運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1957-11-11 第27回国会 衆議院 社会労働委員会診療報酬及び薬価に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員昭和三十二年十一月四日(月曜日)委 員長指名で次の通り選任された。       亀山 孝一君    小島 徹三君       田中 正巳君    野澤 清人君       八田 貞義君    亘  四郎君       岡本 隆一君    滝井 義高君       堂森 芳夫君    八木 一男君 同 日  小島徹三君が委員長指名で小委員長に選任さ  れた。     ————————————— 会議 昭和三十二年十一月十一日(月曜日)     午後二時十四分開議  出席小委員    小委員長 小島 徹三君       田中 正巳君    野澤 清人君       八田 貞義君    岡本 隆一君       滝井 義高君    堂森 芳夫君  出席政府委員         厚生事務官         (保険局長)  高田 正巳君  小委員外出席者         厚 生 技 官         (保険局数理管         理官)     鈴木 正雄君         厚 生 技 官         (保険局医療課         長)      館林 宣夫君         専  門  員 川井 章知君     ————————————— 十一月十一日  岡本隆一君同月四日委員辞任につき、委員長の  指名で小委員に補欠選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  診療報酬及び薬価に関する件     —————————————
  2. 小島徹三

    小島委員長 これより診療報酬及び薬価に関する小委員会を開会いたします。  診療報酬及び薬価に関する件について調査を進めます。発言の通告がありますので、これを許します。滝井義高君。
  3. 滝井義高

    滝井委員 先日の委員会共済組合健康保険組合の経理が非常に巷間問題になっておるようであるので、その資料を同時に出していただくようにお願いしておりましたが、それはきょういただけますかしら。
  4. 高田正巳

    高田政府委員 準備をいたしておるはずでありますが、やがて持って参ると思います。
  5. 滝井義高

    滝井委員 ではそれは一つあとで配付を願います。  先日委員会の幕切れでございましたので、宿題として問題を提起しておったのですが、国民所得と総医療費医療所得医師所得、この三つの関係について大局的な見地から今回厚生省出した議案を中心にして一応検討をしてみたい。  まず第一に問題となる点は、今回出しました厚生省試案というものは昭和二十七年三月調査基礎にして、その三月のときにおいては、医師の総収入というものは月に九万二千六百二十一円六十銭である、こういうように出てきたわけです。そこで、この前、しからば昭和二十七年三月を基礎にして診療所の受領する総医療費一体幾らなんだ、その推計ができるかできないか、こういうことを尋ねましたら、できないという御答弁がありましたけれども、実は二十九年十一月の医療費体系の当時においては、それは曽田医務局長もとにおいてはできておったわけなんです。きょうここにその資料が出てきておるわけでございますが、それによりますと、結局診療所取り分は一カ月三十九億五千四百万円、一カ年にこれを直していくと四百七十四億四千八百万円、約四百八十億円だ、こういうことになっておるわけでございます。そこで、あなた方のお出しになりました今回の試案によりますと、総収入が九万二千六百二十一円六十銭であるので、昭和二十七年の診療所の基金の窓口としてお金を請求する数は一応四万五千五百くらいと見てみよう、私はこう考えてみたわけです。そこで、九万二千六百二十一円六十銭に一応診療所請求窓口四万五千五百をかけて、さらにそれに十二倍をすると、昭和二十七年における診療所の総取り分が出てくるわけです。それが五百二億三千二百万円と出てきたんです。従って曽田さんが当時推定をした四百七十四億四千八百万円と五百二億とは二十億くらいしか違わぬ、だから、大体二十七年におけるあなた方の推計というものとそれから曽田さんの推計とはおよそ当らずといえども遠からず一致しておるのです。出発点が一致しておるか、これはこういう考えでよろしいかどうか。今計算の結果一致しておるのだというが、一致しておると見てよろしいかどうかということをこの前御質問をしたわけです。ところが、当時一致するもしないもない。もとがちょっとわかっていなかったために留保しておった。これは一致しておるが、全く一致することは当然だという御答弁になるのか、偶然にそれは一致しておるんだということになるのか。そこらたありのあなた方の見解をまず伺っておきたい。
  6. 高田正巳

    高田政府委員 多少の数字のあれは別といたしまして、大体一致してしかるべきものというふうに考えます。
  7. 滝井義高

    滝井委員 そういう工合に一致するのが私は当然だと思って、そういう質問をしたんですが、一致するのが当然だという御答弁をいただきまして、その通りだと思います。  そこで、私は一つ疑問が出てきたわけであります。どういう疑問が出てきたかと申しますと、局長さんも御存じのように現在の単価十一円五十銭、あるいは十二円五十銭というものは、昭和二十四年の九月当時のいろいろなものをやって計算して、そしてそれを昭和二十七年一月に延ばしてきたわけです。そして二十七年一月に延ばしていって単価というものは平均十一円七十七銭、それを甲乙に分ければ十一円五十銭と十二円五十銭になるのだ、こういうことになったわけです。そうしますとこれは今井案ですが、今井案における二十七年の一月における総収入というものは五万七千九百九十一円であったわけです。ところが三月になったら突如九万二千六百二十一円に変った、これは一体どういう工合説明するかということです。
  8. 高田正巳

    高田政府委員 たしか二十六年の末にきまりました単価のときにその算定の基礎になりましたものは、今先生お話のように二十四年であったと思いますが、そのときの調査でございます。それでそのときに分子の方になりました経費は、私今資料を持ち合せませんけれども先生仰せのように五万七千円程度だと思います。そのときの稼働点数、すなわち分母になりましたものは四千九百二十五点であったと思います。ということは、この考え方は二十四年当時の医療規模がそのまま行われるものと仮定をいたしまして、そして医療費値段推定いたしたのでございます。従って二十七年の当初当時はすでに一診療所当り医療規模というものはもう少し広がっておったわけでございます。患者の数もふえておりましょうし、それから使う人もふえておりましょうし、いろいろ規模が広がっておったわけでございます。従ってその広がりの程度はどの程度であったか、二十七年の三月の実態調査によりますと、今先生御指摘のように経費におきましては生計費も含めて九万二千円程度、そのときの稼働点数は七千五百二十六点ということであったと記憶いたしますが、七千五百二十六点、こういうふうにふくらがっておったわけでございます。そういう関係であろうと存じます。
  9. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、結局要約すればこういうことになるわけですね。五万七千九百九十一円という経費は二十七年一月までずっと推計して物価指数患者増加、その他諸ファクターを考慮して五万七千九百九十一円を出してきた、これが分子になった。しかし分母の方は二十四年の九月のものをそのまま持ってきたということになるのだと思うのです。そうしますと、二十六年の十二月にきまった十一円七十七銭という単価は、異質のものを分子分母に置いて出したものである、こう理解して差しつかえないことになるのですか。
  10. 高田正巳

    高田政府委員 そうではないと思います。二十四年当時のある診療所というものを仮定いたしますと、その二十四年当時の診療所規模、これは患者の数とか、使用人の数とか、いろいろなものを含めての規模でありますが、そういうものを実測値調査いたしまして、その実測値をとらえ、またその当時の稼働点数をとらえて、そうしそれがその後の物価値上り等によりまして、どれだけ動いてくるかということを見たのがその当時のやり方であったと思います。従ってこれは異質のものではなくして、あくまでも基礎のデータは、分子分母も二十四年当時のものである。そうしてその物価値上りだけを見た、こういうことになるわけでございます。
  11. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、治療行為頻度というものは二十四年九月と、それから二十七年一月とは同じであった、変化はなかった、こういう見方をしておるのですか。
  12. 高田正巳

    高田政府委員 そうではございません。二十四年の当時と二十七年の初め当時とでは各診療所当りの行われておりまする医療規模も違う、従って医療行為頻度も違うということは当然想定されたところでございます。しかし物の値段をきめまするのに、やり方二つあると思うのでございます。過去のある一定時期の規模を押えて、そうして物価なり賃金なりそういうものをスライドさせて、医療規模としてはある過去の一定時の規模で押えて、物の値段を出す。もし規模ふくらがっておるとすれば、それと同じ値段によって量だけがふえていく、こういう計算の仕方と、そうでなく今回私どもがとっておりまするように、諸経費の方も物価値上り等を見ますると同時に、医療規模ふくらがりというものも、すなわち使いまする衛生材料費その他も全部ふやして見る。従業員の数もふやして見る。すなわち正確に申しますと、三十三年の年間平均ということでございますが、三十三年の年間平均にまで、医療規模ふくらがった、それを想定いたしまして、それをつかまえて判断をする、こういう二つやり方があると思います。前回の今井案は物を決定いたしまする時点よりはずっと過去の時点を押えまして、そのときの規模で物を判断をした、こういうやり方をしておるわけであります。
  13. 滝井義高

    滝井委員 どうもわかったようなわからぬようなことですが、とにかく物の値段というものは変化をするから、その値段というものは二十四年九月からずっと変化をした二十七年一月のものをとってきた。しかし医療規模ということになりますと、それは二十四年の当時に初診が百回であったとすれば、初診の回数は百回として見てくる。それからその当時において看護婦を一人使って医者も一人であったならば、看護婦一人、医者も一人、こうやっていく、こういうことですか。——縦に首を振っていらっしゃるからそういうことだそうでございますが、今あの青い本、診療単価の動向ですか、あれを持ってきておりませんが、それの七十三ページに、多分今井さんのあれがついておりますが、そういうことになっておりますか。
  14. 館林宣夫

    館林説明員 今局長の言われた通りでございまして、スライドの仕方に三色ございまして、ある時点からある時点に延ばすときに、もと規模のものをそのままの姿で延ばす延ばし方と、そうではなくて、たとえば昭和二十七年を今日に延ばす場合に、昭和二十七年に毎日二十三人患者を見ておった、そのために薬を何ぼ使い、看護婦は幾人おった。同じ規模の同じ数の患者を見る医療機関が今日どのくらいの経費がかかるかというものの見方、そういうスライドのさせ方と、いま一つはそれは非常に仮定の議論になりますが、実際に今日に一診療所当り三十八人患者を見るように、規模は拡大されておる。看護婦もふえておるし、医者もふえておるという今日の平均医療機関の姿を仮定しまして、過去の小さい規模のものから、今日の大きい規模のものにスライドさせるという二つ方式があるわけであります。今井方式前者方式をとっております。今回の私どもスライド方式は後者をとったわけであります。前者をとる場合の問題点としては、患者が倍になれば必ずあらゆる経費が倍になるという結果が出てくる方式であります。そこに相当問題があるわけであります。たとえば門灯が一灯あれば済むものが、患者が倍になれば門灯が二灯になるかということ、患者が倍になれば諸経費が完全にスライドして倍になるということにも必ずしもならぬのじゃないか。従って同じ規模のものをスライドさせるというところにはそういう問題点一つと、もう一つ医療の姿もだいぶ変ってきておるわけであります。それを、昔と同じ種類の薬を同じ量だけ使うという仮定そのもの相当問題点があるわけであります。従って私どもが今度とりましたスライド方式は、今日の規模のものを推定し、今日の従業員推定し、今日の薬品の使用量推定して、すなわち物価変動スライドさして、そういう数量の変動をかけたわけであります。
  15. 滝井義高

