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奧原政府
委員 第二団の日
ソ漁業委員会は、一月十三日にモスクワにおきまして第一回本
会議を開きましてから実に九十九日目にいたしまして、去る二十一日の深更、
日本の時間にいたしますれば二十二日の朝
妥結を見た次第でございます。今回の
会議におきまする
ソ連側の強硬なる
規制要求の決意は、冒頭の
政府代表のあいさつにおきましても十分看取されたのでございます。
そこでいよいよ議事に入りまして、
日本側といたしましては
サケ、
マスの
漁獲量十四万五千トンという
提案をいたしたことに対しまして、
ソ連側は
漁獲量についての
話し合いに全然入らずに、
オホーツクの
禁漁その他の
サケ、
マスについての強硬なる
規制措置の
要求をいたして参ったのでございます。そこで
サケ、
マスの
規制措置に関しまする
議論が一応暗礁に乗り上げまして、そこでさらに
カニの
規制措置についての
話し合いに移りましたけれども、これも
妥結をせず、さらに話を移しまして、
ニシンについての
措置についての
話し合いに入ったのでありますが、
ニシンについては
ソ連側が当初提議いたしました問題を向うの方で譲歩いたしまして、まず話が
妥結を見、さらに
カニに関しまして
委員会の場における公式の
話し合いのほかに、
委員の
非公式会談をたび重ねました結果、これについても四月の十日の
出漁に十分間に合う余裕を持ちまして話がまとまった次第であったのでございます。ところが
サケ、
マスの
規制に関しまする問題の中で一番大きな柱であります
オホーツクの
禁漁の問題及び
漁獲量の問題に関しまして、
禁漁については、
ソ連側は当初の強い態度を一歩も譲らず、また
漁獲量に関しましては、
ソ連側は八万トンだ、こういう
数字を出したのみで、一向にほぐれて参りません。そこで先月の十八日に
赤城代表一行が
ソ連におもむかれまして、
イシコフ漁業相との間に実に十回にわたる
会談をせられたのであります。その間におきまして、
サケ、
マスの以上申しました二点以外の点に関しまする
規制についての話は
妥結を見たのでございますが、
オホーツクの問題及び
漁獲量の問題は、両者からみ合いましてようやく二十一日に話が
まとまり妥結を見た、こういう次第でございます。以上のような
経過でございますが、ここにそれぞれの
問題点及び
妥結いたしました点をかいつまんでお話申し上げたいと存じます。
ニシンにつきまして
ソ連側の当初
主張いたしました線は、最近の
ニシンの
漁獲の減少は、
日本側が大量の未
成熟魚をとっておる、こういう
根拠のもとに、五八年より未
成熟魚二十三センチ以下の
漁獲を
禁止する、また五八年三月二十日から四月二十五日まで
樺太、
北海道周辺における
産卵ニシンの
漁獲を
禁止する、また五九年より三年間
北海道、
樺太周辺におきまする
会水域の
漁獲を停止する、こういうきわめて過酷なる
提案であったのでございます。これに対しまして
日本側は、
日本が特に未
成熟魚をとっておるということは事実に反するのみならず、近年
ニシン漁の衰退というものは、むしろ
自然条件による原因の方が多いのであって、その辺をもっと
調査した上で
規制措置の
強化を行うべきであるということを強く
主張いたしました結果、現存の
漁業条約の付表によりまして、二十センチ以下の未
成熟魚の
混獲を
規制しておりますものを一センチ引き上げて二十一センチとするということに話がまとまった次第であります。
混獲の
限度につきましても、
ソ連側は、現在認められております一〇%を八%に引き下げるということを強く
主張したのでありましたが、これも
最後には
撤回をいたしまして、両国で
ニシンに関する
共同調査を行うということで、
ニシンについての問題はまとまりましたのでございます。
次に、
カニに関する問題でございます。
ソ連側がまず第一にぶっつけて参りましたのは、
船団の
規模を一九五五年の
規模に引き下げる
——ということは、
日本は
オホーツク海に四
船団出ておるのでありますが、一九五五年におきまして、
日本はただ二
船団試験操業として出ておっただけであります。従いまして、
