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1958-03-20 第28回国会 衆議院 決算委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月二十日(木曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 坂本 泰良君    理事 井原 岸高君 理事 田中伊三次君    理事 田中 彰治君 理事 山本 猛夫君    理事 神近 市子君 理事 吉田 賢一君       大森 玉木君    徳安 實藏君       堀川 恭平君    八木 一郎君       淡谷 悠藏君    小川 豊明君       上林與市郎君    山田 長司君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      河井信太郎君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部長)    松岡  亮君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部食品課長) 筒井 敬一君         通商産業事務官         (通商局通商参         事官)     長橋  尚君         参  考  人         (衆議院議員) 大石 武一君         参  考  人         (衆議院議員) 綱島 正興君         参  考  人         (衆議院議員) 稲富 稜人君         証     人 杉本喜三郎君         証     人 松平 守弘君         専  門  員 黒田 久太君     ――――――――――――― 三月二十日  委員小笠原九郎辞任につき、その補欠とし  て徳安實藏君が議長指名委員に選任された。 同日  委員徳安實藏辞任につき、その補欠として小  笠原三九郎君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  証人出頭要求に関する件  歳入歳出実況に関する件      ――――◇―――――
  2. 坂本泰良

    坂本委員長 これより会議を開きます。  歳入歳出実況に関する件につきまして、前会に引き続き調査を進めます。  本件につきまして、参考人といたしまして、大石武一君、綱島正興君、稲富稜人君の御出頭を求めておりますので、この際各参考人より実情を聴取いたしたいと存じます。  先般三月十二日の当委員会において、千葉精糖株式会社東京経理責任者久保田顕三君より、松平から当時本件砂糖通関解決運動をしておる二、三の代議士に渡すのだといって松平に金を渡したと述べ、当時の運動をしておる代議士大石武一氏、綱島正興氏、稲富稜人氏と聞いておると述べておりますが、この点につきまして実情をお伺いしたいと思います。大石武一君、
  3. 大石武一

    大石参考人 私は大石武一でございます。去る十二日の決算委員会におきまして、千葉精糖株式会社の久保田某なるものがこの委員会に出て参りまして、千葉精糖原糖割当運動して、その運動資金として大石武一その他に金が渡っているらしいというでたらめな発言をされましたことについて、非常な憤激を覚えております。われわれは、――われわれというよりは私の問題でありますが、こんなことに関しては断じてわれわれには不正はございません。そもそも千葉精糖と私の関係を申し上げますと、何らの関係もございません。私が、昭和三十一年でありますか、農林政務次官をいたしておりましたときに、日をよく覚えておりませんが、その後の秘書官や秘書のいろいろな意見を聞きまして総合してみますると、千葉精糖という小さな製糖会社並びにそれ以外の数個の製糖会社方々が私の政務次官室陳情に参りまして、原糖割当が少いからぜひとも小さな会社にも割当をふやしてもらいたいという陳情を、しかも陳情書を携えて参ったことがございます。私は、その折、これらに面会いたしまして、その陳情を聞いた覚えはございます。どのような返事をしたか私は覚えておりませんが、一ぺん陳情だけは承わっております。それだけの関係であります。それだけの関係でありながら、なぜこの千葉精糖の一久保田なる課長が私に金が渡っているらしいとかなんとかいうでたらめな、しかも個人の身分並びに政党国会の権威に関し冒涜をするようなこのような発言をなぜこのような委員会でなしたか、私にこれが不思議にさえ思っておるところであります。このことについてぜひともこの決算委員会において究明をして、その発言の根拠並びにそれらに関する責任というものを十分に追及してもらいたいと私は心から念願いたします。とりあえず私の第一回の発言はこの程度にとどめます。
  4. 坂本泰良

  5. 綱島正興

    綱島参考人 私が周嘉チン君の訴訟依頼を受けまして本件関係いたすに至りました事情は、関仁甫というかねて知り合いの人が、昭和三十年の十二月の中旬と覚えますが、参りました。この関仁甫という人は中和党という華僑政党の総裁でございます。そうして、この人は、たしか私の記憶によれば蒋介石よりももっと先輩でございます。かって中華民国政府のたしか陸軍大臣だったように記憶しております。相当な要人でございます。この人が参りまして申しますことには、華僑は大体二十億ドルから二十五、六億ドルのドルを保有しておる、これはみな東洋において商業資本であった、ところが、だんだん未開発地が開発されるに従って華僑が独占的な商業だけをやることは困難になってきたので、それぞれ企業資本にも変えなければならぬ、なおまた、中国共産国になったから、ここによるわけにもいかない、台湾政府も、実は政府の強固な立場を、政府としての存在をそう信頼しかねる事情もある、アメリカに持っていけばまことにけっこうであるけれども、これは預金利子がつかないので実は非常に困るんだ、そこで、日本にこの資本を持ってきて、企業資本に転換することは華僑利益と一致するんだ。それならやってくれればいいじゃないかという話をいたしました。ところが、関仁甫が言わるることには、いや、そういうことはいいけれども日本国ではまるで華僑の持ってきたものをどうにもならぬようにするようなことが現われておるので、華僑は信頼しかぬるのだ。それは何のことだと言ったら、砂糖契約に基いて持ってきたところが、代金も払ってくれない、そうして非常な費用ばかりかさんで、にっちもさっちもいかなくなっておる。それは気の毒だと言ったら、足下は弁護士だからこれを何とか処理してくれぬか、こういう話でございます。とにかくその本人をよこしてみなさいということで別れたのでありますが、それからこのシュウカチンン君が単独で参りました。この人は日本語が一つもできません。英語を少しやるが非常なブロークンでございます。私もブロークン。両方の精密ある話をするのには不適当でございましたので、筆談をいたしました。それでも要を得ませんから、一つ通訳を連れてきてもらいたいというので一切の書類通訳のもとに拝見してみましたところが、その契約内容は、立川研究所が無為替砂糖輸入する権利を持っておる。その権利を持っておることの証明として、通産大臣及び大蔵大臣許可がある許可証写真版をつけてございました。それによって一万トンの砂糖輸入するということを一切委任するという委任状でございます。その委任状を受けた人間は勝間という人でございます。これには何ら疑う余地のない委任状でございましたので、これはほんとうだと思って、どういうわけで立川研究所はその荷物を引き取らないのだと言ったところが、金を支払わないのだ、砂糖だけなら取るのだけれども、金を払わないのだから渡せないのだ。それはもっともだというわけで、立川研究所にも電話をかけてみましたが、やはり金は払えない。そこで、実はちょうどそのときは、それらの用意をちょっとするうちに一週間くらいかかりましたし、十二月の中旬も過ぎるころになりましたので、周君にも僕は断わりまして――私どもは与党でございますので、年末から正月の十日ぐらいまでは、毎年予算編成のために昼夜わかたず正月なんぞは一日もひまがございませんほどでございます。そこで、正月の十日を過ぎなければ私どもひまができないが、それでもいいか。それでいい、こう言うので、実はこのシュウカチンン依頼を受けまして――それは訴訟委任でございます。私の考えといたしましては、どうしても正式のルートに入れてもらわぬことには、訴訟をするといっても訴訟ができないことは保税倉庫物件が所在しておりまして、日本の裁判の対象とならざる以前の物件でございます。これをどうしても関税を通過しなければ、荷主権利を擁護することを日本裁判所で御決定願うことが不可能な物件でございます。そこで、実は周に、これは幾ら金がかかっておるか、これを通関するのに幾らかかるかと言ったら、ランディングその他の費用でおそらく七百万円つか八百万円かかる、それから一日の保管料が大体十万円でございます、もうすでにそのときは六、七十日になっておるので六、七百万円のものが要る、両方で大体千四、五百万円の金が要るのである。それができるかと言うたら、できないと言う。どうしてもその金の工面はつかないと言う。さらに、君が本国に帰って工面してくればいいじゃないかと言うたら、その見込みもないと言う。そこで、私は通産省に参りまして、当時の農水産課長である日比野君に、これを通関してくれぬかと言いましたところが、これは立川研究所あてに送ってきているものだから、立川研究所同意書がなければできないと言う。立川同意書をつけてもらえば立川品物を渡して、そうして金はあとから払うという条件で……。これはどうすることもできないから、契約は事実上不履行に陥って、これは破棄をして話分れになっておるのだから、一つ日本政府でフリーな砂糖として輸入手続をしてくれぬか、外貨割当がもうないのかと言うたら、まだあると言う。外貨割当がなければなるほどできないだろうけれども外貨割当があって輸入するものがあるのならば――御承知のように、輸入するには、二カ月ないし三カ月前からクレジットを積んで、その間の利息は買人が払わなければなりません。しかるに、このものは、もう通関手続をすれば外貨を割り当ててすぐ品物が手に入るのであります。そこで、需要者のためには利益であるから、お前さんこれをフリーの立場輸入してくれろということを私が迫りましたけれども、何だかんだと言うてしない。どうも僕は不思議だと思っておるうちに、もう日が過ぎて、三十一年の一月十日ごろだったろうと思いますが、ちょうど農林委員会がございまして、そこに清井という食糧庁長官出頭いたしました。日にちははっきり覚えませんが、そのころでございます。ちょうど委員会が済んだあと、十一委員室でありましたが、政府委員の前の場所で、清井君知っているか、立川のところへ来た砂糖を知っているかと言うたところが、それは知っております、それなら君輸入してくれぬかね、あれを通関してくれぬかね、輸入ができなければ通関だけでもいい、こういう話をいたしました。通関すれば何でもない、裁判所に向って換価手続をいたしますれば金にかわるのです。かわったら、その契約との差額を債務者に請求すれば、それでよろしいのでありますから、訴訟手続とすればそれは正当な手続でございます。ところが、これもどうしてもずらずらしておる。その後また日比野君のところに行きました。ところが、これもまたうまくいかない。そうすると、たまたま農林省に行っておるときに、廊下食糧庁長官を見ましたので、君、あれはどう頼んでもしないか、しない理由は何か法律上不法な適法でないことがあるのか、それなら頼まぬよ、適法なことであったら事情上これはしなければならぬのじゃないかと言いましたところが、適法には間違いないけれども、というようなことで、どうも話が進みません。そこで、私はかねて知り合いの兼子という千葉精糖の技師――砂糖には非常に詳しい人であるということでかって紹介を受けておった人ですが、その人に連絡いたしましたところが、行こうという話だから、来てもらいました。実は友人関仁甫から頼まれて、本人は僕を――実は言い落しましたが、周に会いましたところが、周が私のところに契約の原本をみんな置いていくから……。それは困る、すべて写しを作ってくれたまえ、そうしないと僕は困るのだ、弁護士というものは火災にあわないような設備をちゃんと持って事務をするのでありますが、私は戦後そんなものを持たないから、重要な、三億円にわたる権利書を手に握ることは私も非常にいやでございましたので、実はそれは持って帰れと、そう言うたときに、あなたは私は知っております、どうして知っておるかと言ったら、サッスーンの家でお目にかかりました、ああそうかということで、向うは初対面ではないから、あなたに全部お願いしますということであった。それから実は鈴木君に問い合せました。あなた、この砂糖というものはどういう事情正規ルートに乗らぬものか、一つ調べてくれぬかと言うたところが、それじゃ三、四日日にちをかりますということで、三、四日しましての報告で、先生、これはおやめになった方がよろしゅうございます。やめるといっても、これは日本国際信用に関することだからとてもやめるというわけにいかぬよと言いましたところが、いや、これはとても先生なんぞにできるものじゃない、業者の了解を得たり、いろいろしなければなりません、先生の性格ではできませんよ、こう言う。だから、それでわかった、行政官庁に話してもはっきりした話をしない、よくわかった、それじゃやめようというので、周を呼んで、一切の一件書類を返して、最後に、そのときはすでに日にちが、引き受けてから七十日――引き受けてからじゃございません、輸入があってから七十日くらいたっておりました。そこで、周さん、今から訴訟用意をするのに一カ月くらいかかろうが、百日分の保税倉庫料一千万円、それからランディング・チャージや何かみんな加えてあなたの説明によれば六百万円か七百万円、それだけの金を用意せぬか、それで裁判所に仮処分を申請する方が、行政庁にうだうだするより早いと言うたところが、どうしてもその金ができない。それではお返しするほかはないと言うて書類を一切返して、私は事を絶ったのであります。  そうして、その後官報を見て知ったので、詳しいことは――それが通関されたのは三、四カ月後である。私がふしぎにたえないことは、何で正当な訴訟代理人が正当な書類を――周がブローカーであるような、この委員会でお言葉が出ておるようでありますが、断じてそうではありません。弁護士訴訟委任を受けるには所有者が何であるか必ず調べます。香港上海バンクの荷為替で参っておるけれども香港上海バンクに問い合わせましたところ、香港トレーディング・カンパニーの品物である、そうして、一定額の立てかえの金を払ってさえもらえれば、いつでも品物でも為替状でもお引き渡しをする、その香港上海バンク代表者の一人は周嘉チンといってただいま日本に滞在しておるというような証明書をよこしておる。何ら疑いのないところでありまして、周は荷主でありまして、ブローカーでも何でもありません。こういうこともよく一つ了解を願いたい。こういう事情でございまして、これが私が関係いたしました一切の事情であります。
  6. 坂本泰良

  7. 稲富稜人

    稲富参考人 ただいま問題になっております砂糖の問題で、いかにも私がこれに醜関係があるかのごとく本委員会で言辞を弄されたということに対しましては、遺憾に存ずるとともに、心外にたえない次第であります。この機会に、私は私の関係いたしましたことについてこれを明らかにしたいと存ずる次第であります。  日にちははっきり記憶いたしませんが、この砂糖が三十年に入ったとすれば三十一年と思いますが、たしか国会の開会中でございました。ただいま綱島参考人が言われました周という人を伴いまして、松平という人が突然私の会館の部屋にたずねて参られたのであります。そのとき、話を承わりますと、実は立川――そのときは立川という話でございましたが、立川から機械のパテントを中国側が買った、これに対しては通産省証明も出ておる、その証明に基いてこの機会を買うためのバーターとして台湾から原糖を一万トン日本に持ってきた、ところが、この証明がうそであったようで、これが正規ルートに上らないで、ただいま横浜の倉庫にこれが置かれてある、それがために周は毎日十万円からの倉庫料を払って非常に困っておる、何とか正式なルートにこれを乗せてもらうような方法はないものだろうか、こういうような話でございました。特に私記憶いたしておりますが、そのときに、松平氏が私に、これは実に国際的な日本信用にも関する問題であるから、何とかこれは解決していただかなければならない問題だと思うのだがと、こういうような話もあったのであります。私はそれを聞きまして、実は周という人もりっぱな人物のようにも思いましたので、非常に気の毒だ、それでは私一つ関係方面事情調査いたしてみましょう、さらにまた場合によりましたら何とか努力をいたしましょう、しかしながら、これに対しては私は条件があるが、あなたは聞いてくれるか、と言ったところが、何ですかと言うから、私がこれに努力いたしましても、私に一文の謝礼もやらない、供応もしないということを確約するか、こう言いましたところが、そのとき周は私の前で涙をはらはら流して喜びました。私はそれを見て、いかに周という人がこの問題で困っておるかということが、私は今でも目にすがっております。そうして、立ちますときに、実はこの問題につきましては綱島先生にも非常に心配をかけました、こう言って立って行きました。それで、私は、翌日でありましたか、農林水産委員会綱島さんに会いましたので、綱島さんに、実はきのう周という中国人が一万トンの砂糖の問題で来たが、あれはどんな問題ですか、こう聞きましたところが、綱島さんは、周という男は善人ですよ、非常に気の毒ですよ、まあ何とか一つあなたも助けてやりなさいよ、こういうように言われました。それで、私はちょうどその日かその翌日だったかと思いますが廊下清井食糧庁長官に会いましたので、一万トンの原糖倉庫に眠っておるそうだが、あれは一体正規ルートに乗らぬのですか、こということを清井長官に聞きますと、清井長官が私に、先生、あれに関係しなさんな、あれにはなかなかスキャンダルがあるらしいから、あんなのに関係すると迷惑いたしますよ、こういうような話が清井さんからありました。私は、実にこの周という人を気の毒に思ったのだが、これは国際信義の上からも何とかしなければいけないという義憤を感じて、実はこういう条件をつけて、調査をしよう、場合によったら努力をしよう、こということを私は言ったのですよと言ったところが、清井さんは、そうですが、それならば一つ私の方でも検討しましょう、こう言って廊下で別れました。それから数日して私国会の食堂でちょうど通産省樋詰という通商局次長に会いましたので、樋詰次長に、実は台湾原糖が一万トンあるそうだが、あれは正式ルートには乗らぬものですか、こう私は清井長官に聞きましたと同じ質問をいたしました。そうして、私は実は清井長官にも話しましたけれどもという話をしましたところが、樋詰次長は、そのことは清井長官からも電話がありました。それで、私は、そのときに、清井長官に話し先と同じようなことを言って、これは何とかしてやらなければ気の毒ですなと言って別れたのであります。それ以外のことについて私はこれに口をきいたことはございません。その後これがどうなったかということも知りませんでした。ところが、数カ月かしまして、松平氏が周さんを伴って私のところに来まして、おかげであの問題が片づきました、周さんが私に、おかげで私も香港に帰れるようになりましたと言ってあいさつに来られました。それで、私は、今後あなたもこういうような問題を扱いなさんな、華僑として堂々と一つ貿易をやりなさいよ、こう言って私は別れたのでございまして、その後の経過、配分等は全然私は関知いたしません。私の関係いたしましたのはただこれだけであって、そのほかには何もないということを明らかにこの際申し上げておきたいと思います。
  8. 綱島正興

    綱島参考人 ちょっと補足させていただきたいと思います。言い落しましたが、本件につきまして、金銭は、弁護士でございますけれども着手金費用等一文ももらっておりません。その後ももらっておりません。ただ筆を二本と紙を四十枚くらいもらいまして、まことにりっぱな筆であったから、筆一本と紙二十枚は緒方さんに差し上げました。あとの筆一本と二十枚は、これは珍しいもので、そのころ日本にはそのようなものは輸入できませんでしたので、実は大野さんにやりました。その筆二本と紙四十枚は確かに私がもらったんだが、これはこのごろの報酬とかなんとかいう意味で持ってきたものではないと思って受け取ったものでありますが、なおまた、弁護士訴訟事件でございますから、私が毎日弁護士をしておるときには、こういう三億円以上に上る事件でありますから、五百万円や七百万円の着手金は当りまえでございましょうが、私はそういうものは一文ももらっておりません。稻富さんが言われたように、ほんとうにこれは国際関係上の、日本ではまことに恥かしい問題だと思って努力いたしましたので、一つもそういうものに対する報酬着手金等も受けておりませんということを付言いたしておきます。
  9. 坂本泰良

    坂本委員長 発言の申し出がありますので、この際順次これを許します。淡谷悠藏君。
  10. 淡谷悠藏

    淡谷委員 大石参考人にお伺いいたしたいのですが、この事件が発生しましたころ、あなたはたしか農林政務次官をされておった。そして、このドミニカ砂糖がいろいろな経緯を経まして、最後にはルートに乗ったんですが、このルートに乗った事情等をあなたは何かお知りになっておりませんか。
  11. 大石武一

    大石参考人 私は、このドミニカ砂糖、当時は立研という言葉を使ったと思いますが、この問題については詳しい経緯はわかりません。ただ、私は、農林政務次官をしておりました折に、この立研の無為替輸入に関する砂糖の問題につきまして陳情は受けております。松平君から、これは輸入できないものかという陳情を受けておりまして、そのことは当時の食糧庁長官であった清井正君にもいろいろ話をしております。私は数回にわたってこの問題の内容を聞いたと思いますけれども、全然わかりませんでした。何べん聞いてもわかりません。そこで、清井君に、こういう問題があるのだけれども、君聞いてやって、もし筋が通るものならばめんどうをみたらよかろう、こういう形で全部話して、当時清井食糧庁長官は私の最も信頼する部下でありましたので、すべて清井君に話しました。私は詳しい経緯は一切わかっておりません。
  12. 淡谷悠藏

    淡谷委員 松平守弘という人があなたの第二会館事務所にして方々に名刺を配って歩いておるようですが、松平守弘という人とあなたとはどういう御関係にあったのですか。
  13. 大石武一

    大石参考人 少し長くなりますが、私事に関しまする経緯を申し上げます。松平守弘という人と知り合いになりましたのは、そのお母さんの松平俊子という人を通じてであります。私の一番上の実の姉が現在中野区の会議員をいたしております。鷺ノ宮の婦人会長をいたしております。この姉がこの前の区会議員の選挙の折に立候補いたしました。その折、私は、私の友人である愛知揆一君石田博英君と三人で応援演説に参りました。ところが、その折に松平俊子という婦人がやはり姉の応援に来ておりました。はかまをはいたりっぱな偉い人で、内容も、われわれをてんで子供扱いにするような内容演説をやったように記憶いたしております。この松平俊子さんという人が姉の応援に来まして、姉と知り合いになったわけであります。その松平俊子さんを通じまして、その次男である松平守弘という人が私に紹介されまして、私のところに参っておりました。その用件は、今考えてみますと砂糖に関する陳情でございます。私が政務次官をしておったころでありましたけれども、これはこういう内容であったと記憶しております。当時砂糖原糖輸入がございまして、それを各製糖会社割当をする。そういう場合には、大体一流の大きな製糖会社にのみ配給が行われまして、三流、四流の小さな製糖会社にはほとんど割当が少い。これでは小さな製糖会社が立っていけな問いから、その割当方式を変えて、小さな製糖会社にも割当がいくようにしたらどうか、それにはいろいろな考えがあるといって、今考えてみますと、こんな大きな表を作っていろいろな数字を書いたものを持ってきていろいろ説明を受けたことを覚えております。それが松平守弘と私の知り合いの初めであります。その内容を聞いてみますと、まことにもっともであります。話は非常に筋が通っておりますし、話もしつかりしておるし、人間もがっちりしておるようでありますから、私は別にこれを敬して遠ざける必要もなく、いつでも陳情に来れば陳情を受けたり会って話を聞いたりしたのであります。これが私と松平守弘とのつながりであります。ただし、その松平君が親しさになれまして第二議員会館の私の部屋を自分の名刺に書き込んだということは全然知りませんでした。その名刺も見ておりませんから、果してそういうことがあったかどうか知りませんけれども、あなた方のお話とか新聞によって、私の議員会館のあて名を書いた松平守弘という名刺を使っておったということを知ったのであります。これは全然どういうわけで使ったか知りません。別に悪用するわけではなかったのでございましょうけれども、私はそのことはよく知りません。第一、私が政務次官をしておりましたときは、この第二議員会館は全部かぎを閉じて閉鎖しております。そうして、そのドアに紙を張って、陳情団でも何でも私に御用の方はどうぞ農林省の政務次官室においで下さいと紙を張っておりますから、一切第二議員会館は使っておりませんでした。そういうわけで、なぜこのような名刺を使ったか、私は知りません。私の知らないところでございます。
  14. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この松平さんという人は、ふだんの職業は一体何をされておった人ですか。こういうふうな砂糖の問題が出てからはいろいろ活躍せられておったようでありますが、その以前にはどういう職業をやっておられた人ですか。
  15. 大石武一

    大石参考人 それは、いずれあと松平君がここに証人としておいでになるそうでありますから、それにお聞きになったらわかるでありましょうが、私は詳しいことは知りません。石炭の売買をやっておるという話でありました。
  16. 淡谷悠藏

    淡谷委員 千葉精糖の人たちをつれて農林省の政務次官室松平君が行ったというこの前当委員会における発言があったわけですが、この御記憶はありませんか。
  17. 大石武一

    大石参考人 千葉精糖の社長が私のところに陳情に見えられたというような記憶がかすかにございましたので、私はそれを農林省における私の秘書官とかあるいはいろいろな秘書官を集めまして聞いてみました。大体それでわかったのでありますが、千葉精糖並びにその他の小さな製糖会社の、社長かどうか知りませんが、そういう代表の方々が十名近く私の部屋に見えられまして、陳情書を出して私に陳情されたような記憶がございます。それだけであります。それは一ぺんだけだったと思います。
  18. 淡谷悠藏

    淡谷委員 松平君は運動のために五百万円金を千葉精糖に請求したということを千葉精糖が言うのですが、あなたは相当親しくしておられたようですが、松平君から何か運動の方法等について相談を受けたことはございませんか。
  19. 大石武一

    大石参考人 私は詳しい記憶はございませんけれども、金の問題は一切聞いておりません。それから、運動の方法と申しましても、陳情を持って来られまして、そういう陳情が、前から小さな砂糖会社にも砂糖割当をしなければならないという陳情があったのですから、それを一般の陳情だと思って、私は別に清井長官にも何もこの問題を話したことはございません。それだけでございます。
  20. 淡谷悠藏

    淡谷委員 もう一点お聞きしたいのですが、なくなったシュウカチンンという人とあなた会ったことはありませんか。
  21. 大石武一

    大石参考人 よくわかりません。どんな人ですかよく覚えておりません。
  22. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それでは綱島参考人一つお聞きしたいのですが、あなたはこの砂糖が金がないために受け取れなかったというように解しておられるようですが、立川研究所が向うにパテントを受ける権利を売却して、そこから入ってくる金のかわりにこの砂糖を送ってもらったので、大体これは金を出さなくとも立川研究所が受けることができるようになっておったはずなんですが、どうも特許権を受ける権利を、東方貿易行という台湾の商社ですか何かしりませんが、これが取らなかったので砂糖だけが日本へ入って来たという事情を、この問題にタッチされたころお知りになっておりませんでしたか。
  23. 綱島正興

    綱島参考人 その東方貿易行と立川研究所のことは、私の関知すべき範囲でもなければ、何も存じません。私の関知しましたものは、先ほど申し上げたように、無為替輸入許可を持っておる許可書の写真版をつけた立川研究所砂糖一万トン輸入することに対する委任状を携えておる勝間という立川研究所からの代理人、それと香港トレーディング・カンパ二ーとの間に取りかわされた契約書によれば、金額は今覚えておりませんが、少し高いと日比野君はそれを見て言いましたが、金額を払うと書いてございました。その裏のことは存じません。私が弁譲士として扱ったものには当然請求権のある契約書でございます。
  24. 淡谷悠藏

    淡谷委員 通商産業省の通商局の輸入課長の生駒勇という人が通商産業大臣代理として出した輸入貿易管理令第八条第一項の規定による輸入承認書というものがここにございますが、この中には、この輸入は新虎木綿ナンバー五十一の製造法につき台湾中国本土及び香港において特許権を受ける権利の対価として百万ドル相当の粗糖輸入を行うもの、こうしてあるのですが、そうしますと、明らかにこの砂糖日本の内地では対価を現金で要求すべきものでないように思われます。同時に、立川研究所がこれを受け取った際は、立川研究所からルートに乗せるのは正しいのですが、周氏が自分でこれを国内で現金にかえる性質のものでないようにわれわれは理解するのですが、この辺の御研究はなかったのですか。
  25. 綱島正興

    綱島参考人 なるほど、許可書を精密に読めば多少そういうふうなものも許可書の中にはあるようでしたが、しかし、その許可書は許可の文面のところだけの写真版であって、全文がはっきり読めるようにはなっていないのです。それで、通産大臣大蔵大臣許可書の中の精密なる条件はわかりません。それに基いて、いわば周がもっと詳しく許可条件を調べればよかろうと  思う。少くとも周と立川との間の契約は代金を払って受け取るという契約でございます。それは日比野君も見て知っておるはずです。見せております。その契約書はその通りであります。でありますから、これは、ごくひらたく言えば、不十分な写真に基いて、外人だから、日本政府許可書という印刷のところがはっきりしておれば、その写真版をつけて、そうして立川研究所委任状をつけて一万トンの砂糖を無為替輸入して内地で金を払うという契約でございます。契約書はその通りになっております。従って、国政上これがどうかということは別として、シュウカチンンの請求権と処分権に対しての権利さえはっきりしておれば、国政の審議者として取り扱った事件ではございませんから、どうぞその点の誤解をなさらぬように。これは弁護士綱島がシュウカチンの訴訟代理人として、請求権を持つ範囲の取扱いでございますから、どうぞ御了解を願いたいと思います。
  26. 淡谷悠藏

    淡谷委員 周氏があなたにこの事件依頼した動機というのは、周氏とはむろんあなたは前にはお知り合いではなかったと思いますが、だれか紹介者でもございましたか。
  27. 綱島正興

    綱島参考人 先ほど詳しく申し上げたので重複いたしますが、関仁甫という人、この人の経歴も大体申し上げましたが、私のところに来て訴えて、本人をおよこしになった。
  28. 淡谷悠藏

    淡谷委員 ちょっと私の質問が要領を得なかったと思いますが、実は私、関仁甫のことは聞いておりますが、ほかに日本の人でだれかあなたの中へ入った人がございますかという意味です。
  29. 綱島正興

    綱島参考人 ございません。
  30. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この周氏の砂糖の所有権のことですが、あなたは弁護士でもございますし、また代議士でもございますから、むしろこの問題の真相を発見するためにわれわれに御助言をいただきたいと思うのですが、香上銀行の荷為替がついて、砂糖を周氏が自分で所有するというような力があった方ですか、あるいは砂糖の商売をおやりになっておった人ですか。この周氏についてもう少しあなたの御観察をお伺いしたい。
  31. 綱島正興

