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1957-03-16 第26回国会 参議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月十六日(土曜日)    午前十時十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     苫米地義三君    理事            迫水 久常君            左藤 義詮君            堀木 鎌三君            安井  謙君            吉田 萬次君            天田 勝正君            中田 吉雄君            吉田 法晴君            森 八三一君    委員            石坂 豊一君            小林 武治君            小山邦太郎君            新谷寅三郎君            関根 久藏君            土田國太郎君            苫米地英俊君            成田 一郎君            野本 品吉君            林田 正治君            一松 定吉君            前田佳都男君            内村 清次君            海野 三朗君            岡田 宗司君            栗山 良夫君            小林 孝平君            佐多 忠隆君            羽生 三七君            松浦 清一君            山田 節男君            湯山  勇君            加賀山之雄君            梶原 茂嘉君            田村 文吉君            豊田 雅孝君            千田  正君   事務局側    常任委員会専門    員       正木 千冬君   公述人    日本原子力研究    所理事長    安川五郎君    社会保障制度審    議会委員    今井 一男君    日本官公庁労働    組合協議会事務    局長      豊田黎一郎君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和三十二年度一般会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十二年度特別会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十二年度政府関係予算内閣  提出衆議院送付)   —————————————
  2. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) ただいまから予算委員会公聴会を開きます。  開会に当りまして、公述人の方にごあいさつ申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。公聴会の議題は、昭和三十二年度総予算でございます。大体お一人三十分程度で御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、委員の方に申し上げます。午後に予定しておりました公述人は、都合により、これを繰り上げて、午前の部に引き続いて御公述を願うことになりましたので、御了承を願います。  それではこれより順次御公述をお願いいたします。株式会社安川電機製作所会長安川第五郎君。(拍手)
  3. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) ただいま御紹介にあずかりました安川五郎と申すものでございます。  今、御紹介の御言葉を返すようで恐縮でありますが、ちょっと訂正さしていただきたいと思いますのは、私はもう現在は安川電機の役員は辞任いたしております。その点どうか御了承願っておきたいと思います。(「了解」と呼ぶ者あり)ただいま特殊法人日本原子力研究所理事長を仰せつかっておりますので、これはまあ法律上どうしても事業会社関係ができませんので、会社の方は辞任いたした次第であります。  今日はこの公聴会に、財界代表ということで私に御指名をいただきましたことは、まことに私としては無上の光栄に存ずる次第でありますが、ただ、今も申し上げましたように、ただいまの私の職務が、多少一方に偏しておりますので、果して財界一般の、この来年度の予算に対する感想が、財界一般を代表したと申して差しつかえないかどうかの点については、私自身はなはだ疑わしく思っておるのでありますけれども、まあ私も長い間、大体技術者上りではありますけれども、事業の経営に従事いたしましたので、やや財界の空気は承知いたしておるつもりであります。そう見当違いのことを申し上げることもあるまいかと考えまして、本日まかり出たような次第であります。どうかそのお含みでしばらく御清聴をわずらわしたいと思う次第であります。  三十二年度の予算案に対しましては、一応収支の均衡のとれたもので、しかも一千億円の減税を決行するとともに、道路、港湾、住宅というような積極策を打ち出された御努力に対しましては、われわれ大いに感謝するところでありますが、ただ食管会計赤字処理が未解決のままこれが持ちこされて、問題を将来に残されたことは、この予算案に何らか一つの暗影を投じたかのような感がいたされて、まことに残念に存ずる次第であります。  まあ産業界から申しますと、一番この予算のうちで重要視しなければならぬのは、私は財政投融資の点じゃないかと思うのでありますが、この面につきましては、電力及び鉄鋼増産ということに重点を置かれまして、この方に対しては、昨年度に比較いたしましても相当増額が認められましたことは、財界一同のきわめて意を強うするところで、これまた政府の御努力に対して多とするものでありますが、しかし、御承知のように現下の電力事情が非常な逼迫をつけておるし、また鉄銅需要の趨勢がきわめて飛躍的でありますことから察しまして、本年度のこの投融資増額が、果してこれで十分であるかどうかについては、ただいま即断しかねるものがありまして、一そうこの点についてはこの予算実施について特別な御考慮を払われんことを希望してやまないのであります。たとえて申しますならば、同じ年度内に、額は変更し得なくても、その時期等について、この予算額の範囲において最もこれが有効に使われるように特別な御配慮をお願いしてやまない次第であります。  財政投融資のうちに、石炭業に対する投資額に対しましては、来年度の予算にはあまり著しい増額が認められぬのでありますが、しかしこの石炭増産及び採炭費の削減ということは、これは他の事業以上に非常な肝要な要素をなすものと考えるのでありまして、目下原子力発電が将来石炭にかわるべきものであるということは、非常に唱えられてはおりますけれども、これはまあ私は直接原子力開発に携わっておる者の一人として、断言してはばからぬのは、今直ちに、速急に石炭にかえるに原子力をもってするということは、原子力国策樹立の上からいって非常な誤まりで、私は今後相当の期間、なお石炭に依存しなければ、この電力資源は充たされ得ないと考えておるのでありまして、どうしてもわが国石炭事業の育成ということは、従来以上強力に進展せられんことを希望してやまないのであります。これに対しましては、どうしても相当多額の資金を必要とするのでありまして、たとえば、従来通産省で計画をされておりました縦坑の掘さく、その他採炭法合理化等、ことごとく相当額の資本を必要とするのでありまして、とうていこれを普通の金融機関によってまかなうということは不可能と存ずるのでありまして、強力なる政府の御援助を待たなければ、この目的達成はできないと信じておるのであります。  次に、私が感じましたところは、科学技術振興予算であります。この方面に充てられた予算額は、昨年度に比べまして、むろん相当増額を見ましたことに対しましては、所管省庁以下、関係各位の労を多とするとともに、この計上に同調協力せられました大蔵省当局の、科学技術に対する理解認識にも敬意を表する次第であります。しかしながら、新しい予算を各項目別に見ましたときに、この予算総額に示されました膨張と、予算を構成する各施策の配分の適否とは別問題でありまして、これがそれぞれの重要度緩急度に応じまして果して配分されているやいなやということは、別に検討を要する問題であろうと存ずるのであります。  最後に、原子力開発関係予算について卑見を申し述べさせていただきたいと思うのでありますが、この方は先ほど申し上げましたように、私の直接担当いたしておる部分でありますだけに、私としては強力に一つ皆さんのお耳に入れさしていただきたい感がする次第であります。もちろん、科学技術庁関係予算で、最も大きな額を占めておるのはこの原子力関係予算であることはもちろんでありますが、当初は大蔵省査定予算額はまことにあわれなものでありまして、もしああいう程度予算が決定されたといたしますならば、現在着手しております私の関係研究所を初めとし、あるいは燃料公社等は半つぶれ以上に押えられたと申して私は過言でないと思うのであります。いわんや、原子力委員会が長い間かかって作成いたしました原子力開発長期計画というようなものは、ほとんど紙上の空論に終る可能性があると考えましたので、われわれは、原子力開発が本年初めからようやく芽を吹き出して、一日も早く世界のレベルに到達すべく一同努力を払っておったのが、一朝にしてその芽をつぶされはせぬかということからして、強力に私どもは政府当局にその御認識の誤りをただすと同時に、思い切った原子力に対する予算増額を御要求申し上げたわけでありましたが、これに対しましては、大蔵当局を初め、十分われわれの意のあるところを御了承下さいますし、また両院議員原子力に非常な関心の深い方々は、強力にわれわれの目的達成に御協力を下さいました結果、最初大蔵省事務当局査定額の数倍に及ぶ原子力関係予算が組み入れられたことは、まことに本事業達成のために御同慶しごくでありまして、この席を拝借して、御協力を得ました各位に対して多大の感謝の意を表したい気持一ぱいであります。  しかし、御承知のように、原子力関係合せて九十億ではありますが、最初原子力関係事業として申し入れた総額は百二十二億で、それがまあ九十億に決定をされたということで、実情を申し上げると、まだまだ十分ということは申し上げにくいのでありますけれども、しかし、日本の全体の財政とにらみ合わして、まずまずこの九十億の予算を得たことは、これはまあ国情上満足をしなければならぬのでありまして、われわれは、これの使途について十分の研究考慮を払って、むだのないように、でき得る限りこの額の有効な使途考慮すべく、目下極力その準備に着手しておるような次第であります。ただ重ねて望むらくは、大蔵省当局も十分われわれの目的達成に御協力の意味において、ある程度までこの使途については専門のわれわれの方におまかせを願って、あまりこまかいところに干渉をせられると、ついこの予算の有効な使途を見出さんとしておるの一が九仭の功を一簣に欠くようなうらみが従来の経験からいうとないとは保証できないのであります。この点についても、どうか参議院の方々に重ねて御協力を得ますれば、まことに幸いに存ずる次第であります。  なお、最後科学技術教育予算について一言加えさしていただきたいのであります。この三十二年度の予算実施に当りましては、科学技術教育に対する予算があまり盛り込まれておらぬかのような感がするのでありますが、わが国経済自立と申しますか、またひいては財政の確立のためには、どうしても技術の向上ということが根本になることは多言を要しないところでありまして、これにはどうしても科学技術教育をもととして、できる限り多くの優秀な技術者を将来養成することが何よりも大切だと思うのであります。これに対する政府当局の御理解をもう一そう深くしていただきまして、将来大学等予算などにつきましても、特別な御配慮をお願いしてやまない次第であります。  なお、もう一つ特に財界人として付言いたしたい点は、この三十二年度予算実施に当りましては、金融機関等との連携を密接にいたしまして、極力インフレに陥ることのないようにいたしませんと、かえっていろいろな財政投融資増額、その他均衡拡大と申しますか、その予算が一歩を誤ると財界にはなはだしい悪影響をもたらして、将来に禍根を残すおそれが全然ないとは保しがたいのであります。これは予算実行の上についてどうか十分慎重を期していただきたいということを、われわれは要望することまことに切なるものがあるわけであります。  はなはだ言葉が足りませんで、私もこういう場に不なれなために、十分意を尽すことができなかったことを遺憾に存ずる次第であります。  一応私の発言はこれで終らしていただきまして、もし何か重ねて御質問でもありましたら、私の承知しております限りお答えを申し上げたいと思う次第であります。
  4. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 一点お尋ねしたいのは、今、科学技術振興に関して原子力関係お話がございましたが、科学技術振興については、今度の予算では、昨年十五億足らずであったものを六十億に増加をいたす、これは政府予算としては、倍率から見れば非常に思い切った増額のように考えるのですが、しかし今のお話では、なかなか足りないというお話でありましたが、あなたからごらんになって、原子力関係費科学技術振興、これはどれくらいあったらもっとよいのだというようなお気持かどうかということが第一点。  第二点は、最近防衛産業のいろいろな注文が出て参りつつあるのじゃないかというように思いますが、しかし今の日本、昨年から今年にかけては、機械製作部門民需だけで手一ぱいのように思いますが、この点軍需民需との競合関係相当出てこやしないか、ことに機械製作部門においてはそういうことが起ってくる、それらの点をあなたはどういうふうにお考えになりますか。
  5. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) ただいまの原子力その他科学技術予算の件でありますが、実は先ほど申し上げましたように、最初原子力研究所が組みました希望予算と申しますか、原案は約七十億——六十九億何がしかであったのであります。そのほか燃料公社その他原子力関係を全部加えて、先ほど申し上げました百二十二億になっておったのであります。それが最初大蔵省の第一回の査定では三十億に切られました。そのうち、原子力研究所が二十億程度であります。ところが三十一年度の予算の中で、建築費その他研究所だけで十三億の負担行為を持っております。この十三億というものは、三十二年度において現金請負業者に払わなければならぬ、これを含めて二十億ということでありますので、あと残りは七億しか現金がない。これじゃとても原子力事業はもう半つぶれというよりは、事実全滅のような形である。ことに私の研究所は、研究そのものも大切でありますが、何よりも人間を養成せぬことには……今、日本動力炉を早く入れるとか何とか大騒ぎしておりますけれども、実際申し上げると、学者等はこれは世界にあまり劣らぬような学者相当日本におられますけれども、原子炉を取り扱ったことのある人はおそらく私はないといっても差しつかえない。そういう状態で大きな発電炉などを外国からプラント輸入しても、いざこれを据え付ける、あるいは運転するというのには、全部外国から人を雇ってこなければならない。それでは原子力三原則の、いわゆる日本自立性というものは根底からつぶされる、どうしても人間を養成することがまずファースト・ステップであるということで、原子力研究所は、研究すると同時に優秀な技術者をできる限り早く多く世の中に出すということを、非常な大きな使命と考えてやっておりますので、そのために三十二年度の新卒業生、これはまあ物理学者のみならず、各方面技術者を合せて百二十五名も卒業したらば採用するという約束をしておるのであります。これらが、七億の予算ではほとんど迎えることはできない、一体このままいったら、一たん約束したそういう優秀な、将来性のある新卒業生をどう始末するかということで、非常に苦慮しておるような次第であります。決して、私のところの予算だけで申しましても、六十九億、七十億が十分だというわけのものでもないのでありますが、しかしなかなか欲ばって予算ばかり取ってみても、こちらの態勢が、それに応ずるだけの陣容その他ができていないと、これまた結局むだづかいになることは、私ども承知しておりますので、私はまあ七十億程度身分相応だと思って一応提出したのでありますが、それが五十八億、そのうち負担行為が十六億あるのでありますけれども、これならまあ全然無意味というわけでない、大蔵省当局は、あれだけ予算をおがみ取ったが、一体研究所は使い切るか知らんということを申されておる向きもあるとか聞いておるのでありますが、これは私は、もう面目にかけても、必ず有効に使う自信を持っておると申し上げて差しつかえありません。  それから、次の民業防衛庁関係機械類との競合の点でありますが、これは私も詳細には承知しておりません。私がもと主宰しておった会社でも、実はあまり防衛庁関係の仕事をやっておりません。これはまあよけいなことを申し上げてはなはだ失礼かもしれませんが、私はもう戦争中からあまり軍需品は、これはある程度協力しなければなりませんが、あまり関心を持たなくて、実は当時海軍あたりから非常なおしかりを受けたことがあるのでありまして、今日でも、事業安定性から申しますと、ああいうものはあまりやりたくないのです。そういうわけで、どのくらいの競合に到達しておるかよく知りませんが、ただ、今、神武以来の景気とか言われるくらいで、非常な民業注文といいますか、おもに鉄鋼関係化学工業、そういう方面が大部分でありますが、今非常な注文殺到で、とても割があまりよくない軍需品などは、これは専門工場以外はちょっと手をつけておらぬのじゃないかと思います。あまり詳細なことを承知しておりませんので、御満足のいくようなお答えができませんで、はなはだ申しわけございませんが、この程度にいたします。
  6. 海野三朗