    滝井委員 大体わかりました。  そうしますと、とにかく過去において適正であったか、不適正であったかということ、今井方式から出てきた十一円七十七銭というものと、あなた方のいわゆる物も変えるし、規模も変えるというこの新しい方式の行き方、いわば高田館林方式とでもいうようなものは、今度は医療費見方が違ってくることになる。いわばあなた方は二十六年の十二月から実施された今井方式というものをここで否定する形を作った、結論としてはこういうことになるんですよ。そう理解して差しつかえありませんか。
  16. 館林宣夫

    館林説明員 別の方式をとったということでありまして、別に否定をしているわけではありません。
  17. 滝井義高

    滝井委員 別な方式をとるということは、とにかく違った結論が出てくることを意味するのです。ですからある程度否定したということになる。とにかくわかりました。そこで物を動かし、片方では規模を同じくしておった。今度は規模も変えるし、物も変えるという方法でいった、こういうのであります。これで今井案政府案とが方式が違っておるということが、ここで一つ認識ができたわけであります。これは私にとっては一つの大きな進歩です。  そこでもう一つ問題点はどういうところに出てぐるかと申しますと、二十七年三月のいわゆる医業経済実態調査、あの当時におきましては多分病院が百十五、それから診療所が二百十七であったかと記憶しておりますが、あるいはその数は間違っておるかもしれませんけれども、大体そういう程度だった。百代と二百代であったと記憶しております。そうしますと、当時——私きょう来る前に速記を全部探したけれども探し出せませんでしたが、私の記憶に誤まりなかりせば、二十七年三月の医業経済実態調査においては、病院は一割四分の赤字であった。診療所は七%の赤字であった。ところがこわいかに、今度は三万三千五百二十四円五十七銭——二十七年三月調査で税を二八%とするならば、ここにいわば院長の給料的な生計費が出てきたわけです。今井案でいえば、いわゆる世帯支出というものが出てきた。それだけのものが世帯に使えるということは、それだけ利益があったということになる。利益がなければこういうものは出てこない。そこで、二十七年三月調査では赤字であったものが突如として、一夜にして黒字変化をする手品というものは、一体どこから出てくるのかということです。一つそのからくりをわかりやすく御説明願いたい。
  18. 館林宣夫

    館林説明員 二十七年三月に赤字であったというように思われます点は、当時の稼働点数四千九百二十五点に十一円七十七銭をかけた収入では、この当時の五万七千九百九十一円がまかなえないので赤字のごとき様相を呈しておったと思われるかと思うのです。しかしこの当時は約三割近い自由診療がありましたために、それと合せまして医師実態上五万七千九百九十一円の生活ができたわけであります。これはもちろん諸経費も含めて五万七千九百九十一円であったわけです。そういう経費出し得た状態にあったわけであります。そこでこの自費診療が相当多数あって、すなわち、当時を単価に換算すれば、この生計費及び諸経費稼働点数でいえば、十二円何がしという単価で全医療費をもらっておったような程度生計費並びに経費を基準にいたしまして今回スライドさしたわけでありますので、私どもの今回の案の基本に流れるものは、相当数自費診療によって生計が潤い、医療経費出し得た姿を土台にして、なおその後の稼働点数増加あるいは診療時間の延長等を見た案でございます。
  19. 滝井義高

    滝井委員 どうも今の答弁ではわからぬ。四千九百二十五点は自由診療も入れて四千九百二十五点になるのです。これは青い本をお読みになればそう書いてあるはずです。これは健康保険点数に、自由診療の盲腸の手術をたとい三千円とっておっても、それは今の点数でいえば二百五十点に直して計算しておるはずです。あなたはいやいやと言うけれどもそうなんです。われわれは今まで久下さん以下みんなからそういう答弁を受けてきておるわけです。当時あなたの今のような説明は一回もなかった。われわれは今ここに曽田さんを連れてきてもいい、曽田さんの速記を持ってきてもいい。これは岡君が明らかに質問しておるし、われわれもそれを再三にわたって確認しておる。二十七年三月は明らかに日本医療機関赤字である、こういう断定を下して、しからば赤字のものを、一割四分なり七%の赤字が出るとすれば、それを単価に直したら一体幾らになるのか、当然五十銭か五十何銭か不足しておった、その分は出すべきである、全くその通りであるという答弁もその当時曽田さんもやられておるのです。従って突如として赤字であったものが一その額は問いません、それはその五万七千九百九十一円とそれからあなた方の九万二千六百二十一円六十銭との開きということは問いませんが、とにかく赤字であったというその認識が突如として黒字になって、そしてその黒字の上にさらに黒字を積み重ねて、三十三年の六月になったならば、今の八・五%のワクの拡大をやると所得は二・一倍になっていくのだという論理の飛躍が納得がいかないのです。ですから赤字であったものが今のような説明黒字になるという納得はいかない。これは三千円か五千円違うのならいいのです。ところがこれは三万五千円違う。とにかく五万七千九百九十一円と九万二千六百二十一円六十銭を推してみると、約三万五千円違うのです。当時赤字であったものが、とにかく三万以上の純所得が得られるというこの違いは、あまりはなはだし過ぎる。ここらあたりをもう少しわれわれ頭の悪い代議士にわかるように説明をせぬと、やはりあなた方の答弁というものは、この前言うように、連続してきているのだから、とにかく十九国会と二十六国会とは場所が違うけれども国会議員は連続してずっと同じ資料でものを言ってきているわけですから、あなた方だけが、いやあのときは違うておったと今になって言ってもらったって、ちょっと質問にならない。国会の土俵は、国会がある限りは、第一国会からずっと、戦前は別として、終戦後のものは続いてきておることをやはり頭に置いて論議をしておかぬと、前に言ったことと今言ったことが、かりに赤字といったものが黒字になるような話をされると、わからなくなってしまう。それならばそこらあたりをもうちょっと説明して、一つ資料でその間の三万五千円の開きはどうして出てきたということを明白にしてもらいたいと思うのです。これはできるはずです。
  20. 館林宣夫

    館林説明員 今ちょっと統計を間違えて説明いたしましたので、訂正いたしますが、青い本の百二ページにある方が実態でございます。すなわちあの当時の単価というものは、先ほど局長から説明がありましたように、昭和二十四年の全国平均規模のものをそのままの状態スライドさせて一応計算をしたわけであります。一応計算して十一円七十七銭というものが出ましたけれども、そのときに実際調査をした結果、全国平均はそんな小さい規模のものではなくて、約一個所当り七千五百点であった。二十七年三月全国診療所平均は七千五百点であった。ところがスライドさせたのは、二十七年一月を目標に昭和二十四年の全国平均規模のものでスライドさせて計算したにすぎないのであります。それは単なる計算だけの話でありまして、実際は全国平均はもっと規模が大きく、もっとかせいでおる、こういう現状であるわけであります。すなわち一個所当り七千五百点であった。その七千五百点の稼働量における経費はどのように使っておったかと申しますと、一個所当り平均して九万二千六百二十二円の経費を使っておったわけであります。この九万二千六百二十二円のこれは全国平均でございますので、その中に含まれておる個人開業医平均生計費というものは三万三千五百二十五円であった、こういう性質を持った九万二千六百二十二円、これだけの経費をかけて医師は実際に生活しておったわけであります。ところが七千五百点を全部保険だけではまかなえないので、すなわち七千五百点かける十一円七十七銭ではこの額にならないわけあります。従って先ほど来赤字赤字というお話があるわけでありますが、実際にこれだけの生計を営んでおられる医師が、これだけの稼働量生活しておったということは、全部が全部保険ではなくて、全国平均してみたのでありますので、相当部分の自由診療があった。これをツルカメ算で簡単に出してみますと、すなわちこの七千五百点の中の何割を保険とする。これはある程度推定ができます。それを十一円七十七銭にして、残りをかりにx円で稼働したとしますと、簡単に十三円何がし、すなわち当時自費診療して得たものは平均点が十三円何がし程度所得を受けておった、こういうバランスになっておったろうと推定しておるわけであります。その自費診療が相当部分あって、それで九万二千六百二十二円の経費をまかなっておった。すなわち十一円七十七銭だけの、保険だけの生活でもなければ、保険だけの医療内容でもない。相当自費診療でつぎ込んでおった状態もとにして今回のスライドをした、こういうわけであります。
  21. 滝井義高

    滝井委員 あなたの方の九万二千六百二十一円六十銭がそういう形で出たことはわかるんです。ところが当時曽田さんがお出しになった二十七年三月の実態調査から出たものは、自由診療とか保険とかいうことを分けてはいない。とにかく医療機関収入支出とのバランスを見たら赤字であったということははっきりしてきておる。だからその赤字の実体というものは、何もこまかく保険幾らであって、自由診療幾らで、労災が幾らあったからこうなったということではない。これは全然分けておらないで、全部込みで医療機関収入支出とをもってお出しになった。きょうはこの点については、これ以上論争しても始まりませんが、当時医務局曽田さんの下でそれを作った人がおるはずでありますから、次回はそれを出してもらえばはっきりしてくる。私はこれははっきり私のノートにも書いておりますし、私も速記を探してきます。そこで次回——きょうでもいいですが、医務局曽田さんの下でその作業をした人がいるはずです。あるいは曽田局長にお尋ねになってもわかります。このなぞが解けぬ限りは、私たちは、あなた方のそもそもの一番の土台である二十七年三月の三万三千五百二十四円五十七銭、税二八%、これが納得できない。だから根本のそこをまず解明しなければいかぬ。きょうあなた方はそこらあたりをはっきりのみ込んでおられないようであるから、次回はもう少し検討してきて下さい。あなたの方でこういう大事なところは局議で諮ってやってきてもらわぬと困る、ですな。  そこで問題は次に移ります。そうすると今度は、そういう大きな根本の疑問、とにかく赤字であったものが黒字になったという、こういうからくりの疑問がわからぬということがある。だからそれは一つ委員長医務局に当時の二十七年三月実態調査の、赤字になった資料を次回に出すようにお願いしておきます。これはすぐできるはずですから。  さて次にお尋ねしたい点は、日本の総医療費というものは大体昭和三十年まではわかってきた。ところが三十一年と三十二年の総医療費というものはわからない。また社会医療経費も私たちにはまだ明白にされておりません。一体三十一年と三十二年の総医療費というものを幾ら保険局推計をしておるかということなんです。これはどうしてかというと、あなた方もすでにここで三十三年の絵をかいておる。とにかく三十三年の予算のワクというか絵をかくことができるならば、現実の三十二年の絵と、もうすでにわれわれが年月を過ぎ去ってしまった、墓場に近づいてきたところの三十一年についてもかき得るはずなんです。一体三十一年と二年の総医療費というものを幾らに踏んでおるのか、そしてその三十一年と三十二年の総医療費の中で、いわゆるあなた方の社会医療、これは国民保険まで入れたものですね、あなた方の健康保険関係と、それから結核予防法と生活保護、こういうものを入れたいわゆる社会医療一体幾らに見ておるかということなんです。ここらあたりのあなた方の、このくらいに見ているというところをお示し願いたい。
  22. 高田正巳