日本は
船団数を半減するが、
ソ連側は今出ております六
船団をそのまま維持していく、こういうふうな
提案でございます。また北緯五十三度三十分
以南の
西カム沿岸を広範に
禁止区域にいたしますのみならず、それよりも以北に対しまして、四十海里の幅をもちまして
操業区域と
禁漁区域を作って、九つの
禁漁区域を設けるということを
ソ連側としては
提案いたしたのでございます。また
漁業の開始を五月十五日からにする
——ということは、
日本側が今力を入れてやっております
操業の姿、四月に入りまして
生殖産卵のために
接岸いたして参ります
入りカニをとっております
日本の
操業形態をすっかり否認して、
日本は
生殖産卵の終った
出カニを
ソ連がとったあとわずかとらしてもらう、こういうふうな結果に相なるのでございます。
日本といたしまして、
オホーツクの
カニの
資源が、
漁獲努力との見合いにおいて、もう少し
保護のため
規制を考慮しなければならないということについては共感を持つのでありますけれども、その負担が全部
日本にかかってくる、こういうことはとうてい了承するわけに参らないということで、いろいろ談論を重ねました結果、
船団の
規模に関しましては、五七年の
船団数で、
漁獲量は五七年の五%減できめていくということで話がついたのでございます。すなわち、
日本は四
船団、三十二万ケース、
ソ連は六
船団、
カン詰の四十八万ケース、ただし
ソ連は
大型カンでございますのでその三分の一、二十四万ケースが
ソ連の
製造限度でございますが、そういうことで
規律をしていくということで話がついたのでございます。また五十三度三十分
以南の
禁止区域に関しましては、これは
日本も
ソ連も従来
操業をあまりしておらない
区域であるのであります。この
区域を
保護していくということに意見が一致をしまして、五十三度
以南につきまして、二ヵ年
間禁止区域を設けるとともに五十二度以北につきましては、
カニの
接岸を容易にいたしますために、
保護帯を七ヵ所設ける、こういうことにいたしたのでございます。
日本側の
船団の
操業区域の問に七つの
保護帯を設置する、こういうことにいたしました次第でございます。なお申し落しましたが、五十七年の
船団数を維持するということは、今後三カ年やっていく、こういうことに相なったのでございます。また五月の十五日から
漁業を始める、これによって
日本側の
入ガニの
漁獲をシャット・アウトするということに関しましては、
ソ連側はその案を引っ込めまして、ただ四月及び五月につきまして水中に綱を残しておきまする
期間及び反数をそれぞれ
規律していく、こういうことで
話し合いがまとまりました次第であったのでございます。
次に
サケ、
マスの問題に関しましては、
オホーツクの問題及び
漁獲量の問題を一番
最後に申し上げるといたしまして、その他の
規制につきまして、まず第一に熾烈に
論議のかわされました問題は、
規制区域外に
操業いたしておりまする
はえなわ
漁業業に対しまして、現在四十五度線まで
操業いたしておりますものを、
釣針による
サケ、
マスの
資源の
損耗ということを防止いたしまするために、四十二度まで下げるということを、非常に強く
要請をいたして参ったのでございますが、これに関しましては、
日本側が、
はえなわ
漁業が非常に零細な
東北方面の
沿岸漁民の
漁業であり、これに与える経済上の損失が非常に大きいということと、
はえなわ
漁業については、すでに
日本政府としては法制的に
漁雄努力をふやさないという
規律をいたしておるのでございまして、またその制度の実行のための
監督方法も厳重に講じておる、こういうことを強く申しました結果、
ソ連側は
釣針による
資源の
損耗という問題を
共同研究事項として残す、こういうことによりまして、
はえなわの
規制強化の
要求をます
撤回をいたした次第であったのであります。
次に四十八度
以南の
流し網船に対しましては、
流し網船が非常に大きな
影響を
オホーツクの
沿岸の
マスに対して与えておるということから、
母船に付属する
独航船についての網の長さ及び
間隔についての
規制を当然
