○沼田
参考人 この
法案は、おそらく
社会党が政権に何
年間かおられたら、そのうちには一度出されたかもわからない、
社会党内閣の方が出すにふさわしいという気持は、私も実は持つのであります。各県においても、
社会党知事のいらっしゃる
ところが、こういう労働機関が
整備されておるというようなことを見ると、おそらくそう言うことができる。しかしそれは大まかに言ってのことで、何らか総合的な
研究機関なり、あるいは
教育機関なりというものを作るであろうし、あるいはそれよりももっと一般的にいえば、そういうために予算をさくであろうということにおいて、私は
社会党内閣というようなものがあれば、こういう問題を取り上げるであろうということを申し上げたわけです。しかし私は、果してそれではこの
法案に示されたようなプランがどれくらいプラスを持つか、どれくらいマイナスを持つかということになると、これはやはりつぶさにながめてみなければいけないし、そしてもしそれがマイナスの面が多いようだったら修正すべきものは修正しなければならないし、どうにもならなければ、またできる時期を待つべきこともあるだろう、こう思われるわけであります。それで、もちろんそういうことを審議していただくのはこの
委員会、あるいは議会でありますが、それについて、この構想の中で多少危険もあるのではないかと思われる点をここで提示さしていただいて、そして御審議の
参考にしていただければ幸いだと思います。
一番気にかかることは、労働問題の主役である
労働組合自体が、あまり賛成してないということがどうも気にかかる。この点はやはり、まず労働問題の主役の
労働組合というものに、もう少しよくわかるだけの努力をして出発されることが非常に大事である。どういう
法案でも、その
法案の適用になる対象が、それにどこまで
理解をしておるかということが大事なんで、これをよく
理解させてから発足しないといけない。そういう点でどうも気がかりなのは、労働問題の主役である
労働組合が、あまり賛成の意を表されておらないように見受けられる。もちろん、
中小企業の方たちは賛成なんだ、お前は知らないんだと言われるかもわかりません。しかし声なき無数の
労働者がいらっしゃるわけです。
組織されておっても発言力の弱い
組合もあるわけでありますけれども、少くとも
労働者の声を代表している主体があまり賛成していないということは、
最初に注意しなければいけないと思います。
それから、
政府が全額出資でやっておりますこの
協会の運営ということについてであります。
一つは先ほどから
石川参考人が強調されておったことですが、つまり
研究したくてもどうも金もないし、それから総合的にやりたくても、どうも各派にとらわれておってうまく連絡もいかないと、いう
関係から、総合的な機関を作った方がどうもよい、作るとすればだれが作るかといえば
政府よりほかないじゃないか。もっともな
意見だと私も
考えるのであります。ただそこで気になるのは、そういう
研究の必要件なり、あるいはそれについてどれくらいの金が要るのか、どういう
研究にどれくらいの金が要るのかという問題を
一体だれがきめるかということを抜きにしては
考えられないのではなかろうか。もしかりに
労働大臣なら
労働大臣がそれをきめるという生殺与奪の権をもし握るといたしますと、これはその
政府が、
自民党の
政府であろうが
社会党の
政府であろうが、あまりおもしろくないと思うのですが、わけても
労働組合の側がしばしば勇ましく敵などと呼んでいるような、そういう
政府でもし握るとすれば、どうもおもしろくない。
社会党にしても、私は政権をとってこういう形で握ってしまうのは非常に問題があると思う。やはりそれは
研究自体が問題を提起して、それをたとえば公正な第三者に、たとえば学術
会議というような
ところにおいて現在科学
研究費の割当をやっておりますが、ああいう仕組みで問題の重要性を把握する、そうしてそれに幾らか渡す、こういう形にならないならば、下手をしますと、
研究者というものに黄金のなわをもって首をくくるという結果を生じないものでもない。学者の給与が悪くて、
研究熱望が非常にあるにもかかわらず
研究費が少いというこの
状態は、ある
意味では
研究者に黄金のなわをもって首をくくるということが、非常に容易な
状態であるともいえるのです。どうもその点、この
法案を見ていったときに、果して
研究の重要性を評価する上に公正な判定機関ができているのかというその点でながめてみますと、どうもまだ、
評議員会というものは
諮問機関にすぎないし、どうも生殺与奪の権は結局
労働大臣の
ところに握られる。事業運営計画その他が認可にかかるわけでありますので、その点が私はこの
協会発足について非常に危惧されるわけです。これは、ほんとうの自信をもってあくまでも客観的な
研究をさせていくべきだという気持ならば、そういうようなことができるような、そういう態勢を
法案自体の中へ植え込んでいただかないことには、私はプラスよりも、下手するとマイナスが多くなるのではないかという心配を持つわけであります。
次にもう
一つの機能であります
労働者教育という問題でありますが、
労働者と
教育ということは私も非常に必要だということを、かねがね実は
考えております。
労働者教育といえば、大きく分ければ技術的な
教育、スキルの
教育と、もう
一つはモラルの