    海野三朗君 私がお伺いいたしたいと思いますことは、過日アメリカを回って見て参ったのであります。その際に向うの相当学者に会って話を聞きましたところが、まだ発電炉については確たる世界学者の一致した意見がない、まだまとまっていないから、これが定まった上で日本にも購入したらいいのではないかという良心的な答えを私は聞いて参ったのであります。私はバブコックウイルコック会社あたり説明を聞きますと、その説明の中に、非常にまあ率直に申しますれば、嘘を並べてあるのです。それを笑いながら話をしておりましたから、私もあまりばかげた話だから、あの説明を聞かないできたのでありますが、今アメリカでもどの炉がいいかということに対しては、結論も得てないし、それを結論を得たかのごとく言っているのは、商売上に関したことであろうと、一般の良識ある学者の話でありました。それでありますから、私は今、発電炉を入れるというようなことを直ちにあわててやることよりも、まず受け入れ態勢をはっきり作らなければならないのではないか、その受け入れ態勢という点から申しますると、理科教育の一部を改正する法律案なんか出ておりますが、これは当りまえのことなんで、むしろ今まで日本がやらなかったことが間違っておるのでありまして、今日まで法科万能、ただいまでも法科経済科万能であって、幾ら大蔵省が財布の口を締めておるのに、大いに気ばったつもりで九十億の金を出して、大きな顔をしておるか知れぬけれども、まだ日本態勢は私はできていないと思うのです。その実例を申し上げますならば、技術者事務家待遇の格段なる差があります。それはもう安川さんも御承知通りだと思いますが、これらも私は実際を、実績を握っております。そういうふうに差別待遇をしておる。そういうふうな状態においては、科学技術振興なんぞ言うても、その根本から改めなければならないのではないかと私は思うのです。この技術者差別待遇の観念を払拭する、いわゆる本省あたりにおきましては、技術者にして局長になった者はほとんどまれである。官房長は必ず高文を通った人間にきまっておるというような、いわゆる事務系偏重を私はまず根本から改めなければならないのではないかと思うのでありますが、その点について安川さんの御意見一つ伺いたい。  それから今の原子炉を入れるにつきましても、まず受け入れ態勢実例をあげますならば、人形峠に発見されたところのウラン鉱、あのウラン鉱を濃縮して使い得るウラン鉱にしなければならぬのではないか、そういうことに対しては、取り急いで外国学者なり技術者なりを招待して、手っとり早く国内のウラン鉱を使えるようなものにするということがより先ではないか、こう思うのでありますが、この点について、どういうふうにお考えでありますか、一つお教え願いたい。それから原子炉につきましては、今直ちにどの炉、何十万キロワットの炉を入れるというようなことは早いことであって、これには十分慎重な態度でいかなければならない。そういたしますと、受け入れ態勢を作るという点から考えまするならば、今の九十億では私は足りないと思っているのです。百二十億でも足りない、根本からやり返さなければならない。なぜかと申しますると、政治経済もあらゆるものが一変するのが、この技術振興にあるのであります。手近い例が、私は原子爆弾の出現によって、三千年の歴史が吹っ飛んでしまった。これが現実なる姿である。そうしてみると、今あらためてここに認識をみんなに深めてもらって、政治家というものに認識を深めてもらってかからなければならないのじゃないか、こんなふうに思うのでありまするが、安川先生一つ考えをお聞かせ願いたい。
  7. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) これは、詳しく御納得のいくようにお話しを申し上げると、だいぶ長い時間になると思いますから、あるいは不完全であるかもしれませんが、ごく簡単に結論的にお答えを申し上げて、終らしていただきたいと思います。  先ほど、アメリカ権威者が、まだ原子力発電のコストを論ずるのは早過ぎる、もう四、五年待って初めて結論が出るのだ、その間に、本式発電設備などを日本が着手するのは、あまり軽率だというような話であったがという点であったと思うのでありますが、これはもう、私はまだ原子力関係して、その方で外国を視察したことはないのでありますけれども、だんだん帰朝者の話を伺って、またアメリカから来た権威者意見をこちらで聞いたところを総合しても、今海野議員のおっしゃった通りで、これは間違いありません。これはアメリカイギリスと違いまして、動力資源というものは御承知のように、何も今あわてて原子力に依存しなくたって、石炭はまだあり余るほどあるし、石油はあるし、水力も未開発の地点が相当残されているし、それらで電力の需給というものは十分まかない得るのであります。わけのわからぬ、これから先にものになるという原子力にそう飛びつく必要に迫られておらぬ。しかし、アメリカとしては、何でも世界一を誇っているアメリカとしては、この新しい原子力に関して世界におくれをとったということでは、これは国辱でもあるし、許されぬというので、今アメリカはどういう式のものが一番アメリカに最も適した方式であるかということのテストをやっている最中と申して差しつかえないのであります。それでありますから、アメリカ全体で今おそらく八カ所、私の承知しているのは八カ所——その後、あるいは増加して十カ所くらいになっているかもしれませんが——に、それぞれ違った方式原子力発電炉を、これはほんとうの試験的な発電炉を、電力会社が共同してやったのもあるし、あるいは半分政府負担をして、民業政府と、責任を両方に分ってやっているプラントもあるし、またその原子炉方式についても、八カ所あれば八カ所みんな違っているので、しかもこれはアメリカ資源と金とにあかして、その容量たるや、とても二十万、三十万という、とほうもないパワーの、イギリスでやる本式のものよりもむしろ上回るくらいな容量のものを、これをやはり一種のデモンストレーション・プラントとアメリカは心得えてやっているのが実情であります。だからアメリカ人にいわせると、今原子力による発電コストがどうなるかなんていうことを質問しても、向うはあっけにとられて、そんなばかげた質問をどうしてするのかというような顔をするくらい。これもしいて探究すると、ある人は、日本の金にして一キロワット・アワー三円以下のような非常に安い値段をいうかと思うと、今度は二十円、三十円という十倍にも近いような数字を発表するというようなわけで、とてもコストの点になると、アメリカへ行って調べても、たよりにも何もならぬ、これがアメリカの実情です。  イギリスアメリカと違って、もともと水力というものはない、石炭は御承知のように、あれはいろいろ原因はまた申し上げると長くなりますから申し上げませんが、もうあれ以上の石炭増産というものはイギリス国内では不可能、どうしてもこれより以上は石油といい、石炭といい、海外から輸入しなければならない、ことにスエズの封鎖でもって、東洋からの重油の運搬もほとんど不可能だというようなことで、イギリスはもうアメリカと違って、非常な動力資源の窮迫で、もう残されるところは原子力にたよるほかない。しかも、イギリスアメリカと違って、今コールダーホールをやっている、その方式一本で、もう固く、これをディヴィエイトしないで、それを唯一の方法としてイギリスでは今日まで研究したので、これが最もいい方式であるかどうかなんということは論ずるいとまがない。それでコールダーホールに本式の、イギリス式の、つまりプラントを今やって、本式の発電を昨年の秋から始めた、こういうわけなんです。それで石川委員長が調査したところをもってしても、イギリスのタイプは決して新しいタイプではない、アメリカ人からいわせると、イギリスのコールダーホールは、写真機でいえばボックス・タイプのカメラだと悪評しているそうですが、しかし、日本にあれを持ってきても一番レライアブルだ、間違いはない、アメリカのはまだ研究最中だから、非常に進んだ方法だが、うっかりつかむとえらい目にあうおそれがあるが、イギリス式ならば、これは非常な、最良の方法とはいえぬが、間違いっこはない、安心だ、こういう結論になって、もし日本動力炉を今外国から輸入するとすれば、コールダーホール式の、いわゆるイギリス式が一番安心だという結論に達しているわけであります。  それから、技術者の地位の向上等についての御質問があったようでありますが、私も海野さんと御同様、技術者上りの者でありますので、ふだんから技術者の地位の向上ということは、唱えもいたしましたし、微力ながらそれに力を尽したこともあるのでありますが、これはなかなか長い間の習慣と申しますか、民業はおそらく今日は実質本位で、必ずしも技術者が下敷きにのみなっているのじゃない、有能な技術者であれば、相当の地位に上り得る道も開けているし、また例も相当あるのですが、役所は遺憾ながらまだ相当技術者は下敷きになっていることは、これは争われぬ事実じゃないかと思うのです。しかし、私も技術者の一員ではありますが、技術者も、しかしまた反省しなければならぬところがあるのです。とかく技術者というのは、きちんと理論的に、ことに私は電気ですが、電気というものは技術者のうちでも一番融通がきかぬ、私はどういうわけで、電気の技術者が融通がきかぬかということをいろいろ反省してみたのです。電気というものは、海野さんに申し上げるのは釈迦に説法かもしれぬけれども、理論と実際とがほとんどワン・パーセントも違わぬ、合うのです。送電線の計算にしても何にしても、キャパシティとレアクタンスとレジスタンスと、この三つの要素さえつかめば、方程式を立てさえすれば、きちんと解ける、そうして実際試験してみると計算通りに結果が出るというようなもののために、とかく電気の技術者は何でも世の中のことは方程式で解いた通りになるものだ、ところが世の中のものというのは電気でいうような三つの要素では済まぬのです。その間にはもう思いもよらぬような要素がたくさん、百も二百もあることを度外視して方程式を解くものだから、どうもちっとも融通がきかぬ、私はそう思っておるのですが。だからやはり民業でも、技術者のうちでもそういうふうな、考え方の非常に広い者は相当の地位まで上り得るが、もう技術者の悪い癖を十分発揮している人は、これはどうもあまり上に行かぬのは、私はこれはやむを得ぬのじゃないか、こういうように思っておりますが、まだ何かほかに御質問の点がありましたか……。
  8. 海野三朗

    海野三朗君 ただいまのお話ありがとうございました。ほんとうは電気学者でありますならば、サイン、コサインの場合は、サインA・プラス・Bはイコール・サインAサインBにはならないのであります。そういういわゆる高等数学がありますから、今あなたがおっしゃったように考えることは、やっぱり学者としてほんとうに学問的に考えることは私は当らないことだと思うのですね、正確にやりますけれども、サインA・プラス・BはサインA・プラス・サインBにはならない。御承知のように私はそういうふうな一足す一が必ずしも二になるものではないのだということが、ほんとうの意味の私は電気のあれじゃないか、こう考えております。  まあそれはいろいろ見方によって違いますが、さて私のお伺いいたしたいと思いますることは、この原子力というものは、発電炉ばかりが原子力であるように、わっと熱が高まってきておるのですが、決してそうではないので、御承知のミシガン大学のコスモドロンなどでは植物に当てていろいろ実験をやっておる。つまり原子力というものは遺伝をゆるがしてしまう、遺伝をなくしてしまう。実に恐るべき力を持っておるのでありまして、そういう方面研究を進めていく、その原子力の応用の一つとして、今の発電はそのワン・ブランチでありまするので、全体を考えるともっともっとお金がたくさん私は要ると思うのです。ただ発電炉だけ買う金というのは、私はいかんのじゃないかと思っておるのです。その受け入れ態勢を作るためには私はまだ決して予算が十分だとは思っていないのですが、その点はどうお考えになっていらっしゃいますか。もうアトミツク・エナージーの応用というものは非常に広いと思うのです。発電だけをみんな世間の人は考えておりますが、それは大へんな誤りじゃないかと思いますが、いかがなものでございますか。
  9. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) 全くその通りで、原子力の平和的利用といえば、もうすぐにも発電ということのように世間の人は思いがちですが、これはまあ非常な誤りで、今電力が一番窮迫しているとか、必要を感じているというような意味で、原子力の利用というと、まず発電をどうするかということになるわけですが、今おっしゃった同位原素、いわゆるラジオ・アイソトープの利用ということは、これはもう現に実用の段階に入っているのです。ただこれはどれだけ広まるかということで、日本でももうアイソトープの利用は、数年前から相当医者の方だとか、工業方面にも使われておって、ことしの年度内においておそらくこれはもう全部、ただいまは日本でできないものですから、輸入されているのですが、日本の円にしても約一億に達するのではないかとも思われるくらい、これは年々ふえます。それでむろん研究所も何らか、原子力研究所発電設備ばかり研究しているかのように、まあ私の申し上げようも、そういうふうに聞えたわけでありますけれども、アイソトープの利用ということは研究の非常に大きな題目でして、予算の中にもむろん入っております。それから今申し上げたように輸入が一億にも達する。来年度はこれはずんずんふえる可能性があるし、ことにアイソトープというものは、いろいろな種類があるのだが、これはもうどんな容器に入れても放射能というものはもう押えることはできない、もう出ているのですから。それで早いのになると一週間たつ間に放射能の力が半分に減るというようなものもある。それを外国から飛行機で持ってきても、羽田に着いたときには、もう効力は半分に減退している。だから値段も半分以下に下るというようなことで、こういう寿命の短いものだけでも、一日も早く日本で製造してくれということは、この応用方面の非常な強い要求なのでありますから、これはもう極力これの国産化、需給策ということを考えなければならん問題だと思っております。  それから先ほどの御質問にちょっとお答えしなかったのですが、たとえここに発電用の動力炉イギリスならイギリスから日本に買入れるとしても、これは今の九十億や百億の予算じゃもうとても問題にならないのであって、どうしたって十万キロ以上のを買うとすれば二百億。一ぺんに払わなくてもいいんでしょうが、総額二百億程度の支払いをしなければならん。だからこれはもう全然ただいまの予算外の問題であって、これをどういうふうに支弁するか。外国から、世界銀行あたりからの借款ということも考えられるし、それからこちらで支弁するにしても、全部これを政府でまかなうという、政府事業としてまかなうということも、私は無理でもあるし、またあまり形がよくない。やはりこれは官民一体となって進むべきものじゃないかということで、今のその方に対する受入態勢は、今研究所の方で具体案をいろいろ練っております。だが、これはこれならもう大丈夫というような案がなかなか出ないので、非常ないい案はどうしても法律に頼らなければならん。そうすると、まあ法文化するということになるのですから、あるいはまた両議院の方々に非常な御協力を、この点においてお願いしなければならん場面が起る可能性相当あります。そういうふうで検討最中というところです。
  10. 海野三朗