    高田政府委員 第一点の先ほど来の御質問に関連いたしましては、医務局の方の当時のものについてよく調べろということでございますので、それは調べたいと思います。ただ、私、先ほど来御質問を聞いておりますると、大へん失礼でございますが、滝井先生が少し誤解していらっしゃるのじゃないかというふうに私は見ております。われわれの案は、別に赤字が急に黒字になったりしたような前提は何も入っておりません。しかしこの点についてはもう少し私どもも記憶違いがあるといけませんので、当時の状況を調べてみたいと思います。  それから三十一年、三十二年の総医療費の絵をどういういうふうに描いておるかという仰せでございますが、三十一年、これは調べればすぐわかりますが、目下手元に私どもがさしむき必要として持っておりますのは三十二年でございますが、三十二年と三十三年の推計をいたしておるわけでございます。それで三十二年から申し上げてみますと、総医療費のいわゆる社会医療費以外の点については推計を加えておりませんけれども社会医療費といわれるものの全体の総計は二千七十八億という推計をいたしております。これはたとえば政府管掌の健康保険とか日雇いの保険とか、船員保険とかあるいは生活保護法でございますとか、こういうふうなものは国の予算として三十二年度の予算がきまっております。その予算をもとにしてこの全体の推計をいたしておるわけでございます。それから組合管掌健康保険及び共済組合についてはこれは御承知のように予算がばらばらでございますので、しかもこれは国の予算ではございませんで、各組合々々の予算でございまするので、その予算を押えるよりはむしろ三十年度の実績を基礎として推計を加えております。大体そういうふうなやり方社会医療の総医療費を二千七十八億程度推計をいたしておるわけでございます。  それから三十三年度、これは政府管掌とか船員保険とか生活保護法とかいうふうなものは今後の予算で予算折衝を通じて医療費も一応の見込みがきまってくるわけでございますが、ただいまのところ私どもが見込みを立てまして大蔵省に事務的にこれだけかかるだろうという要求を出しておる数字を基礎にいたしました。組合管掌、共済組合は実績を基礎として推計をいたしまして、総計が二千四百六十億見当と押えております。しかしこれは来年度の見込みでございまするので、この数字は今後予算折衝その他を通じて動いて参る数字でございます。ただしこの中にはこまかいことを申し上げ、大へん恐縮でございますが、結核対策の方が大きく今回来年度は動くような予算の要求をいたしておりまするので、便宜ただいま申し上げた数字には結核の医療費と結核対策に伴う医療費と予防法の医療費は含んでおりません。それを落して一応の数字をはじいたわけでございます。三十二年度と三十三年度とがこれだけの開きがあるだろうという相当な増額になっておりますが、これは御存じの国民皆保険計画に伴う被保険者の増、それから恒常的な年々の医療費の増というふうなものがございますので、そういうふうなものを見込んで一応この数字をはじいておるわけでございます。
  23. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、三十二年からいきますが、三十二年度の総医療費は明白でないので、社会医療、大体これがわかれば総医療費の大まかな推計はすぐできてくると思うのです。そこで社会医療が二千七十八億と出たわけです。そうしますると、あなた方の今度の試案によると、三十二年九月に出てきたものは、現在の医師の総収入は月に十四万七千百二十五円となっておる。これはあなたの方から出た数字で間違いないわけなんです。そうしますと、十四万七千百二十五円を平均収入として請求する診療所の総数というものは、先般あなたの方でお出しいただいた一般診療所における昭和三十三年の稼働点数推計というものを見ると、およそが出ておるわけです。まず百や二百の数の違いは大したことはありませんから、一応五万三千と踏めるわけです。従って昭和三十二年度における診療所収入は十四万七千百二十五円ですから、一応計算の都合で十四万七千円として、それに五万三千を掛けて十二倍すると、診療所取り分が出てくる。これは前の二十七年のときと同じです。そうしますと、そこに出てくる額は九百三十四億九千二百万円。そうすると今局長さんが御説明になりました昭和三十二年の社会医療費は二千七十八億、この社会医療というものの配分は一体どういう具合になっているか、四分六分です。病院が六、診療所が四、これがはっきり出てきている。あなたの方でおやりになった過去幾回かの医療機関診療状況調べといいますか、これは多分二十九年以来毎年五月にやっているはずです。日本の全診療所をこういう工合に調べているのはおそらく毎年のこの五月調査以外にはないと思っている。そうすると、三十二年の状態を見ても、三十年度の状態を見てもそれからずっと前の、今あなた方のお出しになったこの資料を見ても、診療所取り分というものは四割、一応ずっとそういう形でそれがきているわけです。従って今の二千七十八億の四割を見ますと、八百億です。それに何か加わるか知らぬけれども、とにかく自由診療がちょっぴり加わるかもしれません。これは大した問題にならぬと思います。そうするとここに約百三、四十億の開きが出てくるわけですね。これは自由診療になるかどうか。だからこの百億あまりの金が自由診療だという証明ができれば、今のあなたの推計は大体合っているということになる。
  24. 高田正巳

    高田政府委員 今のお話ごもっともだと思います。その差は二つ原因があると思いますが、先生四割というふうにおかけになりましたが、それが社会医療費基金払いの方は四割一分六厘程度ということに計数が出ております。国保の方は診療所の方が多うございまして五割一分二厘八一というふうな計数になっております。その割合の違いと、もう一つは今先生御指摘の全体の医療のうちの一三・一%は自由診療というふうに私ども見ておりますのでそれとの問題になろうかと思います。なお一つそういう計算を私の方でもやってみたいと思っております。大体いい見当に参るように考えます。
  25. 滝井義高