    綱島参考人 いや、実は、周という者は、サッスーンが実際の資本主であるヒレル・アンド・アンケネド・カンパ二ーというものの法律顧問を十三年しております。それは大したカンパニーじゃなかろうと思って、まあいわばこっけいなほどの安い弁護料を取っておった。ところが、これは大きなカンパニーで、だんだん年を重ねるに従ってサッスーンにも会わなければならぬようになり、大へんなものだということが後日わかったのであります。上海に私が参ったりするとサッスーンがいろいろな宴会を開いたりしてくれます。その中の一人に周君がおったものとみえる。そして、周君が私に会ってから、訴訟の重要な証拠書類だからこれはお持ち帰りを願って、写しだけをいただきますと申しましたときに、先生、私はよく先生を知っているのだ、どうして知っているかと言うと、サッスーンのところでお目にかかりましたけれども……。それ前は私は知らなかった。私の記憶にはない。私の記憶では私の家で会ったのが初めての記憶であります。周君は知っておったそうであります。そういう関係でございます。
  32. 淡谷悠藏

    淡谷委員 稻富参考人に二、三お聞きしたいのですが、食糧庁長官清井さんと会ったときに、この事件はスキャンダルがあるから手をお引きなさいと言われたというお話ですが、清井さんはそのスキャンダルの内容について何かお話しになりませんでしたか。
  33. 稲富稜人

    稲富参考人 そういう話は何もございませんでした。ただ私も単純に、この原糖正規ルートに乗らないものでしょうかと言ったところが、あれにはスキャンダルがあるらしいから、先生もこれに関係しなさんな、こういう話がありまして、その内容等は私も究明しませんし、向うもそういう話はいたしませんでした。私は、さっき言ったように、これは国際的な問題もあるし、周という人も善人のようだから、むしろ議憤を感じて入ったんだ、こう言って別れたのでございますから、その間のことは何も聞きませんでした。その後も、この問題については清井長官とも会いましたけれども、触れたことはございません。
  34. 淡谷悠藏

    淡谷委員 立川研究所と周氏との関係を何かお聞きになりませんでしたか。
  35. 稲富稜人

    稲富参考人 全然聞いておりません。
  36. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それでは私はこれでよろしゅうございます。
  37. 坂本泰良

    坂本委員長 吉田賢一君。
  38. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 まず大石さんに伺います。あなたの政務次官中のできごとで、何かと御迷惑だったらしいのでありますが、この委員会で表向にこういう名刺が出て参りました。これによりますと、衆議院第二議員会館衆議院議員大石武一室と書いてある。電話も(五八)霞ケ関の一二一一、〇一三一、内線四二二四、松平守弘ということになっております。事実閉鎖されておった会館ではありましょうと思いますけれども、このような名刺があちらこちらに散乱するという事態になって、当委員会で証人がこれをお見せになった。持っておった方は久保田さんだと思いますが、そういうことになりますので、やはりこれを通じまして関係が相当重要であったのではないだろうか。これは私設秘書というような表現さえこの委員会で多分出たと私は記憶するのであります。本人じゃなかったかと思いますが。というようなことがございまするのでこういった面につきましても、やはりもう少し真実を解明されることが、あなたのためにも国会のためにも私は望ましいことじゃないかと思います。全然あなたとしてはこの名刺の作製も知らなかったということでございますが、何かもう少し思い当る節がおありになるんじゃないだろうか。と申しますのは、やはり松平氏も後刻証人でここでお聞きすることになりますので、食い違いがありましてもお互いに御迷惑と思いますので、その辺念のために伺っておきたいと思います。
  39. 大石武一

    大石参考人 先ほど申し上げましたように、その名刺の使われておったことは私全然存じません。これは後ほど松平君からお聞きになればわかることだと思います。私はその名刺の印刷されたことも使われておることも知りませんでした。全然記憶がございません。なお、第二議員会館の私の部屋は政務次官中は全部閉鎖してございましたから、こちらの部屋は使っていなかったと私は思います。どなたがいらしても政務次官室へいらっしゃるようにということで、ほとんど毎日のように私は国会が終りましても農林省に出勤しておりましたので、全然こっちの部屋は使ってございませんから、私はそういう名刺に私の部屋を役立てたことはないと思います。
  40. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 松平君からあなたは原糖割当等につきましていろいろと陳情をお受けになったようでありますが、その後松平君も関与して、いわゆるドミニカ糖の問題が正規ルートに乗るということになって解決したということになれば、これはやはり相当あなたにも報告されたであろうと、こう思うのでありますが、その辺につきましては、報告されたかいなや、いつごろどういう趣旨にあなたはお聞きになったであろうか、この辺を伺っておきたいと思います。
  41. 大石武一

    大石参考人 先ほど申し上げましたように、ドミニカ糖というのは最近新聞で見ましたのでございまして、私たちの記憶では、当時立研砂糖という言葉を使っておったろうと考えております。この問題に関しまして、先ほど申し上げましたように、私はやはり数回松平君からこの問題についての陳情は承わっておるように記憶いたしております。しかし、数回聞きましても、その内容がどういうことですか、私にはわかりません。私自身では解決しようがございませんので、すべて、当時の食糧庁長官清井君を呼びまして、清井君に、こういう陳情があるのだが、君の方で処分してくれたまえ、筋が通っておるならばよろしいと思うということで、こまかいことは全部清井君が聞いておったと思います。私は農林行政は初めてでありましたので、詳しいことを聞きましてもわからなかったように記憶しております。  それから、その後できたかどうかにつきましては、何か一ぺんおかげさまでうまくいきましたというようなことで農林政務次官室に来たように思っておりますが、詳しい記憶はありません。
  42. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ただ、しかし、あなたは政務次官として有能な方であったし、また砂糖問題につきましてはその他の幾多の案件も御関与になっておりますから、砂糖の入関関係、貿易関係くらいは、われわれしろうとじゃなし、十分の知識を持っておられたはずであります。ことに松平君には千葉精糖の側から相当の金品が送られたということで今なお紛争が続けられておるということも伝わっておるのであります。従って、この砂糖問題については、そのような深い関係に立ち入った松平君、その松平君があなたと特殊な関係にあったことから見れば、われわれの想像はやはり松平君ないしは周君とも、綱島君あるいは稻富君らに、あとでこうなったああなったということの報告があってしかるべきで、それがドミニカ糖であったのかキューバ糖であったのかということは、取扱者の観点の角度の違うことから来る次第で、いずれにしても一万トンの無籍砂糖と言われ、あるいはそれを正規ルートに乗せるための運動と言われ、多数の人がここに活躍して相当の金が動いたということは、証言によっても大体明らかになっております。そういう結果でありますから、いい工合に解決したということはいち早くあなたに申し上げるということが筋であると私は思うのです。ことに、あなたの部屋を自分の事務所として名刺を持ち歩くというような関係にあった以上は、何よりもあなたに謝意を表するとか、あるいは少くとも状況の報告とか、そういうものは三十一年の六月過ぎにはあったのがほんとうじゃないかと思うのですが、それも、清井長官にでもあったのか、清井長官からあなたに対してさらに報告があったのか、その辺を全然知らずというようにはちょっと考えにくいのです。もっとも、これを聞くことは、何もあなたがこの問題に深入りしておるという意味で伺うのではないのでありまして、ただ、そこが、あなたの方へ何らの報告がないというような趣旨では、どうも少し納得いたしかねますので伺うのでありますが、どうでございましょう。
  43. 大石武一

    大石参考人 この問題は、今吉田さんのお話によりますと、昭和三十一年六月ごろにあったというお話でありますが、今から一年半以上前の話であります。このようなことは私は覚えておりません。あるいは清井君から報告があったかもしれません。なかったかもしれません。私はそういうことは記憶しておりません。なぜかと申しますと、立研の問題にはり私興味がなかったのです。私は農林政務次官に三十年の十一月になりましたが、農林行政は御承知のようにしろうとでありました。農林委員をしたことも何にもありません。従って、私は農林行政を覚えることに精一ぱいでありました。ことに、すぐ国会でありましたから、河野農林大臣がおりませんために、国会の答弁その他で精一ぱいでありまして、農林行政万般に精通しなかったということはおわかりだろうと思います。それで、この砂糖行政というものは、割当がどうなっておるか、そういうことは通産省と食糧庁の間で行われることでありまして、詳しいことは何ら私はわかりません。また、これをどのような割当にするか、どのような砂糖を何ぼ買うかということは一切政務次官や大臣の権限ではございません。われわれは決して決裁をいたしません。ですから、詳しい記憶はありません。私は実のところこれには興味がありませんでしたから、従って、松平君からたびたび話を聞きましても、立ち入って詳しくは話もしないし、早く言えば、悪い言葉で言えばうわのそらで聞いたわけであります。それで、清井君は最も信頼する部下でありましたから、わからないことは一切清井君にまかせて、清井君の判断によってさせていたわけであります。あなたは、そんなことはない、わからないはずはないとおっしゃいましたが、実際私はあまり興味がなかったのでありますから、稻富君とも綱島君とも陳情を受けたということは――私は興味がありませんから、たしか松平君からうまくいったという話があったように思いますけれども、現在これは全然記憶がありません。それから、この問題は千葉精糖とはそのころは全然関係がなかったろうと思います。
  44. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、あなたの御説明ではこの立研砂糖問題については、興味もなかったし、十分な知識も持っておらなかったので、あげて清井長官の方にまかして、号の方で適切に処置をすべきだというお考えで、その方にまかしておられた、こういうことになるのですか。
  45. 大石武一

    大石参考人 おっしゃる通りです。
  46. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 綱島さんに伺います。あなたが周の立場に同情されて、周に見せられた――見せられたというよりも周によって提示されました立研と東方貿易の間の契約書、この問題でありますが、これは無為替輸入許可承認証が添付されてあった。ところが、無為替輸入なるものはすでに三十年十月二十三日に失効しております。そのときまで前後九カ月くらい有効期間が延長しております。延長しておったけれども、三度目はついに許可にならずに失効してしまっております。さすれば、その後無為替輸入には関係なしに、売買の契約をどう処理するかということ、われわれ法律的にはそういうような角度から考えるべきだと思うのですが、それを、立研が金を支払わない、それで支払わないから請求をする。ところが、契約書の原本の第三条によりますと、特許譲渡の登録は砂糖が成規手続立研に収納した後に実行すると書いてあります。ところが、実際問題としまして、すでに無為替輸入し、陸揚げはしているけれども、入関手続は済ますことが不可能な段階になっている。一方、有為替の成規の手続をしなければならぬという段階になっておりますので、ただ立研が金を支払わないからということで請求する、砂糖が来ているのだから金を支払えというふうに、入関手続も済まぬうちに金を請求するということは、この契約書の趣旨から見て受け取りにくいのですが、その辺の御判断はどうなっておりましょうか。
  47. 綱島正興

    綱島参考人 ただいまお尋ねのものは東方貿易と立研契約書ではございませんか。
  48. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうです。
  49. 綱島正興

    綱島参考人 私が申し上げるのは、香港トレーディング・カンパニーと立研契約でございますよ。これは公式のところで悪推量しては悪いのでございますけれども立研の代理人がそういう契約が東方貿易にあるということをはっきりせずに、無為替輸入許可権を持っておって、それはこの通りの許可証だと言うて、そしてその一部の許可になっている無為替輸入のところと官庁の許可の部分を写真にとって写したものを添付して、周は明らかにそのことを知らずに、立研との間には無為替輸入日本に入り次第金を払うという契約をして、その契約に基いて持ってきているのである。従って、東方貿易と香港トレーディング・カンパニーとの契約は違うのですよ。だから、その抜け道があるなとあとでわかったのですが、これは日比野君から聞いてわかったのですが、それに許可状の番号が書いてある。こういう許可、そうすると、その原本を見て契約するのが当り前なのですが、その原本を見ずに周が契約したことには、周には手落ちがあると思うのです。しかし、契約自由の原則から申し上げますれば、周は外国人でございます。それにこういう許可をしておるのだ、そうして日本に着き次第に金は払うのだという契約をすれば、その契約に基いては債務不履行者には請求権を有すると思うのです。
  50. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、香港トレーディング・カンパニーとその代表者としての周と、それから立川委任状を持った立研代表者の勝間との間に一本の契約があった。それがあなたに示した契約書です。周がそれによって請求権を行使してもらいたいという依頼をしてきておった。しかし、また一方、立研と東方貿易行との間には、同じく、百万ドル相当の砂糖を受け取って特許の実施譲渡をする、こういう契約ができておる。これは二本の契約があるということになるのですか。それともその間はあなたの今おっしゃる何か抜け道というのに該当する二重のものということになるのだろうか、その点はどうなりましょうか。
  51. 綱島正興

    綱島参考人 私は東方貿易行の間の契約は関知いたしません。許可状の中には、東方貿易行とこういう契約をするというようなことが、写真版に出ておるものにはなかった。無為替輸入の文章と大臣の許可の部分とが写真に出ておる。そのものを添付して、そうして立研の代理人の勝間という者との間に契約をいたしておる。その勝間がここで証言をしたときに、私は特に委員長のお許しを得て質問いたしましたのは、そのときに何にも契約はしておらぬに近いようなふうなことを言ったから、そうじゃない、立研委任状を付して、君はその代理人として契約をしているのだ、そうして、その委任状なるものは、実はその委任状に押してある判については立研に私が承認を求めた。ここの会社のものに相違ないという答えをしておる。それでありますから、何も余地はないという話をしましたら、てれんぱれんの話で、立研に返したのはコピーでしたらろうかとか何とか言ってここでやっておった事実は、記録をお調べになればわかることです。少くとも周はこれは正当な契約として契約をしておるのです。また、その契約の瑕疵ありとすれば、契約内容を、契約の要素を明らかに明示しなかった者の方に瑕疵があるので、周がその瑕疵を負担すべき理由はないのである。これはあなたも弁護士だから御存じのはずであります。
  52. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっとこれは私聞き落しましたから理解がしにくかったのですが、結局、あなたの御判断では、立研は周と契約をし、立川は同時にまた東方貿易行とも契約をしておる、こういう事実があるということに結局なるわけなんでしょうか。
  53. 綱島正興

    綱島参考人 あなたのお話がほんとうで、東方貿易行と契約しておればそういうことになるわけでありますが、私が知っておる範囲では、周と立研契約しておることだけは知っておる。そのようなことは私は知りませんので、その御判断はあなたの御判断によらなければ、私は東方貿易行というものは知りませんから、そのことは知りません。私が知っておるのは香港トレーディング・カンパニーの代表者の周と立研とが、あるいは内容は多少瑕疵があったかもしれませんが、周はその瑕疵について責任を法律上帯びなくちゃならない事情のない契約をしておった、こう申し上げるのであります。
  54. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、ちょっとくどくなるようで失礼ですけれども、すでに無為替輸入の失効後、香港トレーディング・カンパニーと立研との間の契約というものは、無為替輸入関係なくして、引き取らねばならぬ、代金を払わねばならぬ、こういう関係になって、そこで立研は相当支払わねばならぬけれども、支払いができない、こういうような事情に置かれておったということになってきたんでしょうか。あなたの方で御請求になった、電話をかけたとかおっしゃる、あるいはまた請求したけれども支払ってくれないという周の説明もあったようでありますから、これは支払いたいけれども支払えない、こういう事情立研は置かれておったのでしょうか。
  55. 綱島正興

    綱島参考人 周から聞き取りましたところによりますと、なおまた立研に私が電話をかけたときも、大体そういう趣旨でございます。砂糖を先に渡してくれれば金を払う、砂糖を先に渡さなければ金は払わない。周から言えば、金は渡さずに砂糖だけ先に渡すというようなことは周にはできない。それは契約の通り日本に到着したら金を渡してもらわねばならぬ。契約書には日本に到着したらとある。そして、その間に無為替輸入が失効しておるやら何やら、それは周の知ったことではございません。契約内容は、そんなことは載っておらぬのです。そうして、普通の契約のときから船の到着すべき期間の正当な期間に到着しておるのであります。
  56. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、あなたの関与なさった当時、その事情から言えば、立研は周に向って代金は幾ら払うということになっておるのですか。
  57. 綱島正興

    綱島参考人 それがはっきり記憶いたしませんが、日本円にして四億近くのものじゃなかったかと思っております。
  58. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それは円で払うのですか、あるいは外割を受けて支払うという関係になるのですか。その支払い方法についての取りきめは御記憶ありますか。
  59. 綱島正興

    綱島参考人 それは私も非常に疑問にしたところで、契約書の文面は日本円の支払いでございます。そこで、周に、君は日本円の支払いを受けたって、それを受け取って帰れぬじゃないか、どういうわけでこういう契約をしたかと言ったら、日本には姉妹会社がございますから、日本円で支払ってもらっても、そこから回してもらえば受け取ることができますから、私はこれでいいと思いましたという答弁でございました。
  60. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 この場合、単純に日本円で支払うということは、為替管理法で制限しておるように思われますが、その点いかがですか。
  61. 綱島正興

    綱島参考人 それは私も非常に疑問でございましたので、役所に請求しましたものは、ドルを割り当てて支払ってくれということしか私は相談しておりません。それはあなたと同様な考えを持っておりましたので、そういうことしかいたしておりません。また周にもよくその点を言って、これはドルでなければ君は受け取れないよという話をいたしたのであります。そこで、円では支払えない、ドルでなければ支払えない契約をしておることに対する瑕疵はどちらにあるかということになりますと、私は、それは日本会社が瑕疵を隠蔽してやったものであろうから、これは日本会社が責任を負うべきものだという解釈をいたしたわけでございます。
  62. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ところが、その無為替輸入許可証なるものは四枚あったはずであります。その四枚はそれぞれ区別されておりますが、四枚の無為替輸入許可証が添付されておる。その後、これは東方かあるいは周か、それはよくこちらでわかりませんが、いずれにしましても相当割合の保証を要求しておる。通関手続ができる保証があるならば引き渡してもいい、こういうようなことも伝わっておるのですが、その辺は御記憶ありますか。
  63. 綱島正興

    綱島参考人 それは、私が受け取ったのは、すでに立川は――これは弁護士としての勘でですよ。これは払えないんだ、これはいいかげんに言って契約して砂糖を持ち込ましているんだ、だから、正規ルートに乗せて、そうして砂糖の支払いを受けて、残れば残った差額については立川に請求するか、もしくは今の関税――もちろんこれも払わねばなりませんが、倉庫料、それからその他の諸掛り、こういうものを裁判所に供託して、そうして仮処分をして通関して換価処分をしてやればいいという考えでございましたが、これは周に能力がなかったのでできなかった。
  64. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 その契約書なるものは最後にはどういうふうに処分をされましたか。言いかえますと、現在ありますか、それとも、ないでしょうか。その辺どうです。
  65. 綱島正興

    綱島参考人 私は、三十一年二月の半ごろと思いますが、全部周に返しました。
  66. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 今はないでしょうね。
  67. 綱島正興

    綱島参考人 それはどうなっているかわかりません。それ以来このことは報告を受けておりません。
  68. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ところが、立川研究所というものは財団法人立川研究所で、メーカーでもなければ商社でもない、砂糖の取扱い業者でもない。こういうものが、かりにこれを百万ドル、三億六千万円といたします、あなたがおっしゃっても四億円とおっしゃるのですが、そういう膨大な金額相当の外割を受けるような資格が一体できるのでしょうか、どうでしょうか。そういうような研究を目的とするような財団法人がそのような決済が可能であるのかどうか、こういうことについてあなたはどう考えられましたか。
  69. 綱島正興

    綱島参考人 これは不可能であるということを外国の商社があらかじめ外国で知り得るような明らかな事実とは思いません。常識上は困難なことと思います。従って、これは、受け取ったときに裁判の手続によるか、もしくは行政庁のあらかじめの輸入手続によるか以外には救済方法はないと考えたのであります。
  70. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そこで、何かさっき抜け道があるというようなお話がありましたが、抜け道というようなことにそこは関連してくるのでしょうか。うまい方法があるのでしょうか。その辺どうですか。
  71. 綱島正興

    綱島参考人 それは、あなた、大きな聞き違いであります。抜け道なんて言いません。
  72. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 あなたが抜け道とおっしゃったとは言わない。そう言っておるのじゃないのです。だれか課長にお話になりましたところが、抜け道という表現があったと思うのですが……。
  73. 綱島正興

    綱島参考人 いいえ。
  74. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それは私の聞き違いなら問うことをやめます。要するに、こういうような財団法人の立研が、四億円前後の外貨によらなければ受け取りができないような状態に陥っておるものを支払うことは困難であるということがちょっと常識上考えられますので、今伺っておったのであります。  そこで、立研といたしましては、数個の輸入商社に、たとえば第一物産とか東京食品とか三菱商事とか住友商事とかいったところに六割相当の保証を依頼して拒絶されて不成功に終った、こういうことのために何か支払いもできなかったというようなことも伝わっておるのですが、その辺御承知ですか。
  75. 綱島正興

    綱島参考人 いや、それは存じません。
  76. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 わかりました。そうしますと、要するに、あなたが御関与になりましてお知りになりましたことは、やはりこの周と立研との間の契約である。それが物の授受、代金の支払いについても非常に不確実な要素が多かった。さらにもう一点は、別に東方貿易行と立研との間に別個の契約ということも御承知でなかった。ところが、これはれっきとした証拠物が出ておるのですから……。(綱島参考人「それはあるかもしれません」と呼ぶ)どうもその辺がわれわれとしても納得しにくい。  そこで、周は非常に人格者のようにおっしゃっておりますが、先般の郡という弁護士が証人として証言したところによれば、周の事務所には何かスイス製の高級時計が五、六十個現われてきた、こういうことが言われておるのです。死後見に行ったところが、同人の倉庫と称するところからそういうものが現われてきたと言っておるのです。さすれば、やはり国際的に何か相当なことをやる人であったかという印象をその証言からわれわれは受けたのであります。その辺について何か説明はございませんか。
  77. 綱島正興

    綱島参考人 私は、弁護士が取り調べ、関与する事件の範囲で、周が本件については正確な砂糖会社代表者であると申し上げたので、周という者の性質がどんなものか、またどういう生活をしておるか、そこまでは私どもは関与する義務もなければ権限もございません。従って、証言もいたしません。
  78. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっと稻富さんに伺います。あなたは、当初、金品も受け取らない、ごちそうにもならないということを条件に関与なさったらしい。そこで、最後にありがとうございましたと言って謝意を表しに参りまして、もしくはその後何らかの金品をお受け取りになった事実などはございませんか。
  79. 稲富稜人

    稲富参考人 全然ありません。
  80. 坂本泰良

    坂本委員長 山田長司君。
  81. 山田長司

    ○山田委員 同僚議員が長い時間かかっておりますので、私は最も短かい時間で要約して質問申し上げますから、なるべく簡潔に一つお答え願いたいと思います。  最初に大石さんに伺います。先ほど大石さんのお話を伺っておりますと、あなたの部屋を使われて松平さんが出入りをしておられたことについて全然関知しなかったようなお話があるのでありますが、久保田という千葉精糖の人がここへ参りまして参考人として発言をされた速記録を見ましてもわかりますように、第二会館のあなたの十一の部屋でいろいろ連絡をとられていたことから、全くそのペテンにかかったような、詐欺にかかったようなことになったのだという意味のことを言われておるわけであります。あなたが農林省の政務次官室に行っておられる間締めておったと言われるけれども、どうも私どもふに落ちないのは、もしほんとうに締めておったのならば、何か久保田参考人の話を伺ってみると――全然部屋が締まって連絡できないのだというような事情を伺うわけでありますが、その点あなたにはそういう節は全然関知できませんでしたか。
  82. 大石武一

    大石参考人 ちょっともう一ぺん、どこで会ったというのですか、ちょっと話がわかりませんが……。
  83. 山田長司

    ○山田委員 久保田参考人は、あなたの部屋の名刺を使用され、あなたの部屋を連絡場所にするようにしておったので錯覚をしておると言うのですね。詐欺にかかったようなことになった、こういう意味のことを言っておるのです。ですから、全然連絡がとれない事情であるならば、そういう事態は起らなかったのではないかと思うのです。
  84. 大石武一

    大石参考人 私も今の速記録を読みましたが、久保田という人間が私の議員会館の部屋で会ったということは何も書いてなかったように思いますが、御記憶違いではありませんか。
  85. 山田長司

    ○山田委員 会ったとは言っていないのです。会ったような錯覚を起すようなことを言っておるわけなんです。その間の連絡が全然ないとするならば、連絡はなかなかそうとり得なかったのではないかと私の方では想像できるわけなんです。その点どうなんですか。
  86. 大石武一

    大石参考人 速記録を読んでみますと、久保田というのはそう何べんも松平君に会っていないように書いてあります。一回か二回会ったように書いてあります。それも会っておるのは国際観光ホテルか何かで会っておるように書いてありまして、私の部屋というのは書いてないように私は読んでおります。ただ名刺だけが私の部屋になっておるということですが、何か山田さんは読み違いになっておるのではないかと思います。  それから、名刺のことは、何べんも今まで申し上げましたように、私は全然存じません。なぜそのような名刺が使われたか、私は全然知りません。また、明らかに私の部屋は締め切ってありまして、私の秘書は全部農林省省の政務次官室に来ておりましたから、おそらく断じて私は使ってなかったと思います。
  87. 山田長司

    ○山田委員 あなたの政務次官中に日比野という課長が東京地検に呼ばれていることがあるわけなんですが、そういう点については何らの報告を受けておりませんか。
  88. 大石武一

    大石参考人 私が政務次官をしましたのは昭和三十一年の十一月から十一月までと思いますが、その間日比野君が――日比野君は私の部下でありますが、日比野君が呼ばれたということは全然聞いておりません。
  89. 山田長司

    ○山田委員 そうしますと、その後も、あなたの知っている範囲で、そういうことは記憶ありませんか。おやめになられたあとも、そういうことについて何か耳にしたことはないかということです。
  90. 大石武一

    大石参考人 検察庁に呼ばれたということは聞いておりません。何か決算委員会に呼ばれていろいろいじめられたらしいということは聞いておりましたが、検察庁のことは聞いておりません。
  91. 山田長司

    ○山田委員 次に綱島さんに伺います。あなたが周さんとだいぶ当時連絡があったように今もお話があったわけですが、周さんも東京地検に呼ばれたことがあるのです。そういうことについてあなたと連絡のあった期間中に耳にしたことはなかったですか。
  92. 綱島正興

    綱島参考人 周という人に書類を引き渡しましたのは、三十一年の二月の中旬と思います。その後は周君は一つも参りません。ただ、何月だったやら覚えませんがこれから国に帰りますと言うて私の家にあいさつをしたそうですが、娘が取次に出て会った。私は留守でありましたので知りません。何の話も聞いておりません。周という者がその後私の家に来たのは、帰るというて来ただけで、それ以外は何も知りません。
  93. 山田長司

    ○山田委員 周から松平さんがだいぶ大金をもらったようなことがこの間言われているのですが、何かそういうことについても周さんから話はお聞きになりませんか。
  94. 綱島正興

    綱島参考人 一つも聞きません。私は、考えてみると、どうもうそだろうと思う。日本円というものは、正式ルートに乗せた場合は渡らないんじゃないですか。そうすると、どうしてそんな大金を周が――一番いいことは、三十一年の二月の中ごろに、周に、一千六、七百万円の金があればこれは通関手続をして競売に付すればいいんだから、そうしようじゃないかと言うたとき、どうしてもその金ができないのです。それじゃ方法がないということで、私はお断わりした。周はかわいそうだったけれども、どうしても弁護士としてはこれ以上はできないということでお断わりして、書類一切をお返しした。だから、そんな金があるなら、私は周がそのとき出しそうなものだと思う。私は松平君を弁護する必要も何もないんだから、私の想像だけを申し上げれば、ちょっとつじつまがおかしいように思うのです。その後周が何千万円も金をもうけたかどうか、それは知らない。しかし、私の知ったところではそういうことです。
  95. 山田長司

    ○山田委員 先ほど綱島参考人のお話を伺っておりますと、サッスーンという財閥とお会いになったという話を聞きましたが、その前後に周さんとお会いになったんじゃないでしょうか。そうすると、どうもふに落ちないのは、周さんにこの財閥を通してでも金が出ないはずはなかっんじゃないかという印象があるのですが、この点はどうですか。
  96. 綱島正興

    綱島参考人 私はサッスーンのところで周に会ったことは記憶しません。実は、そう言っては周に失礼ですけれども、サッスーンのところに来るお客さんは御承知のようにロスチャイルドかサッスーンかというような世界の富豪でございます。私は顧問弁護士として会うので、そこへやってくる人は――周君はちらっと見たくらいのものじゃなかろうか、紹介されるような顔じゃなかろう、私はそれほどの人じゃなかろうと思うのです。それは、サッスーンなら、御承知の通り蒋介石の税制改革に三十億ドル立てかえたくらいの男で、これは大した人です。これは世界の富豪ですから、そんなことは問題じゃない。そしてまた戦後はサッスーンは東洋にはおりません。サッスーンは今パリとロンドンの間を行き来いたしております。バリにおったりロンドンにおったりいたすので、おそらく金作る方はどうかと思うのです。
  97. 山田長司

    ○山田委員 どうも、綱島さんの話を聞いていますと、だいぶサッスーンを礼賛するので、実はよく知っているなと思って驚いているのですが、私は、そういうところで知り合ったんであるから、おそらく周の場合も何らかの形でこの恩恵に浴してこの困難は取りのけられたんじゃないかというような印象を受けたので伺ったわけですが、今の話でわかりました。  そこで、周さんの場合の話を先ほど聞いていると、絶対ブローカーでないという、あなたは参考意見があったわけですが、絶対ブローカーでないという根拠は、荷主であったというくらいのことでは私はどうも理解できないのですが、どういう点に絶対ブローカーでないという根拠があるんでしょうか。
  98. 綱島正興