    海野三朗君 ちょっといま一つ、ただいま伺いました中に、冶金学いわゆる放射能についての冶金学については、どういうお考えを持っていらっしゃいますか。どこまでやろうというお考えでいらっしゃいますか。冶金学上、ウランの鉱石が出ている……。
  11. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) それを落しましてはなはだ失礼しました。これは実は燃料公社の仕事なんです。フューエルの方は原子力燃料公社という別な公社が組織されて、その方が今目下日本中をエア・ボーンとカー・ボーン、両方で探鉱しているのですが、今のところでは人形峠が一番有望だということで、あすこに三カ所くらい抗道を掘さくして、実際私は冶金の方や鉱山の方はしろうとでよくわからぬのですけれども、エア・ボーンでカウンターに出たのは表面にある鉱石であって、それはもうウランの含有量が万分台で、とてもこれを精錬したのでは問題にならぬ。ところが上っつらにそういう万分台のものがあるということは、このずっと何十メートルか下の方にほんとうの千分台以上のウランの鉱石が存在する可能性を示しているわけです。ところがあるかないかということはもう探鉱ではできないので、やはり坑道を開いて実際に鉱石にぶち当るよりほかには確かめる道はないということで、今三個所坑道を開いてやっているはずなんですがね。
  12. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 時間がだいぶたちましたのでごく簡単に三、四件お尋ねしたいと思います。  まず第一点に、この自然科学の研究、あるいは教育に投入いたしまする費用の問題でありまするが、数字が非常にばく然としておりますけれども、アメリカなどは国費の五十分の一、イギリスは十分の一、ドイツは実に三分の一をこれに投入をしておると言われておるのであります。なるほどドイツの科学技術がきわめて優秀な実績を上げておる根本は。こういうところにあるのではないかと私は大へん敬意を払っておるのでありますが、先ほど科学技術振興にお触れになりましたが、わが国の現状からいたしましてどの程度の自然科学に費用を投入することが望ましいと、こうお考えになるかという点が第一点であります。  それから第二点は、やはり科学技術教育の問題でありますが、私の承知しておるところでは、わが国の大学で自然科学の系統の学生、それから文化科学の系統の学生との比率をとりますと、大体わが国では二対八になっておる。アメリカでは大体六対四であります。自然科学の方が六、文化科学の方が四、それからソ連は自然科学が八で、文化科学が二であります。こういう工合に非常に欧米先進国と比較してゆましても、日本科学技術振興する、自然科学を大いに進めるという意味におきましてはこういう状態では遺憾でありまして、そこでただばく然と科学技術者を待遇するとか、あるいはこれに研究費をつけるとかというよりも、一歩進めましてわが国教育そのものの分野の開拓ということが非常に必要ではないか。産業立国を唱えますならばどうしてもそういうことが必要ではないかという工合に考えるのでありますが、これについてどういうお考えをお持ちになっているか、これが第二点であります。  それから第三点は、日本のエネルギー源の問題でありますが、これも確たる数字をただいまここに持っておりませんけれども、私の記憶をいたしまするところでは、たとえばある研究所研究の成果によりますと、昭和五十年になりますと今の水力電源の開発を進めて参りますと、わが国の包蔵水力というものはほとんど九〇%までは開発をする。もうこれで日本の水力はなくなってしまう。あと一〇%ぐらいはこれは開発できないわけでありますからできなくなってしまう。それがおおよそ二千万。さらに石炭の方はどうかと申しますと、安定した出炭で計画をたてますと、昭和五十年には六千五百万トンぐらいでもうおしまいになるのだ、それ以上出炭するということはむずかしいじゃないかと、こう言われている。従って最大限に重油一千万トンぐらい輸入いたしましてもどうしてもエネルギー源が足りないから、そこで原子力発電というものはもう、昭和五十年というとそう長い将来ではありませんが、その前までにやはり実用の段階に持っていかなければならない、間に合わない。先ほどあなたがおっしゃいましたアメリカイギリスの例がございましたが、まさに日本のエネルギー源も、原子力を対象にいたします場合には、イギリスと非常によく似た状況に間もなくなる。こういうふうなことを私ども考えておりますが、そういう考えの下に原子力というものを日本では研究をし、そうして扱って行かなければならないのではないか。こう私は考えておるのでありますが、この点はどうお考えになっておりますか。これが第三点であります。  それから第四点は、最近終戦後当分はやむを得なかったと思いますが、最近わが国では欧米先進国からの技術輸入が非常に多いのであります。ほとんど全部の産業にわたって外国の商社と提携をし、そうして相当な特許料を払って、いわばイミテーション工業を今やっていると思うのでありますが、終戦後長い間戦時中の立ちおくれでやむを得なかったと思うのでありますが、この辺でこの段階が来たのでありますから、ここで国内においてはこういう模倣技術、欧米に追従しているだけではなくて、革命的なやはり発明を日本の国内において慫慂し、これを実現させる。そうして世界各国からの追従から一方前進の方へ進んで行かなければ、ほんとうの意味の日本の産業を通じて平和的に世界経済に対抗して行くということは、困難ではないかと考えるのでありますが、こういう点について果してどういう施策を予算的にもまた行政的にもとるべきであるか。この点が第四点であります。  それから第五点の問題は、今原子力の問題が出ましたが、御議論になっておりまするのは全部核分裂、要するにウラン系統の御議論であります。しかし私は日本資源状態から考えますならば、ウランの系統の核分裂のエネルギーというものだけを対象にして研究いたしておりますと、おそらくこれはイギリスにおいても、アメリカにおいても、ソ連におきましても、これは軍需品であります、従いまして、軍需品から出て来るこういうウラン系統のものを、大切な産業の根幹であるエネルギーに充てまして、そうして進んで行くということは、日本でエネルギーがあればけっこうでありますが、十分ないといたしますとなかなか問題だと思います。幸いにして最近海外から入って参りまする情報によりますると、こういう核分裂のウラン系統ではなくて、水素の核融合の平和利用ということがだんだんと実現の可能性がふえて来たようであります。従って水素の核融合が、近々見通しのつく将来の間において、エネルギーとして平和に利用ができるということでありますならば、これはまさに世界資源の公平な分配ということが言えると思うのであります。水素は至るところにあるわけでございますから、こういうものにやはり日本は一歩先んじてあらゆる努力を集中いたしまして、そうして水力あるいは石炭が枯渇して参りまするのに備えて、こういうことが必要ではないかと私は考えるのでありますが、この点についての御所見を伺いたいと思います。
  13. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) 第一の科学技術振興に対する予算程度を御質問のようでありましたが、これはちょっと私からどういう程度であるべきかということのはっきりしたお答えをするだけに、実は資料を備えたわけでもありませんが、ただまあ感想として毎年の予算を拝見すると、おざなり的に従来このくらい出していたから本年はこのくらいの程度というようなことで行っているのじゃないか。それではいつまでたっても日本科学技術というものの発達には、教育費の点から見ても望みが少いのじゃないかということを痛感したので、所見の一端として申し上げたに過ぎないのでありますが、まあこの節私立大学辺はいろいろな方法で入学者あるいは在学生からいろいろな名目で費用を徴収して、むしろ相当官立大学よりも十分とはむろん言えないでありましょうが、研究費等教育に関する費用も支弁ができるように見えますが、官立の大学初め技術教育を行なっておられる所は、もう戦前と一向変らぬ考え方であるために、ほとんど研究に要する資料購入もできない、従って学生に対する実験というようなものもわれわれが在学しておったときから見れば非常な貧弱なものであるというような実情は、これはよく聞かされておるのでありまして、まあ国家予算としては限度がありましょう、望めばこれはとてもそれをはるかに上廻る程度が望ましいことはもちろんでありますが、これは国庫の許す範囲でもう少し考え方を、将来科学技術振興というものはこれだけ重要だということを政治家初め政府当局認識を深めていただけば、私はもうけっこうだと、こう思っておるような程度で、はなはだ具体的なお答えができぬのは残念でありますが、ごめんをこうむらせていただきたいと思います。  それから次に技術者を希望する者と文科系統の学生との比率でありますが、これはさっき海野さんの御質問にもあったように、どうも日本じゃ世の中に出ても技術者はどこへ行っても下敷になる、というような観念も多少働いて、技術系統に行くべき人が、将来のために家庭の事情等もあわせて、文科系統に流れていくという傾向も全然ないじゃないと思うのです。それからもう一つはどうも技術系統に行く者には、数学とか物理化学というサイエンスに属するものが非常に重要である。私の子供や孫を見てみてもどうもその方にタレントのある者がどういうわけか少くて、もう数字はいやだというのがどうもパーセンテージにして多いのですがね。(笑声)これはやっぱりもう少し人種改良をやらぬと(笑声)なかなか解決せぬのじゃないかと思うのですが、しかしどうしても今入学生はしぼられているのですから、どっちも。だからなるべく優秀な者が入ってもそれに教育が十分できるようにすることが、比率問題よりもまず実行もできますし、解決の方法じゃないかと、こういうふうに私は思っておるのですがね。  それから次にエネルギー源はお説の通り、私、通産省で大ぜいな委員を民間から選ばれて、あれは昭和五十年ですか、のエネルギー資源の見通しというものを説明も聞きました。お説の通り石炭最後六千五百万トン、それを目標にしてずっとやると、非常に電力動力資源が足りない。それでそれをまかなうためには石炭もこれくらい輸入しなければならぬ、重油も輸入しなければならぬということも聞いたのですが、まあ五十年はともかくとして、この間九電力会社のいわゆる電力連合会で立てた予想によりますと、昭和四十年にどうしても原子力による発電設備を九十万キロほしい。こういう結論に到達しておるのでありますが、まあ私の立場から率直に申し上げると、それは必要は九十万キロあると仮定をして、どうしても、今、日本で設備を製造するということは、これはもう遺憾ながら不可能です。ですからこれはどうしても、イギリス注文するかアメリカ注文するかは別として、外国からプラントを輸入をしなければならぬ。ところがアメリカでもイギリスでも今注文をしても何十方キロのプラントとなると、できるまでに約三年ないし四年かかるのですね。そうするとこれを日本に持ってきて据え付けをやり試運転をやり、いよいよこれが常態に運転を始めるというのは五年みなきゃならぬ。そうすると昭和四十年というともうあと八、九年しかないのでありまして、相当急がなければ間に合わぬということでありますが、先ほども申し上げましたように、これを必要があるといって原子力発電所をあまりに急速に進めていくと、これは将来非常な根本的な禍根をこの方に関する限り日本に残すというおそれがあるので、私はどうしても、どんなに間に合おうが合うまいがこれはある一つの順序をふんで進めていかなければならぬ。それには一応十万キロか二十万キロ程度のデモンストレーション・プラント式なものを研究半分、実用半分という程度で置いて、そこで人間を養成し、それからろいいろな運転のデータを握って、それからこの本プラントにいくべきだということにすると、あるいは昭和四十年の九十万キロはちょっと間に合いかねるかもしれない。しかしその間に合わぬのは、私は、好むと好まざるとにかかわらず、石炭も不足ならばまあがまんして輸入をする、重油はもちろん輸入をする、これはそろばんとってあるいは非常な大きなロスかもしれない、ロスかもしれないが、これは国家百年のためには目をつぶってがまんして、二、三年この赤字を黙視していただかなければならぬのじゃないかと考えて、あまり原子力発電の急進ということは、私はまあ賛成しかねるので、むしろ私はこれをチェックする方に廻っておるのが私の現在の心境であります。それから……。
  14. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 世界に優先するような、革命的な発明の技術的装置はどうして作るか。
  15. 安川第五郎

    公述人安川五郎君) パテントの輸入の問題ですね。これは御説の通り少し度が過ぎていやせんかと思います。ある程度まではこれは向うが進んでおるのですから、これを日本でいつまでもやせがまんして一切外国のパテントは使わぬ、こっちでオリジナリティを発揮するのだということは、意気としては非常に私は盛んでけっこうだと思いますが、遺憾ながら今のアメリカ、それからヨーロッパの進んだ国の技術の水準を見ると、それは日本にも進んだものがあるのですが、基本的にいって、相当向うから学ばなければ追っつかないものがありますから、これに対しては、私はある程度やむを得んと思う。ところが、それが今日は少し度が過ぎて、もう何でもかんでも外国のパテントを、半分宣伝用というような、はなはだしきに至っては、同じ会社のパテントを日本の競争会社が数社寄ってたかって同じライセンスをとる、そうして日本で競争している。向うは得たり賢しで、甲の会社へこれだけでパテントをやった、お前のところはこれだけ出せと言われると、ついに競争心にかられて、不当な請求にも甘んずるというような傾向がなきにしもあらずと思うのでありまして、これは、少し技術の目のある人が中心におって選択されるよりほか私は道はないと思うのです。絶対に禁止したら、日本技術は、この水準程度では、これはやはり世界におくれるおそれがある。これは、ちょっと問題がはずれて、見当はずれかもしれませんか、私の感じた点を申し上げると、アメリカ原子力の燃料、これは非常な精密を要する仕事ですが、燃料の加工は、ウランだけで来たんでは、これは燃料にならぬのです。これを加工する技術は非常に精密を、工業中の精密を要する、それの専門のローリング・ミルをこしらえる会社がある。その会社の社長から私あてに手紙が来て、日本の甲という商社と乙という商社がそのローソング・ミルの販売権、ソール・エージェンシイを競争して、おれの方にまかせろと言って、アメリカで競争しておる。おれの方は決定に非常に困っておるので、お前のところでどっちがいいかきめてくれということを言うてきたのです。そんなものをわれわれの方できめたら大問題になるので、これはもう、われわれの方からどっちがいいということは一切言えない、お前の方でこの方が安心だというところを選定してきめろということを返事せざるを得なかったのですが、これに類するようなことが、やはり先ほど申し上げましたように、パテントの取り合いで、不当なロイアルティを払っておる例も二、三私は聞いておるのです。これは、非常に遺憾に思っておるのですが、何とかもう少し制限を加え、また、統制をする必要を私も痛感しております。それからもう一つは、核融合と分裂とのお話があったようでありますが、これは将来は、どうしても分裂から融合に移る運命が私はあると確信しておりますが、しかし、今の段階では、核融合はちょっとあれは実用の段階に当分はならぬと思います。というのは、非常な高熱を要するのですから、第一、爆弾だからあれはできるのであって、あれを平和利用に使うなんというと、第一、あれを入れる容器がないのです。みんな、どんな金属を使ってもとろけてしまう。だから、そういう点からいって、もう少し冶金工学が格段に発達して、どんな高熱にも耐え得るような何か金属でも発明されんことには、核融合で平和利用に使うというようなことは望めない。ところが最近、そんな高温度でなく、常温じゃないでしょうが、もっと低い温度で核融合ができる、それには何かカタライザを使うということが出ておるんですがね。これが本物になれば、あるいは今夢と思っていたのが、いきなり数年のうちに実現するかもしらんのですが、しかし、学者あたりの話を聞いてみると、このカタライザを使うというのも、まだ今ラボラトリ式の一つの構想であって、なかなか実用にならない。極端な話が、これはまあ二年ばかり前の話ですから、また心境は変っておるかもしれませんが、若い原子力の方の担当の技術者アメリカへ視察に行って、あるアメリカ権威者に会って、どうも将来、分裂でなく、融合の方に原子力平和利用が移るんじゃないか、この方もあまり無視できないんじゃないかということを言うたところが、まあ百年は融合はむずかしい。だから、お前の一生の間には融合はものにはならぬ、だから、そんな先の先まで今ごろ研究して、フィッションと融合と両建でやるなんていうことは、はなはだ効率が悪いから、融合はもう考えないで、フィッション一本で行けということをアドヴァイスされたというみやげ話を聞いたんですが、しかし、これはまあ、世界の発明は、どういうものが飛び出すやら、既往の経験から見ても、保証の限りでないんです。ただ、今の段階では、ちょっとこれは、実用化の段階にはならぬということは、申し上げて差しつかえないと思います。
  16. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 栗山君、次の公述人が急がれますので、なるべく簡単にお願いいたします。
  17. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 私は、先ほどエネルギー源の問題は、将来原子力研究所研究を進めていただく場合、基本的な考え方として、日本原子力に期待するものは、アメリカの状況ではなくて、イギリスの状況に近いので、そういう観点からお進めをいただきたいということを私は要望を申し上げたわけです。で、当面進め方としては、あなたのお考えに全面的に賛成であります。今、町で騒いでおるように、ああいう緊急性があるというので、何でもかんでも模倣するというのでなしに、やはり石炭なり重油のエネルギーというものは、世界的規模から見れば、そんなに行き詰まっておるわけではありませんから、そういうものに期待しながら、原子力発電というものを非常に安定した、しかも日本の産業にほんとうに貢献し得るような形において開発をお願いしたいということであったわけであります。  それから第四番目の技術水準の問題は、私は、終戦後から今日まで、海外技術を導入したことは、日本技術の立ちおくれ、戦時中における立ちおくれを回復する手段として、やむを得なかったと思います。ただ問題は、これからの産業界のあり方としては、世界的な規模における革命的な発明が日本の国内においてどんどんできるように、そういう構想のもとに進んでいただきたい、政府もそうすべきではないかということを考えるのでありまして、そういうことを要望として申し上げたわけであります。
  18. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) ありがとうございました。(拍手)
  19. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 次に、社会保障制度審議会委員今井一男君にお願いいたします。
  20. 今井一男