教育といいますか、
労働者の
労働者としてのあり方、たとえば
組合を作れば
組合の中にいる
労働者としてのあり方、メンバーとしてどういう行動をとるべきであるか、
組合員としてはどういうふうにものを
考えていくべきであるかというようなモラルの
教育であります。昔のギルド的なものは両者をあわせて
教育しておったわけでありますが、今日こういう高度に発達した産業機構のもとにおいては、技術の方の
教育というものは、これはもはや
組合の手だけでは片づかない。あるいはもっと大きな規模でやらなければならない。もちろん大
企業なんかでは
企業者みずからおやりであります。しかしこれは個別資本の手にまかせておくべきでなくして、一国の生産力のにない手である労働の質を決定する問題でありますから、これは当然
政府がおやりになってよろしい、精力的におやりになってよろしいと思います。
ところがモラルの
教育ということになると、これはやはり自主的に自生さしていくべきものでなかろうか、つまり
組合みずから自主的に規制していくべきものでないだろうか。なるほど今日非常に低調であります。
労働組合は何をしておるかと思うくらい
教育に対して関心が薄い。それで、これによってモラルが高揚するのじゃないかという
考え方かもしれません。それもないとはいえない。しかしながら
労働者教育というものは独自の課題として
組合みずからが
考えられてよいことだと思います。これは遺憾ながら低調ではありますが、やはりある程度必要なものは存在していると言えましょう。自主的な
教育活動がだんだん出てきておるのじゃないか。そういう自主的に出てきておるいろいろな
教育活動をこの
法案ができることによって生かすかどうか、助成するか、あるいは抑圧するか、これが問題だと思う。そういう
教育活動というもののてこ入れをするような
意味合いを持つものでなければいけないのじゃないか。こういう
法案ができることによってそれを殺してしまってはどうにもならないのじゃないか。各県労政課、あるいは都内における労政事務所といったような
ところで、やはりいろいろ苦心されながら
教育なさっておる。非常に狭い規模でありますが、なさっておる。これはかなり見ておりますけれども、労働行政をプリンシプルにやっておられるのじゃなくて、同時に聴講者の来る範囲で
教育をなされておる。それならば、こういうふうな機構の芽ばえつつあるものをもう少し活用するということを
考えていかなければならないのじゃないか。そうすると、この
法案においては果してそのようなことになるかどうか。私は下手すると、何か労働省の握ってしまった
教育ということになりそうな気がする。これはどうしても何とかしなければいけない。それにはやはり
労働大臣の監督ということが少し手きびしくはないだろうか。たとえば十条、十三条、十六条、二十七条、三十五条というような
ところなどを見ますと、実質的にも非常に
労働大臣の発言力が強い。握り過ぎておる。これはどうも非常に疑問に思う。第一、人選その他においてももう少し客観的な形をとらなければいけないのじゃないか。たとえば学術
会議でもよろしいし、あるいはその
関係学界の推挙という形もありましょう。それから何よりも
労働教育を受ける側の
労働組合側の主張、いろいろな言い分も聞かなければならない。いずれにしても、そういう
基盤の上で選ばれていく人でこの
協会を形成することが大事なのじゃないか。
労働大臣が握るということになりますと、これはある程度非常に危険がある。たとえば公労法十七条は憲法違反であるという解釈をとっておる学者がある。これは公労法に反してストライキをやることはけしからぬという
政府側としては、どうにもかなわない。あるいはこんなものは要らぬと思うのはもっともであります。それからまた逆に、公労法を
改正して、こんなものは違憲だ、違法だ、こう思っている
社会党内閣が天下をとったときに、あくまでもそうでなくて可能なのだということになってしまったならば、これはある
意味では学者の自主的な
研究に対して非常な悪影響を及ぼしてくる。また同時に、学者にプレッシャーを及ぼすとすれば、
労働組合の人たちに対して、何か非常に権威的な影響力を及ぼすことになり、労働
協会側の
意見というものが何か学界の公正な
意見であるような印象を与えるということになりはしないか。そうしますと、やはり
労働大臣というのがこれくらい
ところどころにちりばめられるということは、今はよろしいでしょうが、もし
保守党がやる気になるかもしれない、そうなったときに、これは同じように
社会党内閣になった場合、
社会党に握られてしまうのじゃないか。その点で、
社会党がこの案をお
出しになろうが、どちらがお
出しになろうが、これくらい
政府機関が握るというのはいけない。既成の自生しつつある自主的な
労働教育機関というものを生かすような
方向でこれに助成をするというような形での予算を使う道はないものだろうか。この予算をとっていただくということは、これは何といっても労働行政の少し前進だと思うのですけれども、その予算の使い方について非常に危惧されるものが私はありますので、どうかその点は衆議院において徹底的に議論をしていただいて、そしてもっと客観的な
調査が可能であり、そして
労働教育についてももう少し合理的な制度が打ち立てられるように配慮をしていただきたいものだ、こう思うのであります。