    綱島参考人 それは、本件に関してはということであります。よく一つお聞き取り願いたい。本件に関してはブローカーでも何でもない、ほんとうの荷送り人の会社代表者である、こういうことです。もし私の言葉が足らなかったら……。しかし、そのことは先ほど吉田委員の御質問に対してすでに答え済みであります。本件に対してはブローカーではございません。ほかのことは知りません。たった何回か来ただけのものだから、周がブローカーをしているやら何をしているやら、私は知りません。
  99. 山田長司

    ○山田委員 私の質問は終ります。
  100. 坂本泰良

    坂本委員長 各委員の御質問は終ったのですが、参考人の方で何かありましたら……。
  101. 大石武一

    大石参考人 私、一言この委員会に申し上げたいことがございます。  われわれがいわゆるとんでもないうわさをかけられましたこの内容は、考えてみると非常に簡単なことであります。千葉県に千葉精糖という、五流か六流かわかりませんが、小さな砂糖会社がある、この会社原糖割当がほとんどないので、何とかして原糖割当をふやしたいという考えを起して、松平君を通して運動してもらって、そのときに何がしかの運動費を渡した、ところが、その原糖割当がふえなかった、そこで、その社長かだれかが怒って松平君のところに行って、運動費を返せと言った、そうして松平君が半分か何ぼか返したけれどもあと何がしか残っているというだけの問題だと思うのであります。このようなつまらない問題がいやしくも国会決算委員会にかけられるはずのものではないと私は思います。何がゆえにこのようなつまらない問題が一体衆議院の決算委員会にかけられたのか、しかも、そのちっぽけな、つぶれた一精糖会社の何とか課長というわけもわからない人物をここに呼び出しまして、松平君に渡した運動費の中の相当の金が大石綱島あるいは稻富に渡っているだろうとかなんとか、でたらめの、何らの根拠のない発言をされていることは、私は許すべからざることだと思います。いやしくもこのような発言が、国会内における発言とはいえ、どのようにわれわれ国会議員を傷つけ、しかも国会の威信を傷つけたか、はかり知れないものがあると思います。この委員会が、このような三人の国会議員の名前が出されるであろうということを知っておられるなら、なぜ一体このような発言をさせたのか。しかも根拠があるならわれわれは甘んじてこの発言をされても何ら文句を申しません。何らの根拠もない、でたらめの、想像の発言を許したということは、この決算委員会の責任を問いたいと思います。一日も早くこの実態を明らかにして、何がゆえにこのような不見識な行動がとられたか、何の策謀があってこのようないいかげんな発言を許したかということを、私はその責任を明らかにしてもらいたいということを要求いたします。
  102. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長から大石参考人にお伺いいたします。本件は、無為替輸入の脱法行為ではないか、また虚偽の契約をもって百万ドルに達する砂糖輸入をはからんとして、その砂糖輸入について無為替にしたいというような嫌疑が十分にあったわけであります。さらにまた、この契約が失効いたしました後で、アリストテレス号でドミニカから砂糖が陸揚げされ、この砂糖正式ルートに乗る点について重大なるスキャンダルその他の疑問があったわけであります。従いまして、これを究明するために千葉精糖株式会社参考人二名をここに呼びまして事情を聞いたわけであります。その参考人発言の中から三代議士方々の名前が出ましたから、これは重大なる問題であるから、御三名の方をここに参考人として、御意見を承わりまして、その真偽を確かめることが、国会議員の名誉のためにも、また国会の名誉のためにも必要である、かように当決算委員会は考えまして、本日御三方を参考人として御出向をお願いいたしたわけでありますので、その点十分御理解あっての上の御発言であるかどうか、その点を承わりたいと思います。
  103. 大石武一

    大石参考人 私は、それでは個人の名前を出してまことに申しわけありませんが、私がなぜこのような発言をしたか、一言申し上げたいと思います。十二日にこの決算委員会においてわれわれ三人に対する発言が行われるであろうという新聞記者諸君のいろいろな御注意がございました。その発言者は小川豊明君であるということを聞きました。そこで、私としては非常に心外な話であります。従って、十一日の夕刻六時過ぎ小川豊明君の部屋をたずねまして、なぜそのような発言が行われるのか、一体どんな問題が起っているのか、私は全然知らないから聞かしてほしいということを申し入れました。そのとき、そのほかには、全然この事件には関係ありませんけれども、秋田の参議院議員の鈴木一君も部屋に来られましたが、これは別な問題であります。そこで、小川豊明君が、それじゃ説明してやろうというので、第三議員会館の応接間に連れて参られました。そこでいろいろ承わりましたが、お前の名前がこの問題に出てくるのだ、松平がお前の住所を書いてある名刺を使ったことと、千葉精糖から松平を通じてお前が金を受け取ったというおそれがある、しかもその場合に社会党の方の稻富君の名前も出てくるので実は困っておるのだという発言であります。しかも、この一番の原動力はどこか知っておるか、これはお前と同じ選挙区の某議員である、(「名前を言え」と呼ぶ者あり)その議員はお前と同じ選挙区の人で千葉精糖の社長の親戚である、(「名前を言え」と呼ぶ者あり)村松久義であります。その議員は千葉精糖の親戚で、あとで調べると同じ選挙区でお前とは仲が悪いだろう。その通りだ。それがもとだという。お前は金をもらっておらないことはよくわかっておる、そう別に心配せぬでもいいという御発言がありました。私は安心をして帰ったのであります。その後において千葉精糖の久保田なる者が、いいかげんなとあえて申します、いいかげんなわけのわからない発言をして、われわれ三人を傷つけようとしたとしか思えません。従って、これはわれわれ三人だけの名誉ではありません。これは国会議員に対する重大な冒涜であります。
  104. 坂本泰良

    坂本委員長 大石参考人に申し上げますが、衆議院規則第八十五条の二及び第八十三条によりまして、参考人発言は、「その意見を聴こうとする案件の範囲を超えてはならない。」、こういうことになっております。ただいまの発言は範囲外だと委員長は認定いたしますから、差し控えていただきます。
  105. 大石武一

    大石参考人 ではこれで……。
  106. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今私の名前が上げられたので、誤解のないようにしておきたいと思います。私はあなた方三名の名前が出てくることは聞いておりました。しかし、あなた方が金を取っておるとかなんとか、毛頭そういうことを疑ってはいなかった。それは、あなたに言った通り、松平という人があなたの名刺を便って人を信用させて金を取ったということであって、あなたはその点迷惑している人ではないか、こういうことを言ったわけであって、私はあなた方三人が金を受け取っておるとかなんとかということは毛頭考えておりません。従って、この委員会も、あなた方の潔白というものを明白にすることが心要ではないかといってわざわざ持たれた委員会であって、あなたは何か非常に誤解しておられる。それから、私はこの点をはっきりしてもらいたい。私は、村松さんがあなたを陥れたということをあなたに言った覚えはありません。ただ、村松さんは千葉精糖と姻戚であるということを聞いておるということだけであって、村松さんがあんたをやるとかやらないとか、一つも私自身はそういうことは知らないので、あなたの想像が過ぎる。繰り返して申しますが、あなた方がこの機会にあなた方の潔白というものを証明されることが正しい方法ではないかと思ってあれしたので、すでにこれは出てきておる問題なんで、むしろあそこで伏せておいたらそれこそおかしい問題じゃないかと思って発言したので、誤解のないように願いたい。
  107. 坂本泰良

    坂本委員長 御質問も、衆議院規則の制限がございますから、参考人に聞かれる際はその範囲に限っていただきたい。
  108. 山田長司

    ○山田委員 同僚三人の議員を参考人として本日来ていただいたことについては、ただいま委員長から申された通りで、われわれは何も申し上げたくないのです。しかし、ここで私は一言申し上げておかなければならぬのは、御承知のように、今毎日、新聞をにぎわしているものに日新製糖の不正事件があります。さらに、この砂糖の問題については、かなり割当等についての疑惑が、今日までかなり日子を費して論議がなされておりますけれども、証人あるいは参考人としておいでになられた方々の御意見を伺っても、いまだにちっとも理解されない点が多々あります。そういうときに、農林水産の仕事に携わっている三人の参考人方々から――私も農林水産委員でありますが、農林水産の衝に長く当られている皆さん方から、むしろこの際教えても、らうものがあるのではないかとくらい感じておったところです。ところが、不幸にしてそういう御発言がなかったのは残念に思いますけれども、とにかく、そういうことで、大石参考人は多少先ほどはわれわれの意図を御理解なさらぬ点もあったんじゃないかと思うのですけれども、その点、本日参考孝人としておいで願った趣旨を十分御了察願いたいと思うのです。私ども理事の吉田君のいない留守にそういう発言をして大へん恐縮でございますけれども、先ほどのあなたの言葉を伺っておりますと、何かしら行き過ぎた行為があったかのごとき御発言がありましたので、私からも決してそういう意図はないことを申し上げておく次第であります。
  109. 坂本泰良

    坂本委員長 以上をもちまして参考人各位よりの実情聴取は終りました。  参考人各位には御多用中に長時間まことにありがとうでございました。  この際暫時休憩いたします。午後は一時より再開しまして、事件につき証人より証言を求めることといたします。     午後零時十八分休憩      ――――◇―――――     午後一時五十六分開議
  110. 坂本泰良

    坂本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  それでは議事に入ります。本日は各位の手元に配付いたしてあります通り、二名の証人を予定いたしておりますので、これより両証人から証言を求めることといたします。御出頭になられた証人の方は松平守弘君、杉本喜三郎君ですね。
  111. 松平守弘

    松平証人 さようでございます。
  112. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 さようでございます。
  113. 坂本泰良

    坂本委員長 相違なきものと認めます。あらかじめ文書によって御通知いたしておきました通り、ただいまから歳入歳出実況に関する件について証言を求めたいと存じますが、証言を求める前に両証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議員における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なっております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人又は証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになっております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておるのであります。一応このことを御承知になっておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。御起立を願います。  松平守弘君、杉本喜三郎君の順に宣誓書の御朗読を願います。     〔証人松平守弘君朗読〕    宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。     〔証人杉本喜三郎君朗読〕    宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
  114. 坂本泰良

    坂本委員長 それでは宣誓書に署名捺印していただきます。     〔証人宣誓書に署名捺印〕
  115. 坂本泰良

    坂本委員長 これより証言を求めることになりますが、証言は証言を求められた範囲を越えないこと、また発言の際にはそのつど委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なおこちらから質問しておるときはおかけになっていてよろしゅうございますが、お答えの際は御起立を願います。証言を求める順序は、松平守弘君、杉本喜三郎君の順序でございますから、杉本証人はもとの控室でしばらくお待ち願います。  まず委員長から概括的に証言を求め、次いで各委員から証言を求めることになりますので、御了承願います。  それでは委員長から松平証人にお尋ねいたしますが、昭和二十九年から今日までの職業、この点についてお伺いいたします。
  116. 松平守弘

    松平証人 昭和二十九年の夏から千葉精糖関係いたしまして、顧問という格で千葉精糖関係をしてやって参りました。それから昭和三十年の八月三十一日をもってそれを辞退し、また向うと別れまして、三十年の十月から泉兼製作所の社長としてやって参りました。現在は二、三の会社関係いたしておりますが、この問題が生じて全部辞表を出して、現在何もいたしておりません。
  117. 坂本泰良

    坂本委員長 次にお尋ねいたしますが、昭和三十年ごろ、大石武一宅という名刺を使っておられますが、その意味についてお聞きいたします。
  118. 松平守弘

    松平証人 大石先生とは、私の母が先生の御親戚の区会議員の立候補の関係でお知り合いになって、その応援演説なんかに参りまして、そうしてそれ以来のお知り合いでございます。その当時その応援演説関係等で、先生会館事務所に出入しておりましたので、その便宜上、あの名刺は先生にお断わりなく、勝手に作らしていただいたので、その当時の関係からいって、先生も御承知になっても苦笑いをして済むであろうと私の方で思いまして、そうして一々そこへ連絡して下さいと言うのも時間がかかりますので、それを作って持っておりました。そういう性質の名刺でございまして、先生には何のお断わりもなく作ったもので、まことに申しわけないと現在思っております。
  119. 坂本泰良

    坂本委員長 次に昭和三十年ごろ、大石代議士会館事務所を使っておられたかどうか、会館事務所には何回ぐらい出入りされたか、しょっちゆう出入りされたか、その点をお聞きいたします。
  120. 松平守弘

    松平証人 会館事務所には数十度にわたって出入りをいたしましたが、その期間は長い期間――一年ぐらいにわたる期間でございますので、あそこを事務所として使っていた、そういうふうな性質とは全然違います。
  121. 坂本泰良

    坂本委員長 さらにお聞きしますが、数十度出入りして、約一年間出入りしたとおっしゃるが、いつごろからいつごろまでですか。昭和何年何月ごろから、昭和何年何月ごろまでですか。
  122. 松平守弘

    松平証人 それは二十九年の夏ごろから、三十年一ぱいと存じます。
  123. 坂本泰良

    坂本委員長 次にお尋ねしますが、昭和三十年、十一月十八日に、ドミニカ国十月二十四日発航アリストテレス号がドミニカ糖を積みまして横浜に入港いたしておるのですが、それに対して昭和三十一年六月二十二日から、そのドミニカ糖が通関いたしておるのでありますが、その問題に対していつ、どういうふうなわけで関与せられるに至ったか、その経緯を簡単にお述べを願います。
  124. 松平守弘

    松平証人 ドミニカ糖に関係いたしましたのは、昭和三十一年の一月の終りないし二月の初めと存じます。それまで、三十一年に、年がかわってすぐに種々そのうわさを聞き、またそういう困却の状態にあるということを聞きまして、これは国際信義の上から、また外商保護の上から、東南アの華僑対策の上からも何とかしてあげなきゃいけないじゃないかということを、種々人とも話をしたことがございました。具体的に関係いたしましたのは、三十一年の一月の終りないし二月の初め――期日はよく覚えておりませんが、そのころと存じます。
  125. 坂本泰良

    坂本委員長 次に、右砂糖通関及び引き取りに関して、今お話のようなあっせんあるいは運動をされたわけですが、具体的にどういう運動をせられましたか。さらにこの運動については、一だれだれに会われましたか、その点をお伺いいたします。
  126. 松平守弘

    松平証人 この運動については、一番初め国から種々具体的な事情を聞きまして、今申し上げましたように義憤にかられて、大義名分を立てて、これは正面から取っ組まなければ、ただうしろから行ってお話をしたりしても、とてもできるものではないということで、数ページにわたる陳情書を作成いたしまして、その陳情書を持って農林省、通産省関係官庁及び二、三の先生方に陳情に回りました。その陳情書を持って私どもが心から、そういうふうに大義名分に立ち、日本の国家の文書の権威という上からも、どうしてもこれはしていただかなければならぬということで、声を大にして堂々と陳情いたしました。そうして数カ月にわたってその陳情を続けたことを覚えております。
  127. 坂本泰良

    坂本委員長 次に、シュウカチンン氏とはいつから、どんな関係関係がありましたか、その点をお伺いします。
  128. 松平守弘

    松平証人 シュウカチンン氏とは、私の友人を通じて昭和三十一年の一月……。
  129. 坂本泰良

    坂本委員長 友人のだれですか。
  130. 松平守弘

    松平証人 友人の郭と申します、これを通じて知り合いになりまして、そうして一万トンの砂糖を持ってきて――日本政府の発行する正式の文書によって持ってきた、ところが現在こういう塗炭の苦しみに陥っているということを種々聞きまして、そうしてそれから運動を始めたわけでございます。
  131. 坂本泰良

    坂本委員長 次に、先ほど千葉精糖株式会社の顧問というお話でしたが、このドミニカ糖の通関並びに引き取りについて運動をなされたことがあるかどうか、どういうふうに頼まれてやられたか、さらにどういう運動をなされたか、その点をお伺いいたします。
  132. 松平守弘

    松平証人 千葉精糖とは先ほどちょっと年月の記憶違いで二十九年と申しましたが、三十年の八月でございます。うちにも出入りしておりました岡部という人間に紹介されまして、千葉精糖が中小企業として配給が非常に少い、そうしてその存立も危ぶまれて、現在非常に困却の状態にあるということを聞きまして、何とかこれを打開する方法がないかという相談を受けまして、それで千葉の方々に会いましていろいろ話もし、指導もいたしまして以来、それではおもに原糖確保の方面において顧問という格でやっていただきたいということで関係いたしました。以来、砂糖割当は商社割当、実需割当、メーカー割当とあるようでございますが、その全般について一トンでも多くやりたいという考え方から、千葉の実情調査し、現地にも行って工場の見学もいたしましたし、それからその中間において金融逼迫を来たした千葉精糖のために千葉銀行にも行きまして、審査部に会って話をするなど、この原糖割当というものを中心として、会社の経営全般にわたって私のできる範囲のことをしてやったつもりでございます。
  133. 坂本泰良

    坂本委員長 次に、昭和三十一年六月ごろ、本件砂糖輸入の問題に対して、東京地方検察庁に取調べを受けたことがあるかどうか、受けられたならば、どういう嫌疑で受けられたか、その点をお伺いします。
  134. 松平守弘

    松平証人 この砂糖の問題に関しては二、三度――一度実情を聞かれたというだけでございまして、私のほかに周もその当時は生きておりまして、三度にわたって行って、実情を申し述べているはずでございます。
  135. 坂本泰良

    坂本委員長 そうすると証人は一回だけですか。
  136. 松平守弘

    松平証人 一度ないし二度……。
  137. 坂本泰良

    坂本委員長 どっちですか。
  138. 松平守弘

    松平証人 よくその点は覚えておりません。
  139. 坂本泰良

    坂本委員長 一回じゃないですね。二度くらいですか。一度ないし二度というのは、どっちですか、わかりませんか。
  140. 松平守弘

    松平証人 よく覚えておりません。
  141. 坂本泰良

    坂本委員長 もう一点ですが、あなたは、きのうですか、東京地方検察庁から呼ばれて、何か調べを受けたことはありませんか。
  142. 松平守弘

    松平証人 そういうことはございせん。
  143. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長よりの尋問は以上をもちまして終りました。  それでは次に、委員各位より質疑応答の形で証言を求めることといたします。小川豊明君。
  144. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 松平さんに伺いますが、松平さんがこの問題でお知り合いになった方は邵、郭という二人の中国人と勝間さんと岡部さんのこの四人の方であったと思うのですけれども、あなたは岡部さん、あるいは邵さんとはどういう関係でしたか、この点からまず伺っておきます。
  145. 松平守弘

    松平証人 まずそのうちの郡と勝間というお二方は私は全然存じません。岡部という人は、二十七年ごろから会って存じておる人で、取引のことか何かで知っておる人と存じますが、この件について千葉を紹介した人でございます。郭という人は、中国の人で、それから五、六年前と存じますが、森伝先生という早稲田の先生のお宅にその当時彼も行っておりました。その当時数回会って議論をし、日本の前途及び中国問題について話をいたしまして、その当時からの知り会いでございます。
  146. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 ほかの委員方々からもたくさん質問があると思いますので、私は端的に要点だけにしておきますが、千葉精糖関係なさる前にあなたは石炭か何かの商売をなすっておられた、こういうふうに私どもの調べではなっておりますが、それに間違いありませんか。それで岡部という人は、その当時何をしておった人で、どういう関係で岡部という人があなたを千葉精糖に紹介したのか、その点をもう少し詳しく話してくれませんか。
  147. 松平守弘

    松平証人 私は役所をやめまして以来財団法人、社団法人の二、三に会長や理事関係しておりまして、その間において石炭の相談を受けて話をしたこともございますが、それを専門にやったことはございません。岡部という人は、そういう関係で何か自分の石炭の商売のことについて相談に参ったので、その相談を聞いておったということはございますが、特にその相談に立ち入って一緒に仕事をしたとか、そういうふうな記憶は現在ございません。
  148. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは砂糖のお仕事はなすっておられなかった。立川砂糖が入ってきて問題があってから砂糖には御関係になった、こう思うのですが、その砂糖関係する口火というのは、結局岡部の紹介で千葉精糖からこの問題に入ったのではないか。千葉精糖割当が非常に少いから、これをもっとふやしてもらえないかというので、あなたは頼まれて入った、それから立川のものが無為替で入ってきて、くぎづけになっておるから、これを解除する方法がないかということで頼まれて入った、この二つのケースがあると思いますが、これは間違いありませんか。その通りですか。
  149. 松平守弘

    松平証人 当時日本砂糖の需給状況は、生産能力の三分の一しか入っておりませんでした。千葉精糖は、記憶に間違いなければ五分の一にしかならない配給しか受けていなかったように思います。そこで、そういう状態ではこの企業は、あそこは立地条件も悪いし、立っていくはずがないということから、それだったら味方になってやってあげてもいいということから、三十年の夏から関係いたしました。立研関係いたしましたのは、三十一年の一月の終りからで、それまでは詳しいことも存じませんし、どういういきさつでそれに許可書が出て、品物が来たかということも、その当時までは全く存じなかった。そうして周のそういう切切たる訴えを聞きまして、それで関係して、この周を助けてやらなければいかぬ、そのことは日本政府の文書に対する権威を高めるためだ、外商を保護するためだ、そういう見地から、その一月の終りごろからは立研砂糖を軌道に乗せるということと、そして千葉精糖の顧問とし関係している人間として、千葉精糖が少しでもよくなるようにという二つの意味で、それからはいたしました。
  150. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 千葉精糖立川が入れた一万トンがまだ入らないうちに割当の内示を受けておったということをあなたは聞いていませんか。ごくわずかの内示だけれども、受けておった、それでは千葉精糖としては困る、そういう話をあなたはお聞きになっていると思いますが、聞きませんでしたか。
  151. 松平守弘

    松平証人 この立研割当について、これだけでは困るということは聞いたことは全然ございません。そして立研の一万トンの割当が数十トンであったということは、関係をして種々調査をしてから存じたことで、その前は全く存じません。
  152. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、このごくわずかの数十トンは千葉精糖にも内示があったということは、関係したその後にあなたはお知りになった、こういうことですね。
  153. 松平守弘

    松平証人 その通りでございます。
  154. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それから千葉精糖があなたにいろいろの方面に運動をしてもらわなければならない。運動をしてもらわなければならないのは、立川のくぎづけになっているこの問題を解除することによって、千葉精糖割当もよけいになるのだから、この点で一つ。それから実需者割当が少いから、これもあなたの手によってぜひ増大してもらいたい、こういうことを千葉精糖からあなたの方に依頼があった、こういう話ですが、その点は間違いありませんか。
  155. 松平守弘

    松平証人 そういう全般的な砂糖割当の増額という問題で話もし、関係いたしましたので、立研の問題については後に偶発的に起った問題で、もちろん実需の委託加工を増額するとかそういうふうな問題、商割を増額する問題、そういう問題は前々からたのまれておりました。当然関係しております。
  156. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 関連して。証人に承わりますが、あなたは配分の少い実需者関係に配分をよくしてあげよう、こういうお考えだというふうに今承わりましたが。もう一度確認をしておきたい。
  157. 松平守弘

    松平証人 今、実需者というお話がございましたが、実需者という意味をお伺いしたいと思います。
  158. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 少くもあなたは砂糖に御関係がおありでしたら、それくらいのことは当然おわかりになっておらなければならないはずです。従ってそれをわからずして砂糖の問題を論ずることはでき得ないわけであります。――それでもおわかりにならないようでございますから、もっと具体的にお話いたしましょう。  砂糖は配分の方式がきまっております。つまり精糖工業会が年間輸入される百二十万トンのうち百十万トン、残されました十万トンが実需者関係その他に配分をせられる。従ってあなたがどんなにお骨折りになりましても、この配分の線に乗りまする限りはそのパーセンテージでいくのであって、それを御破算にしてこの実需者関係の方によけいにいくようにということを考えておやりになりましたかどうか、こういうことでございます。
  159. 松平守弘

    松平証人 砂糖の配給による実需者というのは、私の承知しておりますのは、役所関係で使っておるのは――今おっしゃいましたのは精糖工業会そのほか製糖、砂糖を作るという関係を実需者に含めておいでになったようで、それで意味をお尋ねしたのでございますが、普通に言われる実需者といいますと、菓子の組合とかそういうようなほんとうに粗糖をそのまま使ってもよろしいというような団体に対する割当を実需割当と称していたように存じますので、私は委員の御質問に伺ったわけであります。そうして確かにその割当はきちっとそういうふうにきまっておりますが、その間に商社割当というものがあって、商社のある程度の裁量のきくものもございますし、今私の申し上げたような意味での実需割当というものが、その実需者の意向によってはある程度委託加工をするとか、そういうふうなことによってその精糖会社努力とか熱意とかによって、幾分か実績が左右されるようなシステムになっておるように私は聞いております。
  160. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 そういうことはあり得ないのです。今の方式では厳固としてそれをくずすことはできない。さればこそ当委員会等でもその再検討を行なっておるのでございまして、あなたはお砂糖のことを御承知ないからそういうようなことができるとお考えになっておったはずでございます。しかしそれもあなたが言われるように、現実においてできるのであるということをあなたがお考えになったりいたしましても、一万トンのものが商社割当とかメーカー割当とかおっしゃいますけれども、商社の手を経るのです。ですからこの一万トンがあなたの御努力によって実際問題として千葉精糖その他にそんなにたくさんいくとお思いになっておやりになったか、あるいはまた砂糖のことを全然知らないで、あなた御自身のお考えだけできめてしまっておやりになったのであるかどうかそういうことを伺いたい。
  161. 松平守弘

    松平証人 現在の配給機構において一トンも左右できないというようなことは、私の関係しておりました以後においてどういうことがあったかは存じません。しかしそういう実需割当とかそういうものを委託加工を努力して受け取るとか、商割を努力して少しでもよけいに取るというのは、商社に対して、頼んで、そういうふうな方法が全くなかったという、ことは私は承知しておらないのであって、そんなにたくさんとおっしゃいますが、どの程度か私は存じませんが、そういう努力をすることによって少くともそのメーカーなり何なりが実績を伸ばし、そうしてその作業を拡張していくという余地が残っていないような日本の統制機構ではないと存じます。
  162. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 それではもう一問だけですが、それはあなたは全く砂糖のことを御承知ないから、そういうことを言っておられるわけであります。しからばこのドミニカから入りました一万トンのうち、どれだけのものを千葉精糖にあなたがおやりになり得るということをお考えになってお手をお出しになりましたか。
  163. 松平守弘

    松平証人 これについては大体この立研許可が無為替で入ってきたものであるらしく、そのワクがその当時浮いておったので、それの処理によっては、どういうように処理するかということによって割当のなにが全く違うのではないかというように私は承知しておりました。これをメーカー割当にするならば、何か計算機できちっと割り出して計算をつけるようにして一トンも左右できないようになるし、これをワク外の砂糖として扱ってやるならば、ある程度の左右はきくものというように存じておりました。
  164. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 しからばこの一万トンの無為替輸入関係砂糖は、あなたはワク外ということを御承知だったわけでございますね。
  165. 松平守弘

    松平証人 ワク外であるというふうに、私はあちらこちらで聞いた結果、ワク外において処理しなければ、この処理について周の納得いくような処理はきかないというふうに私は信じておりました。
  166. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 ちょっと私の申し上げていることが、よくおわかりにならないような感じがいたしますが、私のお尋ね申し上げておりますのは、第一点は千葉精糖にどれくらいの配分を、あなたの御努力の結果割当ができるかということを想定されておられたかということが一つ。つまりあなたの努力の結果、何トン千葉精糖に行き得るということを信じておやりになったか。  もう一つは、これはワク外のものである。無為替によって入れられましたこの一万トンは、通産省なり農林省なりで考えております全くの年間輸入の数量のワク外であるとお考えになっておやりになったか。あるいはまたそういうふうに諸般の情勢からあなたがごらんになっておられたか、この二つでございます。
  167. 松平守弘

    松平証人 第一点につきましては、努力によっては数百トンというものは左右できるのではないかというふうな感じを持っておりました。  第二点についてはその許可が出たのは、たしかその前年度の許可でなかったかと承知しておるのですが、そういたしますと、その年度においては、その年度の年間輸入の数量の何トンという中に入れるか、それを数量外に置くかということはまだきまってなかったので、その点において宙に浮いていた砂糖というふうに私は解釈をいたしております。
  168. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 それではワク外というふうにお考えになっていたわけでございますね。宙に浮くということは、ワクの外ということでございますか。
  169. 松平守弘

    松平証人 これは官庁がその年度の百万トンなら百万トンのうちに入れて処理すればワク内になりますし、その年度初めの計画数量よりはずして処理すれば、ワク外の砂糖になりますし、これは役所の判断によってどうするかということはきまる問題であって、私はワク外でも処理し得るというふうに存じておりました。
  170. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今のワク内、ワク外の問題ですが、あなたがワク外で処理し得るという判断をなすったというのは、これはどんな根拠でワク外で処理できると思いましたか。
  171. 松平守弘