    公述人(今井一男君) 私に与えられました課題は、社会保障関係でございます。明年度の予算案におきまして、政府がいろいろと新しい面その他にかなりな予算増額を見ておりますことは、説明書にございます通りでありまして、その限りにおきまして、われわれ関係者として、まことにけっこうとは存ずるのでありますが、しかし、これを掘り下げますれば、問題は幾らも出て参るかと思います。しかし、時間が限られてもおりますので、なるべく問題点をしぼりまして、しかも、あまり一般に言われておらないような角度から一言さしていただきたいと思います。  結論的に申しますというと、何と申しましても、社会保障という観念は、戦後わが国に導入されましたものでありますだけに、相当の浸透はいたしましたけれども、まだ観念的な確立はいたしておらないようでありまするし、さらにまた、その基盤となるべき社会連帯の考え方といった点におきましても、まだまだ今後の問題でございまするし、さらに、これを進展させますためには、社会保障制度がより技術的に、より合理的に、本格的に、計画的に進められなければならぬという段階が近づいておるように思います。  最初一つ申し上げたい点は、まあ社会保障の前提というような点におきまして一言いたしますが、一般に、よく国家財政の中で、社会保障関係の費用が何。パーセント占めておるか、あるいは国民所得の中でそれがどういう比率に達するか、こういったことがよく議論されるのでありますが、この議論も確かに一つの見方には違いありませんが、そういう観点だけでものを考え考え方には、私はいささか疑問を持つものであります。と申しますのは、申すまでもなく、社会保障は、国民の最低生活が社会的に保障されていく仕組みのことでございますから、従いまして、いわば国民所得の第一次分配と申しますような、最初の国民所得の分配がどういった形で行われるか、一定の線以下の人間がどれほど多くできるかということによりまして、それを調整し直す第二次再分配の段階であります社会保障制度のもつ役割の比重が変って参るわけでありますからして、その意味におきましては、まず第一次におきまして、極力そういった層が発生しないような工夫ということがなされることが必要だと思うのであります。戦後間もなく、日本経済は、復興のためにかなりな苦難の道を歩みまして今日に至ったのでありまするから、その間におきまして、あるいは残念ながら、相当の不労所得、やみ所得のようなものも発生はせざるを得なかったのでありましょうし、また、自由競争の長所が極力取り入れられなければならなかったことも十分了解できるのでありますが、しかし、今や自立経済がこのように確立したと官民ともに確信ができる段階になりましたならば、今後の分配の問題につきましては、まず、基本的に何らかの考え方が必要ではなかろうかと思うのであります。ところが、その点につきまして、一般的に政府の施策は、施策と申しますか、考え方につきましては、決して十分なものがあるとはどうも了解しにくい点がございます。たとえば、生産が前年よりも何パーセントふえたと、石炭が何万トン掘れた、電力が何キロワットアワーになったと、あるいは物価指数はこうなった、あるいは国際収支がこうなったと、こういった見方は、これは常になされておりますけれども、すべて議論の重点が、総額でありますとか、あるいは平均値の問題でありまして、その上下の幅、その分配がどういうふうに行われておるかということにつきましての配慮は非常に不十分なものがあるように感じます。まあ一例をあげますれば、最近、社会保障関係で問題となっております五人未満の事業所の点にいたしましても、昨年ようやく厚生省が調査を始め、本年度予算におきまして、初めて労働省の勤労統計が本格的に及ぶといったことなども、その端的な表われではなかろうかと考えます。特にわが国は、世界的に最も人口稠密な国でございますと同時に、さらに、ここ数年を出ずして、生産人口が急激にふえる段階に達しますことを考えますというと、まず第一に、雇用問題ということが前提として一番真剣に、まあ国政のほとんどその最大の眼目といってよろしいほど大きく取り上げられてしかるべきだと考えます。幸いにして、今回、労働省の予算にも、雇用審議会の考え方はとられたようでありますが、わが国の産業がどういうふうな構造に組み立てられることが一番雇用の機会を多くするかというような観点で産業問題が取り上げられたことがまあないと言っては言い過ぎかもしれませんが、非常に不十分な感じを持つものであります。と同時に、いわゆる最低賃金の問題にいたしましても、労働基準法こそ、世界に最高水準を誇るようなものが十年前にできましたが、これに対しまして、画龍点睛と申しますか、一番重点であります賃金の保障的な面におきましては、いまだにまあ暗中模索から一歩出ようか出ないかと、こういったことに相なっております。こういうような、社会保障の前提問題と申しますか、こういったことに対する配慮を一方において十分尽しませんと、社会保障の受け持つ役割はますます大きくなり、しかも、技術的に困難を加えて参るわけでありまして、この前提の問題につきまして、もっともっと本格的な取り組み方がなければならぬであろうと、もちろん、統制経済一本やりで参ることが決して策を得たものとも考えるわけではございませんが、しかしながら、そういうところへ持っていきませんでも、まだまだ残された方法はあるのではなかろうかと考えるのであります。たとえば、明年度の予算関係におきまして、拡大均衡ということが大きく取り上げられ、これも、われわれの立場から申しまして、まことにけっこうなことには違いないのでありますが、一方において、投資の過剰がすでに叫ばれておる。しかも、拡大均衡のためには、産業間、企業間の歩調のとれた進展がございませんと、そこに雇用あるいは賃金的なロスを生ずることは申し上げるまでもないところでありまして、隘路打開のために、財政投融資が大きく取り上げられたことはけっこうには違いありませんが、私の考え方からいたしますと、ほかにより大きい、民間資金の面におまきして、そういった立場から比較的に政府といいますか、国の意思の入りやすいようなところに資金がより集まるような配慮、すなわち、拡大均衡ということを進展させますために、その意図が乗りやすいような配慮という面におきましては、非常に不十分な点があるのではないかと、何事によらず、一般的に、単なる資本蓄積が叫ばれ、たとえば増資なり、あるいは証券市場への資金の導入なんというものがすべて自由放任に考えられますこと自身は、均衡ということを考える場合におきましては、一つの問題点ではなかろうかと考えます。そういう点におきましては、まあインフレ等の問題からも議論がございますが、同時に、私どもの立場から申しましても、そこにいま少し、もう一段進んだ配慮があってしかるべきではなかろうかという気がいたすのであります。そういう見地でいたしますというと、明年度の予算にいたしましても、まだまだ食い足りない点が出てくることは、勢いと申すことに相なろうかと思います。ただ、社会保障関係の論者の中に、あまりに社会保障を強調いたしますために、これが全体の体系の中のいわば補充部隊と申しますか、調整部隊と申しますか、要するに予備的な分野であるということを忘れまして、あまりに社会保障を中心にものを考えるような考え方までされる向きがあるようでありますが、私は、社会保障の受け持つ役割ということには、おのずからなる限度があると考えるのであります。しかし、それにいたしましても、こういった自立経済の一応の確立を転機といたしまして、今後の日本経済の見通し、雇用の見通し、国民所得の見通し等の上に立ちまして、思いつきにとにかくどれからでも取り上げていくということでなく、いま少し計画的に国民所得の増加なり、負担力の増加なりといった面から、計画的に今後何年後かの社会保障制度のでき上った姿というものを想定いたしまして、そこへ順序よく持って参るような配慮が望ましい。不幸にいたしまして、わが国の一番こういったことを預かっております経済審議庁におきましても、ほとんど重点は常に物と金の問題でありまして、こういう国民生活なり、国民の福祉なりというような面から、つまり人という面から配慮されることが非常に少いように思われます。こういった傾向は、ぜひ今後改めてほしいものだと考えておるものであります。  前段の問題はそのくらいにいたしまして、具体的な社会保障関係におきまして、本年度の新施策の中で一番大きく浮び上っておりますものは、政府の決定されました医療におきましての国民皆保険への踏み出しであります。これはまことに歴史的に大きな意義を有するものでありまして、御同慶にたえないところであると考えます。何と申しましても疾病が貧困の最も大きな原因でありますことは、もう実証されておるところでありまして、従いましてこれを国民健康保険でやるとか、あるいは普通の健康保険でやるとかいうような問題は、むしろウエートは私は非常に小さくなると思います。さらにやかましい問題になっております一部負担等の問題、国庫負担等の問題等も、さらにそのウエートは小さい問題かと私は考えるのでありますが、ただ、この医療保障ということが所得の保障と並びまして、社会保障の二大根幹であるという立場から考えますと、医療保障という問題がいかにむずかしい問題であるかということが一般理解されておらないようでありますと同時に、また非常に金のかかるものであるという点も、まだまだ認識が徹底しておらないようでありまして、こういったことがこれからの医療保障の進展におきまして、非常に大きな摩擦を生じ、将来大へんなことになりやしないかということを、一面において心配しておるものであります。すなわち医療というものは年金等と違いまして、ある人に三千円、ある人に五千円と、こういうふうにきめて渡して始末のできるものではございません。疾病の種類は幾らもございます、ただし医学的に疾病と申しましてもその疾病の中で、社会保険の立場からいって取り上げるべき疾病と、取り上げる必要のない疾病も一部含まれております。さらに社会保険、社会生活の上から見まして、どこからを発病と言い、どこからを治癒と認めるかという問題等も、また医学的な面より違った要素を加えなければなりません。さらに治療方法といたしましては、その人の年令なり病歴なり体質なり症状なり、もろもろの要素から、人々によってすべて個別的に対象療法が異なって参ります。しかもお医者さんのそれぞれの流儀によりましても、またこれは違って参ります。しかしながら、これを社会保険という国民全体が肩を組んだ形におきましての保険という形式に持って参りますためには、すべてをそれぞれの自由にまかし得ないという点がございます。たとえば国民全体に行き渡るためには、まだきわめて不十分な試験的な薬がある。その試験的な薬をある患者に投ずることは、その患者としては確かに利益には違いありませんが、しかし他の患者では一般的にそのチャンスは与えられないのであります。そういったものを保険という形の中に組み入れること自身には問題がございます。しかしながら今申した通り一つのますではかったような形に押し込めないという非常にむずかしい要素を持っております。さらに医療は医療保険であって、疾病保険ではございません。病気ということが即保険事故の対象になるのではなくて、医者にかかって判断を受け、診療を受けまして初めてそれが保険事故として取り上げられる。疾病というものがすべてしろうとにもちゃんと判断できるものなら、これは問題ございません。他の社会保険のように失業いたしますとか、老齢年金でありますとかいうものは、失業した、あるいは何十才になった、こういったことは当人にはっきりわかります。従いまして当人がもし請求しなかったという場合には、当人の責任といたしましても大した問題はございません。しかしながら疾病の方は、そうは参らないのでありまして、本人に自覚症状のない場合もございますし、また医者にかかれないために、あるいは緊急のために、自分が売薬で済ませますというと、そのままなおってしまったというといったような場合には、これはどうしても保険の対象に取り上げにくいのであります。さらにそういう立場から申しますというと、国民皆保険をやりますためには、全国的に最も公平な医療機関の再配置ということが問題となって参りますが、しかし御承知通り、戦前からすでに努力して参りました無医村、無医地区の解消ということが、来年度の予算にも若干頭を出しておりますが、とうていここちょっとの間に解決できる問題ではないようであります。と申しまして、医師を強制的にそういう所へ持って参るということは、これは憲法の職業選択の自由から申しましてもここに大きな問題がございます。従いまして、不公平な基盤の上に皆保険を徹底させるということは、これは大きな問題でありまして、そこにもむずかしい点がございます。また、他の一般の社会保険でありますならば、失業保険にいたしましても、厚生年金にいたしましても、すべて保険者であります立場にあります者が、その保険事故の発生を確認いたしまして、失業ならば離職票を確認いたしまして、老令年金ならば戸籍謄本で確認いたしまして、その上で保険金を支払う仕組みであることは御承知通りであります。これは一般保険と同じであります。ところが医療保険におきましては、保険給付そのものは、実質的な給付そのものは、すでに患者か医者のところに参りまして受けてしまうのであります。その受けてしまったあとを、保険者があとになりまして確認をして、医者に払っていくという、そういう仕組み、これはまあ日本のは進んでいるせいでもありますが、そういった仕組みをとっております。こういった仕組みは非常に、自後の調整でありますからして、そこにむずかしい問題が起ることは当然でありまして、その意味から申しましても、私は少々の保険経済の食い違いができますことはむしろ当然であり、世界的にもこの問題はすでに言われておるところであります。一般にはイギリスの医療保険が非常に理想的なものであるかのように言われておりますけれども、だんだん聞いてみますというと、決してそんなものではないようであります。例の人頭登録制によりまして、医者は自分の受持ちの患者がきまっておる、従って患者が病気にならなかったならば、それだけ所得がふえる。従って医師が疾病の予防にまで努力する。こういったことはたしかに観念的には優れた制度には違いないのでありますが、同時に、患者は医師の選択の自由が与えられておりません。自分が一ぺん登録いたしました医者、それは登録の変更期にならない限り、その医者でなければ自分の給付は、ただにはならないわけであります。ところがわが国ではどんな好きな医者でもかかれる。医師選択の自由という最も必要な条件を与えておるわけでありまして、これは日本の制度が非常に進んでおる点でありますが、同時にそういったことがまたもろもろの問題を起す原因にもなっておるわけであります。さらにまた、診療報酬の支払いの方式にいたしましても、新医療費体系なりあるいは単価問題なり等におきまして、相当医師会の諸君との間にむずかしい問題が出ておりますが、最近ややもいたしますというと、政府側ではとにかく経済が赤字にならぬということのみに重点が置かれるような傾向もありまして、一方において今の体系自身が医者の能力ということを、あるいは治療効果ということを全然無視——まあ無視と言っちゃ言い過ぎですが、軽視いたしまして、とにかくなるべくたくさんの薬、たくさんの注射を使って、なるべく患者に長い日数をかけて治した方が所得がふえるという、いわば極言いたしますというと、下手な医者ほどもうかるような仕組みになっておりますこと自身が、これがまた医療費を非常にふくらます問題に相なっておりまして、この傾向が根本的に改められませんというと、皆保険はできたが、しかし日本が明治以来誇っておった医者の水準は低下したと、こういったような事態も憂慮されてならないのであります。一方国民健康保険におきまして、国民皆保険に一歩を踏み出そうとはしておりますけれども、しかしながら、ただいまの地方財政の状況からいたしまして、各地で相当の問題が起きていることは御承知通りでありますのみならず、ただいまのように半額を自己負担させるという制度自身が、結局におきまして、地方においては富農層だけしか医者にかかれないというような問題にもなるのでありまして、この意味では、なるべく早い機会に社会保障制度審議会勧告の線にありますような程度までの引き上げは必要ではないか。あまりに形式的な皆保険という形にばかりとらわれますというと、一切の基盤が不十分なために、かえってでき上ったものは、国民としてはありがたいものにならないという危険さえ案ぜられてならないのであります。とにかく最低賃金の施行されている国はすでに二十数カ国あるようでありますが、国民全体を医療保険に加入させる、させているという国はまだ世界に二つか三つしかないようであります。それに目ざして踏み切ろうということは、もう一つ日本として誇るべきことに違いありませんが、同時にあまりにも早急的な、拙速主義というものは、私は将来に禍根を残すものという意味におきまして、同じ社会保障関係者の中では、私はやや異例的な慎重説をとりたいのであります。  同時に、日本におきましてはこれ以外に、年金の面が世界的に立ちおくれていることも、私の申すまでもないところであります。もう時間がありませんから端折りますが、これにつきましては、私に言わせますれば、大企業における労使ともに、あまり積極的でないということを、私の体験上感じがいたすのであります。すなわち自分の企業に尽したという意味における老後の保障ということにつきましては、これは公務員を込めまして、保障ということにおきましては、相当思い切ったことをやろうという事業主も多いのでありますけれども、これを社会的にプールいたしまして、日本で一番問題のある中小企業層までおろして考えるという向きが少いことは、非常に残念な次第でありますが、幸いにして厚生省も国民年金に一歩踏み切ろうというのでありますからして、その成果を待ちたいと考えます。  なお、最後に一言いたしますれば、社会保障に関係しておりますものは、何と申しましても自分の仕事熱心の関係から、個々に非常に膨大な予算なり何なりの要求をいたすのは世間並みのことでありますが、わが国には実はそういった各事業別と申しますか、階層別と申しますか、そういった問題に対しましても、もろもろの勉強をし、運動をする団体、またグループというものは少いようでありますけれども、これを国家全体の立場からながめて、いろいろの点を勘案いたしまして、適切なる分配をするという立場にあるものはほとんどないようであります。まあいわば大蔵省がその役割をやっているつもりかもしれませんけれども、しかし大蔵省はややもいたしますというと、とにかく歳出の総額が減るということにばかり御熱心になる傾向があるようであります。さらに税と歳入と歳出というものをどういうふうに見合せるかと、こういった経費にはどういう負担でどうかぶせていくかと、こういった配慮についても足らないような感じがしてならないものであります。そういう見地から申しますれば、こういう問題に国民的立場に立ちまして、最終的な、最高の判断を下されるものは、実に両院の予算委員会ただ一つあるのみと、こう申し上げたいのであります。(笑声)一つその点よろしくお引き回しのほどをお願い申し上げまして終ります。(拍手)
  21. 吉田法晴