以南流し網船にも及ぼすべきであるということを強く
要求して参ったのでありますが、これもまた、現在のあの
海域におきまする
操業の
実態からいたしまして、とうてい先方の
要求をいれることはできませんので、その実情をよく
説明をいたしました結果、綱の長さについての
規定はこれを適用するが、網の
間隔について非常に広範に
間隔をあけなければならないという
規定はこれを適用しない、こういうことに取りきめができました次第であります。
次に
サケ、
マスの
種類別に
漁獲の
割合をきめまして、その
割合で
母船及び
流し網船が
操業していく、こういうことをはかるべきである、こういう
要請が出て参ったのでございますが、これは
沖取りの
実態に合わない、こういうことを強く
反駁いたしました結果、これに関しまする
ソ連側の
提案は
撤回をいたしまして、なお双方で
研究を進めていく、こういうことにいたしたのでございます。その中で特に
ベニザケに関しましては、昨年の第一回の
委員会におきまして、
ベニザケの
若年魚の
漁獲を防止いたしますために、
カムチャッカ半島の東南におきまして七月の二十日以降
操業しない
区域をきめておるのでございますが、この取りきめは今年も引き続き実行することとし、その間におきまして科学的な
調査を進めることによりまして、来年またその存否についての
論議を重ねよう、こういうことにいたした次第であります。またべニザケの
若年魚の
混獲限度をきめよう、こういう
提案も
ベニザケについてあったのでありますが、これにつきましても今後の問題として
研究するということで一応まとまった次第であります。
漁業の終期につきまして、
ソ連側はこれを七月末までにすべきであるということを
要求いたしたのでありますが、
日本側といたしましては、その
拠拠について納得することができないので、
現行通り八月十日に据え置くべきであるということを
主張いたしました結果、
日本の
主張の
通りにその点もまとまりましたのでございます。そのほか綱の糸の太さの問題だとか綱の結節間の、長さの問題だとかいろいろこまかい問題がございましたが、これはこまかいことでございますので、省略をさせていただきます。
そこで
ソ連側は当初
禁止区域といたしまして
コマンドルスキー群島、
オホーツク海及び
千島列島の外側に距岸六十海里から二十海里のところに線を引きまして、その線の内側から
オホーツク海全部及び
樺太の南端から西北の
日本海、これを全部
禁止区域にするということを
提案をいたして参ったのでございます。その
論拠といたしまして、
オホーツク海
周辺特に
西カムの
河川に対します
サケ、
マスの
接岸を確保いたしますためには、
日本が
オホーツクの中で
沖取りをするということは非常に支障がある、
資源の
保護のためにはこれを
禁止区域にするべきだという
論拠を申し立てたのでございます。
非公式会談等の舞台におきましては、
日本が
沖取りをすることによります
西カム沿岸の
漁民の深刻なる
影響というようなものも述べ立てて、これらの
漁民感情というものがとうてい
日本の
沖取りを許容するわけにいかないということを強く述べたのでございます。これに対しまして
日本側といたしましては、
資源の
保護、
河川に対する
サケ、
マスの遡上を確保するということであれば、その前面に四十海里であるとか二十海里であるとか、そういう
禁止区域を置けば十分であって、
オホーツク全体を
禁漁区域にするいかなる
理由もない、その
主張は
公海自由の原則を否認するものだということを強く
主張をいたしたのでございます。また
漁民感情論を言い出せば、これはもう
日本の
国民全体の
世論というようなものと引き比べなければならないのであります。その辺も強く
反駁を加えました結果、
漁民の
感情論という話はおしまいには全然
ソ連側も
撤回をいたしております。しかし終始一貫、これが
禁漁を確保するということは、
ソ連としては量の問題ではなく
プリンシプルの問題だということを強く
主張し、
日本側が自主的な
操業禁止期間を設ける、そういうふうな
妥協案を出しましたことに対しても、これを受けつけようとはしなかったのでございます。また
ソ連側の
オホーツクの
禁漁ということを