    松平証人 私も企画院にもおりましたし、経済安定本部にも席をおいておったこともございますので、役所のそういうふうな計画機構というものの一端をかじっておりますので、これをどういうふうにするかということは、役所の方針によってきめられるもので、もしドミニカ砂糖が、外貨が割り当てられて、外貨でもって買って持ってきたものならば、もうすでにその年度のワク内に入っているものでございます。ところが無為替で入っておるから、役所としては入ってくるまでは、立研許可書を出したというだけで、そのほかには行政措置は講ぜられていないのだから、これをワク外にしようとワク内にしようと、これは役所の判断次第であって、その役所の判断さえ、陳情をもって左右できればこれはどちらにでもなり得るというふうに私は判断した次第であります。
  172. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それで結局あなたの方では、ワク外として処理し得ると思って努力なすった、こう思うのですが、その結果としてはワク外にならなかったのじゃないかと思うのですが、この点はどうなんですか。
  173. 松平守弘

    松平証人 結果としては、全く今おっしゃいましたように、私の方の努力は水泡に帰しまして、すべてワク内で処理されることになりました。そのワク内と申しますのは、その次の年度の第一回の配分のワクに入ったというふうに承知しております。このワクに入ったということは、役所がそれをワクに入れたということではなしに、商社がもらったワクでもって任意に買い付けてくれたということでございます。
  174. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それからもう一つ、あなたがこの問題に関係しておるときに、あなたが大へんに骨を折られて精糖工業会の方の分を小さいメーカーの精糖協会ですか、そっちの方へ、あなたのお骨折りで約三千トンくらいを精糖工業会の方から精糖協会の方に分けさしてやった、これは松平さんの大へんな功績だというようなことも聞いておりますが、そういうようなこともありましたか。
  175. 松平守弘

    松平証人 今おっしゃいました点については、やはり協会として非常に心配をした。砂糖は精糖工業会と精糖協会と再製糖組合と三つ、それにアウトサイダー――ここにも関係しておいでになる方があると思うのですが、アウトサイダーとその四つがあるように聞いております。そこで精糖協会というのは小さなのが七つと思いましたけれども、集まってやっておるので、非常に上からの圧迫――再製糖組合というのは百人くらいの大きな団体らしいのですが、上と下と両方から圧迫されてどうにも配分が少い。同時にこれに千葉が入っておりますので、その千葉を助けるという意味からも、それから中小企業を助けるという意味からも、これはやってやらなければいかぬと思って、協会が陳情しワクの割当を増額したいという意向に沿って、私も陳情書を見てやったり、字句を直してやったりして、その陳情に協力をし指導したことはございます。
  176. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 いや、努力してやったというのでなく、その結果約三千トンほどを工業会の方から協会の方に回してもらうということになって、各社――小さい会社に四百トンくらいずつ増額されて非常にこの点ではあなたの努力というものは感謝された、こういう話を聞いておるのですが、そういうことであなたが努力して、そういうふうな形で成功したのかしないのか。
  177. 松平守弘

    松平証人 それは陳情が成功して、その協会は別個にというか、割当の数字がふえたということは知っております。
  178. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それをはっきりしてくれませんか。割当がふえたことは記憶しておるのでなく、協会の方から、三千トンほどをふやしてもらって、各社とも均等割か何か知らぬが、四百トンくらいずつおかげでもらえた、こういうことを言っておるのです。あなたの方では幾らかふえたということは記憶しておるというが、ここのところはこれだけの問題ですが、三千トンというと相当業者としては助かるのです。あなたもよほど努力なさったのですから、この辺の記憶はもっと明確であろうと思うのですが、どうでしょう。
  179. 松平守弘

    松平証人 今ちょっと均等割というお言葉が出ましたが、その均等割を主眼にして陳情いたしまして、陳情いたしましたときはもっとたくさんの陳情をしたように存じます。その結果としては今おっしゃった程度――確実な数字の記憶はございませんけれども、今おっしゃった程度のことは協会全体として、それがどこにどの程度いったかは存じませんが、受け取ったことは事実だろうと思います。
  180. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、この三千トン程度のものは精糖協会の方では今まで少かったのがその年は三千トンふえた、これはあなたもお認めになるわけですね。
  181. 松平守弘

    松平証人 はい。
  182. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこでこのとき業者の方では大へんにあなたに感謝して、協会の方からあなたに五百万から謝礼をしたという話もありますが、これはどうですか。
  183. 松平守弘

    松平証人 五百万ということが、千葉精糖からも言われ、今の問題からも出ておりますが、そういう大金というものは私は存じませんので、その額については、そんな大金ではないが、非常に感謝をして、まあ足代のかわりに、あるいは感謝の意としてと言ってきたことはございます。その五百万円という数字が非常にあれしております。
  184. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 これはあるいは五百万円は私の聞き違いかもしれないが、金額ではない、ともかくあなたのその努力に感謝して――これは別に悪いことでない。あなたの努力に感謝して礼を持ってきたということは、この三千トンというものはあなたの努力によって成功したから、それで持ってきたのだ、こういうふうに思うが、その金額の御記憶は、五百万じゃなくて、百万円でも二百万円でも、もっと少くてもかまいませんが、記憶はありませんでしょうか。
  185. 松平守弘

    松平証人 全部で五百万と今おっしゃいましたが、その半分くらいと存じております。ただ直接受け取ったわけではないので、そのかっきりした金額というものは覚えておりません。
  186. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 まあ直接でなければ間接ということになるのですが、これはどういうところからなんでしょうか。協会から礼をされたということでなく、何かはかから礼をされたのでしょうか。どういうことなんでしょうか。
  187. 松平守弘

    松平証人 協会を通じて岡部某なる人間が私のところへ連絡をとってきたということでございます。
  188. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、役所等がこういうことを認めなくて砂糖は動くということは、少くともその所管官庁である食糧庁の了解等がなければ、そういう大きいものはでき得ない仕組みになっているのじゃないかと私は思っているのですが、これは工業会から協会へ行くのだから、食糧庁や何かの了解というものはいささかも要らないからできたわけですか、どういうことになりますか、この点は。
  189. 松平守弘

    松平証人 これはやはり食糧庁の所管事項でございまして、食糧庁に分厚な陳情書を出し、そして理論的に中小メーカーというものを保護しなければいけないということを陳情して、その理論の納得の末、同時にこの数字を動かすことは、工業会及び再製糖組合あるいはアウトサイダーという諸般の関係がございますので、役所はそれに了解を得なければいけないのだろうと思います。この理論的根拠によって役所として行動してもよろしいという判決を受けてできたものであろうと存じます。
  190. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今、証人にお尋ねしているわけですが、これは重要な一つの問題なので食糧庁の方から来ておられるわけだが、ちょっとそちらへ一点聞きたいと思いますが、委員長よろしゅうございますか――きのうか私がお尋ねしたとき、あなたの方では、そういうことはやっていない、変更していないということをここではっきり言われておる。今お聞きすれば、食糧庁の了解を得なければできない、食糧庁の了解を得てやったのだというが、これはどういうことなんです。あなたの方できのううそを言ったのですか、それともわからないと思っていいかげんなことを言われたのか、ここのところをはっきりして下さい。
  191. 松岡亮

    ○松岡説明員 きのうですか、いつかのお話は、まず一つ立研に関連して何かしたかというお話で、それは特にそういうことは聞いてないということを申し上げております。それから今の均等割の問題でございますが、これは私どもの手元にある資料は、その後均等割は増加したということにはなっていないのであります。ただ、精糖工業会、精糖協会、それから再製糖、そういった諸団体に対してどのくらいの割合で分けるかということは年々問題がございます。そこで毎年非常に御熱心な陳情があるのでございます。そのときいろいろ分析し、それぞれの陳情について、これは理由があるものと認められる場合はその割合を変えております。現実に精糖協会というような比較的小メーカーに対する割合はふえております。
  192. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたはきのうそう言わないじゃないですか。きのう、均等割はふやさなかったか、一切ふやしません、減らしました、こう言っているでしょう。だから私はこういう事実を聞いているから、あなたの方で均等割を上げないならばでき得ないことでないかと思ったから聞いたら、あなたの方では、そういうことはしないという。だから今、証人にお聞きしたら、証人の方では、それは食糧庁の了解を得なければできないから、もちろん了解してやったことだと思うという。きのうあなたは、一つもそれはやっていない、やっていないと言っておる。これはどういうことですか。
  193. 松岡亮

    ○松岡説明員 きのう突然のお尋ねで、手元の資料を見てお答えしたわけでございます。その手元の資料によりますれば、均等割というものはふえておりません。
  194. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 均等割はふえないで、三千トンもふえて各社が四百トンももらったというのは、何割でもらったのですか。
  195. 松岡亮

    ○松岡説明員 ただいまも申し上げましたように、団体全体の割がふえておるのでございます。
  196. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 もう少し親切な答弁ができないのですかね。私どもはわからないからお聞きしているので、わかって聞いているのじゃないのです。業者の方にこういうふうにふえているから、これはどういうわけでふえたんだ、均等割をふやす以外にふやしようがないじゃないかと思ったから、均等割をふやさなかったかと聞いたら、あなたの方は、均等割は減らしています、こう言っているが、現実にふえているのだから、ふえている理由は均等割ではない、ふえたけれどもこういう割でふえたとか、そのくらいの答弁はできるはずじゃないですか。それがつきつけられるまで、そうでない、こうでないというのはおかしいじゃないですか。
  197. 松岡亮

    ○松岡説明員 昨日お答えしましたのは、何度も申し上げておりますが、手元にございます資料、そのとき持っておりました資料によりまして、精糖協会の内部の均等割の割合は、その前年に比べてふえてないということを申し上げたのであります。
  198. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それでは、精糖協会の均等割がふえなくて精糖協会が三千トンふえているのは、これは何でふえたんですか。
  199. 松岡亮

    ○松岡説明員 いろいろな団体がありまして、均等割のある団体とない団体とがございますが、精糖協会については三十年以降均等割というものはないのでございますが、協会の全体の割合はふえております。
  200. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今あなたお聞きになっておったでしょう。松平証人は、均等割をふやさなければ中小メーカーが困るからというので、陳情書を出して正面から堂々と運動した、その結果三千トンふえた、こう言っているのですよ。だからあなた方へ、私の方ではそれが均等割であるかないかわからないからお聞きした。あなたの方では、そういうことはしていないという。てんでやっていないような感じを与えるのです。現実に三千トンふえているのですから、それじゃこのふえているのは何でふえたのか、こういうことをお聞きするのです。それはあなたの方では、何度もお聞きする通りそれをどういうわけで、ふやす理由があってふやしたのか、それを聞くのです。
  201. 松岡亮

    ○松岡説明員 三千トンふえたという数字は、今急に具体的な御説明はできないのでありますけれども、三十年、三十一年、三十二年につきましては――二十九年度までは均等割は五%でございます。それ以後はなくなっておるということを昨日申し上げたのでありますが、三千トンふえましたのは、おそらく精糖工業会と精糖協会、再製糖との関係、この三つの団体に対する割合を少し変えたのだと思います。それによって三千トンふえた。もちろん、その場合に、年間の輸入量が変れば数量も変りますから、それらのことがそれぞれ加わって三千トンふえたのであります。
  202. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 もういいでしょう。ただ言うておきますが、私の方では、三千トンふえているから、それはあなたの方では、何も方策もなくふやしたり減らしたりするということは考えられない。われわれは一つの基準があってやっているのだろうと思うから、均等割をふやさなければふやせないじゃないか。それからもう一つは、たとい業者間の話であろうとも、砂糖行政というものはあなたの方で一本につかさどっているのだから、あなたの方の指示なり了解がなければできないことだ、こうわれわれは、思っておるから、三千トンふえたのは均等割をふやしたのでなければふえないだろうと思ってお聞きしたら、あなたの方では均等割をやらないという。今お聞きすれば三千トンはふえているのだ。そういう点に対する答弁というか、これはもっと、聞かれたこととちょっとでも違っていれば、あなたはそれはないのだというふうに言わずに、それはこういうわけでふえたということを、なぜ説明できないのですか。そういうことを説明してくれれば、そんなに問題にならずにいいわけだ。しかもこの砂糖の問題をめぐって、私が再々言う通り、砂糖行政というものは非常に不明朗なんだ。だからこれをもっと軌道に乗せて、みんなの納得のいくようにしなければならないという立場から、私どもはこの問題の質問をしているのだ、そういう答弁をされては困るのです。  それから松平さんに、ほかの方のあれもありますからもう一点、あなたと重要な事項になってくるのですが、千葉精糖の兼子、久保田、それから鈴木といいましたか、これらの諸君の言葉によると、千葉精糖割当をふやしてもらうためにあなたにお願いをした。そうするとあなたの方では、これはおれ一人ではできないので、各方面に話をしなければならない。あなたの国際観光ホテルにおける滞在費、さらに周さんがきておるから、周さんも非常に困っているから、周さんの費用も持ってやらなければならない。そのほか各方面にも運動してやらなければならないからというので、千葉精糖の方から五百万あなたの方に差し上げた、こういうことを聞くが、先ほど私が聞くと、あなたは顧問として千葉精糖におった、こういうことになると、これはそうした運動費ではなくて顧問料であったわけなんですか、この点はどうなんですか。
  203. 松平守弘

    松平証人 ただいまお話の五百万円というのは、全く虚構の数字でございます。これははっきりした証拠がございますし、前の速記録にも久保田証人が本人が認めているはずだということを言っておりましたが、その認めている数字というのは、百八十八万五千円でございます。これは昭和三十年の九月十四日を始まりといたしまして、三十一年の四月の終りか五月かと存じますが、その間、全部で十一回にわたって私の手元に少額ずつ入っておるので、ために鈴木参考人がそのときの証言で、大した金額ではないということを申しております。その金額がはっきりした数字でございまして、これは私の方では顧問料あるいは交際費、お車代というふうな意味で受け取っております。
  204. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 前の決算委員会で久保田参考人並びに鈴木参考人等によると、あなたに前後七、八回にわたって五百万の金を渡した。その後この運動が成功しなかったので、その金を返せとあなたの方へ文句を言った。それであなたも来た金は認めて、その中から二百五十万ほどはあなたが現金か何かで返された、そして約二百五十万ほどは手形で返された、その二百五十万は現金化できないで今でも残っている、こういうことなんです。あなたは、顧問料ならたとえ成功しようと不成功に終ろうとも、その金を返す必要は毛頭ないと思う。そこでこれは運動費であったのか顧問料であったのか、その金額に違いがあるのかないのか、この点を明確にしてもらいたい。
  205. 松平守弘

    松平証人 まず金額は今申し上げましたように全く違いまして、回数も十一回、その間私の手元に入ったのは百八十八万五千円で、これは私の書いたのじゃない、向う側の人が書いた文書によって――これは三十一年八月三十一日の話し合いの結果の文書でございますが、前の速記録で松平も認めておるというのはその数字でございます。これははっきりどこへでも出してお目にかけることも証言することもできます。それから顧問料ならという問題でございますが、百八十八万五千円と申しますと、月にして二十万円くらいになります。顧問料としては多過ぎます。全部が全部そういう意味ではなくて、お車代とか足代とか運動費という意味も入っていたと思います。そういう全般的な意味からいって、最後に向う側が、これは関係者の感情的な問題も入っているように思いますが、これは私事にわたりますから申し上げませんけれども、その結果非常な激論になりまして、私の方は現在までこういうふうにして一生懸命やってきて、千葉銀行の本店、審査部まで行って、会社全体のためを思ってやっているじゃないかということから相当な激論になりまして、向うは結局ドミニカ糖その他ができたために私に相当の金が入って、そして会社の方は知らぬ顔をしておるというふうな観点から、そういう問題を提起してきたものだと思います。私の方はそういう金は全く入ってきているわけじゃないので、その支払いについては払う理由もないということで話したのです。前にも出ておりますように午前二時ころまでかかりまして……。ところが、それは私の家でやりましたので、家族もおりますし、子供たちもおりますし、家内も出てきて心配をいたしまして、そういうふうに言うのなら御縁がなかったものと思って、向うでおっしゃるようにしたらいいだろう。われわれはそういう金のことでいざこざするということは最も苦手なのであります。子供のころからの習慣というかしつけというか……。それで、それなら筋は別にして、そうおっしゃるのだからそうしましょう。ただし私には現在余分な金はないからということで、それから二週間の間に五十万円の現金を調達し、あと百五十万円は一年八カ月にわたり三枚の手形でお渡しして、これは借用証文のかわりとして宇井社長が持っているという約束をして、私の方が余分な金でも出たときにお返ししましょうというふうな納得づくの話で、昭和三十一年の八月三十一日の晩に解決したことを覚えております。
  206. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこで国会先生方が名前が出て大へんに迷惑しておる。おそらくはあなたから金を受け取ったと私どもは思っていない。千葉精糖は、あなたがこういう方々運動しなければならないから、その金を出せ、周さんの滞在費も持て、それから国際観光ホテルにあなたが陣取っておられた、その観光ホテルの費用も持たなければならないというので、これが成功するものだと思って一本になって出した。松平君という人をそれほど信用したのかと聞いたところが、大石武一先生の部屋にいる人である。最初は兼子という人が運動しておったのだが、しかしこういうような者ではだめだから、松平氏に切りかえなければいけないというので切りかえた。大石先生の名前も綱島先生の名前も、そういうものは知らない、あなたの方でそう言ったから、その記憶があったから覚えていたのだ、こういうことを言うのですが、この千葉精糖の言うことは、あなたは全く虚構であるとおっしゃられているわけです。そこでこれが虚構であるかないか、あとでまた調べなければならないが、金額の問題だけは千葉精糖では五百万、前後七、八回にわたって五十万、それもあなたが神田の事務所に取りに見えた。それから国際観光ホテルにも久保田自身が歩を運んだ。合せて五百万円程度であって、その運動が成功しないのであなたに一ぱい食ったのだ、これは違うかもしれませんが、千葉精糖があなたに一ぱい完全に食った。あなたはドミニカ砂糖をほかに回した。これは誤解らしいのだが回してしまったのだということで、あなたに猛烈に食ってかかって、あなたの方でもその金額を認めて、それで二百五十万はもらいました、二百五十万円程度は残っています。そうするとあなたのお書きになった手形は二口に書かれたのですか、一口に書かれたのですか、二口に書かれたら幾らと幾らですか。この点を明確にして下さい。
  207. 松平守弘

    松平証人 今の数字はさっき申し上げました通りでございまして、八月三十一日に向うの社長の宇井とそのほか久保田、鈴木、小林全部立ち会いの上で、はっきりさせた数字でございます。ですから五百万というのは全く私の関知しないところでございます。それからこの最後の結末は、私も八月三十一日から二週間かかって五十万円を調達して現金で返し、あとは八月三十一日付の手形、六カ月ごとずつの三枚の手形でございます。五十万円ずつの三枚の手形でございます。これを借用証のかわりに入れておいて、逐次できたときに返済でもすればいいというふうな、非常に軽い意味に、私のそのときの話し合いはして書いて渡したように記憶しております。
  208. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると五十万円ずつ三枚で百五十万円、あなたが現金で返したのは五十万円ですから、合せて二百万よりほかあなたは受け取っておらない、こういうことになるのですが、間違いありませんか。
  209. 松平守弘

    松平証人 先ほども申し上げましたように、八月三十一日の話し合いの紙っペらの証拠がございます。向う側の書いた証拠でございます。私の手元に入ったのは百八十八万五千円、もう一つ説明しますれば、千葉精糖から出た金が二百三十五万円、その間は結局岡部というのが秘書みたいにして動いていたのです。そういう生活費や何かに消えた。それで百八十八万五千円というものが私の手元に前後十一回にわたって入ってきた。端数や何かがめんどうくさいしするものですから、二百万としてその手形を切り、現金を返した、この数字は絶対間違いございません。
  210. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 二百万円のあれは別として、あなたの手に入った二百万という金は、このドミニカ砂糖、いわゆる周さんの問題を片づける運動費、あるいは中小メーカーの少い割当を増さしてやるための、千葉精糖の分かもしれませんが、そういうものの割当を増さしてやる運動費として、あなたの方は受け取られたわけですか。
  211. 松平守弘

    松平証人 一番初め私の手元に入ったのは、昭和三十年九月の、たしか十四日と書いてございましたが、そのときに十五万円、これが一番初めでございます。それから三十年の間に半分くらい、前後十万円とかいうふうに少しずつ入って参りました。それから三十一年度が残額半分入ってきたようなことになっておりまして、これは私が立研砂糖関係したのは、三十一年の一月でありますから、立研砂糖のためにといって渡されたものでもなし、あるいはどのためにといって渡されたものでもないというふうに、私は承知して受け取っております。
  212. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 その点、あなたの御答弁、変じゃないでしょうか。千葉精糖は私の聞いておるところでは当時経営内容は非常に楽でなかった。割当が少いから、何としても割当をふやさなければならないというので、非常に苦しい中から、たとえば二百万であろうが、五百万であろうが調達した。そしてそれはあなたの運動が成功することに、まさに千葉精糖の興廃をかけてかかられたというように聞いておるので、あなたがどういうふうに使ってもかまわない金だといって、当時の千葉精糖の現状は渡せるような現状でなかったように記憶しているのですけれども、あなたの方は、どう使ってもかまわないのだということで、あなたに渡したという御答弁ですが、これは違うように考えられますが、そこのところを、もう少し明確にしてくれませんか。あなたは役人ではない。どこに運動しようとも差しつかえない、運動費をもらったって差しつかえない。そのくらいはあんたもよく御存じのはずです。ただどう使おうともかまわない、あなたは砂糖に対する別に権威者じゃない、砂糖の問題に関係しておったのではなくて、たまたま立川の問題が出て、あるいは千葉精糖との関係が生じて、中小メーカーは困るということを知った程度で、そのあなたにただ使ってくれ、どう使ってもかまわないからといって、二百万から三百万の金を渡すということはちょっと考えられない。やはりこれは運動をしてもらうために渡したのではないかということが常識じゃないでしょうか。
  213. 松平守弘

    松平証人 それはお説の通りでございまして、何に使ってもよろしいという、目的のない金というものは私の方も受け取っておりません。少くとも顧問関係なり相談に乗るという関係で、千葉の割当一つでも多く、少しでも経営が楽になるようにということで関係もいたしましたし、そのためにほとんど月々でございますが資金も受け取りました。またそのために陳情もし、あらゆる努力もして参りました。しかし御承知のように砂糖割当というふうなものは、非常に問題の多いのでございますし、そして当時はあらゆる問題を研究して、農林省はほとんどそこに自由裁量の余地のないように、運動の介入しないように、非常に厳格な統制と申しますか、割当方式を作っておりました。その中を役所の割当方式に沿いながら少しでも多くしていくためには、非常な努力と研究とが必要なので、私もそれに向って専心努力し、そして少しでもよくなるようにと努力して参りましたので、決してただ何に使ってもいいというふうな意味で受け取ったわけではない。そうすると、そういうふうに少しでも多くしてやろうというと、そのたびたびに、たとえばドミニカ糖という問題も出て参ります。その当時は実需者割当があって、実需の委託加工という問題も出て参ります。それから商社との話し合いという問題も出て参ります。その時期時期によって話の中心というものは違って参りますが、そのたびに努力をしてきたので、決して私はその金を持って何もしないで知らぬ顔をしておるということもいたしませんでしたし、その金はそういう意味で出たもので、何に使ってもいいというふうなものではないように思います。
  214. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 ほかの方の質問もあるので、もっとお伺いしたいのですが最後に一、二点お尋ねしたいのは、あなたは砂糖について別に技術屋さんではないから、砂糖を作る方の顧問でもなければ、会社の内部の経理をどうするという計理士的な顧問でもない。結局あなたの果される役割というのは、今の中小メーカーの割当をふやしてやるという運動一つ、それから、立川の問題が宙ぶらりんになって立川自身も困っているから、これを有利にしてやったならば、これは千葉精糖その他の中小企業のためには、問題が相当有利になるだろうということが、あなたのこの問題に対して果す役割であったじゃないかと思うのですが、それはどうですか。
  215. 松平守弘

    松平証人 その通りであったろうと思います。
  216. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そういたしますと今度は、その運動はただ陳情書を書いて役所へ持っていったからといって、今の役所の機構が、あなたがどんな正論を吐いてもなかなか一片の陳情書で受けるようなところではないことは、あなたもよく御存じだろと思う。従ってあなたとしてはそれには相当の運動なり何かを展開しなければならなかった、こう思うので、その二百万なり何なりの金というものは陳情書を作成するための金、あるいは役所へ行くだけの金としては多過ぎる。別にどう使った、どう使ったということじゃないのですよ。ただあなたとして運動をどういう方面に展開されたのか、この点を一点伺いたいと思います。それからいま一つは、あなたは大石先生と非常に御懇意であったから、無断で名刺を使われたということをさっきおっしゃった。無断で名刺を使ったということが今日大石先生にも大へん迷惑をかけているわけなんです。いかに懇意の仲といえども、無断で国会議員会館事務所を名刺の中へ書き込んでそれを使うということは、あなたのような教養のある人からいうと、非常に私は納得のいかない不見識なやり方ではないかと思うのですが、この二点をお伺いいたします。
  217. 松平守弘

    松平証人 その点はまことにお話の通りでございまして、この問題について名前の出られた三先生に対して、私は全く衷心からおわび申し上げる以外には何ものもないのです。結局こういうふうな砂糖問題といういろいろな問題のあるところに、われわれが首を突っ込みまして御相談に上れば、その御相談に乗って下さるのは、皆さんそういう点について一つもうしろ暗いとかいろいろ関係のない方がやって下さるので、そういう意味で清廉潔白で純粋であるからこそ相談にも乗って下すった。にもかかわらず現在こういうふうに名前が出て参ったということについては、まことに申しわけないと思っております。ことに稻富先生を例にとっていえば、初めに陳情に伺ったときにもそういう金品に一切関係しない、供応も受けないという約束をされるならば調査もして上げようというふうなお話も出て、その上でやっていただいた。この点は綱島先生大石先生も別にそういう金品の関係は絶対にこういう問題だからやってはいけないということで、私に相談にも乗っていただいたこともあるくらいです。それが逆にこういうふう出てくるということは、私としては心外にたえないし、また大へん申しわけないと思っておる次第で、その点は天下に釈明をして先生方に対する御迷惑というものをおわび申し上げたい、そう思っております。
  218. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは千葉精糖から金を出させるときに、役所の方やあるいは政界等の了解を得なければできないんだから、そのために金が要るんだということを言われましたか、それともそういうことは何も言わずに金を持ってこいと言われたのか、その点はどうなんですか。
  219. 松平守弘

    松平証人 そういう非常識なことを私は絶対に申しませんし、金額からいっても月に十万か十五万、せいぜい二十万どまりのものが十カ月にわたって出てきたものであって、そういうふうな余地も何もございません。これは先生方でも月々どのくらいお要りになるか、お考えになればおわかりいただけると思います。  さっき申し忘れましたが、大石先生の名刺について勝手にしたということについてお話ございましたが、そのときは、どういう選挙でもごたごたしておるもので、先生の御親戚の方の区会議員の選挙と存じましたが、その最中に私の母も応援演説なんかに行って、だいぶごただたしておって、先生会館で御連絡をとるようになっておったので、そのために名刺を作って、たまたまあれはそういう名刺が余っていてほかにないから多分出したので、私はほかに出した覚えはなかったのですが、あっとすれば、たまたま残っていたものが出たものでございましょう。そのほか絶対にそういうふうなものを刷らせたり使ったりした覚えはないので、その点は先生に御迷惑をかけたことを深くおわび申し上げます。
  220. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは選挙のために大石武一室というのは必要だから、名刺は刷っておいたので、そのために刷ったのではない、そこへたまたま千葉精糖のときに使ったのでほかには使わない、こういうような御答弁なんです。これは納得いかない。ただ一枚だけそこへ使ったということ自体非常に納得のいかない話で、しかもその一枚が今日重要な事態を起し役割を果しておるわけで、その点できわめて納得のいかない御答弁である。それからいま一つは、わずか二十万くらいはそんな余地がないと言うが、二十万といえばわれわれにとっては大金ですよ。それをそう何でもなく二十万出すということは考えられないのです。二十万というものは当然あなたが各方面に運動をしてやるからその金が――それはやるからと言ったか、やってほしいと言ったかはこれは別問題として、とにかくそういう運動してやるということが、あなたと千葉精糖の間には約束として成立して、二十万というものが出たと考えるよりほかにないじゃないですか。この点はもう一回、明確にしておいていただいてほかの方に譲りたいと思います。
  221. 松平守弘

    松平証人 そういうふうに明確に約束ができていたとすれば、またその金がそれだけ重要な問題であったとすれば、契約書なりあるいは覚書の形で、私の方から受け取りなり何なりが出て向うの手元にあると思いますから、お調べいただきたいと思います。決してそういう重要な契約あるいははっきりした確約というふうなものがあったのではなしに、全般として業績を上げるために一緒にめんどうを見て、一緒に苦しんでくれということで出てきたもので、私の方から受け取り一本も出ておりませんし、そういう契約とかなんとかいうものはございません。ですからそのような確たる契約の上にやったものではない。私はそのかわり誠心誠意会社のために少しでもよくなるようにということを努力して参りました。
  222. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 顧問料なら当然顧問料としてあなた受け取ればいいんです。これを受け取りも何も取ってなくて、あなたは月々二十万ぽっちの金というけれども、二十万円というのは相当の金額で、それを毎月渡されているということは、あなたにそういう方面の運動をしてもらうことを頼んだから、領収書などは書くべきでないから書かなかった、こう解釈するのが当然じゃないですか。あなたも運動して、ともどもにこの問題でよくなろうとする。ともどもによくなろうとするためには、この割当を増す以外にともどもよくなるということのために、あなたの果せる分野というものはないじゃないか、あなたは別に砂糖をよく作るとかなんとかいう技術屋じゃないのですから。割当を増すためにあなたが骨を折るために出た金でしょう、その点は間違いないでしょう。
  223. 松平守弘

