○野原
委員 そういう点の認識について、いささか私は大臣と違うのであります。大臣も話し合いの必要をお認めになっておられまするし、私もこういう問題は話し合いをしなければならぬと実は考えておることは先ほど申し上げた
通りでございますが、十二回話し合いを持たれたことは事実です。これは私
どもの調査によってもそのようになっております。ところがその十二回の話し合いというものは、
教育委員会の側、特に
教育長の本島氏が、都の
教育委員会の
原案というものに固執をされて、それを一方的に押しつけようという態度で出てきておりまするから、何回持ってもその話し合いが前進しないわけです。私は話し合いというものは、いかに良識のある
教育委員会か存じませんけれ
ども、やはり東京都の
教職員の組合は、これはたしか三万ないし四万の
先生方を擁しておると思いまするが、そういうところで民主的にしぼり上げてきた
意見というものに対しては、やはり
教育委員会側も謙虚に耳をかさなければならぬのではないか。それを全然かしていないのです。そういう点についての御認識が、いささか
文部大臣には足りないと私は思う。これは率直にいってあなたにはその御認識がない。だから私は一番最初に本島
教育長と会われて、十二回話をしました、私
どもが何と言っても組合側か聞がないのです、そういう本島
教育長の
意見をお聞きになると同時に、片一方
教員組合側の代表をお呼びになって、一体どういうことなのか、君らの
意見はどうなんだということを私はただしていただきたかった。それがなければ、せっかく
文部大臣が何とか善処したいと思われても、これはからさわぎに終るのです。実を結ばない、それがなかったことを私はきわめて残念に実は思っておるのであります。
そこで私の調査したところを申し上げますと、東京都の
教育委員会の
勤務評定の評定要素の第一、学級経営というのがあります。その学級経営の一番最初に、学級経営は学校経営の基本に即しているか、こういう
立場で校長がその
教職員の学級経営についての
勤務評定をしていくわけです。そこで今度の評定をされる
教職員の諸君は、一体これはどういうことなんですかということを尋ねてみましても、的確な答弁が得られていないようです。私はこれでは話し合いの
意味はないと思う。なおまたその
教育愛という項目、その
教育愛の第三項に、
教育に対する正しい信念を持っているか、この
教員が
教育に対して正しい信念を持っておるかどうかということで、校長が第一次評定をして、
教育委員会が第二次評定をするということになっておる。
教育に対して正しい信念があるかどうかという評定は、
教員にとっては最も重大なことなんです。正しい信念がないと烙印を押された
教員は、全くその
教員としては立っていくことができない、きわめて重要な
内容でございますから、これについて次のような問答をやっております。
教員組合側がこういう
質問をしているのです。たとえばある校長が紀元節賛美論者ですね。紀元節はいい、紀元節というものはけっこうなことである。これは高知県に現にいるわけです。そういう校長はこのごろたくさんふえてきつつあります。そういう校長の下にいる
教員が紀元節に反対なんですね、紀元節というものは国家主義的な
教育の復活になる、これは旧体制の復活になる、新しい憲法のもとで、新しい
教育の精神から言うならば、そういう
考え方はとるべきでない。一体そうなった場合に、校長は紀元節復活の賛美論者、
教員は紀元節復活は絶対反対だ、こうなってくると、その評定を校長が主観でいたしますということになりますと、この紀元節復活反対の
教員は復活賛美の校長から
教育に対する信念はゼロだ、こういう判断をされるおそれがあるが、本島
先生、あなたはどう考えますか、こういう
質問をしているけれ
ども、何ら答弁をしていないのです。何にもないのですね。ただ十二回顔を合せて、おれの案をのめ、君らはその
勤務評定には絶対反対だろう、こういうような高飛車的な態度で出てきております、だから回数においては十二回であるけれ
ども、実質的な話し合いはなされていない。話し合いというものは、中味に入って、相手側の
意見も謙虚に聞いて、たとえば松永
文部大臣のように——私はあなたは非常に尊敬しております。これは失礼な言い方かもしれませんが、きわめて尊敬しております。
他人の言に謙虚に
文部大臣は、耳をかされている。そういうようなお態度で私は話し合いをしなければならないと思う。特に
勤務評定が
教員の人事管理に役立つ、
教員の勤務成績の烙印を押されるということになれば、そういった突っ込んだ実質的な話し合いというものがされなければ、
勤務評定の話し合いは
意味がないと私は考えるのです。このことを
文部大臣はどのようにお考えになりますか、承わっておきたい。