    滝井委員 私はあなた方の出された資料が大きなところから見て正しいかどうかということを今見て言っておるわけなんです。これは私流の、滝井流で見て言っておるわけですが、とにかく大きいところが大体合っておれば小さいところは違っておってもそう大して問題にならぬだろう。しかし大きなところが何百億という開きがあるということになるとこの信帳性は非常に少くなってくる。今の点で百三、四十億の開きができてきておるということは一応お認めになって、もう少し理論づけを明白にしておいていただきたいというのが第二の宿題になります。  次に、三十三年度の医療費、特に社会医療は二千四百六十億、こうなってきたわけです。そうすると今度ここが一番ポイントになってくるわけです。二十七年以来ずっと積み重ねをやって医師の一カ月の収入が十五万九千六百三十二円に三十三年の六月を基準にしていくとなるのだということなんです。これは今と同じような計算でやって診療所取り分を見てみますと十五万九千円にかける五万五千かける十二、診療所取り分は千四十九億になります。ここでも四割と見ると九百六十億くらいになりますね。これはあまり違っていない。四割と見ると千四十九億というものは四十億かそこらですから。そうすると三十二年と三十三年度は相当違い方が違うということなんです。これはそれだけどこか本質的な内部的な違いが医療の中に出てきたということのためにそういう違いがあるかもしれませんが、とにかく違うということは事実です。同じような差は出ていない。こういう違いが出ております。そこで一応昭和二十六年以来の日本の総医療費の合計の動きをずっと見ていってみますと、二十六年から二十七年、二十七年から二十八年という医療費の推移の状態は三割ずつ医療費が上っている。二十六年から二十七年は千百七十二億から千五百四十九億になっているから三割二分程度上っていっております。二十七年から二十八年は二十七年の千五百四十九億が二千九十二億になっておるから三割五分上っております。ところがそれから急カーブに二医療費の上昇は低下してきた。どういう形になっておるかといえば、二十八年は二千九十二億が、二十九年当初あなた方が医務局から出された案は二千二百八十一億と出されてきた。ところがその後それを今度は二千四百三十八億と修正をした。そうしてその後さらに二千六百二十七億と修正した。二十九年の総医療費というものが医療費体系を中心に非常にやかましくなった一番頂上です。二十九年十一月に医療費体系出したのですから、従って医療費の取扱い、特に総医療費は取扱い方が非常に慎重になってきた。そこで二転、三賦して二千六百二十七億の中でで約二百億経度のいわゆる患者輸送費、間接費を入れた、こういうように変化をしてきた。そして、この前いろいろ御説明を聞きましたが、二十九年の総医療費の取り方は二十八年、七年、六年と全く違った取り方をし始めた。それは統計調査部にお聞きになるとわかるのですが、全く違った計算の仕方をし始めた。ところが、ともかく医療費の伸びは、直接的な医療費、間接費をどけてみると、二千四百三十六でいくと一割四、五分程度しか伸びていない。今まで三割伸びておった医療費が、総医療費が問題になり出してから一割台という形になってきた。これにはからくりがあるかどうか知りません。しかしちょっとからくりがあるような感じがするような疑いが持たれるニュアンスがある。しかし医療費問題がやかましくなったために医療費の引き締めその他が行われて、こういう状態になったのかもしれない。さらに二十九年から三十年度の推移を見ると、当初に出し医務局案は二千二百三十億だった。ところが二千七百十五億に変り、二千九百億にこのごろになってから変った。医療問題が一番やかましくなった二カ月前になって変った。これを見てみますと二十九年の二千六百二十七億から三十年の二千九百億になると一割しか増加してない。こういうように医療費の伸びは一〇%台になってきたということが言える。おそらく今度三十一年度でもそういう形になるだろうし、それから今高田さんの御説明になりました社会医療が三十二年、三十三年、これは四百億伸びておりますから、ちょうど二割伸びておることになるが、おそらく他のもので調整されて、これはあるいはそんなに伸びてないかもしれませんが、ともかく最少に見積っても一割はずっと伸びていくという推計が一応できるわけです。初め総医療費国民所得の割合に比べて三%であったものが、今度は二十九年になりまして以来、国民所得の伸びよりも医療費の伸びが激しくなって四%台になってきております。従って私たちが総医療費推計する場合には、前年度よりも最小限に見積っても一割をこえる増加があるし、国民所得との関係を見ればまず四%から四・五%程度ワクの中で伸びていくだろう、非常に大ざっぱな見方かもしれませんけれども、そういう形をとるということは大体見当がつく。そういう見当でまず三十三年度の医療費、総医療費をずっと見ていってみますと、どういう形になるかというと、三十年度の間接費を除いた二千七百十五億、これは間接的な氷樋代とか患者の輸送費が二百億入っておりますから、二千七百十五億になる。それで一割だけ伸びていったとすると二百七十億足せば、間接費を除いた総医療費は三十一年度は二千九百七十億、こういう程度になるわけですね。それをさらに今度は一割伸ばして三十二年度を出すと、二千九百七十億ですから、一割二百九十億、そうすると三千二百六十億、約三千三百億台となる。それにさらに三十三年度一割伸ばすと三千五百億になるわけですね。これは日本医療費の伸びとしては最少の見積りの仕方だと思うのです。そうすると三千五百八十億というものが三十三年度の総医療費だとすると、二十七年以来の推計をずっと見ておりますと、大体総医療費の七割五分というのが病院診療所とひっくるめたものの取り分になっているのですよ。従ってそれは二千六百八十五億です。そうするとあなた方の社会医療の二千四百億と大体似ているのです。医務局の専門家の意見によると総医療費の誤差というものは大体プラス・マイナス二百億だ、こういわれております。いろいろの要素が加わってくるので二百億の上下がある、これが大体統計家の意見です。そうしますと大体こういう大きな問題のときには私は百億かそこらの違いというものはそう文句を言いたくない。一応私の最少の推計をもって言っても三千五百八十億になることはあなた方も大体納得がいくのじゃないかと思う。総医療費が伸びていくのですから、これより伸びることがあってもこれより縮むことがないというのは確実だと思うのです。そうするとここに問題が出てくる。どういう問題が出てくるかというと、二千四百億と六百億ですから、結果としては今あなた方より推計では二百億だけ総医療費がふえるという見方になってきたのです。これを病院診療所の六と四に分けると、三十三年度における診療所取り分というものは千四十九億——千億になるわけです。それから病院取り分を六とすると千五百億になる。だから約二千五百億、もっと端数をどけていきますと大体あなた方のものに近づいていくことになる。一体そういう推計をした場合に、三千五百億から、あなた方の数字でもよろしい、二千四百億を引いた場合の一千億の金はどこへいったのかということです。だれが取るのだ。これは間接費をどけていますよ。千億の金の行方なんです。千億という金はどこへいったのかということなんです。病院も取らないし診療所も取らない、間接費もどけた。そうすると今まで国民医療費の中で、薬剤師の取り分として出てくるものは、ずっと過去の医療の統計を見ると二百億ぐらいしか出てきていない。そうすると総医療費というものは三千四、五百億になるのだが、あなた方の社会医療費の二千四百億を引いても千億残るのだが、この千億の金はどこへいったかということです。これをまず探求してかかる必要がある。薬剤師は千億は絶対に取っておりません。薬剤師の取り分というものは、三十年度の国民総医療費推計の結果でも売薬にいく分が二百五十億です。それから二十九年では二百十二億です。これは変っていない。二百五十億から三百億の間を往来しているのです。そうしますと医療費の取り方から、直接医療費とそれから間接医療費にした場合に、今言った間接医療費の大物の物品費を含んだ医療費というものは全部どけちゃったのです。氷嚢とか氷代というものは初めからどけちゃったのです。そうすると千億の行方がわからなくなった。一体これはどこへいったかということ、この行方を探求するにあらざれば医療費の問題というものは、医者がどのくらい取っておるかどうかという信憑性というものがはっきりしてこない。これは出てこない。おそらくその結果は三十一年度についても三十年度についても今のような計算でいくと総医療費の中からどこへいったかわからない金が出てくるのです。だから一体その金はどこへいったかを出すことによって医療費問題というものは私は割合やさしく解決できるのではないか。もし変なところにいっておれば、いっているところをせきとめて、医療内容の向上につぎ込み、あるいは医師の待遇改善が必要なら待遇改善につぎ込むという方法が出てくるのです。ここらあたりの数字のからくりですが、これはやはり探求してみる必要があると思う。今あなた方と納得ずくでずっと明らかにして積み上げてきたのですから……。
  26. 高田正巳

    高田政府委員 千億の金がどこへいったのかというお説ですが、滝井先生のような計算の仕方と今のわれわれの出している案というか、描いておる構図とは千億の開きがあるじゃないかということだけで、それはどこへいくことになるのかという御質問だろうと思うのです。そういうことになれば総医療費というものの中身はどういうふうなものが書き上げてあるかよく検討してみなければなりませんけれども、結局医療機関かそれから薬局か、まあ直接医療費というものは、それ以外にはいくところがないわけですね。そうするとこういうことになると思うのです。滝井先生お話のような御推定は将来の問題ですから正しいかどうかわかりませんけれども、かりにそうなったとしますと、結局医療機関以外にはそれは払いようがないわけですから、われわれが一万二千五百点と踏んでおりまする稼働が多くなって病院診療所、その一部は薬局にいくということとになるわけでございます。われわれは一万二千五百点という現行点数もとにおいての稼働量というものを推定しておるわけで、それがそれより多くなれば医療機関平均収入は多くなるわけで、従って総医療費ふくらがるわけです。それより少くなれば総医療費も少くなってくる、こういうことになるわけでございまして、どこにいったのだということは、探求すると申しましても、医療機関に払ったものと薬局等に払ったものとを調べた総計の数字が医療費なのでございますから、これはどこにいったのだというよりは、むしろその医療費の数字というふうに積み上げた数字が合わなけば、それはどちらかにその推計の誤まりがあるとか、将来の問題とすればものことの推移がそういうふうに進まない、かりに今申し上げましたように滝井先生のように直接医療費が三千五百億になるということであればそれだけ医療機関収入は多くなる、こういうことであろうかと思います。
  27. 滝井義高

    滝井委員 その通りなのですよ。だから医療機関収入が、千億というものが薬局か医療機関にいく以外にないとすれば、一体千億の金というものはどこにいっておるかということなのです。もしそれが診療所にいっておるとするならば、あなた方のこの評価というものは過小評価されておるわけです。総医療費ですからそれ以外にいくことはないわけですからそういうことになる。だから少くとも二十七年の三月の見通しにおいてはとにかく実態調査をして、病院診療所取り分というものが千百七十一億六千八百万用ときちっと出てきたわけです。それは総医療費の中でとにかく七割五分を占めておるということははっきりしてきた。総医療費の中で病院診療所のものも何もひっくるめて七割五分とれておるならば、三十三年度もそれと同じような統計のとり方をしてくれば出てくることになる。そうしてその七割五分というものは三千四百十四億円にプラス自由診療分です。そうすると自由診療分は一割三分とみても、大体二百五、六十億これに加えればいいんだから、二千六百億になる。そうすれば私の推計と同じになってしまう。そうでしょう。私の推計というものはさいぜん大体二千六百八十五億になる、こういうことを申し上げた。そうすると同じになるのです。合っていいわけなのです。合っていいんだが、そうすると、それは昭和三十年度の総医療費の中で間接費をのけたものが二千七百億です。これはあなた方のお認めになるところなのです。それはあなた方の書類でも、ちゃんと間接費をのけたら二千七百億になっているはずです。それから、とにかく出発点は一番近い三十年、今われわれの手元にある統計の一番新しいものは、三十年を出発として三十一年、三十二年、三十三年途中はわからないのです。途中は、あなた方が出してくれればもっとはっきりしてきます。途中の総医療費をずっと出してくればもっとはっきりしますけれども、私がその過去の大きな数字をこう扱ってみると、最低一割は伸びている。医療費の伸びは一制ずつあるということは、過去の統計推計から見てもこれは過大評価ではないということになって、こう積み重ねていくと、結局三千五百億になるのだが、一体そのあとの一千億というのはどういうところに行ったのだろうかというこの疑問なのです。これは全部薬局に行っているはずはない。行きどころがない。もし医療機関が、あなた方のおっしゃるように二千四百億というものが正しくて、一割三分の自由診療というものが正確であるとするならば、医療機関病院診療所と歯科医師に入ってくるものは二千六百億しかないでしょう。これはお認めになるでしょう。そうするとあとの千億というものはどこに入っていくのだということになる。それはないというなら別ですよ。ないというならば、結局総医療費というものは間接費を二千六百億に加えたらいい。そうすると間接費として出てくるものはいつも二百億くらいしか出てこないのだから、二千八百億というものが昭和三十三年度の総医療費になるかというと、そういうことはない。それよりもっと上になることは明らかである。そこらのなぞを解いてもらいたいということなのです。滝井先生のような推計にすればそうなると言うけれども局長さんここまではお認めになるでしょう。とにかく社会医療が、あなた方の精密な科学的な推計によれば二千四百六十億になる。これはお認めになるわけです。あなた方が今答弁された通りです。私もそれを認めます。それに自由診療が加わるので、病院診療所と歯科医師もひっくるめたものの取り分というものは二千六百億あるいは二千七百億台になる。これはお認めになるでしょう。
  28. 高田正巳

    高田政府委員 今の先生の仰せは、大体私同じ気持でおります。ただ数字を今先生がお扱いになっておりますので、前提の数字は少し分析してみなければならぬと思うのですが、先ほど申し上げましたように、二千四百六十億というものの中には結核予防法に基く医療費というものは入っていないということが一つです。それからそれにプラス自由診療が、私ども推計では一三・一%という推計でございますが、これの自由診療値段というものがどういうふうになるかということも考えてみなければならない。そうするとその要素を加えて、それが先生仰せのように二千六百億になりますか、七百億になりますか、八百億になりますか、それは私今計算ができませんけれども、そういうふうな操作をすれば今の先生の仰せのような数字が出てくる、こういうことは私納得いたします。
  29. 滝井義高

    滝井委員 だから二千六百億か七百億程度のものが出てくるということは     〔高田政府委員「もう少し多くなるでしょう」と呼ぶ〕 それは多くなってもかまいません。しかし千億はふえないと思います。一割三分ですから、ふえても三百億か四百億というところだと思うのです。それにしても三百億か四百億ふえたところで、まだ五、六百億の金というのがわからなくなる。
  30. 高田正巳