    松平証人 確かにお説の通りでございます。
  224. 神近市子

    ○神近委員 私は松平証人には他の方に譲りましてお尋ねすまいと思っていたのですけれども、今小川委員の答弁の最中に、ちょっと気にかかる名前が出てきたのです。国際信義にもとるということで、日本のことを考えて周に協力したとか、あるいは千葉精糖の問題に協力したとおっしゃったときに、国際信義にもとると考えて北とも話し合ったとおっしゃったのですが、それは私の聞き違いだったか、その点、人名ですからちょっと必要があってお尋ねします。
  225. 松平守弘

    松平証人 その点は北という名前の方は、私全然存じませんし、私の言葉の聞き違いだろうと存じます。
  226. 坂本泰良

  227. 淡谷悠藏

    淡谷委員 松平証人は、砂糖に関しましては千葉精糖以外どういう団体に関係しておられましたか。
  228. 松平守弘

    松平証人 千葉精糖がおもであって、その背後にある協会というものは存じております。
  229. 淡谷悠藏

    淡谷委員 協会の中で特にあなたに顧問などを委嘱したような会社はございませんか。
  230. 松平守弘

    松平証人 ございません。
  231. 淡谷悠藏

    淡谷委員 千葉精糖には以前から関係しておられたようですが、特にドミニカ砂糖が出てきてから、大へんに関係が深くなったような御答弁でございます。このドミニカ砂糖が出る前にも、あなたは千葉精糖から顧問料あるいはその他の名義で金を受け取ったことはございますか。
  232. 松平守弘

    松平証人 先ほども申し上げましたように、ドミニカ糖に関係したのは三十一年の一月末ないし二月の初めでございまして、千葉精糖関係して一番初め社長やそのほかに会いましたのは、三十年の八月半ばと存じます。資金が出て参りましたのは三十年の九月十四日からでございまして、さっき申し上げました百八十八万五千円のうちの半分は三十年に出てきております。ドミニカ糖の問題が出てきている以前に、もうすでにそういうふうな関係があり、その相談に乗ってやってきたものであります。
  233. 淡谷悠藏

    淡谷委員 さっきもあなたの御答弁にあった通り、大体精糖会社の顧問としては割当のワクを増すことが一番大事な仕事であったようですが、これについて大石その他の政治家の諸君やあるいは役所などで、ずいぶん広範にあなたの接触した面があるだろうと思いますが、それを、一応出していただけませんか、どういう人たちとあなたがおもに交渉したのか。
  234. 松平守弘

    松平証人 さっきお話の綱島先生ドミニカ糖について周さんから法律問題で御相談を受けられて、その法律問題が解決をしなくなって、これはだめだというときに、手を引かれるときにお目にかかったんで、その前半については関係というか、そういうふうなことはございません。その三先生のほかにはほとんど役所で、次官のところにも、農林、通産両省――私はやるときは自分も官庁におりましたから、この関係は、この次官から局長から課長から係長だれだれというものを全部表を作りまして、そうしてその表で一人余さず全部回って、どの人が一番説得しなければならぬか、どの人は大体わかってくれたかということで、それに関係する判この数だけ全部回りました。そのときにどれだけ回ったかは私も記憶につまびらかではございませんが、少くともその担当の農林、通産の次官のところから通商局長のところにも、おいでになりませんでしたけれども伺ったこともあります。通商局次長とはだいぶ激論をかわしたこともございます。日比野課長のところはもちろん伺いました。それから農林省も農林次官のところ、食糧庁の長官のところ、第二部長のところあるいは食品課長のところ、まあ担当のほとんどの方のところは回っております。
  235. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたは綱島代議士との関係はお話になりましたが、あとの当時の大石政務次官あるいは稻富代議士との関係はお話にならなかったが、この点も承わりたいと思います。
  236. 松平守弘

    松平証人 大石先生はさっき申し上げましたように、その二、三年前からの御関係でございまして、当時そのところにいらっしたので、陳情に伺い千葉精糖の人間も一回か連れて行って陳情を聞かせたこともあったと思います。それから稻富先生はその最後のどたん場になって大石先生もとにかくドミニカ糖、立研の問題もこれはもうだめだと僕ははっきり宣言されたんです、農林次官室で。そうしてその結果どうにもしようがないということで、もう一度捨てるわけにはいかないからというので、稻富先生のところにかけ込み訴訟のように伺いまして、実情をるる陳弁したところが、これはほんとう国際信義の上からやってやらなければいけない、が、こういう問題は、えてして疑惑をこうむるから、金品の問題に関係しなければ調査をしてあげようということで、まあどこか役所か何かへ電話をかけていただいたようでございます。そういうふうな関係でございます。
  237. 淡谷悠藏

    淡谷委員 そうしますと千葉精糖から名前の出ました三人の代議士については以前からあなたに接触のあるのは、大石武一代議士一人になりますか。それに相違ありませんか。あとの二人はドミニカ糖が出てからの関係大石代議士だけは以前からの関係、このように了解して差しつかえありませんか。
  238. 松平守弘

    松平証人 綱島先生はやはり母が一緒に講演旅行をしたことがございまして、その二、三年前からのお知り合いで、そのときに初めてお知り合いになったわけではございません。
  239. 淡谷悠藏

    淡谷委員 千葉精糖並びに中小企業の会社等のワクの割当のために、知っておられた大石代議士あるいは綱島代議士ドミニカ糖以外にも接触し、お願いした事実はございますか。
  240. 松平守弘

    松平証人 大石先生は当時そこにいらっしゃいましたから、その点はお話をしてお願いをしたことがございます。綱島先生はほとんど会館においでになって、伺ったことも大してございませんが、行ったときにそういうお話が出て、了解だけは受けたことがあるような記憶もございますが、それについて動いていただきたいとか、どうしていただきたいとかといって動いていただいた覚えはございません。
  241. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたは再々、ドミニカ糖の問題は国際信義の問題であるからどうしても解決してやらなければならないという政治的な感覚に立って動いておったと言うのですが、一体この問題はどうして国際信義にそむくのですか。これは無為替輸入許可が取り消されておった砂糖です。向うはどういうふうに誤認したか知りませんけれども、実際は許可のない砂糖がきている。一体だれがだれに対してで国際信義をとらなければならないのですか。その点をもっと詳細に御答弁を願いたいと思います。
  242. 松平守弘

    松平証人 それは、ああいう立研許可というものは、私どもも一見していささか奇異に感ずる許可でございますが、日本の特許の振興のためにあれを出されたということなら、それもいいと存じます。その無為替輸入許可書というものには国内でメーカー割当になるとか、それが何ドルであるとかというそういった制限は全然書いてなかったライセンスです。そうして無為替輸入は期限が切れていたとおっしゃいますけれども、いやしくも政府が発行して、六カ月延ばした、もう三カ月延ばした、その延ばした日に積み出すというようなときに当って、それを積み出す前に許可を取り消したというのならいいけれども、積み出しになってから許可を取り消しても、これはその許可書というものは到着をして荷がさばけるまでは延期するのが当然であって、荷積みが始まってから、これは取り消したからこの無為替輸入許可書は無効であるというようなことは、政府の暴論だと思うのです。そこで、そういうふうな無為替輸入許可書というものがあり、その許可書をたよってあれだけの金額の荷を持ってきて、そうして本人が塗炭の苦しみに苦しんでいる。そうすると、日本政府は自分の工合が悪いからといって、一日、二日あるいは一カ月延びたからといって、自分の方の都合によって勝手に許可書を取り消したり無効にしたりすることができるのか。それでは日本政府許可書というものは、ちっとも信用できないではないかということになると思います。そこで周という――これは外商であり、その背後には華僑というものがみんな見ておるだろうと存じますが、これが日本政府のライセンスにたよってきた、そのライセンスは無効だったけれども、そのライセンスにたよってきたと同じような効果を上げて喜んで帰っていかれるということまでやってやるのが日本政府立場であり、日本の政治家の考え方でなければならないのじゃないか、そういうふうに思い、また確信するがゆえにこれに関係し、努力した次第でございます。
  243. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたが周さんから示された許可書というものは、どういう形式のものでしたか。
  244. 松平守弘

    松平証人 私もよく存じておりませんけれども輸入のライセンスで、かたい少し大判の紙に書いてあって、本品の輸入については日本政府の指示によることとかなんとか二行くらいのタイプで打ったものが書いてあっただけで、ほかに制限というものは何もついていなかった。われわれのように国内にいて砂糖行政の片鱗を知っている考であれば、政府に対してただすということもあると思いますけれども、外商で全然日本語も読めない人で、それで政府許可書であるというふうに見せられたならば、そうして日本人がそれについて契約をするという段階になれば、外商としてそれを信用して行動を起すのは当然ではないかと思います。
  245. 淡谷悠藏

    淡谷委員 周さんにそのライセンスを示したのはだれなんですか。
  246. 松平守弘

    松平証人 私はそこまでは存じません。周さんは、今新聞を読んではっきり存じたのですが、その前年の十一月十八日に荷が着いて、その荷の着く前に来たらしいのですが、それ以来三カ月間、一月の末ないし二月の始めまで苦労して、どうにも仕方がない、もしこれならばこの砂糖を海に流してしまうのもやむを得ないと言って泣いて訴えた、そのときから始まったのであって、それをだれが示してどうしたか、その許可をだれがとってどういう経路でやったかということは、その後二、三聞いたことがあるくらいで、私の関係する以前のことは一切存じません。
  247. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたが周さんのことを知ってから相当立ち入ってお世話したように承わっておりますが、千葉精糖との間が変になってからでも、この問題にはあなたは入っておられたようですが、そうしますと、周さんがこっちに来て以来のさまざまなことは、あなたは詳しく知っておるらしいのですが、このライセンスが果して正しいものか、あるいは立川研究所が偽造したものか、その点のあなたの御調査はできておりましたか。非常に憤慨されてもけっこうですが、そうした事務上の手落ちか、あるいはためにする者があって周さんに非常に迷惑をかけたとするならば、やはりこういう悪質なことをなす人は徹底的に糾明する必要があると思いますが、あなたはどうお考えになりますか。この示されたライセンスというものは正しいものであるかどうか。
  248. 松平守弘

    松平証人 このライセンスの問題については非常に異例に属するという感じを受けましたが、それが偽造したものであるとかどうとかいうことは、現実に一万トンの砂糖が着いて、何億というものがそのライセンスによって入ってきておるので、その入ってきておるもとの一片の書類というものは、何億というものをになっておるのですから、これを疑ぐるということもいたしませんでしたし、そうしてそのために陳情書を持って役所を回ったときに、役所は全部そういう許可書が出ておってそういう動きがあるということを存じておりましたので、私はその文書自体に対する偽造とかいうような面については疑惑も何も持ちませんでしたが、こういう非常に異例に属するような許可というものは慎重にしなければいけない、そうしなければこういうふうな外商というものは次から次へ被害をこうむることが起り得るというふうに思って、それに対する批判を持ったことはございます。
  249. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたのさっきのお話では、だいぶ役所の関係は詳しく御存じの様子で、判こ一つごとに陳情に回ったという人ですから、他の問題についても方々回っただろうと思いますが、特に関係の深い食糧庁長官にあなたが会って陳情されたことはございますか。
  250. 松平守弘

    松平証人 役所へは全部数回となく参りましたので、長官のところへ伺ったときには、おいでになってお目にかかってお話をしたことがあるように記憶しております。
  251. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この問題で骨を折ってどこが一番かぎを握っておるかということは、あなたにわからないはずはないと思います。特に食糧庁長官は大臣から委任を受けてこれを担当する、この長官である人に会ったことをあなたが忘れたようなことでは、あなたが国際信義のことを心配してなされた努力というものは疑わしいと思います。一体あなたの会った食糧庁長官はだれですか。
  252. 松平守弘

    松平証人 清井長官です。
  253. 淡谷悠藏

    淡谷委員 清井長官はあなたの陳情に対して何と答えられましたか。
  254. 松平守弘

    松平証人 本件について特別措置をとってこれを入れることはむずかしい、同時にこれは大石先生からも伺いました。
  255. 淡谷悠藏

    淡谷委員 そのむずかしかったものが入ってしまった。これはあなたの陳情が功を奏したのですか。
  256. 松平守弘

    松平証人 最後の点でございますが、これは陳情が功を奏しなかったのです。私のやっておることが刀折れ矢尽きて、役所としては何ら特別措置も講じないということに決定されましたので、その意味においては、行政的には一切功を奏しなかった、一敗地にまみれたということなのであります。ところが私どもはそういう大義名分にのっとって、断固としてやっておりました。その心情をくんでくれたのか、それともそういうふうな問題がいつまでもくすぶっておるということは、砂糖業界全般明朗に関係すると思ったのか。これは輸出入協議会において、日本においてかかった倉庫料とかチャージとか、そういうふうな原価だけは見て、これを引き取って解決しようという動きが出てきて、その次年度の三十数万トンの割当のうちで引き取ってくれましたので、商談が成立して引き取った。特別行政措置はとられなかったということでございます。
  257. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これは砂糖輸入のワクの中で引き取ったということになっております。そうしますと、行政措置はないと言いますが、あなたの知っている通り、農林省あるいは通産省許可を得なければ、幾ら商社が承諾しても、これはできないはずです。あなたが一敗地にまみれたと言いましたけれども通産省や農林省の許可が得られたとするならば、やはりあなたの工作が成功したとわれわれは見るのですが、それはどうお考えですか。
  258. 松平守弘

    松平証人 砂糖輸入は、たとえば台湾糖、豪州糖、そういうふうに国家間の協定によって輸入されるものがございます。それからポンド地域とドル地域の砂糖があります。ドル地域はキューバー糖とかドミニカ糖とか、そういうふうなもので、ドルが割り当てられて、ドル地域から買ってもいいという、フリー地区とか言っておるようでございますが、その割り当てられた。ドルで買う砂糖というものは、ドミニカ糖を買っても、キューバ糖を買っても、商社の勝手であって、ドルを割り当てるという行政措置はあるけれどもドミニカ糖を買わなければならないということは何もない。どれを買うかということは、商社の勝手なわけです。ですから、そのドル地域の買付のドルを商社に渡す。商社はそのドルをもって、どこから買うか勝手に選択した。ところがその割当が、たしか三十一年の四月の終りのころだと思いましたが、三十数万トン割り当てられて、それからそのドルをもって買付にキューバーまで行って買ってくると、一カ月半以上かかります。ところが現実にそこに一万トンというものが積んであるために、そんな遠くから持ってくるより、これを早く入れて溶糖した方が、少しくらい高くかかってもいいというよう商業上の判断に立って商業、ベースによって商社が買付をしたものというふうに考えております。従って役所がこのドミニカ糖のためにドルを割り当てるという行政はないので、ドルを割り当てたら、それはキューバ糖を買っても、ドミニカ糖を買っても、どれを買っても、そのドルによって買うのは商社の勝手でございますから、その自由な範囲において、そのドミニカ糖を買ったということでございます。
  259. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この砂糖は正式に入ってきた砂糖じゃないのです。無為替輸入でもない砂糖なので、これは税関では手がつけられなくて、保税倉庫に入れられた砂糖なんです。いかに商社がドルを持っておりましても、税関との話し合いや、あるいは通産省の話し合いのきまらないうちに勝手に出庫ができない。これは完全に自由に売買できる砂糖と考えられるのは、少しあなたが間違っているのじゃないか。どうですか。
  260. 松平守弘

    松平証人 この自由という範囲なりなんなりでございまして、無為替で勝手に持ってきたとおっしゃいますけれども、私ども了解しておったのは、立研の無為替許可書によって持ってきた。持ってくる動機なり、持ってくるところまでは正式に持ってきた。持ってさておいたところが、その無為替許可というものが切れてしまったので、専門的にはアブロードといっておるようでございますが、その砂糖、という特殊な状態になった。これは現在もそういうシステムがあるように承わっておりますが、決して、たとえば密貿で入ってきたとか、あるいは国内にむちゃくちゃに入れるために持ってきたとかいうふうなものではなしに、やはり官庁の指導によって持ってきたので、これは入れるのは当然である。役所の指導がなければできないとおっしゃいますが、私はそういうふうには思いませんし、当時もそういうことは絶対になかったと思います。キューバ糖を買っても、ドミニカ糖を買ってもどこでもよろしい。たまたまドミニカ糖がアブロードであすこへ着いて、その着いているアブロードのドミニカ糖を商社は買いたいと言って買った。これを買いたいと言ってドルの割当を申請したから、それじゃそれを買うならよろしいというのでドルを出したということで、ちっとも特別の行政措置でも何でもない措置によって、あれはできたものであるというふうに私は了解しております。
  261. 淡谷悠藏

    淡谷委員 ちょっと農林省の係の方に伺いたいのですが、今お聞きの通りの始末なんです。たとえばドミニカ糖のようなケースで入ってきたものは、通産省あるいは農林省の許可なしに、ドルさえ持っておれば、商社は買ってもいいということになっておりますか。
  262. 松岡亮

    ○松岡説明員 これは通産省からお伺い願った方がよいのでありますが、私の方で了解しているところを申し上げますならば、外貨割当がある限りは、その外貨に指定がない限り、たとえばポンド地域とか、そういう指定があればポンド地域のものでなければ買えませんが、そうでない場合においては、それはどこのものをとってもよろしい、どこの倉庫にあるものでも差しつかえない、そういうふうに私は了解しております。
  263. 淡谷悠藏

    淡谷委員 通産省の方、来ておりますか。特にこのドミニカ糖に関してお答え願いたいと思います。一般例じゃなく、今の場合に限り……。
  264. 長橋尚

    ○長橋説明員 実際に引き取られましたのは、三十一年度の第一回の外貨割当で三十九万トン実施されております。その際はポンド・グローバル、ポンド価で買うならば、どの砂糖を買ってもよろしいということで、まず輸入の発表が行われました場合に、二回にわたってそのワク内での、三十九万トンにつきましての外貨割当申請を、二回に分けて受理しております。締め切り期日を二回に区切って受理しております。その際外貨割当の要素といたしましては、ポンド価で買うということ、それから個々の業者の申請に対する金額でございます。何トン相当分として何万ドルという通貨と金額というものを要素にいたしまして、個々の業者の外貨割当申請を許可しております。そして、それをもらいました業者は、今度は銀行に参りまして、輸入承認手続をとります。ILというものをとります。インポート・ライセンスでございます。その場合には、たとえば十万ドルの外貨割当証明書をもらったというものが、インポート・ライセンスは五万ドルずつ二度に分けてとるということもあり得るわけであります。それから横浜の砂糖一万トンのうち、たとえば千トン買うという商談を成り立たせた業者がおりました場合には、その業者は、とりあえず横浜の分を引き取るものとして千トンのインポート・ライセンス、輸入承認を銀行で受けるのが通常の場合でありまして、個々の一定の取引ごとに、外割――証明書の金額としては多いものになっておりますけれども、そのうち小刻みにインポート・ライセンスにかえます。これを、この場合は横浜の税関に持って参ります。そして横浜の税関に出します。書類としては関税法に基きます輸入申告書というものを記入いたしまして、それにインポート・ライセンスをつけて税関に提出いたします。税関の方では徴税手続、関税の徴収その他の手続をとりまして、輸入免状というものを当該業者に交付いたします。輸入免状を交付されますと同時に、その貨物は通関済みになるわけであります。以上申し上げましたような形で、この一万トンの砂糖が引き取られたものと考えております。
  265. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この砂糖は、実際においては無為替輸入許可の期限が切れてから入った砂糖です。こういうふうに本人には悪意がないとしても、実際においては期限の切れてしまったライセンスに基いて持ってきたものは、これはどうなんです。やっぱり普通の砂糖と扱ってよろしいのですか。
  266. 長橋尚

    ○長橋説明員 これはまだ通関以前の状態に置かれているわけでございまして、その意味におきましては、事実上日本の国内保税上屋の中にはございますが、まだ外国の貨物でございまして、これが外貨割当を受けた輸入業者の取引対象になる通常の砂糖、海外から買い付けた、船でそのときに運んでくる砂糖と同じように扱われたことはやむを得ないものと考えております。
  267. 淡谷悠藏

    淡谷委員 今後こういうケースが生じた場合、やむを得ざることとして黙認する御方針ですか。
  268. 長橋尚

    ○長橋説明員 現在外商等の見越し輸入――保税上屋にとめおかれざるを得ないような状態で、とにかく品物日本に持ってくることを禁ずる措置はとられておりません。あまり好ましいこととはもちろん考えませんが、そういうふうなものを見越し輸入で持ち込んできた外商がおります場合に、それを禁ずる法規が現在ない状態でございまして、ただいまの御質問に対しましては、輸入秩序を乱すという意味であまり好ましくはございませんが、外商が自己の責任において持ち込んできます限りにおいては、それをやむを得ず認めざるを得ない場合もあるかと存じます。
  269. 坂本泰良

    坂本委員長 淡谷委員、今の問題は次会に通産省の責任者を呼びますから、そのつもりで……。
  270. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これは私たちが砂糖行政を考える場合に、やはり非常に重要な要因になると思いますから、あらためてまた通産省の責任者の方においで願っていたしますが、一体松平証人の考え方というものは、ある点は非常に緻密ですけれども、ある点はおそろしくずさんで、かつ独断的なんです。たとえば、あなたがどうおっしゃろうと、こういうふうな官庁関係のさまざまな機構の許可、承認が要るものを、またそれらがいろいろ関係を持つものに対して、時の政務次官の名刺を用い、しかも第二議員会館という公けの場所を事務所にしたということは、あなたは何ともなく考えていますけれども、これが第三者に与える影響は非常に大きいのです。しかもこういう重大なことをしていながら、あなたは、どうも私うっかり断わるのを忘れたとかなんとか言っていますけれども、私たちには、あなたが意図して、あなたに対する何らかの信用をつけるために、大石代議士事務所をあなたの事務所とするようなまぎらわしき名刺を作ってまいて歩いたように思われてしょうがないのですが、その点証人としてここではっきり御答弁願いたい。なぜ大石氏の事務所を、選挙のためにもせよ、あなたの事務所みたいに名刺に刷らなければならない事情があったのか。これは証人として、私はっきりあなたの御答弁を聞いて、おきたい。
  271. 松平守弘

    松平証人 証人としてお答えいたします。それはなぜといって、そう深い理由があったのでもございません。ただ大石先生との関係においてお許しいただけるだろうと自分で判断をしてやったことであって、それを刷りましたのは二十九年か三十年、ずいぶん前のことでございまして、多分千葉精糖に渡ったのは、向うが名刺を持っているのですから、一番初めの時と存じます。一番初めというのは、三十年の八月の半ばころであります。それ以後において、私は名刺を使ったことはございません。そうして大石先生政務次官になられたのは三十年のたしか十二月と思います。現政務次官会館事務所を使ったということは全然不確実なことでございまして、当時先生は普通の、役を持たない代議士でいらしたのだから、政務次官事務所というふうな意味で使ったわけではさらさらございません。
  272. 淡谷悠藏

    淡谷委員 他の委員の御質問もあるようですから、私は要点だけ二、三お伺いいたしますが、あなたは周氏と会うときに、あるいは会う前かもしれませんが、郭さんという人の名前をあげております。この郭という人はどういう人なのか御答弁願いたいと思います。
  273. 松平守弘

    松平証人 やはり中国人であって、向うで相当に、官吏か何かしていたというふうに聞いております。そしてこれは、森伝先生というのは、だいぶそこにいろいろな方が見えて集まっておったので、そこでお会いして、国家とか中国の行く末等について議論を戦わしたことがあるので、そういう意味で知り合いだったので、その以前のこと、そのほかを詳しく存じているというわけではございませんが、人間としても非常に深味のある、内容のある人で、まじめな方であるということはここで証言できます。
  274. 淡谷悠藏

    淡谷委員 正確に言うと郭何という人で、日本ではどういう仕事をされておったかお伺いしたい。
  275. 松平守弘

    松平証人 日本における仕事は存じません。存じませんということは、そこまで深くあれしたわけではないので、現実に現在どういう仕事をしているかとこいうとは私は存じません。
  276. 淡谷悠藏

    淡谷委員 名前は正確に何というのですか。住所はどこなんですか。
  277. 松平守弘

    松平証人 住所そのほかについては、現在家へ帰ってみないとわかりませんから、後ほど答えさせていただきます。
  278. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたはこの人を介して周さんを知ったというのですが、周さんの事務所はどこにあったのですか、行かれたことはありますか。
  279. 松平守弘

    松平証人 私は周さんの固定の事務所というのは存じません。行ったこともございません。
  280. 淡谷悠藏

    淡谷委員 連絡をされる場合はあなたはどこで連絡をされたのですか。
  281. 松平守弘

    松平証人 家へ電話で連絡がくるか、それでなければその郭という人が連絡をとってシナ料理屋で昼飯を食うとか晩飯を食うとかいうふうなことをして会いました。連絡はそういうふうにして、非常に不確実ではありましたけれども、毎日のように二人で会っておったのでとれておりました。
  282. 淡谷悠藏

    淡谷委員 毎日のように会っておったというのは、ほとんど料理屋ですか。あなたの言っておられた金というのはその方面に使われたのですか。
  283. 松平守弘

    松平証人 中国人はよく食事というものを、何か会えばすぐ食事というふうに言うらしいので、中華料理店で会ってもおりましたし、私の方でも三回に一度はそういうこともしなければいかぬと思いましたし、それで連絡をとってやって参ったわけであります。
  284. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それからもう一点、周さんの友だちで杉本喜三郎という人がいるはずですが、あなたは会ったことはございませんか。
  285. 松平守弘

    松平証人 それはけさ証人に参りまして初めてお会いしたので、それまで全然存じ上げません。
  286. 淡谷悠藏

    淡谷委員 周さんとあなたの関係が切れたのは何年何月ですか。
  287. 松平守弘

    松平証人 それはこの砂糖の処分が終って一度香港に帰りまして、もう一度夏の終りかに参りました。期日をよく覚えておりませんが、秋も深まらないうちだがら、九月ごろが最後に会ったときではないかと存じます。
  288. 淡谷悠藏

    淡谷委員 周さんはこの砂糖事件が一応片づいたときに、あなたが最初言われました国際信義の点で、日本に対してどういう感じを持たれておりましたか。満足だと言っておりましたか、困ったものだと言てっおりましたか。それによってあなたの目的が達したか達しないかわかるのですが。
  289. 松平守弘

    松平証人 彼は私に対して手を握って涙を流さんばかりに喜んで、これで私も、もうかりはしなかった、確かに原価計算をしてももうかりはしなかったが、日本の滞在費というものと、日本で観光費として自分が使ったと思えばいいんだ、もうかりはしなかったが、これで自分も香港へ帰ってまたあとの商売ができるようになりました、現在はできませんけれども、これから東南アの貿易でも一緒にこれから仕事をどんどんやりましょうと言って、喜んで帰りました。
  290. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これで終ります。
  291. 坂本泰良

    坂本委員長 山田長司君。
  292. 山田長司

    ○山田委員 時間もだいぶ過ぎておりますので、簡潔に質問いたしますから、なるべく簡潔にお答え願いたいと思います。  今の中野の住所にお住まいになられましたのは、いつごろからですか。
  293. 松平守弘

    松平証人 昨年の十二月の二十何日か、暮れでございます。
  294. 山田長司

    ○山田委員 それまではどこですか。
  295. 松平守弘

    松平証人 駒込の四丁目十五番地でございます。
  296. 山田長司

    ○山田委員 そうしますと、そこにはどのくらいの歳月おりましたか。
  297. 松平守弘

    松平証人 そこには数年おりました。
  298. 山田長司

    ○山田委員 そうしますと、この仕事上における周さんとの連絡は、周さんのアパート等においても連絡をつけられる状態にあったのではないかと思うのですが、その点はいかがですか。
  299. 松平守弘

    松平証人 その点は非常に新聞などを見て意外に思っておるのですが、私は、新聞を見て、周さんが駒込でうちの近くにいたということを、新聞を見てですから、一週間ばかり前に初めて知ったのです。それまでは、駒込の近くにいるということすら、アパートを持っているということすら知らなかったので、うちで、家内も、あそこにいたのなら一回くらいうちにあいさつに来てもよさそうなものだと言って、ついこの間笑ったくらいのものです。全然、あそこの住居における問題は、行ったこともなければ、そこだということを聞いたこともございません。
  300. 山田長司

    ○山田委員 そうしますと、ほとんど毎日のように会い、それから香港から帰ってこられて周さんに会い、この事件の解決されたかのごとき印象を持たれ、涙を流さんばかりに喜んで会ったなどという、そういう経過がありましても、全然それまでの過程におきましては、住所などについてはどこに住まっているかということなども伺うような機会はなかったのですか。
  301. 松平守弘

    松平証人 全然ございませんでした。その意思もございませんでしたが、その機会もございませんでした。
  302. 山田長司

    ○山田委員 そうしますと、周さんがなくなった葬式当時、国際信義を重んじていろいろ親しくしておられたが、この葬式にもおいでになる機会がなかったわけですね。
  303. 松平守弘

    松平証人 周さんのなくなられたことは、その年が明けて一月の四日か五日かに聞いたことでございまして、そのときに、葬式でもあれば行かなければ悪いという話があったのですが、未亡人も来てからやるからということで、来たらば知らしてもらうように言っておったのです。今もそこで杉本証人とお話をしていて、あなたのことを――私のことですが、知らなかったから、もし知っていれば御連絡をしたのにと言っておりました。私は、その葬儀に、こちらの住所の名刺もなかったのだと思いますけれども、参列もできなかったということを、今もって非常に残念に思っております。
  304. 山田長司

