○
福田(昌)
委員 内藤局長に
お尋ね申し上げたいと思いますが、実は
内藤局長さんにはいろいろとすでに御迷惑をおかけ申し上げておる点でございまして、重ねて御迷惑をおかけいたしますことは非常に心苦しい次第でありますが、お許しいただきたいと思います。と申しますのは、福岡県朝倉郡杷木町に現存しております中学、つまり杷木中学と原鶴中学の
二つの中学を
統合して
一つの中学にする、この中学の
統合問題に関しましての紛争の事件でございます。この事件の経緯につきましてはすでに十分御
承知おきいただいておる点でございますが、今日この
統合問題にからみまして、すでに町側が建築を進めております地域に反対側の区民がすわり込みをいたしましたり、毎日々々区民総出で大体七、八百人の人員でこの建築をやめてもらいたいという運動を起しておりますし、また町議会に対しましても、町長に対しましても御反省を願いたいということで、区民あげての非常な騒ぎをいたしております。これに対しまして杷木町では警察を動員いたしまして警備に当っておる、こういう事態についての
お尋ねでございます。この
学校の
統合問題につきましては、経緯については十分御
承知のことと存じますが、
文部省にお願い申し上げております筋合いとは実際は多少違う点もあるやに聞いておりますので、私が伺っております点を少しくお耳に入れて御
質問申し上げたいと思います。
この中学の
統合問題は、ちょうど一年前の三十二年の三、四月ごろから起った問題と私
どもは聞いておるのでございますが、この杷木町それ自体は、これも御
承知いただいておりますように、杷木という従来の小さな町とその周辺にある三つの部落が一本になりまして、二十六年に杷木町として
統合した地域でございます。
統合いたしました村は、志波という部落と久喜宮という部落と松末という部落が旧杷木町に合併いたしまして大きな杷木町というものができ上った次第であります。人口比から申し上げますと、志波、久喜宮を一〇〇、杷木を一二五、松末を三五という比率で見れば、人口比が大体妥当な情勢にあるのでございます。杷木と久喜宮という
二つの部落が中央部にありまして、その左右に志波と松末という両部落があることになっております。ところがこの中学の
統合という点に関しまして、ちょうど一年ほど前から町側は、各部落の区民には十分な相談なく、中学の合併を
考えたようでございまして、
文部省に補助金をいただくためにお願いいたしました書類は、五月十五日の町議会の決議を添えまして書類を作成し、中学
統合に関しての補助金の申請をいたしておる次第でございます。ところが町側が申請いたしましたその町議会の議決というものは、実は後ほど
伺いますと、これは架空の議事
内容であって、実際はそのときに
会議を開いていなかったということが伝えられておるのでございます。しかも
文部省に申請いたしました書類は、町議会でそういう御決定があったと同時に、町民の各区民がほとんどこれを了解して、円満裏に納得をしたという形に相なっておるようであります。そして新しい校地として御決定いただきます地域も、区民の円満なる了解のもとに候補地が大体決定したというような
内容であったかのごとく伺っておるのでございます。
ところが町側がこの書類作成の前後に
考えました地域は、今申し上げました地理上の地点から申し上げますと、一番人口が少い松末という部落の側に比較的有利で、人口が多い正反対の側にある志波という部落にとりましては、距離的にも非常に遠隔になる地域に、この統一した中学の候補地を選んでおったのでございます。志波の区民の申しますことによりますと、この地域は非常に山岳地帯でございまして、一番端っこの志波の部落から、町が
考えております中学に通うには九キロ以上を通わなければならないということに相なっております。この地域は、繰り返し申し上げますように、でこぼこの山地でございまして、志波の方から直線を引きまして放射線状に
学校の校地の方向に筋を引けば、いかにも道が近いように見えるのでありますが、これは山地で、さように勝手に道路として使うわけにいかない地形にあるわけでございます。従いまして非常に遠回りをして、ぐるっと山のすその方を回って、
学校に行かなければならないというような地形からいたしまして、九キロ以上も歩かなければ新しくできる中学には通えない、こういう情勢に相なるところもあるのでございます。従って志波区民といたしましては、そういうところに
学校を建てられたら非常に困るから、これは何とか