    高田政府委員 わからなくなるという仰せでございますが、それはどっちかの推計が間違っているということです。だから、今先生が一割ずつ医療費が伸びるという仮定をお置きになったわけですが、そういうふうにして推計をすればそうなるし、それから片一方からの推計だとこういうふうな数字になる。そうすると、そこに数字上の合わぬところがあるのではないか。そういうふうに推計をすれば、数字上に合わぬところが出てくるということは、これは先生計算通りになるかどうかわかりませんけれども、私もおそらく数字上に合わぬところが出てくると思います。その場合には、その推計は現実と両方とも違っているか、あるいはどちらかがはなはだしく違っておるかということだけの問題でございまして、その差額が一体どこへいったのだ、それの行方を探せと仰せになりましても、これはちょっと御無理な注文ではないかと思うのでございます。なおもう少しよく考えてみたいと思いますけれども、そういうふうに今のところ私感ずるのであります。
  31. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと局長さん、推計を加えると非常に間違いが起るという論ですから、私が一歩退きましょう。そこで、一審はっきり出ているところで議論をすれば、あなた方のやったことは正しいかどうかすぐわかるわけです。そうしますと、昭和三十年度の社会医療の総計というものは出てくるはずです。これはあなた方が今までずっとやっていらっしゃっているから、出てこなければならぬはずです。だから昭和三十年の社会医療一つ出しいただいて、そしてその場合における自由診療の割合が一体幾らかということも、これはおわかりになっているはずです。その二つ出していただけば、昭和三十年の総医療費が出ているわけですから、そうしますと、一体医療費の見積りと、今度社会医療の現実に実施をしたあとの結果とを比べてみればはっきりしてくるわけです。そうすると、先の議論をしていっても、一番近いところでやっていくのですから……。それを一つやってみて下さい。そうしてそれを、今度は診療所医師取り分とこう分けてみれば、大きいところで推計がいくと思うのです。  そこで今度は、それでは今の点と関連しまして、あなた方のことしの見積りを見てみますと、三十二年九月現在か何か知らぬけれども、三十二年の医療収入というものは十四万七千百二十五円になる、こうなっているわけです。そうしますと、昭和三十二年の五月の資料以外私たちの手元にはない。私はその医療機関収入をずっと出してくれと、この前から言っているけれども、あなた方はない、ないと言って出さぬから、私は苦労してあっちこっち探した結果やっと見つけてきた。しかしそれも結局日本には五月以外には統計がないのです。そこで三十一年度分が手に入りませんが、三十年度分と三十一年度分を見てみますと、診療所、これは公的、私的診療所、法人全部入れているわけです。それは私は不満だけれども、あなた方が入れてきているから一応入れてみますと、三十年は五月で平均は六万五千円です。社会医療の基金を通ずるものが六万五千円。従ってこの中に入っていないものは何かというと、国民健康保険とそれから自由診療と労災が入っていない。そうして三十二年を見ますと七万四千円です。これで大体結論が出てくる。五月と申しますと大体一群収入が多い月です。だから月の平均を一応七万四千円——まあ七万円と見てもそう開違いがない。それで社会医療を七万円と見て、今度は国民健康保険収入自由診療、労災の収入を加えたものが、同じく七万円と見ると十四万になるわけです。そうなるでしょう。社会医療収入が七万円、自由診療、国保、労災の収入が七万、こうすると月に十四万の収入、こうなるわけです。そういう見方をすると、あなた方のこの推計というものは合うことになる。十四万何がしだから、まあはしたはいいとして、万の台だけは合うわけです。ところが今の日本医療実態を見ると、社会医療の七万の収入と同じだけが、平均してみて、自由診療と国保と労災であるかといえば、これはないんです。ないということになると、平均所得が十四万を割るということになる。大きいところまでいってもなかなか話がつかぬから、少し問題を下に下げてみた。あなた方は大体社会保険医療基金発表のいわゆる七万四千に対して、国保とそれから自由診療と労災との合計の比を一体幾らに見ているかということなんですね。これを一つお聞きしてみればわかると思うのです。
  32. 高田正巳

    高田政府委員 私どもの十四万七千円を今日診療所当りのいわゆる月平均稼働金額であるという推計は、今先生が仰せのように、基金で支払っております総点数のうちでどれだけ診療所に行くかということを来年の年間平均をしてみまして、先ほど申し上げましたように、四割一分六四二とこの前稼働点数数で御説明いたしましたが、そういったものが行く、それから国保で支払っておりますもののうちでどれだけ診療所に行くか、そのほか先生におしかりをこうむりましたが、窓口徴収の一部初診料が入りますので、そういうものを加算し、直接払いのものを加算をいたしまして、それから自由診療をも加算をいたしまして、診療所の数で割ったということでございますから、ちょうど先生が今お述べになりましたような方向で、月一万二千五百点という稼働点数計算しておるわけであります。従って、先生が仰せになりましたような行き方で参りますのと私どもの考え方とは、基本的な方向としてはものの考え方が同じでございますので、その数字は合うはずでございます。私はそういうふうに、今先生の仰せを聞きまして考えたわけであります。
  33. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、あなた方の推計の結果は、いわゆる社会医療と申しますか、基金支払いの分に匹敵するものが国民健康保険と労災と自由診療収入の中から医療機関に支払われておる、従ってこれは率で言えば、国保を除いた社会医療が五割、国保と自由診療と労災が五割、こういう形になるのですよ。これはそうはなっていないのですよ。なっていないところに問題がある。そうなっておれば納得がいくと思うのです。この前お出しになった資料をごらんになりましても、国保の診療所分というものは幾らになっておるかというと、一億七千三百九十一万点なんです。まずこれを一カ月二十億円と押えても、年間にしたら二百四十億円です。そうすると、自由診療と労災とをどのくらいに見るのか。だから、そこらあたりを見て五万五千の診療所で割ってみれば一診療所の分が出てくるわけですね。それを七万何がしというものに足して十四万になれば万々歳ですよ。ならなければどこか間違っておるということになる。それ以外に診療所収入というものはないのですからね。七万円という数字がかわらぬと言うけれども、七万というのは、五月の調査から出てきておる。三十年度の調査においては六万五千円なんです。だから、この数字というものは毎年大体一万前後の一診療所収入の伸びがあるということに見ても差しつかえないと思うのです。これは必ずしもぴっと一挙には一万円伸びておりません。おそらく月の伸びは五、六千円でしょう。これはずっと過去からとってみれば一番よくわかる。二十九、三十、三十一、三十二と、この五月をずっと並べてみると大体一つの傾向が出てくると思うのです。これもちょっとあなた方明確な御答弁いただけないようでありますが……。
  34. 高田正巳

    高田政府委員 この間お配りをいたしました一般診療所における昭和三十三年一月平均稼働点数推計という資料をごらんいただけばわかるわけでございますが、三枚目に3として、一診療所当り社会医療点数と書いてございます。その下に三億九千百何点、これが支払い基金の取扱い分でございます。しかも診療所に行く分でございます。これの計算の仕方は、その前に書いてありますように、実際に基金で支払いました過去の分を、毎月十二カ月移動平均をいたしまして、それに対して先ほど申し上げました診療所取り分をかけたものが三億九千百何点でございます。それからそれに対する加算分、先ほど申し上げました窓口で徴収をいたしまする分、それから直接払いの分、これが四千二百七十六万六千点である、それから国民健康保険は一億七千三百九十一万点である、こういう見方をいたしておるのでございます。そうしてそれを五万五千百二十二という診療所の数で割っておるわけでございます。従って、今の御質問のどれだけのパーセンテージに見ておるかというのは、この式の点数のパーセンテージを見ていただけばすぐわかるわけでございます。それから自由診療はその4というところに出ておりますが、来年の三十三年、年間平均としましては全体の医療の一三・一%が自由診療であるという推計をいたしております。従って、今の数字を五万五千百二十二で割りました一万一千二十六点に対して、その一三・一%の、これは逆数というのでございますか、一五・一をかけて、そこの一番下にございますように、一万二千六百九十一点という数字を出しておるわけでございます。これは稼働点数ですべて計算をいたしておりますので、今の金額には表示されておりませんけれども、今先生の、基金でどれだけ払い、国保がどれだけのパーセンテージ、あるいは自由診療がどれだけのパーセンテージとして見ておるかという御質問に対しましては、これらの数字がすべてお答えをいたしておるわけでございます。
  35. 滝井義高

    滝井委員 ちょっとこれでは一目瞭然わかりかねますので、ごめんどうでしょうが、一つ二十七年三月調査をやったときと同じように、一カ月間の診療所平均がこれだけになる、たとえば三十億なら三十億になるのだ、そして一年間にすれば三百六十億になる。それで今度はその三百六十億を内訳にすると社会医療、いわゆる基金を通ずるものが何億、それから国民健康保険が何%で何億、それから自由診療が何%で何億、こういう工合出していただけませんか。そうしますと非常に問題がはっきりしてくるのです。こういう何億、何点というような数ではなかなかちょっと割算でもしなければわからぬのです。電気計算機を持っているわけでもないから、お宅の方でごめんどうでしょうが、わかりやすく診療所所得の内訳を明白にしてくれませんか。そうしますと、非常に議論が単純になって時間も省けると思うのです。一々計算の根拠をここで明らかにしていくのも非常に大へんですから、そうしますとわかりやすくなっていくと思いますから、このパーセンテージと金額、これは病院も同じですが、一応表わしてみて下さい。  これで終りますが、共済組合と健保の資料をちょっといただきたいのです。もう一つお願いしておきたいのは、この前昭和三十二年度の政府管掌の健康保険経済の見通しについて御質問申し上げました。そうしたら高田さんはとんとんだとおっしゃいました。ところが私たちが今後いろいろ政策を立てる上において、三十二年度の経済の見通しなくして三十三年度の見通しというものは立たぬと思うのです。それで三十二年度の見通しを、保険料の伸びの状態、受診率の状態、そういうものを中心にしてこれは次会でけっこうですから御説明願いたいと思います。
  36. 八田貞義

