○高岡
委員 今東
パキスタンのことだけ申し上げましたけれども、西
パキスタンには今度は回教
文化、これはコーランからきた
文化でありますが、これもすばらしいものがあります。これはすべていわゆる回教圏内に通ずる問題ではございますけれども、なぜ回教徒の諸君が豚を食わないかとか、ないしは細君を四人まで持っていいのかとか、一体コーランの解釈自体も、
日本においては完全に行われておりません。ある一部の人がコーランを
日本語に翻訳はしてありますけれども、私の聞いておる
範囲においては、その翻訳は完全でないとさえ言われておる。もっとも英訳そのもの自体も完全でないとさえ、学界では言われるのです。この本物のいわゆるコーランを
日本語に翻訳するといいましょうか、こういう仕事を考えて参りますと、これは非常に大きな仕事でございまして、とても今
外務省が頭の中に考えていらっしゃる一万や二万の金でそういう仕事をなさろうということは、とうてい不可能なことでありますし、またそういうことをずっとお調べになりますと、そこに初めていわゆる指導者のものの考え方というものがわかってくる。たとえて言えば、せんだって
日本に来られて、そうして今はたしかやめられたような気がしますけれども、スラワルディという総理大臣、この総理大臣に会われたときに、この総理大臣はどんなことを考えるだろうかということを
外務省がお考えになる場合に、スラワルディが東
パキスタン出の人だということだけがわかっただけであって、それじゃ東
パキスタンというものの習性は一体どういうものか、そういうものを調べないと、スラワルディのいわゆる人となりというものがわからない。従ってスラワルディの言ったことをわれわれがどう解釈していいだろうかということが、判断が誤まる場合がある。そういう面から見ましても、いわゆる回教徒はすべてコーランによって動いておる、しかも一面においては経済的に、歴史的にいろいろなものの考え方が出てくるというようなことが現実でございますので、そういう点を深く掘り下げて研究することこそ――また同時に
日本並びに
日本人を知ってもらうためには、よほど金をかけるといいましょうか、あらゆるものによってPRをしないとなかなか理解してくれないだろう。そういうことが、また一面において
留学生を迎えたときでも、そこにいろいろな点で誤解といいましょうか、
国際学生会館がいつも問題を起しているというのも、
日本人として
向うの諸君のいろいろな習性といいましょうか、ものの考え方がわからないところに私はごたごたが起きるのではないかという気がしますので、今後各国と
文化協定をお結びになる以上は、そこまで掘り下げた研究といいましょうか、
文化の
交流を
一つ考えていただきたい、こう思うのです。
そのほかまだいろいろ申し上げたいことがございますけれども、あまりこまかいことは申し上げなくても御存じでしょうからいいかげんにやめますが、
パキスタンにつきましてたった一言、これは外務当局にお伺いしますが、今この私の問いに対して御返事がおできにならなかったら、後刻十分調べて、何でございましたら
パキスタンの大使と御連絡の上で御答弁を願いたいと思います。それは、二十六日の新聞を見ますと、こういうことが書いてあります。カラチ発の電報でございますが、「権威筋が二十四日明らかにしたところによると、
日本の農民四百家族の西
パキスタン移民
計画ははっきりととりやめになり、そのかわりに東西
パキスタンの数カ所に農業
訓練センターを設置、そこで
日本農業専門家が
パキスタン農民に
日本式の米栽培法を
訓練することになったといわれる。」こういう記事であります。これは
外務省としてあとで
一つ調べて御返事いただけるものなら御返事をいただきたいと思います。御答弁をあえて必要としませんけれども、これの行きがかりを
一つ申し上げます。
それは、昨年の五月に岸総理大臣がアジアを一巡されました。そのときに、今
議題となっております
日本国と
パキスタンとの間の
文化協定の調印が官邸で行われたのでありますが、そのときに随行のうちの遠藤三郎代議士が、
向うの農商務大臣といいましたか、その大臣といろいろ話し合いをして懇談をしておりますうちに、それがもととなって
一つ総理におみやげを差し上げたいという話が出ました。そこでどういうおみやげかと思って、総理も顔の筋肉をほころばせながらお待ちになっておりますと、
向うのいわくには、