    吉田法晴君 簡単に三点承わりたいと思いますが、どうもまだ日本の社会保障の実際のあれを見ておりますと、かつていわれたような慈恵的な社会政策であるように思うのです。そのことは、たとえば生活保護をいたします場合の生活水準、それからそのやり方についても、恩恵的に民生委員その他ありますが、そういうような問題があります。その点を直すにはどうしたらよいかということをお考えになるか。これは、まあ根本的な問題でもございまして、簡単に伺うべきことではないかもしれませんが、お考えを伺います。  それからもう一つ、たとえば恩給、軍人恩給でも、退職公務員の恩給等についても、それがあまりふくれていって他の社会保障費を食うことは問題だ。そこで社会保障制度全体について考えるべきだということは、そのつど政府でも、それから党でも言うわけでありますが、実際にはむしろ逆になって、たとえば海外の引揚者についても、これは社会保障的なという点はありますけれども、一部財産補償ということになっております。ますますその他の階層の社会保障というものが薄くなって行く。    〔理事左藤義詮君退席、委員長着席〕  社会保障制度審議会として、一番、頭の痛いことと思いますが、これを直して行く、今のような状態になりますと、あるいは官僚的と申しますか、あるいは階級的な社会保障関係になってくる。これは民主的な、民主主義の原則に基く社会保障ではないと思うのであります。それを直すについてどういう御構想をお持ちになるが、さっき退職金の問題について、大企業、国を含めて、それについては考えておる云々というようなこともありましたが、その辺のところ若干解決の鍵があるのじゃないか。たとえば退職金なら退職金というものは相当納めておる。厚生年金の話はございましたが、厚生年金というものは、これは実際の今の金額ではほとんど問題になりませんで、病院を建てるぐらいのものが実際に社会的な機能だと思う。それをもっと金額をふやしたり、あるいは退職金等を総合して、国が老後を保障するという制度になるなら別でございますが、しかし、ここには解決の方向があることだけは私ども多少感ずるのであります。その点についてどういうふうに御意見がありますか。  もう一つ、実際的な問題でございますが、ドッジ・ライン後、大蔵省が引き締めの政策に出て、生活保護にしても、児童その他の施設にしても、非常に苦労をしてやりましたために、そのことが神武以来の景気と言われる今日でも、あるいは今までの税制上、二千億の増収があると言われる今日でも、なお依然として人員その他の点で引き締めを必要としておる。これを直さなければならぬと思いますが、その点はここにしかないと思いますけれども、これについて、実際に引き締めて参りました大蔵省の方針を直させるにはどういう方法があるか。結局これは予算の問題に関連してくると思いますが、実際に、今まで社会保障について関係してこられましたあなたの御意見を承わりたいと思います。
  22. 今井一男

    公述人(今井一男君) 第一点でございますが、私は仰せのように、日本から慈善事業をなくするということが社会保障の完成だというふうにまで極言したいと思うのであります。そういったためには、やはりふだんから能力のあります段階の時代には、若いときでも、健康なときでも、とにかく各人が適当な負担を常々しておく、そのかわり自分たちがある一定の線以下に困ったときには、権利として大きな顔をしてそこからもらって行く、これは端的に申しますというと、全体の考え方でなければならぬかと思うのであります。ところがまだ中途半端な段階でございますし、またさらに、社会対個人のつながり的な認識におきまして、まだまだ徹底をしておらぬ点もございます。やる方はおっしゃるように恩恵というふうな形にややもすれば出ます。また、もらう方は自分の方の出せる場合にも、出すものはいやだ。そのかわりよこすものはよこせというような、こういうような形からも問題が出ておるようでありまして、今後確かに切りかえて行かなければならぬ点かと考えます。それから恩給なり、戦争遺家族なり、あるいは年金の問題におきましては、日本としては最初どうしても老齢の無醵出年金から始めざるを得ないかと考えるのでありますが、戦争遺家族の問題は、実は社会保障制度審議会におきましては、これを軍人恩給復活の形で行くことにつきまして非常に反対を唱えましたのでありますけれども、軍人恩給復活の形で取り上げられ、しかも結果的には、軍人恩給というのは御承知通り鉄砲のたまに当って死んだ諸君にだけは非常に厚く支給する。そのかわりそのほかの事故で倒れた者は、病死その他に対しては非常に厳重に取り締る、こういう形でありましたために、その後幾たびかの改正が行われて参りまして、御案内のように、ただいまでは大分趣旨が変ったものになってきております。しかしここまで進みました以上は、例の既得権問題から、これをなかなかいじり直すこと自身はかなり工夫のまたむずかしい点のあるところだろうと考えます。さしあたりまして、私は格別の名案の持ち合せもあるわけでもございませんが、いずれにいたしましても、もう少し他の一般の社会保障制度が推進され、レベル・アップされまして、それとのつながりにおきまして、国民全体という視野で問題をこなして行く以外に、今の段階としては方法はないのではないか。その意味では、何と申しましても今の厚年の形というものが、お話のようにもう少しレベルが高くなる、こういったことが必要かと思いますし、また国民年金の基盤である無醵出の部分も、とにかく突破口を開くということが最初考えられなければならぬということに相なろうかと思います。それから生活保護につきましては、私もあまり実態の詳しいことは存じないのでありますが、とにかく一部に非常に乱給があり、また一部に非常な見落しがある、こういうことが実態のようであります。それで、たとえば資格のないものが強制的なり、あるいは情実的なりによって医療保険なり何かを受けている。しかしまた一方において、ほんとうに困っておる人が救われておらないというのが実情のように、これはたびたび伺っておるところでありまして、大蔵省の何でもかんでも総額が減るようにという考え方に問題がありますと同時に、やはり第一線の福祉事務所における担当者が、いま少し身分が保障されまして、公正にやれるような道が行われなければならぬかと思います。なおこういったこととからみましては、今度の結核予防法等にもございますが、地方財政対国の財政という基本問題も確かにあります。特にただいまの予算関係では、地方が出せば、出したものの幾らを国がめんどうを見るという仕組みでありまして、名前は国庫負担でありましても、国が最終的に責任を持つような形に相なっておらぬこと自身が、もろもろの問題とからんでおることは、これは御承知通りであるかと思います。
  23. 岡田宗司

    ○岡田宗司君 今井さんにお伺いしたい点が二点ございます。第一点は、今、吉田君も問題にされました恩給の問題でございますが、恩給がどんどんふえて行く、これは問題だろうと思います。一方においていろいろな年金制度、いろいろな形で作られている、これは何らかの形で統合しなければならぬ問題ではないかと思いますが、この点について、今のうちから研究をし、新しい年金、いろいろな年金を作り出す場合にも、それとの関連性を考えて行かないというと、非常に複雑になって統合ができなくなって、重複だの、むだだのが多くなってくる。その統合の問題について、将来の見通し並びにそれについての対策をお考えになっているかどうか。  それから第二の点は、これも同じような問題でありますけれども、医療の問題でございます。これも、国民皆保険けっこうでございますが、今日何本建てかの健康保険がある。これらの統合の問題としては、これは年金の統合より、もう一つ前にやらなきゃならぬ問題だと思いますが、それについて社会保障制度審議会の委員として、今日お考えになっておるだろうと思いますが、それらの問題についての概要をお示し願いたいと思います。
  24. 今井一男

    公述人(今井一男君) 最初の年金関係につきましては、審議会の中での意向というのは大体固まっております。これを一本の年金に統合すること自身は、むずかしいのみならず、適当でもないのじゃないか。しかしながら、そこに全体を通ずる国民的な一つの線を引く、たとえば恩給で申しますれば、恩給というのは、御承知通り、国に勤務している期間だけが要するに給付の基礎になりまして、民間の勤務期間というのは通算されません。これは非常に皮肉に申せば、国に奉公している間だけが偉いというような意味でもございまして、まあ、新しい時代から申しましても、どうかと思われるのであります。しかしこれは民間に移りました場合にも通算されますように、一つ勤続期間何年ということが基盤で、一応はじけるようなもの、共通的なものをこしらえまして、その上にプラスいたしまして、ちょうどアメリカあたりの各事業会社等にございますように、産業年金でございますが、それに乗っかるようなものを一つ別に需要に応じて、あるいは労使折半なり、あるいは事業主の一方的なり、ということを、これを政府が積極的に保護奨励して行く、しかし共通的なものは、あくまでも一本の線という形で貫いたらどうか、こういったような考え方に一通り固まっておるのでありますが、しかしこれは技術的に若干問題はございますけれども、保険数理を使って大局的にやれば、君は決意さえあれば踏み切れることだと考えておるのであります。それから医療面におきましては、確かにいろいろな中途半端があるのでございますが、しかし何分にも現在の医療保険のもろもろの問題点というものが解決されておらず、しかも一方におきまして、政府管掌の経験からいたしまして、非常に妙なというか、非常におもしろくない事例が多いが、健康保険組合等においては、非常に管理が工合よく行っておるということ自身は、やはりいま少し小さな規模におきまして、これはスエーデンその他の例にございますように、小さな規模におきまして、この医療保険の運営に熟達した上で、その上で考えた方がいいんじゃないか。しかしながら、ただいまのように、一応大組合の方が小額の負担でより厚い給付を受ける。小さなものは、まあ負担は小さいかもしれませんが、給付は低い、その差をどう調整するかという問題が残るのでありますが、そういった面こそ国庫負担の活用が一番考えられるべき点ではないか、そうしてある程度の進展がされた後に、ただいま岡田先生のおっしゃいましたような意味のことが考えられてしかるべきじゃないか、今からすぐそういったところへ飛び込むこと自身は、日本の現実の問題としては当を得たものでは、かえってないんじゃないかというのが、審議会の内輪での大体の考え方でございます。
  25. 吉田法晴

    吉田法晴君 簡単に……。今生活保護なり何なり、社会保障の不完全なものをやっておる民生委員については相当問題があるのじゃないかと思うのですが、民生委員からその給与その他についての要望もございますが、今井さんにちょっと簡単にでも御意見を承わりたい。
  26. 今井一男