    八田委員 厚生省保険局から出されました「社会保険医療診療報酬の算定方法並びに点数及び単価策定方針の概要」、その中に方針といたしまして述べられている点は年来われわれが主張する点でございますが、ただ「算定の結果」、これを見ますと「方針」と「算定の結果」とのつなぎ工合がどうにも納得がいかない。と申しますのは「算定の結果」を見ますと、「前項の算定方法に基いて算定すると、一診療所当り平均収入は月一五九、六三二円となり、現在の月一四七、一二五円に比し八・五%の増となる。また、開業医の所得は、月六九、九五五円となり、昭和二十七年三月の三三、五二四円に比し、およそ二・一倍となり、一般勤労者の増加率約六割を大幅に上廻る結果となり、その待遇は著しく改善される。」こういうふうに書いてあるわけです。この「待遇は著しく改善される。」という意味なんですが、これはどういう意味でございますか。生活費の上昇を見て、それで待遇が非常によくなったんだ、収入がそれだけ上ったんだから、従って生活の方も十分やられてこられた、こういう意味ですか、待遇が非常によくなったというのは。
  37. 高田正巳

    高田政府委員 御質問の御趣旨を十分にはかりかねておりますが、今先生が仰せになったような意味でございます。所得がふえる。そういう結果になるという意味でございます。
  38. 八田貞義

    八田委員 そこで一般勤労者と比較してという意味でございますが、これは一般勤労者を対象に出された意味がはっきりしないのですが。
  39. 高田正巳

    高田政府委員 一般勤労者は二十七年から、今日今までを比べますと、六割くらいの所得の増になっておる。ところが今回の改憲案が実施されますと、二十七年当時の医師所得と比べますと、二倍ちょっとになる。従ってその伸び方が六割と、約十一割でございますので、伸び方がよくなるということでございます。なおこの横の比較をいたしますと、二十七年三月当時の常用労働者の現金給与額に対する医師世帯支出三万三千円、これは二・六倍程度になっております。それで三十三年の改善案が実施されたあとの七万円弱というものと、三十三年の推定常用労働者の現金給与額とを比較してみますると、二・九九倍くらいになるという推定でございます。横の比較をいたしますると、そういう数字が出て参ります。
  40. 八田貞義

    八田委員 私がお尋ねしておるのは、一般勤労者を対象として選んで——比較する場合には対象を選ぶわけですが、一般勤労者を対象にして比較しますと、非常に誤解を招いてくるわけなんです。ですからこれは方針としてあげられた文句は——内容は非常にわれわれの考えと一致するわけですが、ところが算定結果を見ますと、対象にしてはいかぬと考える一般勤労者を持ってきたというところに、私このあとの方の文句を見まして納得できぬわけです。と申しますのは近ごろよく比較できない対象を持ってきて比較して、だからあなた方は非常にもうかっておるんだとか、あなた方は非常にいいことをしておるんだというような比較が非常に行われておるのです。たとえば例を申し上げますと、どうして新興宗教が最近隆盛になって信者がたくさんふえておるかと申しますと、新興宗教は主として病気をなおすようなことをいろんなお祈りでやっておるわけですが、その場合に医者には誤診があるが、わが宗教には誤診がございませんといって、対象をまず引っぱってくる。そうしてなおらぬと、あなたの信心が足りぬということでずっと引っぱってくるわけです。そうしますと、医者には診断学という学問があるわけで、誤診は当然あってもいいわけなんです。ところが宗教には診断学という学問はございません。ですから誤診など初めからないわけなんですけれども、大衆を引っぱっていく場合に、医者には誤診があるが、わが宗教には誤診はございませんということで、ずっと引っぱっていく。ですから対象にできないものを対象にして、そして算定結果がこうなりましたということになりますと、大衆に与える影響というものは、非常に大きくなってくるわけです。と申しまするのは、ここに出ておる数字なんかも、これは算術平均値以下のモード計算というものをやってみると、非常に実態と離れた数字が出ているわけです。ですからあのりっぱな末高教授にしましても、医者収入はこんなにふえているじゃないか、勤労者に比較して幾らだという算術平均値をもって、そして民衆を惑わすという結果になってくるわけです。実際申しますと、対象にすべからざるものを対象にしたがために混乱を起しているじゃないか、こういうふうに私は考えるのですが、局長さんはこの結果につきましてどういうふうにお考えになりますか。
  41. 高田正巳

    高田政府委員 八田先生がおっしゃっておるお気持は私もよくわかるような気がいたします。ただ私どもここに便宜一般勤労者を持ち出しましたのは、一般勤労者というのは国民全体の中で働いておる者というような意味で、何かと一般的なものと比較してみるということが必要であろうというふうなつもりで、ここにこういう記述をいたしておるわけであります。医師と一般の勤労者とを結びつけてものを考えなければならぬのだというふうな考え方で、こういうふうにいたしておるわけではございません。先生の仰せになるお気持は十分私どもにもわかるような気がいたします。
  42. 八田貞義

    八田委員 対象にとられたのは間違いだというお話のように伺われるのですが、結局診療報酬の改訂問題というのは、単に医師生活がどうであるとか、あるいは保険者の負担がどうであるかという点にだけ問題があるのではありません。今の単価点数では健康保険医療が行き詰ってきている。国民皆保険の実施を今後に控えて、何とか改めておく必要に迫られておるということが問題になっているわけです。ですから問題の焦点は、今の単価点数が不合理なために、医療の内容がゆがめられて、医療水準が低下させられているんだというところに、問題の焦点があるわけです。ですからこういった算定結果をもって対象にとってはならぬものを対象にしていく場合には、問題の焦点がぼけてしまう。一般勤労者を比較したら——これは生活の水準問題であります。医者というのは生活だけを要求しているわけじゃない。医療水準を不当に抑えられているから、何とかして世界の医療水準に近づけていきたいというのが医師の叫びなんです。ぜいたくさしてくれということは言っていないわけです。ですから公表する場合には、対象にすべからざるものを対象にしていくと、先ほどのような新興宗教の発展、隆盛を招くような混乱が起ってくるのではないか、こういうふうに私は考えるわけです。今後いろいろ厚生省の行政問題とか今後のあり方について新聞発表をされる場合がたくさんあろうと思いますが、この点は十分にお考えになって発表されませんと、非常な誤解を招きやすいということをここで申し上げておきたいと思うのであります。  それから今の診療報酬の問題でございますが、二十六年の単価検討の際の基本資料というものは、二十四年九月調査による医業経済調査一つだけしかなかったと私は記憶しておりますが、いかがでしょうか。
  43. 高田正巳

    高田政府委員 第一点の診療報酬を改訂いたす理由といたしましては、今先生御指摘の医療内容の向上といいますか、そういう医学、医術の進歩を取り入れるという点を私どもも十分配慮をいたしておるつもりでございます。今御指摘の記述は、医師生計費ということに関連をいたす記述でございますが、所要経費というところでさようなことを私どもといたしましては配慮いたしておるつもりであります。従ってこれは今日一診療所当り幾らの所要経費を使っておられるかということが、実は的確に把握いたしてございません。従って現在のものと比較を数字的にすることができませんでございましたけれども、いろいろな資料から推定をいたしますと、これだけの所要経費はお使いになっていないだろうというふうに私どもは見ているわけでございます。しかしこれは推計でございますので、正しいかどうか問題でございます。従って私どもの今回の案は、今先生が仰せのような点を配慮いたしまして、かりに現在使っておられないにしても、これだけのものは使っていただかなければ、現在はいろいろ節約をしてやっておいでになるのであるから、これだけのものは使われるべきであるという経費を実は出したつもりなのでございます。私の気持といたしましては、今先生御指摘の点はそちらの方で配慮をいたしておるつもりでございます。この配慮の仕方が十分であるか不十分であるかということは、これは大方の御批判を得たいと思うわけでございます。  それからただいまのお言葉の中の、単価をあるいは医療費を引き上げをしてくれということの中には、われわれの生活云々というようなことは言っていないので、とにかく医術の進歩に即応したような医療内容にしたいからということだけしか言われてないのだということ、それは確かにそういうふうに療養担当者が御主張になっておることは私どもも承知しております。同時にまた二十六年以来単価が据え置きになっておることによってわれわれが犠牲になっておるのだ、その犠牲の上に医療保険というものは運営されておるのだという声のありますることも承知をいたしております。従って、それは両方が主張されておるものと私どもは了解をいたしておるわけでございます。  それから二十六年当時の単価をきめまする際の基礎資料として使われたのは二十四年の医業経済調査だけかという御質問でございますが、基礎的なものはこれだけであったと承知をいたしております。ただそれにいろいろな他の従たる資料を用いておりますることは当然であろうかと思いますが、大体それを基礎資料といたしまして、この前の単価の決定がなされたというふうに申し上げて差しつかえなかろうと存じます。
  44. 八田貞義

    八田委員 局長答弁の第一点の中で、医師生活ばかりという面じゃなくて、設備の面についても両方考えていくのだ。もちろんそうなんです。ただ問題の焦点は、生活だけをとらえて、食えないから上げてくれという問題ではなくて、問題の焦点は医療内容の改善向上、医療水準を引き上げていかなければならぬという問題が一番中心点をなしている。ですから、私の言うのは、もちろん生活問題も含まれておるわけです。ただ焦点は、すなわち今の単価点数では健康保険医療というものは行き詰まってきておる。国民皆保険の実施を今後に控えて、何とか改めておく必要があるのだという、この問題の焦点を申し上げておるわけでございます。そこで二十六年の基本資料というものは、今お話のように、二十四年九月調査によるところの医業実態調査だけが基本資料になっておるわけでありますが、このときにいろいろ問題があるわけですね。このときの単価はじき出しについては、いろいろと問題点があるわけであります。  そこで問題点を三つばかり拾って申し上げてみたいと思いますが、計算基礎になったものは、ゼロ床、ベッドのない診療所の実績をもとにして計算基礎とされたわけですね。ですからこの場合、ゼロ床診療所の実績を計算基礎にしたというふうに私は記憶しておるわけですが、この場合、対象になったゼロ床診療所はどれくらいでありますか。全体の中の何パーセントを取り上げて、そうしてその実績を計算したか。
  45. 高田正巳

    高田政府委員 だいぶ古いことでございますので、私どもそのときの事例、サンプルの数等をただいま記憶いたしておりませんので、調査をいたしましてからお答えをいたしたいと思います。
  46. 八田貞義