日本の方々からぜひ私らの国に大量に移民をしていただきたいと思います。つきましては数千エーカーを
一つただで寄贈したいと思いますが、受け取りを願いたいという話がありました。そこで、これは俗にいうおみやげというので、ありがたくちょうだいしてきたのでありますが、それがこれであります。私は
文化協定を限ったわけではございませんけれども、何か
日本の
東南アジアにやっていることは、かけ声ばかりで、カンボジアに対してもしかり、ラオスに対してもしかり、あっちこっちに何かうまいような話をしたり、あっちこっちやってくるのだが、一体あとはどうなっているのかということを考えると、私は非常に寒心にたえないものがあるのでありまして、この問題についてもそれらに対しての
計画をさっそく
外務省としてお立てになって、そして
向うと移民の
計画をお進めになれば、さなきだに
日本はラテン・アメリカの方の移民にしましてもなかなか困難だという今日、こうしたところへ、
向うでは四百家族とかいうのでありますが、そういうものを快く迎えようというときになぜそういう話を進行しなかったのか。一体その経緯はどこにあるのかということが私の
一つの
質問の要点であります。
もう
一つ、私はここに
外務省の注意を喚起したいことは――
向うでは
日本式の米の栽培方法を
訓練してもらいたいというのであります。私は
東南アジアをずっと回ってみまして、
日本が技術協力のできるものは何か、こう安易に考えて米の栽培だ、米の増産方式を教えるのが、とかく簡単な常識のような感じを私は持つのであります。しかしこれほどばかげた考え方はないと私は思います。
どうしてかと言いますと、御承知のように
東南アジアは、カンボジアにしましてもタイにしましても、ビルマにしましても米は輸出国であります。
インドは多少ないのであります。
パキスタンはなるほど食糧は輸入しております。しかし私の知る
範囲内におきましては、各国とも
日本の農法を習いますと、少くとも五、六倍の収穫がある。これは五、六割じゃございません。五、六倍であります。数倍の収穫量を上げる。ところで反当収穫を調べてみますと、反当二石前後しかありません。もしもこれが
日本のように反当四石という収穫を得て参りました場合を
一つ想像していただきたい。
東南アジアには驚くべき米の余剰が出てくるのではないか。しかもそれは
日本が指導したのだということになってきますと、この米の始末は一体だれがやるのか。責任を
日本に負わされた場合に、
日本は果してその責任が果せるかどうかということを考えますと、これは容易ならぬ問題だと思うのであります。従いまして
日本の
東南アジアに対する技術援助というものは、米の栽培に対しましては
一つこの際再検討を願いたい。私は農林省というか
外務省といいますか、
日本の
政府に対して一大警告を発したいと思う。この点は十分考慮していただながければなりません。
東南アジアの農業は、大体において先ほど申し上げた地域の、あるいはメコン川、メナム川、イラワジ川、バラマプートラ川のそれぞれの流域に生じた元は雑草であります。雑草から米というものが今日まで進化
発展してきたのでありまして、その米はどういう栽培方法をやっているかというと、皆さん御存じの通り、大体洪水の水の引いたあとの泥のところへぱらぱらとまいて、そして草取りもしなければ何もしないで実るのを待って刈り取るのが現在の
東南アジア全般における
一般の農業であります。そこへ
日本が参りまして、いわゆるもみの消毒から始まって、苗しろだとか田植だとかあるいは農薬だとか化学肥料だとかいうものを徐々に
日本が指導といいましょうか、技術協力をした結果というものは、おそるべき増収があることはもうすでに御承知の通りであります。ただいろいろな土地改良とかいったような問題からしてそう広
範囲にまだこの技術が広まっていないということが現在ではございますけれども、これをこのまま
日本がその
方向へ進んで参りますれば、これは非常な結果が生まれてくるだろうと思うのでありまして、この新聞記事が果してどういうことかわかりませんけれども、
日本が東西
パキスタン数カ所において
日本の米の方式といいましょうか、米作のやり方を教えるのだということになってきますと、この点も非常に問題だと思いますので、
一つパキスタンとの間のこの問題に関する問い合せとでもいいましょうか、そういうことをなさる場合はこの二点について
一つ十分調査研究の上
政府としては対処せられんことを希望しておきます。