    公述人(今井一男君) 民生委員は、一時アメリカの司令部からだいぶいろいろ言われまして、ああいう形になったのでありますが、私の承知しております限りにおいては、民生委員の制度そのものよりは、やはり実態的な選任の方がとかくいろいろ評判を聞きますが、妙な意味にまあ行われているのが——地方におけるもろもろの情実関係がからむということの方が、むしろ弊害があるのであって、制度そのものとしては、決してそうかれこれと申す筋ではないのじゃないか。私のまあうろ覚えの記憶では、戦前の民生委員制度におきましては、いわゆる方面委員の時代の方面精神と申しまして、むしろそういったことがなかった。ただ、方面精神のいけないことは、この前に吉田委員からお話のございましたように、いわゆる慈善的な態度があるということ、これを新しい頭に切りかえなければならぬところに問題点がございますが、現在ありますような情実的なもろもろのことは、私どもは戦前には聞かなかったのです。結局端的に申しますと、選任方法等にいま少し適切であるならば、今言われておる問題点も相当に解消できるのじゃないかというように考えるのであります。
  27. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 三十二年度予算には、失業の対象人員、それから生活保護人員等がおのおの一割減ということで予算が組まれておると思うのです。来年度の経済計画なり、あるいはこれまでの労働統計等から考えますと、来年度も必ずしも失業は減らないし、生活保護人員も減らないのじゃないかというふうに思われるのですが、その辺の事情をどういうふうにお考えになりますか。
  28. 今井一男

    公述人(今井一男君) この辺はどうも見通しの問題になりまして、結局において、ああいう数字というものは、ある程度結果的にも行政的にも、何と申しますか、融通のきくものでございますので、もちろん程度はございますけれども、その点御承知通りでありますので、もしも結論的にあの数字通りの決算になったと申しても、それでその見通しが当っておったとも言えない面もございます。しかし一応常識論として、来年度のこの自然増収の関係、まあ昨年すでに遅欠配等の中小企業もある程度減ったというところからいたしますれば、若干減ったと考えること自身は問題……いや、常識的だろうと思うのです。しかも減りましたと同時に、懸案でありました、単価を両方とも上げるという方向も新しい方向だろうと思いますが、私はしかしその層よりも、むしろいわゆる潜在的な、いわゆる内職階級と申しますか、こういった方面に対するもろもろの施策ということこそ、それは神武景気に関係のほとんどない会社でございまして、こういう、いわば表面上に出てこない面が社会保障においても一番抜けておる線だろうと思います。今度幸いにして母子福祉等において、ささやかながら一歩は開かれましたけれども、まだまだこの点が一番抜けておる方面だとはいつも思っておるのでございます。
  29. 豊田雅孝

    豊田雅孝君 五人未満の労働者を収容しておる零細企業に対する社会保障制度の拡大、段階的に言いますという、どういう段階で進んで行ったらいいかとお考えになっておりますか。
  30. 今井一男

    公述人(今井一男君) この分野に、どうしても医療保険を普及しなければいけないということにつきましては、まあ審議会におきましても、委員一同一致しておることでございますが、さて、どういう方法が一番適切かということにつきましては、これは率直に申しまして、内部の意見はかなり区々でございまして、私などはある程度レベルは低くっても、また全体的なものが強制的に加入できなくっても、とにかく今の同業組合なり、あるいは地域組合なりという線におきまして、何らかのそこに団結力的な基盤を基礎に、いわゆる特別国保の問題になりますが、こういったことをある程度やって、こういう制度の実益というものを十分認識させた上で、その後の発展をはかる方がよかろうという考え方でありますが、しかし一面に、こういうのを一切国保でカバーしてしまえというのが政府なり、また一部の方々の御意見であり、また一部の方々は、そうでなくて、多少下ってもいきなり政府健保と同じような形でいけというような御意見でありまして、少くとも現在の段階では、政府健保が赤字でありますために、五人未満の零細企業は加入したくっても、事実問題として任意加入が認められない形になっておるようでありますが、これに対してやはり相当思い切った国庫負担をこの層に——ちょうど日雇いが今度一割から一割五分、ささやかながら負担率が上げられましたけれども、そういった階層こそ、それに準じてもっと手厚いものが講じられるべきだと考えるのでありますが、そのためにも、一応そういった階層は、別に一つの体験を積ました方がよいのじゃないかという気が私はするのであります。しかし純理論的にいきなり政府健保に統合しろという意見もございますし、その点はただいま関係者の間では、御承知かもしれませんが、むしろ議論が錯綜いたしまして、もろもろの意見が対立しているというのが現状であります。ただし政府はこれを一切国保にもっていってしまえという、厚生省あたりではお考えのように漏れ伺っております。国保にいきますこと自身は、零細企業のいかんによりましては確かに問題かと思うのであります。というのは、事業負担の問題が別にあります関係から、議論の余地はあろうかと思いますが、ただまあいずれにいたしましても、まず整理はあとにして、とにかく何でもいいから早くこれに医療保険の機会を与えるということを第一義的に考えたいというのが、大内先生なり、私なりの考えでありますけれども、しかしこれは少数説であります。
  31. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 二、三点お伺いしたいのですけれども、今の豊田さんの最後の点であります。零細な五人未満の企業、こういうものの健康保険は、今、今井さんのお話しの、やはり何か特殊な一つの共同体といいますか、こういうものを考えていって、なるほど十分な医療施設が困難にしても、そういうところから一つ固めていくというのが、将来のためにいいのじゃないか、これは私見であります。ところがとにかくも国民皆保ということで短かい期間に大規模に五百万人ですか、スタートを切ってしまう。スタートを切ることはけっこうですけれども、相当これはやはり将来に対する方針のあり方等を検討して、それから国民全部のあれにもっていくということがやはり順序じゃないか。急いで現在の国民健康保険のあの形に追い込んでしまうということは、私は相当近い将来に何といいますか、災いを残すような感じがしきりにするのであります。それが一点。  それから患者の一部負担の問題であります。これは何といいますか、組合保険でも、それから政府管掌の場合でも、現状で行きますと、今後の国民健康保険の関係相当差がついてくるわけです。組合管掌でも政府管掌でも、やはり私は保険である以上は保険経理といいますか、もちろん普通の営業保険と全然違いますけれども、数字的な観点が相当基礎的に強固であることが必要じゃないかと思うのです。若干の額には問題がありますけれども、医療保険ではやはり患者の負担というものが程度は別ですが、原則的に肯定されるべきじゃないか。ところが一部負担すればすぐそれが社会保障の趣旨に反する。あくまで国自体が金を出さないというと、国庫の負担がなければ社会保障制度の本質に背反するやの考え方が大部分である。これも一つ考え方ですけれども、医療保険の正しいあり方、将来の進展のためには、私は、やはり患者の負担というものをむしろ制度的にはっきり定めていいんじゃないかという考え方を持っているのでありますが、その点の御批判を受けたい。  それから年金制度のお話しがありました。これはできる限り早く出発をしなければならぬと、こう思うのであります。現在のたとえば組合健康保険等を合せて年金的な一つ施策をやっていくというふうなことが考えられないかどうか。私は考え方によれば、それは将来そういうことをやれば、先ほど岡田さんのお話しのように一つの統合の方向と反対の方向になるかもわかりませんけれども、遠い将来においては統合ということが考えられましょうけれども、当面としては、やはり一つの年金制度が自主的にできていくという一つの制度を作って、できればたとえば組合管掌の健康保険と合せてそういうものをやっていくというようなことが考えられないかどうか、その点を一つお伺いいたします。
  32. 今井一男

    公述人(今井一男君) この医療保険に入りますこと自身が、何か義務で、入りたくないのが無理入れられているというような形、認識では、これは私は長続きしなかろうと思うのであります。失業等の問題になりますというと、実は失業のチャンスの非常に少いグループと、それからチャンスの非常に多いグループとに分れますけれども、疾病の方面におきましては、これはかなり万人に共通した危険率を持っておるものでありまして、おれは絶対に医者にかからんというわけに参るものでございません以上は、何とかそういうことを認識させた上で発展させたい。こうなりますと、またその零細企業の問題につきましては、零細企業そのものの存在の問題ともからみつくかと思うのであります。そういった意味で、先ほど豊田委員に申し上げましたような方法で、若干の年数、ほんの私は場合によったら二、三年でもよろしいから、そういった段階を経て零細企業対策問題の一環ということで一つ経験を積ませるというと、その次のステップがより合理的にとりやすいのじゃないかというふうに申し上げたわけであります。  それから一部負担は、今一番やかましい問題であるようでありますが、現に国民健康保険は五割の一部負担というふうに、大ざっぱに——法律論は別ですが、実態的にはそういうふうに言えるわけでありますが、これはない方が便利には違いありません。また私は受診率を押えるためとか、あるいは赤字を消すためという意味で一部負担ということを考えることの方向は感心しないのであります。また一部負担というものは、しかし先ほど申し上げましたように、医療保険というものは非常に不公平なものであります。不公平のチャンスの多いものであります。その不公平のチャンスをいわゆる調整いたします意味における一部負担なら、これは理論的な根拠が生れるのではないか。そういったところになりますというと、私は一部負担の形よりは、むしろそれは厚生省はおきらいでいらっしゃいますが、われわれの仲間のテクニカル・タームで申せば、差額徴収の方が少くとも理論的には筋がよく通るのではないか、こういうふうには一般的に申し上げられるかと思うのであります。  なお、年金関係では、要するに一つの水準というものを国が確定いたしまして、これの管理自身は国が必ずしも直接やる必要はない、国の一定の監督の下にやらせる、こういった方がより賢明な場合も少くないかと思います。御承知のように、英国はあれだけの保険を徹底させまして、昨年でしたか、コーリン・クラークは、いかに事務費がむだになっているかということを指摘されたことがありますが、そういったおそれさえあるのでありますが、その意味では、膨大な官僚機構等との点を考えますというと、国が管理はする、しかし、実際の事務はある程度そういった組織体にまかせる、組織体に対する十分な監督を加えて、それで一つの、一定の線以下のものは全部共通に、いわば国庫代理店のような形において処理をする、それ以上のものは自分らの仲間の申し合せ的な、いわゆる互助会的な意味で運営するというようなことが十分可能でもあり、また、それが資本蓄積にも寄与するゆえんではなかろうか、それが全部プールということになりますというと、また現実の問題としてはいやな面等もございますので、まあ当面としてはそういったようなところが日本の近い将来に適した形であろうと考えます。
  33. 苫米地義三

