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橋本(龍)
分科員 私は実はできれば、
国民年金
委員を
企画室で補佐しながら大体今日やっておりますいろいろな試算的作業の
内容というのも、言ってくれるならば私言ってほしいと思うし、それからこれは私ある程度言った方がいいのではないかと思うし、いろいろ批判も仰ぎながらやっていった方がいいと思うのですが、これは政府側としてもいろいろなお考えもあろうと思うから、ただいまの官房長の話でここで言うのもどうかというお話でありますから、私の意見として若干申し上げておきたいと思います。
この
国民年金の問題につきましては問題が非常にクローズ・アップされている割に、みんな勉強が足りないと思うのであります。何かしらむやみやたらに、
国民年金というのは必要な
金額を全部所得税なり酒税なりの
一般財源から出して、そうしてそれが非常に大きな
金額でどうのこうの、来年できるかどうだろうかといったようなふうに考えがちなのでありますが、そうでないと思うのであります。聞くところによると、
厚生省でもそうでないように大体来
年度からの
実施を目途にしながら準備をしているそうであります。考え方の問題としては、私はやはり今日の日本では、
国民年金の
制度というものはないわけではない、被用者の年金
保険というものは相当進んでいるわけでありますが、現在四千何百万かの就業者の中で、千何百万かは厚生年金
保険だとか、恩給だとか、共済年金だとかいうのをもらっているわけであります。これは全部醵出
制度で、つまり掛金を出して、そうして年金をもらうという形になっている。厚生年金などは、今日家族分を除いて本人分からいきますと、一年間に大体三万五千円ぐらいもらっているのでありますが、まだまだ給付段階になっている人が少いものでありますから、厚生年金
保険の
特別会計としては約二千億円の積立金をかかえて、これは何というか、今の段階では、年金を大いに世の中に出すというよりは、むしろ貯蓄奨励をして政府資金を集める会計みたいな格好になっている。要するにやり方から言えば、そういうふうなこともあるだけに、これは何もかにも年金をやったら金が出るというわけではないわけであります。イギリスなんかも醵出制をとって
一般的な
国民年金を出しているが、私はやはりわが党でもきめましたように、醵出を原則としながら無醵出を併用する、少くとも今日老人になっている人、あるいは今日未亡人で子供をかかえている者、あるいは労働能力を喪失した廃疾者などは、これはもう醵出というようなことなしに、直ちに払っていくべきものだと思うのであります。ただその場合においても、大体のわれわれが考えるべきものとしては、二十から五十五くらいまでの間、だんだんに積金を重ねて、それを六十なり六十五なりになってから老齢年令を払っていく、途中で不具廃疾になって労働能力を喪失したら、年がいかないでもそれくらいの
金額をもらえるようにする。あるいはまたその間に夫をなくしたら扶助料と同じように老齢年金の半分をもらうといったようなのが大体の仕組みとして考えられるべきものだと思うのであります。しからば今日一体二十くらいの人が掛金を出して六十、六十五くらいになるまでもらえないかというと、そうは言えない。
制度を創設すれば直ちに支出をしていかなければなりません。ただその支出をしていく場合においては、一応今日老人なり廃疾なりあるいは未亡人なりの人については、無醵出で
一般会計負担で出す勘定にはなります。勘定にはなるけれども、政府の会計の金繰りからいうならば、片方でちょうど今厚生年金の金が二千億もたまっているように、これは醵出
制度で将来出す人のための醵出金を集めていけば、現金繰りとしてはこれは相当の
金額が入って参るわけであります。この
国民年金のやり方としても、いわゆる積立金式でいくのと、片方からとった掛金ですぐ片方に払っていく付加式の方法と二つありますが、付加式の方法でやるならばこれはもう
一般会計の負担というものは形式的にもなくなりますし、積立金式の方法でいく場合においても、私はやはり金が入ってくるならば、
一般会計がそれを借りて利息を払うとかいろいろな方法をとりながら、いろいろな意味で実行可能な方法というものはあると思う。
国民年金を
実施をするという場合において、直ちに所得税財源で五百億だの千億だのという金がなければできないというような問題じゃないのです。やはり年金というものを出すからには片方にやはり年金を出すに相当するだけの掛金というものは何人かが負担して出さなければならない、それはちょうど
家庭の中で若いものが老人を養うというのと同じように、国全体の若い者が老人や気の毒な人を養うという形でありまして、片方の掛金で片方の支出をまかなわせていくことはできるのであります。現にこれは太宰君の今、こういう席で
厚生省の方針として言うのはいかがかというようなことで
内容をあまり言われなかったけれども、これは厚生大臣、官房
企画課編というかんばんで出した
厚生省の公文書みたいな厚生白書の中にははっきり
国民年金制度の実現が可能なりやいなやは、
保険料か税かいずれかの形にせよ、主として生産者集団、つまり二十から五十五くらいまでの働き手でありますが、これを中心とした
国民がこれを負担するかいなかの決断にかかっているであろうと書いてある。要するに大事なのは
国民年金を出すということがいい、ぜひやろうということはきまっておるのです。そのきまっておることを実現するためには、それに必要な金を若い働き手が出すという決心をして、それがうまく動くような仕組みを政府が考えればあすからでもできるというのがこの結論です。これは太宰君が言うのがいやだというのでなくしてちゃんと言ってある。言ってあるとするならば、そう御遠慮なさるには及ぶまいと思うが、やはり
厚生省としてはそういうつもりで——結局この問題は仕組みの問題、そうして
国民全体に理解してもらう、もらうときには出すのだ、年寄りは若い者が養うのだ、不具者や未亡人はまめな人、仕合せな人が背負っていくのだという決心をして、そうして無理のない運営のできるような仕組みを考えるということだけにかかっておるとするならば、
国民経済が進んで、もっと
国民所得が上ったらやるなんていうようなことではいけないので、できるかできないかということはやはり
厚生省の仕事に大きくかかっておると思うのであります。
そこで私は最後に一つだけ伺っておきたいと思うのだが、そういう考えでやってみる場合に、いろいろな仕組みの考えで試算をして財源の計算であるとか仕組みだとかいうものを十分考えていかなければならない。そのために必要ならば
保険数量を使う必要があるならば、
保険会社を使っていくということも必要だと思う。今日ではもうやろうという決意、それからやる方向については内閣の
審議会の答申を求めたいが、これは大内会長の言われるように、五月に必ず出すと言っておられる。そういう点からいうと、これはもうほんとうにこなしてやっていく重大な責任があると思う。漫然と去年と並べて千万円というふうにとった
経費で、私はそれだけ本質的な仕事がいくのだろうかということをちょっと心配するのですが、これから先内閣の
社会保障審議会の正式の答申を受けてそれを具体化する場合に、やはり今までの
国民年金
委員、それから
企画室という態勢で千百万円使っていけば十分うまくいけるものかどうか、その辺どういうつもりでおるのか、それともどうせできないのだというつもりで三十二
年度と同じ、いわゆる机上の
調査だけをなさるりつもりなのか、それをちょっと伺いたい。