    八田委員 その際二十四年の医業実態調査ですが、一体健康保険の利用度から考えてみて、ゼロ床診療所がどのくらいの割合を持っておったか。その点もおわかりになればお知らせしていただくわけでありますが、本日おわかりにならなければ、次の機会にでも教えていただきたいと思います。  ところでもう一つ問題点となるのは、稼働点数の問題があるわけです。二十六年の単価決定の際ですね。ところが二十六年の単価決定の際には、二十四年の実績そのまま、四千九百二十五点という点数収入面の計算基礎としておるわけでございますね。ところが二十四年から二十六年と二カ年間でございますが、医療内容が年々改まっていくとともに稼働単価も変ってくるわけです。ですから二十四年の実績そのまま四千九百二十五点をとったということは現実離れのした数字であったというとになってくるわけです。この点は間違いないわけでございますね。四千九日二十五点というのは、二十四年の実績そのままを二十六年の単価検討のときに使った。この点間違いないですね。
  47. 高田正巳

    高田政府委員 それは先ほど滝井先生の御質問によってお答えをいたしましたように、二十四年の資料そのまま稼働数を押え、それから経費の方のいろんなものの量、人員というふうなものも、二十四年当時の姿そのままとして押えてやりましたので、二十七年当時とは変っておるわけであります。具体的に申し上げますと、たとえば稼働点数におきましては、先ほど私ちょっと申し上げましたように、四千九百二十五点という基礎計算をされ、それから一カ月の経費は、先ほど滝井先生御指摘のように五万七千円程度、そのうちに医師生計費として見られましたものは一万八千円程度、こういうふうに計算をされたわけでございます。ところがこの単価の決定がございまして、二、三カ月たってやりました実態調査におきましては、先ほども申し上げましたように、七千五百二十六点という稼動点数であり、経費の方も、一万八千円と仮定をしましたその医師世帯支出というものも、実態は三万三千円であって、その他の経費を加えますると、全体のものは九万二千円程度であった。従って今先生が御指摘のように、二十六年のときにやりました方法は、その当時の医業の実態を表わす方法ではなかったということは、御指摘の通りでございます。私、その当時の詳しいいきさつを知りませんけれども、そういうものの伸ばし方、いわゆるスライドの仕方も、一つの方法でございますけれども、しかしその方法によらざるを得なかったことは諸般の資料、たとえば支払い基金等のデータというようなものが、まだ二十六年当時には整備されておらなかった。従って二十四年の調査以後、最近の姿はどういうものであるかという、とるべき資料がなかった。こういう事情が、さようなスライドの仕方をいたしておる最大の理由であろうと私は承知をいたしております。なおそのほかに、いろいろ当時のことでございますので、事情はあったかと思いますが、おそらく客観的に見まして、今回われわれがとりましたような方法をとろうとしても、当時は資料の不備で、そういうことができなかったのではあるまいか、かように私は考えておるわけでございます。
  48. 八田貞義

    八田委員 今の御答弁のように、全くスライド計算というものをすべき資料がなかったわけですね。ですから、物価変動に伴う諸経費の見込みというものは、二十四年以降の調査した資料にはなかったために、医業経済の実績以外の資料によってスライドしなければならなかった。そのために人件費は毎勤統計とか、いろいろなものの経費は総理府のCPIとか、医療器具は薬務局調べ、あるいは医薬品、衛生材料は物価庁の統計によったとか、あるいは医師生計費はCPSといったような、ばらばらの資料から引っぱってきた取扱いということが問題になる。ばらばらの資料から集めてきて、スライド計算をしなければならなかった。というのは二十六年当時は二十四年の調査しかなかった。二年前の資料の補正でも意見が合わなかったというような状態があったわけです。ところが今度の単価検討をしなければならぬとか、あるいは医療報酬の問題を適正にするにはどういうふうに計算しなければならぬかという場合には、医師収入面の資料というのは社会保険だけなんです。三十年三月の統計はありますけれども支出面の調査は二十七年三月しかないわけですね。この点いかがですか。
  49. 高田正巳

    高田政府委員 第一点の、二十六年当時資料がなかったということを申しましたのは——今御指摘の物価値上りとか賃金の値上りとかいう分の資料はあったわけでございます。御指摘のCPSとかいろんなものを使ったわけなんですが、こういう動きというものは、かようなものを使う以外、今日といえどもなかなか資料がないわけです。そのことはなくして、その当時の稼働点数なり医療従業員なりあるいは医療規模というふうなものが、二十四年当時とどういうふうに動いておったかということに関する資料がなかったので、二十五年と同じ数の診療所が二十六年の末にあったらどうなるかということを考えてやった方法であるということを申し上げているのです。従って、今先生がおっしゃったこととはちょっと違うわけでございます。それから支出面の調査は、御指摘の通り、基本的には、実測値というものは二十七年の三月でございます。その後、薬品の問題につきましては三十年七月に一度精密な調査をいたしておりますので、そういうもので扱っております。従って実測値は二十六年当時と同じように過去の実測値しかないわけでございます。それをいろいろな物価値上り、賃金の値上りというもので今日にスライドした。その上に二十六年のときと違いますのは、医療規模の増大——簡単に申せば当時平均二十三人ばかりの患者が今日は三十八人程度ふくれ上っておるという医療規模の増大、あるいは使用人の増加、そういうものを加算いたしておるそのやり方が違うわけであります。それはなぜかと言いますと、今日ではそういうふうなことをいたすのに用いられるいろんな調査が別個にあるわけであります。たとえば毎年心々やっておりまする医療機関施設調査とかあるいは基金の資料というふうなものがあるわけでございます。それでそういうものを利用いたしまして、仰せの通り支出面における実測値は二十七年を基礎とし、薬品の部分については三十年の七月を基礎といたしておりますけれども、それを基礎として伸ばして今のような規模の増大を見込んでやったものでございます。
  50. 八田貞義

    八田委員 私が二十六年当時のことをお話しているのは、結局その当時も問題になっておったからです。その場合に、今申し上げましたように実績の計算基礎は小診療所を適用したということですね。しかも健康保険の利用度からいけば非常に少い率であったわけです。これが問題点になった一つです。それからもう一つは、二十四年の実績をそのまま稼働点数として取り上げて積み上げて計算がされた。あと医業経済の面において資料となるべき点というのはCPIとかCPSとかばらばらなものを集めて指数計算によってやったという。しかも二年の期間さえいろいろ問題があったのだから……。今度は収入面は三十年三月の資料としてとっているのです。支出面は二十七年三月しかない。すると、三十二年にそれを直すためには五カ年間の補正をやっていかなければならぬわけである。いろいろ材料をここにあげられて指数計算をもってやってこられたわけなんですけれども、この指数計算というのは意識的、計画的に幾らでも操作できるものなんです。この点材料の取り方が問題になってくるわけなんです。二十六年の稼働点数は四千九百二十五点にとったわけです。二十七年三月の医業経済調査は先ほどの答弁にありましたように七千五百点。三十年三月の医業経済調査稼働点数幾らと見ておられますか。
  51. 高田正巳

    高田政府委員 八千七百四十点と小数がついておったと思います。
  52. 八田貞義

    八田委員 この場合自由診療が十分に加えられて稼働点数が考えられていると思いますが、自由診療などを考慮に入れた稼働点数はどれくらい見積っておりますか。
  53. 高田正巳

    高田政府委員 自由診療は三〇%ではございませんで、今申しました八千七百四十点に一・三をかけまして自由診療を加えて稼働点数推定いたしますと一万一千三百六十三点でございます。ただしこれには一部負担で受診料の窓口払いとか、直接払いのもの等は、組合設立の診療所等に対する直接払い等の加算はない数字でございます。
  54. 八田貞義

    八田委員 二十七年の調査から稼働点数は大体五〇%くらいずつ上っている計算になりますね。
  55. 高田正巳

    高田政府委員 二十七年三月の七千五百二十六点と今回私ども推定いたしました一万二千五百点とを比べますと六%よりちょっとになると思いますが、三十年三月と比較いたしますとどういうことになりますか、今の数字を割ってみていただきますと出て参ります。
  56. 八田貞義

    八田委員 こういうふうな稼働点数の動きを見て参りますと、二十七年の五〇%を支出面に増してとんとんになってくるわけなんです。そうすると計算の仕方では単価が下ってしまうような結果になってくるのですが、今度単価を十月にされた理由を拝見しますると、事務の簡素化ということが中心となっているようでございますね。こういったことが突然に今度出てきたのですが、やはり単価の問題は稼働点数分母にとって分子にはいろいろとしたものをあげていかなければならないわけですが、この場合に単価を十円に押えたのは、私どもの考え方からしますと単価概念ががらっと変ってきてしまったわけですね。単価というのは物価変動に応じて変えていく基本の値である、こういうふうにわれわれは考え、かつ点数の方は診療行為相互間のバランスをきめる指数だ、こういう考えで単価点数方式をながめてきたわけなんです。こういうふうにすぽっとまるく十円にされてしまうと、単なる支払い方式としては非常な大きな変更なわけです。円タクなんかに七十円とか八十円というメーターがありますね。ぐるっといろいろな方に回ったりしますとキロ数によって値段が上ってきます。十円の基本単位にして、いうならば経済的な尺度に落してしまったか、あるいは計算尺度に落してしまって、あとは点数で稼げということになる。そうすると点数の稼げる人はどんどん収入を上げていくことができるのですが、点数を上げることができないそういった人の収入はずっと減ってくるわけです。その十円にされた意味合い、意図というのはどこに置かれてやられたのか。単に事務の簡素化というふうなお考えでおやりになったのではないと私は推察したいのですが、一体どういうふうなことから十円にされてしまったかお伺いしたい。
  57. 高田正巳

    高田政府委員 私どもとしましては事務の簡素化という観点から十円にいたしたわけでございます。点数にいろいろな意味を持たせてお考えになるという考え方も確かにあり得ると思います。しかし私ども単価を十円にすることによって得られる保険の仕組みの中における利便を多く見まして、単価は十円にしてそのかわり点数の方をそれに従って動かしていったというわけでございます。
  58. 八田貞義

    八田委員 十円にされた意味はお話のように事務の簡素化が中心になったのだ。確かに事務の簡素化ということになってくれば点数の意味が違ってくる。単価を十円にまるくしてしまったのだというと、それは結局計算をしやすくするためだ、あるいは事務の簡素化のためだ。事務といってもいろいろありましょうから、これはあとでまたお尋ねしなければならぬのですが、要するに単価をまるくしてしまったということは点数の意味が違ってくるはずなのです。今までの点数と違ってくるはずだ。簡単な意味でいうならば金額表示と同じなのです。あとでいろいろな金額をカッコして点数など書いておりますが、こんな必要ないですよ。初めからすぽっと初診料百八十円、百円としてしまった方がよい。点数の意味は何もなくなってしまったのですね。そうしますと違ってきたわけです。点数そのものに医療の価値評価を求めるのだというふうな姿が出てきた。現在の配分のランクとは全く違った状態が出てくる。今やられておるところの単価点数方式の概念からがらっと変えて、十円に単価を持ってこられたのですから、点数の意味が違ってきた。ですから点数そのものに医療の評価価値を求めるというような姿が出てきたわけです。従って現在の配分のランクとは全く違った状態が今度出てくるということを考えなけばならぬわけです。この点いかがでしょうか。
  59. 高田正巳