    委員長苫米地義三君) どうもありがとうございました。   —————————————
  34. 苫米地義三

    委員長苫米地義三君) 次は、日本官公庁労働組合協議会事務局長豊田黎一郎氏にお願いいたします。
  35. 豊田黎一郎

    公述人豊田黎一郎君) 官公庁の労働組合の立場から少しく意見を申してみたいと思います。  政府の三十二年度予算編成方針を見ますと、二、三年の経済の発展を基礎として、完全雇用の達成と生活水準の向上をはかり、インフレを防ぎながら産業活動、国民生活の全般にわたって、均衡の取れた発展を推進する必要があるために、大幅な減税を行い、そうして積極政策を行う、こういうふうに言っております。そういう観点に立ちまして、今日の国民経済を眺めました際に、経済界では何とか以来の好景気、こういうことを言われ、大きな企業におきましては、相当大きな利益を上げておりますけれども、中小企業は仕事がありましても、運転資金に詰まり、非常に苦境にあえいでいるように思います。これを個人の所得に例をとってみましても、総理府統計局の調べによりまして明らかでありますが、エンゲル系数の五〇%以上の貧困階級は戦前の四十倍に達しております。さらにまた、所得税に例を取りましても、しばしば申されておりますように、五十万円以上の所得を取る人は全体の総人員から見ますと、七%しかない、五十万円以下の所得層が九三%にもなっておる、こういうふうに非常に差があるのであります。また地方財政を見ますと、多くは赤字に悩んでおりまして、そのしわ寄せは、私どもと同じ仲間であります地方公務員に非常にこれがしわ寄せをされております。さらにその結果、地方の住民の福祉活動等にも大きな問題となっておることも御承知通りでございます。  このように非常に多くの問題を含んでおりますが、この多くの問題、あるいは不均衡を是正をし、生活水準を上げて、国民経済を推進させようという政府の積極財政は、まことにこれは私どもといたしましてもけっこうであると思いますが、それを政府予算の個々の面から見ますと、大きな問題があろうと思います。先ほど申し上げましたように、政府のおっしゃる一千億円の減税の点でございますが、これを三十一年度の例を見ますと、所得税を納めることのできない日本国民の数というものは、全人口九千三十万人の中において、その七三%の六千五百六十八万人、こういうような人間がおります。さらにこういう人々は今回の減税の恩典に浴さないばかりでなくて、上るでありましょう鉄道運賃の引上げや、あるいはそれに伴っての私鉄、バス、こういう料金の値上げによりまして、家計費はますます苦しくなって参る、こういうように考えております。  第二に、この一千億の減税のうち、全納税者の七%に当る年間五十万円以上の所得者に七百億円の減税をし、九三%にあたる所得者に残り三百億のわずかな減税を行う、これは非常に矛盾をしておることだと思いますし、また私ども公務員にもこの恩典に浴する人々は比較的少い、かように考えております。このように一連の減税措置を見ましても、高額所得者に有利な、そして低い所得者には不利な減税が行われておることは明らかでありまして、私どもはこの点では、どうも納得のできないところがあるのであります。  さらに歳出を眺めましても、防衛費等の方面増額をしながら、国民へのサービス面における民生の安定費であるとか、あるいは教育費、あるいは公共事業費、こういうものの配慮がまだまだ十分でない、このように考えております。  さらに私どもが一番大きな問題として取り上げております給与の問題について、少しく意見を申してみたいと思います。公務員の賃金は戦前どういう形であったかと申しますと、御存じのように典型的な身分的な給与であったわけであります。無定量の労働に対しまして身分的な賃金が支払われる、こういう状態であったわけであります。それが戦後も続いておりまして、一九四六年以前のいろいろな給与が積み重ねられておったのであります。本俸であるとかあるいは暫定加給であるとか、あるいは臨時昇給であるとか、あるいは臨時勤務地手当であるとか、あるいは臨時手当というように、多くの手当類がありましたし、また臨時という名前のついた手当がくっつきまして、非常に複雑な賃金体系になっておったのであります。それが二千九百二十円ベースが設定されましたときに、初めて簡素化をされました。こういう戦後の公務員の給与が果しておった役割はどうであったかということを私どもは考えてみますと、賃金の水準を、民間労働者を含めた賃金の水準を規制をするという役割があったのであります。戦前でも同じように公務員の給与が統制経済の一環として他の一般的な賃金水準を規制する役割を持っておったのでありますが、戦後においてもそういう役割は築かれておった、こういうように私どもは考えます。戦後の初期の労働運動におきまして、官公庁の労働組合が非常に先頭に立っておったということは御記憶に新たなところであろうと思います。官公庁の労働運動は、俗に言われる二・一スト闘争のときが一番大きな盛り上りでありましたけれども、この大きな二・一闘争は当時回避をされましたけれども、この結果によりまして、公務員の賃金水準はその結果大幅に引き上げられることになったのであります。このような経過をたどりまして、その後、例の千八百円ベースというものが決定されるに至りました。千八百円ベースというのは、公務員の賃金の平均が大体千八百円である、同時に全産業の労働者の賃金も千八百円であるという形をとったのであります。つまり、公務員の賃金を千八百円に押えておくことによりまして、ほかの労働者の賃金も統制すると、こういう仕組みになったのであります。このベースがきめられた際に、どういう内容でこれがきめられたかと申しますと、賃金は戦前の二十七ないし二十八倍、物価は戦前の六十五倍というようにこれが決定をされておりました。だから、物価というものは高くきめられ、給与は低く押えられておったのであります。このように非常に価格差が顕著に現われてきたわけであります。その後、一九五三年に至りまして、二千九百二十円ベースがしかれた際にも、官公庁の労働組合は五千二百円の賃金の要求をいたしまして政府と争ったわけでありましたが、この紛争の結果、占領軍の方から政令の二百一号というものが出ました。そうして、公務員というものは罷業権というものを奪い去られたと、こういうわけでありますが、このときも、米国のAFLから参っておりましたキレン労働課長でさえも、公務員から罷業権を奪い去ると、こういう点については強く反対をいたしたわけでありますが、こういうように公務員から罷業権を取ったかわりに、今度は人事院というものが作られた、これも御承知通りでございます。人事院は、経済情勢の変化に応じまして公務員の生活を保障する仕事をしていくという名目で作られたものであります。ところが、人事院が作られるようになりましてからも、一体、人事院はどんな役割を公務員に果してきたかと、こういうことを考えてみますと、戦後今日に至るまで、人事院の給与の勧告は、昭和二十三年の十二月に行われました六千三百七円ベースを除きましては、二十八年までの五回の勧告というものは、すべて財源を理由にとられまして、あるいはまた国会の反対にあいまして勧告を減額をされる、ないしはこれを葬り去られると、こういうような取扱いがされて参りました。今回の昭和三十二年度の予算におきましては、政府は人事院勧告を尊重して六・二%の給与改訂を行うと、こういうことを申しておるのでありますけれども、今も申し上げましたように、過去におきましては、ある場合には勧告を尊重し、ある場合にはこれを尊重しないと、こういうような一貫しない取扱いは、私どもから見ますとどうも筋が通らない、こういうように考えております。要約して申し上げますと、戦後、特に最近における非常に低い賃金というものがどうして行われているかというと、まず第一に、公務員から罷業権を奪い去りまして、そうして団体交渉力というものを非常にこれを弱めることによりまして公務員の給与を押える、さらにまた、その結果民間産業の労働者の賃金を押えようと、こういうことではなかろうかと思います。しかも、人事院が公務員の給与勧告をやる場合に、自分の方で押えておきました民間産業労働者の賃金を基準にしてきめるわけでありますから、まことにお互いに規制をするような関係になっております。民間産業の労働者の賃金は公務員の賃金を基準にして押えまして、さらにその押えつけられた賃金を基準にして公務員の賃金がきまる、こういうようなおかしな事実があることを十分一つ理解を願いたいと思います。  以上、公務員の賃金を中心にいたしまして、戦後の賃金のあらましを申し上げたのでありまするが、最後に、昨年七月に出されました人事院給与の勧告の問題点は一体どういうところにあるのであろうかと、こういうことを公務員に一番身近な問題としてお話を申してみたいと思います。給与勧告というものを表面的にこれをながめてみますと、ともかく俸給表を改正いたしまして、公務員の賃金水準を六%程度引き上げようということであります。もう一つは、特別手当として〇・一五カ月分の手当を新設をしたことであります。そしてこの勧告を実施するために必要な予算は六十九億円であると、こういうことを申しておるのであります。  そこで、なぜこのような給与勧告を人事院が出したかということになりますと、私どもが率直に考えますことは、民間労働者やあるいは公企業関係の職員の賃金が上った結果である、こういうように私どもは見ておるのであります。ことに、昨年春の、一つの俗にいわれる春季闘争という闘争によりまして、私鉄あるいは炭労あるいは合化労連という民間の組合でそれぞれ大幅な賃金の引き上げがなされました結果、民間労働者と公務員の賃金の開きは極端に大きくなってきたわけであります。給与勧告においてさえ、約一一%の開きがあるというのであります。人事院が六・二%の給与の引き上げを勧告せざるを得なかった背景には、こういうような民間やあるいはその他の賃金の値上げの結果が背景にあろうと思います。しかし、問題は給与勧告の中身でありまして、政府が今回給与法を改正いたしまして、そうして行おうとする内容でございます。給与勧告が出された一つの点は、民間労働者との開きであることは先ほど申し上げましたが、もう一つは、従来の職階制の矛盾が堆積してきたということでもあります。その一つは、賃金に頭打ちが増加したということ、一つには、ワク外者がふえたということ、この二つの問題でございます。なぜ頭打ちやワク外者がふえてきたかというと、これは二十九年のデフレ政策にあると私は思います。二十九年に、大蔵省が七月一日現在員の定員を各省に示しまして、俸給額、勤務地手当、扶養手当などをかけ合せまして、年間人件費予算というものを計上いたしました。従って、それ以後、各省庁は昇格昇給を極端に抑制せざるを得なくなってきたわけであります。つまり給与の規制を通じて賃金を押える。こういう政策が職階制の本来の機能を麻痺させてしまった。さらに、また昇給昇格するということが職階制の一つの持ち味であったのでありますけれども、そういう持ち味自身がもう消えてなくなってしまう、こういう状況になって参っております。そのほかに勧告が述べておりますことは、同一の職務内容の官職が数個の職務の級にまたがっている、本省の課長であっても、ある人は九級であり、ある人は十級であり、ある人は十一級であるという工合に、複数の級にまたがってるいるという現象が生じてくる、それから同じ級に上下の官職の者が混在してしまう、こういう現象が現われてきたというのであります。こういう現象が現われることは、実は公務員の職階制が当然これは起すところの矛盾であるわけであります。つまり職階制というのは、本来同一労働、同一賃金の原則を具体化するものであるという名目がとられていたのでありますけれども、今言ったように、同じ官職でも数個の級にまたがる、あるいは同じ級の者であっても、上下の官職の者が混在するというようなことは、同一労働、同一賃金ということとは全く相反することでありまして、全く差別給与であると、こういうように私どもは言わざるを得ないのでございます。どうしてこういう差別給与がもたらされたかという問題でございますが、これは公務員の職階制そのものがインチキきわまるものであることから起っております。どういう点がおかしいかということを申し上げますと、二千九百二十円ベースを作成いたしました際の職階制の方式というのは、いわゆる職階法にきめられておりました。これをどういう形できめられたかというと、等級ごとに、どういう仕事をやるかという定義を与えまして、職務を調査分析して、その職務を等級に当てはめていったわけであります。この昇給定義の中身については省略をいたしますけれども、この昇給定義というのはすべて職制中心のものであったのでございます。つまり、責任度というものだけを非常にこれを重点に置いておったのであります。職務を分析する場合に、幾つかの要素があります。一つは熟練もありましょうし、あるいは一つは作業条件もありましょうし、さらに一つは本人の努力と、こういうものもありましょう。その中で責任要素が一番重視されているところに、日本の職階制の特徴が示されていると私は思うのであります。公務員の職階制の場合に、その点が典型的に現われておったのでありますから、公務員の職階制というのは、中央官庁の場合に例をとってみますと、九級は係長、十級は課長、十一級は大きな課の課長、十二級は次長、十三級は局長、十四級は困難な事項を処理する局の局長と、こういう工合に配列をされておる二とを見ましてもこれは明らかだろうと思っております。しかも、この二千九百二十円ベースのときに、各職務を一体どの級に当てはめていくかということにつきましては、職務内容をよく分析しないで、例の各種の級別決定の便法というものを採用をいたしたわけであります。この便法が実にインチキなもので、一般事務職員の級別決定の場合は、主として資格、つまり学歴、及び勤続年数も入っておりますが、この職務の内容を十分に分析をしないで、資格や勤続年数というような基準で当てはめて参ったのであります。ところが、学歴というものはこれはいろいろな見方があると思いますが、労働の質量を判断する基準には私はならないと思います。学歴を基準にするところに日本の賃金の非常におくれた性格が示されておるのではないか、このようにも思います。大学を出ましても、りっぱな人もおりますし、そうでない人もおります。また小学校しか出られなくても有能な人もたくさんおるわけでありますから、賃金をきめる場合には学歴を問題にあまりにもし過ぎると、こういう点は今後ぜひ変える必要があろうと思うのであります。ところが、この学歴と勤続年数を便法にいたしましてこれをきめていったのであったのでございますが、さらに昇格をやる場合には、職務の質が高くなるから昇格させると、こういうことではなくして、ただ機械的に在級年数または経験年数に基いて昇格さしていったわけでありますから、さっき申し上げましたように、大へんな差別賃金が生ずる結果になったのであります。同一の職務の者が数個の級にまたがるとか、同一級の者の中に上下の官職が混在するというふうな、この差別賃金がもたらされるようになった原因は、戦後に制定をされました国家公務員の職階制そのものに原因があったと思います。こういうようにインチキな便法というものでやっておったために、年数がだんだんとたつに従いましてその矛盾が現われて参ったと、こう見ても差しつかえがないと思います。そこでこういうような矛盾を今度の給与勧告では一つ改善しようという看板が掲げられておるわけであります。ところが、こういう矛盾が解決されたかというと、ほんとうに解決されておらないのであります。今度の給与勧告は、十五級に分れておりましたのを七等級に縮めるというのであります。そのかわりに等級の号俸の数をふやして頭打ちをなくそうというのであります。  それからもう一つ問題となりますのは、身分的な性格が一そう強化されたということであります。労働の質と量に応じた賃金、同一労働、同一賃金の原則から見ますと、全くかけ離れてしまって、しかも、封建的な身分的な職階制というものが非常に今回は強くなってきている、こういうことが非常に大きな問題になるわけであります。  次に問題にいたしたいのは、もし今回改正をされますならば下級等級、つまり低い等級の昇給率が非常に悪くなる、こういうことであります。これはしばしば指摘をされておる通りでありますが、等級ごとに頭打ちのカーブが異なっておりまして、上級職の場合は昇給カーブは非常にこれは高いのでありますが、下級職の場合にはカーブは寝ておる、こういうことであります。現行の場合は、級が違っておりましても、俸給月額が同じの場合には昇給の条件というものは全く同じでありましたけれども、新しい今回の俸給表によりますと、同一の俸給月額でありましても、等級の高い方は昇給条件がよくなっております。つまり、これはどういうことを意味するかというと、職制の等級率を高めることによりまして、職階制という刺激的な性格を現在のもの以上にはるかにこれを強化しようとしておるのであります。それからもう一つ、上下の格差を一そう拡大をさせていく、つまり年がたてばたつほど、上下の格差が拡大するように仕組まれているという二点が問題になるわけであります。でありますから、今度の給与勧告であっても、下級職の場合は幾らか賃金は上りましょうけれども、二年後あるいは三年後になりますと、現在のものよりもっと不利になってくる、五年後ぐらいになりますと賃金が下ってくる、こういうようなことが非常に私どもとして問題にいたしておるところです。  それから今度の新しい俸給表でおおむね一号俸の引き上げを行う、こういうように言われておりますけれども、この切りかえのときには、最高は八・四%という上昇になりますが、一番低いものはわずか二・五%しか上らない、つまり高給者は低給者に比べまして一般に引上率が高いのでありますけれども、全額にいたしますと開きがもっと大きくなりまして、約公務員の八〇%を占めております現在の八級以下の、つまり役づけを持たない職員は、最低は百五十円から大体五、六百円前後の賃金、給与が上げられる、こういうことになりますけれども、課長以上の方々は二千円からあるいは多い人は三千円、こういうように給与の引き上げが行われる、こういうことになりますと非常に大きな問題があるのでありまして、いずれにいたしましても、今度の公務員の給与勧告の中には非常にいろいろな問題が含まれておる、こう思います。  次にもう一つは、今度の給与勧告というものは、つまり定期昇給の制度を守ろう、こういう趣旨を盛り込んでおると思います。民間の方でも、この定期昇給制度の確立ということで賃金をなるべく上げない、こういう趣旨が最近特に顕著に取り込まれておりますけれども、この人事院の勧告の給与の体系、こういうものは、将来公務員給与をなるべく昇給だけで引き上げていこう、こういう趣旨があるのではないか、このように考えます。  さらにまた非常に重要な問題として私どもが考えております中に、こういうような給与が実施をされるということになりますと勤務評定、つまり考課表と申しましょうか、勤務を評定する制度というものが非常にこれが強くなってくる、こういう結びつきが出てくる、こう思っております。勤務評定制度というのは、公務員の場合には、協調性やあるいは勤務ぶりとか、そういうものを監視することによりまして、公務員同士の中に非常に大きな競争を持ち込む、あるいはまた仲間割れを持ち込む、こういうことはこの勤務評定制度を強化いたしますと、必ずこれは起ってくるのではないか、こういうことを私どもは心配をいたしております。すでに官公庁の場合では号飛び昇給というのがございまして、そうして昇給予算のワクがあるのに、ある特定の者をこの号飛び昇給をさせまして、ほかの者は昇給が押えられていく、こういう結果に今日すでになっておるところもありますが、こういうように非常にお互いに公務員同士で、仲間同士で競争心を激化をして、自分が早く昇給をしたいとか、こういうような意味から競争をし合う、こういうことはお互いに不幸なことでございまして、こういうところが私どもが今回の給与法の改正に当りまして非常に強く主張をいたしておるわけであります。さらにこの給与の金額でございますが、先ほどから申し上げておりますように百五十六億、つまりパーセントにするならば六・二%、こういうことになっておりますけれども、これも昭和二十九年以来、公務員の場合には全然今日までベース・アップというのが行われておりません。この点につきましては民間の経営者の方々から、そういうことを君らは言っても、昇給を年に五・五%もやっておるではないか、こういうことを申されるのでありますけれども、これは昇給というものは、私どもはまじめに勤務をすれば当然だれでもこれはつく、一つのまあ仕事に対する報酬と申しますか、権利であると、こういうように考えております。従いまして昭和二十九年度以来三年間にわたりまして全然公務員の給与の引き上げというものが行われておらない。こういうことからかんがみ、さらにまた人事院がいろいろな資料を出しておりますように、相当民間の、しかもその民間の中には五十人以上の民間労働者の賃金の平均におきまして約一一%も差がある。こういうことを裏づけとして申しておるわけでありますから、この際この公務員給与については十分金額の引き上げの点も御検討願えるならば非常に幸いだと思います。  さらにこの昇給の問題でございますが、これは昭和二十九年以来昇給原資というものが非常にこれは窮屈になっておりまして、昭和二十八年までは大体平均をいたしますと給与費の五%程度を昇給原資に見込んでおりましたために、おおむねまじめに勤務する者は全員昇給ができておりましたが、しかしながら昭和二十九年以来これが四・五%、さらに四%と、こういうようにだんだんと単位を切り下げて参りました結果、非常にこの昇給というものがむずかしい問題を起しておる、こういうことも十分一つ私どもとしては申しておきたいと思います。  さらにまた今年度の予算の中に、今日公務員の中に相当数の臨時職員という人々が働いておるのでありますが、こういう臨時職員の予算措置あるいは定員措置についてもまだまだ私どもから言わせるならば不十分な点があるようであります。つまり今日国家公務員だけでも約三十六万以上の、つまり臨時職員と言われる人々が働いておるわけであります。これを地方公務員や、あるいは公共企業体全部を合せますと、約百万人近い臨時職員が働いておる。これはつまりどういうことかと申しますと、今日の行政機関職員定員法という法そものがすでに業務量の実態に合わない、こういうことが言えると思うのであります。なかなか定員をふやすということはむずかしい問題のようでございますけれども、そういうように二年、三年あるいは長い人は五年も六年も臨時職員で昇給もない、日曜も休めば月給を引かれる、こういうような人々がおるわけでございまして、この点を私どもはすみやかに定員を改正をいたしまして、実態に即した定員にしてもらいたい、こういうことを主張をいたしておるわけであります。  さらに公務員の恩給関係、つまり退職年金法の問題でありますが、これも昭和二十九年人事院が勧告をいたしまして、現在の恩給法を改正すべきである、こういうことを勧告されておるのでありますが、これをなかなか軍人恩給その他の関連性から今日まで全然考慮をされておらないわけであります。こういう点も私どもは非常に大きな関心を持っておるわけであります。  以上はなはだ概略でありましたが、私どもの考えを申し上げまして、もしこれらが十分国会の予算審議あるいはその他の審議の中で生かされて参るならば、全公務員は十分士気を鼓舞して仕事に一生懸命に励む、こういうことが生まれるであろうということを最後に申し上げて私の意見を終りたいと思います。(拍手)
  36. 苫米地義三