    ○山田委員 この仕事に一緒に活躍されるばかりでなしに、顧問としてお働きになられた千葉精糖の五百万円の問題については、さっき小川委員からの御質問でわかったのですが、顧問料であるということであれば、私は、それはあなたは手形などを出さなくてもよかったのだろうと思うのです。お出しになられた手形が不渡りになっているという話を伺いますが、一体顧問料であるものを何で返す意思になられたのか、しかもそれが不渡りだったということについては、どうも不可解なんですけれどもこの点について、お話し願いたいと思います。
  305. 松平守弘

    松平証人 私どもは非常に、そういう金の面について追及されると、気分的に昔からですが、弱いので、出してくれとか、あるいは出したものを返してくれとか、そういう金に関することはほんとうに苦手なんで、そのために、そのときも、夜の二時ごろまでかかっていろいろ議論をしておりましたが、家内もそう言いますし、それじゃめんどうくさいから、金のことだからということでお返ししたので、別に他意はなかったわけです。もちろん顧問料として十万とか二十万とかいえば大きいようですが、まあ私どもは顧問料と交際費と、そのほか車代というものを一括して出てきたというふうに思っておりますから、そこで、どうせ返すのなら全部一緒に返してもいいじゃないかという、そこまで言うのなら、金で解決するならきれいにさっぱり返してしまおうということで返したわけです。  そこで、手形の問題でございますが、その五十万円を出すについても、そのときはすぐ手元にはなかったので、二週間待ってもらって出している。しかし、手形についても、そんなものは書かないと言ったのですが、ぜひという話から、それじゃといって、六カ月、最後は一年八カ月目の手形です。ということは、手形で一年八カ月という手形は一流会社でも出すものではありませんので、手形債務を負うという話し合いじゃなしに、それを貸借に残しておく、その振り出しは私一人で責任を負わなくてもいいという意味で、半分まで返せばいいというようなことが話し合いになったように記憶しておりますが、ともかく、一年八カ月にわたる手形を書いたということは、その手形を手形として渡したのではなしに、その間に私の方からもできるだろうし、その間には解決してあげる、その間持っていてくれ、持っていましょうということで書いたと思います。それが不渡りというような話については、はなはだ汗顔の至りでございますが、その間にそれだけのものが調達できなかったということでございまして、手形を発行してその支払いをしてどうするということで切った、手形ではないわけであります。
  306. 山田長司

    ○山田委員 これらの打ち合せを東京駅の東側の国際観光ホテルでしよっちゅう打ち合せをされたといわれていますが、商談にいたしましても、あそこなどを使用される場合は相当の料金を取られると思うのですが、大体あそこではどんな商談が主としてなされたのですか。
  307. 松平守弘

    松平証人 あそこで商談を行なったという覚えは私はないのです。その商談というのは、輸出入協議会との商談という意味ですか。
  308. 坂本泰良

    坂本委員長 砂糖のです。
  309. 松平守弘

    松平証人 ドミニカ糖のですか。――あそこでそういう商談が行われたということはありません。
  310. 山田長司

    ○山田委員 それでは、輸出入協議会の人たちとの会合の場合は、そこでどのくらい行われました。
  311. 松平守弘

    松平証人 あそこの特別室を一回使ったことがあるかもしれませんけれども、大体は輸出入協議会の方に行って、これは陳情に行ったみたいなんですが、向うも十社も二十社もいる上で、これだけの原価があって、こういうふうに苦しんでいるということを陳情したので、ここで商社と話し合いをしたとかどうしたという覚えは一切ございません。
  312. 山田長司

    ○山田委員 この輸出入協議会の人たちに陳情に行ったと言われますが、協議会の人たちはそのときどんな人たちが出ましたか。ただあなた方が持っていった書類をそのままこれ頼みますという形で帰られるということは想像しないのですが、どういう人たちと会いましたか。
  313. 松平守弘

    松平証人 個々の名前を思い出せと言われても、向うの商社も入れかわっていらっしったし、名刺を交換して話をした方もあるんですからあれですが、ともかく大手筋の各社はおいでになったように記憶しております。
  314. 山田長司

    ○山田委員 ただそのとき陳情だけであなたは戻られているのですか。それとも、もっと込み入った話をする機会がありましたか。
  315. 松平守弘

    松平証人 陳情ですから、ともかく、それまでの役所との交渉から、この事態から周のその当時の精神状態――ともかく自殺もしかねない状態だったのですが、そういう精神状態から、そういうものをるる説明、納得してもらったことと、それから、現在これだけのものがかかっているのだから、こういうふうなものについてはぜひここで周と話をしてもらいたいというところまで話はいたしました。
  316. 山田長司

    ○山田委員 そのとき周及び郭氏を伴っておると思われますが、そういうときの金額は一体どのくらいあなたの方では輸出入協議会の方へかかった経費として提示をしたのですか。
  317. 松平守弘

    松平証人 私もその詳しいデータを覚えておりませんが、トン当り倉庫料は幾ら、チャージは幾ら、何は幾らと、商社の見地から専門的に七項目か十項目か書きまして、そうして一トン幾らという値段を出してきちっと計算したように覚えております。その計算は商社と周との間の商取引でございますから、私もこれは全額で幾らだからこれだけで引き取ってくれと言った覚えもなければ、話もない。これはトン当り倉庫料は一カ月幾らだからこれだけになる、八カ月で幾ら、チャージは幾らというふうに一つ一つの項目について計算を出しました。これは周が自分でよく知っているので出した。それを商社は商社の見地から検討して出した。私も商取引のそういう詳しい原価の出し方や何か存じませんので、ざっと見ただけですけれども、これは総額について三千万円とか五千万円とかいって出したものではなしに、一トン当りのかかった経費を地道に計算した結果がこういうふうになったということでございまして、その数字の検討は商社と周との間の商取引ですから、私その内容まで全部はタッチしておりません。
  318. 山田長司

    ○山田委員 通産省なり、あるいは農林省でもけっこうです。この輸出入協議会の人たちと周あるいは郭、松平、この三氏が一応こうした損害についての金額を明示いたしまして、陳情とはいうものの、これはかなり具体的なお話だったと思うのです。この具体的な話を切りかえている過程において、これは輸出入協議会からあなた方の方へ相談が行っているはずだと私は思うのです。全然何らの相談もなかったということはあり得ないと思うのですが、これについて、あなた方で相談に乗られるなり、あるいはあなた方の意見を申し出るなり、あるいはあなた方でわからなくても上司なりがこれについて私は折衝の衝に当っていると思うのでこすが、どうですか。
  319. 長橋尚

    ○長橋説明員 先般来御説明申し上げておりますように、本件の取引はあくまでも商業べースの上で話が成り立つものならば引き取らるべきであるし、話が成り立たなければ引き取られないでもやむを得ない、最後の場合にはその荷主に持ち帰ってもらうのもやむを得ない、特別の行政指導措置というふうなものは一切とるべきでないという態度で政府側としては一貫して通しております。従いまして、ただいまの点につきましても、これは私当時相談があったかどうかはつまびらかにいたしませんが、当然相談があるべき筋合のものではなかったかと承知いたしております。当時私おりませんでしたので、その点あれでございますが、今回決算委員会の方でお取り上げになりまして調べたところでは、一切そういった相談はなかったというふうに承知いたしております。
  320. 山田長司

    ○山田委員 どうも、証人が輸出入協議会へ行って、そうして陳情とも考えられないような値段まで出して話し合ったという過程から見まして、それまでの過程は、今証人が言われましたように、自殺するかもしれないほどの痛手を精神的にも受けておる状態のときと私は思う。それが陳情に行って、しかも陳情の過程において金額的なものまで明示されて話し合いが進んできていて、あとしり切れトンボになってしまうような結論がここへ出る結果になってきておるのですが、それではこの事件の解明はできないと思うのです。ですから、もう一ぺん証人に伺いますけれども、これは一ぺんくらいの陳情じゃなかったと私は思うのですが、一体何回くらい陳情したんですか。
  321. 松平守弘

    松平証人 それはもちろん一度ならず二度ならず――これは、私が関係して以来、それは商社筋はみな情報を聞いて知っていますし、かたずを飲んで見ておった。それで、役所も、私の方も一歩も引かないし、非常に困ったことだというふうに思っておったらしいので、協議会に集まっていただいて、行ったのはもちろん一度ならず二度ならず伺って、逐次そういうふうな話し合いになって、最後に周との間にその原価による計算ができ上って商談が成立したものでありまして、それはもちろん、一回行って、じゃこうだから三千万円出せとか、そういうふうな簡単なことではないので、私どもも真剣に、あるときはもうこれでだめか、あるときはほんとうに意気消沈して周と夜の道を歩いてとぼとぼ帰ったこともあるくらいなんで、決して一度ですぽっとできたというものではございませんし、商社もそういう再三、再四にわたる実情の話によって動いて商談が成立したものと思っております。
  322. 山田長司

    ○山田委員 どうも理解ができぬのです。一度ならず二度ならず会っているというのに、会っている人の名前がわからぬということは私はちょっと理解ができないですが、だれがあなたと会って輸出入協議会の話の対象になっておるんですか。
  323. 松平守弘

    松平証人 輸出入協議会というものは三十八社から成り立っておりまして、その中で、私もよく存じませんが、幹事役をやっているようなのが十数社あるので、行くときには、みながやがやと集まっているところへ行って説明をする。一人、二人と話をつけてこれができるものじゃございません。一流の商社の三十八社全部の大義名分が立って、そうして商社の幹部も全部うんと言わなければ、一社残らずうんと言わなければできるものではない。それで、一人、二人に実情を話したということではないので、いつでもそういうふうな協議会のおも立った幹部の方々あるいはそこへ来た協議会のメンバーの商社の人とかというのが大ぜい集っているところへ私どもが行って話したので、決して一人、二人の問題じゃございませんから、それは帰って名刺を見ますれば、どれどれということは出てくると思いますが、特にたれと話をして、そうして裏で話をして解決したとか、そういうふうな問題じゃございません。輸出入協議会全体を相手として私は話をした。そうでなければ、こういうふうな協議会というものはそうでなくてもむずかしいのが、三十八社結束して商談に応じてくれるというふうなケースは、われわれの努力、真剣な願いというものがそこに行ったのだと私は信じております。
  324. 山田長司

    ○山田委員 その衝に当ったのは第一物産だというのじゃないですか。全然あなたの方で知らぬということはどうも私には理解できないです。全然あなたはわからぬというのですか。何回か会っているうちにそういう名称は全然出なかったということでこの席を過そうというのはちょっと理解できないのですが、どうですか。
  325. 松平守弘

    松平証人 物産の人は、それは個人的に知っている人もおりました。しかし、その第一物産とかどこが幹事役になってどうしたかということは、これは輸出入協議会側のことであって、私どもはそのどこが幹事役でどれが代表でやっているかも何も存じませんので、その具体的な内容とか、そういう取引とか、そういうふうなものを特定の人とか特定の商社と特にやったという覚えは私はございません。ただ、向こうがそれを代表して口を切ったとか、説明の応待をしたとかというふうなことはございましたでしょう。それはもちろん第一物産とかそのほかの何社というふうに大きな会社は全部協議会の幹事役の中に入っておりますから、そのうちで今おっしゃれば第一物産が幹事役になっていたかもしれませんけれども、これは私の方ではわかりません。もちろん物産の方はずいぶん発言もし、話もして下すったということは今思い出せます。
  326. 山田長司

    ○山田委員 最後にもう一点だけ伺います。あなたは、この周という人、さらに周の弁護士だった人、こういう人たちと全く不仲になったという話ですが、不仲になった理由は何だったですか。
  327. 松平守弘

    松平証人 私に関する限り不仲になったということは絶対に身に覚えもございませんし、そういうふうなことはありません。もしそういうことを言う人があるとすれば、ためにせんとする発言ではないか、そう存じます。
  328. 坂本泰良

    坂本委員長 吉田賢一君。
  329. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それでは一、二点のみ質問することにとどめたいと思います。  松平証人に伺いますが、このシュウカチンンという方、これは日本にしばらく滞在しておるという方ですか、永住しておったような方ですか、もしくは何とかという商社の代表者であったのか、その辺はどういうふうに御承知でありましょうか。
  330. 松平守弘

    松平証人 周という人は香港トレーディング代表者というふうに私は承知しております。そうしてあの荷の荷主であるというふうにも承知しております。それから、貿易商として行き来しておったというふうに存じております。ただ、こちらに住居も常時置いてあって、向うに行っているときも、住居は借り放しにしてあけてあるのだ、今問題になっておる駒込のアパートのことだろうと思いますが、そういうふうに数年間にわたってそういう住居を確保しているというふうにも聞いております。
  331. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 その周と立川研究所との間に砂糖の売買契約ができておること、それはもちろん御承知でございましょうね。
  332. 松平守弘

    松平証人 その売買契約によって周があれを持ち込んだというふうに聞いておりました。
  333. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ところが、その周と立研との間の砂糖の売買契約で、砂糖が来ておるにかかわらず引き取りができない、解決ができないという最大の理由は一体何だったのですか。
  334. 松平守弘

    松平証人 最大の理由は、その契約を作成される方々日本砂糖行政全般を御存じなかった、もちろん周さんもそれを知らないで持ってきた、そこにそごがあったというふうに私は解釈いたしました。
  335. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そごにもいろいろあろうと思います。引き取りの資力とか、引き取り代金の調達の問題とか、価格の問題とか、あるいは履行についての誠実さの問題とか、いろいろあると思うのですが、そういうことにつきまして、あなたの知るおもなことを述べてほしいのです。
  336. 松平守弘

    松平証人 おもに契約価格という問題から日本割当機構の壁にぶつかったのではないかというふうに解釈しておりました。
  337. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 しからば、その契約価格というのはどういうふうなことで壁にぶつかることになったのですか。
  338. 松平守弘

    松平証人 当時砂糖の小売価格が非常に高くて――日本で高いということは国際価格も高いということなんだろうと思います。そして、ライセンスの期限とかその高い時期とかいうのに合せるために周も配船を急いで、とんでもない遠くからドミニカまで船を回して配船をした。その特別な配船料とか、そういうものに非常に経費がかかった。その経費をまるのみにして契約したがために、こちらに砂糖が着いたときに、その割当先である各メーカーは、相場のピークも去ってしまったし、もうその価格で引き取る商談が成立しなくなったのではないかというふうに私は思います。
  339. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 砂糖相場のピークが去ったということであれば、契約当時と着荷当時の相場の情勢は大きな変動でもあったということになるのですか。
  340. 松平守弘

    松平証人 相場的に見れば確かに変動はあっただろうと思います。それは相場表でも見れば……。
  341. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 具体的にはあなたは御承知かどうかわかりませんが、具体的にやはり売り買いの代金と、そして入荷した当時の相場ないしはその国際価格などとにらみ合せまして、どうせ売り約しておるのだから、いろいろと苦心惨たんして毎日十万円も倉庫料を払うというのであれば、どのくらいの損得になるのかはっきりしませんけれども、どうもその辺が私ども理解しかねるのであります。つまり、非常に高い値段で売り約しておって、そして非常に安い値段に国際相場が暴落しておったのであるかどうか。従って、そういう場合には買い手は取りにくい。なぜならば、相場がすでに下っておるから、こういう事情もあるいはあろうかと思います。あるいはまた、あと非常に高くなって、仕入れが高くついたので、引き渡しについても売り主がもっといろいろ要求するということもあり得るだろうと思う。そこの操作がどういうふうになっておったので周の立場として解決に難渋をきわめておったのか、その点を一つあなたによって御解明を願いたいと思います。
  342. 松平守弘

    松平証人 それは、根本の原因は、周が国内砂糖配分の割当方式を知らなかった、そのために、外国から日本に持ってくるのは勝手にそのライセンスでできたけれども、そのライセンスの条件によって国内に入らなかったということが根本の原因で、その商談がいつまでも延びていた。建前としては、立研の無為替輸入によって解決しようと、われわれもそう思っておりました。それが普通のアブロードの砂糖として解決するな何でもなかった。ところが、それでやるためには値段なりそういう特別な経費というものがかかっていますから、それをメーカーあたりに認めてもらわない限りにおいてはアブロードの砂糖としての解決はできない。そうすると、メーカーや何かがその価格を見るためにはすでに相場が変動していたというふうなのが真相じゃないかと存じます。
  343. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 すでに綱島君が弁護士として周から依頼を受けて法律的な措置をとりたかったけれども十分手を尽せない、結局知り合いのあなたの方へ持ってきた、こういう経緯のようにも聞えるのです。弁護士の手で解決しない。法律的な措置で解決しない。それから、立研についても、前後のいろんな証人、参考人の御意見によりますと、十分に支払いについての用意ができない実情にあった。そういうことになると、あなたの処すべき方法は、解決してあげたいと国際的な義憤に燃えておっしゃっておりましたが、解決したいというのであるならば、これは何か相当な確信がなければ容易に手を下せないという段階にあったのではないかと思うのであります。その点について、漫然と引き受けたということになると、今千葉精糖が金を出した、ただし奏効しなかった、失敗したじゃないか、金を返せというような問題が起ってきたのだろうと思うが、その点についてどうもまだ私どもははっきりしないのでありますが、どうすれば解決するというふうに考えておったか。さきにおなたがおっしゃったような、ライセンスの内容が非常に外人のために不親切であったといろいろ御非難になっております。しかし非難は非難として、それはそうとして、どうすれば解決する、こういうふうにあなたとしてはきめ手でも持っておったのであろうかどうであろうか、この辺がどうもはっきりしないのですがどうですか。
  344. 松平守弘

    松平証人 立研の無為替輸入による砂糖というもののワクは、その前年度のワクに入っている。その年のワクには入っておらない砂糖だ。ですからその年のワクからいうと、さっきそこで問題になりましたが、ワク外の砂糖と解釈してもいいわけなんです。そこで前年度の許可による、あるいは前年度のワクによる一万トンというものですから、私の解決方針はその年の数量のワク外の砂糖といたしまして、そうしてそれに対して商割なり特別措置なり行政指導なりによって、これを解決するということは、この問題が解決しない二点、さっき申しましたように、国内配分の割当の問題からのネックと、もう一つは価格のネックと二つのネックを解決してやらなければ周を助けることはできない、その二つを解決するためには商割によってその配分をゆるめてやるという以外には道はないので、そこでその年度のワク外の砂糖として扱ってこれを処理するならば処理し得るというふうに思いました。その処理しなければならないという大義名分によって、大上段から陳情をして回るならば、必ずわれわれの誠意は通って周の苦境というものを脱することができるというふうに、私は確信をしておりました。
  345. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 解決の手段として、行政措置をとるならば解決の道がある、そういうふうにあなたは信じてだんだん陳情したように言っておりますのだが、それならばいろいろ陳情をする相手方があって、判こを押してあるところを全部回ったと言っているのだが、上の方、下の方、あるいは担当の課長、係長、そういうところをおしなべて見たときに、中心の責任者とか最高の責任者というところでは、真実どういうふうな意向を漏らしておりましたか。たとえばそもそも無為替輸入に少し無理があったのじゃないか、一たん無為替輸入許可した以上は――無為替の期限が切れて失効した翌日に船が入港しているじゃないか、すでにドミニカから日本へ入る約一カ月余の航路もそれを計算するならば、それは何とか延長すべき手があるのではないかとかなんとか、あなたとしては十分な陳情書を書いたというのだから理由も述べたと思うのですが、そういうことに対する理解を深め、理解を求め、解決するの案を提示したりいろいろと陳情しておった。その途上、たとえば上層部の人らは一体どういうふうに言っていたか、ただだんだん政府側の話を聞けば、やはり成規の有外貨の必要な措置をとる以外に道はないという一本できたという話なんです。それほどにべもない態度で終始してきたのか、そうでなくて前後の事情から見て、あなたの言う行政措置ないしは何かそこに反省の話も出たのではないか、こういうような点が相当出ておると思う。それを一つあなたに明らかにしてもらいたい。質問の趣旨はおわかりでございますね。多く述べていただかなくてもよろしゅうございますから。
  346. 松平守弘

    松平証人 砂糖行政は、大体官庁の上層部は、担当の人でない限り詳しいことはわからない。ただ受けた印象によって、それは周さんはお気の毒だから何とかしなければいけないということで、担当の人に話をしてあげましょうというぐらいのことはもちろん言ってくれますが、その次返事を聞きに行けば、それはできませんということで、立場には同情するけれども、行政措置としてはいかんともしがたいという返答を得ました。
  347. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっとくどくなるようですけれども、無為替輸入許可にどうしても無理があったというような印象は、これらの人々から受けませんでしょうか。無為替輸入当初の立川の提供すべき特許権なるもの、それから立川と、最初は東方貿易行との契約になっているのでしょう途中から東方貿易行というものはなくなってしまっているのです。綱島代議士並びにあなたの御説明等によるなら、東方貿易行という名前はなくなっておる。でありまするので二つの売買契約というものがあるらしい。そこでどうも無為替輸入そのものに本質的な疵があったのじゃないか、形式的な瑕疵があったのじゃないかということも推定されるのです。そういうことならば相当な反省がそこにあってしかるべきでないかと思うのですが、あなたの方でそんな印象を受けるような政府側の言葉は全然なかったのですか。
  348. 松平守弘

    松平証人 その立研のライセンスに対する責任官庁の責任というものについての反省は、残念ながら私は認められませんでした。そういうような許可を――これもわれわれみたいに陳情して回ったのだろうと思いますけれども、そういうものを押し通してもらって、まあこれができなかったからよかったというふうな印象は受けましたが、その自分の出した書類に対しての責任というものは私はあまり感じられなかったので、これはたとい自分の役所で出したものでなくとも、少くとも政府が発行した文書に対しては、やはり責任と重大な反省と、それに対する処置というものを考えていただきたいと、そのときは実に残念に思いました。
  349. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そこで最後に聞いておきまするが、結局解決したのですね。今山田委員の質問に対する御答弁によりましても、三十八の会社がそれぞれトン当りの経費などを幾つかの費用によって計算をして金を出した、こういうことになっておりますね。一体これはだれのために出したのですか。まああなたはそこまで関知しなかったかわからぬ。倉庫料二千万円ばかり行っておりましたね。ちょっと長橋参事官に伺いますが、たとえば二千万円の倉庫料がこの際三十八社から支払われたといたしますと、これは砂糖の代金じゃないですね。砂糖の代金の決済は別にされております。しからばそれに伴うところの各般の経費であるのだけれども、八カ月も倉庫に寝ておった、翌々年になったものもあるやにちょっと聞いた、三十二年にまで引き渡しがおくれたものがあるやに聞いたのですが、これはちょっと末の問題ですからのけておきまして、ともかく問題の一つは、この間から問題になっておりますいわゆる見越し輸入、陸揚げしないでほったらかしておる問題もやはり問題であると思いますが、そこで結末として、解決の際に倉庫料二千万円が三十八社によって支払われたとすると、これはやはり香港トレーディング・カンパニーに対して支払ったことになるのじゃないだろうか。周に支払ったというのじゃない、周は個人じゃない、綱島代議士の御説明によってもそのトレーディング・カンパニーの代表者の一人であるということであります。そうすると香港に在住する日本の非居住者の商社に対する倉庫料の支払いになるのじゃないだろうか。もっともこれは香港。上海バンクが最後荷主のような格好になっておりますけれども。そこでどの段階でそういうふうに名前が切りかえになったのかちょっとはっきりしませんけれども、実質は、やはりどうも本来の荷主に払ったことになるのじゃないかとも考えるのですが、その点はきょうの証言によりまして、やはり三千万円ほど支払ったと言っておりますし、内容倉庫料は、この間の参考人の証言によりまして、二千万円余りあったということも大体確実であります。これはどうなんですか。外国の商社に支払うということになって一つ制限を受けるべきものじゃないか。もっとも、これは今ここで私は商社を責めるという気持はないのでありますけれども、どうもそこが一つの抜け穴みたいになって、こういう制度が一方的に悪用される危険があるという観点から伺うのです。これは制限を受ける対象になるのじゃないですか。
  350. 長橋尚

    ○長橋説明員 具体的な事実関係の問題でございますが、その辺によって結果が変ってくると存じますけれども、私が現在まで調べましたところでは、いわゆる日本の居住者たるユニオン・トレーディング――香港トレーディング・カンパニーの日本法人としての実質上の支店というふうなものに、香港上海銀行を通じて支払われたように、調査が現在までのところでは出て参っております。その場合に、実際上の問題といたしましては、ユニオン・トレーディング・カンパニーが、その倉庫料その他を受け取ったといたしまして、それを非居住者たる香港トレーディングのために送金をするというふうな申請が出て参りますとすれば、その際にこれは当然具体的に問題にせざるを得ないということでございまして、そういった場合には、大体今までの一般的な行政方針といたしましては、否定的な線で臨むことになるケースだと存じます。
  351. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これはあなたによってはちょっと明らかにならぬ。明らかになりませんが、これは一つの何か将来の問題もありますので、後日に一応残しておきましょう。  最後にちょっと証人に聞いておきますが、あなたの立場は非常に微妙な面もあるし、複雑な面もあるし、いろいろ多岐にわたった活動をしておられ、どういうふうに判断していいか迷う面も実はあるのでありまするが、大石代議士の名刺問題を初めといたしまして、最終の解決等に至りましても、なお若干の疑問がこれに残るのでありまするが、一応ただいまのあなたの心境を聞いておきまして、私の質問をきょうは終ります。
  352. 松平守弘

    松平証人 ただいまもお話の出ました大石先生綱島先生稲富先生と、名前が出ましたことに対して、これは私の不徳のいたすところと思って、国会議員の方の名前がそこに出てきたということについては衷心からおわび申し上げる、それだけでございます。ただ今回の件を通じまして私非常に苦しい立場、もう言うに言われない立場に追い込まれまして、少くともこれは金をどうしたという問題ではなしに、人の命をどうしたというふうな問題まで出て参りました。私のおじというのは、ここの議会で十数年やって参りまして、貴族院葬まで受けた。その人の名前まで引き合いに出され、知人からは、まさかやったんじゃないだろうけれども、もしかしたらという疑いまでかけられ、子供は、私どもに言わないで、女中に小さな声で、パパは犯人じゃないでしょうというふうに言われる。ここまで追い込められて、さてそれじゃどういうことを私がやったかと申しますと、千葉糖の問題にいたしましても、このドミニカ糖の問題にいたしましても、ましていわんや周の問題にいたしましても、私に一つとして身に覚えのあることはないので、こういうふうなことが国会の権威と議員の品位のもとに行われるということは、非常に重大なことになると思います。そこで私はその点ははなはだ遺憾と存じますと同時に、私の言ったことが事実であるかないか、久保田氏は参考人として呼ばれておりますが、証人としてもう一度喚問していただきまして、私の真の意思とその潔白さというものが証明されますようにお願い申し上げたいと思います。それだけでございます。
  353. 坂本泰良

    坂本委員長 以上をもちまして松平証人に対する尋問は終りました。  松平証人には長時間を御苦労でした。退席されてけっこうです。  それでは、次に杉本証人に対する尋問に移ります。  まず委員長より証人に二、三お尋ねいたします。証人の御職業は何をしていらっしゃいますか承わります。
  354. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 現在京橋二丁目十一番地でマージャン・クラブを営業しております。
  355. 坂本泰良

    坂本委員長 次にシュウカチン氏との知り合い関係は、いつから始まり、どういう御関係にありましたか、その点を御説明願いたいと思います。
  356. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 周さんとの最初の友人としての交際の始まりは、大東亜戦争に突入をした一、二年後だったと思っております。ある私の友人を通じて知り合いになったのであります。私は当時上海の共同租界工部局警察の特務課長をしておりました。その当時周さんと知り合いになりまして、周さんは、その当時上海大学を出られまして、上海にありまする広東銀行の行員をなさっておりました。非常にまじめな、りっぱな、教養の高い青年でありましたから、私は公私ともにめんどうを見てつき合っておったのであります。終戦までずっとそういうふうにして交際をしておりました。そうして終戦になりましてお互いに消息がわからなくなったのであります。ということは、私は昭和二十一年の三月に上海から引き揚げて参りました。そうしてお互いにもうわからないのです。生死も不明であります。ほかに周さん以外にも友人はおりましたけれども、これはさっぱりわかりません。私は引き揚げて参りまして山口県庁に二月ばかり勤めました。  それも私は感ずるところがあってやめまして、そうして門司市の昔いったやみ市場、そこに私は入りまして、そうしてゴム製品関係の商品を取り扱って商売をしておりました。それから昭和二十六年だと思いますが、周君から電報が参りまして――その周君というのもはっきりわからないのです。私のところに突然電報が参りまして、東京に来たので会いたい、そういう電報が参りましたので、私は東京に参りまして、そうして周君と会って初めて周君だということがわかった。そうして約六年ぶりにお互いの生死がわかったと言って再開したのであります。
  357. 坂本泰良