要求いたしておりますことの
内容には、
母船式操業によります
漁業の
禁止のみならず、
北海道を
基地といたしますいわゆる
基地独航船による
操業をも
ソ連はこれをあわせて認めない、こういう
立場をとるのだということも申して参ったのでございます。
ところで一方、
漁獲量に関しましては、八万トンで非常に強く
主張をして参ったのでございますが、
赤城代表及び高碕代表が行かれまして、そして
イシコフとの間に、あるいは、ミコヤンとの間に高いレベルにおきます
話し合いを重ねましたところ、ある
程度、八万トンを固執するものではない、しかしそれはあくまでも
オホーツクの
禁漁問題を
日本がのむかどうか、こういうことにかかっておるのだというふうな線をからみ合して出してきたのであります。
そこでいろいろ折衝いたしましたところ、まず第一にほぐれて参りましたのは、今年は
日本もいろいろ準備をしておることであろうから一
船団、後ほどその
船団の
漁獲量といたしましてさらに六千五百トンという
数字も加えてきたのでありますが、当初は一
船団の
操業だけは認めよう、しかし五九年におきましては全面的に
漁業を停止してくれ、こういう話であったのであります。これに対しまして
日本側といたしましては、今年の一
船団にとどめることはのもう、しかしあくまでも
共同調査を行なって、その
調査の結果によって明年
オホーツクの
禁漁をやるかどうかということをきめるべきだ、そういうふうな
主張をし、そちらの方をいろいろ
論議を重ねておる間に、
ソ連側としては、
オホーツクの
禁漁ということを
日本がのむならば十万トンはこれを認めよう、こういうことを申して参ったのであります。ところでわれわれはあくまでも、来年直ちに
漁業を停止するということについては、そこに
共同調査というあやと同時に、
ソ連もそれほどの強い希望であれば、
ソ連の意向をくんで差し控えるように
努力するというふうな
程度のことは
意思表示をしてもいいけれども、しかしあくまでも
日本の国内における
世論が
ソ連の言うておるようなことではとうていこれを了承しないというようなことで
反駁を加えて参ったのでございます。ところで
ソ連も十万トン、同時にある
程度努力するというふうな
程度の表現で余地を残すというところまで話が進行しておったのでありますが、その
段階においてさらに
ソ連側から、
オホーツクの
漁業を停止する、こういうことを明年から約束してくれるのであれば、
ソ連としては十一万トンを今年の
漁獲量として認める用意がある、一体その二者どちらを選ぶか、こういうふうな
段階に問題が転換をいたして参ったのでございます。
日本側といたしましては、昨年十二万トン、今年十一万トン、こういう実績ができてくるということが、将来における
日本の
北洋の
漁業の
安定化ということに、その
方角にいささかでも前進をさせるというような実際上の効果もあるというふうなことにもかんがみ、
最後には
ソ連側の
要請を了承いたしまして、五九年から
オホーツク海におきまする
サケ、
マスの
漁業を停止するということにいたしまするとともに、十一万トンの
漁獲量ということで
最後に取りきめをいたした次第でございます。
なお
共同調査の問題に関しましては、これは
同町に
委員会の
決定といたしまして、
オホーツクの
問題等ももちろんでございますが、広範に
日ソ漁業に関連いたしまする問題についての
共同調査をやりまする
内容を取りきめまして、また
同町にそれぞれの
政府に
調査のために
専門家を派遣することを勧告するということが、
委員会として
決定を見たことを承知をいたしておるのでございます。
まず以上のような
経過をもちまして、
日本側としては決して満足する線ではございません、しかしながらとにかく
代表団一行の非常なねばりによりまして、
ソ連側が当初打ち出しました
規制の強い
要請をここまでほぐして、そしてここで今年の話を取りまとめをいたした次第でございます。
目下事務当局といたしましては、これが
出漁の円滑をはかりますために、
出漁に関しまするいろいろな
解決いたさなければならない問題について鋭意作業をいたしております
段階でございます。
以上御報告申し上げます。