    委員長苫米地義三君) 豊田公述人に御質疑がございましたら御発言を願います。
  37. 天田勝正

    ○天田勝正君 一点だけ伺いたいと思います。御意見の中で学歴偏重の傾向があまりに強いということを御指摘になりましたが、私も実にこの点は、特に事務職員におきましては、無意味に近いことではないかと考えております。理科系ならば、小学校を出た者がいきなり原子力の理論を展開せよと言われても無理な話でありますけれども、文科系の学校へ行ってみるならば、昔私どもの経験からしても、小学校しか出ない者が夜の大学へ行って講義を聞く、ところがこの講義は昼間ちゃんと予科やら高校を出てきた者と少しも変らない、しかし向学心に燃えているくらいの者に理解ができないことはない、こういうことから考えても、職についた場合でありましても、問題は職務につきながら勉強すれば大ていマスターできることであって、特別そこに学校によけい行ったからといって大きな差をつけるということはきわめて不合理がそこに生じる、こういうことを常々考えておりましたが、ただいまの御意見からいたしまして、しからばそれを是正するのに結局国会側等で十分考慮し、将来の法律改正等で一つこれらを矯正すべきだ、こういう御意見だと思いますが、現場におります豊田さんといたしましては、これらを矯正するにどういう方法をとったらよろしいかということについて御意見がありましたら承わりたいと思います。
  38. 豊田黎一郎

    公述人豊田黎一郎君) ただいまの御質問でございますが、やはり今日の給与法の中におきまして、公務員の給与については、こういう格好でやれ、こういうことが規定をされておるわけであります。その中にその公務員の給与をきめる際に、またいろいろと規則やあるいは人事院の指令とか、こういうようなものがございまして、そういう中においてやはり初任給なり、あるいは民間から公務員になったと、こういうような人々の給与をきめる際に、大学校を出た場合には、初任給は幾らだ、あるいは高等学校は幾らだ、あるいは小学校は幾らだ、こういうように明らかに格づけの際と申しますか、給与をきめる際にそれが考慮されるように今日制度上なっておるわけでありまして、ただいま私が申し上げましたように、そういう点を是正するとすれば、やはり法律そのものを十分検討を願って、法律を改正していく方法しかない、かように思っております。さらに私どもといたしましては、もちろん学歴を全然尊重しない、こういうことは申しておらないわけでありまして、ただその運用の仕方が今日の官公庁の場合には、特に東大を出た者が非常にこれが有利に扱われておる、私大あるいはまた高等学校程度では一生懸命——これは一生近く官公庁に働きましても、なかなか課長以上のポストになれない。よほどの例外を除いてはなれない。こういうような実態であるわけでありまして、そういう意味から、私どもの立場からもそういう学閥人事や、あるいは学歴偏重、こういうものを十分当局方々にもお願いをいたしまして、偏重を直してもらいたい、こう考えるところでございます。
  39. 吉田法晴

    吉田法晴君 四点簡単にあげますからお答えをいただきたいと思います。  第一は二・一ストによってその後政令、その後公務員法に移されたわけでありますが、スト権なり、あるいは団体交渉権が制限をせられましたために、人事院ができて今日に至っておりますが、その人事院もまああとからお尋ねをいたしたいと思いますけれども、十分に機能を発揮しない、あるいは勧告が認められない、こういう結果公務員全体について給与なり、それから地位がだんだん下ってきているではないか、そういう感じがいたしますが、そのスト権と賃金その他との間に関係があるかどうか。あるとして、あるいは公企労、官公労、それからその他についてどの程度の差ができておるか、それが第一。  それから第二は最初の公務員法の精神によりますと、スト権、あるいは団体交渉権が制限されておるその公務員の憲法上保障されておる権利をかわって行使するのが人事院である、そういうように説明を聞いて参りましたし、従って勧告や、あるいは裁定、あるいは団体協約に私は匹敵する性質のものであると了解をして参りましたが、なお給与準則という観念がございまして、勧告を法律案に作って出してくる、こういう建前になっておったかと考えるのでありますが、ところが人事院の勧告と違って政府が給与法を作ってくる、こういうことにこのところだんだんなってきた。そういうことが今の公務員法の建前の上で許されるのかどうか、政府が別に給与法の改正案を出し得るということが人事院の勧告、あるいは人事院が作るべき給与準則とともになされるということについてどういう工合に考えておられるか、それが第二点。  それから給与なり、あるいは民主的公務員制度がだんだんだんずれつつあるというお話を今お伺いしたのでありますが、そうしますと、もとに返って人事院というものについてどういう工合に考えられるか。あるいは人事院がほんとうに使命を果さないとするならば、本来の憲法に保障された団結権と団体行動権を公務員にも認めるべきである、こういう工合にお考えになりますか、その辺の所見を伺いたいのが第三。  それから第四は、ことし民間なり、三公社五現業等、賃上げ、給与の引き上げが実際に行われております。この実態を見て公務員としてどういう工合にお考えになりますか、それを第四としてお伺いしたい。
  40. 豊田黎一郎

    公述人豊田黎一郎君) 非常にむずかしい御質問ばかりでございますが、まず第一点のストライキをやった場合と、これがなくなった場合と一体公務員の賃金はどういう関係があるだろうか、こういう内容の御質問と思いますが、これは昭和二十二年の現在の国家公務員法ができる前までは、つまりストライキ権と団体交渉権が公務員も民間労働者諸君と同じように全部あったわけでありまして、そのときのつまりまあ私どもから言うならば組合運動によりまして相当あのインフレの時代ではありましたけれども、大体要求した程度まではいきませんが、相当ストライキ権を背景にいたしまして、政府に賃金についての善処を願ってきたと私は考えます。ストライキ権があって、ストライキをやるから賃金を上げる、やらないから上げない、これは理屈の上ではまことにおかしな話のようではありますけれども、どうも現実の事態というものを考えた場合には、民間産業の場合でも、やはりああいうふうな一つの実力行使というものをやらなければなかなか賃金が上ってこない、こういうのが現実の労使関係における実態ではなかろうか、こう考えますと、やはり公務員がこの罷業権をとられた、こういうことを考えてみました場合に、やはり賃金はこれは相当不利をこうむっているのではないか。具体的にどの程度の不利か、こういうことはなかなか申し上げにくいのでありますが、全体的な感じとしてそういう感じをもっております。  次に第二点の勧告の、これの政府等の取扱いの点でございますが、確かに最近におきましては勧告はございまして、政府がいろいろなそれに必要な法案を提出いたしておるようであります。もちろんこれを全額勧告通り実施するしないは別として政府側の方が法案を出す、こういうことになっておりますが、これらは給与準則との関連においてどうか、こういうことになりますと、多少やはり疑問があるのではないか、こう考えるわけでございます。ただ勧告そのものは政府と国会に対して行われるわけでございますから、その限りにおきましては必要な手続というものは政府において行なっても差しつかえないという気もいたしますけれども、いずれにいたしましても、どうも勧告の尊重ということが先ほど来申しましたように場当り的な坂扱いに終始している、こういう印象を私は強くもっております。  次の人事院を一体公務員はどう考えるだろうか、こういう点でございますが、当初人事院ができました趣旨からするならば、この人事院はストライキを奪ったかわりのものでありますから、そういう観点から特に給与問題等に対しましては、公務員の利益を、団体交渉、ストライキ権がないかわりにその利益代弁をする役目を私はもつべきではないか、こう思います。ところがどうも最近の人事院の動きを見ますと、公務員全体、何百万という公務員に非常に大きな影響のあります給与体系等の変更を勧告するにいたしましても、全然公務員側の意見を聞かない。三人の人事官がきわめて独善的にというと非常に言葉が過ぎると思いますが、人事官の判断によりましてこれがきめられておる。こういうことはやはり人事院本来の設立された趣旨から考えればどうか、こういうように考えておるところであります。願わくは人事院もそういう意味におきまして、公務員全体の立場をもう少し公平に、しかも政府にあまり気がねをしないで、あるいは財政当局にあまり気がねをしないで、公正妥当なる勧告を出していただきたいと、こういうことを私は特に考えておるわけであります。  さらに人事院の存廃の問題につきましては、まだ私どもも慎重に検討中でございますから、その点は一つ答弁を申し上げることができない段階でございます。  次に今回の三公社五現業の、特に調停案が出ましたこの給与の引き上げの内容と、それから今回の政府が現在お考えになっておる公務員給与の引き上げとの問題だろうと思いますが、これはなかなか微妙なる問題でございます。政府側の方は、三公社五現業は、非常にこれは一般公務員に比べるならば給与が高い、こういうことをしばしばの機会に申しておるわけであります。さらにまた、地方公務員から見ましても、一般公務員は給与が低いのだ、こういうことを申しておるわけでございますが、この点は表面的な給与の水準から見れば、あるいはそういうことが肯定をされる、こういうこともあり得るかもわかりませんが、やはりそれ相当に三公社五現業の職務の内容やあるいは職種の違いやあるいは給与制度の相違、こういうことから考えれば、画一的にこれはなかなか律することがむずかしい問題だと思います。いずれにいたしましても、こういうように公務員公平ということを私どもはしばしば主張をいたしておる立場にあるわけでございますが、一方に、こういう調停案が出、これが今後どういう形で仲裁が出るかということは、これは将来の問題でございますけれども、公務員給与に対しまして、一つの全体のレベルを引き上げていく大きな基礎になるのではないか、こういうことを考えております。
  41. 吉田法晴

    吉田法晴君 四点お尋ねをいたしましたそのうちの、特に第二点だけちょっともう一ぺんお尋ねいたしたいと思います。スト権それから団体交渉権が非常な制限を受けた、奪われたということで、人事院の勧告がそのかわりだということになると、勧告を政府も受けるからといって、その一方の使用者であります政府がその勧告と違ったとにかく法律案を作るということは、これは許されぬのじゃないか、精神からいって。従って、政府と国会に勧告をするということになれば、むしろ国会に重点があっても、事柄の性質上、政府が独自の法律案を作り得るということは間違いじゃないか。特に給与準則といったような、勧告のほかに法律案を作って出すべきだという制度があるならば、なおさらそういうことが言えるのじゃないか。そこで、政府側も勧告に従って法律案を出すのも一つの方法じゃないかというお話がございましたが、少し御説明が足りなかったのじゃないかと思うのでありますが、私は給与準則、勧告に従って法律案が作られるとするならば、それは勧告通り法律案が、人事院において作られるか、あるいは国会において作られるか知りませんけれども、それは作られるべき性質じゃなかろうか、こういうことを質問したのであります。
  42. 豊田黎一郎

    公述人豊田黎一郎君) その点は全く私も同感でございまして、先ほどの答弁では、多少舌足らず、こういう点もございましたが、ただいまの御説の通りだと思っております。
  43. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 今の人事院の問題に関連をしまして、どうも人事院が今のようなあり方になっていると、公務員の諸君の実情、あるいは要求がよく十分にくみ取られていないと思うのです。従って、給与体系あるいは給与金額をきめる前に、人事院あるいは財政当局がそれをきめる前に、もっと公務員の諸君の実情なり、意向が反映するような、何か新しい制度といいますか、仕組み、やり方、そういうものについてはどういうふうにお考えですか。
  44. 豊田黎一郎

    公述人豊田黎一郎君) 佐多議員の御質問でございますが、私どもは結論としては、今の人事院のような運営であればこれは期待ができない、こういう気持を持っております。従って、この点は、先ほど申し上げたように、人事院に対する私どもの見方というものは、慎重に今日検討中でございますが、今後の給与あるいは給与の体系なり、そういった点を今後検討するという一つの方法としては、やはり公共企業体でとっておりますように、ああいう形の労働委員会と申しますか、あるいはああいう形の給与審議会と申しますか、そういうようなシステムも一つのいい方法ではないかと考えております。とにかく今の人事院というものは、私どもがしばしばこれは人事院当局の方に、意見の申し述べやあるいは公務員側の意見を聞いてほしい、こういうことを申しておりますが、なかなかそれが十分いかない、こういうような欠点を私どもとしては感じておる、こういうことを申し上げたいと思います。
  45. 苫米地義三

    委員長苫米地義三君) どうもありがとうございました。  それではこれをもって公聴会を終了いたします。本日はこれにて散会いたします。    午後一時四十六分散会