    高田政府委員 単価を十円にいたしましたことによって、なるほど計算単位という単価の色彩が強くなったということは御指摘の通りでございます。しかし今先生仰せのように、かりに私どもの案が点数の方の操作はいたしませんことにいたしまして、点数の配分は変えないことにして、単価を一円上げて、そうして点数は従来のままに一応して置いて、今度単価を十円にして乙種で点数を十一・五分の十二・五にしてみれば、その場合の問題と、それから今回私ども点数の再配分をするという場合の問題とは、おのずから事情が違うということになる。今回私どもはその二つの操作を同時にやろう、こういう考え方をいたしておるわけでございます。従ってあとの方の点数の再配分をするということだけを考えれば、単価を一円なら一円上げておいてそうして点数の再配分をするということとも結びつくわけです。その問題だけは、単価は十円にしなくても、一円なら一円上げておいて、点数の再配分だけを現在の総点数の範囲内においてやるという方法も、これは結びつくわけでございます。その場合には減る点数もあるし、ふえる点数もあるということになる。従ってこの医療費というものは単価点数をかけて出るのでございますから、その結びつけの仕方というものはいろいろ考えられるわけでございます。われわれは点数バランスを変えると同時に単価を十円にした、こういうことを一挙にやったわけです。それでその十円にした意味は、あくまでも一番大きな理由は、何といってもとにかくその方が便利であるということを考えたのでございます。従って特別にこれがどうこうするという大きな意味をそれに持たしたつもりではございません。その方が便利であるということに考えておるわけでございます。
  60. 小島徹三

    小島委員長 そうするとちょっと聞きますが、今度物価の指数なんかが変りますと、十円を十一円、十二円にしてスライドすることになるのですか。
  61. 高田正巳

    高田政府委員 それは将来の問題でございますが、かりに単価は十円にフィックスにするにいたしましても私は一向にかまわぬと思うのです。というのは単価を一律に一割なら一割上げなければならぬような経済事情が出てくれば、点数バランスは変えないで全部点数の方に一割かけてくればいいのです。何も単価が十円になったから、物が値上りしても診療報酬は上らないんだ、単価がはしたがついているから物が値上りしたら診療報酬が上るというものじゃないと思うのです。一律に点数の方を一割なら一割ぶっかけていけばいいわけです。ただこれは私の将来に対する考え方といたしましては、できれば医療費の動かし方、物価や賃金にスライドした動かし方のルールをきめていただきたいと思っておるのです。そういうふうなことをねらっておったのが御存じの俗に言うマル単の審議会でございますけれども、私は将来の問題としては物価が上ったときにはどうするとか、賃金が上ったときにはどうするとか、そのルールというものを打ち出すということが今後の問題として必要であろうと思うのです。しかし私今現在自分でどういうふうにしていいのか、その点は私としては考えがまとまっておりませんけれども、とにかくそのことは非常に重大な問題であろう。ある程度物が上れば非常に大騒ぎをしなくてもおのずから医療費の改訂が行われていくというふうな、一つの約束というか、ルールというものができるというようなことを、私は実は希望をいたしておるわけでございます。しかしかようなものを考えて参りますることは今後の問題であるかと存じます。
  62. 八田貞義

    八田委員 今点数は十円にしておいて、あといろいろな物価変動が起れば点数の方で変えていけばいいのでございますというような、小委員長質問に対する答弁がございましたが、そうしますとあなたの御答弁の中には単価は据え置きだ、今後フィックスする、ずっと点数の方でやっていくのだ、こういうようなお考えがあるわけなのです。これは非常に大事な問題だと思うのです。といいますのは単価をフィックスにして将来とも十円に据え置いて、そうして点数だけで今後のスライドをやっていくのだというような御答弁があったわけなのですが、それは信念ですか。
  63. 高田正巳

    高田政府委員 私言葉が足りませんでしたが、そうするのだということを申し上げたつもりはないのでございます。単価の方にはしたがあれば、物価変動に従って一斉に医療費というものが上げられるじゃないか、ところが単価がまるくなって十円になりますとそういうことができぬじゃないかというような意味にとれる——私のとり方が悪かったかもしれませんが、そういう御質問のように思いましたので、そうじゃございません。一斉に医療費を何もかも全部上げなければならぬというような事態になったとすれば、かりに十円の単価は動かさぬのだという建前をとりましても、点数に画一的にかけていけばできるわけでございますから、差しつかえはないじゃございませんか。ただ私はこの単価を今回十円にして、これらの実施をやってみて、その後の事務の簡素化と、はしたをつけておいた方が不便で、まるくした方が便利だという、その便利さとその他のいろいろな要素とのかね合いで、将来判断をしてしかるべきであって、今直ちに十円は絶対に動かさぬのだというふうなことを申しておるわけではない。ただかりにそういうことになったとしても経済の変動によって、あらゆる医療行為を通じて上げなければならぬというふうなことが起ったとすれば、それはできるじゃありませんか。単価を十円にして動かさぬということにしてもできるじゃございませんかということを言っただけです。
  64. 滝井義高

    滝井委員 物価変化をすれば、そのときは点数を変えればよいというこういう単純な議論というものは非常に危険なんです。どうしてかというと、医療行為物価として現われてくるものは何かというと使用する薬品、注射、衛生材料、これなんです。そこで今度の形は、買ったものは原価で患者に渡すことになっておるわけです。従って物価変動して動くのは物だけなんです。技術料を動かすということは、今後非常に困難になってくる。今あなたがおっしゃるように、単に物価変動したから点数を一割上げればよいというわけにはなかなかいかない点が出てきておる。というのは物と技術を分けるという思想が出てきて、そして物は買った値段患者に渡すことになっておるから、物価が上った値段患者にやることになるのですから、そのときは技術だけが置き去りを食う可能性があるということです。この点昔の医療費というものは簡単な米の値段で、大体初診料一升だ、こういう形で評価されたような単純なルールができればよいですが、そうはいかぬところにむずかしい問題が出てくる、そういう問題があるということを指摘してあとで答弁してもらいます。  もう一つ資料で要求したいのは、今度のあなた方の試案説明で、六万九千九百五十五円五十六銭というのは、勤労階級の一般的な所得と関連して出してきておるわけです。そこでやはりそのことを正確に見ていくためには補正をする必要があろうと思う。従ってまず医師の家族数と勤労者一般の家族数、年齢、学歴で一ぺん補正してもらいたいと思うのです。これは補正ができるのです。あるいはこれをもっと正確な形で比較するとすれば、労職の分離をはかるわけです。労働者の生計の中には職員が入っておる。従って比較的医師に近い職員を分離して、医師所得と比較したものをもう一つ作ってもらいたいということです。そうすると割合近いところにいくのですね。二・一倍というような数が出ておるところに問題があるので、世の中はやはり誤解というものを解いていかなければならぬので、できるだけ正しい姿に出していってみる、こういうことが必要じゃないかと思うのです。そういう一つ二つ資料をごめんどうでしょうけれども、一ぺん作ってみて下さい。私の方も作ってみますから……。
  65. 高田正巳

    高田政府委員 今の資料は非常にむずかしい資料で、努力をいたしてみますが、ただ私どもの案を一般勤労者との関連においてできているというふうな仰せでございましたが、そうではございません。私どもの案はあくまでも二十七年当時の医師実態というものから伸ばしておるわけです。ただ結果を参考までにと、こういうことなんでございますか、私どもの案は決して一般勤労者がどうだからどうのこうのということで出発をいたしておりませんことを御了承をいただきたいと思っております。  それから前の問題でございますが、物と技術を分けまして、物の方は物価変動に応じてやれるけれども、技術は据え置かれるというおそれがある。しかしこれは国民所得の上昇なり、あるいは賃金水準なり、国民消費生活の上昇度なり、そういうものにスライドをすればいいのじゃないだろうかと私は考えております。しかし私は別に将来のことをこうしますと言っているわけじゃない。ところが、今のように十一円五十銭、十二円五十銭の中に物と技術が一緒になって、どっちかわからぬように入っておった場合に、一体どうしてこれをスライドするんでしょうか。それがある医療行為では、たとえば初診のように四点というものは技術料ばかりです。それから極端な給食費のようなものは大体物がおもです。これは中間のものはございますがね。これが一緒くたになっておるために、単価を値上げしようとか、下げようとかいうときにこういう大きな問題が起きるのです。だから、将来のルールを作るならば、むしろ私どもが考えておりますように、できるだけ物と技術とを分けておけば、そこにおのずからこれを動かすルールもできやすくなる。それが一緒くたになっておるから、現在の十一円五十銭の中で幾らが技術料で幾らが物かわからない。それだからそこに問題が起るわけです。だから、むしろ滝井先生の御心配は逆じゃないか、こういうふうに僕個人は考えております。
  66. 八田貞義

    八田委員 そうすると、局長、どうも今の御発言の中にはだいぶ重大な問題を含んでおる。私一時間もかけてこの問題はやっていかなければなりませんが、時間もないですから、結局今の御答弁の中に十円にされた意図というものが十分に私にはまだ納得できないわけです。これは非常に重大な問題です。あなたは物、技術を分離した、こういう考えを持ってやったんだというふうにおっしゃいますけれども、そうなりますと、甲、乙二表あるということは私らに言わせるとすでにおかしいのです。あなたが物と技術をはっきり分離したのだという観念が基礎にあるなら、甲、乙二表作ったこと自身がちょっとあやふやなものになる。さらにまた、点数の概念というものが今度すっかり変ってしまった。今の点数そのものに医療の価値評価を求めるという姿が出てきた。これは私は事務的な机の上だけでできるべきものじゃない。はっきり言って、この問題についてはまた時間をいただきましていろいろお尋ねしますから、今度は十分にお考えを願いたいですが、ただもう一つは、あなたの発言の中に、今度のこの試案というものはあまり自信のないようなところがところどころ出てくるのです。この点につきましても、お話を伺っておると暫定案みたいになってしまっておる。こういう点につきましては、さらに時間をいただきまして、またさらにこまかい問題をよく質問したいと思いますが、きょうは時間が参りましたから、これで終ります。
  67. 小島徹三

    小島委員長 本日はこれにて散会いたします。  次会は公報をもって御通知申し上げます。     午後四時四十五分散会