考え直してもらいたいということを、昨年の夏ごろから猛烈に町議会及び町長にお願いをしておったようなことでございます。ところが町議会も、大勢は久喜宮に不利なところに地点をきめて、そのまま言を左右にして変更しようとしない、町長もそういうことでこれに対して何ら話し合い、歩み寄りの態度を示さないという
状態であったのでございます。従って志波の区民は、これでは話が進まないからということで、福岡の県庁に参り、あるいは県の教育長にお願いに参ったのでありますが、そのつどいつも町の人も一緒に来る、町議会の人も一緒に参るというようなことで、志波の人たちの反対意見が絶えず口封じされるというような情勢にございました。なおこれではどうしても自分たちの反対の意見を聞いてもらえないから、
文部省に直接お願いしようということで、昨年の夏切符も調達いたしまして、上京しようといたしておったそうでございますが、そのやさきに、やはり杷木の町議会の連中、町長の使いの方が見えて、上京はやめてもらいたい、
文部省には十分反対の意見を申し述べて、
文部省で御善処いただくようにするからという話であったそうであります。かようなことで志波の人たちが、そういう不利なところに
学校を建てられると困るから、何とか
考え直してもらえないだろうか、なお現在ある中学をこのまましばらく使うようにさしてもらえないか、町の
財政上からも、今この
二つの中学を
統合して一本にするということは必ずしも妥当でない、また自分たちの児童を通わせる地理的な条件としても、新しい中学では距離的に遠いから、
考え直してもらいたい、もしどうしても一本にまとめた中学を建てるなら、もう少し志波の区民に有利な地点、つまり町が
考えているところよりも少し志波に寄った地点に校地を選ぶように
考え直してもらいたいというような
趣旨を主張して参っておったのでありますが、その
趣旨がいれられませず、県会や県教育長に訴えますそのお願いの筋も封鎖されますし、
文部省にお願いに出向こうとしても、それも機先を制せられるという形で昨年過ぎてしまったのでございます。その後ことしのお正月になりましてから、仲裁の方が入りまして、それじゃいつまでもこういう対立の
状態で、町長も少し
考え直す必要がある、町議会も
考え直す必要がある、また志波の区民も少し譲歩してというようなことで、大体町が
考えております地点より、志波の区民の方に三キロほど寄りましたところに
学校の校地を決定したらどうだという御仲裁を、ある人のお骨折りでいただいたわけですが、その仲裁も、志波の人はそれでけっこうです、その地点であれば中学を建てていただいても、まあ自分たちの部落からすれば六キロ前後になるけれ
ども、その
程度ならけっこうですからということで了解したそうでございますが、町長より、町議会がそういうことでは困るということで、この仲裁案を二月の中旬けってしまったのでございます。そのままで今日その町が一方的にきめました地点にどんどん建築が進められ、大体四月一ぱいで六教室を建てるというようなうわさでございますが、強引にそういう
計画のもとに諸事万端進展しているという情勢にあるのでございます。従ってこれまでの志波の区民は、いろいろと穏便にお願いをいたしましたが、一向に聞き入れてもらえない、町議会も町長も全然反省がない、県の教育長は全く指手傍観して何らタッチしない。
文部省にお願いしてある、県庁にお願いしてある、教育長にお願してあるということで、どうにも要領を得ない、これではどうにもしかたがないから、自分たちはこういう非民主的な町議会のあり方、町長のもとではついていけないからということで、分町手続をこの三月の中ごろとりましたそうでございまして、ただいま分町手続をとりました上に、この中学の建築に対しましても、そういう建築を進めてもらって、従来ある自分たちが使っている原鶴中学を閉銷するということでは困るからというような
意味合いから、冒頭に申し上げましたような運動を起しているという情勢にあるのでございます。
文部省に町議会よりお願いを
提出申し上げております町長の作成いたしました書類とは、私が申し上げた
内容は少し違うかと存じますが、かような情勢でございますので、この点につきまして
文部省当局の一そうの御配慮をお願い申し上げておきたいと思うのであります。
私
ども最初にこれらの経緯につきましてまずお
伺いさしていただきたい点は、この杷木町の申請いたしました原鶴中学と杷木中学の
二つの中学を一本にして
一つの中学にするというこの
統合につきましては、どういうお含みの上で御許可いただいたものか。その町側が
局長さんのお手元に御
提出になりました書類はどういう
内容であったか、かような点につきまして、まずお知らせいただきたいと思います。