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柴沼参考人 日本原子力研究所の
運営の現況につきまして、簡単な御
説明を申し上げます。
御
承知の
通り、
日本原子力研究所は、その
本部を
東京に置きまして、
研究あるいは
試験用原子炉の運転というようなことにつきましては、
東海村に
研究所を設置して実施して参っております。従いまして、本来から考えますれば、
東京の
本部は純粋に
本部的な
業務だけで、
研究の実体は全部
東海村に置かれるというのが当然のことなのでございますが、何しろ設立以来いまだ二年未満でございまして、
現地の
設備、
宿舎等もまだ十分に
整備されておりませんために、
東京におきましても若干の
研究業務が残っております。従いまして、
東京におきましては
本部業務と若干の
研究業務、
東海村におきましてはもっぱら
研究に関する
業務、このように二つに分れて
進行中でございます。お手元に差し上げました
参考資料の初めのところにも書いてございますが、
研究棟の一棟、二棟が建設されましたのが昨年の七月でございます。その後それの
整備にかかりまして、九月から、
整備ができ次第、一定の
日程によりまして、少しずつ
東京から
東海村への
移転を開始して参りました。この二月までで大体七五%
程度の
研究部門が
現地に移っております。しかしなお
東京大学等の
研究室に
研究員を派遣しまして、
東京での
研究も若干やっておることに相なる次第であります。
全体の
機構につきましては、十九ページに長い表をつけましてごらんいただけるようにしてありますが、私
ども、
研究所を
運営して参る上に大別して
三つのことを考えております。その
一つは、いわゆる純粋の
研究に関することでございまして、この
部分が本体となることは申すまでもありません。しかし、
研究部門だけでは実際の
運営が困難になりますので、それを
補助する
部門が二つ出て参ります。
一つは、
事務的な
補助をするいわゆる
事務部門でございます。もう
一つは、いろいろ技術的に
援助して参る
技術援助部門とでも申しまするか、たとえば
工作工場を置きまするとかあるいは
図書室を設けまするとか、そういう技術的な
援助をする
部門、大体
三つにその
性格を分けて考えておるのでございます。そして、
研究部が
研究を実施する上におきまして、毎日
いろいろ物を買うとかあるいは物を試作するとか、そういう必要が出て参りますると、それらの
補助部門がその話を受けて、そういう物を購入する、あるいはそういう物を製作したりして提供してやって参るのでございます。しかし、
東京にも一部
研究業務が残りまして、
東京の
事務部門におきましても、そういう
補助的な
仕事が、
本社業務とでも申しまするか、そういうもの以外にありますところから、やや同じような
組織が両方に分れておる点は、これは現下の
状況としては否定できないのでございます。ある
部門につきまして、たとえば、物を買いますにつきましても、
東京にもそういう
調達の
部門がなければならぬし、
現地にもまたそういう
調達の
部門がなければやっていけないというようなことが現実にございます。多少
機構の重複がそこに行われております。しかし、
現地はともかく
一つの
事務部というものを確立しまして、そこで全体を統轄して、一本の筋で
事務を
運営できるようにいたしておりまするし、
本部におきましても、
総務部がその実際の実務の分をも受けてやりまして、それによって
進行をはかっておるというような
状況でございます。
実際に今までやって参りまして、
研究所の
運営の上で最も困難を感じましたことは、いろいろな
研究施設のできて参ります
日程と、住宅その他の
厚生施設を作って参る
日程というものを、必ずしも同じ歩調で進めることができなかった面がございます。その時間的な
ズレのために、たとえば
研究者をもっと早く向うへ移せたのではないかと思う場合でも若干それがおくれる、またいろいろな
整備がおくれるために全体の
日程に影響を及ぼして、その
年度に予定しただけの
事業が消化し切れないというようなことも若干出て参っております。しかし、何分にも
事柄の性質上早急にいろいろなものを作って参らなければならぬと考えておりますので、私
ども関係者は、実は、極端な表現で申し上げれば、夜も昼もなくそういう
事業の進捗に努力をして参る、そういうつもりで参っております。実際問題といたしましても、建設の
部門などは、正月三日休む以外は、ほとんど休みなしに動いておるのでございます。しかし、それでも今の
日本の国情としましては、なかなかわれわれの
希望する
日数でそれを仕上げることが困難な
事情があるように考えております。そういう点の、われわれの予定したもののでき上るのがやや食い違いを生ずるということが少しずつ克服されてきてはおるのでありますが、しかし、これをいわば
創設期を脱して安定した形で動かして参るためには、なお一、二年の
日数が必要なのではないだろうか、また、ことに
外国のものを入れます場合には、これも当初の
計画に、新しい
研究でありまするから、製作の途中においていろいろ
計画変更が試みられる、そういう
関係から、
日本にこれを持って参るのにやはり
日数の
ズレが生じがちであります。この点も、やむを得ないと申せばやむを得ないのでありますが、もう少し世界的な
意味で
原子力の
研究が進みますれば、私
どももっと安心して
仕事ができるのではないかというようなことを考えておるわけでございます。
なお、
原子力研究所が発足いたしまして、先ほど申し上げました
通り、まだ二年にならないために、先ほど例に引きました
工作工場というようなものにおきましても、これを運転して参るのには、まだ十分な能力を発揮しておるというところまでは参ってりおりません。むろん相当なものを作って
研究者に重宝がられてはおるのでありますが、われわれの
希望は、もっともっとこれらを発展させていきたいという気持も持っております。しかし、そのためにはいろいろな
設備費あるいは
人間等ももっと必要になって参りますので、そう簡単にわれわれの
希望を達成できるとも思いませんが、やはりある
程度これらの完成に余裕を見ながら、しかし確実な前進をするという
方針をとるより仕方がなかろうと考えまして、そういうことでいろいろな
設備をいたして参っておるわけであります。なお
研究者が大
部分なものでありますから、勢い
事務的な処理というものにはなれておらない者が多いわけであります。しかし、私
ども、大
部分を国の
出資あるいは
補助金、また一
部分は
民間の
出資によって
運営して参るわけでありますから、できるだけ
研究部と
事務部の意思の疎通をはかり、また
事務的にもお互いに
援助し合うということを話し合いまして、折あるごとにそういう
趣旨の徹底に努めまして、少しも
むだ使いなどすることのないように、またできるだけ能率のいい
施設を作り上げるようにというふうに考えておるのではありまするが、しかし、
研究そのものにつきまして、いろいろ未解決の分野もあるように聞いております。
研究者自身が相当いろいろ試行錯誤というような形で
研究を進める必要に迫られることもございます。そういう
関係で、いろいろ
整備をしていく上におきましても、わきから御批判を受けます際には、あるいはよその
研究所から見ますと、若干もののやり方についてもっと工夫の余地があるだろうということでおしかりを受ける点がないとは決して申せません。しかし、少くとも私たちの
研究活動の上に、できるだけそういうようなことのないように話し合いをし、
相談をし合っていることは事実でございます。だんだん
原子力の
研究の
進行とともに、これらの点も十分に解決して参ろうではないか、かように考えておる次第でございます。
大へん概略的な申し上げようでございますが、一応以上御
説明を申し上げた次第でございます。