十九日であります。もう
一つ申し上げておきたいのは、初めの
日本側の提案は千島の近海ということでありました。それは先ほど申し上げたように、漁船の拿捕事件が千島近海において頻繁に起っていたためでございます。その後、南樺太の漁船の拿捕事件が亜庭湾の問題とか、いろいろな形において頻発するようになりましたので、さらに南樺太も含めて四十八度線以南の樺太を加えた
地域、すなわち近海操業を目的としておりますので、北の方の千島はこれから除外いたしまして、
日本政府は具体的な案を
先方に提出したわけであります。その後、回答が来ることを待っていたのでありますが、全然回答が参りません。それで十数回にわたりまして東京及び、特にモスクワにおいて
先方の回答を督促していた次第であります。この間、
ソビエト側の回答はいつももう少し待ってくれ、現地へらの報告も待っているし、いろいろの
関係でまだ結論が出ないから待ってくれ、最近に至りましては、もう数日、いうようなことも言っていた次第でもります。先般クルジュコフ極東部長が参りましたときも、もうすでに
ソビエト側としては、この
日本の対案の研究を了してすでに具体的に
ソビエト側の案ができているはずだから、まだ回答がこないのはおかしいというようなことさえも言っていた次第であります。その後もたびたび督促を繰り返していたのでありますが、先般の漁業交渉の開始の直前に至りまして、先ほど大臣が御
説明になりました
通り、この漁業
委員会の中においてこの問題を取り上げたらどうかという
お話が出てきました。ところが、この北西太平洋の漁業に関する日ソの
条約というものは、御
承知のように、領海の問題を除くといて書あります。もちろんわが方としては
ソビエト側が十二海里主張しているということを知っております。わが方としてはもちろんこれは公海というのを主張しているのでありまして、別に支障はないわけでありますが、従来の
ソビエトの主張からいってもこの
ソビエト側の言い分は少しおかしいじゃないか。また、この
条約では、サケ、マス等の魚種を指定した
条約でありまして、その
条約の
委員会の内部においてこういう問題を取り上げるのは適当じゃ、ないじゃないかという趣旨を
先方に伝えたわけであります。それに対しては何ら回答がないままに二月五日の
ソビエト側の
意思表示まで、このわが方の見解の表示に対しては何らの回答がなかったわけであります。そして突如といたしまして二月五日に至りまして、
先方がゴスフランの漁業部長であるイシコフ代表を通じて
ソビエト側の見解を表明してきた次第であります。この経緯につきましては、詳細、
情報文化
局長談の形において発表した
通りであります。また、
先方の一答の内容は逐一そのまま発表いたしてございますので、御
承知であると思います。