    坂本委員長 次に昭和三十年、三十一年ごろ、証人は現在お住まいのマージャン・クラブのところを周さんに事務所として貸しておられたと聞きますが、そうであったかどうか、その事情を簡単でよろしゅうございますから御説明を願いたいと思います。
  358. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は東京に参りまして、昭和二十九年の八月からマージャン・クラブを開業して営業をしておったのであります。その翌年の、三十年の五月ころだったと思います。周さんが参りまして、日本で貿易関係の仕事をしたい。そうして、その当時周さんは芝パーク・ホテルにとまっておりました。約三週間くらいとまっておった後に、私に、どこか適当なアパートか何かないか、もしあったら自分に心配してもらいたい、そこに移りたいというものですから、新聞広告によって、第一東京アパート、そこに一緒に行きまして、そしてすぐそのあいておった部屋を借りたわけであります。そうして周さんは用事があれば私のところに参ります。用事がないときは来ません。そうして事務所というものは私のうちにはないのであります。周さんの事務所というものはうちの店にはないのです。周さんがよそに行って事務所と言ったかどうかそれは知りませんけれども、周さんの事務所というものはうちにはありません。用事があるときに私のところに寄って、電話をかけさせてくれとかなんとか、これは長年の友人のことですから、ああお使いなさいというて、用があるときにはうちに寄っておったような状態であります。
  359. 坂本泰良

    坂本委員長 そういたしますと、金庫かなにか、特別な部屋を貸しておられたような関係はありませんか。
  360. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 そういうことはございません。
  361. 坂本泰良

    坂本委員長 三十年、三十一年当時に、シュウカチンン氏はどういうことをしておられたか、知っておられるならば聞かせていただきたいのです。
  362. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 三十年の五月か六月ごろだと思いますが、今申し上げたように、第一東京アパートに移りまして、ときどき私のうちに遊びにきたときに、何かやるのかと聞きましたところ、いろいろ自分も研究しておる。何か貿易関係のことをやりたい。それ以外ただ遊びに来るだけで、私は友だちとして、あまりそう本人の立ち入ったことも聞く必要はないし、それで本人は、ただ何か貿易関係のことをやりたい、こう申しておりました。
  363. 坂本泰良

    坂本委員長 その程度ですね。貿易関係の仕事をやりたいという程度だけで、いろいろどういう仕事を具体的にやっていたというようなことは御存じないのですね。
  364. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それは存じません。また本人としても来たばかりでありますし、どういう商売をやるという、確定したことはなかったらしいのです。
  365. 坂本泰良

    坂本委員長 次にお伺いしたいのですが、昭和三十年の十二月三十日に、シュウカチンン氏は第一アパートにおいてガスの中毒で死んでおるのですが、その朝、あなたはこのアパートに行かれましたかどうか、行かれましたならば、そのときの状況を簡単に御説明願いたいのです。
  366. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 ちょうど十二月の三十日の朝の八時過ぎだと思いました。私はまだ就寝中で、寝ておりました。ところが東京アパートの女中さんから私のところに電話がありまして、周さんがおかしい、変だから、こういう電話がありましたから、私は、おかしいというのは一体どんなようにおかしいのか、病気か。何だかとても上ずった、せき込んだ声で言うもんですから、もし病気ならばあなたが適当に付近のお医者さんを呼んで、そうして診察してもらうようにしてくれ、私もこれから行くから、と言って電話を切りました。それから起きて身支度を整えて、タクシーでそこに直行しました。直行しましたところが、周さんの部屋は二階の洋間でありますが、アパートの女中さんに会いまして、一体どうしたのと言ったら、周さんがもうだめなんです、死んでるんです、こう言う。でありますから、私はとりあえず二階に上って、周さんの部屋に行ったところが、もう警察官の方が一人お見えになって、そこにおられました。それで一足か一定中に入りまして、周さんのベッドの横に行って、周さん、とこう呼んだけれども、あたかも眠っているような格好でもって死んでおった。それで私はその部屋を出まして、下の、アパートの管理人のいる事務所に行きまして、おばさんに会いまして、そうして一体どんな事情であったのかということをいろいろ尋ねました。そうしましたらおばさんが言うには、周さんは元来朝早く起きる方であります。たいてい七時前には起きて、自室から出て、ミルクと新聞をとりにおりてこられる。けさに限っておりて見えないものだから、どうしたんだろうと思っておったけれども、起しには行かなかった。ところがだれかから電話がかかってきたものだから、これは周さんを起しに行かなければならぬと思って、起しに行ったところが、そういう状態だった、というのであります。それで私も、一体周さんはゆうべ何時ごろお帰りになったかと尋ねましたところ、十二時半ごろ帰られて、そうして何かたいて召し上って、それから休まれた模様だった。そうしますと、私もその前夜、二十九日の晩に周さんと食事をともにしておるのであります。ですから一体何時ごろ帰られたと言ったら、十二時半ころだ。私は、二十九日の晩は土曜日でありまして、商売上土曜日は忙しいのです。そうして店の手伝いでいろいろ仕事をしておりましたときに、たしか七時前後だと思いますけれども、周さんがひょっこりやって来まして――元来周さんは用事があるときは昼ときどき来るのであって、夜来たことはないのです。それが夜おいでになって、杉本さん、チュニヤウェ(吃年夜飯)こう言うのです。チュニヤウェというのはシナ語ですが、大体年末になりますと、中国人の習慣として、親しい友だちとか、またはいろいろな人と御飯を食べるという習慣があるのです。一緒に御飯を食べにいかないかと言われるものだから、私は、それじゃ一緒に参りましょう、それで二人で出かけて――どこに行くのと聞きましたら、どこでもいいから、あなたの好きなところに行こうということですから、私は、それじゃ築地の勝鬨橋の天竹といって、フグ料理屋がありますが、フグを食いにいこうじゃないか――その前フグを食べにいったことがあるのです。ですから、ああそこだったらそこに行きましょう、私も食いなれて、あれはうまいからというので、フグを食いに行って、そして二人で三人前食いました。そのときもう八時ちょっと過ぎておったのですが、周さんが言われるのには、八時半ごろからある友人に会って、そして十時には自分が経営するPXの中にある洋服屋に行かなければならない、こう言うので、たしか八時半ごろだったと思いますけれども、私はそんならもう早く切り上げて、私もきょうは忙しいからと言って、そこで別れました。そして周さんはそこで友人のうちに行きたいと言ったから、行ったのでしょう。私はそこで別れまして、うちへ帰ったわけであります。
  367. 坂本泰良

    坂本委員長 当日正午ごろ、郡という弁護士外二、三名が、あなたのうちを訪問されたことがありますか。訪問されたならば、そのときの会談の内容を簡単にお話願いたいと思います。
  368. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 時間ははっきりわかりませんが、周さんがなくなったということを、私は周君の奥さんに早く知らしてやらなければならない――周さんの中国人の友人関係に関しては、私は紹介されたこともないし、全然知らないのです。ですから私は周さんとの長いつき合い上、自分の友だちが死んで、このことを早く奥さんに知らせなければならないということを思いまして、アパートのおばさんにいろいろ事情を聞いて、私はアパートに二時間以上おりました。そして私がおる間に、アパートには中国人はあまり来なかったのです。それで大体お昼過ぎにうちへ帰りして、時間ははっきりわかりませんけれども三人だったと思います中国人の人がうちへ見えて、杉本さんですか、杉本です。――私は三人とも面識がないのです。ですから、何の御用でしょうと言いますと、あなたは周さんから預かったものがあるだろう、それを出して見せてくれ、こう言われるのです。ちょうどその前に周さんの奥さんに電報を打って、電話を早くかけてくれ、周君がなくなったから、とにかく早く東京に来るようにしてくれという電報を打った後だったと思いますが、私はそういうふうにして、友だちのために早く奥さんに知らせてやりたいと心配しておるさ中において、見も知らない中国人の方がうちにおいでになりまして、周さんから預かった品物があるだろう、それを出して見せろ、こう言われた。ですから私は、あなたは一体だれですか、あなたはどういう権利があってそんなことを言うか、お互いに見も知らぬじゃないか、それは私は周さんから預かった品物はない、しかし心やすいから周さんはときどきうちに見えて、物を置いて帰られる、置いた物は自分で持って帰られる、一々私の手を経ずにやっておられた、ですからそういった物を出して見せろと言われても、面識のない、幾ら中国人同士であるか知らぬが、周さんとどんな関係があるかわからない人に、それならと言って、私があるかないかわからないものを見せてやる必要はないと私は思った。ですから、あなたはどなたですか、何のためにあなたはそういうことをうちへ来て言うのか、と聞きましたところが、私から一喝されてその人が、実は私は周さんの生前から親しく交際していた弁護士である、こう言われたものですから、ああそうですが、弁護士さんなら正しい人だ、やはりあなたも、周さんのためを思えばこそ、周さんに尽してやりたいというお気持で来られた、それは私は今納得しました、それであるならばどうぞこちらにおかけ下さい、預かったものはないけれども、周君がいつも習慣にして置いていくから、あるいはそれはあるかもしれないというので、どうぞあなた方も一緒に来て下さいと言ったのです。私の居室の隣に私の物置とか押し入れとかに兼用している小さい部屋があるのです。それは戸が締まるようになっている。私は周さんにいつもかぎをやってある。自分でもう一々なんだから、とにかく大事なものをうちに置いてもらっては困る、アパートに置いてもらいたいといつも言っておるのですが、いつ来て何を置くか、一々干渉しないし、また周さんも私という人間を信用しておるから、いろいろな買いものをしたり、洋服なり何なり、一々私に言わずに、私もおらぬ場合もありますから、任意で自分で置いていく。そこで私聞かれたときに、預かったものはないけれども、ひょっとしたら置いたものがあるかもしれないと思った。ですからあなた方の立場はよくわかりました、一面識もないから私はどなったけれども、しかしあなた方のその立場はわかりました、それならばといって、私は周さんがいつも置くところに連れていって、あなた方どうぞ見て下さい、そうして見せてあげたのです。それでそこの中はトランクとかなんとかいうものは全部私のものでありまして、私の家族のものもありますし、雑然とした物置なんです。トランクがあって、周さんに私はもし君が何でも置いていくようなものがあったら、このあいだトランクを使いなさいと言って、戸のかぎは周さんに渡してある。ですから周さんは任意にいつもあけて、私らに何も言わずに置いていったり、それから自分がほしいときには来て持っていくというような状態ですから、そこをあけてみせたら、そこから正方形に包んだふろしき包みが一個出てきた。それからハトロン紙に包んだものが一個出てきた。どうぞ見て下さ「、そのほかにあなた方が私にもし疑点があるならば、私の私有物でも全部お探し下さい、全部見なさいと言って、その三人の方に私は見せてやった。そうしてこっちの応接間の方に行きまして、私は、元来ならばこれは周君の奥さんに一番初めに見せてやらなければならない品物である、しかし私がとった態度はあなた方は非常に不満としておられるようだから、あなたが弁護士さんだというところで私はあなたを信用して、それだからお互いに目の前で何が入っておるかそれをあけてみようじゃないかといって、そのふろしき包みをあけてみたところが、これは現金だった。もう一つの紙包みの中には時計が十七、八個入っておりました。それで私は弁護士さんに、これはうちに置いておって、もしなくなったりとられたりしたら大へんだから、あなたが一つちゃんと保管して下さい、奥さんが来られるまでそれをちゃんと保管しておいてもらいたい。――もう一つ今思い出しましたが、周さんの黒い折りカバンが一つあったのです。これは私のトランクの中に置いてなくて、物置のトランクの横のところに置いてあった。それも一緒に持ってきて、その折りカバンはちゃんと包んで、これは封印しなさい、そうしてそれを封印したわけです。そしてその邵という弁護士に、あなたは私が見たところよくわかった、間違いないと思うから、周さんの奥さんもやがて来られることだから、間違いのないように保管をしていただきたいと言って、全部持たして帰さした、そういうわけであります。
  369. 坂本泰良

    坂本委員長 その現金は相当多額のものだったと聞いておるのですが、幾らありましたか。
  370. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それはみんな立ち会いで勘定してみたところ、千円札で百七十万円ありました。
  371. 坂本泰良

    坂本委員長 最後にもう一つですが、このシュウカチンン氏はどうもガスの過失死ではなくて、ほかから他殺じゃないかというような疑いがあって、周さんの奥さんがこっちに参ってからも、そういう疑いをずいぶん持っていた、こういうことを聞くのですが、他殺ではないかという点について、証人は何か心当りはありませんか。
  372. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 周さんと一番最後に別れたのは二十九日の晩でありまして、そのときの二人の会談の内容をお話しいたします。周さんはその年の八月ごろから洋服屋を開業して、商売も順調にいっておったようです。それで私は周さんに、お正月には一つ遊びにいらっしゃい、雑煮でも一つうちで食べてくれと言いましたところ、周さんは正月にはスキーに行かなければいけない――赤倉だったと思いますが、スキーに四、五日行った。そういうことになっておるから、正月はお宅には行けない。そして旧正月にでもなったら妻子がいる香港に保養かたがた帰りたいと思うと言って、非常に希望に満ちた、何も悲観をするような状態でなかったのです。そしてまたこの人の人柄として、私は周さんが大学を出て銀行に入りたてのほやほや時代から知っておりますが、非常にこの人はまじめな温厚な教養の高い紳士なんです。そういう関係でありまして、周さんのことを悪く言うような中国人はおそらくだれもいないというくらいにまじめな方です。でありますから、人から恨みを買って他殺をされるというようなことは、私の知っている限りでは毛頭ないと思うのです。それとまた自殺じゃないかとも私は考えた。しかし自殺をするような原因も、何も私の知っている範囲内では周さんにはないと思います。それでまた私もアパートにかけつけまして、アパートの女中さんから前後の事情を聞きまして、いろいろだれか入った者はいないか、だれかどうかした者はいないか。――私も昔十六年間警察におった経験がありますから、そういう変事の場合においては、やはり個人としてもこれはどうであるかということを突きとめたいのです。それでありますから、私はおばさんに根掘り葉掘り聞きました。そしていろんな状況からして、やはりこれは間違ってガスを締め忘れたんだなと、私はそう思いました。
  373. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長からの質問は以上をもちまして終りました。  それでは次に委員各位より質疑応答の形で証言を求めることといたします。山本猛夫君。
  374. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 証人に伺いますが、周と日本で再会されましたのは何年の何月ですか。
  375. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私が開業しました翌年、昭和三十年の五月ごろだったと思います。
  376. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 再会して何かあなたが御一緒に仕事をされましたか。
  377. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 仕事はいたしておりません。
  378. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 周は日本に何の目的で来たかを御承知でございますか。
  379. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は周さんが参りましたときに聞きましたところ、周さんは日本香港の貿易関係のことをしたい、そう申しておりました。
  380. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 周は日本で一万トンの砂糖輸入いたしましたが、このことに関係してあなたに何か御相談がありますとか、あるいはまたその間の事情をあなたが御承知でございましたら、伺っておきたいと思います。
  381. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は周さんに東京アパートの部屋を心配してあげたのは、たしか六月ごろだったと思います。それから一月くらいたってから周さんは香港に帰られました。はっきりした滞在日数は覚えておりませんけれども香港から帰って見えられて私のところに来たものですから、周さん何の用事で帰ったのと言ったら、実は砂糖の商売を始めるので、香港に帰って友人連中と会って、資金関係のことを相談してきたんだ、そう申しておりました。
  382. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 あなたは京橋二丁目の十一番地にマージャン屋を経営しておられるわけでありますが、大へん立ち入ったようなお尋ねで失礼でございますけれども、お話の順序としてやむを得ず伺いますが、このマージャン屋はどれくらいの価格でどなたからお買いになりましたか。
  383. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 前の経営者は大野博という医学博士であります。実際に仕事をしておられた人は、その人の奥さんで大野朝子さんという人であります。私が買い受けた値段は三百三十万で買いました。
  384. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 これも大へん立ち入ったことでまことに恐縮に存ずる次第でございますが、あなたがこのマージャン屋の権利をただいまの金額でお買いになった、世上その金を周が出している、こういうふうに伝えられておりますが、さような点はいかがでございますか。
  385. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は周さんから金を借りて買ったのじゃありません。私はみずからの資金においてそれをまかなったのであります。
  386. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 周との間に金銭上の関係、たとえば貸借関係でございますとが、そういうようなものはございませんか。
  387. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 貸借関係はございません。
  388. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 さいぜんの委員長があなたにお尋ねをされましたことで大体わかりますけれども、周から金銭等をお預かりになったとかというような事実はございますか。
  389. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 そういうことはありません。これを預かってくれというて預かったことはありません。ただ先刻も申し上げた通り、私は周さんがいつもときどき来てデパートから買ったりいろいろなものをうちに置いたりしますから、もしとられてはいけないから、ここの方が安全だから――私の方も人の出入りが多いから、もしとられちゃいけないからというので、もし置くならちゃんとこの中に置きなさいと言って置かしておったような状態であります。
  390. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 あなたは周がなくなったことを電話で知らされて直ちにかけつけられたという話でございますが、先刻のあなたのお話では、かけつけられてから二時間ほどそのアパートにおられた、こう言うのでございますけれども、先般ここへ出頭せられました証人の証言によりますと、三十分くらいしかそこにおらずにすぐお帰りになった、こう言っているのでございますが、その間の食い違いについてもう一度伺っておきたい。
  391. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それは私が一等最初にかけつけたことは事実であります。そうして一階に留守番の警官の方もおられました。それで私が行っておばさんにいろいろなことを聞くまでに、中国人の姿は私は見なかったと思います。そうしますと、私が着いて三十分しかいなかったということは私よりか前に着いておれば私が三十分以内にそこを立ち去ったということは言えると思いますが、私よりもあとに来て――何時に来られた方か知らないけれども、三十分しかいなかったということは、私はそれは間違っていると思います。何を根拠に置いて三十分しかいなかったか。
  392. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 三十分しかおらなかったということはそこの管理人の話であった、こういうのでございます。それであなたは何時に行かれて、何時にそのアパートを退出されて、そしてすぐお宅へお帰りになったのか、あるいはまたよそへお回りになったのか、伺っておきます。
  393. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 はっきりした何分何秒ということは、これはもうわかりません。一々時計を見てあれするんじゃありませんから。大体私が向うへ着いたのが九時ちょっと前ごろだったと思います。それからおばさんにいろいろ話を聞いたり、その他の状況を見たり、いろいろ廊下の方を見たりして、私は二時間くらいおりました。それから帰りは駒込の方まで行って、それからタクシーを見つけて、早く奥さんに電報を打たなければいけないというので、私はタクシーでうちへ帰りました。
  394. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 あなたの御証言によりますと、大体九時ごろそのアパートに到着されて、二時間ぐらいと申しますと十一時ごろそのアパートを退出された、こういうことになりますが、十時にそのアパートに行っている中国人があるのでありますが、何か時間のお考え違いはございませんでしょうか。
  395. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それは何時にだれがお見えになったかわかりませんが、私は管理人の部屋の中で話をしておるのです。いろいろ聞いております。それで外部から来た人も私を見なかった人もおるでしょう。私もまた来た人を見なかった場合もあったと思います。
  396. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 十時にアパートに行かれた方は、直ちにその管理人にお会いになっているのです。――まあよろしゅうございましょう。  それでは次に伺いますが、先刻のあなたのお話によりますというと、まず第一に、周未亡人にその事態を知らさなければならないということで、電報をお打ちになった。そこで電報をお打ちになって、未亡人はあなたのところへ電話をおかけになられたわけでございますか。
  397. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 時間もたしか三時か四時ごろだと思いますが、香港から電話がありまして、一体どうしたことでしょう――電話がありましたものですから、私は電話でもって大体の要点だけお話しして、そうしてみんな友だちも来ているのだから、死体の方をどうしたらいいのか、どんなふうに処置をしたらいいのかと聞きましたところ、私もできるだけ早く参りたいと思いますが、私が来るまで死体をそのままにしておいていただきたいというお話でありました。それで私は、日本の習慣としてとにかく死体はなるべく早く処置をしなければいけない、そうしてまたアパートの人も、非常に困ると私に言っておりました、そう申しましたところ奥さんは、それではまたいろいろ相談をしまして、また明日電話をかけるからと言って、電話を切ったのであります。
  398. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 火葬はいつしたのでございましょう。
  399. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 翌日が十二月三十一日であります。十二月三十一日の正午ごろ電話がかかって参りまして、いろいろ相談した結果、死体はそちらで処置をしていただきたい、そうして私の方はできるだけ早く、今手続をやっておるから、大体正月の六日ごろにはそっちに行けるだろうというお話でありました。
  400. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 あなたは先刻、二、三の中国人が、周の死後あなたのお宅をたずねられて、そのとき包みやカバン等を一緒にごらんになった。その前田に、周の友人たちがあなたのお宅を訪問いたします前に、あなたは周の所持品等をごらんになったようなことはございませんでしょうか。
  401. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 そういうことは絶対にありませんです。
  402. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 あなたは高橋俔子あるいは高島俔子、どちらか私よく知りませんが、この俔子という女性を御承知でしょうか。
  403. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 承知しております。
  404. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 姓は何といわれますか。
  405. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 高島と申します。
  406. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 この高島俔子さんが周の使用人になったのは、だれの紹介でございましょう。御承知でしたら……。
  407. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 周さんがPXの中で洋服屋を始めたときに、私のところに参りまして、だれかまじめな店員はいないか、もしいたら一つ心配していただきたい、こう私に話すものですから、それでは探しておこうと言っておりました。その後一週間か四、五日たってから、私は高島俔子さんを思い出しまして、この人は育ちもなかなかりっぱな家庭の女性だし、また私のかっての同僚でありましたところの松井という奥さんの妹さんです。でありますから、こういう人がおるのだが、どうだろう、周さんどうですかと聞いたら、それは、そういう人だったら非常にいい。また高島俔子さんはドレメの教養のある方でありますから、洋服屋さんには、寸法とったりするにはちょうどよかろうというところで推薦したのであります。
  408. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 最後にもう一点承わりますが、実はおとといの朝、香港の周未亡人から、私の友人のところへ手紙が参っております。しばしばこの未亡人から手紙が参るのでございますけれども、あなたのところに通信はいかがでございますか。
  409. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私のところには、周さんがなくなってから、自来ございません。
  410. 坂本泰良

    坂本委員長 神近市子君。
  411. 神近市子

    ○神近委員 大体私がお尋ねしたかったことは、委員長の御質問と山本委員の御質問で尽きているように思いますので、私は補足的に少しお尋ねしてみたいと思います。この問題はいろいろ疑惑を生んでいる点がございますので、私はもう少し周氏がなくなった朝の様子を伺いたいのでございます。  東京アパートと申しますのは、二階に周さんがいたということでしたが、そのアパートは何室くらい持っているアパートでしょうか。だれもそのアパートは知らないのです。
  412. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私も何室部屋があるかはっきり部屋数を存じません。周さんをあそこに世話してから、私はほとんどアパートの方に行ったことがないんです。それでアパートの話をつけて、周さんがお移りになった後に、アパートの管理人に、こういう所にいる、電話番号はこれでありますと言っておきました。大体十二、三くらい――下と二階がかぎなりになっておるような建物でありまして、周さんがおられた部屋といいますのは、洋間であります。ほかは大体畳が敷いてあるような模様であります。
  413. 神近市子

    ○神近委員 洋間といいましてもいろいろ段階がありますが、非常にきちんとした洋間であるか、あるいは今日の郊外によくある、げたばきアパート式のがたびしの洋間であるのか、それはどっちの方でしょう。
  414. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 東京第一アパートは割合に高級的な建物であります。それで家賃も高いんです。家賃も大体八千円くらいだったと思います。部屋の広さというと約六畳あるなしくらいの広さでありまして、そしてベッドが一つ置いてあって、いすとテーブルと洋服だんすみたいのが、全部アパートの方から部屋についているものであります。そうして玄関のところはちょうど引き手がありまして、ドアをあけますと三尺角くらいの踊り台みたいなものがありまして、さらに左側にまたドアがついている。それをあけますと居間に通ずるのであります。そして居間に入りますと、それが一部屋で、今度は右側の方にドアがありまして、そうしてそこは台所、台所といいましても三尺角ぐらいしかありません。それから便所が三尺角くらい、ちょうど畳一畳くらいの広さになっておるところであります。
  415. 神近市子

    ○神近委員 そこに小窓があるのですか。
  416. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 つまり台所と便所の間にまたドアがありまして、そうして小窓というのは、実ははっきり大きさはよくわかりませんが、そこに一つと、それから部屋の中にも小窓があるのです。それは大体幅一尺か二尺くらいの窓であります。部屋の中にも小窓がありまして、その小窓は外側の階段の方に面した窓であります。そうして室内に入りまして突き当りに大窓があるのです。
  417. 神近市子

    ○神近委員 その外側の階段というのは、非常口か、そういうものですか。それとも出入口なんですか。
  418. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 正面玄関をまっすぐ入りまして、ちょうど突き当りの位置に階段があるのであります。それで階段をぐるっと上ると廊下がありまして、そのとっつきの部屋であります。
  419. 神近市子

    ○神近委員 その周さんという方は、いつも時分の居間にかぎをかけていなかったのでしょうか。その朝はかけていなかったのですか。
  420. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 周さんの日常のアパートにおける生活状態は、東京第一アパートの女中さんのおばさんがよく知っておるのであります。周さんは特にいろいろと心づけをやられて、また周さんも非常にいい人なものだから、おばさんも周さんのためにはいろいろ尽してあげていたような状態であります。
  421. 神近市子

    ○神近委員 それで大体わかりましたけれど、あなたがおいでになったときに、すでに室内にだれか一人いたようにお話になったのですが、それはだれだったのでしょうか。
  422. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それは警察から派遣された警察官であります。入口に立っておられたのであります。そうして私は周さんと呼びましたけれども、もうなんだからなるべく入らぬようにして下さいと言われたのであります。
  423. 神近市子

    ○神近委員 じゃ検視前ですね。検視がまだ済んでいなかった……。
  424. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 さようでございます。
  425. 神近市子

    ○神近委員 それであなたはベッドのそばまでいってごらんになったのですか。
  426. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 ベッドのそばまでいって見ました。そうして周さんと呼んでみました。
  427. 神近市子

    ○神近委員 手はつけられなかったですか。ただ呼ばれただけですか。
  428. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 手はつけません。
  429. 神近市子

    ○神近委員 そのときの死体の様子は今御記憶でございますか。お声をおかけになった、手は触れなかった、だけれど、ベッドの様子だとか、死んでいる人の顔だとか、そういうものをごらんになったのでしょう。
  430. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 まず最初に私が見たときに、ベッドは何も荒されておりません。そうしてあおむけに寝たままの姿勢でありまして、別に苦悶の色もないようでした。ただ見たところすやすやと眠っておるような状態で、そうして右のくちびるから若干出血しておって、それがもうかわいておるような状態でありました。下にぽとぽとと落ちるような状態ではありませんでした。
  431. 神近市子

    ○神近委員 それで検視がそのあとで始まったのでしょうけれど、それにはお立ち会いはなさらなかったのですか。
  432. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 検視の立ち会いは――私は、その後奥さんに電報を打ったり、また向うから電話がかかってきたりするので、ずっと私の店の方におりましたから、その検視には私は立ち合っておりませんでした。
  433. 神近市子

    ○神近委員 私の方から考えれば、せめて東京における御友人の一人として検視でどういうふうに警察医に扱われるかというようなことを見ていてあげるのが普通だろうと思うのですけれども、どうしてそれをそんなに急いで帰ってしまわれたのですか。
  434. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は早く奥さんに知らせてあげたいという気持と、それから私が参りましてそのあとしばらくしてから高島俔子さんがそのアパートに参りました。それで私は高島俔子さんを、紹介者でありますから知っておるし、そしてまた高島俔子さんは周さんの店の店員であります。ですから、俔子さんに、あなたは周さんのところにずっとおってあげてくれ、私は周さんの奥さんに早く知らせてあげなければいけないから、うちに帰って早く来てくれるように電報を打つ、あるいは電話がかかってくるかもしれないから私はうちに帰る、こういってうちに帰ったようなわけであります。それで検視に立ち会いたいと私も思いまして、そしてアパートのおばさんも電話を警察へかけましたところ、その日にほかにガス中毒死事件がありまして、そして警察医の方もほかの方からずっと回っておられるから、時間がちょっとおそくなるだろうというような状況でありました。でありますから、私はそこでその警察医の方がおいでになるのが果して何時かわからないのに、待っておるということも、これはいけない、これは早く帰って電報を打って奥さんに早く知らせてあげた方がよかろう、そう考えたからであります。そうして高島俔子さんはずっとおりました。また高島俔子さんの兄さんも、ちょうどその日が日曜日でありまして、銀行に勤めておられる方ですが、兄妹二人でおられたわけであります。ですから、私も俔子さんがおるものだから、安心して帰ったようなわけであります。
  435. 神近市子

