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岡委員 いずれにしても、国連の
科学委員会へ出しておる
ストロンチウム等の
蓄積の
資料等は、これは
大学の先生が中心としてやっておる。しかし一方、各
国立大学の
専門の
教室は、独自の
立場でやっておられる。しかし、ここにはやはり非常に正確な
データがあり得るわけですから、こういうものも総合的に
調査の結果を取りまとめるようなものがあってしかるべきだと思うのです。
そこで
正力大臣も来られましたので、特に
一言最後にこれは要望として申し上げておきたいのですが、この
放射能の
許容量というものに対する
観念、これは
放射能を出すいろいろな
施設、
原子炉等の
施設の
安全性に対する
観念と不可分のものなんです。厳密に言えば、これは生物学的にいって
放射能の
安全性というものはないわけです。
放射能は絶対にないことが最も望ましい
状態である。ところが、残念ながら、
自然界には自然の
放射能がある。そこヘ
レントゲンがある。そこへまたあなたが旗を振られる
動力炉が入ってくるということになれば、ますますこの
放射能というものはあり得る
状態になる。そうすると、やむを得ずこの辺ならばよかろうというのが
許容度ということで、これは、あってはならないが、やむを得ず
一つの線を引いて、ここまではよろしいと泣く泣くこれを認めておるというのが現状なんです。だから、これ以下ならば大丈夫だ、こういうようにさかトンボ返りに考えられると、これは実は
放射能の
危険度に対する認識が非常におろそかになると思うのです。その点
外国では、最近
アメリカなんかは、
許容量を三分の一に下げようというようなことも言い出しておるような
状態で、
国際放射線学会の
許容度の
基準は年々下っておる。三年間に十分の一に下っておる。そういうわけで、いよいよこれは
注意意をしなければならぬ。しかも遺伝的にどういう
影響を与えるかということはまだわかっておらぬ、これはうかうかしておって、五十年、百年後に遺伝的に変な
影響が現われてくるということになれば、われわれの次の
時代にはまことに取り返しのつかない
影響を及ぼすということがあり得るわけです。あり得るけれ
ども、それがどの
程度のものかわからぬ。あり得てから、さて百年前のわれわれが、われわれの子孫から恨まれると、それは
正力さんの重大な
責任になる。そういう点を
十分——せっかく
審議会ができるんだから、
審議会はここまでなら安全だという、ここまでという最高の限度をきめて、それ以下ならいいのだろうという、こういう扱いはしないで、子々孫々のためにも、
原子力産業の永遠の発展のためにも、やはりこの際よほど注意深く取り扱ってもらいたいということを要求いたして、私の
質問を終ります。