    ○神近委員 私ども何の利害関係もない者から考えますと、周さんを取巻くお仲間が二つあって、片方はあなたであり、高島さんであり、片方は弁護士さんでありまた他の中国の人である。それで私ども常識として考えられることは、この不幸な死に方をなさり、そうして邵元培という弁護士さんがその周さんの友だち二人か三人と一緒にお宅にたずねていった。あなたは、初めはこの初めて会う人に対して死者の何かをかすめに来たかということを疑って拒絶なさいましたね。そうして弁護士ならば大丈夫だろうと思って所持品を見せた。この人ならば大丈夫だろうと思ってそれも預けた。そういうときに日本人なら、死者の処置や何かは友だち同士で相談するというのが普通なんですが、どうしてその点もう少し緊密に何人かの友だちの助言を聞いたり、あるいはまた中国の習慣だとか日本の死者に対する態度とかをよく話し合いをして、談合して、今日いろいろこの事故死に対して巻き起っている疑惑は、火葬してしまってあるということに一つ非常に調べ方の仕方がないということにあるのです。その点、この間見えました弁護士さんは、青山斎場に手配したり、あるいは東大の法医学室に手配したり、いろいろ自分としては外国人として同国人の周を処置してやりたいと考えていた。ところがそれがくずれて、奥さんは解剖は望ましくない、早く火葬にしてくれということだった。そこに何か弁護士さんが割り切れない感情を持っていたように思うので、その点私お話し合いをやっておいでになったらこういうことはないだろうにと思って、皆さんのために、あるいは周さんの奥さんのためにも非常にそれは残念に思うのですけれども……。
  436. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それについてお答え申し上げます。私は俔子さんと兄さんとを残しておいて、香港の奥さんから電話がありましたから、それでもってすぐに第一アパートに引き返しまして、私は私の長年の知り合いでありまする渡辺博士に電話をいたしました。そして私としても、ゆうべ私は周さんと一緒にフグを食べたんだ、もし中国関係でもってフグを食ったから死んだ、またもしそういうふうな気持を抱かれたらいけない、死ぬんだったら私も死んでおる。食ったのは八時ごろ食いまして、一時ごろまではまだ何ら異常はない。私も何とも異常はない。でありますから、私は中国人の人たちにも正直に言うておるのです。ゆうべうちに見えて、御飯を食いにいって、フグ屋に行ってフグを食ったんだ。そして私はうちへ帰りました。それでその晩に行ってその話をして、みんなここに集まったんだからお互いにお通夜をしましょう、こう言うたのです。日本人の習慣としてお通夜をするのが習慣だから、お通夜をいたしましょう。その前に私は弁護士さんとかほかの人たちにも、もし奥さんから明日死体を保存してくれと言われたらどんな方法をしたらいいでしょうかと聞いたのです。聞きましたところが、弁護士さんもそれならば青山斎場の方に電話をかけてみましょう。そしていろいろ聞かれたところ、棺に入れてドライ・アイスを入れれば、四、五日ぐらいだったら何だけれども、一週間くらいだったら長過ぎるようなことをいわれましたといって、弁護士さんが私に話されたのです。そして私は家内も連れていきまして、お線香を上げてやっているうちに、渡辺先生がお見えになったのです。渡辺先生がお見えになりましたから、皆さん、この先生は渡辺先生といいまして、この秋から周さんが糖尿病にかかっておられたのをなおして下さった先生だ、そうして電話をかけたら、行きます、見てあげましょうというところで、先生がおいでになって、皆さんがおる前で、先生がずっとからだをお調べになって下さったのです。それのみならず、渡辺先生がアルコールでもって全身をきれいにふいて下さったのです。そうしてお通夜もしましょうといって、われわれと一緒に――おそらくあのとき何人中国人の方が集まっておられたか知りませんけれども、年末のことでもありますし、それぞれ用事もあるでしょうけれども、お通夜をして、その晩は私が一番最後に帰ったのです。そして、年末で皆さんもいろいろお忙しいでしょうから、どうでしょうか、あしたまでおるということも大へんだからといいますと、中国人たちも、私は用事がありますからといってだいぶ帰られました。そして私もとにかく長年の友人であるところの周さんが死んで、全くこれは何ともいえない気持であります。それで家内を連れていってお線香を上げまして、私は大体十時ごろ帰りましたけれども、私が帰るころは中国人の方は大体みなお帰りになっていたのです。年末のことでありますから、なるべく――あしたどうなるかわからない、もし死体を処置してくれと言われれば、またあした葬儀になるから、焼き場に行ったりその他しなければならないからというので、高島俔子さんが、杉本さん、私とアパートのおばさんがおって部屋を締め切って、お線香だけ絶やさないようにしますからと言うものですから、そんならば一つあなた頼みますよと言いまして、そして帰ったわけです。
  437. 神近市子

    ○神近委員 時間が大へんおそくなりましたから、私も簡単にお尋ねしますから、あなたも簡単に御返答願います。死体の検視のときに、あなたは全身アルコールでふかれるときに見ておられましたか。
  438. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私は見ておりました。
  439. 神近市子

    ○神近委員 死斑というものがからだに出るはずですけれども、死斑が出ていましたかどうか。この間警察から出ました検視書には死斑のことが出ておりましたけれども、そのときの色はどういう色だったでしょうか。
  440. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 渡辺先生が死体を抱かれまして、そうして背中を見られたときに、赤いような斑点があったと記憶しております。
  441. 神近市子

    ○神近委員 大体わかったような気がいたします。  それでもう一つ伺いたいことは、その弁護士さんだったと思いましたけれども――そのアパートの部屋に何か遺留品がございましたか。衣類のほかに、たとえばドル入れとかあるいはメモとか、カバンぐらいは普通持って歩かれたのじゃないかと思うのですけれども、そういう書類を入れたようなものが何もなかったかのように聞いたように思うのですけれども、それはいかがでしょう。
  442. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 その晩に皆さんにお通夜にお集まりを願ったときに、私は皆さんに周さんの品物はだれも手を触れちゃいけません、これは奥さんがおいでになるまで手を触れないように保留しなければいけません、そのことを私は中国人の方に申したのです。そうして今度は翌日出棺後において火葬しまして、骨をお寺に預けまして、そうして一応みんなアパートに帰りまして、私は中国人のおるところで、アパートのおばさんに絶対あなたがかぎを保管して、かぎをかけておきなさい、どなたがおいでても入らさないようにしなければいけませんよと注意して別れました。
  443. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 関連してお尋ねをいたしますが、あなたは大へん親切にそういうふうになすったとしますと、あなたが帰られてからはあなたのそういう親切な御忠告を管理人がお守りになって、だれも入れなかったわけでございましょうけれども、聞くところによりますと、周という人はその日のできごとを克明にメモをされる習慣の人だそうでございます。ところがその克明にメモをいたしてはだ身離さず持っておりました手帳が、だれが持ち去ったか今日もってわからない、こういうことでございますが、こういう点はお気づきになりませんでしたか。
  444. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 その点は全然――私も部屋に入ったときは何もタッチをいたしませんし、またそういったものも見かけておりません。  それから神近先生の御質問でございますが、日本人の側とか中国人の側とかおっしゃいました、それにちょっと御返答いたします。  周さんは日本人としまして私が昔から知っておる方でありまして、そして周さんの東京における中国関係の方は私はどなたも知らないのであります。それで周さんも私に一回も中国人を紹介したこともありませんから、私は周さんがどんな方たちと交際をしていらっしゃるのか、その点も全然知らないのですけれども、私は周さんに昔と同じように老婆心で、周さん、あなたは上海におるときのような気持で――中国人諸氏と交際をなさるときにはよく用心をして交際をなさいよ、これを私は常に周さんに言っていたのです。ということは、それは中国人が悪いという意味ではありません、けれども周さんはごく最近香港から日本に来られた方で、日本のこともよくわからないのです。ですから、私はすべてよく用心しておつき合いなさいといってやっていたわけです。  そうして死体の世話とかなんとかいうことは、奥さんから私のところに電話がかかってきますから、私は中国人諸氏に言いまして、奥さんから電話がありました、どんなふうにしましょうかという相談はいたしております。決して私個人が独断でそれをしたというわけではありません。そして翌三十一日に香港から電話がかかってきたときも、私は皆さんのいらっしゃるところで、こうこうして死体処置はしてよろしいという電話がありました。――そのとき弁護士もおりました。そしてとにかく、それだったら今から青山の斎場の方に電話をかけましょう、そして来てもらいましょうということでありまして、決して私は中国人の皆さん方と相談をせずに事を運んだわけではありません。けれども中国人の方が私にどんなふうな考えを持っていらっしゃるか、それはわかりません。私はおそらく周さんの中国人の友人よりももっともっと古い友だちです。そして、そんな大事なものを私に何にも言わずに置いていくような人です。それだけ私を信用しておるのです。その点、中国人の人は、杉本というのは何じゃ、こういうふうに思っておられるかもしれません。それは人の腹の中のことですから、ねたみもあるかもしれません。それでもって、私はあの方たちから何も悪く言われるようなことはしていない。しなかった。私は一々皆さんに相談をしてきめました。
  445. 神近市子

    ○神近委員 ここで一番真実として現われたことは、周さんがPXで洋服屋を開いたということなんですね。その洋服屋はいつごろから始めて、そして大体何人くらいの雇い人があって、どのくらい金をかけたというような話は聞いていらっしゃいませんか。
  446. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 砂糖関係が終りましたと言うて、周さんがもうやっとこれで安心しましたと言っておられました。それはたしか六月ごろだったと思います。それから周さんは、もうこの問題で私は心身ともに非常に疲れてしまったから、一応私は保養に帰ります、そう言って香港にお帰りになったのです。そして夏一カ月くらいおられたと思いました。そして東京に帰ってみえられて、そのころからどなたか中国人の友人の方と相談されて洋服屋を開かれたのであります。それでありますから、私は周さんと会ったときに、その話を聞くだけであって、幾らで、どうして、どんなふうで、どうするというような相談も受けなかったのです。また受けたところで私はそれに対してはどうにもしようのないことです。それから周さんは店の設営ができ上ってから、生地を仕入れに行くと言って香港にお帰りになったのです。帰られるときに、私はちょうど店員を頼まれたものですから、店員を世話してやったのです。そのときは三週間くらいでお帰りになって、なくなるまでそれからずっとこっちにおられたのであります。
  447. 神近市子

    ○神近委員 なくなる前にあなたがお会いになった二十九日ですか、その日は邵という弁護士も会って一緒に食事をしています。その日だったと思うのです。陳という人から四百二十万支払う金を周さんに支払っておるのです。二十九日ですから間一日、それにしてはその金が少くもどこかに残っておる。これで商売していたということでわかるような気もするのですけれども、四百二十万という金を確かに受け取っておる。それから残っておるのが百五十万というので、その間の金はどこに行っただろうということをみんな考えたわけですけれども、PXの経理ですか、そういうふうなことは周さんが自分でやっていたのですか、だれか経理がいたのでありますか。
  448. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 今のお尋ねの四百何十万円というようなことでありますけれども、私はそれは周さんから全然聞いたこともなければ私も見たこともありません。それでもって洋服屋の方のことは高島俔子さんと周さんとの二人が大体店におるのです。そうしてやっておられる。私は洋服屋の方にも一回も行ったことはないのです。ただし、なくなる前のクリスマスのときに、私は周さんから御飯を食べに行かないかと言って、PXの中に洋食屋があるから行きませんかと言って誘われたものですから、私は家内と子供を連れて参ったことはあります。そのとき初めて店に行っただけでありまして、私は周さんに店の開設当時から、一体資本金が、幾ら要ってどうなったか、またどんな人の紹介でどんなふうになっておるかということを一回も聞いておりません。また聞く必要はないのです。一々立ち入ったことを、幾ら親しいからといっても、大体聞かないのがエチケットなんです。私は大体中国人の習慣を知っておりますから、親しいからといって君は幾らでどうした、どうしたと言って、そうしたことは私は聞いておりません。四百何十万周さんが人からもらったとかいうお話でありますけれども、私はそんなことは周さんからも聞いておりませんし、全然知りません。
  449. 神近市子

    ○神近委員 もう一点お尋ねしたいのですが、このドミニカ糖の問題で、やはり同姓の方が出てくるのです。それは偶然のことなのか知りませんが、杉本善郎という人があなたの身内か何かにありますか。
  450. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 全然そういうことは存じません。
  451. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長から最後に一点だけ聞いておきます。あるいは御説明があったかとも思いますが、あなたが、アパートに、死んだという電話があって、朝行かれたときに、ガスの出口の点はお調べになりましたか、どうですか。
  452. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 それはもちろんアパートのおばさんに聞きまして、一体どうしたのですかと聞いたら、アパートのおばさんが言いますには、実はガスのコックが半開きのような状態になってガスが漏っていたのです、こうおっしゃるものですから、一体どんな状況ですかと言って、おばさんと一緒に台所に行きまして見ましたところが、大体台所の広さというものは三尺角くらいでありまして、ガス台は狭いところに作られておりまして、下にガスのメーターがあって、そこからガス管が上って、ガスのまたというものがちょうど私の手の指くらいの大きさです。これが、この上にこう乗っかっておるのような状態であります。この節の上に、コックが両方についているのです。そして、その上に板が一枚敷いてありまして、そのガス・コックの上に、わずか小さな四角い穴がありまして、そこから手を差し込んでガスのコックの開閉をするようになっているのであります。それで、そのアパートのおばさんが言いますのには、周さんが煮たきをして、そして切ったつもりで手を抜くときに、片一方の使っていない方のガス管のコックに指が触れたに違いない。それでもってガスが半開きしたものだから、すうすうガスが漏った。完全にあければ、音がスーツとするから、気がついたでしょうということであります。
  453. 坂本泰良

    坂本委員長 その際、上の方に窓があいていて、そしてふだん使わないところがあいていたというのですが、それはふだん使わないから、かたくなって、容易にあかるものじゃないと常識上考えられるのですが、そういう点について、あなたが見られるときに注意はされませんでしたか。
  454. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私が行ったときは、別にガスのにおいもしなかったと、私は記憶をいたします。戸をあけて入ったときです。そのときは、もうすでに警察官もそこに立って、立番しておられるし、ドアはあかっておるのですから、空気が入って臭気がなかったと思います。その点もいろいろ聞かれましたが、その臭気は別に感じなかった。それから窓の点でありますけれども、おばさんに聞いたときには、海岸の方に面している部屋の中の方にある窓は締まっておりました。両方とも締まっておったということです。便所の方の窓も、それから今度は大窓がありますが、大窓は締めて、カーテンをつってございます。それも締まっておった。
  455. 坂本泰良

    坂本委員長 電話がかかって、そして上に見に行ってドアをたたいたら、返事がないからドアをあけて中に入った。そしてベッドのところに行ったら、死んでいたというのですが、それ言は、ガスによって死んだならば、ガスが充満して、容易に中に入れるものじゃないと思うのですが、そういう点について、何かあなたはお聞きにならなかったですか。
  456. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 私はおばさんに、その点、くさかったでしょうと聞きました。そうしたらおばさんも、あけてみて、においはしたようだった、こう言っておりました。何しろおばさんが一番初めにその部屋に行っておるものですから、いろいろ聞いたのです。そうしたら、おばさんが言うには、とにかくノックしたけれどもあかないから、あけたら、かぎはかかっていなかったと言うのです。そして、どんな状態でしたか、ガスくさかったですかと言ったら、少しガスのにおいがしておったようでした。それで、周さんを呼んだけれども、返事せずに死んだような状態だった、こういうふうにおばさんは言っておりました。
  457. 坂本泰良

    坂本委員長 もう一点ですが、周さんの奥さんが、一月の五、六日ですか、こっちに参りまして、その際に、主人は殺されたんだというようなことで、非常に憤慨というか、不満というか、殺されたのをあまり簡単に、さっき述べたよう、簡単な検視ですぐ翌日火葬にした、そういうようなことについて、非常に不満を漏らしておられた、そういう点について、周さんの奥さんから、あなたにお話はありませんでしたか。
  458. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 周さんの奥さんに会いましたときに、まず、周さんはどんなふうにして死んだのでしょうかと聞かれました。それから、とにかく状態はこんなふうな状態でした。それで、これは私は自殺じゃないと思う。それで、またいろんななにからしても、人から恨みを買うような人じゃないし、ビルのおばさんの言からいえば、だれも入った者はない、だれも絶対に入りませんでしたというから、その点から見ると、他殺じゃない。これが実際にわかっておるなら、ガスの中毒死であるという話をしましたのです。そうしたら、奥さんが、実はあなたから電報が来るちょっと前に、主人から手紙が来まして、元気でもってやっております、それで、旧正月にはうちへ帰るから、子供たちにもよろしくというような意味の手紙が来て、それを読み終ったときに、あなたから電報が来ました、そして、私は半信半疑でした。ほんとうに一体なくなったんだろうかと思いました。そうしてこっちへ来られてから、周さんの奥さんが、杉本さん、うちの主人は自殺じゃなかったのでしょうね、こう言われますから、自殺じゃないと私は思う。いや、私もそう思います。とにかく手紙が来て、そういった希望に燃えたようなことを書いてきておるし、また私も、ゆうべ一緒に夕飯を食べて、そう何も悲観しておるような状態でありませんでしたから、私は自殺じゃないと思うのです。こう私は返事しました。
  459. 山本猛夫

    ○山本(猛)委員 刑事課長に伺いますが、これは、権威ある日本の警察で始末をなさったのですから、一点の疑う余地もないわけでございますが、今委員長と証人との間のやりとりに関連しまして、おとといの朝、私の知人のところに来たその周未亡人の手紙によりますと、どう考えても他殺であるということをぬぐい去ることができないという切実な手紙を、私はゆうべ見て参りました。いかがでございましょう、これを日本の警察でお取り上げになったことを、もっと明確にこの未亡人に納得させるような方途がございませんか。それは、向うの新聞にこれが外電として伝えられて、向うの新聞を見て、日本国会で取り上げられたということに対して、謝意を表するという意味が書かれてありました。そして、どうしても諦めようとしても、いろいろな人から日本へ行ったときに伺ってきた、しかし、どうしても他殺であるという考え方をぬぐい去ることができない、どうかこれを究明してほしいというような意味の手紙であります。あまりお気の毒でありますから、何とか御本人を納得させるような方法がございませんでしょうか。
  460. 河井信太郎

    ○河井説明員 それは、私の方へ御照会があれば、わかっておる範囲のことは、お知らせすることが可能だと存じております。
  461. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 死因の問題につきまして、少し伺いたいのであります。これは、かねて本委員会で取り上げ、かつあなたの方でもすでに何か御調査になったかと思いますが、これは、死体の検案調書によりますと、死因が一酸化炭素の中毒、こういうことになっております。ところで、私はしろうとでありますから、よくわかりませんが、専門家についていろいろ聞いてみるのでございますが、単純に一酸化炭素の中毒ということになりますと、これは、やはり何でも身体に入りまして、血液に吸収して、そしてヘモグロビンに結合して、酸化ヘモグロビンになって脳障害を起すのが普通の症状の進行状況だそうでございますね。そうすると、その際には血管が破れるとか、そういう現象は当然に生ずることがないというふうにも言えるのであります。ところが、一方検案書の、特に異状を有する所見という項目には、舌端に乾血が付着しておる、こういうことになりまして、この舌端の乾血というのは一体何であろうか。吐血でもしたのであろうか、喀血でもしたのであろうか、こういうことをそれぞれ想像してみるのでありますけれども、どうもその辺もはっきりしないのでありますが、この関係は、どういうふうにごらんになりましたでしょうか。並びにこれを御説明願う以前に、その後御捜査になり、もしくはその後報告をお受けなすった事項について、死因等の御説明を願う。どちらでもよろしゅうございますから、適当にしていただきたいと思います。
  462. 河井信太郎

    ○河井説明員 私も医学上の素養がございませんので、詳しいことは存じないのでございますが、ガス中毒の最も特徴といたしますところは、死斑が鮮紅色であるという点が一点あるそうでございます。それは、私どもも長年検視の死体を見ております。死斑が大体は紫色になってくるのが、非常に鮮紅色であるというのであります。それから本件につきましては、その後念のために再捜査をいたしておりますので、いずれその結果は明らかになると思いますが、死体を発見いたしました当時、所轄の警察署におきましてとりました写真が届いておりますので、これを一応ごらん願いますとわかるのございますが、ベッドの上にわずかに血痕がございます。それは、舌を上下の歯でかんだためにその血がしたったということを、当時検視をいたしました警察官からそういう報告が参っておりますので、これは、よく窒息の状態のときに起きる症状でございますが、そういうために起きたものであろう。  それからもう一つは、服装の乱れが全然ないということも、外部から、たとえば強盗殺人というようなものでありますと、私どももしばしば経験しておるのでありますが、周囲なりあるいは衣服なりの乱れ、あるいはベットの下等がかき回されておるという状況がございますが、そういう点も全然ないというふうなところから、変死ではございますが、特に他殺あるいはその他の、事故死以外の理由ではないのではないかということを考えておるのでございます。しかし、当委員会の御調査もありまして、拝聴いたしておりますので、念のためになお捜査継続中でありまして、いずれ判明することと思います。
  463. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 御持参の写真をちょっと見せていただけませんですか。――私どもは、一つは、一般的には、外人のゆえにやはり慎重に扱っていくべきものだと思います。特に慎重に扱うべき考慮が必要でないかとも考えるのであります。一つは、この出血の原因が、歯によって舌がかみ切られたとかりにいたしましても、さらにその点について追及していくということがせられるべきではなかったか。あるいはもう一つは、解剖ということは、普通にされ得べきではないかと思いますが、特に遺族についてのいろいろな意向も御聴取になって、解剖の手続がされるべきではなかったか。こういう点も全然見当らぬのが非常に遺憾でありますし、関係弁護士も、解剖については、東大にまで電話をかけたけれどもと言っておりますので、関係者がそこまで考えるような事情になっておるのを、なぜ解剖にいくまで協議しなかったのであろうか、こういうことを一応やはり考えてみたいのでありますが、これは、それだけ独立してあなたに伺うことはいかがかと思いますけれども、やはり何らかの異状を発見すれば、相当慎重に扱う意味におきまして、解剖するということが通常の手続ではないかと思いますが、その点はどういうことになりましょうか。
  464. 河井信太郎

    ○河井説明員 御指摘の通りでございます。実務の取扱いの状態から申し上げますと、警察の方からの報告が、これはもう災害死である、ガス中毒だというふうな報告がございましても、しかし遺族は、一応この点について、もう少しはっきりさせたいから、解剖してもらいたいということをいっておりますけれども、少くとも片鱗でもそういう報告がございますと、これは納得のいくようにというために、監察医務院へ運びまして、いわゆる行政解剖というのでございますが、いたすのが、私ども検察庁といたしましては長年の取扱いでございまして、一年に東京都内だけでも数千件そういう報告が参っておるのでございます。私どもも、そういうものを報告を受けて取り扱っております。取扱いの状態は、今申し上げた通りでございます。ただ本件におきまして、東大へそういうことを御紹介なさるとか、あるいはほかの刑事にお話しになったということを伺ったのでございますが、もし弁護士であるならば、その場でお申し出になれば、これはきわめて簡単なことで、何ら手数を省くというふうなことが全然ございませんで、すべてそういうふうに扱っておりますので、私は、むしろそのことを不思議に思っておるのでございます。ただ今回のような御調査の結果、いろいろの点で問題が出て参りますと、これはやっておくのにこしたことはございませんけれども、一日に、多いときには十件以上もそういう変死が参りますので、限られた予算の中でこれを全部解剖をして鑑定を求めるということは、実際問題としてはなかなか――何ら遺族も希望しないものまでもやるということは、犯罪の容疑が認められません限りはいたさないのでございます。実際の取扱いは以上の通りでございます。
  465. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 この検視調書によりますと、所持品がないということになっております。これも、ちょっとわれわれは不思議に思うのであります。一方、今杉本証人によると、百七、八十万円の現金を持っておった。百七、八十万円の現金を持っておる人が、また少し前に数百万円の受け払いをしたような人が所持品がないというようなことは、どうも考えられないのであります。またこの検案書によりますと、解剖の必要がないという断定をしておるのですね。所持品がないといい、解剖の必要がないといい、ともかく舌に血がついておる。それは歯でかんだのであろう。こういうふうでは、やはりはるばる香港から妻がかけつけて参りまして、とほうにくれるのは、これは当然だろうと思うのです。そこで、今日におきまして、私どももこれが白か黒かということは実はわかりません。わかりませんけれども、何かしらまだなすべき手が残っておったのじゃないかということと、おそらく当時前後の複雑な事情の中におったこの人のそういう直接な事情というものを、検案した人とか、検視した人はだれも知らなかったということにも、一つは原因するんじゃないか、こういうふうに思われるのであります。そこで、ここに二つの問題が提起されるのでありますが、ただいま山本委員が妻の親書を見たとおっしゃいますから、適当にやはり検察当局に御連絡になって、その親書をたどって、また捜査に端緒にせられることが必要でないかと思われるのが一つと、いま一つは、すでに邵弁護士証人も疑わしかったと言っております。事故死であることについては疑いを持っておったと言っておりますので、この点も、やはり重要な参考にしていただきまして、これは、すみやかにしかるべく再捜査を完結せられることが私は望ましいと思います。ここで、舌の先に血がついておった。それは歯でかんで出たんだろう、そうはいきません。やはり社会的に受ける印象というものはこういう前後の事情から見まして、何か相当な猟奇的な原因が伏在しておったというふうに、どうも考えざるを得ないのです。ましてや、きょうの杉本証人は、時計が十七、八個と言うておりますけれども弁護士は五、六つ十個あったと言っておる。スイス製の高級時計が五、六十個あった、五、六十個高級時計を持っているということは、これはとんでもないことだというふうに実は聞いておって、がく然とした次第なんでありますが、それが、あなたのおっしゃるのがほんとうか、弁護士のおっしゃるところがほんとうか、どちらか忘れておられるのか、それはともかくとしまして、そういうふうないろいろな要素がてんめんしておりまするので、このところはただ写真を見たり、検案書を見たり、お話を伺ったりするだけでは解決しませんので、社会に与えた波紋をすみやかに最高の能力を発揮して、検察当局を督励して、これを解決してもらわなければならぬと思います。でき得べくんば来たる二十九日、当委員会に検事総長の御出席を要望しておりますので、そういったときにも、これは超スピードで何らかの断を下すというところまでいってもらえば、なお私はいいと思うのであります。これは御希望申し上げまして、かつ今のような点に対する御所見を伺っておきたい。
  466. 河井信太郎

    ○河井説明員 この検事調書に「所持品なし」と記載してありますのは、これは慣例が、こういうふうに記載する場合の「なし」とは何をさしておるかと申しますと、身体に何かつけておるかどうか、この点の記載でございます。今の事件のような場合には、うちの中に何か金品があったのを書いたらいいじゃないかという仰せかと存じますけれども、死体がある場合に、そのうちの中を全部かき回して、警察官が、所持品が幾らある、金があるというふうなことは、これは法令上許されないところでございます。変死があった場合に、それが犯罪に基因するかどうかということはそのからだについては確かめることが許されておりまするけれども、その死体があるからというので、まだ犯罪に基因するかしないかわかりもしないのに、一体その中に金目のものがあるだろうかどうだろうかということで、うちの中をいわば捜索するというふうなことは、犯罪の容疑がある場合に、御承知のように、裁判官の発した令状に基いて行う以外においては、法令上許されていないのでございます。従いまして、あとのことは、いわば部屋の中の死であれば、家族にまかす、あるいは親戚、知友にまかすというのが、法の建前だと存じておりますので、この記載は、そういう意味で記載しておるという点を、御了承願いたいと存ずるのであります。  それから第二点の解剖の必要なしと書いてございますのは、犯罪に基因する疑いがございます限りは、これは御承知のように、かりに遺族の意思に反しましても、死体を解剖して鑑定に付さなければならない。それは、また刑事訴訟法にそのように規定いたしておりまして、法の命ずるところによっていたすのでございますが、そういう場合におきまして、この検死を義務づけられておる者の判断をここに記載したというふうに御了承願いたいと存ずるのでございます。
  467. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 杉本さん、ちょっと聞きますが、ただいまの時計の件ですが、スイス製高級時計が五、六十個あった。あなたは、十八個と言っておるのだが、ほんとうはどちらでございますか。
  468. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 五、六十個ということは、邵弁護士がこの間言われたということを新聞紙上で私は見ました。しかし、実際は、そんなに多数はございませんでした。とにかく二十個前後の数であります。
  469. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 もう一つ聞いておきます。いろいろな書類を見つけたようでありますが、この書類の中には、砂糖に関する日本文の契約書があった、こういうことを邵弁護士が言っておった。砂糖に関する日本文の契約書、これは、今ここに調査しておるものに関連するのではないかという印象をちらっと受けたのですが、どうも弁護士も、内容については記憶がないと言っておるのだが、砂糖に関する日本文の契約書、そういうものについて、何かあなたは記憶がございませんですか。
  470. 杉本喜三郎

    ○杉本証人 その点、記憶がございません。そのときにあった品物は、邵弁護士さんと私ともう一人の人と、三人でもって封印をしまして、そうして、これは、奥さんがお見えになったら、奥さんに渡さなければならないということで、邵さんが奥さんにお渡しになったはずであります。邵さんを通じて、奥さんに全部差し上げたはずであります。
  471. 坂本泰良

    坂本委員長 以上をもって杉本証人に対する尋問は終ります。  杉本証人には、長時間御苦労さんでした。退席されてけっこうです。     ―――――――――――――
  472. 坂本泰良

    坂本委員長 この際お諮りすることがあります。すなわち本件につきましてさらに調査を進めるために、来たる三月二十八日午前十時より元大蔵事務次官平田敬一郎君、元通商産業省通商局長板垣修君、元同局次長樋詰誠明君、元農林省食糧庁長官清井正君、以上四名の諸君を参考人としてその出頭を求め、実情を聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  473. 坂本泰良

    坂本委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  また三月二十九日午前十時より検事総長花井忠君を参考人としてその出頭を求めたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  474. 坂本泰良

    坂本委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  また同時に財団法人立川研究所理事立川正三君、勝間敏雄君、藤岡芳蔵君、以上三名を証人としてその出頭を求めたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  475. 坂本泰良

    坂本委員長 御異議なしと認めます。よって規則第五十三条により、議長を経由して出頭を求めることといたします。
  476. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 議事進行について。なお元大蔵事務次官の平田君の御喚問と同時に、やはり当時の大蔵大臣であった現一萬田蔵相は、ぜひ御出席のようにお計らいを願いたいと思います。
  477. 坂本泰良

    坂本委員長 それは委員長において承知いたしまして、さよう取り計らいます。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十一分散会